• 検索結果がありません。

カント超越論哲学とニュートン力学 : カント無限判断論の真意

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "カント超越論哲学とニュートン力学 : カント無限判断論の真意"

Copied!
14
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)カント超越論哲学とニュ 一トン力学 カント無限判断論の 真意 下城. 一一. 一. Der@kantischen@Transzendentalphilosophie@und@die@Dynamik@Newtons. -Uber@die@Bedeutung@der@Lehre@des@Unen4ichesurtei. Ⅰ. ,. @@. Haime@SHIMoJoH 周知の通り、 「ニュ一トン 力学の哲学的基礎づけ」から 出発したカント 超越論哲学は、 「批判期 以降、 理性能力の批判を 契機として「物自体」の 不可知性に想到 然 科学的志向を 断俳して、 構成主義の立場から 「自発性」. (. 「理性の自由」「意志の. 自律」 ). ( 「コペルニクス. を起点にした 一一. し、. 」. その客観主義的な 力学的・. 自. 的転回」 ) 、 「超越論的統覚」の 純粋. 実在世界から 文字通り「自由」な. 一. 一 超越論的「実践哲学」を 再出発させたと 理解されている。 然し実際には「 前 批判 期 」当初に構想はれたカント 本来の形而上学構想、 識論的 「予備学. 」. (. 「形而上学一般論」. 一一. T 批 平山. を 認、. とし、 ニュ一トン力学的客観実在世界の 存在論的基礎付と. ). しての『自然哲学の 形而上学的原理』を 具体的形而上学とする、 カント俳願の 形而上学的体系. 一が 、. 一. 批判 期 以降も構図的にはなお 維持され続け、 実質的に「超越論哲学」を 規定し続けている. 可能性が払拭されないⅢ。 事実、 T 実践理性批判』を 基礎づけている「理性信仰」の 構図自体が㈲ 、 神を不可知として 世界の外に置くその 構図の企図からして、 神的な客観実在世界の 拘束を完全に 免 れ得ていると 言えるか否かはなお 甚だ微妙な問題であ る㈹。 カント自身、 次のように言. 「純粋な道徳法則が 命令として‥・ 全ての人を仮借無く. 人は次のように 言 が、. ことも許されよ. う. う. 拘束することを. う. 。. 認めるならば、 誠実な. 。 私は神が現存することを、 私のこの世界における 現存. 自然的結合以上に 純粋悟性 界 における結合であ ることを、 そして最後に 私の持続が限りな ( V. いことを意欲する. 143). 実践哲学的に「純粋な 道徳法則」の 存在が認められる 限り、 その「原因」として「純粋悟性 界. 」. の 存在が認められ、 創造主としての「 神 」がニュ一トン 同様理神論的に 認められる。 その形而上学. 的 構図自体は、 結局カントは 終生一貫して 崩してはいない。 結果的にそれが、 T 純粋理性批判 お散在する「実在的」 な 力 」の概俳への 「. 更. 一一. 「統制的使用」との 限定は付くとはいえ. コ. にな. 一一. ム 「. ながらの依拠という「超越論哲学」上の 不登底を結果し㈲ 、 延いてはカント「批判哲学」の 第一. 目標・理性の 純化、 即ち「経験の 可能性の制約の 確定」 された「超越論的仮象」の 払拭. 一一. 換言すれば哲学的迷妄の 源泉 と目. に 対してもなおその 不登底さを残す 結果になっている。. こうした問題の 本質を見究め、 カント倫理学 = 実践哲学の限界を 真に確定するために、 今一度発 展史的にカント 哲学の出発点に 遡り、 「自然哲学. ( 自然科学・ニュ. 一トン力学 ) 」とその関係を 検討.

(2) 24. 下城. し 直しておくことは、. 一. 翻って現代、 ともすれば「語りえぬもの」. く私ノ 、 「他者」、 「自然」. 一一. さながら「超越論的」. 一一. な. と「言語」「認識」の 関係をめぐって 喧しい現代倫理学の 哲学的、. 批判的基礎付けのためにも 必須の予備的作業と 言える筈であ る。 本稿は以上の 見通しのもと、 自然哲学的形而上学. 一一. 一 -. 実在する「 力 」の単. と. 「超越. 論哲学」とを 架橋する「超越論的論理」、 即ち ヵ ント超越論哲学の ネ、 ック であ り続けた「アンチノミ 一 」の論理・「無限判断」論に. 留目し、. 「超越論的. 演縄論 」が、 「無限判断」的に 捉えられた「力学的. 世界」を超越論的与件とし、 それに対する 普遍的真理性のカント 哲学独自の意味での「権 な 行な. う. 「基礎づけ」・「予備. 利付与」. 学 」として、 批判前期後期を 一貫して構想、 維持され続けている、. カ. ント哲学核心の 知られざる論理構制の 漸進的解明を 主題とするものであ る。. 批判哲学の矛盾と 古典力学 更 めて確認しておけば、. カント理論哲学の 中枢であ る「超越論的論理学」は、 アリストテレス 以. 来 ほぼ完成したものとされる 従来の伝統的論理学二形式論理学. (B Ⅷ. ). の限界. 「認識にとっての 必要条件」ではあ るものの「真理の 消極条件」でしかなく. 一一. 即ちそれが. (A5g/B84) 、 「内容に. ついて全く教えるところがない‥・ 対象に関わりのない 形式的条件を 示す」「一般論理学」にとどま (A 6l/B86). ってきた」. こと. 一一. に 対する革新として 構想いれた。 伝統的論理学が、 「形式に関. する誤謬は発見可能にしても、 内容に関する 誤謬を発見しうる 基準をもたない」 し 、 「超越論的論理学」は、 その対象的内容と 文字通りの形式論理学とは 異なり. 一一. 単に経験的・ 応用的に関わるだけの 伝統的な. 一一. 「超越論的に 関係」 (A 57/B 81. 「認識の根源、 範囲、 客観的妥当性を 規定する 学. 」. それこそが、 「超越論的論理学」が「超越論哲学の. (A5g/B84) のに 対. (. ). しぅる. 普遍 学 であ り、. ibid.) であ るとカントは 宣言する。. 最高原則」として「経験一般の 可能性の制約が. 同時に経験の 対象の可能性の 制約であ る」と主張される 所以 (A lll.A 158/B 197. ). にも 他 ならな. いのだが、 問題は然し、 理論上対象志向的とされた「超越論的論理学」が、 一体如何にしてその「超. 越論的」真理性を 保ちつつ実在的対象と 関係し得るのか、 という一点に 尽きる。 従来の形而上学が 陥ってきた誤謬の 大半は、 元来「単に論理的判定の 消極的基準 Kanon でしかない一般論理学を、 あ たかも客観的対象と 関係し 用. 」. (A 61 B 85. ). ぅ. るもののように 扱い、認識の積極的用具 Organon であ るかのように 使. してきたことに 起因するとカントは 主張していた。 その錯誤を端緒に、 問題の核. 心であ る「仮象の論理学」、 即ち「弁証論」. (ibid.) が生じるのに 他ならない。. 「超越論的 演縄論 」は、 まさにその課題に 正面から応えるべく、 範鴫 がいかにして 対象と超越論 「. 白りに関係し 関係し. ぅ. ぅ. るかということの 説明」 (A 8S/B 117) をその主題とする。 範肩 が如何にして 客観 と 「. るか」、 換言すれば「如何にして 思惟の主観的制約が 客観的妥当性をもっか」. その解明が、. 「超越論敵 演鐸論 」の課題であ. 「超越論的論理学」のも. う. (A8g/B122L 、. る。. 一方の中枢・「超越論的分析論」に. 払 いても、. 事情は同様であ る。 発展. 史的に言えば、 矛盾律を絶対原則として 形式的整合性を 追求するあ まり、 極度の観俳性、 実在乖離 に 陥っていた Ch. ヴ オルフの一般存在論. 「可能的なものが 存在であ る」 (5). る批判から出発したカントは、 1755 年に発表した. T 形而上学的認識原理の. に 対す. 新解明山で、 クルージ. ウ. スが 主張していた 文字通りの「実在根拠」説の 側に与する (6) 。 カント哲学の 実在志向はここでも 明 らかであ るが、 折りしも伝統形而上学の 失墜を承けて 企画された 1761 年ベルリン・アカデミー 懸賞 に カントが応じた 論文『自然神学と 道徳の原則の. 判明性』では、 数学的概俳と 実在世界の全面的対.

