天の岩戸神話構成の研究 (1)
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(2) . GAKUGBI. I VO .1 .l , No. 1 ) ecer nber ,19491. 天 の 岩 戸 輝 話 構 成 の 研 究 (-) ・ 宇. ‐. 野. 幸. 雄. ・ 7‘ Yuk i i : A St ng ,of Armno-lwato, Japanese M ythoIQgy. ・ udy on the M観n o Uno. 問 題 の 中 心 と研 究 ,の 方 法 ・ 太陽n a 津であると考え.られている天照大蔵iが、 天の岩月に隠れた鴬に pであり 、 同時 に天皇の租先河 F I Iを呼戻す鴬に様々の祭犯 天地が員暗になり、 龍物窒息 した。′そこで高天原の赫々は、 再び此の 断f 行鷺を責修した結果、 砦戸より連れ出すごとに成功 して天地,は明るみを取戻 したという此の天の岩 r hとい う榔念と、 を明らかにすることに よっ て、.古代天皇の粗先ホ ‘話の構成の歴史的意味、 “ ” 戸隠れのi っ 稿を越 した次第であるが たいと思 て ゞ こ の 目 的 の鷺 に、 天皇の 生格との関係の在り方を究めてみ ・の関係は如何なる間柄に あ n {と天皇と nであろうか、 そ してこの前 1とは如何なる性格リデ l は、 天照大河 ● しているのだろうか、 叉そ か たり出たりすることは ー 何を意味 るのだろう 、 叉此の荊 が岩戸に隠れ 、 とはきんな聯開を持つでいるか、 等の問 題か ら論を進めていき の鴬に岩戸前で質修された祭犯 行鴬. 本的研究 ′た ぃ。 そし ,て、 これにはさまざまの研究方法が考えられると思うが、 先づ記紀の史料の塞ご ‐ を厳密に行うこと、 特に従来兎角閑却されていたと思はれる書紀収載の各の 「-書」 -の記事の比較 ・なった ‐誘き討を充分にするこ と 更には 此れをもと と して此の荊話の体系を裏付ける歴史 的基盤と 、 ・、 西歴七、 八世紀頃までの、 古代日 本D民族生活の様相--特 に古代王者と しての天皇の在り方を中 、 r h話 構成 が 究 明 せ られ て い く、 と い う 立 場 を とっ た。 て 此のボ 心 に -- との 閥 隣の も とも - とい うこ と を 先 づ断 っ てお こう。. き i r pと して考え られているという鰯 か ら先づ論 じ 大陽画と しての夫照大河唯、 同時に叉天皇の組先n r i て求め ることは、 古代世界て共通 して見られる事責であ り、 たv P ・と思う。 古代王者の旭先を太陽耐 ) 太陽崇拝と密接な 特 に ァジャ北方の満蒙諸族の始租訂 神話 は、Q 、開係を持つていて、 帝王を日の御予 ● - とす る湖念と儀蔵 あるが、 日本の場合・ との -とが、 之等満蒙女化の特質であると 考え られているので‐ ・孫であるとの 観念と俵鰹は、 充分に指 ぁ神話的聯間 は簡軍には言えないがゞ 然 し天皇が日の御子の? . 摘 するこ と が出 来 る。. 舌的要素が多く、 叉東征物 -武天皇であるがこの天皇にまつわる記紀の記載 閥飾言 第一代の ぜ .天 望まボ はなV を だろうとずる考え方もある r 、 h武天皇が紳話 語は 必ず しも歴史的事責 反映 したので が、-然 じボ こしても、 荊1代巻の赫々 との間には、 明瞭な断絶が存 している。 第一に天皇は霊 界と ′ 的 存在であるこ に於てなされている。 此虞では、 科 目身であるより も稗 を祭る司祭者 の交通の仕方 が、 夢という形. iで あ り、 守 護 稗 で あ る。 しか も 天 皇 i げ !々 に は、 の 姿 をとっ て居 り、 高 天 原の云 = , 天 皇 足 とつ て は 旭 先昂 、 2 ) ( を 言 トの で ヴ 借 り る な らば .my而s あ り ン c胎 Hdden胤ge, の 活動 舞台 は、大 和 と い う 歴史 的 地1 : 、 i d l よ り Hi 〔 s s che He or n e s a e えの 移行が明察に看取される。天皇の出現 は、 来るべき 「英雄時代」 g - い - の 曙光を明察に 1の子孫 であるとの自覚は充分ににじみで ・物語って る。,さて此の天皇が、 目の前 r 天皇 「吾は 臨 め,御子と して・ 叩こ向いて戦ぅことふきわず」 と言はれて いること てい るo , や、 の ・ , ・● . . - 道案内を じた八処鳥が日の精と考え られていること、 更には金色の露鶏 が天皇の戦を助けたこと等 は・ こ の事 を良 く 物 語 っ て い る と 愚・は れ るo. 然し紘に注意しなげれぱならないことば、英雄と,して. -と しての太陽肺の荊露の力幅護によるものではなかつ労 すべて組先翁 ! の天 皇の大和平定の大事業が、, 、.
