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─日本大学英文学会─

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発行:日本大学英文学会

156-8550 東京都世田谷区桜上水3-25-40 日本大学文理学部英文学研究室内 Tel. 03-5317-9709(直通)

Fax 03-5317-9336 E-mail esanu@chs.nihon-u.ac.jp   esanu02@gmail.com

目  次

《ご挨拶》

  会長挨拶 “e pluribus unum” ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・日本大学英文学会会長 高橋 利明 2   英文学科主任挨拶 ―平成29年度を迎えて― ・・・・・・・ 日本大学文理学部英文学科主任 保坂 道雄 3

《追悼文》

  深沢俊雄先生への追悼 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 日本大学経済学部元教授 曽根  進 4   故深沢俊雄先生を偲んで ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 佐野日本大学短期大学特任教授 佐藤 秀一 5   深沢俊雄先生との思い出 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 桜美林大学教授 山岡  洋 6

《エッセイ》

  フィンランドでの特別な一年 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 東京都小学校教諭 志田 満瑠 6

《検定試験奨学制度報告》

  Challenge ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 日本大学文理学部英文学科3年 佐野 叶花 7   資格試験を有効活用、自身のスキルを図る物差しとして ・・・・日本大学文理学部英文学科3年 吉村 一義 8

《海外留学体験記》

  ハワイで食べる日本の味 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・日本大学大学院博士後期課程3年 島本慎一朗 9   交換留学を終えて ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・日本大学文理学部英文学科4年 八巻 莉緒 10

《特集》

  丘上閑話 ─つまみ食いの跡─ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 日本大学文理学部元講師 八木 悦子 10

《新刊書等案内》 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 11   『英語年鑑』、サイコアナリティカル英文学会論集、そして、日本大学英文学会 ・・・日本大学文理学部教授 野呂 有子 11   Introduction to Myles Chilton,「越境する英語と英文学」『知のスクランブル―文理的思考の挑戦』

  Translated by Yuko Noro. Pages 75-88. ・・・・・・・・・・・・・ 日本大学文理学部教授 マイルズ・チルトン 13   『ミヒャエル・エンデとファンタジー文学』(コプレス(2016)) ・・・・・・・・・ 聖徳大学名誉教授 藤井  繁 13   「一人も見捨てない」の実現を目指して ~拙著『すぐ実践できる!アクティブ・ラーニング 高校英語』のご紹介~

   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 横浜翠陵中学・高等学校教諭 江村 直人 14   Early English Books Online(通称EEBO)のご紹介 ・・・・・・・・・・・・・・・日本大学文理学部教授 野呂 有子 15

《月例会関連》

  月例会報告・予定、研究発表者募集 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 16

《事務局・研究室だより》 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 18   2017・2018年度運営委員 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 18   寄贈図書について・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 18   日本大学英文学会2015年度決算額 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 18   退職のご挨拶 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・日本大学文理学部元助手 野村 宗央 19   退職のご挨拶 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・日本大学文理学部元助手B 髙橋 友加 19   着任のご挨拶 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・日本大学文理学部助手 桶田 由衣 20   着任のご挨拶 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・日本大学文理学部任期制職員 小桐 弓佳 20   2016年度・2017年度行事、その他・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 21

《訃報》 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 23

(2)

会長挨拶

“ e pluribus unum ”

日本大学英文学会会長 高橋 利明

新年度を迎え、会員の皆様にはますますご清祥のこ とと存じ上げます。本学会の会長として二期目を務め ることになりましたが、これまで運営上の事務作業に おいてお世話になってきた英文学科助手や職員の方々 に対して、まず感謝を申し上げさせていただきます。

事務局スタッフの献身的な仕事こそが、この学会の長 い歴史を作り上げてきたのであり、植物で言えば木の 根っことなってきたのです。そして、もちろん研究会 員・同窓会員・学生会員の皆様の日々の活発な活動 が、木に花を咲かせ実をならせてきたと実感しており ます。お蔭様で昨年の7月には、日本大学文理学部英 文学科創設90周年記念として、これまで発行されて きた『英文学論叢』のDVDを発刊することができまし た。また、昨年度スタートの「検定試験奨学制度」で は、思いのほか多くの学生(年間で26名)が立派なス コア等を取得し、スタッフ一同皆喜んでおります。ま すますの活性化を心から期待しております。圧倒的に TOEIC受 験 者 が 多 い の で す が、 留 学 を 目 指 す

TOEFL、IELTSの方もさらに頑張っていただきたい

と思います。

さて、ここで一つ本学会にとって大変残念なご報告 があります。前英文学会会長の深沢俊雄先生がこの1 月18日にご逝去されました。いつもおだやかな佇ま いで的確なご判断のもと、本学会を牽引して下さいま した先生の唐突すぎるご逝去に驚き、ただ佇むばかり です。この場をお借りして衷心より哀悼の意を表した いと存じます。

話は変わりますが、今日の国際情勢は1月のトラン プ大統領の就任後、緊迫度をいよいよ増しておりま す。アメリカが北朝鮮に対してレッドラインを引く、

引かないという瀬戸際にまで米朝関係が最悪化してい て、我々日本人も日々不安をかかえています。かつて の戦前・戦中の日本のことを想像すると、どこか背筋 が寒くなる思いがいたします。そんな中、先日NHK

のEテレの「知恵泉」という番組で、「幕末国際人――

ジョン万の選択力、苦難こそチャンスだ!」が放映さ れ、見る機会を得ました。その番組で改めて感銘を受 けた言葉があります。それは、“e pluribus unum” とい うラテン語です。「多から一」、「多数の統一」という 意味であり、さらには「多くの州の連合でできた一つ の政府」という意味でアメリカの国璽として、コイン

《ご挨拶》

にも刻印されています。アメリカのコインに刻まれ、

紙幣に印刷された“In God We Trust”の方はよく知ら れていますが、このラテン語については気づきにくい ようにも思われます。

ジョン万は、四国土佐の漁師であり、出漁中に暴風 雨に会い、伊豆諸島南端の鳥島に漂着後、ホイット フィールド船長率いるアメリカの捕鯨船に拾われ、ハ ワイ、そしてニュー・ベッドフォード(アメリカ最大 の捕鯨基地)まで渡り、当地で教育を受け、さらに日 本に帰国後の幕末に大活躍した人物です。そして、彼 を救ってくれたジョン・ホーランド号の船体には、“e

pluribus unum” の文字が刻印されており、その意味す

るところがジョン万の意識の中に深く刷り込まれて いった、という解釈がその番組から感じ取ることがで きます。多人種・多民族が乗り組む捕鯨船が、アメリ カ国家そのものを象徴しており、その船での仕事は、

日本人として初めて彼に民主主義を教え込んだと思わ れます。ジョン万の体得した民主主義(「多数の統 一」)は、その根幹にアメリカ建国の理念である「独立 宣言」の中の “all men are created equal” という精神が 息づいているはずです。「万人は平等に創られている」

という精神は気高い理想であり、その理想を常に肝に 銘じて生きることが今日ますます求められていると思 います。何はともあれ、世界の平和を祈るばかりで す。なお、ジョン万と言えば、井伏鱒二の『ジョン万 次郎漂流記』(第6回直木賞受賞作、昭和12年)が有 名です。資料に基づきながらも作者の想像によるとこ ろの多いその描写力には、瞠目すると同時に深い感銘 を受けます。特に、無人島での仲間との生活ぶりな ど、まるでその場を見てきたように書かれている名作 です。

