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じ に

 本学 歴史遺産学科 、 前 となる文 学科が 1 6( ₈)年に 、 年12月に 、1 7 ( ₉)年₄月 り された 、2012年₄月₁ 日 り文 学科か 歴史遺産学科 学科名 した  文 学科 した 門 二学 文 ・ 文 る と 門 ・ につ 、 者・ したりあるい ぐ 社 に入る学 と、 な 文 学 、 においた とした   うち 門 ・ につ る学 一 とし 、本学 2000( 12)年₃月か した京都市伏見区にある 寺跡 調査 、 地 東北部 ールド 中 とし 、発 ・ 調査 し 行 きた 調査に く 学 が し、 場 な調査 や 学 いる  本年 に、山科大塚・小山石切丁場な 調査 した ここ れ 中 とし 報告 るも ある 報告書 ることもまた、学 が調査か 報告書発行ま 一 した れ るた 大切な あり、これ し、文 遺産 り一 に れれば い ある  さ 、学科名 歴史遺産と た 、 年 遺 産や文 な 、 る文 と 学 がり みた ある 所産 うち、 古 、 、絵 、 、歴史 な 産遺産と、 、 遺産、都市・文 、史跡、 文 とい た 地に した 産遺産、これ つ 文 遺産 報 とし 歴史遺産という 学 に る というも ある  こ 歴史遺産調査報告書 、 うち 古遺産、 遺産とい た文 遺産 と る がここ 文 遺産に関わる と 学に か る 、 と に調査 にあた いただく 地 や、 く 関 者 ご ・ご ある こ 場 り か し上 ま とも文 遺産調査につい わ ご 、ご 、ご りたく、お い し上 る ある 2017年₃月31日 京都橘大学文学部

  

₁ 本書 、京都橘大学が2016年 に した京都市山 科大塚・小山石切丁場や御香宮神社内 印石な 歴史遺産学科歴史遺産コー とした文 遺産 調査報告書 ある 調査した遺跡と遺 に 、 地 に した ₃ 本文 に 、 ₁ 一瀬和夫・嵯峨根絵美・ 登谷伸宏、 垣内彩那、 ₃ 広瀬侑紀、 ₄ 垣内彩那、 登谷伸宏があた た につい 、奥田 尚 り た ₄ 本書 編集 、一瀬和夫・嵯峨根絵美が し、 者や 学 がこれ た 調査にあた 、萬明寺、 市 、 市 、大塚 山 、川原 、 田 、山本 、奥田 尚、奥村 、 、 瀬 光、 田和 、西 、 、 夫、 村 、中川 、 内 一、   、 地一 、   、 田 一、 村 じ と る関 機関、 にご た し したい 山科大塚・小山石切丁場 調査 一部 京都橘大学 2016年 た

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じ に・ ₁  2016年 文 遺産調査 と経 ₁  伏見城と山科大塚・小山石切丁場 ₃ ₃  大塚・小山石切丁場 谷 地区 石 調査 ₉ ₄  御香宮神社内 印石につい 23  二条城堀川 い 石垣 につい ( 報) 30  2016年 調査 37 ・ ₁ 山科大塚・小山石切丁場 ₃  山科大塚・小山石切丁場大塚地区 印石     ₄ ₃  印見 り ₄  谷 地区 地 印・ 石 10   か みた 石 ( 谷 地区) 11  地 か みた 石 ( 谷 地区) 12 ₇  谷 地区 面 13 ₈  谷 地区 石(₁) 14 ₉  谷 地区 石( ) 15 10 御香宮神社 23 11 御香宮神社 内 23 12 御香宮神社 印石(₁) 24 13 御香宮神社 印石( ) 25 14 二条城堀川石垣調査 30 15 二条城堀川石垣 石 33 16 萬明寺 37 17 萬明寺本堂 面   41 ₁ 伏見城関 山科区大塚・小山石切丁場 印石    一   谷 地区 石 一 12 ₃  谷 地区  一 13 ₄ 御香宮神社 印石一 28  二条城堀川石垣 石 と と 32  二条城堀川石垣 石 と 跡 期 32 ₇ 二条城堀川石垣 跡 と石 と     ・ 印 34

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₁.2016年度の調査状況

  年 古遺産 地調査 につい 、 期 中 に、京都市山科区大塚・小山石切丁場、京都市伏見 区御香宮神社 印石、京都市中京区二条城堀川石垣 調 査 した   遺産 調査につい 、日根 中学 区、萬明寺 本堂な した  本書 にあた 、歴史遺産学 、 遺産 報 中 に行 た   年 に とし 歴史遺産コー が した調査 、 下に る り ある

₂.泉佐野市日根野中学校区の寺社建築調査

  市 、大 部に る 市 、 ま 町場 あ た 村と、北中 村・日根 村・ 村・上 村・ 中 村・大 村 旧 村に り される   市 、2014( 26)年 か ₃ 年 、 歴史文 本 に た文 調査 した 年 にあたる16年 、市 うち日根 中学 区内に所在 る寺社 調査 行 た 調査 、 市 調査 ( 登谷伸宏) が し、本学科 学部 が調査 ・ 面 な した  調査 、お 内 下 り ある ま 、日 根 中学 区に所在 る寺社 調査 行 た つぎに、 なかか 著な つ 、 調査 した 調査 内 、 面 、 と 原につい 調査、 ・関 文 書な 調査、 年 、 録、 真 ある  調査 登谷伸宏 調査 とし、2016年 月24日、₇ 月₁・₈日、₈月₈〜₉日、₉月₁〜 ・ 〜 日、11 月25日、2017年₁月1 ・27日、 月₇日に行 た  調査 者 、大城 ・大地 ・ ・神 田 ・小 ・中 小 ある

₃.高島市萬明寺本堂の調査

 萬明寺 、 市 町西 に所在 る 真 本 寺 寺 ある 内 、西 集 ほ 中 、 い る西 路か し北に入 たとこ に る 東 に山門 き、本堂 地 中 に 所在 る 本堂 西に が つ  本堂 につい 、これま 文 とし 調査 が入 お 、歴史 な が ま いなか た こ 、 年 本堂 調査、お 史 調査 、 萬明寺 もと した に 、 面 、 と 原につい 調査、 ・関 文書 調査、 年 、 録、 真 ある  調査 登谷伸宏 調査 とし、2016年 月11日、₈ 月 日に行 た  調査 者 、 村 ・大城 ・大地 ・ ・ 本大 ・神田 ・ 美 ・小 ・中 侑 ・中 小 ・中本 香・ 大 ・ あ る

₄.京都市山科区大塚・小山石切丁場、

  大塚東群葭ヶ谷A地区の実測調査

 京都市山科区大塚・小山 山中に所在 る石切丁場 、本学 山となる行者 山 上 か 東 北 面 大塚と山科・ 川 離 た小山 山中に 印と ある石が る 大塚 印や 石 に 大きくわ 、大塚西 と大塚東 に る ことが きる   石切丁場 うち 年 大塚東 谷 地区 る石 と 行 た  調査 一瀬和夫 調査 とし、広瀬侑紀がこれ た 日 、2016年₄月30日、₇月₃日、₈月₇〜 10・14〜17日、12月23・25日に行 た  調査 者 、嵯峨根絵美、垣内彩那、石塚真和、小 田 、神田 、  美 、 、 、 、   、石田真 、小   、 関 紀、 内 、 美 、   、 、 、 本 一 、中 、中谷 、中村 彩 、西 、 谷川 一、 、 、 宅川 、   ある

2016年

文 遺産調査

と経

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₅.御香宮神社境内刻印石と二条城堀川石垣

  の実測調査

 京都市に ・伏見・二条・ 城とい た中 〜 前期石垣城 がある 年 、京都市内 な発 調査な が に 明しつつある 一 部が明 伏見桃山 伏見城 、 か にか 石垣 が宮内 に調査され、 地 に され おり、西 に る御香宮神社にも 印 石や 石が集 れ いる  また、伏見城 石垣石 二条城や 城にも が れ おり、二条城東 堀川 にも ・ 印 もつ石 がある これ 石垣石 中に 石切 た 石 、 印 入 た石 もあり、山科大 塚・小山石切丁場と 関 も れる   本学 、御香宮神社 内 印石 石 、二条城堀川石垣 行 た  調査 一瀬和夫 調査 とし、広瀬侑紀がこれ た 日 、2016年₉月30日、10月₁日、11月₄・ 日に行 た  調査 者 、嵯峨根絵美、垣内彩那、石塚真和、小 田 、神田 、 、 、   、石 田真 、小   、 関 紀、 内 、 美 、   、 、 、 本 一 、中 、 中谷 、中村 彩 、西 、 谷川 一、 、 宅川 、   ある 写真₁ 山科大塚・小山石切丁場 調査風景 写真₃ 山科大塚・小山石切丁場 調査風景 写真₂ 山科大塚・小山石切丁場 調査風景 写真₄ 二条城堀川 石垣実測調査

