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言語別南アジア文学ガイドブック

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言語別南アジア文学ガイドブック

粟屋利江・太田信宏・水野善文 編

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――『言語別南アジア文学ガイドブック』を手にとった読者に向けて――

本書は,南アジアと文学,そのどちかか両方に興味や関心がある方に向けて 書かれている。文学に関心があり,日本国内外の作品に相当親しんでいる方に とっても,インドをはじめとする南アジアの文学は決して馴染みが深いもので はないであろう。いくつかの文学作品は日本語に翻訳されているし,『マハー バーラタ』,あるいは,『シャクンタラー』のように高校で習う世界史でその題 名が言及されているような作品が無いわけではない。しかし,それらの作品 は,広大な南アジア文学世界のほんの一部にすぎない。文学に関心のある方に 南アジア文学世界の全体的な見取り図を提供し,その中に分け入るために役立 つガイドとして,本書は書かれている。南アジア文学のような「未知」のもの に接することは,文学とは何かをあらためて考える良い機会となるのではなか ろうか。慣れ親しんだ文学とは違う文学にふれてみることは,無意識のうちに 作り上げてしまっているかもしれない文学についての先入観や価値観を問い直 すきっかけになる。文化が地域や時代によってさまざまであるように,文学の あり方もまたさまざまなのである。特定の文学を「極める」ことも文学の楽し み方のひとつだが,この地球上にある多様な文学を「かじる」こともまた面白 かろう。それは,慣れ親しんだ文学のジャンルや表現・叙述形式,主題を相対 化し,新しい視点から捉えることを可能にするかもしれない。

インドをはじめとする南アジア諸国には毎年,日本から大勢の観光客やビジ ネスマンが訪れる。その意味で,南アジアは決して遠い地域ではなく,政治や 経済,歴史,宗教を紹介する本も多い。しかし,文学を紹介する本は多くはな い。南アジアに既に関心がある方に,南アジア現地の人によって書かれた文学 作品を紹介し,南アジアにアプローチする経路のひとつとして文学がもつ可能 性を示すこと,それが本書のもうひとつの目標である。

例えば,イギリス植民地支配下にあった 19 世紀後半以降のインド社会の動

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向のひとつとして,「ダリト」と呼ばれる人々が反差別の声を上げる動きがあ る。「ダリト」とは,もともとは「踏みにじられた(もの),虐げられた(も の)」を意味し,カースト制の序列のなかで最下層に位置付けられ,厳しい差 別と賤視の対象とされてきた不可触民を指すが,論者によっては,社会の最底 辺で貧困と抑圧に苦しむ人々を含めた用語として使われる場合もある。植民地 支配が終焉を迎え,カースト差別と不可触民制を禁止するインド憲法が制定さ れたあとでも社会的な差別が続く一方,反差別の運動は勢いを増し,20 世紀 末までにはダリトの政治的台頭が顕著になっていった。そうしたダリトの反差 別の主張を社会に伝える媒体のひとつが,文学であった。1960 年代にマラー ティー文学で生まれたダリト文学は,ほどなくしてその他のインド諸語の文学 に広がった。ダリト自身の声であるダリト文学は,彼らの状況や動向を内在的 に理解するための重要な助けとなるであろう。

また,南アジア社会を分析,理解する視角として,ジェンダーの重要性が近 年,指摘されている。南アジアの文学作品の多くは男性により,男性の視点で 書かれてきた。そうしたなかでイギリス植民地期には,変容する社会のなかで の女性のおかれた状況を問う作品が出現し,独立後には,女性による文学作品 も増加している。文学は,南アジア社会におけるジェンダーとその歴史的変化 を考察する重要な材料と言える。ここでは,ダリトとジェンダーを例として挙 げたが,文学が文学ならではの光を当てることができる社会の側面や課題は,

他にも多く存在するであろう。

本書は南アジアの文学を紹介するが,肝心の「南アジア」と「文学」につい て,簡単にでも説明する必要があろう。「南アジア」とは,歴史的な地域とし ての,つまり,文化的,地理的にゆるやなかまとまりをもった世界としてのイ ンドのことである。その範囲は,現在の南アジア地域協力連合(SAARC)加 盟国の領土を合わせたものとほぼ重なる。なお,後続の章のなかでは,インド は,南アジアに相当する歴史的地域として以外に,現在の独立国家であるイン ド共和国,あるいは,イギリス植民地期のインドの意味でも用いられている。

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文脈から誤解はないと思うが,念のため,記しておく。

「文学」とは,『広辞苑』によれば,「言語によって人間の外界および内界を 表現する芸術作品」のことであり,「詩歌・小説・物語・戯曲・評論・随筆な どから成る」。この定義に近い南アジア諸語の言葉としては「サーヒティヤ」

があるが,サーヒティヤがこうした文学の総称的な意味で一般的に用いられる ようになったのは,おそらくは近代以降,英語のliteratureの用語・概念がイ ンド社会にある程度浸透してからのことであろう。近代以前の南アジアには,

個別のジャンルや形式の文学作品を指す名称はあったものの,それらをひとつ にまとめる「文学」のような包括的な範疇・概念は未発達だったことが想像さ れる。こうした状況を考慮し,本書では,「文学」の範囲を揃えたり,定めた りすることはしなかった。つまり,どこまでを「文学」とするかは,各章執筆 者の判断に委ねられている。その判断は,それぞれの言語の文学的伝統と無関 係ではなく,「文学」の範囲のずれにも南アジア文学の多様なあり方が現われ ていると言えよう。『マハーバーラタ』や『ラーマーヤナ』のような叙事詩,

恋愛をテーマとする抒情詩だけでなく,神々をたたえる賛歌,ヒンドゥー教を はじめとする各宗教の聖典,神話や宗教指導者の伝記,歴史書,さらには,学 術書の一部も,「文学」に数えられる可能性がある。なお,「叙事詩」や「抒情 詩」は,西洋の詩文学の分類に倣った多分に便宜的な分類であり,近代以前の 南アジアにそれらに対応する用語・概念はなかった。例えば,二大叙事詩と並 び称される『マハーバーラタ』と『ラーマーヤナ』であるが,前者は「イティ ハーサ(歴史書)」,後者は「カーヴィヤ(詩文学)」に伝統的に分類されてきた。

南アジアには文字で記された文学作品の長い歴史をもつ言語だけではなく,

それ以外の,場合によっては伝統的に文字をもたない言語も数多い。本書では そうした言語のいくつかについても章をもうけ,口頭で伝承される(されてき た)民謡や民話を中心にそれらの「文学」を紹介している。こうした口承文学 を内包して,多様な南アジア文学の世界は形成され,現在も存在している。文 字化された文学の長い歴史をもつ言語であっても,口承がその文学伝統の発 展・存続に一定の役割を果たしてきたことは言うまでもない。民衆的な口承の

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文学が,文字化されてエリートの文学の一部にとり入れられ,書承される場合 もあった。そうした口承と書承,民衆とエリートの双方向的な交渉が,いくつ の章で具体的に触れられている。

本書は,基本的に言語別に章が分かれている。よく知られているように,南 アジアでは非常に多くの言語が用いられている。多言語状況のなか,インド共 和国は憲法でヒンディー語を連邦公用語と規定している。しかし同時に,国民 の半数を超える非ヒンディー語話者の存在に配慮し,また,中央と各地方の州 政府との連係に齟齬が生じないようにするための暫定的な措置として,旧植民 地宗主国イギリスの言語であり,植民地時代の統治言語であった英語が準公用 語に定められている。将来的にはヒンディー語を唯一の公用語とすることをう たう一方で,諸言語のなかで,話者人口数や歴史的・文化的重要性に鑑みて,