お蔭様で本年度の月例会や大会などのスケジュール もほぼ決まり、当英文学会の学統をつないでいく「継 続する力」に感動し、かつ感謝致しております。研究 会員による、当学会の機関誌『英文学論叢』へのこれ まで以上の積極的なご投稿をお待ちしております。最 後になりますが、会員の皆様のご健勝とご活躍を心か ら祈念申し上げます。

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(3)

英文学科主任挨拶

―平成 29 年度を迎えて―

日本大学文理学部英文学科主任 保坂 道雄

この4月より、英文学科主任を務めることになりま した保坂です。大変重い職責ではありますが、会員皆 様のご協力を頂きこの務めを果たせればと思っており ます。何卒宜しくお願い申し上げます。

さて、本年度は新たに学部新入生145名、大学院新 入生8名を迎え、無事に新年度のスタートをきること ができました。学部の入学者数は、文部科学省の指導 による学生定員の厳格化に伴い、130名を大きく越え ることはできなくなり、学生数が減り寂しい反面、一 人一人の学生に目が行き届く教育ができるのではと 思っております。一方、大学院の入学者は前期課程7 名、後期課程1名で、文理学部の他学科や他大学の英 文学科に比してもその数は多く、またいずれの入学者 もしっかりした目標をもって専攻を選んでおり、大変 頼もしく思っております。

まずは、本年度も英文学科の教員・スタッフの異動 が幾つかございましたので、ご報告致します。昇格人 事では、飯田啓治朗先生が教授に昇格されました。ま た、長く学科の研究事務を切り盛り頂いた野村宗央先 生が松山大学に栄転されたのに伴い、新助手として、

桶田由衣さんをお迎えしました。また、前島洋平先生 がこの4月より1年間、本学海外派遣研究員としてケ ント大学で研究を行っております。次に、学科職員の 人事ですが、3年間学科事務を支えて頂いた髙橋友加 さんの任期満了の退職に伴い、後任として、昨年度卒 業した小桐弓佳さんをお迎えしました。助手や学科職 員の皆さんには、新学期を迎え、ガイダンスや学生対 応に大変忙しく、毎日遅くまで奮闘いただいておりま す。教員一同、学科及び学会を支える縁の下の力持ち に本当に感謝しております。

ところで、大学運営をめぐる状況は、ますます混迷 を深めております。先程述べた学生定員厳格化は、各 大学の財政を圧迫し、学費の値上げや研究教育費の削 減等へとつながり、専任・非常勤の教職員の雇用まで 脅かしかねない状況にあります。そうした中、私たち が考えなくてはならないことは、日本の高等教育を決 して衰退させてはならないということだと思います。

日本の教育システムは、世界的にも高く評価され、そ の成果も確かに上がっております。しかしながら、そ れは主に中等教育までで、大学を中心とした高等教育 となると、その評価は残念ながらあまり高くありませ ん。こうした状況で、前述の問題を抱え、果たしてこ のままでよいのかと自問せざるを得ません。私たちに

できることは限られておりますが、せめて本英文学科 の学生たちには、これまでに劣らない教育を維持し、

幅広い視野としっかりした判断力を養い、社会に役立 つ人材に育ってもらいたいと思っております。

そのため、昨年度より新カリキュラムへと移行し、

できるだけきめ細かい指導ができるようにと各教員が 知恵を絞っております。その中の1つには、1年次及 び2年次の外国人専任教員3名を中心とした副担任制 があり、英語をより身近に感じて授業に臨んでもらえ るようにしております。また、もう1つの柱として、

3年次から始まるゼミ制度があります。新2年生は、

今秋各先生方のガイダンスを聞き、2年後の卒業論文 作成に向け、研究テーマを決めてもらいます。これま でより教員との距離感も近くなり、研究はもとより、

様々な事柄を相談できる機会も増えるのではと思って おります。先生方には多少ご負担が増える可能性もあ りますが、英文学科の新たなセールスポイントの1つ になればと願っております。外部環境は益々厳しく なっておりますが、こうした一つ一つの努力の積み重 ねで、これからも英文学科の教育の質を維持して参り たいと思います。

文理学部も、この4月に、新たな本館が完成し、来 年度に向けて、キャンパスの姿も大きく変わりつつあ ります。11月にはホームカミング・デイ、12月には 本学会の年次大会が予定されております。どうか、会 員の皆さんも、是非一度、新たな一歩を踏み出した文 理学部及び英文学科にお越し頂ければと願っておりま す。今後とも、日本大学英文学会会員の皆様のご協力 を切にお願い申し上げます。

(4)

深沢俊雄先生への追悼

日本大学経済学部元教授 曽根 進

長い間、松戸にある聖徳大学人文学部教授であられ た深沢先生が、今年の1月18日朝に急性大動脈解離 の為に、突然自宅で倒れられ、息を引き取った。享年 74才でした。私などと比較すれば、先生は公私とも に忙しい日々を送っておられたことは確かです。

昭和38年から日本大学文理学部英文学科から同じ クラスで過ごした間柄、少し早い旅立かと思っていま す。葬儀は1月21日に多摩霊園で執り行われました。

多数の参列者に見送られ、満足な人生を終えていると 感じがしました。先生は若い時から真面目な生き方を 貫き終えていたので、参列者から故人深沢俊雄に関す る興味のあるエピソードは聞くことはなかった。

そこで、私は深沢君とは長い付合いであり、友人の 1人としても、彼の思い出の2~3の話は披露しなけ ればならないかと感じています。

日本大学の大学4年間、大学院3年間の計7年間を ほぼ同じクラスで過ごしています。多分、深沢君と息 が合った頃は、大学2年生の「英語III」の授業を通し てでしょう。中島邦男先生が英国のロンドン大学へ行 くので、後期授業は、当時助手の渡辺敏郎先生が授業 担当者となった。その頃の英文学科生は男女比で言え ば半半でした。女子学生が教室の前半分、男子学生は 後ろ奥にひっそり座っていた。この時に、深沢君は

「オイ!曽根、この先生はシャープでクール、そして 映画の画面に出てくる人だよ」と告げてきたのを覚え ている。彼との会話は常々素っ気ないが、後になって 余韻を残すことが多かった。当時英文学科には渡辺敏 郎、壬生郁夫、高橋直等の助手がいた。この人達は助 手の身分であるが英文学科の授業を持っており、2年 生以上の英文科生を指導していた。ある日、彼は私に

「この助手達は大和資雄主任教授の御墨付きがなけれ ば、万年助手になってしまう」と話してくれた。確か に、今の任期制度の助手とは相当に異なっていたは ず。日大紛争前の助手達は苦労が多かったでしょう。

後に、私が文理学部英文学科助手から、日本大学経 済学部専任講師として赴任することになった時に、深 沢君は「曽根、君は幸せ者だよ!」と言われた。今に して思えば、この紛争前は助手であった大先生達に再 会し、多方面からのご指導をいただきながら、先生達 の同僚にして下さった御蔭で、39年間を無事に勤め あげました。それは感謝感謝に尽きます。

