伏 流 す る 仮 名 文 字 遣
今 野 真 二
要旨
中世期においては、異体仮名〈ハ〉を、①助詞「ハ」②語中尾にあってワと発音とされる音節にあてると
いうかたちの仮名文字遣がひろく看取される。また異体仮名〈志〉を、①行頭②語頭(形態素頭)にあてる
というかたちの仮名文字遣も、ひろく看取される。また、仮名遣書の類にもそのような異体仮名の使い方に
関する記述がみられることがこれまでにも指摘されている。中世期の仮名文字遣が、続く時期にどのように
受け継がれていくかを明らかにすることは、日本語の表記の変遷、日本語の変遷を窺う上で重要な課題であ
ると考える。本稿では、明治期において、異体仮名〈ハ〉〈志〉〈江〉がどのように使われているかを分析、
検討した。その結果、助詞「ハ・バ」には〈ハ〉〈バ〉があてられ、また〈ハ〉は、語中尾に存するワ音にあ
てられる傾向がつよいことがわかった。これは中世期の〈ハ〉の仮名文字遣と通うものと思われる。〈志〉は、
『ことばのその』(明治十八年刊)、『言海』(明治二十四年刊)、『日本辞林』(明治二十六年刊)、『辞林』(明
治四十四年版)などにおいて、仮名「し」から始まる見出し項目の第一字目にあてられている。しかしその
ことは、どの辞書の「凡例」にも謳われておらず、異体仮名〈志〉を語頭に使用するということがそれだけ
自然なものであったことを窺わせる。総合的にみると、〈志〉は明治期においても、語頭(形態素頭)にあて
ることが多いことがわかる。異体仮名〈江〉は、おおむねヤ行の「エ」にあてられていると思われるが、そ
うではない場合もあり、ヤ行にあてるという意識はあるものの、結局は仮名「え」の異体にとどまっている
と思われる。中世期となんらかのかたちで通う仮名文字遣が明治期に確認できるということは、それ自体意
義あることと考えるが、さらにいえば、それは、中世期の仮名文字遣の弘通を示唆するものであると考える。
編集者 筆 者 編集委員
月 日 月 日 月 日
はじめに 本稿では、明治期を注視し、そこにみられる「仮名文字遣」から、
「仮名文字遣の流れ」を探る(註1)ことを目的とする。本稿におい
ては、異体仮名の使い方(註2)を「仮名文字遣」と呼ぶことにする。
日本語の音韻と、それを表わす仮名との間に一対一の対応が保たれな
くなった時期において設定される概念が、狭義の「かなづかい」とい
うことになるが、「かなづかい」を「仮名の使い方」とひろくとらえ
れば、「仮名文字遣=異体仮名の使い方」をそこに含めることもできる。
「かなづかい」・「仮名文字遣」という二つの表記のmodoを統合して「仮
名の使い方」とみる場合は「仮名使い」と表記/表現して「かなづか
い」と区別する。
慶長三(一五九八)年に出版された『落葉集』は、「落葉集本篇」と
「色葉字集」とからなる前篇と、後篇にあたる「小玉篇」から構成さ
れている。「落葉集本篇」は六十一丁表第六行目に「落葉集終」の尾
題を置いて終わるが、続く第七行目には「落葉集之違字」とあり、以
下第六十二丁表第六行目にかけて、五十箇所の正誤表が掲げられてい
る。例えば六丁表四行目の記事に関して、「電 らいは雷 らい也」と記し、三十三 丁表七行目の記事に関して「軽 きやうは経也」と記しているのは漢字を訂
したものと思われ、また三十八丁表二行目の記事に関して「羅 すう もの うすもの也」と記しているのは、「羅」字に施されている左振
仮名を訂したものと思われる。
六丁表五行目にみえる「旗」字の左振仮名に関しては、「〈ハ多〉〈者
た〉也」(註3)とあり、六丁裏七行目にみえる「端」字の左振仮名
に関して「〈ハし〉〈者し〉也」とあることについては夙に土井忠生が
『吉利支丹語學の研究』(一九四二年靖文社刊)において、「「は」は両
唇摩擦音の
Faに発音してゐたので、「は」その他の変体仮名を用ゐて
写したが、これが語中語尾にあるときには
Waと発音するのが普通であ
つたから、本来「わ」の仮名遣であるものと区別して、特に「ハ」の
字体を用ゐた。その用法を違へた例も少くはないが、正誤表の中で訂
正したものもある位であるから、規則的に実行せんとしてゐた事が知
られる」(二十四頁)と指摘している(註4)。
右では、異体仮名の字形を表示したが、それをしないで、仮名の次
元で表示すれば、「〈ハ多〉〈者た〉也」、「〈ハし〉〈者し〉也」はそれ
ぞれ、「はた はた也」、「はし はし也」となる。つまりこれらは仮
名の次元ではなく、異体仮名使用、すなわち仮名文字遣の次元での訂
正を指示していることになる。『落葉集』では異体仮名の使用のしか
たがかなり徹底している。稿者は『仮名表記論攷』(二〇〇一年清文
堂出版刊)において、助詞「ハ」はすべて〈ハ〉で表記され、語中尾
にあって「ワ」と発音される音節の九十八パーセントに〈ハ〉があて
られていること、〈者〉は「語頭ハ・バ・パ音、語中尾バ・パ音に対
して使用」(同三二九頁)されていることを指摘し、「漢字の音訓を峻
別し、音引きと訓引きとを別個に組織している『落葉集』においては、
いわば「音声中心主義」をその軸の一つとしているとも言え、そうし
た姿勢が仮名文字遣にも徹底したかたちをとって現われている」(同
三二八頁)と述べた。したがって、先の「正誤表」は語頭にあって「ハ」
と発音される音節に、語中尾にあって「ワ」と発音される音節に専ら
あてる〈ハ〉が使用されていることに関して、訂正を求めていること
になる。
粗い言い方になることを承知の上で言えば、中世期は仮名文字遣が
もっとも成熟した時期であるともいえ、それが『落葉集』のような、
所謂キリシタン資料にも現われているとみることができる。いうまで
もなく、仮名文字遣は、日本語を、どちらかといえば、仮名勝ちに書
く表記システムの中で醸成されてきたものであり、キリシタン資料に
みられる仮名文字遣は、日本語を母語とする者によって持ち込まれた
ものであるといえよう。
異体仮名〈ハ〉・〈者〉はともに仮名「は」にあてられ、異体仮名〈多〉・
〈た〉はともに仮名「た」にあてられることからすれば、先にも述べ
たように、〈ハ多〉〈者た〉はいずれも「はた」を意図したものである
ことになり、変わりがない。しかし、『落葉集』内で(そして『落葉集』 外においても、おそらくはある程度のひろがりをもって)行なわれて
