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Die literarische Tendenz der Anti-Heimat ist auch in den neueren Werken des 21. Jahrhunderts zu finden. Die Szenerie des Romans von Olga Flor Talschlu

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Academic year: 2021

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60 年代とゼロ年代のオーストリア反郷土文学

徳永恭子

Österreichische Anti-Heimatliteratur in den 60er Jahren und in diesem

Jahrhundert Kyoko Tokunaga Heimatliteratur ist ein Produkt aus dem 19. Jahrhundert. Angesichts der plötzlichen Industrialisierung suchte man in der Literatur einen heimatlichen Ort, wo man sich geborgen fühlen konnte. Im 20. Jahrhundert nützte die Blut- und Boden- Ideologie des Nationalsozialismus den Begriff „Heimat“ aus. Die „Heimat“ wurde im Gegensatz zum verfallenen Großstadt-Leben als unbeschmutzt, rein und heilig ideologisiert. Nach dem Zerfall des dritten Reichs herrschte in Österreich eine kulturelle Tendenz, sich wieder an das „Erbe Österreichs“ anzuschließen. Dagegen leistet die neue Generation mit der Anti-Heimatliteratur Widerstand. Für sie ist die Heimat nicht mehr ein idyllisches Refugium vor der Realität, sondern ein Ort der Selbstentfremdung.

In dieser Arbeit möchte ich zwei Beispiele der Anti-Heimatliteratur aus den 60er Jahren vorstellen. „Fasching“ (1967) von Gerhard Frisch entlarvt die ehemaligen Nazis und Mitläufer und zeigt die Aggression des faschistischen Denkens unter den demokratisch-katholischen Masken. „Geometrischer Heimatroman“ (1969) von Gert F. Jonke ist eine Parodie der traditionellen Heimatromane. Jonke beschreibt ein kleines Dorf mit vielen geometrischen Begriffen. Die Heimat ist hier nichts anderes als ein geometrisch vermessener Ort.

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Die literarische Tendenz der Anti-Heimat ist auch in den neueren Werken des 21. Jahrhunderts zu finden. Die Szenerie des Romans von Olga Flor „Talschluss“ (2005) befindet sich am Ende der verschlossenen Welt, am „Talschluss“. Die Alpenidylle wird „Seuchenteppich“, als die Viehseuche unter den Kühen ausbricht. Die Alpenhütte wird ein Gefängnis und niemand kann der Enge des Tals entkommen. Lydia Mischkulnigs Erzählung „Begegnung im Gebiet“ (2009) thematisiert das Sprachproblem und die dunkle Geschichte ihrer Heimat, Kärnten, des Grenzgebiets zwischen Österreich und Slowenien.

郷土文学 Heimatliteratur は工業化が進んだ 19 世紀の産物である。急激な工 業化に疲れた人々は、心の拠り所を故郷に求め、文学作品の中に現実とはか け離れたユートピア的場所を見いだそうとしたのである。20 世紀に入いると、 郷土文学は「大地と血の文学」としてナチズムによって称揚される。根無し 草ユダヤの経済的・知的資本が蓄積する退廃的な大都市の「アスファルト文 学」が批判される一方で、郷土文学は大地に根ざした民族性を保証するもの としてイデオロギー化されたのである。こうして現代の悪弊に染まっていな い、清く聖なる「故郷」という虚構のイメージが捏造されることになった。 第三帝国が崩壊すると、オーストリアでは、非政治性、調和への欲求、音 楽への愛など、「オーストリア的なもの」を内外に向けてアピールすること により、いち早くナチズムの過去を払拭し、敗戦のダメージから回復しよう とする復古的な動きが見られた。オーストリアの「偉大な遺産」を守り、喧 伝するこのような風潮に対抗し、20・30 年代に生まれた作家たちは、民主 主義的な仮面の下に隠されたファシスト的思考の暴露を試みる。そのよう な目的に適うものとしてオーストリアでは 60 年代以降、反郷土文学 Anti-Heimatliteratur が続々と生まれることとなる。 産業大国ドイツと比べると、オーストリアは経済的資源を農業や畜産業に 負っている。生活圏としての環境は、圧倒的に農村地帯に比重が置かれる。 地方分権が確立しているドイツでは、比較的大きな都市が各地に分散してい るのに対し、オーストリアは、首都ウィーンを除けば、どの州都も地方都市 でしかない。オーストリアで、地方を舞台とした反郷土文学が生まれる最大 の理由はここにあるだろう。アルプスの山々、そこから流れる清い川、谷間 に散在する湖、牧草地で草を食む牛の鳴らすカウベルの音、窓辺に赤い花が

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咲き乱れる農家。このような典型的なオーストリアの田舎の風景は、反郷土 文学においてはもはや現代社会に疲れた人々の心を癒す場所などではない。 山や谷によって外界から遮断された小さな世界は社会の悪が集積する所、む しろそのような社会的な悪弊や自己疎外を生み出す悪の根源として描かれる 事となる。 反郷土文学の作家としてすぐに思い浮かべられるのは、トマス・ベルンハ ルト、ペーター・ハントケ、エルフリーデ・イエリネクなど世界的に有名な 作家たちだろう。本論文では日本では余り知られていない作家の作品から、 1960 年代の二作品、そして近年出版された作品を二作品1、紹介する。60 年 代の作品にはナチズム時代の記憶が色濃く反映されており、作品の主眼は戦 後も依然として存在するファシスト的思考を暴く事にある。近年の作品でも 反郷土というモチーフは存続しているが、高度資本主義経済の問題や家族の 崩壊、以前は表立って議論されなかった国境地帯における言語問題など、60 年代の作品とは問題設定に時代的差異が見受けられる。 1. 仮装が暴く暴力─ゲルハルト・フリッチュ『謝肉祭』(1967 年) ゲルハルト・フリッチュ Gerhard Fritsch は 1924 年ウィーン生まれ。戦中は 輸送飛行機の通信兵としてヨーロッパ各地に飛ばされ、1945 年にプラハで捕 虜となり、その後ウィーンに戻り、歴史と文学を専攻した。図書館の司書と して生計をたてながら、1956 年にデビュー小説『石の上の苔』 Moos auf den