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₁.山科大塚・小山石切丁場の現状

 山科大塚・小山石切丁場 発見 、1 7 年₃月に京都 市山科区 在 山田 が山科 地東 山 行者 山 山区 にある大石に 印 在が報 告された と る 年12月 伏見城 か い わ 経 、1 81年₁月 日に ち つ 印 し、 日 たな ち つ が発 見され、 印石が遺 ることが明 かにな た 、 内 一 じ と る地 調査 ルー が調査 き ぎ、 と 印石 所在 明 かにした 石切 丁場内 石 と れに る石 番号も れ いる 、 27年 か 文 地と し された し 、 在に も な 調査 いる  本学 2015年に、 、西 、中川 、 内 一、   、 地一 、   、 田 一、 月 、広瀬侑紀 石切丁場 査関 者に かれ 、 印 につい 見 た  地 夫、 村 御 も 、2015年

伏見城と山科大塚・

小山石切丁場

か 本学 も な な調査 に入 いただい いる  2016年に 地 調査 ルー に たに 印が入 た 印石 き、年 うごとに が いる

₂.山科大塚・小山石切丁場の刻印

  印石と 石垣 し いる石 、 面に な印 が まれ いる石 印 りさ れ いる も 印だ なく、 とい た なも か れ み わ た 学 なも 、 や な 一見 なも に われるも な な 印が、お 見つか いる 中 に 大名 名前や経文な とい た文 が まれ い るも もある   印が まれ いる とし ある 中 も い 、 地 明 に るた に印 んだというも ある 石切丁場か 印が見つ か いることか 、 じ石切丁場 大名 が 行 おり、 地 明 に るた に 印 た とみ れる また、 が 大名に 城や大 城な じたた 、 城 、 大名に 場所が り れた 城 く離れた 、大 城 瀬 内か 、 あるい 山中か 石 切り し、 路 路と んだ   印に 石垣 にた さわ た大名 ん だも や、石 積んだ 、 場所が 大名と した場所 区 な し いた にも、石 原産地 、 行 名 な 、 ある また、 印が され たこと 、 門 とし たというも もある と もかく、これ 在 丁場 や 期 ることが期 され、もと り 印石が集中 ること が石切丁場 あるということ に し くれる な ある

₃.山科大塚・小山石切丁場の刻印分類

 山科大塚・小山石切丁場 印 2016年₇月 、 17石22 印が される れ 大きく ₄ 印が 在 る( ₃、 ₁)  ₁つ 、一文 一 ( 下、一に ) 、 印とされる 在見つか いる 印 、 も い なかに 二 が るも も 在し、これ 図₁ 山科大塚・小山石切丁場位置図 7 11 1 1 10 9 1 1 7 11 1 1 10 9 0 1 1

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No 1 No 1 No 10 No No No No 8 No 9 No 1 No No No 7 No 11 1 No 17 No 1 No 1 No 1 No 10 No No No No 8 No 9 No 1 No No No 7 No 11 1 No 17 No 1 0 00 図₂ 山科大塚・小山石切丁場大塚地区刻印石の分布

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印 副 印 関 にあると れ いる 大きい 印に小さな副 印が れる うに し、副 印 が く れ なも もある   つ 、₄つ んだ 中 に が り まれ いる つ 印と、 が り まれ いる ち つ 印 ある これ 印 期 も とされ、 京 所 が れ いる  ₃つ 、 印 ある こ 、 地 調査 ルー 中 、 な 見が かれる  ₄つ 、 一 印 ある こ 一 、 印が見つか いないた 、 あると い る また、 つ た跡が いるだ とも れ としない  こうした 印が されること 、 印石が る場 、 こが 桃山期、 期あたり 石切丁場 あるという見 しが まる こ 山科大塚・小山石切 丁場 ある 山 されるが、大塚や小 山 に 、 が一部 し いる地 があ る 大塚 行者 に広がり、小山 山科・ 川 ん 北 に る( ₁・ 、 ₁)   印名に 、石切り 跡とし 面に 跡 石 もある 石 に と石 となる 地 行者 北 東 面に し おり、石 とし に が る 大塚 大きく東西 つと 川 地区に かれる かく 大塚西 がお き か 大 に 〜 地区、東 大塚東 が大塚 谷 に ・ 地区 となる   や 印 ある石 大塚・小山地 中 も広 に し いる り なも いも ある が、 も され いくも とされる れ れ 印石 や切 石 に見 れ、 に つ 印 も 石切場 うに 谷 ご とに し いる ある 図₃ 刻印見取り図 表₁ 伏見城関連山科区大塚・小山石切丁場刻印石一覧 番号 地区 印名 ( さ印 ) 石 石 ( ・ ・奥行) ₁ 大塚西 大 ち つ 13 2.4 1.04 0. 1 77年 大塚西 大 ち つ 13 石 2.48 3.05 2.07 1 7 年 ₃ 大塚東 谷 一に 30 28 4.5 3.0 2012年 北面 一に  二 27 30 東面 ₄ 大塚東 谷 一に  二 23 26 3.0 3.5 2012年 大塚東 谷 一に   30 30 2.4 1.7 2013年 大塚東 谷 一に   20 23 2.2 1.7 2013年 ₇ 大塚東 谷 一に   30 40 石 2.6 4.0 2013年 ₈ 大塚西 大 ち つ 13 1.6 1.2 1.6 2013年 ₉ 大塚西 大 ち つ 13 石 4.1 0. 1.2 2013年 10 大塚東 谷 一に 30 32 2.1 2013年 石 つ 20 2014年 11 大塚東 谷 一に 1815 16 2.38 2013年2014年 12 大塚東 谷 一に 2014 16 2.1 2014年2014年 13 大塚東 谷 一に  二 25 18 2.6 2014年 二 14 大塚東 谷 一に 40 43 、38 2.0 2014年 15 小山 小山 一に 13 14 石 7.0 4.2 4.75 2014年 石神社 16 大塚 谷 一に  二 2015年 17 大塚東 川 文 14 10 2016年 一文 13 2016年

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  在山科大塚・小山石切丁場にある 印 ₄ だが、 に 在し いる 一に 印と つ 印 ある こ 印 地 上 ると、大 塚西 と大塚東 るお き 谷 に、大塚 西 ち つ 印、大塚東 一に 印とい う にきれいに かれ いることがわかる( )  しかし、大塚東 谷 地区 しく見 みると、 つ 印 あるが し いる石 がある 印 地 ( ) 、 期 も 1つ 石 に れる場 があり、 こに 印石 な 所 、 な場 や大名・ が 場 な が れ うか ある .10〜 12 ₃石 一に と つ が門 うに に いる 大塚東 谷 地 区におい 、 印 入 た石 に つ 印 入 た石 がみ れないということが る