(3) カント超越論哲学とニュ. 「数学はすべてその 定義に総合的に 到達する」. 応 性を認める極めて 独自な数学観 を 基礎として、. -@. カントは早くも「超越論的分析論」の 構想に想到. (Vgl.Blg)を問. 合判断は可能か」. 25. 一トン力学. う. し、. ( Ⅱ. 276). 超越論的 綜. 「如何にして. 概念と実在の 対応関係の模索、 即ち「概俳の 分析論」を主題化. するに至る。. だが、 言. う. までもなく困難はここから. 始まる。. 概念と実在の 対応関係、 即ち概念と実在の 因果論. 客観的実在世界を 原因とし、 それと概念との 関係を結果とする 対応関係. 的 対応関係. 0 基礎付けを巡り、 カントはその「超越論的総合判断」論に 於て当面、 実在の種類に 応じた四通り 0 区別を検討する。. とりわけ第一の「概俳に 対応する直観のアプリオリな 表示」を「対象」とする 純粋理性認識、 っ まり数学的認識の 場合には (A713f/B741f) 、 その「対象」の 純粋数学 り、 直観的「構成」性ゆえに 由. 「超越論的総合性」の 立証はきわめて 容易だが、 それが「数学」以覚の 学的対象. 一. 即ち 、 第. 「純粋自然学的」対象、 第三、 「素質としての 形而上学」的対象、 第四、 学 としての形而上学」 「. 的 対象 (B 20ff) に 関り、. となると、 カント自ら認める 通り. (. ibid.)、 それらの対象が 経験の直観. 直観的実在性との 対応関係を考慮せねばならないところから、 問題が一挙に 困難化せざる. を 得ない。 換言すれば、 一方で物的な 自然対象性と「超越論的」に 関わり つ っ んらかの仕方で 経験的感覚与件・. 実在与件と関係しながら. 一一. 一一. つまり、 な. 他方その「超越論的」真理性を. 失わない論理構制を 構築すること、 それがカント「超越論哲学」がめざした 当初 ょ りの課題であ っ た 」。 「如何にして 自然そのものは 可能であ. るか」、 超越論哲学が「その 限界ならびに 完成として到達す. べき最高の点」がそこに 極まることを、カント自から 認めている (Vgl.Prolegomena S 36 、 W 313) 。. 即ち、 それ自体で客観的に. 実在する存在の 典型と目される「自然」でさえ、. 当初から「超越論的概俳」・「超越論的真理性」に. 侯 って初めて「可能」. カント哲学にあ. っては、. な 「超越論的対象」と 考え. られていたのに 他 ならないのであ る。. 超越論哲学本来の 主題が以上のようなものであ るとき、カント批判哲学形成史上毛だたる ペルニクス 約 転回」の意味も 改めて問い直されざるを 得ない。. と言. う. 所謂「 コ. のも、 上に見たとおり、 発展. 史的にカント 哲学は元来一度たりともその 真理根拠として 単純な実在志向型の 素朴物理学主義など. とった例はなく、. 当初よりカントは 一貫して自然現象の 超越論的概俳による 文字通りの形而上学的. 基礎付けを目指していたのであ. り、. その限りその 真理性の根拠としても、 最初から構成主義的に. 自. 然 対象性を「基礎付ける」「超越論的概俳」の 客観性が志向されていたのに 他ならないからであ る。 確かにカントは 先に掲げた よ. う. 丁. 懸賞論文』 (公刊は 1764年 ) で、 自身の形而上学的方法論について 次の. に述べていた。. 「形而上学の 真の方法は、 根抵 的には、 ニュ一トンが 自然科学. ( 自然哲学. コに 導入し、 その 領. 域 で有益な成果を 挙げた方法、 即ち確実な諸経験に 従い、 必要なら幾何学の 助けにも拠って 、 自然現象がそれに 則って生じる 諸規則の探究を 枢要とする自然科学の. 方法、. と同一であ る」. (@ n@ 286) 見られるとおり、 カントは「形而上学」と「自然科学」を 方法論的に区別していない。 然しその. 意味は、 哲学史上誤解されてきたような、. 客観物理学的に 純粋に実在的であ るべき自然科学に 未だ.

