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経営諸説における環境保護思想の展開-香川大学学術情報リポジトリ

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経営諸説における環境保護思想の展開

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1.は じ め に

京都議定書の目標達成およびポスト京都議定書の枠組みが議論されるととも に,温室効果ガス削減や資源循環に関する各種法令の施行と修正が進められる なか,地球に多大な負荷をかけずに存続と成長が可能となるような経営が求め られている。かつての議論は「環境か」,「成長か」という二項対立に終始する 傾向にあったものの,これに異議を唱え,戦略論の文脈から解決のための“仮 説”も示されている(e. g., Porter & Linde, 1995)。

もっとも地球環境問題が企業にとって重要課題の一つであるという認識は共 有されつつあるとしても,企業の環境保護の動機は様々であり,そうして具現 化された環境保護活動は多様なレベルにあると言って良い。このため,環境保 護にプロアクティブに取り組む先進企業がある一方で,企業の環境保護に関す る情報提供は表層的,皮相的であるという批判も見受けられる!。こうした現実 の基底には,「なぜ地球環境を守らねばならないのか」という根源的問いにつ いて,これまで経営理論が充分な枠組みを提供できていないこと,そして我々 はこれまで自然とどのように接し,今後はいかなる関係を結ぶべきなのか,と いった本質的かつ価値的な問いを取り込みきれていないことが大きいのではな いだろうか。 しかしながら環境問題の価値的側面と経営理論との接合は複数領域にまたが (1) 例えば,日経エコロジー誌が行った消費者調査(約3,200人)によれば,企業の地球 環境保全に関する宣伝や広報について「いいところだけを伝えている」「問題点を隠し ている」など自社に都合の良い情報発信に終始しているといった意味で批判,不満を感 じた人は52.8%にのぼっている(日経エコロジー,2009年9月号,p.21)。 香 川 大 学 経 済 論 叢 第82巻 第4号 2010年3月 91−113

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ることなどから,その共約可能性が充分に担保される必要があり,多種多様な 文献の参照も必要とあって容易な作業ではない。そこで本稿はその前段階とし て,1960年代から1970年代前半にかけて立ち上がった環境保護主義の諸説お よび,これに先立って提唱された A.Leopold にみられる環境倫理観を基礎とし ながら,そもそもの地球環境問題の所在と環境保護の思想基盤を検討する。と いうのもこの時代には,環境破壊への緻密な警告(e. g., Meadows et. al., 1972) が初めて発せられるとともに,問題の所在を過剰な人口増加や食料危機に求め るもの,共有財産的性格をもつ天然資源の濫用や科学技術の発達の誤った方向 付けにあるとする主張など多様な視座からの議論が展開された(e. g., Ehrlich, 1968: Commoner, 1971)ほか,環境問題の根源に関する思想基盤の蓄積が成 されたからである。そして,こうした環境保護思想が影響を及ぼしたとされる 1990年代の経営諸説のなかで,いかに展開されてきたかを考察する。そこで は廃棄物を資源と捉える発想の転換(Hawken, 1993),廃棄物を核とした新た な産業集団の形成(Pauli, 1995)などを通じ,環境保護思想と現代の経営諸説 との連続性,および理論としての可能性を検討する。

2.地球環境の劣化への警告

環境保護の底流には,化学物質の利用の拡大,大量生産,大量消費,大量廃 棄という20世紀の使い捨ての社会経済システムが,生態系の破壊,廃棄物に よる土壌・水質・大気の汚染,さらに地球温暖化といったように,様々な形で 地球の劣化を招いてきたことへの警告がある。作家であり,生物学者でもある R.Carsonによって幕を開いた1960年代から1970年代初頭にかけては,「環境 保護主義の時代」(the age of environmentalism)と呼称されている(Steiguer, 1997)。 Carson(1962)は,米国における化学薬品のおよぼした生態系破壊の当時の 状況を「沈黙の春」(silent spring)という言葉によって象徴しながら,生命体 と地球環境の均衡が崩れていることにその問題点があることを警告した。生命 体は何億年という長い時のなかで,発展,進化,分化の段階を経てようやく地 −92− 香川大学経済論叢 536

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球環境に適合し,均衡を保てるようになった。そして多くの場合,環境のほう が生物の形態や習性を作り上げるのであり,逆の力はごく小さなものに過ぎな かったとしている。ところが,20世紀というわずかの間に人間は恐るべき力 を手に入れたばかりか,暴力によって自然秩序をかき乱し,破壊し,環境との 均衡を崩したと主張する(Carson, 1962: 5−7,訳13−15)。 こうした人間による暴力を意味するのは,害虫駆除のための殺虫剤 DDT (dichloro-diphenyl-trichloro-ethane)に 代 表 さ れ る 当 時 の 化 学 薬 品 で あ っ た (Carson, 1962: 20,訳31)。畑や森などに散布された化学薬品というものは放 射能と同じようにいつまでも消え去らず,やがて生物の体内に入って中毒と死 の連鎖をひき起こすとされる。土壌に深くしみこんだ化学薬品は地下水によっ て遠く運ばれ,やがて地表に姿をあらわすと空気や日光の作用を受けて姿を変 え,植物を滅ぼし,家畜を病気にし,きれいな水と思って使っている人間の人 体を知らぬまに蝕む。こうして「鳥の鳴かない春」(no bards spring)が訪れた としている(Carson, 1962: 103,訳124)。 疫病を伝播する昆虫や作物に被害を与える害虫は,DDT に対して抵抗力を もつたびに新たな薬剤成分の切り替えが行われてきたという。だが,先天的に 人間の攻撃をかわすことのできるタフな種のみが生き残り,それまでよりもは るかに速く増殖するので限界が生じており,むしろ天敵である微生物を活用す るなどの非化学的方法で害虫を駆除するための方途の開発を進めるべきである ことが指摘されている。 こうして Carson(1962)は,化学薬品を雨あられと生命あるものにふりま いた結果として自然の逆襲が押し寄せていること,地球の安全を守れるか否か の分かれ道にいることを人間が認識することが必要とした。そこでは,「私た ちの住んでいる地球は自分たち人間だけのものではない」(Carson, 1962: 296,訳346)という立場に立ち戻るべきであり,「自然の支配」(control of nature)という傲慢な人間行動を修正することの重要性を示唆している。 一方で,1970年代にはローマ・クラブ!によって,人類の「成長の限界」(the limits to growth)という衝撃的な報告もなされた(Meadows et. al., 1972)。こ

