• 検索結果がありません。

「この」と「その」の記述的翻訳研究

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "「この」と「その」の記述的翻訳研究"

Copied!
20
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

65

「この」と「その」の記述的翻訳研究

英日翻訳に現れるコ系・ソ系指示詞に関する一考察

A descriptive study of Japanese demonstratives in texts translated from English

香取 芳和 Katori Yoshikazu

(フリーランス翻訳者・講師)

(Freelance translator, instructor)

Abstract

Instructors of English-to-Japanese translation know from their experience that translations by students, particularly those at the entry to intermediate levels, contain far more ko-type demonstratives (roughly equivalent to “this”) and so-type demonstratives (roughly “the” “that”

or “it”) than is typical for comparable texts written originally in Japanese. The unusually high occurrence of those demonstratives can be explained in large part by the students’ unnecessary or inappropriate use of them as translations of, among other elements, English cohesive devices that Halliday & Hasan (1976) categorized as reference items. Redundancy cannot explain all of the increased use of ko and so demonstratives, however, since professional translators also tend to produce texts marked by their heavy use. This paper attempts to determine where such extra ko and so arise from.

1. はじめに

英日翻訳技能の指導者は、初級者ほど訳文の中でコ系・ソ系の指示詞を多用する傾向があるこ とを経験的に知っている。原文の定冠詞(the)や人称代名詞(it, they)や指示代名詞・形容詞(this, that, these, those)など主に、Halliday & Hasan (1976) のいうreference (Halliday & Hasan 1976に よる定義では、テクスト中またはテクスト外の別の何かを指し示す語、p37)を、不必要に、または機 械的に定訳を当てはめて訳してしまうことが主因であって、2.1 に示すように、翻訳技能が上がるに つれてコ系・ソ系指示詞の使用も全般的に減る。しかし、3.1 で行う、書下ろしによる日本語文章と 英語からの翻訳文章の比較からもわかるように、プロの英日翻訳者によるテクストもやはり、もともと 日本語で書かれた同種のテクストと比べてコ系・ソ系指示詞が多くなる傾向が確認できる。よって、

英日翻訳におけるコ系・ソ系指示詞の多さは、翻訳技能の未熟さだけでは説明がつかない。なぜ 英日翻訳ではコ系・ソ系指示詞が多く生起するのか。本稿で、英日翻訳でコ系・ソ系指示詞が多く 出現する原因を模索したい。

(2)

66

本稿では、指示代名詞、指示副詞、指示形容詞とを区別せずに、あわせて扱う。また不特定多 数の読者を想定した文章の場合、会話文や心の中でのつぶやきで外部照応(exophora) (または

「眼前指示」三上 1970; 久野 1973、または「現場指示」堀口 1978b、または「独立的用法」黒田 1979)として現れるコ系・ソ系指示詞も、基本的には同じ文章の中にその指示対象が見つかるので、

内部照応(endophora)と区別せずに扱う。本稿でいう指示詞とは、前方照応(anaphora)であると後 方照応(cataphora)であるとを問わず、その解釈にあたって、テクスト中に明示または暗示された情 報を必要とする、「ソ」または「コ」を冠した代名詞・副詞・形容詞である。従って、「〇〇そのものだっ た」「(「そうして」から転じた)そして」「そのうちに」「その昔」「それならそれで」「そうこうしているうち に」「それなりに」「それもそのはず」「あちらこちらで」「心ここにあらず」など意味がすでに中性化し ているものや慣用表現の一部になっていて対立する指示詞のないもの(例えば「これでもかといわ んばかりに」とはいえても「それでもかといわんばかりに」はいえない)は捨象した。

2. 英語原文の結束装置を訳したために現れるコ・ソ指示詞

2.1 翻訳講座受講生の訳文

ある翻訳講座で初級者が提出した訳と上級者による訳を以下に掲載する。(文中に登場する英国 人ニックリンソンは、脳卒中により、意識はあるが体を動かすことがまったくできない「閉じ込め症候 群」に陥った。回復が見込めないことを知り、医師の協力を得て命を絶つことを望んだが、イギリス の裁判所は「死ぬ権利」を認めなかった)。

(初級者訳)

なぜもっと多くの政府が安楽な死に対する権利を保障しないのだろうか。ほんの一握り の国々のみが、特定の人びとが医師の助けにより自身の命を絶つことを認めている。そ の他、いま可決しようとしている国や、イギリスのようにそれらを審議しているところなどが ある。上院による法案はエコノミスト誌が望む以上に制約がある。しかしながら、それは、

その法案に反対する理由とはなり得ないだろう。自由主義であろうとそうでなかろうと、政 治家達は、倫理上の複雑な問題となればゆっくりと進むべきである。あなたの見解がどう であれ、これはもちろんそれにあたる。(中略)

上院のその法案は、英国で初めて幇助自殺を合法化しようとしている。しかし、死にたいと いう一個人が、2人の医師によって審査される必要があり、余命が6か月以内と判断され なければいけない。そして致死薬を自分自身で投与しなければならない。この現在の提 案は、死が差し迫っていなかったニックリソンさんを助けてはいなかっただろう。しかし、そ れはまた、1 年に数千人の英国人に、ニックリソンさんが苦しんだ痛みのようなものから脱 出するチャンスを与える。そして、更なる自由化のための国民の支持を高めるだろう。私 たちはそれが可決されることを願っている。(コ系2、ソ系9、計11)

(3)

67

(上級者訳)

なぜ安らかな死を迎える権利を保障する政府がもっと多く存在しないのかが気になる 読者もいるだろう。一定の状況にある個人に、医者の助けのもと、自らの命を絶つことを 許可している国はごく僅かだ。ほかに、法案を可決しつつある国、英国のように審議して いる国がいくつかある。英国貴族院の法案はエコノミスト誌が好むよりは規制が若干多い が、反対する理由にはならない。このように明らかに複雑な道徳的問題となれば、自由主 義者であろうがなかろうが、政治家は慎重に行動すべきだ。(中略)

貴族院の法案はイギリスで初めて幇助自殺を認可することになるが、死を望む人は二 人の医師から評価を受け、余命 6 カ月以内と判断されなくてはならない。許可が下りると、

致死薬も自ら投与しなければならない。現在の法案では、死が差し迫ってはいなかった ニックリンソンに救済をもたらすことは無理だっただろう。だがそれでも毎年数千人のイギ リス人にニックリンソンが経験したような痛みから逃れるチャンスを与え、さらなる自由化へ の国民の支持も徐々に増やせるだろう。可決されることを願う。(コ系1、ソ系1、計2)

以下に、上掲訳文に対応する原文を引く。

You might wonder why more governments do not guarantee the right to an easeful death. Only a handful of countries allow certain individuals to take their own lives with a doctor’s help. A few others are passing laws, or—contemplating them, as Britain’s is. A bill in its House of Lords has a few more restrictions than The Economist would want. But that is no reason to oppose it. Liberal or not, politicians should move slowly when it comes to complex moral issues, which, whatever your views, this certainly is.(中略)

