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(1)

私法上の人格保護

著者

三野 陽治

雑誌名

東洋法学

10

1

ページ

71-99

発行年

1966-10

URL

http://id.nii.ac.jp/1060/00007852/

Creative Commons : 表示 - 非営利 - 改変禁止 http://creativecommons.org/licenses/by-nc-nd/3.0/deed.ja

(2)

目 次 第一節私法上の人格保護と権利概念 第 一 項 総 説 第二項、ドイツ、スイスの今日の人格保護 第三項私法の体系に於ける人格保護の問題点 -人格権の、ドグマ的理解について 2 一般的人格権の問題点について 3 一九世紀の独私法学者の私法観と人格権の今日の問題 4 結 論 第 二 節 人 格 権 第 一 項 総 説 第 二 項 基 本 権 と 私 法 第 三 項 個 別 的 人 格 権 第 四 項 自 由 経 済 と 人 格 保 護 私法上の人格保護

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東 洋 法 学 七 第一節

私法上の人格保護と権利概念

第一項 公 心 。 申 小 説 伝統的見地によると、私法上の人格保護(一般的人格権)はその木質により人と関係する利益を包含する。その中に 於て人間特に精神的人自身が直接保護される。遊説により人格権は財産権と対立するものである。

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に よ り 私 法 上 の 保 護 を 受 け た 。 日 ロ 。 宮 山 ・

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の要件は古典的見解によると、意識的な他人の人格の軽視を表現するすべての態度を含む。包括的人格保護 の思想は普通法的伝統の中にも生き続けて来たのである。その場合、この思想は一九世紀のロマニスト学派に於て、 なお、統一的表現を、固有の人間についての権利、と云う構成の中に見出す、例えば

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の 如 き である。しかし、∞雪山∞ミ以来は主として否定されて来た。 、 ‘ . , , O 己 , , E‘ 、 近年の私法上の人格権の承認は、その直接の精神史的根拠を啓蒙矧の理性法の中にもつのである。イギリス、 ア メ リ カ 、 フランスに於て自然的人権の思想は特に政治上の芯味に於て承認され、人権・市民権の理論の根拠を形成 した。しかし初期の自然法の人的倫理は一九、二

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世紀の私法上の法典の中に直接その影響を設し、特に人間の一般 的権利能力の規定の中に残されている。先づ、オーストリア民法

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の人の生来の既に理性により明らかにされた桂利を以てそれを根拠づけている。 ( A B G B M ) A B G B はこの規定を 以て同時に法律上の根拠を置き、それに基づいてオーストリア民法の中に於て広範囲の人格保護が発展しその保護法 益に関しては、広範囲にスイス民法二入条の保護法益範囲と一致する。 (3) 一九世紀のドイツの発展は異って進展した。 一九世紀初頭、オーストリア

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が信奉したカントの人格の 無条件的終局的な自律はパンデクテン法学の法律関係の哲学的出発点、特に一九世紀の私法学の中心をなした権利学 史の哲学的出発点を形成した。しかしこの倫理的基礎は今世紀のドイツ私法学者によりその上に築かれた体系の下に 放 棄 さ れ た 。 れ て 行 っ た 。 何故なら、強い概念性と体系を以て構成された法規体系の内部で人的価値状態から次第に私法に於てその価値が奪 一九世紀の種々の型に於ける法実証主義の支配は私法による人格的、特に精神上の利益の直接の保護の 諸原則が犠牲にされた。

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∞ロ句の場合、生得の人格権の思想は争れ、彼と共にパンデクテン法学の通説は一般的人 格権を不必要なものとして否定された。そこでドイツに於ても自然法又は普通法上行われた私法の包括的な人格保護 の発展は崩れた。パンデクテン法学の落し子である一入九六年のドイツ民法はスイス民法に応ずる人格保護の一般条 項は認めていない。 ドイツに於ては前世紀の未葉、ゲルマニストたるギ l ルケが人格権理論に決定的な寄与をなした。彼は ω p i ∞ ロ 句 に より支配されたロマニスト学派の伝統と具り、それにより生ずる特別の人格権をもっ一般的人格権を承認し、私法の 人格保護のドグマを今日迄本質的に決定した。 私法上の人格保護 七

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東 洋 法 学 七 四 (4) 一 入

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四年のフランス民法典も同様に、 スイス民法が認めた如き人格保護の一般的条項をもっていない。しか し、すべての有資的に行れた損害に賠償義務を認めた。!無体の損害も!一三入二条の不法行為の広い規定に関し、 フランス私法に於ける長期にわたる発展に於て、人格利益の包括的保護が発展した。件。ュ目。