公用語問題を議論する際に特に考慮すべき言語を指定している。憲法制定時 は 14 言語であったが,その後追加され,現在では 22 言語が指定されている。

これらの言語の多くは州政府の公用語とされ,本書でその文学が紹介されてい る。パキスタンではウルドゥー語が国語に定められているが,それ以外の言語 を母語とする人々が多い。ウルドゥー語を含むパキスタンの主要言語は,分離 独立の歴史的経緯からして当然ではあるが,インドのそれとほぼ重なる。パキ スタンから独立したバングラデシュの公用語であるベンガル語も,インドの主 要言語のひとつで西ベンガル州の公用語である。スリランカのシンハラ語,

ネーパールのネワーリー語,ブータンのゾンカ語など,その他の南アジア諸国 の主要言語による文学も,章を立てて取り上げた。ある言語が複数の国家で用 いられている場合でも,国家ごとに別々に章を設けることはせず,ひとつの章 のなかで,各国の文学作品を取り上げて紹介している。

言語別の各章は,近代以前から近現代に至る文学史の叙述が中心的な部分を 占めている。いくつかの章では,執筆者が選んだ特定の作家や作品が詳しく紹 介され,作品の抄訳も含まれる。それぞれの章の末尾には,当該言語の文学に ついてもっと知りたい読者のために,研究書や日本語(一部は英語)への訳

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書,オンラインのサイトを紹介するガイドを置いた。本書は,具体的な作家と 作品の紹介に重点を置き,作品の内容が非常に大まかにでも分かるように記述 することを全体の方針とした。文学史の叙述を中心にしたのは,各言語の文学 世界の全体像を大掴みにでも示すことを優先したためである。そのため,文学 的な表現や叙述の技法などはほとんど触れられていない。興味のある作家や作 品の詳細ととともに,各章のガイドに挙げられている研究書を参照してもらい たい。

各章では,基本的に言語毎に文学史が叙述される。そうした言語別の文学史 叙述の欠を多少なりとも補う意味も込めて,ここで南アジア史の流れのなかで 諸言語による文学がどのように登場したのかを,言語の違いを超えた共通の文 学史的な動きや影響関係とあわせて,簡単にではあるが整理しておきたい。

インドの文学の歴史は,中央アジアから来住した「アーリヤ人」の神々への 賛歌を集成した『リグ=ヴェーダ』をはじめとするヴェーダ文献により始ま る。ヴェーダ文献の言語はその後,文法が体系化され,サンスクリット語とし て確立した。紀元前後のころまでには,聖典以外にも,諸学問の文献や伝記・

物語などがサンスクリット語で書かれるようになる。一方,前 3 世紀,インド 最初の「統一王朝」であるマウリヤ朝のもとで,有名なアショーカ王の碑文が 主にプラークリット語で書かれ,同じころに起源をもつ部派仏教の聖典はパー リ語で編まれた。

中央アジアから進出したクシャーナ朝が北インドを支配した 1,2 世紀頃,

サータヴァーハナ朝のデカンの宮廷ではプラークリット文学が,南端部では タミル文学が開花した。4 世紀に成立したグプタ朝の時代,サンスクリット語 による美文的,修辞的な韻文詩(カーヴィヤ)が発展し,グプタ朝衰退後も,

各地の王国のもとで,サンスクリット語カーヴィヤがインドの多くの地域に広 がった。そうしたなか,9 世紀頃から,タミル語以外の,特定の地域に話者が 集中する地域語でも文学作品が書かれるようになる。

初期の地域語文学を内容・題材から見たときに目立つのが,サンスクリット

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語の二大叙事詩『ラーマーヤナ』と『マハーバーラタ』に依拠した作品の多さ である。『マハーバーラタ』は,太古の昔,北インドのガンジス川上流域を支 配したバラタの一族内で,従兄弟同士が王位をめぐり争ったことが物語の軸で あるが,途中,ヒンドゥー教の神話や伝承,物語が数多く挿入されている。ま た,最後の決戦をひかえ,一族同士が殺し合うことに逡巡するアルジュナに対 して,クリシュナ神が行った説諭は『バガヴァッド・ギーター』の名で独立し た聖典としても知られている。バラタ一族内の王位争いという中心の物語だけ でなく,途中に挿入された神話・物語も,多くの地域語でさまざまなジャン ル・形式に翻訳された。ただし,翻訳といっても,原典に忠実なものではな く,物語の筋や登場人物の性格,場面描写などに原典とは異なる部分がしばし ば見られた。つまり,翻訳と言ってもそれはある種の創作であり,「翻案」と 呼ぶことの方がより適切と言える。『ラーマーヤナ』は,羅刹王ラーヴァナに妻 シーターを連れ去られた主人公ラーマが,苦難を乗り越え,猿の王などの協力を 得ながら妻を奪い返す物語である。このラーマの物語も人気が高く,さまざま な言語でその全体や一部が翻案された。二大叙事詩を翻案した地域語文学作品 は,それぞれの言語の文学において「古典」として位置づけられることが多い。

13 世紀初頭にデリー・スルタン朝が成立すると,その統治や政治的発信の 言語媒体とされたペルシア語による文学が,南アジアでも本格的に普及するこ とになる。14 世紀中頃,デリー・スルタン朝が弱体化して地方王国が分立す るようになり,バフマニー朝にはじまるデカン・スルタン朝では,ウルドゥー

(ダキニー)語による文学が成立,発展した。また,スーフィーと呼ばれるイ スラーム教神秘主義者を中心としたイスラーム教宣教活動が北インドを中心に 盛んに行われた。その活動のなかから生まれたのが,ヒンディー語の方言とさ れるアワディー語による物語文学であった。16 世紀に成立したムガル帝国の もとで,ペルシア語文学が全面的に開花した一方,ヒンディー語の別の方言で あるブラジ・バーシャーによる文学もラージプート諸侯をはじめとする帝国支 配階層の庇護を受けて盛んになり,帝国の拡大とともに,南アジアの多くの地 方へと広がっていった。

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イギリスによるインドの植民地化は,文学にも多面的な影響を及ぼした。活 版印刷は,16 世紀以降,キリスト教宣教師たちによってインドに持ち込まれ たが,本格的に普及したのは,植民地期の 19 世紀になってからである。印刷 術と出版文化の普及は,各言語で綴りや文法の画一化を促した。植民地当局や キリスト教宣教師による南アジア諸語の辞書と文法書の編纂も,南アジアの諸 言語,さらには,文学のあり方に影響を及ぼした。また,植民地統治に必要な 人材を養成することを目的とした英語教育の普及により,英語文学の内容や形 式・ジャンル(小説など)が,インド諸語の文学に大きな影響を与えるように なった。

19 世紀後半から活発化する民族主義・独立運動は,各地でそれらに影響さ れた文学を生み出した。また,1920 年代から世界の潮流に合わせるようにイ ンドでも盛んになった共産主義・社会主義運動は,南アジア各地で多くの作家 から賛同と支持を集めて,大きな文学運動――進歩主義(作家)運動――をひ き起こした。労働者や社会的弱者の世界や視点を文学にもたらしたが,この運 動や運動が生んだ作品の歴史的評価はさまざまである。

植民地期後半には,南アジア現地の作家による英語文学も見られるように なった。イギリス植民地支配が終焉した後も,インドでは英語が公用語に準じ る言語として位置づけられたことは既に述べた。近年のグローバル化のなかで 英語の重要性は増すばかりであり,インド国内での英語による文学の創作・受 容ともに盛んである。海外在住の南アジア系英語作家の活躍も著しい。これら をあわせた広い意味での南アジア英語文学が国際的に評価されるとともに,南 アジア諸語による文学にも国際的な注目が徐々に集まるようになり,より多く の作品が英語に翻訳されるようになっている。