(4) 26. 下城. 一. 無 批判に形而上学を 混入させているという 独断的なものでは 断じてなく、 自然現象の真理性とそれ を基礎付ける 形而上学の双方がともに 拠って立つ超越論的概俳体系の 探求の必要性をカントは 当初 から探求し続けていたのに 他ならないのであ る,. 更なる傍証として、 ニュ一トン自然哲学とカント 形而上学の継承関係を 挙げることができる。 先の引用に立ち 還れば、 その典拠であ 一一. 批判期の区分. (1761. る T 懸賞論文 コ. 1769 、 ないし 1770 年 (V9l.. X. .. 1764) は、 カント自身の 証言に拠る. 115, X[. 226). に 基づいて「 前 批判. 期 」に算入されるものだが、 最近の自然哲学研究の 進展に鑑みれば、 問題はそれほど 単純なもので は い。. 従来の科学思想史は 、 先ず「 二ュ 一トン力学」を「近代自然科学」の 典型として、 純粋に経験科 学的 二 現象主義的方法論に 拠るものと捉え. 所謂「ニュ一トン・スタイル」. 一. (7). 、 その. 上で カントの上掲のスタンスを 前 批判 期 特有の未熟な 物理学主義と 解するのが通例だったが㈹、 以 上指摘した通り、 その構図自体が 外構的なものでしかない。 先ず 咲 って、 近代科学主義的なその 逆 槌 かに. 及 史観を排し、 歴史的実相に 徹するなら、 ニュ一トンその 人が. 丁. プリンキピア コ執. 筆に際しては 自然形而上学の 典型であ る「デカルト 渦動説」批判の 必要上、 有名な「 我 仮説を作ら ず ⅡWotheses. non. 」㈲に象徴される 努めて現象主義的な 姿勢に登したとしても. 丘ngo. の元来の志向として、 自然全体の本質として 実在する「エーテル」. 二 「引力 -. 面工学的色彩を 堅持しているのであ り、 その一斑は『プリンキピア 山並びに に 認められるのであ る (1。 )。 剰えカントが 継承したのは. 一一. T. 光学. 山. に実際明瞭. 尋. -. そ. 斥力」を認める 形. 『自然モナド ぬ』等から窺える. ニュ一トン力学中の 極めて形而上学的な 側面、 特にその「引力. (11). 一一. 通り. 斥力」説に他ならなか. っ たことが銘記されねば が ちない。. 更にまた、. 「批判 期 」に算入される「ディセルタチオン」. =. 『感性界と叡智 界 との形式と原理. コ. (1770) に於ける「叡智 界 」の論理構 制 に留目すれば、 発展史的に言って 、 既にカントはランベル ト. 宛書簡 (1765/12/31)で『自然哲学の 形而上学的原理』の 執筆を表明し. (. V91..X 53) 、 その 構. 想上 、 前掲『懸賞論文』の 実在原理論を 端緒としっ っ 、 感性的認識が 叡智的認識を 侵犯しないため propaedeutica. の「予備 学 を 説く学」. (5. Vgl.. L、. 即ち「感性的認識と 叡智的認識との 区別. 8, D 395) の必要性を自覚しているのだが. 即ち「批判哲学」構想のその 策. 」. (. 一成果がこの「ディセルタチオン」と る. 「叡智 界 mundusinteligibil 玉. 」. S. 24. ,. Ⅱ. 言えるⅡ 2@. 441. にも拘らずカントはそこで 純粋知性に 拠. 一一. (形而上学的物自体. 界 ) の認識を疑わず、 のみならず「叡智 界の. 形式」として「客観的原因」性、 即ち「存在 物 それ自体の結合を 成立させる原因」性さえ 認めるに 吝かでな い. (. 5. 13,. Ⅱ. 方で現出する」区別を 言. 398L 。 「感性界」と「可想界」とは「対象が 精神の性質において 二重の仕 う. とされ. (. Vgl.. s. 1,. Ⅱ. 387ff.)、 カントは既にそこで「空間・ 時間」を. 後の『純粋理性 批 早口同様純粋な 直観の形式としているにも 拘らず (Vel.5 14, 「因果,陛 」等の. きわめて力学主義的、 力学的世界観的な. Ⅱ. 399)、. 「実体性」・. 基本的諸概念については、. それを可想界そのものの 実相とする 構制 に固執し続け、 「諸実体の普遍的交互作用」として「物理的 [ 力学的 ] 影響による」「実在的・. 物理的調和」. ( 5. 22,. Ⅱ. 409) を認め続けるのであ る。. この時期のこうした 物自体認識に 関し、 その顕著な感性的表象. 力学的表象. の混. 入 る 、 依然その段階固有の 批判哲学の不登底と 見るか、 それともそれが 相応の論理的配備に 基づく カント本来の 自然形而上学構想に 発するものと 見るか、 それが問題であ る。 問題は然し、 それを単なる 過渡的状況下の 不登底としては 済ますことのできない 広葉を示す。 沈 「.

(5) カント超越論哲学とニュ. 27. 一トン力学. 黙の十年」を 経て世に問われた『純粋理性批判』にも 力学的表象の 混入は跡を絶たず、 その典型が 「理性」の「統制的使用」として. 導入された諸力 め 統一原理構想、 一一「根本 カ. 」. 構利. 一一. であ. る。 T 純粋理性 批半iJ 』「超越論的原理論」末尾にわざわざ「超越論的弁証論. 付録」と銘打ってカント. は、 「純粋理性の 理念の統制的使用について」述べている。 超越論哲学の 本務は経験の 可能性の確定 であ るとは言え、 然し事実上「多様な 力を体系的に 表象しょうとする」 「根本カ (Grundkraft) の理念」. (. 際 、 少なくとも問題となる. A648f. B676f.) が、 理性の「統制的使用」として、 限定的に. でも「要請」されるのでなければ、 世界は唯の「寄せ 集め (Aggregat) 」に過ぎなくなってしまう (A 645 B677L 。 「そうしたものが 実在するかどうか 論理学はもとより 決して突き止めることはできな い 」が (A649. B677) 、 「事実、 力による体系的統一が 客観そのものに 付随するものとしてアプリオ. リに必然的であ ると想定する 理性の超越論的原理が 前提されない 限り、 理性の論理的原理が 如何に して生じ. ぅ. (A6S0 B678) とカントは言. るか見極めることはできない」. う. 。. 見られる通り、 カントは批判別に 至って 猶 、 客観的世界の 実在的真理性を 限定的にではあ れ前提 し 続けているのであ. り、 しかもそれが 特殊「力学的」と 見なされ得ることは、 その法則 観 として、. 例えば「諸知覚の 連結の必然性」を 考察する「経験の. と. 第二類推」. (. B. 219) で、 「純粋悟性概俳」に. のみ帰される「綜合的統一の 必然性」が無条件に「因果」連関の 事実性に帰せしめられてしまうこ 「諸現象の継続を 、 従ってすべての 変化を、 因果性の法則に 従わせる」. (. B 234). 等 の 構制 に顕著であ る。. 元来「因果性」概俳は、 存在 観 的には要素主義を 前提として、 要素相互の一方向一義必然的連関 性 のみを想定する 極めて特殊な 概念 構制 に他ならないのだが、 カント超越論哲学では、 それが「要 請」として、 客観実在世界の 事実法則として、 構図上そのまま. T 実践理性 批半UJ. に於ける実践哲学. にまで想定され 続けることになる㈹。 「独断のま どろ みを覚まされた」として 有名なヒュームに る. よ. 因果律批判が、 カント哲学の 核心を直撃した 所以であ る。. 以上明らかな 通り「超越論哲学」はその. 実一貫して、. 実在世界の客観的真理性を 自明の前提とし. ている。 然るにその実在外 は 、 「超越論的弁証論」・「アンチノミー」に 徴して無批判的に 見る限り. 明らかな論理矛盾の 相で現象せざるを 得ない。 それ 故 「コペルニクス 的転回」以降の「批判哲学」 の真の課題は 、 改めて実在世界の 矛盾を対象化し、 それを通じてその 真理性を権 利付け得るべく、 論理的誤謬・ 仮象の原因を 見定める普遍的真理の 学としての新たな 論理学を構成し 直すことにあ っ たのであ る。. 無限判断と超越論的 演紐論 (Principia. 『純粋理性批判』出版の 六年後、 1787 年に発表された『自然哲学の 形而上学的原理 metzaPhySiCa). コ. 一一. 以下『原理 団と 略記. でカントは、 その第三部門「力学. (Mechanik). 」. に於てニュ一トン 力学の所謂「 三 法則」を踏襲しつつも 自身の『純粋理性批判』に 於ける「カテゴ リー」. 452f). 表. ( 「実体性」・「因果性」・「相互性」. ). に基づき、. 「第一」「第二法則」を. 変更している. (Vgl.W. 「第姉法則」はカテゴリ 一表の「相互作用」にあ たり、 これは両者とも「作用一反. 作用」則で同一であ る. 一一. 問題は、 ニュ一トン力学の 近代性・定量的科学性を 最も体現していた「第二法則」. 一一. 運動.

