使徒 的 とい うこと
‑ キ リス ト教倫理 の‑前提‑
持 田 行 雄
Wasist"Apostolisch"
?
‑ EineVoraussetzungderChristlichenEthik‑
YUKI OMOCHI DA
乗数的文献の理解
旧 ・新約 の諸書巻や古代の教父達の著作 などの ように宗教的信仰 を伝 える書物 (宗教的文献) は古代 の一般の文献 とは異なった性格 を持つ。独 自な信仰 を語 る文献 として一つの 「個性」 を持 つ といって よい。従 って, それ らを過去の一般の文献 と同等 に扱 うことは決 して我々を正 しい理 解 には導かないだろ う。
この ような宗教的文献の学問研究が
1 9
世紀頃か ら特 に ドイツで盛んにな り,
「宗教史学派」と呼 ばれる一つの大 きな流れ を形成 した。 この学派の文献理解の思想や方法は, ドイツか ら西洋やが て世界の全体 に大 きな影響 を与 えてい く。彼 らは古代のキ リス ト教の文献が持つ 「信仰 を伝 える 文書」 とい う特殊 な性格 を無視 して, それ らを同 じ頃に成立 した他の古代の文献 と全 く同等に取り扱 い, また,比較宗教 史的方法 を用いて, キ リス ト教の独 自性 を明 らかに しようとしたのであ る。
しか し,彼 らの研究は聖書 を他の古代 の文献 と同様 にみなす ことで,聖書研究の方法 などに大 きな進展 を見せ たが,かえって聖書 を過去 を知 る手掛か りになる資料 として取 り扱 ったために, それが我々に伝 えようとしている本質的 な内容す なわち信仰の何 であるか を取 り逃が し,信仰内 容 その もの を捉 えることは出来なかった。 そ して,結局,聖書 などの文献は信仰の 目を通 して書 かれた作品であるか ら,歴史上の出来事 を正確 に知 るための客観的な記銀 としては信頼 し難 い ち のである とい う事実 を追認 したにす ぎなか ったのである。
次に,宗教的文献の理解 について少 し考 えてみ よう。
1
).宗教的文献の書かれた 目的は全 く特殊 なものである。決 して過去 に起 きた出来事 の正確 な 記銀ではない。従 って,過去 を知 る資料 としての価値 には非常に乏 しい といえる。 しか し, この 自明の認識が宗教的文献の理解 には極めて重要である。 それでは一体,宗教的文献は何 のために 書かれたのだろ うか。第一 に,同 じ信仰 を持つ人々の集団内部の生活 を維持 し,団結 を強化す る目的 をもって書かれ ている。例 えば,教団の戒律 などを書 き留めた文書が これに当たる。記者や編者の所属集団の内 部的団結 を図 り,集団の存続 を維持す るこ とがその書かれた 目的である。
第二 に,対外的に自己の立場 を正 当化す る目的 をもって書かれている。例 えば,今の 自分達の 信仰は過去の歴史の中にその正 当な理由 を持つ とい う創設神話などを書 き留めた文書が これに当 たるo現在 の立場 を正 当化す る物語 を過去 に遡 って語 り,対外的に 自らの立場の正 当性 を主張す ることがその書かれた 目的である。無論,学術研究の場合 に も自己の信仰の正 当性 を主張す るた
めに書かれ る場合があるか ら,宗教的文献 に関す る研究書 などに もこうした傾向 を兄いだす こと がで きる。
第三 に, 自分達の信仰 を宣教す る目的 をもって書かれている。 多分,信仰上の文献が書かれ る 一番の中心 目的はこれだろ うo大抵の場合,宗教的文献の中心作品は,開祖 ・教祖の教説 を伝 え
る文書 として最初 に成立す る。
この ように,宗教的文献 は様々な目的 をもって書かれ るが, しか し,一般 に過去の出来事の正 確 な記録 を目指 さない以上, ここか ら,過去 を知 るための資料的価値 には極めて乏 しい とい う一 つの結論が得 られ ることになろ う。
2).それでは, それ らを書いた人 自身 を知 る手掛か りにはなるのだろ うか。宗教的文献 は「い ま ・ここ」 に現実 に存在す るか ら, それ らを通 して著者の人 とな りを知 ることは出来 るのだろう か。一般の文献 などの場合 には, その著者の人 とな りを探 り当てることも比較的困難ではないだ ろ う。 しか し,宗教的文献 などの場合,記者や編者は決 して 自分 自身 を語 ることを目的に しては いない。 また, 自己の意見や思想 を語 ることが彼 らの 目的であったので もない。彼 らには信仰が すべてであった。信仰のためには 自己の立場や考 えなどは無 にす ることが求め られていた。だか ら,彼 らは 自己を語 らない。信仰 を語 る。従 って,一般 に古代の宗教的文献 には,当然の ことな が ら筆者の署名が ない。誰が書 いたか などは書 く必要が なかったか らである。 自分の所属す る教 団の信仰 を語 ることが出来ればそれで十分 であった。無論,実際 に書 いているのは特定の個人 ま たはグループであったが, しか し,誰 もが 自己の所属す る教 団の信仰 を伝 えようと, 自己を無に して書 いている。
キ リス ト教徒 も自分ではな くて, 自分の中に宿 った神 の霊が書いている と信 じていた。実際に 書 いているのは人間であって も本 当に書 いているのは神の霊であるとい うのである。作者は神で あって人間ではなか った。 こ うして,宗教的文献 を通 して筆者の人 とな りを知 るこ とも困難であ るとい う結論 になる。
しか し,単 に宗教的文献ばか りでな く,一般の文書 に も多かれ少なかれ こうした困難 は付 きま とっている。例 えば,我々はゲーテが 『ファウス ト』 を書いた とい う事実 をよ く知 っている。 し か し,この確信 を本 当に実証で きるだろうか。多分,実証 など出来ないだろ う
(
1)。我々が現実 に確 認で きるのは 『ファウス ト』 とい う作 品の方だけであって,む しろ我々はこの作品 を通 してゲー テ とい う人間の誰であるか を知 るのであ り,決 してその逆ではない。事実,我々はゲーテの作品 を通 して しか彼の偉大 さを知 るこ とは出来 ない。彼の作品を通 して初めて彼の人物像 を描 くこ と が出来 る。我々か ら見 ると,決 してゲーテが 『ファウス ト』を書 いたのではな く,かえって 『ファ ウス ト』がゲ‑‑テ像 を描 くのである(2)O古代の文献か らその作者の人 とな りを知 ろうとす ると,必ず これに類 した問題 に付 きまとわれ ることになる。そ して, それが最 も典型的に現れ るのは宗教的文献の場合 であろ う。我々が所有 しているのは文献 その ものだけであるか ら,結局それ らを通 して筆者の人 とな りを知 るのは極め て困難 なのである。
3).さて,宗教的文献 を通 して史実 を知 ることも,更に,筆者の人 とな りを知 ることも同様 に 困難であるならば,一体宗教的文献 を読む ことにどの ような意味があるのだろ うか。 この意味へ の問いは,宗教的文献 を歴史学的な視点か らではな くて,倫理学的な視点か ら理解す る方向 を示 唆す る。次 に, この問題 について少 し考 えてみ よう。
3‑A) .
