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アンティゴネー像の解釈について-香川大学学術情報リポジトリ

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アンティゴネー像の解釈について

斉 藤 和 也

Ⅰ はじめに Ⅱ アンティゴネーの人物像 Ⅲ クレオーンの人物像 Ⅳ クレオーンとアンティゴネーの対決 Ⅴ テイレシアースの預言 Ⅵ アンティゴネー像の解釈

I はじめに

 『アンティゴネー』という悲劇作品は、アンティゴネーの悲劇であるのか、それともクレオーンの悲劇 であるのかという問題は、現在では、二者択一の問題としては立てられることはないが、改めて問われる ならば、容易に答えることができない問題であることが分かる。この作品の題名が「アンティゴネー」と なっていることから、この作品がアンティゴネーの悲劇であると考えるのが素直な理解であろうが、アン ティゴネーは、全体の3分の2の所で退場してしまい、その後は、クレオーンの苦難が展開する1。アン ティゴネーの自殺がハイモーンの自殺の引き金となり、さらにエウリュディケーの自殺の引き金となった という意味において、アンティゴネーは依然として最後まで作品にその影を落としているという解釈も可 能ではあるが、肉親をすべて失ってしまうクレオーンの苦難がかれ自身の傲慢に起因するという点から考 えるならば、この作品をクレオーンが僭主的独裁権力の絶頂から生きる望みを失うほどの苦難に突き落と される典型的な悲劇と見ることもあながちおかしな解釈ではない。しかし、クレオーンは確かに権力者と しての極みにあるとはいえ、人物像としてはむしろアンティゴネーの敵役として見るべきものであり、ま た一般の人間よりも劣る人物として描かれているように見えることもあって、この作品をクレオーンの悲 劇としてみるなら、アリストテレス的な意味における優れた悲劇としての資格に欠けると言わざるを得な い。  J. Jones によれば、このような二者択一の問題設定は、アリストテレスのテキストの読み違えによるも のである。アリストテレスは、優れた悲劇の筋は、幸福から不幸への転変が示され、それによって観客に おそれと痛ましさを引き起こす出来事の組立を持つものであるとしたが、その運命を引き受ける人物は、 「徳と正義において優れているわけではないが、卑劣さや邪悪さのゆえに不幸になるのではなく、なんら かのあやまちのゆえに不幸になる者であり、しかも大きな名声と幸福を享受している者の一人である」 (Aristoteles 1253a8-10) ことが示されるべきであるとしている。そこから、『アンティゴネー』に おいて、このような運命の転変を辿っているのは、アンティゴネーなのかクレオーンなのかという問いも 生まれ来る。しかし、Jones は、アリストテレスのテキストでは、このような転変を身に受ける人物は単 数ではなく、複数になっていると指摘する。それを I. Bywaterが単数で訳した (1909) ことにより、ギリ シア悲劇とはひとりの主人公の性格とあやまちに基づくものであるという通説ができあがってしまった。

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また、アリストテレスが、悲劇とは行為の再現であって、人物の再現ではないとわざわざ断っている点も 見落とされてきた。このように述べて、Jonesは、アリストテレスが人物ではなく状況の転変に重点を置 いていることを考慮することが悲劇の解釈においては重要である、とするのである2  M. Griffith によると、登場人物よりも行為や社会的次元に重点を置く近年の悲劇解釈における焦点の 移動は、Jones に多くを負っている。そして、『アンティゴネー』の鍵となる諸事件は、アンティゴネー とクレオーンの両者の相互的活動ないし相互的依存関係から生じているとされる3。確かに、アンティゴ ネーの行動はクレオーンの行動と不可分であって、それは、両者が家族の掟とポリスの掟の担い手として 対立することに基づいてそれぞれの人物像が成り立つという構造をこの悲劇が持っているためである。た だ、アンティゴネーの性格は、B.W.M. Knoxが描いたように4、いわゆる悲劇的英雄の様相を示しており、 我々の関心もその一途な性格に向けられることから、小論では、アンティゴネーとクレオーンの人物像を 検討することを通して、『アンティゴネー』という作品の悲劇としての構成を見ていくことにする。

Ⅱ.アンティゴネーの人物像

 S. ゴールドヒルは、社会的に支配的なイデオロギーに問いを投げかけ議論をすることが悲劇の持つ優 れた機能であるとしているが5、この悲劇の登場人物たちの対話の中には社会的な意味における価値観の 衝突が見られる。それぞれの人物は、そうした社会的な諸価値を担う主体として現れるが、単にそうした 価値の担い手に止まるものではなく、対立を破局にまで導くほどの強い性格も有している。本節では、ア ンティゴネーの人物像に焦点を合わせて、彼女の対話と行動からその性格の輪郭を描くことにする。アン ティゴネーは、まず、イスメーネーとの対話の場面でその一途な性格を見せる。その場面では、イスメー ネーとアンティゴネーの考え方の相違が浮き彫りになる。次に、アンティゴネーは、逮捕されてクレオー ンの前に差し出され、彼との間で近親者の埋葬をめぐる名高い論争を展開する。ここで、クレオーンとア ンティゴネーの考え方の違いは、個人的な思想の相違としてではなく、社会的な諸価値の衝突として現れ ている。悲劇的英雄としてのアンティゴネー像はこれらの対立の構図から浮き彫りになってくるが、死刑 判決を受けて岩屋へと曳かれていく場面におけるアンティゴネーの愁嘆の姿はこの悲劇的英雄像に矛盾す るのではないかとの指摘がなされてきた。しかし、前半のイスメーネー及びクレオーンとの対決において 現れたアンティゴネー像が、後半の愁嘆の場面において影を潜めたという解釈は成立しないと考えられ る。アンティゴネーは一貫して近親者の埋葬を実行することが自己の最優先の義務と考える人間であり、 そのことによる不利益は最後までこれを甘受していたと見なすことができるからである。  では、まず、イスメーネーとの対話の場面を見てみよう。劇の冒頭、兄ポリュネイケースの率いるアル ゴス勢がテーバイを攻略し、弟エテオクレースを総大将とするテーバイ軍に撃退された翌日の夜明け前、 アンティゴネーはイスメーネーを「門の外に」(18)に呼び出す。七つの門を守備したテーバイ軍は、い ずれの門でも敵軍を撃退したが、エテオクレースの守る門では、オイディプースの血を分け持つ兄弟が差 し違えて命を落とし、息子たちに対する父の呪いが成就することになる6。オイディプースの血を引く男 子が途絶えた今、身内で王位を引き継ぐ資格のあるクレオーンが、その最初の権力の行使として、敵の遺 体の取扱いに関する布告を発した。ポリュネイケースは、テーバイ王家の身内でありながら、アルゴス王 の娘を娶り、その王の勢力を借りて祖国テーバイに攻め込み神殿を荒らそうとしたがゆえに、その遺体は 野ざらしにされるべしとされたのである。  このクレオーンの布告に対して、アンティゴネーは家族の権利の擁護者として現れる。彼女の目的は、

