『土』 から 『家』 へ
─その政治的権能の変遷に関する考察─
浅利浩之
2009年度補正予算によってフィルムセンターは332作品、ネガとポジを合わせた本数で909本のフィ ルムを購入および複製した。1)このコレクションは大きく二つに分けることができる。
一つは、従来フィルムセンターが所蔵していなかった作品を新たに購入したコレクションであり、松竹・
東宝・東映・角川映画(大映)・日活・国際放映(新東宝)の各映画会社から協力を受け、各社においても マスターポジまたはポジ(プリント)しか存在していなかった作品について、デュープ・ネガ及びニュープリ ントを作成した。これらの作品は、フィルムセンターにおいて「よみがえる日本映画─映画保存のための 特別事業費による」と題した企画によって、2010年度から2012年度にかけて主要な作品が上映されて いる。
もう一つは、1999年度から2004年度にかけて行われた収集事業によって、ロシアの国立映画保存機 関・ゴスフィルモフォンドから入手した戦前日本映画を中心とするプリントの複製である。すでにフィル ムセンターに保存されていたフィルムのうち、ポジ・フィルムのみでネガを持ち得なかった作品が、新たに ニュープリントとして複製されることになった。拙論で考察の対象とする『家』(1943年倉谷勇松竹)も、
ロシアから里帰りし、新たに複製された作品の一つである。なお本作品はフィルムセンターにおいて「発 掘された映画たち2005」の企画時に上映されている。
はじめに
『家』の公開にあたっての宣伝広告は次のようになっている。
あの感激、あの感動!
不朽の名作「土」の精鋭スタッフが、激烈の意慾もて、
新しい時代の生活の中樞に體當りを敢行した!2)
『土』は1939年に公開された内田吐夢の作品である。この映画とそれに伴う当時のセンセーションに ついては後述するが、『家』は『土』を強く意識した作品として喧伝され、事実『土』のスタッフ・キャストも 参画していた。『土』の製作当時、日活多摩川撮影所長であった芦田勝至3)は、1943年には松竹太秦撮 影所長の立場から『家』に関わっており、『土』で貧農の親子を演じた小杉勇と風見章子は、『家』におい
ても分家の家長とその娘であった。さらに『家』の広告や『映画旬報』の作品紹介欄には「演出指導内田 吐夢」の名を見ることが出来る。『家』が『土』なくして生まれることなく、『土』の成功体験を踏まえて製 作されたことは、この周辺の事実を挙げただけでも理解される。
『土』が製作された1939年から『家』の1943年に至る4年間は、日本の社会状況を激変させた。対米 開戦を経て、映画を含むあらゆる言説は国家総動員体制への協力が求められ、現実に国策遂行の目的 のもとに収斂されていった。映画会社は統合され、生フィルムの供給は制限され、配給は紅白二系統と なった。文学において、作家は統制を進めるための社会的な役割を担うことを強いられた。確かにアメ リカを中心とした連合国との戦争は国家の浮沈を左右する一大事に違いはなかったが、ドナルド・キー ンが指摘しているように、日露戦争時の作家たちは大東亜戦争へ対するような協力は求められなかっ た。4)
なぜ映画や文学が大東亜戦争に動員されてしまったのかという問いは、依然として重大な考察の対 象である。知識人のある者は、国策に進んで協力した。あるいは協力を強いられた。転向した。
拙論は、戦争に対する協力と非協力、従属と抵抗、それらの二元論に回収される問題意識を以って、
遡及的に戦時の言説を価値付けるような行為を拒否する。拙論が新たな戦犯を焙り出す目的で書かれ るものではないことを、ここで強調しておく。なぜなら、戦時に言及する中で、特定の人間を糾弾する意 思を汲み取る行為は、実のところ戦時についての言説を萎縮させることに他ならないからだ。今でさえ、
大東亜戦争時の人物の経歴に空欄を見ることがある。あるいは、戦時中の行為に沈黙を守る人間がい る。これらの空欄や沈黙には、戦後に想像の対象として批判や崇拝の源泉となったものもあるが、多く は留保され延長され続けている。その言説空間の枠組みを保持してきたのが戦後社会だと仮定するな らば、我々は未だに戦後を引きずっていると言わなければならない。今求められるのは、想像力による補 完ではなく、具体的な事実、とそれを踏まえた分析である。
『家』の製作にあたって『土』が意識されていたことは前述した。『家』の広告にもあったように、1943年 の時点で『土』は「不朽の名作」と喧伝される作品として評価されていた。拙論ではまず『土』が評価を獲 得する時代状況についてみていくことにする。『土』を成立させた背景には土着的ナショナリズムの台頭 があった。1912年に出版された長塚節の小説『土』が様々なメディアに翻案されていったのは、これと無 縁ではない。それらの状況を検証するには、『土』が映画化される前提として、原作を取り巻く文学にお ける同時代的言説についても考慮に入れる必要がある。なぜなら『土』の映画化は、小説の様々なメディ アへの翻案の一つであると捉えられていたからだ。映画『土』は文学作品の翻案として優れているという ことが、その評価の理由に挙げられている以上、農民文学についての言説を無視するわけにはいかない。
