独歩・泡鳴・白鳥 ― ― 自然主義試論Ⅴ
KUNIKIDA Doppo,IWANO Homei and MASAMUNE Hakucyo : On Naturalism
葛 綿 正 一 KUZUWATA Masakazu
ここでは国木田独歩(一八七一‐一九〇八)、岩野泡鳴(一八七三‐一九二〇)、正宗白鳥(一八七九‐一九六二)の作品を取り上げ、それぞれの自然主義の特質について考えてみたい。荒削りな試論だが、自然に対する驚きと悲しみ、自然とともにある響きと笑い、自然に対する余所余所しさと鈍さが浮き彫りにされるはずである。引用はそれぞれ『定本国木田独歩全集』全一〇巻(学習研究社、一九九五年)、『岩野泡鳴全集』全一六巻(臨川書店、一九九四年)、『正宗白鳥全集』全三〇巻(福武書店、一九八三~八年)による〔1〕。
一 国木田独歩――驚きと悲しみ
1
独歩が「不思議なる宇宙を驚きたい」「死てふ事実に驚きたい」と願っていた詩人であることはよく知られている。だが、そのもとにあるのは悲哀の感情であろう。『牛肉と馬鈴薯』(一九〇一年)で「宇宙の不思議を知りたいといふ願ではない、不思議なる宇宙を驚きたいといふ願です!」「死の秘密を知りたいといふ願ではない、死てふ事実に驚きたいといふ願です!」と語っているのは恋人を失ったからである。将来の生活地を北海道と決めていた恋人が亡くなり、「それで僕の総ての希望が悉く水の泡となつて了ひました」という。泡鳴であれば自らの失意を笑い飛ばすの
であろうが、独歩は悲哀に沈む。悲哀に沈んだ存在がかろうじて活気づくのは驚くときだけである。題名にもかかわらず、『牛肉と馬鈴薯』では誰も食べたりしていない。
『運命論者』
(一九〇二年)は悲哀に沈んだ存在が、出生の秘密によって他者を驚かせ再生しようとする小説ではないだろうか。鎌倉の海岸で語り手は不思議な男と知り合う。「恰も地の底から湧出たかのやうに」思われた男は「砂山の崕に面と向き、右の手で其麓を掘りはじめた」というが、これは藤村を先駆ける身振りにみえる。しかし、掘り崩しているのは砂であって、ほとんど粘着力がなく、藤村の粘着性とは大いに異なる。
男は自らの秘密を語り手に打ち明けるのだが、それによれば、ある日「お前は誰かに何か聞は為なかつたか」と父親が聞いてきたという。父親は何か聞いたかと訊くことによって、実は何かを聞かせてしまったことになる。秘密を聞いたかと訊くことによって秘密が存在してしまうからである。だから、男は「父様、私は真実に父様の児なのでせうか」と口にせずにはいられなくなる。
冒頭における男と語り手とのやりとりはまさに父親との会話を反復していたといえる。「貴様は僕が今何を為たか見て居たでせう」と訊いた男は父親そっくりである。何かを訊くことで秘密の存在を知らせているからである。
男の話において、驚きは重要な要素になっている。「僕は母が気絶したのかと喫驚して傍に駈寄りました」とあるように、まず男が妻の母親に驚き、次に妻の母親が男に驚く。「お前が出抜に入つて来たので、私は誰かと思つた。おお喫驚した」と語っている。なぜ、驚くのか、その理由は最後に示される。「生の母は父の仇です、最愛の妻は兄妹です。これが冷かなる事実です。そして僕の運命です」と男は語る。つまり、妻の母親は自らの父親を裏切った実母だったのである。「冷かなる事実」から生まれる驚き、それが本作の眼目にほかならない。
だが、この秘密は藤村の秘密に比べると、明らかに淡泊である。なぜなら、藤村の秘密は自ら引き起こした過ちだが、これはそうではないからである。自らの意志による過ちではないので、持続的な葛藤を引き起こすことがない。「運命」の一語で忘れ去ることができるだろう。「其後自分は此男に遇はないのである」というのが結末の言葉になっている。