The bill in the House of Lords would make assisted suicide legal in Britain for the first time, but require an individual wanting to die to be assessed by two doctors and be judged to have less than six months to live. He then would have to administer the lethal drugs himself. The current proposal would not have helped Nicklinson, whose death was not imminent. But it would still give several thousand Britons a year the chance to escape the sort of pain that Nicklinson suffered from, and would gradually increase public support for further liberalisation. We hope that it passes. (“Assisted suicide: Easeful death” –The Economist, July 17, 2004)

初級者訳の「コ系」「ソ系」指示詞に対応する原文中の要素は、others, them, that, it, this, the など Halliday & Hasan (1975) がreference として分類した結束装置(節と節のあいだの意味的、語用 論的つながりを顕在的に合図する要素)が多い。そのほか “liberal or not” にみられる「省略」

(ellipsis)も「それ」で訳している。

(4)

68

「そのほか」と「その法案」(2 回)の「その」、「この提案」の「この」は、削除しても読者が指示対象 を同定するうえで不都合を生じさせない。第1段落と第2段落で使われている「それは」「それらを」

はいずれも不要である。また第 1 段落最後の「これは」は「医師の協力による死が」に置き換えたほ うがわかりやすいだろう。

削除しても読者が指示対象を同定するうえでまったく不都合が生じないというのはつまり、それが 結束装置として機能していないということである。原文では、結束性に寄与しているreferenceの多く が、訳文では寄与していないことになる。

2.2 もともと日本語で書かれたテクストの指示形容詞

いったい日本語では、どんなときにコ系・ソ系の指示詞が必要で、どんなときに不要なのだろうか。

観察をできるだけ単純化するため、名詞につく「その」「この」に限って、日本経済新聞から例を拾 ってみた。新聞を題材にしたのは、日本語の「この」「その」の使用は、英語の限定詞と異なり、多く の場合、義務的ではなく選択的であるため、特定の作家の文章ばかりを題材に使うと、作家個人の 文体が分析結果に大きく影響することも考えられるためである。そして「その」「この」の使用・不使 用について、1) 使用が義務的もしくはかなり義務的、2) やや義務的、3) 選択的だが使用されて いる、4) 選択的だが使用されていない、5) 「その」「この」の不使用が文章をわかりにくくしている、

の5つに分類してみた。なお本稿全体を通して、引用文中の下線は筆者=香取が施したものであ る。

1) 「この」「その」の使用が義務的もしくはかなり義務的な例

「とき」「こと」「ため」「まま」など、形式名詞またはそれに準じる名詞につく「この」「その」は義務的で ある。下の例で「その」「この」を取ることはできない。

a. 東京五輪のある2020年に実証実験をしたい。そのときでも何千台と車を走らせるだけの 水素やアルコールはとれません。(「水と空気で1兆円稼ぐ」2015年2月22日日刊)

b. 地球上では毎年100億トン単位でCO2が排出されています。このままでいいわけありま せんよね。(「水と空気で1兆円稼ぐ」2015年2月22日日刊)

目に見える形を持たない概念的、連続的な対象の一部を特定するとき、高度に抽象的な対象の中 の一部を限定的に指示するときにも「この」「その」の使用は義務的である。

c. 後藤さんは過激派の「イスラム国」が跋扈するシリアに向かう途中だったとみられる。この 日を最後に、ツイッターでの発信は途絶えた。(「後藤さんからの宿題」高橋哲史 2015年2 月22日日刊)

(5)

69

d.「ブッシュ米大統領が10月に来日する。柳井駐米大使にはその場で力を発揮してほしい」

(ザ・人事 決断とその後「外相と対立、強引に通告」2015年3月22日日刊)

「ほかのもの(ひと)ではなく、この(その)〇〇」という意味を込めて強調するときにも「この」「その」を つける。以下の例で、第 2 文の「高床式の建物」には指示詞がついていないが、最後の文の「この 建物」の「この」は外せない。

e. シュエナンドー僧院は第2次大戦の戦火をくぐり抜け、王朝時代の工芸職人たちの技術 の精華を今に伝える数少ない木造建築物である。高床式の建物は外壁、扉、はり、外廊下 の手すりに至るまで、精密な彫刻で埋め尽くされている。もとは王宮内にあり、ミンドン王の 寝室として使われていた。1878年に王が息を引き取ったのも、この建物だという。(「ミャンマ ー美術 祈りのかたち○」2015年3月22日日刊)

2) 「この」「その」の使用がやや義務的な例

「この」「その」を使用したほうがわかりやすいが、1) ほど使用が義務的とはいえない例を拾ってみ た。目に見える形がないにしても、周囲との境界線が比較的明確であり、したがって1) でみた5例 よりはいくぶん個別化しやすい対象が多い。

a. 〽ダイヤル、ダイヤル、まわして―。おじさんおばさん世代なら、このフレーズを口ずさめ る人も多いのではないだろうか。(2015年3月22日「春秋」日刊)

b. 29歳で出家し、80歳で世を去るまでの間、ブッダが旅をしたのは、ガンジス川流域だ。こ

の地域には、当時と変わらない景色が今も広がっている。(「旅するゴータマ・ブッダ㊤ イン ドの仏」2015年2月22日日刊)

3) 「この」「その」の使用が選択的だが、使用されている例。

以下の例では、「この」「その」の使用が2) 以上に選択的だが、使用されている。

クリミアの編入後、大統領は80%を超える高い支持率を誇っているが、全ロシア世論調査セ ンターのワレリー•フョードロフ所長は「支持率が緩やかに低下していく可能性がある」とみる。

その要因としてウクライナ危機への国民の関心の薄れと、国内の経済問題を挙げる。(中外 時評「ロシアに漂う大国主義」2015年3月22日日刊)

4) 「この」「その」が選択的だが、使用されていない例

特定の対象を指すので、もし英訳するなら限定詞が必要となるが、日本語では「この」「その」やそ

(6)

70

の他の方法で明示的に限定していない例は非常に多く見つかる。

a. 東京・港区の三菱石油の捜索、取り調べを担当したのは後の検事総長、松尾邦弘(72)。

8階建てビルを事務官10人と捜索した。「人員不足で監視が行き届かず重要書類を破棄さ れないか不安だった」。同事件で検察は20万点もの証拠を押収し、東京地検の2部屋を天 井まで埋め尽くす資料を徹底分析した。

捜査の焦点はカルテルと通商産業省(現・経済産業省)の関係に絞られた。(事件は問う 戦後70年「お墨付き価格」官の責任不問 2015年3月22日日刊)

b. 2001年6月8日午前10時すぎ、大阪教育大学付属池田小学校(大阪府池田市)に当

時37歳の男が侵入。2年生の3教室を移動しながら次々と子供たちを包丁で刺し、切りつ けた。止めようとした男性教員を刺し、さらに1年生の教室に押し入った後、教員2人に取り 押さえられた。約10分間の凶行により児童8人が死亡。児童13人と教員2人が重軽傷を 負った。

