談話室-香川大学学術情報リポジトリ

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79 「談 話 室」

社会科学的営為の原点について

小 松 秀 雄 ども,「とある研究会」でマルクスの思想に 触れてから,ものの見方と考え方の基礎が できたようである。マルクスの思想は自然 一人間一社会の三者の関わりを実に見事に 説明してくれたので,嶺初ほ,何でもかん でも唯物史観一点ばりで考え,行動してい たように思う。 その当時のマルクス主義は転換期を迎え ており,日本では吉本隆明,梅本克己,後 に広松渉らが新しいマルクス解釈を試みて. いた。即ち,H・マルク−・ゼの「経済学・ 哲学草稿」に.関する研究以来,注目されてこ いた初期マルクス,並び紅「経済学批判要 綱」などの,「資本論」形成途上のマルクス の思想を中心にしてマルクス思想の再発掘 がなされつつあり,それほ,社会主義国や 先進資本主義国における制度化されたマル クス主義に.対する,「理念としてのマルク ス」に.基づく内部告発と内部革新の遊動を 意味していた。その際に,革新の理念とし て掲げられたのは,当時の環境公害問題も 絡まっていた「人間主義」と「自然主義」 であったと言えよう。 もともとはユ−トピアであり得た思想や 理念も社会に内在化されて制度的属性とし て定着すると固定化されてしまうのは,宿 命であり−クェ・−バー流に言えば日常化 (Veralltaglichung)ということ紅なる−, 10月に赴任して以来,早や2ケ月も過ぎ, ようやく気分的紅落ち着いたようである。 とにかく,何もかもが新しい経験であっ た。瀬戸内海,四国,及び高松との出会い。 そして,いろいろなレベルでの教官会議, 学生に儲義をすること,国家公務員として 給料をもらうことなど。これ程の新しい経 験が今までにあるとすれば大学に入学した 時であろう。あの時も,京都との出会い, 下宿での独り住まい,ストライキと学生運 動,新しい人間関係など,新しいことばか りであった。そのような,全く新たな状況 に直面した時,高校時代までとは異なり, 自分で態度決定をしなけれはならなかった が,恐らく,そのような経験が社会科学概 論を担当する「現在の私」の始まりとして 考えることもできるかもしれない。 クェーーバーー・によれば社会科学という学問 なするために.は文化人(KulturMenschen) でなければならず,それは,世界なり状況 に対して一意識的に態度なとることを意味す る。また,そのためにほ自分刀人生の意味 を結びつけるような価値理念(Idee)に対 する信仰(Glauben)が必要とされる。 大学に入学したばかりの私にほ,新しい 状況に刺して態度決定をするために依るべ き信仰がなかった。その結果,動揺の連続 で状況の動くままに.押し流されていたけれ

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藤 瀬 80 敬 論を出せる時期ではなく,私の生活史と日 本の歴史の流れという時間的経過を待たな ければならない。 恐らく,そのように,絶えず再発掘され るべき,乃至は立■ら戻るべき価値理念を持 ち合わせている思想は本当に素晴らしいも のと言える。マルクスの思想は枯渇するこ とのない,価値や理念の源であろう。クェ −バーの思憩についても,夫人のマリアン ネが誇らしげに語るように「ひとつの時代 が終わろうとするとき,絶えず,そこに立 ち返るべき人」であるかもしれない。とか く,日常化された状況の「中心《cente拍」に いるとものごとの本質ほ見え紅くくなるよ うである。それよりも,むしろ,山口雪男 らの「周縁文化論者」が述べているように 日常化された状況に埋没し易い位置東.いる ときには意謂的に自己の存在を状況の「周 縁《Peごipbe叩》」紅スライドさせたカがも のごとの本賀は見え易くなるのではなかろ うか。従って,非日常的状況における原体 験−この原体験においてはものごとの木簡 を何らかの形で考え,感得し,把捉できて いたかもしれないから−一に立ち戻ることも 大切である。 いささか,とりとめもない諸になってし まったが,古来,「初心忘るぺからず」と言 われるよう紅,状況の申に埋没したり,新 しい状況に眉面したりした時紅絶えず立ち 返るべき,実り豊かな原点があればこれ程, 心強いことはなかろう。 新たなる状況に.抗し切れない時,原点にあ ったユ−トピアとしての側面を再発掘しよ うとすることも理の当然である。マルクス 思想を再検討しようとする者に好んで読ま れたルか−チやサルトルらのように物象, 或いは惰性態として固定化された客体的な ものを,人間の主体的な運動によって乗り 越えようとする弁証法的視座の開拓も試み られた。1960年代後半の世界的な規模に及 んだスタユ−デント・パワ−や知識人たち の反体制運動も,サルトルらの弁証法を方 法的視座として固定化された現代の社会的 状況−これもクユ.一一人一流に言えば全般的 官僚制化(Universalb融Okratisierung), また,弁証法的視座に立てば物象化(Ver・・ dinglicbnng)と呼ばれよう−をトータル な形で両横成しようとするものであった− いわゆる脱疎外(de−alienation),乃至ほ 脱物象化(de・・VeIdinglicIlung)−と考え られる。 そのような運動の結末がどのようなもの であった配せよ,遊動の方法的視座の確立 と状況の再構成の経験が受け断がれるぺき 原体験として忘れられなければ員壷な試み には違いなかろう。むしろ,学問をする際 にほ意重な体験として忘れずに受け継いで いくぺきであると言った方がよかろう。も ちろん,私が大学に㌧入学した前後の反体制 運動の高坂が私に対してはかりでなく,日 本の社会に対して果たしてどれ程の意義を 持ち得るのかについては,まだ蔵終的な結

