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ワークショップという熟議民主主義 - 「日本型熟議民主主義」の可能性 -

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(1)Mem.S c h o o . lB .O .S .T .K i n k iU n i v e r s i t yN o .1 7: 5 1' " ' '62 ( 2 0 0 6 ). 5 1. ワークショップとしづ熟議民主主義 「日本型熟議民主主義」の可能性新田和宏. l. 要旨 本稿は、日本における熟議民主主義の実践的な展開を、「市民会議Jもしくは「市民委員会 Jでの「ワー クショップという熟議民主主義」として捉える。日本では、参加民主主義を実質的かっ制度的に保障すべ き「参加の制度設計」を模索する中から、基礎自治体レベルにおいて、市民が政策形成過程に参加する「市 民会議J・「市民委員会J方式が試みられてきた。その「市民会議Jの内実を冷静に観察すると、そこでは 「ワークショップという熟議民主主義」と呼ぶべき「日本型熟議民主主義」が展開されている。 そして、本稿では、「ワークショップという熟議民主主義」を設定すべき要件とは何か、. またそれを促. 進する要件とは何か、としづ問題意識に基づきながら、それらの基本要件を考察する。そのような考察か ら、「ワークショップという熟議民主主義Jを担うブアシリテーターという新しいタイプの政治的サブ・リ ーダーに注目する。さらに、何故に、日本では、熟議民主主義が「ワークショップとしヴ熟議民主主義」 として展開してきたのか、その理由を「新しい政治文化」の出現に探る。. 1.問題の所在 c i t i z e np a r t i c i p a t i o n ) は当たり前の時代を迎えた。市民参加を前提としない政策形成、 いまや、市民参加 (. 政策実施、および政策評価は考えられない時代を向かえたといっても決して過言ではない。市民参加なし g o o dg o v e r n a n c e ) の正当性など確保できょうもない。かつてヨゼフ・アロイ に、グッド・ガヴァナンス ( o s e p hA l o i sS c h u m p e t e r ) を源流とする「現代民主主義 ( c o n t e m p o r a r yd e m o c r a c y )論 」 ス・シュムベーター(J. は、市民の参加が民主主義体制を不安定にさせる契機であると看倣し、参加を選挙の際における投票参加 に極力限定しようとする立論を展開してきたが、まさに隔世の感すらある。最早、<市民は選挙の時だけ 主権者たりえる>と榔撤された時代は過ぎたといえる。 しかしながら、わたくしたちは、少し冷静になって、市民参加の事態を見定める必要があるだろう。先 進的な地域では市民参加が当たり前と了解されているが、未だに市民参加が珍しい地域も決して少なくな い。その先進的な地域においても、やはり参加する市民の数は依然として限られている「絶対数の制約」 という厳然たる事実がある。参加する市民の絶対数は限られ、実際のところ、参加者は地域の総人口の数 ノミーセントをしめるに過ぎない。要するに、市民参加の地域間格差や少数参加という課題が残っているわ けである。それと、市民参加の中身の課題もある。市民参加が、行政サイドにとって市民のくアリバイ参 加>を取り付ける性格として欲せられているものなのか、それとも実質的な参加に値する性格を期待され ているものなのか、その両者の聞には市民参加の中身や質という点で大きな違いがある。 かつて、「脱物質主義的価値観 ( p o s tm a t e r i a l i s tv a l u e )Jや「新しい社会運動 (news o c i a lmovements)Jの p a r t i c i p a t o r yd e m o c r a c y ) 論」は、市民が重要な政治的議論や政策決定に参加 流れを汲む「参加民主主義 (. できず疎外されている既存の「現代民主主義体制 J に対し異議申立てを行なったが、今日では、参加民主 主義の主要論点は、市民参加を如何に実質的にかっ制度的に保障するべきか、という点に移り変わってい る。要するに、「市民参加の制度設計Jが論点となっているのである。往年の「参加民主主義論Jが危倶し. 原稿受付. 2005年 1 1月 14 日. 1 .C o u r s eo f T e a c h e rT r a i n i n ga n dL i b e r a lArts , K i n k iU n i v e r s i t y , Wakayama6 4 9・6 4 9 3, J a p a n ..

(2) 5 2. M e m o i r so fT h eS c h o o lo fB .O .S .T .o fK i n k iU n i v e r s i t yN o .1 7 (2006). た、参加の制度化によって市民参加そのものがく体制内化>するほど、今日の市民参加の思想、と運動は惰 弱ではないものの、改めて「市民参加の制度設計」における固有の難しさが、市民参加の実践を通じて経 験的に理解されてきている。市民参加は、思想であり、運動であり、そしてまた制度であるが、いまその 制度および「市民参加の制度設計」の在り方や内容が問われているのである(1)。 ところで、「市民参加の制度設計」という問題関心から欧米の市民参加に目を転じてみると、熟議民主主 義 ( d e l i b e r a t i v ed e m o c r a c y ),(2) の実践が注目に値する。そこでは、<当たり前>となった市民参加を実質 的にかっ制度的に保障オる一つの試みとして熟議民主主義が実践されている。デンマークで始められオラ ンダ、イギリス、ニュージーランド、スイスで採用されている「コンセンサス会議 ( c o n s e n s u sc o n f e r e n c e )J 、 デンマークの「シナリオ・ワークショップ ( s c e n a r i ow o r k s h o p )J、スイスの「パブリ・フォーラム ( p u b l if o r u m )J、 ドイツの「計画細胞 ( P l a n n u n g s z e l l e )J 、イギリスの「市民パネル ( c i t i z e n s 'p a n e l s )Jや「市民陪審制 ( c i t i z e n s ' 、アメリカの「フュチャー・サーチ(白加r es e a r c h )Jや「シヤレット ( c h a r r e t t e )Jなどである。こ j u r i e s )J のうちドイツの「計画細胞」は、例えば、都市計画や高速道路建設、レクリエーション構想、エネルギー 供給、廃棄物計画、再開発計画などの政策的テーマについて、無作為抽出で選ばれた市民が、約 2 5名ごと のグループに分かれ、さらに 5名の「細目包」に分かれ、かつまた「細目包」の中のメンバーも入れ替えなが ら 、 4 日間に渡って集中的な熟議を行ない、「細胞」や各グループ。における熟議を集約し政策提言を行なう。 このような「計画細胞 J1 こ参加した市民の熟議の成果である政策提言を、行政は十分に配慮、した上で政策 形成を行なうことになる. 。. (3). 欧米における熟議民主主義という視座から再び日本を見つめてみる。日本では、熟議民主主義に値する ものが、基礎自治体レベルで試みられている「市民会議J もしくは「市民委員会」方式におけるワークシ ョップとして実践されていることに気づく。 「市民会議」は、基本的に、行政のイニシアティブによって開催され、公募で集まった市民が、ワーク ショップを通じて、基礎自治体の基本構想や環境基本計画、健康増進計画 素案を策定することを目的としている. 並びに各種条例案などの政策. 。策定された政策素案が、ほぼそのまま採用されるケースも多い。. (4). わたくしたちがこの「市民会議」に強い関心を寄せる理由は、「市民会議」としづ方式が行政の政策形成過 程に実質的な市民参加を保障しつつ、かつまたその政策形成過程にワークショップを採用することによっ て、いわば「ワークショップという熟議民主主義」と呼ぶにふさわしい実践を展開しているからにほかな らない. 。また、「ワークショップという熟議民主主義」は、日本における熟議民主主義の具体的な実践. (5). 形態であり、換言すれば、「日本型熟議民主主義」と表現できる。 実は、「市民会議J における「ワークショップという熟議民主主義J は、試行錯誤をともないながらも、 日本の各地域において 内発的かっ自生的に構築されてきた「下からの民主主義」の在りのままの姿であり、 d. それこそく手づくり>によって編み出されたものである。しかしながら、この「ワークショップという熟 議民主主義 J は、内発的かっ自生的に構築されてきたが故に、一定のマニュアルや統一的な規格が存在す るわけではない。<手づくり>である所以である。したがって、「ワークショップという熟議民主主義Jは 、 これを体験した当事者のあいだで体験的に了解され、第三者的な理解を欠いている。 そこで、本稿は、「ワークショップという熟議民主主義」のマニュアルや規格を提示する意図はないが、 「ワークショップという熟議民主主義」の実効性を確保するための基本的な設定要件(フレーム・デザイ ン)と促進要件(フ。ロセス・デザイン)を見極めることとしたい。後述する設定要件と促進要件は、少な くとも、「ワークショップという熟議民主主義 Jの実効性を確保するにあたってのメルクマールあるいはま たチェック・ポイントという性格を持つことになるだろう。また、本稿は、「ワークショップという熟議民 主主義」の設定要件と促進要件の見極めるとともに、「日本型熟議民主主義」の特性とその可能性を展望し てみたい。.