事件の数日後、当時の学校幹部は遺族に「最善を尽くしました」と語った。しかしその後、

遺族と学校が教員一人ひとりの行動を聞き取り、事件の経過を確認していくと対応の問題 点が浮かび上がってきた。(戦後 70 年 事件は問う「無差別の殺意」命守る備えを 付属池 田小事件2015年2月22日日刊)

すでに見てきた 1) の e の「高床式の建物」も「王」も、特定の「建物」「王」を指すので、英語なら

ばthe, this, thatなどの限定詞をつける対象であるが、日本語では「その」「この」が不要である。同

一語彙を反復使用する場合に「この」「その」をつけない例も非常に多く見つかる。その多くは物理 的な形を持った対象、そうでなくてもすでに読者の注意が向いている対象を指示すものである。興 味深いことに、特定の人を指す「人」は単独で用いることができないが(例えば「さっき入り口で、40 代前半くらいの男の人とすれ違った。人は急いで通りを横切って行った」とはいえない。「男は急い で通りを横切って行った」ならいえる)、次の例にみるように、すでに読者の注意が向いている「男 性」「女性」「男」「女」は、「その」「この」を要しない。おそらく「人」のほうが「男性」「女性」「男」「女」よ りはるかに多義的だからではないだろうか。

c. 平成21年(2009年)6月19日、横浜市に住むひとりの老女が亡くなった。半年ほどして

「小林多喜二の恋人死去」という見出しのついた小さな記事がいくつかの新聞に載る。老女 の名は田口タキ。102歳だった。(愛の顛末「闇の向こうに見出した光」梯久美子 2015年4 月5日日刊)

d. 京都医療センターの肥満・メタボリックシンドローム外来を訪れた滋賀県の40代女性は、

身長158センチメートルでピーク時の体重は80キログラムを超えていた。

浅原室長と相談しながら、高カロリーな中華料理や菓子パンから和食に切り替えるとともに、

(7)

71

1日1万歩を目標に歩いた。さらに週3回、2時間ずつヨガや自転車の運動を続けたら、8カ 月で 66.1 キログラムまで減った。女性は「もう少し減らしたい」と継続中だ。(「食材置き換え メタボを改善」2015年3月22日日刊)

5) 「この」「その」の不使用が、文章をわかりにくくしている例

a. 中世アイルランドの説話にこんな物語がある。首長格のフラフンケルは白馬を持ち、神の馬 として誰の騎乗も許さなかった。ある日、羊をちりぢりにしてしまった若い羊飼いの前に馬が あらわれる。彼はこれにまたがり羊を集め終えた。怒った有力者は若者を殺してしまう。(春 秋 2014年6月17日日刊)

b. 1948年、大阪市内で奇妙なニセ札を持った男が逮捕された。記番号234797の拾円札。既 に二十数枚を使っていた。病身の図案工が技能を悪用して手作りした紙幣だった。記番号 は「兄さんよ泣くな」と読み、戦死した長男に犯行を詫びる印だった。(春秋 2005年1月13 日日刊)

紙幅の関係で、提示できる例の数が少ないのだが、形式名詞の場合「この」「その」は義務的で あり、逆に、抽象度が低く具体的にイメージしやすい、個別化しやすい対象ほど「この」「その」を要 さないといえそうである。しかしもちろん、同一の有形指示対象を持つ語彙を反復使用する場合で も、初出(または直前の生起)から間隔があけば、あるいは別の話題へと読者の注意を転じたあとで は、「この」「その」をつけて読者の記憶を喚起する必要が生じる。さらに、同一の有形指示対象を 持つ語彙でも、強調するときには「この」「その」を使用する。

5-a の「馬があらわれる」の「馬」が、同一語彙の反復使用であるにもかかわらず同定しづらいの は、「羊をちりぢりにしてしまった若い羊飼い」という初出の登場人物のあとに、主格の助詞「が」で 導入されるため、読者がこれを旧情報としてとりにくいからだろう。「馬はある日、羊をちりぢりにして しまった若い羊飼いの前にあらわれる」とするならば「この」「その」なしでも混乱を来さない。また

「有力者」に代えて同一語彙「首長」を使うなら「この」「その」は不要だっただろう。5-b がわかりにく い原因は、同じ対象への二度目の言及で、初回とは異なる語彙「病身の図案工」を使用しているこ と、さらにそれを主格の助詞「が」で導入していることと思われる。「病身の図案工は、技能を悪用し て紙幣を手作りしたのだった」とするならば 5-b ほどわかりづらくならないし、「図案工だった男が技 能を悪用して手作りした紙幣だった」としていたなら、「男」に「この」「その」をつけなくても混乱は生 じなかっただろう。

2.3 コンテクスト化

指示詞は、ある語の表す内容を現実の対象や状況に結びつける、つまり、それを特定のコンテ クストの中に位置するものとしてコンテクスト化 (contextualize) するために用意されている手段の

(8)

72

一つであるが、こうした手段にどの程度依存するかは言語によってさまざまな形での差がある(池上 2002)。後述(3.3.1、3.3.2)するように、英日翻訳の過程で、指示詞に拠らない別のタイプのコンテク スト化は必要となる。しかし上掲の例にみる「高床式の建物」「王宮」(1-e)「事件」「男」(4-b)「老女」

(4-c)のように、言及指示の対象が話し手(書き手)と聞き手(読み手)のあいだで了解できているな ら、あるいは聞き手(読み手)によって容易に同定できるなら、日本語では、初出・既出を問わず、

指示形容詞を使う必要がない(強調のための使用は別)。話し手(書き手)は、描写する事態の中 に自らの身を置いて、見たまま、聴こえたまま、自らの心に浮かんだままの世界を語る(池上 2003)。

そして聞き手(読み手)は、話し手(書き手)の目または物語の主人公の目を通して見た世界を追体 験する。

シルヴァスティンの名詞句階層では、記号論でいう象徴性が最も低く指標性の高い名詞句「一 人称代名詞」が左端に置かれ、その右隣に「二人称代名詞」さらに「三人称代名詞」「固有名」「親 族語」「位階語」「存在」「被認識体」と徐々に象徴性が高く指標性の低い名詞句が配置されていき、

最後に「抽象名詞」さらにその右(右端)に「『コード化』された言語的特性(対象としては何も指さな いもの。例えば天候の it)」(小山 2008)が置かれる。一般論としては、名詞句階層で右に行くほど

「この」「その」を使う必要があるといえるだろう。「こと」「ため」「とき」など、形式名詞やそれに準じる 名詞についた「この」「その」が外せないのは、おそらくその象徴性の高さ、指標性の低さゆえであ ろう。一方英語の定冠詞の使用は、

「もっとも象徴性が低く指標性の高い名詞句(つまり代名詞)では、普通、ありえないが(名詞 句自体に限定の意味が含まれているためである)、より右の方に向かい、固有名、親族名詞、

