Ⅱ 古墳の設計法と造営尺
1.24 単位設計法 1)等分値企画論
設計法に関する洞察をともなわず,古墳の外形的特徴から型式分類や編年を試みようとする議論も 含めて「築造企画論」という。数ある築造企画論の中で,有効と認められるのは上田宏範および石部 正志・宮川徏ら4氏の説(石部ほか 1979)である。どちらも,前方後円墳の後円部直径を何等分かし た長さ(等分値)を1単位として,その単位数で古墳各部の長さを定量化し,形態的特徴を把握しよ うとする方法である。
前方後円墳の後円部直径と前方部の長さや幅に,一定の比例関係がありそうだというのは古くから 多くの古墳研究者の認めるところである。後円部直径に対する前方部の長さや幅の比率によって,通 常の前方後円墳と,いわゆる帆立貝古墳を区分しようとする議論が肯定的に評価されているのも,そ の表れといえよう。
ある研究者は,前方部の長さが後円部直径の2分の1以下の古墳を帆立貝古墳とし,別の人は3分 の1以下だという。後円部直径と前方部長を計測し,百分比を計算して頻度グラフを作成し,2分の 1あるいは3分の1に境界があると主張する。このような方法の通例として,計測点を示す図面の提 示がないため,個々の数値がどこをどのように測って求められたものかわからず,その信頼性を検証 できないという難点があった1)。
これに対し石部ら4氏は,後円部直径を8等分した長さ(8等分値)を基準単位として作図作業を 行い,前方部長が基準単位の4区以下の古墳を帆立貝古墳とする見解を示した(石部ほか 1980)。8 等分値という一定のスケールを用い,その単位(区)数によって定量的に区分基準を確定しようとす るもので,比率算出による従来の方法とは全く異なる。さらに,作図例が提示されるから,後円部直 径その他の捉え方が妥当かどうかを検証可能であり,信頼性の高い方法といえる(図Ⅱ-1)。
石部ら4氏の用いた「方格図法」は,
「等分値」を基準単位とする方法とと もに上田宏範が創始したものであった。
ただし,石部らが8等分値は古墳の設 計にも実際に使われた単位長であると 主張するのに対し,上田は,6等分値 はあくまで古墳の形態を分析するため のスケールにすぎないとする。上田は,
6等分値によって型式の把握はできる が,6等分値が設計に当たっての基準 単位であったとは終世明言せず,古墳 設計論に踏みだすことはついになかっ た。
図Ⅱ-1 上田宏範,石部ら4氏の作図法 その理由は,6等分値があまりにも
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ラフなスケールであったという一事に尽きるであろう。この基準単位では,前方後円墳の輪郭線や周 濠の外郭プランの把握がせいぜいで,墳丘の斜面構成(墳丘各段の斜面とテラスの幅や高さの関係)
の把握や,帆立貝古墳など突出部の小さい古墳の形態分析もできない。したがって,型式学的研究か ら設計法の究明へと論を展開することは不可能だったことは上述のとおりである。
2)古墳設計の基準単位
古墳の設計に実際に用いられたのは,後円部直径の 24 分の 1 の長さ(24 等分値)を基準単位とす る設計法であった。筆者がこの基準単位にたどりつくまでの経緯などについては拙著『前方後円墳と 帆立貝古墳』(沼澤 2006)にゆずる。
直径が 24 単位だから墳丘裾の半径は 12 単位,墳丘各段の裾や肩の線は,基本的に半径2単位から 11 単位までの整数単位数で設定される。前方部の長さや幅なども同じ単位数の整数値で決定された。
図Ⅱ-3 は宮内庁によって「応神天皇陵」に治定されている古墳である。応神天皇の実在については 疑いがもたれ,実在したとしてもその治世と古墳の年代(5 世紀中葉)は大きくかけ離れており,こ の古墳の被葬者が応神である可能性はかぎりなく低い。以前は考古学者も「○○天皇陵」という呼び 名を使っていたが,6世紀以前の古墳については宮内庁の陵墓治定はほとんどすべて疑わしいとする 見方が強まり,普通の遺跡と同じように所在地名を冠して呼ぶのが一般的となった。今この古墳は誉 田御廟山古墳(大阪府羽曳野市)と呼ばれている。
この古墳の後円部は3段に築かれている。3段築成という。下の段から第1段,第2段,最上段を 第3段と呼ぶ。段と段の境には平坦面があり,これをテラスという。下の面を第1テラス,上を第2 テラスという(斜面部の名称などは図Ⅱ-2 のとおり)。
陵墓古墳の多くは水濠に囲まれ,水位の上昇や,濠水の浸食による斜面崩壊のために,本来の墳裾 プランを捉えにくいものが多い。この古墳は,図上で見るかぎり墳裾部の崩壊はほとんど認められず,
前方部右側が大きく崩壊しているものの,全体のプランは比較的捉えやすい。筆者の計測では後円部 直径は 263mで,その 24 等分値による円周線と方格線を測量図に重ねてみる。方格線は,1 単位間隔 では図が煩瑣となるので 2 単位間隔とする。円周線は,各段の裾や肩の線に一致する単位数の線だけ を描いている。このような作図を以下「24 単位企画図」(単に「企画図」と略すことが多い)という。
企画図を見ると,後円部第1段の肩のラインは半径 10 単位の円周に一致する,第1段の斜面幅は2 単位となる。第2段は裾が半径9単位,肩が8単位で,斜面幅は1単位となる。第3段裾は半径7単 位の円周に一致している。2面のテラスの幅は1単位である。
前方部前面を見ると,第1,2段の斜面幅は各2単位,第3段は3単位である。2面のテラスはこ こでも1単位の幅で,全体では後円部から前方部まで一定の幅で前方後円形に一周していることがわ かる。前方部の前幅(QQ’)は 28 単位,前方部長(CD)は 14 単位,くびれ部幅(JJ’)は 18 単位とな る。
後円部直径の 24 等分値を基準単位とする円 周線,方格線と,墳丘各部とのこのような一致 を,偶然の結果ということは到底できないだろ う。後円部の半径が 10 単位でも 15 単位でも,
決してこのように一致することはない。後円部 中心点から同心円状に,基準単位の単位数で各 段の裾と肩の線を設定し,前方部についても,
同じ基準単位によって前幅やくびれ部幅,各段
図Ⅱ-2 墳丘斜面部の名称
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図Ⅱ-3 誉田御廟山古墳企画図(後円部径 192 歩・263.0m) 1/3000
―方格間隔 2 単位(以下の図もすべて同じ)―
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の斜面幅などを決定したと考えざるをえない。
このように,墳丘斜面の構成を単位数で理解できるということは,この基準単位が実際に古墳の設 計,施工に用いられたことを雄弁に物語る。6等分値や8等分値では,墳丘の外郭プランを把握する のがせいぜいだったから,これはやはり概略設計単位(大単位)であり,墳丘各段の構成といった詳 細設計には 24 等分値という基準単位が用いられたことを認めなければならないだろう。
後円部直径の 24 等分値を基準単位とする設計法を「24 単位設計法」と呼ぶ。また,この設計法が 実際に行われたとする筆者の主張を「24 単位設計論」という。
2.古墳尺
1)既往説の問題点
古墳を設計し,設計図どおりのプランと大きさで築造するには一定の尺度(モノサシ)がなければ ならない。古墳造営尺の問題についても長い研究史があるが,諸説乱立してこれまで定説と目される ものはなかった。
その原因は2つある。その1は,尺度割り出しの基礎となる墳丘各部の計測値の正確性に問題があ ったことである。