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れは,天然資源の枯渇や化学物質等による汚染といった狭義の地球環境問題の みならず,開発途上国における爆発的な人口増加,軍事技術の進歩による大規 模な破壊力の脅威など広義の地球環境問題に対する危機についての警告であっ た。そこでは,人間の経済発展の過程で用いられるエネルギーは主に化石燃料 (石炭・石油・天然ガス)によって造られることから,大気中で測定される炭 酸ガス(CO2)の量が幾何級数的に増加していることが既に指摘されている (Meadows et.al., 1972: 85−86,訳59)。その結果として,エネルギー利用に 伴って放出される「熱汚染」(thermal pollution)によって大気が暖められるほ か,気象学的異変が発生することなどが示された。

Meadows et. al.(1972)によれば,多様な形で経済活動が及ぼしてきた汚染 を吸収する地球の能力の限界は判明していないが,そこに限界が存在すること を人類は既に認識しているという。そして,成長に自主的な限界を設定するこ とによって自然の限界内で生きようとする方が良いか,あるいは,何らかの自 然の限界に突き当たった場合には技術の飛躍によってさらに成長を続けるとい う望みをもって成長し続ける方が良いのか,人類は二者択一に直面していると いう(Meadows et.al., 1972: 157−159,訳135)。 もっとも数世紀の間,人類は一貫して後者の道をとって成功を収めてきたの で,前者の道を選択することを忘れてしまっているとしながら,現実的かつ長 期的な目標と人間の意志の力によって,成長志向から制御された「世界的な均 衡」(global equilibrium)への移行をすぐさま始めることは可能であるとしてい る(Meadows et.al., 1972: 188,訳170)。 さらに,この時代には環境問題の所在を,過剰人口によって生じる食糧不足 と増産によって引き起こされる自然破壊に帰するもの(Ehrlich, 1968),天然 資源の共有財産的性格が諸個人による過剰利用の一因であるとともに汚染問題 の一因になっているという見解(Hardin, 1968),農薬や合成プラスチック,水 (2) ローマ・クラブとは,1970年にスイス法人として設立された民間組織であり,世界各 国の科学者や経済学者,プランナー,教育者,経営者などから構成されるもので,1970 年代当時の会員は25カ国,約70人から構成されていた(Meadows et.al., 1972,訳197)。 −94− 香川大学経済論叢 538

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銀,核物質などの科学技術の発達にあることを主張するもの(Commoner, 1971) などがみられた。これらの諸説間に論争も生じ,米国における環境保護運動の 大衆化を一気に推し進めることとなった(Steiguer, 1997: 153,訳203)。

このような環境保護主義の時代には,諸説を通じて環境問題の所在が多様な 角度から議論されただけでなく,先の Meadows et. al.(1972)が示唆したよう に,地球環境とは無限ではなく有限であるという認識をもたらしたこと,そし て Carson(1962)が現象面としての化学薬品の大量使用を痛烈に批判する一 方で,その背後にある根本問題を人間と自然との支配−被支配関係にあると捉 えた点に注意が必要である。 しかしながら1970年代半ば以降,インフレーションや失業率の上昇に伴っ て環境保護に対する大衆の熱が次第に沈静化するにつれ,米国における環境保 護主義の諸説は人々を啓蒙するというよりも混乱を生み出すことによって,む しろ害となりかねないという反省を促すこととなった(Steiguer, 1997: 114− 115,訳150−151: 155,訳207)。これらの諸説の影響により,ともすれば環境 保護か,経済成長か,という二項対立に帰結する傾向がみられ,極論による解 決を求めるという負の側面も否めなかった。

3.環境保護の価値的源泉

前節での諸説は,環境問題の所在やその実態を克明に記述するうえで寄与し たものの,環境保護の思想基盤としての役割を充分に果たしたとは言えなかっ た。前述のような環境問題の本質を人間と自然との支配−被支配関係にあると する見解は,既に1940年代にその端緒を見ることができる。これは,米国森 林局の森林官であり,後に研究者となった A. Leopold による「土地倫理」(land ethics)の概念である。 Leopold(1949)が人間共同体の倫理を基礎としながら唱えた〈土地〉倫理 とは,ヒトという種の役割を〈土地〉という生物共同体の征服者から,単なる 一構成員,一市民へと変えるものであった。そこには次のような自然観が貫か れていた。 539 経営諸説における環境保護思想の展開 −95−

