日本語助辞「は」の用法記述
A Descriptive Analysis of Japanese Particle“Wa”
山内 啓介
Keisuke YAMAUCHI
Abstract
This paper examines the use of the Japanese particle “wa” in Japanese texts. Japanese sentences are analyzed and their use of “wa” is described based on a previous theory of grammatical analysis. When the text consists of more than one sentence, it is divided into units of paragraphs. However, when the text consists of multiple sentences on the same topic, the sentences are divided by topic. There are three basic sentence patterns in regard to compound sentences in Japanese: sentences with nouns, adjectives, and verbs respectively at the conclusion of the sentence. Sentences are analyzed using linguistic material gathered from a daily newspaper column, and their use of the particle “wa” is described in this paper. The analysis shows that the Japanese sentences tended to focus on the existence of a phenomenon first and foremost, unified with the particle “wa.” Second, Japanese sentences tended to focus on the contents that were understood to be contained within.
はじめに
日本語文章の文法は日本語助辞「は」の用法記述によって文章統一を明らかにできる。助辞 は形態文法の形態である語を分析して得る単位であるが、語を関係構成し文の要素となる。文 章単位の語と文を見て、文章論文法で助辞における「は」の用法記述を行おうとする。
文法論における形態と統語に、形態文法が日本語の形態から形態素を析出できる。発音には 仮名文字をもってする日本語助辞「は」を、〔wa〕とする。音韻をもって/wa/と表記して示すこ とができる。形態素wa、形態の接辞に-waと表記することを行っている
その一方、助詞「は」については教科文法または教育用文法の説明理解で、国文法助詞の呼 称を用い、学校文法による。国語の助詞「は」、日本語の助辞/wa/、それぞれに前者は自立語に 対する付属語にとらえられ、後者は自立した語基に対する付属する接辞にとらえられる。
したがって、助辞の記述に、/-wa/と表記し得るし、形態文法を統語文法にシフトすれば、音 韻をもって、/は/、または、/‐は/のように表記できる。いま、述べようとするのは、国文法品 詞の助詞「は」について、日本語文法論で議論することである。ここでは、日本語助辞「は」
と表記し、文章論文法における助辞「は」と便宜に表記する。
日本語文法論は形態論と統語論とをもって行おうとすると、統語文法を文論から、日本語に
おける文章論にとらえて議論することになる。国文法の構文論は文論になり、そこに文章論を 展開すると、国語の文法における文と文の集合である文章に、文章論文法1となる。
つまり、統語の議論について、意味と文章の議論になる。本稿は現代日本語文章による日本 語の記述文法を目途とする。日本語助辞「は」の論は、文章論文法の助辞「は」としてとらえ ることになる。そして、日本語助辞「は」は言語現象におけるリカーションの用法にあること を述べる。なお、付属する助辞/wa/について文章を資料に解析するので、「本稿は」の表記例で 形態をもって言えば、語に付属する接辞「は」として、相当する仮名文字を用いる。
先行研究 文論
日本語文法は、はじめに、品詞と文章において分析を行っていた2。その後に品詞と構文に分 野を分けて議論するようになった。それには教育文法の影響が大きい。現代語文法はシンタク スのとらえ方を進めようとして、形態と統語の分野に基礎をおいている。構文論を統語論に置 き、その議論は、現代語の視点で日本語文法を見ようとする3ものである。
そこで、これまでの構文の議論を見ると、シンタックスに表記の揺らぎを見るものの、構文 論、文論などと辞書に解説する。語を求めると、その標出する項目には、それぞれの用語で循 環する。
そして、文論の議論をしたのは、その書名の通り、宮地裕(1979)『新版文論』4である。そ の「文論」は表現を含めた議論を通して、文、構文、シンタクスに敷衍する。または、構文論 が文章表現と相俟ってその内容を話し手の意図する「モダリイティ」として行う議論があり、
陳述論を解決する内部構造の統一叙述をとらえようとした「国語構文論5」が行われた。
文と文章6とを述べる文章論は、現在、学校文法文章論から日本語教育文法の文章の議論に展 開している。なお、検索では、文論7の名を見ることは一つをのぞいてほかにはない。
文章は複数の文か