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談 話 室 81

ワイマールの二つの顔

高 木 文 夫 ん。1937年6月,ワイマールの郊外,町の 中心からバスで15分程度離れた小高い丘に ヒトラー政権により,グーヘンプアルト強 制収容所が建設されました。私は約3週間 のワイマ−ル滞在中,この地を二度訪れま した。戯初ほ小雨の降りしきる日,2回目 ほ晴天だが風の強い日でした。7月の中旬 とは言え,ニ度ともセ・一夕・−なしに.は耐え られない日でした。冬匿なればその寒さは 想像を絶するものでしょう。強制収容所の 跡地はブーヘンプアルト(「ブナの森」の 志)の名前どおり,緑が一・面の森を拓いたと ころに.あります。1945年4月11日に解放さ れるまでの約12年の間にここへ収容された 囚人の数は約25万人を数え,そのうち虐待 などに.より死亡した者は5万6千人紅のば りました。この跡地は現在いくつかの建物 のみが残されたり,復元されたりして,さ らに選科館もあって,NationaleMabn−und Gedenkstatte注‘となっています。この強 制収容所に.閉じこめられたのは・ユダヤ人だ けでほありません。囚人たらの国籍数は32 にもなります。ヨ−ロツパ中から彼らは連 れて来られました。ドイツ人の政治犯(社 会民主党見や共産温良など),刑事犯,ポ− ランドなど占領地域の人々,ソ連やカナ■ダ などの連合軍兵士たち…囚人たらの年齢や 性別もさまざまで巌年少は4才の少年で す。彼らは粗末な囚人服と低かな金粒を与 えられるのみで死ぬまで強制労働をさせら 今年の真申部ドイツ・チエ・−リングン地 方の古都ワイマ−ル紅約3週間滞在する機 会がありました。人口が6,7万,縁濫囲 まれて静かなたたずまいのこの町の名は日 本人に.はワイマ・−ル憲法紅よってよく知ら れています。しかし,私のようにドイツ文 学に関わる者にとってほゲーテ,レラ一に 代表されるドイツ古典主義文学の中心地と してのワイマ−ルほ重要かつ決して忘れる ことのできない叩です。この町の至る所で 古典主義文学に関する追跡や建物を見かけ ることができます。町の中心地マルクトに 近いフラウエンプラ・−・ンにはゲーテー彼 ほワイマ−ル公国の宰相でもありました −Wの住んでいたグーテソ、クスがあり,ま たそのすぐ近くにあるレヲ一通りにはレタ ーの旧居があります。この他紅も彼らの同 時代人でもあるへ・ルダー・やゲイ・−・ラントの 住んでいた家,彼ら紅ゆかりのある建物が この狭い呵にひしめきあっています。また 国立劇場の前に立つゲーテとシラーが鍵草 している像を初めとして,町角に.彼らの彫 像が立てられ,通りにも彼らの名前がつけ られたりしています。散歩がてら郊外に出 てもゲーテの夏の別荘やワイマ−ルの領主 の離宮などがあり,ワイマ・−・ルは言うなれ ばドイツ古典主義文学の聖地としてその名 をとどめています。 しかし,ワイマールの名を語るとき,も うひとつのできごとも忘れて揉なりませ 往 この語の意味ほ「我々に警告を発する国民的な記念施設」と解釈できそうです。

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高 木文 夫・田 中 健ニ 82 実にしめすさまざまな展示品・資料が置か れています。ここに置かれている展示品を 見て強く印象に残ったことがひとつありま す。私はこれまで不勉強のせいもあって, ナチスによる強制収容所についてほ1ユダヤ 人などに対する虐待,ガス室に象徴される 大塩虐殺などの非人道的な側面にのみ目を 向ける傾向がありましたが,ナチスドイツ が占領地域一偏;に数多く建設した強制収容 所での囚人たちの強制労働によってヒトラ 一政権やそれを支援する資本家たちがいか に多くの利益を得ていたか,をここで知っ て,目を見張る思いでした。 ワイマ−ルの町紅戻って,再び街角に溢 れる古典主義文学ゆかりの数々にふれると ダーテやレラ一に代表されるHumanismus と丘の上の強制収容所に見られるファシズ ムの特徴との間にあるギャップを考えずに ほいられません。ドイツ文学やドイツ語教 育に携わる者にとって古典主義文学とドイ ツ。ファシズムとほどうしても避けてとお れないものでもあるからです。 (1981.11.29) れました。 現在残っている収容所入口の門庭には 《.Jedem das Seine(分相応に)》と記され ています。囚人たちに,自分たちの分をわ きまえよ,と告げているのでしょうか。入 口の上に.ある時計は今でもここが解放され た時刻を指しています。門を通り抜けると 右手紅火葬場の建物があります。大袋虐殺 の舞台のひとつです。中には死体置場やナ チスの親衛隊(SS)が囚人を棍棒などで虐 殺した部屋,焼却炉,死体を解剖した部屋 などがあります。ここに.は医師も常駐し, 死体の解剖やさらに.は生体実験までしたと 言われています。ドイツ医学の−儲面を見 る思いがします。因みにここ.に勤務してい た医師の多くは戦後絞首刑に処せられてい ます。この火葬場ではその他紅も,1944年 8月14日ここに収容されていたドイツ共産 党の指導者・エルンスト・テールマンが親衛 隊の手によって虐殺されています。 火葬場からさらに丘を下ってゆくと資料 館があります。ここにはこの強制収容所で 実際に.どのようなことが行われたか,を如 失なわれた神

田 中 健

中世,わが国の各地方には大小さまざま な神社が存在していた。それらの地方神社 の多くは,その容貌を変えながらも現存し ているが,なかには中世的な支配体制の解 体と共把.存立の基盤を失ない廃れてしまっ たものも見受けられる。ここで取り上げる 宿神・守公神も,中世の終焉と共に失なわ れた神々の一つである。 宿神・守公神の信仰は早く廃れたため に,現在ではその主神すら明らかではな い。r日本国語大辞典』を繰れば,宿神(レ ユ、クシ∵/)が掲げられており,やどってい る神,あるいはまつってある神との語義に よる説明がなされている。守公神(レクク