そして位階名詞、有生名詞や無生の可算名詞へと進むにつれて、一般に、定冠詞の使用 に対する規制はゆるくなっていく」(小山2008, p236)

日本語の「この」「その」の使用・不使用は、英語の定冠詞と比べて、規則というよりは話者(書き手)

の選択に任されている部分が大きい。しかしやはり、対象の特定にも強調にも貢献しない「この」

「その」は使うべきでないだろう。標準をはるかに超える頻度でコ系・ソ系指示詞が生起するテクスト は、読者に違和感を覚えさせるからである。耳障りでもある。さらにいえば、不要な指示詞を使うこと によって、読者に余計な対象を想起させ読者の注意をそらしてしまう恐れもある。日本語の指示詞 は「コ」「ソ」「ア」の三項対立である(三上(1970)に拠れば「コ」対「ソ」、「コ」対「ア」の 2 つの二項対 立)。読者の心像にもともと一つしかない「法案」、「王宮」(1-e)を指すにもかかわらず「その法案」

「この王宮」とすれば、読者の心の中に対立概念として「この法案」や「あの王宮」を出現させ、すで に同定できている「女性」(4-d)を指すにもかかわらず「その女性」とすれば、対立概念として「この 女性」を喚起してしまうのである。不要な「この」「その」は読者が描く心像を攪乱する。

原文の結束性が、結束装置として訳文で明示化(具現)される傾向は、他言語の翻訳でも確認さ れている。Blum-Kulka (1986) は、翻訳者による原文解釈の行為が、原文よりも冗長(redundant)

な訳文を生み出す可能性を指摘している。そして、この冗長さは、訳文での結束性の明示化レベ

(9)

73

ルの上昇という形で現れる場合がある(Explicitation Hypothesis)という。Olohan & Baker (2000) は、

sayとtellの直後で選択的に使用される接続詞thatの生起頻度を、TEC(Translated English Corpus)

とBNC (British National Corpus)で比較し、それがTECで有意に、しかも非常に高いことを発見し ている。本稿冒頭で観察した初級受講生による訳文の指示詞の多さは、先行研究のいう明示化と は異なる。訳文で使われている指示詞の多くは、もともと原文にある結束装置(the, this, that, itなど)

をそのまま、ときに不必要に訳した結果だからである。

結束装置に拠らない原文の結束性を、訳者が指示詞という結束装置を使って具現するという点 では、次章で観察する現象のほうが先行研究の「明示化」に近いといえよう。ただし Olohan &

Bakerが観察したsayやtellのあとの接続詞thatと違い、次章の指示詞は容易に省けるものではな

い。従って、Blum-Kulkaのいうredundancyとも異なる。

3. 結束装置以外の言語的要素から生じる指示詞

3.1 日本経済新聞「私の履歴書」にみるコ系・ソ系指示詞

プロによる翻訳テクストでも、もともと日本語で書かれた同種のテクストと比べて、コ系・ソ系指示 詞を多く含む傾向が確認できる。日本経済新聞のコラム「私の履歴書」を使って、もともと日本語で 書かれたテクスト6人分と英日翻訳テクスト6人分、計12人のテクストに現れるの指示詞の数を比 較してみた。「私の履歴書」は、それぞれの分野で名を成した書き手が、ひとり1か月間の連載で自 分の半生を振り返るという趣旨のコラムである。同コラムを題材に使った理由は3つある。まず、もと もと日本語で書かれたテクストも、英語から日本語に翻訳されて掲載されるテクストも、想定している 読者が同じであること。次に、長さがほぼ等しい(1回の分量約1,250字、連載回数27~31)こと。さ らに、趣旨(自分の半生を振り返る)が同じであること、である。趣旨をそろえることはとくに重要と思 えた。抽象的で難解な概念を説明するには多くのコ系・ソ系指示詞が必要で、逆に、物語性、叙事 性を重視する文章ではコ系・ソ系指示詞の使用が少ないと推測できるからである。例えばいま著者

=香取の手元にある、もともと日本語で書かれたある哲学書には、おびただしい数のコ系・ソ系指 示詞が使われている。また数こそ少ないものの、前章2.2の5)で観察した「『この』『その』」の不使用 が文章をわかりにくくしている例」が、論説文ではなく文芸風の文体を試みたコラムでばかり見つか るのも偶然ではない。さらに 4 つ目の理由を挙げれば、比較対象とするテクストに十分な分量があ ることだ。どの書き手も、話の展開の緩急によって、コ系・ソ系指示詞が集中する部分とまばらにな る部分がある。「私の履歴書」はひとりの連載が数万字あるので、いわば山と谷を平均化できる。

日本人の書き手については、職業にできる限り偏りが生じないよう心がけた。職業以外について は縮刷版から無作為に抽出した。翻訳ものは数が限られているため、書き手を職業で選ぶ余地が なく、元・政官界人が多くなってしまったのはやむを得ない。

表1は、比較の結果を、コ系・ソ系指示詞の合計数の多い順に表にしたものである。書き手によ ってコ系・ソ系指示詞の使用回数に大きなばらつきが見られるものの、それでもはっきりとした傾向 が見て取れる。英語からの翻訳ものは、コ系・ソ系指示詞が多い。(日本人の書き手の中では森善

(10)

74

朗・元首相が最も多くの指示詞を使っているが、これは主に、登場人物どうしによるやり取りを、直 接引用形式で多く取り込んでいるためである。)

著者 コラム記載の肩書 連載時期 コ系 ソ系 合計 ウィリアム・J・ペリー 元米国防長官 2010年12月 210 191 401 ジョージ・W・ブッシュ 前米大統領 2011年4月 193 191 384 トム・ワトソン プロゴルファー 2014年5月 155 209 364 カーラ・ヒルズ 元米通商代表部代表 2013年3月 168 195 363 トニー・ブレア 元英首相 2012年1月 109 160 269 フィリップ・コトラー マーケティング学者 2013年12月 127 137 264 森 善朗 元首相 2012年12月 131 110 241 安藤 忠雄 建築家 2011年3月 69 146 215 瀬戸 雄三 アサヒビール元会長 2011年5月 100 100 200 松本 紘 理化学研究所理事長 2015年6月 73 103 176 小泉 淳作 日本画家 2011年8月 31 105 136 岡本 綾子 プロゴルファー 2013年5月 40 83 123

(表1)カーラ・ヒルズ、安藤忠雄、松本紘を除く9人は30回連載。ヒルズ(31回)、安藤(31回)、松本(29 回)については、1回平均に30を掛け、30回分として算出した数字である。

コ系指示詞とソ系指示詞の使い分けについては多くの先行研究がある。阪田(1971)によれば、

話し手がある事柄を提示し、それを、聞き手の意識と相通ずる客観的なものとしてではなく、話し 手自身のみのものととらえている場合にはコ系で指示し、自分から離して客観的な態度で指示する ときにはソ系を使う。吉本(1992)によれば、文脈指示のコは談話記憶中の実質的な対象を指示し それを文脈中で際立たせる一方、ソ系は談話記憶中の対象を中立的に指示する。談話中の文脈 指示ではコ系よりソ系が多用されるという点では、多くの研究者の見解が一致しているようである。