いた仮名文字遣には合わなかったということになる。ここに「仮名使
い=仮名の使い方としては正しいが、仮名文字遣としては正しくない」
という状況が出現していたことになる。
安田章が「吉利支丹仮字遣」(一九七三年『国語国文』第四十二巻
第九号、後二〇〇九年清文堂出版刊『仮名文字遣と国語史研究』再収)
において指摘しているように、「落葉集本篇」には「童」字の左振仮
名として「〈ハ〉ら〈ハ〉べ」(十四オ三行目)がみえ、「色葉字集」
には、「破」字の字下訓として「〈ハ〉る」(十二ウ八行目)、「小玉篇」
には、やはり「破」字の字下訓として「〈ハ〉る」(八ウ一行目)、「笑」
字の左振仮名として「〈ハ〉らふ」(十オ八行目)がみえているがこれ
らは「落葉集之違字」「色葉字集之違字少々」「小玉篇之違字」には採
り上げられていない。〈ハ〉を仮名「は」に所属する異体仮名とみれば、
右の各語は「はらはべ」「はる」「はらふ」となるのであり、これは「か
なづかい」が正しくない。とすれば、ここでは、「仮名文字遣としては
正しいが、かなづかいとしては正しくない」ということになる(註5)。
中世期における仮名勝ちの表記システムにおいては、「仮名の書き様 は、二つの、つまり仮名遣と仮名文字遣とのmodoの上に成り立つ」(安
田章「濁る仮名」『国語学』第一七〇集、一九九二年、後、一九九六年
三省堂刊『国語史の中世』再収、引用は後者一四一頁による)のであ
り、右の「落葉集之違字」の「〈ハ多〉」「〈ハし〉」の例は、かなり徹
底した仮名文字遣を実行している『落葉集』において、いわば「かな
づかいと仮名文字遣とが衝突しかかった」例ともいえよう。「かなづ
かい」も「仮名文字遣」も、ある語を仮名で書く書き方に関してのい
わば規則であり、それが徹底し、ある語は(仮名文字遣の次元まで含
めて)仮名でこのように書くということが固定していけば、仮名によ
る表語性はたかまっていくことになる。
「仮名文字遣」がすべて表音ということに関わっているわけではな
いが、「語中尾にあって「ワ」と発音される音節」に〈ハ〉をあてる
という「仮名文字遣」は明らかに表音に関わる「仮名文字遣」である。
「現代仮名遣い」は「語を現代語の音韻に従って書き表すことを原則」
(前書き)としているので、はっきりとした表音主義をとっていると
いえようが、そうした「かなづかい」はむしろ稀である。「かなづかい」
とは、原則的には、これまでどう書いていたか、ということを起点と
し、それに從う書き方をすることによって、語の同定を保証するとい
うことを本質とするのではないか。当代その語をどのように発音して
いるかということが、「かなづかい」とまったく関わらないというこ
とではないが、しかしつねに当代の発音との兼ね合いで「かなづかい」
が考えられているわけではない。その「非当代性」ということにおい
て、「かなづかい」は歴史主義的な面を自然にもちやすい。そして「当 代その語をどのように発音しているか」ということと(あまり)関わ
らないとすれば、「かなづかい」はいわば「非表音主義的」であるこ
とになる。「非表音 000主義的」な「かなづかい」と、表音 00に関わる「仮
名文字遣」とは両立が難しいのであり、両方を徹底することは原理的
にできない。
例えば「落葉集本篇」四十丁表八行目の「動」字の左振仮名には〈さ
ハぐ〉とある。この〈さハぐ〉を仮名の次元でみれば、「さはぐ」と
書いてあることになる。「サワグ/サワガシ」の古典かなづかいは「さ
わく/さわかし」であるので、この〈さハぐ〉=「さはぐ」は古典か
なづかいには一致しないことになる。しかし、「語中にあって「ワ」
と発音される発音に〈ハ〉をあてる」仮名文字遣にはあてはまる。つ
まりこの〈さハぐ〉は仮名文字遣としては「正しい」が古典かなづか
いには一致しないということになる(註6)。とすれば、「仮名文字遣」
が頂点にちかづきつつあった中世期は「かなづかい」と「仮名文字遣」
という、仮名表記の二つのmodoがいわば「飽和状態」になりつつあっ
た時期でもあり、後は、どちらかが、あるいは双方が衰退していくし
かなかったとみることもできる。
安田章(一九九二)において、「漢字表記の増加は、仮名表記によ
る表語機能を、漢字に委ねたことになる。そのことは、仮名の配置や
表語性をも考慮した、平仮名文の美的表現性の低下につながって行か
ざるを得ない。別の言い方をすれば、平仮名文表記における、中世か
ら近世への推移の方向、漢字交りから、平仮名、それも、その字体の
バラエティーが縮小した平仮名を交える、要するに漢字・平仮名交じ
りの方向を採ったということになる」(安田章 一九九六、一七一頁)
と述べている。
一 明治期における〈ハ〉の使われ方 松屋(橋爪)貫一纂輯の漢語辞書、『新撰字類』が明治三(一八七〇)
年に木版印刷されて出版されている。この『新撰字類』は、明治二年
に木版印刷されて出版された、庄原謙吉輯『漢語字類』の「掲出語を
全面的に承け、これを早引式に改組した漢語辞書である」(松井利彦『近
代漢語辞書の成立と展開』、一九九〇年笠間書院刊、一六八頁)こと
が指摘されている(註7)。『新撰字類』の形式を示しておく。
繁 はん衍 ゑん どんとふゑる ― はんけき劇 せわしひ 十オ二行目 本稿では「繁 はん衍 ゑん どんとふゑる」を一つの項目とみて、それが「見
出し項目+語釈」という形式をとっているととらえる。見出し項目に
は、(広義の)漢語が漢字列によって示され、右振仮名が施される。 頭字を共通にする漢語が集められており、同じ頭字は「― はんけき劇」のよう
に、省略されて表示されているが、本稿では適当な漢字を補って「繁
劇」のように示すことにする。今ここでは、語釈に注目する。『新撰
字類』は、五〇四〇の見出し項目を備えていることが、松井利彦「近
代漢語辞書の基準」(一九九七年『京都府立大学学術報告 人文・社会』
第四十九号)によってわかるが、その見出し項目の中に次に示すよう
な語釈を見出すことができる。漢字列に施されている右振仮名を丸括
弧に入れて示した。また本稿においては、漢字字体は保存せず、現在
通行の字体に置き換えて表示する。例1~
19が『新撰字類』の語釈に
みられる〈ハ〉字形のすべてである。