(3) 5 3 ところで、本稿は、「市民会議Jにおける「ワークショップという熟議民主主義」という<小さな政治的. m i c r o p o l i t i c s ) による考察である。しかしながら、その考察 事象>を対象にしたミクロ・ポリティクス ( d e m o s ) は、民主主義の本質論的な検討にも関連する。民衆 (. 市民による支配 ( k r a t i a ) としづ民主主義. には、市民の「参加 ( p a r t i c i p a t i o n )J と「熟議 ( d e l i b e r a t i o n )J に基づく 「自己決定 ( s e l f d e t e r m i n a t i o n )J もしくは「自治 ( s e l ι g o v e r n m e n t )J という契機が連動することによって成り立つ理念・思想である。その ような民主主義が、実は、「ワークショップとしづ熟議民主主義」で生き生きと具現化されている。「ワー クショップとし、う熟議民主主義」への考察は、民主主義の在り方についても、改めて、わたくしたちにそ れこそく熟考>を迫るものである。 2. r ワークショップという熟議民主主義」. 熟議民主主義とワークシッフ。は、もともと、極めて強い親近性を有する。まるで両者には合流を促す DNA が備わっていたかのようである。 熟議民主主義は、民主主義の熟議という契機を改めて評価し、十分な熟議に基づいた合意形成と政策形 成の導出を指向する。他方、ワークショップは、く対話を通じて一定の合意を創造する場>といえる。こ のようなワークシップが、政策形成過程の中に導入されると、<民主主義的な熟議により政策を創造する 場>となる。思うに、ワークショップは熟議民主主義を体現しているといっても過言ではない。ワークシ ョップに参加したメンバーは、基本的に、誰もが対等な存在であり、お互いに尊重される。ワークショッ プでは、自分自身の意見や考え方、あるいはアイデアや思いつき、時にはつぶやきや噴きすら自由に表明 ができ、それが他のメンバーに受け入れられる。メンバ一一人一人の自尊感情(s e l f e s t e e m ) もしくは自 己有意感が確証されながら、メンバーどうしの対話が丁寧に積み重ねられ、総じてブレインストーミング によるコミュニケーションを深めつつ、グループ。内で一定の考えや合意を形成する. 。. (6). かくして、熟議民主主義における熟議という契機に、ワークショップにおけるブレインストーミングに よるコミュニケーションという契機がオーバーラップすることによって、「ワークショップとしづ熟議民主 主義 J がその姿を現す。そして、「ワークショップという熟議民主主義 j は、「市民会議 J という制度的な 枠組みの中において実践される。 3. r ワークショップという熟議民主主義」の設定要件. 最初に、確認しておかなければならない点がある。「市民会議」や「市民委員会」方式が、そのまま実質 的な市民参加を保障じ、かつまた「ワークショップという熟議民主主義Jの実践を保障するわけではない、 という点である。そこで、本稿は、「市民会議Jにおいて「ワークショップとしづ熟議民主主義」の実効性 を確保するための設定要件と促進要件を明らかにすることを目的としている。それでは、下記の通り、そ の促進要件について 5点にわたり指摘してみよう。 i) r 普通の市民 Jの参加. 第 lの設定要件は、何よりも、「普通の市民J の参加である。 周知の通り、「市民会議」は、行政が十数名程度の有識者や団体代表者などを指名した上で開かれる審議 会とは性格が異なる。「市民会議」は、審議会と同様に行政がイニシアティブをもって開かれるものの、基 本的には、行政が公募(場合によっては 100%公募)をアナウンスし、それに応じて集まった「普通の市 0 ' " ' " ' 1 0 0名程度)。このように「市民会議Jは、公募という手続 民」の参加によって構成される(参加者数 2. きに基づいて集まった「普通の市民J が相当数(相対的多数から過半数以上、場合によっては全員)を占 めることに特徴があり、その点が審議会とは性格を異にする。.