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親族の神聖なる絆に畏敬の印を与えることである。  「クレオーン様は、・・・エテオクレースの方は、ちゃんとしきたり通りに、地下に眠っている人々の目 にも恥ずかしくないよう葬ってさしあげたけれど、惨めな最期をとげたポリュネイケースの遺体は、町 じゅうに触れ回って、埋葬してはならぬ、死を悼むもならぬ。嘆かず葬らずに放置して、鳥どもを、こ れはありがたい御馳走とばかり喜ばせてやれ、と仰せられたというではありませんか。・・・もし敢え て弔う者があれば、市中において市民による石打ちに処せらるべし、と仰せとか。」7(21, 23-30, 35-36)  この命令はアンティゴネーには決して受け容れられないものであった8。そこで、イスメーネーに対 して、自分と一緒にポリュネイケースの亡骸を運ぶよう要請するが9、イスメーネーは、親兄弟を失っ た王家の姉妹には、国の支配者であるクレオーンの意志に逆らう力はないとして、姉の提案に応じない (58-68)。  アンティゴネーにとって、ポリュネイケースの埋葬は、亡くなった身内の名誉を守りその霊を慰める行 為である。埋葬の義務を果たさないことはまた、「兄弟を裏切る」(46)ことにもなる。アンティゴネーは、 クレオーンには「私を私の身内から引き離す権利」(48)などないとしつつも、「石打ちの刑」(36)を覚 悟して行為を決行することができるかどうかが、「立派な人間に生まれついたのか、それとも、血筋がよ くても駄目な人間なのか」(37-38)の試金石であるとする。なんとも性急な判断であるが、Knox は、ソ ポクレースにおける悲劇的英雄の特徴として、一旦決意を固めると、どんな説得にも耳を貸さず、どんな 威嚇にも動揺せず、死さえ恐れずに突き進むという性格を挙げている10。アンティゴネーの決意は、イス メーネーからみると、「できっこないこと (タメーカナー)」(92)であるが、アンティゴネーはそれを百 も承知の上で、死をも恐れずに家族としての義務を果たすことが王家の血筋を引く自分たちの義務である と考えるのである。「どんなことだって、立派に死ぬことほどには」(97)彼女を納得させないのである。 イスメーネーは姉から二者択一を突き付けられたが、常識的な冷静な判断から自己の無力を表明せざるを 得ない。彼女たちの家族の歴史、現在の孤立、力の弱さを指摘し、現在の状況ではクレオーンに従うし か道はないと姉を説得しようとするのである (49-64)11。しかし、この説得も無駄であって、アンティゴ ネーは、性急に、「では頼みません。その代わり、あとになって、ああ、やっぱり手伝いますと言われて も、もうごいっしょはいやです。いいようになさい。それで死ぬならそれこそ本望」(69-70) と突き放す のである。そして、突き放すだけではなく、「そんなことを言っていると、そなたは私から憎まれ」(93)、 「死んだ人を敵に回す」(94) ことになるとして、妹に決別を告げる。ここで、アンティゴネーは、イス メーネーがクレオーンの陣営に入ったと決めつけてしまうのである12  埋葬行為の現場を番人に発見されてクレオーンの前に引き立てられて来たとき、アンティゴネーは、自 分の行為を隠さずに堂々と認めたが、イスメーネーが、してもいない埋葬行為への関与を認めようとする と、「そなたがそう言っても、そんなことは正義が許しません。なぜなら、そなたはいやだと言った、そ れに、私はそなたの手なんか借りていません」(538-539) と語り、情に流されたイスメーネーの連帯表明 を拒絶する。このアンティゴネーの態度は確かに頑なではあるが、彼女の思い詰めた心情を表してもい る。エテオクレースに為されたような、「地下に眠っているいる人々の目にも恥ずかしくない」(23-5)弔 いを、ポリュネイケースに対しても同様にしてあげるには、現下の状況では、死をも覚悟した心底から の行為が必要なのである。「恥ずかしくない」という言葉には、死者にもその世界における名誉があり、 その名誉はとりもなおさず弔いの儀式によって保証されるとの宗教的信念が示されている13。アンティゴ