1 鬻賣(いくばい) うりさ〈バ〉く 三ウ一行目 2 露顕(ろけん) あら〈ハ〉れる 五ウ六行目 3 路傍(ろぼう) みちのかた〈ハ〉ら 五ウ六行目 4 拝辞(はいじ) おこと〈ハ〉りをいふ 七オ四行目 5 薄命(はくめい) ふしあ〈ハ〉せ 八ウ四行目 6 拝承(はいしやう) うけたま〈ハ〉る 十ウ二行目 7 間諜(かんてう) ま〈ハ〉しもの 二十八ウ五行目 8 何然(なんそしからん)そうで〈ハ〉ごさらぬ 四十五オ四行目 9 寛仁(くわんしん) ゆたかにあ〈ハ〉れむ 五十一オ一行目
10 哀情(あいしやう)あ〈ハ〉れなこゝろ七十七ウ五行目 11 近幸(きんかう)ちかくめしつか〈ハ〉るゝ
九十オ七行目 12 協心(きやうしん)こゝろをあ〈ハ〉せる九十二オ二行目 13 滅裂(めつれつ)〈バ〉ら々々九十三ウ五行目 14 辞気(じき)こと〈バ〉づかひ九十四ウ二行目 15 須臾(しゆゆ)し〈バ〉らく九十八オ一行目 16 収縛(しうはく)し〈バ〉る一〇二オ六行目 17 飾辞(しよくじ)こしらへごと〈バ〉一〇三オ一行目 18 信賞(しんしやう)よきもの〈ハ〉さつとほめる
一〇九ウ六行目 19 敏捷(びんせう)す〈バ〉やい一一三オ五行目 例2・3・4・5・6・7・8・9・
10・ 11・ 12・ 18は語中のワ音
にあてられた〈ハ〉で、残りは語中のバ音にあてられた〈ハ〉、より正
確にいえば〈バ〉である。稿者はかつて大山祇神社に奉納されている
連歌懐紙に関して「〈ハ〉字体は音節ワに使用された例が八五・五四%
を占める。これに音節バに対しての使用一三・六三%を加えると、
九九・一七%を占めるにいたる」(拙書 二〇〇一、二四六頁)、「〈ハ〉
はワもしくはバをあらわしていると考えてまずはよいことになる」(同 前、二五〇頁)と述べた。つまり、「ワ音もしくはバ音に〈ハ〉をあ
てる」という「仮名文字遣」は中世期の和歌・連歌世界という「文字
社会」にすでにあった。それと同じような「仮名文字遣」がいわばそ
こから遠く離れた「文字社会」に観察できることになる。『新撰字類』
は先に述べたように、木版印刷されているので、結局は、手書きによっ
て成った明治期の文献ということになる。そして、その同じような「仮
名文字遣」は、語中尾のワ音に〈ハ〉、語中尾のバ音に〈バ〉という、よ
り明確なかたちとして観察できる。語中尾にあれば〈ハ〉はワ音をあ
らわし、語中尾にある〈バ〉は(当然であるが)バ音をあらわすとい
うことに例外はない。この例外がないということに注目しておきたい。
ただし、逆は成り立たない。語中尾に存在するすべてのワ音が〈ハ〉
で書かれているわけではないし、語中尾に存在するすべてのバ音が
〈バ〉で書かれているわけではない。念のために挙例しておく。*は
濁点が附されていることを示す。
20 異議(いき)か〈王〉りたるひやうぎ一オ六行目 21 煩冗(はんしやう)うるさくせ〈王〉しひ十ウ四行目 22 矛盾(ほうしゆん)あとさきそろ〈王〉ぬ十三オ一行目 23 変革(へんかく)か〈王〉る十五オ二行目 24 遅緩(ちくわん)おそな〈王〉る二十一オ一行目
25 温柔(をんしう)にふ〈わ〉二十五オ三行目 26 レ醸禍(わざわひをかもす)わざ〈わ〉ひをこしらへる
二十六オ三行目 27 乱階(らんかい)さ〈わ〉ぎのはしめ四十五ウ三行目 28 壊敗(くわいはい)こ〈わ〉れる五十一ウ六行目 29 索綯(さくとふ)な〈わ〉をなふ八十一ウ五行目 30 勅定(ちよくしやう)天子のおこと〈ば〉二十二オ二行目 31 俚言(りげん)いなかのこと〈ば〉二十二オ七行目 32 掠奪(りやくだつ)かすめう〈ば〉う二十四オ五行目 33 雅言(がげん)いつもいふこと〈ば〉二十六ウ三行目 34 傲然(かうぜん)い〈ば〉るざま三十ウ二行目 35 離散(りさん)はなれ〈*者〉なれ二十二ウ一行目 36 温言(をんげん)やさしひこと〈*者〉二十五オ四行目 37 閣下(かくか)おもき人をうやまふこと〈*者〉
二十六ウ七行目 38 豁達(かいだつ)さ〈*者〉けている二十九ウ六行目 39 狼藉(らうせき)ちらかる又あ〈*者〉れる
四十五ウ七行目
40 面縛(めんばく)うしろでにし〈*者〉る九十三ウ一行目 例
20~ 24は語中尾のワ音に〈王〉が、例
25~ 29は〈わ〉があてられ
た例。また例
30~ 34は、語中尾のバ音に〈ば〉が、例
35~ 40は〈*者〉
があてられた例。すなわち、音韻の側から整理すれば、語中尾のワ音
には、〈ハ〉・〈王〉・〈わ〉が、語中尾のバ音には〈ハ〉・〈ば〉・〈*者〉
があてられるということになり、そこに注目できるような「傾向」は
ないことになる。つまりこれは「仮名文字遣」とよびにくい。ただ、
異体仮名〈ハ〉は限定的に使われていて、そこには例外がない。明治
期を遙かに遡った中世期に、そうした〈ハ〉字使用をする「仮名文字
遣」があったことを視野に入れれば、これは「仮名文字遣が伏流した
もの」とみえる。そして、いささか逆説的な物謂いになることを承知
の上でいえば、時期が隔たり、「文字社会」がずいぶんと異なること
からすれば、この〈ハ〉字使用には、そもそも「ひろがり」があった
ことが予想できる。
『新撰字類』を「かなづかい」という観点からみれば、ここまでの
挙例からも窺うことができるが、「古典かなづかい」とはほどとおい。
といって表音的な表記がとられているというわけでもなく、そこに現
時点では、すぐに「傾向」を見出すことが難しい(註8)。語中尾に
存在しているワ行音は、「サワグ」「ヨワシ」など少数の語例を除けば、
所謂「ハ行転呼音現象」によって生じたもので、「古典かなづかい」
によって書くのであれば、それをハ行の仮名で書くことになる。先に
採り上げたワ音に関しては、かえって「ハ行の仮名」で書かれている
例が少ないと覚しい。このことについても興味深いが、今は指摘にと
どめる。ワ音以外であれば、「争論(さうろん)いひあひ」(八十二オ
一行目)、「想像(さうしやう)おもふ」(八十三オ五行目)、「詭謀(き
ぼう)こしらへごと」(八十六オ四行目)、「飢色(きしよく)ひだる
いかほつき」(八十七ウ五行目)のように、「ハ行の仮名」で書かれた
「かなづかい的表記」の例は多い。全般的にみれば、「かなづかい的表
記」が優勢にみえるが、その一方で、「郷党(きやうとふ)むらのく
みあい」(九十一オ一行目)、「失計(しつけい)やりそこない」(一〇四