文章は文の複合体8であるにもかかわらず、文章について複数の文が集まったものという。こ の「複数の文」を捉えなおさなければならない。文章の説明また定義によることである。それ を、日本語教育用の文型で示すと、助辞「は」によって次の基本文が複合している。
文型① N1は N2です/だ N: noun 名詞文 丁寧/普通 文型② Nは/が Aです/-i(Φ) A: adjective Φ: 言い切り 形容詞文 文型③ Nが Vます/-u (Φ) V: verb 動詞文
たとえば辞書義に、幾つかの文を連ねて、まとまった思想を表現したものということで、散 文の作品をさしていうことがある。大辞林7にある定義につき、実際の文章を検討すると、この 説明はさらに具体的な文法分析を必要とする。
基本文はそれぞれ、文体を丁寧体と普通体に示している。話し言葉がスタイルを持つことは、
日本語教育での教授法によるステップであらわされることである。すなわち、通常の会話にま
ず丁寧が現れ、その文を複文にすると文法形式である普通が現れて、段階を踏むことになる。
それを文章にすると、手紙文のほかには丁寧体を書くことがまずないので、普通体の書記言 語が話体の転換となる。それをもって、基本文では。次の文型を派生することになる。
文型①` → N1は N2だ N1は N2である
文型②` → Nは A -i (Φ) Nが A -i (Φ) Nは na-A(だ) Nが na-A(だ) 文型③` → Nが V-u (Φ) Nが V-aux. aux: auxiliary verb
文を言語単位の一つとするときに、一語文からセンテンス、そして、複数の文で文章とする。
この文章は、複数の文から構成され、あるまとまった思想を表したものであるが、それは、以 下に分析をするように文が派生して、基本文と派生文とが複合したものとなる。これまで、文 また文章の説明は文法書9からのままのもので、辞書などに変わらずに受け継がれている10。
文章は文による複合体
日本語文章が文の複合体であることをまず分析し、その文をとらえて文章論文法に記述する。
日本語文章に句読をほどこすことは国語の伝統文法によることであるが、散文の文章において、
区切り符合の句点で文章を示したものであったが、ここでは文の単位に従う。
句読法は文の終止と語句の休止をあらわしたので、書き手による句読点は句点において文章 を文の単位にする表現である。形態文法から統語文法へシフトすると、その文が語による文字 列の連鎖となって見える。
句読点はその名の示す通り読みを示して句を作ることであったのであるが、国文法では文規 定することが句点によって行われる。いま、日本語文章にそれを検証する。次は、文章の始ま りを句点ごとに書き出した例である。日本語文章の文11になる。それぞれに通番をつける。
この例は、1、5、7、8の句点で文を示すが、ほかは、体言止めでの句点が見える。
1 わが国にはじめてサンタクロースがお目見えしたのは1874年、とする説がある。
2 つり屋根がいまでも斬新な国立代々木競技場と、法隆寺夢殿を模した日本武道館。
3 きょうは冬至。
4 報告義務ナシ、返済不要。
5 コンビニエンスストアのセブンイレブンはなぜこの名前なのか。
6 東京の下町。
7 ロシアにもロシア人にも幻滅した。
8 1600年設立のイギリス東インド会社は、はじめは1回の航海のたびにもうけを分け合っ ていた。
9 15世紀イタリアの画家、ボッティチェリの「聖母子」。 10 流行語にもなった「爆買い」。
体言止めをするのは、例2、3、6、9、10に見える句点である。漢字熟語など、文章における 体言止めの句を例4においても文の扱いとしている。その表現法は、例3、6では時間と空間を
示す。また、例9は指示をする。例3に倣って表現を補う。下線は筆者による、以下同じ。
例3 きょうは 冬至である
→例6 (ここは) 東京の下町である
→例9 (これは)15世紀イタリアの画家、ボッティチェリの「聖母子」である また、例2、4、10は、表現によると、次のようである。同様に、助辞「は」を補う。
→例2 国立代々木競技場は つり屋根がいまでも斬新だ 日本武道館は 法隆寺夢殿を模した
→例4 報告の義務は ナシ、返済は 不要である
→例10 「爆買い」は 流行語にもなった
次に、例1、5、8に表現された助辞「は」の例文を見ることができる。
→例1 お目見えしたのは 1874年、とする
→例5 セブンイレブンは なぜこの名前なのか
→例8 イギリス東インド会社は もうけを分け合っていた
このようにしてみると、例7は書き手であるか、話し手であるかの表現のようである。
→例7 (わたしは)ロシアにもロシア人にも幻滅した
先の例1から10を文とすると、日本語の文の形は、上記の例の場合のように、名詞で句点を 打つものがある。文章単位の文とすると、それぞれは、次のようになる。
→例2 国立代々木競技場は (国立代々木競技場の)つり屋根がいまでも斬新だ 日本武道館は (日本武道館が)法隆寺夢殿を模した
→例3 きょうは (きょうのこよみが)冬至である
→例4 報告の義務は (報告の義務が)ナシ 返済は (返済が)不要である
→例6 ここは(ここが)東京の下町である
→例9 これは(これが)15世紀イタリアの画家、ボッティチェリの「聖母子」である
→例10 「爆買い」は (「爆買い」が)流行語にもなった ( )は筆者の補読、以下同じ。
すると、例7は「ロシアにもロシア人にも幻滅した」と言う主体に「わたしは」と読むこと ができるが、文情報にその主体が表わされないので、次の文、またはその文を持つ文章に見る ことになる。以上は、助辞「は」による、「-が」の指示を用いている。
次に、例文の一つ一つは文章の冒頭にあったもので、その冒頭文段とする段落を引用する。