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談 レン)ほ,この宿神と由緒を同じくするも のとみられる。この神については柳田国男 氏が早く明治43年(1910)初版刊行の▼『石 神問答』(F一定本柳田国男集』所収)におい て考察を加えている。柳田氏は,守公神を 諸国に散見する守宮神・司空神・主宮神・ 四空神などと称する神と同じものとみて, これらはすべて宛字であって,もと・はソコ (塞)の神,すなわち辺境の神という意味 であると結論している。これらをソコの神 とみることの当否はさておくとしても,そ の語源を−・にするものであることほ容易に. 推察できる。 聾者がこれまで研究のフイ」−ルドとして きた南九州においても,宿神・守公神につ いての記載が中世の史料にしばしば見えて いる。まず,日向国では摂関家領の大庄閲 である島津庄の庄庁に.伊勢神宮や春日社な どと共に守公神社が奉祀されていたことが 知られる。同様に,薩摩国では島津庄紅属 する伊作庄の庄庁に宿神社が奉祀されてい た。大隅国では国府跡比定地に守君(公) 神社が現存しており,戦国時代にほ国府の 御神と称されていたことが判明している。 また,同国−・宮の正八幡宮(現鹿児島神宮) では公文所に守公神が祀られていた。 話 室 83 以上虹示した例が,現在のところ中位の 南九州において知られる宿神・守公神のす ぺてである。この四例に共通していること ほ,いずれも庄庁・国府・公文所などの庄 園・公領・神領の行政機関に奉祀されてい る点である。この点に宿神・守公神紅固有 の性格を見出すことができる。つまり,宿 神・守公神とは行政機関の守護神であり, いわば鎮守の神であって領内における政治 の安穏を祈る神であったとみられる。その 呼称は,以上に述べたような,行政機関に 宿る神,あるいほ公(おぼやけ)を守る神 という神としての特長に由来するものであ ろう。詮ずるところ,宿神・守公神とは, 中世的な支配体制下における領域支配のた めの政治的守護神であり,かつ政治的組織 そのものを守護(鉄守)するところの神で あった。 全国的な規模で庄園の倒壊や国府の衰滅 か進んだ中世末期において,そこに奉祀さ れていた宿神・守公神の信仰が急速に.失な われていったことは想像するに.難くない。 「神ほ人の敬により威を増し,人ほ神の徳 により運を添う」との中性の轍文にみえる 文言は,まさに当時の人と神との関りを表 していよう。 無 心 の 笑 み 藤 瀬 ていた。あるいほその視線に私は顔をあげ たのかも知れない。つい先はどまではその 備にほ老婦人が坐っていたのだが,さっき の停留場で若い母親とこの幼な児に代った 先日,バスの中でのことである。所在な さ紅本を読んでいた私がふと顔をあげる と,目の前に6,7か月くらいの色白のか わいらしい幼児が,じっとこちらを見つめ

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敬 いことになる。 昨年の秋上京の折,南宵山のⅠ古美術店 で中国の大朝仏を買った。店主ほ6世紀の 北斉時代の黄花石の仏だと言う。−・光三尊 仏立像で全体の高さが22センチ,暗が12セ ンチ・ある。申尊の高さは13センチ・,肉厚の 蓮台の上に立っていて右手は施無畏印,左 手は与願印を結んでいる。顔もからだもま るまるとした遊子のような感じであるが, 目も鼻もはとんど磨滅して定かではない。 ふくよかな頬は円満福徳で,かすかに笑み をたたえた口もとは深い内省内観を教えて いる。あどけないと思って見ていると,き りりとしまった謹肢荘重な松神を感じさせ る。左右の菩薩ほ中尊よりやや低く,胸前 にあげた手に.蓮の蕾のようなものを持って いるが,それが果たして何なのかほわから ない。そして菩薩の足もとには2匹の御子 がこちらに顔を向けて縛っている。この三 尊を抱くように舟形光背があるが上部は欠 けているし,左側の菩薩の顔も欠損したの を補修してある。これが完品ならばすばら しいがそれだととても私などの手に入るよ うな価格でほあるまい。満身創痍に近いか らこそ入手できたのである。 その後北斉仏・北周仏について調べてみ たが,この石仏はどうも北周のものらしい。 中国紋西省の特産品である造花石材でもっ て造られた仏像ほ.,北魂にはとんどなく, 再現に通いて僅かに見られるが汲も多いの は北周時代らしい。それほ北斉における白 玉像(自大理石像)に.結抗するように,北 周時代に汲も盛行をみたという。その材料 の制限から巽花石像はおよそ大きなものほ 少なくて,大部分は2,30センチ程度の小像 だという。その玉賀のもつ底光りする落ち ついた輝きは蟄重なものであっただろう 藤 瀬 84 らしい。昨年生まれた2人目の外孫もちょ うどこのくらいだと思うと急に親しみを感 じて,私はに.っこりと笑ってみせた。 ところがその幼児ほ何の反応も見せず, まばたきもしないで,まじまじと私を見つ めているのである。それは人を見る目つき ではない。何か今まで紅見たこともない珍 しい不思議な動物をでも見るような目なの である。何とか反応をと思って,目を大き くあけたり舌を出してみたり頼をふくらま せてみたりしたが駄目だった。 眠っている赤ちやんをしげしげと見てい ると,こんな小さなからだで何もかも備え, その上大きな未来までも背負って一生まれて 来たことが,有り得ない不思議な感に幻た れることがある。きっと昔の人ほこの驚き にうたれて,幼な児の天央無邪気な顔を理 想の表情として仏像に刻んで写したに違い ない。幼な児はみ絶とけだから人間をあの ような目で見るのかも細れない。 私の叔初の孫(これも外孫)は今2歳前 だが昌が大きい。白目は背味をおびえて澄 みきっているし,黒目ほ美しくいきいきと 動く。何年か前マドリ・−ドの小学校を参観 した樽,1年生の子ども逮の男の子も女の 子も,背く澄んだ睦の美しきに驚いたこと がある。色白の肌と金髪に,その青い随の 色が見事なコントラストをみせてまるで天 使を見るような思いだった。しかしこの子 達も成長発達につれて,やがて恩春期に入 るとあの澄みきった瞳の青さほ次第てこ消え 去るのだと言う。そう言えば日本の幼児に 見られる背味をおびた白目の部分も,幼児 期だけのものらしい。 みはとけに生まれて来てだんだんに汚れ てゆき,最後にはちりあくたになるのが人 生だとしたら,この順序はかなり辛い悲し