(4) 5 4. M e m o i r so fT h eS c h o o lo fB .O .S .T .o fK i n k iU n i v e r s i t yN o .1 7 (2006). ところで、この場合の「普通の市民J とは、行政が公募を行い、その公募としづ手続を通じて集まった 市民を意味する。要するに、「普通の市民Jは「公募市民Jである。「市民会議j は、「普通の市民 Jが中心 となって構成されることに積極的な意義がある。特に、地域の環境基本計画や健康増進計画などの場合、 政策の実施段階において、し 1かに「普通の市民」を巻き込むかが政策の実効性を高めるために重要なポイ ントとなるため、政策の実施段階の前段階にあたる政策の策定段階から、「普通の市民」が参加し、実効性 のある政策形成に関与することが併せて重要なポイントとなる。学識経験者や専門家などの有識者、各種 団体・協会の代表者、並びに NPOスタッフなどの「専門市民」と異なり、「普通の市民」には、日々地域 に根ざした生活を営む「生活当事者 Jとしての立場と意見がある。「市民会議」方式は、「声無き多数者 ( s i l e n t m司o r i t y )Jであるところの I普通の市民j が「生活当事者」として、<生の意見>を表明し、その意見が. 十二分に配慮・反映されることが望ましい。 しかしながら、理想的な「普通の市民」が「市民会議」に相当数、参加してくるとは限らない。また、 実際のところ、公募の「市民会議j に参加するほど意識の高い「普通の市民」は、何かしらのパック・グ ラウンドや利害関係などを有している場合が少なくない。但し、そうした「普通の市民」で、あっても、や はり、「生活当事者」としてのセンスを代表するく高い意識>が求められる。. i i )r 普通の市民」以外のアクターの参加 第 2の設定要件は、「普通の市民」以外のアクターの参加である。 一般に、「市民会議Jは 100%公募の「普通の市民」だけによって構成され、また毎回の「市民会議」も 「普通の市民Jだけによって進められ、その結果、「普通の市民Jによる政策素案が形成されるという固定 観念、がある。しかしながら、それは「市民会議」という公的な組織を、公募によって集まった「普通の市 民」が自主管理 ( s e l f m a n a g e m e n t ) しつつ、最終的に政策提言 ( a d v o c a c y ) を行なうとしづ事態を意味し ている。このような固定観念では、市民団体や NPOからの政策提言と大同小異といえる。 そもそも、「市民会議」方式に基づく市民参加は、参加主体の市民が行政へ参加するというシステムであ り、換言すれば、行政が所轄する政策形成過程への制度的な市民参加であり、かつまた市民と行政との協 働的な政策形成が予期されている。「市民会議Jは、一応、市民から行政に対する政策提言としづ契機を含 むものの、市民と行政の協働による政策形成に意義がある。また、「市民会議」での協働であるが故に、行 政は市民の参加と意見に敏感になる。 ところで、この場合の「普通の市民J以外のアクターとは、担当行政スタッフの他、学識経験者や専門 家などの有識者、各種団体・協会の代表者、並びに NPOスタッフなどの「専門市民J、そして関係者や当 事者、あるいはまた地方議員などである。「市民会議」の中に、「普通の市民」以外のアクターが加わるこ との積極的意義は、「ワークショッフ。という熟議民主主義」の熟議の内容そのものを深め、導出する政策の 実効性・有効性および現実妥当性を確保しようとするためである。 もちろん、「普通の市民J と行政スタップや「専門市民」との聞に上下関係があるわけではなく、「市民 会議」に参加するメンバーは対等であり、あくまでも対等なコミュニケーションが求められる。この点は、 「ワークショップとしづ熟議民主主義」の促進要件と関係するので、その先の議論は次節に譲ることとし よう。 但し、ここで問題となる点は、地方議員の参加である。「市民会議」の構成メンバーの中に、予め「議員 枠」というものが設けられており、これに基づき議員が「市民会議」へ参加するケースがある。また、議 員が一市民の立場で「普通の市民」として参加するケースもある。いずれにしても、このような場合、議 員に求められる「職業としての政治家」の資質がある。それは、議員で、あっても、「市民会議Jにおいては、 党派性を出さず、「生活当事者 Jである「普通の市民」の代表であることを自覚し、また他のメンバーと対.

(5) 5 5 等であることを忘れず、そして「市民会議」で策定された政策素案を議会へ誠実に伝え、議会として政策 素案に最大限の尊重を払うように働きかけることである。 尚、「市民会議」方式は、地方議員および地方議会との関係、とりわけ代表制=議会制民主主義との関係 を巡って、実は深刻な本質論的な問題が潜在している。その要点を簡潔に明らかにしてみよう。本来、条 例の制定や政策の策定は、選挙によって選ばれた地方議員および地方議会が担う仕事である。しかしなが ら、「市民会議」のメンバーは、あくまでも公募に応じ自発的意思で参集した個人で、あって、選挙を経てい ないこともあり、市民を代表しえる存在ではない。また、「市民会議」のメンバーの人数をカウントしてみ れば、当該基礎自治体の人口比から計算すれば、数字の上ではく圧倒的な少数者>でしかない。そこから、 かような「市民会議J のメンバーが、市民を代表しているといえるのか否か、という根本的な疑問が生じ る。それと、そもそも、「市民会議」が政策形成に関与する正当性 O e g i t i m a c y ) を有しているのか否か、 という「市民会議」それ自体の存在の拠り所に関しても疑問が生じる。要するに、「市民会議」は、代表制 =議会制民主主義に著しく抵触してくるわけである。 ところが、地方議員および地方議会にも重大な問題がある。地方議会選挙の投票率の低さ、絶対的な得 票数が些少でも特定の利益団体の代表が当選できる状況、古典的な f 名望家支配」を千方練させるような有 力議員の世襲制的な当選状況、地方議員および地方議会における条例策定力・政策策定力の低下等々に着 目すると、とても健全な代表制=議会制民主主義が機能しているとは言いがたい。ょっぽど、「市民会議」 における「ワークショップという熟議民主主義 J の方が、議会本来の機能を果たしているともいえる。要 するに、基礎自治体レベルにおける代表制=議会制民主主義の形骸化という問題である(7)。 そこで、「市民会議」方式は、代表制:議会制民主主義を補完すべき「準直接民主主義」の具体的な制度 という位置づけを与えるのが現実妥当的なところである。いずれにしても、「市民会議」の公的な位置づけ、 すなわちオーソライズは、少なくとも、担当行政セクションの内規である要綱に基づく必要がある。しか し、今後は、後述の市民参加条例によって「市民会議」がオーソライズされ、かつまたその正当性が担保 される必要があるだろう。. i i)事務局の確立と「市民会議」のオーソライズおよび横断的な庁肉体制の確立 第 3の設定要件は、政策形成を担当するセクションが「市民会議Jの事務局を担い、「市民会議」を要綱. などによってそのプレゼンスをオーソライズし、かつまた策定される政策が他のセクションに関連する場 合に備えて横断的な庁内体制を確立することである。 「市民会議」にとって事務局のモチベーションは極めて重要である。そのモチベーションが低いと、「市 民会議」は成立しないといって過言ではない。また、「市民会議」は、尼大な時間と手間ひまがかかり、そ して丁寧な積み重ねが必要とされる。「市民会議」を主催する担当の行政スタッフには、それ相当の事務局 能力が求められる。そして、何よりも、事務局の行政スタッフに市民参加を受け入れる度量の広さと、市 民と協働して政策を形成するコラボレーション技量が求められる。それは、市民参加が当たり前の時代に おいて行政スタッフが兼ね備えるべき不可欠の資質であり能力であるといえる。 先に触れたことに関係するが、「市民会議」を担当するセクションは、必ず事前に要綱などによって、「市 民会議」の最終目標や役割、組織などについての概略を文書化し、「市民会議」の存在をオーソライズしな ければならない。 特に、要綱では、「市民会議」が策定する政策素案の内容とその行方を明示する必要がある。内容とは、 「市民会議」が最終的に取りまとめる政策素案の中身とそのレベルであり、具体的には、条例案なのか計 画案なのか、市民や事業者の行動変革を促す指針や行動計画なのか、それとも市民公園の再整備などの事 務事業レベルにおける市民発のアイデアを集約するものなのか等々、その点をはっきりしなければならな.