ウ一行目)のような、「ア行の仮名」で書かれた「表音的表記」の例
を見出すこともできる。つまり、ここでは、「かなづかい」と「仮名
文字遣」が勢力を拮抗するというような状況がそもそもないと覚しい。
しかし、だからこそ、そこにみられる例外のない〈ハ〉の使われ方に
は注目せざるをえない。
二 明治期における〈志〉の使われ方 亀井孝は「蜆縮凉鼓集を中心にみた四つがな」(一九五〇年『国語学』
第四輯、後、一九七四年吉川弘文館刊『亀井孝論文集3』再収、引用
は後者三一〇頁による)において「ツジ(辻)」に関して、「一体「辻」 は、節用集その他の文献、もっぱら「つじ」のかたちをとってゐるか
ら、蜆縮凉鼓集にも「つぢ」とあるは奇とすべきである。しかし、新
撰仮名遣(永禄年間に成る)では、「つぢ」であるから、蜆縮凉鼓集
にも、もとづくところはあったにちがひない。(新撰仮名遣については、
別に、紹介のふでをとりたい)」と述べている。ここに『新撰仮名遣』
という書名がみえる。「紹介のふで」がそれを指しているのかどうか不
分明ではあるが、『日本語の歴史5近代語の流れ』(一九六四年平凡社
刊)において、「ここに、永禄九(一五六六)年に著わされた《新撰仮
名文字遣》という書物がある」、「この書の新撰と名のるゆえんは、旧
来の仮名づかいの書物をのりこえた新しい性質の増補を加えたからで
あるが、その増補のうち、もっとも注目すべきは、四つ仮名の項目を
たて、その発音に言及している点にある」(七十五頁)と指摘し、亀井
孝旧蔵(現在は清泉女子大学図書館蔵)本の見開きが写真掲載されて
いる。ここには『新撰仮名文字遣』とある。ところで、現在、清泉女
子大学図書館に所蔵されている仮名遣書に、表紙に「新撰仮名遣 完」
と打ち付け書きされている一本がある。表紙見返しには「かなつかひ
あらまし/新撰かなつかひ」と書かれ、内題に「かなつかひのあらま
し」とあって、四丁表までそれが続き、四丁裏が白紙で、五丁表には
「新撰仮名文字遣之目録 東現作」とあって、そこから『新撰仮名文
字遣』とほぼ等しい記述が続く。したがって、この本は『新撰仮名文
字遣』(とちかい仮名遣い書)と(「かなつかひあらまし」という書名
の仮名遣書が存在したのかどうかは不分明であるが)もう一つの仮名
遣書を合写したものと思われる。そしてこの本がやはり亀井孝旧蔵本
であり、『新撰仮名遣』という書名で紹介されたのは、こちらの本であっ
たと思われる。
ここでは、この『新撰仮名遣』を使うことにする。『新撰仮名遣』
には「十五かしらにかゝぬもし」という條がみえ、「くたりのかしらに
〈し〉もじをかくはみくるしとなり/其ほか〈川〉〈那〉〈乃〉〈路〉〈り〉
〈れ〉〈具〉此類頭/書は見苦し」と記されている。続いて「十六 下
にかゝさるもし/〈於〉〈王〉〈た〉〈堂〉〈志〉〈止〉(註9)[〈と〉は
〈止〉の草なれともかきなら/はしたれはくるしからさるか]」とある。
今ここで採り上げようとしている、仮名「し」に関わることがらに
絞って整理をすれば、行頭で〈し〉を使用するのは見苦しく、〈志〉
を下に書くのもよくない、ということになる。「下」は漠然としてい
るが、行末であれば、十五條と同じように、「くたりの下」と表現す
ることが予想され、ここでは一般的に「下」、おそらくより具体的に
は語あるいは形態素を単位とした場合の「下」ということになろうか。
十五條=行頭では避ける字形、十六條=非語頭に書かない字形が掲げ
られている中で、仮名「し」に関してのみ、両條に異体仮名が掲げら
れている。すなわち〈し〉は行頭に使わず、〈志〉は非語頭には使わ ないということになる。
平安時代末期から鎌倉時代初期に関して、ということになるが、拙
書(二〇〇一)では、十文献において使用されている仮名字形につい
ての悉皆調査をした。仮名「し」については、〈し〉〈志〉〈新〉〈四〉
の四字形が使用されているが、十文献にみられる総計四〇六三の仮名
「し」の中、〈新〉が使われたのは二文献で合計七例、〈四〉が使われ
たのは、一文献で四例で、両者合わせて十一例(〇・二七パーセント)
で、仮名「し」に関しては(もちろんこの時期のこの「文字社会」で
は、という限定はつくが)〈し〉〈志〉の二字形を考えれば充分である
ことがわかる。仮名「し」として〈し〉〈志〉二字形を考えればよい
ということであれば、さきほどの『新撰仮名遣』の記述は、行頭には
〈志〉を使い、かつ語頭にも〈志〉を使うということになる。〈志〉を
下に書かないといっているだけで、そこでは〈し〉については述べら
れていないのだから、〈し〉を語頭に使うこともあるし、語中尾に使
うこともあることになる。つまりここでは、〈志〉を使う場所が話題
になっている。そしてそれは、「上」ということになる。
明治三十三(一九〇〇)年八月二十一日に出された文部省令第十四
号の「小学校令施行規則」第一章「教科及編制」第一節「教則」の第
十六條「小学校ニ於テ教授ニ用フル仮名及其ノ字体ハ第一号表ニ、字
音仮名遣ハ第二号表下欄ニ依リ又漢字ハ成ルヘク其ノ数ヲ節減シテ応
用広キモノヲ選フヘシ」の「第一号表」によって、現行の平仮名、片
仮名の字体が決められている。安田章は「仮名資料序」(『論究日本文
学』第二十九号、後二〇〇九年清文堂出版刊『仮名文字遣と国語史研
究』再収、引用は後者三十六頁による)においてその明治三十三年八
月以前の「仮名調査委員会議決(同年一月)中の「同音の仮名に数種
あるを各一種に限ること(即ち変体仮名を廃すること)」において、「志」
を存して「し」の方を一語の中又は末に用ゐる仮名とすること とい
う少数説があったこと」を指摘する。また矢田勉(一九九六)は、「小
学校令施行規則の後の出版物でも、例えば『増補俚言集覧』(明治
三三年刊)、『類聚名物考』(明治三六~八年刊)のような辞書類で使
い分けられ続けた―「志」を語頭、「し」をそれ以外に用いる―場合
もある」(四四〇頁)と述べる。加えれば、明治四十四年に刊行され
た金沢庄三郎『辞林』においても「し」から始まる見出し項目の第一
字目にはすべて〈志〉が使われている。明治三十三年八月以前に目を
移す。
明治十八年に刊行された近藤真琴『ことばのその』においては、題
僉には「あいうえ〈於〉かきくけこさしすせ〈曽〉たちつてとなにぬ
ねのはひふへほまみむめもやゆよらりるれろわゐゑを」とある。「お」
