富大
経済
論集
‑ 18一
封建制より資本制えの移行の いての一考察
﹁ 二 つ の 遁 ﹂
'"')
ー ー 白 杉 氏
見 解 を
,[̲,,
中
の
し て
と
淡
憲
1台 路
封建制より資本制えの移行についての﹁二つの道﹂の理論に関して︑わが国では︑大別して二つの見解がみられ
る︒その一つの極をなすのが︑大塚教授の見解であり︑またその対極をなすのは︑白杉教授の見解であると考えられ
る ︒
この両者の中間をなすのは︑矢口教授の見解であろう︒矢口氏は︑﹁ごつの道﹂の開論について︑基本的には︑大塚氏主同
じく︑下からの生産者が薦人に転化するコースを重視される︒しかし︑矢口氏は︑下からのゴl
スを
重視
され
なが
らも
︑そ
の
生産者は︑いわゆる商人製造業者であるとされ︑その商人製造業者の問屋制的支配の意義を強調される︒したがって︑矢口氏
にあっては︑マルクスの﹁商人←生産者﹂のコースのうちの︑商人が問屋制的支配を経由して︑生産者に転化するゴ1
スを
重
註(1)
祝されるのである︒しかも︑このゴ|スを﹁生産者←産業家﹂のつ|スに含めて理解されている︒このようた矢口氏の克解は
大塚説に対して︑ドツプの主張を擁護しながら展開されている︒矢口﹃資本主義成立期の研究﹄参照︒
大塚︑白杉︑両教授の見解を︑大胆に要約すれば︑ほぼ次のごとくいえよう︒マルクスの﹃資本論﹄
二十章﹁商人資本に関する歴史的考察﹂で展開されている﹁二つの道﹂について︑大塚氏は︑ −第三巻・第
﹁生産者が商人兼資本
家となる﹂コースを中心として考えるのに対して︑白杉氏は逆に︑﹁商人が直接に生産者となる﹂コiスを強調され
る︒その点で︑両者はきわだった対照をなしているのである︒本稿では︑主として︑この間題に関する白杉理論を検
討し
よう
︒
それ
は氏
が︑
﹁生
産者
←産
業家
﹂の
コ
lスを否定するということを意味するか︒けっしてそうではない︒白杉氏も︑封建制からの移 白杉氏にあって︑﹁商人←生産者﹂のコiスを強調されるということは︑
﹁二
つの
道﹂
に関して
行に
つい
て︑
﹁生産者←産業家﹂のコースが︑基本的なものであることは︑認められる︒それは次のような主張にお
いて︑明瞭である︒﹁おもうに︑封建的生産方法から資本制生産方法への推転に際して︑生産者が資本家に推転する
道が歴史的に基本的であったことは︑否定されうべくもないであろう︒しかし︑だからといって︑商人が生産を支配
する場合を一概に反動と見るのは正しくないであろう︒﹂
﹂の
よう
に︑
白杉
氏は
︑
﹁生産者←産業家﹂のコlスが基本的なものであったことを認めながらも︑一般にわが国
では︑移行について︑商人の果す役割が軽視されている点を︑きびしく批判されている︒しかも︑単に商人の役割を
重視するというのではなく︑氏において特徴的なのは︑次の点である︒すなわち︑
関される︑歴史的前提をなしたのは︑ほかならぬ︑商人自身が直接に生産者になった︑ ﹁生産者←産業家﹂のコースの展
という歴史的事実の強調であ
る︒実に白杉説は︑この点を基軸として展開されている︑といっても過言ではなかろう︒自杉氏は︑
いう
︒
﹁お
そら
く︑
以上みてきたごとく商人を起点とするマ一一ュファクチャの成立は︑生産者を起点とするマ昌ュファク
‑ 19ー
という異論がさしはさまれるであろう︒この昼︵論は︑一部分はたしかに正当である︒しかし︑マチャを前提とする︑
一一ュの成立が商人を起点とする場合にも︑二つの経路のあることに注意しなければならない︒第一は︑商人が問屋制︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑度をへてマユュ主となる場合であり︑第二は︑商人が直接に産業家となる場合である︒商人を起点とするマ一一ュの成
淡
封建
制よ
り資
本制
えの
移行
の﹁
二つ
の道
﹂に
つい
ての
一考
察 路
宮大経済論集
丹ノ
﹄
立が︑生産者を起点とするマ=ュを前提とするというのは︑第一の場合にあてはまることがらであって︑第二の場合
は事情が異なる︒すなわち︑歴史的には︑第二の意味における商人を起点とするマ︸一ュが︑生産者を起点とするそれ
に先行したのである︒﹂
ハ傍
点︑
白杉
氏︶
この点を中心として︑白杉氏は︑大塚氏をはじめ︑服部︑高橋︑信夫︑堀江氏等を批判される︒たとえば︑大域氏
にたいして︑次のごとくいう︒﹁服部氏のいうごとく︑問屋制商業資本はイギリスにおいても︑たしかにそれ自体マ