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の 広 い 観 点 に 直 面 一般的人格権の承認の要求は何ら示されていない。今日もフランス私法に一般的人格権は関係ない。 し (5) スイスに於ては特に一九世紀に於てその私法の中で、人格的法的利益の包括的保護を認めた部類である。それ から私法に於て人格保護の参照への本質的街勤が発生した。 フランス法により私法上の人格保護は前世紀の立法の中 で不法行為に於ける非財産上の広範囲の考慮により行われた。ドイツの一般的人格権理論(の区内 0 ・

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巳 与 将 司 ) り影響されるが、スイス民法への人格保護の広い一般条項の採用はこの発展を完成させた。 よ 第二項 ドイツ、スイスの今日の人格保護 スイス民法の広い人格保護はしばしば称讃され、ドイツ民法の狭い個々の保護規定に対立される。事実ドイツ民法 は一般的人格粧を認めていない。ことに、 一九四五年迄の帝国裁判所は通説の賛成の下に固執した。この法的状態は それ以来基本的に変更された。 一九五四年の判決には、そしてそれ以来の一述の判決に於ては述邦裁判所は基本法の 一、二条の引き合の下に私法のためにも一般的人格権を認め、それに入二三条一項のその他の権利の保護を与えた。 そこで、憲法の実定的根拠から、ドイツ民法の歴史的立法者の怠図に対し、そして強い概念的構成と高度に発展し た体系性をもっドイツ民法の性格に反し、ドイツ民法の中に、 スイス民法二入条の類似の一般条項が抑入された。ド

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イツ述邦裁判所は更に標準となる判決

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正色に於て基本的にすべての人格侵害に無形の損害賠償の請求松 を認めた。スイス民法に於ては特別の重大な侵害と過失により表される人格侵害に名誉回復請求権を制限することに 対し、前述のドイツ判決は外国の観察者をして、スイスに於ける人格的利益の画期的保護は今日述邦共和国に於ての それに及ばぬと云う判断をさせた。 勿論、迎邦裁判所の最新の判例の中にスイス法の状態への接近を限定した。その中に、不法のための名公一回復詰求 権は、侵害者が重大過失の非難をうけ、人格の客観的侵害が重大な場合のみに与えられる。無形の損害賠償を豆大な ( 2 ﹀ 場合に制限する時はドイツ裁判所は明瞭にスイス法の規定を引き合に出す。 第三項 私法の体系に於ける人格保護の問題点 1 人格権のドグマ的理解について。 スイスとドイツに於て今日迄発展した如く人格保護の内容は次のグループの法的利益に概括される。すなわち、名 誉利益、私的秘密の分野の尊重(人の総ての視覚的、聴覚的に知覚しうる直接の生活範囲を含む)肉体的不可侵性と云う人 格的利益、健康と精神的完全性と徴表的利益である。私的人格保護の内容は特に人間の憲法により認められる自由の 地位(自由な宗教活動、政治的経済的活動﹀をも形成する。 これ迄私法ドグマはこの人格的利益を権利の思考形式を以て理解した。すべての人により尊重されるべき権利が問 題であるから、それは通説により(物権の類推により)絶体程、支配権として表されたし、この如き権利として権利主 私法上の人格保護 七 五

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東 洋 法 学 七 六 体に帰属させた。今日、人格は社会に於ける多面の畏怖に対する明大された保訟を要求する。人格的利益が保護に価 すると思はれる場合には、これを権利に把握する努力をした。人格保護の今日の現実に際し、この利益は新な権利の 形成についての競争になった。二三の場合、既に自己の肖像権、話された言葉の権利、血統についての権利、又はド イツで論議される組織され又は実行される企業経営についての権利、又は婚姻生活の侵害されざる状態の権利の如き 形式は人格保護により設けられる価値保護の責務は権利のカテゴリーを以ては充分には理解されないことを示す。 2 一般的人格権の問題点について。 これは個々の人格権の場合より一層強い割合で全体としての私的人格保護に関し問題となる。個々の人格的利益の みならず統一としての包括的な人格保護の思想は権利の形式に於て、 一般的人格権に於て表すことが研究された。単 に個々の人格権の総括が一般的人格権と解されるなら、この如き権利は体系的理由からは一定の正当性をもつが、し かし実質的理由はこの場合もたぬ。むしろ一般的人格権の想定は人聞がその現象形態の特別の人格権の対象でないも のを以て理解される時のみ意味がある。 一般的人格権は個々の人格権と並んで、人格が侵害されうる個々の利益又は 人格権は決定的には列挙しえぬと云う事情から独立の意味をもっ。 一般的人格権は個々の具体的人格粧が引き出さ れ、既に具体化した人格権の欠ける場合、新しい人格権の発展に常に拠り所となる母権又は原権である。 私法の統一以来スイス民法理論は明白に一般的人格権を権利として是認する一方この如き権利が存在するや否やの 問題が今日ドイツに於て私的人格保護の論議の前面にある。ドイツ上級裁判所の判決はたとへ積極的にこれを認めて も、そのドグマ的な克服は法学上の未解決の問題である。私法に於ての人格保護の地位を理解するため、今日の私法