昭和43年5月に日大紛争が勃発し、私たち院生は

古田体制打倒(理事長打倒)で盛り上り、デモにも行 きました。文理学部校舎はバリケードされて、授業再 開などの目処は全くないままで、月日がたちました。

文理学部の教職員も「反古田」を掲げて神田三崎町を デモ行進していました。すべての文理学部の機能はス トップし、院生達の大半は留年してしまった。院の2 年生には佐藤三武朗、原公章、羅秀吉(台湾留学生)、

国岡直次、深沢俊雄など他に5名いました。私を除 き、上記の皆さんは正義感と向学心に燃えていまし た。それだけに、この日大紛争は1人1人の院生に とって、将来への不安や悩みを残していました。20 年程前のある会合で、深沢君は「この紛争は僕たちが 犠牲者になったことにより、今の日本大学全体の発展 につながり、新しい日本大学組織に生れ変っていった ことを実話として受け止めて下さい」と言ったことが ある。まさに、誰れもが戦後の日本民主化以上に日本 大学にとっては、前へ一歩押し進めた大変な運動で あった。

この紛争中の話ですが、大和先生が矢来町の自宅で シェイクスピアの集中授業をして下さり、最終日には 奥様が手料理を振舞ってくれたこと。また、英語学担 当の原田茂夫先生が受講者を自宅に招いて、霜降牛肉 のスキヤキを食べさせてくれたことなど忘れられない 思い出となっている。

さて、深沢俊雄先生に戻りますが、留年後の大学院 3年目には日本大学鶴ヶ丘高等学校に勤務し、修士論 文のみが院生3年目での仕事となり、修士論文の提出 となった。その後、4年間の高等学校勤務の後に、東 京立正女子短期大学に専任講師として採用されてい る。ここへの転職には難波利夫先生の口利きもあった らしい。9年間程勤務している間に、短大中枢の教務 主任に上り詰めていた。そこに、大先輩の藤井繁先生 が、昭和56年聖徳大学人文学部英米文化学科発足時 の教授要員として声をかけられ、招かれた。平成27 年3月に退職するまで学部学生、院生の指導をしてき ている。また、先生は学会活動にも力を入れており、

日本大学英文学会、日本文体論学会、スタインベック 協会、東京英米文学研究会などの学会主要役職を熟し ていきている。私などの凡人よりは、日常生活でも、

教育活動の上でも、神経と体力を使いすぎたことで しょうか、今となっては先生のご冥福を祈るしかない。

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《追悼文》

(5)

故深沢俊雄先生を偲んで

佐野日本大学短期大学特任教授 佐藤 秀一

深沢先生の突然の訃報に唖然とし言葉を失ってし まった。一ヶ月ほど前の英文学会の年次総会であんな にお元気な様子で、お会いしたばかりだったので、何 でだ、何があったんだ、と心の中で思わず叫んでしま い、同時に受話器を持ったまま体が震え、膝がガクガ クしてしまった。そしてこれまでの先生との長年の遠 い昔の日々のことを思い、・・・涙してしまった。嘗 ては職場の学校が同じ高校、同じ短大だったこともあ り、先生の結婚式にも招かれたり、旅行もご一緒させ ていただいたりもした。この世の諸行無常とは云え、

思いがけないほどの喪失感と自分の中で何かが欠けて しまった淋しい思いで一杯である。先生とお会いする といつも「ホッ」と心が和み、何もかも打ち解けて話 ができ、会話も弾んだ。

心ひそかに先生を「人柄の深沢先生」、「気配りの深 沢先生」と思っておりました。「佐野の方はどうです か?」、「どんな風に通われてるんですか?」とか、何 かと私のことや「奥さん元気?」と家内のことを気 遣っていただきました。人の立場に立って人の苦労や 気持ちを思いやる、まさに配慮の人でありました。ま た、先生のお人柄を語るとき、いつも謙虚であろうと した先生の姿勢について触れないわけにはいきませ ん。先生はどの先生に対しても、例え、年下の若い先 生であろうとも「・・・先生」と呼んでおられました。

とても感銘を受け何とか見習いたいと思ったのを覚え ております。先生の相手の人と同じ目線で物事を見る 屈託のない姿勢は、誰しもが共感することでありま す。自らが凡人であることを心掛けているようにも思 えました。それは口に出せば簡単ですが凡人にはなか なかできないことであります。いかなる地位にあって も偉ぶらず常に謙虚で目線を低くする。そして凡人だ から懸命に努力する。そうした姿勢が凡庸に見えて非 凡という境地を開かれたのであります。

先生は、学問の分野においても功績を残し、日本大 学英文学会の会長に選ばれ、立派にその職務を全うさ れました。私も同学会の常任委員、運営委員として会 議に出席させていただきましたが委員の先生方の信頼 も厚く、強い責任感をもって、的確に、また誠実に運 営されました。

先生の研究のご専門は、アメリカ文学20世紀前半 のスタインベック(John Steinbeck、1902-68)でした。

スタインベックの少年時代からの愛読書は、アーサー 王(King Arthur)物語と聖書(the Bible)である。そ れが彼の文学世界を決定するほど重要な意味を持つこ とになるが、彼はアーサー王伝説を踏まえた構成によ

る底抜けにユーモラスな、それでいて哀感の漂う

『トーティーヤ・フラット』(Tortilla Flat, 1935)で名声 を確立する。そして1929年の10月24日の「暗黒の木 曜日」、ニューヨーク証券取引所は突如として株価の 大暴落に見舞われ、彼は、それに伴う長い経済的不況 が続く社会への関心を深め、芸術的にもすぐれた作品 を次々と世に問うことになる。そして、ストライキ小 説『勝敗のわからない戦い』(In Dubious Battle, 1936)、

劇形式の中篇『はつかねずみと人間』(Of Mice and Men, 1937)、少年の動物との共感を通して大きく成長 していくビルドゥングスロマン(Bildungsroman)とも いえる『赤い仔馬』(The Red Pony, 1937)などを経てこ れまでのテーマを凝集させた代表作『怒りのぶどう』

(The Grapes of Wrath, 1939)で自己の文学的頂点に到 達する。第二次世界大戦以降の著作は、ユーモア小説

『缶詰横丁』(Cannery Row, 1945)、自分の家の歴史に 潜む原罪の意味を探り、そこに宿る人間の罪と愛の問 題の追求を旧約聖書の物語に託して語ろうとする、エ リア・カザン(Elia Kazan)監督によって映画化され、

ジェイムズ・ディーン(James Dean)の名を有名にし たお馴染みの『エデンの東』(East of Eden, 1952)など の佳作がある。そして1962年、ノーベル文学賞を受 けた。スタインベックの大作『怒りのぶどう』は旧約 聖書の『出エジプト記』を枠組みとする構成、社会的 背景を描く一種の中間章と物語部分の章が交互に配置 されるという手法は斬新である。この作品の重要な テーマは人類愛である。博愛精神に満ちた作品で、心 優しい人々はみな経済的に貧しい。『怒りのぶどう』

が、ただ単に、資本家や官憲の弾圧に抵抗する社会小 説に終わらないのは、それらの苦しみの中に人間愛が うたわれているからである。作品の30章の最後のと ころで、飢えで死にかけている男の姿を見てマ(Ma)