ニュ化したが︑しかしこの過程が一般化しうるためには︑そのまえに生産者を起点とするマ一一ュの成立が先行しなけ
ればならなかった︒そのかぎり︑マ一一ュの本来的系譜は︑問屋制商業資本ではなく︑むしろその支配下にあった直接
マルクスの主張にも合致するものとして︑率直に承認されなければ
ならない︒当面の論点にかんするかぎり︑大壌史学的見解の問題点はその点にあるのではなくて︑商人の|ll問屋制
度を迂回せぬ||直接的な産業家化を起点とするマ=ュが︑生産者を起点とするマ−一ュに歴史的に先行したという点 生産者に求めらるべきだという大塚氏の主張は︑
にかかわる︒一はかならぬこの点こそは︑スミスがこれを力説し︑マルクスもまたこれを確認しているばかりでなく︑
大塚氏自身もこれに追随していると見てよいにもかかわらず︑大塚氏に追随する一一派の人kのこれを看過している点
なのであるo
﹂︵
傍点
︑白
杉氏
﹀
このように︑白杉氏はコ一つの道﹂にかんして︑﹁生産者←産業家﹂のコースを︑移行における基本的なものと認
めながらも︑そのコlス展開の前提として︑商人が直接に生産者になったという歴史的事実の先行を強調される︒そ
れゆえに︑氏にあっては︑﹁生産者←産業家﹂のコiスは影のうすいものにならざるをえない︒ところで︑
﹁商
人←
生産者一のコl
スの
うち
の︑
いま一つの型である︑問屋制支聞を迂回する場合については︑
寸た
しか
にそ
れ自
体マ
−一
ュ化したが︑しかしこの過程が一般化しうるためには︑そのまえに︑生産者を起点とするマニュの成立が先行しなけ
ればならなかった﹂︑というのであるから︑この型の移行も白杉氏にあっては︑きわめて消極的意義をもつにすぎな
︑ ︒
Bしu・
したがって︑これを要約すれば︑﹁二つの道﹂にかんして︑白杉氏は︑付︑移行において基本的なものとして﹁生
産者←産業家﹂のコlスを一応みとめる︑伺︑しかし︑その歴史的前提として︑問屋制度を迂回せぬ直接の﹁商人←
生産者﹂の先行を強調する︑伺︑したがって︑﹁商人←生産者﹂のコlスにあっては︑商人が島掛わ生産者に転化す
る場合を力説され︑岡︑問屋制支配を経由する転化の場合を軽視される︒そして︑このような見解は︑氏において︑
他の問題についても一貫してつらぬかれている︒すなわち︑氏の絶対主義論︑原蓄理論︑またプルジョア革命論にお
いて
︑
重商主義的貿易商人の役割が︑終始︑重視され︑力説され℃いるのである︒
このような白杉氏の見解は︑その典拠として︑スミスおよびマルクスの理論をもっ︑と主張されている︒以下︑白
杉氏のスミスおよびマルクスの解釈を検討しよう︒まず︑マルクスの見解から考察をすすめる︒
註凶
白杉
圧一
郎﹃
近世
西洋
経済
史研
究序
説﹄
三八
五頁
(3)
前掲書
三八
O頁
(4)
前掲書
三八
九l九O頁
ーー
‑ 21ー
﹁資本論﹂において︑歴史的叙述に充てられている章のうち︑移行に関して︑主として問題になるのは︑第一巻・
第二十四章﹁いわゆる本源的蓄積﹂と第三巻・第二十章﹁商人資本に関する歴史的考察﹂の二つの章である︒しかも
この二つの章をどう統一的に理解するかは重要であり︑端的にいって︑﹁二つの道﹂の問題についての︑全く対立す
淡
路
封建
制よ
り資
本制
えの
移行
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二つ
の道
﹂に
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一考
察
富大経済論集
つ 〆
﹄
る見解の生ずるのも︑この点にかかわると息われる︒結論的にいえば︑大塚氏は︑第三巻・第二十章での﹁二つの
道﹂についての︑下からの﹁生産者←産業家﹂のコiスを根抵として移行の問題をとらえ︑逆に白杉氏は︑第一巻・
第二十四章での視角に照応する形で第三巻・第二十章を理解されているのではなかろうか︒
第一巻・第二十四章・﹁いわゆる本源的蓄積﹂において︑原蓄過程は︑どのように分析されているか︒原蓄は﹁資
本の前史危なす﹂ものであり︑資本家関係を創出する歴史的過程である︒これは﹁弥働争い骨かかか和件か一小ゃがい
分離ナ右歯荘︑すなわち一方では生産手段を齢
4F
恥わい︑他方では直接的生産者を骨U
AT
骨骨わ恥わわか過程以外の
何ものでもない︒﹂そして︑この原蓄過程の基礎となったのは︑農民からの土地牧奪であり︑その劃期的なものとし
て︑囲込運動が考えられている︒
イギリスにおいて︑資本制的生産様式の基礎を創出した変革の序曲は︑十五世組の最後の三分の一期および十六世