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室 85 博物館の中にある法隆寺献納景物飴に収蔵 されている四十八体仏紅もこれがある。東 大寺正倉院の宝物よりも更に.古い飛鳥・白 鳳期の小金飼仏である。2,30センチほどの ′J\仏像だが,あのすばらしい魅力にとりつ かれると大平仏はと何なく見おとりがして しまう。技術はすばらしいし洗練されてい るのだが,私にはその豊満撃遷さが内面的 な精神の緊張を奪っているように思われる のである。 それに.しても幼児は未分化であるが故 に,無心,奔放に美的貴実を何の疑いもも たずに表現する。しかし7.8歳になると 保存思考がはじまり,9歳になれば夢の世 界や原始心性から次第に脱却する。知的発 達虹伴って論理的思考の時代に.入るととも に,描画においても実際紅見えるように描 きたいと写実を志向する。美的虫実よりも 皮相的写実紅満足感を覚えるようになるの である。もちろんこの時代にも教師の創意 工夫によってよりよい指導が求められよう が,もほや幼児期のあの無心の美に還るこ とはできない。 このように考えてくると私ほ,何だか幼 児期が六朝や飛鳥・白鳳仏の時代であり, 小学校中学年以上は隋・唐や天平仏・平安 仏の時代のようにさえ思われてくるのであ る。ここでは一つのものが死んで別の何か が生まれたのであり,もともと「発達」と はこのようにしで成り立つものかも知れな い。 し,北周人がこの世のみでなく,あの世ま でもまた頼む仏への本願を,世にも貴重と された黄花石に刻んだのは当然の姿であっ たのかも知れない。 この上京の半月程前,家内を連れて大阪 市立美術館で開催されていた山口コレクシ ョン中国石仏展を見て来た。そこにほ大は 1・7メ」−トルから小は10センチにも満たな いものまで,約70点の石仏が陳列されてい た。それほ北貌の5世紀半ばの頃から東貌 ・西魂・北斉・北周・隋・唐におたる約240 年間のもので,石材も砂岩・石灰岩・凝灰 岩・白玉石・黄花石と多種であった。 北醜から束貌・西鶴とその推移を見なが ら,私は.そこにわが飛鳥仏の源流を見る思 いがした。と同時に私には,糖神性から見 ると時代をさかのばるほどそれが充実して おり,階も後半に.なると技術がやや邪魔に なるし,唐になるとリアルであるが故に.そ れが精神性を邪魔しているとさえ思われた のである。だから私の好きな石仏は隋に.ほ 1点のみでそれ以前のものの中に沢山あっ た。そこには幼な児のような天鼻無垢な童 顔が,そして無心の笑みがあった。これと 同じことをかつてル…プル美術館のギリジ ャ彫刻でも体験したのであるが,アルカイ ック期の彫刻の中に,足がその場に釘づけ されて動けなくなるような,深い感動紅茫 然自失するような思いをした、のであった。 そしてその大理石像にもかすかな笑みがあ った。 無心のかすかな笑みといえ.ば上野の東京

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David S. Shaw

THE ROLE OF T H E TEACHER-SOME

IMPLICATIONS AND PRACTICAL

SUGGESTIONS FOR LANGUAGE

TEACHING

by

David

S.

Shaw

Since coming to Japan a year ago I have been fortunate to have seen a number

of English lessons in secondary schools As a practising English teacher I am

naturally most interested in the classroom and the ways pupils learn English in schools since this has, apart from anything else, a direct relevance to my work as a university teacher. After all students come to my classes with certain expecta- tions of what comprises a lesson and these expectations have to a large extent been formed by their experiences in secondary schools.

Of the lessons I have seen I have been struck in particular by the way the

teacher is normally at the centre of the lesson He or she basically does most of

the work in the lesson, initiates everything and does most of the talking. Pupils on the other hand do not volunteer or contribute anything unless asked to do so and give the impression of being passive and unspontaneous. Surely they were much more active when they learned their own language!