生まれ出ることの驚きと悲しみといってもよいが、独歩の小説においては出生の秘密が中心に位置づけられる。それゆえ独自の主観性が生まれてくるのである。だが、すでに見た通り、花袋に特殊な主観性はない。いつも一般者の
視点で表象されるのが、花袋の場合であった。
『死』
(一八九八年)の末尾には「自分は以上の如く考へて来たら丸で自分が一種の膜の中に閉じ込められてゐるやうに感じて来た、天地凡てのものに対する自分の感覚が何んだか一皮隔ててゐるやうに思はれて来てたまらなくなつた」と記されている。悲哀の膜に包まれた存在が生きるためには膜を破るような驚きが必要なのである。驚きが生であり悲しみが死であるとすれば、驚きと悲しみの交替こそ独歩のリズムであろう。『画の悲み』(一九〇二年)をみると、驚きと悲しみの連続性がわかる。絵を描く少年に「僕は驚いちやツた」と打ち明けるのだが、「驚くまいことか、彼は十七の歳病死したとのことである」というように、驚きの後に悲しみがやって来るからである。
「老人喫驚りして開いた口がふさがらぬかも知れない」と驚きを強調して始まった『酒中日記』
(一九〇二年)の結末では水面に魅入られた者に死が訪れる。「大河今蔵の日記は以上にて終りぬ。彼は翌日誤つて舟より落ち遂に水死せるなり。酔に任せ起つて躍り居たるに突然水の面を見入りつ、お政お政と連呼して其まま顚落せるなりといふ」。ここからは独歩における水面の重要性がわかるだろう。金を盗んだという秘密を知られた妻のお政に「喫驚した余りに怒鳴り」、妻は井戸に身を投げてしまった。結末における今蔵の死は妻の死の反復にほかならない。驚きは死に至るが、それは決まって水面にかかわるのである。
後述するが、泡鳴においては水底が響きと笑いが湧き起こる場所となり、白鳥においては小高い裏山が余所余所しさと鈍さを感じ取る場所となるだろう。だが、独歩においては水面が驚きと悲しみが起こる場所である〔2〕。『春の鳥』(一九〇四年)の城山に登ると「大空が水の如く澄んで」いるので、あたかも水面のようにみえる。無垢な少年に呼びかけられて「一寸驚きました」というが、その死によって「深い深い哀」が起こる。その少年は水面のごとき大空に飛び込んでしまったのである。
2
水面を眺める独歩において、釣りとは悲しみを忘れ驚きを求めることではないか。まず『鎌倉夫人』(一九〇二年)をみてみよう。釣りをしていた男は別れた妻と海岸で再会する。「砂山の下に腰を下して、僕は色々と考へた。いふ
までもなく愛子のことに就いて、冷やかに考へた。そして透明に、恰度秋の其の如くに。/何故自分は其昔、彼女にああまで夢中になつたらう」。『運命論者』でもみられたが、砂山に腰を下ろすことは透明に浸る独歩的身振りなのである。
『女難』
(一九〇三年)の主人公もまた「水面」に魅入られている。「太い雨が竿に中る、水面は水烟を立てて雨が跳る」が、釣りから帰ることができない。この水面が女難の前兆になっていることは明らかであろう。そこには「グイグイと強く糸を引く」力が働くからである。男の水晶体は濁ってしまうのである。
さらに『帽子』(一九〇六年)をみてみよう。芸を演じた少年に投げつける銅貨、拾った農夫に突き返した帽子、それらはいわば釣り針であり釣り餌である〔3〕。男は他者と関係しようとして、ことごとく失敗する。実際、妻との関係においても失敗していたという。釣りをする男に語り手は声をかける。「釣れますか」と軽く言葉をかけた。彼は振りかへつて自分を見たが、直ぐ又た水面を熟視て居る。/「釣れますか」と自分は今一度言つて、更に傍に近づいた。すると振向いて例の凄い顔で自分を見て、傍に在りし魚籠を取つて、自分からは見えぬ側に置き、そして何の返事もせず直ぐと眼を水面に転じた。 (『帽子』)