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ネーの埋葬行為は、情に流されて行ったものではなく、確固とした宗教的義務感に裏打ちされたもので あった。では、アンティゴネーは義務からのみ行為し、情的な優しさを示すことはなかったのであろう か。この点について検討しよう。  イスメーネーに相談を持ちかけ断られたアンティゴネーは、自分一人でも処刑を覚悟で兄の埋葬を行う と言い、死後の世界での自分のありようについて次のように述べる。  「あの方に愛されて、並んで横たわりましょう、愛する方といっしょに。」(73) この台詞だけを読むと、両者は夫婦関係にあるかのような錯覚を持つかもしれないが、それは「愛する」 という言葉の曖昧さによる錯覚である。この文を直訳すると、「philē である私は、philos である兄の傍ら で横たわる」となる14。この文が家族に対する通常の愛情表現であることは、アンティゴネーが岩屋の中 へ幽閉される直前に自殺の覚悟を心に秘めながら語った言葉と比べてみれば、よく分かる。  「ですが楽しみにしております。私が参れば、お父様が喜んで下さる。それにお母様、お母様も喜んで 下さる。それからお兄さまも。お亡くなりになった時、私が自分で、洗ってさしあげ、着付けをし、供 養をしてさしあげたんですもの。そして今度、ポリュネイケース、兄様の遺骸のお世話をしたばっかり に、このような仕儀となりました。」(898-903) この引用のはじめの部分を直訳すると、「お父さんに philē であり、そして、お母さん、あなたに philē であり、お兄さん、あなたに philē である私は(あなたがたのもとへ)参ります」となる。これらの箇所 に見られる 「philē である私」とは、「家族として愛される私」という意味である。  ポリュネイケースに対するアンティゴネーの愛に関する解釈については、それが実践的愛であって情動 的愛ではないとする解釈から、それとは全く逆に近親姦的感情をそこに見る解釈まで大きな振幅がある15 このような大きな振幅が生じるのは、そもそも philos とその同族語の持つ多義性のためである。philos は、ホメーロスにおいては、「自分の足」「自分の命」「自分の血液」「自分の労苦」などの用例に見られる ように16、「自分自身のもの」を指す場合に用いられた形容詞である。ここから、自分に最も近い関係を持 つ配偶者や子供について用いられるようになった。自分の近親者は philos (身内) であるが、この人々に 対する感情についても philos (親愛なる) と語られる。この親愛の感情を血縁を越えて身近な関係者に広 げていくと、 philos は「友人」という意味を持つようになる。 philos (友人)は、日常生活において付き合っ ている人間に適用されるが、広く行動を共にする人々にも適用され、この中には、政治的な行動を共にす る人々 (味方としての philoi) も含まれる。これら諸関係のいずれにおいても、生活や行動を共にする中 で情愛が育まれ、それぞれの関係にある philoi は、お互いを philein(愛する)存在として認め合うよう になるだろう。お互いを philos と呼ぶとき、その言葉は感情的な含意を含み、その関係にある人々は互 いにそれぞれの関係に照応した形態において、philos である(愛される)だろう。  実践的愛とは理性的愛と同義であろうが、アンティゴネーには理性的判断と共に、それを貫き通す意志 の力が備わっている17。しかし、それだけではなく、彼女は、生活を共にしたことから生まれる父母、兄 弟に対する情的な愛も持ち合わせているのである。しかし、それは近親姦的なものではない。  アンティゴネーの philoi の範囲は、家族を中心とした身内の世界に留まっている。だから逆に、人為性

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に基づくポリス的な philoi ではないため強固な地盤を保持している。たとえポリスが滅びたとしても家族 の繋がりは常に続いていくからである。だが、アンティゴネーが家族の埋葬に加わらないイスメーネーを 敵であるとするのは狭溢な philos 観に基づくと言わざるを得ない。家族の利益のために同一歩調をとら ないものは家族の敵であるとする「論理」は、家族的な philos 観に基づくものではなく、むしろクレオー ンが主張するポリス的な philos 観に基づくものである。血の繋がりではなく、家族の利益に貢献するか どうかで、家族として philos かどうかを決めるというのは、次の節で論じるように、クレオーンが主張 するポリスの利益を基準にした philos 観と同等であって、敵との関係性において成立する限りにおいて、 そこに政治性が込められていると言うこともできる18

Ⅲ.クレオーンの人物像

 ソポクレースは、クレオーンの人物像の造形にあたって、その philos 観を前面に立てる。クレオーン にとっては、戦死者の埋葬がポリス的行為であるように19、philoi もポリス的な次元で問題となる。クレ オーンがアンティゴネーを処刑するのは、あくまでもポリス的次元における背信行為のゆえであって、親 族であるかどうかは無関係である20  クレオーンは、登場の場面において、テーバイの長老たちに対して王としての所信を表明するが、その 言葉の中に彼の政治性が如実に現れている。  「まこと、余はかく心得ておる。すなわち国全体を取りしきる身にありながら、最善の策を行い得ず、 何ごとかを恐れて口を閉ざしているような輩は、昔といわず今といわず、最悪の支配者であるとな。ま た、祖国よりもおのれに親しい者の方が大事と思う、そんな輩は取るにも足らぬ奴と存ずる。余は―― すべてをみそなわすゼウスもご照覧あれ――もし我が太平の国民に禍いの襲い来たるを見るならば、口 を閉ざして座しせんであろう。また、国に徒なす輩を、我が友と認めんであろう。余は承知しておるの だ、この国こそ我らを無事に運ぶ船にして、この大船に載ったればこそ友も作ることができるのだと な。これが余の方針、かくして余は国の繁栄をはかる所存だ。」(178-190)  ここには、ポリュネイケースの遺骸の埋葬を認めず晒し者にするというクレオーンの決定の根拠が述べ られている。支配者としての彼の政策判断の基準は、国の利益、国の繁栄ということであり、この観点が すべてに優先する。身内にせよ、親しい友人にせよ、「自分に親しい者 philoi」を祖国よりも大事にする 人間は取るに足らぬ輩であり、祖国の安全と繁栄があってこそ、人々は互いに親しい者 (philos) になれ るのだ、と。クレオーンは、ポリュネイケースが政争で敗れたとはいえ祖国を去り、アルゴスの王家と婚 姻関係を結んで、「亡命先より立ち戻り、父祖の地ならびに一族の崇めまつる神々の社に火を放って灰燼 に帰せんと欲し、あるいは一族同輩の血をすすり、あるいは市民を奴隷とせんと欲した」(199-202) のだ から、彼に対しては一切の埋葬儀礼を行なってはならない。そして、辱めをうけさせるために、その骸を 野犬や野鳥の食らうにまかすべし、布告に従わぬ者には死をもって報いるとした (205,221)。一方、テー バイの王として七つの門を持つ国を守って、ポリュネイケースと刺し違いで命を落としたエテオクレース には、国のための名誉の戦死者に対する最大限の礼を捧げるべきであるとした。  ところが、オイディプースなきあと、摂政の地位にあったクレオーンに対してかねてより「心中に不平 を抱き、口に不快の言を弄する者」(290) がいたので、このポリュネイケースに対する埋葬禁止令に対し