た とえ記者や編者の人 とな りは分か らな くて も, その彼が属 していた教 団の信仰の特 質すなわち信仰の何であるか を理解す ることは出来 るのだろ うか。宗教的文献 は信仰の書である か ら, それ らを通 して信仰の何であるか を理解す るこ とは比較的簡単であるかの ように見える。このや は り歴史学的な視点か ら来 る問いは正 しいのだろ うか。果 た して本 当に信仰の本質は理解 され るのだろうか。 ここでは 「信仰 を語 る」 とい うことが何 を意味 しているか を考 えてみ る必要 があろ う。
信仰は一般的に語 られ得 る。 この場合,不特定 多数の人々が対象になる。何時か誰かが読んで 理解 して くれることを期待 して語 るのである。 しか し,古代の宗教的文献の場合, その ような語 り方は殆 ど採 られていない。信仰 を後世 に語 り伝 えることではな くて,特定の相手の心 を動か し, 相手 を改宗 させ ることが 目指 されているか らである。語 る目的は,語 りかけられた人が,それに
よってその信仰 に同意す るとい うことにある。単 なる語 りかけではない。だか ら,こうした場合, 信仰 を出来 るだけ正確 に語 るよ りも,む しろ相手の心 を揺 り動か して, 自分達の信仰 に改宗 させ る方が 目的になる。相手 を自分達の信仰の中に組み入れ ることがむ しろ問題 なのである。しか し, そ うなると,その時の語 り方は,相手の誰であるかに応 じて,神話的になった り奇跡物語的になっ た りす るこ とだろ う。すなわち,常 に特定の人々に対 して語 るのだか ら,相手が誰であるかによっ てその語 り方 も規定 されてこよう。例 えば,相手が幼稚 園児である場合,彼 らにカン トの倫理思 想 を講義す るなどとい うことは,お よそ無意味 なことである(3)。た とえそれが どれほ ど大切 な真理 であって も,相手に理解で きる内容 を理解で きる方法で語 らなければならない。聞 き手の誰であ るかが語 り方 を規定す るのである。
しか し, そ うなると,表現 された内容が必ず しも表現 した人の信仰のすべて を正確 に伝 えてい るとは限 らないだろ う。語 る者が優れた思想の持 ち主で も,聞 く者がそれ を理解す る能力 を欠 く 場合 には, 当然,相手にふ さわ しい内容 だけを語 ることになる。従 って,文献 として残 された内 容がほんの一部分だけにす ぎない とい うの も十分 にあ り得 ることである。 こうして,宗教的文献 は信仰の書であるか ら, それ を通 して筆者の信仰が理解で きるとい うことには必ず しもならない のであって, そこに語 られた信仰の内容か ら真の信仰 を理解す ることもまた極めて困難 なのであ る。
3‑B).それでは,宗教的文献か ら一体何が理解で きるのだろ うか。無論,著者の信仰の全貌 ではない。む しろその信仰 を広め るためにそこに注 ぎ込んだ人々の努力の跡が理解 され るのであ る。すなわち,相手の誰であるかに応 じて 自分達の信仰 を伝 えようとした,その彼 らの努力の何 であったかが知 られ るのである。この ような努力の行為 の痕跡が宗教的文献の伝 えるものである。
我々は宗教的文献の中に,信仰の宣教 に注 ぎ込 まれた人間的努力の痕跡 を兄いだす ことが出来 る。
しか し,聞 き手の誰であるかによって宗教的文献の語 り方が規定 され るな らば,時代や場所な どによって も当然その語 り方は変 わってこよう。我々のテキス トにはそ うい う努力の痕跡 もまた 現れている。
従 って,聖書の ような宗教的文献は,ある特定の時期 にすべてが一挙 に完成 して, それ以来手 を加 えられていない といったような文書ではない。む しろそれぞれの時代の必要 に応 じて,様々 な解釈が加 えられた り,不要 な箇所が削除 された り,神話的あるいは物語的な説明などが付加 さ れた りして,絶 えず形態的にも内容的に も新 しく形成 されて きた。(現在,聖書の場合,各部分 の 様式史が明 らかにされつつある。 また, 多様 な諸 「信条」の現存について も思 うべ きだろ う)。
3‑C) .
しか し,我々の問題 は文献の多様性 とい う点にではな く,む しろ次の点にある。語 る者 と聞 く者 との間の相互関連の中で絶 えず新 しく生 まれた諸文献はその都度保有 されて, 時間的には縦並べ に成立 している。 しか し,我々はそれ らの文献のすべ てを実際には一度 に横並 べ で見 ることになる。例 えば,聖書の場合,ある部分の成立は非常に古 く,他の部分 の成立は もっ と新 しい。 しか し, それ を研究す る場合 には,各構成部分が一挙 にすべて横並べ に我々の 目の前 に置かれ る。そ うなると,当然,本来縦並べで成立 したテキス トの全体 を横並べで研究す るため
に,各部分 間の記述上の矛盾や対立が 目につ くことになる。 そこで, こうした問題 を解決す るた めに,横並べ を縦並べ に直 して,時代的古 きや使用場所や伝泉 を担 った人々などによって全体 を 区分 け していこうとい う研究が成立 した。 この努力は,聖書研究の場合,様式史研究や編集史研 究 として展開 している。
確かに, この ような研究 を行 えば矛盾や対立 を解決 した納得のい く説明 をす ることが出来 る。
しか し, それは どこまで も歴史学的な研究であって,信仰の書 を取 り扱 う場合 の問題 はまだ残 っ ている。事実,我々の問題 は,む しろ絶えず歴史に新 しく自己を表現 して きた信仰のそれ 自体 を 理解す ることにある。 それは また,我々の手元にある宗教的文献 を, まさにその ような文献へ と 生み出 して きた根底の信仰が何であるか を探 り当て ることで もある。我々は,横並べで見 ると結 果的には矛盾 ・対立 す る表現 を様々に生んで きた根底の信仰,その信仰の何であるか を探 らなけ ればな らない。 この信仰 こそが まさに人間的行為 を引 き起 こし, その努力の痕跡 を歴史に造形す る原動力になった信仰 だか らである。
3‑D) .
