著者
黒田 景子
雑誌名
南太平洋海域調査研究報告=Occasional papers
巻
42
ページ
97-101
別言語のタイトル
Histrical Perspective of Yoron Island from
South-sea Trade Network ; Yoron and
Port-polities in Southeast Asia
南 海 交 易 ネ ッ ト ワ ー ク の 変 貌 か ら み た 与 論 -与 論 と 東 南 ア ジ ア 港 市-黒 田 景 子 鹿 児 島大学法 文学部 要 旨 与論 を広 域の海 域 ネ ッ トワー クか ら歴 史的に鳥瞰 する と,ジ ャンク船交易網 の 中継 地 点 として,琉 球,薩 摩の両勢 力の交易支配 圏の中で揺れ動いた小港市 国家 としての姿が見 えて くる。 与論 の文化の独 自性 は、様 々な勢力 の交流す る 「境域」 としての時代 に育まれ た ものであろ う。 しか しなが ら,汽 船 の登場 と大型 深海港の必要 性が,小 港 市 と しての与 論 の海 上交通 上の意味 を減 じるこ とになってい くのが近代 国民 国家体制以 降であ る。海 上 ネ ッ トワー ク網 の盛衰の激 しさは東南 アジアにお ける港市,こ こではマ レー 半島 にあ るパ タニや プーケ ッ トの例の よ うに,小 港 市が近代 の地 方統治体制の もとで意 味を失 い,い ず れ も国の振 興策の対象 となる課程 と類似す る。 近代以降の 開発(観 光開発 を含 む)の 姿勢 は より広 い意 味での歴史地理的視野 か ら進 め られ るべ きで あるが,し ば しばその視 点を欠 いてい るので はない か とお もわれ る面 があ る。 キー ワー ド:交 易ネ ッ トワー ク、境 域 、港 市
Histrical
Perspective
of Yoron Island from South-sea
Trade Network;
Yoron and Port-polities
in Southeast
Asia
KURODA Keiko
Faculty of Low and Humanities, Kagoshima University
Abstract
From a view of history of wider sea-trade
network of South China sea, we can find Yoron as a
small port-polity
which was trifled with Yoron in the trade sphere of influence
of both the influence
of
Ryukyu and Satsuma. The peculiarity of the culture of Yoron grew up under the times as
However, a steamship appears and was enlarged in the second half of the 19th centuty.The
status of
Yoron as a small port on the marine network fell after the modernization
when harbors also become
large-sized.
The rise and fall of the marine network have a very sharp change. Process in which Yoron
loses existence value under modem district government organization,
and is set as the object of the
promotion measure from a country is similar with the cases of other ports as Pattani and Phuket in
Malay Peninsula. The posture of the development after modernization ( including sightseeing
development
) should be advanced from the historical and geographical
view in a larger meaning. It
seems that these viewpoints often lack in the development
project.