Steinen を出版し、戦後ウィーンの文学グループと交流を深める。司書を辞め

た後、文学雑誌『時代の言葉』 Wort in der Zeit の編集者を務め、トマス・ベ ルンハルト、コンラート・バイヤー、ゲルハルト・リューム、ペーター・ハ ントケ など、戦後オーストリアを代表する作家たちの作品を出版した。ま た現在でもなお刊行され、文学研究には不可欠な雑誌『文学と批評』 Literatur und Kritik を創刊したことでも知られる。1967 年に出版した小説『謝肉祭』 Fasching は、好評を博したデビュー小説に対し、その過激さのため、批評家 たちからは拒絶されてしまう。1969 年、フリッチュは 4 人の子供を抱えた生 活の困窮のためか、ウィーンで自殺をはかり、45 歳の誕生日を前に亡くなった。 本論文では小説『謝肉祭』2を紹介する。この小説は、出版当時「完全なる真実」 が欠けているとして批判された。フリッチュは「半分の真実も示していない、 なぜなら彼は白黒で描くどころか、ただ真っ黒に塗りつぶすだけだからだ。」

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この小説では「地獄のみが示される、しかし地獄がある所では天国もあるの ではないか、少なくともその両方の間には大地があるはずである」というの が当時の批評である3。このような批判に対し、戦後生まれで、「バイオグラ フィー的に負荷をおっていない」4ロベルト・メナッセは、この作品を現代社 会に通じるものとして評価し、『謝肉祭』は戦後オーストリアを代表する作品 として再評価されるにいたった。 『謝肉祭』は主人公 フェリックス・ゴルプ Felix Golub のときに錯綜し、と きに怒りの発作へと爆発する一人称の濃密な語りで語られる。小説は一つの 穴の描写から始まる。フェリックスは穴の中にいて、頭上には謝肉祭の仮装 をした人々のけたたましい笑い声が響いている。「僕は再び、自分の力では抜 け出る事のできない当時の穴に舞い戻ったのだ」(7)とフェリックスはつぶ やく。当時とは第二次大戦末期を指す。舞台はオーストリアのシュタイヤー マルク州南の村。この村にフェリックスは戦後戻って来たのだ。フェリック スは戦中のことを穴の中で思い返す。穴の中にいる主人公が身の回りに起こ るグロテスクな事件を観察し、報告するというスタイルに、ギュンター・グ ラスの『ブリキの太鼓』を重ねて見る見方もある5 フェリックスは脱走兵である。「僕たちが素晴らしい人間で、他の人たちを 抑圧したり、石鹸にしたりして許されるとは思わない」(43)という脱走の理 由を聞いて、彼を助けたのは有名な将軍の未亡人である男爵夫人ヴィットリ アと、彼女を崇拝する女装の老人ライムント。彼らはフェリックスを住居の 下の穴の中に隠した後に女装をさせ、周囲の目をごまかす。フェリックスは シャルロッテと名前を変え、メイドの格好をさせられて、ヴィットリアの家 政を助け、また時には性的な奴隷として彼女に仕え、「今ほど男性的だったこ とはない」(63)と嘲笑されるという屈辱的な日々を送る。ヴィットリアのサ ディスティックな攻撃性は一種の精神的なテロルとして描かれ、精神が麻痺 したフェリックスは従順なメイドとして主従関係の虜となる。グロテスクな ストーリー展開だが、「戦争六年目では何も不可能なことはない」(61)とい う言葉にある通り、誇張を伴いつつも、戦争末期における集団の狂気的な心 理状態、そしてヒトラーに心酔し服従する大衆を、ヴィットリアとフェリッ クスの倒錯関係は映し出す。 興味深いのはヴィットリアの身体が故郷の風景として描かれることである。 ヴィットリアとフェリックスのサディズム・マゾヒズムの関係はしばしば反 転し、フェリックスもヴィットリアの身体の制覇を試みる。「犠牲者の調教は