一方で『家』は、ファシズムが政治的実権を握った1943年に製作された。『土』がナショナリズムの台頭 の中で映画化された時代状況を確認した後、『土』との関連が喧伝された『家』を分析することで、作品 内に統制時の思想が反映されているか検証する。ここでは『土』と『家』との関連よりも、そこに横たわる 差異が問題となるであろう。それは何よりもナショナリズムとファシズムの性格の違いに他ならないから だ。次章で『土』とともに言及することになるナショナリズムは、近代国民国家(ネーション)が統一された 恣意性のない共同体であることを証明しようし、そのために様々な装置を用意する。それはナショナル・
アイデンティティーを希求する行為として位置づけられる。だが、ファシズムは福田和也が述べるように
「共同体成立の不可能性の『明晰な』認識からこそ、はじまった」5)点で、従来のナショナリズムに基づく 国民国家と同一視することが出来ない。
アンリ・ミシェルは『ファシズム』において、「あらゆる形態のファシズムに共通する大きな特色を、その 思想、実践の両面からひろいあげて、これをときあかすこと」6)を試みているが、なかでもファシズムにお ける第一の共通項は「国家主義を主張する」7)ことであり、そのために「国家は神聖化され、最高至上の 存在とみなされる」8)ということであった。神聖さは神話的な時代に原型をもとめることによって担保さ れるが、それは同時に民族的なルーツとその純粋さへの希求へと結びつき、「いままた国家を浄化しよ う」9)という主張へと帰結する。すなわち、ファシズムにおいては美学的な問題が前景化され、未だ実現 されない─実のところ永遠に実現されることのない─理想を国家において顕現させるために国民の思 想や行動が統制されることになる。
ファシズムの思想と美学に関連する研究として注目すべきものには、田野大輔のナチズムに関する論 考がある。田野はヴァルター・ベンヤミンの著名な文章「複製技術の時代における芸術作品」を理論的考 察の中心におき、ナチズムにおける「政治の美学化」について言及した。特にベンヤミンがファシズムを
「政治の美学化」と規定したことの意味について以下のように解釈している。
(ベンヤミンによれば)複製技術の発展は本来アウラを追放して芸術を政治化し、芸術の批判的ポテ ンシャルを解き放つはずであるにもかかわらず、ファシズムはむしろ複製技術を駆使してアウラを生 産し、これを政治目的に利用することで、「政治=芸術」の可能性を「政治=美学」の方向へ歪曲して いるというのである。10)
ベンヤミンが考察した複製芸術とアウラの問題については、これまでにも多くの研究がなされている。11)
アウラを喪失したはずの複製芸術は、ファシズムにおいては、崇拝される対象である個人のアウラを複製 し流布するために用いられる。12)ナチズムにおけるヒトラーや日本における天皇はアウラの源泉の典型と も言えるが、ここで注意しなければならないのは単に天皇が美しい存在であるとか、複製技術を用いて イメージが流布されたなどという認識によって「政治の美学化」が確認されるべきではないということで ある。天皇の神聖化は、太古の時代から万世一系の血統を受け継いでいるという神話によって正当化 された。すなわち、天皇は最も純粋な日本の起源の継承者であり、国粋主義を体現する存在であった。
だからこそ、純粋さを希求したファシズム国家は天皇のイコンを最大限に活用し、複製技術を用いてイ メージを大量に流布した。天皇のイコンを用いて広められた国家が神聖であるという美意識は、実のと ころ、現実にはそれが達成されていないという認識と表裏一体となる。そのためにファシズム国家は現実 を理想へと近づけるために統制を行い、複製技術を駆使して自己を権威づけようとする。「政治の美学 化」は、この自己正当化への欲望によって生成されることになる。拙論では、この「政治の美学化」に伴う ファシズムの純化精神が『家』の分析を通して問題となる。
『家』では二つのことが検証されなければならない。一つは、『土』において検証されるナショナリズムの
台頭がファシズムに変容したことの確認である。具体的な方法論としては、『土』において農民文学に関 する言説を参照したことを踏まえ、文学に関する言説を考察の対象とする。農民文学で論じられた問題 が国民文学へと話題を移したことは、ファシズム国家の統制が『土』を巡る言説とは異なる文脈を提示 したことを明らかにするだろう。つまり、『家』が製作された時代状況は、『土』と同一視することができな いことが理解される。また、『家』が家族について着目したことは、ファシズム国家が「家」制度を統治の 機構に組み込んでいたことを検証する材料となる。この作品が同名の小説から映画化されたことは、同 時代的必然性に基づいていた。
もう一つは、前述したファシズムの美学が作品においてどのように反映しているか検証することであ る。具体的には『家』の物語に関する分析によって思想的統制の有様を明らかにし、それを踏まえた映 画のショット分析をすることで作品が統制を視覚化できたのか検証する。
『土』ブームとナショナリズム
映画『土』は内田吐夢によって監督され、1939年の公開当時から大きな反響をもたらした。この作品 が映画史の文脈において重要視されてきたのは疑いないところだが、実のところ映画以外のメディアに おいても大きな注目を浴びていた。