(6) 28. 下城. 一. をカントが採用せず、. 量の変化率・ 時間微分. 「保存則 」をその第一とし、. ュ 一トンの「第一法則」・ 即ち「慣性別」を 配当していることであ. 「力学の第二法則. る㎝。. 物質の変化はすべて 外的原因をもっ. 一一. って状態を変えさせられない. 限り、 静止あ るいは同一方向と. 「第二法則」に 二. (如何なる物体も. 外的原因によ. 同一速度の運動状態に 不変にとど. まり続けるⅡ. 543) Vgl. 551)、 (IV. 止め カント「第二法則」も、 カント自身それを「慣性別」と 呼んでいるとは 言え. (. その形而上学的志向に 鑑みるなら、 アクセントは 後半の科学的規定ではなく 寧ろ冒頭の事実として の 「因果法則」の 提示にあ ると考えられる. 1 。)。. ニュ一トン力学の 科学的特質を 桂げてまでカントが 自身の「カテゴリ 一表」に固執したのには 無. 論理由があ り、. 『原理 コ. 執筆の根本動機、 即ち「本来的にそう 呼ばれるべき 自然学は 、 先ず第一に自. (1V 469) との信念から 直裁発しているのに 他ならない。 「全ての力学的 法則は動力学的法則を 前提する」のであ (1V536)、 先のニュ一トン 力学「 三 法則」の変更もカテ ゴリ一表で「 質 」に相当する (Vgl. 1V 474) 「動力学 (Dynamik) 」を双提としていた。. 然の形而上学を. 前提する」. り. 「動力学」の「第一定義」でカントは 次のようにい ,フ 「物質とは空間を 充当する限りにおける 運動するものであ る。. 動によって一定の 空間へ侵入しょうとする. ない空間は虚空間であ. 空間を充当するとは、. 自らの運. 一切の運動に、 抵抗することであ る。 充当されてい. る」 (IV. 見られる通りここで 言. う. 「抵抗力」、 即ち「斥力」 (Vgl. IV 536) こそ、 「動力学に対する 総註. 一. 即. 呵カー 斥力」であ るのに他ならない (Vgl. 1V 498)。 何故なら、 ヵント. が. 「個体,性. 」. を 成立させる物質存在の. 」. 第一原因、 「根底の力」、. で 「物質の種別」 ち 「根源 力 」とされた. 496). 「不可人性」概俳の 観念性を嫌いあ くまで実在的な「起動力 (diebewegende ㎞ a 丘 ) 」と定義した 「運動の原因」. 理 』「第一部門 い. う. 」. (Vgl.1V497) としての「引力. - 斥力」の意味は、 カテゴリ一表「 量 」に相当する 下原. 運動学 Phoronomie 」の「第一定義. 一一. 物質とは空間において 運動するものを. (1V 480) に照らして、 まさに「物質」に 他ならないからであ る。. 結局カントはその「力学. 第二法則」に 放 いて、 物 在を可能化するものとしての 実在的な「 力. の 存在を念頭に 置いているのであ. り. 即ち前掲『純粋理性批判. コ. 於ける「実体の 原因」・「根源的で 絶対的な唯一の 根源 力 (Grundkraft). それは『純粋理性批判』「経験の. 第二類推」に 於ける実在的「因果律」にも. レディカビリ ェ (述語 ) 」は文字通り「. 力 」であ る. (1755) で既に提示されていた「 力 」の定義. (. 「超越論的弁証論 」. 付録」に. (A 648f B676f). 通底する. 」. 一一. A 82 B108)。 『天界の一般自然史とその. 一一. その「 プ 理論』. 即ち「質量を 結合せしめた 最初のモチーフ、. 物質に本質的に 内在し 、 従って自然が 最初に発動する 際のその運動の 最初の原因にふさわしい」「天 体 の全運動の源泉」としての「引力」. (1 340) の規定. 一一. からその認識は 一貫しているのに 他. ならない。 カントの哲学的営為に 放いて常にその 念頭を去らなかった 以上の自然形而上学的・ 力学的内容に. 着目する限り、 実際のところその 営為は当初より 批判 期 、. T 原理 コに 至るまで一貫して、. ニュ一トン.

(7) カント超越論哲学とニュ. 力学が『プリンキピア の 継承的展開、. コ. 一トン力学. 29. で隠匿した自然形而上学的な「エーテル」実在 説 、 即ち「引力 一 斥力」 説. その発展的な 哲学的補完、 完成であ り続けた。. が然し、 となれば. 更. めて、 先にも述べたように、 一体「批判」の 画期とされる「コペルニクス. 的. 転回」の意味とは 何だったのか、 更にそこで革新された 新たな論理構 制 が批判 期 前後を通じて 体系 上同一の「純粋自然学的」内容を 保証しうる論理たりえていたかどうか、 そのことが問題化せざる をえない。 既に前節で指摘した 通り、 カントはその 思想形成の最初期から Ch. った。 このことは、 換言すれば判断の 質として肯定・. 形而上学との 対抗上「矛盾律」には 懐疑的であ. 否定の二個以外にそれ 以上の値が連続的にあ. ヴ オルフに代表される 伝統. り. ることを認める 意味を持っ。 つまりそれは「言葉」. ぅ. であ られされた肯定命題・ 否定命題双方がともに 否定されるとき ( もしくはともに 肯定されるとき ) 、 それ以外、 それ以上の別の 存在が志向され 態として、. ぅる 可能性を含意している。. 「判断表 」の第姉に「無限判断」を. の命名の理由は 、. [ 否定的排除の. 「. 後の ]. カントがそのような 判断 様. 掲げていることは 周知の事実であ. 余 領域が無限であ るゆえに」. (XXIV/2. (A70 B g5)、. り. 931) であ る。. 「無限判断」については 既に伝統論理学のうちで 繰り返し取り 上げられてはいた ヴ オルフはそれを「否定判断の. そ. 例えば. 一一. 外見を呈しながら、 実は肯定判断であ るような判断」㈹とし、 同趣. の 規定をバウムガルテン、 クルージウス、 ランベルト等々に 見いだすことができる 17)。 また当時一. 般 的だったライマールスの『論理学』には 次のような規定が 見られる。 「言葉上は否定を 呈し乍ら、 実際は規定的な 意味を持つ場合。 例えば、 不死 (Unsterblich) 、 無辺 (UnermeB. (Unendlich)J@(18). Ⅱch). 、 無限. 。 が、 そうした謂わば 論理的「仮象」を 、 新たな論理学の 主題に据える. までに発展させたのはカントを 以て晴夫とする。 「超越論的論理学」は「否定的述語を 付しただけの 論理的肯定値ないしは 内容に関してもその 判断を考察する」 「超越論的分析論」ではなく、. (Bg7L 。 然しそれが「真理の. 「仮象の論理学」としての「超越論的弁証論」に. 論理学」・. 放 いてであ ることは. 銘記されておいてよい。. 既にして、. T 否定量の概念を. 「宇宙の全ての ロに. 哲学に導入する 試み山 (1763) でカントは次のように 言っていた。. 実在根拠は、 一致するものを 加え合わせ対立するものを. 差し引けば結果的に ゼ. 等しい。 世界の全体は 自体的には無であ る。 他の何かの意志によらない 限り無であ る」. (ni97) ニュ一トン「引力 - 斥力」説を髪 弗 とするその内容は 勿論だが、 元来ニュ一トンを 発見者の一人. とする「微分」法は「極限 値 ゼロ」という 否定的表示のもと「微分 か 」という肯定的存在を 顕すの であ ったことも想起しておきたい㎝。 カントのこうした「無限判断」論に 収 飯 する思想的経緯の 証左として、 所謂「沈黙の 十年」にあ たる セ 十年代のカントの. 「分析判断では 述語. 次のような遺稿が 存在する。 b は主語概念 a. に向かう。 何故ならば述語. に向かう。 然るに綜合判断では 述語は主語概俳 a の客体 X. b は主語 a. に含まれていないからであ. (De DulSburglscheNachlaSsundKants] Ⅰ. 先に引いた如く. 「矛盾律」を. % ltlzismusum ヱ. 工. る」. 1775, 18(7) s. 97)0. 絶対とし「可能的なものが 存在であ る」とする伝統形而上学の 観念.