これまでの尺度論で最もすぐれた業績は甘粕健によるものだろう。氏は「宮内庁に日参して陵墓図 の計測値を解析」(甘粕 1999)し,4世紀の古墳には1尺 23cm 前後の尺,5世紀途中から 25~26cm の尺,6世紀前葉からは 35cm 前後の尺というように,東亜の政治状況に応じて使用尺度も変化したと 結論した(甘粕 1965)。甘粕らしいスケールの大きな論である。
前期古墳に 23cm 前後の尺が用いられたという結論は正しい。しかし,その後の尺の変化説は残念な がら首肯できない。氏が対象とした陵墓古墳の多くは水濠に囲まれている。氏も,水濠の水位上昇や 墳裾の崩壊などを考慮して,どの部分で計測すべきか様々に検討したが,結局,「現在の水面のプラン は当初の企画にかなり近い」(甘粕 1965:P15)として,現況の汀線での計測値を尺度割り出しの基礎 とした。したがって,氏の計測値のほとんどは実際(築造時)の数値よりもかなり小さいものになっ ており,これでは正しい尺度割り出しはできない。
陵墓古墳の墳裾部の崩壊は著しい。近年,一応の事前調査を行った上で護岸工事が進められている が,表層が大きく崩壊し,崖面を露出させた痛々しい姿の古墳も多い。そのような古墳では,現況(陵 墓図作成の時点)の汀線で古墳の規模を測ったのでは,実際よりかなり小さな値となってしまう。し たがって,水位の上昇や墳裾斜面の崩壊などによって今は見ることのできない築造時の墳裾線を,正 確に推定復元しないかぎり,正しい古墳造営尺を導くことはできない。
尺度推定の方法は単純である。
計測値Ⓐ÷想定尺数Ⓑ=使用尺の1尺値Ⓒ
この計算式で使用尺が割り出せるはずである。第 1 の原因は,このうちの計測値Ⓐの正確性の問題 であった。第2の原因は,想定尺数Ⓑに関する問題である。
想定尺(歩)数は通常,完数(切りのよい数値)があてられる。森浩一は,広大な土地に何かを建 設するとき,土地の制約さえなければ「南北 300m,東西 200m・・・というような長さのとり方をす るのが普通で,南北 292mに東西 247mというような長さのとり方をすることはまずない。こういう感 覚は古代でも同じであったのではないか」として,前方後円墳の墳長として百尺単位の完数をあて,
晋尺説を唱えた(森 1965)。
既往の尺度論は,同様の前提に立って百尺単位,あるいは 10 尺単位,すなわち 10 進法的に切りの
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よい数値を完数として自身の推定尺を導こうとする点で異なるものではなく,正しい結論に達しえな かった大きな原因になっている。
甘粕健は,前期古墳において使用された 23cm の尺は漢代の公定尺と推定している(甘粕 1965)。前 期古墳にかぎってとはいえ,漢尺の使用を看破したのは特筆すべき業績といえる。さらに,「尺」では なく,6尺を 1 歩とする「歩」という単位の使用を想定した点も大いに評価される。古代中国では土 地の丈量のように長い距離を測るときは,尺ではなく歩という単位が使われた。『魏志倭人伝』(以下
『倭人伝』という)には,卑弥呼の墓の大きさが「径百余歩」と記されている。古墳の規模の決定に,
「歩」という単位が使われた可能性は高い。
もう1つ尺度推定の前提として,大型前方後円墳の造営,すなわち当時の国家的事業ともいえる大 王墳の設計・施工には,統一的な尺度が使用されたと考えるべきだろう。石部ら4氏は,古墳ごとに 長さの異なる「尋」という任意尺が用いられたと主張する(石部ほか 1979)。しかし,大型前方後円 墳の築造には多数の集団が関わったはずであるから,毎回使用する尺が変化するようでは分業はでき ないという小泉袈裟勝の指摘(小泉 1977:P138)は傾聴すべきであろう。土量計算をはじめ,前回の データを参考とする上でも不便であり,経験の蓄積という面で,尺の不統一は致命的な欠陥となる。
2)完数のとらえ方
古墳造営尺に関する筆者の試算は,奈良盆地東南部,三輪山の西麓地域(大和王陵区)に所在する 日本最古の大王墳級古墳4基(箸墓,西殿塚,行燈山,渋谷向山の各古墳)によって行った(沼澤 20 00a:P48-49)。
甘粕の前期古墳漢尺説,またこれを継承した西村淳の漢尺説(西村 1994)が,当時最も信頼すべき 研究成果であった。西村は箸墓古墳の後円部直径を 120 歩,1尺は 22.88cm と推定した。直径が 120 歩であれば 1 単位(24 等分値)は 5 歩である。
筆者の把握では箸墓古墳の後円部直径は 164m,西村説にしたがってこれを 120 歩(720 尺)とみると,
1尺は 22.78cm となる。この数値を暫定 1 尺値として,他の 3 古墳の後円部直径(もちろん企画図に よって復元的に把握されたもの)の1単位(24 等分値)を割ると表Ⅱ-1 のようになった。
m 尺 歩 m 尺 歩
箸墓 古墳
渋谷 向山 古墳 16 4m 72 0尺 120歩 6.83m 30 尺 5 歩 ① 22.7 8cm 13 2m 5.50m 24.14尺 4.02歩 22.7 8cm
57 6尺 96歩 ≠2 4尺 ≠4歩 ② 22.9 2cm 14 8m 6.17m 27.09尺 4.52歩 22.7 8cm
64 8尺 108歩 ≠2 7尺 ≠4 .5歩 ③ 22.8 4cm ①②③の平 均2 2.85cm≠22. 9cm
1 尺長 cm
西殿 塚古 墳
行燈 山古 墳
表Ⅱ-1 後 円部 直径換 算表
古墳名 後円 部直径 1単位 長(24等分値)
1単位の長さは西殿塚古墳も行燈山古墳も,尺数では一見半端な数値である。しかし,歩数ではそ れぞれ4歩と4歩半に近い数値であることが注意された。
1単位が4歩であればその 24 倍(直径)は 96 歩(576 尺),4歩半なら 108 歩(648 尺)で,10 進 法的には半端な数値である。森浩一が「普通」という長さのとり方とはいえないだろう。しかし 96 は 12 の8倍.108 は9倍であるから.12 進法的には決して半端な値ではない。
箸墓と行燈山では1単位で半歩(0.5 歩)の差,直径ではその 24 倍の 12 歩の差がある。行燈山と 西殿塚の差も 12 歩である。箸墓と西殿塚では1単位で1歩,直径では 24 歩の差となる。初現期の大 型古墳では,1単位当たり半歩ごとに長さが調整され,直径では 12 歩差の後円部直径の序列が存在し
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たようである。
渋谷向山古墳(現・景行天皇陵)は箸墓と同じ直径 120 歩と算定されたが,卑弥呼の墓とみられる 箸墓と同じ規模をもつことには何か意味があるにちがいない(後述)。
3)後円部直径の重視
墳長だけを扱った森浩一の試みは論外としても.これまでの尺度論では.後円部直径.墳長.前方 部前幅の3つの計測値が同列に扱われてきた。このことも.正しい尺度割り出しに成功できなかった 大きな原因になっている。後述するように.前方部プランの復元は.24 単位企画図法をもってしても かなり困難な作業である。まして作図作業を何ら行うことなく.定規を当てて見当でこのくらいとい った程度の計測作業では.築造当初の設定値を求めることは不可能である。これに比べると後円部直 径の推定復元は比較的容易である。盗掘で荒らされることの多い墳頂部とともに,墳裾部は濠水の浸 食や耕作などによって最も損壊を受けやすい部位である。築造企画論にとっては,そのようにして失 われた当初の墳裾線を,合理的に説明可能な方法...........
