第八回清華大学読後感想文コンテスト
課題図書 「セロ弾きのゴーシュ」 宮沢賢治著
目次
林 望理事長のご挨拶・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 1 第八回清華大学読後感想文コンテストについて・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 2 読後感想文コンテストを終えて・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 3 審査結果・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 4 優勝(作品と受賞者コメント)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 5 理事長賞(作品と受賞者コメント)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 7 準優勝(作品と受賞者コメント)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 9 優秀賞(作品と受賞者コメント)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 11 参加賞(作品)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 13 作品一覧とコメント ~ 入賞作品・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 26 作品一覧とコメント~参加賞・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 27 審査員の感想~審査を終えて・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 28 第8回 読後感想文コンテスト 実施概要 課題図書 「セロ弾きのゴーシュ」宮沢 賢治著 感想文 文字数 1000字程度 応募資格 清華大学日本語専攻2年生のうちアジアの新しい風でIメイト交流を している学生(留学生含む) 提出期限 2014年2月末日 審査 一次審査 清華大学の学生とIメイト交流を行っている会員 二次審査 役員2名(田仲和彦、日置陽子) 会員3名(武田 高、長谷川清、藤原美代子) 以上5人の審査員の合議と林望理事長で表彰作品を決定単に読むだけでなく、もっと先へ
- --清華大学読後感想文コンテストに寄せて---NPO法人アジアの新しい風 理事長 林 望 昨年に続き今年も、清華大学の学生諸君の筆にかか る読書感想文を全作品読みました。 今年の課題図書は、宮沢賢治の『セロ弾きのゴーシュ』でしたが、感想文の 提出作品は、どれも日本語としての完成度が高く、みごとなものだと感心しま した。 そのうえで、私が望みたいのは、単に対象の本についての要点を記し、自分 がどう思ったかということを書くだけでなくて、さらに「その先」へと、筆を 進めてほしいということです。 私も仕事の上で、書評というものをよく書きます。これは一種の読書感想文 のようなものですが、単に感想を書くだけでなくて、客観的な視野にたっての 批評を加えるということが大切です。そこが読書感想文と書評の違いなのです が、私が皆さんに望みたいのは、むしろ子どもっぽい感想文からさらに飛躍し て、批評的な立場で、あるいは研究的な視野で、当該の作品に対しての批評を 展開してほしいということです。 そういう意味では、ただ「感動した」とか、「面白かった」とか書くだけでは 不十分で、さらに進んで、「こういうところは感心しなかった」とか「もっとこ ういうふうに突っ込んでほしかった」とか、あるいは「自分の人生とこうかか わっている」とか、そういうところまでぜひ進んでもらいたいと思います。 今回の理事長賞に選んだ作品『音楽を理解して美しさが伝わる』は、叙上の 意味で、賢治の文章から一歩離れて、そこに自分の人生経験を照合し、独自の 考察をすることで、より興味深い読解になっているように感じました。 外国語の勉強は、「どう読み書きするか」という方法の段階に留まらず、さら にその先に、「何を受け取り、何を語るか」という主体的な、あるいは創造的な ところまで進みたいものです。毎年のレベル向上を喜ばしく思うだけに、もう 一段の飛躍を期待して講評に代えたいと思います。第八回清華大学読後感想文コンテストについて
