『
真
言
教
主
問
答
抄
』に
つ
い
て
橘
信
雄
『真言教主問答抄 』 につ い て1
問
題
の
所
在
弘 法 大 師 以降
、 興教
大 師 に 至 る 間 の真
言密
教
の 展 開 に お い て、 思 想 史的
研
究 は、 現 在 充 分 に 研 究 さ れ て い る と は 言 い が た い 。 殊 に 興教
大師
が そ の 教学
を 形 成 さ れ る に あ た っ て、 大 き な影
響 を与
え た と考
え ら れ る 宝 生 房教
尋
に つ い て は、櫛
田良
洪
博
士等
によ
り 極僅
か に発
表
さ れ て い る に 過 ぎ な い 。 そ の 最 大 の 理 由 は資
料 が 殆 ど な い こ と に 尽 き る 。 『 諸宗
章
疏
録 』 巻一 二 に は、ホ ユ 「
○
高 野寶
生顕 密
問
答
鈔
二 巻 」 と し て、教
尋
に 『 顕 密 問答
鈔
』 と い う著
作
が あ っ た と さ れ、 『真
言宗
全書
』第
二 二巻
に 「 『 顕密
差
別 問答
鈔 』 教 尋撰
」 と し て 収 載 さ れ て い る が 、 こ れ は 「大
正新
脩
大
蔵
経
」 第 七 七 巻 所 収 の 『 顕 密 差 別 問答
』 と 同 一 本 で あ り、 そホ の
内
容 か ら現
時
点 に お い て は 「済
暹
撰 」 と考
え ら れ て お り、 教 学 関係
の教
尋
の 著作
と し て 今 日 我 々 が 見 る こ と の で き る の は 、 「大
正新
脩
大
蔵 経 」 第 七 七巻
所 収 の 『 真 言教
主問
答
抄
』 ( 恥2445
) だ け で あ る 。 そ こ で 今 回 は こ の 『真
言教
主問
答
抄 』 を 資料
と し て 、教
尋
の教
学
の 一端
を 見 て み た い 。智豊合 同教学大会紀要
2
宝
生
房
教
尋
宝 生 房 教 尋 は、 仁 和 寺第
二 世性
信 法 親 王 ( 一 〇 〇 五 ー 一 〇 八 五 ) の 付 法 の 弟 子 に あ た る 。 性 信 の 付法
の 弟 子 は 二 十 人 に の ぼ り、 そ の 中 に は 済暹
、寛
助、 経範
、寛
意
、覚
意
等
が い る 。 没 年 に 関 し て は 「 永 治 元 年 (=
四 一 ) 三 月 二 十 三 日 」 と し て 史 料 ( 『高
野 往 生 伝 』 や 『本
朝 高 僧 伝 』 『 結 網集
』等
) に 記載
さ れ て い る が、 生年
に つ い て は 不 明 で あ る 。 た だ し 寛 助 が 性信
よ り 付 法 を受
け た の が 承暦
四 年 ( 一 〇 八 〇 ) 二 四 歳 の時
で あ り、教
尋
の そ れ が 治 暦 五 年、 つ ま り 延 久 元年
( 一 〇 六 九 ) と=
年
の隔
た り が あ り、 そ の後
の 活 躍 や、 性 信 の 他 の 弟 子達
の 付法
の時
の 年齢
か ら 見 て も、寛
助 の 二 四歳
と い う 年齢
よ り も極
端
に 若 い 時 の 受 法 は考
え ら れ ず 、教
尋 は 寛 助 よ り も十
年
ホ ヨ 以 上 は 年 輩 で
あ
っ た はず
で あ る 。教
尋
の 伝 記 に つ い て は 『 高 野 往 生 伝 』 や 『 本 朝高
僧
伝
』 『 結 網集
』等
に 記 載 さ れ て い る が ど れも
大 き な差
異 は な く 、 そ れ に よ れ ば教
尋
は 宝 生 房 と号
し 、 も と 園 城 寺 に住
し、 後 に 高 野 に 移 っ た 僧 で 、 そ の 平 生 の 行業
は、 広く
八 宗 を兼
学
し て 五部
の 大 乗 経 に 通 じ 、諸
流
を 伝 え て令
名 が 高 く、 文 殊 菩薩
の 信 仰 厚 く 、 日頃
弟
子達
にも
文
殊 の信
仰
を伝
え て 、自
らも
そ の 臨 終 の 期 に 臨 ん で は 文 殊 菩 薩 の 引 接 を 受 け、 密 印を
結 ん で 禅 室 に 入 る が 如 く 示寂
し た と伝
え ら れ る 。 ま た 『 密教
伝
来
三国
祖 師 血 脈 鈔 』 の 「 高 野 伝 法 院 学 頭 次第
」 に は 、 「高
野伝
法 院学
頭 座 主 相 続 第 一伝
法 院鼻
祖
覚 鑁 上 人 第 二寶
生 院 教尋
阿 闍 梨 一 名 永 尋、 宝 生 房 と 号す
、 尊 者 初 め て 野 山 に 登 ら れ し時
、 名 師 を尋
ね て、 教尋
・ 明寂
の 二 師 を 以 て 師事
し 、 一222
一『真言教主問答抄 』 につ い て
ネ
伝
法
院肇
て建
つ る に 及 び 、教
尋
を 以 て請
う
て学
頭
と為
す
、 」 と あ る よう
に、伝
法 院 を 創 建 す る時
に 、 そ の 学 識 豊富
な こ と か ら 請 う て学
頭 を任
さ れ た こ と が 知 ら れ る 。 ま た 『 五 輪 九 字 明秘
密
釈
』 の跋
文 に、 興 教 大 師 が 『 五 輪 九字
明 秘 密釈
』 を 著 し た後
の 三昧
中
に 亡 く な っ た教
尋
が 現 れ、自
ホ ら ら が 密 厳
浄
土 に住
し て い る こ と を伝
え た と さ れ て い る が、 こ れ か ら も 興 教大
師
の 生 涯 に お い て 教尋
が い か に影
響
