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﹃更級日記﹄の解釈をめぐる二、三の問題
‑東山の記を中心に‑
はじめに
平安朝の女流日記を論じる際にしばしば用いられる日記作品という言莱 伊藤守幸
事実に立脚する日記が同時に作品と
呼び得るほどの文芸性を内包するという事態は、考えてみればそれほど単純な事柄ではないはずだが、それら女流日
記の内実(見やすいところでは'たとえば対読者意識の内在、あるいは男性官人日記との差異等)に照らして、我々
は格別違和の思いを抱‑こともな‑その言葉を用いている。しかし、文芸性を有する日記作品という概念が、そのよ
うに一見自明なものであるとしても'実際にそれらの日記を分析的に読み進める際、日記作品の<詩と真実>の二側
面を常に遺漏な‑視野のうちに収め、<日記>としての事実性の問題と<作品>としての表現レヴエルの問題との関
係を的確に見定めて行‑のは'それほどたやすい作業ではない。
このようなことをここで改めて述べるのは'﹃更級日記﹄の東山の記に関して提起された最近の議論に触れて、いさ
さか考えさせられることがあったからである。そこで、以下、東山の記を中心に、具体的な問題点に即しながら考察
を進めて行‑ことにしたい。
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(‑)﹃更級日記﹄の東山の記に関しては、すでに「﹃更級日記﹄東山の記再読」と題する論考において具体的な分析を試
みたことがあり、本稿は前稿の続編的な性格を有することになる。
前稿で試みられたのは'東山の記の分析的読解を通じて、典型的家集章段と目される東山の記がそれ自体すぐれて
構成的に作り上げられた世界であることを明らかにすることであり'同時にそうした構成的まとまりを示す小世界が
作中に存在する理由についても、東山の記の直後に置かれた「あらましごと」に関する叙述との関係に着目すること
によってひとつの解釈を示しておいた。そして、前稿執筆時においては東山の記に関する総括的な議論は他に存在し(2)なかったのであるが、先頃小谷野純1氏の「表現としての構図化‑﹃更級日記﹄東山滞在記をめぐって‑」という論考
によって、東山の記に対する新たな読みが加えられることになった。小谷野氏の論は、拙論と同様東山の記の本文を
逐一引用しっつ詳細な分析を加えたものであるが'氏の立場は、その論題からもうかがわれるように、拙論の立場(拙
論では東山の記を構成的なものと捉え'い‑つかの「構図」を浮かび上がらせている)と基本的に異なるものではな
い。表現のこまやかな分析を通じて「対照性」'「連鎖性」、「二元性」といった構成上の特質を読み解‑その論述も、
問題意識のありようにおいて拙論と共通する部分が多いように見受けられるが、ただ、氏の論と拙論との間には、二
点において明確な差異が存するようである。その二点とは、氏の考察があ‑まで東山の記の内部に限られ、作中にお
ける東山の記の存在理由に関する論究がなされていない点と'いわゆる「しづ‑に濁る人」と孝標女との関係につい
ての解釈の差異という二点である。ことに「しづ‑に濁る人」関連の記事をめぐって提示されている解釈は、具体的
な事実を挙げて従来の注釈に変更を迫るものであるが、この間題に関する一連の氏の論述の過程を通じて浮かび上が
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って‑るものこそ、日記の事実性と作品としての表現意識の関係の問題であり、この両者の関係を如何に整合的に解
きほぐして行けばよいのかという問いこそが、当面我々の考えてみなければならない重要な課題であるように思われ
る。
以下、しばら‑この点に的を絞って具体的に考察を進めて行‑ことにする。
四月つごもりがた、さるべきゆゑありて、東山なる所へうつろふ。道のほど、田の、苗代水まかせたるも、植
ゑたるも、なにとな‑青みをかしう見えわたりたる。山の影暗う、前近う見えて、心ぼそ‑あはれなる夕暮、水
ひな
鶏いみじ‑鳴‑0
たた‑とも誰か‑ひなの暮れぬるに山路を深‑たづねては来む
りやうぜん
霊山近き所なれば、詣でて拝みたてまつるに、いと苦しければ、山寺なる石井に寄りて、手にむすびつつ飲み
て、「この水のあかずおぼゆるかな」と言ふ人のあるに、
奥山の石間の水をむすびあげてあかぬものとは今のみや知る
と言ひたれば、水飲む人、
山の井のしづ‑に濁る水よりもこはなはあかぬここちこそすれ