段落を文段としては形式段をまず見るので、1-1とあるのは、例1を含め、その1段を示す。
1-1 わが国にはじめてサンタクロースがお目見えしたのは1874年、とする説がある。のち に「免囚保護の父」などと呼ばれる原胤昭(たねあき)が、キリスト教の洗礼を受けた感 謝を表すためクリスマスの催しを開いた際のこと、という。サンタ役は日本風の衣装をま とったそうだ。 (読み仮名は、原文のまま。以下同じ)
2-1 つり屋根がいまでも斬新な国立代々木競技場と、法隆寺夢殿を模した日本武道館。1964 年東京オリンピックを象徴する2つの施設は驚くべき突貫工事で完成した。工期は代々木
が1年半、武道館はほぼ1年だった。がむしゃらな、あの時代ならではの離れ業だろう。
3-1 きょうは冬至。北半球では最も昼の時間が短い。「一年の短さをいひ柚子(ゆず)湯か な」(岩井善子)。句のようにユズを浮かべた風呂に浸ったり、小豆入りのおかゆや煮たカ ボチャを食べたりして息災を祈る。この日を境に日脚が伸び始めるため「一陽来復」の別 称がある。
4-1 報告義務ナシ、返済不要。ただし基金に拠出したのが誰かは絶対に教えない。かつて こんなユニークな奨学金制度があった。運営する財団は約20年にわたり理工系の若手研究 者1735人を支援した。奨学生らの謎が解けたのは1983年、財団が解散したときである。
5-1 コンビニエンスストアのセブンイレブンはなぜこの名前なのか。由来がわからない若 者がいると聞くと時の流れを感じる。朝7時から夜11時まで店を開けるのは、日本に上陸 した1974年には画期的だった。今では24時間営業が当たり前となり店名にのみ名残があ る。
6-1 東京の下町。うまい魚と日本酒を出す居酒屋で独酌を楽しんでいたら、カウンターの 隣の席に座ったおやじが紫煙をくゆらし始めた。料理にも手をつけずプカリ、プカリ。本 人はご満悦の体だが、まわりはたまらない。せっかくの「孤独のグルメ」が台無しではな いか。
7-1 ロシアにもロシア人にも幻滅した。もう名文句やもったいぶった態度にはうんざりだ。
そう書いたのは「人間の絆」などで知られる作家サマセット・モームである。1917年、革 命が進行していたロシアに、英情報部の密命を帯び、潜入した体験がもとになっている。
8-1 1600年設立のイギリス東インド会社は、はじめは1回の航海のたびにもうけを分け合 っていた。まず船を借りたり乗組員の報酬を払ったりするための資金を集める。船がアジ アから物産を持ち帰ると、それを売って得たお金をすべて、出資の比率に応じて分配した。
9-1 15世紀イタリアの画家、ボッティチェリの「聖母子」。青いマント姿のマリアは、わが 子の未来の運命を思ってか伏し目がちだ。抱かれたイエスは振り返るように母を見上げて いる。表情はあどけない。大事な得意先から個人での礼拝用として発注があった絵画とい う。
10-1 流行語にもなった「爆買い」。一時の勢いは衰えたともいわれるが、その隆盛を同じ 国の若者はどう感じているのだろう。中国で日本語を学ぶ学生たちの作文集「訪日中国人、
『爆買い』以外にできること」が出版されたので読んでみた。彼らの日本旅行記が印象深 い。
文章の冒頭文に続く、文段に見える日本語助辞「は」について、上掲に同じく摘記すると、
次のようである。
→例1-1 サンタ役は 衣装をまとった
→例2-1 2つの施設は 完成した 工期は 武道館は ほぼ1年だった
→例3-1 北半球では 昼の時間が短い
→例4-1 誰かは 教えない 財団は 1735人を支援した
奨学生らの謎が解けたのは 1983年、財団が解散したときである
→例5-1 朝7時から夜11時まで店を開けるのは 1974年には 画期的だった 今では 24時間営業が当たり前となり 名残がある
→例6-1 本人は ご満悦の体だが まわりは たまらない 態度には うんざりだ
→例7-1そう書いたのは 作家サマセット・モームである
→例9-1 青いマント姿のマリアは 伏し目がちだ
抱かれたイエスは 母を見上げている 表情は あどけない
→例10-1 一時の勢いは 衰えたともいわれるが、その隆盛を同じ国の若者はどう感じてい るのだろう
以上を検討していくと、文章における助辞「は」の用法に、指示をして文を統一する機能が あることがわかる。それぞれの単位文における助辞「は」の引句、引詞とする用法が、文章の 内に文の表現を指示しているもので、文の意味連鎖をもって文章を統一している。
上記の冒頭段で助辞「が」について、「がは」とする用例がないのは、いわゆる主語が代行さ れている。「のは」「では」「かは」「には」について、それぞれをみると、次のようである。
わが国にはじめてサンタクロースがお目見えした(こと)⇔ のは 1874年(である)
サンタ役は 衣装をまとった ⇔ サンタ役が 衣装をまとった 北半球では 昼の時間が短い ⇔ 北半球で 昼の時間が短い 誰かは 教えない ⇔ 誰か 教えない
朝7時から夜11時まで店を開ける(こと)⇔ のは 1974年には 画期的だった ⇔ 1974年に 画期的だった
態度には うんざりだ ⇔ 態度に うんざりだ マリアは 伏し目がちだ ⇔ マリア 伏し目がちだ
これを文の種類で見ると、基本文の形式が単文、複文となって構造的に複合している。文章 の文は複数であるとするとらえ方に、実際には、文の複合体を見ることになる。
例1の「わが国にはじめてサンタクロースがお目見えしたのは1874年、とする説がある」に ついては、次のようである。この文型は動詞の存在文の特徴がある。
N1に N2が V(こと)のは N3 とする N4が ある
⇔ (((Nが Vの)は N)とする)Nが V ← 文型①、文型③が複合している 例2の「つり屋根がいまでも斬新な国立代々木競技場と、法隆寺夢殿を模した日本武道館」