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終わった。全ての答えを知っているこの女が調教されるのだ。彼女は醜く、 年老いている、彼女は売女で、黒い山々の女王だ。彼女の肛門は岩々で、彼 女の穴は沼、彼女の穴はコンクリート、彼女の腹は降伏の胎児を孕んでいる。」 (68)オーストリアの故郷の風景は、暴力と征服の印を刻み込まれ、調教され、 売られる身体と化すのである。 女装によって偶然にも村をソ連軍の攻撃から守り、戦争を無事に生き延び たフェリックスは、ソ連に抑留された後、12 年ぶりに故郷の村に舞い戻る。 ヴィットリアは今や教会の活動に従事し、女装の老人ライムントは教会の合 唱団を率いている。オーストリアを「カトリック的、ナチス的」katholisch, nationalsozialistisch と呼んだのはトマス・ベルンハルトであるが、ここでもナ チズムからカトリシズムへの住民たちの見事な変貌が描かれている。かつて の女装の逃亡兵を村の住民は嘲笑をもって迎える。フェリックスは相変わら ず村の慰みものである。戦後、郷土愛によって建てられた郷土博物館でのシー ンは見物である。農村の生活を再現した郷土博物館が所有するのは、家庭的 な暖炉や昔のウェディングドレスを収める長持だけではない。「大ゲルマン帝 国の補完物としての郷土博物館」(110)が収める昔の拷問道具で、フェリッ クスは博物館員の女性や住民たちによって、拷問に近いいじめを受ける。 父が出奔し、母が自殺し、叔母によって育てられたフェリックスは、禁止 事項ばかり言い渡す教育熱心な叔母やエリート学校教育による調教から逃れ、 自由になることのみを願っていた。「反ユダヤになるのは特別な技巧は必要な い、僕はただ彼らを嫌うのだ、なぜなら彼らは移住する事ができるから、僕 も彼らと一緒に行きたかった、叔母から逃れたかった。」(189)戦中はナチズ ムの同調者、戦後は民主主義やカトリシズムの信奉者という仮装を続ける住 民たちの「謝肉祭」からフェリックスは決して逃れる事ができない。  物語のラストは住民総出の「謝肉祭」の式典だ。フェリックスはここで謝 肉祭の女王に選ばれ、再び女装を強いられる。仮装で身を包みながらも、逆説 的に人間の本性が暴きだされる「謝肉祭」でフェリックスは仮装した住民た ちに殴り続けられる。村を支える伝統的な「謝肉祭」の儀式は、リンチの儀 式と化すのである。フェリックスを助けるのは、今回もヴィットリアで、再 び彼を狭くて暗い穴の中に隠す。しかし今回は、穴の外に出られる見込みは なさそうだ。暗い穴の底から届くフェリックスの独白もとぎれとぎれになり、 小説は終わる。ロベルト・メナッセによるこの作品のあとがきのタイトル『我々 は今もまだ謝肉祭で踊っている』という言葉が適切にこの作品の意図を言い

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当てているように思われる。戦後も謝肉祭は依然として続いているのだ。 2. 即物的な不気味さ─ゲルト・フリードリヒ・ヨンケ『幾何学的郷

土小説』(1969 年)

G. F. ヨンケ Gert Friedrich Jonke は 1946 年クラーゲンフルト生まれの作家

で、2009 年ウィーンで亡くなった。ヨンケのデビュー作『幾何学的郷土小説』 Geometrischer Heimatroman(1969 年)をここでは取り上げる。タイトルからも 推測できるように、この作品は郷土文学を揶揄した作品である。そもそも「小 説」と題されていながら、小説とはいえないような形式を取っている。本を 開いてみてまず気がつくのは、手書きの説明が付けられた余り巧みとはいえ ない手描きの図である。広場を囲む家々や井戸、排水システム、屋根の上に 干された洗濯物、レンガ工場の煙突などが、美的効果のためではなく、即物 的な説明としてときにはデータを表す数字とともに素朴な太い線で描かれて いる。小説といえるかどうか疑わしいのは、背後に特定の人格を推測できる ような語り手が不在であること、そして発展するストーリーがないことだろ う。小説というよりはむしろ村を即物的に描写するプロトコルといった方が 適切なのかもしれない。それをあえて「小説」と名付けるところに、作家の アイロニーが存在する。 タイトルのもう一つのキーワードである「幾何学」は、四方を山で囲まれ た盆地に位置する村の風景が全て幾何学的に捉えられていることによる。「村 は盆地の中にある。村は山に囲まれている。村の北の山脈のシルエットは互 いに交差する 4 つのカーブを持ち、サインカーブ、コサインカーブ、そして サイン・コサインカーブ[…]村の南の山脈には角張った石灰山脈[…]東 の山脈は低山帯。東側から村に入るのが一番好都合。山脈の峠には急勾配の 岸壁は見当たらない。」6一事が万事この調子で、数学や幾何学、地学の用語 が用いられ、あらゆるものが即物的に描かれていく。 村の中心となっているのは中央広場である。中央広場は井戸を中心とし た四角の図で表され、村の生活はこの中央広場を中心に繰り広げられる。広 場に面する家々の持ち主の名前は図に記載されているが、個々人の個人的生 活や人生にはいっさい言及されない。村の住民たちは幾何学的構図の上に 行動の軌跡を描く点でしかないのである。こうして故郷の村は奥行きのな い平面として捉えられた、単なる「幾何学的に計測された場所」 geometrisch

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vermessene(r)Ort(18)と化す。  このように即物的な口調で報告される村のプロトコルであるが、幾何学的 構図から禍々しいものが透かしてみえる。例えば、村の外からやって来た太 鼓たたきのサーカス芸人は、四角い中央広場に斜めに張られた綱を渡ってい る最中に広場中央に位置する井戸の真上に落ち、背骨を真二つに折って死ぬ。 村の中心であり、生命の源泉でもある泉に禍々しい役割が与えられていると いえるだろう。そして余所者は、村の生命の泉の上で死ぬよう定められてい るのだ。 そもそもこの村は徹底して余所者を受け付けない作りとなっている。この 村に入るためには川を渡らねばならない。橋の両端には扉が付けられ、鍵が かかっている。鍵は川の両岸に住んでいる監視人から借りねばならない。見 慣れない余所者 unheimliche Personen(44)を通してはならないという法律も ある。「第 3 条 余所者は、たとえ写真付き橋通行証明書を所有していても、 監視人から拒否されることもでき、また拒否されねばならない。なぜなら証 明書が偽物である可能性がないとは限らないし、あり得るからである。」(44) 「写真付き橋通行証に関して。例外なく 1 年の証明期間が必要。その人物の明 確な国家的潔白、一般衛生規則に基づいた政治的衛生と純粋性の検査の必要。」 (44)「余所者」と訳した unheimliche Person の unheimlich という形容詞は「不