無論, この研究は,例 えば,新約各書の様々な矛盾や対立 を解決 しなが ら, そこに描 かれたイエス ・キ リス トとい う人間の生涯や人 とな りを知 ろ うとす るような研究ではない。出来 るだけ古 い過去 に遡 った り,伝承編集者の思想や信仰 を調べ た りして,イエスに関す る記述の様々 な矛盾 ・対立 を解消 し, そこに描かれたイエス とい う歴史上の人物の本来の姿 を探 り出そ うとす る。因よ りそ うした研 究の方向 も一つあってよい。 また, なければならない。 しか し,我々が倫 理学的な視点か ら問題 にす るのは,む しろそ うい う矛盾 ・対立す る諸表現 を生み出 させ たキ リス ト信仰の何 であるか を知 ろ うとす るこ とである。新約文書 に描かれたイエス ・キ リス トとい う人 間の誰であるかではな くて,新約文書 を描かせ たイエス ・キ リス トとい う信仰の何 であるか を探 る。その ことが我々には求め られている。聖書の ようなテキス トの理解 は, この方向か ら行 わな い限 り,決 してそのテキス トの事態 に即 した正 しい理解 にはならないだろ う。3‑E).無論,我々は,新約各書 を描かせ たキ リス ト・イエス とい う信仰 それ 自体 は歴史の流れ の中にあって も決 して変化す るこ とがなか った と考 えなければな らない。確かに, この信仰は歴 史に自己を現す時,様 々な表現 を取 ることだろ う。 そ して,それ らを横並べで見 る と, そこには 様 々な矛盾や対立が 目立つ こ とに もなろ う。 しか し,その根底 にあって働 き続 けているキ リス ト 教信仰 それ 自体 が変化 しているわけではない。 た とえ歴史にその発端 を持つ として も,以来ずっ
と歴史その もの を形成す る原理 として歴史の中に働 いて きた。その働 きによって生み出された歴 史的形成物が時には矛盾 ・対立す る結果 を引 き起 こし, その表現の ままで現代 にまで至 ったか も 知れない。しか し,その根底 に働 く信仰 自体 は変 わることな く歴史に働 き続けている(4)。すなわち,
それぞれの時代や場所 に自己を実現 して 「働 く」信仰 それ 自体 は,世界史に登場 して以来,変わ ることな く人間の精神 に働 きかけているのである。従 って,我々はこの歴史に働 き続 ける信仰の 何であるか を理解 し, そ して,次 に, その働 きが我々 自身に も及ぶか否か とい う問題 と対決 しな ければならないだろ う。 ここに至 って初めて真の意味の 「信仰の理解」が成立す るのではなかろ うか。
4).前世紀か ら所謂 「歴史主義」の考 え方が盛んにな り,すべ ては歴史的に変化す るか ら, そ の変化の過程 を出来 るだけ正確 に捉 えるこ とが古代 の文献 などを研究す る学問の最 も大切 な仕事 である とされて きた。 しか し,我々に大切 なこ とは,む しろ変わるものの中にあって変 わ らない もの,絶 えず変化す る もの を生み出 しなが ら, それ 自体 は変化 しない もの ・恒常的 なもの ・典型 的 なもの を兄いだす こ とだろ う(5)。そ して,宗教的信仰は まさにそ うい うもの として考 えられてよ い。その信仰の何であるか を考 えなければならない。
4‑A).宗教的文献 を読む場合,我々は何 よ りも先ず次の点に注意す る必要がある。すなわち,
そこに語 られているのは決 して史実の記録や個人の信念 などではな くて, どこまで も信仰 その も のであるとい う点である。だか ら,信仰の理解がすべての出発点になる。
例 えば,宗教的文献の中に しば しば見 られ る常識的判断では理解で きない神話的説明や奇跡的 物語 などは, その文献 を理解す る場合,大 きな障害 になると考 えられて きた。 その結果,単 に古 代の迷信 にす ぎない とか,精神異常的な妄想であるなどとしてその文献全体 を片付 けて しまう場 合が多かった といえる。
無論, こ うした方向は我々 を正 しい理解 に導かないだろう。著者は 自分達の信仰 を広め ようと 書 いている。つ ま り,彼 らは決 して奇跡的な,または神話的な出来事 を体験 したか ら,だか ら我々 は信 じたなどと語 っているのではない。丁度 その反対 に,彼 らは我々の信仰 をあなたがた も持つ ならば, この ような奇跡が起 こるだろ うと説いているのである。従 って,先ず信仰があ り, そ し て, そこか ら生 じた結果が信仰の無い人々か ら見 ると奇跡 としか見 えないような出来事 なのであ る。
宗教的文献 を書 き残 した人々はすべ て何 らかの意味で信仰者である。彼 らは決 して何か奇跡的 な体験 によって救われたか ら信 じたなどと書 いているのではない。丁度 その反対 に,信 じたか ら 救われた 自己の救 いを先例 として,その福音 を他 に伝 えようとしているのである。奇跡 を見て信
じるのではない。信 じて行 った行為 の結果が奇跡になる。そ して,その結果の表現が神話や奇跡 物語 などになる。す なわち,彼 らのテキス トは,信 じれば救われると語 っているのであって,救 われたか ら信 じたなどと言 っているのではない。 この先後関係 を明確 に把握 しない限 り,宗教的 文献の正 しい理解 は困難 になるだろ う。
4‑B).信仰は 「ロで告 白」 されなければならない (ロマ
1 0:1 0)
。 それは聞 き入れ られ ること を目指す。信仰 を語 るこ とは同意 を, そ して改宗 を求め ることである。従 って,信仰 を語 る言葉 はその内容 の分析や解釈 を期待 しない,か えって応答 を期待す る。宗教的文献は読者の応答 を最 初か ら前提 して書かれた書物である。だか ら, これの理解 には何 よ りも先ずそのテキス ト‑の応 答が不可欠 になる。読者は必ず 自分のテキス トに対 して応答責任的な存在でなければならない。そこにこの研究の持つ他 に見 られない倫理性がある(6)0
上 に見たように,古代 の宗教的文献の中には不特定多数の者に一般的に語 っている文書 などは 殆 どない。いつ も目の前の相手 に語 りかけている。 イエス もまた 目の前の人々に向かって語 りか けた。 そ して,聞 く者にはそれ‑の応答が求め られていた(7)。
従 って,本小論の以下では次の ことが 目指 され よう。すなわち,世界史の中に一度出現 して以 後 は一貫 して変 わ らず,時に強 く時に弱 く歴史の形成力 として働 きなが ら, しか し,結果的には 矛盾 した り対立 した りす る様 々な表現 を歴史の中に残 して きた信仰, この信仰の何 であるか を考 え, そ して, この信仰 に人間は どの ように応答 して きたか を歴史の痕跡の中に探 り出 してい く。
そのこ とを目指 して本小論 は進め られ るこ とになろ う。
信仰告 白における 「使徒性」