については、次のようである。体言止めによる、文の書き出しである。
((N1が na-Aな)N2)と((N3を V)N4) ← 文型②、文型③が複合している 例8以下の例で、基本文の文型①、②、③のいずれかが、同様に複合している。
文章の形式 存在ありき
日本語文章の書き手によるスタイルについて、新聞のコラムを見ていくと特徴を挙げること ができる。次の例ではどうか。前節と同様に、日本語文章の冒頭文12の例である。
11 先週の水曜日の夜、パリでちょっとした異変が起きた。
12 腹の虫が治まらぬ。虫が好かない。虫の居所が悪い。虫が知らせる。虫が良すぎる…と、
日本語の表現では、「虫」が大活躍する。
13 六歳の女の子が何かを一生懸命に書いていた。
14 黄色は中国では高貴な色と聞くが、一種の無邪気さや陽気さを連想させる色かもしれな い。
15 どなたが名付けたか知らないが、日曜日の夕方になると明日からの学校や仕事を思い、
物憂げな気持ちになる「サザエさん症候群」というのは、なるほど当を得ている。
16 <どうしよう、ぜんぜん勉強してないよ>-。
17 「積ん読」という言葉は、世界に誇るべき日本語らしい。
18 ロシアのプーチン大統領は、遅刻魔である。
19 国会答弁の下書きに、人工知能(AI)はどこまで活用できるか。
20 白い首の輪が愛らしい渡り鳥シジュウカラガンは、絶滅危惧種だ。
この例では、11から13まで「異変が」「虫が」「女の子が」とあるように、基本文でいえば文 型③また②の「が」による書き出しである。それに対して、例17から20までは、「言葉は」「プ ーチン大統領は」「人工知能(AI)は」「シジュウカラガンは」と見え、文型①と②の書き出 しである。また、例14は、「黄色は」「中国では」と述べ、助辞「は」の機能で文を統一する。
→例14 黄色は 中国では 高貴な色(だ)と(わたしが)聞くが、(黄色が)一種の無邪気 さや陽気さを連想させる色(である)かもしれない。
そして、例15は「のは」を用いている。例16は会話の引用をしている文である。
冒頭の文をそれぞれ含めて、段落にして引用する。先のコラムの文章と違った書き手による 書き出し文のスタイルである。文章の単位に文段をみる。コラムには文段末尾の文に、原文で は段落を示す符号で改行を示すので、以下には句点を付す。
11-1 先週の水曜日の夜、パリでちょっとした異変が起きた。今の季節なら、美しく輝くク リスマスツリーのように花の都を彩るエッフェル塔の照明が消され、塔は闇に沈んだの だ。
12-1 腹の虫が治まらぬ。虫が好かない。虫の居所が悪い。虫が知らせる。虫が良すぎる… と、日本語の表現では、「虫」が大活躍する。いったい、この「虫」とは何なのか。
13-1 六歳の女の子が何かを一生懸命に書いていた。「それは何なの?」。おばあさんがこ う尋ねると、女の子は大声で答えた。「ウィッシュリスト!」。
14-1 黄色は中国では高貴な色と聞くが、一種の無邪気さや陽気さを連想させる色かもしれ ない。真夏の向日葵(ひまわり)、小学生の通学用の帽子が思い浮かぶ。
15-1 どなたが名付けたか知らないが、日曜日の夕方になると明日からの学校や仕事を思い、
物憂げな気持ちになる「サザエさん症候群」というのは、なるほど当を得ている。「定着」
して二十年ほどになるか。
16-1 <どうしよう、ぜんぜん勉強してないよ>-。中学や高校時代の恨み言を欠いても仕 方がないのだが、試験日が近くなるとこんなことを言い出す級友がいなかったか。
17-1 「積ん読」という言葉は、世界に誇るべき日本語らしい。オックスフォード大学出版 局は、「愛書家が知っておくべき十の言葉」の筆頭に、tsundoku(ツンドク)を 挙げた。
18-1 ロシアのプーチン大統領は、遅刻魔である。外国の首脳や外相を、三、四時間待たせ たこともある。
19-1 国会答弁の下書きに、人工知能(AI)はどこまで活用できるか。そんな実験に、経 済産業省が乗り出したそうだ。
20-1 白い首の輪が愛らしい渡り鳥シジュウカラガンは、絶滅危惧種だ。もちろん自業自得 で滅びへの道を歩んだわけではない。繁殖地であるアリューシャン列島に、人間が毛皮 生産のためキツネを放ったためだ。
例文を分析すると、文章に現れる冒頭文には次の文型が顕著となる。それは動詞文による、
基本文型である。例11-1「異変が起きた」、12-1「『虫』が大活躍する」、14-1「帽子が思い 浮かぶ」のように文型③が用いられる。
そして文章の展開の一つ、例15-1「どなたが名付けたか(わたしは)知らない」に続く「『サ ザエさん症候群』というのは」「なるほど当を得ている(ことだ)」と見える文は、(わたしが)
「仕事を思い」(わたしが)「気持ちになる」という文による、「((③1)②)、(③2-1、③2-2(③
1-2(①))」と、その文型が複合している。文型②は文型③の打ち消し文であってもよい。
文型①②③の組み合わせであるが、この場合の文型②と①とは、書き手の主語による文体と なって、「サザエさん症候群」を主題主語に、「二十年ほどになる」と話題を言う。次のように、
文章の「プレミアムフライデー」の主題が、「症候群」を承けている書き方である。
▼十年ほど前、同僚、この「症候群」の一種に悩まされた。「サザエさん」どころか、関東 エリアでは土曜日午前に放送される「ぶらり途中下車の旅」なる番組があり、そのテーマ 曲を聞くともう月曜日を想像し、落ち込むのだという。幸せなのは、仕事を終えた金曜日 の夜からその番組までの数時間。深刻である▼月曜日に向けた「憂鬱(ゆううつ)」は少し は和らぐか。経産省と経団連が旗を振る、「プレミアムフライデー」である