から始まる見出し項目、「そ」から始まる見出し項目には題僉どおり、
〈於〉・〈曽〉があてられているが、「え」から始まる見出し項目には〈江〉 があてられ、「し」から始まる見出し項目には〈志〉があてられている。
「シタシ(親)」は「〈志〉たし」、「シナジナ(品々)」は「〈志〉な〈*
志〉な」と表示されているので、形態素を単位として、形態素の「上」
には〈志〉をあてていると覚しい。『ことばのその』は語釈において、
分かち書きを行なっているが、語釈中においても〈志〉は使われてい
る。そのことは、分かち書きを読みやすくすることに寄与していると
もいえよう。
明治二十四年に刊行を終えた『言海』は、「索引指南」の(十二)
に「活字ノ用ヰ方ハ左ノ如シ」と記し、使用する活字によって、和語
と漢語とを表示し分けることを謳う。これは語種への関心のたかさを
示すと同時に、使用する活字にも目配りがなされていることを示す。
その 00『言海』において、「ショウシン(昇進)」は「〈志〉よう〈志〉ん」、
「シオカラシ(塩辛)」は「〈志〉ほからし」、「シイシバ(椎柴)」は「〈志〉
ひ〈志〉ば」と表示されている。これは、(和語も漢語も)形態素を
単位としてとらえ、形態素の「上」には〈志〉をあてるという「方針」
かと思われるが、それについての記述はみられない。先に挙げた『辞
林』においても、右の語は『言海』と同様に表示されており、この点
に関して『辞林』は『言海』に倣っているか。ちなみに、「こ」に関
しては、和語に〈古〉、漢語に〈こ〉があてられていると覚しい。こ
こでは活字の種類というよりは、いわば「仮名文字遣」によって、語
種が区別されていることになる(註
10)。 「語法指南」冒頭に掲げられている平仮名「五十音図」には現行の
平仮名、すなわち明治三十三年の「小学校令施行規則」第一号表と同
じ形のものが示され、欄外に「仮名ニ、変体ノモノモ多ケレド、此ニ
ハ畧ス」とあり、「五十音図」に示されていない〈志〉や〈古〉は「変
体」の仮名と意識されていたことになる。そのことからすれば、『言海』
における〈志〉〈古〉の使用はまさしく「仮名文字遣」であったこと
になる。
明治二十六年に大宮宗司編纂『日本辞林』が刊行されるが、冒頭に
は「文典大意」が置かれている。第一章「五十音及その文字」におい
て、「五十音図」が掲げられているが、そこでは、平仮名「は」が〈者〉
によって、平仮名「わ」が〈王〉によって示されている。他は現行と
同じ。実際にも、「は」で始まる見出し項目には〈者〉が、「わ」で始
まる見出し項目には〈王〉があてられ、これは「五十音図」と一致し
ているが、その他に、「し」で始まる見出し項目にはすべて〈志〉が
あてられている。辞書としては、整っていないことになるが、それだ
け〈志〉の、いわば「落ち着きのよさ」がひろく認められていたとい
うことであろう。「落ち着きのよさ」という、多分に情緒的な表現を使っ
たが、それは視覚的な安定性を感じさせるということであり、「感じ」
は共有されにくい場合もあるが、逆にひろく(ある場合は時代を超え て)共有されやすい面もあろう。〈志〉を「上」に使うという「仮名
文字遣」のひろがりと強度を示したいのであるが、それがある程度徹
底すれば、〈志〉の前には何らかの切れ目がある、という「機能」を
獲得することになる。落ちついたかたちに書けば、それは美しく書い
たということにもなろうが、そのことと「機能」とは無縁ということ
もない。
三 明治期における〈江〉の使われ方 大野晋は「仮名遣の起源について」(一九五〇年『国語と国文学』
第二十七巻第一二号)において、藤原定家の書いた「多くの実際の用
例から帰納的に」、その仮名遣いに検討を加え、その一方で『僻案』(=
『下官集』)や行阿『仮名文字遣』の序文の記述を参照して、「①「定
家は下官集を執筆する頃には、伊呂波四十七文字のみを書き分けよう
としたものではなく、「え」と「江」とを区別して、四十八を書き分
けようとした」こと、②「「を」の仮名は当時上声(高く平らな調子)
の「オ」の音節を、「お」の仮名は当時平声(低く平らな調子)の「オ」
の音節を、書き表わすために定家が用ゐてゐる」こと、③それ以外の
仮名については、「院政時代の一般用例に拠つたもの」であること、
を指摘した。
先にも述べたように、「かなづかい」をひろく「仮名の使い方」と
みて、「異体仮名」を「仮名」に含めて考えれば、「異体仮名の使い方」
も「仮名の使い方」すなわち「仮名使い」の枠組みに入ることになる
が、「異体仮名」を「仮名」の範囲に含めないことにすると、「仮名」
は五十音から、ヤ行の「イ・エ」、ワ行の「ウ」を除いた四十七文字、
すなわち「いろは」四十七文字ということになるのであって、大野晋
(一九五〇)が述べるように、定家が、「いろは」四十七文字には含ま
れていないヤ行のエに「え」とは別の字形をあてて保存しようとして
いたとすれば、そのこと自体が「かなづかい」という枠組みを超えて
きわめて重要なことがらであったことになる。大野晋(一九五〇)の
①は石坂正蔵「定家の区別した仮名について」(一九六一年『国語学』
第四十六集)、山内育男「かなづかいの歴史」(一九七二年大修館刊『講
座国語史2』)によって、修整され、大野晋自身も「仮名づかいの歴史」
(一九七七年岩波書店刊『岩波講座日本語8』)において、石坂正蔵
(一九六一)に「賛意を表したい」と述べ、現在は、定家の区別しよ
うとしていた仮名は「いろは」四十七文字であったと考えられている。
先には近藤真琴『ことばのその』(明治十八年刊)において「え」
から始まる見出し項目に〈江〉があてられていることを指摘した。こ
こでは高橋五郎『[和漢/雅俗]いろは辞典』(明治二十二年刊)につ
いてみておきたい。同辞典は「凡例」の第一に「凡ソ字書ノ要ハ捜字 ヲシテ容易ナラシムルニ在リ故ニ此書ハ本邦慣習ノ仮名数引キ十三問
部類分ケ等ノ迂遠ナル法ニ従ハズ西洋字書ノ体ニ倣ヒ一ニいろはノ順
序ニ従フ」とあり、書名のとおり、「いろはノ順序」で見出し項目を
配列していることをまず謳う。ただし、「凡例」第六に「此辞典ハ総
テいろはノ順序ニ従フト雖モゐおえノ三字ニ限リいをゑノ部ニ混入
ス」「但シ其仮名遣ヒニ至リテハ決シテ混合セズ」とあるように、「い」