(6) M e m o i r so fT h eS c h o o lo fB .O .S .T .o fK i n k iU n i v e r s i t yN o .1 7 (2006). 5 6. い。また、行方とは、例えば、担当行政セクションが公募により集まった「市民会議」の参加者に対して 政策素案の策定を諮問し、そして「市民会議J はその政策素案を策定することを最終目標とし、その策定 された政策素案は行政サイドで修正を施された上(施されない場合もあるが)で、パージョン・アップされ、 政策原案として首長もしくは議会に提出される云々という旨を、要綱に明記するようなことを意味する。 この行方が唆昧にされると、一体何のための「市民会議」だったのかわからなくなる。 尚、ユルゲ、ン・ハパーマス ( J u r g e nH a b e r m a s ) は、「協議的政治の成功は、集合的行為能力をもっ市民層 にかかっているのではなく、適切な手続きコミュニケーション前提の制度化、そして制度化された審議と 非公式の世論との協働にかかっている J(8) と指摘しているが、「制度化された審議j に値する「市民会議」. p r o c e d u r a ld e m o c r a c y )J に配慮することが肝要である。 の公的な手続きを確定し、「手続き民主主義 ( 「市民会議」のオーソライズに関連して附言すると、今後は、基礎自治体レベルにおいて、自治基本条 例により市民参加を一般的に保障し、併せて市民参加条例により「市民会議J のような市民参加の具体的 メニューを明記しながら、市民参加を制度的に保障するオーソライズの方向が好ましい. 。 ). (9. それから、「ワークショップという熟議民主主義」はくケミストリー(変化) >と形容されるほど、参加 したメンバーの英知により、思いもよらぬ画期的な政策が提起されることもある。それが、担当セクショ ンを越境し、他のセクションと関係する場合が生じる。その際、柔軟に対応できる横断的な庁内体制が確 立されていることが望ましい。これは、行政としても、総合政策を進める上で、セクショナリズムに拘泥 せず、適切な配慮、を行なう必要がある。このように、「ワークショップという熟議民主主義 Jが発する<ケ ミストリー>は、庁内体制や行政文化にまで変化をもたらす潜在的可能性をもっといえる。. i v ) 工程表の確定と目標の設定 第 4の設定要件は、「市民会議」の工程表(スケジューノレ)を作成し、各回の「市民会議」の目標を設定 することである。 「市民会議Jが「ワークショップとしづ熟議民主主義」としての実効性を確保するためには、「市民会議J の期間や回数の設定は大変重要である。概ね、 1年という期間において、月 1回(約 3時間)のペースで 合計 1 2回の「市民会議Jを開催するのが取り敢えず標準パターンといえよう。しかし、実際のところ、「市 民会議プラス・アルファー」というべき自発的な集まりやフィールド・ワーク、ヒアリング調査、有識者 や当事者を招いた勉強会、また事前・事後調整会議などが標準パターンに加わる。「ワークショップという 熟議民主主義」は、尼大な時間を必要とする「スロー・ポリティクス ( s l o wp o l i t i c s )J という性格を有す るのである。 事務局は、「市民会議Jのメンバーのアイスプレイキング、政策課題の発見、課題意識の共有、諸課題の 構造連関の分析、優先すべき政策課題、政策課題を解決するための基本的な方向性とアプローチ方法・手 段、そして政策素案の提示あるいは基本理念一政策 ( p o l i c y ) -施策 ( p r o g r a m ) 一事業 ( p r o j e c t ) から構 成される政策ツリーの提示、数値目標の提示、モニタリンングや政策評価の手法、並びに報告書の制作方 法と発行などを、いつ行なうかについて、その工程表を確定する。そして、工程表には、各回の「市民会 議」の目標が設定される。例えば、 6回目に至り、政策課題を解決するための基本的な方向性と方法・手 段を「市民会議」のメンバーが共有することが目標として掲げられる。こうして、「市民会議」に参加した メンバーは、「市民会議J の大方の成り行きを了解しえるわけである。 尚、基本的に、工程表は事務局が確定するが、その際、「市民会議」の議長もしくは代表、それからフア シリテーターが加わって、工程表を確定しでも構わないし、「市民会議 Jの進展に応じて、柔軟に工程表を 変更しバージョン・アッフ。を図っても差し支えないだろう。.