キ リス ト教が世界史の中に登場 して以来, その倫理の 「何であるか」は今 日まで絶 えず追及 さ れ, 多分,今後 も追及 されてい くだろ う永遠のテーマの一つである。以下ではその キ リス ト教倫 理の一つの前提 と思われ る 「使徒的 とい うこと」 について考 えていこう。
キ リス ト教がその 自己形成の過程 に創造 した多 くの独 自な ものの中で,次の三つは特 に代表的I である。す なわち,一に.,信仰告 白の形成,二に,新約正典の編成,三に,教会理念の確立であ る。キ リス ト教 は この三本の支柱の上 に中世のキ リス ト教 を構築す るが, これ らの創造には常 に
「使徒的」か否か とい う選択の原理が働 いていた。 しか し, この 「使徒性の原理」 とは何であっ たのだろ うか。
本来,信仰 を告 白す るとい うのは, イエス ・キ リス トに対 して 自己の信仰 を言葉 に表現す るこ とであったか ら,従 って, それは全 く個人的な ものであった。 しか し,教会は後 に教会全体 に共 通 した信仰 内容 を成文化 して,それ を 「信仰告 白」 と呼 んだ。従 って, この言葉は二重の意味 を 持つ。一つは,信仰者がそれぞれ独 自に行 う告 白であ り,他 の一つは,信徒の所属集団に共通 な 成文化 された告 白であるO無論,我々に問題 なのは,教会が独 自に定式化 した信仰告 白の方であ
る。
信仰告 白は,普通 「私 は信 じます」を意味す るラテン語の
Cr e do
か ら始 まるので 「クレ ド」 と 呼 ばれ,
「信 条」 と訳 され る。 また, キ リス ト教 信仰 を要約 的 に シンボ ライズ して い るか らSymbol u
m とも言い,無論,
「告 白す る」か らConf e s s i o
とも言 う。現在, キ リス ト教世界 には様々な教派が存在す るが,信条は自分達 に共通 な信仰 を成文化 した ものであるか ら, どの ような教派 も独 自な信条 を持つ。 しか し, それ らの中に も幾つかの基本的 な信条があ り, そ して,特 に最 も基本的な信条 とされている信条,従 って,諸信条 を集大成 した
「信条集」では必ず最初 に置かれ る信条がある。それは,歴史的に も貴 も早 くに成立 した と考 え られ, その後の諸信条の制定の基礎 にされた信条であ り
,
「使徒信条」 と呼ばれている。無論, これ以前 に も実際 にはこれに近い告 白文が存在 した。洗礼 式の際の告 白文であったが, 凡そ
2
世紀頃( 1 5 0
年以後)にローマで使用 されていた と思われ る。使徒信条はこの古 ローマ定式 の告 白文 に多 くの語句が付加 されて作 られた。例 えば,第一項 目(
「神」項 目)の中の 「天地の造り主」の句は古 ローマ定式の告 白文 にはなかった ものである(8)0
使徒信条 は,既 に
4
世紀頃,西方の諸教会 に普及 していた。洗礼式に とい うよ りも,む しろ ミ サ典礼 に使用 されていたようである。中世以降には更に広 く用いられて, これに基礎 を置いた多くの信条が制定 された。
因よ り使徒信条が これほ ど大 きな権威 を持 ち得 たのは,単 にこの信条が歴史的に古いか らだけ ではない。む しろ特別 な権威が付与 されていたか らである。 この信条は
,
「使徒信条」と呼ばれる ように,イエスの弟子達 の中で も特別の地位 にあった使徒達 が造 った信条であ り,従 って,信仰 の最 も本質的な内容 を伝 える信条であるとい う。 こうした理解が使徒信条 にその後の諸信条 に対 す る特別 な権威 を与 えていたのである。その ことを最 もよ く伝 える伝承 が残 されている。数 多い使徒的起源説の中で
「 1 2
節区分説」 と 呼ばれ る伝東がそれである。今では単 なる伝説 にす ぎないが, しか し, 多分1 7
世紀中頃 まで長 く 史実 とされていた。単 にカ トリックばか りでな く,プロテスタン トの人々 まで, これ を信 じてい た とい う。広 く行 き渡 って いた伝承 であった といえる(9)0次 に
1 2
節区分説の大体 を見 よう。使徒信条 は,使徒達がペ ンテコステの 日にエルサ レムで聖霊 を受 けて造 った。 あるいは,福音 の世界伝道 に別れて出発す る前に造 った とい う。 しか もその際, 自分達が伝道す る信仰内容の統 一性 を確保す るために,各人がそれぞれの条項 を一つ一つバ ラバ ラに提 出 して全体 を構成 した と い うのである。
時代が下 ると,全文 を1
2
節 に区分 して, その一つ一つ を12
使徒の一人一人に割 り当てた伝承 も 現れた(10)O例 えば,1 2
弟子がペ ンテ コステの E]に集 まり(または,別れ る前に),聖霊が彼 らの中 に宿 ると,霊感 を受 けたペ テロが初めに,使徒信条の冒頭の言葉す なわち 「私 は全能の父である 神 を信 じます」 を言 った。次 にアンデ レ (または, ヨ‑ネ)が 「神 の唯一の子である私達の主イ エス ・キ リス トを信 じます」 と続 けた。 この ように続けて,最後 に12
人 目のマ ッテヤが 「永遠の生命 を信 じます。アー メン」 と結んだ とい う。
しか し,古 ローマ定式の告 白文 は11節に しか区分 で きず,後の公認本文 も区分す ると結局 は
1 6
節になる。 どちらも
1 2
節 には区分 で きない。最初は多分,1 2
人に配分 しない形で伝 えられていた のだろ う(ll)。 しか し, この伝承 は長 く続 き, これ を真実の伝承 と信 じる人々が1 9
世紀頃 まで存在 していた とい う。使徒信条の使徒的起源 を初めて問題 に したのは
1 5
世紀のLa u r e n t i u sVa l l a
である。続いて1 6
世 紀にはEr a s mu s , Ca l vi n
が この間題 を取 り上げた。今では使徒 に起源 しないことがはっきりして いる。その理由 を上げてお こう(12)。1).最 も中心的な信条 を全 く機械的に構成す るなどとい うことは殆 ど考 えられない。また,他 の信条の歴史にこれの類例 はない。
2).聖書の中に何の記述 もない。ペ ンテコステの 日及びその後の伝道への旅立 ちの様子は使徒 行伝 などの記述 によって推測 され るが, その どこに もこれに関す る言及はない。
3).使徒信条 に高い権威 を与 えている使徒教父,ニカイア会議前後の教父,当時の宗教会議が これについて何 も語 っていない。
4).使徒信条 に類似 した多 くの他 の信仰告 白や信仰規則が同様の権威 をもって併有 し
,8
世紀 頃まで多様 な形で残存す る。 この信条だけが唯一の権威 ある信条ではなか った。5).東方教会 はこの信条 に西方教会が認め るような高い地位 を与 えていない。東方ではニカイ ア信条が使徒信条 と殆 ど等 しい地位 にあった。使徒信条が真 に使徒 に起源す るならば,貴優先的 に重要視 されたはずである。