文章の形式には複合文が顕著である。しかし、その文に表わされることがらは、文連鎖とし て文章の内容でいえば、文型③がまず書かれていることがわかる。その動詞文に最初に位置す るのは、文型をたてて存在文とする、次である。
文型④ N1にN2が います/あります 動詞:居る 生物・静物、有る 無生物・動物 基本文では N1に場所をまずとらえているが、空間と時間を指示することで言い起す用法で ある。古文でいうところの「むかし、おとこ、ありけり」「今ハ昔ノ物語」となる。
文章の複合 「-は―が構文」
前節と同様に、日本語文章の冒頭文13の例である。日本語助辞「は」の用法記述を行う。
21 記者生活をふりかえって、グリコ・森永事件ほど無力感に沈んだ取材はない。兵庫県警 を担当したのは、捜査が行き詰まりつつあったころ。先輩から発破をかけられ、事件の舞 台の京阪神を走り回ったが、記事らしい記事は1本も書けなかった。
22 社会心理学に「正常性バイアス」という用語がある。事故や災害が起きたとき「きっと 大したことじゃない」と自らに都合よく解釈し、事の深刻さを見誤ることをいう。
23 故レーガン米大統領は1985年、当時のソ連を率いたゴルバチョフ氏との会談前、「ロシ ア人の心」を知ろうとある映画を熱心に見た。『モスクワは涙を信じない』。8回鑑賞した との話もある。
24 ポインセチアの原産地メキシコに語り継がれる民話がある。貧しい少女がクリスマスに 教会へ持って行く捧げ物を買えず、思い悩む。教会の裏手で草を摘むと、魔法のように一 瞬で紅色のポインセチアに変わり、少女を歓喜させる。
25 流れるバトンパスが日本中をわかせた。リオ五輪陸上男子400メートルリレー、「銀勇四 人(ぎんゆうしじん)」たちの37秒60は思い出すだけで胸が熱くなる。バドミントン女子 タカマツペアは大逆転で「羽願優勝(はがんゆうしょう)」の笑顔だった。住友生命が募っ た年末恒例の創作四字熟語で1年を振り返る。
26 おそらく無理だろうが、やってみる価値はあると考えた。日本の国会にあたる台湾立法 院の委員に当選した余宛如さんは、生後6カ月の息子のベビーカーを押しながら初登院し ようとした。入り口で制止されたが、大きな話題になった。今年2月のことだ。
27 青年画家と声楽家が、うそのスキャンダルを雑誌に書き立てられる。出版社を訴えよう とするときに登場するのが、志村喬(たかし)演じる弁護士である。ところが彼は被告と なる出版社から金銭を提供されて丸め込まれてしまう。
28 ローマではない。「すべての道はアレッポに通ず」という言葉がシリアの周辺にはあった という。中東現代史が専門の故・黒田美代子さんが書いている。世界最古の都市の一つで あるアレッポは、古くから交通の要所であった。
29 「逃げ恥(はじ)ロス」に陥る方もおられようか。TVドラマ「逃げるは恥だが役に立 つ」がおととい最終回を迎えた。夫婦とは何か、カップルとは何だろうと考えさせられた。
新垣結衣(あらがきゆい)さんと星野源(げん)さん演じる主人公の男女は、家事が給料 制の「契約結婚」をする。
30 どんぶり勘定の「どんぶり」とは丼鉢ではなく、職人の腹掛(はらが)けの前にある大
きなポケットのような物入れである。無造作にお金を出し入れしていたことから、その名 がついた。東京五輪・パラリンピックの費用の見通しは典型例だろう。
日本語助辞「は」の文章論文法の用法について、上記に沿ってみてみる。
例21は、「-のは」「ころ(である)」と、基本型の応用である。「―は―が」文型を派生して いる。「―ほど―取材はない」「記事は1本も書けなかった」について、ともに打ち消し例文に 用いられている。
例22は、助辞「は」は用いない。文章に存在文を持つ書き出しである。
例23「故レーガン米大統領は」「モスクワは」と人物名、地名を引いている。「故レーガン 米大統領は」に、大統領が「会談(する)」「知ろう」「見た」と関係する用法がある。
例24は、助辞「は」は用いない。文章に存在文を持つ書き出しである。
例25は「37秒60は」と、その記録をその表現通りに思い出すと、「胸が熱くなる」と述べ る。「―は―が」文型を構成する。胸を熱くしたのは五輪競技を観戦した人々である。その記 録に対して、「銀勇四人」の創作熟語に見る、その思いがあったのである。「37秒60秒(に)
は」という表現は、わたしがそれに胸を熱くしたことで、その記録において「37秒60秒は」と なり、「胸が」「熱くなる」思いをしたと表現している。
例26は、「価値は」と話題化する。「余宛如さんは」も人物について述べようとする。
例27は、助辞「は」を、例22、24と同様に用いない。文章に存在文を持つ書き出しである。
例28は「ローマでは」「すべての道は」「周辺には」「アレッポは」と、話題化、詞句を引 く、地名を「アレッポに通ず」と用い、それを承けて引いて、「アレッポが交通の要所であっ た」ことを含意する。
例29は、「逃げる(の)は」を「恥(である)」「役に立つ」と関係構成し、「夫婦とは」
「カップルとは」を引詞で用い、次の「男女は」に受けて、「―は―が」文型を派生している。
例30は、「『どんぶり』とは丼鉢ではなく」「物入れである」と関係する表現に、「『どん ぶり』と(いうの)は丼鉢(のこと)ではなく、物入れ(のこと)である」という文を構成し ている。「見通しは」を引き、「典型例だろう」として、「どんぶり勘定」の意味内容とする。
例25、29に見える「―は―が」文型と呼ぶのは、先に続く基本文でいえば、文型の5番目に かぞえるものである。
文型⑤ …wa…ga構文 典型例文:象は鼻が長いことよ 象は鼻が長いのです 文末に形容詞もつ文型を典型例文とするが、助辞「は」の用法で文型を派生する。
日本語とリカージョン