「釣れますか」は他者と関係しようとするきわめて独歩的な言葉といえる。
「水面」こそ驚きと悲しみがともにある場所なのである。だが、語り手には悲しみしか伝染しない。「結局、自分までがやられて了まつた。自分は物思に沈みながら暫らく散歩して居たが名残りなく晴れた秋の蒼空も、声清く啼く雲雀も面白くなくなつて、間もなく帰路に就いた」。こうして透明は失われるのだが、釣り針とは一つの主観であろう。実際、独歩の短篇の多くは語り手を明示している。画を好かぬ小供は先づ少ないとして其中にも自分は小供の時、何よりも画が好きであつた。(と岡本某が語りだした。) (『画の悲み』一九〇二年)少年の歓喜が詩であるならば、少年の悲哀も亦た詩である。自然の心に宿る歓喜にして若し歌ふべくんば、自然の心にささやく悲哀も亦た歌ふべきであらう。/兎に角、僕は僕の少年の時の悲哀の一ツを語つて見やうと思ふのである。(と一人の男が語りだした。) (『少年の悲哀』一九〇二年)
今より四年前の事である、(と或男が話しだした)自分は何かの用事で銀座を歩いて居ると、或四辻の隅に一人の男が尺八を吹いて居るのを見た。七八人の人が其前に立て居るので、自分もふと足を止めて聴く人の仲間に加はつた。 (『女難』一九〇三年)
こうして独歩は一つの主観を提示し、その釣り糸によって宇宙に触れようとするのである。「是非君に聞いて貰ひたい珍談があるのだ」という『馬上の友』(一九〇三年)の語り手、「見たところ成程私は正直な人物らしく思はれるでせう」という『正直者』(一九〇三年)の語り手も同様である〔4〕。
釣りの主題の変奏として狩りが存在する。「鹿狩に連れて行かうか」と叔父が誘ってくれるが、その息子は精神に変調をきたしており、鉄砲の暴発で亡くなると、主人公が養子に迎えられる。あたかも鉄砲を介して別の主観性が釣り上げられる、それが『鹿狩』(一八九八年)の結末である。『波の音』(一九〇七年)も同様の短篇といえる。「先生様に直ぐ来て呉れといふのじや」と誘われるが、そこには心身に変調をきたした女たちがおり、主人公が結婚相手として迎えられる。あたかも波の音を介して別の主観性が釣り上げられるのである。前半の激しい波の音が、後半は静かな濁酒の音に変化している。
叔父の舟にまぎれなし。」 (『源叔父』) 艘岩の上に打上げられて半ば砕けしまま残れるを見出しぬ。/「誰の舟ぞ。」問屋の主人らしき男問ふ。/「源 風落ちたれど波尚ほ高く沖は雷の轟くやうなる音し磯打波砕けて飛沫雨の如し。人々荒跡を見廻るうち小舟一 面が二人を近づける。ただし、それは荒々しい海面であり、老人は命を失う。 『源叔父』(一八九七年)は老人が他者と関係できない子供に対して意思疎通しようとする話だが〔5〕、最後に水
穏やかな水面に浮かぶ舟こそ独歩にとって忘れがたい瞬間となるだろう。『少年の悲哀』(一九〇二年)の結末がそれである。女は僕等の舟を送つて三四丁も来たが、徳二郎に叱られて漕手を止めた、其中に二艘の小舟はだんだん遠ざかつた。舟の別れんとする時、女は僕に向て何時までも「私の事を忘れんで居て下さいましナ」と繰返して言つた。
(『少年の悲哀』)
少年の悲哀とは、この水面に映る悲しみではないか。それは『河霧』(一八九八年)の結末と共通する。「遠く河すそを眺むれば、月の色の隈なきにつれて、河霧夢の如く水面に浮でゐる。豊吉はこれを望んで棹を振つた。船いよいよ下れば河霧次第に遠かつて行く。流の末は間もなく海である。豊吉は遂に再び岩――に帰つて来なかつた」。こうして水面は悲しみの場所になるのだが、川を流されるのではなく川を横切るときどうなるかにも注目しておきたい。「直ぐさま膝までも届かない此川口の瀬を渡つた。/筧ならんと思ふ男は驚いて僕を見て居る」。別れた妻と再会する『鎌倉夫人』の一節だが、川を横切るとき「驚き」が起こるのである。