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植物層 土壌層 大型動物 中型動物(ヒト) 鳥類・小動物 捕食関係 個体数少 動物層 彼によれば,原生自然とはヒトが文明という人工物を作りだす素材であり, 多種多様な原生自然によって世界の文化的多様性は成立するものの,はっきり とした原因もなく保護していたはずの植物や動物の種が消えるのは,土地が病 んでいるためという。有機体の機能のうち,最も重要なのは健康と呼ばれる内 在的な「自己再生能力」(self-renewal)であって,この自己再生能力のプロセ スにヒトの干渉と管理を受けている有機体は,人間自身と土地に他ならないと する(Leopold, 1949: 194,訳304)。このことは,自然の自己再生能力という ものは自らの多様性によって担保されていることを意味する。 その際,〈土地〉倫理の母体となるのが人間共同体の倫理という。これは, 個人というものは相互に依存しあう共同体の一員であり,本能的に自分の場を 確保するために他者と競争するものの,同時に倫理観により協働に努めること を示すものとされる。〈土地〉倫理は,こうした人間共同体という枠組みを, 土壌,水,植物,動物(これらを総称したものが〈土地〉)にまで拡大した際 の倫理観を示すものとしている(Leopold, 1949: 204,訳318)。これは,〈土 地〉に対する「良心の存在の現れ」であり,そこでのヒトは〈土地〉ピラミッ ドのなかで次のような形で表されている(図表1)。 Leopold(1949)によれば,土壌は循環するエネルギーの源泉であり,そこ で生み出される複雑性が食物連鎖を安定化させるものの,人間によって別の種 図表1.土地ピラミッドにおける動物層,植物層,土壌層の関係 出所)Leopold(1949: 215,訳334)をもとに筆者が作成。 −96− 香川大学経済論叢 540

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が持ち込まれると,「生物共同体」(the biotic community)の構造を作り変えて しまうこととなり,エネルギーの回路の攪乱,蓄積エネルギーの枯渇が生じる としている(217,訳338)。こうした人為的変化は進化による変化とは異なっ た秩序を形成し,広範囲に影響を及ぼすことから,解決の方向性として,〈土 地〉利用の在り方を経済的に好都合か否かのみでなく,生物共同体の安定性, 全体性に沿って評価するとともに,ヒトが〈土地〉と血の通った関係を結ぶこ との重要性を示唆するものであった(Leopold, 1949: 224−225,訳349)。この ことは,今日で言う生態系の多様性保護の問題を当時から取り扱っていたこと を意味し,その理由はヒトを含む〈土地〉の自己再生能力を保持するために他 ならなかった。 こうした土地ピラミッドの階層は勿論,生物共同体における支配−被支配関 係を示すのではない。階層は捕食関係および個体数の差を意味するのであっ て,ヒトというものはピラミッドを形成する一要素にすぎないことを表す点 で,人間と自然との支配−被支配関係の修正を早期から指摘したといえる。さ らに言えば,自然を,人間がコントロール可能な“商品”とする立場から,人 間が所属する共同体と捉える立場への転換といえる。 もっとも〈土地〉倫理のなかでは,いくつかの未解決なテーマがみられる。 なかでも,人間と自然との支配−被支配関係はなぜ生じたのか,そして〈土地〉 倫理において,人間は生物共同体の安定性,全体性に沿って自らの行動を評価 すべきとされるものの,どのような具体的規範を拠り所とすべきか,である。 これらについて環境保護主義の時代には,いくつかの議論の進展を見て取るこ とができる。 米国の歴史学者 L.jr.White は,環境破壊が引き起こした「生態学的危機」 (ecologic crisis)の根源を考察するにあたり,まず科学と技術の関係から繙い ている。もともと科学はその目的において貴族的,思弁的であったのに対し, 技術は下層階級のもので経験的,行動志向的であったが,19世紀半ばに両者 が融合されてから軋みが生まれたとしながら,「人間以外のいかなる動物も, これほど短期間にその巣を汚してしまうようなことはしなかった」(White, 541 経営諸説における環境保護思想の展開 −97−

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1968: 78,訳80)と主張した。そして近代の科学も技術も,ともに西欧文明 の所産であるとし,その主導権は一般に16世紀のコペルニクスやヴェサリウ スの著書の出版と考えられているものの,実際の起源は11世紀後期にあると している。この時期にギリシアと回教圏の科学上の著作をラテン語に翻訳する 運動が起こり,それが西欧に持ち込まれ,13世紀までに西欧が科学的発見や 技術革新を主導するようになったという(White, 1968: 81−82,訳83−84)。 White(1968)によれば,西欧の科学,技術と絡み合うように発展してきた ものこそ,キリスト教であった。西欧科学はその何世紀もの形成期の間,一貫 して科学者の仕事と報いを,「神に習って神の考えを追うことである」と伝承 してきており,これは,「近代的な西欧科学はキリスト教神学の母体のなかで 鋳造された」(White, 1968: 89,訳91)ことを示す。このようなキリスト教は, ユダヤ教から直線的な時間の概念だけでなく創造神話も受け継いだとしてい る。 愛と全能の神は,光と闇,天体,地球,すべての植物や動物を創造し,最後 にアダムとイブを創り出した。その際,アダムはすべての動物に名前をつける などして支配権を確立する一方,神はこれらすべてを人間の利益のために,人 間に仕えるという目的で造り出したという。このように極めて人間中心的なキ リスト教は,「人と自然の二元論を打ち立てただけでなく,人が自分のために 自然を搾取することが神の意志であると主張した」(White, 1968: 86,訳 88)。近代科学や技術は人と自然との関係に対する,このようなキリスト教的 態度を背景としており,そこに生態学的危機の根本問題があるとしている。 またWhite(1968)は,人が生態系について近代科学と技術を通じて何を成 すかは,人と自然の関係についてもつ考えに依存しているため,「新しい宗教 をみつけるか,古い宗教について考え直すまで,現代の生態学上の危機から 我々が救い出されることはない」(White, 1968: 91,訳92−93)と述べた。こ のことは,宗教的態度が自然に対する人間の行為を規定しているという本質 的,かつ価値的要因を明示するものであった。同時に,人間が自明なものとし ている自然に対する優越性,そして人間中心的な原理を再考することを示唆す −98− 香川大学経済論叢 542