田中眞澄は「溝口健二─もう一つの『土』」13)において、新築地劇団の上演(1937年)、溝口健二演出 のラジオドラマ(1937年)に言及しつつ、『土』ブームと、その背景としての農民文学運動の隆盛を巻き起 こした社会状況を看破した。
このような農村に対する関心の喚起は、当然、伝統的な共同体への回帰の幻想を心情的に強調 する、農本的な情動志向、即ち「土への回帰」を伴うものであった。それは近代化過程の社会変動に 必然として惹起される、作用と反作用の情念の力学であり、世界同時・同質性に開かれた都市のモ ダニズム=インターナショナリズム幻想(そこにはコミュニズムもまた含まれるだろう)と対峙する、土着 的ナショナリズムの抬頭を呼び込まざるを得ない。そして、それを集約するところに天皇制といもの が存在したわけである。14)
長塚節の小説『土』が東京朝日新聞に連載されたのが1910年、単行本として春陽堂から出版された のが1912年である。それが20年以上の年月を経てからブームになった要因に、田中は土着的ナショナ リズムの抬頭を見た。内田吐夢の映画『土』を巡る状況については田中が前掲文において論じているが、
そこには『土』のみならず農民文学というジャンルが希求された時代的背景があった。
森山啓は、1934年「農民文學と『藝術派』」と題した論文15)において加藤武雄を引用し、「都会には伝 統がない。謂わば殖民地のようなものである。真の民族性は土の中に潜んでいるものである、土と共に ある農民の生活の中にあるのだと思っている。」16)と論じて農民文学の重要性を強調した。なかでも正 岡子規門下の根岸派歌人という経歴を持ち、表現における写実性を重視した長塚節のことを、『芋掘り』
や『土』といった具体的な作品を挙げて高く評価している。
近代国民国家(ネーション)が必然的に招来する都市への人口の集中と汎地域的な都市のモダニズム 文化は、同時に地域的アイデンティティーの欠落を露呈させることになる。国民国家は、このアイデンティ ティーの欠落を埋めるべく様々な処方箋を用意した。例えばエリック・ホブズボーム(Eric Hobsbawm)が 述べた「伝統の発明」がそれである。17)「想像の共同体」(ベネディクト・アンダーソン)であるところの国民 国家が、ナショナル・アイデンティティー生成のために過去の事物を恣意的に取捨選択することで、そこ に時間的・地域的連続性が「あたかも自然に存在するかのように」18)自己を規定しようとする。事物の取 捨選択は、国民国家の政治的・社会的・文化的状況に支配される。禅や武士道を日本の伝統として位 置づけることもできるし、同時にマンガやアニメーションが伝統の文脈に含まれても何ら不思議はない。
それらは「伝統」という概念の下で国民国家を強化し統合するために機能する。
1930年代の日本は、世界大恐慌の余波によって深刻な不況に喘いでいた。経済危機がもたらす雇用 や生活の困窮は、大衆心理の不安定化とそれに伴う社会不安の増大をもたらした。血盟団事件(1932 年)や五・一五事件(1932年)、二・二六事件(1936年)に代表されるテロリズムにもその一端を垣間見る ことが出来よう。これらの社会不安を抑えこむ手段として、強制力を伴う統治への期待が喚起されるこ とになる。世界恐慌による経済の破綻は、都市によって先導されてきた社会システムの行き詰まりを予 見させた。都市を中心とする繁栄の神話が崩壊したのであるならば、それを思想的に代替する存在とし て地方が浮上するのは必然以外の何物でもない。だから、田中が述べた「伝統的な共同体への回帰の幻 想」は時代の要請に他ならないし、森山が「都会には伝統がない」と断じて農民の生活の中に「真の民族 性」を希求したのも、ナショナル・アイデンティティーの強化が地方に求められたことを考えれば当然の成 り行きなのである。
映画『土』は、貧農の家庭を描くことで、世界大恐慌の余波と相次ぐ冷害によって周縁化されていた 農村を1930年代に着目せしめた。映画への高い評価が、第一に写実的な描写に基づいていたことは、
『キネマ旬報』の合評からも確認できる。
清水(千代太、補記は引用者、以下同)「勘次とおつぎが土にしがみついて居るその姿は、小説以上 に鮮かに、殆ど肉體的にさへ、ひしひしと感ぜられた。」
飯田(心美)「築地の『土』といふものを見たのだけれども、その時の印象とこれとを比べて見ると、
築地のは矢張り舞臺劇だけに人間同士の心理の葛藤とか、さういふものに重點が置かれてあつた。
今度の映画はさういふ所もあるが、その他に實景的な農村の風物なり雰圍氣が出て居る。詰り原 作者が考へてゐたと想像される『土』といふ感じだな。さういふものを精神的にも、また、肉體的に も把へやうとしてゐる。だから、そういふ意味では土の匂は舞臺なんかより遥に出てゐたと思ふ。19)
「肉體的」「實景的」という言葉によって称揚されるものをリアリズムと言うならば、『土』は農村のリア リティーを体現した作品であった。新築地劇団の舞台よりもリアリズムを追求した点において映画は評 価された。