₄.伏見城の沿革と現状

 さ 、山科 石切丁場か 切り され、 された あ う も な場所 、 川、山科川 下り、 川と 地 にある伏見区所在 伏見城 ある こ 石垣石 した大 な 機 期にまたが おり、ここ な伏見城 につい 、 ま しく見 みる  伏見 東山か なる に し、 に が広がり に り大 と京と 地 あ た   とくちに 伏見城 とい も、 れ とつ 城 も ない 伏見城 ₃ にわた 城され、 ₁期(15 2〜15 6年)、 期(15 6〜1600年)、 ₃ 期(160〜1623年) ₃つ 期に ること が きる 下に、伏見城 にかかわるも に下 しなが う   城 15 2(文 )年₈月に が まいと るた 、 在 京都市伏 見区桃山町 にあたる伏見 月に たも ある 15 3(文 )年に入り、明と 和 が き じ 、明 日本 見 つ る と、 年₈月₃日に ( )が産まれ、 に 大 城 ると したこと 、 大 な が行われることにな た 15 4(文 ₃)年10月 り 川 路 と 離し 伏見に い 城 と るとともに、城下に大 る り、 に 小 き、 上に し たな大 和 と るな 大 な が行われた また し 月と 間に としたと もあり、都か 大和・ 西 れ 城下に こもうとした がうかが る   城 15 4(文 ₃)年か 本 に まり、 行に 間 が され、石 小 か 、 、 か も調 され、 年₄月に 古城か 、 が された 年10月に が し、 15 5(文 ₄)年に が きると、 年 ₇月に された か も が され、 川 にある にも伏見城 城、 城が 城さ れた また、15 4(文 ₃)年 り城下町 も行 われた こ とき 城されたも 月伏見城、 に 山 山に されたも 山伏見城と ん 旧 区 される さ に 山伏見城 期 も と、伏見城 い 跡に 川 に された 川期 も とに れる   月に かれた伏見城 城 か 年 に15 4 (文 ₃)年に が入城し、 年 に みる が、 ₇月13日に こ た 伏見地 に した 伏見城 大きな地 に見 われたが きなか た う 、 や な が 、 14日か 月か 北東 ₁ 山に たな 城が き されることになり、 15 7( )年に し 城 る 年 月に と が、さ に10月に が した 城が わ た伏見城 、 本 西北に があり、西 に二 、北東部に 、 東部に名 、 下に 、山 し、 部 ると12 が 在した  こ 期伏見城 城と 行し 、名 城 城、 広寺 大仏 、大 城 と 、 し が行われた 大 城と伏見城 行 き したが、 年 伏見城 ご ことが か た 15 8( ₃)年に に り城内 した 在城期 間 わ か₄年 あ た   、 遺 に 15 ( ₄)年 月に伏見城か 大 城に り、 わ 大 川 がこ 城に入り と た 大 ₁ ある前田 が 年₃月₃日に 、 石田 年₃月10日に 和山城 ると、13日に とし 入城 る 年₉月に が大 城に る と、伏見にあ た大名 ほとん が大 に し

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まい、伏見城 城下町 し い た 1600 ( )年 月、 に き (関 原 い) こ 間 、小 川 ・ が城 とな いる伏見城 ₄ 城、 年 ₈月₁日 上、 城した こ とき、 城内 ことごとく き たた 、 した   した伏見城 関 原 い した に 1602( ₇)年ご された 山伏見 城 るが、 、大 、 、御 山 と ばれる北西部 と れ り く堀 され た こ とき や部 二条・ ・ 山城な に されたという 1602( ₇)年 月に 堂 が 行に され、 年 に ほ がなり、 年12月に 伏見城に 城した された に 、 が われた こ こ り大 城に いた大名 が伏見城に たが、関 原 い に城下町 き われ、跡地が東西 大 名に れたと れ いる 1603( ₈)年、 伏見城 大 下 る 川 光ま 伏見城 下 行 いる 1605( 10)年₃月、 伏見城 と 見し、文 ・ 関 し いた と和 さ る 年御 に い、 も本 か 西 に り、 さ に二条城に るが、本 部 が る 年₈月20 日に 伏見城に 城 る しくな た御 川 下が り行われた も れた が、 城 に り、 1606( 11)年 に 伏 見城 も され、 や も 城 ばれ い た が 城 た 、1607( 12)年 に が城 となり、また大番 に る在番や 番 が行われた  大 、しば く 二条城が 内 、 伏見城が とし され いたが、一 一城 か も 城 る とし、161 ( 和 )年に 伏見城 城が まり、 年か 城 りが ま た 1623( 和₉)年₇月16日、 光 下 が本 部 に し り行われた な 城とな た 伏見城 二条城に、また く 山・ 城に 収され、 れ にも 地 に された   城 伏見城 跡地に 、 に なか たと われる ご ま に桃 が れ 桃山と ばれる うになり、 に り伏見城 桃山城 あるい 伏見桃山城とも ばれる うにな た  伏見城跡 伏見 行所 とされ ま 入 とな いたが、本 跡な 部 ちに明 (桃山 )とされたことか 在も 入りが じ れる  200 年 月20日に、宮内 た日本 古学 が伏見桃山 本 な見学調査 行 た  また、伏見城 跡 1 64( 和3 )年に 地 伏 見桃山城 ル ド が され、 内に 中 に かれた伏見城 にし 大 と₃ ₄ 小 、 門な た が、 コ リー れた 2003年₁月に した が、 京都市 に 伏見 シ ル とし されることとなり、 京都市に され たほか、 地 市に り伏見桃山城 と し された ただし、 たし いないことか 内部 とな いる  伏見城 とされる 地 社寺 中 に く 在し おり、 ほとん が 遺 とさ れる しかし、 月伏見城 地 し、 山伏見 城 し いるた 、 が ある わ かだと われる 、 月伏見城 あることが れ いる西 寺 も地 さ れた され おり、 なくとも が る いと れ いる   月伏見城 遺 と れるも うち、 在も地 とし いるも に、 入がある 月 北東 、桃山町 宅や が ち ん いる 地 東 に る 北 大きな谷 地 ある 在 も、 地 ある 地と15〜20 ある大きな谷 ある なお、こ 谷奥 も し いる 月伏見城 年、一 年と 宅 に り、石垣が され いる   山伏見城 大 が宮内 地にな おり、ほとん 調査 がないが、城 部 石垣な が され いる地 が 地 ある ま 桃山町大 、 在 北堀 とな いる 地 西 石 垣が され いる こ 地 、大 西 にあた る 見つか た石垣 東西に40 上、 さ₃〜₄ ほ ある 石 あるが、 石が く、 石 ない な大きさ ₁ 0.5 ほ ある 石 なく、 部 に や もないとい

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うこと あり、石垣という りも 石とい た が ある 石 、 に 石が われ いる   こか 東に400 ほ 地 石垣 が され いる ここ 石垣 石 く いなか たも 、 が されたことか 石垣 在が された こ 地 、本 北東にある 北 石垣にあたる  こうした石垣に う石 伏見桃山 地 く さ れ いる 、こうしたも 一部と山科大 塚・小山石切丁場 も と た に したい

₅.他城との比較

 さ 、山科大塚・小山石切丁場に関 る あ う石 、伏見城 も 所 石 が見つか い る ここ 、 城 や 石場 や された 印につい るが に る  ま 伏見城 西 御香宮神社 京都市伏見区 城下町 跡にある( 10) 内や 石垣に く 印、 石がある に 東西にある 印石 見学しや い 旧伏見城か されたとされる石 、13石 きる 印 、 、 、二 、 に大、 に 、 、二 ₇ ある 石 に石 と がある ただし、 、二 、 に 、 印が山科か 石 れに る 印石に があるが、 在、山科大塚・小山石切丁 場か これ 印 され いない も ₄ に た  明 伏見桃山 に 、 に した伏見城石垣 石が される( 10) こ ₇石₉ 印が される 印 に 、 、 二 、 ₄ ある に 、 、 印が 石 か 山科 印と るが、山科大塚・小山石 切丁場か 印も され いない しかし、御 香宮神社 内 きる 印石 、 に 、 印 山科大塚・小山石切丁場 見つか いる 文 と 関 し いる がある  京都市中京区にある二条城 東 に面した堀川 川 東 に した石 し積みにした 石垣が 伸 おり、西 に 切り した石 さほ に積み上 た石垣がある( 14) 石垣に 、₁ 文と21 印が され いる 堀川 山科大塚・小山 石切丁場と つ 印も される 2016年 に奥田尚 石 調査とともに れ 調査した 報とし た 印 13〜 18 と、石切丁場と 大きいも ばかり 、石 も という 谷か ん き たとされる石 あることが か た 山科大塚・小山 石切丁場と じ石 がわ か あるが された 印も見つか おり、 印 中に つ 印 たも ある 、 が23 、 つ が 13 と、山科大塚・小山石切丁場にある 印 と 一 る  これ に、 城石垣な にも 印石が り、山科 大塚・小山石切丁場と 関 るた に か ないも ある 参考文献    伸 200 桃山 地下 に う 調査 書 部紀 60号 宮内 書 部   内 一 2015 山科 石 につい 伏見城関  山 科(大塚・小山) 石切場 (下) 古 学 207号  ( )京都市 文 所・京都市 古  2001 リ北紀 古 ル 26 リー 京都 153  日本史 編 2001 と京都 ・御 と伏見城 文  山科石切場調査・ ルー  2015 伏見城関 石切 場につい 期にお る石垣石 調 ぐる所見 二、