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るものであった。

一方,ノルウェーの哲学者 A. Naess は,1970年代前半に「シャロー・エコ ロジー」(shallow ecology)と「ディープ・エコロジー」(deep ecology)という 二分類を基軸としながら,環境保護における具体的な行為のための指針と実践 を説いている。 Naessの言うシャロー・エコロジーとは,汚染や資源枯渇に反対することを 旗頭としながら,主要な目的を先進諸国に住む人々の健康と豊かさの向上に求 めるものであり,あくまで豊かな国のための環境汚染の削減と資源希少化の緩 和という限定された目標のもとに置かれるものであった(Steiguer, 1997: 140, 訳184)。これに対し,ディープ・エコロジーは次の7事項によって特徴づけ られている(森岡,1995:109−110)。 1)生命体や人間をばらばらな存在と捉えるのでなく,相互連関的に織り込ま れた結び目と捉える。いかなる存在物も他の存在物との関係性の中で成立 しており,こうした関係性から切り離したものと捉えることはできない。 2)「生命圏平等主義」(biospherical egalitarianism)をとる。他の生命体と親し むことによって深い喜びと満足を享受する人間の本性に根ざしており,自 然を奴隷のように見なすことは人間を自分自身から疎外することとなる。 これはあくまで原則であって,人間が生きてゆくうえで生じる他の生命体 の若干の殺戮,開発,抑圧は必然である。 3)多様性と共生の原理を採用する。多様性は,生存の潜在的可能性と新たな 生命様式が出現するチャンスと,生命の様式の豊かさを増大させる。生存 競争や適者生存の考え方は,殺戮,開発,抑圧の能力を意味するのでな く,こみいった生命の関係性の中で共生や協同の能力として解釈されるべ きである。 4)反階級の姿勢をとる。人間の生活様式の多様性は意識的あるいは無意識的 に,他者を搾取,抑圧することによってもたらされる場合があるが,支配 者および被支配者の双方の「自己実現」(self-realization)の潜在可能性が 阻害される。めざすべきは,階級のない多様性にある。 543 経営諸説における環境保護思想の展開 −99−

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5)汚染と資源枯渇に対する戦いを進める。だが,単にこれらのみが本質では ない。 6)混乱ではなく,複雑性を評価する。統合原理のない単なる混乱状態と,法 則性を持ったシステムからなる複雑性とを区別する。生命圏の有機体等は 高いレベルの複雑性を示すものであり,人間がそこに介入したときの影響 を深く認識せねばならない。 7)地方の自律と脱中心化を支持する。ある地域の生活様式は,外部に対する 依存の割合が高くなるほど脆弱になる。地域の自己統治と,物質的・精神 的自給自足を強化することが必要であり,そのために脱中心化を推し進め ることが前提となる。 Naess(1989)によれば,こうしたディープ・エコロジーの概念は,自然科 学としての生態学(ecology)のみならず哲学(philosophy)に依拠しなければ ならないという。もっとも哲学は,知識に到る道筋としての研究領域という側 面と,個人の意思決定の指針となる価値コードや世界観という側面を同時に包 含するものである。このため,前者に対応するものとして,自然と人間との関 係を記述的に研究する学問領域を環境哲学(ecophilosophy)と呼称しながら, 後者に対応するものとして個人がもつべき哲学をエコソフィー(ecosophy!)と いう造語により識別することの重要性を説いた(図表2)。 こうしたエコソフィーは,生態系における生命の諸状態によって触発された

(3) ecosophy の「eco-」は economy および ecology の接頭語であり,「-sophy」は philosophy の接尾語からなる(Naess, 1989: 37)。 問題がすべてを含む場合 問題が自然との関係を中心とする場合 研究分野としての名称 philosophy ecophilosophy 姿勢や観点を示す際の名称 a philosophy Ecosophy 図表2.エコフィロソフィーとエコソフィーの区分 出所)Naess(1989,37)から作成。 −100− 香川大学経済論叢 544

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「哲学的世界観あるいはシステム」(philosophical world-view or system)を意味 するものとされ,実践としてのディープ・エコロジーに欠かすことのできない 側面とされている(Naess, 1989: 36−37)。 このように Naess は,人間中心主義と生命圏平等主義という二者を対置させ ることにより,人は自然を前者の立場で捉えてきたが,環境問題を修復する立 場として後者に立つべきであるとし,人と自然の支配−被支配関係を根本から 修正するうえでの実践的規範を提示した。彼のディープ・エコロジーの鍵概念 として示されている関係性,多様性,複雑性,非階級は,前出の Leopold の 〈土地〉ピラミッドにもおよそ散見されるものであった。これらは,そもそも 生態系が保持してきたシステム法則であり,ヒトが生態系システムに包摂され ていることを再認識することを求めた点で,ディープ・エコロジーは〈土地〉 倫理と方向性を一にするものといえる。

4.現代経営への展開

前節までの環境保護思想は,現代経営の諸説においてどのように展開されて いるのか。また,生態系のシステム法則と社会経済システムはどのような関係 に置かれるのだろうか。

Capra & Pauli(1995)は,現代の企業および産業と自然との衝突の主な原因 を,自然が「循環型」(cyclical)であるのに対して社会経済システムが一方か ら一方への「線型」(linear)であるところに見出している(Capra & Pauli, 1995: 5,訳10)。このような衝突を回避するには,企業は自然の循環プロセスのな かに組み込まれ,依存していると捉える必要があり,その方向性は Naess に代 表されるディープ・エコロジーのパラダイムへと企業活動を転換することに よって可能となると主張した(Capra & Pauli, 1995: 3,訳7)。

また Hawken(1993)は,現代の経営には三つのジレンマがあるという。第 一に,環境からあまりに多くの物を,しかも有害な方法で奪っていること,第 二に,製品はエネルギーや有毒物質,汚染物質を大量に使うこと,第三に,製 造方法や製品自体が大量の廃棄物を生み出し,人間をはじめすべての生物種の

