代後半の新しい動きとその衝撃
ック﹂研究に向けて(1)
赤塚若樹
あれ1文化的なものにせよ︑社会的なものにせよ︑あるい
のにせよー︑後から振り返ると︑あるときに時代を画する
ふさわしい出来事ないし動きが生じていたと考えられるこ
クと呼ばれるジャンルの音楽においては1960年代後半の
ントがそのひとつだった︒1960年代後半という時代があ
ているというなら︑モンタレー・ポップ・フェスティヴァル
マー・オヴ・ラブ﹂を迎えた1967年をひとつの目安とし
瞭なかたちを取っていったロックの動きを思い浮かべれば
ないい方するなら︑このときロックははじめてアートとして
固有の性質を帯び︑ひとつの揺るぎない美的ジャンルとして
︒そのときロックはロックとなったということもできる︒そ
な要素を見て取ることができるが︑とくに際立った動きをあ
やはりブルース・ロックとサイケデリック・ロックというこ
︒このふたつほど影響力をもった動きは少なくともそのとき
ずだ︒両者が大きな歯車となって︑ロックという音楽を推進 していった︒そのもつとも大きな舞台がイギリスとアメリカであることはい
うまでもないが︑日本でもそのときロックは本質的な変化を経ることとなっ
た︒﹁日本のロック﹂はそのとき誕生したのだとすらいえるかもしれない︒
欧米との関連でいえば︑そこに認めうるのは結局は﹁影響﹂という言葉でま
とめられるようなことがらなのかもしれないが︑ロックを取り巻く環境が異
なるがゆえに︑その本質的変化のありようがより鮮明に浮かび上がってくる
ようにもみえる︒それはいったいどのようなものだったのか︒本論の目的は
それを検証することにある︒
そのためにここでは当時のロック・シーンを生きた音楽家たちの言葉に耳
を傾けながらーつまりは自伝︑回想録の類いのテクストを読みながらー︑
その衝撃がどういうふうに受け止められたのかを検討していくという方法
を取ることにしたい︒あらかじめいっておくなら︑あつかうのは︑かまやつ
ひろし︑ミッキー・カーチス︑そして内田裕也の3人の言葉だ︒彼らの言葉
をとおしてさまざまな事実を確認していくこともでき︑それもまた重要では
ある︒だが︑ここではむしろそこにあらわれた所感や主観的な見方のほうに
注目していく︒クリエイティヴな営為は多くの場合そういった個人的なもの
にもとついているだろうからだ︒そしてそうすることで︑そのときそこで何
が考えられ︑それがロックという音楽にどういうふうに結びついていったの
かを明らかにしていきたいと思う︒見方によっては﹁日本のロック﹂がどの
ように誕生したのかという点について側面から光を当てる作業であるとい
えるかもしれない︒そのさい︑さまざまな出来事にも当然ふれることになる
が︑細かい事実にこだわると話がわかりにくくなるので︑大きな流れを重視
しながら話を進めていくことにする︒前置きはこのくらいで十分だろう︒そ
ろそろ本論に入っていくことにしよう︒
新しい動きとどう向き合うか
それではまず最初に︑日本のロックの前史にあたるグループ・サウンズ(G
S)の中心人物のひとりとして活躍した︑かまやつひろし(ムッシュかまや
つ︑1939‑2009)にご登場願うことにしよう︒﹁日本のロック﹂の
新しい動きがはっきりとした輪郭をみせてきたのは1970年を迎えよう
としている頃で︑当時その動きを称して﹁ニューロック﹂という言葉が使わ
れることもあった︒いわゆる和製英語だが︑もともとこれは欧米のロックに
ついてもちいられたものだった︒その頃︑他方ではフォークのブームも前後
して起きていた︒かまやつは当時︑自分が参加しているザ・スパイダースの
音楽に行き詰まりを感じていて︑﹁ニューロックとフォークのはざまで﹂こ
んなふうに考えていたという︒
六〇年代も後半になって︑ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンス
やクリームなどのニュー・ロックのグループが出てきたとき︑これま
でとはまったく違うものだと感じた︒クリームの曲を演奏しても︑う
わべだけをなぞっているような気がしてしかたがなかった︒
七〇年代に入ってから︑グレイトフル・デッドとかを聴いて︑なんと
なくヒッピー集団の思想的なものがわかってきた︒そういう思想がな