流れる舟と共通するのは馬が並走するときであろう。それが『馬上の友』の別れの場面にみられる。「驚愕は実に意想外であつた」というが、二人の友は別れ別れになる。「人車の進むにつれて馬も進む、彼は馬を人車に並べて走らす。馬上の人、車の上の人、語らんとして語ることが出来ない」。このとき二人の間に介在するものは何もない。
『第三者』
(一九〇三年)が提起するのは、まさに第三者の問題である。二者間の出来事に第三者が介入できないというのがその結論にほかならない。「前後の事情を以て推測するに、江間君の飛び出したのも心中の覚悟ではなく、お鶴が散歩に出たのも江間君に出逢ふ積りではなかつたらしい。第三者には判断も推測も出来ないのである。/大井君足下、僕は哀れなる男女が、あの断崖の上に立ち月色茫々たる相模灘を望んで、其薄命なる肉体を冷酷なる自然に還し、其刹那に燃え上つた愛情を永久に保たんことを願ひ、相抱いて泣いた光景をありありと想像することが出来る」。二人は断崖から身を投げてしまうのだが、自然は二人だけに開かれているかのようだ。第三者はそこから排除されている。
「東京の新聞紙には痴情云々を例の筆法で書いて居た。
(中略)第三者の説明と答弁とは当局者にどれほどの力があらう。/僕から言はすると、江間君もお鶴も今は相携へて、お鶴が夢に見たやうな野辺を散歩して居るだらう、お鶴は心ゆくばかりに其好きな唱歌を謳ふて居るだらう」。メディアの説明と二人だけの世界は異なる。二人だけの世界とは歌声の世界であり、第三者はそこから排除されるのである。それは釣り人が見つめる水面の世界にほかならないだろう。
3 最後に驚きが訪れる『悪魔』(一九〇六年)は語り手の武雄が浅海謙輔を通じて知ったキリスト教に従妹までが伝染していく話である。最初、語り手は岩陰に腰を下ろして、謙輔の祈る声を聞いてしまうのだが、それによってキリスト教に引かれていく。「実に自分は木実先生に英語を学び又た耶蘇教の説教をも聞かされた。けれども自分は英語だけ学んで宗旨の方は如何しても気乗がしなかつたのである」。これをみると、英語を学んでもキリスト教に引かれるわけではない。キリスト教に引かれるためには内面の声が必要だったのである〔6〕。「君子と尾間は声を合はして讃美歌を歌つて居る、自分は黙つて見て居る。小供等は叔母や下男と戯れて居る。尾間のホワイトシヤツは反射し、君子のリボンは翻へる。/此日、尾間と初めて相見て、此日より自分は尾間が嫌ひになつた。そして浅海謙輔を何となく慕はしく思ひはじめたのは実に此日からである」。これをみると、沈黙の声というべきものが二人を結びつけていることがわかる。だからこそ、浅海は「悪魔」と題された随筆を武雄だけに送り、自らの「苦悶の声」を届けようとするのである。謙輔が来てから、君子の心は大に傾き、自分は確に二人の恋の成立べきを思つた。けれども謙輔は君子に取つて余り大きな謎語であつた。謙輔の言葉は決して甘つたるくなかつた。(中略)浅海が去るや、自分は叔母を説いて君子を自分の友なる隣村の青年に嫁がしめた。君子は愛の自由を説いて此結婚に反対した時、叔母の驚愕は尋常ではなかつたのである。何時の間に君子が斯る主張を公言するやうになつたのか、殆ど寝耳に水の感があつたらしい。 (『悪魔』)