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ても反抗する輩がいるかもしれないとクレオーンは考えていたが、そこに遺骸の番人が現れ、何者かが足 跡も残さずに死体の上に乾いた砂をかけ供物も供えて行ったとの報告をもたらす (245-251)。その話の内 容からテーバイの長老は、これは神様がなさったことではないかといぶかる。クレオーンは、その言葉に 烈火のごとく憤り、「いい年齢をして何たる愚か者よ、と思われようぞ。この骸のことを神々が心にかけ てましますなどと、我慢ならぬことを申しよる」(281-283) と威圧的に対応する。そして、番人に対して は、「おとなしくくびきにつこうとはしない」(291-292) 人間たちから賄賂をもらって埋葬をしたに違い ないと決めつけ、下手人を挙げてこなければ番人たち自身を死罪にすると恫喝する。  この場面において、祖国の安全と繁栄を第一に考えるとするクレオーンが、実は、その祖国の繁栄が自 分の支配の繁栄であると考えており、自分に楯つく人間にはことごとく怒りを露わにする独裁者の性格を 持っていることが明らかになる。ここでクレオーンは、人間は金銭をはじめとした利得を動機として行動 すると見なしているが、彼には、祖国に対して反抗する者は利得に囚われてかかる悪行に及ぶ者であり、 祖国の守り手である自分の命令に刃向かう者はすべてかかる動機から反抗に及ぶ悪人であるという認識し かない。悪女であるからアンティゴネーをハイモーンの嫁にはしない (571) と言うときにも、悪女であ ることの基準を祖国及び祖国を代表する自分に対する政治的反抗に置いている。このように、クレオーン は、家父長的な権威主義をアンティゴネーに対しても、またハイモーンに対しても押しつけてくる。それ は独裁者的政治と家父長との類似を原理とする思想である。  「おのれの家内において立派な人間なら、国家にあっても正義を貫く人間たり得るようだ。かような人 間は支配者となっても見事であろうし、支配される身となれば、みずから進んでよく支配を受けるであ ろう。」(661-2,668-9) そして、彼の理想とする支配者像は、戦時における指揮官像に収斂される。  「国が任命した者には従わねばならぬ、些細なことであれ、正当不当のいずれであれだ。秩序統制のな いところ、これにもまして大いなる禍いはない。それによって国が滅び家が覆り、もし戦場ならば、そ れによって軍は潰走する。これに対して、多数の命を救って、軍に勝利をもたらすのは、指揮官への服 従だ。それゆえ秩序ある統制はもり立てねばならぬ。また、絶対に女に負けてはならんのだ。やむを得 ん場合には、男の手にかかって死ぬ方がまだましだ、女に負けたなどと言われるよりはな。」(666-680)  このように、家父長であり国の独裁者でもあるクレオーンは、女に負けることは恥であり、男としての 資格を失うことであると考えている。ポリスの利益を最上の価値とするクレオーンは、当時のギリシア人 の価値観を或る意味では代弁するものであるが、その立場の狭溢さがアンティゴネーやハイモーンとの対 立を招き、その見識の狭さがやがて自らに苦難を引き寄せることになる。

Ⅳ.クレオーンとアンティゴネーの対決

 アンティゴネーが番人に連れられて登場する。うつむいているが、ここで彼女はどのように弁明しよう かと考えているわけではない。いわんや、捕まえられたことを恥じているのでもない。そのことはクレ オーンに対する回答から明らかである。ではなぜうつむいているのか。おそらく、地下の神々と地下の

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身内に心を向けているのであろう21。あるいは、クレオーンとの間に何の折り合いもつかないと分かって いたからなのかもしれない22。布告を知りながら埋葬行為に及んだのかとのクレオーンの問いただしに、 きっぱりと知っていたと答える。その受け答えから、処刑をすでに覚悟していることが窺える。クレオー ンが「敢えて掟を破ったともうすのだな」(449) と確認しようとすると、アンティゴネーはその掟とは所 詮人間の作ったものだと自己の行為を正当とする論拠を展開する。  「ゼウス様があのようなお触れをお出しになったわけではさらさらなく、地下の神々と共におわすディ ケー様が、人間界にかような掟をお定めになったわけでもない。殿様も所詮死すべき人の身ならば、文 字にこそ記されてはいないが確固不抜の神々の掟に優先するものではないと、そう考えたのです。神々 の掟は、昨日や今日のものではない、時を超えて生きている、その由来など、誰も知りません。私は、 誰のにせよ人間の意向を恐れるあまり、この神の掟を破って、それゆえ神々から罰を受ける、そんなこ とはすまいと考えました。」(450-455)  この箇所は、ヘーゲル以来、神々の掟と人間の掟の対立というテーマで論じられてきたところである。 確かに、家族の倫理とポリスの政治、或いは神々の掟と人間の掟という価値の対立構造は観客に訴える力 があり、ゴールドヒルの言うように、民主主義イデオロギーの発揚の場における詩人による問題提起とし て機能したことは疑いがない。悲劇は観客に問いを投げかけるものである。しかし、詩人はここで両者の 価値の内容について解明しようとしているわけではない。アンティゴネーは書かれざる神々の掟を普遍的 な信念として信奉していることを表明しているわけでもない。詩人は、ラブダコス家の暗い運命を担った アンティゴネーが、どのようにしてゼウスが与える苦難に立ち向かいオイディプースの娘としての尊厳を 守っていくかを主題としている。この苦難がどのような道筋を通ってアンティゴネーに降りかかってくる のか、そしてその苦難を自己に与えられた運命としていかに受け容れていくのか、その解明こそが詩人の めざしたものであった23。したがって、クレオーンの禁令とそれに対するアンティゴネーの反抗は、人間 世界における普遍的な価値の対立を提示したものというより、オイディプースの子としての矜持を以てア ンティゴネーが、どのように苦難を受け容れ自己の信念を貫き通したのかを示すための戦いの場面設定と 見るべきである。それはまず、「掟 nomos」という言葉の力をクレオーンから奪う反論として現れる。ア ンティゴネーは、天の神ゼウスも地下の神ディケーも、このようなお触れを出したわけがないと、クレ オーンの布告が神々に由来する根拠を持たないことを露わにするのである。クレオーンの布告は所詮死す べき人間の命令でしかないのであって、それは確固不抜の書かれざる神の掟に優先するものではない。ア ンティゴネーにとって、死すべき人間の命令を恐れてそのような神の掟を破ることにより、より恐ろしい 罰を神から受けることは絶対に避けなければならないのである。ギリシアにおいて死者を葬る儀式は、遺 体の安置、野辺送り、埋葬の三つの段階を追って遂行されたが、身内の亡骸の埋葬は親族の義務であっ た24。この義務は、人類の記憶の中ではその原点を示すことができないほど、人間の文化そのものに深く 刻み込まれている義務であり、書かれざる法として人間存在を貫いているとアンティゴネーは捉えている のである。これをファンダメンタリストの義務と呼ぶことには賛成できない。アンティゴネーは普遍的な 義務を遵守することを行為の動機としているのではないからだ。むしろ、ラブダコス家の暗い運命を身近 に体験してきたアンティゴネーにとっては、兄の埋葬は何があろうとも引き受けなければならない義務な のである。それは、この地上では苦難の道を歩まざるを得ないこの家族にとって、唯一の救いである地下 の世界での安寧を保証する行為なのである。最初から、アンティゴネーには、二者択一の選択は存在しな

