市場経済 に関する学史 的系譜 と環境論 の位相
桂 木 健 次
は じめに
問題視角 としては,経済活動/人 々 (社会) の豊 さのために,市場 にたい し ていかな る政府 ほかか らの社会的干渉 と介入 ・規制が要請 され るかを,環境論 の位相か ら考 え る。 まず,市場経済 モデルをめ ぐる問題が何 かを図示す る。
同感 ・倫理 ・神 市民的主体の形成 :市民社会論 (市民社会の倫理的基準 と合意)
■ 上
市場 メカニズム (市場経済)
調整 (一般均衡) :理論 モデル ← 制度 と非市場 等価性モデル もしくは 「市場ゲーム」(競争) (社会 システム) 自由主義 (主体 と競争)
自助/契約の社会的再定義 ;思想モデル
各人が 「公平な観察者
( Smi t h
,i mpa r t i a ls pe c t a t o r
)」 をその内面 に持 って い る†
国家 または社会的規制 (コン トロール)
1.
「社会 (内)均衡」 という位相市場 システム的社会 の成立 (アダム ・ス ミス的課題 は何 だ った′のか) をまず 整理す る。 ス ミスは, その 「社会的体系
( s ys t e m) 」
の原理 的定立 において,‑ 1 1 7(5 9 9)‑
『道徳情操 の理論
』 (6
版) における①「徳」の適合性 と「情操」の是認原理⇒「観 察者」と しての「同感( s ympat hy)
」,② 「公平 な( i mpar t i al )
」同感 :人 間の社会 化(市民化)過程での経験 の内面化 の市民的形成 として提示 した。 それは,経済 科学的には<市場 >経済 システムの学で,方法論的個人主義に基礎を置 くとニュー トン力学的な経済学 を呈す る。 つ ま り,個人の選好や評価 を説明す ることでは な く,選好や評価 を需給 を通 した 「市場取引で表 され るもの」 (
「神 のみえ ざる 手」)として受 け入れ ることによって,経済 システム ・政治 システム ・社会 シス テムのSub‑ s ys t e m
への分化(国富論第5
編)が学的編成 としてな された。故 に, 経済 システムとしての 自己調整的市場 (一般的均衡,競争的市場均衡) とした ス ミスの「見えざる手」は,一つの均衡点か ら他の均衡点への調整であ って,市 場 それ 自身 には 自己組織化 を しない とい うことの黙示 であると同時 に,「望 ま しい状態」と価値判断 されていて, この構 図は現代 にいた って も古典派復活論 者(マネタ リス ト, サプライサイ ド,合理 的期待形成論),新古典派 に継承 され てきたが, ス ミスにおける検証 (経済的均衡 における社会性)がスポイル され て しまっている。2.
ケ イ ンズ, 国 家 ・社 会 的規 制 , お よ び制 度 派 経 済 学 の位 相ケインズにおいて注 目すべき点は,資本主義の未来を 「酸素吸入テン トの中」
に管理 されるべきであると見定め, その酸素 を供給するのか政府の役割であると 了解 したことである。ハ ンス ・ブレムスのいう 「不完全雇用均衡
」
である。(1)国 民所得 とい うマ クロ管理すべ き経済活動集合( GNP
概念) を 短期的政策志 向 (流動性選好) として理解す るか,長期的関連( GNP
と経済的福祉) の国民所 得決定理論であるかをめ ぐり, ケイ ンズ理解が分かれ るところであるが,ケイ ンズに対 してラスキ ンによる批判がある。 内部性 という限 られた地平線上で個 々 の企業が利潤最大化 を追求す る市場社会経済 システムでは, 自然の恩恵を最善 に利用す る課題への対処 は困難であ り,時代 はます ます 「外部性」 とい う内部の計算 か ら漏 れ る福祉 の観点 か らの重要性 が増 しつつ あ るとす る。 しか し,
「ケ ンブ リッジがケイ ンズをつ くった」 と言 われ る社会倫理的背景 (マー シャ ル, ピグー とケイ ンズ) を考察すべ きとい う指摘 もなされた。
均衡論 と並んで社会経済学的視点
(
「有機的成長論」)への関心 と 「
生物学的 方法論」へ展開があ り,「経済騎士道 的倫理観 に支 え られた建設的競争」 とい う視点である。 自由競争 (市場)の下での生産資源の最適配分 は 「理念的状態」で, その配分 を妨 げて い る要 因を 「知識」(情報) の不完全 とい う意 味での
「外部経済性」に求めた 「新
l a i s s e z ‑ f a i r e 」 ( 1 9 0 7