なお,複数の章で言及されているが,独立以後のインド共和国では,イン ド諸語とその文学の発展において,文学アカデミー(Sahitya Akademi)が一定 の役割を果たしてきている。同様の組織・団体として,パキスタンにはパキ スタン文学アカデミー(Pakistan Academy of Letters)がある。バングラデシュ ではパキスタンからの独立以前に設立されたバングラ・アカデミー(Bangla

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Academy)が,ベンガル語とその文学・文化の発展に貢献してきている。これ らのうち,インドの文学アカデミーは中央の連邦政府によって 1953 年に設立 され,国内主要言語の有名な作品の英語や地域語への翻訳を推進し,英語抄訳 を収録した選集の編纂,出版も行っている。また,言語毎に優れた文学作品に 対して賞を毎年授与している。インド共和国の文学賞としては,言語を問わ ず,原則として毎年一人の作家に与えられるギャーンピート(Jñānapītha,  知の 座)賞(初回は 1965 年)も有名である。

近代以前の南アジアにおいて,読み書きの能力は,一部のエリートに限られ ていた。英語による高等教育を優先したイギリス植民地支配のもとで,その状 況はおおきく変わることはなかった。例えば,1901 年の時点でも,国勢調査

(センサス)によれば,インド全体の(全人口に対する)識字率は僅か 5.4%で あった。女性に限れば,その数字はさらに下がって 0.6%となる。識字の能力 は,一握りの人間の特権であり,女性や下位カースト,不可触民には縁遠いも のであった。インドをはじめとする南アジア諸国の識字率は,現在でも,いわ ゆる「先進国」に比べれば低い。しかし,近年,国や地域によって差はあるも のの識字率は上昇傾向にある。インドの 2011 年国勢調査によれば,全国平均 の(全人口に対する)識字率は 64.3%に達している(7 歳以上の人口に対する 識字率は 74.0%)。男女差は依然としてあるものの,女性の識字率も 57.0%ま で上昇している。インドなどでは経済成長による出版文化の大衆化とあいまっ て,識字率の上昇は文学の読者層を拡大させ,文学のあり方にも影響を及ぼし つつある。

最後に,本書を利用するにあたっての留意点・注意点をいくつか述べたい。

本文中で言及される作家の名前については,初出時に,その作家の言語を書き 記すのに用いられる文字での表記をローマ字転写して示している。転写法は,

各言語・文字に関する一般的な慣行に従ったものとなっている。そのため,転 写法は本書全体で統一されてはない。言語のなかにはスィンディー語のよう に,複数の文字体系で表記されるものもあるが,どの文字による表記をローマ

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字転写で示すかは,各執筆者の判断に委ねた。また,近現代の作家について は,原則として生没年も付記した。

なお,人名を英語文献で表記する際の一般的なローマ字綴りが,インド諸文 字による表記のローマ字転写と異なる場合がある。とくにタミル語やマラヤー ラム語の人名は,両者の間にかなり大きな違いが見られることが少なくない。

本書を手に取った読者が,インターネットや英語文献でさらに情報を集めると きの助けとなるように,各章に登場する文人・作家の名前については,一般的 と思われる英語文献での綴りをまとめて別に示した。

人名や地名などの固有名詞のカナ表記は,原則として,『南アジアを知る事 典』に従っている。また,年代や世紀は,特にことわりがないかぎり,西暦を 意味する。巻末につけた索引は,事項やテーマに限定し,個々の作家や作品の 名前は基本的に含めていない。但し,後世に多大な影響を及ぼし,多くの作品 を生み出す源泉になったような作品――『マハーバーラタ』や『ラーマーヤ ナ』など――と,それらの作者については適宜,採録している。

南アジアの諸言語は,特定地域に話者人口が集中する言語と,話者は社会の 上層の一部に限られるが汎地域的に用いられる言語に大きく二分できる。サン スクリット語,ペルシア語,英語は,後者の代表的な言語である。本書の構成 は,こうした言語の性格の違いを踏まえて,最初に汎地域的な言語による文学 を取り上げ,その後で地域語の文学を取り上げた。後者は,大まかに地域別に 配置してある。地域語の「地域」とは,既に述べたような歴史的世界としての インド=南アジアのなかの地域という意味である。そのため,地域語には,現 在,独立国家の公用語・国語であるものも含まれる。なお,南アジアの諸言語 は大きく四つの言語系統的に分類されるが,この分類は,本書の章構成と直接 的には関係しない。各言語がどの系統に分類されるかは,各章の冒頭にある言 語紹介を参照してもらいたい。

本書が,南アジアの文学への関心を深めるきっかけとなれば幸いである。

編者

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はじめに iii

古典・中世期

サンスクリット文学――教養の宝箱……… 水野 善文…… 3 パーリ語文学――仏典のなかの文学世界……… 水野 善文…… 29 プラークリット諸語の文学――多様な古典語の世界……… 山畑 倫志…… 45 インド・ペルシア文学の世界

 ――新天地に咲き誇った花々の成熟美……… 榊  和良…… 57

中央・全域

インド・イスラーム文化の結晶

 ――ウルドゥー文学の世界……… 萩田  博…… 71 ヒンディー文学の世界――現代インドの心を知る………… 石田 英明…… 93 インド英語文学

 ――民族語文学との確執から世界に向けて……… 高橋  明……113 英語文学における女性作家

 ――アニーター・デーサーイーを中心に……… 松木園久子……133

北 西 部

宗教の違いを超えて――パンジャービー文学の世界……… 岡口 典雄……141 スィンディー文学

 ――インダスが育んだ大地の人びとの声を聞く………… 萬宮 健策……159 カシミーリー文学――歌い継がれたレガシー……… 拓   徹……169

(15)

パシュトー語の文学

 ――アフガニスタンとパキスタンにおける発展過程…… 登利谷正人……181

東    部

ベンガル文学という小宇宙

 ――タゴール,そしてタゴールを超えて……… 丹羽 京子……193 オディアー(オリヤー)語の文学――複合文化の賜物…… 杉本  浄……215

北 東 部

インディラ・ゴッサミの『虫に喰われた象の敷物』

――アッサム文学小史

 ………… シュバ・チョックロボルティ・ダスグプト(丹羽京子訳)……231 ボド語文学――アッサムの先住民の世界……… 桐生 和幸……237 ネパール・マンダラに花開いた文学

 ――ネワール文学の世界……… 桐生 和幸……243 ゾンカ語文学――古典チベット語からの派生と

 独立語としての確立の模索と展望……… 今枝 由郎……253

西    部

マラーティー文学への誘い

 ――サント文学からダリト文学まで……… 小磯 千尋……265 コーンカニー文学――ポルトガル支配の影響……… 松川 恭子……289 グジャラーティー語文学概観――近現代を中心に………… 井坂 理穂……301

南    部

インドの古典語――タミル文学の世界……… 高橋 孝信……321 テルグ文学の歴史――もうひとつの民衆文化……… 山田 桂子……331 カンナダ文学――伝統と革新……… 太田 信宏……343

(16)

マラヤーラム文学の世界

 ――サンスクリット語との交渉から「女流」文学まで… 粟屋 利江……355 シンハラ文学――外来文化の咀嚼と自文化の醸成………… 野口 忠司……371

作家・文人名一覧 391 おわりに 409

索  引 411 執筆者紹介 419

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ギルギット・バルティスターン州 アーザード・ジャンムー・カシミール ジャンムー・カシミー ヒマーチャル・プラデーシュ ウッタラーカン ラージャスター マディヤ・プラデーシュ オディシャー (オリッサ)