だが、ここで注意しておかなければならないのは、映画におけるリアリティーが即ち同時代の農村の現 実ではないという点である。実のところ『土』では、どの年代の農村が作中の舞台であるか明らかにされ ていない。「農民の心理も、地主と小作の關係も、生産の様式や日常生活のデテイルも、この映畫と現 代の農村一般とでは大きな違ひが出來てゐる。」20)という指摘が一方でなされながらの、リアリティーの 称揚なのである。つまり『土』から人々が受け取ったのは概念上の「肉體」と「實景」に他ならず、それこそ が1939年日本の言説界で求められていたものであった。モダニズムへの落胆は土着的なリアリズムを喚 起し、国民国家の再統合が希求された。『土』は現実から浮遊しながらも、「現実的」であるものとして受 容され、ナショナル・アイデンティティー形成の一端を担うことになった。
ファシズムへの変移と『家』
1930年代に注目された農村への回帰は、ファシズムがもたらす統制主義へと歩みを進めることにな る。だが、誤解してはならないのは、ナショナル・アイデンティティーを強固なものにする手段としてロー カルな素材(農村)への注目が、ファシズムが目論んだ農村の統制への対象化とは根本的にその論理に おいて異なっているということである。
前述した通り、伝統を始めとする国民国家を補完するための装置は、国民を統合し統治する枠組み としての国民国家の存在があたかも自然で無理がないかのような認識をもたらし、その無謬性を浸透さ せるために作用した。だが、ファシズムは、未だ完成されていない理想の共同体を実現するために統制 を行うという点で、国民国家が目指してきたものとは異なる目標を持つ。それ故、ナチスドイツや戦時下 の日本において誰しもが新たな共同体の建設に自覚的に取り組むことは自明的となる。伝統・歴史は、
それまでの自然な成り立ちに基づく認識から逸脱し、共同体に直接的に参与するシステムに組み込ま れる。国家社会主義は、国民一人一人に対してより強固な関係を取り結ぶことを希求し、時に国家の論 理による従属を強いる。その強制力を持った統治の理想は、ナショナリズムが形成してきた論理から飛 躍することになる。ファシズムは、ナショナリズムに比べて、はるかに強烈に歴史的な来歴と正当性を強 調することで国家の絶対性を謳い上げ、その未来を自然な成熟に任せず人為的に操作しようとする。
「想像の共同体」としての国民国家は、ファシズムにおいては単なる共同体として認知されるものに留ま らず、補完すべき対象として具現化すべき理想のもとで統制され更新され続ける。
農民文学の翻案として1930年代後半に顕現した『土』を巡る一連のブームを生み出した社会的文脈 が『家』を求めるようになった時、文学は農民文学から国民文学へと認識の転換を迫られていた。それ は、『土』と共に語られてきた土着的ナショナリズムを背景に持つ帰農的心理が、意識的に国家共同体の 統合を希求する戦時ファシズムへ、その言説を制度的・様式的に変態させたのと時を同じくしている。
1942年、岩倉政治はその道程を、今にして見れば、思いがけないほど平易に開陳してみせた。
土に帰るということ、帰農的心理のうちには、右に述べたように二つの重大な契機が含まれてい た。
一つは過去の教養思想から足を洗って単純な出発点に戻るということ─つまり自浄の精神で あった。
今一つは、しかし、たんに始原に還るのではなくて、自ら浄められると共に、自分たちが生を托し ている祖国の伝統をすなおに見、それに身を以て参ずべき自己を新しく定立するという、伝統の中 に主体を確立するという積極的精神であった。21)
ここには、既にナショナリズムが目論んだ国民国家の自然な均質性への欲求は見られない。民族性や ナショナリティーのルーツを求める対象としての農村は、立ち上がっては来ない。代わりに、ファシズム特 有の浄化精神と、それを出発点とする新しい主体の確立が求められるようになる。「祖国の伝統」は、確 かに自己のルーツや民族性と言った来歴を確認する点でナショナリズムにも見られるものだが、その認 識の段階から明らかな一歩を踏み出していることに注意する必要がある。ファシズムにおける伝統は、
新しい共同体を形成するための踏み台として機能した。その具体的な手段として、統治システムが注目 した対象の一つが家族にまつわる制度であった。加藤千香子は近代国家と「家」の関係について、一章 を用いて従来の研究を以下のように分析している。
研究動向の整理を行い問題の所在を明らかにしたが、そこで国家─家族論について二様の見方 があることに注目した。すなわち一方は、天皇の国家統治への同意・恭順を促すための培養基と位 置づけられた「家」に注目するものである。これは、「家」を祖先崇拝を核とし現実の家族を超越する 観念的な存在ととらえる特徴がある。また他方は、国家動員や管理の対象とされる、現実の生活共 同体としての家族組織に注目する見方である。この場合の家族組織は、伝統的家族ではなく「新し い家族」の面が強調されることになる。天皇制と結びついた「家」、近代国家の動員基盤としての「新 しい家族」、本稿では、この二者を対立的なものとしてではなく、近代日本の国家─家族論において 共に欠かすことのできない重要な要素と見なした。近代日本国家が念頭においた「家族」とは、まさ にこの二つの面が統一されたものであったのではないだろうか。22)
