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明 治初 期 漁 業 布 告 法 の研 究-V 府県漁業取締規則期 青 塚 繁 志

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(1)

明 治初 期 漁 業 布 告 法 の研 究‑V 府県漁業取締規則期

青 塚 繁 志

Studies on the Decree of Fishery-Ground in Meiji-V

Shigeshi AOTUKA

(2)

長崎大学水産学部研究報告 第19号(1965)

ユO:L

いったか,それが府県漁業取締規則の公布,迎用のなかでどのように廃止されあるいは具 現していったか,また旧漁場秩序が全般的にどのような近代化的順応をしめしたかである.

第1節 府県における漁業税則と漁場取締規則の未分化       第1項 捕魚採藻税則の歴史的性格

 74号布達は漁業にたいする府県税徴収と慣行的営業取締を明示している.借区制布告に おける海面官有を理論的前提とした,私的排他独占漁場支配関係の官許方式と府県権力に よる漁業取締,74号布達に承継され,一方私的漁場支配は,免許可における慣習的法規裁 量によって,旧権利者が漸次地主的支配者化する途を開いた.

 明治初期における国家権力の漁場占有利用関係への介入は,地租改正と軌を一にする漁 業税制確立を契機としてはじめられた.借区制布告は「借用料」として,また74号布達は

「府県税」として租税高権の確立につとめた.しかしともにその初期においては,なお旧 貢納そのものを承継する漁場にたいする抽象的絶対的支配と,地代収入のための私的支配 が,未分化の形で進行する.

 したがって9年以後ほぼ13,4年頃までは,漁業税徴:収規則と漁場取締規則が,それぞ れ租税徴収,地代収取の法的裏付として未分化の形であらわれている.いわゆる一般府県

にみられた捕魚採藻税則がこれである.

       第2項地方漁業税制の進行

 明治8年工40号布告によって,租税は国税,府県税に区分されたが,その後各府県は適 宜の税目によって府県税を賦課していた.これがさらに確立されるのは,フ4号布達によっ

て漁業関係税が,国税としての借用料から府県税に編入された以後のll年7月(布告19号

)によってである.

 ユ9号布告は「従前府県税及民費ノ名ヲ以テ徴収セル府県費区費ヲ改メ更二地方税トシ」

たものであるが,地方税目は,地租五分の一以内(国税附加税),戸数割,営業税ならび に雑種税の三種に整備された.ついで政府はll年12,月20日39号布告で*,地方税目,税額 を布達したが,漁業採得税は,営業税や雑種税のほかに特別税的にr各地従来ノ慣例二依 リ之ヲ徴収スヘシ若シ其例規ヲ改正シ又ハ新法ヲ創設セントスルモノハ府知事県令ヨリ内 務大蔵両卿へ稟議isすべきものとされた.

*明治ll年12,月20日太政官布告39号

  r地方税中営業税雑種税ノ種類及ヒ制限左ノ通相定候条口早布告候事

 第1条 営業税分ツテ三類トス其税額当日類胴金拾五円以内トシ第二類ハ金拾円以内トシ第  三類ハ金五円以内トス付目左ノ如シ

  但国税アルモノヲ除ク    第一類 諸会社及ヒ諸卸売商    第二白髭仲買商

   第三類 諸小売商及ヒ雑話

 第2条雑種税目其種類二依リ唖蝉二税額ヲ定ム其目撃ノ如シ   船…… 車……

   国税ノ半額以内

 第3条 漁業採藻税ハ各地従来ノ慣例二二リ之ヲ徴収スヘシ若シ其例規ヲ改正シ又ハ新法ヲ      創設セントスルモノハ府知事県令ヨリ内務大蔵両卿へ稟議スヘシ

     …………    …… ・・…    』   (法令全書明治12年孟月)

(3)

!02 青塚:明治初期漁業布告法の研究一V

 さらに13年4,月17号布告で,漁業採藻税は雑種税のなかに編入されたが,慣例的徴収額 は依然承継されていった.ユ1年39号布告による地方税一般が定額法または国税附加率法で あるのにたいして,漁業採藻税が慣例による税額であったことは,その旧貢納的性格の承 継ともみられる.もっともだんに税額のみからみれば,明治13年17号布告には,雑種税 中,舟税附加税が従来国税の半額であったものが全額にまでひきあげられ,さらに15年

(布告2号)にはその制限も撤廃されていることから考えれば,地租軽減の反面重税化す る地方税制の一環として,慣例的徴税の方法は枝葉のことでもあった.

 さて以上の雑種税的漁業税の史料は少ない.若干例をあげると,宮城県本吉郡事例では,

従来の地価による「貸下料」(借用料)に代って,14年県布達甲工66号で,一般的なr海面 区画に属するものは区画税として上り高の百分の三を納むる』こととなり,鮪大網のみは

1網10円,その他の地引網鮨網等の運用漁具は,漁夫員数,網間数等の規模により漁具二 二に徴収している1).同県で漁業採藻税として統一されたのはおそく23年である.

 また地方税としての漁業関係税の内容では,22年当時で,漁村単位の課税35県,漁具課 税23県,漁獲高課税18県,漁場区域課税17県などが主なものであり,全国総数で21万フ千

円にすぎない2).

以上の若刊史料によると,醐県の区画漁場での収勧斎の解諸仲買商と同等 の鮪大網税の10円,また22年当時の漁村単位課税や漁具,漁獲,漁場区域への諸課税が主 なものであって,重畳的課税はみられない.したがって課税額課税方法において貢納の 性格を脱した近代的税制に近接していたといえる.

 問題はその課税額にかかわらず漁村単位に課税され,それが人頭税的に漁業者に割当徴 税する県が大半であったことである.そこではなお共同体的漁場支配関係にたいする税制 面からの支柱的役割がみられる.しかしその詳細はさらに多くの史料によって裏付けられ なければならないであろう.

第5項  『捕魚半割税則』の実態

 明治13年頃にはじまる漁業関係税の地方税としての整備は,当然に漁場取締との分化を 促進するのであるが,それ以前は税則と漁場取締規則との未分化の段階であった.この税 則においては,上納一漁場支配権の存在を意味し,その限りではなお租税高権と地代の未 分離をしめしていた.

 現在検討しうる当時の二二丁丁二二としては,僅かに明治12年神奈川県捕二二藻営業ee 二二および12年9月愛媛県漁業規則があるのみであり,それのみによっては全国的傾向を 知ることは困難であろうがその一端はうかがうことができよう.

*明治12年神奈川県甲第3号達『燭魚採藻営業税則別紙ノ通万善メ本年ヨリ施行候条漁場所用  差許営業七度者ハ誤断二身リ収税召致此旨布達候事

 第1条海上之漁業概ネ漁船ヲ要スル者二付漁船ヲ分別シテ六等トシ平素漁夫ノ乗船人数二  応シ左ノ営業税上納可致丁子シ敲キト唱へ船底ヲ敲キ魚ヲ捕ル者ハ他ノ漁業ヲ障碍スルモノ  ナレハ漁夫ノ多寡ヲ不問第三条ノ税ヲ納ムヘク且湖水ノ漁業ハ海面ヨリ其利益ノ薄キ者ナレ  ハ是亦漁夫ノ多寡ヲ不問第六等ノ税金ヲ上納可曲事

   第1等 漁夫十人乗以上    年税 金 弐円    第2等同七人乗ヨリ九人乗迄同 金壱円廿五銭

   :第3等 同六人五人乗     同  金 壱円

   第4等同四人三人乗  同 金五拾銭

(4)

長崎大学水産学部研究報告 第19号Q966) ユ03

 12年当時は府県税は営業税雑種税に分類され,すでにふれたように漁業採藻税は雑種 税的なものとして賦課されている.それはr漁場所用差許営業封度者ハ略奪二拠リ納税』

し,税納を以て漁場所用の許可とするものであった.