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ドグマの歴史的体系的前提を考察せねばならぬ。 人格権は一九世紀に創造された私法上の自由ドグマを出発点とするが、公法上の自由保護からの分離と自由主義と の結果、私法上の自由ドグマは二つの根本理念に基づくのである。すなわち、動的行動自由の無条件の保護(契約自由) と他方、そしてそれ故に、放棄し得ざる承認された保護範囲の最少限、権利能力、のみである。私法上の自由の静と 動との問の一定の内在的な均衡が破れていることは一般に今日承知されている。権利能力と云う領域は容易に一般的 には拡大されず、先づ人のみが保護され、 一般的に人格が保護されているのではない。 一定の固定した方向に於ての み 、

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特に著作権と特許権に於て

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中心としての権利能力が部分的に拡張された特別私法の中で諸要求が確定され た 。 すべてこの事は、私法にも影響した近代人格思想の影響の下に、単に法の欠飲のためのみでなく、私法上の活動は 狭い権利能力と云う不可侵の核心領域よりも一層大なる基礎をもつべきであると云う事実、すべての生活範囲が私法 に挿入され、本質的にすべての生活範囲から生ずる発展性も、個々の要求された保護範囲に従うのでなく、その核心 範囲に従って還元される保護範囲に従って、すなわち絶体的に保護されねばならぬと云う事実を看過すことにより、 不充分なものと考えられる。この認識から、最近のドイツ上級裁判所の判例に於ての一般的人格権に、それ故に核心 領域の私法への挿入の意味で致達した。 そこで、この構成が、これ迄一般的人格権の否定の重要な一つになった私権の概念性に決定的な転換を実現したの で あ る

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ロにより構成された意思を基本とする若宮仕岳旦仏の学説は、それ自身としては、もはや私的意思支配の 私法よの人格保護 七 七

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東 洋 法 学 七 λ 対象になり得ぬ人格保護領域の理念に対立する。意思前提としての自然的人格権は、目。江口∞が利益説を以て、最初の 発展をしたところの客観化を必要とした。しかし権利の基礎を個々の人格の自由な劫的、形式的立忠から解放するこ と、その人間の存在や人格からの直接の発展、人格の静からの発展であり、もはやその動的意思からの発展でないこ とは広い人格的生活範囲それ自身重要な固有の価値の承認からのみ生じ、そこで私権は主体の価値からその固有の義 務を負わせる力を引き出すのであり、承認された意思の抽象的な力から引き出すのではないことそ意味するものであ る。形式的自由な自由概念のこの基本的克服はすでに基本法的問題の密接な結合を示し、そして事実上、 権の出現は新しい人間の価値原理により拡大された基本程への依存なしには殆ど不可能であることを示すものであ 一 般 的 人 格 る。この明示的なドイツ基本法ハ一条、二条﹀の甲山

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は、その固有の発展から自由法上の発展の完成への円以 後の実定法上のきっかけは私法には存しないし、この事はむしろ憲法との接触により可能であることを示す。そし て、その中に於て発展史的には一般的人格権はもはや基本経と平行的ではなく、基本経類似の領域保護へ一般的条項 ( 4 ﹀ 技術を高めたものである。 上位の法原理である法倫理的原理による判例の法形成は、連邦裁判所の独立の判例による独民法入二三条一項の芯 味の﹁私松とその他の桂利﹂としての一般的人格権の承認をもなす。独民法とそれに基づく私法休系は氏名松・肖像 権の如き個々の局限的に限定された人格権のみしか認めていない。その他は八二三条(刑法の名存侵害の規定の参照)、 ( 5 ) 入二六条の点の関係に人間の人格分野を保護する。この方法で孜注する私法上の人格保訟は多くの点で不充分であ る。しかし包括的一般的人格権の承認は立法者により望まれなかったのみでなく、事実上一般的条項方法とこの如き