( 母 親 ) は 無 言 の ま ま、 ロ ー ザ シ ャ ロ ン(Rose of

Sharon「シャロンのバラ」)、[本名はローザシャーン

(Rosasharn)、ジョード(Joad)家の長女で赤ん坊を 産むも、その子はすでに死んでいた]にうながすと 彼女は「いいわ」(“Yes”)と言ってその男に自分の乳 をふくませてやる。そのときの彼女の口もとに「謎の ような微笑」(“her lips came together and smiled mys-

teriously”)が浮かんでいたのである。この「謎のよう

な微笑」とは一体何を意味しているのだろうか。ここ には一人の人間の生命を超えた人類全体の生命の燦々 たる輝きが存在するのである。

先生の生きざまということの意味は、まさにこう いったあくまでも人間的であろうとする強い思いが背 景にあるのではないだろうか。もはや先生の温容に接 することはできません。耳を澄ませば先生の優しさの こもった声が聞こえてきます。

先生、本当にお世話になりました。これまでお導き いただきありがとうございます。どうか安らかにお眠 りください。合掌。

(6)

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深沢俊雄先生との思い出

桜美林大学教授 山岡 洋

私が深沢俊雄先生と初めてお目にかかったのは、私 が佐野情報短期大学(現、佐野日本大学短期大学)か ら聖徳大学に移った2001年4月の時であった。当時、

学長補佐をしていらした藤井繁先生と、先に桜美林大 学から聖徳大学に移られた小池一夫先生と、いわゆる

「日大組」として、4人で連れ立ってよく飲みに行った ものであった。藤井先生はトマス・ハーディ(イギリ ス文学)、深沢先生はジョン・スタインベック(アメ リカ文学)、小池先生は通時的英語学、私は共時的英 語学と、4人の専門は見事に別々であったが、当時の 聖徳大学では、「東大組」と「筑波組」が二大勢力とし てしのぎを削っており、そんな中の小さな派閥ながら も、藤井先生のお人柄から、当時の学長からは信頼を 置かれて、様々な仕事を任されていた。

私が聖徳に移った当時は、深沢先生は教授として一 人の研究室をお持ちであった。私は助教授として、別 の教授の先生と同部屋であった。しかし、私の同部屋 の先生が退職をされてしばらくした頃、研究室の再編 のために、私と深沢先生は研究室を共有することに なった。それを機に、私は深沢先生と大学での「生 活」をともにするようになったのである。深沢先生 は、苦手なのは整理整頓をすること、一方で、人への 気遣いは人一倍あるため、研究室には面白い光景が 徐々に形成されていった。研究室の中には、個人用の 作業机が壁際に2つ、学生が来た時などに使う共有の 大きな机が真ん中に1つあった。共有の机は基本的に 物は置かないようになっていた。すると、人への気遣 いが人一倍きめ細かく、整理整頓が苦手な深沢先生の 机の周りには徐々に床から「物」の山が形成されて いった。その山は、決して人の邪魔にはならないが、

それ以上積み上げたら絶対に崩れるだろうというもの であった。それでも、深沢先生の頭の中では、その山 の中のどこに何があるかは常に正確に把握されてい た。学者である。

ちょうどその頃、聖徳大学では、新たに「外国語学 科」という学長肝いりの学科を新設することになり、

小池先生を中心に深沢先生と私で外国語学科の土台作 りをしていた。この新学科設立は、学内でも秘密裏に 話が進められていたため、3人は小池先生の研究室に 籠もって、カリキュラム作りなどの作業を行ってい た。作業は夜遅くまで続いたため、3人とも夕食はそ

の小池先生の研究室でともにすることが常で、3人が 順番にその夕食3人分をどこかで調達することになっ ていたのであるが、深沢先生が買ってこられる時に は、普通のお弁当に加えて必ず味噌汁やサラダなどが 添えられていた。

深沢先生との思い出はここに書き尽くせることなど 到底できないが、最後に、最も印象に残っている思い 出を書き残しておきたい。それは、ある日、深沢先生 が出勤されてきた時のこと、まずは愚痴から始まっ た。「先生、聞いてよ、昨日は長女が生まれたばかり の子どもを連れてくることになっていたんだ。だから お風呂をきれいにしようと思って、朝から風呂場の壁 のペンキを塗り替えていたんだよね。そしたら、次女 がシャワーを浴びに来て、急いでいたんだろうけど シャワーを浴びられず、『何で、こんな時間からペン キなんか塗ってるの?もう、もう、このペンキじじ い!』って言うんだよ。『ペンキじじい』なんてひどい よね。」私にとって、この出来事はまさに深沢先生の 人となりを表すものであった。人を想い、そのために 苦労を惜しまない。しかし、間が悪い。

深沢先生、天国でも、皆さんに笑いと幸せを与えて 下さい。先生に改めてお礼を申し上げる機会がありま せんでした。これまで、本当に有難うございました。

フィンランドでの特別な一年

東京都小学校教諭 志田 満瑠

「海外に出て、他の国の教育を見てみたい。」

教員歴10年目になる私は2016年4月から1年間IIP の国際体験プログラムに参加した。私の参加した「海 外教育交換プログラム」は、海外の現地校に入り、子 ども達に日本文化や日本事情を紹介しながらその国の 教育を学び、現地の教職員とも交流するというもので ある。研修を行う国は自分で選ぶことができたため、

教育水準が高く、かつ、日本と同じように英語を公用 語として学習しているフィンランドを選んだ。

フィンランドの学校には、担任の先生の他にヘル パーもおり、複数の大人で指導にあたっていた。その ため一斉指導はもちろん、小グループに分けての指導 や、個別指導も行うことができ、子供達一人一人に丁 寧な指導がされていた。授業は教科担任制をとってお り、専門性を生かした授業が行われていた。また、先 生達一人一人自分の趣味や特技をもっており、それを

《エッセイ》

(7)

生かした学習活動も行われていた。動物が好きで馬を 飼っている先生は、夏に動物のふれあい教室を行った り、オリエンテーリングが得意な先生は屋外でオリエ ンテーリングの授業を行いながら、地図のよみ方を指 導していた。自分でフィンランドの伝統衣装を作るこ とのできる先生が家庭科を担当していたり、大工のよ うに、自分でコテージを建てたという先生がハンディ クラフトの授業を担当していた。趣味や特技が指導に もつながっているため、楽しそうに子ども達に指導を する先生達の姿が印象的だった。

英語の学習は2年生から始まり、3年生からは教科 書を用いながら本格的な学習が始まっていた。教科書 を使うだけではなく、様々な英語の音声や動画なども 使いながら授業が行われていた。リスニングの学習で は、オープニング曲の後にDJが陽気に、ジョークを 交えながら話す英語の音声や、イタリア人シェフが英 語で調理方法について話す音声を聞くこともあった。