 原則的に下魚採藻営業税は,乗組漁夫数の大小によって差等課税され(ユ条),さらに 地曳網,根持網,四艘張網等の漁網を主要生産手段とする漁業のうち,大規模なものは網 税を重複課税されている(2〜4条).一般海面税に類するものはみられないが,採藻海 苔採取業はその漁場面積により徴税している・(6〜フ条). その税額もすべて漁業規模

  第5等同弐人乗   同 金廿五銭   第6等同壱入乗    同 金拾五銭

   山偏鑑札料       金 廿五銭

   但免許鑑札者木製ニシテ船ノ櫨目打付置廃船又ハ他へ譲渡ス時ハ届書二添へ県庁へ返    納シ譲受人者更二鑑札温言高

温2条地曳網同船ヲ主トセス専ラ陸上ノ働キヲ要スル者ナレハ第工条ノ外二左ノ納税ヲ上 納二郎事

  第1等 麻網長十六丈以上 年税金壱円五拾銭   第2等 同十五丈以下 金 壱円

   免許鑑札料金弐拾五銭

   但免許鑑札料者網主ニテ所持シ廃幽幽者ノ他へ譲渡ス時者同様前之通手続キ致スヘシ 第3条根持網ハ其事業広大ニシテ且数日間張網シテ大二他ノ漁業ヲ障碍スルモノナレハ 第1条ノ外更二二ノ通税納可致下

根持網張立中     金 参拾円

但シ其単二拠リ休業スル時ハ第工条ノ課税己ニシテ該漁税ハ上納二不及候事

第4条 四艘張漁ハ虚血二面テ多少ノ漁業ヲ障碍スルト錐モ其事業狭少ナレハ第1条ノ外二 左ノ通上納可即事

四艘張網張立中     金弐円 但シ前同断

第5条 他管ノ漁船漁夫等ヲ相傭ヒ漁業ヲ為サシメ傭主其利益ヲ得ルモノハ自ラ納税ヲ免ル ルニ付右等ノ分者磯船治者二等回付第1条第2条二二リ傭主ヨリ納税可致事但シー磁心ヒ上 ル者ハーケ年ヲ四季二分ケ税金ヲ四分ニシテ該季二応シ納税可望事

第6条 和若布鹿春心其他海草貝類及釣餌等ヲ採取スルモノハ田畑ノ肥用或ハ他へ販売シテ 利益ヲ得ルモノト錐モ総テ採草場ノ広狭二一リ左ノ割合ヲ以テ納税可致事大凡海面拾町歩二 輪年税金参円

第7条海苔ヲ採取スルハ他ノ海藻ヲ採取スルト異り海中へ鹿朶献木等打立多少通船ノ便ヲ 妨クルモノナレハ左ノ通り納税可工事   鹿朶立場千坪二付一季 金 壱円

第8条 河川漁業ハ海魚ト民業異トナルモノナレハ総テ漁夫壱入毎左ノ通り高慮可致事但シ 自家食料二供スル山回ハ乗船閑遊等二係ルモノハ此限二非ス

  川漁税年税    金 弐拾五銭   免許鑑札料    金 拾五銭    但シ免許鑑札出漁ノ節必ス携帯スヘシ

第9条簗漁ト唱へ河流ヲ横断シ或ハ杭木等ヲ打立魚ヲ捕ルノ類ニテ堤防治水ノ妨害ヲナス モノハ之ヲ厳禁スト錐モ実地妨害ナクシテ許可スルモノハ左ノ通税納理致事

簗藤壷一季一ケ所口付金五円

第10条 前条各営業税期会心ーケ年両度二区分シ上半年トー月ヨリ六月マテ其年七月十五日 限下半年ト七月ヨリ十二月マテ翌年一月十五日限上納可二二但鮪或ハ鰹二等ノ如キ年内捕魚 口止ルモノハ七月前後ヲ以テ区分シ年税ノ半税ヲ免税可致二付右等ノ分ハ其時々届出候儀ト 可相心得事

第n条 漁船地引網等新製口悪並二第8条漁夫創廃業ハ上下半年ヲ以テ区分シ七月後営業七

,月分廃業トモ税額半額上納之儀ト可相心得事

       (横浜市水産会:東京内湾漁業史料,Pユエ)

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ユ04 青塚:明治初期漁業布告法の研究一V

によって差等をつけ所得比例とは無関係な均一賦課であった.根捲網が30円で他は年税3 円未満である点からみれば,前掲の一般府県漁業税と同じく,漁業だけでは年貢的性格は 稀薄化しつつあったといえる.

 また愛媛県漁業規則は,漁場,営業,税法の3章からなり,漁場を23海区にわけ,さら に各海区を数漁場に細分し,漁場は「一村共用」「各村入会」の二種類としている.徳川 時代の磯猟場,沖猟場の慣行が次第に近代的な形で調整され,34年漁業法における専用漁 場への近接化を形づくっていた.また税法面では営業税のみならず,さらに漁場税を賦課

し,村持漁場を漁業税制面から保障する形をとった3).

 9年74号布達以後の漁業府県税徴収は,各県ともに漁場占用利用権を直納によって裏づ けし,租税徴収を主とし漁場取締が従とされた混在的規則であったことはほぼ推察でき る.したがってそこでの漁場法秩序は,74号布達にいう慣習を規準として構成されたのは 自然の成行であったであろうが,神奈川県税則にもみるように,漁場支配権取得の要件,

新規開業者の取扱いなどの詳細な点は明文化されず,すべて各府県の自由裁量に委ねられ ていた.それだけに漁場紛争解決は,統一基準の欠如のままにその時々の諸条件によって 動揺したのは当然であった.

 他方漁業採藻税の徴収方法は,l!年39号布告以後ながく地方慣例に一任されたことはす でにふれたところであり,当初は徴税方法の慣例によることと,漁業取締の慣習によるこ

ととは合一して,旧権利者の漁場占用の持続をもたらしたのである.

 しかし国の租税体系の整備,近代化にともない,このような地代収取と一体化した租税 徴:収から,次第に漁業採藻税の分離,体系化が要望されてくる.他面「可成」慣習による 漁業取締も,漁場の現実支配の絶対化という私的物権性を強化せざるをえないわけで,租 税と漁場地代の分化は,捕魚採譜税則から漁業税則と漁業取締規則の分離という形をとっ て制度化してくるのである.

第2節 漁業取締規則体系の独立整備 第1項 漁業取締規則の税制からの分離

 漁業税則と漁業取締規則の分離は,ほぼ明治13年頃から各県で進行したようである.特 殊なケースとしては,岩手県では明治9年からはやくも分離していた.しかしこれは一般 小漁業を漁業税則によって取締るとともに,漁場独占的漁業を別途に漁業規則によって秩 序づけるものであった、

 すなわち岩手県県税規則*では,免許鑑札漁業として鰐,赤魚,鱈の各釣漁や,鮭小引 網,投網等の網漁が,「鑑札願受」けの手続を必要とし,F無願無鑑札ニテ密稼』すること が禁止されている.一方年季免許漁業は, tr河海漁業心得書**」の規定するところであ

*明治9年5月岩手県県税規則

 『……県税規則別冊ノ通二二……施行候条……税三三致,……追々免許出願ノ分共総テ規則ノ  趣確守可致若シ母班無鑑杜ニテ密稼致シ候者於有之ハ,吃度処置可及候……

 第1条

 1.諸稼業左ノ通税納致シ免許鑑札ヲ受営業可愚痴。但自由ノ物品ヲ製造シ或ハ様収シ費用   二不野分ハ此限二二ス。

  起案製 工ケ年釜1ケ思付七十五銭

  但魚油再製ハ此限二非ス

(6)