清華大学で日本語を学ぶIメイト学生を対象にした読後感想文コンテストは、 今年八回目を迎えました。今回も多くの学生から応募があり、質の高い感想文 が16点寄せられ、このほど審査が終了いたしました。ここにその成果を冊子 にしてお送りできることを大変うれしく思います。 「アジアの新しい風」は、2013年7月に設立10周年を迎えました。著 名な作家・文学者である林 望先生を2代目の理事長に迎え、10周年を記念 した広報活動などを積極的に展開したこともあり、会の知名度は高まり、会員 が順調に増えております。 清華大学日本語学科との交流は、日本語教師の派遣、メール交換によるIメ イト交流、日本で学ぶ留学生との交流会開催など、幅広く展開されております が、読後感想文コンテストはその中でも特筆すべきイベントとして、歴史を積 み重ねてきました。 今回の課題図書は宮沢賢治の童話「セロ弾きのゴーシュ」としました。今か ら80年以上も前に亡くなった詩人・童話作家で、おそらく中国の学生でその 作品を読んだ経験のある人は、ほとんどいなかったのではないかと思います。 また、これまでは課題図書を日本から郵送していましたが、今回は電子書籍の 青空文庫を活用する新しい試みを採用しました。電子書籍は、宮沢賢治のその 他の作品、夏目漱石など近代日本の作家たちの著名な作品をきわめて手軽に読 むことができるため、日本の会員にとっても、電子書籍を活用するいい経験に なったのではないかと思っています。 一次審査は、清華大学とのIメイト会員にお願いしました。そこで約半分の 9点に絞り込まれ、3月23日に二次審査を行って優秀作を絞り込み、その結 果を踏まえて林理事長の判定による理事長賞の決定など、最終結果が決まりま した。 清華大学で指導して下さった宮崎いずみ先生、感想文の添削など学生の相談 に乗って下さったIメイト会員のみなさま、審査に加わっていただいたみなさ ま、本当にありがとうございました。 またこのコンテストにあたり以下の方々からご厚志をいただきました。感謝 をこめてお名前を掲載いたします。寄付金は賞品や冊子の制作費などに充てら れます。 最後にこの冊子は、会員で理事の今井進さんにデザイン、編集をお願いしま した。 みなさまのお蔭で、今回のコンテストが無事終了し、来年に引き継ぐことが できましたことに深く感謝いたします。読後感想文コンテストを終えて
まずは、このたび、第八回清華大学読後感想文コンテストにご尽力くださいました皆様 方に心からの御礼を申し上げます。 今回の読後感想文コンテストでは、近代文学を取り上げようということになりました。 ただ、対象が2年生であり、表記や理解できる文法に限りがあるため、比較的読みやすい と思われる宮沢賢治の「セロ弾きのゴーシュ」が課題図書に選ばれました。また、今の学 生はみなインターネットに容易にアクセスできる条件を有しており、「青空文庫」を利用し ての読書という形式をとりました。 冬休み前にアナウンスし、冬休み中に感想文作成を行うというスケジュールでしたが、 今年は比較的冬休みが短かったこともあり、作成をあきらめかけた学生も見受けられまし た。最終的に 16 作の応募がありました。「セロ弾きのゴーシュ」はテーマが比較的はっき りしているので、似たり寄ったりの作品が出来てくるのではと心配していましたが、それ ぞれに個性的な視点からの作品が寄せられ、結果発表の場でも、各学生から自分の作品へ の自信が強く感じられました。 また、I メイトさんにご意見やチェックをいただいた学生は、みな I メイトさんの熱心か つご丁寧なご指導に感激しておりました。作文が苦手だからとあきらめかけていた学生も、 I メイトさんからのご協力から多くを学び、応募してよかったという声が聞かれました。時 間的に I メイトさんからネイティブチェックを受ける余裕がなかった学生もいるようです が、自分と I メイトさんとを結ぶアジアの新しい風のコンテストだからこそ、トライしよ うと思えたのだと思います。今回の読後感想文コンテストを通じて、学生たちは I メイト さんから多くを学ぶと同時に、大きく自信がついたように思います。I メイトの皆様には日 頃の I メイト交流へのお礼を申し上げますとともに、今後とも学生の学習ならびに社会へ 踏み出していくステップをサポートいただきたく、お願い申し上げます。 アジアの新しい風派遣清華大学日本語教師 宮崎 いずみ審査結果
名前
題名
優勝
李 妍昇(イ・ヨンスン) 「セロ弾きのゴーシュ」を読んで
理事長賞 王 日澤
音楽を理解して美しさが伝わる
準優勝
陳 碩鳴
道の両側に花が咲く
優秀賞
李 昕陸
「セロ弾きのゴーシュ」読書感想文
審査を終えて神戸の喫茶店でくつろぐ審査員の皆さん
優勝
「セロ弾きのゴーシュ」を読んで
李 妍昇(イ・ヨンスン)
最後に童話を読んだのはいつ頃だろう。いつの間にか忘れていたのかもしれ ない。短い文章に心を躍らされ、静かに微笑んだり涙してた、あの喜びを。童 話は子供が読む物だと決め付けていたが、この物語、「セロ弾きのゴーシュ」は 子供だけでなく、大人にも薦めてあげたい物語である。 この物語の主人公であるゴーシュは、楽団でいつも指摘されるチェリストだ。 彼は音楽を楽しむより、楽譜についていくだけで精一杯で、指揮を見る余裕も なく、ミスを連発してしまう。こんなゴーシュを変えてくれたのは、四匹の訪 問者たちだった。 一番目の訪問者は三毛猫。この猫はゴーシュの演奏を聴きたくて来たのだと 言っていたが、演奏を頼みに来たわりには「シューマンのトロメライをひいて ごらんなさい。きいてあげますから」と言う等、ゴーシュを貶しているかのよ うな言い方をする。