紀のはじめの数十年におこなわれた︒すなわち︑﹁封建的従者団の解体によって︑無一物なプロレタリア大衆が労伯
﹁主権の絶対的主権をめざす替力によって暴力的に推進された﹂ものであった︒市場に投げだされた一が︑これは︑
また﹁王権や議会と頑強に対立して︑大封建領主が︑農民を土地から暴力的に狩りたて︑また農民の共同地を横奪す
ることによって︑比較にならぬほどの大きなプロレタリアートを創出した︒これに刺戟をあたえたのは︑イギリスで
は白特にフランドルの羊毛工業の繁栄と︑それに照応する羊毛価格の騰貴であった︒旧封建貴族は︑諸々の封建的大
戦争によって食い尽くされてしまい︑新貴族は︑貨幣を凡ゆる権力中の権力とする時代の児であった︒だから耕地の
ところで︑このように︑封建従者団の解体により︑また暴力的な土地収奪によって追放された人々は︑それが生み 牧 品
だされたのと同じ速さで新興マ一一ュに吸収されることはできなかった︒彼等は大量的に乞食や盗賊や浮浪民に転化し
た︒十五世紀末および十六世紀全般にわたって︑会西ヨロッパで浮浪罪にたいして流血的立法が強制され︑この残
虐労伯立法によって浮浪者は強制労伯させられた︒すなわち﹁新興プルジョアジl
は︑
労賃
を﹁
調整
﹂:
・:
・す
るた
め
に︑また労伯日を延長し︑労初者そのものを標準的従属度で維持するために国家的暴力を必要として︑利用する︒こ
れこそは︑いわゆる本源的蓄積の本質的な一契機であむ﹂といわれる所以である︒
このように︑無一物なプロレタリア大衆の暴力的創出と︑彼等の賃労初者えの血の規律による転化を考察したのち
問題になるのは︑資本家は本源的にはどこからきたか︑ということである︒これについては︑﹁資本制的借地農業者
の創生記﹂︑﹁産業資本家の創造記﹂として考察されている︒
資本家的借地農業者の創生は︑マルクスによれば︑次のごとくである︒﹁その最一初の形態は︑彼自身農奴たるベイ
リフであり︑十四世紀の後半には︑ランドロードから種子や家畜や農具を供給される借地農業者に代わられた︒この
借地農業者の状態は農民のそれとあまり違わないものであった︒彼はやがて折半農たるメティエとなった︒メティエ
は農耕資本の一部分を提供し︑ランドロlドが他の部分を提供した
O
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急速
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本来的借地農の形態に席をゆずった︒﹂しかし﹁十五世紀中︑独立の農民および賃労初のかたわら同時に自作もする
農僕が自分の労初によって自らを富ませていた聞は︑借地農業者の境遇やその生産場面は依然として同じように平凡
なものであった︒ところが十五世組の最後の三分の一期にはじまり︑ほとんど十六世杷全体にわたって続いた農業率
‑ 23 ‑
命は︑農民を貧固化したのと同じ速さで︑借地農業者を富裕化した︒共同牧場などの横奪によって彼は︑ほとんど無
費用でその家畜数をはなはだしく増加することができた﹂﹁十六世紀には決定的に重要な一契機がつけ加わった︒
当時には借地契約が︑長期で九十九年というのもしばしばあった︒貴金属したがって貨幣の価値の継続的減少は︑借
地農業者に黄金の果実をもたらした
O
−−::この価値減少は労賃を低下させた︒この労賃の一部分は借地農業利潤にi
淡
路
封建
制よ
り資
本制
えの
移行
の﹁
ごつ
の道
﹂に
つい
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一考
察
富大経済論集
‑ 24 ‑
︑
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︑
︑
︑
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︑
︑
︑
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︑
︑
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︑
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︑
︑
︑
︑
︑
︑
︑
加えられた0・::::彼の支払わねばならぬ地代は古い貨幣価値で契約されていたのである︒かくして彼は︑自分の賃