グジャラー

ハリヤーナ ウッタル・ プラデーシュ アーンドラ・ プラデーシュ タミル・ナードゥ

イスラマーバード アフガニスタン パキスタン インド スリランカ

ネパール ブータン

バングラ  デシュ

シンド州 カラーチー アフマダーバード マドゥライ

ハイダラーバード

カタック

コルカタ(カルカッタ) プリー チェナイ(マドラス)

ムンバイー(ボンベイ)

プネー

西ベンガル州

ジャールカ

シッキム州メーガーラヤ州

アッサム州 アルナーチャル・ プラデーシ ナガラン マニプ ミゾラ トリプ ゴア州 カルナータカ州 ケーララ州

テランガーナ州

パンジャーブ州

ラーホール パンジャーブ バローチスターン州ムルターン デリー バールフト

ラクナウー バナーラス

ギルギット・バルティスターン州 アーザード・ジャンムー・カシミールハイル・ パフトゥンフハイバル・ パフトゥーンフワー州 ジャンムー・カシミール ヒマーチャル・プラデーシュ州 ウッタラーカンド ラージャスターン マディヤ・プラデーシュ州 オディシャー (オリッサ)州

グジャラート

ハリヤーナー ウッタル・ プラデーシュ州 アーンドラ・ プラデーシュ州 タミル・ナードゥ州

イスラマーバード アフガニスタン パキスタン インド スリランカ

ネパール ブータン

バングラ  デシュ

シンド カラーチー アフマダーバード マドゥライ

ハイダラーバード

カタック

コルカタ(カルカッタ) プリー チェンナイ(マドラス)

ムンバイー(ボンベイ)

プネー

チャッティースガル州チャッティースガル

西ベンガル

ジャールカン

ビハール州ビハール

シッキムメーガーラヤ

アッサム アルナーチャル・ プラデーシュ ナガランド マニプル ミゾラム トリプラ ゴア州 カルナータカ ケーララ

マハーラーシュトラ州マハーラーシュトラ テランガーナ

パンジャーブ

ラーホール パンジャーブ州 バローチスターンムルターン デリー バールフト

ラクナウー バナーラス 国境 未確定の国境 州境 本書で言及される主要都市

(19)
(20)

古典・中世期

(21)
(22)

『雲という使者』

 自らの義務を怠った一人のヤクシャ(夜叉)が,主(クベーラ神)か ら,愛しい妻との一年間もの別離という過酷な仕打ち ( 流罪 ) を受けて,

意気消沈したまま,ジャナカの娘(シーター妃)が沐浴して清まった泉が あり,鬱蒼と樹木茂るラーマギリ山の四阿を寓居となしました。(1)

 最愛の妻と離ればなれで,思いが募るばかりのその者は,その山で数ヶ 月過ごすと,金の腕輪がずり落ちて前腕には何もありません(やせ細って しまった)。アーシャーダ月(西暦の 6−7 月,雨期の到来),山頂を覆っ た雲が,まるで牙を土饅頭に打ち付ける遊びをしようと屈んだ象のように 見えたのでした。(2)

 郷愁あおるその(雲の)まえで,やっとのことで立ち上がって王の中の Saṃskṛta サンスクリット語

 紀元前 3 世紀頃北西インドに出た文法学者パーニニ (Pāṇini) によって,イン ド・ヨーロッパ語族インド・イラン語派の系統で先行したヴェーダ語などを もとに文法体系が整えられてなった言語。12 世紀ころまでは,多言語社会の なかでリングア・フランカとして機能していたが,文化の記録媒体としての 役割は現代も持続している。インド憲法第 8 附則に指定されているが,2011 年の国勢調査によればインド全土で 24,821 人が母語話者として記録されて いる。一般にデーヴァナーガリー文字で表記される。

サンスクリット文学

――教養の宝箱――

水 野 善 文

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王(クベーラ)の従者(ヤクシャ)は,涙をこらえて長いあいだ考えまし た。幸せ絶頂の人の心でさえ,雲を見ると,尋常でなくなるものだから,

ましてや〔愛しの人と〕遠く離ればなれで,かき抱きたいと熱望するもの においては如何ばかりでありましょうか?(3)

 雨季が近づいて来たので,せめて愛しい妻の命の糧になればと,自分が 息災でいる便りを,雲に託してもたらしてもらおうと,そのヤクシャは,

芽吹いたばかりのクタジャ(kuṭaja)の花を捧げて,嬉しそうに,親愛こ めて歓迎の言葉をのべたのです。(4)

 煙と光と水と風が混じっただけの雲と,鋭敏な感官をそなえた生き物

(人間)によって託されるべきものとは,相容れないものだなどというこ とは,欲求募ったヤクシャには,思いも及ばず,その雲に頼みこんだので した。何故なら,愛に溺れる者たちは,あたりまえのように,感官をもつ ものと持たないものとを峻別しないものだから。(5)

 「あなた様は,インドラ神の筆頭侍従で,変幻自在に姿を変えられるプ シュカラーヴァルティカの家系のお生まれだと存じております。ですの で,運命によって妻と離ればなれの私は,あなた様にお願いしようと思う のです。願い事というものは,たとえ実を結ばなくとも,徳のたかい人に するのが良いのです,最低の人に頼んで叶うよりも。(6)

 思い焦がれる者たちにとって,あなた様は頼れるお方。ですから,雲 様!財宝の神(クベーラ神)によって引き裂かれた私の,愛する妻への伝 言を運んでください。アラカーという名の,ヤクシャの主の住まいに行っ てください。そこには,外苑に出られたシヴァ神の頭上の月の光に照らさ れた宮殿があります。(7)

 風の通り道に就いたあなた様を,夫が出稼ぎ中の妻たちは,巻き毛の先 を搔き上げて,〔雨季には必ず帰省してくれるという〕信念ゆえに息をふ き替えしながら見るでしょう。あなた様が雨を降らす準備をしたら,どの 男が離ればなれで寂しがっている妻をみとめるでしょうか?〔どの妻もじ きに再会できると喜んでいるはずです。〕私のように,自分の思いのまま

(24)

にならない生活をおくっている者は他にいないだろうから。(8)

   <中略>

 農耕の収穫はあなた様に依存しているから,媚びる目つきも知らず歓喜 にむせぶ,村の女たちの眼に凝視されて,あなた様は,鋤で掘り起こされ て地面が馨しいマーラ地方を覆って,幾分西へ,それから北へと歩を進め てください。(16)

   <中略>

 四方に知れ渡った,かのヴィディシャーという名の都に行って,たちま ちのうちに愛欲をもたらす大いなる果実を得るでしょう。なんとなれば,

岸から遠いところでは囂々と流れながらも,〔岸辺近くでは〕甘く細やか なヴェートラーヴァティー川(今日のベートワー川)の水を飲むからで す。まるで,眉を顰めた〔女の〕顔のような。(25)

   <中略>

 髪を薫らす香煙が窓格子から立ちのぼって,〔雲であるあなたは〕身体 が大きくなり,友情だからと,飼育されている〔雨季に発情する〕孔雀た ちから踊りという贈り物を贈られ,旅に疲れたあなたは,花によって芳し く,愛らしい女の足の赤い化粧粉がついた御殿で疲れを癒し,主(シヴァ 神)の喉の色(青)だと,神々によって恭しく認められつつ,あなたは,