本稿の「私の履歴書」比較でもやはり、英語から翻訳されたテクストも、もともと日本語で書かれたテ クストも、ごく大雑把には、ソ系のほうが多用されているといえよう。これは、談話における文脈指示 には、話し手の心理的距離に関して中和的なソ系が基本的に用いられ、近称のコ系は有標であり、

なんらかの強調的な効果をもたらすとする金水(1990)の指摘と符合する。(コ系とソ系の比率につ いても森善朗は目を引く例外だが、これは主に、感情を高ぶらせた登場人物による発話が直接引 用の形で多く入っているためである。)またコ系をソ系、ソ系をコ系に置き換えてもとくに大きな違い を生まない用例も多く見つかる。これは、文章においては、叙述内容を主体的にとらえた場合には 自分の領域内のものとしてコ系で指示し、客観的にとらえた場合には領域外としてソ系で指示する ので、どちらを使うかは書き手の、そのものに対する態度の問題、多くは書き手の意識にのぼらな い個人的な癖であるとする阪田(1971)の指摘とも矛盾しない。コ系とソ系の使い分けについては、

(11)

75 本稿の主題ではないのでこれ以上立ち入らない。

紙幅の関係で一部しか紹介できないが、ジョージ・W・ブッシュ前米大統領の初日(2011年4月1 日)と、ちょうどその1カ月後(2011年5月1日)に連載が始まった瀬戸雄三アサヒビール元会長の 初日(2011年5月1日)を、冒頭からだいたい同量ずつ書き写す。

危機を悟った最中に探し求めたのは「静けさ」だった。2001年9月11日。時計の針は午前9 時を回ろうとしていた。

テキサス州知事時代に学んだことは多い。その一つに「指導者たるもの、どのような危機に 際しても泰然自若とすべし」ということがある。リーダーが過剰に反応すれば、即座に国民に も伝搬する。だから、大統領としての行動は常に客観的に見つめていなければならない。そ のために一瞬でもいい。私だけの静謐な時間が必要だった。

「我が国が攻撃にさらされています」。遊説先のフロリダ州で小学校を訪れていた私にア ンディ・カード首席補佐官がそう耳打ちした。この時、すでにニューヨーク・摩天楼の象徴、

世界貿易センタービルに2機目の旅客機が突入し、未曽有の惨事を引き起こしていた。

その時の感情をどう表現したらいいだろう。言葉にできない怒りが全身を貫いた。それだ けは今もはっきりと覚えている。直後、目に映ったのは私の目の前で無邪気な笑顔を見せる 子供たちの顔だ。「この子供たちを守らなければならない」。心にそう誓った。(ブッシュ)

9月1日のアサヒビールの社長就任を目前に控えた1992年8月23日、私は長野県茅野市 にある病院の集中治療室にいた。病名は急性膵炎。持病の胆石が暴れ出し、十二指腸に 入り膵液の流れを阻み逆流する。これが続くと膵臓が壊死し、7 割の確率で死に至るという。

先生からは「絶対安静3カ月」と言い渡された。

数日前から蓼科の山荘に籠り、就任スピーチの草稿に取りかかっていたのがよくなかった。

当時のアサヒは87年に発売した「スーパードライ」の爆発的な勢いが止まり、シェアも89年の ピーク(24%強)から踊り場に。「ドライの人気も泡と消えた」。そんな声も聞こえてきた。「もう 一度、成長へのリズム感を取り戻さねば」。積極投資で借金は売上高の約1.5倍、1兆4000 億円に膨らんでいた。危機意識を挨拶に込めるには、どうすればよいか。

若い方々はご存じないかもしれない。50年以上も前の53年(昭28年)、アサヒは業界トップ の会社だったが次第にシェアは下がり、85年には10%を切るまでに沈む。高度成長の波に 乗れず、「会社の寿命30年説」だと消滅しても不思議ではない。4代続けて住友銀行から社 長が送り込まれた。(瀬戸)

3.2. 翻訳の指南書からコ系・ソ系指示詞の出所で ど こ ろを探る

全国紙の人気コラムを任される翻訳者だけあって、ブッシュ前米大統領の「私の履歴書」に、直 ちに省けるコ系・ソ系は見つからない。翻訳初級者のように原文の結束装置(とくに reference)を不 用意にコ系・ソ系で訳しているのではないことがわかる。冗長(redundant)でないならば、もともと日

(12)

76

本語で書かれたテクストと比べてコ系・ソ系が多いのはなぜだろうか。考えてみれば不思議である。

なぜ、英語話者の半生を語るには、日本語話者の半生を語るより多くのコ系・ソ系が必要なのだろ うか。

予想されたことではあるが、原文を見せてもらえないかとの問い合わせに、日本経済新聞社から は「権利の関係でお見せできない」との回答があった。しかし原因の一つは大方推定できるので、

原文に当たれないことは大きな問題ではない。以下に引く安西徹雄著『翻訳英文法』(バベルプレ ス)の中に手掛かりが見つかる。各英文の下に引用した日本語は、安西による模範訳である。

a) He is one of those people who believe in the perfectibility of man.

世の中には、人間を完成させることは可能だと信じている人々がいる。彼も実はそうした信

念の持ち主なのだ。(p89. 第8章「関係代名詞をどうするか(続)」)

b) It is something I always notice when I take groups of Japanese teachers and students on what I call “literary and historical tours of the British Isles.” – P. Milward, Culture in Words.

私はよく、「イギリスの文学と歴史をたずねて」と銘打って、日本人の先生がたや学生の団体

を連れて英国旅行に出るのだが、そんな時、いつでも気のつくことがある。

(p91. 第8章「関係代名詞をどうするか(続)」)

c) He stopped, and then, approaching our doorway with a bow, said to my mother that he was an artist, and asked if he might make a sketch of our house.

男は立ち止まり、やがて、うちの玄関にやってくると、お辞儀をして、母にこう言うのだった。

実は私は絵描きですが、お宅をスケッチさせていただけませんか。

(p145. 第13章「時制について――動詞(1)」)

さらに、Jane Austen著 Pride and Prejudice冒頭部と、2人の訳者による日本語訳を引く。(出典=

中野康司 (2012) 『小説における英文和訳と翻訳の違い』第30回日本通訳翻訳学会関東支部例 会 於・青山学院大学 配布資料)

d) It is a truth universally acknowledged, that a single man in possession of a good fortune,must be in want of a wife.