加藤の研究は、ファシズムに特化した家族制度の研究というよりは、近代国家における家族の政治的 役割について、主に行政側の視点から分析を行ったものである。だが、結果として加藤は、天皇に象徴 される日本への恭順という意味での「国家主義」と、未だ完成していない共同体を形成するための「新し い家族」という、ファシズム体制の理想と合致する家族のあり方を導き出すことになった。ファシズム期 に家族が注目され、『家』23)という作品が映画化されたのも、「家」制度が政治的に求められていた証左 と言える。1943年の『家』の映画化にあたって、統制の意図を示す具体的な手がかりである検閲時報に は以下のように書かれている。
本映画は日本古來の美風たる家族制度を謳歌したものでその内容は現時確立せられたる長子相 續制より見て若干の疑義あるも製作態度極めて眞摯且つ演出、演技共に水準を抜きその意圖せる
家の重要性を或程度描き得たことを認めることが出來る。24)
映画法に基づく検閲には、特に優秀な一般娯楽映画の検閲手数料を免除するという規定があるが、
『家』もその一つとして認定されている。上記の引用は、映画検閲時報の付録に記載されている手数料免 除の理由として述べられた。1939年4月10日に施行された映画法のわずか3日後に公開された『土』
が、実質的にその法的な制約を受けずに製作されたのに対して、『家』は既に法体制において国策の一 部として位置づけられている。『家』において家制度を描くことは、いわば国家のお墨付きを得た政治的 行為であった。
『家』のあらすじ
『家』では、ア・プリオリに共同体が未完であることを仄めかすように、物語が始まった段階から地方 地主が本家と分家に分裂している。分家の家長である保科族光(小杉勇)は長男であるにも関わらず、
父の意向に沿って本家の家督を次男の保科族治(小澤栄太郎)に譲っていた。分家長男の康太郎(東野 英治郎)はそれに不満を持ち、事ある毎に本家に反抗的な態度を取る。
族治は本家の家長であるばかりでなく、事業家で県会議員でもあり、野心的な人物として描かれる。
彼は所有する山林を売却しようと伐採し筏にして下流への運送を試みるが、大雨のために川が氾濫し、
決壊した土手から流れだした木材が流域の田畑に多くの被害をもたらした。族光は失意に沈んだ族治 に手を差し伸べ、謝罪と補償のために奔走する。だが、本家の財産では補填しきれない賠償金の支払 いを族光が分家の山林で賄おうとすることに、康太郎は強硬に反対した。
時を同じくして、保科分家の村の小学校の校長が村史編纂に思い至り、以前から族光が書いていた 日記を借用していった。受け取りに行った康太郎は、校長の勧めに応じて、日記に目を通す。その中に は、分家以来、苦労を重ねた族光の、息子への愛情と共に、保科の家を守ろうという強い意志に裏付け られた生活の歴史が克明に記されていた。父の真意を理解した康太郎は、これまでのわだかまりを捨 て、本家のために積極的に協力することを族光に告げる。先祖から受け継いできた山林が切り倒され、
保科の家が今後も続いていく予見を持って映画は終わる。
作品分析
『家』の家長・族治は、模範的人物として表象されていない。族治が最初に登場するのは、彼が本家の 改築を依頼するシーンである。本家の前の高台にしゃがみ込み、タバコをふかしながら工務店員に命令 する。
族治「屋根を取っ払って二階屋にガラスを入れてくれ。わしの事務所の水明館(会津東山温泉の旅 館)のようにしたいな。〈中略〉もっとモダーンでほしいな。」
店員「〈中略〉少々お時間を下さい。古典と近代の調和を図らねばなりませんので。」 族治「古典と近代の調和か。うまいこというなぁ。」
族治は本家の惣領であるが、県会議員としても事業家としても、決して農村に同化することがない。
むしろ、家屋を改築してモダンな建築を取り入れようとする得意気な態度は、「間違った改革者」として 選ばれた証となる。『家』の物語において、古典と近代の調和は、実のところ、族治のように旧来の価値
(本家の家屋)の破壊を伴うべきではないことが明らかになっていく。と言うのは、この直前のシーンで山 林に佇む族光が、孫と語りながら山を守ることの大切さを強調しているからだ。自身が育てた山林がい つ利用されるか問われた族光は、お国や家に一大事があるまで伐ることはないと断言する。さらに孫が
「百年も?千年も?枯れてしまっても?」とたたみ掛けても「(杉が枯れてしまっても)お国や家に一大事が なかったらいいじゃないか。」と返答する。あまりにも簡単に本家を改築してしまう族治と、山林を守るこ とで家を歴史化し保持し続ける族光の性格が、明確な対照関係を形成する。そして族光はこの物語に おいて、木の幹のように、基軸となる価値観の提供者として機能していく。
族治の事業が失敗することで、彼の惣領としての存在感は相対的に低下し、分家の家長に過ぎな かった族光との二人によって、保科家が切り回されるようになる。族治が求めていた政治と事業による 保科家の発展は、族光が守ってきた山林を補填することで危機を脱する。これによって、もともと長男 でありながら分家した族光の復権が認知され、彼の家長としての潜在性が顕現する。災害によってもた らされた二人による家の共同運営は、それまでの未成熟であった共同体としての「家」のあり方を補完す る。だが、そのためには祖先から守り続けてきた山林が伐採される必要があった。伝統的に受け継がれ てきた山は、保科家の歴史が更新されるために切り落とされ、新しい歴史の礎となることが求められる。
