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【53】 イスラームの文化
ギリシア・ローマ
ペルシア
インド
イスラーム文化 イスラーム文化は、当時 の世界の文化の総和 12世紀にはヨー ロッパに還流イスラーム文化は都市の文化
中心部に【
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(礼拝所)とスー クないしはバザールと呼ばれる常設店舗市 場。公衆浴場(ハマム)、公衆便所、給水所 や【
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と言う制度が、施設の整 備に役立った。モスク
キャラバンサライ
(隊商宿)ワクフ
後続フレームで解説都市の中心部に
は立派な
モスク
(礼拝所)
都市の中心部に は常設店舗市場 スーク(アラビア語) バザール(ペルシ ア語) 写真は現代のもの。公衆浴場(ハマム)
「湯船」はなく、蒸気浴。 遠くから旅してきた商 人が身体を休めた。 石造りの立派な施設で ある。 観光客が体験できる現代のハマム(イスタ ンブル)。もちろん内部は男女別。現代では マッサージ、エステもある。隊商宿(キャラバンサライ)
ラクダと荷物も城壁のような堅固な防壁の内 部に収容した。ラクダは世話をしてもらえ、 荷物は預かってもらえた。料金は無料か非 常に安かった。 無数にあったが、現在 では、ほとんどが廃墟。 数カ所が観光目的で 「営業」している。2
ワクフ
しようよ!
支配者や裕福な商人は賃貸住宅や賃貸商 店や浴場を建設し、その用益権を神に寄進 した。これを【3: 】と言う。 ワクフされた施設からの収益は、モスク、マ ドラサ(学院)、病院、給水所、キャラバンサ ライ、道路などの公共施設の維持管理に充 てられた。 賃貸住宅や賃貸商店の賃料は安かった。零 細な商人も町の中心に店を出せた。 ワクフイスラーム法は国際取引のルール
①共同出資や、手形、小切手などの決済手 段などの商業システムは、イスラーム法 の下で整備された。 ②ムスリム商人は、東 南アジア、中国、ア フリカ、ヨーロッパま で出向いて交易し た。イスラーム世界の学問
=ギリシア非アラブの学問やインドなどから導入された「外来の」「固有の」 学問
「外来の学問」 哲学、論理学、地理学、医学、数学、 天文暦学、光学、錬金術 「固有の学問」 =『クルアーン』に基づく法学・神学・文法 学・書記学・詩学・韻律学・歴史学インドから8世紀に数字と数学
1985はローマ数字では?M D C C C C L X X X V
L=50 X=10 V=5 M=1000 D=500 C=100 ゼ ロ の 発 見 は 数 学 の 革 命 。 MDCCCCLXXXV 1900= =85ギリシアからは、9世紀に哲学
「
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」
9世紀(830)、バ グダードにアッバース朝の第7代カリフが建 設した「外来の学問」の研究所。 プラトンやアリストテレスなどギリシア古典の 大量収集、アラビア語翻訳が行われた。 これらの学問はイスラーム世界で更に深め られ、12世紀にラテン語に翻訳されて西ヨー ロッパに還流した。知恵の館
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「外来の学問」の例 医学、哲学
『医学典範』 『医学百科事典』【
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1126-1198 ラテン名は「アヴィケンナ」イブン=シーナー
980-1037イブン=ルシュド
ラテン名は「アヴェロエス」 イスラーム哲学の完成者 以下の2人は哲学者で医学者 アリストテレス哲学の注釈 西欧中世のアリストテレス 研究の主要な典拠となる 12世紀にラテン語に翻訳、西欧に継受された。 スコラ哲学に大きな影響を与えた。 両者とも「固有の学問」
『クルアーン』に基づく法学・神学・文法学・ 書記学・詩学・韻律学・歴史学 アリストテレス哲学の導入で教義は体系 化 シャリーア(=イスラーム法)を学ぶ。 ①イスラーム神学 ②イスラーム法学シャリーアを学ぶ
スンナ派では4学派が成立、相互に認めあ いながら独自の法学体系を作った。 『クルアーン』学やムハンマドの言行(スン ナ)を伝えた伝承(【
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) を学ぶ伝承学が発達した。 主な法源は①『クルアーン』 ②預言者ムハ ンマドの言行(スンナ)、スンナを伝えた伝承 が【6: 】 ③合意(イジュマー) ④類推(キヤース) 。ハディース
ハディース法学を中心に「固有の学問」を教授する
機関を
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(学院)という。
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・・・・975年、ファーティ マ朝がカイロに設けたシーア派(イスマー イール派)のマドラサ。アイユーブ朝(スンナ 派)、マムルーク朝(スンナ派)になるとスン ナ派のマドラサになり現在に至る。【
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・・・・11世紀にセル ジューク朝の宰相ニザーム=アルムルクが 各地に創設したスン ナ派のマドラサ。マドラサ
アズハル学院
ニザーミーヤ学院
マドラサなどで学問を修めた者は
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と呼ばれる。
ウラマーは、裁判官(カー ディー)、教師、礼拝の指 導者(イマーム) などに なったが、「聖職者」では ない。 マドラサでの授業の様子ウラマー
イスラームの研究・教育機関
アズハル学院 カイロ 975年、ファーティマ 朝が設けたシーア派(イスマーイール派)のマドラ サ。アイユーブ朝(スンナ派)以降スンナ派のマ ドラサになり現在に至る。 ニザーミーヤ学院 各地 11世紀にセル ジューク朝の宰相ニザーム=アルムルクが 創設したスン ナ派のマドラサ。 「知恵の館」 バグダード 830年、アッバー ス朝が設けた研究機関4
イスラーム神秘主義とは?