気味な」「怪しい」という意味であるが、この語の中には、「故郷」Heimat と いう語の一部ともなっている「家」Heim という語が入っている。「家」や「故 郷」に属さない者は不気味で怪しいものであるという感情が、そもそもこの unheimlich という語に潜んでいる。 この故郷の村は余所者を決して中に入れ ない。上記の法律を無視してそれでも橋を渡ろうとすると、橋の両側が閉め られ、捕まった者は川の中に飛び込み、溺死するしかない仕組みとなっている。 この村は一種の要塞なのだ。 他方で村の住民も故郷から外界に出る事はできない。村を囲む森の中に入 る事を禁ずる法律が施行されたからだ。「保安の理由から今後、森と並木道に 入る事を禁ずる。木の陰に隠れている黒人から住民を守るために。」(123) そ れでも森に入ろうとする住民は森の入り口と出口に待機するパトロール隊員 にあらゆる個人情報を記入した申請書を提出せねばならない。職業、年収、 いくらの資金を持って外に出るのか、何を買うつもりなのか、どこに滞在す るのか、滞在地での知人の住所、知人の親、兄弟の名前、等々。この申請書 は本書の 7 ページにも及んでいる。虚偽の申告をした者は、尻をステッキで

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20 回殴られ、強制収容所で強制労働が課される。村はこうして、ナチ時代の 強制収容所の様相を呈する。 このような閉鎖的な村を脅かす一つの存在が描かれているのが印象的であ る。村を襲うのは、白い鳥の大群である。ヒッチコックの映画『鳥』のように、 この小説の鳥も群れとなって村を攻撃する。鳥たちは村の家々の土壁をつい ばみ、家々を破壊する。銃で撃っても決して死なない鳥の大群に対し、村人 たちは中央広場の村の命の源泉から水を引いて、ホースで放水して鳥を追い 払う。やはり村の中央に位置する泉は禍々しいものを象徴しているのだ。鳥 の大群は一旦はこの村を去る。しかし村人たちは、いつ鳥の群れが舞い戻っ てくるかおびえ続けながら生活を続けるしかない。通常ならば、動物や虫の 大群こそが、理性では抑えきれない人間の暴力性を象徴するのであろうが、 この作品では村の住民の方が理不尽な暴力と狂気に捕われているのが面白い 所である。 3. 欲望の交わる汚染地域─オルガ・フロア『谷の終わる所』(2005 年) オルガ・フロア Olga Flor は若手の女性作家で 1968 年ウィーン生まれ。ウィー ン、ケルン、グラーツで育つ。本論で紹介する小説『谷の終わる所』Talschluss は、 2002 年に出版された小説『魔王』Erlkönig に継ぐ二作目の小説で、2005 年に 出版された。印象的なのは本書の表紙写真で、緑の森と草原を背景に、白と 茶色のまだら模様の牛の背中が人目を惹く。舞台はオーストリアの山間部、 谷が閉じる所。ここに一家が週末を利用して集まってくる。グレーテの 60 歳 の誕生日を祝うためだ。グレーテは企業の心理カウンセラーとして成功し、 古い農家を買い取る。彼女は成功のシンボルであるその別荘を細心の注意を 払ってリニューアルし、山荘の中には「全体のコンセプトに注意しながら」 選んだ家具が並ぶ。田舎風の雰囲気を演出するストーブ、羊毛で出来たスリッ パ、木製の壁には家族写真、もちろんテレビやコンピューターなどはない。 小説の語り手は35 歳の独身女性カタリーナで、彼女のモノローグとともに、 山荘に集まった人々の言動が意地悪ともいえるコメントを添えられながら語 られていく。カタリーナは両親を早くに亡くし、隣人のグレーテによって育 てられ、後グレーテの一人息子と結婚し離婚したという過去がある。母親代 わりのグレーテの行動や発言に反発を感じており、田舎風の演出を凝らされ た山小屋もカタリーナにとっては苦笑もので、そもそも山岳地帯の風景も、