これ らの理由か ら,現在 この信条の使徒的起源は (信仰の立場 は別 として)学問的には否定 さ れている。 ある特定の時に一挙 に今の形になったのではな くて,長 い歴史 を経て様 々な変更後に 形成 された もの と思われ る。
しか し,今,問題 なのはこの伝承の史実性ではない。む しろ我々はこの ような伝承が生 まれた 背景 を問題 に しなければならない。使徒 がいかに高 い権威 をもっていたか を考 えなければな らな い。教会 は使徒達 を合作の著者 にす るこ とで,この信条 に車高の権威 を与えた。すなわち
,
「使徒 的」伝東 を最高の規範 として固定 し,すべての伝泉 をこれに従 わせ たのである。従 って,我々は この区分説が虚構か否かの問題 よ りも, この伝泉の存在 を通 して,使徒 がいかに重視 されて きた か, また,
「使徒的である」ことがいかにキ リス ト教信仰 に本質的 なことであったか を考 えなけれ ばならないだろ う。無論, この伝東 には 「使徒的である」 ことの偉大 さの限界 も現れている。使徒の 中の誰一人 と してキ リス ト教伝承全体 の使徒であるこ とは出来なかった。各々の使徒が伝承の一部分 だけの使 徒 であった。だか ら,使徒 は最高の権威 を与 えられなが ら, なおイエス と異なって信仰の対象に
されることはなかった。 また,使徒か ら宗派や学派が成立す ることもなか ったのである。
新約正典における 「使徒性」
新約各書が正典 に定め られた時,正典 とそれ以外の文書 (外典) とを分 けた原理 も,やは り当 該文書が 「使徒的である」か否か とい うこ とであった(1
3 ) 。
キ リス ト教が ローマ世界に進出 した頃か ら盛んに多 くの文書が書かれたが, それ らの中か らや がて四つの福音書 と一つの歴史書 とパ ウロなどの手紙 と一つの黙亭銀 の都合
2 7
の文書が正 しい信 仰の基準 として選出された。 (この基準 を意味す る語がka no n
である。通常 「正典」と訳す)。多 くの文書の中か ら特 に2 7
の文書が信徒の信仰 と生活のka n o n
として選ばれたのであ り,その時の選出の原理がやは り 「使徒的」伝承 の原理 だったのである。
新約
2 7
文書 中,最 も早 く成立 した文書はパ ウロの手紙の第一テサ ロニケ書 (多分5 0
年頃)であ り, また,最 も遅 く成立 した文書 は第二ペ テロ書 (多分1 5 0
年頃)である。従 って,新約書は約一 世紀間に成立 した文書の集 ま りであることになる。当然,一人の人間ではな くて,様々な人々の 手 を経ている(14)。イエスの弟子達が
1 0 0
年以上長 く生 きた とは考 えられない。しか し,新約各書のすべてが何 らか の形で使徒 に関係付 け られた。従 って, この場合の 「使徒」はかな り広い意味 を持つ。先ず,1 2
人 (
?
) を中心 に したイエスの直弟子達すなわち生前のイエスに直接 出会 って彼 に従 った人々, 次 に,パ ウロやバルナバの ような異邦人伝道者達すなわち生前のイエス と直接の面識はないが, 復活 したキ リス トに福 音の伝道 を委託 された召命体験 を持 ち,異邦人世界に福音 を伝 えた人々, また,そ うい う人々の弟子達である。(使徒の弟子は明確 に区別 され る場合 もある。その場合,級 らは 「使徒 の人」 ( hoa po s t ol i kosan6 r )
と呼ばれる(15)O無論,使徒の弟子 といって も,使徒 と 殆 ど同世代の人々であ り,例 えばパ ウロの伝道旅行 の同行者の ように,本来の使徒 と一緒に活躍した人々であった。
一般 に,古代 の文献では著者名が明示 されていない 「無名文書」か, あるいは,著者名が真実 でない 「偽名文書」である場合が多い。新約
2 7
文書 もその殆 どがこの無名か偽名の文書である。無論,パ ウロの手紙の ように差出人の名が明記 されている文書 もある。 しか し,それ らの中には 後 になってパ ウロの手紙で もあるかの ように彼の名が書 き加 えられた文書 もあ り, また,手紙の 形 を取 りなが ら,実際 には手紙でない文書 も含 まれている(16)。
新約書の最初 に置かれたマ タイ,マル コ,ルカ, ヨ‑ネの四福音書 も, それ らの人達 が書 いた とされて,各文書がその名 によって呼ばれるが,一つ として著者名が明記 されているものはない。
本来は福音 を伝 える文書 とい う意味か ら単 に 「福音書」 と呼ばれていた。
新約各書は,一体誰が書 いたのだろ うか。 この間題が文献 に初めて現れ るのは「パ ピアス文書」
か らである。 これに新約文書の著者名問題が初めて取 り上げ られている。 この文献 は
2
世紀の も のだか ら,著者名問題 は原始教 団時代か らかな り後 になって生 じた問題 であった といえよう(17)0何故新約書は匿名で書かれたのだろ うか。
1
).新約各書には後代 に何か を残すために書かれた文書は一つ もない。自分達 の所属す る教団 の信仰 を伝 えるために書かれた ものばか りである。従 って,誰が書いたなどと特別 に言 う必要は な く,信仰が正 しく伝 えられ るならば誰が書いて もよかったのである。2).新約各書の殆 どの著者が本 当に書いているのは 自分ではな くて神 または神の霊であると考 えていた。古代 の信仰 によれば,言葉 は人間ではな くて神が語 るものだったか らである。事実, 一般 に も,古代の文献 などには, 自分 でな くて,神の霊が語 り,神の霊が教 えているとい う考 え が豊かに現れている。
3).真の著者 を神 または聖霊 とみ るこの考 え方は歴史の中に長 く続いてい く。例 えば
,2 0 0
年 頃 ローマで作 られた新約文書 目鼻表の 「ムラ トリ断片」の中に も, また, 7
世紀のイン ドルスの 作品の中にさえ, この ような考 え方 を兄いだす こ とが出来 る(18 ) 0
結局,著者 を神の霊 と信 じていた者 には著者名 を明記す る必要がな く,個人の誰であるか も問 題 にはならなか った。従 って,マ タイ とかマル コとかの個人名が考 えられて くるのはその著作期
を過 ぎてか らの ことである。
しか し,我々の問題 はむ しろ次の点 にある。すなわち,後か ら付 けられた著者名が必ず上 に見 た 「使徒」 グループの中の誰かであったことにある。著者名 にはすべ て使徒の名が採用 された。
使徒以外の者はいない。「使徒」であることが どれほ ど大 きな権威 をもっていたかが理解 され よう。
文書の使徒性 は信仰の権威その もの を意味 していたのである。
この ように,著者名 に使徒 の名 を持つ ことが当該文書の真正性の証拠であった。 多分,最初 は 作品の内容 に権威 を与 えて信頼度 を高め る印の一つ として使徒の名 を用いたのだろ う。 しか し, やがて便徒名の有無 によってその文書の真偽性 を判定す るようにな り,遂 には偽名 さえも援用す るようになった もの と思われ る。事実,使徒 の名は新約文書以外 にも多 く利用 された。例 えば,
