動機の意味と測定について
馬場道夫
欲求︑欲望︑願望など日常的な言葉で表現されるものを我々は直ちに理解することができる︒あるものが欲しいと
いうことは我々の日常生活において何の支障もなく使うことができる︒この様な言葉を現代の心理学では動機といっ
ている︒動機づけは人間又は動物のある状態を現す動因と︑その動因の対象である誘因のほぼ二つの因子に分けるこ
とができる︒空腹は動因であり︑食物は誘因である︒動因と誘因にこの様な合致が生じた時に︑その動因を生じた個
体は誘因に向う動機づけられた行動をなす︒
以上の如く表現された内容は何の疑いをはさまぬ様にみえるけれども︑衆知の如くこれは現在の心理学︑正しくは
アメリカ心理学の論議の中心である︒特にこれを顕著に示したのが一九五三年以来継続しているZ①耳器冨ω矯日づ︒ω首目
自竃9才豊8であり︑毎回数人の心理学者が心理学のあらゆる分野にわたって動機づけの問題を捕え︑各種の角度か
ら考察し︑実験の結果を報告しているQまた応用的領域でも産業心理学の人間関係における目︒邑︒の問題︑市場調査
における購買動機調査にみられ︑これらの方面での一種の流行になっている︒
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ノこれまでの心理学は知覚︑学習︑性格︑社会の問題について基礎的な研究を積み︑多くの事実を示したけれども︑
14 ヨ だ り
動的な︑生きた人間︑行動する人間としての側面を十分捕えていなかった︒心理学は宣目︒ρ寓8含︒q9︒嵩の本能的概念国窪αのリビドー︑エス︑下意識等の比較的非科学的概念ではあったが︑動的な概念を導入し︑これが次第に客観化
されながら︑アメリカ︑ヨー戸ッパにおいてその勢力を強めていった︒この様な大きな動向が極端に著しくなってい
るのが現在の情態であろう︒
本稿では現代心理学が動機づけについて何を知りえたかを︑その主要な事実において捕え︑かつ動機の意味︑測定
についての基本的問題について考察したい︒
一
動機づけは心理学的にいかなる意味を持つのであろうか︒冒頭において述べた如く︑我々の内省的経験的事実とし
て欲求があることは否めない︒また人間︑動物はかれらの外的対象に働きかける環境に対する積極性において植物と
区別されるであろう︒また動物植物はその発生成長繁殖について非生物と区別されるであろう︒生物は物理学の法則
であるエント戸ピーの増大に対して抵抗し︑その死の瞬間までエソトロピーの減少に向う︒生物は環暁から物質を吸
収し︑独自の秩序を作り︑動物は更に自ら運動を生起して︑この秩序の維持を促進させている︒この様な活動の中心
にエンテレキーといわれる様な活動の根源を仮定するのが︑初歩的な動機の原型といってもよいであろう︒本能とい
いリビドーといわれたものとこれとの関係は明かである︒
( 1 )
人間の行動の原動力にある実体を仮定して名称が与えられる︒最もよく引用される罎︒U︒口σq邑の本能説はこれであり︑生来的な合目的傾向にこの名称を与えたのである︒逃避本能︑闘争本能︑拒否本能など二二の項目がある︒しか
し︑これは行動の任意な直観的な分類に留まっているQ次第に最近に至ってもこの類推的な色彩はぬぐいきれていな
い︒
共通であることは︑渇︑飢︑性︑排せつ︑逃避攻撃恐怖好奇性などの現象や体験をひとつの定義を定めることによ
って包括しようという限りのない試みである︒これらは最も好意的にみても行動や意識の極めて原始的な分類に外な
( 2 )
らない︒例えばZ︒霜8日ぴは︑身体的エネルギーが動員され︑環境のある部分に向けられる有機体の情態を動機とし︑動因は活動する傾向を開始するおωけ器ωω器ωωとして感ぜられる身体的情態としている︒
( 3 )
第二の定義の型は︑生理学的に動因を決定しようという試みである︒O聾目8によってホメオスタシスといわれ︑( 4 )
零︒算2によって自己調制作用といわれた様な︑生理的な平衡維持作用は︑明かに動機づけの基礎を示している様にみ( 5 ) ( 6 )
えた︒例えば寓自αq弩は︑要求は個体の健康又は福祉(毛O一一1ぴO一昌αq)を損う欠乏に関係しているといっている︒↓︒ぎ9︒u( 7 )
口巨の要求又は動因の定義は生体の均衡からのずれに関係している︒( 8 )
第三の試みは操作的な定義である︒度々いわれる様に↓︒巨櫛P=巨によって用いられた方法である︒↓︒巨β︒⇔は動因を媒介変数として仮定し︑ある標準的条件において︑飢などの先行条件が︑その従属変数である反応を決定すれ
ば︑これを飢動因として定義することができたとするのである︒具体的には︑動物に餌をやらないでおき食物の方へ
走らせその反応強度を測定し︑食物除去の時間と反応の強度に関数関係があれば︑これは飢の動因を定義できたとす