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グレーテにとっては「真性なもの」7と映ってもカタリーナにとっては抑圧的 なものでしかない。 この風景は私には手の平のように見えるの、真ん中に湖があって、 山々の頂は指のよう、と彼女は言う、その手の中で私は宙に浮いたよ うに感じるの、この場所は私に力を与えてくれる、もっとここに来る ようにしなくてはね。そうね、と私は言う、でも私は閉塞感を感じて いる、まさにこの環境が私を圧迫するのだ、私の考えでは、この家の 位置は唯一の本物の短所だ、両側の谷の終わりにあって、全く見晴ら しがきかず、頂の間の凹みにあって、見るべき世界の果てにある。(14) 山小屋は谷によって世界から隔絶されてはいるが、谷の向こうにある世界 も、国道や工場地帯によって区切りがなされた世界でしかないことをカタリー ナは知っている。また山小屋のある牧草地の農場も、グレーテが望むような 牧歌的なものではなく、コンピューターによって制御され、農地で働く従業 員もウィンドウズではなくアップル派である。それでもグレーテは「自然と の対話、背景にある山へ向けたモノローグ」(69)を辞めず、「啓発的おしゃべり」 Emanzipationsgerede(49)を繰り返す。 あなたは広い所へ来た、苔に覆われた牧草地を踏みしめ、異義あり と私は言う、まだ冬じゃない、もう冬は終わったわとグレーテは言う、 あなたの意志のみを信じなさい、そしたら何かを変革するような力を 感じるの、彼女は正しい、壁は去って行って、あなたは大きく伸びを するとグレーテは言う、草の上に横たわって、とても暖かい、穏やか な春の日、空気は新鮮。身体を伸ばし、あなたの身体のあらゆる細胞 は温められ、穏やかに輝く太陽の下であなたは広がるの、あなたは存 在する、と彼女は言う。(56) グレーテの「啓発的おしゃべり」は、日常は高度資本主義の産業的身体と して働きつつ、休日はヨガや気功などアメリカ経由の東洋思想に耽溺する西 洋的人間の典型として皮肉に描かれている。小説はグレーテが繰り出す秘教 用語とともに、経済用語が頻出する。そもそもカタリーナもイベントマネー ジャ―、山荘に集まっている家族も、企業のマネージャー、銀行の頭取と、

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農村とは無縁の人々である。 両側が谷によって閉じられた閉鎖的な空間で演じられるのは、不協和音に 満ちた家族ごっこである。家族関係は複雑で、すでに破綻の兆しが見えている。 グレーテの娘は幼子を 3 人抱えて、子供のいないカタリーナに対し、母性を 至る所で主張、演出しながらも、常に苛立ちに襲われている。彼女の夫は最 後まで不在である。グレーテの息子はカタリーナと離婚後に結婚した二度目 の結婚相手とすでに別居しており、別居中の妻と子供はやって来ない。代わ りに山小屋でのパーティーに参加するのが、別居中の妻の最初の結婚で出来 た連れ子アルトゥアである。 「身体的な凋落の跡をあらゆるテクノロジーの暴力で打ち負かそう」(47)と、 つまりジムや日焼けサロンに通う事によって若さを保とうとしている元夫と 寝床を共にしながらもカタリーナが獲物のように狙っているのは自分よりも 10 歳以上若い元夫の義理の息子アルトゥアである。首尾よくアルトゥアを誘 惑したカタリーナは、アルトゥアの身体に山の風景を見る。「彼の肌の構造ま で、彼の眼窪の浅くて小さなクレーターまで認識できる程、彼を近くに感じ ながら、私は山について考えた、そして内アルプスの地理を考えてみるに稜 線の向こうにはより高い山々が存在するに違いないのだ、[…]雲に覆われ、 盛夏でも残る雪が固まり、靴がはまって、粘って、先へと進めなくなるような。」 (86)若いアルトゥアの身体はカタリーナにとってこの閉鎖的な谷間を超えた 所にある登頂すべき、だが泥濘にはまる可能性のある高い山なのだ。このよ うに征服すべきものとして自然と身体が比較されているが、頭はスキンヘッ ド、舌にはピアスが埋め込まれたアルトゥアの身体は自然とは無縁の非常に 現代的なものである。 地理的に閉鎖的な空間に集った一家であるが、彼らは更にこの空間に二重 に閉じ込められる。BSE、狂牛病がこの地域で発生したのだ。道路は封鎖され、 彼らは谷の中に完全に幽閉される。グレーテの自然礼賛にうんざりしていた カタリーナはこのニュースに涙を流して笑い、いよいよ畜産牛たちの復讐が 始まったと喜ぶ。汚染地域に幽閉されながらもグレーテは星空の下での自分 の誕生日を完璧に演出することをやめない。前菜から始まりチーズで終わる 食事のコースは完璧に計算しつくされ、自家製パスタに近所でとれたトリュ フを削るといった田舎風を演出した高級レストランのメニューが延々と続く。 祝祭の中繰り広げられるのは権力ゲームであり、欲望の交差である。誰もが 空疎な意見で発言力を得ようとし、中にはいち早く汚染地域から逃亡する者

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もある。カタリーナはアルトゥアとのセックスのことしか念頭にない。酔い の廻ったカタリーナは幼少期、田舎の学校のトイレの窓から逃亡しようと試 みたことを思い出し、山小屋からの逃亡を空想する。「家は私のずっと後ろに あり、山の後ろには広い平原があるのだ、もちろんそれは正しくないと知っ ている、でも眠りの中では山の後ろには広い草原が待っているのだ。もし私 がそこに到達したとしたら、ついに私は誇る事ができる何かをやっと得る事 ができるのだ。」(158)  カタリーナの心の奥底には田舎の故郷から、そして空疎な資本主義的勝ち 組のライフスタイルからの脱出願望があるのは確かである。実際カタリーナ は誕生日パーティーの後、アルトゥアと共にグレーテの山小屋を抜け出す。 そして別の山小屋で彼と交わるが、朝起きてみると、小屋の周りには牛の群 れが集っている。これが物語のラストであるが、果たしてカタリーナは汚染 地域からアルトゥアが具現する山の彼方へと逃れられたのか、あるいは汚染 の渦中に自ら飛び込んでしまったのかは、読者の解釈に任せられている。 4. 炬火が照らし出す国境地帯─リディア・ミッシュクルニク『地方 での出会い』(2009 年) リディア・ミッシュクルニク Lydia Mischkulnig は 1963 年クラーゲンフルト 生まれ。グラーツとウィーンのアカデミーで舞台芸術と映像を専攻し、ウィー ンに在住しつつも、アメリカや日本など世界各地に滞在し、執筆活動を進め ている。『地方での出会い』Begegnung im Gebiet は 5 ページ弱の短い散文で、