三界の長チャンダー(シヴァ神妃)の夫君(シヴァ神)の清き神殿に立ち 寄るべきです。〔そこでは〕水百合の花粉の芳香漂い,水掛遊びをおえて 沐浴する乙女たちの香りがするガンダヴァティー川の風で園が揺れていま す。(35‑36)[Kale 1979: 1-10, 33-35, 47-48, 63-65]

ここに紹介したのは,サンスクリット文学が生んだ最大の詩聖カーリダーサ

(Kālidāsa,4 世紀頃)に帰せられる作品のなかでも,最高傑作とされる抒情詩 篇『雲という使者』(Megha-dūta)の冒頭部分の,筆者による抄訳である。こ れは,島流しの罰を受けたヤクシャ(夜叉)が,故郷に残した最愛の妻に息災 を伝えるべく,モンスーンの,今まさに北上しようとする雲に託した伝言より

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なる詩篇である。版によって異なるが全 120 ほどの詩節のうち,前半は故郷ま での道案内となっており,上空から鳥瞰する地上の自然美が,ときに,片時も 頭から離れない妻の女性身体美と重ねあわされるなど,技巧に満ちた比喩表現 で語られる。豊かな表現が重んじられるサンスクリット文学の極地とも言え,

評価も高く,1813 年イギリス人インド学者 H. H. ウィルソンが英訳を刊行す るや,それを介してドイツの文豪ゲーテも喝采したと言われる[辻 1973:  57‑

58]。サンスクリット文学における抒情詩のルーツも望郷の念をうたう牧歌的な ものだったと思われるが,そうした文学全般にわたる歴史的様相は後述するこ とにして,カーリダーサはカーヴィヤ(kāvya)と呼ばれるサンスクリット美 文学の諸ジャンルをほぼ網羅するように作品を残しているので,紹介しておこ う。

カーリダーサの生涯については詳らかではないが,350 年から 450 年の間に 生存し,グプタ期,ウッジャイニー(現ウッジャイン)に主に居住し,チャ ンドラグプタ 2 世(在位 376‑415)に仕えた詩人だとみられている[辻 1973: 

42‑44]。彼に帰せされる作品のうち,抒情詩には抄訳紹介した『雲という使 者』の逆ヴァージョン,つまり留守宅の女性から出稼ぎ先の夫への伝言とい う体裁で 22 詩句からなる『破れ水瓶』(Ghaṭa-karpara),インドの 6 つの季節

(春/夏/雨季/秋/冬/寒季)のそれぞれの風物詩を,我々の俳句におけるのと 同様に季語を織り込むようにして詠った計 153 詩節からなる『季節の巡り』

(Ṛtu-saṃhāra)があるが,いずれも真作である確証はない。

戯曲作品としては,普く世界に知られた『シャクンタラー姫』(Abhijñāna- śakuntalā,  思 い 出 の シ ャ ク ン タ ラ ー), ヴ ェ ー ダ 祭 式 文 献 ほ か 諸 種 の 文 献 に 物 語 が 存 在 が 知 ら れ て い る『 武 勲 王 に 契 ら れ し 天 女 ウ ル ヴ ァ シ ー』

(Vikramorvaśīya), お よ び『 公 女 マ ー ラ ヴ ィ カ ー と ア グ ニ ミ ト ラ 王 』

(Mālavikāgnimitra)の三作品がある。ラーマ物語を 19 章からなる叙事詩に仕 立て直した『ラグの系譜』(Raghu-vaṃśa)と,おなじく叙事詩の体裁でシ ヴァ神とその妃パールヴァティー(ヒマーラヤの娘ウマー)の間に産まれる軍 神スカンダの誕生を描く『クマーラ神の誕生』(Kumāra-saṃbhava)があるが,

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後者は全 17 章中第 8 章までが真作であり残りは後世追補されたことが明らか だと言う。

王宮サロンの娯楽・カーヴィヤ文学 

カーリダーサを代表とする古典期の,具体的には紀元前 2 世紀頃から紀 元後 12 世紀頃までの,豊かな表現で鑑賞に供された文学のことをカーヴィ

ヤ(kāvya)と呼ぶ。詩人(kavi)が創作したものがカーヴィヤであるが,

そのカヴィとは,宇宙を形作る能力をもつ神の意から派生して,天賦の才に 与り百科万般の知識(medhā)をもつ詩人かつ歌い手である者のことを指す

[Shende 1967: 1-2]。祭式を扱うヴェーダ文献が天啓書とされ,神がカヴィで あり,朗詠するのは祭官たちだったのに対して,同じくカヴィと呼ばれるも ののカーヴィヤの創作者であるカヴィたちは,王宮などにおいて教養人が集 まって催される歌会などにおいて文芸を披露することを生業としていた者たち だ。時代は下るが,12 世紀カシュミールのマンカ(Maṅkha)もしくはマンカ

カ(Maṅkhaka)という名の詩人による『シュリーカンタチャリタ』(Śrīkaṇṭha-

carita)第 25 章にはサバー(sabhā)と呼ばれる歌会の際,宮廷詩人のほか,寺 院付きの詩人(プラーナ読誦者),哲学者,政治顧問,祭官,医師,教師など が一堂に会した様子が看取できる。

カーヴィヤは,「聴くためのカーヴィヤ」すなわち抒情詩・叙事詩と「見る ためのカーヴィヤ」すなわち戯曲とに大別される。言語は必ずしもサンスク リットに限られたものではなく,とりわけ戯曲作品には登場人物の台詞に諸プ ラークリット語(口語に近い,方言ともいえる諸言語だが,口語そのものでは なくあくまでも文語に他ならない)が用いられている。形式も韻文のみなら ず散文,さらにはそれらの混淆した作品もある。本邦の和歌・俳句に相当し 一詩節あるいは数詩節がイコール一作品となりうる抒情詩作品をラグ(小)

カーヴィヤ(laghu-kāvya),これにたいして比較的大部からなる作品がマハー

(大)カーヴィヤ(mahā-kāvya)である。後者のなかに,章立てなどの諸規定

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に合致した叙事詩(sarga-bandha),散文を主としたフィクション作品カター

(kathā,物語)およびノンフィクション作品アーキャーイカー(ākhyāyikā,実

話),さらに散文と韻文が織り交ぜられているチャンプー(campū)という下 位のカテゴリーがある[Lienhard 1984: 47, 159-160]。

ボトム・アップの文芸史 

サンスクリット文学の洗練された豪華絢爛たる世界は,何と言ってもこの カーヴィヤ世界であるが,果たして,その高尚な文化サロンは民衆文化と隔絶 した雲上の世界であったのだろうか? 確かに,洗練された言語,表現,レト リックによって飾られた美文学の世界ではあるが,どうも,文学の楽しみ方が 我々とは異なっていたようだ。我々は大抵,物語のストーリーは勿論のこと,

小説や詩における心理描写・情景描写にも新奇性を求め,自ら体験したり想像 したりしたことのない出来事・シーンに感動し楽しむ。ところが,サンスク リット文芸の鑑賞者たちは,誰もが知っているストーリーであっても全く構わ ない。話の展開が予測できても構わないのだ。むしろ,次にどういう展開にな るか予め分かっていた上で,この詩人はあのシーンをどのような言葉で表現す るのだろうかと期待した。その言語表現が,美しく,かつ百科万般にわたる知 識・教養がさりげなく比喩など,間接的,暗示的表現技巧を用いて織り込まれ ていて,それを鑑賞者が自分の頭脳に蓄積済みの知識・教養でもって察知でき ると,快感・至福を感じるのである。