Keywords: trade network, porderland port-polity
1.与 論 と外 世 界 1・ 海上 交通ネ ッ トワー クか らの鳥 目敢図 歴史 的な視野 か らみ ると,与 論の外世 界 との交 渉は,港 と船か らなる点 と線 のネ ッ トワ ー クに規 定 されて きた。い わゆる港 市である。 港市の発達 は,帆 船 の規模 に適 した港の時 代 と,汽 船 とその大型化 に対応 した深港化 の 時代 とい う,二 つ の条件 に規 定 され る。 特 に海 上交通 史上,汽 船の導入 は極 めて大 きな時代 の変わ り目となる。風 向 きに限定 さ れ る帆船 の交易船に比べて,汽 船 は運行 時期,航 行 距離、積載 量 の飛躍 的増加 に よ り,乗 員 の食料 ・水 等の補給港 となる寄港 地の省 略,汽 船の大型化 に伴 う港 の大型化 と深 港の必 要 陸が,主 要港 市を結ぶ,ネ ッ トワー ク上の小型港市 を淘汰す る結果 になるか らで ある。 港 市 としての与論 は 日本 と大陸 を結ぶ 主要交通路 として言 うまで もな く重 要な 中継 地点 ではある。 しか し、海路 ネ ッ トワー ク上では,常 に南北 にある,よ り大 きな港 市 との政治 的関係 に縛 られ て きた小港 で ある。 与論 の歴 史 ・文化 を語 る場 合,汽 船 が南 シナ海 で活躍す るよ うになる19世 紀 の半ば以 降それ 以前,す なわ ち,近 代 と前近代 では与論 を巡 る状況が大 き く変 わった ことを重視す るべ きである。南西諸島だ けで はな く,南 シナ海 全体の海上交通 の変化,見 方 を変 えれ ば 船 の もた ら した情報 の量 と速 度 とい う面 か ら分 けて考 察す る必要 があ る。 2・ 支配 ・被支配 関係 か らみ る与論 の記録 与論 に関す る歴史資料 は琉 球漢 籍文書 を含 む漢 籍史料 と近世 日本史料 に現れ る。与論 は 琉 球の統一過 程で北 山王朝の属領 と して,つ いで,琉 球統一 した 中山王朝 の属領 と して記 録 され,奄 美等 とともに 「大 島」と して認識 され る。一方 、日本史料 による と,与論 は1609 年以 降結果 と して薩摩の属領 にお かれ,奄 美,徳 之島等 とともに 「道 之島」 と呼ばれた。 この よ うな複 数の名 称 をもつ 島の存在 は,多 彩 な文化や人 々の交錯 点となる島嶼 にみ られ
る現 象 であ り,拠 点 と して の重要性 を示す もので ある。 近代 以前の与論 は,「あまんゆ」(太宰府政 権か ら属領 と見 な され ている時代8世 紀以 前)、 「あ じゆ」(独立首長 に よる統治時代9世 紀∼)、 「なはゆ」(琉球へ の朝貢 時代13 世 紀∼)、 「や ま とゆ」(1609年,薩 摩 に よる支 配 時代)と い う時代 を経 験す る。 明治以降は 日本統治下での戸長制 に始 まる近 代領 域国家 として の統 治制度 下に組 み入れ られ る。 さらに第二次大戦終了後,昭 和21年,米 国軍政下 にお かれ,28年 まで米国支 配 下 にお かれ る。 「祖 国復 帰運 動」 が起 こる。 この歴 史の流れの 中で特 に前近代 の交易 ルー トは,与 論独 自の文化 を育てた上で重要で ある。 資料 的に豊富な 「なはゆ」以 降の流 れを,当 時の主要 な交易船ネ ッ トワー クであ っ たジ ャンク船交 易網(唐 船)の 一環 として考 え る と, 1)与 論 は琉球北 山朝 とのつ ながる と認識 され,薩 摩はそれ故 に与論 を文字通 りの 『道 之 島』 として確保 す る必要 が あった。 2)琉 球統一王朝 とその ジャンク船 交易網 の発 達 に伴い,与 論 を訪れ る 「唐船 」は琉 球 にや っ て くる南 シナ海 各所 か らのジ ャン ク船網 に属 してい た とみ られ る。 