わざと未熟なトマトを手に持ってきたのも「あなたの演奏 はまだまだ未熟だ」ということを遠まわしに言うためなのではないだろうか。 ゴーシュも自分をばかにするようなその態度に腹を立てていた。 二番目の訪問者のカッコウはゴーシュに音楽で一番大切なものは何かを教え てあげたかったのだと思う。カッコウの台詞の中にこんなものがある。「なぜや めたんですか。ぼくらならどんな意気地ないやつでものどから血が出るまでは 叫ぶんですよ。」カッコウは鳴かなければ狩りをすることも、自分の相方を探す ことも出来ない、つまり鳴き続けることが生きることと繋がるのだ。だから必 死に鳴く。カッコウが言いたかったこともこれと同様、どんなに単純な音の繰 り返しでも魂を込めて必死に奏でなければならないということ。しかし、それ に気づかなかったゴーシュはカッコウに辛く当たってしまう。 猫やカッコウにはあんなにひどいことをしたけれども、ゴーシュは断じて悪 人ではない。その証拠に、自分に面と向かって「いい人」だと煽ててくれた子 狸や、具合が悪い子供を治してもらうために訪れてきた鼠には酷いことをしな かった。自分に耳障りなことを言う者には冷たく、自分の味方になってくれる 者や自分より弱い者には優しくする態度を見れば、ゴーシュがまだ精神的に未 熟な、子供っぽい人だということが分かる。しかし、子鼠のために音楽家の命 とも言える楽器の中に自ら子鼠を入れて、真剣に演奏をしてくれた姿を見て、 ゴーシュが動物たちとの出会いを通じて徐々に大人になっているのが分かる。 皆のお陰で無事演奏会を成功させたゴーシュはその日の夜、やっとカッコウが 自分に言おうとしてた「本当の音楽」とは何なのかを気づかされた。 もし私が子供の時この童話を読んでいれば、きっと動物たちの人を真似た行動に笑うだけだっただろうけど、今の私には最後のカッコウへの詫びの言葉が 胸にしんと来た。ゴーシュの成長が分かると同時に、彼の本音が初めて露にな った台詞だからである。小さな物語から得た大きな感動、これこそが童話を読 みながら得られる最大の喜びなのだろう。 受賞者のコメント 李 妍昇 皆様、こんにちは。韓国から来た2年生 の留学生、李妍昇と申します。(編集部注・ 清華大日本語科国際クラス学生) この度は優勝に選んで頂き、誠にありが とうございます。日本語での読後感想文は 初めてだったので、高校の頃を思い出しな がら書いた見たものの、内心心配していま した。しかし、日頃の指導先生からの教え と、メールのやりとりしてくださった I メ イト・富山久代さんのお陰で、良い結果を 得ることが出来たのだと思います。 今回読んだ作品は、かの有名な童話作家、 宮沢賢治の「セロ弾きのゴーシュ」でした が、短い文でありながら、楽しく読ませて 頂きました。鮮やかで着飾っていない、淡々とした文だけど、読んでいる内に 引き込まれてしまう、不思議な魅力のある物語でした。文体や余韻を残す結末 がすっかり気に入ってしまい、このような作品を選定してくださった方々にも 感謝の気持ちを伝えたいくらいです。 日を追うごとに、このアジアの新しい風に参加して本当によかったと感じま す。今回のコンテストに限らず、I メイトさんとの交流を通じて、今まで遠目で 見ていた日本により近づくことが出来た気がするのです。次年度には日本へ交 換留学生として赴くことになる予定ですが、その時、このアジ風で得た経験や 知識が大いに役立つでしょう。今後とも皆様と友好的な関係を築いていきたい です。どうもありがとうございました。
理事長賞
音楽を理解して美しさが伝わる
王 日澤
小学校に入学する前の夏休み、私は幸せな気持ちで父と母の手を引いて農村 から町へ行った。多くの楽器を見た後で、最後に、民族の特色を代表する揚琴 を選んだ。あの日から、私は音楽の世界に入った。 六歳の私は、何が本物の音楽かわからなかった。毎日簡単で基礎的な練習曲 を弾いた。一日、二日、三日‥だんだん興味が無くなっていった。どうしても 練習したくなかったが、母に監督されながら、六年は一瞬のうちに過ぎ去った。 年を取るに連れて、楽曲への理解は少しずつ深くなっていった。演奏は符面通 りにひくだけではなく、感情や楽曲の境地を観衆に伝えることが大切であると 考えるようになった。 「黄河」という楽曲を弾くとき、黄河に関する資料を多く調べ、映画も何度 も見た。前半部ののんびりした生活と、後半部の勇ましい抗争行動は著しい対 照をなす。自然の美しさ、農民の勤勉で純朴な性質は私の表情で観衆に伝える。 怒りと闘争は体を通して表現できる。何度も練習した結果、やっとその楽曲を 理解して弾けた。 今振り返ると、私はまさにゴーシュと同じような練習の階段を経験した。基 本的なことを繰り返して基礎をしっかり作り、そして、感情を移入する。どう すれば観衆の心を捉えることができるか?私は音楽を十分理解した上で自分の 音楽にうっとりして初めて、観衆を感動させられると思っている。ベートーヴ ェンも「流暢じゃなくても構いません、心からこの楽曲を好きになり、感情を 伝えることを忘れないでください」と学生に言っている。 私が思うに、音楽はもともと自由なものだ。