だから,時代が降るにつれて,ますます奇を衒うようになり,技巧優先の 傾向が強くなったと言われる[辻 1973:  4]。例えば,日本語の掛詞のように 一語あるいは句で二つ以上の意味を持たせるシュレーシャ(śleṣa)や語句や 単語の一部の数音節が全く同じ音の組み合わせが繰り返されて聞こえるヤマ

カ(yamaka)といった技法を駆使する作品が 11−12 世紀には多数創作され

た。作品の最初から最後まで全ての文章(詩節)がシュレーシャで創作されて おり,つまり全編に二重の意味が重ねあわされているので,最初に『マハー

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バーラタ』のストーリーで読んだら,二度目には『ラーマーヤナ』のストー リーで,というように二大叙事詩双方のストーリーで読める『ラーガヴァパー ンダヴィーヤ』(Rāghavapāṇḍavīya,別名Dvisandhāna)[Lienhard: 222-225]や

『ラーマ(パーラ)チャリタ』(Rāma(pāla)-carita)などの作品がある[バシャム 2014: 414‑415; ヴィンテルニッツ 1966: 69‑70]。

こうした技巧優先の傾向を,文学作品の題材・内容・形態を制約してしまう ほどの伝統主義に起因していると見る向きもあるが,やはり知識・教養を身に つけた者たちが求める,鑑賞時に理解・堪能できるという知的快感が,そうし た嗜好を生んだように思えてならない。

そうした視点から改めて文学・文芸史を眺めてみると,ボトム・アップの流 れが見えてくるのだ。どういう事情か,ジャンル毎に状況は少々異なるような ので,個別に見ていこう。

抒情詩 

カーヴィヤの原初的な形は,和歌・俳句のように,短い一つの詩で一つの世 界を醸し出す作品であったろうと言われる。祭式中心のヴェーダ社会が自省的 考察を始めて諸ウパニシャッドを産み出すようになった,紀元前 7−6 世紀頃 から,バラモン以外の王族や農民たちも文芸を嗜むようになり,素朴な比喩表 現を用いて自然を描く牧歌や,愛する人との別離の悲しみを読み込む恋愛詩を 創作し始めたと思われる。それらは神に向けられたヴェーダ讃歌とは性格が全 く異なるものであった[Lienhard 1984: 53-57]。

抒情詩集作品で最も古いのは,パーリ語による原始仏典の一部をなすもの であるが,仏教教団に加わった男女による優れて詩的な自然描写や回想など を読んだ詩節の集成『仏弟子の告白』(Thera-gāthā)と『尼僧の告白』(Therī-

gāthā)である。(詳細は「パーリ語文学」の章を参照されたい。)

まさしく牧歌集であり,また愛する人への思いが込められた歌なども多く 含む『七百詩集』(Sttasaī)は,デカン・アーンドラ朝の王ハーラ・サータ

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ヴァーハナ(Hāla Sātavāhana,1‑2 世紀)の編集とされるが,プラークリット のひとつマハーラーシュトリー語で創作されている。子音が少なく母音連続が 多いプラークリット諸語の言語的特徴が,シュレーシャ(掛詞)などの技巧的 表現に有効で,抒情詩の創作に適していたと言われる。

七百詩集という体裁は,12 世紀ベンガルのセーナ朝ラクシュマナ・セーナ 王の五宝(pañca-ratna,5 人の才能あふれる宮廷詩人)のひとりゴーヴァルダ ナ(Govardana)がサンスクリットでアーリヤ韻律を用いた『アーリヤ調七百

詩集』(Ārya-saptaśtī)に,さらには 17 世紀ブラジ地方のヒンディー詩人ビ

ハーリー・ラール(Bihārī Lāl)の『サトゥサイー』(Satsaī,『七百詩』の意)

へと踏襲される。これらの詩集における恋愛詩の共通点は,各個の詩が,男性 主人公,その恋人や配偶者である女性主人公,女性主人公の女友達の三者のう ちのいずれか二者間に交わされる台詞の体裁をとっていること,そして男女の 名前は,男女を識別するため定型名として使われるクリシュナとラーダーであ ることだ。(ヒンドゥー神話においては,ヴィシュヌ神の化身クリシュナとそ の恋人のラーダーが良く知られているが,これらを指しているわけではない。)

二人の男女が,ヴィシュヌの化身であるクリシュナおよびその恋人ラーダー と同値されるのは,同じ 12 世紀ベンガル,ラクシュマナ・セーナ王の五宝の もう一人ジャヤデーヴァ(Jayadeva)が創作し,後世の演劇・舞踊に絶大な 影響を及ぼすことになった『ギータ・ゴーヴィンダ』(Gītagovinda)におい て,ヒンドゥー神話と恋愛抒情詩とが融合してからである。この作品は,ヒン ドゥー聖典集プラーナ文献群のうち南インドで 10 世紀頃に成立したとされる

『バーガヴァタ・プラーナ』(Bhāgavata-purāṇa)第 10 章に語られるクリシュナ 神の行状伝をもとに恋愛抒情詩篇として編まれたのである。この作品以降,恋 愛抒情詩に登場するクリシュナは一介の男性である場合に加えて,神の場合 も,また一般男性と神とを重ね合わせて解釈すべき場合も出てくる。恋愛を純 然と描く抒情詩も,恋愛と信仰心の双方の感情を鼓吹する宗教的抒情詩も創作 されていく。(この『ギータ・ゴーヴィンダ』をもってカーヴィヤ文学の終焉 と見なされることもあるが,これ以降もインド南部で時折復興したヒンドゥー

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王朝下でのサンスクリットによる宮廷文芸活動にカーヴィヤが認められるし,

各種のコミュニティーにおける歌会など,カーヴィヤ文学は今も生きている。)

以上のような抒情詩集作品を時代順に並べてみたとき,サンスクリット語に よる作品に先行してプラークリット諸語によるものが創作されている。このこ とは,先にもふれたように,プラークリットの音組織のほうが掛詞を作りやす く抒情詩創作に好都合であったことのみならず,詠まれる心情は,民衆の中に 生きる名もない純朴な人間たちのものであったことにもよるのだろう。詠み人 知らずのあまたの歌が下敷きとなって,プロおよびセミプロの詩人たちは,よ り美しく詩を詠み,詩集を編むようになっていったのだ。

現実生活のなかでは,出稼ぎのため離ればなれとなり雨季にならなければ戻 らない愛する人を思って息災を伝える便りのように,身の回りの出来事を自分 たちの言葉で,数限りない歌が詠まれたものの,記録されることなく消えて いったことだろう。そうした牧歌的抒情詩の素地があって,洗練されたカー ヴィヤ作品までに昇華したと見なせるものがカーリダーサによる『雲という 使者』であり『季節の巡り』である。前者は「使者文学(dūta-kāvya, sandeśa-

kāvya)」という独自のジャンルを形成するほど後世に影響を与え,17 世紀ヴィ

シュヌ崇拝のチャイタニヤ派に出たルーパ・ゴースワーミー(Rūpa Gosvāmī)

は教派に所属する立場からヴィシュヌの化身であるクリシュナ神話に発想を得 てサンスクリットで『ハンサ鳥という使者』(Haṃsa-dūta)を創作するなど,

この型式に則る作品は枚挙に暇がない。

『季節の巡り』に見られた,牧歌的な風物描写,たとえば発情期を迎えた孔 雀の啼き声が出稼ぎの夫の帰還を期待させる雨季の到来を暗示している表現 など,カーヴィヤの伝統の中に「六季がたり(ṣaḍ-ṛtu-varṇana)」という作品パ ターンを認めうる。だが,これはカーヴィヤ詩人たちが創案した型式というよ りも,むしろ,プラークリットや地方語による民衆的な創作活動のなかから生 まれた型式だと思われる。それが次第に育まれ流行していったので,カーヴィ ヤ詩人たちもそれを採用して作品化した。その一例が『季節の巡り』なのだ。