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₁.調査地の位置と区割り

 山科大塚・小山石切丁場 、京都市山科区に所在 る 石切丁場 ある 在も、地 調査 ルー とともに京 都橘大学が調査 いる(山科石切場調査・ ルー 2015、京都橘大学文学部2016)   調査地 、大塚・小山石切丁場跡 うち、 も く 印石が見つか た行者 北 北東 面に ある 谷地区にあたる 谷地区 、山科区大塚 上に がる東 石切丁場 これ 北 地区 され おり、北 谷 地区、 谷 地区とし いる また、行者 面に見 れる ち つ と る地区 、大 〜 地区とされ いる(山科石切場調査・ ルー 2015)   調査 、 うち 谷 地区におい した石 調査 ある こ 地区 、 地 か 、 年、京都橘大学が 調査 行 た ー ー 場 り、20 ほ 登 た所にある 地 東 に がる こ と小 ー 東西 大 100 、 北 80 にある こ 谷 地区 うち、東西 0 、 北 0 (( -113500、 -14740)〜( -1135 0、 -14665)) 調査 した( 中 、 ₄)

₂.調査の経過

  調査地 ある 谷 地区 、 年 調査 した ー ー 場か 面 に登 た に ることか 、 場にあ た 石 、石 石地 にあたる が れた 石 が大きい た 、 年 2016年₈月₇日〜10・14〜17日、12月23・ 25日に 調査 した 調査におい 、 した 内におい 、 340.00〜36 .00 間 地 行 た にし 、 内 石 に し、 や 印 ある石 につい 、石 と し した また、 石につ い し、 お 面 も わ 行 た

大塚・小山石切丁場

地区 石

調査

₃.調査成果

(₁)石材分布調査  調査区 、 谷 地区内に した、東西 0 、 北 0 ある 調査区内に 北西か 東 山 が おり、こ 西 に く 石 が し い る また、 印石が 石、 印が₃つ きる に 石や 石が広が おり、 し いるだ 、お 400石 石 が され、 内、 一 ほ 31石に が見 れた( ₄、 ・₃)  ま 、地 西 あたりがこ 地区 も い地 T. .36 .00 前 となる こか 東と北西と西 に 根が いる こ 内、西 根 に西 谷に石 とし いるこ とか 、 調査区か した   根 部 、 が やかとな おり、 に 印石 ある つ 石 や 上部 石 がま とま いる 印 もつ石 切り た 石 と にくく、 か も根 にもと 地 し いるも と れる とこ が、 印石 北 に 、 が西北西に く み に ちる場所 があり、 な が行われ いた がある   印石 、やや谷 地 があり、 こ 中 に北 に か 石が し いる また 大 もつ石 ( .₈) 、T. .363.00 〜365.00 地 に し、東西 10 、 北 ₇ 前 場 地 とな いる こか 根 ー ま 面地に .₉〜12 石 がまとまる   上 ことか 、 根 い地 か 印石 し 、 北、 と 西 根 が な に ₃ 所 谷場と 場 石 場が れたと る ( ₄) .₈ 面 、 石に つく れ た、 谷 に石 る 場と れる し 、 根 い地 ほ 石が に く い ることか 、大 な 石が行われた も しい が いる がある  一 、北 谷 も い 根 に 、 に した がある が る こ 下 にもと もとあ た につい 、 面 し 石したも 石部 がある う あれば、 る が した石 と大きさ がかりとなる 北谷場 所北 70 60 、120 60 、西 80 80 、150 70 大きさ が

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図₄ 葭ヶ谷A地区の地形図刻印・矢穴石分布 8 7 8 8 8 9 7 8 10 11 9 10 1 1 8 1 8 11 8 1 1 7 8 9 10 11 1 1 1 1 1 17 18 19 0 1 7 8 9 0 1 1 8 8 9 9 7 7 8 8 9 9 0 0 1 1 7 9 7 7 7 0 0 8 1 1 11 0

北谷場

南谷場 北

8 7 8 8 8 9 7 8 10 11 9 10 1 1 8 1 8 11 8 1 1 7 8 9 10 11 1 1 1 1 1 17 18 19 0 1 7 8 9 0 1 1 8 8 9 9 7 7 8 8 9 9 0 0 1 1 7 9 7 7 7 0 0 8 1 1 170 170 1700 180 10 11 80 11 0 11 0 11 0 11 00 0 0 0 70 9 8 7 71 1 7 8

北谷場

南谷場 北

南谷場 南

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図₅ 矢穴形状からみた採石状況(葭ヶ谷A地区) 8 7 8 8 8 9 7 8 8 10 11 9 10 1 1 8 1 8 11 8 1 1 7 8 9 10 11 1 1 1 1 1 17 18 19 0 1 7 8 9 0 1 1 8 8 9 9 7 7 8 8 9 9 0 0 1 1 7 9 7 7 7 0 0 8 1 1 11 0 8 7 8 8 8 9 7 8 8 10 11 9 10 1 1 8 1 8 11 8 1 1 7 8 9 10 11 1 1 1 1 1 17 18 19 0 1 7 8 9 0 1 1 8 8 9 9 7 7 8 8 9 9 0 0 1 1 7 9 7 7 7 0 0 8 1 1 170 170 1700 180 10 11 80 11 0 11 0 11 0 11 00 0 0

(16)