伝統を伝統として保守するなら、この物語が土着的ナショナリズムの域を脱することはない。だが、山は 切り落とされなければならなかった。同時代的な国家の危機に呼応して保科の家は想像され、新しい共 同体として出発するために自覚的な伝統の利用が必要だったのである。
同じ構造は康太郎の改心にも現れる。彼が物語の当初から持ち続けていたフラストレーションは、長 男として本家の家督を継ぐはずだった父・族光が分家したという本来の相続とは異なる保科家の家長 のあり方に端を発しており、その対象は分家に高圧的な態度を取る族治と、それに対してあまりにも従 順な族光の二人に向けられている。康太郎が持つ不満が物語内において解消されなければならないこ とは、作品で表象される未成熟な「家」が昇華されることを暗に示している。康太郎は、分家の長男とい う家制度のなかで周縁的な位置付けであるにも関わらず、年齢的にも肉体的にも分家を実質的に支え る立場にあるため、彼の同意を取付けなければ本家への援助は実現できない。故に、康太郎の改心は保 科家の存続を決定づける重要な契機となる。
前述の通り、族光の日記を読むことで康太郎の父に対する理解が生まれることになるのだが、それを 促すのは村史の編纂にあたって日記を借用していた校長の言葉である。
「君のお父さんは実に立派な方だね。〈中略〉三十何年前から現在に至るまで、思想的な動揺が少
しもないのには、全く驚かされたね。〈中略〉ずっと一つの精神で貫かれているんだね。何て言うか、
つまり家の精神、そうだ、家の精神だよ。確固不抜の家に対する精神が、三十何年、四十年近い年 月の間を少しも精神的動揺を与えなかったんだね。」
校長によって「家の精神」という言葉が発せられることで、族光の日記は意味づけられる。観客は、こ の後にヴォイス・オーヴァーで語られる日記の内容が、物語において決定的な役割を果たすことを予見 する。
日記による叙述が康太郎の心理に働きかけることは、この映画を特徴づける象徴的な出来事となる。
なぜなら、日記は一人称によって記述されるのであり、歴史/物語(イストワール)として創作される歴史 に他ならないからだ。『家』の歴史性は、族光によって紡ぎだされる。族光の個人史は、校長に発見され ることで村の歴史へと還元され、公的な価値を認められると同時に作品内での族光を正当化する。すで に叙述されていたものとしての日記(個人史)は、村史(公的な歴史)に転換されるとともに、二つの共同 体(村と保科家)のアイデンティティーを維持する骨格として機能する。しかし、これはあくまでも次の段 階へ至る土壌を整備しているに過ぎない。「家の精神」に裏打ちされた族光の視点は、校長によってお墨 付きを与えられ、康太郎に注入される。そして族光の提示する価値観が康太郎を翻意させ、物語を先 導する。日記は康太郎に歴史化された保科家の有様を提示するが、それ自体で作品は完結しない。む しろ、康太郎を保科家の新しい姿へと駆動させることで、従来の「家」を回収する。日記の康太郎への働 きかけは、ファシズムにおいて歴史が正しく運用されるべきであることを示すことになる。
ここで、日記がどのような表象に基づいて機能したのか検証してみよう。以下は、康太郎が日記を目 にしてから家に帰るまでのショットを時系列に並べたものである。
康太郎が小学校で日記を開く(図1)と、康太郎の視点による日記の文面のショットとともに、族光の声 による日記の朗読がヴォイス・オーヴァーとなって挿入され、日記の文面が字幕によって提示される(図2)。
図1
図4 図5 図6
図2 図3
ヴォイス・オーヴァーは継続して日記を読み上げ(以降図9まで)、畔道が画面左下から右上へとパンさ れる(図3)。日記と思しき風呂敷包みを持った康太郎の下半身の左から右へのトラッキング・ショット
(図4)。
帰り路を歩く康太郎のロング・ショット(図5、6)。
左から右へと歩く康太郎のトラッキング・ショット(図7、8)。 顔を上げた康太郎のバスト・ショット(図9)。
康太郎が目を通した日記は、族光のヴォイス・オーヴァーに変換されて読み上げられる。このシーン は、康太郎がこれまでの態度を改め族光に協力的な息子として再生する道程であり、新しい保科家の 創造に向けた一歩を踏み出すための道行きである。ここでは族光の言葉が浸透していく過程が視覚的 に表現される。
日記が読まれ始めた当初、人物はショット内に登場しない。しばらくの間、観客は族光の朗読する声 と康太郎の歩みをトラッキングしている畔道のパン・ショットを眺めることになる(図3)。日記が読まれる に従って、カメラは康太郎の下半身のトラッキング・ショットへ移行する(図4)。この道行きの間、ショッ トとショットはオーヴァー・ラップによってつながれ、朗読され続ける日記のヴォイス・オーヴァーとともに 時間の継続性が意識される。
ようやくロング・ショットによって康太郎の全身が写し出されるようになった時、康太郎の姿は画面内 では小さいものでしかない(図5)。ロング・ショットは継続され、里山を背景に康太郎が家へと歩みを進 める(図6)。日記の言葉による語りと農村の風景は、族光によって切り拓かれた共同体に蓄積された歴 史性への認知と、その中での自身の存在の再確認を康太郎に迫る。