(3) . - ニ ー′ キ ご 第1 巻 第 1貌. 4年12月 昭和2. ;とで あ る。 記 に は 此 の 日中=より 授 か っ た 霜 剣-「フッノ ミ と 八 閥 鳥の道 案 内 の事 の みが 天 紳 , ● - ,タ マ」,. ‐ の助けであり、 叉之等が天皇の大事業を完成 させた最大の原因と・も考えられてい・ ノモ γ る成程 「フッ . ノ ‘ ’. ▲ ’ . . タ マ は 英 雄の 偉 力 を 彼 揮 するに は 最 も ふ さ わ しい鱒 能を 有 す る も の で あ り、「フツ」‘と い‐ぅ 言 葉 . 一 、. 自身が、 朝鮮よりの刀剣文化の渡来という大きな文化的、 歴史的事質を含んでい ることを先寧も論 - ; } したように 外来的な武器を利用L ての英雄的武力行鴬が古代王者としての天 皇の稲武の性 ・, , ご 諺! 、 格を良くあら らはt て い る。 然 し書紀の記 ,載には、以上の武力による英雄と しての天皇の外に、鉾刃の威を仮りない で坐ながら 「 - ′ にして 大和討平を遂行して1 ・く司祭者 とtての 天皇の姿が躍如と ,る。 天皇は夢に ノ ,して ,あらはれてく ぅに部1 ニ ン -地蔵を祭るよ- り よる天示 Lとの露交によって、 巌給と稲する数多くの土器を祭記用具と して天刑 え られ る。 そ して 之 を 賀 行す る こと に よっ て 次 々 と勝 利 を して いくの で あ る。. rの圏外にある、 天岩戸・ 前に賓修さ を中 とする祭犯行篇 蔵釜 -を用具とする祭犯行鷺は、 天照大綱- . 心 ・ 文化と別・.・ た祭 つわって後達 記 し にま ” れた数々の祭記には少しも之に縁がなかった。 むしろ此の日ボ ー系統の祭記文化が葱に始めて登場 したのであ る そして それは 高皇産露草を中心 として展開 してい. 。 、 r、 今高皇産電算を以て朕れ親 ら琢蔚を作さむ、 汝を以て ′- く、 紀によれ ば、 「時に道臣命に勅す らく ‐鴬 し一 叉 火の 癖主と して、 授くるに巌媛の貌を以てせむ。 而 して其の置ける埴 蜜を名づ けて厳父と ‘ ● 1 」 名をば巌香束雷とな し、 水の名をば巌 貧象女と篇し、 波の名をば厳稲魂女と偏 し、 薪の名 をば巌- - , ‐ 雷と篇 し、・草の名をば巌野雷と篇 した まふ」 とあるように此の祭薄巳は、 要するに・ 、 土器、 火、 水・ くらひもの 根、 薪、 草、 等が聖な る祭りの用具であり、 此の土器に食料た る緒を煮てそれを食することが祭 ,「 ‘ 犯行鴬の 贋修に外ならなカyつ .たのである。. 天 皇は 「その巌篭の鞭を嘗める-に とによって 荊の嚢能を身に体せられたのであろうと思はれ る。, ての大嘗祭 を芽発 さ せ 此の祭卿 農耕的要 素が極めて大であり 、 後世天皇の重要な司祭的 行事 とし - るに充分であ る。 然るに之は天の岩戸前の祭犯行事とは全然 無縁なも のであったことに重ねて注 意, . - 1 hの命 を受けて、 園土に降 臨する時に従った梓緒 績ま・ す べて, を向け たいと思ふ。 ニニギの律が 印言 -の 祭 儀に参列 した人達 ,から構成され;いた以上、 此の 子孫たち天皇を ‐ -天の岩戸前で行はれた大 勝げ もの,でなければ な っ んでい る祭記圏は、 岩戸前の祭儀を原型と し、 叉はその展開され渡大された. ・ らぬと考えられょう。 然るに後逸するように、 岩戸前の祭儀は農 耕的性格を持つことが甚だ疑問で / る土器を中心と した祭犯行鴬 が、.