労仇者と自分の地主とを犠牲として自らを富硲にした︒﹂
︵傍
点︑
原典
﹀
このように資本制的借地農の創生は︑それまでの徐Aの過程にたいして︑十五世紀の最後の三分の一期および十六
世紀をつうじておこなわれた農業革命および貴金属のぼう大な流入による価値革命の過程において︑暴力的に促進さ
れたのであり︑これは︑同じ時期に強行された囲込運動に照応するものであり︑借地農業者は囲込運動の過程に便乗
したものといえる︒多数のヨ
1 7
ンが農地から追放される図込運動において︑一部の富裕・有力な借地農業者は︑地
主と結託して︑彼自身いっそう富裕化し︑賃労初者の雇用数を増大する︒また︑このような借地農業者の動きは︑次
のような点にも顕著にみられる︒すなわち﹁人民大衆の暴力的収奪過程は十六世紀に宗教革命とその結果たる巨大な
寺領盗奪によって新たな怖るべき刺戟をうけた︒
j
−−−寺領そのものは︑大部分は王の強欲な寵臣に贈与されるか︑i
または二束三文で投機的な借地農業者や都市ブルジョアに売りとばされたが︑これらの人々は旧来の世襲的小作人た
ちを大量的に狩りたてて︑彼等の経営地を一まとめにし日r﹂
マルクスが資本制的借地農業者の創生について強調しているのは︑十五世紀の最後の三分の一期以
以上
のよ
うに
︑
前における︑徐kの形成過程を重視しながらも︑それ以後︑十六世紀全体にわたる︑農業革命の過程での地︑王の屈込
運動に照応する︑借地農業者の宮裕化の暴力的形態である︒
﹁産業資本家の創生記﹂はどうか︒マルクスのこの間題についての主張を要約すれば︑ほぼ次のごとくである︒
付︑同職組合の小親方や自立的な小手工業者や︑または賃労初者が小資本家に転化し︑それが漸次的に拡大する蛸牛
的歩みでは︑十五世紀末以来の地理的大発見によって創造された新世界市場の商業的要求に答ええなかった︒同︑だ
が︑中世にはすでに︑高利貸資本と商人資本のごつの資本形態がったえられていた︒伺︑しかし︑この高利貸と商業
によって蓄積された貨幣資本が︑産業資本に転化するのを妨げたのは︑農村での封建制度と旧都市での局職組合制度
であったJ
問 ︑
したがって︑新たなマ品ュフアクチャは︑輸出港または旧都市制度とその同職組合制度の統制外にあ
る自由な農村におこった︒同円︑アメリカにおける金銀産地の発見︑土着民の絶滅・奴隷化︑東インドにおける征服と
掠奪の開始︑アフリカの商業的黒人狩猟場化111これらによって獲得された財宝が母園に流入して︑資本に転化し︑
また新興マ=ュは︑植民地における販売市場と原料市場の独占によって︑蓄積の増大を保証された︒凶w︑同において
示された本源的蓄積の諸契機は︑時間的序列をもって西欧諸国で強行された︒とくに十七世紀末以後のイギリスで︑
国債制度︑租税制度︑保護制度として体系的に総括された︒
植民
制度
︑
しかも︑これら本源的蓄積の諾契機のいずれもが︑封建制より資本制えの移行過程を︑混室的に助長し︑促進する
ために︑国家権力を利用したのであって︑﹁暴力は︑新たな一社会を字んでいる凡ゆる旧社会の助産婦である︒それ
自身が一つの経済的力能である﹂ことが力説されている︒
このような第二十四章の全体をつうじていえることは︑﹁資本の前史﹂たる本源的蓄積過程は︑ここでは︑封建的
土地所有の下で︑いかに農民が独立の自営農民になり︑それが両極分解をとげ︑上層が資本家的借地農に︑下層が農
業プロレタリアになるか︑また︑この独立の自営農民を前提としての︑農村工業の展開過程で︑いかにして﹁生産者
←産業家﹂のコ司lスがたどられるか︑これらの経済的側面︑すなわち﹁経済の論理Lは真正面から取上げられていな
ぃ︑ということである︒そうではなく︑この章の力点は︑一貫して︑資本家関係創出の暴力的形態︑すなわち国家権力
‑ 25ー
の利用による﹁政策の論理﹂の追究におかれ︑その視角において﹁資本の前史﹂の歴史過程が分析されているのであ
る︒しかし︑だからといって︑ここでは︑資本家関係創出の経済的側面が全く捨象されているというのではない︒そう
した面は︑たとえば︑資本家的借地農の形成における︑ベイリブ←メティエ←資本家的借地農の畑牛的進行︑十六世紀
淡
封建制より資本制えの移行の﹁二つの道﹂についての一考察
路
富大経済論集
におけるアメリカからのぼう大な銀の流入による貨幣価値の変動と︑その各階級におよぼす影響の検討︑また︑﹁工業
っL への農業革命の反作用﹂したがって産業資本のための国内市場の創出︑等々において分析されている︒しかし︑それ