An indication of these teacher-centred lessons is also provided by the arrange- ment of classroom furniture. The rows of desks in front of the teacher are placed in such a way that it makes it impossible in some cases for pupils to see each

other. They can of course see the teacher, but they are not really meant to

communicate with other members of the class. In this way lessons and learning

always focus on the teacher and hence the proportion of teacher talking time is

much greater than the proportion of pupil talking time For the learner, the

overall effect seems to b" knowledge of English painstakingly acquired,

particularly in terms of grammar and vocabulary, but unfortunately ver y little

acquisition of language skills The spoken language as it is used by millions of

people all over the world is sadly neglected and so pupils generally display very little ability to communicate. Yet if the teacher is the main focus of the lesson. how can the pupils possibly practise enough? Spending most of their time listen-

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ing to the teacher will not enable pupils to speak English well themselves. Unfortunately language classes in Japan can often be very large and forty or

even more in the one class is not uncommon The problems of teaching vast

numbers effectively are considerable and I certainly do not wish to minimise them

Nevertheless even with a class of forty all is not lost A start could be made by

moving the classroom furniture into a semi-circular or horseshoe ax rangement SO

that everybody can at least ses everybody else Pupils should logically be more

induced to speak if they can see who they are talking to. Moreover, we do not

normally address other people in English unless there is eye to eye contact On the methodological side, something clearly should be done to shift the emphasis away from the teacher and on to the learner. In a class of approxi- mately thirty or forty if pupil talking time is to be increased there has to be a breaking down of the class into smallex groups and obviously this point is equally

valid for a class of twenty ox twelve.

Breaking down the class into smaller units of for example four or five pupils or pairs of pupils means that learning is a more co-operative venture and that

everybody's ideas and opinions are important It also encourages pupils to use

their creativity and imagination and the use of language requires precisely those faculties. Moreover, it may well be that shy students will feel less inhibited to

speak than when confronted by a vast class. Indeed apart from increasing the

possibility of pupil practice, the advantages are many

Let us now consider just a few examples of pair and group work from the infinite range of possibilities open to the language teacher. Right from the very beginning of language learning, pupils are presented with simple dialogues com- prising two speakers. After initial practice with the teacher such conversations lend themselves admirably to role play, where one student initially plays one role

and then switches to the other, thereby practising both intensively. The teacher

can of course circulate amongst the pairs of partners, respond to individual needs

and correct where appropriate. Similarly at the lower mtermediate level or above,

pair practice can be very useful in an initial, 'getting to know each other' lesson if all students are given a questionnaire with headings such as those given below.

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David S.. Shaw INTRODUCTORY QUESTIONNA&E_ -- NAME -. - - FAMILY STUDIES AT KAGAWA

REASONS FOR LEARNING ENGLISH

----

VISITING ENGLISH SPEAKING COUNTRY . . - - - -. . . .- -- - .. . .

INTERESTS AND HOBBIES -- -.

-

-

-

- .- - FUTURE OCCUPATION

The headings provide a framework for students to ask each other questions

and find out about each other. For example, under 'visiting English speaking

countries' they can ask each other: Have you been to America or Britain yet?

which English speaking country would you like to visit? would you like to visit Australia? etc. In this way the pairs can break the ice and have a conversation

about themselves The teacher can, if he wishes, request the students to make

v e r y brief notes on their partner under each heading thereby providing some valuable feedback on the class

Examples of groupwork for say three to five members are jigsaw listening or reading tasks. With jigsaw listening students in each group listen to a different section of a text in the language laboratory, which must incidentally be pre-

recorded for the lesson otherwise delays would ensue. After listening to their

recording and taking notes as individuals they then confer with other members of their group to check on what they have heard, consulting the teacher if need be. At the stage when each group has agreed on the content of their particular extract, a representative can tell the other groups what they listened to with comments if suitable. When each representative has conveyed the content of all the extracts. students can attempt to place the extracts in the correct sequence, thereby com-

pleting the jigsaw. Jigsaw reading entails a very similar procedure. All groups

in this case read a different part of a written text, declde on the main points, a

representative conveys the gist and ultimately evexyone pieces a!l the paxts togethe~

.

The final stage of a jigsaw reading or listening is really problem-solving, which does stimulate so much active production of language as well as being a

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manv possibilities of group work to the foreign language teacher, so let us consider another example.

I

SOWCE TIME r Boardsol Ec4nomisU TIME Char4 by Nigd Iiolmes (

/

IIME JANUARY 19 1981

The teacher should divide the class into groups after explaining one or two points of language from the chart such as 'est' (estimate), 'proj' (projection) and C. P. I (Consumer Px ice Index), if the class does not know or cannot guess these. The groups then try to place the four different figures in the correct position over

a black and a white column of statistics. I found that in Japan even deciding

what nationality the figures represented resulted in a great deal of group discus- sion. When groups have decided where the figures belong, they report their deci- sion to each other, possibly giving the reasons why they think so. Incidentally if you are wondering what the correct solution is, looking a t the figures from left to right, they represent, Japan, the U S., Britain and Germany; considering the statistics from left to right the correct order is Britain, Japan, Germany and the United States.

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David S.Sbaw・植松芳幸

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C(〉〝CJα∫i〃〃

Itisimportant to emphasisethatIam not suggesting thatin Englishlessons a phaseof tllelesson$houldnot be concerned with such things as the teacher’s explanationof grammar or vocabulaI・y,Or COrreCtion of grammaticalmistakes or

improvingintonation,StreSS and rhythmin English.,These traditionalconcerns are right and proper。However,if adequate provision forpracticeandacquisition Of realskillsin Englishis to beensuIed.then ther・e has to be a switch to more

learner・Centred activities and a willingness on the part of the teacher to release COntrOlof thelessonin a certainwayonto thelearners.If this switch doesnot

occur,the consequencewillbeaninactivated andlargely useless store of gram− maticalknowiedge andlexisin the student’s head,but verylittleidea as to how