3)13世 紀か ら17世 紀の南 シナ海 は,中 国への朝貢交易 を含 んだ,東 アジア各地か ら のジャ ンク船 の往 来が盛ん とな り,正 規の琉 球=中国交易ル ー ト以外 に も,私 貿易船,漂 着 船,を 含 んで,様 々な地域 の船 が往 来 してい た。 4)琉 球 と東南ア ジアル ー トも重要 である。 記録 にの こる琉 球船 の中で東 南ア ジアの港 は もっ とも多い のが暹 羅(し ゃむ=ア ユ タヤ),つ い で大泥(た に=パ タニ)で あ る。 与論 は これ らの さま ざまな帆船 の交流 点であった と同時 に,さ ま ざまな勢力 圏のいわ ば 「境 域」 に あった。そのことが与論独 自の文化を育てた と考えられ る。 II.東 南 ア ジ ア 港 市 と与 論 の 交 易 ネ ッ トワー ク支 配 にみ る類 似 性 東 南ア ジアの ジャンク船交易 の影響 を うけた港市 には与論 と比較す るべ き条件 をもつ港 市政 体 が存在す る。 あ えて 二つ の港 市 をあ げる。 1)大 泥 ことパ タニはマ レー 半島東海岸 中部の港市で,3世 紀 か らのイ ン ド系文化 が栄 えたのち,ジ ャ ンク船 交易の拠 点として19世 紀半ば まで重要 であった。マ レー 半島の港市 は内陸交通路 が限 られていた こ とか ら,港 市政体は島嶼の もつ港市 ネ ッ トワーク型 の点 と 線 に よる支配 ・被 支配 関係が常態で あった。パ タニの支配層 は15世 紀 にはイス ラーム王制 であったが,交 易の担い手 は華人 であった。パ タニの記事 は,『華 夷変態 』な どの 日本史料 に もみ られ,唐 人が現地事情 を報告 している。 パ タニの最 も有名 な華人 はイ ス ラーム に改 宗 してパ タニ王に仕 えた とい う林道乾 であるが,林 道乾は琉 球近海 を も含 む南シナ海 をそ の活 動領域 としてい た倭寇 の一族 で もあ る。 パ タニはシ ャムに とって ジャンク船 交易 の中継 点 として重要で,パ タニ政権 のたびたび の反乱 に もかかわ らず,シ ャムは軍事 的支配 に よって朝貢関 係を強い てい た。18世 紀後半
(リ ゴー ル),後 に ソン ク ラー を 監 督 政 権 と して支 配 を 強 め た。19世 紀 後 半 に は シ ャ ム 自 身 の近 代 領 域 国 家 制 度 へ の シス テ ム 変更 に伴 い 、 シ ャム の 県 の 一 つ とな る。 現 在 にい た る ま で のパ タニ の タイ か らの 独 立 運 動 の激 化 は 「シ ャ ム支 配 の も とで の パ タニ の辛 酸 の歴 史 」 に ア イ デ ンテ ィ テ ィ を 求 め て い る。 しか し,パ タ ニ の港 市 と して の 重 要 性は 汽 船 が交 通 の 主役 とな りは じめた19世 紀 後 半 に は低 下 して い る。 そ の 理 由 は,バ タ ニ の港 が大 型 汽 船 に適 さない こ と。 かつ て の ライ バ ル 港 市 で あ っ た ソ ン ク ラー が 深 海 港 と して適 地 で あ り,半 島 横 断 路 を通 じて英 国植 民 地領 ペ ナ ン との つ な が りを 深 めた こ とに よ っ て,経 済 的 に は 辺 境 地 化 した。 パ タ ニ は そ の 後,タ イ=マ レー 間 の 国境 と して 分 断 され,交 易拠 点と して の 意 味 を失 い,地 域 振 興 法 の対 象 とな っ て い る が,開 発 の 遅 れ は地 域 の経 済 的地 位 を ま す ま す 低 下 させ て い る。 開 発 の遅 れ に よ る貧 富 の 差 は 宗 教 ・民 族 問題 に 転 嫁 され る 側 面 を もつ 。 2)プ ー ケ ッ ト島 は マ レー 半 島 中部 の港 市 で あ り、 考 古 学 的 遺 物 も多 く、様 々な 呼 び 名 を持つ イ ン ド洋 に 面 した 交 易 拠 点 で あ る。