この物語の中で、猫、鳥、狸の 子と野鼠は四日次々にゴーシュの家に来て、違う方法で、ゴーシュの練習を助 けた。それぞれがよく楽曲を理解しているためだと思う。ゴーシュをはじめ演 奏者自身が音楽の意味を理解し、感情を表現できれば観衆に美しさが伝わると 思っている。これに反して、感情を移入しなければ、たとえ流暢に弾いても、 素晴らしい演奏ではないと思う。 しかし、今日の演奏者の一部は弾く技法は重視するが音楽の魂をおろそかに している部分があると思う。そのような演奏は音楽の楽しみは感受できるが、 心の享受を得られないと思う。若くても年老いても、自分の感情を表現できれ ば、演奏者も観衆も本物の音楽を味わうことができると思う。 私は高校に入って以降、毎日朝から夜までずっと勉強し練習は全然しなかっ た。今まで、何年も揚琴を引いていない。「幸せはいつも自分の心が決める」と いう言葉があるが、私は音楽を通じて自分の心を正直に周囲の人に伝えたい。この文章を読んだ後、揚琴を持っている私は大学で、新しい音楽旅行をもう 一度始めようと思っている。 受賞者のコメント 王 日澤 皆様、こんにちは。(⊹^◡^)二年生の王日澤と申します。今度の読後感想文コ ンテストで、理事長賞に選んで頂け るとは、全く思っておりませんでし た、本当に恐縮です。ご指導くださ ったアジアの新しい風の皆様に心 から感謝したいと思います。 アジアの新しい風に参加して大 体半年がたちましたが、いつもIメ イトの井上和徳さんにお世話にな っております。メールを直してくだ さったり、日本から本を届けてくだ さったり、日本人は思った以上に本 当に優しいと思います。この半年間 メールを通じて、日本文化や日本語 文法についても大変勉強になりま した。 その交流がうまく進むのも主催 者のおかげだと思います。この活動 は参加者に愛のような概念を伝えていると思います。皆が感謝の気持ちを持っ て、お互いに国々の文化を尊敬し、言語を楽しんで勉強しているのは、異文化 コミュニケーションの最も素晴らしい事だと思っております。 今年は日本に留学する機会があるかもしれません。日本を知る努力をしたい と思います。 中国でも、日本でも、観衆に音楽の美しさを伝えるのと同様に、私はこれか らアジアの新しい風に微力ではありますが、さらに多くの人に愛を伝えたいと 思っております。 皆様、今後もよろしくお願い致します。
準優勝
道の両側に花が咲く
陳 碩鳴
先日、宮沢賢治によって書かれた「セロ弾きのゴーシュ」を読み、いろいろ 感想が出てきたので、ここで成長の話について感想文を書く。 「セロ弾きのゴーシュ」は、田舎の音楽団のセロ弾きのゴーシュの話だ。ゴ ーシュのセロが下手なので、いつも楽長に怒られ、必死で家で練習している間 は、毎晩小動物たちに邪魔され、しかし実は、自分のセロの音が動物たちの病 気を治していることを教えられる。最後は、非常に上手に演奏でき、動物たち のおかげで成長したという内容だ。 ゴーシュは最初、楽長に叱られてばかりで、恥をかいた。それでも彼はあき らめずに一生懸命練習した。毎日倒れそうになるまでゴウゴウと弾き続けた。 その点から見ると、ゴーシュはセロが下手だけれど、精神的に強いといえる。 人間は失敗をするものだ。失敗をしても正面から戦おうという心構えを持たな ければいけない。頑張れば必ず成功するというわけではない、しかし頑張らな ければ必ずまた失敗し続ける。成功する前の何べんもの失敗とそのつらさを敵 にせず、自分の力にしたら、すごいスピードで強くなれるだろう。 そして、練習の間に、ぐったりして絶望している時、ゴーシュは自分の音楽 はあまり上手じゃないけれど、動物たちの病気を治していることを野鼠に教え られる。いつもばかにされていた自分の音楽が、命を救えるなどとは、全然思 っていなかっただろう。しかし事実はそうだった。すなわち、自分の価値は、 自分が思っているようなものではなく、他人に見られているようなものでもな い、つまり、誰かにきめられるものではないということだ。気づかないうちに、 時間の無駄のように見られる自分の努力が、自分自身または他人に、案外いい 影響を及ぼしているかもしれない。だから、あきらめてはいけないと思う、あ くまでやり抜いたら、いい結果を出せなくても、悪くはないものなのだ。トー フルに合格するため覚えた単語が海外旅行の時に役に立ったり、大変な思いで 書いた計画書が使われなくてもいい経験になっていたり、少なくとも自分の一 生懸命な姿が知らないうちに他人を励ましたりしているかもしれない。成功と いう結果は無論重要だが、それとともに、努力そのものも大切だ。 こんな話がある。農夫が毎日遠い井戸から水を汲んで来る、しかし家のたっ た一つのバケツが壊れており、水が漏れている状態だった。もったいなくても 仕方がないので、農夫は水を運び続けた。ところが、半年後、漏れた水のおか げで通っていた道の両側にきれいな野花が咲いてきた。困らされたことも思わ ぬところで素晴らしい景色を生むこともあると言える。ゴーシュは猫から音楽 に気持ちを入れることを身に付け、たぬきにリズムの間違いを直され、セロも随分上達した。セロの音に救われた動物たちにも感謝されていた。