that storemight beputinto worth・Whilepracticein everyday comm11nication。

ハーーバード大学夏期語学研修に参加して

植 松 芳 幸 より,鉱物的きらめきな発する山々,荒れ た赤肌の土地。単調な空間(後では感嘆す る事に.なるが)にうんざりし始めた頃,緑 と赤レンガが目につき出し,こいつはいい と思った所がボストンだった。≡トーロツパ 調の色彩は考えてみれば当然であった。言 わば,この附近こ.そがヨ」−・ロツパから移り 渡ってきた人達がまず住みついた所だった から。 ボストンに着いた日,さっそく大学のあ るケンブリッジの町まで地下鉄を使って下 見に行った。地下鉄ほ予想外にきれいで, ニコ−ヨークのすさんだ雰囲気はなかっ た。研修期間中紅50Cから75Cへと値上げ になったとはいえ,どこまでも簡単に乗り 替えがきくとは嬉しいではないか。ハ−バ −ド大学は日本的規模からすると大き’い が,アメリカ的にみれば小さい方で,少々 初めての海外渡航でかなり興奮した気持 ちで機内に入り,最初はグラマーなプチュ ワ−デスに胸がおどったが,次第に彼女達 が気の毒に.なった。オームみたいに“Coffee or Tea?”としょっちゅう換り返さねばな らないのだ。エネルギ−ひきしめ政策にも 拘らず,夏には防寒コーートが必要な程に冷 房のゆきとどいた機内およびバス/。半袖に 短めのスれ−トじや寒かろうに・・。おかげ で私もロスでは.2日間ベッドで休憩ができ た。 ハワイで乗り継ぎされる方ほ,せめて3 時間の待ち時間なとっておかれた方がよ い。延着,荷物の出し入れ(特にN・Wは 遅い),入関虎Cでかなり時間がかかり, 私の場合はそれこそあと−・歩で航空券がパ 一に.なるところだった。アメリカ本土上空 で眼下にみえたもの一線なす山々という

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談 すすけた感じがした。だが次第にこの時代 の手垢が気に入ってきはじめた。緑の芝生 と大木と赤レンガの建物とレンガの歩道の 彩なすコントラストは目に心地よく,全体 がしっかりと大地紅板をおろしていて,歴 史の香が−・面に漂っていた。終わり頃紅な ると少々ゴミが目につくようになったが, それでもすっかり気に入ってしまった。寄 宿舎に.しても,なるほど古い建物ではあっ たが,時代のつやと落ちつきがあって,こ れもすっかり気に入った。

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さて肝心の研修に話を移そう。研修者を クラス分けするテストでまたもや冷房病に かかりそうになった。予想通りと言うぺき か,意外というぺきか,最高のクラスに組 み込まれる。何しろショックな事に,ヒア リングの半分も出来てなかったのだ。(4週 間後の同一テストでほ8剖まで上昇した が)。耳がついてゆかないのほうすうす承知 はしていたが,それに.しても我ながらひど いと思わざるを得なかった。 授業の当初はついてゆけるとはとても思 えなかった。とにかく分らない。何とか口 を開こうに.も,何しろ言っている事が分ら ないから不安になる。能力以上のクラスに 入れられた感じで疎外感を覚えていたが, その内になんとか慣れた。−クラスの人数 は10∼13人で,私のクラスは辛がかからな いという事で13人であった。内訳は,仏人 3,独人3,伊人2,ギリシャ人1,ブラ ジル人1,日本人3であった。12クラス全 体の比率は,中南米のスペイン系6割,欧 州系3割あとほ日系などで,日本人が予想 外に多かったのにほ驚いた。他の日本人は, ひとりはハ」−バ−ドのど汐ネススク−ルと いう最高学府の2年生(大手会社より妻子 室 91 の滞在費込みで派遣されていた),もうひと りは,アメリカの中学で3年間過ごしたと いう現−・橋大の学生であった。彼らは少な くとも耳の訓練でほ私より経験をつんでい た。最上級のクラスとほいえ文法的な誤ち は多い。だが驚かされる事は,彼らがいっ こうにその事を気にしていない事である。 とにかくしゃぺりまくる。教師の方は耳が 慣れていて分るらしいのだが,米人の英語 だったらよく分る2人の日本人に聞いてみ ても,さっぱり分らないという様な英語の アクセントだったのである。 いずれにせよ,ノ\・−バードでは特に欧州, 中南米の学生が殆んどで,茸の訓練ができ ている学生向けのプログラムを組んで文法 中心にクラス分けする。従って,日本人ほ 大草が実力以上のクラス紅入れられ悩む事 になる。語学は文法うんぬんより,と紅か く生で聞きロを開くのが肝心だと悟る。彼 らの国では英語放送がしょっちゅうあって いるし,小さい頃から英語せ耳に.している ので,言われている事ほ(文字でない場合 は特紅)よく分るという事だ。日本も本気 で英語を学ばせる心算なら,N・K・Kが 進んで英語放送を毎日せめて1時間位は流 すぺきだと痛感した。勿論,『英会話』など とりすました奴でほなく,現地で行われて いるのをそのまま輸入すべきだ。 授業プログラムの構成−9∼11時がHome Roomで読解・文法演習,13′−J15時が10∼ 15の選択肢の中から2つを選ぷ,いわばテ −マ別クラス,15∼16:30時は会話(1ク ラス5∼6人)クラス。短期研修としては ノ\−ドなスケジュ−ルと言える。 読解コースでは,分り切った様な事まで 生徒からひき出そうとする教師の穿カに感 心した。内容を易しい別の言葉でパラプレ

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植 松 芳 奉 った),名所旧跡を訪問する事で費やされ た。毎日やるかわりに週2′}3回(3∼4 時間)に割り直して訪問時間にあてる。こ のやり方は実にありがたかった。というの は前述の演劇のリハ−サルが土・日も続け られ外出する機会があまり持てなかったか らである。結局,本格的な市内観光ほ研修 が終わってからしか出来ない程,−・日−・日 がいささか充実したプログラムだったので ある。