,マーシャル‑ケイ ンズ, ピグー) であろう。 神 の もとでの利殖 を失 った嘩 代 における倫理体系を強 く意識 して, 物質的な豊 さに価値 を求 め るのでな く, 「私 にとっての問題」 とは市民 を幸福 にす ることが利益 にな るとい うわが孫達( 1 0 0
年後) の 「経済的可能性」 を射 程 にいれて,富の蓄積が社会的重要性 を失 う 「自分の行為 による遠 い将来 の結 果への関心」「手段 よ り目的を高 く評価,効用 よ り善」 を選択(
「紡 ぎは しない野のユ リ」 に も敬意 を払 う) とした ことは見逃せない去(2)
制度派経済学の把握位相 は,経済活動の主体 の定義 (カ ップ) に特徴付 け ら れ る。「制度的人間
」(I ns t i t ut i o na lma n)
の制度的( i ns t i t ut i o na l i z e d )
行動 (思考習慣,行動習慣) として,経済社会 を 「全体社会 システムのサブシステ ム」
一開かれて動態的なサ ブシステム(システム論 的アプローチ)で把握 した と ころにある。「社会的費用」とい うカテゴ リーでは,経済の開放的体系的性格 と い う方法論 的指針 において,「外部性」(
大気汚染)とは,営利的企業 にとっては「外部的」であ って も,経済の全体 システムにとって は 「内部的」とい うカテゴ リ」 での「社会的費用」の定義である。 制度派か らみれば,需要 と供給 の均衡 も サブシステムの小部分で しかない。 こうした制度派経済学の特徴 は,
・生産 と消費の開放体系
・進化 :技術変化 と循環的累積的因果関係 の動学的プロセス
・計画化への認識
・規範的科学(社会 目標 ・目的の定式化)
‑1 1 9(6 0 1)‑
としてまとめ られる。(3)
(1)ハ ンス ・ブ レムス (駄 田井正訳)『経済学 の歴史(1630‑ 1980)』多賀 出版(1996)第Ⅴ部 (2) Geo肘ey M.Hodgson (ed.),The Economicsoflnstitutions,An ElgarReference Collec‑
tion,pp.105‑127,1993
(3) 上 村雄彦 『カ ップ ・ミュル ダール ・制度派経済 学 一一 つ の経済学批判』 日本 図書 セ ン ター (1997)
3.
パラダイム (視座)の進化古典派経済学的 ・ニ ュー トン力学的 「変化」概念では,「合理的 (功利主義 的) ・演緯埠方法論 (‑神 を 自然界か ら,人間をほかの生 き物か ら区別)」か らの 「永続的進歩への線形的史観 (短期的機会追求)」による,市場均衡 ・定 常状態 (静学的均衡)への回復過程‑変化があるだけである。
これに比 して,制度派経済学成立の視座 (背景) にはダーウィ ン的変化概念
・があ り,
s ys t e m
の累積的変化‑成長過程 :発展的 (力学的ではない)定理 と言 える。(1)例えば, カ ップの 「利用可能資源の範囲内での最低費用での人間の不可欠な
▼
必要充足 とい う原理」である。
homo‑ e c onomi c us
(孤立的個人) とす るホ ッ プスのいう 「自然的状態」では,社会的存在 (集団) としての人間個 々の欲望 充足や行動が欠落 していろ故 に,個 々人間の 「交換 ・契約」が無数 に連結 して「市場経済 メカニズム」が形成 されると説明され る。 また, 新古典派的消費行 動
( homoe c onomi c us )
論 もパ レー ト最適な資源配分 とい う 「虚構」 の仮説 に 止 ま り,選択の善悪が問われない。「経済」 とい う人間の欲望充足 に不可欠 な 物財の調達 におけるi ns t i t ut i onal
な仕方の経済行動 は,合 目的的な行動の論理 化 された視野か らは外れて しまう (形式的定義 としての 「経済」)。制度派 といわれ るように,社会分析への規範的接近 (①社会的効率の判断基 準②操作可能性)が,行動基準 ・成果の量的指標 (国民所得) に求め られ始め
た ので あ る。 「オー プ ンシステム と しての経済 システム (全体 システム)」は
「他 のサ ブ システム」, と りわ け 「生態系 と経済系 のバ ラ ンス
」
(動態的状態 の 維持) に開かれ るとい う定義 まであ と一歩 である。(2)(1)上村,前 乱 第3章
(2
) この件 に近 い問題視野か らの塩沢由典 『市場の秩序学』
(筑摩書房,1990)は,「定常系を再生産す る
」
ところでの 「経済」定義の取 り戻 しを提唱 していて注 目され る (第10章)。4.