で復元する作業が不可欠である。円丘系の主丘部直 径を推定復元する際には,墳裾の推定円周線を描き,その直径を測ればよい。その場合,推定円周の 中心が古墳施工時の中心点と一致し,なおかつ半径も一致するとき,正確な復元計測ができたことに なる。この2つの条件のうち,中心点を求める作業は比較的容易である。墳裾は失われていても,墳 丘第1段の肩より上のラインは旧状をとどめる場合が多く,複数の円周から中心点を収斂させ,正確 なポイントが求められる。次に半径の求め方が問題になるが,すでに述べたように,畿内の3段築成 前方後円墳では後円部第3段裾を中心から7単位目に置くという定式化が認められる。この事実に注 目すると,中心点から第3段裾までの距離7に対し,中心から 12/7の長さの線分を求めれば施工時 の後円部半径が得られることになる。このように,24 等分値円周線を墳丘第1段の肩より上の裾,肩 の線に一致させる作図により,築造当初の墳裾線を正確に把握することが可能となる。また,このよ うな作業によって復元的に把握された築造当初の後円部直径の計測値群から,古墳造営尺を割り出す ことがはじめて可能となる。
4)古墳尺の導出 大和王陵区における初現期の大王墳級古墳4基の,復元的に把握された後円部 直径から導かれた1尺値は,23cmよりは若干短い22.9cmであった。1歩は1.37mである。1尺23 cm 前後の尺は.甘粕が前期古墳にかぎって使用されたと主張したものだが,その後の筆者の検討に よって,古墳時代を通じて使用されたことが確認された。古墳時代を通じて古墳築造に用いられた尺 ということで,筆者はこれを「古墳尺」と呼んでいる。
さきに復元的に把握した百舌鳥陵山古墳の直径は 222m,これを1歩 1.37mで割ると 162 歩となる。
これも一見まことに半端な数値である。日本第 3 位の巨墳の後円部直径が,半端な数値に設定される ことはありえないことといえよう。たしかに 10 進法的には半端な数値である。しかし,162 という数 値は 12 進法の基準数の 13.5 倍であり,あながち半端な数とはいえない。
日本 1,2 位の巨墳,大仙陵古墳と誉田御廟山古墳の後円部直径は 192 歩である。これもいかにも半 端な数のように思えるが,この数値は 12 の 16 倍に当たるから,12 進法的には切りのよい数値といえ る。1単位は8歩である(図Ⅱ-4)。
筆者が提唱している 24 単位設計法は,後円部の半径を 12 単位とする設計法であるから,12 進法に もとづく技術体系下の所産であることは明らかである。中国を含む古代東方世界では,10 進法ととも に 12 進法が広く行きわたっていた。6尺を1歩,300 歩(1800 尺)を1里とするように,古代中国に おいても 12 進法あるいはこれと関係の深い 60 進法にもとづく数観念が一種の技術的伝統として存在 したことはまちがいない。最初の古墳である箸墓古墳の後円部直径が,12 進法にとっても 60 進法に
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図Ⅱ-4 大仙陵古墳企画図(後円部径 192 歩・263.0m) 1/3000
とってもきわめて切りのよい 120 歩に設定されたのも決して偶然ではあるまい。箸墓の築造を契機に,
わが国の古墳づくりの現場にも 12 を基準数とする数観念が中国から導入された可能性は高いと考え ている。
10 進法にとって切りのよい数値を完数とみなす尺度論では,実際の古墳造営尺にはついに到達しえ ないだろう,というのがこの問題に関する筆者の最終的な考えである。
5)後円部規格(直径)の序列
箸墓古墳など4古墳に対して行ったのと同じ作業.すなわち 24 等分値企画図によって築造当初の後 円部直径を復元的に把握し.1 尺値を求める作業を畿内の大王墳級古墳をはじめ全国の大小の古墳に
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対して行ったところ.全国各地の古墳で古墳尺の使用が確認された。
初期の大王墳級古墳では 1 単位当たり半歩の差,直径では 12 歩の差で,後円部の直径に格差がつけ られていた。大王の遺骸を納める埋葬主体部が設置される後円部は,古墳全体の中でも最も重要な部 分である。後円部の規模は,そこに葬られる大王の「偉大さ」に応じて,その死後に決定されたと考 えられる。治世年数や生前の事績,中国王朝から除正された官爵などに応じて,その規模は定められ ただろう。したがって筆者は,古墳は被葬者の生前から築造が開始されるとする寿陵説はとらない。
その後,古墳を築造できる階層が広がり,小さい古墳もつくられるようになると,1 単位の長さは 4 分の 1 歩きざみで調整されるようになる。4 分の 1 歩の 24 倍は 6 歩(8・22m)であり,6 歩差の後円 部直径の序列表(表Ⅳ-7)が整えられる。6 歩差に調整された直径も 12 進法にとっては切りのよい数 値といえるが,10 進法的には半端な値である。このように 6 歩差にあらかじめ決定された後円部直径 の値を「後円部規格」(単に規格ともいう)という。
さらに 4 世紀にはいると円墳や小方部墳(帆立貝古墳)などの中・下位墳形が成立し,地方中小首 長やその傍系首長など,古墳を営める階層が増加し,身分に応じた小さい古墳がつくられるようにな る。円墳で最大の丸墓山古墳(埼玉県行田市)は直径 78 歩(106.9m),以下 6 歩きざみですべての規 格の円墳が存在する。
前方後円墳以外の墳形については,その主たる墳丘を「主丘部」と呼ぶ。主丘部の直径 30 歩(41.1 m)以下になると,3歩(4.11m)差の歩数の調整が行われるようになる。このような細かい歩数調 整をしなければ墳丘規模に格差を生みだせない範囲を,主丘部規格における中小規格とすることがで きる。
全国各地の古墳の直径が,6歩きざみの一定の規格にしたがってつくられていることからみて,古 墳の大きさは各地の豪族が好き勝手に決めたものではなく,倭王権による一元的な統制策にしたがっ て決定されたと考えざるをえない。時代によって変動はあっただろうが,大王にのみ許された規格と いうものがあったにちがいない。王族のための規格,地方最高首長のための規格,あるいは王権に奉 侍した伴造階層から地方中小首長に至るまで,それぞれの階層に対応した規格の基準が整備されてい たことだろう。後円部規格(直径)には,被葬者生前の事績を読み解く鍵が秘められている可能性が 高いと考える。
古墳尺 6 歩ないし 3 歩きざみの墳丘規格(直径)の序列については,墳裾基底石が完全に発掘され た例,あるいは複数箇所のトレンチで確認された例が多数集積され,その存在が確実なものになって いる(図Ⅱ-5)。巨大古墳では,全面発掘された五色塚古墳(兵庫県神戸市。図Ⅱ-6)が直径 90 歩(12 3.3m)の規格に合致することが確認されている。
3.当初設計の復元的把握法 1)既往説の問題点
古墳の形態研究や造営尺の問題を有意に推進するためには.古墳 1 基ごとに.その築造当初の平面.