金持ちの独身男性はみんな花嫁募集中にちがいない。これは世間一般に認められた真理で ある。(中野康司 2003)

独身の青年で莫大な財産があるといえば、これはもうぜひとも妻が必要だというのが、おしな べて世間の認める真理である。(小尾芙佐 2011)

次のような例でも同様の手法が有効である。

(13)

77

e) The dependence of successful brands on trust and consistent quality suggests that consumers need more of them. (“A case for brands” The Economist September 6, 2001)

成功しているブランドは、信頼と一貫した品質を拠り所としている。そうであるならば、消費者と しては、もっと多くのブランドがあって欲しいものではないだろうか。

3.3コ系・ソ系指示詞が必要となる理由

3.3.1 連辞軸の強い言語から、弱い言語へ

英語のセンテンスは強い連辞軸(syntagmatic axis)によって統制されている。一つのセンテンス は、主語があり、動詞があり、その動詞が他動詞ならば目的語がありというように、線的な縛りの強 い統辞構造でできている。一方、日本語の統辞構造は弱く、格助詞は文構造を規定するだけの力 を持たない(平子 1999)。英語の書き手は、一本の線の上に主語・動詞(・目的語・補語)を組み込 み、必要に応じてそれぞれの要素の周りに修飾句を配置することができる。センテンス構造は一般 に5パターンあるとされており(5文型)、いずれにも該当しないものはセンテンスとみなされない。そ れだけ強靭な連辞軸がある。しかし日本語文の統辞構造は弱く、文が長く複雑になると統辞力が 続かない(平子 1999)。英語と比べて先の展開が予想つかないため、読者への負担も大きくなる。

そこで英日翻訳者は、英語の一つの節の中に複数の「主語 + 動詞」を読み取り、日本語訳でそ の節を2つまたはそれ以上の節に分ける。分けるときは、安西の模範訳 3-2.aにみるように 2つの 節を句点で切って2 文にすることもできるし、3-2.b のように、接続助詞「が」(…に出るのだが)を使 って1文のままに訳すこともできよう。だがどちらにしても、2つの情報単位(information unit)のあい だの意味的つながりを明示するために、翻訳者は、多くの場合2つ目の節のなかでコまたはソを使 い、先行する節で提示した情報を指し示す必要を感じるのである。英日翻訳に現れるコ・ソ指示詞 の一部は、連辞軸の強い言語から弱い言語への切り替えが生むものだといえよう。あえて推理を試 みれば、3-1で引用したジョージ・W・ブッシュ前米大統領の「私の履歴書」にある一節、

テキサス州知事時代に学んだことは多い。その一つに「指導者たるもの、どのような危機に際 しても泰然自若とすべし」ということがある。

の原文は、もしかしたら、次のような形をしていたのかもしれない。

One of the many lessons I learned as Governor of Texas is that a leader must stay calm in any crisis.

また、本項で論じてきた英日間の連辞軸の強度の違いだけでなく、次項で論じる好まれる指標性 の度合い(描写する事態の中に自らの身を置いた表現を好む日本語)にも大いに関連する推論だ が、

(14)

78

「この子供たちを守らなければならない」。心にそう誓った。

の原文は、次のような形をしていたのかもしれない。

I swore to myself that I had to protect those children.

少し本題から外れるが、Pride and Prejudiceの上掲2人の翻訳者(中野康司2003、小尾2011)

に先行する3人の翻訳者(富田 1950、中野好夫 1960、阿部 1968)は、原文の形を忠実になぞり つつ冒頭部を訳している。従って指示詞も使っていない。1人を引けば、

相当の財産をもっている独身の男なら、きっと奥さんをほしがっているにちがいないということ は、世界のどこへ行っても通る真理である。(富田 1950)

3.3.2 象徴性の強い言葉遣いから、指標性の強い言葉遣いへ

3.3.1に関連して付け加えておきたいのが、名詞句の象徴性・指標性との関係である。

(3.2.a) He is one of those people who believe in the perfectibility of man.

(3.2.e) The dependence of successful brands on trust and consistent quality suggests that consumers need more of them.

をそれぞれ、「彼は、人の完成可能性を信じる者の一人である」「成功ブランドの、信頼および一貫 性ある品質への依存は、消費者がさらに多くのブランドを必要とすることを意味する」と訳しても、統 辞構造が破綻するわけではない。しかし日本語話者は、これらの訳文を、わかりづらい、読みにく いと感じる。原因は「人の完成可能性」や「信頼および一貫性ある品質への依存」といった名詞句 の抽象性にあると考えられる。多くの言語学者が指摘しているように、日本語話者は、英語話者と 比べて、発話の場を指標する要素を多く取り込んだ言葉遣いを好む傾向が強い。ところが「人の完 成可能性」「信頼および一貫性ある品質への依存」という名詞句は、指す対象が無形であり抽象的 であると同時に、発話の場を指標する要素(指示詞、時制、アスペクトなど)を一切含んでおらず、

記号論でいうところの象徴性が高い。英語の名詞句をそのまま日本語の名詞句に移し替えると 往々にして格助詞「の」が増えてしまい名詞句中の語と語の関係がわかりにくくなるという事情もあ るが、とくに無形の抽象的な対象を表す名詞句については、その指標性の低さが読者にさらなる 負担となるのである。コンテクストを指標する要素が乏しい句は、ややもすると読者の頭を素通りし てしまうのだ。

そこで原文の句を、訳文では節に変える。それも、ボイス・アスペクト・テンス・モダリティや、必要 に応じて、主節とは異なる主語・主題も入れられる大きな節(南 1998、金水 2015)に、発話の場や 発話者の心的態度を指標する要素を盛り込んだ訳文が好まれる。主節の構成要素として吸収・統

(15)

79

合されている名詞句を、動詞句埋め込み結合、関係節、従属節、等位節、単なる並置へと結合度 を下げるにつれ、コンテクスト化の度合いは高まっていく(小山 2009)。主節の構成要素となってい る名詞句を、関係節、従属節、等位節にする、換言すれば、モノをコトにとらえ直す過程で、場合に よっては、節と節のあいだをつなぐためのコ・ソが必要となるのである。

Adam Smith著An Inquiry into The Nature and Causes of The Wealth of Nationsの日本語訳『国 富論』(2000 年、水田洋監訳・杉山忠平訳)を「ちんぷんかんぷん」と評した山岡洋一は、自身の 訳(2007 年)の中で英語の名詞句を日本語の節に変える手法を多く取り入れている。以下に原文 の冒頭部と、杉山訳と山岡訳を引用する。

The great improvement in the productive powers of labour, and the greater part of the skill, dexterity and judgment with which it is anywhere directed, or applied, seem to have been the effects of the division of labour.

The effects of the division of labour, in the general business of society, will be more easily understood, by considering in what manner it operates in some particular manufacturers.