市場 と非市場 (制度 ・自然環境) との均衡か らの批判的視座成長 の限界論 の先達 には,
F.
ソデ ィによる経済成長理論への批判がある(1)。ソデ ィ 「デカル ト学派 の経済学
」 ( 1 9 2 1 )
では,「富 は貯蓄できず, ただ支 出 しうるだけの フ占‑」 とす る点で,古典派 やケイ ンズの長期的均衡論への批判 が顕著 である。「真 の富 (資源)」は太陽か ら来 るエネルギー フローで, それは 経済過程では消費 され るだけであ り,「資本」とい うのは 「物理 的 にはある対象 に具体化 されたエネルギー」 の様態で,エ ン トロピー法則 に支配 され連続的減 耗 の法則 に従 っている 「本来的には蓄積できない」 とい う視点である。 これは, 最初 の資本 を植物 (太陽エネルギーを蓄積) とし,エネルギーを経済学 の出発 点 とした。 アイジオ クラ‑ ト (重農主義) が土地 に富の源泉 を突 き止 め, マル クスであ って も交換価値(富の貨 幣価格)の起源 を「人間労働」とい うことで示 そ うと したのであ って,人間労働 に富の起源 を示 めそ うとしたのではな く, イギ リスは化石燃料 に蓄え られたエネルギーで作 った商品を,他 の諸地域 の食料 と 交換 しているに過 ぎない と喝破 した。枯渇性資源 の世代間配分 :こう した資源経済的思考 を挟んで,経済理論 の適 時基準への関心が出てきた。市場が, それぞれ 自己の選好 を もつ利 己的な経済 諸主体 を前提 に成立 しているとすれば,将来世代 に対 しては,現在市場率 よ り 低 い 「社会的割引率」 を適用 (ゼ ロやマイナスの割引率 さえ) して次世代 を射
‑1 2 1(6 0 3
)‑程 に入れ る理論が成立できる。
しか し, まだ生 まれていない未来世代 の諸主体 は,野生生物 同様,現在の市 場参加 し入札す ることが出来 ないとい う市場の失敗がある。 将来世代の需要 を 差別 しないためには 「割引率 をゼ ロ」 と仮定す る
( G‑
レ‑ゲ ンの提言) しか ない。 こうした 「割引率」 とい う経済外的な問題意識 は,制度派経済学の研究 題 目で提唱 されたのであ り,将来世代 についていかなる割引率 を適用す るか とい う回答 は経済理論 (古典派 ・新古典派) の中にはなか った。
サ ミュエル ソンの 「世代交代 モデル
( ov e r l appi ng ge ne r at i onsmode
l) 」 :
新古典派 内における内省である。 「適時的な資源配分 は,部分的 に重な'りあ う 世代間の取引か ら生 じる」 と付 け加えたのである。 しか し,その定義的限界 は, 枯渇性資源が昔 の世代か ら通有 して償却 されてきて,現在世代か ら新 しい将来 世代 と部分的に重な りあ うその世代 の稼 いだ所得 の一部 と交換 され るとい う仮 定 であるが, この場合,「内在す る次世代へ と手渡す枯渇性資源」 の過少評価 が拭 い去 りがたい。
将来需要 に も現在市場や一定 の価値 を与 えるとい うこと (割引率設定)の問 題 は,将来世代 を価値評価す る 「倫理」的価値判断が必要で, また技術 とテク
ノロジーの歴史 (見通 し)が必要 とされ る。
(1)H.E.Daly,TheEconomicGrowthDebate(1987),桂木 「負債 と しての資本論
」 (『環境経済
学 の研究』
,8章,(松香堂,1996).
5.