叔母の驚きはどこからもたらされたのか。それはキリスト教からといえる。君子は浅海や尾間を通じキリスト教に触れることによって「愛の自由」を知ったからである。おそらく、悪魔とは「愛の自由」という観念であり、観念という悪魔が「苦悶の声」を生み、謎語となるのである。
『号外』(一九〇六年)に出てくる「号外」とは驚きの別名であろう。「だつて君のやうなも無い、君は号外が出ないと生きて居る張合が無いといふ次第じやア無いか。」と中倉翁の答頗る可し。/「じやア僕ががつかりの総代といふのか」と加藤男亦た奇抜なことをいふ。/「だから君は我々
の号外だ。」と中倉翁の言、更に妙。 (『号外』)
号外という驚きがあるからこそ生の充実感が生まれる。「其処で自分は戦争でなく、外に何か、戦争の時のやうな心持に万人がなつて暮す方法は無いものか知らんと考へた。考へながら歩いた」。独歩が戦争を肯定するとすれば、それは戦争が驚きを与えてくれるからである。『帰去来』(一九〇一年)の結末でも「戦闘!さうだ戦闘こそ人の運命だ。ただ夫れ戦闘それ自身が人の運命だ。行かう、明日立たう、明日!」と戦争への期待が記されていた。『愛弟通信』や『馬上の友』をみてもわかるように、独歩の内面とは実は国家主義に容易に収まるものであった。だが、戦争ではなく言語作品によって生の充実感をもたらすことが「考へながら歩」く独歩の課題になっている。
『空知川の岸辺』
(一九〇二年)は「余が札幌に滞在したのは五日間である、僅に五日間ではあるが余は此間に北海道を愛するの情を幾倍したのである」と始まる。北海道における独歩と泡鳴は純粋なものと雑多なものの相違を垣間見せるだろう。後述するように、泡鳴の場合、失意の存在はさらなる事業によって回復しようとする。しかし、独歩の場合は自然によって回復しようとするのである。「社会が何処にある、人間の誇り顔に伝唱する「歴史」が何処にある。此の場所に於て、此時に於て、人はただ「生存」其者の、自然の一呼吸の中に托されてをることを感ずるばかりである」。独歩はこの自然に惹かれ、開墾の目的を放擲してしまう。「紅葉の人生を観るや常に世間を見て天地を観ない」と独歩は批判している(『紅葉山人』一九〇二年)。制度ではなく自然を見るべきだということであろう。
『武蔵野』(一八九八年)の結末には「それでも十二時のどんが微かに聞えて、何処となく都の空の彼方で汽笛の響がする」とあるが、この描写は花袋につながっていく。『忘れえぬ人々』(一八九八年)には九州を歩いた様子が記されている。「九重嶺の裾野の高原数里の枯草が一面に夕陽を帯び、空気が水のやうに澄むでゐるので人馬の行くのも見えさうである」。おそらく、花袋はこうした「空気」の表現を独歩に学んでいるのである。同じく九州を回顧した『小春』(一九〇〇年)では「山の上に山が重り、秋の日の水の如く澄むだ空気に映じて紫色に染り」メランコリーを催すという。『春の鳥』にも「空気は澄んで居るし、山のぼりには却て冬が可い」とあった。岩国を描いた『河霧』には「秋の初で、空気は十分に澄んでゐる」とあり、「意味の深い絵」とみなされる。『渚』(一九〇七年)では「霧は絶無だ、空気は澄みきつて居る」とするが、それに続けて「単調は死滅だ」という。
花袋は独歩とともに日光で過ごしたことを回想している。自然にも人事にも、非常に注意深い観察眼を持つて居り、自然の変化に、空気の色、日の色、雲のたたずまひなど、緻密な注意を払ひ、男体山に雲が湧き出て、其に日光の輝くさまを見て、自然の偉大さを讃えられたこともあつた… (花袋『日光時代』一九〇八年)
花袋は「空気」の表現を独歩に学んだのであろうが、いずれにしても独歩を回想するのは花袋のほうであり、独歩を一般的な表象として位置づける。「要するに悉、逝けるなり!/在らず、彼等は在らず」「古も暮れゆきしか、今も又!哀し哀し、我こころ哀し」(「秋の入日」『濤声』一九〇七年)。こうした特殊な主観性のもとにあった悲哀を一般化するのが花袋なのである。