立面プランを正確に推定復原する作業が不可欠である。この前提作業に理論性を欠き.また何らかの 作図作業を経たものでなければ.その後のどのような立論も砂上楼閣のそしりをまぬかれない。
筆者が到達した古墳の当初設計の復元的把握方法について説明する前に,この主題に関する研究状 況とその問題点について簡単にみておきたい。
濠水の浸食や水位の上昇,あるいは耕作による浸食など様々な要因で墳裾部が変容したとみられる 古墳について,その当初の墳裾線を合理的に説明可能な方法で推定するという課題は,築造企画研究
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図Ⅱ-5 墳裾基底石が完掘された事例
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図Ⅱ-6 五色塚古墳企画図(後円部径 90 歩・123.3m) 1/1000
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にとって最重要のテーマといえる。特に学術的発掘調査の途が閉ざされた陵墓治定古墳(以下「陵墓 古墳」という)については切実な問題である。甘粕健は陵墓図の現況汀線が当初の墳裾線に近いと結 論したが,図上観察だけでも濠水による崩壊が著しいと認められる古墳は多い。陵墓図作成の時点で 既に墳裾部の浸食がかなり進んでいたことを認めると,現状では目視できない本来の墳裾線を推定復 元するという作業が不可欠となる。
この問題に解決の道筋を示したのは西村淳である。西村は,「古墳本来の墳裾の位置の解明は,段築 の上位にある墳丘の裾の位置を参考にして推定すべきである」として,「築造者が施工しようと意図し た計測値に近い推定値を求めることが可能」なことを指摘した(西村 1987 )。また,円周の描き方は 一つしか方法がないことから,作図法の明らかな後円部の半径の測定によって使用尺度の推定も可能 と指摘した。尺度については甘粕同様3種の尺の使用が認められるとみたほか,後円部各段の半径の 比に法則性が認められ,3:4:5となるものが最も多く,次いで5;7:9となるものが多いこと を指摘した。
後円部の斜面構成に着目し,構成の特徴をはじめて数値によって客観的に明示しようとした画期的 業績と評価される。5:7:9のタイプとしてウワナベ,市野山(現・允恭天皇陵)をあげているが,
筆者の把握ではともに7:9:12 であるから,第3,第2段裾径の計測誤差は 1/36(2.78%)となる。
その差はわずかともいえるが,築造企画と使用尺度の解明のためにはあまりにも大きい。西村の分類 では,第1段裾の値が上記の5と9のほか,8,7,6となるものがあり,後円部の立体的構成にか ぎってみても一定の企画法の存在を抽出するまでには至っていないものの,古墳の当初プランを復元 するための正統かつ有効な方法を提示した功績はきわめて大きい。
西村は,百舌鳥陵山古墳(現・履中天皇陵)の濠水の水位が5m低下したことを想定した図面(図
Ⅱ-7 左)を発表している。想定される当初プランは「誉田御廟山古墳の平面形に非常に類似」するこ とを指摘した(西村 1993)。陵墓図で等高線を数えると墳丘第2段の高さは5mと捉えられるので,第1 段も同じ高さと仮定して復元したものと思われるが,先著で後円部各段の裾径の比が2つの古墳では 異なることを数値的
に示したこととの整 合性に欠ける論とい わねばならない。5 mという水位上昇の 可能性についても,
後円部側は多少の水 位上昇も考えられな いことではないとし ても,前方部側へ向 かって高まる自然地 形からみて,前方部 前面での水位上昇は ほとんど考えられず,
この復元案を承認
することはできない。 図Ⅱ-7 百舌鳥陵山古墳復原図(左:西村案,右:倉林案)
倉林眞砂斗は,西
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村と同様に墳丘各段の裾径の関係を検討した(倉林 1998)。倉林は石部らの8等分値説に依拠するの で,第 1 段裾径は常に8区に固定され,第2段はその何区分と表示される。ところが,第3段の区数 については,今度は第1段を8区として把握された第2段の6区とか6区半という区数を,改めて8 に置き換えて第2の基準単位を設定し,その何区分と表示される。複雑であり.しかも第2の基準単 位を用いても第3段の裾径は半区ないし 1/4 区分の端数の出るものがあり,常に整数とはならない。
第2の基準単位をもち出さなければ墳丘各段の構成を理解することができないということは,8等分 値というスケールでは墳丘の立体的構成という詳細設計を理解することができない,という限界性を 図らずも露呈したものといえる。倉林の手法は一応「作図法」に属すのではないかと思うが,その作 図は円周図や方格図を用いず,独特のものとはいえ緻密さに欠け,有効性の限界
を示している。
倉林も百舌鳥陵山古墳の復元案を発表している(倉林 2000)。墳裾径8区に対し第2段裾 6.25 区と の把握にもとづく作図である(図Ⅱ-7 左)。第2段裾を 6.25 としたのは,濠水で浸食又は水没してい るであろう第 1 段の斜面が,第2段の斜面と同じ幅であったと仮定して推定した墳裾径を8とし,実 際に計測した第2段裾径との比較から算出されたものである。斜面幅に注目した点は評価できるが,