それもゴー シュが少しずつ咲かせた花だろう。 要するに、成長する過程で、諦めずに頑張れば、目標を達成できなくても、 自分か他人かの人生の役に立つに違いないと私は思う。 受賞者のコメント 陳 碩鳴 皆様、こんにちは。清華大学二年生の陳 碩鳴と申します。今度、「セロ弾きのゴーシ ュ」の感想文を準優勝に選んでいただき、 誠にありがたく思います。はじめは、ゴー シュの物語はただ子供向きのストーリーで はないかと思いましたが、読み終わったら、 いくつか感想が出てきて、どの視点から発 想したらよいか迷いました。作文を書いて みて、自分が言いたいことはちゃんと表現 できたのでよかったとは思いましたが、受 賞するとは思いませんでした。ご指導くだ さったIメイトの頓所潔子さんをはじめア ジアの新しい風の皆様に感謝の気持ちを申 し上げたいと思います。 受賞より、初めて日本語で書いた文が皆 様に認められたことと、気持ちが日本語で きちんと届いたことのほうがもっと嬉しいです。私は日本の埼玉県で生まれま したが、小さい頃帰国してから日本語を忘れてしまったことが、今までの人生 で一番残念なことです。しかし、通っていた保育園や友達の思い出がいつも浮 かんできて、もう一度自由に日本語で自分の考えを伝えたくて、日本語を習お うと決心しました。今は日本語を勉強してもう二年目、話し言葉を滑らかに話 せるように、書き言葉も流暢に書けるように頑張っています。いつか昔の友達 に挨拶して、お世話になった先生とご近所さんに感謝したいと思っています。 この読後感想文コンテストのおかげで、自分の日本語能力を確認できて、今年 日本に交換留学することにもさらに自信が持てました。 アジア新しい風のおかげで、話し合える友達との間に文化交流ができるように
優秀賞
「セロ弾きのゴーシュ」読後感想文
李 昕陸
「セロ弾きのゴーシュ」を読み終えて、始めは普通の童話のような印象であ ったが、もう一度読んだ後、意味は深いと感じるようになった。 ストーリーのポイントはゴーシュの心の成長と、セロ弾きの技術的な成長だ と思う。「金星音楽団」は音楽会のために練習をしていたが、セロを弾くゴーシ ュは下手な演奏でいつも楽長に注意されている。そのため、ゴーシュは夜に一 生懸命セロの練習を始める。ところが、ゴーシュは様々な動物の訪問を受け、 演奏を依頼されながら上達していく。後の音楽会での演奏は成功し、観客にア ンコールを求められる。ゴーシュは楽長に指名され、動物たちの訪問を思い出 し、夢中で曲(インドの虎狩)を演奏し、みんなに褒められる。 なぜゴーシュはそんなに早く上達するようになったのか。それはこの童話の 最大のテーマだ。私は、それは彼が動物たちと互いに助け合うことができたか らだと思う。 こうした助け合いの中から、動物たちはゴーシュによって病気を癒され、ゴ ーシュの方は動物たちの助けでセロが上達する。音楽会の前の練習で、楽長は ゴーシュに「音が遅れた」「糸が合っていない」「感情が出ない」という欠点を 指摘する。後で訪ねてくる動物たちはその指摘に基づいて、ゴーシュに教えて くれる。 まず一番先に訪ねた動物は猫だ。猫は「トロメライとはこういうのか」と言 ったばかりに、ゴーシュに怒られる。そのため、ゴーシュは激怒した状態でセ ロを弾き、感情を出すようになる。「感情が出ない」という問題を解決しただけ ではなく、ゴーシュは結果的には猫のおかげで音楽会のアンコール曲の予行演 習をしている。 次にゴーシュは、かっこうの鳴き声はドレミファソラシドの音程に合ってい るが、自分のセロは「糸が合っていない」という問題を分かるようになる。ま た、かっこうの頼みのおかげで、ゴーシュは基礎練習を繰り返し、演奏技術は 熟練になる。 それから狸の子の「二番目の糸をひくときはたいてい遅れるねえ」という鋭 い指摘によって、ゴーシュは自分の楽器の「音が遅れた」という特性を知るよ うになる。つまり、狸の子はリズムがずれる原因を教えてくれる。 以上の内容をまとめると次のようになる。音楽会の前に、陰気なゴーシュは 楽長に叱られるばかりで、動物に対して怒りをぶつけ、猫とかっこうを粗野な 態度で虐めたりする。しかし、最後には、野鼠の母親から自分の演奏が動物た ちの病気を治すことを教えられ、動物に技術的にも精神的にも助けてもらい、だんだん優しさと慈悲の心のようなものが芽生えていく。動物たちと互いに助 け合った結果、音楽会でゴーシュの演奏が聴衆の心を動かす。私は、これを機 に、ゴーシュは真に音楽を理解できるようになるばかりではなく、性格も含め 人間的にも成長していくのではないかと思う。 私は、このように宮沢賢治の優れた文章に感銘を受けた。 受賞者のコメント 李 昕陸 皆様、こんにちは。二年生の李昕 陸と申します。この度、優秀賞に選 んでいただき、誠にありがとうござ いました。初めて参加してみました が、アジアの新しい風のご指導くだ さった皆様のおかげで、賞を頂き、 心から感謝しております。 アジアの新しい風の皆様、いつも お世話になっております。日本の I メイト・狩塚精一さんとメール交換 で、日本文化についての知識を教え て頂き、本当にありがたいです。冬 休みの間に宮沢賢治の著作を読ませ て頂きました。始めは普通の童話の ような印象でしたが、もう一度読ん だ後、意味は深いと感じるようにな りました。一番印象に残ったのは人 間には慈悲の心が大切である点です。 人間は生きていくにはだんだん優し さと慈悲の心のようなものが芽生え ていき、知性と感性を磨いていかな ければならないと感じています。今回の読後感想文コンテストから大変勉強に なりました。 アジアの新しい風はアジアの国々について学び、相互理解を築き上げること