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権利の不確定により独民法入二三条等の不法行為要件の考慮された体系を押し破ったものでさへある D それ故にこの場合、総体的類推がもたらされるものではない。しかしこれにより尚可能な個々の類推の方法(例え ば著作人格権の類推による信書の権利、肖像権の類推による自己の言葉の権利の承認)を与える代りに、思い切た飛限で一般 的人格粧を現行法規の要素として認め、しかも上位法規としての法木法(一条、二条) を 引 き 合 に し た 。 たしかに基 -不法が基本柱により個人を国家松力に対して保護するのみでなく、その中に存する放棄し得ざる価値の信条により佃 人相互間の行為のためにも、私法の解釈形成のための一つの規準を立てることは正しい。しかし、如何なる方法に於 て第三者の佃人の人格に対する侵害、が私法上保護されるか、従来の如く個々の特定の人格権の保障や保訟法規の参照 によるか、又は一般条項によるか、その双万の結合によるか否かの問題に関しては連邦裁判所の意見に反しては未だ 何も ι 一一ロはれていない。この判例は妥当であるが、基本法の立法者にはたしかに縁遠いものであったであろう。辿邦裁 判所は、基本法の強制により(婚姻法の平等桂の実現の場合の如く)私法上の人格保護の要望に応ずる法的仲上の新規制を 予想したのでなく、可能な限り広範囲な人格保護の実現が一定の倫理的法教育的理由から、これに反するドグマ的体 系的思想は退かねばならぬ程差し迫るものと考えた理由が明らかである。この坊合勿論、裁判官の法形成の守るべき ( 6 ﹀ 限界の問題が生じて来る。 スイス民法二入条は個人の人格関係を権限なき侵害に対し裁判所の適当な救済の保障により保護している。 一 入 入 一年の債務法五五条から移された保護範囲の簡潔な表現は一般条項の怠味で保護価値ある人格関係の輪郭を紋判官に 委ねているが、しかし、個人が自己自身のために人間としての自由と価値に関して、法的保護を受けるすべての分野 私 法 上 の 人 格 保 護 七 九

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東 洋 法 学 八

の保護をも裁判官に示している。それにより創設的判決が転々し深化する人格思想の把握から法的結論を引き出し人 ( 7 ﹀ 格の保護を構成し精練することが可能となるであろう。 3 一九世紀の独私法学者の私法観と人格権の今日の問題点、 ‘ ‘ . E , 4,a -' -' E E 、 財産権への志向 一九世紀には私法には専ら、又は主として財産上の価値の保護が属するとの思想が支配し た。そこで主として私法のドグマ的著作も財産法と特に物権に向けられた。この事は一九世紀の私法ドグマが静的状 態の私法を権利体系として表し、権利を明瞭に意思力の意味で、定義する時にも明白となる。・無制限の意思支配の分 野としての権利は特に所有権に適当する。 一九世紀の民法学者により作出された権利体系はドイツ民法の基礎にもなった。特に、損害賠償請求権は権利の侵 害 に 基 づ い て い る ( 独 民 法 八 二 三 条 ) 。 ドイツ私法に於ての人格保護が提出する問題点は本来、精神的で決定的には確 定し得ぬものとしての人間の人格は、利益の平衡を保つが、しかし、本質的には外部の区分しうる財産的利益の保護 に向けられる体系の中で直接保護を見出すことが出来るか否の問題により決定される b (2) 人格権への問題点の移転 同様の問題が一九世紀を煩した。啓蒙期に発生した人間の精神的創造の保護要求 に一九世紀の法学は所有権の観念を人とその精神的創造物との関係に移し、そこで精神的所有権と無休財産権に致達 することにより応じた。この如き物権への類推は(その創造者に対し)独立の精神的利益の保護が中心の場合は辛じて 達し得たかもしれない。他方、精神的人間自身の、すなわち、それと切り雌し符ぬ人格的価値の保護が中心の場合は 全く機能を発揮しない。

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この事はすでに一九世紀、人についての権利が存在するか否かの議論の中に表現された

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はこの権利を肯定 した。伊三官∞は決定的にこれを否定した。 一方は彼にはこの権利は余分なものと見え、他方、人についての権利を 想定すると当然に人に関する処分権が肯定されるがしかしながらこれは有害だと云う事を参照としたからである。 パンデクテン法学が私的人格保護に関する一つの可能な問題を、人についての権利が存するか否かの点に見出した ことは、この私法学が如何に強く物権に、そして物権と同様の支配思想に拘泥したかを示す。しかしこの問題は今日 ︿ 8 ) の私法ドグマに於てもなほ焦眉である。すなわち

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は一般的人格権を個人の維持、感情、価値、承認された ︿ 9 ) 一般的人格権から個々の人格粧が流出すると考える。し 名称と自由な活動をすべての面で包括する一つの権利とし、 かし通説は今日自己の人格に関する支配思想を拒絶している。私法の一定の休系的基礎をも新たに考えられることな しには私的人格保護の問題は決して満足に解決されないであろう。 4 結 さA、 白岡 特に一九世紀の私法学者により作られた如き私法の法的保護の体系的基礎からは一般的人格権に対立する思想が生 ず る 。 、 , , 4 a -‘ , , t

個々の人格的利益も全体としての人間的人格も支配権の意味の権利の対象として理解されない。例えば、氏 名、名誉をすなわち人間の社会的価値を彼に与えられた意思力の対象として見ることは事情に適しない。それは主体 が処分し得ぬからである。人格はその直接の存在も個々の表れた現象形態に於ても支配対象ではない。 一般的人格権の場合は人についての一定の処分権の表示、権力範囲の制限が問題でなく、客観的価値の実現、共同 私法上の人格保護 )¥