第 1,2段の当初の斜面幅を同じとみて第1段がかなり水没していると考えたのは基本的に西村と同 じ見方といえ,正しい想定ではない。筆者の把握では,墳裾直径 24 単位に対し第2段裾径は 20 単位 である。倉林のいう 6.25 区を 24 単位の基準単位で置き換えると 18.75 単位だから,氏の復元案では 墳裾径が大きすぎることは明らかである。また,倉林はある程度周濠の幅も墳裾線復元の参考とする ようであるが,陵墓古墳の周濠外周ラインは墳裾と同様かそれ以上に後世の改変をこうむっている可 能性が高く,特にこの古墳の場合はいわゆる修陵事業の影響をも考慮すれば,これを墳裾線復元の根 拠とするのは適切でない。
2)後円部規格の復元的把握法
ここで.百舌鳥陵山古墳を材料として,筆者の復元的把握法を説明する。
すでに述べたように畿内の3段築成大型前方後円墳では,ごく一部の古墳をのぞいて後円部第3段 の裾線を7単位とすることが原則化されており,第3段裾に7単位目の円周が一致する企画図を作成 すれば,その 12 単位目の円周を当初の墳裾と考えることができる。
諸家による百舌鳥陵山古墳後円部の計測値(表Ⅱ-2)は直径 200~208mであるが,上記の方法によ って求められたこの古墳の直径は 162 歩(221.9m)であった。この値の企画図(図Ⅱ-8)を見ると,
後円部の第3段裾は7単位目の円周に一致し,2段目のテラスはちょうど1単位の幅でめぐる。第2 段の斜面幅は2単位で,裾は 10 単位目の円周に一致する。1段目のテラスも幅1単位で,第1段肩は 11 単位目に一致するとみられるが,後背部右側に当初の肩線が残るものの,ほかの部位では肩線の内 側まで崩壊が進んでいる状況が見てとれる。
墳長 後 径 前幅 墳長 後径 前幅 墳 長 後 径 前幅 1 梅原末 治 475 245 300 415 267 330 3 64 203 237 2 甘粕 健 486 249 305 419 250 291 3 65 204 236 3 石部ほ か 486 243 304 416 256 304 3 64 208 234 4 上田宏 範 486 249 305 417 259 310 3 65 205 237 5 小澤一 雅 486 244 300 416 257 290 3 62 208 237 6 沼澤 豊 493 263 307 417 263 307 3 70 222 240
7 森 浩 一 486 430 3 60
番号
表II -2 百舌 鳥,古市 3大 古墳計測 値比較 表
* メートル以下 の計測 値は 四捨五入 した。
大仙 陵古 墳 誉 田御 廟山古 墳 百舌 鳥陵山 古墳 計測者
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図Ⅱ-8 百舌鳥陵山古墳企画図(後円部径 162 歩・221.9m) 1/3000
このように,径 162 歩の円周図の作図作業によれば,後円部では第3段裾は半径7単位の円周に一 致し,その他の計測部位と円周との一致状況も良好であり,半径 12 単位の円周が築造当初の墳裾線に 一致している可能性はきわめて高いと判断される。
3)前方部プランの把握法
前方部の長さと幅の設定がどのように行われたのか,その普遍的な法則性を探る作業は後円部にく らべやや遅れているが,判定法として次のような方法が有効と考えられる。
前方部長の把握 前方部長を確定する際,次の2点は有効な判断材料となろう。
① 上田宏範は,前方部長(CD)はすべて後円部直径の6等分値(24 等分値 4 単位の長さ=4単 位区に相当)の整数倍に設定されているとし,石部ら4氏は同じくあらゆる前方後円墳の前方部長は 8等分値(=3単位区)の1区型から8区型までの8類型に分類できると主張している。たしかに,
筆者の検討でも前方部長が4単位区や3単位区の整数倍になるものが多く,前方部長を確定する際の 重要なポイントになると考えられる。また,2 単位を 1 区とする大単位(=2 単位区)が用いられるこ
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とがあったらしいことについては京都府今里車塚古墳の発掘例を引いて論証したことがある(沼澤 20 00a:P51-52)。前方部長が 14 単位や 22 単位など,3単位や4単位では割り切れない古墳もいくつか 知られるので,2単位区の倍数単位との一致も前方部長確定の判定要素に加えてよいと思われる。
基準単位の2~4単位を一区とする大単位が,古墳の概略設計に用いられたことは事実と考えられ る。墳丘の段構成など詳細設計には 24 等分値1単位ごとの割つけが行われたが,上述のとおり墳裾プ ランや周濠の幅,輪郭線などの決定には大単位が用いられた可能性が高い。筆者のいう概略設計単位
(=大単位)を,上田や石部ら 4 氏は基準単位と捉えているように,大単位区の区数によって古墳の 概略設計が行われることのあったことは疑いえない。
古墳の概略設計に3種の大単位が用いられたと仮定すると,前方部長が 11 単位,13 単位,17 単位.