い 一 、 根 上にある 70 60 、 0 80 が い も大きいも 、250 130 が ある (₂)矢穴の調査  石 調査と わ 、 石につい 行い、 した ほとん が に る石 りに されたも ある た 、ま 面 に り、上 と下 大きさか ₄つ にわ た   大  上 (10〜15 ) と 下 ( 〜 11.5 )、 に大きいも   中大 上 (₉〜10.5 )と下 ( 〜 8.5 )、中 も   中小 上 (₇〜8.5 )と下 (₃〜 )、中 も   小  上 ( 〜 ) と 下 ( ₃ 〜 表₂ 葭ヶ谷A地区 石材法量一覧(座標はGarminによる) . 石 ( 奥行) 番号 ₁ 2 70 3 40 2 34° 58′ 34. ″ 135° 50′ 20.1″ 356 印 一 に二 5471-3 4 70 2 80 2 34° 58′ 34. ″ 135° 50′ 20.4″ 368 印 一 に二 、 印 一 5570-4 ₃ 46.0 21.0 28.5 34° 58′ 35.4″ 135° 50′ 1 .6″ 351 5371-1 ₄ 27.0 73.0 31.0 34° 58′ 35.0″ 135° 50′ 1 .6″ 350 5471-2 20 23 222 34° 58′ 35.0″ 135° 50′ 20.2″ 361 5470-133.0 117.0 78.0 34° 58′ 34.7″ 135° 50′ 20.0″ 358 5571-1 ₇ 108.0 152.0 10.0 34° 58′ 34.2″ 135° 50′ 20.2″ 365 5671-1 ₈ 7 .0 214.0 77.0 34° 58′ 24.6″ 135° 50′ 20.2″ 357 あり 5671-2 ₉ 7.0 123.0 1.0 34° 58′ 34.3″ 135° 50′ 20.1″ 366 5671-3 10 113.0 217.5 34° 58′ 34.4″ 135° 50′ 20.0″ 366 5671-4 11 27. 4 .0 24. 34° 58′ 34.7″ 135° 50′ 20.0″ 357 5671-5 12 76.0 114.5 1 .5 34° 58′ 34.3″ 135° 50′ 1 . ″ 35 5671-13 52.0 4 .5 7 .5 34° 58′ 34.8″ 135° 50′ 20.2″ 368 5570-1 14 27.3 41.5 7.2 34° 58′ 34.7″ 135° 50′ 20.4″ 365 5570-2 15 18.0 5.0 34.0 34° 58′ 34.7″ 135° 50′ 20.4″ 365 5570-3 16 16.0 58.4 8.8 34° 58′ 34.5″ 135° 50′ 20.1″ 370 5670-1 17 122.4 141.6 88.3 34° 58′ 34.7″ 135° 50′ 20.0″ 370 あり 5670-2 18 128.5 104.0 122.5 34° 58′ 34.2″ 135° 50′ 20.2″ 365 5670-3 1 130.0 144.0 72.0 34° 58′ 34.2″ 135° 50′ 20.2″ 366 5670-4 20 76.0 100.0 83.0 34° 58′ 34. ″ 135° 50′ 20.4″ 365 556 -1 21 17.0 83.0 18.0 34° 58′ 35.0″ 135° 50′ 20.5″ 363 あり 556 -2 22 14.0 44.5 23.0 34° 58′ 34.8″ 135° 50′ 20.6″ 366 556 -3 23 21.0 115.5 46.5 34° 58′ 34. ″ 135° 50′ 20.5″ 366 556 -4 24 62.5 2 . 14.0 34° 58′ 34.4″ 135° 50′ 20.5″ 36 566 -25 32.2 28. 10.5 34° 58′ 34. ″ 135° 50′ 20.7″ 373 556 -5 26 18.5 20.1 3.0 34° 58′ 34.6″ 135° 50′ 20. ″ 373 556 -6 27 7.8 11.2 13.2 34° 58′ 34.5″ 135° 50′ 20. ″ 373 556 -7 28 16.5 25.2 10.2 34° 58′ 34.7″ 135° 50′ 20.5″ 37 556 -8 2 31.0 64.0 34° 58′ 35.0″ 135° 50′ 20.4″ 364 556 -30 43.2 10 .0 57.0 34° 58′ 34.5″ 135° 50′ 20.3″ 363 5770-1 31 20.0 47.5 10.0 34° 58′     135° 50′     あり 5568-1 32 72.5 115.0 75.0 34° 58′ 35.0″ 135° 50′ 20.8″ 355 あり 5468-1 33 70.0 3 .0 28.5 34° 58′ 35.3″ 135° 50′ 21.2″ 344 5467-1 図₆ 地形からみた採石状況(葭ヶ谷A地区) 1 7 8 9 10 11 1 1 1 1 1 17 18 19 0 1 7 8 9 0 1 8 7 8 8 8 9 8 8 10 11 9 10 1 1 8 1 8 11 8 1 1 8 8 9 9 7 7 8 8 9 9 0 0 1 1 7 9 7 7 7 0 0 8 1 1 11 0 1 7 8 9 10 11 1 1 1 1 1 17 18 19 0 1 7 8 9 0 1 8 7 8 8 8 9 8 8 10 11 9 10 1 1 8 1 8 11 8 1 1 8 8 9 9 7 7 8 8 9 9 0 0 1 1 7 9 7 7 7 0 0 8 1 1 0 0 170 170 1700 180 10 11 80 11 0 11 0 11 0 11 00

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表₃ 葭ヶ谷A地区 矢穴法量一覧 石 . さ 番号 ₃ 8.0 4.5 1.5 上 1.0 上 5.5 5371-1 ₄ 7.0 3.0 3.0 上 0.3 上 4.0 5471-2 8.0 5.5 2.5 上 1.0 上 .0 5470-5.0 上 4.0 上 5571-1 ₇ 5.8 2.0 上 5671-1 ₈ 8.513 7.86.0 6.03.0 3.51.0 7.14 面あり面あり 5671-2 ₉ 11.0 6.0 3.0 上 1.0 上 .5 5671-3 10 12.4 10.3 4.7 上 4.4 6.3 面あり 5671-4 11 11.2 5.0 3.0 上 .4 5671-5 12 5.5 3.5 2.0 上 0.5 上 5.0 5671-13 8.5 4.5 2.0 上 1.5 上 4.5 5570-1 14 5570-2 15 14 7.0 5.0 2.7 6.0 面あり 5570-3 16 .0 8.0 7.2 5670-1 17 10.07.5 5.0 4.5 10.0 5670-2 18 10.0 5.0 8.0 中 5670-3 1 12.0 6.0 4.5 中 5670-4 20 7.0 5.0 2.5 上 1.0 上 6.5 556 -1 21 11.5.0 8.58.0 1.04.8 1.01. 11.06.5 面あり 556 -2 22 8.5 6.0 1.0 上 0.5 上 .0 556 -3 23 10.0 .0 5.0 上 1.7 7.0 面あり 556 -4 24 10.5 8.0 1.5 上 0.5 上 8.0 566 -25 10.0 7.5 5.5 2.6 1.8 面あり 556 -5 26 8.0 7.0 2.0 上 6.0 556 -6 27 10.0 8.0 4.0 上 8.0 556 -7 28 11.0 .0 3.0 上 2.0 上 7.0 556 -8 2 10.0 6.0 556 -30 10.5 7.0 4.5 上 1.2 上 8.7 5770-1 31 10.010.0 8.0.5 2.51.5 1.5 上 6.0.5 5568-1 32 13.0 12.0 6.0 2.5 上 10.5 5468-1 15.0 11.5 7.0 3.0 12.0 8.0 6.5 0.5 上 .0 10.5 5.5 3.5 上 2.0 上 7.5 .0 6.0 2.0 上 7.0 33 .0 5.0 3.0 上 7.0 5467-1 .₁、 . 印 み し 0 10 No.8 No.8 No.10 No.1

No. 1 No. No.

0 10

No.8

No.8 No.10

No.1

No. 1 No. No.

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No.9 71 No.1 70 No.18 70 No. 0 9 1 No. 1 9 1 No. 9 No. 9 0 1 図₈ 葭ヶ谷A地区の矢穴石(₁)

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₄ )、小 も  上 石 見 みると、 大 、 根 部か .₈ まとまりか 、 印石 ( . ) 谷場にまとまりが見 れる 中 大 、 じく .₈ 場にまとまりがあり、 大と じ谷場や、 れ りやや にまとま いる 中小も、 .₈ 場に 石あり、 印石 ( . ) や 印石( .₁) 北 にある谷場に る 小も、 .₈ 場に見 れるが、や や北 りに る( )  こ ことか 、石 、 大きさに関わ 、 .₈ 場 切石 石が行われ いたことが かる また、 大と 中大 印石( . ) 谷場、 中小と 小 印石 北 谷場 、 石また 石 に い れた が れる  これ 、 ・ 川 に ると( ・ 川 2008)、大きさだ なく、 面 が と なるも (古 )か あるも ( ) があることか 、 中大と 中小 、古 、 大 うに見 る 一 、 面 が古い る上 あること が され おり、山科大塚・小山石切丁場におい も が見 れた 図₉ 葭ヶ谷A地区の矢穴石(₂) No. 9 No. 7 9 7 No. 8 1 1 No. 0 770 1 0 1

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写真₆ 刻印石No.₂ 5570-4 写真₅ 刻印石No.₁ 5471-3 写真10 矢穴石No.₆ 5571-1(₁) 写真₉ 矢穴石No.₅ 5470-a 写真₈ 矢穴石No.₄ 5471-2 写真₇ 矢穴石No.₃ 5371-1

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写真12 矢穴石No.₈ 5671-2 写真11 矢穴石No.₇ 5671-1(₂) 写真17 矢穴石No.12 5671-a 写真15 矢穴石No.13 5570-1 写真16 矢穴石No.11 5671-5 写真14 矢穴石No.10 5671-4 写真13 矢穴石No.₉ 5671-3

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写真19 矢穴石No.15 5570-3 写真18 矢穴石No.14 5570-2 写真25 矢穴石No.21 5569-2 写真24 矢穴石No.20 5569-1 写真23 矢穴石No.19 5670-4 写真22 矢穴石No.18 5670-3 写真21 矢穴石No.17 5670-2 写真20 矢穴石No.16 5670-1

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写真27 矢穴石No.23 5569-4 写真26 矢穴石No.22 5569-3 写真33 矢穴石No.29 5569-a 写真32 矢穴石No.28 5569-8 写真31 矢穴石No.27 5569-7 写真30 矢穴石No.26 5569-6 写真29 矢穴石No.25 5569-5 写真28 矢穴石No.24 5669-a