労働の生産力の最大の改良と、それがどこかにむけられたり、適用されたりするさいの熟 練、腕前、判断力の大部分は、分業の結果であったように思われる。

社会の仕事全体の中での分業の効果は、いくつかの特定の製造業でそれがどのように作 用しているかを考察することによって、いっそう容易に理解されるだろう。

(『国富論』水田洋監訳・杉山忠平訳 岩波文庫 p.23)

労働の生産性が飛躍的に向上してきたのは分業の結果だし、各分野の労働で使われる 技能や技術もかなりの部分、分業の結果、得られたものだと思える。

分業の効果は社会全体にみられるが、それを理解するには、一つか二つの製造業を例 にとって、分業がどのように行われているかをみていく方がいい。

(『国富論』山岡洋一訳 日本経済新聞出版社 p.7)

“improvement in the productive powers of labour” や “effects of the division of labour”といった 抽象性の高い名詞句ゆえになおのこと、山岡はそれらを節に展開して、「生産性が向上してきた」

「効果がみられる」のように、話し手の視点で対象をとらえた表現に変えているのだ。そして後者の 例では、先行する(モノではなく)コトを「それ」で受けて主節とつないでいる。杉山訳にも2つの「そ れ」があるが、どちらも原文のitに対応するものであり、山岡の「それ」とは出所が異なる。

4. コ系・ソ系指示詞のもう一つの出所で ど こ ろ

ここまで原文の何が訳文でコ・ソ指示詞となって現れるかを観察してきたが、「なぜ、英語話者の

(16)

80

半生を語るには、日本語話者の半生を語るより多くのコ系・ソ系指示詞が必要なのか」という問いに はまだ十分に答えられていない。結局、連辞軸そのものも、節の中の各部を結束させる重要な要 素であることを考えれば、ここまでの議論はすべて、結束装置の種類と結束レベルの英日間の相 違に帰すことができる。であるならば、「自然な日本語」を重視する昨今の英日翻訳の規範に従っ て結束装置のタイプを変え結束レベルを調整しさえすれば、英語話者の書いたテクストも、もともと 日本語で書かれたテクストとだいたい同じ数のコ系・ソ系を使って訳せるはずである。実際、プロに よる訳文からももう少しコ系・ソ系を削ることはできる。だがそれでも、もともと日本語で書かれたテク ストと同レベルにまでは減らせない。なぜか。文章展開が違うからである。

上掲のジョージ・W・ブッシュ前米大統領と瀬戸雄三アサヒビール元会長の「私の履歴書」は、国 家的・個人的の違いはあるものの、どちらも「危機」で始まる。しかしブッシュは第 1 文で「危機の中 で静けさを探し求めた」とあり、後続の数行で、なぜ静けさが必要だったのか、その理由をテキサス 州知事時代にさかのぼって記している。それから「危機」の展開を、自身の心境の変化を交えなが ら、時間軸に沿って、時間の標識(「この時」「その時」)を入れつつ克明に綴っている。どの文も直 前の文と意味的に密接な関係にあって、たとえ「この」「その」のような直示詞(deixis)が使ってなか ったとしても、どれか1文を削除したら、直後の文の意味は通じにくくなるだろう。一方瀬戸は、やは り第 1 文で自分が重篤な状態にあったことを読者に伝えているが、後続の文で「その原因は…」と 明示する代わりに、病名と一般的な予後を書いて、集中治療室にいた理由を読者に納得させてい る。後続の段落には、体を壊した経緯が書かれているのだが、このときから20年以上も前に始まっ たアサヒビールの売り上げ低迷と、著者のこのときの重篤な容体との因果関係は緩やかに暗示され ているにすぎない。引用符でくくられた「もう一度、成長へのリズム感を取り戻さねば」と地の文との つながりも明示されていない。続く段落でも、とくに最後の文「4 代続けて住友銀行から社長が送り 込まれた」は、直前の文と緩やかなつながりしか持たない。この文を脈絡の中に位置づける仕事は、

読者に任されているのである。ブッシュの翻訳テクストでは、とくに文頭(付近)のコ系・ソ系指示詞 が直前の文との間隔を詰めているのに対し、瀬戸のテクストは文と文のあいだがいわば空白になっ ているのだ。

アメリカ文化の中では、他の多くの文化と同じように、「時間」は人のさまざまな営みを体系化す るための支配的原理であり(Hall 1976)、アメリカ人は、さまざまな出来事を時間軸上でつなぎ合わ せる。ある出来事が別の出来事に引き続いて起きたとすれば、一方を他方の原因としてとらえ、両 者間の因果関係を見出そうと努める(Hall 1973)。またKatori (2005)は、新聞の社説の比較で、英 字新聞のほうが邦字新聞よりも、時間の表示が有意に多いことを確認している。一方日本人の書い たものは、西洋人の目に、いくつかの逸話をぽつりぽつりと記しているだけで、それぞれの出来事 が互いにどう関連しているのかを明示していないと映る。「点」をいくつか置くだけで、点と点をつな いで「線」にしていない文章は、西洋人読者をいらだたせる場合があるという(Baker 1992)。英語話 者の書いたテクストを日本語に翻訳したときに、「このため」「そのため」「この時」「その時」「これによ り」「そこで」などコ系・ソ系を冠した時間や理由(原因)のフレーズが、もともと日本語で書かれた同 種のテクストより多くなるのは、原文が、ものごとの時間的前後関係や因果関係を明確に示したテク

(17)

81 ストだからでもあるのだ。

これに対して、以下に引く小泉淳作の「私の履歴書」(2011年8月6日掲載分の一部)の文章展 開に明確な時間軸はない。また、少なくとも日本人読者にとっては十分にまとまり感のあるテクスト だが、文と文のあいだに、原因と結果、判断(結論)とその根拠(理由)のような、強い意味的結びつ きは感じられない。

生涯に 3 人の師に巡り合っている。東京美術学校(現東京藝術大学)日本画科の恩師、

山本岳人先生、売れない画家時代に薫陶を受けた中川一政先生、そして慶応幼稚舎のク ラス担任だった吉田小五郎先生である。

中でも幼いころの師は格別の存在だ。吉田先生は私の暗い少年時代の光明だった。幼 稚舎は1年生のクラス担任がそのまま6年生まで持ち上がる。丸6年間、吉田先生のお世 話になったのは非常に幸せなことだった。

私たちのクラスの担任になったころ、先生はまだ 20 代。子供心にも私心のない、純粋な 心根を持った方だと思った。温和で物静かだった。叱られた記憶は一度もない。

低学年のころ、国語の授業でベートーベンの「月光の曲」の話が出た。すると先生は教室 に蓄音機を持ち込み、レコードで月光の曲を流してくださったが、おとなしく聴いている我々 ではない。

小声のおしゃべりが始まり、次第に騒がしくなって、取っ組み合いのけんかが始まるありさ ま。だが、先生は教室の中央で黙ったまま蓄音機のねじを回したり、レコードを裏返したりし て、泰然と聴き入っておられた。

野草をこよなく愛された。遠足には小さなシャベルを持参して珍しい草花を採取した。世 田谷・上野毛のご自宅の庭には丹精した清楚な花々が咲いていた。

提示した一つの情報に次の情報を積み重ねるというよりは、水平的な広がりが感じられる文章であ る。「積み重ね」ではないので、段落中の一文、例えば「子供心にも私心のない、純粋な心根を持 った方だと思った」や「遠足には小さなシャベルを持参して珍しい草花を採取した」を取ってしまっ ても、前後で話が通じなくなるということはない。このような文章展開では、当然ながら、先行文で提 示した情報や後続文で提示する情報を指し示すためのコ系・ソ系指示詞の必要性は小さい。