2
世紀の初めか中頃に教会の規程や教訓 を書 いた 「デイダケ‑ (教訓)
」とい う作品は,現在,正 確 に言 うと 「十二使徒 による異邦人への主イエス ・キ リス トの教 え」 とい う長 い名称 を持 ち,過 常 「十二使徒の教訓」 と呼ばれている。 ここで も使徒の権威が利用 されているのである。使徒の名 を用 いた書簡体の文書 も多 く書かれた。当時は「パ ウロか らコ リン トの教会へ」といっ た形式の書 き出 しが普通だったか ら,手紙形式の場合が最 も使徒の名 を利用 し易かったのだろう。
例 えば
,1 4 0
年か1 7 0
年頃の作 品であるEp i s t u l aAp o s t o l o r u m
(使徒達 の手紙)は,
11人の使徒団 か ら仝教会 に宛てた書簡の形式 を採 っている。結局,新約各書はすべ て使徒 または使徒 の弟子の作 とされているが, そ うした文書の使徒性は (パ ウロの手紙 を除けば),その殆 どが後か ら付加 された作為 的な特性 であるこ とが今 日では明 ら かにされている。現代の学問は各文書の著者の使徒性 を必ず しも承認 してはいない。む しろ否定 す る方向にある。
しか し,我々の当面の問題 は新約各書か らその使徒性 を剥奪す るこ とにあるのではな く,む し ろ教会が多 くの文書の中か ら
2 7
文書だけを信徒 の正典 に定めた際 に採用 した 「信徒 的」 とい う規 範が,いかに絶対的な権威 をもっていたか を確認す ることにある。すべ ての古代の文書が 「使徒 的」 とい う規範 に従 って正典か外典かの取捨的な選別 を受 けたのである。 この規範の強力 さを思うべ きだろ う。
教会理念 における 「使徒性」
教会制度の確立に も,やは りこの 「使徒的」 とい う原理が重要 な係 わ りを持 っていた。単 に刺 度的確立の場合 だけでな く
,
「教会」とい う理念すなわち教会制度の確 立の根拠 になった教会理.念 その ものの形成 において も「使徒的」であることが更 に決定的な役割 を果た している。例 えば‑ ,1
).四福音書 中,マ タイによる福音書 だけに 「教会」の語が現れ る。1 6:1 8
と1 8:1 7
の2
ヶ所 に3
回である。ここでは使徒ペテロと教会理念 とが結び付 けられている。例 えば,1 6:1 8
には「あ なたはペテロです。 あなたの岩の上 に私の教会 を建 てましょう。」とい う言葉がイエスの言葉 とし て現れ るが, これによって教会理念の形成 に 「使徒」が重要 な役割 を担 っていたこ とが よ く理解 され よう。2).
3
世紀前半, ローマで長老職 にあったHi p p o l y t o s ( C .1 7 0 ‑2 3 5 / 3 6 )
が2 1 5
年頃に書 いた『使徒伝承
』( Tr a di t i oApo s t o l i c a )
は,使徒か ら伝 えられた様々な慣習 を教会の礼拝 を中心 にま とめた作品であ り, この作 品に基づ いて東方 ・西方の両教会が様 々な礼拝の儀式 を決めて きた重 要 な文献である。 これに次の ような告 白がある。「今 もあなた (神)か ら出る力,統治の霊の力 を注いで ください。 あなたはこの霊 を最愛の子 イエス ・キ リス トにお与 えにな りました。 キ リス トはあなたのみ名の絶 えるこ とのない賛美 と栄 光のために,聖 なる使徒 にこの霊 をお与 えにな り,使徒 は至 る所 にあなたの聖所である教会 を建 て ました(19)」。
ここには地上のすべ ての教会が使徒 によって建 て られた神の聖所であるとい う信仰が語 られて いる。現実 には使徒 によらずに建 て られた教会 もあったことだろ う。 しか し,理念的にはすべて
の教会が使徒 によって建 て られたことが確信 されていた。初期の教会 にはそ うした確信が確実 に 存在 していたのである。
3). この ヒッポ 1)ユ トス よ りも少 し前 に, あるいは殆 ど同 じ頃に活躍 した
Te r t ul l i a nus( C . 1 5 0 / 6 0 ‑2 0 0 )
に 『異端者に処す る規定』とい う作品があ り, ここにも同様の考 えが語 られている。例 えば
,
「信仰の始 ま りであ り源で もある使徒的教会 と一致す るすべ ての教理が真理 とみなされ る べ き」であって, これ以外の教 えは決 して真理 とみなされてはな らず,結局,ただ使徒 の教会だ けが信仰の真理の起源であ り源泉であるとい う。 ここには更に,各教会の信徒 が使徒の教会か ら 生 まれた場合 には, それ らの教会 はすべ て使徒 的で あ る とい う表現 す ら兄 いだす こ とが出来る(20)。
4
).上 に見 た 「使徒信条」 に続いて 「ニカイア信条」や 「ニカイヤ ・コンスタンティノポ リス 信条」が成立す るが,これ らの信条 に も教会 は「使徒的」であるとい う告 白が盛 り込 まれている(21 ) 。
前者では,有名 なア リウス派の異端 に対す る
Ana t he ma
(呪い)の中で,
「(彼 らを)公同の,使 徒的な教会 は呪 うものである」 と述べ る。使徒的でないことが 「異端」の意味であった。後者で は,
「我々は,唯一で,神聖 な,公同の, また使徒的な教会 を信 じる」と告 白す る。後 にこの告 白 に基づ いて 「唯一性,神聖性,公同性,使徒性」の4
つが 「教会 の標識」( Not aee c c l e s i ae )
と された。宗教改革以後,様々な教派が現れて 自分達 の教会の正統性 を主張 した時, この四標識 を ローマ教会が真の教会 を決め る規準 として最初 に採用 して以来の ことである。この ように
,
「使徒的」であることが 「教会」 を支 えた貴 も基本的な理念であった0以上の考察か ら 「使徒的」であることがいかに重要 な意味 を持 っていたかが よ く理解で きよう。
キ リス ト教の形成 と展開に決定的なことは,信条定式 を作 り,新約正典 を定め,教会制度 を整 え た点にある。 しか もそれ らのすべ てが 「使徒的」伝承の規範 に従 っていた。「使徒」概念がキ リス ト教信仰の最 も本質的な中核 を形成 した といってよい。今
,
「使徒的」とは何か を考 えることがキ リス ト教倫理学の中心課題であることは明 白である。「使徒」の意味
「使徒」はギ リシア語の
a pos t ol os
の訳語である。本来の古典 ギ リシア語は単 に「派遣 された者」
または 「使者」 を意味 し,特 に海軍などが海外遠征 をす る場合 に使 われていた。従 って,宗教上 の真理や信仰 を広め る使命 を持つ伝導者 とい う 「使徒」の意味が このギ リシア語か ら派生 した と は考 えに くい。