19 単位のような素数に設定されることは基本的になかったといえるので,そのような前提に立てば 1 1 単位か 12 単位かというような選択となった場合は,かなりの確信をもって素数ではない方の単位数 であったと判定することが可能である。
ただし,14 単位(2 単位区 7 区)か 15 単位(3 単位区 5 区)か,15 単位か 16 単位(4 単位区 4 区)
かというような,1 単位きざみでどちらの単位数と捉えるべきかというような選択になることが往々 にして生じ,このような場合は判断に苦慮することになる。したがって,このような選択となった場 合のために,ほかにも法則性の認められる客観的な判断基準が必要となる。
②大単位区との一致のほか,判断基準として有効性をもつと考えられるのが,後円部と前方部前面 それぞれの墳丘第1段斜面幅である。誉田御廟山古墳(図Ⅱ-2)では第1段の斜面幅が,後円部2単 位に対し前方部も2単位であり,これまでの検討では,このような同一幅をもつものが多い。ただし,
仲津山古墳(図Ⅳ-7 )のように後円部2単位に対し前方部3単位,古市墓山古墳(図Ⅳ-6 )の後円 部1単位,前方部 2 単位という例のように,前面の方が1単位広い事例も知られる(今のところ2単 位以上広いものは確認されない)。ある時期以降,前面へ向かって高さを増していくという前方部の側 面観が定着するが,そのための措置として前面第 1 段の斜面幅が広くとられたものと思われる(同一 斜面幅の場合も斜面高は前方部の方が若干大きいことが多い)。
以上から,前面の第1段斜面の肩が一部でも残っていれば,裾は後円部の斜面幅と同じ単位だけ前 方にあるか,それプラス1単位前方にあるかどちらかが候補となり,前者の可能性の方が高いと判断 できる。第1段肩が全く残らない場合は,第2段裾にテラスの幅1単位を加えた部位を肩線とみて,
さらに上記のように第1段斜面幅を加えて裾線を推定する(第1テラスの幅は,後円部で2単位の場 合も前面では1単位であることが多いようである)。
前方部前幅の把握 前方部の前幅については,早く上田宏範が6等分値の整数倍にはならないことを 指摘し,筆者の検討でも,前方部長と同じ大単位の整数倍になることはほとんどないことを確認して いる。前方部の長さの決定が大単位で行われたのなら,前幅の決定にも同じ大単位が使われていなけ ればおかしいと思われるのは当然の疑問といえるが,この問題については次のように考えられる。
前幅は,前方部高に応じて二次的に決定されたと考えられる(沼澤 2001)。盛土工事の一般常識と して,斜面が安定勾配となるよう,高さに応じて斜面幅が調整される。前方部の高さを高くした場合,
これに応じて前面と両側縁部,3つの斜面が安定勾配となるよう斜面幅が広げられる。側縁部の斜面 幅を広くとり,さらに前方部頂のテラスの幅も確保しなければならないため,前面の幅は大きく広げ られることになる(沼澤 2001:P29)。5,6世紀を通じてできるだけ前方部を高くしたいという欲求 が持続されたようであるが,前方部長に何らかの制限があった場合,側縁斜面が安定勾配となるよう に前幅を広げれば,長さにくらべ幅の広い寸詰まりの不自然なプロポーションとなる2)。
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このように,前方部前幅は高さに応じて二次的に決定されるため,大単位区に一致しないことが多 いものと考えられる。したがって,両隅角Qを確定するためには前面裾線上の1単位ごとの方格交点 との一致を判定しなければならない。この場合,隅角稜線(PQ)が前面裾線と交差する点を求める 方法が最も有効である。ただし,前面裾線が墳丘中軸線に直交しない古墳,また図上で想定した中軸 線から左右の隅角までの距離が若干異なる古墳も多く,最終的な判定に苦慮する場合も多い。
以上から,前方部前幅は基本的に造墓技術者によって技術的に決定されたこと,王権による造墓指 定(墳丘規模の統制)の内容には含まれていなかったこともまた認めてよいと思われる。
くびれ部連接点の把握 後円部裾線と前方部側縁裾線の交わるくびれ部連接点(J点)は,造出が付設 された古墳の場合ほとんど仮想の点を求める作業となるが,隅角の把握が正確であるなら,前方部側 縁部の第1段肩線などと平行する線を,隅角Qから後円部に向けて引けばJ点が求められる。
仲津山,古市墓山,誉田御廟山,新木山,川合大塚山など比較的当初の墳裾線がよく残るとみられ る古墳について,復元的に把握された後円部墳裾線と前方部側縁線との交点を求める作業を行ってみ ると,J点は,中軸線に並行する縦方格線と後円部墳裾線(12 単位目の円周線)とが交わる点にほぼ 一致することが確認された。仲津山,新木山,川合大塚山では中軸線の左右8単位目の縦方格線との,
古市墓山,誉田御廟山では 10 単位目の線との交点に一致した。また巣山古墳でも,発掘調査によって 把握された右側縁部の裾線は,8単位目の縦方格線との交点を正しく指向していると観察された(第 4 図)。
前方部前幅と同じように,くびれ部についても高さに応じて幅が調節されたはずである。前方部頂 部の高さを増せば,これに応じてくびれ部の墳丘高も高くなるので,くびれ部幅も広くしなければ斜 面の安定勾配が得られない。ここでも高さに応じて幅が調節されたとすると,高さの単位数に応じて 幅も中軸線の左右何単位と,同じ基準単位の単位数によって決定されるのは当然のことである(沼澤 2000a:P38-39)。したがって,くびれ部の幅も前幅と同様に,ある程度古墳の築造時期を反映する 指標になると考えられる。
なお,設計上は上記のように連接点を設定したとみられるが,実際の縄張りにおいては,C点から 間縄(現場における縄張り用ものさし)によって後円部墳裾を1単位ごと,あるいは2単位ごとに区 切っていき,くびれ部連接点を決定した可能性が高いと考えている(沼澤 2001:P33)。
百舌鳥陵山古墳の前方部プラン 前方部プランの把握に関する上記の諸点に留意した上で,百舌鳥陵山 古墳のプランについて検討してみたい。後円部中心Oを基準とする方格線を設定すると,前方部前面 の各段裾,肩の線は1単位方格線に一致し,テラスは2面とも1単位の幅であることが確認される。2 4 等分値による割つけが墳丘全体に及んでいることは明らかで,後円部規格の推定に誤りのないこと も改めて確認される。前面の墳丘第2段の斜面幅は2単位で,後円部と同じ幅である。第3段の斜面 幅は4単位で,これも後円部と同じ可能性がある。テラスの幅は2面とも1単位で,この古墳では前 方部前面と後円部の斜面構成が同一であった可能性の高いことが理解されるが,そのように考えてよ ければ第1段の斜面幅も後円部と同じ1単位とみて,墳裾線を押さえることができる。第 1 段斜面幅 を1単位とみたときの前面墳裾線はC点から 16 単位目に一致し,前方部長は 16 単位と把握される。1 6 単位は4単位区の4区であり,大単位区との一致の面でも問題ない。
隅角稜線を引くと,隅角QはD点から 13 単位目に一致する。隅角Qから側縁部各段の肩,裾線に並 行する線を引くと,J点は,中軸線の左右9単位目の縦方格線と後円部裾線との交点に一致するよう に見える。以上から,前方部長 16 単位,墳長は後円部直径 24 単位を加えて 40 単位,前方部前幅は 2 6 単位,くびれ部幅 18 単位と確定される。