(7) 5 7 v) r 市民会議」のルールの共有とアサーティブネスの確証. 第 5の設定要件は、「市民会議J を「ワークショップとしづ熟議民主主義 J として進行していくために、 参加者の間で、基本的なルールを共有し、あるいはまた参加者がアサーティブネス ( a s s e r t i v e n e s s:非攻撃的 自己主張)について相互確認、を行なう必要がある。通例、この共有や相互確認は、最初に開く「市民会議J において、「市民会議」を進行するファシリテーター ( f a c i l i t a t o r ) のイニシアティブによって行なわれる。 尚、この場合の基本的なルールは、ワークショップのルールが、ほぼそのまま援用できる。ルールは、 概ね、次の 5点にまとめられる。①.参加者は対等であり、基本的に、自分自身の意見や考え、あるいは 意見や考えまでには至らない思い付きなども自由に発言できる。②.但し、演説や長時間の発言は原則禁 止される。③.参加者は他の参加者の発言を真撃に受け止め、批判や否定は禁じられる。④.参加者は持 論にこだわらず合意点を見出せるように努める(自己主張と合意形成には同等の価値がある)口⑤.楽しい 雰囲気を醸し出し、活発なブレインストーミングが行なえるように、お互いが配慮し働きかける。 このようなルールを共有するということは、言い換えると、アサーティブネスについて相互確認を行な うということである。アサーティブネスとは、自分自身が尊重されると同時に、相手も尊重される関係性 とコミュニケーションの状態である。「ワークショップという熟議民主主義」は、ブレインストーミングに よるコミュニケーションを通して成立するが、この点をもう少し掘り下げると、そのブレインストーミン グによるコミュニケーションは. 参加者相互のアサーティブネスによって定礎されている。. アサーティブネスが確保されないと、「ワークショップという熟議民主主義」は成立しない。攻撃的 ( a g g r e s s i v e ) な自己主張により相手を論破・屈服させること、相手の発言を真撃に受け止めず、簡単に受. け流してしまう受動的 ( p a s s i v e ) な受け取り方ほど、「ワークショップという熟議民主主義 Jに馴染まない ものはない。「ワークショップとしづ熟議民主主義」は、議会のように、侃侃顎顎の論戦を展開する場では ない。もちろん、メンバーの間で、意見や感情の対立が生じ、さながら論戦の様相を呈する場合もあるけれ ども、その場合、後述するように、ファシリテーション・ツールを用い、冷静に対立点や共通点を整理し、 その得失を見極め、かつまた第三案をも提示しながら比較考量しつつ、さらなるブレインストーミングに よるコミュニケーションを促し合意点を探る努力がファシリテーターと全ての参加者に求められる。 4. r ワークショップという熟議民主主義」の促進要件. それでは、「市民会議」における「ワークショップとしづ熟議民主主義」を促進するための要件について の検討に移ろう。促進要件は次の 5点である。. i)政策思考の手順に基づいたファシリテート技法の展開 第 1の促進要件は、ファシリテーターによる政策思考の手順に基づいたファシリテート技法の展開であ る 。 通例、ワークショップの進行は、ファシリテーターによって担われる。「ワークショップという熟議民主 主義」にとって、ファシリテーターは決定的な存在といえる。ファシリテーターの活躍如何によって「ワ ークショップという熟議民主主義」の内容と成果が左右されるといっても、決して過言ではない。それほ ど、フアシリテーターは重要な存在なのである。今日、「ワークショップという熟議民主主義」が実践され る時代において、ファシリテーターは、新しいタイプの政治的サブ・リーダーと看倣すことができる。 一般に、ファシリテーターには、参加者から忌 障のない意見を引き出し、併せて参加者相互のブレイン J. ストーミングを促しながら、参加者の聞に意見の共有 ( s h a r i n g ) と一定の合意形成 ( c o n s e n s u s ) をもたら 資質や能力が求められる. 。しかし、「ワークショップとしづ熟議民主主義」を進行オるファシリテー. (10). ターには、このような資質や能力に加えて、一定のバック・グラウンドやコンピテンシー ( c o m p e t e n c y:.

(8) 5 8. M e m o i r so fT h eS c h o o lo fB .O .S .T .o fK i n k iU n i v e r s i t yN o .1 7( 2 0 0 6 ). 行動特性)が要求される口とりわけ、必要とされるパック・グラウンドとは、「市民会議 Jがテーマとする 政策課題に関する専門知識はもちろんのこと、他の地域や国における政策の状況、政策科学や NPM理論 の手法などである。また、求められるコンピテンシーとは、政策思考の手順に基づいたファシリテート技 法の展開、成果重視のブレインストーミングへの収数、政治的理性と政治的感情の弁証、並びに集団浅慮、 に陥らない配慮、である。 そのうち、ここでは、政策思考の手順に基づいたファシリテート技法の展開を取り上げよう。政策思考 の手順に基づいたファシリテート技法とは、政策を策定するための段階的な思考の手順を踏まえた上で、 参加者間の政策思考を促進するためのファシリテート技法である。 まず、政策思考の手順は、基本的に、次のような 7段階のルートを辿る。①政策課題の発見・認識およ び共有→②政策諸課題の構造連関分析→③優先すべき政策課題の特定化→④政策課題の解決に向けた基本 的な政策理念・政策目標の設定と政策アプローチ・政策手段の確定→⑤具体的な政策成果の確定およびそ の成果に関する測定可能な数値目標の確定→⑥政策ツリー(基本理念一政策-施策一事業)の策定→⑦モ ニタリングと政策評価の方法の提示(11)。但し、「ワークショップとし 1 う熟議民主主義 J は、実際のとこ. 000m級の山を登る極 ろ、この 7段階を行ったり戻ったりする。それは、ちょうど、高度順化しながら、 8 地法登山に似ている。尚、指針や行動計画、事務事業レベルのアイデアなどの取りまとめを目的とする「市 民会議」では、⑤や⑥など一部の手順をショート・カットすることになる。 こうした政策思考の手順を踏まえつつ、ファシリテーターのファシリテート技法(中には熟練した<職 人技>ともいうべきファシリテート技法)に媒介されながら、熟議=ブレインストーミングが深められる。 「ワークショップという熟議民主主義」の核心は、熟議という契機、すなわちブレインストーミングに基 づくコミュニケーションにある。それ故に、熟議=ブレインストーミングを促進するファシリテート技法 は、「ワークショップという熟議民主主義」にとって、いわば生命線といえる。 ブレインストーミング ( b r a i n s t o r m i n g ) は、直訳すれば「頭脳嵐」となるように、様々な情報が脳にイ ンプットされると、脳細胞は嵐のような刺激に見舞われ、そこから思いもよらぬ発想、が次々にひらめくと いうような状況を意味する。要するに、ブレインストーミングは、参加者が自由に色々な意見を出し合う ことによって、参加者がお互いに脳細胞を刺激し合い、一人で沈思黙考するよりも、ダイナミックな思考 生産を促すような状況である。 ファシリテーターは、ブレインストーミングを引き起こす仕掛けとして、 KJ法や特定因子分析、ウエツ ビング、クロス SWOT分析、フォース・フィールド分析などのファシリテート・ツール、並びにファシリ テーション・グラフッイクを用いる(12)。ファシリテート・ツールを用いることによって、参加者の聞に 思考を拡散させるとともに集中させ、再び集中させた思考を拡散させながら集中させる<拡散と集中>を 往復させる。例えば、政策思考手順の第 1段階にあたる<政策課題の発見・認識および共有>という場面 で 、 KJ法を用いたとすると、まず参加者が思い付く政策課題を付築などに次々に記し(拡散)、次に沢山 の付築を一旦整理・掲示した上で(集中)、またそこから刺激を受けつつ、新たな政策課題を付け加える(拡 散)。さらに、特定因子分析を用いて、政策課題を整理する(集中)。このように、思考がく拡散と集中> の往復過程を歩むということは、それだけ参加者の聞にブレンイストーミングを深めることにつながる。. i i)成果重視のブレインストーミンク、への収数 第 2の促進要件は、成果重視のブレインストーミングへの収数である。 政策とは、特定された政策課題に対して、その課題解決に向けた政策理念・政策目標を設定しつつ、そ. o u t c o m e )を の理念・目標を実現するために有効な政策アフ。ローチ・政策手段を選択し、所期の政策成果 ( 上げるための公共計画である。要するに、政策とは、政策成果を上げるための公的なシナリオ・プランニ.