(8) 30. 下城. 一. 性に 飽き足らなかったカントにとって、 主語概念が指し 示す実在 こそは採るべき 方途であ った。. 「形而上学は. 自り. 客体 X へと向かう「綜合的判断」. 概念の分析による 認識であ る」と考えていたカントに. お. って (D 274)、 今やその課題は「アプリオリな 綜合判断の可能性」の 解明へと「転回」する。. (DerDuisburg.scheNachlass. 問題は、 「私に平行して 存在する或るもの」. (a.a.o.,10(18) ) に. 「超越論的主語」. 考えれば、. a b. ;a.a.0 , 8(5)L 、 即ち ・. を共属させ得る 論理の究明に 収 飯 する。 「無限判断」で. " b は相互に否定されねばならず、. その否定において 無限な肯定的領域としての「超越. 論的 主語」が確保される 一方、 同時にそれは 理性内部の論理的矛盾・ 論理的破綻の 存在一一 を 認めた意味をも. ンチノミー」一一. 「. ア. 持っから、 超越論的対象の 確保は最早理性以覚の「感性」を. 通じるよりないことになる。 「超越論的主語 X の感性化」. (. a.a.o.,10(18)). 一一. 所謂「物自体」. それがカントが 辿り着いた、 「矛盾」内在的な 論理的結論であ った。. の 論理の発見. 「光明の 69 年」 (Vgl.W 69) ではまだ「懐疑的方法」. (Vgl.B451) として腕に捉えられるに 留ま. っていた「無限判断」論が、 「超越論的綜合判断の 可能性」の探究に 拡張され、 「アンチノミー」の 発見に至って 決定的となる。 実のところ「超越論的弁証論」・「アンチノミー」の. 機縁となったと. 目. されるヒュームが 既に次のように 言っていた。. 「我々は、. 外的対象のうちに 宿るあ るものとしての 究極的かっ作用的な 原因を知りたいと 高 3. とき、 明らかに自己矛盾に 陥るか、 無意味な言明を 口にするか、 どちらかであ. (2 。). る」. 世界の形而上学的第一原因として 実在的「 力 」・実在的「因果律」を 考えてきた ヵント にとって. 、. ヒュームのこうした 問いが一連の「数学的」「力学的」「アンチノミー」にパラフレーズされたこと. は推察に難くない。 そのうちの「第一アンチノミー」、 (A 426ff B 454ff. ). 即ち「世界の 空間・時間的有限性・. 無限性」. を例にとれば、 そのテーゼもアンチテーゼもともに 偽であ る以上「世界」は. 有限・無限いずれの 時空量も持たない 存在であ ることとなり、 即ち「世界」はその 無限存在性を 肯 定 されて「超越論的主語」化されたことになる の形式とする 以外なくなる. 一一. (1V 328) 。 その「仮象」. 自体」的に確保していくのが、. 即ち矛盾の外貌を 呈して. 深化させ、 「超越論的主語」としての「世界」を「 無 規定的」 二 物 「. 「超越論哲学」核心の「超越論的弁証論」であ る。 それは. ランベルトに 倣って㎝「仮象の 学」とされる「第四部門 「定理 三. 一一. 真の矛盾対立をなさず、 反対対立もしくは か 反対対立しか 為していないケース. を真の「無限判断」にまで は、. 主観. 。 カントによれば「あ らゆる仮象は、 判断の主観的根拠が 客観. 的と見なされることにおいて 成立する」 いながらその 実、. と もに空間・時間についてはそれを. と. T 原理 コで. 現象学」に継承される。. 物質の円運動は、 空間の逆方向の 運動とは違い、 物質の実在的述語であ る。 対す. るに、 物体の運動の 代りに相対空間の 逆方向の運動が 想定されると、 それは何ら物体の 実在的 運動ではなく、 もしそ. う兄 なされるとしたらそれは. 単なる仮象であ. る」 (IV. 557). 言うまでもなくこれは「天動説」の 仮象性について 述べた「コペルニクス 的転回」のイラストレ イトだが、 抑々ニュ一トンの「万有引力」、. 即ち「天体を 結びつける見えざる 力. 」. (BXXD Anm.). の 発見にしても、 悟性常識的には 月とリンゴが「地面に 落ちる」Ⅰ「落ちない」という 見かけ上の. 矛盾関係を形成していたのに 対し、 宇宙規模に視点を 移すことでその 矛盾は解消され、. 「万有引力」.