らの叙述にもかかわらず︑第二十四章は︑全体として︑資本家関係創出に関して︑その経済的側面を当然の前提とし
それを暴力的に促進する上からの政策が︑中心課題とされているといえよう︒第二節︑
らの土地の収奪﹂の中に︑次の主張が見られる︒﹁十七世記の最後の数十年間にも︑独立農民層たるヨlマンリーは
まだ借地農業者階蔽よりも多数であった︒彼等はクロムウェルの主力をなした::・::︒農村賃労初者でも︑まだ共同
地の共有者であった︒一七五O年ごろには農耕民の共同地の最後の痕跡もなくなった︒われわれは︑ここでは︑この
農業革命の純経済的動機を度外視して︑その暴力的積梓を問題にしよう︒﹂ そ
の基
礎の
上に
︑
﹁農
村民
か
︵傍
点・
原典
︶
こう主張して︑土地所有
者たちによる︑土地の模奪︑国有地・共有地の盗奪および︑いわゆる﹁土地の清掃﹂を︑その純経済的動機を度外視
して︑その暴力的積梓が検討されている︒﹁純経済的動機を度外視して︑その暴力的損拝を問題にする﹂という︑こ
の視角は︑たんに第二節﹁農村民からの土地の収奪﹂での農業革命についてのみでなく︑第二十四章全体をつうじて
つらぬかれているといえないだろうか︒私は︑このような問題意識をもって︑第二十四章をとらえ︑またそれとの関
連において︑第三巻・第二十章を検討したいのである︒端的にいって︑封建制からの移行をあっかう︑資本家関係形
成の問題について︑第一巻・第二十四章は︑その純経済的側面よりは︑そのような経済の運動を促進・助長する暴力
形態としての﹁政策﹂を中心課題とし︑それに対して︑第三巻・第二十章では︑純経済的側面に焦点をすえて追究さ
れているのであり︑両者は︑この区別を識別した上で統一的に理解さるべきだと思う︒
したがって︑第二十四章では︑産業資本の創出に関しても︑いかにして﹁生産者←産業家﹂のコースが展開される
かというよりは︑主として十五世紀末以来の地理的大発見によって創造された︑新世界市場の商業的需要に応ずるた
めの︑高利貸資本とくに商人資本の役割が重視され︑力説されているのである︒それ故に︑ここでは︑産業資本の形
成について︑高利貸資本とくに商人資本が︑外国貿易とくに植民的貿易における掠奪・海賊行為等の一切の暴力行為
をふくむ貿易による巨大な財宝の獲得と︑それが母国で産業資本に転化される側面が強調されている︒しかも︑その
産業資本への転化が︑旧都市制度の封建的束縛をのがれ︑輸出港や自由な農村において︑新しいマ−一ュファクチャと
して生起したことが主張されている︒これらの点を検討するとき︑この第二十四章については︑産業資本の創生にお
いて︑海外貿易に従事する貿易商人の役割を重視し︑この貿易商人自身の産業家えの転化が︑﹁生産者←産業家﹂の
コスに先行すると強調される白杉氏の見解は︑一応妥当なものと考えられる︒
註
ω
﹃資
本論
﹄青
木文
庫訳
︑第
四分
冊︑
一
O九八九九頁
(2)
﹁資
本論
﹄青
木文
庫訳
︑第
四分
冊︑
一一
二六
頁
[3)
﹃資
本論
﹄青
木文
庫訳
︑第
四分
冊︑
一二
三一
l二コ三頁
﹃資
本論
﹄青
木文
庫訳
︑第
四分
冊︑
一一
O
二頁
(4) (5)
﹃資
本論
﹄青
木文
庫訳
︑第
四分
冊︑
一一
四回
頁 (6)
﹃資
本論
﹄青
木文
庫訳
︑第
四分
冊︑
一一
O四i
一 一
O五
頁
マ ー
ペ〆 ム
ところで︑移行の問題︑したがって︑産業資本の形成に関して商人資本の果す役割は︑第三巻・第二十章・﹁商人
資本の歴史的考察﹂の章では︑どのように分析されているか︒この章では︑移行に関して﹁二つの道こが考えられ︑
両者はともに移行である点が強調されながらも︑基本的なものとして﹁生産者←産業家﹂のコIスが主張されている
淡
路
封建
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富大経済論集
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nL
﹁封建的生産様式からの移行は二重の仕方で行われる︒生産者が商人兼資本家となって農業的自然経済に対立し︑
また︑中世的都市工業の同職組合的手工業に対立する︒これは現実に革命的な仕方である︒さもなければ︑商人が生
産を直接的に占領する︒あとの仕方も歴史的には移行として作用するが︑−ji
−−
・:
この
仕方
は︑
即自
的に
も向
日的
に
も旧生産様式を変革することは︑ほとんどなく︑むしろ旧生産様式を保存し︑自己の前提として維持する︒::・.