2009 年に出版された散文集『心配しないで』Macht euch keine Sorgen に収めら

れている。 散文のタイトルにある「地方」とは、「クラーゲンフルトに生まれた。ヴェ ルター湖畔のフェルデンで育つ」8という語り手の言葉が示すように、ケルン テン州の州都であるクラーゲンフルト近郊を指す。作者自身がクラーゲンフ ルト出身であることを考えると、この作品を限りなく自伝に近いものとして 読む誘惑を拒むのは難しい。 この散文作品は「炬火」Fackel に関する不思議な描写から始まる。「炬が燃 え上がるには、誰かがそれに火を付けねばならない。自然、あるいは人間好 きの人の手によって火花が与えられねばならない。外を取り囲んでいる風景 のように、光の中で初めて立体感を持つのだ。空間。時間。そして人間」(96)

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炬火は火を点けられねば、普通燃え上がる事はない。このような自明なこと をなぜ作品の冒頭で語るのだろうかという疑問がまず湧いてくる。そしてな ぜただの人ではなく、「人間好きな人」Menschenfreund という表現がなされる のだろうか。また自然が炬火に火を点けることがあるのだろうか。ともかく 木に点された火によって、故郷の風景や空間、そして過去という時間、そこ に住む人間が初めて立体的に浮かび上がってくるというのだ。 「炬火」Fackel という言葉を聞くと、オーストリア文学に親しんでいる者 は、カール・クラウスが自ら執筆、編集し、出版した雑誌『炬火』Die Fackel やエリアス・カネッティの自伝『耳の中の炬火』Die Fackel im Ohr がすぐ に思い浮かぶだろう。しかしこの作品の背後に見え隠れするのは、作者と 同じクラーゲンフルト出身の女性作家インゲボルク・バッハマン Ingeborg Bachmann(1926~1973)の『あるオーストリアの町での青春』Jugend in einer österreichischen Stadt という散文作品だ。 1961 年に出版されたバッハマンの作品も、ミッシュクルニクの作品同様、 成長して大人となった語り手が、故郷の町を訪れて幼年時代を振り返るとい う半自伝的作品である。両作品とも、語り手が故郷の町を訪れるのは、木々 が燃えるように黄金色に輝く秋の日だ。そしてまた「炬火」の描写で作品の 幕が上がることも共通している。バッハマンの作品では一本の木が「炬火」 に喩えられる。 10 月の美しい日々、ラデッキー通りからやって来ると、劇場の隣に 太陽の光の中に立つ一連の木立を見る事ができる。最初の木、実を結 ぶ事のない濃い赤色の桜の木々の前に立つあの木は、秋の光によって 燃え立っていて、限りなく黄金に浮き立っているので、まるで天使が 落とした炬火のようにみえる。そしてその木は燃えるのだ、秋の風や 霜はその火を消す事ができない。 この木を前にして誰が私に落葉や白い死について語るというのか。 その木を目の中に保ち、今この時間と同様その木がずっと輝き続け、 世界の法則がこの木の中にあるのだと信じることを誰が私に禁ずると いうのか9 「今、この木の光の中でこの町も再び認識へともたらされる」10とあるように、 天使が落とした炬火の如く輝く木は、クラーゲンフルトの子供時代を物語る

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ための原動力として機能する。この木が発する光に照らされ、戦時中のクラー ゲンフルトの町の様子とともに、子供らしい無邪気さと不安に満ちた幼年時 代が物語られる。物語の終わりは再び「炬火」の描写で締めくくられる。「劇 場の前の木が奇跡を起こす時、そして炬火が燃える時、私には海の中の水の ようにすべてが入り混ざってみえるのだ。幼少期の暗さが、白く輝く雲の上 の翼とともに。」11炬火が照らし出す幼少期は、暗さのみに支配されているの ではない。「白く輝く雲の上の翼」という言葉が示すユートピア的希望、そし て「秋の風や霜」にも消えない火となった強さこそがバッハマンの作品の特 徴であるといえるだろう。 ここで再び、バッハマンの作品より 50 年近く後に書かれたミッシュクルニ クの作品に戻ろう。「炬火」の描写で作品が始まっていることはすでに述べた。 その後にこのような描写がある。「私の一番個人的な風景には一本の木が立っ ている。」(95)ミッシュクルニクはバッハマン作品からの影響を明言しては いないが、ここで述べられている木とは、上記のバッハマン作品の中の幼少 期を照らし出す炬火のような木のことではないだろうか。しかしながらミッ シュクルニクが、自作を執筆する際にバッハマンの散文を参照したとしても、 両者の木の描写には相違がある。ミッシュクルニクの描く木をみてみよう。 「木陰に座っていると、風が木の梢を渡っていく。さわさわという音はしな い。ざわめきもない。ささやきもない。絵葉書の中の静寂。なぜなら私は猫 柳の綿を耳の中に詰め込んでいたのだから。」(95)語り手が目にしているの は、木の立つ丘という美しい故郷の風景であるが、それはあくまで「絵葉書」 の中の風景のように、人工的でキッチュなものでしかない。そしてそこに閉 じ込められているのは死のような「静寂」である。語り手は、復活祭前の棕 櫚の日曜日に使用する猫柳というカトリック的で、また非常にオーストリア 的なシンボルを耳に詰め込み、人工的に「静寂」を作り出す。まるで外の音 を拒絶するかのように。さらに木の中には、「先端が二つに割れた舌を持つ蛇」 (95)が住み、「木」が根を下ろす大地は、「墓場の土」(95)、「肉と血の混合物」 (95)と呼ばれる。故郷の大地はもはや人が安住し、存在の根を下ろす地では ない。それは肉と血が腐敗し、混ざり合う、禍々しいものと化している。そ して腐敗する故郷の大地の表面では、「言語あるいは野蛮」(95)が支配する と語り手は言う。 大都市に住み、「感情が季節とともに移り変わるのではなく、様々なイメー ジとともにコンクリートの中に固められ、保存される」(96)ことを好む語り