イタリア人シェフの調理方法を聞き取るリスニングの 学習ではイタリア訛りの英語の音声が使われており、

母国語話者によるものではない英語を聞く練習にも なっていた。世界に出れば、公用語として使われてい る、訛りのある英語を聞く場面に出会うこともある。

正しい英語を聞くことも大切だが、それ以外に「今」

使われている英語や、公用語として使われている英語 を聞くことも他国の人たちとコミュニケーションをと るために必要なことなのだと思った。

フィンランドの小学校では「子ども達に教科を教え ること」を第一としており、日本のような生活指導は ない。給食はバイキング形式になっており、配膳する 量も子ども達に任せているので自分の好きな物しか皿 に入れない子や、少しの量しかよそわず、休み時間に 家から持ってきたサンドイッチを食べる子もいる。学 力は高いが、学習態度が悪いという子に対しては学校 で指導をするという方法より家庭に連絡をいれるとい う方法をとっていた。フィンランドでは学校で教える ことと家で教えることをはっきり分けているようで あった。

日本の小学校では、教科指導の他に生活指導や学校 行事も行ったり、給食や掃除などの当番活動もある。

そのため、教員の仕事は多いが、協力することや、相 手のことを考えて行動するといった教科以外の大切な ことも教えているのだと思った。これは現地校に入ら なくては気付かなかったことであり、このことから日 本の教育のよさを感じることができた。

教育だけでなく、素晴らしい自然やフィンランドな らではのおもしろい文化を体験できたのもよい経験と なった。フィンランドはオーロラが有名であるが、私 は秋の夕暮に感動した。赤や黄色、オレンジ、青など 様々な色が広い空一面に広がり、時間によって変化す る空はいつまでも見ていたくなるほど美しかった。

海外に出なくては気付かなかったこと、フィンラン

ドでしか体験できないことをこの留学で体験すること ができた。人生の貴重な一年となったこのフィンラン ド留学を私は忘れないだろう。

Challenge

日本大学文理学部英文学科

3

年 佐野 叶花

私は大学1年次に英検準1級を取得しました。高校 から英語専攻の学科に所属していて、大学も英文学科 なのになんの英語資格も持っていないのは恥ずかしい な、もう少し自分の英語力に自信のつく『武器』が欲 しいなという想いから英検に挑戦することを決意し、

約1年間勉強をしました。私が英検の勉強として独自 で行っていたのは本屋で購入した英検の単語帳の単語 をじっくり覚えて次の日にその覚えた単語を復習とい うのを毎日くりかえすことです。覚えるときの方法と して、私はルーズリーフに英単語を5回ずつ声に出し ながら書いていました。時間もかかるし若干面倒くさ いかもしれませんが、覚えるのに苦戦していた単語も 次の日には不思議なことに単語の音と一緒に意味も ちゃんと思い出すのでこの覚え方はおすすめです。復 習はなるべく通学中や授業の休み時間などのスキマ時 間をつかうようにしていました。なぜかというと、英 検準1級に出てくる1850単語を全部覚えるためには あまり復習に時間を費やしたくなかったのと、本番試 験を受けるときはじっくり考えるというよりも、正確 にかつ迅速に単語を理解するのが大切だと思ったから です。「この駅に着くまでに○○ページ分の単語を完 璧にいえるようにしよう」「○限が始まるまで○○

ページ分くらい復習しよう」というような自分のノル マを作り、テンポよく答えられるようにしました。英 検の勉強はこの単語を覚える、ということをメインで 行い、受験1ヶ月前に過去問を解き始めリスニングも 耳をならすために毎日聞くようにしていました。「ほ ぼ単語しかやってないじゃん」と思うかもしれません が、私はどれだけ単語を本番までに覚えたかが準1級 合格のカギになると思います。英文法や作文、長文読 解は大学受験のときに学んだ英語を覚えていればそれ で大体のことはカバーできるからです。学校の授業や 課題、テストと両立するのは大変ですが、毎日短い時 間でもいいので続けて勉強するのがポイントです。

1年間勉強した後英検に合格し、その翌年から英文 学科で『検定試験奨学制度』が導入されました。検定

《検定試験奨学制度報告》

(8)

試験合格後、申請をすると図書カードが貰えます。私 はこの制度でより多くの学生が検定などの資格をとろ うと思ういいきっかけになるのではないかなと思いま す。なんとなく資格をとろうとするよりも「図書カー ドをもらうためにも勉強しよう」という理由でもいい ので明確な目標があったほうが勉強ははかどると思い ます。さらに、私のようなまだ上の級が取得出来てい ない人にとってもこの図書カードを使って参考書を買 い、次の級もチャレンジしてみようという学生も増え いい制度だと思います。私も実際に今回の制度でいた だいた図書カードで英検1級の勉強をしています。こ の先の就職活動に向けて、少しでも自分の自信につな がるようにこれからも英検をはじめとする様々な資格 取得に挑戦し続けたいです。

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資格試験を有効活用、

自身のスキルを図る物差しとして

日本大学文理学部英文学科

3

年 吉村 一義

1.はじめに

私は昨年の四月にここ日本大学英文学科二年次に編 入学で入学してきました。それまでは何をしていたの かと言うと日本外国語学校総合英語科に二年間在籍し ていました。なので、実質1つ下の学年の学友と現在 勉強しています。最初は不安でしたが気の合う友達も 出来それなりに楽しい大学生活を送っています。英文 学会通信に書いて欲しいと言われたときは私のような 新参者が書いてもいいのだろうかと迷いましたが「こ れから検定試験奨学制度を利用したい!」また、「で

きる限りTOEICなどの点数を上げたい!」と思って

いる方の参考になれればと思い今回の執筆に至りまし た。これから、資格試験の勉強法や奨学制度について いくつかの項目に分けて書いていこうと思います。

2.資格試験勉強法に関して

今現在自分の保有している英語系の資格はTOEIC 公開テスト900点、英検準1級、TOEFL ITP 500点で すが、勿論最初からこんなに高いスコア、級を取れた わけでもなく海外経験も専門学校時代に一か月のホー ムステイをした程度に留まります。なので、日本に居 つつ徐々にステップアップしながらここまで上げて来 ました。TOEICを例に挙げて言うと高校卒業後専門 学校で最初に受けた時のスコアが330点とクラスの中 でも下から数えた方が早いという有様でした。その結

果を受け、また先生のアドバイスを踏まえながらおこ なったのが通学時間を利用した勉強方法です。当時は リスニング能力が全くと言っていいほど無く何を言っ ているのか分からなかったのでスマホのアプリを駆使 して毎日10分でも良いからリスニングをしよう!と 始めていきました。また当方、洋画が好きだったので 今まで吹き替えで見ていた映画もなるべく日本語字幕 で見るようにと心がけていくと半年ほど経った辺りか らネイティブの授業にもTOEICのリスニング問題も 聞き取れるようになり俗にゆう「英語耳」になってい きました。英文学科の授業は英文を正確に読み解く、

文法を正確に理解する、専門学校と比べてもより専門 的、学術的なカリキュラムなのでネイティブスピー カーの授業は比較的少なくTOEICでもリスニングが 苦手と言う方が多いのではないでしょうか?そう言っ た方に是非おこなって欲しいのが通学時間を使い10 分は英語のリスニングをして残りは自分の好きな曲、

好きなことをするという事、そこまで負担も大きくも 無く毎日学校に来るだけでも効果は大きいと思います

( 現 在 自 分 の 使 っ て い る ア プ リ はNHK WORLD RADIO JAPAN, BBC Learning English辺りを気分に合 わせて使っています。特にBBCは、スクリプトもあ るのでオススメ)。