「使徒」の起源 は,通常ユダヤ教の ys
a1 T a h
(遣わされた者 ・一定の使命 を持つ全権委任者)制度 にあるとされ る.しか し/salTahの地位 は一時的であるが,使徒の地位 は永続的であ り,また,前 者の任命は随意の ものであるが,後者の任命は特定の ものであ り,両者の意味 を直接 に繋 げるの は困難である(22)。「アポス トロス」はキ リス ト教世界に入 ってか ら特殊 な意味 を持 った。 この語 は新約文書 中に
7 9
回,特 に,パ ウロの もの と確認で きる手紙 に2 4
回,ルカ文書 (ルカによる福音書 と使徒行伝) に34回現れ る。「使徒」の意味ではパ ウロ とルカに多用 されたのである。使徒 と言 えばイエスの
1 2
人の直弟子達が代表的で あるが, この1 2
人が使徒 と呼 ばれ るよ うに なった事情ははっきりしない。1 2
人 を使徒 と呼ぶ新約文書の章句 (マルコ6:3 0
,マタイ1 0:2
,ル カ6:1 3 )
は,後か ら付加 された編集句 らしく,実際 に最初か らこ う呼ばれていた とみ るのには疑 問がある。 また, イエス時代 に本 当に1 2
人が一つの まとまったグループ を造 り,総括的に「使徒」と呼ばれ るような役割 を果 た していた と考 えることも疑問視 されている(23)。
使徒 であるこ との条件 は何 であったろ うか。 これについて も様々に語 られて きたが,特 に彼 ら がイエスの説いた神の国の宣教 とイエスの死か らの復活 との証人であった点が使徒 であるこ との 最 も重要 な条件であるとされて きた。使徒 は文字通 りイエス ・キ リス トの使徒 であって,彼 らの 語 る良い知 らせ だけが真の福音であ り, それ以外 はすべ て偽 の福音である とい う考 えがパ ウロの 手紙 などに,はっきりと述べ られている (ガラ1:6,ⅠⅠコリ
1 1:1 3 )
。 また,真の使徒 は「しるL と奇跡 と力あるわ ざを行 う」 ことによって 自分 が真の使徒であることを証明す るともい う(
ⅠⅠコ リ1 2:1 2 )
0この 「しるLと奇跡 と力あるわ ざ」 とい う言葉は何 を意味す るのだ ろうか。具体的な説明はな いが, 多分, キ リス トの霊 を受 けて福音 を伝道す る際に,何か奇跡的 なことをいろいろ行 ってい たのだろう。 しか し, それが使徒 であるこ との証拠だったのだろ うか。
確かに, キ リス ト教の 「使徒」は,古典 ギ リシア語や‑ブル語 などと同様
,
「派遣 された者」とい う意味 を持つ。 しか し,彼 を派遣 した者は単 に軍隊の司令官や政治の支配者 (つ ま り人間)な どではな く,神 であ りキ リス トである。使徒 は神及びキ リス トによって福音 を伝道す るため に派 遣 された者であった。 それは歴史的に も確認で きよう。使徒 が実際 に何 を行 って きたかは,古代 教会の発展の後 を辿 ってみれば容易 に理解 で きるこ とである。事実,原始教団の使徒達すなわち ペ テロを中心 としたイエスの直弟子達 は, キ リス トの霊 を受 けてユダヤ教徒 にキ リス トの福音 を 広め る伝道者の役割 を果た した。更にこれに‑ レニズム世界の異邦人伝道 とい う使徒職が加 わっ て,異邦人使徒パ ウロ達 の活躍が始 まる。一般 に,使徒 が福音の伝道者 として理解 されていたの は確かなことである。
しか し, ここでは次の ことが注意 されなければならか 、。すなわち,使徒 は決 して教団や教会 の職務 を委託 された 「団体の役月」 などではな く,因よ り教会の仕事 を引 き受 ける役月の中の最 高の責任者で もなかった。む しろ彼はその教会 自体 を設立す るために神及びキ リス トによって派 遣 された 「キ リス トの職月」であった。 これが 「アポス トロス」 にキ リス ト教 の与 えた新 しい意 味である。使徒 の職務 は他の職務 とは根本的に異なっていた(24)0
しか し,無論 これだけで使徒的権威の根拠 を理解す ることは出来 ない。使徒 時代以後 も未知の 世界に生死 を賭 けて伝道 し,各地 に新 しい教会 を創設 した人々は数 多 く現れている。 しか し,級 らを我々は決 して使徒 とは呼ばないだろう。 キ リス トの職務 を代行す る職B, キ リス トによって 派遣 された伝道者, キ リス トの教会の新設者 とい う点だけで使徒の特別 な権威の由来 を説明す る ことは出来 ない。使徒 とは何 を行 った者かは理解で きて も,何故 その使徒 が上 に見たほ どの権威 をもって尊敬 されたのか を説明す ることは出来 ないのである。従 って,次 にはその使徒 的権威の 根拠が問われなければならないだろ う。
間 奏 曲
イエスの同時代の弟子達 と我々 との間には既 に千数百年の歳月が過 ぎた。 この間の歴史はキ リ ス ト教信仰 とどの ように係わるのだろ うか
。Ki e r ke gaar d
は,本質的 な意味 においては最初 の弟 子 も最後の弟子 も同 じであって,間接の弟子などは存在 しない とい う。歴史的なものは同時代者 にとって彼が弟子 になるための機縁 になったが,同様 に同時代者の報告 もすべ て後代の者 に とっ ては単 に彼が弟子になるための機縁 になるにす ぎないか らとい うのである。 もし同時代者が後代 の者 に信仰の条件 を与 えるなどとい うことが行 われ るならば,後代わ者が同時代 の者 を信仰す る とい う事態が起 こることになる。 その場合後代 の者は条件 を神か らではな くて同時代者か ら受 け 取 ることにな り,丁度 その故 に同時代者は後代の者 に とって信仰の対象になって しまう。各人に条件 を与 えた者は, その ことだけでその者の信仰の対象 としての役割 を持 ち, その者の神 として の役割 を演 じることになるか らである。 しか し,一人の人間は彼が信仰者である限 り,他 のいか なる人間に も何 もの をも負ってはいない,一切 を神 に負っている。従 って,間接の弟子 などとい うものは存在 しない し, その ような ものは問題 にな らない。 これがキルケゴールの言い分 であっ た(25)。
だか ら,彼は 「人はキ リス トについて歴史か ら何事か を知 り得 るか」 と問い,次の ように答 え る。‑ 否である。人は 「キ リス ト」については全 く何 も 「知 る」ことが出来ない。彼はパ ラ ドッ クスであ り,信仰の対象であって, ただ信仰 に とってのみ実在 している。 しか し, あらゆる歴史 的伝達 は 「知識」の伝達である。従 って,人は歴史か らキ リス トについて何事 をも知 ることは出 来 ないのである。 もし人が彼 につ いて何事 か を知 るならば, その ように して知 られ る彼は真 にあ る彼ではない。歴史はキ リス トを彼が真 にあるもの とは違 った ものに作 り上げ る。人はキ リス ト については何事 も知 ることは出来 ない。彼 につ いては何事 も知 られ得 ないか らであるC彼はただ 信 じられ ることが出来 るだけである(26)。