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手は故郷の大地に土葬されるのを拒む。「私のような無神論者、言語的人種差 別の息吹の中で育った私が、土から出来ているというのか」(96)と自問する。 故郷の大地は言語の問題と不可分であるということが分かってくる。故郷に おける言語の問題を照らし出すのは、ここでも「炬火」である。両親ととも に車に乗って、故郷を訪ねて来た語り手の目の前に広がるのは、秋の光の中 で黄金色に光り輝く森の光景である。突然、教会の鐘が鳴る。「いまや天空へ とそびえる木は、玉ねぎのような屋根を持つ教会の塔へと変貌した。黄金色 の。太陽神ヘリオスが四頭馬車でかすめ通ったのか、それとも神が稲妻を送っ たのか。」(96)教会の鐘の音は一種の転換点として機能する。いまや森の木は、 天空からの火を受け、カトリック教会の丸い黄金の塔のように燃え上がる。 ここで聖書的・神話的なイメージに満たされた叙情的な語り口は、一気に 現実的で政治的なトーンへと変調する。語り手は隣人の農家が燃え上がり、 その火花が親戚の農家に燃え移った時のことを思い返す。「隣人はカナル谷の ドイツ人だった。つまりナチスの移民政策によっての農地へと追われ、民族・ 国家の敵として誹謗されたケルンテンのスロヴェニア人だった。」(97)オー ストリアのケルンテン州はイタリアとスロヴェニアと国境を接している。第 一次大戦におけるオーストリアの敗戦後、カナル谷はイタリアとスロヴェニ アに一部を割譲され、ケルンテンとスロヴェニアの国境は、1920 年の国民投 票によって正式に定められた。この時スロヴェニアへの帰属に賛成した者は、 追放されることとなった。また 1938 年オーストリアのナチスドイツ併合後、 スロヴェニア語は公共の場で禁じられ、スロヴェニア的なものを抹消するた めの強制移住も計画された。「男たちの勇気と女たちの貞節で新たに故郷を勝 ち取った所、血で国境を引き、困窮と死の中で自由に留まった所」とケルン テン州歌にもあるように、国境地帯には血塗られた歴史がつきまとう。ミッ シュクルニクは、この散文作品でスロヴェニア系住民とケルンテン人との間 の対立という故郷の歴史の裏面をはっきりと明るみに出す。この点が先に引 用した 20 年代生まれのバッハマンとは異なる点である。 バッハマンはあるインタビューで故郷に関して以下のようなコメントを残 している。「私はケルンテンで青春を過ごしました。南の、国境の近く、ドイ ツ語とスロヴェニア語の二つの名前をもつ谷の中で。オーストリア人やヴィ ンディッシュの人々、私の祖先が幾世代もの間住むこの家は、今でも一風変 わった名前を持っています。国境にこのように近い所では更なる境界がある のです。言語の境界が。」12

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バッハマンは、国境地帯における闘争の歴史を直接的に問題にするよりも、 むしろケルンテンの人々と、オーストリアに同化されたスロヴェニア人を指 すヴィンディッシュの人々との共生を夢見る。言語学的には否定されている が、ドイツ語、スロヴェニア語以外にヴィンディッシュ Windisch という第 三の言語を話すグループが存在すると主張するヴィンディッシュ理論は、強 い政治的色彩を帯びている。1920 年の国境設定の際にオーストリア側への帰 属を希望した親ドイツ派のスロヴェニア人をヴィンディッシュと呼ぶことに よって、他のスロヴェニア人との言語的・政治的区別をはかる問題の多い概 念なのである。現在でもケルンテン州では、スロヴェニア語とドイツ語とを 巡って様々な政治的対立が起きており、言語問題も表面化されているが、バッ ハマンが上記のコメントを残した 1952 年では、現在程人々の意識は先鋭化さ れていなかったのだろう。スロヴェニア人のドイツ化をバッハマンが狙って いた訳ではもちろんなく、多くの民族が平和に共存する事への願いがここで はむしろ表現されている。それは詩『一つの土地、川そして湖から』の以下 の言葉からも明らかである。「ここ以外のどこで遮断機が道の上に下ろされる というのか ⁄ ここでは挨拶が交わされ、一つのパンが分けられる ⁄ 手の平いっ ぱいの空と布いっぱいの土を ⁄ 皆が持ってくる、国境が癒えるようにと」13 ミッシュクルニクの作品には、現実に即さないこのようなユートピア的希 望はみられない。ミッシュクルニクは、叙情的なイメージを駆使しつつも、 現実に即した冷徹さで故郷の言語問題をさらに厳しく描き出していく。散文 の冒頭にあった謎の炬火の描写は、いまやはっきりとその意味が理解される。 自然が火を付けた炬火とは、スロヴェニア系住民の農家を焼き、飛び火をし た火のことだ。「人間好きの人」が火をつけた炬火とは、紛争の火種に他なら ない。語り手の叔母は、火種を点け、憎悪の炎を燃やす。叔母は自分たちの 農家に火が燃え移った罪を祖母に転嫁する。「ドイツ語で祈るには余りにも祖 母は愚かだったから、だからこそ火花は燃え移ったのだ」(97)。「祖母の愚か な家畜小屋に天使が炬火を落としたのだ。なぜかって?ドイツ語で祈る代わ りにスロヴェニア語で祈ったからこそ、神の罰を受けたのだ。」(97)このよ うに祖母を叱責する叔母自身はというと、「一言もドイツ語が口に上って来な い。ただの方言。」(97)作品冒頭における木の中に住む二枚舌の蛇とはこの 叔母のことを指しているという事がここで分かる。「先が二つに割れた舌」と いう表現は、国境地帯の二重言語性を指していることになる。叔母は、「スロ ヴェニア語は悪の根源だ」(97)とし、二枚目の舌を隠蔽し、スロヴェニア語