(9) カント超越論哲学とニュ. と言. う. 一トン力学. 31. 新たな「超越論的主語」にそれぞれともに 共属されることになる、 というわけであ る。. そのうえで、 然しそうした「世界」の「無限判断」的な 発見 否定に基づく. 「世界」の「超越論的主語」的発見. =. 一一. 「物自体」的発見. 理性的諸命題内部の 矛盾の を 方法とする「超越. 一一. 論 的論理学 = 認識論 二 存在論」は、 一体充分にそれ 自体「真理」としての 普遍性を有しているのだ ろうか。 それが最後の 問いであ る。 先の懸賞論文『自然神学と 道徳の原則の 判明性』. (1764)でカントは、. 「形而上学」を「数学の 定. 理」同様明らかな 普遍的真理であ るとしっ っ、 然し「証明不可能な 根本命題」を 単数とのみ考える 常識の独断性を 批判して (Vel.Ⅱ 281) 次のように述べている。 「その ょう. な命題は、 直観的認識同様、 具体的考察による 解明のみ可能であ る。 然し決して 証. 明 はされない」. (D 281 冒頭指摘したよ. う. ). に、 論理的認識根拠と 区別して実在的真理根拠の 必要性に想到していたカント. は 、 ここに至っていよいよ 両者を峻別し、 形而上学的実質原理の 必要性. 一一. 貝口ち. 「アプリオリ. に 早くも気づいていた。. な 綜合判断」探究の 端緒 (2幻. 「実体、 因果性、 正しさ、 公正さというような ば定義されるものではない。 ば 適合する実例によってのみ. ア ・プリ オリ. に与えられた 概念も、 厳密に言え. ・‥概俳分析の 周到性は常に 疑わしく、 従って周到性は、 しばし 蓋然的には確実となり 得るが、 然し必然的には 確実になり. ぅ. るも. のではない。 そこで私は、 定義という語の 代りに提示 (Exposition) という語を使用したひ」 (B 756f.) T 純粋理性 批半捌の要であ. る「カテゴリⅡに 関しても本質は 同様であ る。. 「私はこれらのカテゴリ 一に定義付をおこないたいのだが、 この論文では 故意にそれを 省略す る。 私は後の著作で 方法論に関して 必要な程度までこれらの 概念を分析するであ ろう」. (A 82f B l08f) さりながら、 事はかかる真理性の 事実的本性に 関わっている。 『批判』全体の 末尾「超越論的方法 論 」でカントは 言. 「生起するものはすべて 原因を有するといった 命題. [ 因果律 ]. は、 そこに与えられた 概念だけ. からでは決して 根本的に理解され 得るものではない。 それは他の見地、 厳密に言えばその 可能 的 使用の唯一の. 分野であ る経験においては、 十分に必当然的に 証明され. ぅ. るけれども、 とはい. えそれは本来的にはまだ 証明を必要とするものであ り、 原則とは呼ばれても、 決して定理と 呼 ばれるべきものではない。 というのも、 この命題はその 証明根拠であ る経験を先ず 自ら可能化 し、 しかもこのような 経験において 常に前提されねばならないという 特殊な性質を 持っからで あ る」 (A. 737. B. 765). 「対象に意味を 与え、 それを定義する 仕方」が「カテゴリー」の 機能なのだから、 当然「カテゴ リ. ー 自身は定義されえない」. ( A. 241L 。 さながら「超越論的概俳」の「綜合的」使用を 髪 髭 とさせ.

(10) 32. 下城. る 内容だが、 第二版でのこの 部分の削除が 示すよ. 一. にここに問題の 鍵 鎗 があ ったことは間違いない。. う. それが「超越論的 演 経論」を紛糾させた 原因でもあ る。 が 然し 、 ここに 累 ねて「権 利根拠」についてのカント 独自の思考を 考え併せる必要があ る。 「論理. 的真理根拠」を 明らかにする「証明根拠」に 対し、 カントがそれとは 明確に区別する 必要を認めた 先の 「実在根拠」に 対するそれが「権 利根拠」であ る。 そしてその内容こそ. 当時の法廷論. 争用語から採られ、 相手方の論証の 論理矛盾を否定的に 論証することで 自身の主張の 肯定性を担保 する、 頗る「無限判断」的な. 一一. カント独自の「 演緯 」概俳であ る (Vgl.B116). 「それゆえ哲学は 公理を持たず、 さりながら ア. ・プリ オリ な原則をそのまま. 思考に押しつける. ことも許されない。 寧ろ哲学は、 その ア ・プリ オリ な原則が有権 的であ ることを、 根本的 演縄. により弁明することを 以て満足せねばならない」 (. 「権限、 あ. B. 761f). るいは権 利要求を明きらかにすべき 証明を演 檸と 呼ぶ」 (ibid.. ). 「概俳の所有の 起源」を問題にする「事実問題」から 区別しで、 哲学が取り組まねばならないこ とは、. 「そのような. 概念を い かなる権 利で所有し、 またそれを必要とするのか」という 実際的・実在. 的な「権 利問題」に他ならない. (Vgl. XW. 「批判は い かなる付与された. 267) 。. 表象も生得的表象も 絶対許さない。 表象が直観に 属するものであ. ね 、 悟性に属するものであ れ、 批判はそれらをことごとく 獲得されたものと 見なす。 然るに そ こには. ( 自然法学者が. 言うように ) 根源的獲得、 即ち以前にはまったく 存在せず、 この獲得と 式、. の. 形. 物. る キノ お. @ し. 奇問 廿. 空間. プ Ⅰ. 第. 源一. 得る 獲あ 的で. ,フム口. よ綜. のの この. ほろ. こお. ろけ. 策. 張 ・に. の. 圭三. とに. いう行為に先立っては 何ものにも属さないものの 根源的獲得というものもあ るのであ る。 批判. (Vmmm2l1) 従って実の処それは 冒頭引いた「実践哲学」的課題に 全く相即することともなる。. 『実践理性批判』. の 課題は周知の 通り、 「純粋理性の 事実」の「 演縄 」、 「即ちこのような 最高原則の客観的・. 普遍妥当. 性の弁明」であ ったのに他ならないからであ る (KpV. V 80f.) 。. 自発的主体の 力学的倫理学 翻って 惟 えば、 「純粋理性の 事実」を双にして ヵ ント批判哲学が 採るこの「超越論的 演緯 」法は、 ニュ一トンが『プリンキピア. 等の. 「定義」から. コ. で採ってみせた 方法論. 一一. 即ち「物質量」「内在力」「覚在力」. 出発し、 そこで用いられている「空間」「時間」「位置」「運動」等の. いては周知のものとしていっさいそれら. 基本概念につ. 自体は定義せず、 ただ実例を「注解」として 示すにとどめ. と同趣 のものであ る。 両者ともその 根源的原則の 証明は、 論理的に遡源不可能であ. る構制 る 故に、. 「事実に訴える」以覚ないとする。. カントは 、 先に例証したニュ 一トン「引力 - 斥力」説の継承的展開を 暗 矢 として、 新たに構想、. された「無限判断論」・「超越論的論理学」を 駆使して、 実際実に良く『プリンキピア』の 方法論 一一. 「近代自然科学」的方法論. 一一. を哲学的に「基礎づけ」、 補完、 完成したと言えよう。. 『. 原.