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東 洋 法 学 A 生活の多面的予想し得ぬ関係の人間価値の承認が問題である日 (2) 私法の論理的概念の体系に矛循なく一体とされる抽象的法規の中に於て人格保護の法規内容を一般的人格権の 構成を以て捕らえることは無駄である。 すでに個々の人格権の場合、個々の場合の適用が論理概念上の包摂の方法で生じうるとの意味でその規範内容を抽 象概念的に固持することは不可能である。法適用の実際は個々の場合の利益考量の必要性を示したし、法理論はこの 必要性を不可欠のものと見る。この事はその保護に古典的ロ l マ法以来名誉粧の如く私法が努力した人格桂にも妥当 する。個々の場合に於けるその実現は利益考宣なしには不可能であり直接人間に関係する法的地位としてのその性格 に関連することは多くの人格権が年代が若いことのみに原因を置くべきではない。 個々の人格粧を包合しそれを陵駕する一般的人格権に一一居この事はあてはまる。 一般的人格権はその下に包摂され る抽象的概念的上位規定の意味の中に存するものではない。 一般的人格権はその適用が裁判官に常に価値ある責務を 課する一般条項と不確定の性質をもっ規範として受け取る時のみ可能である。 一般的人格松は相対的、弾力的であ る。その範囲は個々の場合の状態により決定される。 (3) 私権の意味の一般的人格権が存在するか否かの問題は一方は内容の確実性の飲除であり、他方程利には木質的 に意思力のモメントの欠飲によれば否定されねばならない。しかし包括的人格保護の私法への採用は私法倫理の差迫 った切望として考える人にとってはこの体来的疑念に終局的決定力は加し符ない。むしろ一九世紀私法を理解した如 く、権利概念又は一般的抽象的法規の観念は一般的にそれに基づいて一般的人格権が考えられ、評価される一般的効

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28 ff. , Dr. J り rg Paul Mu ]l er , a. a. O. S. 32 f. , Dr. J り rg Paul Muller , a. a. O. S. 34 f. , Leisner , Grundrechte 山 ld Pr ivatrecht , S. 242 f. , 弘、ト血税r< IH

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~迫飽 l足以-4t{<l持活 i! と蒋 Larenz , Methodenlehre der Rechtswissenschaft , 1960. S. 318. , E 王 ans H 担 derling , Personlichkeit und Subjectives Recht , 1963 , S. 10. , Dr. J り rg Paul Muller , a. a. O. S. 36 ff. , Enccerus-Kipp-Wolf , Lehrbuch des Burgerlichen Rechts , 1959 , Bd. 1. Dr. J り rg Paul Muller , a. a. O. S. 38 f. , S. 453. , (国)(同)(噌)(凶)(由)(ド)(∞)@き 芸員包〈縫製 総

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東 洋 法 学 八 四 従 来 、 一般的人格権の立場を擁護する者は主として、

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ラ イ ス 等 で あ る 。 一般的人格権を、すべての各権利を基礎づけ、名権利に分かれる一つの基本経と考一勺ガ l ライスは ギ ー ル ケ は 、 権利主体が、自己が存在し、活動し、そして存在し活動するものと認められることについて有する利益は人格権又は 個人権と呼ばれている。この場合に保護される法益は無形のものであり、個人自身の侵害されざる存立と、妨害され ざる活動である。殺人や身体の傷害、自由の剥奪等に対し人間を保護する法規の中に最も明瞭に人間の承認がなされ ハ2 ) ていると述べている。このような見解は、人を完全なる精神的肉体的存在として保護する権利、すなわち、その存在 及び発達が一般的に保障せられる権利たる一般的人格権としての私権が、人を権利の主体として法が認めることより 当然に演緯せられて、しかもこの権利はすべての権利の基本権にして、すべての他の公権、私権、個別的人格権等 は、いづれもこの母権より支分せられるとするものである。 これに対し権利の確実性より一般的人格権を否定する立場も存し、 ︿ 4 v レ

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マンは、独逸民法入二六条から人権の保護 を構成することが出来ると信じ、すべての人の人格分野の保護を四つの侵害の面(生命、身体、健康、身体的活動の自由) ハ 5 ) から保護する可能性は閃かれるが、しかし、すべての関係一般的に保護する可能性は存じないと述べ、このような拡 張 の 下 に 、 ﹁その他の権利﹂の概念の中に制限的に保護される法的地位を任芯的に押入することにより広い規範保護 の取り入れをはかったものである。 又、人格権を権利に組み入れることに反対して、校利は法により与えられる力、又は芯思支配であるというととが いわれる。との芯思力は支配主体と分雌された支配容体を前提とする。そこで、椛利には、主体と容体が対立的に宴