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=イスラーム神秘主義 直感や感性で神との合一を得ようとする。【
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(1058-1111) は、 自らスーフィーとなって巡礼、イスラーム神 秘主義(スーフィズム)を理論化、イスラーム 神学に導入した。スーフィズム
ガザーリー
イスラーム諸学と
その影響力
ヨーロッパの【
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に も大きな刺激を与えた。ルネサンス
イスラームの医学者
『医学典範』 『医学百科事典』【
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イブン=シーナー
(L:アヴィケンナ) 980-1037イブン=ルシュド
(L:アヴェロエス) 1126-1198 両者は最先端科学として ヨーロッパに輸入されたイスラームの地理学者(1)
巡礼のために地理学が必要とされた。 イブン=ファドラーン(10世紀) ビールニー(973-1050?) イドリーシー(1100?-1168?) 見聞録『ヴォルガ・ブルガール旅行記』 『インド誌』 ガズナ朝マフムードの家臣 円盤形世界地図 『ルッジェーロの書』 ルッジェーロ2世(位1130-54)の命でイスラームの地理学者(2)
1304-68/69/77 ウラマーで旅行家 『大旅行記』 (旧訳『三大陸周遊記』) トンブクトゥやキルワ にも行ったとされる。【
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イブン=バットゥータ
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イスラームの歴史家
イスラーム世界最高の歴史家 『世界史序説』は都市と遊牧民との関係を 中心に歴史発展の法則性を論じている。 ラシード=ア(ウ)ッディーン 『集史』 1247?-1318【
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イブン=ハルドゥーン
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1332-1406 『世界史序説』5
イスラーム数学
イスラーム数学は、計算や数学の発達に 計り知れない寄与をした。 インド伝来の 十進法 ゼロの概念 アラビア数字 12~16世紀以降ヨーロッパにも普及イスラームの数学者
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780?-850(アッバース朝期) アラビア数学を確立し代数学 (algebra)を発達させた。ウマル=ハイヤーム
数学者で詩人 1048-1131 『ルバイヤート』フワーリズミー
現代ペルシア語では 「オ」金以外の金属を金に変える
金以外の金属を金に変える試みが【
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。中国でも行われた。 研究過程で開発 された用具やスキ ル、化学反応の 諸法則は、化学 の進歩に貢献した。錬金術
錬金術の遺産
《研究過程で開発された薬品の一例》 さらに濃塩酸:濃硝酸を3:1で混合。銀以外 いかなる金属も溶かす王水を開発した。 十字軍を通じて中世ヨーロッパに伝えられた。 800年前後、イスラム科学者アブ・ムサ・ ジャービル・イブン=ハイヤーンの発見。 食塩 + 硫酸 → 塩酸イスラームの暦学・天文学
イスラーム天文学は郭守敬(元1231-1316) の【
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(=明の大統暦)に 影響を与えた。 ウマル=ハイヤーム(前掲)は太陽暦の要 素を加えたジャラリー暦を作成。 なんと現イランで採用されている。授時暦
イスラーム世界の芸術
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詩人はこの2人をおぼえよう!