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食事−・昧通の日本人に.とっては大味すぎ るかも知れない。だが調味料ほ多く,肉・ 野菜・魚など主食は何皿食べてもよいし, 牛乳・コーーラ・汐ユ」−・ス何でも飲み放題な のには驚いた。そのかわり学生食堂入口で のチェックはきびしい。意外な事に.,大柄 な彼らは少食であった。意識的かどうかほ 分らない。(全体的にふとり過ぎの傾向があ って,私でもヤセの部類に.はいった。)牛乳 ・コーラほ良くうれる。中でも,アイスク リ・−ムの行列紅は恐れいる。従って,これ だけほ食べ放題とはゆかぬ。朝食はパンに いり玉子にコーヒ」−が標準で軽い。コア・ カリキュラムと称する一・般教育にカを注ぎ 学生の偏食を妨害している大学は,食堂で 好きな物は無限に食わせる事でちやんと埋 め合わせをしているのだ〝 スポーツーと紅かくジョガ−が多い。朝 となく夜となく,雨にもめげず大学構内あ るいはチャールズ川畔にはそれこそ必死で 走っている学生が目につく。水泳もわき目 もふらず泳ぎ続けているかと思うと,ピタ ツとやめて帰ってゆく連中が多い。外人は 人生は楽しむものと思っていると決めてい た私には,これ程意外な事はなかった。笑い を忘れた練習虫。全く日本的ではないか。 92 丁ズさせ,A紅ついてはどうか,Bについ てはどうか等と,と紅かく生徒が答えざる を得ない様な質問を数多くする事で活発な 動きをもたらしていた。我が身なふり返っ てみ・て,生徒は低く評価し色々と下らない 質問をするのが一番いい方法かも知れない なと考えさせられた。その一方では,日本 の場合クラスの人数が桁ちがいに多いから とても無理だなと悲観的にもなる。だが教 育環境の貧弱さを嘆いてみてもはじまらな いし,参考になる授業方法である事に.は疑 いない。 選択コ−スでほ,担任教師の勧めもあっ て演劇と新聞コ−・スを取った。演劇のコ− スでは実演すると聞いていささかひるんだ が,何のために勧められたかを思い返して 踏みとどまった。自分の役のみならず相手 方のセリフも覚えねばならず,苦痛以外の 何物でもなかったが次第に喜びも感じるよ うになる。10人位が肌をつき合わせ,ああ ではない,こうでは.ない,とやる時の心の 交流がこれ程強く感じられるクラスほなか ったからである。 新聞コースはどちらかと言うと作文が主 で,会話はあまりなかったが勉強にはなっ た。外人に分ってもらうに」は,抽象的な文 章でほなく具体例を確実に入れて.,出来れ ば数字化する方が望ましいという様な事で ある。この、コー・スの具体的成果がらの報告 文の最後紅掲げてある短かい・エッセイであ る。私の提出した文章が全部新聞に載せら れたのは嬉しくもあり,又,当然の事でも あった。少なくとも英語を教え七いるのだ から。 会話クラスはこHome Room を2分して 少人数でやる訳だが,担任教師が映画きち がいで′ 一・緒に映画にゆき(とにかく安か

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談 全体的に肉体的欠陥(ふとり過ぎ,たるみ 過ぎ),運動不足に対する認識恨痛々しい位 に張りつめている中で,テニスだけは造っ ていた。楽しそう紅何グ・−・ムかやるとハイ 終わり。悲しいかな,日本人は準備体操・ 壁打ち,ストロークで終わり。試合をして いる日本人は殆んどいない。大学全体で50 ∼50面のテニスコ−トはいつも満杯の盛況 であった。30面のコ・−トが−サ所に.あると もはや異様で,最少の空間(ェネルギ→) で蚊大の効果をというアメリカ哲学のゆき すぎの欠陥な暴露することになる。 徹存知の様に,野球はスト中で,研修の 終わり頓に.なってやっと初戦と相成った。 しかもうまいこと切符が手にはいり,いざ ボストン・レッドソックスの応援にゆこう と張り切っていると,何と,劇の良終リハ −サルをその夜やるというでほないか。端 役だったらけって−でもゆくのだが,私がい ないと進行できない様な大役だったので, 泣く泣く切符を手放すはめになった。 スポ−ツとは言えないかも知れぬが,晴 天のチャールズ河畔でほ,水着姿の学生が 大挙して日光浴で肌をやいている。その陽 を求める姿たるや露出狂に近く(アメリカ 中いたる所に大鏡があって,さあ見ろ,さ あ見ろ.とがなり立でている′),黒人(ない しはカラー)コンプレックスを具体化した ものに他ならない。白人はせめて赤人・褐 色人になりたがっているのである。少なく とも青白き白人である事ほ,男性として, 女性としての魅力がないと断定されている ふしがある。

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演劇のリハーサルと実演の時の事を少 々。最終リノ、−サルでは全員さんざんであ った。あれ程練習し,暗記したと自信があ 室 93 ったの紅,いざ舞台に立つとセリフが出て こない。とても演劇といえるものではなか った。観客を失望させるに決っている。し かし,いざ実演の日にほ,何という迫力が 生まれた事か。お互い自らの力不足をよく 認識したおかげかも知れない。しかし,大 部分は200人位の観客の熱気と笑いのおか げだと思っている。観客の笑いほ当然予想 した事(−・種の喜劇だったから)ではあっ たが,いささかこららが圧倒され次のセリ フを忘れ去らせる位に力強いものだったの である。何度(斗)ひや汗を流したか知れ ないが,全体的には予想外の成功であった。 観客を笑わせ,惹きつける事ができれは, 途中のとちりなど問題ではない。ここに・も 欧米人の結果良ければ云々の哲学がある。 演劇の味を覚えると,俳優になりたがる連 中の気持ちがよく分った。 故後に,研修後10日間程のバス′の放で感 じた事を一つだけ。飛行機で単調な景色と 感じていたものが,バスの旅でほ数倍紅増 幅され,単調さを通りすぎ無限の無紅到る。 これは素晴らしい経験である。とにかく日 本では絶対に味わえぬ。大地に根ざした, 無の空間。恐怖感を覚える以前の驚異的体 験。人類と宇宙創造の歴史を否応なしに感 じさせる無限な無の空間。なお,以下に掲 げる英文は,たいしたものではないがタイ プ印刷の学生新聞に載せられた研修中の具 体的成果である。長々とつまらぬ事ではあ ろうが,どうか御一・読を。−・感謝。− 1)MOVE,and/0Ⅰ・DIE