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求されるから、客体についての主体の支配力又は法的力を与えるこどになる。人格権の場合には、然しながら、この ような利益の独立ということは意味をなさず、その該波も不可能であることから、人格権は権利と考えられないこと ハ 6 ﹀ になる。しかし、この概念は変更せざるを得ないこととなった。 法的力は権利の内容であり、目的ではないのである。すなわち、権利の目的も、個人と社会の生活使命の保護又は 真の人的利益の保障の目的とする。そこで、この目的を直接に権利の内容の器ヰと見、それ故に、権利を承認された ( 7 ) 利益の満足への力と定義することにより、桂利の主たる決定椋準をその対象以外に内答、目的におくのである。人の 意思力は人以外の存在物のみでなく、人自身にも及ぶ。それ故に、自己自身についての法的力を想定することは概念 に反するものではない。これには、第一に一般的人格権が属し、以前には否定されていたが、憲法により保障される 人間の尊厳と人格の自由な発展に関し(基本法一・二条)これを認めるのである。この一般的人格柱は個人の発展、不 ︿ 8 ﹀ 可侵、尊厳、自由活動を包括する法的力を保障し、母権としての一般的人格権から個々の人格粧が発生するとする。 人格権の保護せんとする生活利益は人格自体の中に存する。それは客体と言う物的世界の支配力を我々に保障する 権利と対立して、自己の人格を包括するのである。そして、人の人格全体を把握し、保護する権利を考えるようにな った。すなわち、各人により異る人格、このような権利で把握し得ぬ人格の内的価値の関係、個人の人格の絶えざる 変化、自律的に成立する人格の本質を、包括的な人格保護の承認と一般的人格権の承認を主張するために指示するか ら で あ る 。 こ の よ う に 、 一般的人格権を認めんとするのが、独逸においての傾向のようであるし、これを認める判例も存在す 私法上の人格保護 λ 五

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東 洋 ( 叩 ) る よ う で あ る 。 法 学 λ --' -J

第二項 基本権と私法 一般的人格権を認める立場は、独基木法の一・二条の人の尊厳と人格の自由な発展についての権利は一般的人格権 の主要な要素とし、憲法の意味における基本権であり、独逸民法入二三条一項の意味の権利であるとしてい⋮問。 このような憲法上の権利を直接に民法

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二三条一項の意味の﹁その他の権利﹂の中に入れることを疑問視し、確か に、との如き基本権が国家的権力にのみ制限を置くのでなく、私法上の解釈と補充にも方向を与え、そしてすべての 者のための規範がそこから引き出されることは争い得ないものである。しかし、そのために当然に、いわゆる﹁その 他の権利﹂の中に数える必要はない。との場合の権利は、すべての権利ではない。支配権と各々の人格権であるとす 一般的人格権はこのような性質を有しないとする立場もあ引日 る 。 と に か く 、 一般的人格粧を認める根拠として基本権を揚げているが、この権利が私法上如何なる関係にあるかを考 えるべきである。従来、基本権の意味は国家に対し保障されるべき自由の範囲を規定するにあたり、古典的基本権は 市民の公権であった。しかしながらこのような見解は転じて、このような基本経は全体の法秩序に対し、基本的な規 範という重要な機能を有し、それ故に、何ら個々の立法なしに、直接、私法関係をも拘束するものであるとされた。 このような機能をこれまで一般的に基本権の

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し、新たに創造するような直接の規定としての効力が問題となるのである。このような窓法は、窓法以外の法分野の

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ために、主題又は解釈規定のみならず、直接個人の私権が流出する法全体の規範的規定をも包含するのである。民事 裁判官が基本柱の民法への影響を判決の中で誤認する時も、公権力によるその侵害が問題となるのである。私法にお いて効力ある基本経の侵害は通常法律行為の無効を生ずる。基本経から私権を抽出する範囲で、 ﹁ そ の 他 の 権 利 ﹂ と して民法入二三条の保護を受ける。客観的に違法な侵害と、さらに、繰り返される容の畏れのある場合は、妨害排除 ︿ U ﹀ と不作為の訴が許される。有責的な侵害は損害賠償の義務があり、人格権のような一定の場合には、八四七条により 無形の侵害を賠償すべきである。 このように考えて行くと、 一般的人格権が独逸民法入二三条一項の意味の﹁その他の権利﹂と認め、従って、他の 排他権の侵害の場合に規定されるすべての法的救済が人格の一部の一般的保護にも行なれることがあり、基本法で保 護される人格保護は国家に対する権利にすぎないのではなく、人絡の民法上の保護にもこの規定が作用するものと ι 一 一 日 ( 日 ) う べ き で あ る 。 さらに、この基本経と私法の関係は最近になって広範囲に研究の対象となり、伝統的見解によると、公権力に対し てのみ主張された自由権が如何なる範囲で対等の地位にある者に対して主張しうるかを問題とし、私法は実質的利益 の要求の調和を充分には保護し得ないことになる。その背後には、自由の問題が存し、これを益々種々の形におい て、独立の利益と見るようになっている。基木権が私法と一致するようになる如く、私法も益々基本経近似の思考形 式を発展させるのである。 極く近代の私法は何かの関係で、第三者に対する人間の自由の実現に向けられている。それ故に基本経近似の発展 私法上の人格保護 λ 七