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現在と未来を脅かしていることとする(Hawken, 1993: 12,訳37)。これらの ジレンマのすべての解決策は,自然を支配する基本法則に基づく「生態学的交 換モデル」(an ecological model of commerce)に転換することにあるとする。

自然の基本法則とは主に,「廃棄物は同時に栄養物である」(Hawken, 1993: 12,訳37)という点にあり,このことは例えば,最小のエネルギーで他の生 態系を養うために,有機堆積物が常態的に再生産されていることなどを意味す る。生態学的交換モデルでは,あらゆる廃棄物は他の生産様式にとって価値を もつために再利用が可能となるのであり,これを支えるのは,自然の多様性と 差異による繁栄であって,画一化すればバランスが失われて滅びることを強調 した(Hawken, 1993: 12,訳38)。 さらに Hawken(1993)は,こうしたモデルからなる修復された経済におい て,「産業エコロジー」(industrial ecology)を提唱する。産業エコロジーとは, 企業が本来の嗜好に従って活動を続けながらも,環境からのニーズに取り組む ための建設的な手段を提供するものであり,「地球規模の自然の生態系と調和 しながら連結された人工的生態系のような産業基盤のデザイン」(Hawken, 1993: 62,訳107)に相当する。そこでは,ある企業の「物質代謝」(metabolism) は他の企業の物質代謝となって相互につなぎ合わせられるとしている。 Capra & Pauli(1995)の言説および Hawken(1993)の生態学的交換モデル や産業エコロジーの概念には,生態系のシステム法則に社会経済システムを融 合させようとする点で,環境保護主義の時代の思想基盤が色濃く反映されてい る。そこには環境保護思想と経営諸説の連続性を見て取ることができると同時 に,経営理論への展開可能性が存するといえる。 さらに経営学者である Pauli(1995)は,Hawken が提唱する産業エコロジー の着想を基礎としながら,「ゼロ・エミッション」(zero emissions!)という具体 (4) ゼロ・エミッションという概念が初めて登場したのは,1990年代前半とされる(三 橋,1997)。この概念は,1992年の地球サミットを受けて国連大学が持続可能な開発に 向けた経済システムの再編プログラムを掲げた中に研究構想を盛り込んだことを端緒と する。ゼロ・エミッションとは,排出物(emission)のゼロ化を意味し,社会経済シス テムから水圏,大気圏への排出物を一切廃絶することとされる(三橋,1997)。 −102− 香川大学経済論叢 546

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ビール醸造 ビール 高タンパク固形廃棄物 魚の養殖 発酵 エネルギー CO2 藻類 温室効果 水 廃棄物 びんの洗浄 欠けているもの:バイオテクノロジーと農業システム 的なコンセプトに発展させた。彼によれば,ゼロ・エミッションとは廃棄物を まったく出さない生産システムを意味するものであり,自動車産業などにみら れるように伝統的な製品を核とした垂直的統合とは明確に異なる形で,廃棄物 を核とした新たな産業のグループ化を示すものとしている(Pauli, 1995: 147, 訳184)。 廃棄物を核とする新たな産業集団とは,紙のリサイクルを通じた製紙,イン ク,建材,パッケージ材という関連企業の組織化が該当するほか,製糖とプラ スチック,あるいはビール醸造と魚の養殖といったように,それまで結び付く ことのなかった企業間にも連鎖が見られることという(図表3)。 例えばビール醸造では,厳しい衛生管理基準を満たすために洗浄用の強力な 化学物質を使わねばならないが,砂糖をベースとした洗浄剤に切り替え可能な バイオテクノロジーの発達により,廃水を魚の養殖場に放流することができる ようになるという。また固形廃棄物は高タンパクかならなるために飼料として 有効活用できるので,魚だけでなく畜産飼料として提供するなど,農業関連の インプットとしてすぐれた機会を保持するとしている(Pauli, 1995: 156,訳 図表3.ビール醸造から始まる新産業システム 出所)Pauli(1995: 156,訳195)から作成。 547 経営諸説における環境保護思想の展開 −103−

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194−195)。 Pauli(1995)によれば,こうした産業集団を構成する企業は,「最小のイン プットで最大のアウトプット」を創出するという経営目標を「総スループット」 (インプットの完全消化)によって達成することが可能であるとされる。そこ では,あらゆる形態の廃棄物が他の生産サイクルのインプット,つまり原材料 となることによって企業の競争力が担保され,生態系システムを模した長期的 に持続可能なプロセスが保証されるという。 もっとも彼が示すように,社会経済システム全体をゼロ・エミッション化す るには不足している技術が多々見受けられるとともに,システム全体からの排 出物を「一切廃絶する」という着想に対して自然科学の立場から批判もあがっ ている。これは,エントロピー最大化の法則からすると,人為的に行う完全な 排出物ゼロは原理的に困難であるという主張である(エントロピー学会, 2003)。ここでのエントロピーとは単純化するなら「汚れ」を意味するものだ が,資源とエネルギーを用いた現代の工業生産では,必然的に低エントロピー の製品と高エントロピーの廃棄物が生じるという。このことを踏まえるなら, Pauli(1995)が提唱したゼロ・エミッションのコンセプトは,たとえ補完技 術が過不足なく開発されたとしても,あくまで生態系システムを不完全に模写 するものにすぎないといえる。

5.自然資本と資源生産性

前出のHawken はさらに,産業界と生態系を含む大掛かりな変革の第一歩は, 現状の経済観の基礎となる思考様式を再考することにあるとしながら,産業革 命以降に考案された経済理論は,どの理論も自然資本が最終製品の価値にほと んど反映されないという間違った仮説に基づいていると主張する(Hawken, Lovins & Lovins, 1999: 6−7,訳32−33)。自然資本は無尽蔵かつ無料で手に入 るものではなく,有限で必要不可欠な生産要素であって正当な評価が必要であ るとする!。こうしてHawken,Lovins & Lovins(1999)によって提唱されたの が「ナチュラル・キャピタリズム」(natural capitalism)というコンセプトであっ