女天皇の 一半の司 砦 あったのに劉・して、 極めて農耕文化を代表す・ . \ .と同時 形式を物語つてい るとの事 質は、 司祭者と しての天皇の二重の性格を意味するものである。 に記紀が天皇の時代に入 るに及んで、 蕊に静代巻と明瞭な断絶を示して るという上記の論講は ・ ー トと仰いだ古代王者の性格を考えるに富って見逃すべから・ , m 太陽柿と天皇の関係、 即ち日のi pを嵐先ボ . ざ る事 責と いえ よう。. 「然 し此のタ ガミムス “内な司祭形式は、 書紀にの み記載せられて おり、 極 めて中園的臭味を .特 , ってい ることは、 ル ヒの事が、 後世飛 ,鳥奈良時代にかけて歴史編纂事業が行われて、 建国という大事 、 . -・ た 皇 件が回想され 際の、 現置り天 のあり方の過去えの投射と解されるむきもあってき此の飛鳥か ら - r ムスビド 勺な天 皇の司祭形式が優越性を獲得 しつ ふあったことが考えさせら 奈良にかけては、 タ カモー ー -此の天皇 以後まだまだ徽 く i話 かかった憶説的記録は\ れるのであるが、 更に日の御子と天皇との前 .時代まで は のであって、 之が園内及び朝鮮牛島にその統治糖を確 立 した、 いわば天皇制確立 完成の ′大和 この完成の時代までに起った天皇の統一事業は、 ;っの大きな形で史上にあらわれるd 即ち 武律の西征東伐の事業と荊功皇后 ある。 ・ ,の三韓征服事業とで・ 前者は、.全く英雄的天皇族の勇者の功績を物語ってい, るが、 此の律の 「オバ」,にあたる倭嫌命の 55. ・ . “ ,.
(4) . ‐I GAKUGB. vol ・ .1 .} , No. Dec C ember o ,1949. を我汲に物語ク て . rと しての天照大神の神霊による力が、 職局を決定的にさせたこと・ q 奉記する旭先示 1の市 ー威を額す草 i くれる。 天照大綱 ,なる繋剣と同様に .難の鞭剣が、 建国の際の 「フツノミタ マ」 ,天皇 の統 一事業を助けたのであるも rよりは極めて政治的 武力的 r , iは、 此魔では農業荊である r hと して伊勢に肥ら れた大蔵 天皇の租先爺 、 ‐ - ・ ・ ′ “ . ● ー , ‐ - .・ ‐ ・- と思われ ヒ 明白にな 甘 の事業は 伐事業に於て更に 後者印ち る る そ して この事は 三韓征 であ る 。 、 。 、 . されてあって、ボ中意のまにまに 征討事業が行われた ことを記 し. 記紀によれば全く市 中話的物語に架構- . ● 」 ▲ ● ・ ・ ・ ・ iの荒魂 が霧擬 さ ており、 殊に天照大綱1の荊霊の加護を張く述べてある。 然も紀によれば、丑ヒの大河 一れてv す -の徳は天地に遍満 し六合に照徹するという太陽赫と ‐ け ・ることに注意 しなければならぬo 此の旨 しての形容は、 前代の巻に於てこそ 見られた が、 建園以後の大きな働は政治的であり、 武力行鴬を , 援護するものであったのである。 . . , 七、 八.世紀の頃の天皇と日荊ーの.- て、 階唐国家と直接の文化的交流が盛んに行わ れる、・ . 加朕座 日出便停理務云 格をあらわす文型と じ ,て、「倭王以天篤兄、 以日篇弟 天未明時 出憲政 足 之 「 加映座 墳 印ち日の前に 我が弟 して太陽を仰 ぐ祭司その‐ ものの姿こ.. 」 委我弟」 と書かれている。 ‐ は - 、 そ倭王と しての天皇であったこと を雄繋に物 語っていわ しまいか。 