長崎大学水産学部研究報告 第工9号(1965) 105

 鰐 釣      同  金七十五銭  赤魚釣      同  金七十五銭

 鱈釣      同 金五十銭

 飽 漁      同  金弐拾五銭 以上十九業パー戸二付,稼鑑札一枚可願受事  玉蔵引網(イクリ網トモ云)  同  金七拾五銭

 投網      同 金弐拾五銭

 鮎友釣      同  金弐拾五銭

 追網      同 金弐拾五銭

以上四業ハ営業ノ者銘々稼鑑札ヲ受ケ出漁ノ節必ス相携可申事

  .... r・

**明治9年ユ2月 岩手県河海漁業心得書

  第1条一期免許漁業ハ出願二品シ鑑:二二下二二漁業季節ヲ異り候ハハ、直チニ鑑札返納可      致候事

  第2条同上ノ内鮭巻持網鮭鍵クキ瀬ノ三業ハ場所ヲ限ル稼方三脚,一ケ所二人以上出願有      之節ハ先願ノ者工免許可致事

     但宴楽クキ瀬ハ川筋一町言霊持網ハ其場一ケ所ヲ宝前ト相良メ曲事

  第3条 年季免許漁業ハ五ケ年迄ノ年季を漆工株鑑:札可下渡尤物限ノ節毒煙ク入札ノ上・高      札ノ者へ免許可致二付,其年七月三十一日限株鑑札返納可致事

  第5条 新タニ漁業開業見込有之者ハ税額入札ヲ以可願出調査ノ上差支無之候ハハ、更二入      三熱相達面当

      但漁場新開非常ノ功労アルモノハ其事業調査ノ上直チニ興業ノ者へ免許致候儀モ可      有之事・

  第6条同上出願ノ節ハ所轄戸長へ申出戸長ニテ地元差支有無取調示談書添可願事

     但示談書手出方渋滞ニテ営業季節等二拘リ候儀有之節ハ其旨書面ヲ以本人ヨリ直二可     願事事

  第7条 第2条,第4条二掲載スル場所ヲ限ル漁業出願ノ節ハ絵図面兵乱可願出許可ノ上目      地元

      村吏立会標杭建置境三界紛シ無二様晶晶事

      二二小屋二二二等官地二建築致候節ハ更二官地拝借ヲ丁丁出事

  第8条海面漁業ハ其海岸ニテ区域ヲ定メ川筋漁業鮭留鱒留ハ上流弐拾間下流弐百間鮎留ハ      上流弐百間下流弐拾間ヲ稼人ノ持場ト相定候事

      但シ鮭留出留ハ川下出丸一品上議レモ十町以内二二テハ新留漁場出願候奨免許不相      成候事

  第9条 漁場免許株鑑札ヲ受タル者其限内於テ・鯨ノ漁業ヲ禁シ候共・讐ヘハ鮭漁二関ル季      節ノ外ハ其漁場ヲ占ムルノ権利無二事

  第ユ0条 株鑑札ヲ受侯者其稼季節二至迄稼鑑札モ不願受亦休業モ不願出於テハ其者ノ妨ケヲ      為シ候儀引付,株鑑札取揚更二入札郵相達事

  第ll条 留漁場免許ヲ受候者ハ従ヒ年季家母リトモ船路取開等ノ差支有之節ハ稼方差止候儀      可有之其節ハ速二留場取払旧地形二復シ返上可旧事』

      (岩手県水産部;岩手県漁業史料,P.363)

(7)

ユ06 青塚:明治初期漁業布告法の研究一V

り,5年以内の年季を限り鑑札を下渡すこととなっている.すでにのべたように4)岩手県 の年季漁業は入札制を採用していたのであり,漁場旧慣にとらわれないブルジョア的漁場 法体系を指向するものであった.

 鮭巻持網鮭鍵クキ瀬三業の先願主義(2条),二季漁業の入札制(3,5条),漁場図 面による許可(7条),保護区域的持場の法規上の限定(8条),漁場免許の権利内容明 確化(9,10条),漁場免許の公益上の剥権処分(ll条)などの諸規定は,9年頃におい ては先駆的な近代的漁場法体系の繭芽をなすものであり,34年漁業法体系に共通する法思 想を見いだすことができる.

 神奈川県では14年に税則と漁業取締規則の分離が行なわれている.14年5月甲第87号布 達をもって同県の『漁業採藻税則』が公布されたが,それは前掲同県r営業税則』を第4 類に再編した純然たる徴税規則である5).

 これと対応して翌6月甲101号達でr漁業及び詩藻営業規則』*が制定された.ここでも 12年のr捕魚雷藻営業税則』よりは一毅と進展して,新規出願の取扱(1条),隣接漁場

との調整(各条)などの規定において整備され,かつはじめて漁業取締の条規を設けて,

公益上の理由による漁業権の制限条件または免許処分の裁量にたいする制約を設けている

(14条).

* 明治14年6月神奈川県漁業及採二半業規則

 『第1条 漁業及採口業ヲナサントスルモノハ先ツ其場所ノ所用ヲ本庁へ出願免許ヲ請フヘシ  但従前所用免許ノ場所二二テ営業セントスルモノハ此ノ限りニ非ス

 第2条該営業場ノ所用ヲ請フモノハ其ノ場所ヲ定メタル願書及絵図面へ隣接所用者或ハ対  岸ノ人民二於テ故障ナキ旨ヲを表スル保証印及ヒ其ノ町村戸長ノ連署要スヘシ

 第3条所用免許ノ場所二於て営業セントスルモノ一寸4条以下ノ順序二拠ルヘシ  第4条海漁及湖川漁ノ業ヲナサントスルモノハ同業者及戸長ノ連署ヲ以テ所管郡区役所ぺ  出願免許ヲ請クヘシ

 第5条 根椿網其ノ他場所ヲ定メ張網ヲナシ捕魚ヲナサントスルモノハ張立期限ヲ明記シ自  村三二海面所用接続丁々漁業丁丁戸長ノ連署ヲ以テ所管郡区役所へ出願免許を請クヘシ  第6条 簗漁縄簗漁シラ漁場ヲ設ケ捕魚セントスルモノハ第14条第2項第3項ノ旨二拠リ堤  防治水ノ防害及融業日付テ故障ナキ旨自村並二水上水下村々戸長及漁業者ノ保証連署ヲ以テ  所管郡区役所へ出願免許ヲ請クヘシ

 第7条 海苔及海草貝類ヲ採取セントスルモノハ同業者2名以上及戸長\連署ヲ以テ所管郡  区役所へ出願免許ヲ請クヘシ但自家ノ肥料二充ル為メ採取スルモノモ本条二丁ルヘシ  第8条第4条ヨリ第7条二至ル各業ハ免許ノ証トシテ鑑札ヲ付与スヘシ

 第9条休業及就業モ所管郡区役所へ届出休業中鑑札ハ戸長役場へ預ケ置クヘシ  第10条 廃業スルモノハ其陣所管区役所へ届出鑑札還納スヘシ

 第n条 鑑札ヲ山麓毅損シ又ハ代替転居等ノモノハ其事由所管郡区役所へ申立壷掘鑑札ヲ請  クヘシ

 第12条創業ノ者ハ鑑札附与ノトキ直二税金上納スヘシ  第13条 漁業採豪華ハ左ノ期限二拠リ所管郡区役所へ納ムヘシ   第1期 其此7月ユ5日限リ

  第2期 翌年工月15日限リ

 第14条 営業取締ノ儀ハ左ノ通り心得ヘシ    第 壱

  ユ.総テ漁業ヲナスモノ堤塘蛇籠水除等ヲ損害シ又ハ水路ヲ妨害スルヲ禁ス

   第弐

  工.簗漁ハ河川ノ両岸厳石ニシテ水上水下村々堤防治水ノ妨害ナキ場所二非レハ免許セサ    ルモノトス

   第 参

  ユ. 縄簗漁シラ明目杭木二代フルニ細竹ヲ用ヰ堤防治水ノ妨害ヲナササルモノニ非レ洋琴

   許セサルモノトス』       (前掲,r内湾史料』,Pユ5)

(8)

長崎大学水産学部研究報告 第工9号(1965) IO 7

 以上の事例においても理解されるように,法形式の上での租税法体系と漁場法体系との 分離は,それが進展するにしたがって,当然に従来の旧漁業権者の地位を漁業税上納をも って権力的に保障するという面を脆弱ならしめていくものであった.それは新建魚採藻税 が,漁場占有利用にたいする代償としての租税的性格を喪失し,もっぱら抽象的絶対支配 の具現としての純租税的性格に純化する過程であった.このことはすでに雑税廃止布告に よって合法的な漁場支配の拠点を失った旧網元層にとって,その旧海面税復活を断念せざ るをえないとともに,漁場支配の持続さへも危うくする意義をもっていた.