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た。そこでは,次の八つの前提条件が示されている(9−10,訳36−37)。 1)地球環境は副次的な生産要素ではなく,経済全体を包み込み,資源を供 給,維持する「封筒」(an envelope)のようなものである。 2)将来の経済発展を制約する要因は,自然資本から得られる資源供給とその 働きにあり,とりわけ代替が不可能な「生命維持サービス」(life-supporting service)にある。 3)自然資本を減少させる主要因は,誤解や誤りによって設計された企業シス テム,人口の増加,無駄の多い消費行動にある。 4)将来において最大限の経済成長を達成できるのは,人的資本,製造資本, 金融資本,自然資本の価値を充分に考慮した生産・流通システムである。 5)労働者,資本,環境を有効に利用する鍵の一つは,資源生産性にある。 6)提供するサービスや質の流れを改善することにより,社会の福利は最大限 に達成することが可能となる。 7)経済と環境の持続可能性は,所得と物質的な豊かさに関する国家間の不平 等を修正することにかかっている。 8)企業よりも一般市民のニーズに基づいた,真に民主的な統治により長期的 (5) 自然の有限性や生態系システムに関する記述は,例えば K. E.Boulding によって1960 年代に示されている。Boulding(1966)は Fuller(1969)の「宇宙船地球号」(spaceship earth)の概念(49,訳43)および Bertalanffy(1968)の一般システム理論の影響を受け つつ,物質とエネルギー,情報からなるシステム観を提示した。そこでは2つのシステ ムが描かれている。当時の経済システムは開放系であり,これを「カウボーイ経済」 (cowboy economy)と呼称した。これは,広大な平原での向こう見ずな開拓者のように 荒々しい行動を表したもので,大量生産,大量消費は善であり,システムを測る尺度は インプットとアウトプットの「通過量」(throughput)に置かれるものとする。そこには, 材料の採取や排出物の放出を好きなようにできる無限の貯蔵庫があると想定される。こ れに対し,「宇宙人経済」(spaceman economy)においては,いかなる資源も有限である 地球という名の宇宙船がイメージされており,乗組員である人間は物質の再生力をもつ 生態系システムのなかに自らを見出すことが必要であるとされる。地球はもともと開放 系システムではあるものの,閉鎖系システムを志向すべきであり,通過量は最小化され なければならないことなどが強調されている。Boulding(1966)は経済学の常識からは 理解されないかもしれないとしながらも,後者のシステム観において生産や消費は善と いうよりもむしろ悪となるのであって,経済の成功を測る主要な尺度は GDP ではな く,人間の肉体や精神がシステムに包摂されるという立場から自然や総資本ストックの 複雑さなどに置かれるとした(431)。 549 経営諸説における環境保護思想の展開 −105−

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に最適な地球環境は整備される。

これらの前提条件をすべて満たすためには,以下のナチュラル・キャピタリ ズムの四つの戦略が必要であるという(Hawken, Lovins & Lovins, 1999: 10− 11,訳38−39)。

1)革新的な資源生産性(radical resource productivity):資源を効率的に利用 することで,「価値連鎖」(value chain)の中で資源の枯渇を遅らせること, 汚染を減少させること,有意義な仕事を生み出し全世界の雇用を増やすこ とが可能となる。 2)生物模倣(biomimicry):原材料の処理の無駄を減らすこと,というより も「廃棄物」(waste)という概念そのものを無くすこと。閉じたサイクル の中で絶えず,原材料を再利用できるようにする。

3)サービスとフローの経済(service and flow economy):財の獲得を豊かさ の尺度とする経済から,高品質で便利なサービスを継続的に利用すること を消費者が選択する経済へ転換すること。これにより,最初の二つの戦略 の誘因が生まれる。

4)自然資本への投資(investing in natural capital):自然資本ストックを増大 させるような再投資によって,地球の破壊へと向かう傾向を逆転させるこ と。その結果,生物圏はより豊かな生態系サービスと天然資源を産出する。 ここで新たな鍵概念となっている資源生産性とは,企業の発明,成長,開発 にまったく新たな次元を切り開く契機となるものとされ,「原材料やエネルギ ーの使用量を少なくしたにも拘らず,製品やその工程から得られる効用や仕事 量は同じであることを意味する」(Hawken, Lovins & Lovins, 1999: 12,訳41) と規定されている。また資源生産性は,物質一単位をあるプロセスに投入した ときに得られる出力量を意味するのであり,効率が高いということは少ない投 入量と多くの出力量という2つの要素を物理的尺度で測ったものに相当すると いう!

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Hawken,Lovins & Lovins(1999)によれば,資源生産性はあくまで物理量 尺度であるのに対し,経済学における「効率」(efficiency)とは2つの点にお いて異なるという。一つ目に,経済学ではプロセスまたは成果に費やした費用 という尺度で測ること,つまり製品を産出するために要した労働を始めとする 投入物の市場で評価された費用に比べ,製品の市場価値がどのようになったか をみる点で異なるという。二つ目に,経済学における効率は一般に,市場機構 を完全に活用することによって生産要素の費用の総和を最小化することを意味 するものの,ここでの資源生産性は資源と費用の節約と同時に,生活の質の改 善に!がるものである点で異なるものとしている(Hawken,Lovins & Lovins, 1999: 13,訳42)"。

さらに,個別の企業におけるもの造りの資源生産性(およびエネルギー効 率)の向上は,「設計思想」(design),「技術革新」(new technologies),「制御」 (controls),「企業文化」(corporate culture),「プロセス革新」(new process)と 「原材料の節約」(saving materials)という六つの側面の見直しと相乗効果によっ てもたらされるとしている(Hawken,Lovins & Lovins, 1999: 64,訳118)。