このやり方はいたるところで現実の資本制的生産様式を妨害するのであって︑後者の発展につれて衰微するcそれは
生産様式を変革しないで︑直接的生産者たちの状態を悪化させ︑彼等を︑直接に資本の支配下に包摂されたものより
も条件の劣悪な単なる賃労者およびプロレタリアに転化させ︑旧来の生産様式の基礎上で彼等の剰余労伯を取得する
だけである︒﹂
このように移行は二重の仕方でおこなわれ︑いずれの道も移行として作用するが︑旧生産様式の変革という点で︑
基本的なものとして︑生産者が商人兼資本家になる道が考えられている︒すなわち︑生産者は︑旧生産方法の代表者
である農業的自然経済と中世的都市の同職組合的手工業と原理的に対立する︒というのは︑生産者は︑農業的自然経
済や中世都市の手工業と異って︑彼自身︑基本的に封建的抑圧から解放されており︑その雇用する労初力も基本的に
は自由な労初力であり︑それ故に労初成果の大部分を享受でき︑したがって労初意欲は高揚する︒また彼は︑封建的
特権ををうけていないから︑その利潤追求は︑流通過程の譲渡利潤によってよりは︑生産方法の改善によってなされ
るからである︒このような生産者が︑商人的支配を排除してゆくところに︑革命的な道の展開がみられるのである︒
さらにマルクスは︑﹁二つの道﹂における﹁商人←生産者﹂の道を二分して︑次のごとくいう︒
﹁だから三通りの移行が行われる︒第一には︑商人が直接に産業家となる︒商業を基礎とする産業の場合︑ことに
事告
修品
産業
ll
Jこれは商人によって︑原料及び労初者もろともに外国から輸入される︑たとえば十五世紀にコンスタ
︑︑
︑︑
ンチ
ノ
1プルからイタリーに輸入されたようにl!の場合にはそうである︒第二には︑商人が小親方を自分の帆が都
たらしめるか︑あるいはまた直接に自立的生産者から買うo商人は生産者を名目的には自立させておき︑その生産様
式を変化させないでおく︒第三には︑産業家が商人となって︑直接に商業のために大規模に生産する︒
中世には︑商人はポッベが正当にいうように︑諾商品の﹁転置者﹂にすぎない︒その商人が産業家となる︑あるい
はむしろ︑手工業的な﹇
ll
ことに農村的なl小工業を自分のために作業させる︒他方では︑生産者が商人となる︒
例えば︑織布業の親方は︑自分の羊毛をだん/\に少しづっ商人から受取って︑自分の職人とともに商人のために労
仇する代りに︑彼自身が羊毛または糸を買って︑自分の反物を商人に売る︒生産諾要素は︑彼自身の買った商品とし
て生産過程に入りこむ︒そして個kの商人または一定の顧客のために生産する代りに︑織布業者はいまや商業世界の
ために生産する︒生産者みずからが商人である︒商業資本はもはや流通過程を行うだけであれ﹁﹂
ハ傍
点︑
原典
﹀
見られるごとくマルクスは移行に関して︑﹁生産者←産業家﹂と﹁商人←生産者﹂の二つの道を考え︑さらに後
者を︑商人が直接に生産者になる道と︑商人が問屋制支配を経由して生産者になる道の︑二つに分類し︑以上︑一二つ
﹁生産者←産業家﹂の道を基本的なものと考えていることは︑の道を考えている︒この三つの道のうちマルクスは︑
疑問の余地はない︒しかしそのことは︑マルクスにおいて︑商業および商業資本が移行に関して果す役割を軽視して
いることを意味しない︒
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商業および商業資本は︑資本制生産様式よりも古く﹁一業資木は︑事実上では︑資本の歴史的に最も古い自由な
実存様式﹂である︒商業資本の実存の条件は︑単純な商品および貨幣流通ということで足りるo商品として流通する
生産
物は
︑
どんな生産様式で生産されたものであるかは問題でなく︑必要な条件は︑生産物が商品として流通過程に
淡
路
封建
制よ
り資
木制
えの
移行
の﹁
二つ
の道
﹂に
つい
ての
一考
察
宮大経済論集
‑ 30一
購買と既売とによる諸商品の交換ということに帰着する︒
多数者のために購買し︑販売する︒諸々の購買および販売が︑商人の手に結集し︑かくして購買も販売も︑商人の百
ますます交換価値を目当とする性格を既存の生産にあた 流れこむことで足りる︒
商業
の機
能は
︑
しか
も商
人は
︑
接的欲望に結びついたものでなくなる︒商人資本の発展は︑
ぇ︑生産物をますます商品に転化させる作用をする︒
﹁商業および商業資本の発展は︑いたるところで交換価値めあての生産を発展させ︑その範囲を大きくし︑それを
多様化し︑普遍化し︑貨幣を世界貨幣に発展させる︒だから商業は当面する生産組織にたいし︑
れ少かれ分解的な影響を及ぼす︒﹂ いたるところで多か