日本語は漢語を取り入れた言語である。そのころに和語また大和語があったと、そのように 推定すると、漢文訓読によって和語に漢文法をいれた、という仮説を立てることができる。そ の仮説では、その後の日本語には英語を受け入れ、英文法を範とした、とすることができる。
漢文を約 1600 年、そして欧州の諸言語を数百年前から順次、外来語としていれることにな り、さらに英文を約160年、それぞれから学び受け入れてきたことをもって、日本語は漢語を 学び、英語を学び続ける言語である、との考えをめぐらせることになった。
この仮説は、次の言語目標を何語にするかをもって、日本語が取り込む言語により、証明す
ることになる。言語にある固有語という捉え方のもと、日本語に在来である和語に対して借用 の漢語はどうか、外来語の言語はどうかと、その語彙の現象には層を重ねてきている。
文法では、本来の日本語文法に漢語文法を、そして英語文法をモデルに描くことになる。そ の漢語文法を範として助辞を明らかにしてきたのであるが、日本語助辞「は」については、テ ニヲハのこととして、接辞による語構成をする特有の言語現象であったとみることができる。
そして、文章にとらえる日本語助辞「は」について、その用法の中で「―は―が」構文をみ ると、文と文章に主語と主題をもつことがわかる。言語主体による書き手の文章中の表現をも ってすれば、そこにはまた人々が共有する、知ること、伝えることになる経験知識などがある。
それを取りだしてきて、表現の一つに上げているのが「―は―が」構文である。助辞「は」
による引句、引詞の職能によって、その文章における主題と、文における主語とを複合文にし て、表現内容を説明し、記述していることがわかる。
ここで言語現象の捉え方に、リカージョン14の視点を持つことになる。それによって日本語 は言語の階層を形成することになるが、もとより、日本語の現象に階層における再帰の語法が 形成されてきたか、それが固有語としてあったのであるか、それを考えることになる。
その役割を担ってきたのは、ひとつには文章における日本語助辞「は」の機能であり、係結 びの現象で「は」が分析されて、それを、取り立て機能として再帰する用法と見ることが可能 である。かつて、ピダハンの言語特徴を知り、日本語と再帰用法についてのことを、話題に取 り上げた15ことがあった。
言語現象に見る、Recursion16は、チョムスキーによって注目される言語現象17であるが、そ れに対して反論をしたダニエル・L・エヴェレット18によれば、言語の反復性を構造的に示さ ない言語があるという報告がある。アマゾン流域の民族、ピダハンの言葉である。
反復性つまり再帰は、チョムスキーのリカージョンに、人間言語に固有の要素という説を、
ピダハンの言葉が証明するかどうかで議論があった。ピダハン語19 の構造には関係節を欠いて いるという実験調査も行われた。その様子を取り上げた放送番組、「ピダハン 謎の言語を操る アマゾンの民」20 を視聴し、著作による報告と合わせ、日本語の再帰に興味を持った。
文章論文法 日本語助辞「は」
文章の日本語文法による分析は文についての議論を重ねてきている。ここに文章論文法を用 いて、日本語文章は複数の文からなるという定義について、新たに、文章は複数の複合した文 からなるとすることを述べた。複数の文は基本文をもち、複合した文は文章となって、まず存 在文を示す文章構成を持つことが分かった。言語主体による書き手の伝えようとする主題につ いて、助辞「は」の機能によって、文章にあらわされることになる。その助辞「は」が引く語 句には、読み手と書き手に共有する情報をもたらすべく、文章の表現内容となる。そして文章 における文に現れたリカージョンは、文構成を明らかにするだけでなく、その助辞「は」をも って文の職能すなわち文法機能により、文章の意味を統一していることがわかる。
注
1) 拙稿「日本語助辞Waの機能―文章論文法の記述―」『愛知淑徳大学論集―グロ ーバルカルチャー・コミュニケーション研究科篇』第7号、2015年3月。
2) 「文章法大要」は、日本語文法を品詞と文章に説明する解説である。岡田正美
(1871-1923)による『日本文法文章法大要』である。「日本文法」は文字を二 行に割っている。日本語文法研究書大成、平成13年6月、第8回配本、勉誠社 刊になる。元版は東京吉川半七発行、明治33年8月刊行のものである。凡例に よると、著者が行った、明治32年夏に国語伝習所夏期講習会での講義筆記録、下 石政之進の筆記による。
3) 日本語の統語論に、寺村秀夫によるシンタクスの議論が業績を残している。
4) 日本語文法論の形態分析に議論をした、恩師、宮地裕による、文論である。
5) 渡辺実『国語構文論』塙書房、1971年。
6) 拙稿「日本語主語の復権―日本語助辞「は」の職能(二)―」『言語文化』第20号、
2012年3月。
7) 文論の分析についての一つの試み: 雑誌『国語学』全文データベース -書誌情報-第43 輯 - 国立国語研究所 http://db3.ninjal.ac.jp/SJL/txtview.php cited:20161225
8) 文法用語に、大槻文彦、また草野清民による文法論に見える。また、松下大三郎の文 法議論であるが、原辞、詞と断句をもって日本語文法を議論しているのを、現代語文 法に引き継ぐ、浅野信「文法文章論」がある。
9) 大辞林 第三版の解説。>ぶんしょう【文章】〔古くは「もんじょう」「もんぞう」と も〕①話し手または書き手の思考や感情がほぼ表現し尽くされている一まとまりの統 一ある言語表現で、一つもしくは複数の文① から成るもの。一編の小説・評論・詩 などの類。講演や複数の話者による座談など音声言語を含めることがある。それ自体 で表現が完結しているものならば、和歌や俳句も文章といえる。②「 文① 」に同じ。