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い。彼女に心の葛藤がないのは近代的な悲劇の主人公としては不十分かもしれないが、テーバイ伝説を 知る者にとっては、アンティゴネーの選択は当然のなりゆきと感じられたであろう。アンティゴネーに は、神々の掟に忠実であろうとする意志と共に、神々からの罰を避けようとする意志があった (458-9)。 彼女が神の掟に従い人間の掟に背くのは、この世の人々よりあの世の人々に気に入ってもらう月日の方が ずっと長いからなのである (74-5)。これはアンティゴネーの宗教的信念である。あの世では家族が相互 に philoi として愛し合うのである。また、アンティゴネーは、自分が「寿命が尽きる前に死ぬ」ことにな るが、それは、「かずかずの難儀の中に生きている」自分にとっては得になると言う (461-464)。ここで 彼女は、明確に辛さという観点から、「私にとって今死なねばならぬということは、少しも辛」くはない、 むしろ、母親を同じくする兄の遺体を埋葬せずにいることの辛さこそ耐え難いと言うのである(465-468)。 このような考えで行動するアンティゴネーをクレオーンは愚か者と呼ぶが (561-562)、アンティゴネーは それを先取りするかのように、「殿様の目には、私が馬鹿なことをした女と映るでしょうが、ひょっとし たら、私を愚か者と呼ばわりなさる方も、同様愚か者と申すべきではございますまいか」(469-470) とそ の誇り高い激しい気性を露わにして、クレオーンの激昂を買う。クレオーンは、アンティゴネーの所業の みならず、この場での反抗的態度についてもその「高慢さ」(480,482) に我慢がならない。ここで布告通 りの極刑を施さなければ、自己の政治的権力が保持できなくなると考えるのである。もし、アンティゴ ネーの所業が咎を受けないだけではなく、手柄にさえなるなら、自分はもはや男ではなくアンティゴネー こそが男となるだろう (484-485)。手柄になるとクレオーンが言う根拠は、ハイモーンがクレオーンに向 かって語る次の言葉に窺うことができる。  「私は、人々が口にしていることを、それとなく聞くことができるのです。例えば、国じゅうがあの姫 のことをどんなに悲しんでいるか、など。世にも立派な行いをしたばっかりに、何とも惨めな死にかた をする。女たちの中でも、いちばんそんな目にあわねばならぬ理由がない姫なのに。」(692-95)  アンティゴネーは、みずからの立場がクレオーンの立場とは相容れないことを自覚している 。クレ オーンの出発点は、国のために尽くすか、国に仇をなすかによって、友か敵かが決まるというものであっ たが、アンティゴネーの出発点は、親族の弔いは怠ることのできない義務であるというものである。クレ オーンの出発点は、現世優位であり、現世で敵となった者は、死んでからも敵のままである。それに対し てアンティゴネーの立場は、来世優位であり、来世における死者の名誉を守るために親族の弔いは不可欠 であり、兄弟同士が敵味方で戦いあっても、死後は同じ家族の philoi (身内)に戻るのであり、弔いの儀 式に差別はあり得ない。アンティゴネーによると、「冥府の神は兄弟に同じ掟をお望み」(519) だが、ク レオーンによると、「敵というものは、死んだあとでも敵のまま」(521) なのである25。両者は平行線を辿 り、クレオーンとアンティゴネーがともに、自分の立場に執着することによって、アンティゴネーの死を 招いてしまうが、これはテーバイの長老が語るように、アンティゴネーの「向こう見ずが行けるところま で行って (853)」しまった結果であった。そしてクレオーンもまた、ハイモーンの良識ある説得のゆえに、 かえって、若者から指図されたとの思いが募って (726-7)、処刑を再検討する道を自ら閉ざしてしまい息 子を喪うという結果を招いてしまった。ハイモーンが、「人がよいことを言っている時はそれを学ぶこと こそ、立派なことで」あると言っているのに、聞く耳を持たなかったクレオーンは、苦難に会ってはじめ て学ぶことができたのである (1348-52)。  アンティゴネーとクレオーンの対立においてクレオーンに非があることをテイレシアースの預言が明ら