Iwas very much surprised at two

things whenIarrivedin America,

First,nObodyseemedtopayanyatten・ tion to what others sayanddo;Ameri・

CanSareCOnCernedsolelywithwhatthey

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want to do, while the Japanese are expected to respect what others say to them and to serve others. Stewardesses were warning us not to walk about and "Fasten your seat belts" signs were lit in the plane I took. But who cared? Many of the passengers were moving around as if they wanted to say: "It's none of your business. We know how to protect ourselves. We want to get off faster. Don't worry about us

."

Secondly, Americans want to do any

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thing in a very efficient way, sometimes depending on machines too much. When we came across a moving sidewalk, which was supposed to be efficient, almost all the passengers chose to ride on it. I was walking past them, faster. It seemed to me that Americans blindly believe in the efficiency of machines or want to believe in it; a moving sidewalk (made in America) should be faster and more comfortable to ride on than walking on their own feet. I wondered if they wanted to become computerized, body and mind.

I was also surprised at the rapidity

with which people walked, indifferent to the stoplight. They simply cannot wait and walk in a leisurely fashion, even when they have enough time.

I hope with all my heart that they won't stop being human beings by re- placing their body and mind with me. chanical devices.

2 ) Sport as Self -training

You'd be surprised to see Japanese students just volleying the tennis ball or striking a ball against the wall for hours without a break. They rarely play a game before they have rehearsed their strokes correctly.

The reason is simple: all sports are considered to be a means of self -training- seeking"Do" (doh). The Japanese usually think that there is a correct way to do everything. If you cannot do something

unconsciously, almost mechanically,

you are not perfect. To be perfect, you have to throw the self totally away and coincide your movements with those of the universe.

Thus, spiritual and physical training comes first, then actual practices and games. To most Japanese, winning a game matters little. The main purpose of playing tennis is not to enjoy winning, but to see how well you play the game. Consequently, even if you win, you are reminded of the fact there is always someone in this wide world that can beat you. If you lose, you are cheered up in order that by hard training you play correctly next time.

On the othcr hand, in the Western wor Id, games come first. If you win,

you are perfect; if you lose, then try

hard to win How to win is everything in games. (And life itself could be

considered a game. )

A judo-teacher once told me that the easiest and most important way he found

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to be respected in America or in other foreign countries was to throw people down and nearly choke them to death on the first performance The victim would become convulsive and foam would appear in his mouth. In short, you only had to show how strong you were There was no need to preach the prin- ciple of "Do", or the aesthetics of human spirit and bcdy.

I sometimes think this is a pity; but on reconsidsr ation, per haps it is alright. Everything should be changed to mest the needs of any given environment You don't have to force your ways on others-I mean: "Do in America as t h e Americans do."

3 ) SUITCASE CULTURE AND

FUROSHIKI CULTURE It is generally said in Japan that

western culture is comparable to a suit

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case and Japanese culture to a piece of Furoshiki. (Furoshiki is a piece of cloth used for carrying things, but foreigners use it fox different purposes, usually as a large neckerchief). Whereas a suitcase dossn't change its shape to accomodate its contents, Furoshiki does, depending on the things inc!uded in it; a suatcase is very rigid, but a piece of Fur oshiki is very flexible. However, this dichotomy is artificial, as will be seen soon.

Western culture has "reason", or logic at its canter. Wetserners rarely reconcile different id?as. For example, capitalists shuddsr at the mere thought of commu-

nism. Logic must be defended by all

means. Logic has an absolute value.

But all kinds of isms, let's call these the "head," are able to live peacefully together in Japan,and what is wrong or right is regarded as relative. The Japanese believe that everything has two sides Wrong can be right sometimes. In this way, Japanese culture is like Furoshiki, and Western culture like a suitcase.

When it comes to the "heart" or emotions, however, the Japanese become more ddensive than Westerners. The latter can agree to disagree and part friends, whereas the former agree to disagree only to part enemies. They ask others to feel the way they do. In other words, the "heart" for the Japa- nese is a suitcase, but for Westerners it may be a piece of Furoshiki.

Thus, both of the cultures have two sides; to say that one is like a suitcase

and the other like Furoshiki is an ex-

ample of "suitcase" thinking.

4) TRUST?

You know America is said to be a credit society, putting great emphasis on trusting others, and credit cards are amazingly popular. You can also find

the famous phrase "In God We Trust" on all American coins. However, this doesn't mean that Americans [trust one another Far from it;maybe we should add "only" to the phrase on the coin.

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when a library attendant said to me, "Can I see your bag?" I wondered if he

asked me to open my bag becatwe I was

a Japanese. But this was not the case. University students with their shoulder bags are always regarded as highly potential thieves

Take another example. Go to

McDonald's, and you will find T V. cameras watching you over the cash

counters. So I wondered, is this what

they mean by trust? Westerners nezd

double or triple guards against them

-

selves

By the way, a fellow student told me he couldn't rent a room because he didn't have a single credit card. This shows that without cards you are nobody. In other words, you are sometimes evalu- ated not by what you are, but by the money you have or you are expected to have; moreover, you are changed into codes. All they see are the numbers of your credit cards, not you- you are no longer a human being, only numbers This phenomenon, which has also al- ready been spreadng in Japan, is a great

pity, although I admit that credit cards

have some merits of their own. ,

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参照

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