環境経済学的視座へ展開環境価値評価
( CVM)
と 「富」の定義 :マクロ管理的必要か ら,古典派 (ス ミス)の 「人間生活の必需品 ・便益品 ・ 娯楽品」 を どの程度享受できるか (自分が支配できる労働の量 または他人か ら 購買 で きる労働 の量) とい う延長上 に, 国民経済計算体系
( SNA)
指標が作成 され るようにな った。 しか しそれは, ス ミスにおける 「価値の尺度」 として
? 「労働」とは 「苦痛,負効用」 を含 む もの としての 「労働」 の定義で,その 代償代価 としてのマクロ把握であった という限界があった。重農主義,ぺテ ィ, そ してスチュアノー トでは,「自然の支配 (統治)」を説 いて, 自然 と社会 とを連 関 させ る自然的秩序 のパースペ クテ ィブの うちに経済的価値循環 を算定 しよう と したに もかかわ らず, ス ミスを始 め と古典派 ・マル クス経済学では,丁市場 内循環」 を価値再生産 の理論 としての 「労働」への還元 に限定 して しまった。
以後,経済学 は基本的に, 自然 ・環境 ・人 口とい った問題 を経済学的枠組みか ら外 している。 近年 の国民経済計算体系の見直 しにおいて,価格 によって表象 化 しきれない環境や資源問題 を処理不能 だ とした経済学の方法 その ものを問い 直 し再構成 しようとす る方 向が出てきている。(1)
環境政策か らの要請 (成長の限界 と倫理上か らの視座
( e qui t y) ):
Mi s han
は,法 (システム) が中立 ではない こと (資源 の効率性 は法 か ら独 立 では取 り扱 えない),equi t y
(衡平) の観点 :公正,違法, アメニテ ィ,子 孫への影響,情報 な どでの偏 りか ら派生 す る 「所得効果,取 引費用 の存在」, e t cは 「コースの定理」 を成立 させない (
パ レー ト最適基準 が働かない) と した。 そ して,社会的弱者 (消費者),住民が静寂 な環境 を享受す る権利 であ るアメニテ ィ権 を提起 し,経済学的研究の 「外」 におかれ るe qui t y
(衡平) : 規範性 を どう導入す るかを強 く意識 した。(2)シ トフスキーにおいて も, 「経済 の枠外
」(
市場 を通 さない<満足>の価値),「非経済的な もの」 が考察 された。 そ して,資源 の無駄 な消費 (追加 コス ト)
‑消費者行動 の 「動機」 (心理学的,功利主義的分析)への経済評価が姐上 に あが り,以後,新古典派 において もまた,CBA (費用対効果) の経済評価 が 政策的道具 として取 り上 げ られ るに至 った。(3)
●
現世代 の うちでの形式的対等の市場参加者 の間に横 たわ る,資産 ・情報 ・健 康 における非対称性 だけでな く,環境悪化や資源枯渇 とい った人間社会 の外界 とか,将来世代 の現世代 における市場の意思決定への参加機会が閉 ざされてい
‑ 1 2 3(6 0 5)‑
ることへの政策的修正 ・補正措置 (ルール) を制度化す る選択肢が求め られて いる。 イギ リスの
St ake ho l de rCapi t al i s m
にせ よ,「社会的責任投資( SRI ) 」
とい うエ コファン ド的金融商品の運用が欧州全域で8 0
年代以降に広 ま り, また 高齢化社会 を地域 コ ミュニテ ィが支 える医療サー ビス市場 の コ ミュニテ ィ制約 性 にせ よ,市場 に委ねて しまわない 「社会的規制」 の要請がある。(4)(1)D.W .Pearce and Turner,R.K.,EconomicsofNaturalResourcesand the Environment, Harvester,1990
(2
) ミシャン 『経済成長 の代価』.(3
) シ トフスキー 『人間の喜 び と経済的価値』
(1976,p.123).(4)∫.Elkington & Burk,Y.(edits),TheGreenCapitalists(VictorCollancz,1989) G.Kellyetal(edits)<Stakeholder Capitalism(MacMillan,1997).
6.