﹁商業はもはや生産過剰分を捕捉するばかりではなく︑だんだんに生産そのもの
を侵蝕し︑全生産部門を自己に依存させる︒﹂このようにマルクスによれば︑前資本主義時代において︑商業および
商業資本の︑既存の生産様式におよぼす破壊・分解作用が︑くりかえし強調されている︒
それでは彼が︑既存の生産様式にかわる新しい生産様式の展開も︑商業および商業資本を︑その内的要因として︑
なされるとしているか︒決してそうではない︒商業と商業資本は︑既存の生産様式を分解させ︑新たな生産様式に移
︑h v行させるための前提︑または外的条件ではあっても︑それは決して︑その内的要因とはされていない︒すなわち︑︒
えノ
﹁だから商業は︑当面する生産組織にたいし︑いたるところで多かれ少かれ分解的な影響を及ぼす︒だが︑どの程
度まで商業が旧生産様式の分解を生ぜしめるかは︑さしあたり生産様式の堅固さと内的編成とに依存する︒またこの
分解過程がどんな結呆を生ずるか︑すなわち︑どんな新たな生産様式が旧生産様式の代りに現われるかは︑商業にで
はなく︑旧生産様式そのものの性格に依存する︒古代世界では︑商業の影響および商人資本の発展はつねに奴隷経皆
に結呆する︒::::::ところが近代世界では︑それが資本制的生産様式に結果する︒この点から︑これらの結果その
ものは︑なお商業資本の発展とは全く別の事情によって条件づけられていた︑ということになる︒﹂
﹁十六および十七世紀には︑地理的発見にともない商業上におこった商人資本の発展を急速に高めた大きな諸変革
が︑封建的生産様式の資本制的生産様式への移行を促進する重要契機をなしたということは︑何らの疑いもない︒﹂
﹁近代的生産様式は︑その第
一期たるマ一一ュファクチャ時代には︑そのための条件が中世の内部で生じていたところでのみ発展した﹂のである︒ しかし︑このような地理的発見による商業革命という同一の外的条件にもかかわらず︑
﹂のマルクスの主張は決定的な重みをもっ︒
ついで商品生産を内部組織に浸透させるけれども︑封建制度の後に︑ したがって︑封建制よりの移行にあたって︑外からの商業および商業資本は︑封建制生産組織を分解し︑商品流通
いかなる生産様式が形成されるかは︑商業およ
び商業資本によっては決定されない点は︑銘記されねばならぬ︒それを決定するのは︑まさに既存の生産様式の堅固
さと内的編成に依存するのであり︑本来的マニュ時代が展開されたのは︑すでに︑そのための条件が中世の内部で生
じていたところにおいてである︒そして典型的にマニュ時代の展開されたのは︑十六世犯の半において︑そのための
内的条件の熟していたイギリスにおいてであったことは︑周知のところである︒
註ω
‑31‑
﹃資本論﹄青木文庫訳︑第九分冊
四七
四
l
四七
五
τ貝
(2)
﹃資本論﹄青木文庫訳︑第九分冊
四 − (3)
﹃資本論﹄青木文庫訳︑第九分間四七一頁
(4
﹃資本論﹄青木文庫訳︑第九分冊四六九頁 (6) (5)
﹃資本論﹄青木文庫訳︑第九分冊
全上 四七一|四七二頁
淡
封建
制よ
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本制
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移行
の﹁
二つ
の道
﹂に
つい
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一考
察 路
宮大経済論集
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四
以上のごとく︑第一巻・第二十四章と第三巻・第二十章を検討してきたが︑ここで一つの問題に直面する︒すなわ
ち︑第一巻・第二十四章では︑資本家的生産関係の創出に関して中心課題とされているのは︑総じて﹁上から﹂の暴
力形態としての政策についてであり︑とくに特権商人の海外貿易による財宝の暴力的獲得と︑その財室の母国での産
業資本えの転化が重視されている︒ところが︑第三巻・第二十章では︑
を排除して︑彼自身︑商人兼資本家になっていくところに︑資本主義えの移行の基本的コlスが考えられている︒ ﹁下から﹂の生産者が︑商人の問屋制的支配
この第一巻と第三巻とは︑どう統一的に首尾−貫してとらえうるか︒前述のごとく︑大塚説と白杉説の分かれるの
も︑この第一巻と第三巻とをどう理解するかに︑かかわっているのではあるまいか︒もちろん︑両者は︑その点を明
確に指摘しているのではない︒しかし︑両者の見解を︑第一巻と第三巻の相違とかかわらせて検討するとき︑両者の