を 与 え て い た か が 知 ら れ る 。 教学
の面
に お い て も 『 打 聞集
』 に 多 く教
尋 の 名 は 挙 げ ら れ、 『 十住
心論
打 聞集
』 に 、 「 『 大 日 経 疏 』 に い わ ゆ る 「 無 畏 」 と は 、 一道
・極
無
・ 秘 密 荘厳
の 三 人、 同 じ く 第 八 の 分 位 に 至 っ て、 浄 菩 提 心 の 位 に 入 る に 異な
し 。 極 無 ・ 秘密
の 二 人 、 所 期 の 果 に あ らず
。 所 詣 の処
に あ ら ず と い え ども
、 こ の 一 道 無 畏 の 分 位 に 自 然 に十
住
心 の ぶ ん い を 歴 る時
、 第 八 の住
心 に 至 っ て、菩
提
心 の 初 め に 至 る 。 ゆ え に 無 畏 な り 。 「 同 三 人 都 所ホ ハ ロ 詣 に 至 る 」 と い わ ば、 浄 菩
提
心 を所
詣 と なす
な り 。 宝 生 の義
、 こ れ を案
ず
べ し 。 L と あ り 、 「保
延 五年
秋
季
伝
法 会 談 義 」 ( 十住
心 論 打 聞 ) に 、 「私
に い わく
、 上 は 開 三 の 道 理 、 下 は 顕 一 の義
勢
な
り と 見 ゆ 。 開 三顕
一 は 、 法 華 の 意 ゆ え と 、 心 得 る べ き か 。ボ ア 『 涅
槃
経
』 に 仏を
象
王 と 名 つ く と 見 え た り 。 法 生坊
御義
。 聖御
房
義
も し かな
り 。 」 さ ら に 、 「臼
毫
は、 人 の煩
脳愛
と倶
な る時
は、 下 に 下 っ て婬
と な る 。無
漏
大覚
智
と倶
な る時
は、 臼毫
と な る と 。 法 生房
ホ お
義
云 々 。 」 と あ り 、 ま たホ 「 「 極 無 自
性
心 」 の 文 は、第
九 の 能 所 入を
あ
かす
。 こ れ 法 生 房 の義
な り 。 聖 御 房も
こ れ に 同 じ 。 」等
、覚
鑁
が弟
子達
に浄
菩
提
心 や 十住
心 の 講義
をす
る と き に、 わ ざ わ ざ こ れ は教
尋
の 説 で あ る と し て 説 明 す る ほ ど 、智豊合 同教学 大会紀 要
教
相
の 面 に お い ても
教
尋 の影
響
は大
き か っ た と い え る 。ま た 櫛 田 良 洪 博 士 の 『
覚
鑁 の 研 究 』 ( 八 三 頁 ) に よ れ ば 、教
尋 は 性 信法
親
王 に 付 法 を 受 け る前
は 南 岳 房 済 暹 と交
わ る こ と が 古 か っ た よう
で、治
暦
四年
( 一 〇 六 八 ) 二 月 二 三 日賀
陽 院 殿 で 「 孔 雀 妙 王 法 」 を修
さ れ た時
に、 済暹
ら と と も に 参 加 し て い る 。 興教
大
師 が済
暹 か ら 直 接 教 授 を 受 け た と す る資
料
文献
は 見 当 た ら な い が、 こ の 教 尋を
通 し て 弘 法 大 師 以降
の 東密
教
学
研究
の第
一 人 者 で あ る 済 暹 の 教学
が、 興教
大
師 に伝
え ら れ た も の と考
え ら れ る 。3
『真
言
教
主
問
答
抄
』本
書
は、 そ の 題名
通 り真
言密
教
に お け る教
主 大 日 如 来 に つ い て、 問 答 形 式 で論
じ ら れ た も の で 、初
め に 古来
の学
者 の 説 を 挙 げ、次
に 自説
を 述 べ 、 更 に問
答
し て 自 説 を 敷 衍 し、証
文 を 引 い て 釈 し て い る 。教
尋
は 冒 頭 に、ゆ
「
問
。 大 日 教 王経
等
の能
説教
主 を 何身
と 定 む る べ き 耶 。 」 と問
題 を 提 起 し、真
言 の教
主 に 関 す る学
者
の 見 解 は 区 々 で あ る と し な が ら、兼
正 の 二義
が あ る と し 、 正 し く は真
言 の教
主 は 薄 伽 梵摩
訶 毘盧
遮 那 本 地 法身
で あ り、 こ れ を 自 性法
身
と 名 付 け、 ま た自
受
用身
・ 自受
法楽
身 と も 名 付 け る と し、 こ の 位 に 四 種 法 身 が あ る も悉
く本
地 身 で あ る と し て い る 。 さ ら に兼
ね て は 所 加 持 身を
教
主
と な し、 こ れ を 受 用身
、 あ る い は 応化
身 と 名 付 く とす
る 。 そ し て 正 義 は 弘法
大 師 の 説 に よ り 、兼
義
を 『 大 日 経疏
』 の 説 に よ る と さ れ て い る 。続
い て 教 尋 は、 「所
加 持 の 身 に 説 法 利 生 の義
が あ る こ と は 疑う
べ き と こ ろ で は な い が、 は た し て 能 加 持 の 本 地 身 に 対機
説 法 の 義 があ
る の か、 所 所 の 釈 文 の中
に は 未 だ に 見 当 た ら な い 」 と いう
問を
な し、 そ れ に答
え て 先ず
道 理を
立 て、 次 に 証 文を
引 き 、後
に 疑 難 を遮
す
と さ れ る 。 一224
一『真言 教 主 問 答 抄 』 につ い て
先
ず
そ の 道 理 と は 、ホ ロ
「 一 は 衆 生 の 機
根
万
差 、 法 門 の 義 理無
窮
な り 。 」 と し て 『 大 日 経疏
』 と 『 御 請来
目 録 』 の 文を
引 き 、真