        第2項 捕魚採藻税制をめぐる旧漁場占有層の動揺

 新漁業税の性格が,旧権利者の希望する魚場支配にたいする租税であるか否かは,当然 に解釈上の紛議を生じたところである.すでに8年借区制布告による「借用料」や,9年 74号布達による「府県営業税」の性格については,反封建勢力の側からも疑問が提出され ていた.8年9月新潟県下漁場紛争に際して,藤崎村の大審院上告理由にも,その争論が 見出されるのもすでにふれたところである6).

 すなわちr血税とは魚類をとり得るの税であって漁場の税ではない以上海上の営業を他 人に妨げられる理由のない』という主張がそれであった.この見解は正確な当時の漁業税 の解釈とはいえないが,いわば貢租的漁業税上納によって保障されていた漁場支配権にた いする反簸であり,封建的漁場支配権の根拠となっている漁業税のあり方を鋭く批判した ものである.

 したがってこの批判は,旧漁場支配層にとってより一層漁業税が漁場支配権i税であるこ とと,その存続を切望する契機ともなったのである.しかし近代的租税体系の確立は直接 的な国家権力による漁場支配の保障的性格を離脱せしめるにいたり,それが海面税的形式 をとるにもせよ文字通り営業税へと移行していったのである.それは漁場支配者決定の要 因ではなく,現実の漁業者から租税を徴収することのみが内容となった.上掲の若干の漁 業取締規則との分離後の税則事例はそれをしめしている.

 静岡県では8年の借区制布告にもとづき,豆州内浦の立網漁場の10ケ年魚区を許可した が,9年74号公布ののち地方税徴収規則によって,漁業税としては漁業採藻税を徴収する

ことになり,借用料との混乱,疑義を生じた.

 旧山元側は,借用料の示達がないままに漁業採藻税のみが徴収されたことに不安を覚え て, r当村ハ……雑税御改正御布告以来旧慣二因リ池元……ヨリ拝借歎願』し,その結果 r税額ノ義急追テ相達世語』として猛禽が許可された経過に鑑み, r右漁業税ヲ拝借税与 心得』てよろしいかとの伺を静岡県庁に提出した.*

* 明治13年8月静岡県漁業採二二ノ性質ニツキ伺

  r本年本県甲第88号ヲ以,地方税徴収規則御達中第21条敬承仕馬脳,漁業黒藻税ハ営業人二

 等級ヲ設ケ之ヲ分課シ或ハ其人頭二課スル等,町村二二於テ確定スヘキトアリ,又26条二因

 レハ従前年;面前ヒ税額ヲ定メ漁業採藻ヲ許可セシモノ此限リ年期中口其税額二面リ徴収スヘ

 シトァリ右2ケ条トモ熟考候二第21条ハ全ク捕魚税ニシテ拝借三二無之ト想像,然ルニ当村

 ハ……雑税御改正御布告以来旧慣二因リ津元……ヨリ拝借歎願相成一処,海面若千町歩貸渡

 之儀,其筋指令之趣モ有之,明治8年中リ同17年迄工0ケ年間聞届候条,税額之儀ハ追テ相違

 可申旨ノ御指令二一レハ右漁業税ヲ拝借税与心得,第26条面通リ年;期中ハ旧慣二因リ海面拝

 借人……ヨリ悉皆徴収シテ町村会議定二不及執斗候テ可然哉……至急御指揮奉願候也

       右 戸長 某  』

      (渋沢敬三:豆州内浦漁民史料中巻の弐,P.464)

(9)

ユ08 青塚:明治初期漁業布告法の研究一V

 静岡県庁はこの伺いにたいして,漁業採藻税は地方税徴:収規則第2工条によって税額は町 村会の議定を経て決定すべきものであり,同則第26条*による従前慣例を継承する税で はない旨を回答し,かっr但地方税者海面拝借料ト名実別異二付混同ス可ラサル儀心得ヘ シ』と注意を促している.

 同13年3月の豆内浦長浜村約定書によると, r拝借料ハ被差止適宜府県税ヲ課スルモノ ト相成候二男自今無用二歩スルヲ以テ……』7)とある点からみても,静岡県としては,営 業税としての漁業採藻税が拝借料でないことはすでに決定していた.ただユ3年当時は前掲

の伺指令但書によってみても,なお両者を区別しながらも拝借料の存廃については未決定 のようであった.

 こえて16年にいたり,津元よりの拝借料課税の陳情にたいして,r右ハ御指令可相成限 リニ無虚血故,却下御執斗相成度**』と郡役所宛指令している.

 このように16年にいたって,漁業税は地方税の雑種税一本に統一されるのであるが,こ の漁業税の営業税化をめぐって,旧漁場支配権者でありかつ8年借区制布告にさいしてそ の後10年間の漁場借用を許可された津元層は,波浮役米的海面支配の代償としての恩納を 熱望し,しばしば漁業採血税以外の海面拝借税の上納,あるいは漁業採掘税の拝借税化を 陳情した.これは租税体系の近代化にもかかわらず,なお旧貢納制による漁場支配関係を 存続せしめようとした旧津元層の反近代化工作であった.

 この種の漁場支配権の保障を意味する海面税の廃止は,神奈川県の場合も同一であり,

明治22年当時の「漁業窃取差止解除訴訟事件」であきらかにされている.同事件は横浜始 審裁判所で争われたが,原告村が被告村所有海面で明治ll年税則により海面税を負担し蠕 採取入漁をなしていたが,14年の前掲営業規則分離の際海面税は廃止となったのであるか ら,その後出金をしないことを理由として,原告村の入漁を被告村で拒否することをえな いものとして原告を勝訴せしめたものであった8).

 このような漁業税における権力による直接的な漁場支配保障からの後退は,それに代る べき権力的保障としての府県漁業取締規則を現出させた.そこにふくまれる府県官僚によ る漁業免許の裁量処分は,地主的漁場支配権の強化を専ら漁場の官僚統制に求めるの道を 選んだのである.

*明治13年9月前頁*伺にたいする県指令

  r書面伺之趣,地方税徴収規則第26条二照準ス可キ筋斗無之,同規則第21条二拠リ,課税可   致儀ト可相心得候事

  但地方税者海面拝借料ト名実別異二一混同ス可ラサル儀心得ヘシ』

      (前掲「内浦史料」,p.464)

**明治IG年9月静岡県勧業課海面税廃止

  中国沢心性寺村加藤三郎左衛門外3人同郡小海村増田七兵衛外2人へ貸与シタル海面税徴否   ノ儀二三二村漁師惣代人ヨリ別紙ノ通り伺出候処,右ハ御指令二相成限リニ無二儀故,却下   御異年号成度,尤モ該税金ノ儀ハ本県布達地方税規則二寄リ漁業税徴収候上国海面税ハ別二   徴収セサルモノ側付,其旨本人工御示諭有之度,…………

   明治ユ6年9月29日    君沢田方郡役所御中       静岡県勧業課』

      (前掲「内浦史料」,P.565)

(10)

長崎大学水産学部研究報告 第19号(19δ5) 109

第5節 漁業取締規則の法律的性格 第1項 漁業取締規則における慣行承継的側面

(1)初期漁業取締規則の性格

 ほぼ明治13年頃から税則と分離して独自の法域を形成した各府県漁業取締規則は,9年 の74号布達を背景としつつも,その解釈のいかんによっては漁場慣行秩序に重きをおくも の,比較的ブルジョア的漁場秩序を容認するもの,さらに専ら公的漁場取締制限に重点を おくものとさまざまな内容をしめしていた.