錫 の 生産 は 主 要 な 産 物 で あ り,19世 紀 後 半 以 降 は ゴム も換 金 産 物 とな っ た 。 プー ケ ッ トもま た,シ ャ ムが 死 守 した 交易 拠 点 で あ る。深海 港 が可 能 で あ っ た こ とで, 汽 船 時代 に対 応 した 。英領 ペ ナ ン=プ ー ケ ッ トの 航 路 は錫 鉱 石 と貨 客 の動 脈 とな っ た 。そ の 汽 船 の経 営母 体 は ジ ャ ン ク船 交 易 網 に 関 わ っ て い た 華 人 企 業 で あ る。 しか し,プ ー ケ ッ ト も ま た,近 代 領 域 国 家 制 度 へ の 以 降過 程 で,タ イ の 辺 境 県 とな っ た。 タイ=マ レー の 国 境 管 理 の 強 化 に よ り,ペ ナ ン との 航 路 も第 二 次 大 戦 後 廃 止 とな っ た。 パ タ ニ と異 な るの は,プ ー ケ ッ トは島嶼 の 自然 環 境 をい か した リゾー ト観 光化 が 比 較 的 早 い 時期 に行 わ れ 成 功 した こ とで あ る。 華 人 が経 済 の 中枢 に あ る こ と もあ り,タ イ 政 府 の 観 光 政 策 に よ り外 国資 本 に よ る 開発 が 先 行 した 。 欧 米 人 を 主 要 な 対 象 と した リゾー ト開発 は地 元 文化 とは 切 り離 され た別 空 間 と して の リゾ ー トを 生 み 出 した。 近 年 は,日 本 人 ・華 人 を は じめ とす る ア ジ ア か らの観 光客 が 増加 す る こ とに よ り,地 元 の 祭 に華 人 が 参 加 す る現 象 が 起 き始 め,そ れ を タイ 観 光局 が全 国 的 な キ ャ ンペ ー ン と して 展 開 した こ とで,リ ゾー ト型 とは 異 な っ た 観 光 形 態 が生 まれ よ うと して い る 。 III.南 海 交 易 網 上 の 港 市 と し て の 与 論 と パ タ ニ,プ ー ケ ッ トの 比 較 共 通 点 と して 見 る こ とが で き る の は,よ り大 きな 港 市 政治 権 力 か らの支 配 を逃 れ得 な か っ た こ とで あ る。与論 は 帆 船 交 易 時代 に は,琉 球,薩 摩 の 双 方 か ら支 配 領 域 とみ な され た 。 与 論 の 存在 は こ の 観 点 か ら切 り離 して 考 え る こ と は 困難 で あ る。 近 代 以 降,大 型 汽 船 交 通 の 量,速 度 、 が重 視 され る よ うに な る と,与 論 の位 置 は 相 対 的 に劣 化 した。 国 の振 興 政 策 を受 け るパ タ ニ の例 と類 似 す る点 が あ る。 与論 に とっ て の 異 文
化,薩 摩 による植 民地支配(17世 紀 に島嘆植民地 支配 に進 出 したオ ランダ との類似性)に 対す る反発,米 国支配 に対す る祖 国側 帝運動 の盛 り上が り,は パ タニにお け る 「パ タニ ア イ デ ンテ ィテ ィ」の誕 生の ケー ス と一部似 て い る。 一方 ,島嶼 性をいか した再生策 として島嶼 リゾー ト開発型 を選 んだ ことは、プーケ ッ トの観光 開発 の例 とも類似す る条件 が あ る。 この よ うに与論 とそれ を結ぶ南 西諸 島のネ ッ トワー クは よ り広い南 シナ海 の情 報ネ ッ ト ワー クか ら考 える必要 性が ある。 また,現 在 の振 興策 について もそ の歴 史的な条件 をふ ま えた上 で、県や 国の対 策 に工夫 が必 要 では ないか。 日本 国は通 常陸地の国境 を意識す るこ とがほ とん どないた め,国 際的な文化 の広が りや 関連性 について 「日本」対 「外 国」 とい う図式 か らなかなか脱却 できない傾 向があ る。文 化や 情報 の越境性 が もっ と啓 蒙,重 視 され るべ きで あ る。