るのである︒
口色はこれに切11口×bの公式を与え︑H習慣とD動因が乗法的に関係してE反応傾向を生ずるとした︒ここで動
因は習慣又は学習との連関においてのみ定義されるものとなる︒
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以上の定義の試みにもかかわらず︑種々の問題点が指摘される︒先ず第一にその定義の内容はある程度理解されるとして敵それは他のものと明確医別されねばならない︒多くの定義を鑓めると行動を高つ匿行動にエネ㏄ルギーを与え促進する︑の二つの要素のいずれか又は両方が含まれる︒切8零昌は行動の方向性についての定義を除去
したが︑他の多くの人々はこれを含めている︒
もし行動のエネルギーを与えるものという定義をとれば︑知覚はエネルギーを与えないのであろうか︒感情はどう
か︑意識とはどう関係するのか︑空腹感は知覚ではないのか︑同時に他の様々な心理学的概念との関係が︑問題とな
る︒また方向づけの機能を採用すれば︑知覚︑学習の概念との混乱はますます激しいものとなろう︒生理的定義を与
えれば︑我々心理学者はそれが動機であることを知るためにはその度毎に生理学的操作を試みなければならないであ
ろう︒しかも生理学の知識が十分であるという訳ではない︒更に好奇性や集合性その他の動機となると説明は困難と
なる︒第三の操作的定義は比較的完全な様にみえるけれども︑国"国×∪で単にDがHと乗法的関係にあることによっ
て定義はできない︒これは他の多くの要因がHと乗法的関係にあるためである︒あくまでも28αを与えた時のみD
とされる︒Dは操作的に定義されているのでなく︑生理的又は先験的なものを持っている︒実際にここでなされてい
ることは︑我々が日常欲求と考えているものを選んで実験し︑その結果によって動因を定義している︒以上三つの定
( 10 )
義はいずれも満足なものではなく︑その類推性はリビドーやエンテレキーと何の変りもない︒ピ葺目§︒ロの発表はこの間の事情を動機に関する用語のうえから詳細に明かにしている︒
一般に心理学で用いられる概念は非常に類推的である︒生理学で受容器という時は︑誠に明白で︑他の生理学での
用語と区別も容易であろう︒ところが心理学において知覚といえば︑空想と知覚︑抑圧された知覚︑感覚と知覚︑か
なり困難な問題がある︒もし区別が可能であっても非常に類推的︑任意的で︑他の人によって判断されるのは不可能
といってよい︒かなり明確な概念と思われる知覚であっても︑理解し︑定義することは非常に困難なことであろう︒
心理学の定義があいまいであるのは心理学が未発達であることを示すのかもしれない︒他の諸科学に比べて概念の厳
密性は著しく劣っている︒動物学︑植物学︑医学等においてもより明瞭な体系があろう︒この様な現象の分類さえ困
難である時に動機づけの定義をすることは不可能ではないのだろうか︒ここでこの仕事を放棄しても良いのかもしれ
ぬ︒問題なものは事実であると︒非常に多くの実験的事実を明確に分類できないのは︑学問的体系化への努力が︑そ
の学説が多種多様であるにもかかわらず︑ほとんど実っていないことを示している︒逆にまた体系化の不成功がこの
学説の多様性の原因となっているのであろう︒
ひるがえって心理学の概念が生理学のそれの様に具体的構造的ないわゆる叙述概念に相当するものではなく︑むし
ろ機能概念といわれる様な︑作用についての名称であることに気づく︒まず種々な学説が同一の現象に対して異った
名称を与えている︒迷路の目標箱の中で動物に餌を与えるとき︑条件反射学では無条件刺激を与えるといい︑この手
続は強化といわれ︑学習心理学では罰に対して賞︑作業に対する報しゅう︑動因に対して誘因となる︒これは心理学
の用語が任意の立場から任意の機能を与えられていることを示すものである︒動機づけの用語においても器①Pα暑ρ
宅彗戸α①目きP①起炉等各学説や立場によってそれぞれ特別な位置と定義を与えられる︒そしてその名称の定義が妥
当なものかどうか︑事実に違反しないかどうかは︑その学説の妥当性を示すものとなろう︒現在までその漠然たる用
法は一致しながらも︑正確でないのはこのためである︒
もうひとつの動機の概念の不明確な理由は︑動機を仮定された刺激と反応の媒介変数としたことである︒我々は
動機づけが何であるか︑直接そのものを観察することはできない︒これは他の多くの心理学の概念についても同様で
ある︒人が自動車を運転できるのは経験の結果であるという︒それは学習である︒学習という場合には︑その人の以㎝前の行動と訓練以後の行動を較べていう︒この場合の学習も︑学習そのものを見たということはできない︒環境︑能