言 の 心 王 の頓
の 大 機 は本
地 法身
を 見聞
す る こ と が で き る と し、 さ ら に 顕教
の中
にも
不 思議
の頓
の 大 機 が あ る と し て 『 華厳
五教
章
』 と 『 釈 摩 訶 衍 論 』 を 引 用 し て い る 。ま た 自 受 用
身
に 対機
説 法 の義
を許
す な ら ば 本 地 身 に も 説 法 利 生 の義
が あ る べ き だ と し、真
言 宗 で は 神 変 加 持力
が あ る か ら 対 機 説法
の義
を談
ず
る の だ と し て、ホ ほ
「
本
地法
身 に 説法
利 生 の義
あ る べ し 。 不 思 議 神 変 力 あ る が 故 に 。 」 と 述 べ 、 そ の 神 変 加 持 に つ い て は 『大
日 経 解 題 』 を 引 い て 、 神変
加
持
に 重 々 が あ る とす
る 。さ ら に
仏
と 衆 生 の 三 密 は 一味
無 差 別 で あ る か ら 、所
証
の 三 密 を見
聞
し て 能 証 の 仏 の体
が 見 え な い と い う こ と は な い と し 、 も し 神力
加持
に よ っ て そ の所
証
の 三 密 を 見 聞す
る の だ と いう
な ら、 究竟
神
変
加持
の義
は 本 地 に あ る の だ か ら本
地 身 を 見 る こ と が で き る の で あ る と し て い る 。 さ ら に 『大
日 経 疏 』 の 文 を引
い て論
じ て い る が、 こ の 道 理 は 少 々 説 得力
に 欠 け 、後
の第
三 の 難 を 遮す
る と こ ろ に お い て悉
く
否 定 さ れ る 。続
い て教
尋 は 「証
文 を 引 く 」段
に お い て、 『 二教
論 』 (2
) 『 大 日 経 疏 』 (5
) 『大
日経
』 (2
) 『大
日 経 解 題 』 (1
) か ら 十箇
の 文 を 引 用 し て い る が、特
に 『 二教
論 』 の 引 証 註 解 の 『 瑜 祗 経 』 と 『大
日経
』 の と こ ろ の 割 り 注 に、 四 種 法身
に 竪横
二義
が あ り、 横 の義
は 自 利、 竪 の義
は 利 他 で あ る と す る と こ ろ を 引 用 し て、「
此
の釈
の中
に 本 地身
利 他 の義
分 明 な り 。 四 種 法身
を 以 て 能書
二 加 持 を 分 別 す と は、 自 性 法 身 を 以 て 能 加持
本
地身
と な し 、受
用 以 下 三 身 を以
て所
加 持 身 と なす
。但
し 自 受 用身
は 同 じ く 本 地 身 と な す 。 大 師 の 釈 分 明 な り 。故
ホ に に 又
義
あ
る べ き な り 。 」 と し て い る 。智豊合 同教学大会 紀要
次
に第
三 の 難 を 遮 す と いう
と こ ろ で あ る が 、 こ こ が本
書 の 中 心 で あ り 、教
尋 は さ ら に 問答
を 加 え て 自 説 を敷
衍 し て く る 。先
ず
初 め に 疏家
の 釈 を 難 ず る と し て、 「所
謂薄
伽
梵
は 本 地 身 、 如来
加 持 に 住 す と は 加持
受
用 身 な り 。 此 れ 受用
身
此 の 経 を 説 く な り 。 全 く直
に本
地身
ネ け
を
以 て 此 の 経 を説
く と 云う
こ と 見 えず
。 」 と い い 、 さ ら に 『 大 日 経疏
』 の 経題
の 神 変 加 持 を 釈 す る 文 を 引 い て 、続
け て、 「此
の 文 の 是 の 如 き境
界
と は、本
地 身 唯 仏 と 仏 の 境 界 な り 。種
々 所 喜 見 の 身 と は、 所 加 持 身 な り 。 加持
神
変 経 ヰ ほ の大
旨此
の 文 に あ り。 」 と さ れ る 。 こ の 後 教尋
は前
に挙
げ た 道 理 を 立 て る 文 を悉
く 否 定す
る の で あ る が、 教 尋 の基
本
的
な
立場
と し て は 、ホ め 「
疏
家
の 顕 釈 の 文 と 大 師 の 注 釈 以 て相
違
あ り 。 然 り と 雖 も 各 意融
し互
い に義
を 含 む 。 」 と さ れ る よう
に、 『 大疏
』 と 弘 法 大 師 の 説 と の 差 異 は 差 異 と し て 認 め な が ら、 互 い に義
を
含
む と さ れ る わ け で、 結 論 的 に は相
違 し て い な い と す る も の で あ る 。 そ し て 先 に 引 用 し た 『 二教
論 』 の 引 証 註解
の文
を ま た 引 い て 弘 法 大 師 に お い て は、ネ じ 「 本 地 自 性 法 身
説
法 利 生 の義
分 明 な り 。 」 と し、 次 に 『大
日経
疏
』 の 加持
処
と 神 変 加 持 の と こ ろ を 引 用 し て、 「 此 の 疏 家 の 釈 の意
、所
加持
身
を
以 て教
主
と 為 す 義 分 明 な り 。 但 し 加 持受
用身
と は 他 受 用 身 か 。 上 の 文 に 応 化 ホ と いう
故 な り 。 」 と し て 両 者 の 相 違 を 明 ら か にす
る が 、教
尋
の 説 と し て は、 「大
師 に 釈 の中
正 し く は 本 地 身 を 以 て教
主 と為
す
義
分 明 な り 。疏
家
の 釈 の中
兼
ね て は 加 持 身 を 以 て教