また、学内のTOEIC IPテストだけでなく公式が毎 月行っている公開テストにも積極的に応募して試験慣 れするというのも良いと思います、というのも試験自 体が二時間もあるので慣れていないと最後まで集中力 が続かずダウンしてしまうからです。日頃から問題集 を本番さながらに解くのも大きいですが二か月に一 回、三か月に一回でも受けるというのをモチベーショ ンの維持も兼ねてオススメしたいです。

3.検定試験奨学制度について

私も昨年入学しこの制度を知り昨年から現在に至る までレベル1.2と図書カードをもらうことが出来ま した。初回には応募した人を集めて図書カードの授与 式があり授業でもお世話になっている吉良先生や高橋 先生がお見えになっていました。また10人以上の英 文科の学生が来ており中にはレベル1の贈呈を受けて いる方が居り非常に良い刺激になりましたし、当時自 分はレベル2での授与でしたから大きなカンフル剤に なったと思いますし、そう言った意味でもこの検定試 験奨学制度は他の英文学科生と切磋琢磨出来る良い制 度だと思います。贈呈品が図書カードと言うのもミソ で参考書などを買うときに大きな助けになりより自分 のスキルをブラッシュアップ出来ます。また、この制 度とは別に日本大学文理学部には検定のレベルに寄っ て単位認定制度もあるのでそちらも併せて活用してよ り有意に大学生活を送って頂けたらと思います。

(9)

ハワイで食べる日本の味

日本大学大学院博士後期課程

3

年 島本慎一朗

ハワイと言えば、新鮮な熱帯フルーツ、ロコモコ、

マラサダ、マナプアなど日本でも大人気の食べ物か ら、ダイアモンドヘッド、絵に描いたようなコバルト ブルーの海、パールハーバーなど現地でしか味わうこ とのできない観光地が挙げられる。私は文理学部交換 留学制度(ハワイ大学ではMIXプログラムと呼ばれ る)を使って米国ハワイ州にあるハワイ大学マノア校 に留学生として派遣された。ハワイで味わった日本に ついて2点述べていくことにする。

ハワイという土地はまさに文化の要衝とされる場所 であるとともに、ポリネシアンの伝統が残る由緒ある 島である。日本とアメリカ本土のほぼ中間地点に位置 し、世界中から観光客がやってきては伝統的なポリネ シアン文化を肌で体験していく。暖かい気候に温かい 現地の人々との交流、アロハと声を掛けられれば、自 然とアロハと返してしまうような実に心身ともに穏や かに過ごせる場所である。冒頭でも述べた通り、ハワ イはさまざまな名物で観光客たちを魅了してくれる。

しかし、ハワイは伝統を保持しながらも文化の要衝 だ。マラサダは元々ポルトガルから輸入されたもので あるし、マナプアとは要は、日本のコンビニで冬に食 べることが出来る白いアレである。もともと中国人が ハワイに持ってきたものらしい。様々な国の人々、文 化、そして現地の伝統が今のハワイを作り上げてい る。長いこと日本を離れると、やはり恋しくなるのが 日本食だ。ハワイでは寿司をはじめとする日本食も人 気だ。ところで、皆さんは海外の寿司を見たことがあ るだろうか。カリフォルニアロールやドラゴンロール と呼ばれる巻き寿司が人気で、日本の寿司とは見た目 も味も大きくかけ離れている。日本人からするとそれ らを寿司と呼ぶには少し抵抗がある。しかし、日本以 外の人々にとってはそれが寿司なのだ。少し長い前置 きになったが、この寿司というのは言語や文化と似 通ったところがある。英語は多くの日本人にとっては 第二言語であり、中学校や高等学校、そして大学にお いて必修教科となっている。英語を勉強したいという のであれば、日本国内でも十分に勉強はできる。では 何故、わざわざ海外留学をするのだろうか。海外の寿 司ロールが日本人にとって変に見えるのは、本物さ

(Authenticity)を欠くからであると考える。私はあま り寿司に詳しくはないが、シャリ、ネタなどあらゆる 点において日本と海外の寿司では異なる。つまり、実

際に私がアメリカに足を運んでわかったことは日本国 内から見る英語と、実際にアメリカに足を運んで見る 英語は異なるということである。例えば、日本で英語 を勉強する際に使う教科書の音読CDはアメリカ人か らすれば本物さを欠くものに聞こえるだろう。クリア できれいな発音、言い間違いはしないし、ノイズも無 い。まさに寿司で言えばカリフォルニアロールであ る。寿司は寿司でもちょっと違うし、英語は英語でも ちょっと違うのだ。言語というのは文法、語彙選択、

文体など言語的側面以外にも、ジェスチャーや態度、

またはそれらすべてが生み出す含意といった様々な要 素が統合されて使われるものだ。本物の寿司を学ぼう と思ったら、東京下町で修行し、寿司とそれを取り巻 く環境にどっぷり浸かって時間をかけて会得すること が必要なように、英語もその環境に一度足を運んでみ ることが必要である。それによって違いに気付くこと ができる。

もう一つ、外から見た日本について述べていきた い。日本では、早期英語教育や英語で英語の授業を行 うなど、ネイティビズムが流行である。子どもの習い 事ランキング1位に英会話教室が来ることからも、い かに日本人が英語に憧れているのかがわかる。しか し、英語でペラペラと話す将来の自分や子どもの姿を 想像するあまり、日本語や日本人としてのアイデン ティティーを捨ててしまうというのは少し残念なこと である。私はハワイ大学で第二言語習得(英語教育)

を専攻していたのだが、そこで最初に学んだことは、

言語習得におけるアイデンティティーである。今や英 語は世界中で使われており、日本に観光に来ている中 国人や韓国人とも英語で話すこともある(English as a lingua franca)。そんな中、正しい英語とは何かという 議論がこの分野では多くの学者の関心を集めている。

アメリカ英語だろうか、それともイギリス英語だろう か。答えは両方ともノーである。例えばシンガポー ルではその土地の訛りが混じったいわゆるシング リッシュという英語が使用される。標準とされてき たアメリカ・イギリス英語とは多少異なる。しかし シンガポールの人々にとってはシングリッシュこそ が標準であり、生活上必要不可欠な言語なのだ。私 はコミュニケーションをする上で、多少アメリカ・

イギリス英語と異なる英語を話そうが最低限理解可 能であれば良いと考えている。実際にアメリカで友 達と話しをする時も、授業内でディスカッションや プレゼンをするときも、誰も私のジャングリッシュに 文句も言わず耳を傾けてくれた。少し日本の寿司とは 異なるカリフォルニアロールが海外で愛されるよう に、日本人は日本語のアイデンティティーを大切にし ながら、英語とうまく付き合っていくことの必要性を この留学を通して実感したとともに、外国語に対する 見方が少し変わった。

こうして外に出てみると、自分が日本人なのだなと

《海外留学体験記》

(10)

改めて実感する。日本の良いところを再発見し、自分 を客観的に見つめ直す機会になった。これが外に出た 者にしか味わえない日本の味である。あなたも鎖国を 解いて、外から日本を眺めてみてはいかがだろうか。