(9) 5 9. ングである。このような、政策形成のために、ファシリテーターは、<拡散と集中>を伴いつつも、後半 から、成果重視を意識したブレインストーミングへ徐々に収数させていく必要がある。そうしないと、政 策形成の着地点にまで至らない。注意しなければならないのは、「ワークショップとしづ熟議民主主義Jは 、 議論のための議論ではないということである。高尚な政策理念や政策目標にだけ議論を終始するわけには いかない。 ファシリテーターは、策定しつつある政策素案が、一体、どのような政策成果を具体的に予期している のか、参加者に対して明確に意識するよう働きかけなければならない。それは、結局のところ、どのよう な状況の改善を予期しているのか、あるいは、どのような行動変容を予期しているのか、そうした点を具 体的に明らかにしなければならない、ということである。もちろん、政策の成果を予期すること自体、そ れは将来への期待であり予測である。その意味では、政策は数々の仮説が織り込まれたく夢物語>のシナ リオを描くことかも知れない。しかし、それ故にこそ、所期の政策成果を実現するために、政策アプロー チや政策手段を適切に選択することが重要である。成果重視のブレインストーミングによって、画期的な 政策アプローチや政策手段が導出されることが、「ワークショップという熟議民主主義」に期待される。 但し、熟議の結果として、政策素案が、首長や地方議会の判断に委ねられる内容を伴う場合がある。例 えば、温暖化効果ガス削減のため、パーク・アンド・ライド方式に基づき、ターミナル駅前とその周辺繁 華街・市街地への車両の進入禁止、大規模駐車場の確保とそのための用地の買い上げ、大規模駐車場とタ ーミナル駅を結ぶ代替的公共交通手段の確保などは、新たな条例の制定とともに、相当な「政治的判断」 を必要とする。実現するには、莫大なコスト、利害関係の調整、そして時間も必要とする。このように、 如何に画期的な政策アフ。ローチや政策手段が導出されたとしても、政策素案が取り敢えず政策形成過程の インプット・レベルで止められる可能性もある。それは、「市民会議」方式における市民の「自己決定」の 限界として理解せざるをえないだろう。. i i)政治的理性と政治的感情の弁証法 第 3の促進要件は、政治的理性 ( p o l i t i c a lr e a s o n ) と政治的感情 ( p o l i t i c a le m o t i o n ) の弁証に十分に配慮. することである。 o g i c a lt h i n k i n g ) によってもたらされる。論理的思考に定 政策形成は、政治的理性、就中、論理的思考(I. 礎されていない政策は、原則的にありえない。抽象的な政策理念・目標から具体的な所期の政策成果を措 定し、かつまたその政策成果を上げるための政策アプローチや政策手段を選定する作業は、正に論理的思 考に基づく。しかしながら、その政策を形成するのは、政治的理性と政治的感情を併せもつ政治的人間 ( p o l i t i c a lman) であり、なおかつ「ワークショップという熟議民主主義」に参加する「普通の市民 j であ. る 。 政治的感情とは、ある政治的価値に基づく心情や態度を意味するが、「ワークショップという熟議民主主 義J では、参加意欲、意見への熱い思い入れ、他者の意見に共感する心、共有し合意を形成しようとする 粘り強さ、あるいは自分自身の価値観に著しく抵触する意見への嫌悪感、高尚な政策理念・政策目標が現 実妥当な線で政策アプローチや政策手段へ落とし込まれた時の落差など、参加者の様々な政治的感情が行 き交う。そのような、政治的感情を理性的にコントロールしつつ、しかも、対立する政治的感情をもブレ インストーミングの原動力となるモチベーションに変換して「ワークショップという熟議民主主義」を進 行するのが、ファシリテーターの役割である。「ワークショップという熟議民主主義」は、政治的理性と政 治的感情の弁証法によって促進される。. i v )r 集団浅慮 j に陥らない配慮、.