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かにする。

Ⅴ.テイレシアースの預言

 『オイディプース王』におけるテイレシアースの預言が真実であるように、『アンティゴネー』における テイレシアースの預言も真実である。テイレシアースは、ポリュネイケースの埋葬の禁止とアンティゴ ネーの岩屋への幽閉をクレオーンが命じたことが地下の神々の復讐を招くことになると警告する。その言 葉は、はじめ、クレオーンに無思慮な判断から下された過ちをみずから思案して改めるようにとの勧め であった。そのきっかけは、「国じゅうの祭壇はみな、公の祭壇、私の祭壇、いずれを問わず、鳥ども獣 どもが、非業の死を遂げられたオイディプース殿のご子息の亡骸をむさぼり食うたその肉片にみちみち ている」(1016-18) というおぞましい状況であった。テイレシアースは、占いの儀式を行ったが、神々は 犠牲の供え物を受納しない、この原因は支配者クレオーンの布告が穢れを招いたことにあるとして、我 意を押し通さず誤りを改めよと忠告するが、クレオーンは、「人間には、神々を穢す力などありはせぬ」 (1043-1044) として、テイレシアースの忠告には利益目当ての動機が潜んでいると「占い師に言葉汚なに 口答え」(1053) をする26。さらに、「そちが言いたい放題のことを言うておる相手は、支配者だと承知し ておるのか」(1056) と脅迫さえする。そこまで言われて、もはや忠告では足りぬと判断したテイレシアー スは、クレオーンに預言を申し伝える。  「日輪の馬車の幾めぐりほども見ぬうちに、殿御自身の血肉を分けた御子の一人を、屍として、屍の償 いに差し出さねばならぬことになる。それは、殿が、生ある者を地下に落とし、畏れも慎みもなく、生 きながら墓に住まわせたがゆえ。また一方において、地下の神々の支配さるべき骸に対し、葬儀を禁じ 供物を供えず、謹んで神に委ねもせぬゆえじゃ。およそ骸なるものは、殿はもとより、天上の神々にも もはや、関わりなきにもかかわらず、殿の手によりかくは暴力を加えられておる。かかる暴力ゆえに冥 府の神をはじめよろずの神々の詔を受けて、怨霊ら(エリューニュエス)が待ち構えておりますぞ。今 日只今ならずとも、いつの日か、同じ災厄をもって殿に報いんとな。」(1064-76) この預言に続いて、いったんは敗れて引き下がったアルゴス勢の息子たちが、やがてテーバイを攻略こと になるとの預言まで申し伝えるのである27  このテイレシアースの預言に恐れをなしたクレオーンは、ここでポリュネイケースとアンティゴネーに 対する決定を撤回するが、時既に遅く、アンティゴネーの自殺、それを確認したハイモーンの自殺、そし てそれを伝え聞いたクレオーンの妻の自殺と立て続けに大きな禍いがクレオーンを襲うことになる。クレ オーンは自らの迷妄 (ate) によって大きな過ちを犯し、その応報を受け、最後に自己の愚かさを悟るの である (1272, 1347-53)。

Ⅵ.アンティゴネー像の解釈

 このように、『アンティゴネー』は、筋の観点から見るならば、クレオーンの悲劇のように見える。し かし、クレオーンには意志の頑なさは見られても、決意を最後まで貫き通す意志の強さがない。クレオー ンは悲劇的英雄とはみなされないのである。さりとて、アンティゴネーが主人公であるなら、全体の3分

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の1を残しての退場をどのように見るべきなのだろうか。しかし、はじめに見たように、悲劇を一人の主 人公をめぐる筋の展開と見る必要はなく、そこに苦難を身に受ける複数の人物がいても可笑しくはない。 むしろ、個人ではなく家族の苦難の問題としてこの悲劇を受け止めるならば、その苦難の運命が劇全体を 裏から照らし支えていると見ることができるのではないか。この裏からの照射をその全身において身に受 けているのがアンティゴネーなのである。それは、プロロゴスの冒頭におけるアンティゴネーの言葉に現 れている。  「イスメーネー、そなたは私と血を分けた妹ですが、そなたには分かっていますか、お父様ゆえの数々 の禍いのうち、ゼウス様は、どのようなのをまだ、生き残っている私たちにとっておいでなのか。そう でしょう、あなたや私が今嘗めている禍いのうちに、苦痛のたね、破滅のたね、恥のたね、不面目のた ねでないものなど、見当たりますまい。」(1-6) 「お父様ゆえの禍い」とは、「オイディプースによって残された禍い」であるが、それは、あの数奇な運命 を経験したオイディプースが子供たちに残した負の遺産であって、もとはオイディプースの父であるラー イオスの不行跡がもたらした禍いではあるが、同時にオイディプース自身の呪いに発する禍いでもある。 ラーイオスがペロプスの息子クリューシッポスを誘惑したためにペロプスによってかけられた呪いが、オ イディプースとイオカステーのおぞましき近親姦という形で実現した。そして、クレオーンの摂政支配下 において追放の憂き目を見たオイディプースは、二人の息子たちに対して、共に果てるようにとの呪いを かけたのであった。このような呪いを直接には受けたわけではないが、アンティゴネーは、父母の不幸、 父の追放、兄弟の刺し違えという禍いの連鎖を体験する中で、自分もこの家族の運命からは逃れられない 呪われた者 (867 araios)であるとの自覚を持つようになったのではないだろうか。彼女がこの自覚を明 確に語るのは、岩屋に曳かれていく場面である。テーバイの長老の心ない一言がアンティゴネーの胸を深 く抉る。  「姫の向こう見ずが、行ける所まで行ってしまって、その果てに立つ法の御座にしたたか突き当たった、 これは何かご先祖の罪滅ぼしをなさるのでござりましょうか。」(853-856)  「私の胸の、いちばん痛いところに触れなさいましたのね。お父様の、いえ、名も高いラブダコス家に 定められた私たちすべての運命を、くり返しくり返し嘆く私の胸に。ああ、母様が知らずに犯したあや まち、生みの母でありながら、わが子たる私の父様と契りを結ばれた、呪わしい運命よ。そこから生ま れたこの私の、惨めさよ。その父様と母様のところへ、私は今、呪われた者として、お嫁にも行かぬま ま、参ります。ああ、兄様、何という不運の結婚をなさったものか。ご自分が亡くなって、生きている 私をまでも、死なせておしまいとは。」(857-871) アンティゴネーは自分の出自が呪われた家系であることを繰り返し嘆いてきた。彼女の人生はいわば運命 を嘆く人生であった。それは生に執着する嘆きではなく、絶望の嘆きである。  さらに、イスメーネーを家族の敵と見なし、テーバイの長老たちからも冷ややかに眺められる中で孤立 感に苛まれるアンティゴネーの嘆きは続く。