5. 結論

とくに経験の少ない翻訳者の場合には、英語テクストの結束装置の不必要な訳出や不用意な定 訳使用が、コ系・ソ系指示詞の大きな発生源となっている。不要であるばかりか、かえって文章をわ かりにくくする場合もある。上掲の『国富論』杉山訳がわかりづらいのは、it を「それ」と訳しているた めでもある。

翻訳者の技能が上がるにつれて、英語の結束装置であるreferenceにコ系・ソ系指示詞を当てる

(18)

82

例は減る。しかし同時に、原文の一つの節を日本語で小分けにして両者のあいだをコ系・ソ系でつ なぐ例は増える。統制力の強い英語連辞軸に固定されたいくつかの情報の塊を、連辞構造の弱い 日本語に移しかえるときに、また指標性の強い言語表現を好む日本語に移しかえるときに、小分け して発話の場を指標しながら提示する必要が生じるからである。

英日翻訳でコ系・ソ系指示詞が多いもう一つの理由は、原文の内容そのものにある。もともとのセ ンテンスとセンテンスが、出来事の発生の前後関係、原因と結果・判断と根拠・結論と理由などの 関係で強く結びつけられているならば、翻訳において、先行文を言及指示するためのコ系・ソ系指 示詞の使用が多くなるのは自然の成り行きだろう。

それでもコ系・ソ系指示詞をもう少し減らせる翻訳方略はなくもない。また、減らしたほうが読者に 好まれる訳文になるだろうと予想する根拠もある。それらについては、また別の機会に書いてみた い。

...

【著者紹介】

香取芳和(KATORI Yoshikazu)翻訳者。上智大学、青山学院大学非常勤講師。主に、テクスト結束性 の英日比較研究に取り組んでいる。

...

【註】

i) [online]「日経ビジネスOnline」 2009年12月3日

http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20091125/210584/?rt=nocnt (2016年2月3日取得)

ii) Halliday & HasanのCohesion in English (1976) は、センテンスとセンテンスの境界(sentence

boundaries) を越えた結束性のみを考察の対象としているが、著者らは同書Introductionの中で、セ

ンテンスの構造自体が持つ結束力に触れ、「センテンスや節の中のすべての要素は、(センテンスの)

構造に備わった結束力ゆえに、互いに結束し合う。(中略)センテンス、節、語(群)などあらゆる文法 単位は、(センテンスとして)構築されているがゆえに、内部的に結束している」(p6~p7、日本語訳=

香取、カッコ内は香取による補足)と書いている。

【参考文献】

Baker, M. (1992). In other words: a coursebook on translation. London: Routledge.

Blum-Kulka, S. (1986). Shifts of Cohesion and Coherence in Translation. In House, J. & Blum-Kulka, S.

(eds.) Interlingual and Intercultural Communication: Discourse and Cognition in Translation and Second Language Acquisition Studies. Tübingen: Gunter Narr.

Halliday, M.A.K. & Hasan, R. (1976). Cohesion in English. London: Longman Group Limited.

Hall, Edward T. (1973). The Silent Language. New York: Anchor Books.

Hall, Edward T. (1976). Beyond Culture. New York: Anchor Books.

(19)

83

Katori, Y. (2005). Master’s thesis A Gricean Analysis of Journalistic Texts in Translation Between Japanese and English. Unpublished.

Olohan, M. & Baker, M. (2000). Reporting That in Translated English: Evidence for Subconscious Process of Explicitation?

[Online]http://www.tracor.ufsc.br/seminario/uploads/texto/texto_olohan-and-baker-across-langs_2011_

05_29_20_27_39.pdf (2016年1月23日).

平子義雄(1999)『翻訳の原理』大修館書店

堀口和吉(1978b)「指示語の表現性」(金水敏・田窪行則編『指示詞』第1期第 7 巻) pp.74-90. ひつじ 書房

池上嘉彦 (2002)『自然と文化の記号論』 pp. 126-127 財団法人放送大学教育振興会

池上嘉彦 (2003) 「言語における<主観性>と<主観性>の言語的指標(1)」(山梨正明ほか(編)『認 知言語学論考』)pp. 1-49. ひつじ書房

金水敏・田窪則幸 (1990) 「談話管理理論からみた日本語の指示詞」(金水敏・田窪行則編『指示詞』

第1期第7巻) pp. 123-149. ひつじ書房

金水敏 (2015)「日本語の文とその構造」月本雅幸『日本語概説』 pp. 64-80一般財団法人 放送大学 教育振興会

小山亘 (2008) 『記号の系譜:社会記号系言語人類学の射程』三元社

小山亘 (2009) 『記号の思想 現代言語人類学の一軌跡:シルヴァスティン論文集』 pp. 124-126.

久野暲 (1973)「コ・ソ・ア」(金水敏・田窪行則編『指示詞』第1期第7巻) pp. 69-73. ひつじ書房 黒田成幸 (1979) 「(コ)・ソ・アについて」(金水敏、田窪行則編『指示詞』第 1 期第 7 巻) pp. 91-104.

ひつじ書房

三上章 (1970) 「コソアド抄」(金水敏・田窪行則編『指示詞』第1期第7巻)pp. 35-37. ひつじ書房 南不二男 (1994) 『日本語の構造』(第10版)大修館書店

阪田雪子 (1971) 「指示語『コ・ソ・ア』の機能について」(金水敏・田窪行則編『指示詞』第1期第7巻)

pp. 54-68. ひつじ書房

吉本啓 (1992) 「日本語の指示詞コソアの体系」(金水敏・田窪行則編『指示詞』第 1 期第 7 巻)pp.

105-122 ひつじ書房

(20)

84

参照

関連したドキュメント

We show that a discrete fixed point theorem of Eilenberg is equivalent to the restriction of the contraction principle to the class of non-Archimedean bounded metric spaces.. We

Instead an elementary random occurrence will be denoted by the variable (though unpredictable) element x of the (now Cartesian) sample space, and a general random variable will

A wave bifurcation is a supercritical Hopf bifurcation from a stable steady constant solution to a stable periodic and nonconstant solution.. The bifurcating solution in the case

Answering a question of de la Harpe and Bridson in the Kourovka Notebook, we build the explicit embeddings of the additive group of rational numbers Q in a finitely generated group

Then it follows immediately from a suitable version of “Hensel’s Lemma” [cf., e.g., the argument of [4], Lemma 2.1] that S may be obtained, as the notation suggests, as the m A

In our previous paper [Ban1], we explicitly calculated the p-adic polylogarithm sheaf on the projective line minus three points, and calculated its specializa- tions to the d-th

Our method of proof can also be used to recover the rational homotopy of L K(2) S 0 as well as the chromatic splitting conjecture at primes p > 3 [16]; we only need to use the

After proving the existence of non-negative solutions for the system with Dirichlet and Neumann boundary conditions, we demonstrate the possible extinction in finite time and the