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写真35 矢穴石No.31 5568-1 写真34 矢穴石No.30 5770-1 写真41 ブロック状風化岩脈(北東より) 写真40 ブロック状風化岩脈(北より) 写真39 尾根筋稜線上A-2付近の残石?(北より) 写真38 矢穴石No.33 5467-1 写真37 矢穴石No.32 5468-1(₂) 写真36 矢穴石No.32 5468-1(₁)

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写真43 北谷場(南西より)  写真42 北谷場(北西より) 写真48 南谷場南(東より) 写真47 南谷場北下(南西より) 写真46 北谷場(東より) 写真45 北谷場(南東より) 写真44 北谷場(南東より)

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  下、 が る した もとにま と みた( ₇〜₉) ①矢底₁列タイプ(No.₈-B列)   ₁ つく いる 面 上 3.0 、下 1.0 、 に い ある 調査区 .₈ に見 れ、 地区 も が きた ②矢底₂列タイプ(No.21・23)   つく いる 面 上 5.0 前 、下 1.7〜1. 、 ある 調査区 .21と .23に見 れた ③矢底幅広タイプ(No.₈-A列・10・15・25)   に があり、中 もしく な つく いる 面 上 5.0〜6.0 、 下 2.6〜4.4 、 コ に い ある 調 査区 .₈ ・10・15・25に見 れた  これ 面 い 、 が広くなるに つれ しくなることが され いる( 田2016) 調査区 見 れた も、お く ₁ 、 、 広 に し くなると される これ に 行し 、 面 と ー も が古いと るが、 調査 きない   上 うに、 面、 面 か 見 みると、 下か 上 と 石地 さ い た う ある

₄.ま と め

  調査 、石 石地 ₁つに される 谷 地区にお る石 る した   、地 か 石 と れる な 跡が き、 れ と みや谷 地 に石 が集中し ることが 明した また、 根 い地 に 大 石が し いる ことや、 山 積な か 、 じ 北 下 か 石 い た う ある   わ 行 た 調査 、 面と 面 に る石 し、これま 石が 在し、 あ た が きた   に、 .₈ 場 石が ある 印 石( . ) 北 お く 期 なる 石や石 があることな が きた   年に き、山科大塚・小山石切丁場にお る遺跡 につい 、わ か あるが、 かりとなる ることが きた 本年 こ 調査区 北 に ある ー ー 場 京都市に る調査にも した こ 場 石 行 いることが か た 報告 京都市 も に るが、 も調査 いくこと 、 石 や ルー な が明 かに なることが期 される 参考文献  京都橘大学文学部 2016 京都橘大学歴史遺産調査報告 2015   田 一 2016 石・ 術 にお る ₃ 中 石・ 術 発 集 中 石・ 術   ・ 川  2008 学 古 学 180号 古 学  山科石切場調査・ ルー  2015 伏見城関 石切 場につい 期にお る石垣石 調 ぐる所見 二、

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₁.御香宮神社

 御香宮神社 京都市伏見区にある神社 ある じ 御 神社 と したが、862( ₄)年に 内 り い香り が き し、 と が た 、 和 か 御香宮 名 た 伏見城 城 に、こ 御香宮神社 城内に し、 門 神とした に 川 に に され、本 が された 門 旧伏見城 大 門 したも とされ いる

₂.御香宮神社参道の刻印石

 さ 、 在 御香宮神社 旧伏見城か された

御香宮神社内 印石につい

図10 御香宮神社位置図 図11 御香宮神社境内参道 1 0 0 10 No.8 No.7 No. No. No. No. No. No.1 No.9 No.10 1

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図12 御香宮神社刻印石(₁) No.₁〜₃・₅・₆ No.1 No. No. No. No. 0 1m

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図13 御香宮神社刻印石(₂) No.₇〜11 刻印 0 1m No.7 No.8 No.9 No.10 No.11

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写真50 御香宮神社 参道東脇(南西より) 写真49 御香宮神社 参道西脇(南より) 写真56 No.₅刻印 「串団子」 中央 写真55 No.₃刻印 「二重四角」 中央 写真54 No.₂刻印 「串団子」 中央 写真53 No.₁刻印 「丹」 写真52 No.₁刻印 「丹」 中央左 写真51 御香宮神社 参道東西方向石垣(南西より)

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写真58 No.₇ 「丹」中央左 写真57 No.₆刻印 「串団子に二」 中央左 写真64 No.11刻印 「二重四角」 写真63 No.10刻印 「□に丹」 写真62 No.10刻印 「□に丹」 中央左 写真61 No.₉刻印 「鼓形」 写真60 No.₉刻印 「鼓形」 中央右下 写真59 No.₈刻印 「十に○」 上

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とされる石が 内と 石垣に く 在 る 中 も 内 13石 きる 西 に .₁〜₄・₇、 東 に . ・ 、 北 東 西 石垣に .₈・₉、 東中ほ に 印・ 石 集積場があり、 こに なくとも .10〜13 印 石が る( 10) れ いる 印 、 、 、二 、 に大、 に 、 、二 ₇ ある 石 に石 と があ り、山科か が いも も い( ₄)   、二 、 に 、 印が山科か があるが、 在、山科大塚・小山石切丁場か これ 印も され いない とされ る に 印に関し 、 川 された 文 印とつながりがあると れるが、 、 が期 される 印と う 写真66 No.12刻印 「○に大」 写真65 No.12刻印 「○に大」 中央下 写真68 No.13刻印 「二重丸」 中央 写真67 No.13刻印 「二重丸」 中央 表₄ 御香宮神社刻印石一覧(座標はGarminによる) 石 番号 調査区 印名 奥行) .₁ に 1 22 石 7 70 108 34° 56′ 00.5″ 135° 46′ 02.8″ 53 .   21 4 121 65 36.5 34° 56′ 01.1″ 135° 46′ 02.6″ 37 .₃ 二 13 56 105 83 34° 56′ 01.0″ 135° 46′ 02.7″ 83 . 13.5 41 77 154 87 34° 56′ 01.2″ 135° 46′ 03.0″ 40 . 15 40 45 135 45 34° 56′ 01.4″ 135° 46′ 02. ″ 41 二 6 .₇ 12.5 11 石 6 157 7 34° 56′ 01.5″ 135° 46′ 02.7″ 3 .₈ に 14 15.5 石 83 112 3 34° 56′ 02.4″ 135° 46′ 03.1″ 43 .₉ 12 8 58 81 34° 56′ 02.6″ 135° 46′ 03.4″ 42 .10 に 1 5 135 7 34° 56′ 01.1″ 135° 46′ 03.3″ 41 .11 二 13 46.5 122 71 34° 56′ 00.5″ 135° 46′ 03.1″ 62 .12 に大 14 14 34° 56′    135° 46′    .13 二 18 11 34° 56′    135° 46′   

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₂.伏見桃山陵参道の刻印石など

 御香宮神社 る 山伏見城 大 あ り、 れ 東に ると京都伏見区にある明 伏 見桃山 ある 地 、 いた伏見 山城 本 があ たと れ いる場所 ある 一 宮内 地とな おり、京都市 西部か 旧山陽 、旧西 地 る宮内 書 部桃山 区 所がある   内 る石垣 石が なし、 行 こ る く、 古 〜 古 あ た 印石 とこ 、わ か ある しい 切石 ある 石 中 とし 、 美 な石 に城 に ち された が ある   か 西 伸 る 、こ あたりに 、二 、 部小 な があ たと れる こ に に に した伏見城石垣 石が される こ ₇石₉ 印が される こうした石 が れるも 、ここ もい つなも が い しかし、まぎれもなくこれ 伏見城に 石とし ち まれたも あ う ここ 印 に 、 、二 、 と₄ ある に 、 、 印が山科 印と れ、山科大塚・小山石切丁 場か 印も され いない しかし、御香宮 神社 内 きる 印石 、 に 、 印 山科大塚・小山石切丁場 見つか いる 文 と関 し いる がある 参考文献   内 一 2015 山科 石 につい 伏見城関  山 科(大塚・小山) 石切場 (下) 古 学 207号    伸 200 桃山 地下 に う 調査 書 部紀 60号 宮内 書 部