主 と為
す
ホ リ
義
分 明 な り 。 但 し 互 い に 義 を 含 む な り 。 」 一226
一『真 言教主問答抄 』 につ いて と さ れ る こ と に 尽 き る も の と 思 わ れ る 。 ま た 『 大 日 経 疏 』 の 文 を
料
簡
す る の は 此 の 義 で あ る と し て 、 『大
日 経 解 題 』 を引
い て後
に、 「 又薄
伽 梵 受 用 身 に住
す
と いう
文、 亦 此 義 あ る べ き な り 。 一 は自
受 用 に住
す
と い う義
。大
師 の 釈す
る と こ ろ と違
わず
。 す な わ ち 本 地身
説
法 利 生 の義
。 本 地 身 に体
用 二義
あ
り 、 用 と は 自受
用 な り 。 自受
用身
に 住 し て自
受
法楽
の事
を作
す
。 説 法 利 生 の義
成ず
。奮
迅 示 現 以 下 他受
用身
、 所 加 持 影像
身
な り 。 二 は 如 来 加持
と は 他 受 用身
な り 。ホ リ
義
常 の 如 し 。 」 と さ れ て い る 。 ま た 四種
法
身
に皆
対 機 説 法 の義
が あ る と す る な ら、 な ぜ 自 受 法 楽 の教
と いう
の か と い う 問 に 答、 丸 て 三 義 を 挙 げ て い る が 、 そ の第
三 に お い て、 「 三 に は 、 利 他 を 以 て 自 楽 と為
し 、 自 楽 を 以 て 利 他 と 為す
な り 。 自 受 法 楽 の 外 に 説 法 利 生 な し 。 説 法 利 生 な し の 外 に 自受
法楽
な
し 。機
す
な わ ち仏
、 仏 す な わ ち 機 の 故 な り 。 三 世 常 恒 遍 一 切 乗 自 心 成 仏 の教
は、平
等
一 味 の 法ホ と 雖 も、 強 い て
随
機
無 差別
の 上 に 差 別 を 論 ず 。 」 と さ れ て い る 。4
総
括
以 上 『 真 言教
主問
答
抄
』 に お け る 教 尋 の教
主 観 に つ い て 簡 単 に 見 て き た わ け で あ る が、結
論 か ら い え ば、 こ こ に 示 さ れ る教
尋
の教
主観
は、 弘 法 大 師 の 法 身 説 法 説 か ら 一歩
も 出 た も の で は な い 。 そ れ だ け 弘法
大
師 に 忠 実 で あ っ た と も い え る わ け であ
る が、 そ の 弘 法大
師 の教
主 観 と は、 『 二教
論
』 に お い て、 「 そ れ 仏 に 三身
あ
り、教
はす
な わ ち 二 種 な り 。 応 化 の 開 説 を名
づ け て 顕教
と いう
。 こ と ば 顕 略 に し て 機 に 逗 え智豊 合同教学大会紀 要
タ の り 。 法 仏 の
談
話 こ れ を 密蔵
と いう
。 こ と ば 秘奥
に し て 実 説 な り 。 」 と い い 、 ま た 『 略 述 金 剛頂
瑜 伽 分 別 聖 位修
証 法 門 』 の 文 を 取 意 さ れ、 「 如 来 の変
化
身
は、 地 前 の 菩 薩 お よ び 二乗
凡夫
等
の た め に 三乗
の教
法 を説
き、 他受
用身
は 、 地 上 の菩
薩
の た め に 顕 の 一乗
を説
き た もう
。 な ら び に こ れ 顕教
な り 。自
性
・ 受 用 仏 は、 自受
法
楽
の 故 に 自眷
属
と とも
に 各 々 三密
門ヰ お を 説
き
た もう
。 こ れ を 密 教 と い う 。 」 と さ れ る と こ ろ の も の で あ り、 そ の 境 界 に つ い て は 、 「 こ の 三 密門
と は い わ ゆ る 如 来 内 証 の 境 界 な り 。等
覚
・ 十 地 も室
に 入 る こ と 能 わず
。 い か に 況 や 二乗
凡夫
を や 、ネ ム
誰
か堂
に 昇 る こ と を得
ん 。 」 と さ れ て い る 。 弘 法 大 師 の お考
え に な ら れ て い る法
身
大
日 如 来 と は、 『 秘密
曼荼
羅教
付 法 伝 』 で、ホ ゐ 「 い わ ゆ る 法 仏 と は、 常 住 三 世 浄 妙 法 身、 法 界
体
性
智、 大 毘 盧遮
那 自 受 用 仏 こ れ な り 。 」 と 述 べ ら れ る と こ ろ の も の であ
る が 、 自 性 ・ 受 用 ・変
化 の 三 身 と 法 ・報
・ 応 三 身 を 比 較 し て、報
身
に 対応
す
る受
用身
を自
. 他 の 二 つ に 分 け、 自受
用身
を 自 性 身 と 共 に 密 教 の教
主 であ
る 法 身 と な し、 顕教
の教
主 で あ る報
身
ロ他
受 用身
と規
定
し、 こ こ に お い て法
身
は 顕 教 の教
主 で あ る 報 身 の 性 格を
も
包
含す
る こ と と な り、 本来
無相
で あ る は ず の 法身
が説
法 す る と いう
図 式 が で き あ が る 。 弘 法大
師 以降
の 東 密 に お い て は、 こ の 弘 法大
師 の 法 身 説 法 と 、 『 大 日 経 』 の 初 め の 「薄
伽
梵 如来
加 持 広 大 金剛
法
ホ あ 界
宮
に住
す
」を
釈 し た 『大
日 経疏
』 の 「薄
伽梵
と は 毘 盧 遮 那 の本
地法
身
な
り 。 次 に 如 来 と い う は こ れ 仏 の 加持
身
ホ サ の 其 の 所
