早稲田大学審査学位論文 博士(スポーツ科学)
概要書
パッソの文化研究
―技・指導法の変容を中心に―
Cultural Study of Brazilian Popular Dance Passo
―The Transformation of its Technique and Teaching Method―
2018年1月
早稲田大学大学院 スポーツ科学研究科 神戸 周
KAMBE, Chikashi
研究指導教員: 寒川 恒夫 教授
1
本研究の目的は,ブラジル連邦共和国ペルナンブーコ州レシーフェのカルナヴァルの街 頭にフレーヴォという民衆芸能が出現する歴史的経緯を検証するとともに,その民衆芸能 の中でフレーヴォという音楽の演奏に合わせて踊られるパッソと呼ばれるダンスの技術的 側面およびその指導法の変容を中心に検討することを通じてこのダンスの今日的様相の一 端を明らかにすることであった。そこで第1章において,パッソをその重要な構成要素と するフレーヴォという民衆芸能がレシーフェのカルナヴァルの街頭に出現する歴史的経緯 を,これまでに蓄積された数多くの先行研究ならびに19世紀中葉から20世紀初頭にかけ てレシーフェで発行された新聞各紙の掲載記事を主たる拠り所に検証した。続く第2章で は,20世紀後半を代表するパッソの名手にしてこのダンスの指導者としても有名なナシメ ント・ド・パッソという人物に着目し,彼の活動に言及した文献資料ならびにこれまでの 筆者の現地調査で得られた情報を主たる手掛かりに,半世紀に渡るその活動実践,取り分 け彼の考案した指導法を詳らかにするとともに,彼の協力の下に撮影されたビデオ映像か らパッソを構成する身体動作およびそれを組み合わせることで成立するパッソの演技につ いて分析した。次いで第3章では,1996年にレシーフェ市がパッソの継承と普及を目的に 設立したフレーヴォの市立学校に着目し,特にナシメント・ド・パッソが 2003 年に退任 して以降のその活動実態について,レシーフェ市役所のウェブサイトに掲載された情報,
そして筆者によるこの学校での参与観察および学校関係者への聞き取り調査の結果を踏ま え,その解明を試みた。最後に第4章では,ナシメント・ド・パッソの教え子たちによっ て 2005 年に結成されたパッソの戦士たちという組織に着目し,ナシメント・ド・パッソ の指導法を一貫して継続しているこの組織の取り組みについて,この組織に関する論文,
この組織のウェブサイト,そしてこの組織の活動現場で筆者が行った参与観察および組織 関係者への聞き取り調査から得られた情報を手掛かりに検討した。本研究の結果は以下の ようにまとめられよう。
本研究では,下層階級に属するアフリカ系のならず者(カポエイラ)たちが実践してい たカポエイラ術の身体動作を母体として 20 世紀初頭のカルナヴァルの街頭でパッソが誕 生したと結論付けた。パッソが誕生するにあたっては,カルナヴァルの街頭で音楽を演奏 する楽隊とカポエイラ術の実践者との間に成立したであろう非言語的な相互作用が重要な 役割を果たしたと考えられる。以来パスィスタ(パッソの踊り手)同士の眼差しの交換,
すなわち互いの演技の観察を通じて継承されてきたパッソの技術を,1970年代に初めて学 校という枠組みを設定してその指導法を考案することにより,誰もがカルナヴァルに限ら
2
ず年間を通じて効率的に学習できる環境を整備したのがナシメント・ド・パッソに他なら ない。パッソの演技を構成する個々の身体動作を抽出してそれぞれに名称を付与すること で教材化するという彼の着想には前例がなかった。彼の貢献により,パッソを「個別の身 体動作を踊り手が自在に組み合わせることによって成立するダンス」と見立てることが可 能になり,本研究でもその見立てに基づいてパッソの演技の分析が行われた。ナシメント・
ド・パッソは自らの指導法の有効性を副校長に任命されたフレーヴォの市立学校のダンス クラスを通じて実証したが,その彼の 2003 年の唐突な退任はこの学校の指導方針に転換 を迫るものとなった。そしてその状況に新たな方向性を示したのが,この学校に舞踊団を 設立するという使命を受けて着任したアレッシャンドレ・マセードであった可能性を本研 究では指摘した。彼はバレ・ポプラール・ド・レシーフェというこの地を代表する民衆舞 踊団でも活躍した職業舞踊家であった。その彼の取り組みはフレーヴォの市立学校舞踊団 の指導に反映されただけでなく,そこで指導を受けた者たちがダンス教師を務めるこの学 校のダンスクラスの指導にも少なからぬ影響を及ぼし,その結果として,フレーヴォの市 立学校のパッソ指導がそれまでの「街頭で踊るためのパッソ(独演による即興性の重視)」 に加えて「舞台で演じるためのパッソ(集団による振付作品の上演)」を志向する端緒にな ったと考えられる。一方でナシメント・ド・パッソの指導法は,彼の教え子たちによって 2005年に結成されたパッソの戦士たちの開講するダンスクラスに受け継がれた。今日のフ レーヴォの市立学校の指導法とパッソの戦士たちのそれを比較してみると,両者は互いに 全く相容れない関係にはないことが明らかとなった。双方ともにナシメント・ド・パッソ の指導法を基盤としつつ,それを修正,あるいはそれに新たな要素を付加していると解釈 できるのである。なお,パッソの舞台芸術化が進行するのに伴い,クラシックバレエやモ ダンダンスなど外来の舞踊芸術の影響も受けてパッソの技術は今後ますます高度化・複雑 化することが予想される。舞台芸術化されたパッソに関しては,もはや本研究で実践した ような方法でその演技を構成する身体動作を特定することは難しいと思われる。またその 前提として,パッソを「個別の身体動作を踊り手が自在に組み合わせることによって成立 するダンス」と見立てることにも限界が生じよう。しかしながら,パッソの技術がこの先 どのような変化を遂げようとも,パッソがパッソである限り,その演技を構成する個々の 身体動作に名称を付与して教材化するというナシメント・ド・パッソの方法論がこのダン スの指導の現場から放棄されることはないであろう。