参加賞
「セロ弾きのゴーシュ」の感想
呂 騰飛
私は「セロ弾きのゴーシュ」という本を何度も読んだり、同じ名前の映画 も何度も見たりした。 最初は、非常に簡単な文章だと判断したが、何度も何度も読んだ後、簡単な 物語の後に、深い意味が隠されていることに気づいた。私の読後感想は二つの 点にわけられている。 一つ目は音楽は自然の芸術だということだ。最高の音楽は自然から教えてい ただいたものだと思う。そのため、自然から生まれた人間は、自然を尊重すべ きだと感じた。音楽団のメンバーのゴーシュは演奏することが下手で、楽長に 「演奏する時感情がない」と評価された。悔しくて、悲しいゴーシュは一人で 何度もよる遅くまで練習した。彼は猫やかっこう鳥やたぬきの子や野ねずみた ちと一緒に自然の音楽を感じることができた。その一方、動物たちもゴーシュ の音楽に夢中になった、病気が治された。 このものがたりを読んで、自然は人間の母だと思う。人間が感動する音楽は 自然の母から教えてもらった音楽だと思う。ようするに、人間は他の動物や植 物などと平和に共存していることこそ、人間を感動する魅力のある音楽だと思 う。やはり、人間というのは他の動物と同じ、自然の母の子供だと思う。その ため、自分の母を大事にすることを私はこの文章から深く感じた。 二つ目の感想は人間の心の中には追い求めるものがあることが大事だと思う。 ゴーシュは粗末な部屋に住んでいた。お金や地位などのものがなかったと思う。 しかし、彼は自分が大好きな音楽があるから、お金がなくても毎日楽しそうな 顔をしている。なぜなら、精神的な追い求めるものがあるからだと思う。だか ら、ゴーシュは毎日遅くまで練習して、努力して、欲望なくいきている。 今の社会の人は、自分の利益だけを考える人が多すぎると思う。精神的に追 い求めるものがないからこそ、物質的なものに夢中になっている。しかし、物 質的な欲望は限りがないと思う。だから、毎日忙しい人々はお金と社会地位の 中で自分を見失う。ゴーシュのような人は物質の面では貧乏だが、精神の面で は富裕だと思う。しかし、人間というものは精神的に自由な動物だと思われて いる。そのため、物質しか求めない人間は完全な人間ではないと思う。 ようするに、ゴーシュは「インドの虎狩」の曲を見事に演奏したことによっ て、楽長たちに認められた。精神的に追い求めるものがある人は必ず人々に認 められることができると感じた。私はこの文章から以上の二つの印象的な感想 がある。作者の本心に相応しいかはとにかく、自分が感じたことをそのまま書 いてみた。ゴーシュの成長について——「セロ弾きのゴーシュ」の感想文 徐 夢周 「セロ弾きのゴーシュ」は楽団の一番下手な楽手のゴーシュが成長していく というストーリーである。ゴーシュは今度の市民音楽会のために、家で一生懸 命練習する。夜、練習の途中で、猫、鳥、狸の子、野鼠の母子がゴーシュの家 に行き、ゴーシュを助けた。これらの動物が自然の音楽を持ってくる。ゴーシ ュは自然の音から、学び、上手になる。音楽会の日、楽団の演出は大好評だ。 アンコールに答えるために、団長はゴーシュに一人でセロを演奏させる。ゴー シュの演奏は大成功だ。 「セロ弾きのゴーシュ」を通じて、一人の成功は様々な友達の助けのおかげ だということが分かる。自己の練習も重要だが、ほかの人の助けを得ることも 大事だ。これらの動物がゴーシュに頼んでくるように見えるのだが、実はゴー シュがこれらの動物から勉強している。猫を通して、音楽に感情を注入しなけ ればならないことを学んだ。鳥から、音の高低の正確さを勉強する。狸の子と 一緒にリズムを練習する。野鼠の子の病気を治すために、セロを弾くことを頑 張る。みんなのおかげで、ゴーシュは成功できた。成長の途中で、他人の手助 けを断らず、友達と頑張ったら、成功しやすいかもしれない。 どんな状況でも、他人に乱暴してはいけない。ゴーシュは一生懸命練習する 途中で、忙しいから、悩むようになる。鳥はゴーシュを助けにくるのに、ゴー シュは鳥に乱暴する。ゴーシュは怒らないが、その態度が悪い。音楽会のあと、 ゴーシュは鳥のことを思い出し、自分を責める。残念ながら、鳥は外国に行っ て、謝る言葉が聞こえない。どんなに忙しくても、どんなに悲しくても、自分 の気持ちは他人と関係ない。自分の怒りを他人にぶつけてはいけない。気持ち がよかったら、やる気があり、性格も優しくなると思う。 自分の努力も重要なことである。ゴーシュは楽団の中で、一番下手である。 楽団が合奏する時、ゴーシュはよく間違うので、指揮者に叱られる。どんなに 悲しくても、ゴーシュはあきらめず、最後までやりぬく。もしゴーシュはその まま練習しなければ、演奏の日にそんな大きな成功はしなかっただろう。友達 の助けは友情のプレゼントだ。精神状態がいいことは性格と教養のおかげだ。 成功の根本的な原因は飽くまで、自分の努力だ。世の中で、努力している時が