「目撃者」 としての使徒
使徒的権威の由来す る根拠は何 だったのだろ うか。使徒が使徒 である所以は彼 らがイエス ・キ リス トの 「目撃者」であったか ら, とよ く言われて きた。使徒 とはイエスに従 って師の言行 を直 接 に見聞で きた 目撃者であ り,同時にその証言者で もあった とい う点に使徒的権威の決定的な条 件 を見 るのである。 これは,長 い間多 くの人々の賛成 を得 て きた見方であ り,今で もそ うである
と言 って よい(27)。
しか し,本 当にそ うなのだろ うか。
(1). 確かに,使徒 と言 えば先ずイエスの直弟子達が考 えられ る。しか し,パウロやバルナバ も 使徒 とされて きた。特 にパ ウロは教会の創設や正典の確定 に対 して大 きな権威 を持 っていた。教 会 は彼の もので もない手紙 に彼の名 を与 えるとい うお追従 まで も行 っている。誰 もパ ウロの使徒 的権威 を否定で きない。 しか も彼 は決 して生前のイエスの 目撃者ではない。同時代頃エルサ レム にいたことは考 えられるか ら, イエスの後 ろ姿 ぐらいは見たか もしれない。 しか し, それによっ て彼が影響 されたなどとは全 く考 えられない。使徒行伝 によれば,パ ウロが真のキ リス ト教徒 に なったのは,復活 したキ リス トの声に摸 した後である
( 9:3‑9; 2 2:6‑l l;2 6:1 2 ‑1 8 )
。 従 って,使徒 とはイエスの直弟子であ り目撃者であ り証言者であるとい うことだけで使徒的権威 の根拠 を説明す ることは出来 ないだろ う。(2). イエスの言行 を直接 目撃 した者は多かったことだろ う。何故彼 らの中か ら数名の者だけが 使徒 とされたのだろ うか。単 に目撃者 ・証言者 とい うだけで, この間題 に答 えるこ とは出来 ない。
弟子達の中で彼 らだけが特別 に優れていたわけではない。イエスが 「ユダヤ人の王」 を倦称 して 治安 を乱 した科でローマの官憲 に逮捕 された時,連座 を恐れて真 っ先 に逃 げ去 ったのが この人達 である。師 を見捨てて姿 を消 し,イエスが処刑 されてか らようや くエルサ レムに戻 っている。従 っ て,彼 らだけが特別 に優れていたか ら特別 に使徒 にされた とい う主張 には根拠がない。 この直弟 子達 によるイエスの否認 とい う出来事 は 目撃者 とい う資格が決 して使徒的権威の根拠にはな り得 ないことを端的に物語 っている。
( 3) .
もし目撃者であるこ とが使徒 であるこ との決定的な条件であるな らば,もはや決 してイエ スの言行 を目撃で きない現代人の信仰 は,使徒 の信仰 とは本質的に異なった信仰であるとい うこ とになる。 目撃で きないことは今では どうに もならないことだか らである。 しか し,同 じキ リスト教信仰 に,一方 には使徒 の信仰があ り,他方にはそれ以外の信仰があるなどと言 うこ とが出来 ようか。従 って, 目撃者 とい う点 に使徒的権威の根拠 を見て取 ることは出来 か ‑のである。
さて,次 に使徒 はキ リス トの復活体 の体験者であった とい う点について考 えてみ よう。無論, 使徒的権威の根拠 を復活の体験 に見 ることも出来 る。事実,パ ウロは復活 したキ リス トの声 を聞 いて回心 した。他の使徒達 もすべて復活のキ リス トか ら派遣命令 を受 けて伝道者 になった。従 っ て,復活の 目撃が実際に何 を意味 していたかは別 に して も,確かに使徒的権威の由来す る根拠 を キ .)ス トの復活体 の 目撃体験 とい う点に見 ることも出来 よう. しか し,‑
(1). キ リス ト教の歴史 を辿 ってみ ると,使徒後 も復活のキ リス トに出会 った とい う証言は現代 まで決 して後 を断 っていないO どの ように出会 ったのかは不明だが,少 な くとも復活 したキ リス トの
Vi s i o n
を見た とい う人の証言は多 く残 されている。しか し,その彼 らが後 に使徒 と呼ばれた 例 はどこに もない。使徒 は全 く一代限 りの者であった(28)0(2). もし復活の体験が使徒であることの決定的な条件であるならば,その体験 を欠 く者の信仰 と使徒の信仰 とは異なっているこ とになる。 キ リス ト教的に見れば, その ような意味の権威付 け も決 して泉認で きないだろう.従 って,復活体の体験 とい う条件 も決 して使徒的権威の根拠 とは みな し得 ないのである。
使徒的権威の根拠
使徒 的権威が由来す る根拠は どこにあるのだろ うか。 この間題 に何か明確 な回答 を考 えるのは 難 しいが, しか し, ただ一つだけはっきりしていることがある。「使徒」が継東 の観念 を欠いてい たことである。「使徒」 には 「受 け継 ぐ」 とい う考 えが全 くなかった。
現在,教会 には様 々な職務があ り, しか も, それ らは殆 どすべ て次の世代へ と継東 され る。 し か し, この使徒職 だけは二代 目も三代 目もな く完全 に一代限 りであった。使徒 の世代以降,使徒
と呼ばれた人は誰 もいない。無論,比愉的にこの称号が用いられたことはあったろ う。 しか し, 厳密に言えば,使徒職 は全 く一回限 りの ものであった・(29). これは,後 に教会の役職の中心になっ た三聖職 (司教 ・長老 ・助祭)がすべて後代へ と継東 されたことを考 える と,極めて特徴的なこ とである。
後代の教会の伝東 によると,使徒の職務 内容 は使徒後の聖職 に受 け継がれているとい う (使徒 伝永)̀30'o Lか し, これ を継暴 した人々は使徒 とは異なった名称,すなわち司教 (監督),長老な どの名称 によって呼ばれて きた。主 として司教が使徒の職務 を引 き継 いだ とされ,以来今 日まで, カ トリック教会では司教が中心的 な役職である。
無論, これ らの役職が使徒 の職務 内容 をその まま継皐 して きたか否かは歴史的に見て議論のあ るところであるo Lか し,少 な くとも使徒 とい う名称は決 して継永 されず,一代限 り ・一回限 り で終わっている。 この事実は,歴史的に見 ると
,
「使徒」が原始教会の最初 であ り同時に最後で も あったことを示す。しか し
,
「最初」 とは何 を意味す るのだろうか。 それは 「キ リス ト イエス」 とい う信仰が 「初 めて」 この世 に もた らされたことを意味す る。待望 していたメシア (キ リス ト)がイエス とい う 人間の姿 を採 って地上 に現れ救 いのわ ざを実現 して くれた (イェスはキ リス ト) とい う解釈 を最 初 に示 した人々が使徒であった。 これが 「最初」の意味である。次に