何れにしても日と天皇の閲係は′ ; 密接である0,太陽と古代園王の密接な関 係は、 敵て日本に限 るもので なく、 日本の場合、 満蒙諸族 テ とは後に述べよう・ム思うが、 ー lの在り方に極めて酷似 してい\ るこ● f の王者と太陽罰 ,只皇室文化の源 流を. 論ずる場合、 天皇族の文化は雨満古代図家の扶像やぐ高句麗の文化に近い闇係を持つ一種の牧民的 軍隊的性格の王侯文化であって、 これが列島に進入 して束て、 先住民の米作農耕文化を展開 してい 日本文化の根幹が出来上っ たのだと 説く た母擢的村落就曾に 入り込み、 雨 者の混清によって、 古代‐ L )見解は一考に償すると思わ けれども、 中園的文化÷÷ 楽浪の影響も含めて +「渡来‐ 鰹的( 民族, 、れる. ▲ 以前の文化に北方 的要素がなかっ たとは断言 し難く 、 鋼生式農耕文化が半島を通じて渡来 したとt 、 て も渡来以前に於て北方要素を含有! ていた きとも考えられるであろう し¥それ以後とても、 大陸 文化の渡来に北方的要素が強くて、之が天 皇族の‘性格を形づくったと考えることも出来 るであろう。 .. 5 ) 此 の 大蔵1を 天 皇 の 旭 先吊ば 「 1話 が農 業 的 性 格 を 持 っ て い たと す る見 解 はき( -と し i 只 然 しァ,マ プ フ ス“ -.. とが出来ないのであって、 この事は天の 岩戸前 -話の究明に於て て考え る場合には、 全然支持するこ- . . r. ●. 忘 れ て は ならない 事 柄 で あ る と 思 は れ る.. ・ ・ ● ′. 」. ・. ・. 、. ‐ルヒの事はへ 天皇族が、 古墳文化を経過 して中園的、 階唐文化に光被され る七、 八世紀の時代まで -も開聯して いる ごとな ・ に、 君 主とt ての立 場を髪化させていく、 即ち司祭的性格を憂えてい- く・ 乙と - - の で あ る。 次 に 天の 岩 戸 事 件 に 移 ろ う。 二 -(未完). い/o f f i Sma ISch l ord a ngin・ ch (刀1 rk ,:Te , K,V , New Yo . . , The M鯖mi賑n Co .X+399P ,1947. lo 州立師範 大挙 Rura ffordrt Buffa l 冠ducat i 著者 Wo る学校の質ー on の教授て、米国に於け :90% ー l -教師の6人以内の学校若く経験接い教師が大部分一 て今や二れが凡ての教育者の重 ] ISchoo が Sma. , て鑑み その教師た らんとする者及びその現職者双方の功 大開心事となっている現状ー ・鴬、理論的 .ょV ’ 、言と ′質際的なものが望まれている のて具体的に書かれていろ Sma Schoo l の多い本道教育の特殊性から・ l I 。 1 ・。 目次 { )序文 1教授と畢習の歎態の研 究{ 2 3 の群国見童 ) 教授の罵, 数へら )児童の研究{ ,れろ虞探v ) 葉醐生活の制限 竪 墜習と教授の指導 姓 ) 一日の拳智計書 団 長期研究単元計 竃 ( 6 ) 日々学智計書 け { 8 } 研究時代活動の方向( 9 ) 討議指導 鋤 技術訓練 側 兇童の創造力の愛見 と謎展 似 )学習課程の評償 コ ラヂオ使用 腿 修学族行 皿 学校外環境の理解と作業 鰯 地域杜曾の理 m 経験を富かにする像件 鰻 (清水正男) 低 )解雨親との共同 作業索引 う6.
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