世間の,そうした文芸は,記録されることなく時代をへて,12 世紀以降,近

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代語の時代になって,「十二ヶ月諷詠(ヒンディー語でバーラー・マーサー

bārāh-māsā)」という,北インド一帯にわたって見られるジャンルを形成する

ことになった。

叙事詩 

『リグ・ヴェーダ讃歌』(紀元前 12 世紀ころから長期間かけて成立)のな かに,例えば,後代にわたって長くモチーフを提供することになるプルーラ ヴァスとウルヴァシーの対話(saṃvāda)[田中 1991:  197‑213]に見られるよ うな,物語性の高い讃歌がすでに存在していたが,同書で讃えられる神々に ついての神話・伝説集である『ブリハッド・デーヴァター』(Bṛhad-devatā,中 核部分は残存せず,1−5 世紀の間に増補された部分が残る)という叙事詩的 要素を持つ補遺文献がある[Tokunaga 1997]。またヴェーダ祭式の意義・目的 などの解説書集成であるブラーフマナ文献群やヴェーダの補助学(vedāṅga) のひとつ,語源学書(nirukta)における意味解釈において,しばしば物語が 例え話として用いられた。そうした物語は,イティハーサ(itihāsa:「このよ うに語ったのだ」という語義),アーキャーナ(ākhyāna:語り伝えられたこ と),プラーナ(purāṇa: 古 のこと),ガーター・ナラーシャンサー(gāthā narāśaṃsā: 偉 人 を 称 え る 偈 ) な ど と 呼 ば れ る[ ヴ ィ ン テ ル ニ ッ ツ 1965: 

1‑5]。さらには,馬祀祭(aśvamedha)という大王が一年掛けておこなう大 規模な祭祀において,宮廷で十夜ごとのサイクルで神々や英雄たちの伝説

(pāriplava ākhyāna)が祭官によって語られた。

一方で,『リグ・ヴェーダ』の成立と時同じくして,祭官たちとは異なる職 業的な語り部たちが登場し,文芸を創作・披露・保持・伝承してきたものと思 われる。そうした文芸が,増補拡大していって成ったのが二大叙事詩である。

基幹をなすパーンダヴァ族とカウラヴァ族との抗争という物語はあっても,そ こに種々雑多な神話・伝説が挟み込まれて 10 万詩節(殆どは 32 音節からな るシュローカという韻律による詩節)にも膨れ上がったのが『マハーバーラ

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タ』(Mahā-bhārata)だ。これに比べ『ラーマーヤナ』(Rāmāyaṇa)は,その ほぼ 4 分の 1 の長さで首尾一貫性があり言語表現も洗練されていることから,

最初のカーヴィヤと評されることもある。主人公ラーマが愛するシーター妃を ランカー島の悪魔ラーヴァナのもとから,スグリーヴァ,ハヌマーンなど猿王 の助力を得て奪還する物語は,こよなく愛好され,無数のヴァージョンのラー マ物語を産み出した。男女の主人公は,ヒンドゥーたちの理想の男性像・女性 像となった。世にインド二大叙事詩として名高いこれら二作品は,いずれも,

長い年月のなかで数多くの詩人たちによって築き上げられたものだった。

仏教が興る前の時代,都市国家の成立や農耕・物流経済の進展のなか,一つ の社会現象とも言えるほどに大量の若者たちが世を捨て,思索にふけった。沙 門(śrāmaṇa)と呼ばれる,バラモンではない知識者たちによってなされた思 索が『マハーバーラタ』の数カ所に組み込まれて残されたという[ヴィンテル ニッツ 1973b:  234‑236]。それらは,仏教聖典に記録されているほか,仏教と ほぼ同じ頃に興ったジャイナ教の諸聖典にも記録されていることから,両宗教 の成立以前の思索とされる。名も知られぬ思索家たちの語りが掬い上げられ た,ボトム・アップの典型である。

これに対して,カーヴィヤ世界における叙事詩は大概,特定できる個人の 作者による作品である。「章立て構成をもつもの(sarga-bandha)」であるマ ハーカーヴィヤであるための諸要件が,詩論書(例えば 7 世紀のダンディン

(Daṇḍin)による『カーヴィヤーダルシャ』(Kāvyādarśa)[辻 1973:  3])など に,多くの叙事詩作品が成立したのち後追いで,規定されることになるのだ が,内容については,二大叙事詩中に説かれたものを初めとする古説話である ことが必須とされた。こうした詩作上の規定こそ,先に指摘したとおり,既知 のストーリーの美しく蘊蓄が込められた表現を求めるカーヴィヤ世界の嗜好を 原泉としているに違いない。カーヴィヤ叙事詩の草創が仏教詩人アシュヴァ ゴーシャ(Aśvaghoṣa,1 世紀)である。シヴァ信者から改宗したとされる彼 には多数の作品が帰せられるが,仏陀の生涯を華麗に描いた『ブッダチャリ タ』(Buddha-carita)が代表的である。

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この先駆的作品から 300 年を隔てて,のちに「6 大宮廷叙事詩」と讃えら れることになる作品が排出され始めた[Lienhard 1984: 170-196]。6 作品のう ち二つは,カーリダーサの『クマーラ神の誕生』と『ラグの系譜』(Raghu-

vaṃśa)である。これらに並び称される 4 作品は,バーラヴィ(Bhāravi, 6 世

紀半ば)の『キラータ・アルジュニーヤ』(Kirātārjunīya),マーガ(Māgha,7 世紀後半)の『シシュパーラ・ヴァダ』(Śiśupāla-vadha),バッティ(Bhaṭṭi, 6‑7 世紀)の『ラーヴァナ・ヴァダ』(Rāvaṇa-vadha,別名Bhaṭṭi-kāvya)(ラー マ物語のひとつで,パーニニの文法規定を学習できる構成になっている。これ がインドネシアなどの東南アジア諸国に伝わったラーマ物語であるといわれ る),シュリーハルシャ(Śrīharśa,12 世紀後半,カンニャークブジャ(現カ ナウジ)の王)の『ナイシャダ・チャリタ』(Naiṣadha-carita)(『マハーバーラ タ』に組み込まれている「ナラ王物語」を翻案したもの)である。いずれも 二大叙事詩に取材し,技巧や諸知識を駆使して荘厳なカーヴィヤに仕立てたも のである。

「チャリタ」とは「事績」の意味なので,「○○チャリタ」とは「○○の 伝記」のことだが,たとえ歴史上の人物がタイトルにあってもフィクショ ンで飾られることが殆どだ。そうしたなかでも,史実を垣間見ることが可 能な歴史的カーヴィヤと判ぜられるものもある。抒情詩作者としても名高い ビルハナ(Bilhana,11 世紀)が故郷カシミールから遍歴の旅に発って 20 年 数年後チャールキヤ朝下のカリヤーニ(現カルナータカ州内)でヴィクラ マ・アーディティア 6 世を讃えた『ヴィクラマーンカデーヴァ・チャリタ』

(Vikramāṅkadeva-carita)を編んだ。これの最終,第 18 章にはビルハナの自伝

および郷愁が詠まれ異彩を放っている。ジャイナ教に属する著名な学僧ヘーマ チャンドラ(Hemacandra, 1089-1173)はアナヒッラプラ(アンヒルヴァード,