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 「泣いてくれる人もなく、心の通じる友もなく、嫁ぎもせず、ただ哀れにも、用意された道を、私は曳 かれて行きます。もはや私には、ああ、この浄らのお日様の瞳を拝むことだに許されぬ。私の運命を、 誰も泣いてはくれませぬ。嘆いてくれる身内の者もおりませぬ。」(876-882)  これらの箇所において、イスメーネーとの場面やクレオーンとの対決の場面における意志堅固なアン ティゴネー像とは異なった、生に執着するアンティゴネー像が描かれているとする解釈があるが、その解 釈は、アンティゴネーを貫く暗い運命の力を見誤っているのではないだろうか28。コンモスで見せる愁嘆 は、身内の埋葬を執り行うために初志を貫徹した姿とは必ずしも矛盾するものではない。アンティゴネー は初志を後悔してはいないし、死の覚悟において事のはじめから最後まで揺れることがなかったという点 において、性格上の矛盾を含んではいない。アンティゴネーが嘆いているのは、世を去ると覚悟したこの 期に及んで、自分を嘆く身内も友人もいないことなのである29。これは或る意味で自らが招いた事態であ る。イスメーネーを身内の埋葬義務を果たさないからといって、クレオーンの側にある者として遠ざけ、 また自分の行為に理解を示してくれるのではないかと一抹の期待を抱いていたテーバイの長老たちにさ え、頑なさが墓穴を掘ったと言われ、最後には完全に孤立して岩屋に幽閉されることになったのである。 アンティゴネーは、クレオーンとの対決の場面で、一緒に死にたいと言うイスメーネーに、実際に触れて いないことに対して罰を受ける必要はない、あなたは生きる道を選びなさいと語るが、その箇所で、自分 について、「私はもうとっくに、死んだ兄たちに尽くすつもりで、死んでしまいました」(559-560) と述 べている。アンティゴネーは、父オイディプースと母イオカステー、そして兄エテオクレースの葬儀を 執り行い、彼らの身体を洗い清め、死出の旅装束を整え墓の供養をしてきた(900-902)。その自分が、こ の家族の最後の者として、そしていちばん惨めな者として、結婚と出産という女性の務めを果たすことな く、また命の分け前を使い果たすことなく冥界に降っていくと語るのである (895-896)。しかし、彼女は そのことを楽しみにしているとも語る。この世では不幸の憂き目を見たが、あの世では親しい人々が自分 をやさしく迎えてくれるからである (897-899)。アンティゴネーはまた、コンモスの中で、「神様を思っ てやったことが、不敬のしるしとされてしまった」のだから、「こうなったらもう私は、神を仰ぎ見るの も無用」(922-923)だと述べている。ここで彼女はこれまでの自分の宗教的信念に疑念を抱いているので あろうか30。この箇所の語り口は、反語的言い回しと条件的選択肢によるものである。「神々のどういう掟 を私は破ったのでしょうか」(921) と言い、「もし神様がこれでよしとお思いなら、さんざ苦しんだ果て に、私の過ちを思い知りましょう。しかし、この人たちの方があやまっているのなら、私に対して行なっ た不当の振舞い以上にひどい目にはあいませんように31。」(925-928) と畳みかける語り口は、クレオーン との対決の場で語った信念を喪失したものというよりは、クレオーンに対するいらだちと非難を意味して いると解釈する方がよいであろう32。このことは、直後のコロスの反応やアンティゴネーの最後の言葉か らも窺うことができる。  「先刻に変わらぬ心の嵐が姫様の胸に吹き荒れているようだ。」(929-930)  「御照覧あれ、テーバイの上つ方々、ただ一人生き延びた王家の娘が、何者のためにいかなる難を嘗め ているのかを。神々を敬う心を、守り通したばっかりに。」(940-943)  彼女は、クレオーンによってこの苦難を嘗めることになったが、それは自分の信念に従って神々の掟を 守り通した為であると語っている。そして、その苦難の内容は死罪ではなく、寿命をまっとうすることな

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く、「夫も知らず、婚礼の祝いも知らず、連れ添うて子供を育てる運に恵まれ」(917-918)ずに、この世 の生を去ることであった。だが、彼女には、女性としての名誉を実現する機会はなかったが、近親者の埋 葬を守り抜いたという名誉が与えられたのである。  このように、『アンティゴネー』という作品は、クレオーンとの対立を抜きにしては成立しないが、ア ンティゴネーがその運命をどのように受け容れて行ったのかという観点から見るべきものであろう。この 作品を読んで我々が感銘を受けるのは、自己の存在を貫く苦難から目をそむけることなく、オイディプー スの娘としての尊厳を貫いたアンティゴネーの姿である。 注 1 全体は1353行であるが、アンティゴネーは943行で退場する。もっとも、1204-1243行で岩屋内でのア ンティゴネーとハイモーンの自殺の様子が使者の口から語られているので、完全な意味での退場ではな い。 2 J.Jones, , Stanford,1962,pp.11-20,esp. pp.19-20. 3 M. Griffith , , Cambridge, 1999, p.36. 4 B.M.W.Knox, , California, 1964, pp.1-116. 5 サイモン・ゴールドヒル「大ディオニュシア祭と市民イデオロギー」(上・下)『思想』901号、902号、 1999年7月、8月. 6 ソポクレース『コローノスのオイディプース』1354行以下を参照(『ギリシア悲劇全集3』岩波書 店,1990)。オイディプースは、テーバイ攻略に支援を恃むポリュネイケースに対して、「お前は、かつ て、今テーバイでお前の弟が持っている王笏と王座を手にしていながら、自分で、自分のこの父親を追 い出して、住む国を持たぬ者にして、こんな着物を着させたのだ」(1354 -1357) 、と非難の言葉をむけ る。そして、かつての呪いを繰り返す。「お前は相手の血にまみれて斃れることになろう。お前の弟も 同じことだ。そのような呪いは、すでに前にも、わたしはお前たちに送ったのだが、今、またあらため て味方となって来てくれるように呼び求めよう」(1373-1376) 。なお、『ギリシア悲劇全集2』(岩波書 店,1991)327-328ページも参照。 7 『アンティゴネー』の翻訳は、『ギリシア悲劇全集3』所収の柳沼重剛訳を使用する。括弧内の数字は ギリシア語校訂本の行を示す。 8 この布告はアテナイの観衆にとっても過酷と感じられるものであった。というのも、アテナイでは、 神殿荒らしとポリスへの裏切りとは大罪として国内での埋葬は禁じられていたが、国境外での親族によ る埋葬は禁じられていなかったからである (R.Parker, , Oxford,1983, pp.46-47)。クレオーンの 過酷さを説明するものとして「メガレウスの死」を挙げることができる。ポリュネイケースが侵攻し なければ、息子メガレウスを犠牲にせよとの神託を下されることもなかったという思いが過酷な布告と なったのである。岡道男『ギリシア悲劇とラテン文学』(岩波書店, 1995) 第1部第2章「アンティゴネー とクレオーン」127-130ページ参照。 9 43行は直訳すると、「この手と一緒に遺体を持ち上げてくださらない」となるが、これは、実際に遺 体を持ち上げて墓穴に運んで埋葬することを意味している。しかし、イスメーネーに拒絶され、やむな くアンティゴネーは砂をかけ供養の水をかけるだけの象徴的な埋葬行為で済ますしかなかった。なお、 なぜアンティゴネーは第2の埋葬行為を行ったのかという問題が立てられたことがあったが、Rothaus は、野ざらしの遺体を保全しようとするのは当然の行為であるとして、この問題は偽問題であるとし