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復元的に把握された墳裾プランを見ると,後円部では濠水による浸食が著しいのに対し,前方部側 縁部では前方に向かうにしたがって浸食幅が小さくなり,前面はまったく浸食されていないと観察さ れる。これは,古墳の立地する原地形が,前方部側に高まる傾斜をもっていたためと考えられる。周 濠外の地形を観察すると,目視でも前方部側が少なくとも2mほど高いことが明らかである。したが って,後世の溜池化などによる水位の上昇があっても,前方にいくほど濠水の影響を受けることは少 なかったはずである。拝所の正面に当たる前面については,修陵事業によって整形されていることも 十分考えられが,方格図との一致状況からみて,全体的に基本プランに変更を加えるほどの過剰な修 景は行われず,墳裾についても,自然崩壊部分に土を充填する補修が施された程度ではなかったかと 推察され,前方部前面については,陵墓図に見られる墳裾線が当初の状態を示すとみてよいと思われ る。
4)復元的把握法の有効性
24 単位設計法という設計技法の存在を前提として,「等分値円周図」によって後円部規格を復元的 に把握し,また方格図を組み合わせた「等分値企画図」によって前方部のプランを把握することが可 能になることを説明した。それでも,検討の材料とした陵墓古墳については,発掘による墳裾の確認 ができない以上,最終的な承認はできないとする懐疑的な見方も根強いものと思われるが,筆者の方 法に対する懐疑的な見方に対し,これを払拭するに足る調査事例が公開された。
奈良県広陵町の巣山古墳は大王墳級の大古墳でありながら良好な測量図がなく,後円部規格の判定 ができなかったが,待望久しい高精度の図面(橿原考古学研究所 2001)が公表されたので,早速作図 作業を行い,復元的把握法によって後円部径は 96 歩(131.5m)と判定した。
広陵町では 1998 年以降,史跡整備にともなって崩落した墳裾まわりの確認調査を実施している。2 003 年には前方部の右側縁部で,造出とは別に島状遺構が検出され,水鳥形埴輪などが出土して注目さ れたが,筆者が注目したのは後円部の方であった。墳裾は全体に濠水の浸食によって崩落しているが,
幸い後円部に入れられた 3 本のトレンチで当初の墳裾基底石列が確認され,当初の墳裾は崖面の8m ほど外側にあることが判明した(広陵町教委 2003)。後円部径は現況 110mほどであるが,調査者の測 定では当初の径は 130mとされた。筆者の推定値にきわめて近い数値である。
この値の企画図(図Ⅱ-9)を作成してみると,後円部では半径 12 単位の円周は確認調査によって検 出された墳裾推定線に一致し,さらに第3段裾は7単位に一致している。第2段の斜面幅は1単位で あるが,くびれ部付近では幅を広げ,右側でその傾向が著しい。第2テラスの幅も1単位である。第 1段の斜面幅2単位,第 1 テラス幅 1 単位の斜面構成A型(後述)の可能性が高い。
発掘調査で確認された前方部前縁の裾線は,C点から 16 単位目の方格線に一致している。この数値 は2単位区でも4単位区でも整数倍になるので,このような大型古墳の前方部長の設定値としてふさ わしい。墳長は 40 単位,160 歩(219.2m)となる。
前方部前面でも第1段の肩線はほとんど失われているが,後円部と同じく第1段斜面幅2単位,第 1テラスの幅1単位と推定される。第2段の斜面幅1単位,第2テラスの幅1単位,第3段斜面幅は 2単位とみてよさそうである。前方部前面裾線は中軸線にわずかに直交せず,また幅は 21 単位(115.
1m)とみられるが,D点から隅角までの距離が左右不均等で,D点から右隅角まで 11 単位に対し左 は 10 単位となる。P点から延ばした隅角稜線は左右隅角によく一致するので,当初からこのように割 りつけて施工されたことは確実である。ただし,結果として墳丘中軸線が前方部墳頂平坦面の中央を 通っていないことからわかるように,本来は左隅角もD点から 11 単位の位置に設定されなければなら なかったはずで,施工ミスの可能性が考えられる。本来は前幅 22 単位に計画されたものであろう。右
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くびれ部J点は,中軸線の右8単位 目の縦方格線が後円部墳裾と交わる 点にほぼ一致するが,左側のJ点は,
隅角の設定に応じてこれより少し内 側にくるようである。
以上見たように,巣山古墳の調査 結果は筆者の推定法の正しさを証明 する資料といってよく,陵墓古墳に ついても,筆者が推定する規格とプ ランどおりの墳裾線が,濠水下に残 されている可能性の高いことを物語 っている。
4.古墳の細部設計
1)3 段築成古墳の立体的構成 24 単位設計論のすぐれた点は,墳 丘の斜面構成といった細部設計を単 位数によって定量的に把握できると ころにある。斜面構成とは,墳丘各 段の斜面幅と高さの関係,斜面とテ ラスの幅の関係のことをいう。ほか に,墳頂平坦面の広さなども含まれ る。
従来の等分値企画論では、基準単 位によって説明することができるの はせいぜい墳裾のプラン程度で,そ れも突出部の小さい墳形については 基準単位での把握はほぼ不可能であ った。ましてや,墳丘の立体的構成
を基準単位によって明確に数値化してとらえることなどはとても無理であ
図Ⅱ-9 巣山古墳企画図(後円部径 96 歩・131.5m) 1/1500
り,問題意識にのぼること すらな
原則があっ
な)の調整をしないかぎり,2
,5 世紀代まで踏襲される。伝統的な,ある時期までのスタ ドな斜面構
と同じく 2 面とも 1 単位。存続期間は A 型とほぼ重なる。A 型とは第 1 段と第 2 段の斜面幅が逆転し かったかの感がある。
24 単位設計論によれば,畿内の大型前方後円墳では,わずかな例外をのぞいて後円部第 3 段裾の半 径を 7 単位とする た。第 3 段裾が 7 単位に固定されると,第 2 段以下の斜面とテラスは,
当然ながら残り 5 単位の幅の中で設定しなければならない。したがって,1 単位以下(半単位のよう 段目以下の斜面構成は次の 4 タイプしか存在しえない(図Ⅱ-10)。 斜面構成 A 型 第 1 段の斜面幅 2 単位,第 2 段 1 単位,テラスの幅は 2 面とも 1 単位のもの。この斜 面構成は 3 世紀末には定式化が認められ
ンダー 成である。
斜面構成 B 型 斜面幅が,A 型とは逆に第 1 段 1 単位,第 2 段が 2 単位となるもの。テラスの幅は A 型
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ただけのものだが,第 1 段の斜面幅の縮小は,斜面高さとノリ面長さの減少に通じる。盛土や削土量 の縮減などの土木技術的な意図があって生み出されたプランとみるべきだろう。
斜面構成 C 型 斜面幅が第 1,2 段とも1単位で,第 1 テラスの幅が 2 単位に広がったもの。第 2 テラ スの幅は 1 単位。第 1 テラスの幅が 2 単位と広がり,B 型にくらべ第 2 段裾の半径が 1 単位小さくなっ ているから,全体の盛土量はさらに縮減される。5 世紀はじめころに登場する後出のタイプである。