このように彼らの提唱するナチュラル・キャピタリズムは,社会経済システ (6) 資源生産性の概念は,Weizsacker,Lovins&Lovins(1995)にもみられる。そこでは, 「新しい資源利用と技術改善によって,少ない資源から同じ効用を引き出すか,あるい は同じ消費で多くの効用を生み出す」(Weizsacker,Lovins&Lovins : 1995,訳25)こと とされている。製品のライフサイクル全般に渡り,資源利用と環境負荷を算出し,仮に 半分に削減した場合,製品の資源生産性が2倍になったと捉えるものとしている。 (7) 資源生産性の定義は実に多様である。鈴木(2005)によれば,財の資源生産性とは, 財によって入手できるサービス単位の総計を,そのサービス供給量のための物質の総消 費量,エネルギー消費のために動かされた物質の流れを含め,ライフサイクル全体の総 消費量で割ったものとする(鈴木,2005: 27)。一方,山本(2001)は,製品レベルの 資源生産性は資源効率を意味するものとしながら,環境配慮型製品の総合指標は資源効 率のみならず,環境効率を加えた尺度から測定する必要性を説く。前者は資源の投入量 を示し,後者は環境負荷,すなわち環境汚染物質の排出量を加味したものとしている。 これらの尺度から,現行製品と過去の製品の資源効率および環境効率がどう変化したか を比較,算出することにより,製品レベルの総合指標が明らかになるという。さらに, 経済産業省が規定する国レベルの資源生産性は,投入資源と国内総生産(GDP)の比と される。投入資源とは,日本国内で自然界から採取された資源量に輸入資源と輸入製品 を加え,これを重量で表した総物質投入量(DMI)としており,単位あたり DMI で GDP がどれだけ増えたかをみるものである。 551 経営諸説における環境保護思想の展開 −107−

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ムを生態系システムに包摂されるものと位置づけながら,自然を一種の資本と 捉え,この“資本”を可能な限り目減りさせずに利用するために二本の柱を据 えた。これは生物模倣,つまり前節のゼロ・エミッションおよび資源生産性に 関係するものであり,さらに自然への投資により“資本”の増強を企図するも のであった。そこには単純な生態系システムの模倣の範疇から,具体的な社会 経済システムの修正の方向性を示した点に新機軸がみられる。とはいえ,自然 資本を有効利用するうえでの企業への誘因は,ストック重視からサービスおよ びフロー重視への転換にあるとするものの,そもそもの転換のための起動因を どこに置くのか,またどのように成しうるのかといったように,充分に精緻化 された枠組みを提供しているとは言えないようである。また議論の中心は社会 経済システム全体に置かれており,個別の企業主体を取り扱う経営理論に充分 な示唆をもたらすものとは言えなかった。

6.環境規制とイノベーション

前節の資源生産性の概念を議論の中心に据え,企業の起動因を環境規制に求 めながら,環境保護とイノベーションの両立を唱えたのが Porter & Linde (1995)である。 Porter らによれば,政府によって適切に設定された環境規制は,製品価値の 向上や原価削減のための企業のイノベーションの契機となり,投入資源の生産 性をさらに高めるほか,地球環境に与える影響を改善するためのコストを相殺 するので,環境と経済のトレードオフ関係を解決することができるとした。そ もそも環境と経済の関係を二律背反ととらえる企業は,法規制以外を不変とす る誤った認識のもとにあり,イノベーションの可能性を見過ごしているとい う。むしろ企業は常に変化する技術や製品,製造プロセス,消費者ニーズと いったように,ダイナミックな競争関係の中にあり,そこで生き残るために不 断の改善やイノベーションを継続するものであるとする。規制や圧力は,こう したイノベーションが生じる契機となり,そこに企業の環境保全と存続・成長 を両立させるうえでのマネジメントの鍵があるとしている(Porter & Linde,

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1995: 120,訳102)。

さらに Porter & Linde(1995)は,環境保全型のマネジメントは何も目新し い考え方ではなく,1980年代の品質革命が既に証明済みであるとする。かつ て企業は,品質改善は製造ラインで発生する目に見えない欠陥を検査し,何度 もやり直すことでしか達成できないものと捉え,コストが高くつくと考えてい た。もっとも今日の企業は,TQM や TQC を通じて継続的な改善やイノベー ションを行い,コストをかけずに品質の向上が可能であることを知っていると いう。もともと日本で普及した TQC は,品質管理を国家目標とした日本政府 の企業への働きかけの賜物で,日本製品が世界を席巻するなどの外圧にさらさ れてようやく,欧米企業も TQC を受け入れたとする。このように,圧力や規 制がイノベーションを誘発し,品質改善と競争優位性を結びつけてきたという のが彼らの主張であった(Porter & Linde, 1995: 128,訳110)!