ければ︑できない音楽だったのだ︒ファッシヨンから考え方︑生活ま
で︑そのものになりきらなければ︑ああいう音は出せない︒ジミヘンの
アヴァンギャルドなロックにカルチャー・シヨックを受けたころから︑
ぼくは︑スパイダースもそろそろ終わりかな︑と考え始めていた︒(‑)
スパイダースとは異なる音楽︑というよりも﹁新しい﹂音楽の出現を目の 当たりにしてーー要するにロックとそれが置かれた状況の大きな変化を前
にしてー︑かまやつは自分(たち)が時代に遅れていること︑すでに古く
なっていることを実感していたようだ︒具体的にあげられているジミ・ヘン
ドリックス・エクスペリエンス︑クリーム︑そしてグレイトフル・デツドと
いう3つのバンドの名前から︑それがどういった傾向の音楽なのか︑どうい
った志向のロックなのかがはっきりとわかる︒グループ分け︑レッテル貼り
には関心がないが︑話を進めるために事実確認をしておくなら︑いずれも冒
頭で述べたロックのふたつの大きな動きに属するバンドとみなされている︒
ブルース・ロックはその名の通りブルース志向のロック︑ブルースの要素︑
スタイルを大きく取り入れたロックで︑サイケデリック・ロックはLSDの
ようなドラッグの効果︑ある種の幻覚作用︑およびその経験からインスピレ
ーシヨンを得て創られるロックである︑ととりあえず定義することができ︑
その意味では確かに両者はべつの種類の音楽とみなすこともできる︒しかし
ながら︑実際の演奏ーたとえばここで名前があがったバンドの演奏ー1に
おいては両者が大きく重なり合っている場合も少なくない︒音楽の傾向︑種
類それ自体の研究なら両者を厳密に分け︑その差異に留意することも必要だ
ろうが︑本論においては︑新しく生まれた音楽とその影響のあり方が重要な
ので︑その点についてはひとまずわきに置いておくこととする︒ともかく︑
かまやつひろしはこうした﹁これまでとはまったく違う﹂種類のロックに﹁カ
ルチャー・ショック﹂を受けたのだった︒そして︑注目すべきことに︑そこ
に﹁思想﹂をみていたのだが︑この点についてはのちほどあらためて取り上
げることにする︒
当時のスパイダースの状態を振り返りながら︑彼はさきほどの引用のあと
つぎのように語っている︒
(1)かまやつ﹃ムッシュ!﹄︑117ページ︒
六六年の後半か翌年のアタマくらいに︑横浜・本牧のクラブ﹁ゴール
デン・カップ﹂に面白いバンドが出ているというので聴きに行ったこ
とがあった︒グループ・アンド・アイ︑のちのゴールデン・カップスで
ある︒ぼくは︑ちょうど︑ポール・バターフィールド・ブルース・バン
ドやマイク・ブルームブイールド︑ゼムのようなブルース・ベースの音
楽を好きになったころだつた︒
カップスは思い思いてんでんばらばらの格好をして︑ステージでウ
ィスキー片手にくわえタバコで好き勝手にリズム&ブルースを演奏し
ていた︒
﹁ああ︑かっこいいな﹂とぼくはつぶやいた︒おそろいのミリタリー・
ルックを着て芸能界の約束ごとに組み込まれつつあったスパイダース
が︑やたらに古くさく思えた︒その時点でもうもう"寒かった"のだ
ろう︒
﹁確かにスパイダースのライブにお客さんは入っているけれども︑オ
レたちがやっていることは︑もう違うな﹂
それまでもそんなふうに感じてはいた︒まるで古いスーツを着て歩
いているような恥ずかしさ︒やだなあ︑と思っていた︒(2)
感覚的に語られるがゆえにスパイダースの音楽の状態︑その古さをどう感じ
ていたかがよくわかる︒そう感じさせているのがこのエピソードではポー
ル・バターフイールド・ブルース・バンド︑マイク・ブルームフイールド︑
ゼムのようなブルースロックのミュージシャンたち︑そして日本のゴールデ
ン・カップスだった︒ 当時かまやつは︑他方でヒッピー・ムーブメントに近い︑新しい風俗のよ
うなものを︑ロックよりも岡林信康や高石友也といった関西フォークのシン
ガー・ソングライターから感じ取っていた︒日本語で歌っているのでメッセ
ージがわかりやすかったというのがその理由だ︒ロックのほうはいくら先鋭
的な曲を演奏しても︑所詮はアメリカやイギリスのバンドのカバーにすぎず︑
ヒッピーの格好をしても何を歌っているのかよくわかっていないのだから︑