の部に「ゐ」を、「を」の部に「お」を、「ゑ」の部に「え」を、纏め
たかたちをとる。「い・ゐ」「を・お」「え・ゑ」をまとめることは「い
ろは引き」の辞書ではしばしば行なわれるが、その場合「いろは」の
先にでてくる仮名に、後にでてくる仮名を合わせることが多く、その
ことからすると、後にでてくる「ゑ」に、前にでてくる「え」を合わ
せていることが注目される。また、これは単なる形式上の不備という
ことであるのかもしれないが、例えば「ゐ」を合わせた「い」部は最
初に「い ゐ」と示されており、これは「を 〈於〉」も同様であるが、
「え」を合わせている「ゑ」部には「ゑ」とのみ示されており、平行
性がない。それはそれとする。
「ゑ」部の見出し項目には「え」または「ゑ」から始まる語が並ん
でいるが、仮名「え」には〈え〉が、仮名「ゑ」には〈ゑ〉があてら
れている。しかし、見出し項目で〈江〉があてられているものも散見
し、また語釈中には〈江〉が使われている。次に幾つかの見出し項目
を例示する。 え (名)荏、〈江〉ごま(植物)
えい (名)栄、さか〈江〉。ほまれ えにし (名)縁、ゆかり、〈江〉ん
〈江〉にしだ(名)金雀花、鷹爪(家畜の食糧及び薬剤染料に供し又
其花は大に雅致有るもの也)(植物)
えりまき (名)襟巻、領巻、風領、領巾、〈江〉りをあたたむる
もの
えりあし (名)襟足、〈江〉りくびのかみのけ
〈江〉かう[する](他自)回向、たむける、ささげる。をがみをあ
げる
えんじや[俗](名)縁者、姻族、〈江〉んるゐ 「サカエ」の「エ」にあてられていることからすれば、ヤ行のエと
思われる箇所に〈江〉を配したことがひとまずは考えられるが、「え
いくわ(名)栄華、さかえ、はなやかさ」では〈江〉があてられてい
ない。そもそも、明治二十二年に「エ」と発音している音がそもそも
ア行の「エ」であったか、ヤ行の「エ」であったかを辞書といえども、
積極的に示す必要があったかどうか。そしてそれがあらゆる語にわ たって明白ということでもないとすれば、現時点では、仮名「え」に
あてる異体仮名として、〈江〉があり、それが使われているとひとま
ずは考えておくことにする。
夏目漱石『それから』は、『東京朝日新聞』と『大阪朝日新聞』に
発表された。連載回数はどちらも一一〇回で、明治四十二年六月
二十七日に第一回が発表され、同年の十月十四日に連載が終わってい
ることも両新聞で同じである。新聞では〈江〉が使われている。東京
朝日新聞によって次に幾つか例を挙げる。振仮名に使われている〈江〉
は挙げなかった。
1 けれども―代 だい助 すけは覚 おぼ〈江〉ず悚 ぞつとした。(第一回) 2 ~〈江〉へゝゝ、だつて先 せん生 せいと、すぐ先 せん生 せいにして仕 し舞 まふ~(第二
回)
3「へ〈江〉、左 そん様なもんですかな」と門 かど野 のは稍 やゝ真 ま面 じ目 めな顔 かほをした。(第
二回)
4「い〈江〉、左 さう様でもありませんな」(第三回) 5「〈江〉ゝ、別 べつに嘘 うそを吐 つく料 れうけん簡もありませんな」(第三回) 6 平 ひら岡 をかからは断 た〈江〉ず音 たより便があつた。(第六回) 7 ~丸 まるで苦 く痛 つうを覚 おぼ〈江〉ない様 やうになつて仕 し舞 まつた。(第六回) 8 ~富 とみに対 たいする一種 しゆの呪 じゆそ詛を引 ひき摺 ずつてゐる様 やうに聴 きこ〈江〉た。(第
七回) 9「よく有 あつたね。君 きみも大 だい分 ぶ旨 うまい事 ことをしたと見 み〈江〉る」(第八回) 10 万事控〈江〉目に大人しくしてゐるんです(第十四回) ばんじひかめおとな
例
10は大阪朝日新聞には「万事控へ目に大人しくしてゐるんです」 ばんじひかめおとな
とあるが、これは「かなづかい」の問題ということになる。その他は
大阪朝日新聞でも同じように〈江〉が使われている。例1~
10は漱石
の原稿では〈え〉で書かれており、例
10も「控え目」とある。明治
四十三年一月一日に刊行された単行本『それから』(春陽堂出版刊)
でも、例
10にあたる箇所は東京朝日新聞と同じように「控え目」とあ
り、その他の箇所では〈え〉が使われている。単行本は新聞をもとに
つくられていると覚しいが、〈江〉は受け継がれていないことになる。
「オボエ・タエ・キコエ・ミエ」の「エ」にあてられているところか
らすれば、ヤ行の「エ」にあてているようにもみえるが、その一方で
「ヘエ」とか「エエ」とかの「エ」がはっきりとヤ行ということでも
ないことからすると、結局は、仮名「え」の異体仮名」ということに
なろう。右のことからすると、明治期の〈江〉は、ヤ行の「エ」とひ
とまずは関わりながら、仮名「え」の異体仮名として使用されている
といえよう。 おわりに 本稿では、三種類の異体仮名〈ハ〉・〈志〉・〈江〉が明治期にどのよ
うに使われているのかということを、「仮名文字遣の伏流」という観
点から検討してきた。〈ハ〉を語中尾に存在するワ音にあてるという「仮
名文字遣」は中世期にひろく看取されるが、明治期においても、それ
と同様の「仮名文字遣」が観察された。これは発音に関わる「仮名文
字遣」であり、その点において受け継がれやすかったことが予想され
る。〈志〉を行頭または語頭に使うという「仮名文字遣」も中世期以
降ひろくみられるが、明治期の〈志〉も同様に使われていた。これは
位置に関わる「仮名文字遣」といえる。〈江〉は、ヤ行の「え」にあ
てられる異体仮名として明治期にも使用されているが、すべてがそう
ではなく、また徹底もしない。仮名「え」の異体仮名ということにと
どまるか。
いえすがおふせられますに〈ハ〉今 こん夜 やなんぢら〈ハ〉、みなわれ/ について礙 つまづくであらふ、何 なぜなれ〈バ〉、われ牧 かふ者 ものをうたん、〈曽〉 のとき綿 めん羊 やうちるべしと、〈志〉るされてあるけれども、われ〈ハ〉 甦 よみがへつてから、なんぢらよりさきにがりらやへ行 ゆか』う ぺてろが、 いえすにまうしますに〈ハ〉たとひ皆 みなが礙 つまづ』いても、私 わたくし〈ハ〉
礙 つまづきません いえすが おふせられますに〈ハ〉、我 われ/まことに汝 なんぢ
につげん、今 けふ日、今 こん夜 や鶏 にはとりが二 ふたたび次 なかぬうちに な/んぢ〈ハ〉 三 みたび次われを〈志〉らぬといふであらう ぺてろ〈ハ〉また/くりか へし て、まうしますに〈ハ〉、私 わたくし〈ハ〉あなたとともに死 志ぬ/とも、