 それらは19年の漁業組合準則による過渡的統合をへて,やがて34年漁業法につながるも のであるが,むしろ全国的統一漁業法の欠如したままに,各地方の漁業の近代的発展や後 進的様相を反映して興味深いものがある.34年漁業法制定の際の漁場慣行論争も,その制 度的基礎となった各府県漁業取締規則期の分析をへて,始めてその正確な歴史的意義をあ きらかにしうるものである.

 まず9年の74号布達以後,漁場制度の指導方針となった「慣習による漁場取締」はどの ように取扱われたであろうか.

 8年借区制布告が新規漁業と旧漁業との調整を意図していたことはすでにのべたとおり であるが,74号布達はその方針を大きく後退させた.しかしそこでいう「慣習」は,必ず

しも故事にとらわれず,ときに新規漁業の進出によって変動した維新後の現実的漁場秩序 を指すこともあり,.また「可成」の解釈から漁場旧慣にとらわれない府県もあった.

 したがって当時における「慣行」とは,復古的な封建的漁場秩序を意味するものから,

漁業調整的意義において現時の慣行的漁場規律を考慮するものまでふくむ広範囲な考え方 であったといえる.

 この意味で9年以後の各府県漁業取締規則をみると,まず前掲明治14年のr神奈川県漁 業及採藻営業規則』では, r従前所用免許ノ場所二於テ営業セントスルモノ』は,本庁へ

の出願免許を必要とせず,その現実的漁場所用の承継を認められている(1条但書).

 また新規出願者の取扱いについて,すべての海漁および湖川漁の出願において,r隣接 所用者或ハ対岸ノ人民』 r自村二二海面所用接続凹々漁業者』 r自村並二水上水下村々…

漁業者』同業者r二名以上』の連署というようにすべて関係町村戸長の保証連署を必要と し,それを新規漁業が門々地先漁場においてr故障ナキ旨ヲ表スル』ことの保証とした.

 この点はある程度ブルジョア化された9年の岩手県河海漁業心得書でも同断であり,新 開漁場についてr出願ノ節ハ所轄戸長へ申出戸長ニテ地元差支有無取調示談書添可願出』

(6条)と定めている.ただし岩手県の場合は,新規開業についての反対運動などのため,

r示談附差出方渋滞ニテ営業季節七二拘リ候』場合は, r其旨書面ヲ以本人ヨリ直二可願 出事』を許してあり,神奈川県のごとき東京湾三十八職的先規9)によって,資源的見地か らの生産手段の制限が厳格に規制されていた漁業地帯との制度上の差異を見出すことがで

きる.

 さらに神奈川県では,!6年12月r漁業ノ平門可成従来ノ慣習二従ヒ取締方可相立儀二有

之就テハ自今一層注意ヲ加へ』三十八職以外の新規漁業は,充分に故障の有無取調の上営

(11)

llO 青塚:明治初期漁業布告法の研究一V

 回するように布達苦している.

  このように9年から14,5年までの各府県漁業取締規則では,共同体的な漁場規制によ  る漁場調整が濃厚であることが一つの特徴となっており,この限りにおいて新規漁業者の  出現や新規漁業の開業がある程度の制約をうけたことは否定できない.その反面新規漁業

蘇  は必ずしも拒否されるものではなく,16年に神奈川県が慣行尊重布達を出したのも,現実  的な漁場旧慣変更の進行を調整しようとするものであったと理解される.

  むしろ府県漁業取締規則において,先規的漁場慣行がより強調ちれるにいたったのは,

 資源的立場からの漁場統制以上に,経済的視点での乱獲現象が激化した明治14,5年以降  ではなかったかと思われる10).

 (2)明治14年以降デフレ期の漁業行政

  明治13年明治政府は,維新以後乱発された紙幣整理に着手し,14年以後18年までそれに  ともなう本格的デフレが開始された.官業払下に基礎をおく財閥創出が進行するとともに,

 他面地租改正完了によって生じた小中農の大量没落と地主的土地所有の拡大が農村の階層  分解を促進し,体制的不況がこれと相関連して,農漁村は深刻な農産物価格の下落による

窮迫;期を迎えたのである.

  政府は14年4月農商務省を設置して強力な農政展開の足場とし,5月『農商工諮問会規  則』 (布告29号) r農商工上等会議諮問会議』 (布達44号)を制定して, r府県勧業上ノ

事業ハ成ルヘク農商工諮問会二諮問シ勧業ノ方法ヲ改進セシム』 (布達45号)ことを決定  した.その後の官僚による上からの勧業政策は,わが国寄生地主的土地所有の確立過程と  対応して,明治農政の特異な発展過程を形成したのである.

  漁業においてこの期を特徴づけるものは, r沿岸漁場の狭隆化,魚族の減少,漁民層分 解の激化,その結果としての中世的農奴主経営の崩壊』であり,r効率の高い漁業の進出  に対する旧漁業者との紛争,小寺業者同志の紛争11)』が全国的規模で展開されたことであ  つた.

  政府はこの事態に対処するための直接的な漁業行政方針として,まず14年1,月r漁業保  護水産蕃殖ヲ謀ルノ件**』を布達し, r置県以来往々旧慣ヲ変易シテ捕魚匝瑳シキヲ失  シ』ているから,水産盛殖のため充分の注意を加えるよう注意を喚起した.さらに15年3  月にはr並等捕獲ノ為メ潜水器使用二関スル件***』を公布, r使用適度ヲ過ルトキハ介  種蕃殖上妨害ヲ来ス』潜水器使用を取締るよう府県に取調方を命じた.

  当時の漁場秩序の混乱はまさに資本主義的乱獲競争の性格をしめすものであったが,

 *明治16年12月神奈川県丙103号布達r漁業ノ儀ハ可成従ノ慣習二従ヒ取締方可相之儀i二三立儀二   有之就テハ自今一層注意ヲ加へ内海漁業者ノ相互二契約シタル三十八園外ノ漁業二従事セントス   ルモノ当盤メ沿海浦村二於テ故障ノ有無取糺ノ上営業可致様各漁業者へ懇篤諭示致スヘシ此旨相   違候爵』      (前掲「内湾史料」P.16)

** 明治ユ4年1月20日『漁業保護水産蕃殖ヲ謀ルノ件』(内務省乙第2号達)

  『水産ノ盛殖ヲ謀ルハ国家経済ノ要務二郎処置県以来往々旧慣ヲ変易シテ細魚其宜シキヲ失シ為   之水族ノ蕃殖ヲ妨ケ巨多ノ障害ヲ生シ候類不少哉二相聞候目付篤ト実地取調ノ上一層漁業ヲ保護   シ水産ノ盛二二注意可二三旨相違旧事』      (法令全書明14.2)

***明治15年3月r門下捕獲ノ為メ潜水器使用二関スル件』 (農商務省5号達)r近来沿海二於テ飽        みつくくり

  等捕獲ノ為メ潜水器械ヲ使用スル者有之趣相聞候処右ハ使用適度ヲ過ルトキ甲介種蓄襟上二妨害   ヲ来スヘキモノ呼付篤ク注意ヲ加へ適宜取締ノ方法取調当省へ可伺出此旨相達候事』

       (同上明ユ5.4)

(12)

長崎大学水産学部研究報告 第]9号(1965) ll工

それは一面定着性水族の根絶的乱獲を結果するのは必然であり,わが国漁場取締の資源 保護政策的生産方法制限の重要な柱にもなっている.それは生産手毅が沿岸性技術の域に 止まって発展しない時期においては,漁場生産関係の矛盾が直ちに資源乱獲となってあら われ,すでに徳川期からの「先規」の主要な対象や要因となっていた.14年以後のデフレ 期における漁村経済の逼迫が,より一層資源根絶的乱獲に漁業者をはしらしめたのは当然 であった.また政府による漁場取締行政も技術的な取締強化に重点がおかれた.