ただし,こうした規制や圧力は緩いものであると,企業は二次的な対応で解 決策を見つけることができるため,イノベーションに結びつきにくく,むしろ 厳しい規制があって初めて企業は本腰を入れるという。Porter らによれば,問 題を解決すべき方法を企業が考え,イノベーションの機会を自らが創出するよ う,規制に緩みをもたせることが重要であるという。つまり,特定の技術や廃 棄物管理の方法を政府が誘導するのでなく,設計や生産プロセスでの自主的管 理を奨励するような規制こそイノベーションに結びつきやすく,これを誘発す るうえでの基軸が,前出の資源生産性の向上であった。

さらに Porter & Linde(1995)は,もしも廃棄物や有害物質,未使用エネル

(8) Porter & Linde(1995)は,環境規制をチャンスと捉える視点が日本で既に1970年代 に登場したとする。これは,本田技研工業の CVCC エンジンの開発である。かつて深刻 な大気汚染に悩まされていた米国は,1963年に制定した大気洗浄法を改正し,1970年 12月にマスキー法を成立させた。同法では,一酸化炭素と炭化水素,窒素酸化物を1975 −76年型の車種から,1970−71年型の10分の1に低減することを定めており,当時とし ては非常に厳しい排ガス規制だったことから米自動車業界のビッグスリーの反対に遭 い,法令施行は若干延びた。ところが1972年12月に,この規制をクリアしたのが本田 技研工業の CVCC エンジンであった。これを搭載したシビックは,日本で翌73年に発 売されており,1975年のモデルから米国へ輸出され,2003年3月には同シリーズの世 界累計生産が1,500万台を突破している。 553 経営諸説における環境保護思想の展開 −109−

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ギーが汚染物質として環境に放出されるなら,それは資源が不完全に,非効率 的に,不経済に浪費されているためであるとする。資源を非効率に扱う企業 は,資材利用や工程管理が未熟なためであり,環境規制が強化されると廃棄物 の取り扱いや保管,処理などのコストがかさみ,何のメリットもない活動を強 いられることとなる。これに対し,資源生産性を高めた企業は,生産システム に要するコストと商品価値とを同時に見直す機会を得て,材料の代替,外部に 資源を廃棄しない閉鎖型の循環システムを採用するとともに,汚染が発生する 前から汚染を断つといった学習効果を蓄積することが可能としている(Porter & Linde, 1995: 122,訳104)。 Porter らによると,実際の製造プロセスにおける資源生産性の向上,および 費用を低減するうえでのイノベーションのパターンは次のように示されている (Porter & Linde, 1995: 123,訳108)。

1)加工工程の完全化,代替品使用,再使用と再生利用による原材料の節約 2)歩留まりの増加 3)より慎重なモニタリングとメインテナンスによる操業中断時間の削減 4)副産物のより良い利用 5)廃物から価値あるものへの転換 6)生産工程でのエネルギー消費の削減 7)原材料保管および処理コストの削減 8)より安全な労働環境による節約 9)廃棄または廃物処理,輸送および処分に係わるコストの除去,削減 10)工程の変更による製品改良

Porter & Linde(1995)は,工程の見直しによる生産ラインの改善や歩留ま りの向上など従来の TQC と方向性を一にする活動を通じ,余剰となった副産 物や廃材に注目することで,個別の企業主体にとって環境保護とイノベーショ ンの両立が可能であることを示した。もっとも彼らの枠組みは,過去の事例を 用いて環境規制と企業行動との繋がりを事後的に説明しているにすぎず,両者

(21)

の因果関係の法則性を検証したわけではない点で未だ仮説の域にある。

7.終 わ り に

本稿は,環境保護主義の諸説および〈土地〉倫理の概念を拠り所としながら, 環境問題の所在と環境保護の思想基盤についての整理,検討を行った。問題の 所在は,現象面において化学物質の大量使用や科学技術の進歩,人口の幾何級 数的増加や天然資源の濫用といったように,論者によって多様な捉え方がみら れた。しかしながら,そうした深層には人と自然の支配−被支配関係が根ざし ており,人が自明なものとしている自然に対する優越性,換言すれば人間中心 主義を再考することにより,地球環境の修復が可能であるとの基本問題を明ら かにした。そこでの鍵概念は,関係性,多様性,非階級,複雑性といった,そ もそも生態系が保持してきたシステム法則であった。 さらに本稿は,限られた範囲での文献を通じてではあるが,このような思想 基盤と1990年代の経営諸説との関係を検討した。そこでは,線型としての社 会経済システムを自然の保持する循環型に修正すべきとする主張がみられ,自 然を模した「生態学的交換モデル」や「産業エコロジー」,「ゼロ・エミッショ ン」などの諸概念が提示されていた。これらはいずれも,生態系のシステム法 則に社会経済システムを融合させることを企図すること,自然を副次的な要素 ではなくシステム全体を包み込むものとし,企業はこれに依存していることを 強調する点で,環境保護主義の時代との強い連続性がみられた。このことは, 環境保護思想の価値的側面が現代経営の諸説のなかで展開されていることを充 分に証明するものであった。そこでは,自然を一種の資本と捉え,この“資本” を可能な限り目減りさせずに循環させるべく,ゼロ・エミッションおよび資源 生産性の概念を中心に据えたフレームワークがみられ,新たな方向性が指し示 されていた。 もっともこれらの経営諸説は,自然科学のエントロピー法則を通じた批判に みられるように,厳密には不完全なフレームワークを提示するものにすぎな い。しかも,生態系システムと社会経済システムを融合するうえで,個別の企 555 経営諸説における環境保護思想の展開 −111−

(22)

業主体の動機付けをいかなる側面に求めるかといった実践としての課題も見受 けられた。これを補完するものとして,厳しい環境規制に企業の動機付けを求 める枠組みも検討したが,環境規制と企業行動との因果関係が充分に検証され ていないことなどから仮説の域にあることも示した。 このように,環境保護思想と1990年代にみられる経営諸説との連続性はお よそ確証されたが,これらの諸説は経営理論の本流に組み込まれるまでに昇華 されているとはいえないようである。これを踏まえれば,本稿の残された課題 の一つは,今回,精査することのなかった経営学説の本流における環境保護思 想との連続性,あるいは自然環境の取り扱いについて史的に整理することにあ る。例えば,組織と外部環境との関係を精緻化したコンティンジェンシー理論 などに,その端緒を見出せるかもしれない。そして,もしも経営学説のなかに 環境問題の取り扱いのためのモデルが充分に用意されていないとするなら,新 たな枠組みを探ることも必要となろう。 参 考 文 献

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参照

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