帰りて、夕日けざやかにさしたるに、都の方も残りな‑見やらるるに、このしづ‑に濁る人は、京に帰るとて、
心苦しげに思ひて、またつとめて、
(3)
山の端に入日の影は入りはてて心ぽそ‑ぞながめやられし
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「さるべきゆゑ」があって東山に移り住むこととなった作者が'近‑の霊山に詣でた際に'「水飲む人」とも「しづ
‑に濁る人」とも記されている同行の或る人物と交わした贈答である。この人物に関する情報としては以上の記述が
そのすべてであり、「しづ‑に濁る人」と作者の関係について、我々はこれ以上具体的に考察を進めるべき手掛かりを
持たないのである。そのように論拠を求めることの困難な問題について、作者の審晦癖や﹃夜の寝覚﹄との類似とい
った状況証拠をもとに推論を組み立て、「しづ‑に濁る人」は作者の初恋の人であり、亡姉の夫であるという仮説を提(4)示したのが、稲賀敬二氏であった。
稲賀氏の仮説'及びこの仮説に対する私の考えはすでに前稿に示してあるので、ここでは詳し‑は繰り返さないが'
前稿では'右の贈答歌に恋の気分を読むとしても、それはあ‑までも紀貫之の「むすぶ手のしづ‑に濁る山の井のあ
かでも人に別れぬるかな」という歌を媒介として成り立つものであるということや'「あらましごと」に端的な形で示
されている恋愛幻想との関係に着目することにより、深刻な恋情を背景にしな‑ともこのような贈答が成り立ち得る
ことを論証したのであった。以下に、その結論的部分だけを引用して浴‑ことにする。
‑‑「しづ‑に濁る人」との贈答に恋の気分の揺曳を認める読みは'直接的には貫之の「むすぶ手の‑‑」の歌
を媒介として成り立つものであった。その意味で、これはすぐれて文学的に醸成された恋の気分と言うことがでヽヽきる。となれば'それは文学的に仮構された恋の気分と紙一重とも言えるのではないか。例の「あらましごと」
の前半部には'「いみじ‑やむごとな‑、かたち有様、物語にある光源氏などのやうにおはせむ人を'年に1たび
にても通はしたてまつりて‑‑」と、物語に触発される形での恋愛幻想が語られていた。このような幻想が'和
歌の詠作を通じて現実の場に想像的に解き放たれた場合、どのような事態が起こり得るか。﹃源氏物語﹄を暗諭す
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るほどの文学少女にとって、貫之の歌を利用しっつ恋人との別離の一場を演出する‑らい、たやすいことだった
のではないか。その場合、贈答の相手に要求されることは、一義的には作者と文学的幻想を共有し得ることであ
り、彼(もし‑は「彼女」である可能性さえ否定しきれないわけだが)が現実に孝標女の恋人であることは、必
ずしも絶対に必要な条件というわけではない。
さて、以上の稲賀説、伊藤説に対して、小谷野説は、先の贈答に「諸藩的構図」を読み解‑ことにより、「しづ‑に
濁る人」は「同性の友」であるという推断を下している。そして、その論拠として提示されているのが'「山寺なる石
井」の場所と地名に関する新見である。従来の諸注では'この「山寺」とはすなわち「霊山」(霊山寺、現在の正法寺)
を指すものと解されていたのであるが、小谷野説は、﹃山城名勝志﹄の「山ノ井」の項目'なかんず‑﹃源平盛衰記﹄(・‑I)の一節に付された「按'霊山卜輿清水寺之間ノ渓欺、今此澗日勧勝寺谷」という注に依拠しっつ'「霊山と清水寺と二一一一一の間にある渓谷、勧勝寺谷の辺が古‑は山の井と呼称され、その地に山の井寺が存在したと定められる」と結論づけ
ている。興味深い指摘ではあるが、「山の井」とは果たして言われるように「霊山と清水寺との間にある渓谷」を指す
と理解してよいものであろうか。
まず第一に問題なのは、﹃山城名勝志﹄の注が、﹃源平盛衰記﹄、「清水寺炎上」中の「一手ハ山ノ井ノ谷ノ梯(カケ
ハシ)引落シテ、西大門二垣楯カキ」という一節に付されたものだということである。すなわち、ここで問題とされ
ているのは、あ‑まで「山ノ井ノ谷」であって、仮にこの谷が﹃山城名勝志﹄筆者の思案通り勧勝寺谷を指すとして
も、「山の井」そのものは、主としてこの谷より霊山側の一帯を指すと考えられるであろう。しかも、その場合、「霊
山」と「山の井」とが、当時の人々に果たして裁然と区別して理解されていたのかどうかということを疑わせるよう
な資料も存在しているのである。