斜面構成 D 型 第 1,2 段の斜面幅が各 1 単位で,第 1 テラスの幅が 1 単位,第 2 テラスは 2 単位とな るもの。今のところ大阪府の淡輪ニサンザイ古墳(7 期)が唯一の例である。
斜面構成には時代性があり,古墳時代前期に A,B 両型式が現われ,A 型は 5 世紀中ごろで終わる。B 型は 5 世紀中ごろまで複数の古墳で採用され,後半代にも少数確認される。これに対し C 型の初現は 5 世紀はじめと遅れるが,5 世紀代を通じて主流となる。A,B 型式にくらべ C 型が後出することは明 らかで,斜面構成がある程度時期的傾向を示すことはまちがいない。
これまで後円部の立体的構成に着目した研究がなかったわけではない。しかし,各段斜面とテラス の幅の関係を単位数によって定量化して明示し,型式分類として示したのは筆者がはじめてである。
後円部の立体的構成という,古墳の詳細設計に属する部分の把握は,実際に古墳の設計,施工に使用 された 24 単位設計法の発見によってはじめて可能になった。
2)テラスの一般的機能と斜面構成の変化
畿内大型古墳の斜面構成の変移について見たが,ここでテラスの本来の機能について考えておきた い。
古墳のテラスは埴輪を樹立するのが本来の目的ではなく,土木技術上の必要から設置されたもので ある。盛土工事では,斜面
のノリ面長が長くなればな るほど崩壊のおそれが高く なるため,現在でも堤防や 道路などの盛土工事でノリ 面長が長くなる場合は,斜 面の途中に小段(「犬走り」
ともいう)を設けることと されている。その効用とし て,➀斜面の平均勾配をゆ るめて安定させる,➁雨水 の集水面積を小さくし,斜 面を流化する水の流速を落 として浸食を防ぐ,➂斜面 の維持補修時などの足場と して利用する,ことなどが うたわれている(地盤工学 会 1977)。小段に植樹して 景観保全を図ることもよく 行われ,これも副次的な効
用とされる。埴輪列の樹立 図Ⅱ-10 畿内 3 段築成古墳における斜面構成の 4 タイプ
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は,このような副次的利用法に通じるものといえよう。
古墳のテラスについても,第一義的には上述のような土木技術的必要性から設置されたとみる のが至当である。箸墓古墳においてすでにテラスが設置され,この古墳では埴輪の樹立は考えら れないので,安定した墳丘構造を実現するという純粋に土木技術的観点を最優先として設置され たものと思われる。4面のテラスを設けて5段築成とし,各段の高さを低くしてノリ面長を短く おさえようとしていることはその端的な現れといえる。
箸墓古墳を最古の古墳とすると,古墳はその成立の時点ですでにテラスをもつ多段築成の墳丘構造 をもって登場したということができる。それ以前の弥生墳丘墓にテラスは認められないので,多段築 成工法の有無は,古墳と弥生墳丘墓それぞれの構成要素の中でも,両者を区分する重要な指標とみな される。
初期倭王権の首長を埋葬すべき古墳という複合体の成立に際しては,中国からの様々な物的,技術 的支援があったと推察される。弥生墳丘墓と箸墓古墳をくらべてみると,その平面プランは,前者が フリーハンドで,後者は定規やコンパスなどの製図器具を使用して描かれたほどのちがいがある。テ ラスをそなえる多段築成の採用とともに,箸墓古墳の画期性を端的に示す要素といえ,墳丘構造を生 み出した設計,施工技法の面で,弥生墳丘墓の技術段階からは自生しえない技術革新が認められると いってよい。前方後円という平面プランは弥生墳丘墓からの漸移的発展の結果であるとしても,墳丘 の立体的構成とその設計,施工技法は,中国の土木技術の導入によって成立した可能性は高い。
3)テラス幅拡大の理由
集成編年2期の西殿塚古墳では,早くも後円部の3段化が認められ,第3段裾を半径7単位とする 定式化が完了している。下2段にくらべ第3段の斜面幅が大きくなり,ノリ面長も長くなったが,墳 頂平坦面が半径4単位と広いため斜面幅は3単位とまだそれほど大きくない。3期の渋谷向山古墳に なると,墳頂テラス半径3単位,斜面幅4単位となり,ノリ面長もその分長くなっている。築土の締 め固め工法や葺石貼付技術の向上などにより,強固な墳丘を築成する技術が確立されたことを背景と して,墳丘第 3 段の壮大化を図ろうとする意図がうかがわれる。
その後も,第3段裾7単位のプランは不変(わずかな例外をのぞいて)であるが,第3段肩を2単 位目ないし2単位半に後退させるものが現れ,第3段ノリ面の長大化が進行する。墳頂平坦面は時代 を追って縮小していき,これによって斜面幅,ノリ面長は増大するが,ノリ勾配は緩くなり,盛土量 も縮減されるという効用があった。第3段裾が7単位目に固定されるので,高さが一定の場合,肩線 を後退させて墳頂平坦面を小さくすれば,当然ノリ勾配は緩くなって斜面は安定し,第3段の盛土量 削減につながる。
第1テラスの幅を2単位とする斜面構成 C 型が生み出された理由についても,墳丘第2段の裾径を 1単位小さくして盛土量を削減するねらいがあったのはたしかであろう。第1段の斜面幅を1単位と するだけでも盛土量削減の効果があるが,テラスを2単位に広げれば,さらに効果があがる。
畿内の三段築成古墳でテラス幅を3単位以上にするものはない。 24 単位設計法では半径は必ず 12 単位であるが,第3段裾7単位の原則があるため,残り5単位の範囲でテラスと斜面を2つずつ設定 するとすれば,そのどれか一つの幅を3単位に割り振ることは不可能なためである。第3段裾を7単 位目に固定した理由は不明であるが,3段築成古墳にあってはテラス幅を3単位以上とする省力化は 不可能であった。
いずれにしても,そのような制約の中で,第1段の低壇化を初めとする斜面構成の変更によって,
一貫して盛土量の削減が希求され続けたことは事実として認めるべきであろう。
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33 テラスの幅を広くする理由として,盛土量削減のほかに何か理由はあったのだろうか。関東地方で は埴輪列を二重にめぐらせるためにテラスの幅を広くしたものが認められる(Ⅹ章)。畿内大型古墳に ついては,ほとんどが宮内庁管理下にあるため確認の方途もないが,大王古墳の例では基準単位長が 大きいため,1単位の幅でもそのような埴輪の配置は十分可能ではある。
関東のいわゆる変則的古墳などでは,埋葬主体部の二次的設置,祭祀空間の確保などを目的として 中央墳丘を縮小するものがあった(Ⅺ章)。大仙陵古墳の前方部での竪穴式石室の検出例なども知られ るが,大王墳級の大型前方後円墳でテラスへの陪葬が広範に行われたとは常識的に考えがたく,幅2 単位のテラスをもつ C 型が,当初から追葬を想定したプランであった可能性は低いと思われる。造出 をもたない古墳では,幅広いテラスで何らかの追善祭祀が執行された可能性も考えられないことでは ないが,これも今のところ実証の手がかりは得られない。
このように見てくると,現段階では,畿内の3段築成古墳におけるテラス面の幅広化は,墳頂平坦 面の縮小傾向などと同じく,盛土量の縮減という土木技術的,また経済的な意図から発したものと捉 えておくのが妥当と考える。