あなたを〈志〉らぬと〈ハ〉、もうしません、
明治二十八(一八九五)年に大日本聖書館から出版された『[新約
/聖書]ぞくごまこでん全』から引いた。助詞「ハ・バ」には〈ハ〉
があてられ、語頭に〈志〉があてられるという、ここまで述べてきた
「仮名文字遣」がやはりここにも観察できる。
註1 屋名池誠は「文字・表記(理論・現代)」(二〇〇八年『日本語
の研究』第四巻第四号)において、「文字・表記の研究では、共時・
通時の別が曖昧にされているように思われる」と述べ、漢字を例
にして、「たとえば現代の日本語の漢字を論じるのに、字源をも
ちだしたり、中国の、それも往古の訓詁や小学の成果を援用した
りするのは問題であろう」と述べる。それは「かなづかい」とい
うことがらにもあてはまる。例えば江戸期に書かれたある文献の
「かなづかい」を「古典かなづかい」と対照して、これだけ一致 していて、これだけ一致していない、ということを述べる場合に、
江戸期の、当該文献と関わりをもつ「文字社会」において、「古
典かなづかい」がどのような位置づけられていたかを一切吟味し
ないとすれば、「古典かなづかい」というscaleを「汎時的」に
用いていることになる。自戒をこめていうということになるが、
そのことについては充分に自覚的でなければならない。しかしそ
の一方で、「文字は消えずに残り過去の文献・文字情報も使用さ
れ続けるので過去の体系と完全に切り離してあつかうことが難し
い」(屋名池誠 二〇〇八)のであって、(当代の発音と関わらせ
るということも「かなづかい」の一つのいきかたであるが)かつ
て書かれていたように書くというのも「かなづかい」の一つのい
きかたであるとすれば、「かなづかい」ということがらも「汎時的」
な側面を内包しているといえよう。「仮名文字遣」についても同
様に考えておく必要がある。
註2 本稿では異体仮名の使い方を「仮名文字遣」と呼ぶ。ある文献、
あるいは書き手が同一と思われる複数の文献における異体仮名の
使い方に関して分析した言説は少なくないが、それらにおいては
「使い分け」ということが厳密な意味合いではなく使われること
が多い。例えば加藤良徳「定家仮名遣再考」(一九九八年『名古
屋大学国語国文学』第八十二号)においては、「異体仮名の上下
の位置による使い分けのことを、本稿では「異体文字遣」と呼ぶ」
と述べられている。引用した言説には注が附されており、その注
を参照すると、「「異体文字遣」という用語について、安田章氏や、
今野真二氏は「仮名文字遣」、迫野虔徳氏は「仮名もじ遣」、矢田
勉氏は「異体仮名の使い分け」等、種種の用語が用いられている
が、本稿では、「異体文字遣」と呼ぶことにする。この理由とし
ては、今後の文字史の研究において重要な範疇として、ぜひとも
独自の用語が必要である」と述べ、(「異体文字遣」という表現を)
「「異体仮名の使い分け」のうちの、上下の位置による使い分けに
限定して使いたい」と述べている。稿者自身の今までの言説すべ
てを確認できているわけではないので、場合によっては、「使い
分け」という表現を使っていないとも限らないが、少なくも認識
の上では、稿者の「仮名文字遣」は異体仮名の使い方を指してい
るのであって、そこに「使い分け」という概念はまったく含まれ
ていない。「使い分け」という概念に関しての稿者のみかたは、
拙書『文献日本語学』(二〇〇九年港の人刊)第二章第二節、「「使
い分け」ということ」「異体仮名の使用をめぐる「使い分け」と
いう言説」(八十三~八十八頁)において示した。右の「異体文
字遣」の定義がなされている、加藤良徳「定家仮名遣再考」にお
いて、例えば、資料二として藤原定家筆伊達家旧蔵無年号本の状 況が示されるが、それは「文節頭」「文節中」「文節末」という整
理が行なわれており、「上下の位置」という整理がそもそもなさ
れていない。「上下」と限定した定義であれば、「上=文節頭/下
=文節中末」というかたちでなければ矛盾する。この定義は「藤
原定家による仮名文書記システムの改新」(二〇〇一年『国語学』
第五十二巻第一号)においても、その注4に「「異体文字遣」と
は異体仮名の上下の位置による使い分けのことを示す。私が考え
た用語である。」と述べられて踏襲されているが、その一方で、
この同じ論文中に、「「異体文字遣」(文節の位置による使い分け)」
(三十六頁)ともあり、一貫性がない。
註3 本稿では異体仮名を表示する必要がある場合は〈 〉を使用し
た。表示しようとしている異体仮名の字形に近似するものが現行
の仮名字形の中にある場合はそれを、ない場合にはその字形の字
母となっている漢字を、〈 〉に入れて示した。 註4 高羽五郎は『ぎやどぺかどる字集(索引)』(一九五一年)にお
いて、「「は」「ハ」「わ」の用法は他の仮名の異体字併用とは趣を
異にし、落葉集での用法について土井忠生博士が指摘せられたや
うに(「落葉集考」(「吉利支丹語学の研究」二四頁))本書でも語
頭以外のワ音を表す仮名として特に「ハ」を用ひようとする意図
がみとめられる」、「土井博士は前掲論文中に元来「は」の仮名遣
であるものだけ「ハ」を用ひたやうに述べてをられるが、前に挙
げた「答話」のやうなワ音を頭にもつ漢字が他の漢字の下につい
た漢語、又は「しハざ」(業)「とけハたる」(解渡)のやうなワ
音を頭に持つ語が他の語の下に複合した場合など、仮名遣につい
ての区別は認められない」、「ワ音を表すには「わ」の仮名を用ひ
得るにもかゝはらず、語頭以外に限つて「ハ」を用ひ、また「は」
行の仮名にはすべて同様の事情があるにもかゝはらず「は」につ
いてだけこのやうな方法をとつた字集編者の意図は、多分当時一
般に「ハ」の仮名についてこのやうな特殊用法の傾向があつたの
を借り用ひ、その範囲を明確にしたもので、発音を示すことを主
眼とするならばもつと明確な徹底した方法をも採り得るものを、
当時一般の仮名使用法の習慣をあまりまげない範囲で発音を示さ
うとしたため、表音の点では不徹底になつたのではないかと想像
される」と述べている。さらに、安田章は「吉利支丹仮字遣」
(一九七三年『国語国文』第四十二巻第九号、後二〇〇九年清文