族光の言葉が徐々に浸透してゆくかのように、次第に康太郎はクロースアップされてゆく(図7)。ト ラッキング・ショットをオーヴァー・ラップによってつなぎながら、カメラが康太郎へと接近する(図8)。こ れは康太郎が族光によって叙述された歴史を内面化してゆく過程の視覚化である。自宅へ戻る最後の ショットで、これまで下を向いていた康太郎は、内面の逡巡から解き放たれたように顔を上げる(図9)。 この瞬間、康太郎が生まれ変わったことが確認される。
帰宅と同時に、康太郎は族光に自ら進んで本家への協力を申し出る。日記によって康太郎は説得さ れ、保科家は新しき家として再出発することになる。
保科家が困難を切り抜け、本家の存続に一丸となることは、二つの意味を持っている。一つは、続光 という本来の家長(長男)のもとに保科家がまとまり、「家」制度が本来あるべき「正しい姿」で機能するよ
図7 図8 図9
うになることである。これによって内紛を起こしていた保科家に家長を中心としたヒエラルキーが発現す る。もう一つは、それまで守られ続けてきた族光の山の木が切り倒され、歴史が更新されることである。
従来持っていた財産が失われることによって新しい地平が開ける。この二つの意味は、「家」制度のため に家族の考えと有様が純化されることを示している。未完の共同体であった保科家は、族光の価値観 の下に統合されようとする。ここにファシズムの純化と共同体へのヒエラルキー構築の欲望を見て取る ことが出来る。25)
まとめに代えて
『家』は、興行面において記録的な失敗作となる。『映画旬報』の興行展望欄には、「入替の『家』益々低 調」26)、「『家』最惡の記録を現出す!」27)といった悪意さえ感じられるような見出しが躍っているが、そ んな言葉も興行収入を参照してみると異論の余地がない。『家』の興行収入は296904,53円であり、こ れは1943年1月から8月までに封切りされた劇映画47作品のうちの47位、つまり最下位である。28)
『家』の受容の問題は、拙論の考察の射程を超えることになるので、ここで言及することは控えよう。
ただし、検閲手数料を免除され国策遂行を担うに優秀な作品と判断された『家』が興行的に失敗したこ とは、映画を用いた教化政策が少なくとも本作に対しては有効に機能しなかったと結論づけるに足る証 左となる。『家』は「家」制度を直接的に主題とした点で、当時の日本国家にとって無視出来ない作品で あったに違いない。「一君万民」、「天皇陛下の赤子」と言ったスローガンが巷間に溢れていたこの時代、
『家』は天皇を中心とする統治を家制度の背景に想定する者にとって、思想的実践への端緒を切り開く 意欲作となる可能性を持っていた。この失敗を大東亜戦争の敗北から帰納的に思想的敗退へと結論づ けることも出来よう。だが、それは安易に過ぎる。ファシズムの持つ理想主義と純化への欲望は、『家』に おいて結果的に同時代の観客と乖離することになったが、康太郎が族光の日記によって思想的転換を 果たした論理は、同様の装置を用意することで遍在可能となる。それが如何に機能し得るかという問題 については、作品分析だけではなく、様々な社会的要因も考慮に入れなければならない。このことについ ては、いずれ機会を改めて考察の対象としたい。
註
1) 2009年度補正予算のコレクションの詳細に関しては、とちぎあきら「平成21年度補正予算映画保存のための特別事業費によ
る収集作品リスト」(『NFCニューズレター』第95号、2011年2月、pp.8-11)を参照されたい。
2)『映画旬報』1943年2月21日号(映画出版社)の巻末広告より転記。
3)『日本映画』1943年6月1日号の『家』の作品評には「名前が松竹となつても、さすが芦田プロの作品といふ香りは濃い。」とい う芦田の影響を思わせる記述がある。
4) 詳しくはKeene, Donald. “Japanese writers and East Asian war,” Th e journal of Asian studies. Vol.23, 1964, pp.209-225を参照 のこと。
5) 福田和也『日本の家郷』新潮社、1993年、p.133.
6) アンリ・ミシェル、長谷川公昭訳『ファシズム』白水社、1978年、p.9.
7) ミシェル前掲、p.13.
8) ミシェル前掲、p.13.
9) ミシェル前掲、p.13.
10)田野大輔『魅惑する帝国─政治の美学化とナチズム』名古屋大学出版会、2007年、p.30.
11)例えば、この問題については、長谷川明子『技術の両極としての映画と戦争─ベンヤミン「複製技術時代の芸術作品」におい て』『芸術世界』東京工芸大学芸術学部紀要Vol.14、2008年がある。ちなみに「政治の美学化」die Ästhetisierung der Politikは、長 谷川の論考では「政治の唯美化」と訳出されているが、拙論では田野の訳語を踏襲した。
12)例えば日本映画においては戦争における「軍神」を描いた作品が量産されたし、何より御真影という天皇の写真が礼拝の対象 となった。
13)田中眞澄「溝口健二─もう一つの『土』」『CINETIC』No.1、洋々社、1993年。なお、この論文は田中眞澄『小津安二郎のほう へ:モダニズム映画史論』(みすず書房、2002年)に採録されている。
14)前掲註3、p.116.