>ぶん【文】言語単位の一。①思考や感情を言葉で表現する際の、完結した内容を表 す最小の単位。多くは複数の文節によって構成されるが、「待て」「さようなら」の ような一語文もある。文字で表す場合には、通常、文の切れ目に句点「。」を打つ。
センテンス。文章。(以上、コトバンクによる。 https://kotobank.jp/ cited:20161225) 10) デジタル大辞泉の解説。>ぶん‐しょう〔‐シヤウ〕【文章】1 文を連ねて、まとま った思想・感情を表現したもの。主に詩に対して、散文をいう。2 文法で、文よりも 大きな単位。一文だけのこともあるが、通常はいくつかの文が集まって、まとまった 思想・話題を表現するもの。(コトバンクによる。https://kotobank.jp/ cited:20161225) 11) 日本経済新聞、朝刊コラム、春秋、2016年12月17日例1より26日例10まで。
12) 中日新聞、朝刊コラム、中日春秋、2016年12月14日例11より、23日例20まで。
13) 朝日新聞、朝刊コラム、天声人語、2016年12月14日例21より、23日例30まで。
14) https://ja.wikipedia.org/wiki/再帰性 cited:20170122 なお、注16を参照。
15) 報告「再帰用法について」第8回日本語研究会、愛知淑徳大学 2012年12月19日。
16) Recursion – Wikipedia In language
Linguist Noam Chomsky among many others has argued that the lack of an upper bound on the number of grammatical sentences in a language, and the lack of an upper bound on grammatical sentence length (beyond practical constraints such as the time available to utter one), can be explained as the consequence of recursion in natural language. This can be understood in terms of a recursive definition of a syntactic category, such as a sentence. A sentence can have a structure in which what follows the verb is another sentence: Dorothy thinks witches are dangerous, in which the sentence witches are dangerous occurs in the larger one. So a sentence can be defined recursively (very roughly) as something with a structure that includes a noun phrase, a verb, and optionally another sentence. This is really just a special case of the mathematical definition of recursion.
This provides a way of understanding the creativity of language—the unbounded number of grammatical sentences—because it immediately predicts that sentences can be of arbitrary length: Dorothy thinks that Toto suspects that Tin Man said that.... Of course, there are many structures apart from sentences that can be defined recursively, and therefore many ways in which a sentence can embed instances of one category inside another. Over the years, languages in general have proved amenable to this kind of analysis.
Recently, however, the generally accepted idea that recursion is an essential property of human language has been challenged by Daniel Everett on the basis of his claims about the Pirahã language. Andrew Nevins, David Pesetsky and Cilene Rodrigues are among many who that have argued against this.Literary self-reference can in any case be argued to be different in kind from mathematical or logical recursion.