メッセージが伝わらない︑とかまやつはいう︒
たとえばドアーズの﹁ライト・マイ・ファイァ(ハートに火をつけ
て)﹂という曲は︑ドラッグとのかかわりがどうこうという世界なのだ
が︑そういうものが完全には理解できないまま演奏し︑聴いているこ
とになる︒
吉田拓郎がいた広島フォーク村の﹃古い船をいま動かせるのは古い
水夫じゃないだろう﹄というアルバムがあったが︑あれも当時の学生
運動が絡んでいたりする︒そういう社会の大きな動きに関する情報︑
ウエーブの来ないところでスパイダースは活動していた︒
ぼくたちの知らないうちにいろいろなことが始まっていた︒新宿駅
西口でフォーク集会が自然発生的に盛り上がり︑何千人もの群衆が集
まって機動隊と衝突したなんて話︑あとから聞いて驚いたくらいだ︒
まったく知らなかった︒(3)
本論でフオークは主題としては二次的なものだが︑当時の状況を知るため
にもう少しつづけてみておこう︒かまやつは︑﹁帰ってきたヨッパライ﹂を
ヒットさせていたザ・フォーク・クルセイダーズの北山修と共同で﹁フオー
(2)同前︑117‑118ページ︒(3)同前︑119ページ︒
クソングをぶっとばせ﹂というコンサートを1969年6月に六本木の俳優
座で開催している︒このテーマは}種の反語だったようで︑コンサートに
出演したのは岡林信康︑彼のバック・バンドとして︑大滝詠一さんや
細野晴臣さんがいたはっぴいえんど︑それに五つの赤い風船︑ジャッ
クスなど︑当時"アングラフオーク"と呼ばれていたムーブメントの
最先端にいた人たちだ︒もちろん︑アングラフオークに興味があった
からやったのだが︑ぼくとしては︑やらざるを得ないという気持ちが
強かった︒こういうことをやっておかないと取り残されてしまう︑置
いていかれるという焦りもあったのである︒(4v
かまやつはつづいてロックも標的にする︒
その三ヶ月後に︑同じ俳優座で︑今度は"ロックをぶっとばせ"み
たいなノリで︑ジャズ・トランペッターの日野皓正さんとイベントを
開いた︒﹁時今也明日音楽旗揚(ときはいまじゃずのはたあげ)﹂という
タイトルだった︒寺山修司さんたちのアングラ芝居の影響で︑そんな
タイトルが流行っていたのだ︒あのころ日野さんはブレイクしたばか
りで︑レイバンの黄色いサングラスをかけて︑バリバリにカッコよか
った︒彼のクインテットと︑ゴールデン・カップスのメンバー︑スパイ
ダースから︹大野︺克夫ちゃんと︹井上︺尭之︑カッペ︹加藤充︺ちや
んも出演した︒
アル・クーパーとマイク・ブルームフィールドの﹃スーパー・セソシ ヨン﹄や﹃ブイルモアの奇蹟﹄が話題になっていたころだったから︑日
野さんと話しているときに︑相談をもちかけてみたのだ︒﹁ぼくたちで︑ああいうセッションができないかな﹂
﹁面白いじゃない︒やってみようよ﹂
二つ返事だった︒ジャズとロックの交流が盛んな時期でもあったし︑
日野さんはそういうことに積極的だった︒ぼくも︑スパイダースをや
めるかどうか迷っていたから︑いろいろと可能性を模索していた︒(5)
スパイダースの﹁員として音楽をつづけていくことに疑念を抱いていた
かまやつは︑当時のロック︑当時の日本の文化的状況を以上のように捉えて
いた︒いくつかあがっている固有名詞︑とりわけイギリスやアメリカの音楽
シーンにかかわるミユージシャンの名前はたいへん興味深く︑そこから彼が
どういう音楽をどういうふうに聴き︑それに触発されてどういうふうに考え
ていたのかがじつによくわかる︒当時の意識的な音楽家たちをかまやつひと
りに代表させるわけにはいかないが︑それでも彼がその時代の︑ロックをめ
ぐる大きなうねりのただなかにいた有力な音楽家のひとりだったことは紛
れもない事実だ︒その音楽家の見方︑考え方がこのようなものであったこと
をまずは押さえておこう︒
経緯と背景
かまやつの目を通して︑60年代後半から70年代初めのロックをめぐる
状況をざつとみてみたが︑そこにいたるまでの経緯と背景ーどういう文脈
(4)同前︑120ページ︒(5)同前︑120‑121ページ︒︹︺は引用者による補足であり︑漢字の 読み方をしめすルビ(ふつうの意味での振り仮名)
いてもとくに断わりがないかぎり同様とする︒ は省いた︒以下の引用にお