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1048-1131 ペルシア語の四行詩 『ルバイヤート』 940?-1025 約6万の対句から成る長編叙 事詩『シャー=ナーメ(王の書)』の作者。 イラン文学の最高傑作。 数学者ウマル=ハイヤーム
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ガズナ朝に仕えたフィルドゥシー
代表的大衆文学と言えば
「アルフ・ライラ・ワ・ライラ」 作者不明 alfが「千」、laylahが「夜」の意味で、waが「と」 8~9世紀に成立。大 衆文学を代表する作 品 『アラビアンナイト』は 英訳版の書名【
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千夜一夜物語
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妻の不貞から女性 不信に陥り、毎夜 若い女性を殺害す るカリフに、大臣の 娘シャハラザードが 嫁ぎ、毎夜物語を 聴かせ「続きはまた 明日」と言って殺人 を阻止する、それが 1001夜続く 。 『千夜一夜物語』 「アラジンと魔法のランプ」 「アリババと40人の盗賊」 「空飛ぶ魔法の絨毯」 「船乗りシンドバッドの冒険」な どはアラビア語原典にはない。 インドなど、イスラーム世界と交流のあった 地域の物語が取り込まれた。 『千夜一夜物 語』の本来の世界は、もっとアラビア固有の ずっと素朴な物語である。 『千夜一夜物語』これが本来の『千夜一夜物語』の世界
右手のないバグダードの若い商人の話 若者はバグダードの大金持ちの息子であっ たが、父が死に遺産を相続した後、遺産で 商品を買いカイロに旅立った。カイロで商品 を売っていると、若者は商品を買いに来た美 しい女に恋をしてしまった。若者は毎日その 女の屋敷に通い、一夜を共にし、50ディナー ルを渡して朝帰るということを続けたが、つ いに金がなくなり、困ってしまった。 若者は市場を歩いているとき人にぶつかり、 手が財布に触れた拍子にその財布を盗んで しまったが、その場で捕まり、罰として右手を 斬られてしまった。行く当てもなく女の屋敷に 行くと、女は悲しみ、右手を失った若者と結 婚した。今まで渡した金は全て手付かずで 残っており、若者に返してくれた。しかし、女 は悲しみのあまり病になり死んでしまった。 若者は女の遺産を相続したが、遺産は膨大 で、1年かけてようやく処分し終えたので、仲 買人の所に金を受取に来たのであった。7
美術・建築 一般に、偶像崇拝を否定するイス ラーム世界では、絵画、彫刻などは発達しない この3つは押さえよう ①【
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②【
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アラベスク
ミニアチュール
幾何学的文様 「細密画」 ③イスラーム建築 ①アラベスク(arabesque) モスクの壁面装飾に通常見られるイスラム 美術の一様式で、幾何学的文様(しばしば 植物や動物の形をもととする)を反復して作 られている。 陶器、書籍装丁にも 見られる。 忍冬唐草模様もアラベスク の一種。 イスラーム美術 ①アラベスク タージ=マハルの正面に表現されたアラベスク ②ミニアチュール 「細密画」と訳される絵画手法。12世紀書物 の挿絵として始まる。 13世紀半ば以降中国の影響を受け、サファ ヴィー朝(1501-1736)で開花。ムガル帝国で 最隆盛。 イスラーム美術アルハンブラ宮殿
13世紀、グラナダ、ナスル朝の王宮 イスラーム建築アルハンブラ宮殿
楽曲:『アルハンブラの思い出』 フランシスコ・タレガ8
コルドバとグラナダ
アルハンブラ宮殿で 名高いグラナダはナ スル朝の都。1492年 陥落。 アッバース朝建国時に、イベリア半島に逃れ たウマイヤ朝の一族が建国した後ウマイヤ 朝の首都がコルドバ。 コルドバ グラナダ 両都市の区別 は頻出 アルハンブラ宮殿 アルハンブラ宮殿 アルハンブラ宮殿 アルハンブラ宮殿 イスラーム建築の一般的な特徴は モスク、墓廟の建築様式 ドーム、尖塔(ミナレット)9
画像の出典
• 『グローバルワイド』最新世界史図表 第一学習 社 • 『タペストリー』 最新世界史図説 帝国書院 • 『世界史のミュージアム』 歴史風景館 とうほう • 『アカデミア世界史』 浜島書店 • 『ニューステージ』 世界史詳覧 浜島書店 • 『ニュービジュアル』 新詳世界史図説 浜島書 店 • 『プロムナード世界史』 浜島書店 • 『世界史のパサージュ』 新世紀図説 とうほう【53】ここまで
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