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交換留学を終えて

日本大学文理学部英文学科

4

年 八巻 莉緒

八月から約九か月間、交換留学生としてアラバマ大 学バーミングハム校(UAB)に行ってきました。長期 留学は長い間私にとっての大きな目標であり、達成で きたことをとても嬉しく思っています。TOEFL等様々 な壁はありましたが、九か月間の素晴らしい経験と比 べると、これらは些細な苦しみだったと思います。

アラバマ州はアメリカ南部に位置する州で、バーミ ングハムはアラバマ州最大の都市です。都市と言って も東京のように大きくなく、時間はゆっくりと流れ、

州立公園等の自然にも囲まれています。人々はとても フレンドリーで、初めて会う人にも気軽に声を掛けて くれます。

日本とは異なる文化や習慣の中で、多くの刺激を受 けました。とくに印象的だったものは政治問題や社会 問題に対する人々の関心の違いです。日本では若者の 政治離れが話題ですが、十一月の大統領選の時期に は、キャンパス内で多くの生徒が意見交換しているの を見かけました。また、アメリカでは人種や宗教等は 深刻な社会問題です。特に南部は黒人の人権運動が盛 んに行われた場所なので、その背景を今でも感じるこ とができます。日本人はアメリカのような人種や宗教 の多様性を意識しないため、主観的に考えることは難 しいと思います。私も初めてマイノリティになるとい う経験をして、「日本人」というアイデンティティー を深く考えることができました。人種のるつぼである アメリカだからこそ、人々は自分の個性を持ちつつ、

他者の考えに理解を示そうとします。異なる文化を学 び、受け入れることの大切さを学びました。

UABには嬉しいことに日本語を勉強している生徒 が百人以上います。彼らとのコミュニケーションで気 付いたことも多くあります。例えば、日本語のルール

(尊敬語やオノマトペ)、日本人のものに対する考え方

(わびさび)は日本人にとってはごく自然なことで、

改めて考えることは少ないでしょう。アメリカ人の友 達にこのようなことを質問されるたび、私も日本語や 日本文化の面白さに改めて気づきました。また、自分 が日本人であることにさらに誇りを持てるようにもな

りました。留学ではその国の言語を学ぶことはもちろ んですが、異なる言語や文化に触れることで、自国の 言語や文化をもう一度見つめ直すことができます。

UABでの留学で学んだことは人生の財産です。英 語の勉強だけでなく、一期一会の出会いやお金で買え ない楽しい、または苦しい経験、全てが今や将来の私 を形成してくれるはずです。この交換留学を通して もっともっと多くのことを知りたい、学びたいと思う ようになりました。この向上心を胸に、これからも 様々なことに挑戦していきたいと思います。

丘上閑話

─つまみ食いの跡─

 日本大学文理学部元講師 八木 悦子 物心ついた頃、家族の話す「タヌキのAちゃん」「オ オカミのBさん」という言葉が気になって仕方があり ませんでした。それが「佐貫」であり「大上(集落の西 端)」であることが分ってきた頃、子供心に言葉って 面白いなと思うと同時に背後の知識がないと言葉は理 解できないのだということをぼんやりと感じました。

世の中には自分達が話す以外の言葉があると知った のは小学校低学年で『ニルスの不思議な旅』を読んだ 時でした。ニルスが動物と言葉を交わせなくなってし まう結末では、とても悲しい気持ちになりましたが、

素晴らしい想像の世界を紡ぎ出す言葉というものには 大いに興味を掻き立てられました。

言葉に対する別の思いが生じたのは、子供用に訳さ れた『ロビンソン・クルーソー』を読んだ時でした。

クルーソーが海岸で島の住人に出会った際の「その日 は金曜日だったので、その男をフライディと名付け召 使いにした」という一節を読んだ時、「なぜ他人に勝 手に名前をつけしかも召使いにするのか」という疑問 を持ったのです。大英帝国の海外進出と・・・などと 知るのはずっと後のことで、小学校時代の私が感じた のは「言葉は自分がまだ知らない背後の事情を抱えて いるらしい」ということでした。

外国語に興味をもったのは中学校に入って英語に接 した時でした。二年生の時の先生は、市河三喜の発音 記号の小冊子を使って熱心に発音指導をして下さいま した。言葉を記号で表すということを知り、発音記号が 読めれば自分で新しい言葉の発音も意味も調べること ができるのだと分かって、ゲーム感覚で発音記号を覚

《特集》

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《新刊書等案内》

え、三省堂の大人用の辞書をぼろぼろにしました。

高校時代はフランスの文学や思想が今よりもっと身 近に語られる時代で、私はカミュやサルトル、ボーボ ワールなど原書で読みながらのんびり一生を過ごした いと願いましたがそうもいかず、商社に勤めながらア テネフランセのフランス語クラスに通いました。身に は付きませんでしたがその経験は後に英文学を学ぶ際 の助けとなりました。

1975~78年末までの3年半を過ごしたテヘランで は英語でファルシー(公用ペルシャ語)を学びました。

文字はたいして読めるようにはなりませんでしたが、

文法に則った折り目正しい言葉を多少なりとも話せる 利点は多く、発話者の中身が言葉で判断されるのだと いうことを実感しました。ペルシャ語の音韻は美し く、雪の日の翌朝、柄の長いシャベル一本持っただけ で「バルフィー・バルフィー」と叫びながら町の中を 巡る雪掻き人夫(バルフは雪の意)の呼び声には心打 たれました。そこにはL. Hearnがplaintiveと表現した

もの、C. LambやW. Blakeが描いた煙突掃除の少年を

連想させる悲哀感が籠っていたと今思います。

plaintiveと言えば、ミンダナオ島のカガヤン・デ・

オロという町に住んでいた時に聞いたパン売りの若者 の声が忘れられません。早朝、人気のない路地に響く

(私には)意味不明のその呼び声には詩情が溢れてい て、言葉の働きの中で果たす音声の役割の大きさを実 感しました。

西洋古代哲学の田之頭安彦先生から古代ラテン語を 学び『ガリア戦記』をほんの一部でも読む機会を与え られたのは幸運でした。「京都に行ってもっと勉強し なさい」「和訳したものを送りなさい、添削してあげ ます」と言って下さったのに、怠惰な私は先生のご好 意を無にしてしまいましたが、英国小説に度々出てく るラテン語の引用文を辞書を引き引きでも読めるよう になったのは二回目に学生数が半減してしまったあの 厳しい授業のお陰です。

あれこれ言葉をつまみ食いしつつ50歳で大学院の 英文学科に入り、先生方の熱心なご指導を賜り、55 歳で海外派遣奨学生となり、57歳で博士後期課程を 満期退学した私が今しみじみ思うこと、それは「学ぶ べきことは永遠に増殖する」ということです。

本学会員による新刊書をご案内いたします。学会員 で研究書等を出版された方は事務局(英文学研究室)ま でお知らせください。新刊書案内として随時掲載いた します。

1. 藤井繁.『ミヒャエル・エンデとファンタジー

文学』東京:コプレス,2016.

2. 田中孝信・要田圭治・原田範行(編著).『セク

シュアリティとヴィクトリア朝文化』東京:

彩流社,2016.(閑田朋子先生(文理学部教授)

が共著者としてご執筆)

3. 日本大学文理学部(編).『知のスクランブル―

文理的思考の挑戦』東京:ちくま新書,2017.