(19)

東 洋 法 学 八 i¥. を追及せんとする研究は、自由保護に重点を置かれている分野のために選択されるべきである。私法の人格保護は近 代の一般的人格権の形成において十分にくみつくすものでなく、個人にとっても木質的な形式、すなわち、物柱、家 族権、相続権その他の法分野において実現されるが、しかしながら、人格の保護自身に重点がおかれている。近代私 法においては、人格の保護が重要な課題であり、さらに、これには基本権との関連が当然に生じて来るのである。 第三項 個別的人格権 右のように述べた一般的人格権はそれより流出する個別的人格権により保護される。その個々の権利としては次の 如きものが考えられる。これらの中で、独逸現行法上、個々の人格権として構成されているものに、氏名権と肖像権 と が 存 す る 。 氏名権については、独逸民法二一条に規定が存し、その保護がなされている。この場合氏名権者は二つの方向にお いて保護されている。すなわち、無権限に氏名を争う者に対して、さらに、氏名を無権利にして使用し、その結果、 利益を侵害する者に対してである。氏名権者はこの範囲で絶対的に保護される。氏名に関する人格保護のための思考 形式として氏名に対する排他権が考えられ、氏名が権利の対象とされ、無形利益とされる。この絶対的保護から妨害 除去、不作為訪求権は過失ある者のみに対して生ずる。我国の民法には氏名権の規定は存しないが、氏名権そのもの ( 印 ﹀ を認めるのが今日の当説である。 肖像権は一般的人格権から生ずる。肖像権は人間のあらゆる積類の肖像的表現を包含する。従って、演劇や映画や

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テレピジヲンによる上演等である。肖像権は自己の肖像を公布し公の観覧に供することを決定する人間の排他権であ る。独逸著作権法二二条に法定の根拠を有する。肖像についての著作権と類似して、その公布に関するものである ( 却 ) が、肖像権は著作権に成立するのではなく、注文者に成立するのである。その木質は人格権であり独判例も是認す

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一般的人格権は名誉についての権利の承認をも含む。名誉の侵害により、人間の尊厳が軽視され、すなわち、人格 そのものが侵害されるからである。 一般的人格権に民法の不法行為の規定の適用を否定する立場も、法定し列挙さ れ、又他に明瞭に規定されている人格権のみに限定せず、人格権の範囲を広く解釈している。そして先ず第一にこの 中の名誉についての権利を数え入れるのである。 また、人間の尊厳と人格の自由な発展についての権利を基本権として承認することより、名誉についての絶対的私 権を引き出すことをせず、基本法は国家の権力分野と個人の生活分野の聞の限界に関するものであり、特に、人間の 尊厳(当 CEO) の維持と、表現の自由についての基木粧が対立する場合を問題とし、基本法自身はその限界を限定せ ず、むしろ、その五条二項で表現の自由の制限として一般的な法律の規定と名誉についての法を指示している点をあ げ、そこで、名誉を法的利益とし承認するが、絶対的私権による保護は保障していない名誉保護についての刑法と民 法の規定が考えられているとす。それ故に、名誉は絶対権の対象ではなく、法的利益にすぎず法律が一定の佼容を表 現の自由についての権利の濫用を理由に、禁止する場合のみ、その保護が可能となるとの主張も存在す

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このように、名誉保護について、 一般的人格権の内容とする見解と、これを否定する見解とが存在するが、いやつれ 私法上の人格保護 λ 九

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の見解をとるにしても、名誉保護の問題が人格の保護の重要な場合である。 東 洋 法 九

正当 寸ー 秘密についてもその権利をさらに一般的人格権から流出するものとされ、信書の秘密その他の個人的な秘密保持に ついて有する利益を保護するものである。独逸連邦裁判所は一般的人格権の一現象として個人の秘密の保持を認めて い⋮持。又一般的人格権を認めない立場も、個々の人格権としてこのような権利を承認してい⋮

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。 更に、一般的人格権を認める立場は、私的生活の不可侵性を保護するための甲山︿己

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の尊重の権利をも認める ( 部 ﹀ の で あ る 。 ( 1 ) ( 2 ) ( 2 ) ︿ 4 ) ︿ 5 ) ( 6 ) ( 7 ) ( 8 ) ( 9 ) ( 羽 ) の 円 円 ] 拘

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(23)