相違が浮彫にされる︒くりかえしていえば︑白杉氏は︑第一巻での視角でもって第三巻をも見ているのであり︑大壌
氏は︑その逆である︒白杉氏は︑第一巻・第二十四章を基礎として︑その線にそって第三巻・第二十章を理解され︑
﹁資本制生産に先行マルクスの他の著作をも︑とらえている︒たとえば︑
する諸形態﹄についても︑そういえるのである︒
﹁哲
学の
貧困
﹂︑
またその視角において︑
註ω
﹁マ
ニュ
が生
まれ
たの
は︑
旧い
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内に
おい
てで
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たの
は︑
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って
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親方
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った
︒﹂
白杉
氏は
たと
えば
︑
﹃哲
学の
貧困
﹄か
ら次
の文
章を
引用
する
@
て白
杉氏
は︑
ハ第
一一
一章
第三
節﹀
この
点に
つい
﹁マ
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成立
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にあ
たい
する
であ
ろう
﹂
二九五頁︶と力説
︵白
杉・
前掲
書︑
されている︒また﹃諸形態﹄からは︑たとえば︑次のような箇所を重視されている︒﹁諸ツンブトが分解すあ場合には︑個々
のツンプトの親方たちが︑資本家たちに転化することをさまたげるなにものもない︒しかし︑そのような事例は︑ことの本質
上まれであるo概して︑資本家と労働者とがでてくるところでは︑ヅンブト的機構︑親方と職人とは消滅する︒﹂︵飯田貫一
訳︑
O七
頁 ︶
大塚氏はこれに反して
﹁念
のた
めに
一ニ
一目
して
おき
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が︑
ごの
有名
な論
稿
﹃諸
形態
﹄に
つい
て︑
次の
よう
に断
定さ
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︒
のなかでは産業資本家はつねに直接の生産者から系譜をひくものとされており︑商業資本・高利貸資本の末商として産業資本
が生誕するといった場合は︑全然問題とされていない︒而も之が不当な一面化︑媛小化でないことは勿論であるo
﹂ハ
大塚
・
﹃近代資本主義の起点﹄序︶しかし︑この断定は︑氏の一主張にもかかわらず﹁不当な一面化﹂であることは︑たとえば︑﹃諸
形態﹄の七九l八O一員において︑﹁貨幣が資本に転化する方法﹂として︑商人の問屋制支配の意義の重視されているところか
らも知れる︒にもかかわらず︑この問題については︑私は︑白杉説には反対であり︑基本的には大塚説をとるべきだと思う︒
白杉氏は︑その重商主義論において︑商人資本の役割を重視され︑
しかも︑この商人資本はマニュを基礎とするも
のであることを強調される︒すなわち﹁重商主義はマ一一ュという形態における産業資本を基礎として︑その上に立脚
する商業資本の政策であり︑思想であった﹂と︒そして︑このマニュを基礎とする商業資本は︑氏にあっては︑マニユ
を問屋制的に支配する商業資本をいうのではなく︑主として外国貿易に従事する重商主義的商人の資本で為る点は︑
忘れられではならぬ︒氏によれば︑封建制の崩壊とマニュの成長の原動力は︑貿易商人であった︒氏は︑
﹁最
︑
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初にマニュの成長を阻止したのは︑同職組合であって︑商業資本ではなかった︒﹂﹁封建制度の崩壊にみちびいた最
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も重要な原因は︑商業なかんづく外国貿易の発展であった︒商業資本にして︑特権都市に拠りマエュの成立に抗争し たものがあったとすれば︑それはこの外国貿易の発展に結びついた重商主義的商業資本ではなくて︑主として国内市
場を目当てとした問屋制商業資本にほかならなかった︒﹂
淡
封建制より資本制えの移行の﹁二つの道﹂についての一考察
路