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た。R.M.Rothaus, The Single Burial of Polyneices, , 85, 1990, pp.209-217. 川島重 成『ギリシア悲劇』(講談社学術文庫) 203-209ページも参照。 10 Knox, . p.44. 11 イスメーネーは、権力者の命令に反する行為は「よけいなこと (68)」で「なんの分別もない (68」 ことだとするが、「強要される (66)」との弁解は、アンティゴネーの行為が正当であることを示唆して いる。だが、アンティゴネーが法や市民の意志をないがしろにしている (59, 79) とも述べている。 12 R.P.Winnington-Ingram, , Cambridge, 1980, p.129. 13 ホメーロスでは、パトロクロスは死後アキレウスの夢に現れ、埋葬の儀式をしてくれないと冥界に入 れてもらえないと訴える場面があるが (Il. 23.71-3)、ここでは、冥界への入会許可だけではなく、冥界 での死者の地位の保証という意味も含まれている。 14 philē は女性形、philos は男性形。 15 Nussbaum (p.64) は、アンティゴネーの行為を近親者に対する義務に基づくものであり、その愛は、 イスメーネーやハイモーンの愛のように、対象の性質に依存する情的な愛ではなく、いわばカント的な 意味での実践的愛であると説明する。ジュディス・バトラーは、アンティゴネーの愛を近親姦的愛とす るが、それは『コローノスにおけるオイディプース』の或る箇所 (1617-1619)についての独特の解釈に 基づくもので到底支持することはできない。M.Nussbaum, , Cambridge,1986,p.64. J. バトラー『アンティゴネーの主張』(青土社)120頁. 16 Liddle&Scott&Jones, , p.1939. 17 埋葬行為を遂行する原動力は義務への尊敬に基づく意志的な力であるが、この力を支えるのは呪われ た家族の一員としての自覚ではないか。それはオイディプースを反復する力ではないだろうか。 18 アンティゴネーの立場には、宗教的のみならず政治的な意味も含まれており、それはクレイステネー スの改革に先立つ部族的政治の政治性を担っているものであるとの指摘がなされることがあるが、本論 ではその問題については触れない。 19 アテナイの国葬の儀礼と精神については、トゥーキューディデース『戦史』(岩波文庫 上 223-234ペー ジ)を参照。 20 W-. Ingram, ., pp. 129-30.

21 S.Benardete, A Reading of Sophocles Antigone II, , 5, p.8 , 1975. 22 R.C.Jebb, , London, 2004 (1900), p.87. 23 橋本隆夫「『アンティゴネ』とクレオン悲劇」『論集』12,神戸大学教養部人文学会, 1973, 25-65ページ, 特に42ページ. 24 ロバート・ガーランド『古代ギリシア人と死』(晃洋書房)、第3章参照。 25 アンティゴネーは、「恩讐の彼方」に安寧の世界を見るが、クレオーンは恩讐の世界にいつまでも留 まっている。 26 クレオーンは、人間に神々を穢す力はないが、人間の穢れは神々との音信不通をもたらすこと、つま り人間が神々から見放され、穢れが人間自身に返ってくることに気付いていなかった。 27 アルゴスの王アドラストスとアルゴス人たちは、埋葬の為、遺体の引き渡しを申し込むが、クレオー ンはこれを拒否した。アドラストスに助力を嘆願されたテーセウスとアテナイ軍がクレオーンを破り遺 体を回収する。やがて、テーバイ攻めの勇士の息子たちがテーバイを攻略することになる。 28 丹下和彦『ギリシア悲劇研究序説』(東海大学出版会)、第1章「アンティゴネーの恋」。著者は、コ

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ンモスを苦難の運命を嘆く個人的悲嘆として解釈し、トポス的表現(川島重成)とは解釈しない。そし てアンティゴネーには生に執着する弱い面があるとして、その証拠として第1の埋葬から戻ってきたこ とを挙げる。ここには死への恐怖があると解釈するのである。また、572行の台詞をアンティゴネーの 愛の表出とし、生への執着を示すものとする。また、コンモスにハイモーンとイスメーネーの名がない ことは最終的な生への決別と解釈する。アンティゴネーは基本的には死を受け入れているが、ソポク レースはその死を描きながら、彼女における生の世界へつながるものを点綴しているとする。川島重成 の前掲書にはアンティゴネーのコンモスに関する明解な解説がある(227-232頁)。 29 川島重成、前掲書 229ページ参照。 30 Jebb, . xiv. Knox, ., p.105.

31 アンティゴネーは正義を求めているが、ソポクレースはそれを劇の最後において実現させている。 「生きる屍」 (1167)というクレオーンの姿は、岩屋の中のアンティゴネーと同じ姿である。神が彼女の

願いを聞き届けたと詩人は考えたのだろうか。Knox , . p.116.

32 Griffith, ., p.280, M. Crop, Antigone s final speech, , 44, 1997,pp.137-160.

(本論は、2008年度香川大学生涯学習教育研究センター公開講座における講義をもとに書かれたものであ る。)

参照

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