(11) カント超越論哲学とニュ. 理刀. 一トン力学. 33. 冒頭に掲げられね 次の言葉は、 それゆえそうした 経緯を持っ超越論哲学全体を 貫通する通奏 底. 昔 であ る。 「すべて特殊自然論においては、 められる」. そこに数学が 認められる程度によってのみ 本来的な科学が 認、. (1V 470). 無論その意味は、 「数学」が「理性の 事実」として 事実正しく真理であ り続ける限り、 という限定 付きであ り、 その限り、 理性構造そのもののうちに 含まれる矛盾的契機の 否定を媒介に「無限判断」 的に発見された「理性の 事実」に対して、 「超越論的哲学」は、 それが「何か」を 問 何にそれが可能か」を. 問. う. う. のではなく「如. 「超越論的根拠付け」・「超越論的 演 経論」をその 本質とするのであ る。. その意味でそれは「予備 学 」と呼ばれるのに 他ならない (Vgl.B lgL。 「超越論哲学」の 真相が以上のようなものであ るとき、 その延長として 標貌 されるカントの「 意 志の自律」の 倫理学・「純粋統覚」論の 意味合いも当然変化せざるを 得ない。 カントは、 「直観の多様」を 統合する必然性の 根底として、 その「超越論的根拠」・「超越論的制約」. としての「超越論的統覚」を 提起し. (. A106f.)、 その本質的規定としてそれに 自発的能動性を 与え. ていた (ibid.)。 かかる「自発性」は 然しまだ、 「直観的所与としての 多様の綜合」に 後っものとし て 「経験」を免れないが、 直観の多様が 綜合される際の 主体 = 「思惟する自我 (Ichdenke.) 」と「多. 様」との「必然的関係」は、 この主体性の 全き「自発性の 作用」のみに 拠るものとして、 それを カ ント は「純粋統覚」と 定義する. ( B. 動的な「規定する 自己 (bestimmende 義 必然的に. 一一. Selbst)」として. 一. 純粋に能. 頗る「力学的」に 、 即ち一方向. 受動的な「規定される 自己 (bestimmbare Selbst)」と区別され (A 402) 、. 性」に上位する「純粋活動性」、 される。. 132L。 「全き自発性」としてのこの「純粋統覚」は、. 「悟性」が従. う. 「. 一. 悟. 即ち「理性 (Ichwill/Ichhandle) (A 546f B574f) として定式化 」. べきは対象存在の「事実必然性 (Sein)」であ るが、. 「理性」の従. う. べきは「当. 為必然性 (Sollen)」のみであ るとされ、 これを以て理性の 全き「自律」、 理性の「自由」が 確保さ れるとカントは 主張するのであ. る. (Vgl.1V 452) 。. 問題はしかしその 全き「自律」であ る。先に見た超越論哲学の 根本性格に徴するなら、 を通じた「超越論的主語」としての「物自体」としてであ あ る限り、. 「無限判断」. れ、 どの様な判断もそれが 真なるもので. 経験的実在成分、 即ち所与としての 受動性、 を何がしかは 含まねばならなかった 筈であ. る。. その点に鑑みるとき、 更に検討されるべきは、 純粋な自律的理性が 関わるとされるその「当為必 然性 (Sollen)」、 即ち「 法 」の存在性格であ る。 カントは T 実践理性 批半Ⅲでその点を 考察して次のように 言. う. 。 道徳主体としての「理性」は 、. 健 かに「感性的」要素からは 独立であ りその限りそれは 消極的「自由」を 達成しているのだが (V30) 、. 一方「 法 」は形式的条件としての「立法」を 通じて「意志」を 規定する。 「自由な意志は 、 法の実質から 独立しているにしても、 なおその規定根拠を 法のうちに見いだ. さねばならない」 (V. 29). 従ってそれがそれ 以上に積極的自由、 即ち真なる意味での「自律」を 獲得するためには、 主体は.

(12) 34. 下城. 一. 「自身の意志の 格率が 、 常に普遍的法則となる よう に」、 不断に意欲を 続けなければならないのであ る。 「意志」は、 「自己立法的なものとして、. まさにそのゆえにはじめて 法に服従する」. (. Vgl.W. 431L 。. 見られる通り「自己立法する」「自由な 意志」も、 その全き「自律」を 獲得するためには 自身の立 法 内容が「常に 普遍的法則となるよさに」現実的実在と 関係しないわけにはいかない。 その論理が、 法廷論争的に 間主観的承認を 得るために「事実に 訴える」、 「超越論的 演 経論」同様の 論理構利 一. 即ち、 矛盾する現実の 自由な批判的否定を 通じて自己を 無限の肯定的領域 二 法 」領域に置く 、 「. 「無限判断」論的論法. だったとしても、 尚のことそれは「感性的」にではあ れ「物自体」. 如実には自ら「構成」する. 的 実在 き. 一. 自発性」「純粋統覚」に. 力学的表象. に 律せられざるを 得ず、 その限り「 全. 一一. 自由」も、 実際には経験的実在に 対し完全に「自. 拠る「自由意志」・「理性の. 発的」 ね 、 即ち極めて力学的な 一方的 = 一方向的一因果連関性を 維持することは 不可能なのであ る。. 実際その関係はあ くまで双方向相互的でなければならないというのが、 「超越論的哲学」本来の 結論 であ ろう。. カント自身『批判. 第二版』の加筆では、. 依拠させて展開しており. (. 互 承認的本質はもとより、. Vgl.B12gff)、 「. 即して思考していれば、 「意志の自律」の 相. 虚心にそれ・に. 法 (Gesetz)」の実践・自然 両 哲学横断的な. 優れて「自己立法的」. そうであ るような. 演 経論」を相互承認論的な「法廷」モデルに. 「超越論的. まさに「数学」が. な 本質も見抜かれ 得た筈であ る㈱。. 「自己立法的」. 学 」ではなく. やはり. 一一. 「実在. 由 り」. な. 「. な. 「. 数. 力 」の 学 、 即ち「 二ュ 一トン力学」であ った事実に尽. きよう。 翻ってその反省は 然し、 無批判に近代的「自発主体」を 擁する昨今の 倫理学の総体に 鎮 められれ ばならない筈であ る。 註 :。. カントからの 引用は、 T 純粋理性 批半M は、 ,貫側 に従い第一版を. A、. 第二版を. B. とし 各頁. 教 を 、 その他はアカデミー 版の巻数負数を 括弧内に記す。 (1). Vgl Peter ̄laaB・, Kantsゝheorie‥er¨aturwissenshaft 1965 , Vorrede ・. ・. ァ3. 昭。 ⋮ , 参. 8 9 9 1. 岩 (波. しと. 明ン. とト. の ﹁Ⅱ. 解カ. こ芳. と明. 系. る宮 あ都 で宇. る体. (2) カント超越論哲学・ 実践哲学が、 「自由、 神、 永遠の命」を「理性信仰」の 対象として成立す. (3)@ Vgl W , Windelband@;@Die@Geschite@der@neueren@Phisosophie ・. 1922.. s,. 128f. ,. ZweiterBand. ,. ・. (4) ヵント の 力 の概念に関しては 以下の論考を 参照 VgL.H.HeimSoth:MetaphySische. Motive in derAusbildung. StudienzurPhilosophieImmanuelKants,. 黒崎政男. des kritiSchen Idealismus,in. s.18gff. 「『純粋理性批判』と カ の概念. (東京大学文学部哲学研究室、 『論集. 一. 1J. 1972. 一一. 所収 ). 自然の統一と 多様性をめぐって.