 このような資源保護的取締は,しばしば新規漁業の出現を抑圧する方法として行なわれ るのもまた当然であった.すでにll年当時千葉県でも, r鮨魚ハ……其捕獲ノ多寡ハ即一 般民心ノ栄枯二関スル不義儀二付』新規漁業である小晒網の禁漁期を示達している12).ま た各府県漁業取締規則における取締規定も技術的性格よりも経済的背景によるものが多い.

 明治14,5年当時にまず政府によってとりあげられた沿岸漁場資源保護政策は,その政 策的重点が対支主要貿下品である水産物の保護におかれ,19年漁業組合準則,34年漁業法

もこの見地からの殖産興業政策に貫かれていたことはのちにふれるところである.さて以 上の政府諸通達は,各県における同様の具体的措置となってあらわれ,15年10月三重県は

r潜水器使用規則*』を公布して,漁業者,漁場台数について制限を加え,ユ6年には青森 県が河川での魚留漁業を許可制とし**, 神奈川県も同様に上り簗漁業を禁止する措置に

出ているのがみられる***.

 また滋賀県では,16年に従来の漁業採藻規則を改正し, r水産保護例及二二取締仮規則

』を制定し,同時に各町村の自治的漁場取締団体をして町村組合を結成し,さらに近江水 産同業会に発展せしめている13).

 政府はさらに工9年6月農商務省訓令9号****を発して,一般的な r三児介苗其他未成 長ノ苔藻類』につき採捕制限を立てるよう各府県に通達し,民間自治団体としての漁業組 合の整備確立と相まって一層資源保護政策を強化した.それは上記のたんなる通牒訓令の 類によっては,進行する漁場紛争や資源乱獲を防止することの不可能であったためであ

り,このようにして74号布達による府県漁業取締は19年漁業組合準則以後の第二期に入る のである.

(3)漁業組合準則を中心とした慣行漁場取締期

 府県漁業取締規則初期における技術的取締の偏向は,漁場秩序形成についての法思想 的動揺に対応した初歩的段階のものであった.そこでは積極的な慣行維持思想はそれほど みられず,逆に数県においてはむしろ新規漁業階層の漁場占有利用関係を容認する態度さ  * 明治15年10月三重県甲第67号布達

   r   潜水器使用規則

  第2条潜水器械ノ使用ヲ許スハ本県下在籍ノ者二限ル   第3条 潜水器械ノ使用ヲ許ス場所云々

  但一区内ト錐トモ一場二・二台以上ヲ併用スルヲ許サス』 (大日本水産会報:14号,P.55)

 **明治ユ6年3月青森県令甲第10号

   r川筋二於テ魚留ヲ設ケ漁業ヲ為サントスル者ハ総テ客歳7月本県甲第26号布達……二準シ   出願スヘシ』      (同上,P.56)

*** 明治ユ6年4月24日神奈川県令甲虫15号

   9=管下河川二於テ上り簗漁業之儀不相成候条此旨布達候事』

****明治19年6月30日農商務省訓令第9号9魚児介苗其他未成長ノ苔藻月華リニ之ヲ捕採セ

  サル様各地ノ状況二従ヒ適宜之力制限ヲ立ツヘシ但明治ユ8年当省第23号達二拠り融点ノ上施

   行スヘキ儀ト心得ヘシ』 (法令全書明19.7)

(13)

112 青塚:明治初期漁業布告法の研究一V

えしめしていた.

 当時農商務省の産業行政方針は,14年6,月乙第5号eeにみるように,欧米模倣の勧農政 策から次第に「民業保護」に転換し,かつr民業保護の名のもとに,地主層およびそのも

とで農村内部に自生的に展開されてきた農業生産力体系を重視し,それをあたらしい近代 的技術導入によって妥協的に改変していくという道がこの時期の農政の基本的進路となっ

た14)』.

 そこでは極端な干渉主義が廃止され,農商務行政は管理事務的方向に集中された.そし て12月の達1号** にみるように,可及的r民情慣習ヲ酌量シ』r干渉ヲ厭テ委放二過ク ル事ナク成法ヲ株守シテ変通ノ実ヲ失フ事ナキ』府県産業行政が要望されていった.

 14年以後,各種水産面談会的系統民間団体の再編強化がはかられ,在野老篤信業者と官 僚技師(例えば15年設立の大日本水産会巡回教師)との協力による漁業技術指導,普及の 進展が行われていく.この方向は,当然に旧網元層を中心とした漁村団体の強化一慣行漁 場支配の強化とならざるをえない.その集中的表現が19年漁業組合準則であり,各府県漁 業取締規則にみる慣行優先方針であった.

 一方行政権の漁場秩序にたいする直接的行使介入は,ひきつづき技術的取締の形による 官僚統制的漁場秩序の強化,細密化となって各府県規則にあらわれてきた.それは当時の 上からの生産力発展の道をとった殖産興業政策の必然の結果でもあった.

 勿論増加する漁場紛争は,とくに渉県紛争における県内取締の困難を生じ,18年6月農 商務省は23号達をもってr水産上取締ノ義碑面ネ旧慣二輪ルト難モ交渉ノ府県及ヒ地方利 害ノ権衡最モ精査ヲ要スヘキモノ心付右二関スル布達ハ其事由ヲ具シ当省ぺ経伺ノ上施行 スヘキ』ことを各府県に命じている.これはあきらかに拡大する14年以降の漁場紛争が漁 場旧慣のみをもってしては解決しえず,動揺する漁場統制政策の苦悩をしめしたものとい

えよう.

 しかしこうしたr地方利害ノ権i衡』のための措置は,翌19年12月19号訓令で廃止され,

渉県秩序も再び旧慣準拠方針に復元している.これはその背景が詳かではないが,当時の 漁場秩序法制定についての急進論,漸進論が交錯してあらわれ,19年の漁業組合準則公布 によって漸進派が勝をしめるや復元的方針に変更したものであろう。しかし政策のいかん にかかわらず,法制度を動揺せしめ新たな秩序を造出させる漁場支配関係が熟成し,19年 準則以後も発展していったことは上掲経過からみてもあきらかなところである.

 さて19年漁業組合準則以後の府県漁業取締規則は,とくに漁場秩序の基礎を慣行に依拠

* 明治14年6月28日農商務省達乙第5号r農商工奨励ノ儀i二付テハ官盛祥之二率先シ其事業ヲ   開設シ或ハ其実利ヲ指示スル等従来区々ノ方法二渉リ之ヲ誘導セリト雛モ今や事業漸ク開ケ   人々自奮之二従事スルノ時二至テハ人民ヲシテ漫リニ依頼スルノ恩念ヲ脱シ益其自奮ノ気象   ヲ拡充セシメサルヘカラス故二専ラ法規二塁リ公平不偏治ク之ヲ保護シ詳々二地方ノ実況ヲ   察シー般ノ便益ヲ図り大二之ヲ奨励スルハ管理上ノ要務二候条地方庁二於テモ此趣旨二基キ   施行可致此旨相達面面』      (法令全書明14.8)

** 明治14年12,月20日農商務省達第1回目農商工ノ事業二巴テハ尤モ意ヲ尽シテ之ヲ奨励鼓動セ

  サルヘカラス其方法措置二至テハ専ラ法規論拠リ公平不偏治ク之ヲ保護シ其利便ヲ謀りテ干

  渉其度ヲ失フヘカラサルハ勿論二候ヘトモ深ク民情慣習ヲ酌量シ施為其頃キヲ得ルニ非サレ

  ハ断シテ其効ヲ奏シ難キヲ以テ因り各地方其方法ヲ画一ニスヘカラス依テ各地方官心当サニ

 実地二就テ篤ク注目誘導ヲ加へ農商工二関スル条規ニシテ実際二適用シ難キ場合二野テハ府

  知事県令其事由ヲ具シテ当省ノ指揮ヲ乞フヘシ干渉ヲ厭テ委放二過クル事ナク成法ヲ株守シ

  テ変通ノ実ヲ失フ事ナキ様注意可致此旨相達候事』         (全三明15.1)

(14)

長崎大学水産学部研究報告 第19号(エ966) 113

することを強く指向しているものである.まずその第一点は漁業組合規約の遵守である.