以上、国木田独歩における驚きと悲しみについてみてきた。その特殊な驚きや悲しみを一般化し平板にしたのが田山花袋だといえる。それに対して、主観性に閉じ込められた悲しみを、同じく主観的ではありながら道化的笑いに転じたのが岩野泡鳴であろう。次に検討してみたい。
二 岩野泡鳴――響きと笑い
泡鳴のペンネームは出身地の淡路島によるが、泡鳴はその名前の通り泡立つような轟きを求めていたのではないだろうか〔7〕。『神秘的半獣主義』(一九〇六年)で「半獣主義は、夏の雲の様に砕ける哲学の系統と組織とを持たない。その代り、大海の活動と沈静と深みとを有する情と共に隠見して来る」という。そのことを確認しながら、泡鳴五部作と呼ばれる自伝的な作品をみていきたい。
『発展』
(一九一一・二年、改訂二〇年)は麻布、我善房の下宿屋の息子、田村義雄が主人公だが、「我善房」とはいかにも独善的な泡鳴にふさわしい地名である。「渠は若い時から文学に熱中し出したのが最初の原因で父と衝突した。今の妻を迎へたので再び衝突した。継母が来たので三たび衝突して、遂に自立することになつた」(二)。この衝突ぶ
りを見ると、ほとんど岩石のような堅い遺志を感じさせる。義雄は妻の千代子を容赦なく平手打ちするような男である。
芸者に耽溺し女優にさせようとして失敗した後、紀州田辺から来て下宿に入った清水鳥を海岸に誘い出す。「義雄は女を得た余勢でまたいつもの趣味なる海と海の音とが恋しくなつてゐた」というが(六)、泡鳴は「海の音」を求める存在なのである。「二年前までは、いやな家族を相州の茅ケ崎へ家を借りて放ちやり、自分は東京での瞑想や仕事に疲れ切ると、そこへ逃げて行つて、松ばやしの中の軒下や白い砂の浪元に仰向けになつて、からだを延ばすのを例にしてゐた。/家族のゐるところだから、よかつたのではない。海の音を遠くまた近く聴くと、沖の浪が絶えず湧き立つやうに、自分の疲れた神経も亦若々しく生き返つたからである」。すべての幻影が消えてしまった、だから「迫めては若い女の熱い血に触れて、過ぎ去つた心の海の洋々たる響きを今一度取り返して見たい」という。海の響きと泡立つ波への執着、だからビールを飲むのであろう。「二本のビールを飲み終つた時、渠は女と共にゆふ食に移り、それが済んで間もなく、一つ蚊帳に這入つた」。
一緒に甲州に行くと、岩が転がっているのも偶然ではないだろう。雨が降り続け、一年前の洪水被害を思案している。「鉄橋の破壊。田地、道路、家屋、人畜の流出。山麓のすべり出し。大岩石の移転。川流沼沢の滅却、奇変」(十)。これが泡鳴的な環境といえるかもしれない。
妻子を見向きもせずにお鳥に深入りするが、空気中を響いてくる女の声もまた海の響きと無縁ではない。「深い水門の底に沈んでゐる釣り鐘のうなりが聴えるやうであつた。/『もう、もう』と、――さうだ!蒸し暑く息づまつた空気の底から、何かの恨みか不満足かを訴へる沈鐘のやうに、お鳥のいはゆる『水牛』の声が響いて来るのだ――云ひかへれば、義雄自身のまだこれでは不満足な恋の恨みがその息ぐるしさを訴へるやうに!」(十一)。女の声は「深い水門の底に沈んでゐる釣り鐘のうなり」にほかならない。後述するように白鳥において空気を満たすのは臭いだが、泡鳴において空気を満たすのは唸りなのである。泡鳴にとって耽溺とは「海の洋々たる響き」に浸ることであり、発展とは「海の洋々たる響き」に満ちていくことであろう。
妻の顔を平手打ちした報いであろうか、お鳥の唸りに祟られたせいであろうか、義雄は耳を病む。実家に戻っても