結 語「社会 システム」(制度) と市場経済の位相 においては,
・ス ミスのい う 「同感の情」 を社会的形成 の要 として再定義す る
・資本への コン トロールを社会的規制 としてお こな う国家の位相
(地方 ・コ ミュニテ ィ単位,中央集権 と区別 され る包括的政府 の形成)
・サ ミュエル ソンの 「世代交代 モデル」 にみる 「適時的な資源配分が部分的 に重 な りあ う取 引か ら生 じる」 定義 の世代 的限界,将来世代 を価値評価 す る 「倫理」的価値判断の問題
がある。 ここで注 目しておきたいのが ドイツの経済政策思想である。 自由主義 学説 (オイケ ン, レプケ) の見地か ら,社会 の骨格 をなす法体系 ・法制化 に, 独 自の文化 ・歴史 ・伝統 ・価値観 を織 り込んで,「連帯 ・対話 ・協力」 を重視
●
す る 「社会的市場経済」 として提起 された経済秩序構想である。曲折を得て統 合志 向の政策理念 として後 には再評価 され,経済 と社会 に潜在的に存在す るさ まざまな係争 を調停 して,社会的発展を最大化す る政策のための市場経済 とい
う思想 的背景 をな している。 統治 (ガバナ ンス) のあ り方 として,「規制 のな い市場 はあ りえない」 とす る 「新 しい社会均衡」 の必要が認識 されている。
他方では,近年のイギ リスにおける環境経済学的研究の動向に目を離せない。
ヨー ロ ッパ生態経済学 を率 いている
Cl i v eSp a s h
(マ コ‑ レ‑環境研究所) は 独 白的 に,英米 で主導 的な (従 ってPe a r c e
たちの) デ ィシプ リンかつ ネオ ク ラシカルな経済学 に対す る代替的な 「生態環境経済学」を主張 し, スコッ トラ ン ド政府やEU
委員会か らの協賛 を得つつある。『温暖化 ガスの経済学』および" Co s t ‑ Be ne f i tAna l ys i sa ndt heEnv i r o nme nt " ( 1 9 9 3 )
の著書 は,前節で指 摘 したJ. El ki ng t o n
&Bur k, Y
の論 旨と重 な りなが ら,s t a ke ho l d e r
の参加す る効果的な環境政策 の視座 を, これまでの 「人」
(知 の生産者) 中心 に 「知性 史」 か ら,「集 団」 や 「思想 の消費者」 に焦点を当てて 「イデオ ロギーの型」を解明 しようとす る新 しい思考潮流 の中にある。(1)
との論点 は,環境経済政策学会
2 0 0 2
年大会 (ト3
「自由論題 (その2) 」)
への報告 に対す る討論者 コメ ン ト (桂木健次)で も更 に深め られている。定常開放経済 ‑持続可能性 を巡 っては今,
・グ リー ン派
( Da l y) 「 GDP
で計測で きない環境への負荷」 を厚生指数 に組み込んだ とい う評価)・レ‑ゲ ン, ボールデ ィング 「定常状態の経済
」SSE:
現代社会的課題 の トー ンがあ って,So d d y
か らDa l y
に至 る論 旨を 「経済系を生態系の二 部 (その許容範囲)」に置 くとす る点では共通 している。ほかに,姫野順一 (長崎大)が近年注 目す る
・効率性 と規模問題の区別 :光合成の太陽エネルギー量 (生物物理学的限界)
・道徳的原理 と派生す る世代 内 ・間公平 の倫理社会学的限界
に更 に踏 み込んで定義 されな くてはな らない とす る
Cl i v eS p a s h
の主張 に も目 をむけることが必要 にな って来た。(2)(1)theMacaulayInstitute.
http:〟www.mluri.sari.ac・uk/serp/sta町clivespashcv・html
‑ 1 2 5(6 07)
‑(2)cliveSpash ̀̀valuingsocialconsequencesdfenvironmentalchange:
economicmethodsandtheirlimits'' "EASY ECO IEuropeanWorkshop"
23rd‑25thMay2002,Vienna
後書 き
本稿 は,経済学史学会 『第6
4
回大会報告集』( 2 00
0年11
月11
日,1 2
日 一橋 大学) の経済学史学会5
0年記念 シンポジウム 「市場経済 の理解 と評価 :経済学 史 研 究 の 立 場 か ら」 で 行 っ た 第2
報 告( ht
tp : / / s oc i e t y. c pm. e hi me ‑ u. a c . j p
/s he
t/conf e r e n c e /64t h/ 6 4s u mma r y j . ht ml )
の稿 を再構成 した ものである。(l)(1)InThe50thAnniversaryofJSHET(TheJapaneseSocietyforTheHistoryofEconomic Thought),"Fifty YearsoftheSociety fortheHistory ofEconomicThought"(September 2000,HitotsubashiUniv.)