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₁.はじめに

 京都市 堀川 いにある二条城 堀 石垣 した( 14) こ 石垣 川 が伏見城 石 垣 した があり、石垣 に リ御紀 か リ北紀 と る 印がある石もある また、 こ 石垣 石 、 跡が くみ れ、 か 期が きる しい条 いる 石垣 堀川に おり、 条 にも し いる こ 石垣 部 一部50 ほ につい した み ある  伏見城か した石 あるか、 リ御紀 か リ北紀 か み につい さ おき、 こ 地 か 石 が わる かについ がもたれ ること ある

二条城堀川 い 石垣 に

つい ( 報)

 石 に る 跡 か 石が れたお 期 きることか 跡 、 石地 るた に石 石 と につい な し た 石 に まれた 印と石 につい 、奥田  尚・ 内 一・   、石 ・ 跡につい 奥田が行 た 下、 につい る  報告文 奥田が した に た 印石 真 、 リ北紀 と たも い 、おお 北か 在 るも か たも ある これ 真につ い 京都橘大学が したも ある

₂.石垣材の石種と形状及びみかけの長径

  した部 石垣に され いる石 43 石 、 が167 (38 )、 が13 (₃ )、 が ( )、 が57 (13 )、 が126 (2 )、 が₁ ( )、石 が28 ( )、 が10 ( )、 が₁ ( )、 が₁ ( )、 が₇ ( )、 が₄ (₁ )、 が (₁ )、 ー が ( )、 が₉ ( )、 が₃ (₁ )、 が ( ) 、 ・ ・ 67 る( 15、 )  石 か 、山地に 在 る石 した う な がみ れない石(山石)、 面 し がした うな 面がみ れる石( 石)、 跡 が る うな石( 石)、 面が かな川原石 石 (川原石)に区 した 山石 78 (18 )、 石 27 ( )、 石 324 (74 )、川原石 10 ( ) 、 石と 石 ₈ る  石 見か 20 区 した 石 10 上20 が35 (₈ )、20 上40 が125 (28 )、40 上60 が56 (13 )、 60 上80 が83 (1 )、80 上100 が67 (12 )、110 上120 が33 (₈ )、 120 上140 が26 ( )、140 上160 が₈ ( )、160 上180 が (₁ ) ある 在地 石と される川原石 ・ ・ ー に小さいも が い 図14 二条城堀川石垣調査位置 1 0

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₃.石材の採石推定地

 二条城がある 地 、石 に きる うな石 地 か した や 、 ー 、 が小さい川原石 ある が40 うな石となれば、 が る山地ま 行かな れば 石 きない 二条城 く 川にみ れる ー や こ 石された石(在地 石)と されるが、 山、 川・ 川 部に る ま 、 山科ま 行かな れば 石 きない石 ある 山 に が し、 京区 川 川石と ばれ いる 山科区 山 ル 大塚か 小山にか に 石 ・ 入 が る こ 石 山科石と ばれ いる 川 部 市 谷か 市 にか に 石が かに まれる 、 市 山 に 石が 著な が し、 川 市 町 大 山 か 西小にか に 、 明 石 が 著な 、 町 に ・ が る れば桃 となる 石 瀬 内地 北部に る山陽 、 離 地 西宮か 東 区御 にか 山 に る   上 うな ・ 入 と れ に 、石 切 ・ 条 し 石地 した 市 にある 神社 御神 に 印がある う 、 に れば、石 石 きるが、大 城ま ことが きないた に 石 した う ある 川 市 町大 山 ( 石)、 ・ か 西小にか ( 石)、 ・ 市 谷か 市 にか ( 谷 石)、 市 山 ( 山 石)、石 ・ ・ 山科区大塚か 小山にか (大塚・小 山 石)、 東山区 川 ( 川 石)、 神 市御 か 西宮に か (御 石) 石されたと され る  石 地と 関 みれば、 に石が 167 (38 )、 石が15 (₃ )、 谷 石が58 (13 )、 山 石が126 (2 )、 大塚・小山 石が40 (₉ )、 川 石が₉ ( )、御 石が₃ (₁ )となり、山城 部 、北 内 谷・ 山 石が₃ る( ₁)

₄.石材の石種と矢穴跡の形状

  面に る 跡 と石 関 につい した が れる石 した43 中 146 (33 ) ある 石 と 跡がある石 関 みれば、 が78 (53 )、 が₁ (₁ )、 が₄ (₃ )、 が20 (14 )、 が₁ (₁ )、 が 37 (25 )、石 が₃ ( )、 が1 (₁ )、 が1 (₁ )となり、 ・ 山 ・ 谷 石に く見 れる これ 跡 に区 れば、16 紀中 か1 紀 前 も が₄ (₃ )、 文 も が20 (14 )、 も が66 (45 )、 和 も が56 (38 )となる

₅.石種と刻印

  調査 、大塚・小山 石と される石 や に 印 し いないが、 、 和 る 跡が る石に リ北紀 、 跡が 見 れない石に 印(京 )がある 、 文 跡が る石に 印(京 )、 跡が る石に に 山 印(山 )、 跡が見 れない石に 印(京 )、二 印( )、二 印( )、 や 印 印がある に 、 和 跡が る石に 印、 跡がみ れない石に二 印( )、 や 印 印がある   印と 跡と石 関 みれば、 谷 文 に京 、 に山 が、 期が 明 あ るが 、 も 石し いたことが る また、 和 に紀 、 期が 明 あるが京 も 石し いたことが る 山

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表₅ 二条城堀川石垣材の石種と形状と粒径 石    み か        ( ) 石 地 10〜1 20〜3 40〜5 60〜7 80〜 100〜11 120〜13 140〜15 160〜17 山石 2 4 4 4 14 167 石 3 1 1 5 石 11 27 16 24 27 12 20 6 5 148 石 2 2 石 1 1 13 石 3 2 3 3 1 12 山石 1 6 3 2 1 1 1 15 57 谷 石 1 1 2 石 3 10 5 7 6 40 石 1 1 山石 11 4 4 4 1 24 126 126 山 石 2 4 1 1 1 石 5 23 15 26 14 8 2 3 石 山石 7 3 4 2 16 28 大塚・小山 石 1 2 1 4 石 1 5 2 8 山石 1 3 1 5 10 石 3 1 1 5 山石 1 1 石 1 1 山石 1 1 2 7 石 3 3 石 1 1 2 川 1 1 4 川 1 1 2 石 1 1 川 1 3 4 6 在地 川 1 1 石 1 1 ー 川 1 1 2 石 1 1 山石 1 1 川 石 1 1 石 2 2 1 1 1 7 石 1 1 2 川 1 1 3 御 石 1 1 2     35 125 56 83 67 33 26 8 6 43 表₆ 二条城堀川石垣材の石種と矢穴跡の時期 石    16 中期か    跡      1 前 文 和 中期 明 大 和 2 5 38 33 78 1 1 1 3 4 1 7 7 5 20 1 1 6 16 15 37 石 1 1 1 3 1 1 1 1     4 20 66 56 146

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(38)

が 石し いたことが る 谷 と 山 二 や 、 印 印 がみ れ、 じ大名が 石し いたことが る

₆.おわりに

 石切場跡 石 中 されれば 跡や 印が る石がみ れ、 石 るが、 石が し おれば 石跡 ない 谷 石 石 宮 地 り上部 石 ( 石 御 石と される ある)、 山 石 山にある 石 に され、これ 石 となるが、 か 和にか 石垣 とし に され いることが明 かとな た こと ある  また、二条城 堀川 い 石垣につい 跡 か れば、こ 石垣 に 和 跡が み れること、また、 和 跡がある石 と るに に いことか 、 石垣 も し 、大 な石垣 が 和 になされ た がある こ 期 川 光にあたる 表₇ 二条城堀川石垣材の矢穴跡の形状と石種と銘・刻印比較 石       跡  16 紀中 〜文 和〜 中期     ( 石) リ北紀 ( 谷 石) ( 山 石) 石 (大塚・小山 石) (大塚・小山 石) 写真70 二条城堀川石垣の刻印 「平四つ目」N②(N2-1) 写真69 二条城堀川石垣の刻印 「平四つ目」N①(N2-1) 写真72 二条城堀川石垣の刻印 「角立ち四つ目」N④(N2-1) 写真71 二条城堀川石垣の刻印 「平四つ目」N③a「四角」N③b