Recursion plays a crucial role not only in syntax, but also in natural language semantics. The word and, for example, can be construed as a function that can apply to sentence meanings to create new sentences, and likewise for noun phrase meanings, verb phrase meanings, and others. It can also apply to intransitive verbs, transitive verbs, or ditransitive verbs. In order to provide a single denotation for it that is suitably flexible, and is typically defined so that it can take any of these different types of meanings as arguments. This can be
done by defining it for a simple case in which it combines sentences, and then defining the other cases recursively in terms of the simple one.
https://en.wikipedia.org/wiki/Recursion cited:20170122
17)「Chomskyは最近の論文において、反復性(recursion)のみが人類の言語能力を特徴づ
ける文法特性であるとしている(Hauser,M.D., N. Chomsky and W.T. Fitch 2004)。この 論文においては、反復しうる言語単位についてはつまびらかにされていないが、生成 文法では一般的に関係節や補文構造などの生成において、文(sentence)ないしは節
(clause)が反復するとされてきた。」題目:Functional definitions of clauses and sentences 講師:柴谷方良。以上は、2012年11月21日に行われた講演、要旨の紹介文による。
https://groups.google.com/forum/#!msg/linguistics-jp/XamT5A28_WQ/4WcHUtGWXukJ cited:20170122
18) そこでわたしはピダハン文法論の草稿に、ピダハン語には関係節は存在しないと書 いた。ところがある日、コーホイが魚獲り用の矢を拵えていて、矢尻に使う針が必要 になったときだ。コーホイは息子のパイターに向かって、「Ko paita, tapoa xigaboopaati.
Xoogiai hi goo tapoaxoaboi. Xaisigiai. コ パイター、タポアー イガポオパアーティ。
ウーギアーイ ヒ ゴオ タポアー オアーボイ。アイシギーアイ。(おい、パイタ ー、針をもってきてくれ。ダンがその針を買った。同じ針だ)」と言ったのだ。
<エヴェレット『ピダハン』屋代通子訳、316ページ>
リカージョンは従来、文のある構成要素を同種の構成要素に入れ込む力と定義され て いる(もっと数学寄りの言い方をすると、実行すると自分自身を参照するような 手順ないし命令系である)。鏡と鏡を向い合せて持つと、互いの鏡像がどこまでも果 てしなく見えるというのが、目で見るリカージョンの例だ。耳で聴くリカージョンの 例としては、フィードバックがある。アンプが自分自身の出力した音を拾い、増幅し てさらに出力し、それをまた拾って増幅し、延々と出力しつづけるような場合である。
これが一般的なリカージョンの例だ。統語的にはある語句の塊を、同じ種類の塊に 入れ込むことと解釈できる。たとえば「ジョンの弟の息子」という名詞句だ。これは
「ジョン」「彼の弟」「彼の息子」という名詞句を含む。あるいは「わたしはおまえ が醜いと言った」という文には、「おまえは醜い」という文が含まれる。
2002年、マーク・ハウザーとノーム・チョムスキー、テクムセ・フィッチが『サイ エンス』誌に、リカージョンは人間言語に固有の要素であると発表しリカージョンに 大変な重責を担わせることになった。三人の主張はリカージョンが言語の豊かさのカ ギであり、文法上リカージョンという形の上での技巧があるために言語は無限なく長 く、また無数の文を作ることができるのであるということであった。<318ページ>
仮にピダハンにはリカージョンがないというわたしの考えが正しいとすると、チョ ムスキーをはじめとする研究者たちは困ったことになる。リカージョンをもたない言
語がリカージョンこそ言語の決定的な要素であると言っている理論にどう収まるの かを考えださないといけなくなるからだ。 <320ページ>
ピダハン語にはリカージョンを示す声調上のしるしも、単語もなく、また文も長く ならない.
世界の諸言語には、ある構造でリカージョンが起こっているかどうか、つまり句や 節が別の句や節のなかに入れ込まれているかどうかを示すためのしるしがさまざま に存在する。そのようなしるしは必要不可欠というわけではないが、あるのが一般的 だ。こうしたしるしが、独立した一個の単語である場合もある。 <321ページ>
たとえば英語でI said that he was coming.という場合、he was comingという節がI said
…という文のなかに位置していて、he was comingが言われた内容である。そしてthat が、英語ではしばしばリカージョンを目立たせる補文標識として使われる。さて、コ ーホイが口にした関係節の複合文らしきものを見てみると、これは独立した三つの文 であり、三つ合わせて解釈することはできるけれども、どれかひとつの文が別の文の なかに組み込まれていると言えるような形跡はまったくない。
リカージョンのしるしとしてもうひとつよく用いられるのが、抑揚だ。意味の違い や、句や節を文相互の構造的な関係を示すために声の高低を使う。<321ページ>
19) https://ja.wikipedia.org/wiki/ピダハン語 cited:20170122
20) ピダハン 謎の言語を操るアマゾンの民|地球ドラマチック 2014/08/16 http://tvmatome.net/archives/514 cited:20170122
資料
日本経済新聞、朝刊コラム、春秋、2016年12月17日 例1より、26日 例10まで。
中日新聞、朝刊コラム、中日春秋、2016年12月14日 例11より、23日 例20まで。
朝日新聞、朝刊コラム、天声人語、2016年12月14日 例21より、23日 例30まで。
参考文献
岡田正美『日本文法文章法大要』明治33年、東京吉川半七発行。勉誠社、1991年復刻。
ダニエル・L・エヴェレット『ピダハン「言語本能」を超える文化と世界観』屋代通子訳、2012 年3月,みすず書房。
外池俊幸「回帰性と可能な文の数について」『言語文化論集』 XXXⅢ 第1号 http://ir.nul.nagoya-u.ac.jp/jspui/bitstream/2237/16178/1/tonoike.pdf cited:20170122 宮地裕『新盤 文論』明治書院、1979年。
渡辺実『国語構文論』塙書房、1971年。