例えば明治23年4月の広島県漁業取締規則は, r漁業ハ都テ其慣例若クハ特約二拠ルベシ 但慣例等不判明ニテ自然漁業上故障アル場合ハ調査ヲ遂ケ之ヲ指定スルコトアルヘシ』

(2条)とし,またr漁業組合設置ノ漁場二於テ漁業……ヲ営ント欲スル者ハ県ノ内外人 ヲ問ハス該組合二加入シ規約二遵フ』(3条)ことを命じている.

 23年5月の静岡県漁業取締規則15)でも,r漁業組合設置ノ漁場二於テ県内外人ヲ問ハス 組合外ノモノ従来ノ慣行二依リ漁業スルトキハ心地組合規約二遵フヘシ』(1条)とし,

25年岩手県漁業面部業取締規則1条,同年神奈川県漁業取締規則16),29年忌葉県令5号規.

則も同様の趣旨をうたっている17).また28年ll,月の徳島県水産取締規則18)は, r漁業組合 設置の地区内に現住する漁業者は忌地組合に加入すへし』 (5条)としている.

 第二点は,府県漁業取締規則にいう慣行とは,漁場区域,漁具,漁法に関する慣行であ ることである.例えば28年徳島県水産取締規則ではr漁業場の境界及漁業の方法等は特に 規定あるものの外は従来の慣行に依るへし』(8条)とし,19年ll月の大阪府漁業取締規.

則19)も, r漁具漁法及漁場区域は従来の慣行特約に拠るへし』 (3条)とした.

 また25年神奈川県の上掲規則もr漁場ハ総テ其ノ地ノ慣行』に従うことを命じ(5条工 商),28年熊本県翁面取締規則20)は, 『漁場ノ区域又ハ其入会及専用ハ総テ従来ノ慣行二 依ル』 (8条)としている.府県漁業取締規則の全国的統一が行われた28年以後では,

32年の大分県漁業取締規則2りがr漁場ハ従来ノ慣行二面ル』として従来の方針を踏襲して

いる.

 以上の数事例によってみても,19年以後の府県漁業取締規則が増大する漁村部落間の漁 場区域対立に対処して,漁場秩序の規制をもっぱら慣行に求め,自治的漁場統制団体とし ての漁業組合に包括的漁場取締を期待していたことがあきらかである.

 この場合の「従来ノ慣行」が徳川期のそれでなかったことはあきらかであるとしても,

14年当時の漁場紛争における旧組合,村落,旧権利者の漁場支配関係における地位を強化 せしめたことは争えないところである.

 かつ個別的独占漁場では,9年74号布達以来の漁業取締規則初期において,関係漁業者 の連署を必要とし漁場紛争に備えたことは,漁業組合加入と組合規約遵守の姿で継承され,

問題の重点は組合規約の慣行的性格に焦点が向けられてくるのである.その解明は漁業組 合準則の項でするが,上からの漁業取締規則の一方面制定が支配的に慣習法的漁場秩序を 支持したことが,34年漁業法制定当時における旧権利者の強力な存続の背景となったこと は重要である.

 従来の通説は府県漁業取締規則の慣行尊重方針に着目して,漁業取締規則期の性格をも っぱら旧慣承継期と見なしている.例えば潮見氏は,r各浦浜においては,地方漁業取締 規則の趣旨にのっとって,旧慣のうえに,漁場の利用関係,漁具漁法の制限をおいたので

あって,その結果,徳川時代の「山野海川入会」によって規律:されたような旧い生産関係 が再生産されてゆく22)』とする類である.

 また秋山氏は経済史の立場から,r地方庁はそれぞれの規約を認可することによって,

ほぼ漁業調整の体裁をととのえた. 地方取締規則は, 多くは慣例により,組合規約によ

ると述べ,組合と別箇の上からの調整方針を示していない.個別の組合規約のラフな一般

化を示しているにすぎない23)』とのべている.このような組合規約との結合関係を秋山氏

(15)

1ユ4 青塚:明治初期漁業布告法の研究一V

は,r逆にいうならば,半封建的網元層を中核とする漁場利用関係一組合規約を地方権力 によってバックアップしたものが地方取締規則なるものであった』と評価している.

 また原暉三訂もその法制史的検討の結果, r明治9年7月太政官達第74号・一・(の)……

法意に基き斯く規定せらるべきは当然にして,何れの地方の規則にありても,取締又は許 可の基準を旧慣,慣行,慣例,慣習等の文詞を以て此の意を表示した.実に当時は旧来の 慣行を保持することが素面以上の重要指針であった.これ畢意新規なる漁具漁法の発生す るか又は漁業場所の変更するが如きは,漁業上の紛議を醸す重大原因を為すを以て,之を 全く防遇し又はたとひ之を認むるとしても,利害関係者例へは隣…接漁業者又は隣…村の同意 を要する等の特別の手続を規定するを常とした24)』とその意義を説明している.

 潮見氏が慣行の歴史的性格,意義を検討せず,34年漁業法制定に至る間の地方漁業取締 規則を指して徳川時代漁業秩序の再生産であるとしたのは論外として,原氏が取締規則の 旧慣承継を74号布達の法意と単純に規定した点も検討を要する.当時の漁業取締規則が,

漁場紛争の鎮圧をその重要使命の一つとしたことはあきらかであるが,さらに重要な条件 は,当時の農政方針が欧米模倣的官営方式から,自主的日本的技術の育成策に転換し,農 商務省は管理行政機関に転質したことにある.

 したがってとくに漁業組合準則以後の漁場法秩序は,たんに9年74号布達の機械的適用 なのではなくして,地主的漁場支配権の自生的確立に寄与する歴史的性格を有していたこ とに特徴がある.それは14年以後のデフレ期における漁村網元層の当然の自衛的手毅でも あったのである.

 その意味では秋山氏が, li半封建的網元層を中核とする漁場利用関係=(漁業)組合規 約を地方権力によってバックアップしたものが地方取締規則であった』との評価は正当で ある.ただ同氏がそのような地主的漁業調整を漁業取締規則そのものは明示せず,たんに ラフな一般取締方針をしめすに止まったとしたのは,若干史料分析に不充分の点がある.

とくに19年以後の漁業取締規則では,相当に詳細な技術的取締を直接規定しているのであ る.これは上からの漁業生産力向上のための不可欠の行政的要求にもとつくものであった からである.

 いずれにしても法制史および経済史における通説的見解は,全面的に旧漁場慣行の承継 を府県漁業取締規則の本質とみている.勿論全国的にみた場合多くの府県において,旧慣 に漁場取締の規準をおき,旧支配者層の地位の持続とその漁場支配権の境界,漁具漁法の 先規的拘束をみたであろう.にもかかわらずその支配的形態であった漁場慣行承継におい ても,まず権利主体の選定は,明治8年の借区制布告以来行政処分に因るものであり慣行 にもとつくものではなかった.

 例えば,明治29年12月28日行政裁判所は,原告の『漁業権ハ明治9年太政官達一基キ法 律上当然従来ノ慣習アル漁業者二属スヘキモノニシテ知事ノ職権ハ其権利ノ有無ヲ確認ス ルニ止マルモノ』であるとの主張を反論して,r漁業権ハ沿岸人民ノ所有二属スヘキモノ ニ非スシカシテ知事ハ法律規則二身リ人民ノ出願二対シ免許ヲ与へ若クハ之ヲ拒否スル権 アルモノトス』と判示している.