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写真74 二条城堀川石垣の刻印 「二重四角」N⑥(N3-1) 写真73 二条城堀川石垣の刻印 「平四つ目」N⑤(N3-1) 写真80 二条城堀川石垣の刻印 「四角」N⑫(N2-1) 写真79 二条城堀川石垣の刻印 「平四つ目」N⑪(N3-1) 写真78 二条城堀川石垣の刻印 「四つ目」N⑩(N5-1) 写真77 二条城堀川石垣の刻印 「二重丸」N⑨(N8-1) 写真76 二条城堀川石垣の刻印 「二重丸」N⑧(N6-1) 写真75 二条城堀川石垣の刻印 「四角」N⑦aと「丸」N⑦b

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写真82 二条城堀川石垣の刻印 「六」C②(C10-1) 写真81 二条城堀川石垣の刻印 「八」C①(C5-1) 写真87 二条城堀川石垣の刻印 「是より紀州」C④(C21-1) 写真85 二条城堀川石垣の刻印 「逆L」S②(S8-2) 写真86 二条城堀川石垣の刻印 「鼓形」S③ 「二重四角」S③a(S12-2) 写真84 二条城堀川石垣の刻印 「十」S①(S3-1) 写真83 二条城堀川石垣の刻印 「山」C③(C12-1)

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₁.調査経緯

  年 調査 、 期か 期にか 、大 市日根 中学 区、萬明寺( 市) 行 た 日根 中学 区 調査につい 、 報告書 行 る とな おり、 下 、萬明寺本堂 調査につい に報告 る

₂.萬明寺本堂の調査

(₁)萬明寺について  萬明寺 、 市 町西 に所在 る 真 本 寺 寺 ある 内 、西 集 ほ 中 、 に る西 路か し北に入 た とこ に る 内 東 に山門 き、 地中 に本堂が所在 る さ に本堂 西に が つ   寺 、寺 名 に ると、1532( ) 年に田中 場とし かれたという ある 本 寺 10 か 下 された 書きに、 年 とあり、これ 期・ にあ いると れる もと 神社 西 にあり、 ちに寺 在地 したと る( ) さ に、1700( 13)年に 、14 か 仏 いることがわかる  堂 につい 、寺 文書な か 期 な が明 かとなる

2016年

調査

 1825(文 ₈)年に 、 行 間、 間 間 本堂が 大 に んだた 、西 村 あ た大和 山 寺社 行 い いる さ に、旧本堂 な 行うに 小 あ た う 、 にあた 大したいとし いる こ とき 書とともに し した 本堂 に ると、 行 間、 間 間 前 に一間 が る 、 面 に る あ たことがわかる 史 ₁ さ に、 面 に奥行き二間 仏間 おり、仏間 か 一間 き し いる 本堂 、1835( )年 ま いた う 、 年 月に寺社 行所 が んだこと いる 史 こ が 在 本堂 ある  また、1852( )年か 、山門 に し いる こ とき れた門が 在 山門 ある 1853年11月に 寺社 行 い 、 年 月に 京都大 中 るた に 書 し した 書 しか 大 西 村 あ た ことがわかる こ とき やかに 、 1855( )年に 山か り し いる る がおもに い れ おり、これ な 小 に いたと われる 上 な 期 明なが 、 絵 な か ると、これか 間もなく したと れる  山門 小 な 門 ある 面 間に るとともに、 上に ん るという なつくり ある に り き 調査 しなか たも 、 に 上 な遺 ある (₂)萬明寺本堂の建築的特徴について   年 、 内 うち本堂 明 かに るた 、 面 、 ・関 史 調査 した 下に 萬明寺本堂   行14.3 、 間15.6 、入 、 一間、 面 下 、 1835年 (  寺 文書)        大 絵   中 なし 入  切  内      中 なし 一   二 大            中 図16 萬明寺配置図 N

(42)

 二  本堂 、中 面し つ と内 前 に 、内 に 間 る 真 寺 本堂 つ 面に 広 、 りに と る やや しい に 、 御 一 田中 夫 がある 夫 期 史 に 那 とし 登場し おり、 史 門 とな た と れる   、 とした 、 面 間、奥行 間 ある 中 一本 つ二 に 、内部 写真93 萬明寺本堂向拝見返し 写真91 萬明寺本堂妻飾 写真92 萬明寺本堂向拝虹梁絵様 写真90 萬明寺本堂正側面全景 写真89 萬明寺山門虹梁絵様 写真88 萬明寺山門正側面全景

(43)

行に る 中 行に 、 内 み 一 いる さ に、 行にも し、 内 る  内 、 間に る さ に、 間に した 間 入れ、内 り いる  内 門 ある 広い内部 間 るた か、 奥行き やや くと いる 面 い 、 し上部 彩 彩  内 間 、 跡か 、もと 一 く が入 いたことがわかる に 二本 が 写真99 萬明寺本堂座敷 写真97 萬明寺本堂内陣 写真98 萬明寺本堂余間 写真96 萬明寺本堂外陣架構 写真95 萬明寺本堂外陣見返し 写真94 萬明寺本堂外陣

(44)

れ おり、 間 切れる うにな いたと れる   間 奥行き二間 、 奥部に一間 し 仏 る 仏 上部に とともに、 上 小 に る 絵 く   年 、大和 山 に本堂 報告した文書 か 、1835( )年 と ることが きる 絵 な も となる 内 じ 所 に い、かつ るな 、 期 が く れた に な遺 ある  さ に、西 路 いに 寺 とともに 、 西 とな おり、 な とな いる 参考文献   日本歴史地名大 25   地名 ( 社、1 1 年)   編 ( 文堂書 、1 72年)   町 編さん 編 町 ( 町、 1 87年) 図17 萬明寺本堂平面図 N

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ふ り が な きょうとたちばなだいがく れきしいさんちょうさほうこく 書    名 京都橘大学 歴史遺産調査報告 2016 副   書   名 山科大塚・小山石切丁場、御香宮神社、二条城堀川石垣、萬明寺本堂 シ リ ー ズ 名 京都橘大学 歴史遺産調査報告 シリーズ番号 10 編 著 者 名 一瀬和夫 登谷伸宏 広瀬侑紀 嵯峨根絵美 垣内彩那 奥田 尚 編 集 機 関 京都橘大学 文学部歴史遺産学科 所   在   地 〒607-8175 京都市山科区大宅山田町34 TEL. 075-571-1111 発 行 年 月 日 2017年₃月31日 所ふ り が な収 遺 跡 名 所ふ り在 地が な 市町村 遺跡番号コ ー ド 北緯 東経 調査期間 調査面積 調査原因 伏 ふしみじょうあと 見城跡 京 きょうとしふしみくももやまちょう 都市伏見区桃山町 古 こじょうさん 城山 26100 1172 34° 56′ 13″ 135° 46′ 52″ 2015年₈月17〜 20日 11月14日 学術調査 大 おお 塚 つか ・・小こ山やま 石 いし 切 きり 丁 ちょうば 場跡あと 京 きょうと 都市し山やま科しな区く大おお塚つか・ 小こ山やま 26100 641 34° 58′ 35″ 135° 50′ 16″ 2016年₄月30日 ₇月₃日 ₈月₇〜10日   14〜17日 12月23・25日 学術調査 御ごこうぐうじんじゃ 香宮神社 京 き ょ う と し ふ し み く ご こ う ぐ う 都市伏見区御香宮 門 もんぜんまち 前町 26100 34° 56′ 05″ 135° 46′ 03″ 2016年11月 4・5日 学術調査 旧 きゅうにじょうりきゅう 二条離宮 ((にじょうじょう) 二条城) 京 きょうとしなかぎょうく 都市中京区 二 にじょうほりかわにしいる 条堀川西入る 26100 A453 35° 01′ 46″ 135° 75′ 18″ 2016年₉月30日 10月₁日 学術調査

報 告 書 抄 録

京都橘大学 歴史遺産調査報告 2016

山科大塚・小山石切丁場、御香宮神社、二条城堀川石垣、萬明寺本堂 発 行 京都橘大学 文学部 〒607-8175 京都市山科区大宅山田町34 ℡ 075-571-1111 発行日 2017年₃月31日 印 刷 ㈲ 真  陽  社 〒600-8475 京都市下京区油小路仏光寺上ル ℡ 075-351-6034

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参照

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