(10) 6 0. M e m o i r so fT h eS c h o u lo fB .O .S .T .o fK i n k iU n i v e r s i t yN o .1 7( 2 0 0 6 ). 第 4の促進要件は、「集団浅慮J に陥らないための配慮、である。 通常、「市民会議」は回数を重ねるほど、特に同じ分科会の参加者どうしの意思疎通が円滑になり、熟議 の中でも共有や合意に力点がシフトすると、却って熟議そのものの深みが失われる恐れがある。同時に、 分科会の参加者の間で一種のコミュニティ意識(仲間意識)が形成され、他者の意見に安易に同調. ( c o n f o r m i t y)してしまう傾向すら現れるような場合がある。その際、注意しなければならないのは、「集 g r o u p t h i n k )J という落とし穴である口「集団浅慮 J とは、同調的なコミュニティのメンバーがあき 団浅慮、 ( らかな愚策に拘泥してしまう思考停止状態を意味する。 このような「集団浅慮、」に陥らせないために、ファシリテーターは、思考の<拡散と集中>の往復過程 を促し、時としては対案の提示や意見対立を誘発させながら、適切に「介入(i n t r o d u c e )Jする必要も出て くる。その際のファシリテート技法とじては、全体会の場で分科会から政策案の報告をしてもらい、敢え てきつい意見を提出してもらい、このような「撹搾 ( s h u f f 1e )Jを注入することによって、政策案のパージ ョン・アップをはかることも考えられる。「意見の違いは英知の始まり」と言われる所以である。 v) r 普通の市民」による政策素案の文書化. 第 5の促進要件は、「普通の市民」に手よって政策素案を文書化することである。 政策素案の文書化は、事務局の担当行政スタッフがアシストするものの、「普通の市民」が中心となって 行なわれるべきでる。「ワークショップという熟議民主主義」は、予め行政が示したく叩き台>に対して参 加者が異論を挟みながら修正案を採択し、これを政策素案とするやり方は邪道である。あくまでも、「ワー クショップとしづ熟議民主主義 J は、参加者がゼロ・ベースから政策素案を策定することを基本とする。 また、「普通の市民」が政策素案の文書化を行なうことは、「普通の市民」が責任ある当事者意識をもって もらうと同時に、実質的な市民参加を保障する最大の確証となる。 政策素案の要素は、①政策課題の明示、②政策諸課題の構造連関、③優先すべき政策課題の特定化とそ の理由、④政策課題の解決に向けた基本的な政策理念・政策目標の設定と政策アフ。ローチ・政策手段の確 定、⑤目指すべき具体的な政策成果およびその政策成果の測定可能な数値目標、⑥政策ツリー(基本理念 一政策-施策一事業)、⑦モニタリングと政策評価などである。政策素案の要素は、先に示した政策思考の 手順に準ずるが、事務局は、毎回の「市民会議」について詳細な記録を残しておくことが肝要であり、こ の記録が政策素案の起草の際に役立つ。. 5. r 日本型熟議民主主義」の可能性 欧米の熟議民主主義は、民主主義における参加の契機よりも、熟議の契機にウエイトを置いている。し かしながら、日本は、実質的な市民参加を希求するなかで、「参加の制度設計」を模索し、「市民会議Jや 「市民委員会」方式を編み出した。その意味では、日本の場合は、民主主義における参加の契機にウエイ トを置いているといえる。しかし、市民参加が実質的な市民参加といえるレベルにまでそのグレードを引 き上げるには、熟議の時聞が十二分に確保されなければならず、しかも、その熟議は、議論のための議論 ではなく、市民自らが状況の改善や行動変容を自己決定する政策として集約されなければならない。この ように参加と熟議と自己決定が連動し合いながら、日本では、参加民主主義と熟議民主主義とが接合する かたちで「日本型熟議民主主義」が誕生した。 それでは、何故に、「日本型熟議民主主義 Jが「ワークショップという熟議民主主義J として実践される のだろうか? そこに「日本型熟議民主主義 J の特性があるように思える。 「ワークショップという熟議民主主義 Jは、意見を対峠させ、時には相手の意見を論破・論難しながら、 徹底的に議論を行なう論戦というスタイルを採用しない。むしろ、そこでは、原則的に相手の意見に対す.

(11) 6 1. る批判や否定は禁じられる。またそこでは、異なる意見や価値の対立をも共有という契機により包摂 U n c l u s i o n ) しようと試みる。そうすると、「ワークショップとしづ熟議民主主義」は、「和を以て貴しと. す」というような、向調的な日本の政治文化にマッチした熟議民主主義の実践形態(スタイル)と言えな くもない。しかしながら、わたくしたちは、このような総括で満足できるものではない。 「ワ)クショップとしづ熟議民主主義」は、同調的な日本の政治文化にマッチしながらも、むしろ日本 における「新しい政治文化 (newp o l i t i c a lc u l t u r e )Jの胎動を反映しているといえる。日本における「新し い政治文化」は、「脱物質主義的価値観Jや「新しい社会運動 Jを底流にしながら徐々に発達してきが、市 民の聞に「双方向的ファシリテート U n t e r a c t i v e f a c i l i t a t e )J と「協働 ( c o l l a b o r a t i o n )Jの政治文化として育 まれつつあるといえる。「双方向的ファシリテート」と「協働 Jの「新しい政治文化 J とは、市民がお互い に意見を出し合いつつ、異なる意見でも仲違いせずに、一定の合意形成や成果を協働して創りだす政治的 態度である。そうした「新しい政治文化」は、「市民会議」という場において、ファシリテーターという新 しいタイプの政治的サブ・リーダーのファシリテートによる「ワークショップという熟議民主主義」を通 じて、具現化される。ここに、「日本型熟議民主主義」が、「ワークショップとしづ熟議民主主義」として 実践されてきた最大の理由がある。いくらファシリテーターが有能であっても、普通の市民である参加者 の「双方向的ファシリテート」が「協働」作用しなければ、「ワークショップとしづ熟議民主主義」は成立 しない。 最後に、「ワークショップとしづ熟議民主主義」が「市民会議」から飛び出るかたちで、「日本型熟議民 主主義 Jが発展する可能性はあるだろうか? 結論を先に言えば、そのような可能性はないだろう。やは り、「ワークショップという熟議民主主義 Jは、制度的な「市民会議J としづ枠組みがあってはじめて成立 すると考えられる。両者の関係は、<水魚の交わり>といえる。したがって、「日本型熟議民主主義Jの発 展は、「市民会議」の発展に比例する関係にある。そして、「市民会議」が「ワークショップという熟議民 主主義」として発展するには、その促進を担うファシリテーターの育成が極めて重要となるだろう。. 脚注. ( 1 )r 市民参加の制度設計」に関して附言すると、本稿で取り上げる「市民会議」の他に、制度的な市 民参加の形態として、審議会への市民の参加、公聴会、説明会、懇談会、車座の座談会、タウン・ミーテ イング、パブリック・コメント、シンポジウム、外国人市民議会、子ども市民議会、市民モニター、アン ケート、ヒアリング、キャンペーン・ポスターやスローガンの募集、政策提言や意見・アイデアの募集、 並びにワークショップである。尚、このうち、本稿が考察する対象は、あくまでも、「市民会議Jで用いら れているワークショップである。市民参加の一形態として行なわれている単なるワークショップは、本稿 で言うところの「ワークショップという熟議民主主義」に含めていない。単なるワークショップは、形式 的な市民参加の水準で、あり、場合によっては「アリバイ参加」として用いられるケースすらある。それは また実質的な市民参加を制度的に保障した「ワークショップという熟議民主主義J とは参加の水準が本質 的に異なる。 ( 2 ) 本稿では、 d e l i b e r a t i v edemocracy の訳語として「熟議民主主義」を採用した。他の邦語文献では、 d e l i b e r a t i v edemocracyの訳語として、「熟議民主主義 J以外に、「討議民主主義J、「協議民主主義」、並びに. 「討議ー熟議民主主義」などが採用されている。しかし、本稿では「熟議民王主義」に統ーした。と言うの も、本稿の立論が、熟議民主主義の「熟議j という契機とワークショップの「ブレンイストーミング J と いう契機を同質のものと看倣し、「討議J よりは、「熟議」という日本語の方が、「ブレンイストーミングJ に親近性がある表現と判断したからである。尚、「熟議民主主義」については次の論文集を参照。 JamesS ..