15)森山啓「農民文學と『藝術派』」『文藝評論』河出書房、1939年。なお拙論の引用は『現代日本文学論争史 下巻』新版(平野謙・
小田切秀雄・山本健吉編、未来社、2006年)に拠っている。
16)前掲註7、p.282.
17)詳しくはHobsbawm, Eric John Ernest. And Ranger, Terence. Th e Invention of Tradition. Cambridge University Press, 1983、前 川啓治・梶原景昭 他訳『創られた伝統』(紀伊國屋書店、1992年)を参照されたい。
18)森鴎外が短編小説『かのように』で、近代国家成立時のパラダイム・シフトにおける矛盾を暗に示唆したことを、ここに指摘し ておく。
19)『キネマ旬報』1939年4月11日号、キネマ旬報社、p.8.
20)滋野辰彦『キネマ旬報』1939年5月1日号、日本映画批評欄、キネマ旬報社、p.96.
21)岩倉政治「農民文學と国民文學」『国民文学の構想』聖紀書房、1942年。なお拙論の引用は前掲註7、p.371に拠っている。
22)加藤千香子「近代日本の国家と家族に関する一考察:大正期・内務官僚の思想に見る」『横浜国立大学人文紀要 第一類 哲 学・社会科学42巻』1996年、pp.17-18。http://hdl.handle.net/10131/2586(参照 2013-02-18)
23)葛西裕仁は「戦時下の日本映画と家族主義:「国体」における家族の実態とその思想」『メディアと社会』vol.1、名古屋大学大学 院国際言語文化研究科、pp.41-61、http://hdl.handle.net/2237/14716(参照 2013-02-18)において「1931年から45年までの昭和戦 時下における映画をみると、そこには「家」を中心とした家族の物語はほとんど描かれていない。」(p.41)と述べているが、拙論で考 察の対象とした『家』はその意味でも数少ない「家」についての映画だと言うことが出来るだろう。
24) 『映画検閲時報』第40巻、不二出版、1986年、付録p.13.
25) だが、なお保科家は本家と分家に分かれたままである。木が切り倒されて保科家の再興が予見できたとしても、そこに具体性 は何もない。それもまたファシズムにおいて共同体が最後まで未完であり続けることの露呈であったとしたら、本作品はファシズム の困難をこそ描き出してしまったと言えるのかもしれない。
26) 『映画旬報』1943年5月11日号、映画出版社、p.32.
27) 『映画旬報』1943年5月21日号、映画出版社、p.30.
28) 『映画旬報』1943年10月1日号、映画出版社、p.32.
When Kuratani Isamu made Ie (Family), a Shochiku fi lm released in 1943, he had Uchida Tomu’s Tsuchi (Soil) a Nikkatsu fi lm released in 1939, in mind. Th is essay discusses Ie in terms of two issues. First, it clarifi es the diff erences in the political situations when the two fi lms were made: Tsuchi was made as nativist nationalism was rearing its head; Ie was made four years later, when fascism was in full control of Japanese politics. Second, through an analysis of Ie, I will show how that fi lm, made to conform to offi cial policy, refl ects fascist thinking.
Tsuchi is based on a novel by Nagatsuka Takashi that was also the basis for a stage performance by the Shin Tsukiji Gekidan theatrical troupe in the latter half of the 1930s and a radio drama directed by Mizuguchi Kenji. In turning it into a fi lm, Uchida Tomu was followed the line laid down by these predecessors. Th e Tsuchi boom resonated with the rising nativist nationalism of the times. Following the outbreak of the Great Depression in 1929, Japan’s economy was in bad shape and its society unsettled by repeated terrorist acts. With a growing demand for reunifi cation of the nation, nationalism rose. In contrast, Ie was made in 1943, at a time when fascism had full control of Japan. Laws governing fi lm required censorship and other restrictions to ensure that audiences were properly trained in their duties as citizens.
Under fascism, the relationship between the citizen and the sacred emperor (Tenno) / state was directly connected with the idea of “family,” seen as the foundation for building an ideal nation. Diversity of ideas was prohibited; all thought was to be directed towards a purer collaboration with the nation.
Th e protagonist of Ie is the head of a branch household desperate to save the family’s main household, which has fallen into dire straits. Th e confl ict centers on the resistance of his eldest son to pressure to sacrifi ce for the sake of the main household. In the end the eldest son comes to a deeper understanding of the meaning of “family” when he reads his father’s diary, and proclaims that he will cooperate in whatever has to be done. Th e eldest son’s change of heart restores the proper authority of the household head. Here we see the desire to build a hierarchy to support a purifi ed fascism and national solidarity.
When Ie was released it was not a box-offi ce success. In the end, it was just an research with something not tried before. Th ere is need to examine the reasons for its failure and how it was viewed, which will require not only analyzing the fi lm itself but also considering various aspects of its social context.
From Tsuchi to Ie – Changes in Political Function
Asari Hiroyuki