 また漁場慣行以外の事由による新規取得を必ずしも否認するものではなかった.またそ

の免許基準である漁場慣習の意義,内容そのものがすでに歴史的概念であり,変動する漁

場支配の実態が慣行と認められたり,村持漁場または組合持漁場め入会漁業においても,

(16)

長崎大学水産学部研究報告 第19号(1965) l15

その決定が慣行的規律となったことは,行政裁判所その他の多くの事例のしめすところで

ある.

 すなわち漁村の階層分解と階層出力関係がその規律一慣行を決定したのであり,必ずし も旧慣そのものの機械的踏襲ではなかった.その限りでは,慣行の文献的不正確さや漁具 の変化を理由として,多くの漁場慣行と称する申立が行政処分に当って拒否されているの である.ましてやあきらかに慣行にとらわれない漁場取締規則や行政判例もみられ,全面 的慣行承継の機械的主張は再検討を要するといわなければならない.

 要するに形式的な漁場慣行の承継も,その現実的目的は部落対立的漁場紛争の上からの 一時的便宜的鎮圧にあり,封建的漁場支配権そのものの継続を目指すものではなかった.

それは漁場紛争の社会経済的主因であった漁場生産関係の矛盾を解決する手段のないまま に,応変的に旧慣による抑圧策をとらざるをえなかったのである.その旧慣とは封建的支 配関係を再生産するためのものではなく,すでに持続しえなくなった漁場の封建的支配を 脱却して,旧網元層の地主的支配を再生させるための手段的意味しかもっていない.

 したがって漁場取締規則のいう慣行を表示する具体的規定は,漁場区域と漁具漁法種類 の先規的拘束であり,権利主体および漁場行使方法そのものを直接規制するものではなか ったのである.

 また旧漁具漁法が改良された場合や,漁獲対象が変化した場合は,慣行的漁場支配は認 められなかった.この点は34年漁業法におけるいわゆる慣行専用漁業権制度にまで引きつ がれた慣行取扱の行政方針であったといえる.

 そこでの府県漁業取締規則の性格は,制定法としてはあきらかに身分拘束を基礎とした 代持入会漁場や農奴主漁業経営を目指すものではなく,免許処分による現状維持的慣行方 針がしめされながらも,次第に法の前の平等や漁場支配権の私的性質とならんで,その上 にたつ官僚統制権が強化されていったのである.

 府県漁業取締規則における慣行存続的性格をしめした適例は,豆州内浦における網戸場 免許に関する訴訟事件である.

 すでにのべたように25)豆州内浦の津元対小前層の対立は,8年の漁場借用の旧藩元にた いする許可によって一応鎮圧されたが,その許可期限の満期であった18年再び漁場所有を めぐる抗争が表面化した.それは長浜村漁場を部落総漁民の共同経営にしょうとする小前 側の意図にたいし,旧試織が2人の他村漁業者および5人の自村非漁業者の協力を得てそ の共同経営に移そケとして対立したことに発している.小前側は沼津治安裁判所宛「新規 地引網差止勧解願」を提出し,旧津元以外の新規締営者の進出に反対し,その地引網漁場 が旧津元の支配下にあったことから網子側も共同経営者の参加資格ありと主張した26).

  この小前側,津糸織の主張にたいし19年12月静岡始審裁判所は,旧津元側のr地引網 漁業の鑑札を受けているのであるから新規経営者も操業は自由である』 との見解を支持

し,旧網戸旧制はその借用期限満期に当るr明治18年以来之レカ所用ヲ差許サレサルモノ ニシテ何人ト錐モ所用ノ特権アルニアラサルヲ以て従前漁業人口アラス又新規ノ地引網ヲ 設クルモ漁業鑑札ヲ受ケ其漁業ヲ営む事ヲ許サレタルモノナレハ原告(小前側)ハ之ヲ差 止ムルノ権ナキャ明瞭ナリトス27)』とのべ,府県漁業取締規則下の漁場支配権の主体の決 定は,営業許可にあって慣行にはないことあきらかにをした.

 他方同裁判所は,工9年ll月内浦三津長浜両村が,木負村の張切網操業を新規漁業であっ

(17)

ユ16 青塚:明治初期漁業布告法の研究一V

て先規に背くという理由でその解除方を提訴したのにたいして,木負村のr張霞網ト称ス ルモノハー般建網ト称シ塞キ網大手地引網ト大同小異其実同種ニシテ新規ノ者ニアラス…

…』の主張を斥け,つぎのように先規的漁場規律の遵守を判示した.

 r該営業ノ儀ハ総テ単離旧来ノ区域及慣例二拠リ候義云々トアレハ該慣例二由ラサルヲ 得サル言ヲ侯タス……然ルニ……張切網ノ新規ナル事ハ二村漁法取調書……漁網種目中張 切網ノ名目ナキヲ以テ顕然タリ……将タ又……本訴争フ所海湾ハ……魚道二妨害アル事一

目瞭然ナリトス28)』.

 以上の静岡始審裁判所の判決は,当時の府県漁業取締規則にいう慣行が,漁場区域,漁 具漁法に関するそれであって,漁場支配権主体に関しては,旧権利者の承継を当然として

=法定するものでない法意をあきらかにしたものである.

 しかるにその自治的漁場行使規範をふくめた漁場法秩序が,しばしば旧慣的漁場生産関 係=封建的生産関係の制度的表現とみられているのは,当時の漁場慣行方針の政策的性格 を機械的に旧慣一封建制とおきかえて考察するためであり,とくに回持漁場の評価におい てその傾向が著しい.しかし地先入会利用漁場においても,維新後においてはその共同体 的規制は次第に弛緩し,村落そのものの性格も変化していったζとは従来の諸研究のあき らかにするところである.したがって古典的総有制を維新以後10年代に求めるのは採用し

難い.

 そこでは旧慣によって一応その地位を継承しえた旧網元層が,府県漁業取締規則による 漁場法体系の整備,近代化にしたがって,漸次その漁場支配関係の性格を寄生的地主支配 の方向に転化せしめていったのである.逆にいえば府県取締規則の法的性格は,そのよう な私的漁場支配権化の質的転換を阻止するなにものをももってはいなかったとさえいいう るのである.

 さらに漁業取締規則期の重要な特徴は,総資本との対抗関係において,漁場支配権の強 化の反面,それにたいする公的制限が強行されていったことである.とくにlg年漁業組合 準則以後のそれにおいては全国的傾向となってあらわれ,技術的漁場取締規定に重点をお きつつも次第に他産業との調整のための漁場利用の制限規定を濃化していったのである.

第2項漁業取締規則における慣行否定的側面 く1)非慣行漁場秩序の諸事例

 各府県漁業取締規則の多くは,漁場秩序を慣行に依拠したこと上掲のとおりであるが,

なかにはそれを明文化せずまたは慣行を免許規準としないものもあった.

 例えば9年のr岩手県漁業心得』は,その特殊な歴史的背景のもとにおける事例ではあ るが,慣行を否認しブルジョア的免許制を採ったことはすでにのべた.前掲14年神奈川 県漁業及二二営業規則も新規免許を認めており(1条工項),23年r福井県漁業三二:取 締規則*』は旧慣免許をとくには明示していない(4〜8条).同規則では,入会漁場で

* 明治23年4月福井県漁業採藻取締規則

  r第1条 漁業二品業者明治ユ9年6月防霜48号布達漁業組合準則二拠リ適宜組合ヲ設ケ同業  者ノ三二ヲ以テ正副取締入各1名ヲ置キ其組合内ノ取締二二スヘシ

 其当撰人名ハ所轄郡役所及当所へ届出ヘシ爾後異同アルトキモ亦同シ

 第2条漁業採藻業者ハ各町村大字毎二同業者ノ互撰ヲ以テ漁業総代1名ヲ置クヘシ其当撰

 人名ハ所轄郡役所及当庁へ届出ヘシ爾後異同アルトキモ亦同シ

参照

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