現グジャラート州パータン)で仕えた王の名を冠して『クマーラパーラ・チャ

リタ』(Kumārapāla-carita)を書いた。全 28 章中,終わりの 8 章はプラーク

リット語を用い,サンスクリットおよびプラークリットの文法説明も兼ねてい る。最も史実の比率が高いとされるのが,宮廷外にいて政変に揺れる 12 世紀

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のカシミール王家を描いたカルハナ(Kalhaṇa)の書『ラージャタランギニー』

(Rājataraṅgiṇī)である。長大なこの書は,当時のカシミールの文化・芸術,宗

教,行政,地誌を知ることのできる情報を提供してくれている[辻 1973:  72‑

73]。

以上が韻文を連ねて綴る叙事詩の諸例だったが,散文によるカーヴィヤ(と りわけノンフィクションであるアーキャーイカー形式)でも,チャリタの類い が創作された。7 世紀,バーナバッタ(Bāṇabhaṭṭa),もしくはバーナ(Bāṇa)

が「戒日王(Śīlāditya)」の称号でも知られカンニャークブジャを拠点に北 インドに版図を誇ったハルシャ・ヴァルダナ王(Harṣa-vardhana,在位 606‑

647)を『ハルシャ・チャリタ』(Harṣa-carita)で称えた。同じバーナバッタに は自身カターと呼ぶ『カーダンバリー』(Kādambarī)という奇想天外な物語 があるが,数行にも及ぶ長い複合語が単語(正確に言えば語幹)ごとの区切 り方を変えて全体が二様に解釈できるヴァクロークティ(vakrokti)など,サ ンスクリットならではの多様な修辞法(alaṃkāra)が駆使され,内容のみなら ず文体もサスペンスに満ちている。これを範として,ジャイナ教徒のソーマ デーヴァ・スーリ(Somadevasūri)が著した『ヤシャスティラカ』(Yaśas-tilaka, 959)は,仏陀の元妃ヤショーダラーの物語を旨とするチャンプー作品であ る。チャンプー形式の古いものは,遡って 1−2 世紀頃アシュヴァゴーシャと 同時代と見られ,同じ仏教詩人のアーリヤシューラ(Āryaśūra)による,仏陀 の前世物語ジャータカから 34 編を抜粋し洗練されたサンスクリットで焼直し た『ジャータカ・マーラー』(Jātaka-mālā)があるが,のちチャンプー形式 の発展に最も貢献したのはジャイナ教徒文人たちだという[辻 1973: 122]。

叙事詩という範疇には収まらないが,後に述べるカター(物語)と同様に各 挿話の起源は民話にあるものの,あくまでも翻案としただけでカーヴィヤ詩人 が大幅に改変・脚色している物語集作品がある。便宜上,ここでその類の文芸 を紹介する。先達の研究者たちは「伝奇小説」というカテゴリーに括る,空想 的で奇想天外な内容をもつ散文の物語集だ。よく知られている作品に,ダン ディン(Daṇḍin,7 世紀)の『十王子物語』(Daśakumāra-carita)がある。後

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述の,民間説話に起源するジャータカや『ブリハッド・カター』系の説話集に 取材しながら単純明瞭さ,語句の優美さで定評がある。また,同種の作品,ス バンドゥ(Subandhu,6‑7 世紀)の『ヴァーサヴァダッター』(Vāsavadattā)

は,修辞的技巧を優先している。

以上概観したところからも明らかなように,文学サロンで楽しまれたカー ヴィヤ叙事詩も,題材の多くは巷間に求めていたのである。巷間文化が洗練さ れた文芸界すなわちカーヴィヤ世界を下支えしていたのだ。

戯 曲 

見るためのカーヴィヤ,すなわち演劇のインドにおける起源は詳らかではな い。ヴェーダ祭式のなかに舞踊や演劇的要素が認められるほか,実態は未詳な がら歌舞を生業とした人を指すシャウリーシャ(śailūśa)という語が『ヤジュ ル・ヴェーダ』に見える[Kuiper 1979: 114]が,他にもバラタ(bharata),ナ タ(naṭa),クシーラヴァ(kuśīlava)[Tarlekar 1991: 14]などがいずれも後代

「俳優」を指す語としてもちいられているので,その原初は多様に想定されう る。言葉を発せず身振りだけで表現したパントマイム芸人のようなシャウビカ

(śaubhika,振り付け師の意味合いも指摘されている),ナレーター役とおぼし

きグランティカ(granthika)など様々な役割があったようだ[Tarlekar 1991:

7-9]。俳優自体は社会的に低い身分にあったことからも,ヴェーダの権威とは 離れた民間娯楽に起源したとも見られる。

戯曲作品としての最古は,1911 年中央アジア出土の写本断簡のかたちで 発見された仏教劇三篇で,うち一篇がコロフォン(奥付)からアシュヴァ ゴーシャが仏伝の挿話から編んだ『シャーリプトラ・プラカラナ』(Śāriputra- prakaraṇa)であると判明した[辻 1973: 13‑14]。

その発見と時をほぼ同じくする 1910 年,南インドでも重要な古写本がガナ パティ・シャーストリーによって発見された。それは,マラヤーラム文字で 記されたサンスクリット劇 13 作品で,いずれも伝説で知られていたバーサ

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(Bhāsa)に帰せられ,トリヴァンドラム劇と通称される。すべてがバーサの真 作か否か確定できないが,300 年から 350 年の間に成立したと推定できるとい う[辻 1973:  24]。『マハーバーラタ』から取材した作品が 6 つ,『ラーマーヤ ナ』の戯曲化『プラティマー・ナータカ』(Pratimā-nāṭaka),クリシュナの幼 少時の逸話を扱う『バーラチャリタ』(Bāla-carita)のほか,残りの 5 作品はい ずれも後述する説話集に取材したものだが,そのうち『スヴァプナ・ヴァーサ ヴァダッター』(Svapna-vāsavadattā)が最も評価高く白眉とされる。

やや遅れて,『土の小車』(Mṛccha-kaṭika)は第 9 幕に裁判シーンなどが描 かれるほか,当時の実際の生活場面を彷彿させ,文化歴史資料としても興味 深い。トリヴァンドラム劇のひとつで未完の『ダリドラ・チャールダッタ』

(Daridra-cārudatta)と,登場人物のうちの主人公,バラモン出身の商人チャー ルダッタと女主人公,高級娼婦ヴァサンタセーナーを共通とするが,両作品の 関係は未詳である。『土の小車』はシュードラカ(Śūdraka)作とされるが,こ の作者の存在については謎に包まれている。同様に存在未詳の作者ヴィシャー カダッタ(Viśākadatta)に帰せられ,450 年頃の成立と推定される『ムドラー ラークシャサ』(Mudrārākṣasa)は,恋愛シーンが皆無で政治劇に徹した特異 な作品だ。

そして,カーリダーサの登場である。18 世紀末,独訳がドイツ文壇にも波 紋を投じたと言われる傑作『シャクンタラー姫』には,『マハーバーラタ』中 の物語が題材提供しているが,失われた記憶を指環の目撃から思い出すモチー フなど,説話世界との連関も窺わせる。『武勲王に契られし天女ウルヴシー』

(Vikramorvaśīya)も,ヴェーダの時代から度々語られ粗筋は良く知られていた

物語が脚色され戯曲化されたものだ。第四幕のアパブランシャ語による王の独 白部分は後世の挿入だとされる。もう一つの戯曲作品『公女マーラヴィカー とアグニミトラ王』(Mālavikāgnimitra)は,前 2 世紀,後期マウリヤ朝後の シュンガ朝勃興期に取材した人物を登場させているものの歴史劇ではなく後宮 の恋愛が描かれている。

ガンジス川上流カンニャークブジャを都とした,前出のハルシャ・ヴァル

参照

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