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を話す事を禁ずる。「叔母の舌は、まるで口蓋の中で驚いたトカゲのようだっ た。なぜならそれは叔母の憎悪からの脱出口を見つける事ができなかったか ら。この土地の看守は神という。神は土地の者に言語という道具を創造した。 だがまた彼らの舌もいっしょに牢獄の中に閉じ込めてしまったのだ。」(98) 多言語が話される国境地帯は、ここでは他文化へと向かって外に開かれて はいない。人は憎悪が作り上げた牢獄に自らの舌を閉じ込め、神を看守とし て置く。このような言語の牢獄から逃れるすべはないのだろうか。語り手は 祖母がドイツ語で語った唯一の言葉を頼りとしてこの牢獄から逃れ出る。そ の言葉とは「おばさんはイカレてるんだ」Die Tante spinnt(98)という、辛辣 で皮肉な言葉であるが、それは牢獄を爆破する起爆剤の役目を果たす。なぜ ならそれは真実を語る言葉であったからだ。「彼女はその言葉をあらゆる言 語で言い表す事ができただろう。あらゆる言語は、それが真実の言葉を生み 出す時、全て理解可能なものとなる。そのことにこそ二つに割れた舌を持つ 話者の救済がある。」祖母の言葉は語り手にとって「信頼の火花」(98)を点 すものである。「祖母のしわがれた声はわたしにとって耳の中の炬火である」 (98)。 語り手は祖母のドイツ語のことばが火を付けた炬火を耳に、「舌の大地から 創作された言語」(96)へと、つまり言語芸術の世界へと脱出する。「おそら く書くということはバビロンのルート計算式に違いない。記憶の中の風景を 支配する絵葉書の静寂を突き破り、私自身を構成する響きへと到達するため の。人とはいったい何者なのか。あらゆる感覚を持った身体である。一つの 場所である。」「バビロンのルート計算式」 babylonisches Wurzelziehen という言 葉は数学用語であるが、ここでは多言語によって崩壊したバビロンの塔のイ メージが重ね合わされ、また「ルート」Wurzel には「根っこ」という意味が ある。語り手は故郷という大地に張られた根を引きぬき、書く事によって自 らの内に「一つの場所」、つまりは故郷を見いだすのである。 1 タイトルにある「ゼロ年代」という言葉は、宇野常寛から借用した。2001 年以後の文化現象、作品を指す。宇野常寛『ゼロ年代の想像力』早川書房 2008 年

2 Gerhard Fritsch: Fasching. Frankfurt a.M.: Suhrkamp 1995. 以下本書からの引用

は本文中にページ番号を記す。

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246. 4 Ebda, S. 247.

5 Kurt Bartsch: Vergangenheitsbewältigung. Kritische Durchleuchtung der Provinz. In: Geschichte der deutschen Literatur vom 18. Jahrhundert bis zur Gegenwart. BandIII/2 1945-1980. Hrsg. v. Viktor Žmegač. Athenäum 1984, S. 797.

6 Gert Jonke: Geometrischer Heimatroman. Frankfurt a.M.: Suhrkamp 1969, S. 10.

この作品からの引用は以下、本文中に頁数を記す。

7 Olga Flor: Talschluss. Wien: Zsolnay 2005, S. 14. この作品からの引用は以下、

本文中に頁数を記す。

8 Lydia Mischkulnig: Begegnung im Gebiet. In: Macht euch keine Sorgen. Neun Heimsuchungen. Innsbruck, Wien: Haymon 2009, S. 96. この作品からの引用は

以下、本文中に頁数を記す。

9 Ingeborg Bachmann: Jugend in einer österreichischen Stadt. In: Werke. Hrsg. v. Christine Koschel, Inge von Weidenbaum, Clemens Münster. 4Bd. München, Zürich: Piper 1978, Bd2, S. 84.

10 Ebda. 11 Ebda, S. 93.

12 Ingeborg Bachmann: Biographisches. In: W4, S. 301.

参照

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