堂出版刊『仮名文字遣と国語史研究』再収、引用は後者九十五頁
による)において、「ハ音を「ハ」で表わした、「はた(旗)」
(
15)「はし(端)」(
16)に対しての、本篇に限る処置であって、
他の例、本篇の「きだはし(階)」(
13・ 16)、色葉字集の「はな
はだ(苦)」(
151)は正誤表に採られていないし、また第一の場合、 「ハ」とあるべきを「者」としたものについては、取り上げてい
ないのである」と述べ、「正と誤との相関」(一九九五年『国語と
国文学』第七十二巻第十一号、後、二〇〇五年三省堂刊『国語史
研究の構想』再収、引用は後者の一五五頁による)において、「ハ
音に関わる音声中心主義からの逸脱を、当代の仮名表記に通じて
いた日本人が落葉集の編纂に与っていたことに由来すると、私は
見る。「違字」に現われた、落葉集に求められた表音主義の、そ
の方針に合致した多くの例と、その周囲に存在する、方針に背馳
する例とのトータルから抽出されたものが、当代の仮名表記の実
際であったのである。音声中心主義に則して採られた仮名文字遣
(ハ音に「者」)は、その部分を切り取ったものでしかなかった」
と述べている。
註5 このことがらについては、遠藤邦基「誤った回帰―「私 わらは」を「は
らは」と書くこと―」(『奈良女子大学大学院人間文化研究科年報』
第三号、後二〇一〇年和泉書院刊『国語表記史と解釈音韻論』再
収)が詳しく述べる。
註6 ただし「サワグ/サワガシ」を「さはく/さはかし」と書いた
例は比較的早い次期からみられる。平安時代末期頃の写と目され
ている、冷泉家時雨亭文庫蔵『出羽弁集』に「さ/ふらひなとい
とさはかしくなり/ぬれは」(十六ウ六行目)とあることを拙書
(二〇〇一、九十二頁)で指摘したが、大東急記念文庫蔵『金光明
最勝王経音義』に「閙[祢宇反/佐八可之]」「棹[條音/佐八加
之]」(四ウ一行目・五行目)、「噪[草音/佐八久]」(五オ三行目)、
「闠[火伊反/佐八可之]」(五ウ五行目)とみえることが大坪併
治「ム・モの相通」(一九六一年風間書房刊『訓点語の研究』)に
おいて指摘されている。
註6 『新撰字類』、『漢語字類』は架蔵本を使用した。 註7 『新撰字類』の「かなづかい」が「古典かなづかい」とほどと
おい、と述べたが、すべてがひとしなみに「ほどとおい」のでは
ないと臆測する。〈ハ〉字形の使用に、中世期の「仮名文字遣」に
淵源をもつと予想される、はっきりとした「傾向」を示すことか
らすれば、一度は『新撰字類』の「かなづかい」を総合的かつ精
密に検討する価値はあると考える。特に、字音語をどのように仮
名で書くかということと、和語をどのように仮名で書くかという
こと、双方の観察が可能である文献という点で意義がある。遠く
離れた位置に湧き出した「湧水」を精密に観察することによって、
どのように伏流していたのかを推測することができると考える。
註8 矢田勉は「異体がな使い分けの衰退―トの仮名の場合―」
(一九九六年明治書院刊『山口明穂教授還暦記念国語学論集』所収)
において、「第一画の後そのまま円を描くように運筆する」字形 を「便宜的に現行平仮名活字「と」で代用」し、「第一画の末尾
を右上にはね上げてから次の運筆に移る」字形を「止」で代用し
ているので、それに倣った。
註9 活字によって、語種を区別するのであれば、和語形態素、漢語
形態素を単位として、その形態素の始まりの位置をマークすれば
よい。例えば「ホコリハライ」という語であれば、「ホコリ+ハ
ライ」と形態素に分けて、「ホ」と「ハ」の位置に和語用の活字
をあてれば、目的ははたせる。しかし、『言海』では、「ほ〈古〉
りはらひ」と表示されている。「ホコリ」全体は和語であるが、「ホ」
に和語用の活字を使えば、それで形態素「ホコリ」が和語である
ことは表示できているはずで、形態素内部に和語用の活字〈古〉
をあてる必要はないはずであるが、右のように表示されている。
これについては、さらに考えてみたい
Undercurrent of “Kana-Moji-Zukai”
KONNO Shinji Abstract
In Meiji 33 (1900), Hiragana and Katakana characters, which until then had multiple styles, were unified into one standard via the “Table 1” attachment of the
“Ordinance for Enforcement of Primary Schools”, released by the Ministry of Edu- cation. It has been pointed out that until then, during periods where multiple styles were used, particularly during the Middle Ages, multiple styles of certain characters had functional purposes. This practical use of multiple styles is called
“Kana-Moji-Zukai”. From a bird’s-eye perspective, the “Kana-Moji-Zukai” of the Middle Ages eventually faded out and significant usage was not observed during the subsequent Edo period. However, upon careful examination of the literature, one can observe similar “Kana-Moji-Zukai” to that of the Middle Ages during the more recent Meiji period. By using specific examples, this paper points out such
“Kana-Moji-Zukai” observed during the Meiji period.