(12) Memoirso fTheS c h o o lo fB .O .S .T .o fK i n k iU n i v e r s i t y NO.17 ( 2 0 0 6 ). 6 2. αt i n gD e l i b e r a t i v eDemocracy ,Blackwell,2003. GrahamSmith,D e l i b e r a t i v e F i s h k i nandP e t e rL a s l e t t. e d .,Deb. , R o u t l e d g e, 2 0 0 3 . Democracyandt h eE n v i r o n m e n t (3)篠原一『市民の政治学-討議デモクラシーとは何か一』岩波書盾、 2004年 。 ( 4 )I 市民会議」・「市民委員会」については、次の文献が詳しい。高橋秀行『市民主体の環境政策(上). 一条例・計画づくりの参加一』、公人社、 2000年。および同『市民主体の環境政策-多様性あって当然の 参加手法-~公入社、 2000 年。同『協働型市民立法一環境事例にみる市民参加のゆくえ一』公人社、 2002. 年。佐藤徹『市民会議と地域創造』ぎょうせい、 2005年 。 ( 5 ) 同様の問題意識として、錦津滋雄「自由討議の場としてのワークショップ J (原科幸彦編『市民参 加と合意形成-都市と環境の計画づくり-~学芸出版社. 2 005年)としづ論考がある。. ( 6 ) ブレインストーミングは、ワークショップのファシリテート・ツールのーっとして用いられる場合. がある。しかし、本稿では、ワークショップの基調はブレインストーミングにある看倣し立論する。 ( 7 ) 江藤俊昭『協働型議会の構想ーローカル・カパナンス構築の一手法一』信山社、 2004年 。 (8) ユルゲ、ン・ハーパーマス『事実性と妥当性一法と民主的法治国家の討議理論にかんする研究一(下)~. 未来社、 2003年 、 22頁 。 ( 9 ) 高橋秀行『市民参加条例をつくろう』公人社、 2004年 。. ( 10 ) 堀公俊『問題解決 7 アシリテーター』東洋経済新報社、 2003年 口 ( 1 1 ) 松下啓一『政策法務のレッスン一戦略的条例づくりをめざして一』イマジン出版、 2005年 。. ( 12 ) ファシリテート・ツールについては次の文献が詳しい。松林博文『クリエイティブ・シンキング』 ダイヤモンド社、 2003 年。星野匡『発想法入門(第 3 版)~日本経済新聞社、 2005 年。世田谷まちづくり センター『参加のデザイン道具箱~ 1 9 9 3年。同『参加のデザイン道具箱 PART2プロセスデザイン:事例 圃. とワークブック~ 1 996年。同『参加のデザイン道具箱 PART ・3ファシリテーショングラフィックとデザイ ンゲーム~ 1 9 9 8年。清水義晴・居城葛明・和田良一『集団創造化プログラム』博報堂、 2002年。いずれも、. ビジネスや発想法あるいはまちづくりで用いられてきたファシリテート・ツールで、あるが、それは「ワー クショップという熟議民主主義 J でも援用できる。. 英文抄録. D e l i b e r a t i v eD e m o c r a c yo f W o r k s h o p :T h eP o s s i b i l i t yo fJ a p a n e s eD e l i b e r a t i v eD e m o c r a c y K a z u h i r oNi 社a e c o g n i z et h a t T h i sa r t i c l ed i s c u s s e st h ei s s u e sr e l a t e dt od e l i b e r a t i v edemocracyofw o r k s h o p .l nJ a p a n,wecanr d e l i b e r a t i v edemocracyi sr e a l i z e da sd e l i b e r a t i v edemocracyofworkshopi nt h ec i t i z e nc o n f e r e n c eo rt h ec I t I z e n c o m m i t t e ei nl o c a lp o l i t i c a lp r o c e s s .Wecani n d i c a t et h a td e l i b e r a t i v edemocracyi nt h ec i t i z e nc o n f e r e n c ei sm a i n l y compoundedt h eo p p o r t u n i t yofb r a i n s t o r m i n gi nw o r k s h o p .Then, i nt h i sa r t i c l e, 1wouldl i k et oe v a l u a t et h es e t u p c o n d i t i o nandt h ef a c i l i t a t ec o n d i t i o nofd e l i b e r a t i v edemocracyofw o r k s h o p . Aswehaves e e n,democracyc o n s i s t soft h eo p p o r t u n i t yofp a r t i c i p a t i o n,d e l i b e r a t i o nands e l f d e t e r m i n a t i o no r s e l f g o v e r n m e n t .Throughexaminingt od e l i b e r a t i v edemocracyofworkshop, wet h i n ka g a i nwhatdemocracys h o u l d b e .Anda l s o,wecand i s c o v e rt h ef a c i l i t a t o rwhoi sc o v e r e dw i t hnewt y p eofp o l i t i c a ls u b l e a d e ri nd e l i b e r a t i v e democracyofworkshop. F i n a l l y ,t h i sa r t i c l ed i s c u s s e st h ep o s s i b i l i t y ofJ a p a n e s ed e l i b e r a t i v e democracy t h a ti sc h a r a c t e r i z e da s an a p p e a r a n c eofnewp o l i t i c a lc u l t u r ei nJ a p a n ..

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治的自由との間の衝突を︑自由主義的・民主主義的基本秩序と国家存立の保持が憲法敵対的勢力および企ての自由

が構築される。信頼が構築された両者間の関係は、相互に機会主義的行動をとる可能性が

名の下に、アプリオリとアポステリオリの対を分析性と綜合性の対に解消しようとする論理実証主義の  

身体主義にもとづく,主格の認知意味論 69

   立憲主義と国民国家概念が定着しない理由    Japan, as a no “nation” state uncovered by a precipitate of the science council of Japan -Why has the constitutionalism

第四。政治上の民本主義。自己が自己を統治することは、すべての人の権利である

 しかし、近代に入り、個人主義や自由主義の興隆、産業の発展、国民国家の形成といった様々な要因が重なる中で、再び、民主主義という

Simon, Herbert A., (997, Administrative Behavior: A Study of Decision-Making Processes in Administrative Organizations,Fourth Edition, New York :