住
の処
な り 云 々 」 と いう
文 と の 会 通 が 課 題 と な っ て く る わ け であ
り、 ( こ れ は 後 に 頼 瑜 ( 一 二 二 六 一 = 二 〇 四 ) が 『大
日 経疏
指 心 鈔 』 『 大疏
愚草
』 に お い て 加 持 身 説 を 提 唱 さ れ、 「教
主義
」 の問
題
は 仏 身 観 に お け る 一大
論点
と し て多
く の学
者 に よ っ て 論 じ ら れ る が 、 )本
書
の 述作
の 意 図 も こ こ に あ る わ け であ
っ て、教
尋 は 弘 法 大 師 の 一228
一『真言教 主問答抄 』 につ い て
釈
を
正義
、 疏 家 の釈
を兼
義
と し て 弘 法 大 師 を前
面 に 出 し つ つ 、 両 者 の差
異 は 差 異 と し て 認 め な が ち、 互 い に義
を含
む と し て、 最 終 的 に は両
者
の 間 に 相 違 は な い と さ れ る 。 こ れ は 弘 法大
師 の 意 に 添 う も の と は い え る が 、会
通 の際
の 証 文 と し て 弘 法大
師
ご自
身
の 著 作 を 引 用す
る こ と は、 論 拠 と し て は 弱 い の で は な い だ ろう
か 。 し か し 本 書 と 殆 ど 同 じ記
述
が 済 暹 の 『大
日 経疏
住
心 品 私 記 』 に 見 ら れ る こ と は 注 目 し た い 。 済暹
は 、 「問
。 此住
如来
加持
広大
金
剛
法 界 宮 の 文 に約
し て 之を
釈 せ ば、 此 疏 主 の 御 意 と 十 住 心 論 の 論 主 の 御意
、 そ の 同ホ 意 い か ん 。
答
。 此 の 二 師 の御
意
頗
る 異 な る な り 。 然 り と 雖 も ま た 互 い に 異 端 を 顕 し、 終 に相
違 の咎
な き な り 。 」 と述
べ ら れ て い る が 、 こ れ は当
に 本 書 の 姿勢
と 一 致す
る 。ホ の さ ら に 済 暹 は 『 四 種
法
身
義
』 に お い て、 法界
宮
密
厳 土 中 に 住す
る 自 受 法 楽 の 四 種 身 だ け を 「真
実
の 四 種法
身 」 と見
な し、 他 を 「 所 加持
の影
像
仮 身 」 と し て 、中
尊
の大
日 如 来 は 四 種 身 の 総 体 であ
り、本
質 法身
であ
る と さ れ る の であ
る が、 こ れ は 本書
で 、 四 種 法 身 の名
義
に つ い て 、本
地 身 の 位 の 四 身 の 名 義 と、 加 持身
の位
の 四身
の名
義
の 二門
に 分 け る こ と が で き る と し、 本 地 身 の 四身
に つ い て、ネ 「
本
地 の 位 の 大 日 四 仏等
、機
の 為 に 加 持 影像
身
を 現ず
。 皆 他受
用 と 雖 も そ の 相 好色
身本
質
と等
同
。 」 と さ れ る も の と 変 わ らず
、 こ の 理 念 は 興教
大
師 に受
け継
が れ て い く 。 興教
大 師 は 『 五 輪 九 字 明 秘 密 釈 』 の序
文 にホ む お い て、 そ の 浄 土 往 生 思
想
を
特
徴 づ け る 、曼
荼
羅
の普
門・ 一 門 に よ る 仏 身 観 を 述 べ ら れ て い る 。 同 趣 意 の 文 は 『 密 厳浄
土 略 観 』 『 一 期大
要 秘 密集
』 に も 見 ら れ る が 、要
す
る に 顕教
で は 釈 迦 と 弥 陀 は 別 の 仏 で あ る が、 密教
に お い て は大
日 と 弥 陀 と は 同 体 の異
名
で あ り、 十方
浄 土 は 一 仏 の化
土 、 一 切 如 来 は す べ て大
日 如来
で あ っ て 、 阿弥
陀
如来
と は大
日 如 来 の 体 の 上 に 妙観
察
智
の 加 持 に よ っ て弥
陀 の相
を 顕 現 し たも
の で あ り 、 そ れ は 受 用 報身
で あ り 、 諸 仏菩
薩
か ら 天龍
鬼 八 部 衆 のす
べ て、 つ ま り法
界
のす
べ て は大
日 如 来 の 体 に 他 な ら な い と さ れ る 。 ま た 本 地 法 身 ・ 無相
法身
が方
便 を 以 て色
相
であ
る衆
像
を
顕 現す
る と し、 そ れ は 十方
世界
を 加 持す
る曼
荼
羅
普
門智 豊合 同教学 大会紀要
ホ ぬ の 海 会 で あ り、
法
界 に 遍満
し て し か も大
日 如来
一 体 の 色 身 で あ り、 法 界 のす
べ て は 法身
の相
で あ る と し て い る 。 さ ら に 『 阿弥
陀 秘 釈 』 で は 、 「 十方
三 世 の諸
仏 菩 薩 の名
号 は、 こ と ご とく
一 大 法身
の 異 名 な り 。 ま た 十方
三 世 の諸
仏 菩 薩 は、 み な大
日 如来
ネ み の 差 別
智
印
な り 。 」 と さ れ 、 つ ま り 弥 陀 を は じ め とす
る 十方
三 世 の 一 切 の 諸 仏 菩 薩 等 は、 本 地 無 相 法 身 で あ る 大 日 如来
の 差 別智
印
で あ り 、本
地無
相
法 身 の 大 日 如 来を
体 と し て、 一 切 の 諸 仏菩
薩 等 の 法 界 の す べ て の 存 在 は大
日 如来
の 用 で あ り 、加
持・ 方 便 に よ っ て大