(マイルズ・チルトン先生(文理学部教授)が 共著者として,野呂有子先生(文理学部教授)

が訳者としてご執筆)

4. 金谷憲(編著)臼倉美里・大田悦子・鈴木祐一・

隅田朗彦(著).『高校生は中学英語を使いこな せるか?―基礎定着調査で見えた高校生の英語 力―』東京:アルク,2017.(隅田朗彦先生(文 理学部准教授)が共著者としてご執筆)

5. 西川純(編)江村直人・新名主敏史(著).『すぐ

実践できる!アクティブ・ラーニング高校英語』

東京:学陽書房,2017.(江村直人先生(横浜翠 陵中学・高等学校教論)が共著者としてご執筆)

『英語年鑑』、サイコアナリティカル 英文学会論集、そして、日本大学英文学会

日本大学文理学部教授 野呂 有子

『英語年鑑』(研究社)は、現在の日本において、英 語学・英米文学・英語教育関連の総合的情報を扱う出 版物として最も権威あるものと見なされています。

ところで、2017年版『英語年鑑』の「はしがき」に は以下のような文言があります。

この『英語年鑑』は、わが国の英語学・英米文

学・英語教育界の、2015年4月から2016年3月 にいたる1年間の活動のあとを記録するために、

「各界の回顧と展望」「英学日誌」「個人研究業績」

「研究団体一覧」「全国大学・短大・高専英語教官 構成一覧」「人名録」および「個人研究業績内容別 索引」の7部に分けて編集したものです。

「各界の回顧と展望」はイギリス小説と批評の

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研究、アメリカ小説と批評の研究、イギリス詩の 研究、アメリカ詩の研究、シェイクスピアの研究、

現 代 英 米 演 劇 の 研 究、 音 声 学・ 音 韻 論 の 研 究、

統語論・意味論・形態論の研究、英語史の研究、

語法・辞書の研究、文体論の研究、英学史の研 究、英語教育の研究の13項目に分けて、それぞ れの分野で活躍しておられるご専門の方がたに依 頼して、各界の1年間の動きを回顧し、将来の展 望を明らかにするようにいたしました。

したがって、わが英文学科の学生や院生が自分の研 究対象について、比較的最近書かれた、参照すべき論 文や著書を探す際に、きわめて有用な助けとなる可能 性が高いことがわかります。

例えば、トニ・モリスンの作品について、卒業論 文、あるいは修士論文、その他の論文を執筆する際 に、比較的最近出版されたモリスン関係の、目を通し ておくべき図書を見つけたい場合は、「各界の回顧と 展望」中の、アメリカ小説と批評の研究の部分にまず 目を通す必要があるでしょう。2017年の場合、彩流 社から出版された一冊の図書が紹介されているのが目 にとまります。著者名と書籍名だけではなく、図書内 容に関して簡単な説明が施されており、当該図書が博 士号請求論文をもとにしていることや、内容が必見の 価値があることがすぐにわかります。論文執筆の際 に、参考文献として読まない手はありません。また、

これから博士論文執筆を視野に入れている若手研究者 の場合、研究対象がアメリカ小説でなくとも、紹介さ れた書物を一読すれば、教えられるところはきわめて 大きいと考えられます。

ところで、正式な論文執筆の場合、 “literary criticism”、

すなわち、自分の論文の研究テーマに関して、今まで にどのような論文や書籍が執筆・出版されているかを 系統立てて整理して説明することが要求されます。そ して、そのような批評の歴史と動向の中で、自分の論 文の研究方法や研究の主眼が、どう位置づけられるの かを明らかにしなくてはなりません。それによって、

自分の論文の意味と存在意義が読者にしっかりと理解 されることになるのです。その場合、最新の『英語年 鑑』だけでなく、過去の『英語年鑑』にも当たると良 いでしょう。少なくとも、過去20年間は見る必要が あります。「回顧と展望」はもちろん、「個人業績一 覧」も確認して、自分の論文テーマに関わりがあると 考えられる論文および書籍は、図書館で捜す、なけれ ば、図書館間貸し出し、図書館間文献複写サービスな どを駆使して入手し、必ず目を通し、論文に反映させ て下さい。(これ以外にも、CiNiiなどの電子媒体情報 も駆使して情報入手に励むこと。)

ちなみに、シェイクスピアの研究は学習院大学教授 の中野春夫氏が担当していますが、そこにわが日本大 学英文学会とも関係する記述があります。比較的短い

ので該当部分を以下に引用しましょう。

サイコアナリティカル英文学会の創立40周年

記念論文集『英米文学の精神分析学的考察 第3 巻』にはシェイクスピア関連の8篇の論考が収録 され、精神分析学の観点からそれぞれの持ち味 でシェイクスピア劇の新たな解釈を試みている。

――飯田啓治朗「A Midsummer Night’s Dreamにお ける夢の諸相とFreud理論の一考察」;板倉亨

「Othelloの 精 神 分 析 的 ト ポ ロ ジ ー」; 上 滝 圭 介

「ArtaudにとってのShakespeare作品―Thèâtre de la cruautéとしてのKing Henry IV, Part 1」;(お一人 省略)関谷武史「The Rape of Lucrece試論―Luc- receは「眼差し」の中に何を見たのか」;堤裕美子

As You Like It 試論―Ardenの森における若者た ちの恋愛を巡って―」;野呂有子「Richard III に おける “the true hero / the intended audience”」;

松山博樹「演劇的自意識のドラマツルギー―

A Midsummer Night’s Dreamにおける二つの想像力」。

以上からも明らかな通り、実に7名が日本大学英文 学会会員であり、関谷先生とお弟子さんたちを中心に 構成されていることがわかります。各論文の内容は、

「英文学会通信」第106号掲載の拙文「『英米文学の精 神分析学的考察 第3巻』出版に寄せて」で紹介済みな ので、ここでは省略します。

一昨年度の、優れた論文や書籍に交じって、日本大 学英文学会関係者の氏名と論文名が掲載されているわ けですから、極めて高い評価を与えられたと考えて良 いでしょう。これは実に快挙と言えます。

実は、『英米文学の精神分析学的考察 第2巻』も 以前、加藤行夫先生(現、筑波大学名誉教授)がご担 当だったときに「回顧と展望」で取り上げてください ました。日本大学英文学会会員である執筆者8名と 論 文 名 は 以 下 の よ う に な り ま す。 飯 田 啓 治 朗「A Midsummer Night’s Dreamの精神分析学的考察」;板倉 亨「Macbethにおける「不気味さ」の根源」;大住有里 子「Othelloに見る『黒い肌・白い仮面』」;関谷武史

「Tempest再考」;堤裕美子「Hamlet 試論」;野呂有子

「King Lear における “the true hero / the intended audi- ence”」;福島昇「シャイロックとディエガリアスにお ける復讐」;松山博樹「Macbethと観客を襲う超越的 な力」。

『英語年鑑』という権威ある、全国規模の情報総合 誌で、10名近くの会員の氏名と論文名が、2度に 亘って、広く知られたことは、伝統と歴史を誇る日本 大学英文学会の底力の一端を示し得たという意味で極 めて喜ばしいことだと考え、会員の皆さまにご紹介い たします。

最後になりますが、2017年版『英語年鑑』「語法・

辞書の研究」部門(関西学院大学名誉教授八木克正先

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