人間と動物
夏
雪
町の活動写真館でセロを弾く係りのゴーシュは演奏が下手でみんなの足を引 っ張っていた。そのため、いつも楽長に叱られていた。音楽会まで10日しか ないので、ゴーシュはセロを家に持って帰って猛練習した。真夜中になり、カ ッコウをはじめ、様々な動物が訪れ、いろいろな理由でゴーシュに演奏を依頼 した。その経験を経て、ゴーシュのセロを弾く腕が上達した。音楽会で「第六 交響曲」の演奏が成功し、楽長は司会者にアンコールを頼まれると、ゴーシュ を指名した。ゴーシュはバカにされると思って怒りながら、動物たちの訪問を 思い出しつつ、夢中で演奏した。初めて楽長と他の楽団員に評価されることに なった。 この物語はゴーシュの成長というテーマを語っているようだが、演奏の技術 的な成長より、心理的な成長が大事だと言いたいのだと思う。最初、ゴーシュ は三毛猫が現れた時、弱者を虐めるような若者として描かれている。しかし、 動物たちの無償の行為を通じて、次第に慈悲の心が芽生えるとともに、音楽を 理解できる青年になる。 ゴーシュのストーリーも人間の縮図である。ゴーシュは人間仲間の間で虐め られてばかりだったが、動物を相手にすると優越感を感じ、傲慢な態度になる。 多くの人もそういう態度を持つのだろう。動物に対して自分が強者だと思い、 後の結果を考えずに、残忍に動物を虐待したり大量に殺したりする。そのため、 多くの種類の動物が既に絶滅の危機に瀕している。しかし、ゴーシュが動物に 助けられて演奏力が向上されるように、人間の進歩は動物の助力なしには考え られない。例えば、コウモリの原理を参考してレーダを発明したり、鳥の構造 の真似をして飛行機を作ったりできる。また、人類の友達の犬のおかげで、目 の不自由な人の生活が便利になったり、警察が麻薬など捜査できたり、ヒツジ 飼いが安心したりする。従って、人間と動物の係わり合いのあり方は助け合い である。平等の精神と慈悲の心を持って動物と接すれば、動物は敵ではなく友 になるはずだ。 私の住んでいる団地の近くに野良猫がたくさんいる。こんなに多くて、毎日 の食べ物はどうしているのかと心配した。週末、家に帰るときいつもキャット フードを持って行ってあげていたが、ウイークデーは行けなかった。しかし、 冬休み、いつからか、ある人が毎日猫たちがいつも集まる場所にフードをたく さん置いておくことに気づいた。それに、隣のおばあさんはこんなに寒い冬に 野良猫がどうやっているのかと心配し、自分でキャットハウスを作ってあげた。 野良猫がいつも外で走ったり遊んだりし、汚くなると、猫を飼っている人は野 良猫を家に連れて行き、シャワーをしてあげた。私はこれらのことを見、聞き、 感心している。動物を可愛がる人間がいる一方で、若者のゴーシュのように動物を虐める人 間も大勢いる。それで、人間と動物の関係をよくするために、少しでも、私た ちは、自分の力を貢献すべきだと思う。 それと同時に、最後のゴーシュのように、今まで自分が傷つけていた動物に 「ごめんない」と謝ることを忘れないでほしい。
「セロ弾きのゴーシュ」感想文
劉 文婧
主人公ゴーシュは町の活動写真館の楽団「金星音楽団」でセロを弾く係。ゴ ーシュはセロが下手で、いつも楽長に厳しく叱責されていた。様々な動物が夜 毎に訪れ、いろいろと理由を付けてゴーシュに演奏を依頼する。そうした経験 を経たゴーシュは動物たちの訪問を思い出しつつ、「印度の虎狩り」という曲を 夢中で演奏する。その演奏は楽長を初めとする他の楽団員から賞賛を受けるこ とになった。この文章は面白くて、深い精神も持つ。この文章に絞って、三点 の感想を述べていきたい。 まず、人を外見だけで判断してはならない。他の人の意見を謙虚に受けとめ れば、自分の欠点が見つかると思う。カッコウなどの動物の外見は特別ではな いが、ゴーシュの演奏に益がある。ゴーシュは猫から何も学ばなかったが、知 らずに重要な曲の選択を準備していた。カッコウとの反復練習で自らの音程の 狂いを自覚するし、自分の楽器の特性を知った。 また、ゴーシュはネズミの母親から動物の病気を治せることを教えられ、自 信を持った。この自信によって観衆を前に度胸をもらった。実は、生活でも同 じようなことがある。自分がしていることに拘り、進むことばかり心配する。 しかし、他の人は新たな視角で私たちの問題を観察しているので、私たちの不 足を指摘している。 それに、何をするにしても、感情を入れることが必要だ。ゴーシュは自分の 感情で演奏したら、観衆を感動させることができた。音楽はともかく、文学や 人間関係などもそういう道理だ。ゴーシュはセロが下手でいつも楽長に厳しく 叱責されていた。実はゴーシュが下手なのではなく、感情のない演奏をしたか らだ。音楽は人の気持ちの表れだ。もし演奏者がただ楽譜によって弾いたら、る青年へと成長していった。少年の成長の途中で、同情心を養成することは必 要だと思う。 お年寄りを尊敬して、子供を守るのは大切な品格だと思う。弱者を尊重して、 同情して、平常心で普通の人のように付き合おう。