日 如 来 の 上 に 顕 現 し た色
相
で あ る とす
る わ け で あ る 。 興教
大
師
は こ れ を 鏡 と 影像
に喩
え て 『真
言 浄菩
提
心私
記 』 に は、 「 こ の金
剛
一乗
経所
説 の 法身
如 来 の 内 証 功 徳 曼荼
羅
諸尊
、 一 体 の 鏡 に備
う る 所 の 無 量 の 影像
の体
性 は、 た だ こ れ 一体
の 鏡 に し て、 さ ら に 異 体な
き が ご と し 。 か る が ゆ え に 『礼
懺
』 に い わ く、 尽虚
空 遍 法界
の 、 同 一 体 性 の 金ホ ぬ 剛 界 よ り 生 ぜ る 身 の 一 切 諸 仏 な り 。 」 と さ れ て い る の で あ る が、 こ れ は 済
暹
の 説 を教
盡 が受
け継
い で 興教
大
師
に伝
え、 浄 土教
を考
慮
し な が ら さ ら に 展 開 し て 、特
徴
的 な曼
荼
羅 的 仏 身 観 を構
築 さ れ た も の と考
え ら れ る 。 ま た教
盡
は、ネ あ 「 此 の 四
身
と は 、 一 大 法身
の 具徳
、 秘密
内
証 の 名義
な. り 。 自 性 法 身 は 六大
不 二 の自
性
、 理智
平 等 の 総 体 な り 。 」 と 述 べ ら れ て い る が 、 こ れ は 興教
大 師 の 「 六 大 法 身 」 を 予 想 さ せ る も の と い え よう
。 興教
大 師 は、 『 真 言 浄菩
提
心ホ あ 私 記 』 に お い て 浄
菩
提
心 を 釈 し て、 こ れ を 「 毘 盧 遮 那本
地浄
菩
提
心 ・能
加持
無
相 法 身 ・ 真言
究
竟
浄 菩提
心 」 と名
づ け る と し、 ま た 同様
の 記 述 が 『真
言 三 密 修 行問
答
』 にも
見 ら れ、 そ こ で は浄
菩 提 心 を 同様
に 、無
始無
終 ・ 浄 妙 法 身 ・摩
訶毘
盧 遮 那 仏 の 心 王 心 数 と し て、 こ れ を 金剛
菩
提
心 ・法
界 体性
智
・蓮
華
三昧
・ 無相
菩
提
心 ・虚
空無
垢
菩
一230
一「真 言教主問答抄 』 につ い て
提
心 . 金剛
宝蔵
.本
地 法 身 ・無
相
法 身 と名
づ け る と し て い る 。 ま た こ の 法身
と は、 「 理 智 不 二無
相 法身
」 であ
る と し、 こ の本
地無
相
法 身 と は 自 性 ・ 受 用 等 の 四 種 法身
の 総 体 で あ り、 毘盧
遮
那 心 王 の 挙 体 であ
っ て、 四 種 法身
は 大 日 心 王法
界
の 体 の 自 性 ・ 受 用 ・ 変 化 ・ 等 流 の 四義
であ
る と し 、 ま た 諸法
法
然
不 壊 の 自 性 が自
性
身
で あ り、 自 性 の 諸 法 の無
尽
の 円徳
が 互 相 に 受 用 す る の が 受 用 身 で あ り 、自
性
と 受 用 と の 無尽
の 縁 起 が 変 化身
で あ り、 こ の 三身
が物
の た め に符
同す
る の が等
流
身 で あ る と す る 。 さ ら に こ の 四 種 法 身 を体
相
用 の 三大
に 配 し て 、自
性
身 を 体、 受 用身
を 相、変
化
身
・等
流
身を
用 と し て い る 。 そ し て こ の本
地 無相
法 身 で あ る浄
菩
提
心 と、 我等
衆
生本
有 の 浄 菩 提 心ホ サ と に
優
劣
差別
が な い と さ れ 、 こ こ で は 浄 菩 提 心 で あ る 理智
不 二 の 無 相 法 身 と は、 四 種 法 身 の 総 体 で あ り 、 四 種 法身
は こ の 無相
法身
の 四義
を あ ら わす
と し て、 そ こ に体
相
用 の 三 大 を 配 さ れ る 。 こ れ は 当 に 教 盡 の 説 と 一致
し、 済暹
の 説 を 継 承 し た も の と い え よう
。 そ し て こ れ が晩
年
に 至 っ て、 『 五 輪 九字
明 秘密
釈 』 に お い て 「 六 大 法身
」 と し て結
実 し た も の と考
え ら れ る 。最
後
に こ の 『 真 言 教 主問
答
抄 』 の撰
者 を教
尋
とす
る こ と に つ い て 、 少 々 疑 問 を 呈 す る向
き も あ る こ と か ら 、本
書
の撰
者
に つ い て 少 々検
討 し て み た い 。 「 大 正 新 脩 大蔵
経 」第
七 七 巻所
収 の 『真
言教
主問
答
抄 』 は、 建仁
元年
( 一 二 〇 =書
写 の 「 石 山 寺 蔵 本 」 で あ り、 本書
の冒
頭
に 「 宝 生房
」 と 記 さ れ て あ る が、 こ れ が撰
者 を 表す
も
の か、 単 に記
名
で あ っ て教
盡
の 持本
で あ っ た 可 能 性 も あ る わ け で 、 現 在 の 石 山寺
の 目 録 に は本
書
の 名 は 記 載 さ れ て お らず
、原
本
を 見 る こ と が か な わ な い た め 内 容 か ら推
測 せ ざ る を え な い 。本
書
の 内容
は 済暹
の 説 く と こ ろ と極
め て 類似
し て お り 、 そ の 影響
が窺
え る こ と と、 興教
大 師 の 「 六大
法 身 」 に 近 い 法身
の 概念
が 示 さ れ て い る が、 「 六大