(13) カント超越論哲学とニュ. またその ヵ ント超越論哲学が 未だ払拭. し 切れずにいる. 物理学主義的「 力 」学的世界観を 、 ヵ. ント による「因果律」の 無 批判的受容を 攻略拠点に本質的. 現象学』「意識」最終 節. 「. 35. 一トン力学. に批判したのが、 へ一 ゲル. ア. 精神. ,悟性」である。. カと. 拙稿「 カと 悟性一 へ一 ゲル「 力 」概俳批判の 射程」 ( 「倫理学年報 J 45 集慶応通信 1996. 所. 収 83-97 頁 ) 参照。 (5) Ch.Wolf;Ph. Ⅱosophia. prima siveontologia',GesammelteWerkeBd.1.2. (6) Vgl.KanfPrl]nciplIorlUumpr ]morumcognltlonlis Ⅰ. (7) Vgl.E.Cass lre ュ. ⅠⅠ. Das. Erkenn. も. S 135, s.116. metaphysicaenovadllucidatl<0. nlsproblheIn ln der PhllosophlNe und. (1 393). WlfSsenschaft. der. neuerenZeit.Bd.2,S.406. A.Koyre:"TheSl. gni且 canceof fheNewtonianSynthesis'lnNewtonianS も. こ. も. u. 田 es. 1965.9.7. (8) こうした解釈の 定番として、 その時期のカントの 志向を「物理学者の 物自体」と評したアデ ィッ ケス を参照 Vgl , Adickes , Kants@ Opus@ Postumum , 239. @@. (9)@ Newton;@Isaac@Newton. (10). , s@Philosophia@naturalis@Principia@mathematis@3rd@ed. , (1726) ,. p. 764. ・. 第二版 (1713) で追補された「 総註 」末尾でニュ 一トンは 、 神の世界創造の 賞揚に続け. る. て あ くまで自身の 論考が重力現象の 解明に留まり 重力そのものの 解明には立ち 入らない旨を 告. げた後、 一転、. 自然. 汎通 的な「微細精気㎏ piritussubtilisSimus. ) 」論を以下のように. ニュ一トンの 真意が奈辺に 在ったか 付 度を誘わずにはいない 箇所であ. 展開す. (Vgl. る. WestfalLForce(n¨ewton's ̄hysics,p39!f )o ・. 「この精気の カと. 作用によって、 諸粒子が近距離で 互いに引き合い、 接触物は結合し、. 帯電物体は遠距離で 作用し、 隣接の粒子を 引きつけたり 退けたりする。 またそれによって 光 が放出、 反射、 屈折、 回折され諸物体が 熱せられる。 更にまた、 全感覚が刺激され、 動 物の分岐が意のままに 動かされるが、 それはこの精気の 振動が神経繊維を 通って外官から 服 へ、 脳から筋肉へ 伝わることによる。 (Principia764f.,Vgl.16) 」. 並びに『光学』「疑問 31. 」. (Opticks;operaomunia,. 260) 参照。. 因に 、 ニュ一トンはその 修学時代以来デカルト 的実在「 力 」の概俳として. 一. 的には不要の. 「内在力. ピアコ でもあ えてそれを「 テンツ. (㎡ s. 一一. 「力学」. insita)」概俳に固執し 続け、 不要であ る筈の『プリンキ. 外力 (visimpre ㏄ a/actio 作用. ) 」に抗する受動的・. (potentia)」と呼び換えてまでその 維持に努めただけでなく. 内在的な. 「. ポ. (Vgl.Principia40) 、 第二. 版 追補の「哲学の 規則」でそれを 物体の基本性質に 算入するに及んでいる。 ニュ一トンの 形而 工学的. (11) 松山寿一 斥力とモナド. (12) 註. (. 一一. 側面 丁. 「. 力 」の実在 視. ニュ一トンとカント 一カ. 一. 一. の 実際を窺わせるものとして 興味深い。. と 物質の自然哲学』. ニュ一トン派の 引力. -. (晃 洋書房. 1997) 第三章「引力. -. 斥力説とカントの 自然モナド論」、 142 頁以下参照。. 1) 参照。. (13) こうしたカントの 事実追認的態度・ 物理学主義に 対する. へ一 グルの批判については 前註 (. 4). 参照。. (14) 松山寿一. 前掲 書 第五章 211 頁以下参照。. (15) 先に 註 (6) で指摘しておいた 通り、 ニュ一トン自身. 一. 件の現象主義的な『プリンキ. ヒ. 。.

(14) 36. 下城. ア 山内部においてさえ. 一. 一. 実在的な「慣性 力 」に拘泥した 事実を想起。. (16) Ch.Wo Ⅲ a.a.o., S 209,s.201 (17)@ Vgl , Lambert;@Neues@ -Baumgarten@. Organon , 1764@ (Philosophiesche@Schriften. ・. H@1965)@ s , 217. , 1761 , @@126.@s 38f. , Acroasis@logica. ・. @@Crusius@ >@W0g@zur@GewiBheit@und@Zuveria@@@igkeit@der@. ℡ Onschlichen@Erkenntni@J3@. , 1747. , ffl, 1965.)@@@ 226.@s 426. (Hauptwerke@Bd. ・. (18)@ Reimarus@;@Die@Vernunnftlehre. , 1766@ (1979) , @@ 151 , s 149. (19)@ Vgl , Hermann@Cohen,W0rke@Bd. , IV@; ogik@der@reinen@Erkenntniss. ・. (20)@ David@Hume@> , The@philosophycal@Works (22)@ Lambert;@Neues@organon. (22) Vgl, Dle er Hen lch@ Kan で. も. も. S. 『カント第姉の 思考. , 124. , vol@1 , p 546. ・. , Philosophische@Schriften. anal 舶ische で undsyntheti5cheYUr. (23) 石川文 康. , Bd. , Bd@ 215. Denken 1762/3,Jber den UrSprung de Unterscheldung Ⅰ. もe Ⅱe,inS. 化. Ⅰ. u 山 enzuKants ̄hilosophischer・ntwicklung. 法廷モデルと 無限判断』. (名古屋大学出版会. 1996. ). 151 頁以下参照。. (24) カント自身 T 判断力牝牛口では、 「自然」の因果論的 構制が 、 悟性概念の統制的使用に 基づく 投影であ ることを認めている ( Vgl.XX 35gff)o.

(15)

参照

関連したドキュメント

 

[r]

[r]

Sie hat zum ersten Male die Denk- und Erfahrungshaltung als solche einer transzendentalen Kritik unterworfen.“ (Die Philosophie der Gesetzidee, S. 1) Wie Dooyeweerd herausgestellt

本研究科は、本学の基本理念のもとに高度な言語コミュニケーション能力を備え、建学

本研究科は、本学の基本理念のもとに高度な言語コミュニケーション能力を備え、建学

本研究科は、本学の基本理念のもとに高度な言語コミュニケーション能力を備え、建学

(45頁)勿論,本論文におけるように,部分の限界を超えて全体へと先頭