「セロ弾きのゴーシュ」を読んで…
李
侑暻(イ・ユギョン)
宮沢賢治の「セロ弾きのゴーシュ」は私が初めて読んだ日本の本です。この 本の最初の部分でゴーシュは毎回練習で楽長に逼迫されて苦悩する場面が多く て、この本は全体的に暗い話かもしれないと思いましたが、読めば読むほど内 容に吸い込まれていき、まるで私自身がその場にいるような臨場感のある作品 だという印象を受けました。なので最後まで集中して読むことができました。 この本は音楽に関する本なので、作品の中でいろんな音楽が出てきました。例 えば、第 6 交響曲やトロメライや印度の虎狩などがあります。ベートーベンの 第 6 交響曲は聴いたことがあったのですが、他のは初めて耳にする曲でしたが、 この本を読みながら聴いてみたいと思いました。 ゴーシュは村の活動写真館でセロを弾いていました。しかし、ゴーシュはい つも楽長に虐待を受けました。村の音楽会に参加するために第 6 交響曲を猛練 習してきた今日もやはり楽長にしかられ、落ち込んだ状態で家へ帰ってきまし た。この晩から、ゴーシュは次の練習で迷惑をかけないために一人で練習を始 めました。でも、この日から毎日動物たちがゴーシュを訪ねて来ました。最初 の日は、猫がゴーシュが耕す畑から取ったトマトを持ってきて、トロメライを 演奏してくれよと言いました。しかし、猫の行動に腹を立てたゴーシュはトロ メライの代わりに、印度の虎狩を演奏しました。次の日は、かっこう一羽が飛 び込んで音楽を学びたいから、ドレミファを弾いてほしいと言いました。夜が あけるまで演奏していたゴーシュは 、鳥に怖い言葉を言い、驚いた鳥は元気が なさそうに逃げて、出て行ってしまいました。次の夜は、狸の子でした。ゴー シュは恐い顔をしたが、狸は、父がゴーシュは少しも怖くない人だと言ったか ら『愉快な馬車屋』を弾いてほしいと言いました。狸はセロ演奏に合わせて、 小太鼓を叩きました。演奏を終え、狸はセロの二番目の糸が遅れると言いまし た。次の晩は、母ねずみがねずみの子を連れ、この子の病気を治してほしいと 訪ねてきました。どうやらゴーシュの演奏が動物たちの病気を治すと聞いたら しいのです。この話を聞いたゴーシュはねずみの子をセロに入れて演奏して、 間もなく、ねずみの子は完全に治ったのか元気に走り回り出しました。いよい よ音楽会が近づいてきました。団員の皆はすべて演奏を終えて退場しましたが、 観衆のアンコール要請に楽長はゴーシュに演奏して見なさいと言いました。ゴーシュは、印度の虎狩を弾き、演奏が終わった後、楽長と団員が何日前と比べ るとずいぶん仕上げたと賞賛してくれました。その時、ゴーシュはわかりまし た。動物たちのおかげで自分のセロ演奏が上達したのを。 この作品は、音楽は苦しみと悲しみ、喜びと幸せを表現することのできるも のだと述べていると思います。音楽のせいで毎日いじめられて苦しくて悲しか ったゴーシュですが、毎晩、動物たちと音楽に取り組んで練習した後は、演奏 会で音楽を通じて喜びと幸せを感じられました。この本は、自分の事に一生懸 命練習、努力すれば、誰もが成功できるという意味を含んでいると思います。 そして私たちの今の生活の中で何事にも努力しなければならないと強く感じま した。
「セロ弾きのゴーシュ」読後感想文-寂しい魂のダンサー 関 暁壮
最近、私は「セロ弾きのゴーシュ」と言う童話を読んだ。ゴーシュはまこと に寂しい魂のダンサーだと言えると思う。古来、最高点を極める人間は、必ず 最大の寂しさに耐え、その寂しさから、力を取り、それで最高点に到達する。 ゴーシュはそんな寂しさに耐える人だと思う。 楽団のなかで、一番下手なセロ弾きとして、ゴーシュがもらったのは団長さ んの批判しかない。練習の後、みんなは「おじぎをして、それからたばこをく わえてマッチをすったりどこかへ出て行ったりしました。」誰もゴーシュと交流 しない、こんな存在感の低いゴーシュはきっと寂しいだろう。だが、ゴーシュ は希望を持ち、諦めずセロを練習し続けている。毎晩、動物が来たが、最初、 ゴーシュは動物たちを、馬鹿にして、いじめていた。だが、少しずつ、ゴーシ ュは動物に友好的に接するようになった。この期間、ゴーシュはそいろいろな 感情を体験し、感受性が豊かになる。10日後、ゴーシュはもう作品の中の感 情をよく分かり、演奏もよくなった。 最高点に到達するためには、孤独に耐えなければならない。例えば、フィン セント・ファン・ゴッホ。彼はポスト印象派の代表的画家であるが、生きてい る時は誰にも知られず、誰も彼の絵を認めなかった。ファン・ゴッホは最大な 苦しみの中で生き続け、精神病院に入っている時も絵を描きつづけていた。フは一番上手なセロ弾きだ。
寂しくても、認められなくても、私はそんな魂のダンサーになりたい。どん な困難の前でも、楽観的な態度を持ち、希望を諦めず、精一杯頑張る。自分の ために一番美しいダンスを踊り、最高な人間になる。