法 身 」 と いう
語
自体
は 見 ら れな
い こ と か ら ( 尤も
興教
大師
が 「 六 大 法 身 」 と い う 語 を 用 い ら れ る の は 晩 年 の 『 五輪
九字
明 秘 密釈
』 に お い て で あ る が ) 、 撰 者 と し て考
え ら れ る の は、 済 暹 以降
興教
大 師 以 前 の 真 言 僧 で、 し かも
教
学
の 面 に お い て か な り傑
出 し た力
量
を 持 っ た 者 と考
え ら れ、 撰 者 を 措 定す
る に あ た り、 以 下 の 三 つ の 可能
性 が考
え ち れ智豊合同教学大 会紀要 る 。 (
こ
教
盡 ( 二 )済
暹 ( 三 ) そ れ 以外
まず
( 三 ) か ら 見 て み る と、 先 の 条件
に 加 え 、 「 宝 生房
」 の 記 名 が あ る こ と か ら、 本書
は教
盡 が 在 世当
時
に 既 に使
用 し て い た も の と考
え ら れ 、 し た が っ て 撰者
は済
暹
以降
教
盡
以前
の 真 言 の学
者 で 、 し か も済
暹 . 教 盡 ど ち ら に も に近
い 立場
の 人 で な け れ ば な らず
、 こ の 条 件 に 適合
す
る 人 は 見 当 た ち な い よう
で あ り 、 まず
こ の 可 能 性 は な い も の と 思 わ れ る 。次
に ( 二 ) の 本 書 の 撰者
を
済暹
とす
る こ と に つ い て で あ る が、済
暹 の著
作 を教
盡 が書
写 し 、 持本
で あ る こ と を 示す
た め に 「 宝 生 房 」 と 記 し た 可 能 性 は 高 い 。 済 暹 自 身 が 本書
を 著 し た の で あ れ ば、 内 容 的 に は 矛 盾 が 無 く、 し か も 「 六 大 法 身 」 の 語 が使
用 さ れ て い な い こ と に つ い て も 説 明 が つく
。済
暹 は 『 顕 密差
別問
答
』 に お い て 、 興教
大 師 が 「 六 大 法身
」 と 同義
に 用 い 、 四 種法
身 の 総 体 と さ れ る 「無
相
法身
」 と い う 語 を 使 用 さ れ て い る 。 こ れ は本
来 『 大 日 経疏
』 に 説 か れ、 本 地 法身
た る 「 無 相 法身
」 と 加持
身
た る 「実
相
智
身
」 が 無 二無
別
で あ る と す る わ け で あ る が、 こ こ で は 『大
日 経疏
』 の文
を
釈 し て、真
言
行
者
が 如実
知 自 心 の無
相
一 実 浄菩
提
心 に住
す
れ ば、 行 位 に差
別 は な い と し て 、 「 こ れ則
ち 三密
平等
体性
、 是 を名
づ け て 究 竟 発菩
提
心 と為
し、 是 を 萬 行大
将幢
旗
と 為 し、 是 を究
竟
大
菩 提 と 為ホ し、 是 を
究
竟
大
涅槃
と 為 し、 是を
法 界 体 性 心 王 と為
し 、是
を 究竟
真 実 無 相 法 身 と為
す
。 」 と さ れ 、 ま た、 「 重 重無
尽 心 王 を 能 加 持無
相
法 身 と 名 つ く 。 此 の 能 加 持 無相
法身
が 加持
受 用 身 を 現 ず る を 所 加 持身
と 名 つ く 。 一232
一『真言教主 問答抄 』 につ い て 能 加
持
身
は 所 加 持身
に住
す
。 能 加 持 と 所 加 持、 能 所 二住
に し て 不 二 無 相 な り 。 心 王 所 加 持 を 現ず
る 如く
、 心 数 の=
の法
門 ま た 所 加持
身
を
現 ず 。 能 所 二住
に し て 不 二 無相
な り 。 故 に 能 加持
無
相
法 身 の 如 く 所 加持
身
を
ま た 無 相ホ の
法
身
と 名 つ く。 心 王大
日を
無
相
法身
と 名 つ く る が 如 く、 心 数 の 諸尊
ま た 同 じく
無
相
法 身 と 名 つく
。 」 と述
べ て い る。 こ の よう
に 既 に 済 暹 に お い て 「 六 大 法身
」 に近
い概
念 が 構築
さ れ て い た こ と は確
認 さ れ て お り、本
書
が済
暹 に よ っ て著
さ れ た も の で あ る と し て も お か し く は な い 。 た だ し本
書
に は 済 暹 が 非 常 に高
く
評 価 し、 自著
に お い て し ば し ば引
用 し て い る 『 大乗
密 厳 経 』 が 引 用 さ れ て い な い こ と は考
慮
す
る 必 要 が あ る であ
ろう
。 済 暹 は 『 四 種 法 身義
』 に お い て、 「此
の経
是 真 言 宗 至 極 の義
を述
べ る な り 。 〈中
略 〉 そ の 所 説 の義
理 は 微 極甚
深
法 然 常 住 の 境 界 な り 。 此 の 経 至 極ホ れ の
義
な
り 。 其 の義
、 『 大 日 経 』 『 金 剛 頂 経 』 の 深 旨 と 同 じ な り 。 」 と し て こ の 『 密 厳経
』 の 意 は、 弘 法 大 師 が 『 二 教 論 』 に お い て法
身
説 法 の論
証 と し て 引 用 し て い る 『楞
伽 経 』 の意
と 一 致す
る も の と し て 捉 え、 『大
日 経 』 や 『 金剛
頂
経
』 所説
の衆
生 界 に お い て 示 現 す る 種 種 の 仏身
は 皆 影像
で あ る とす
る義
と、 『 密 厳 経 』 の 所 説 と が 同 じ で あ る と し て お り 、他
の著
作 に お い て も 自 説 を 展 開 す る にあ
た り、 い わ ば 「両
部 の 大 経 」 以外
の 第 三 の 視 点 と し て こ の 『 密 厳 経 』 用 い ら れ て い る が、本
書
に お い て は 一度
も
使 用 さ れ て い な い 。 た だ し 本書
は 済 暹 が 未 だ 『 密 厳 経 』 に 出 会 う前
に 述作
さ れ た と いう
可 能 性 も 否 定 で き な い が、 本 書 の 文 体 や 全 体 の ニ ュ ア ン ス が、済
暹 の 他 の著
作
と 少 々 違う
こ とも
否
定
で き な い 。 そ こ で ( = の場
合
で あ る が、 本 書 の撰
者 を 教 盡 と 措 定す
れ ば 、 こ れ ま で 指摘
し た 問 題 点 も 全 て 矛盾
無 く、 収 ま る べ き と こ ろ に 収 ま る よ う で あ る 。 し か も済
暹 と 興教
大 師 の 間 に 直 接 的 な 交 渉 が な か っ た に し ろ 、教
盡 を 通 じ て 済 暹 の教
学 が 興教
大
師 に継
承 さ れ て い っ た 格 好 の資
料 とも
考
え ら れ よ う 。 勿 論撰
者 に つ い て は 軽 々 に 論 ず る べ き で は な く、 済 暹 であ
っ た 可 能 性 も 否定
で き な い が 、 本 書 の撰
者を
教 盡 と す る こ と に つ い て、 特 に 不 都 合 は な い智豊合 同教学 大会 紀要 も の と 思 わ れ る 。 こ の 撰
者
の確
定 に つ い て は 、新
資
料
の 発 見 が 待 た れ る も の で あ る が、 今後
の 研 究 課 題 と し て お き た い 。註
* − *2
*3
* *54
「 大 日 本 仏 教 全 書 」 第 一 巻 ( 仏 教書
籍 目 録 第 一 ) 一 入 二 頁 ・ 下 拙 稿 「 済 暹 撰 『 顕 密 差 別 問 答 』 に つ い て1
興 教 大 師教
学 の 背 景 思 想1
」 ( 豊 山 教 学 大 会 紀 要 第 二 四 号 ) 参 照 『 血 脈 類集
記 』 に よ れ ば、 性 信 の 付 法 を 受 け た 時 の 弟 子 の 年齢
は、 頼 寛 ・ 行 意 11 二 三 覚 意 ・ 寛 意 ・ 寛 助 ・ 禅 誉 冂 二 四 行 禅11
二 五 経 範11
二 八 快 禅 11 三 二 長 信 11 三 五 ・ 六 頼 尊 11 三 七 義 範 H 五 六 ( 重 受 ) 済 暹 巨 五 八 「 興 教 大 師 伝 記 史 料 全 集 」 資 料 編 七 二 八 頁 「 右 書 の中
、 多 く 灌 頂 の 文 を 載 す 。 未 灌 頂 の 者 は、 師 に 受 け 開 く べ し。 な か ん つ く、 五 臓 の 秘義
、 こ れ 大 事 な り 、 よ く よ く 受 学 し て こ れ を 修 せ よ 。 そ も そ も、 こ の 秘 釈 を 記 し て 後、 三 摩 地 に 入 る 。 忽 然 化 現 し て、 宝 生 房 の い わ く、 崑 崙 一 度 崩 れ て 金 石 す な わ ち 一 物 な り 。 毘 弥 両 観 凡 聖 無 二 な り。 吾 は こ れ、 金 色 世 界 の 古 衆、 汝 は、 ま た 密 厳 浄 土 の 新 生 な *6
*7
*8
* * * * * * * * * * * *20
19
18
17
16
15
14
13
12
11
10
9
り 。 も し、 こ の 膽 蔔 林 に 入 ち ば、 誰 れ 人 か 異 薫 あ ら ん や 。 終 に こ の 説 者 幻 の ご と く に し て 見 え ず 。 こ こ に お い て・ 可 覚 え ず し て 涙 落 ち、 愧慚
熾 盛 な り 。 忽 ち に 密 厳 の 有 相 を 見 て 、 生 死 の 絶 え ん こ と を 知 る の み 。 」 ( 『 興 教 大 師 全 集 』 一 一 八 〇 頁 ) 「 興 教 大 師 全 集 」 四 七 五 頁 「 興 教 大 師 全 集 」 五 〇 八 頁 「 興 教 大 師 全 集 」 五 〇 八 頁 「 興 教 大 師 全 集 」 五 一 九 頁 「 大 正 新 脩 大 蔵 経 」 第 七 七 巻 六 九 一 頁 ・ 上 「 大 正 新 脩 大 蔵 経 」 第 七 七 巻 六 九 一 頁 ・ 下 「 大 正 新 脩 大 蔵 経 」 第 七 七 巻 六 九 一 頁 ・ 下 「 大 正 新 脩 大 蔵 経 」 第 七 七 巻 六 九 二 頁 ・ 下 「 大 正 新 脩 大 蔵 経 」 第 七 七 巻 六 九 三 頁 ・ 上 「 大 正 新 脩 大 蔵 経 」 第 七 七 巻 六 九 三 頁 ・ 上 「 大 正 新 脩 大 蔵 経 」 第 七 七 巻 六 九 三 頁 ・ 中 「 大 正 新 脩 大 蔵 経 」 第 七 七 巻 六 九 三 頁 ・ 下 「 大 正 新 脩 大 蔵 経 」 第 七 七 巻 六 九 三 頁 ・ 下 「 大 正 新 脩 大 蔵 経 」 第 七 七 巻 六 九 三 頁 ・ 下 「 大 正 新 脩 大 蔵 経 」 第 七 七 巻 六 九 四 頁 ・ 上 一234
一『真言教主問答抄 亅 につ い て * * * * * * * * * * *