東 洋 法 学 ブし 第四項 自由経済と人格の保護 、 ‘ . , , 4E ム , , E・ 、 人類の歴史の中には、人類解放の歴史が存し、人間の精神は一層大なる自由に致達せんとしたのである。現代 の歴史はこの見解を哀づけするようである。ルネサンスに於ては人間は解放されたプロメトイスとして現れ、宗教改 草に於ては、宗教上の自由への努力として現われた。しかし、宗教的自由への努力は拡張され、 一般に人格の自由ヘ の呼び声となった。即ち、理性の要求に従う伝統と言う諸権力と生活の諸形式からの解放への呼び戸となった。これ を可能にするために、個人は自己の人格的分野を国家の権力に対して保護されねばならない。この精神的迩動はカル ピン派に遡り、その出発点はジュネーブである。それは英国憲法活動にも影響を及ぼした。 アメリカ各洲とアメリカ 連邦に於ては、それは特別の表現をなした。この形式で、 フランス革命は自由権と人権をその憲法に採用したが、し かしながら、この憲法は他の自由運動の所産である。この事は先駆者であるルソーを参照せねばならない。この近代 政治上の自由理念は又、先づフランス革命に於て国家に於ける自由、国家の形成と構成へのすべての者の参与と一一一日う 事に表われた。このような原理に基づいて、 一九世紀の自由主義は活動した。民族から民族へと、自由への呼び戸は 鳴り響いて行った。この事は政治上の自由と佃人的自由の標準に於て、公民松と人権とに適用されることである。 自由主義は個人を解放し、完全に独立のものたらしめんとした。自由主義は個人を団体の経粘から解放した。自由 な居住権は全土地に居住を可能にし、新たな婚姻、離婚法は婚姻の強固な結合地を弛めた。広範囲な家族は後見法、 相続法に於ては無意味なものとなり、宗教団体は自由意思に基づくものとなった。 しかし、自由主義は特に経済的に向けられたのである。それは営業上の自由、所有の自由、自由なる一航仰契約、営

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業と取引のための契約自由を提供した。独立の人間になることが経済的に考えられた。すべての人は、経済的能力に 従って、自己の利益を追及するために独立の企業家になり得るのである。ここに当時の思想によると大きな解放があ っ た 。 (2) 近代私法の発展の傾向の特質の芯味は、 一七入九年のフランス卒命の後に実施されたように、 一九世紀の私法 を比較して見ると、最もよく理解しねるのである。その当時、古い中世の件察国家的秩序が国家、経済、法から取り 除かれ、破壊され、個人主義的なものとして表された新しい秩序によりとって代わられた。それは古い社会と規範か ら解放された個人と立法と司法の担い手であり、法的安全の番人であり、人格的自由の者人である法治国の観念で維 持されている。この自由は政治上と精神上の理念的なものと経済的なものとである。そこで経済も解放され、すべて の国家的監督と干渉から自由となり、自由な経済主体により維持されるのである。との経済秩序の法的手段は自由な 所有権、自由な競業、自由な契約、すなわち、契約の発生と当事者の契約内容の決定の広範囲な自由に存するのであ る。そして、このような秩序は近代の国民経済の発展と、さらに、世界貿易と世界経済の基礎をなした。人間の労働 カの生産性は非常に高められ、多くの国民に対してもその需要を充す責務を果し、国民の財産を増大した。 しかし、それにも拘わらず、経済に本質の変化と更に国民自身にも深い構造の変化が生じた。経済の担い手は益々 団体を形成して行くようになり、会社特に株式会社が主たるものになった。個々の企業は広範囲にわたり集団的な企 業により排除された。更に企業の担い手は結合しカルテルをなし、個人の観念すなわち経済上の個人の人格を大いに 間以損した。経済は個人を離れて団体経済になった。叉経済的な階級が形成され、国民はもはや一社会を形成せず、分 私法上の人格保護 九

(25)

東 洋 法 学 九 四 裂し、闘争によりその関係はますます峻厳になって行った P 世界大戦以前にすべて大きな精神上の運動に迫られて、 国家も法治国として法の確実な機能のみを保護する自己責務から離れた。国家は新しい経済政策を開始した。特に、 租税、農業、工業の分野と労働者保護の面で新しい文化政策を始めた。 経済上のこのような変革は同時に法の中にも変化を起した。私経済が存続しているから、私法も以前と同様に私的 所有、個人企業、競業、契約による法律行為的財貨の交換を認めている。しかし、私法規は変ったものになった。多 くの個々の点で変り、根木原理に於て、 一層強く義務を負わされた。個人は絶体的に権利を享有するのではない。む しろ、権利は相対的なものである。スイス民法二条の権利濫用禁止の規定はこの思想を原則として表している。権利 はこの限界内でのみ保護される。とれは権利に社会的機能を与え、その範囲を決めたものである。その権利行使は公 共の利益に反することは出来ない。この新しい法は法律行為の分野にも影響を及ぼした。契約自由は各国に於て、大 ︿ 3 ) き く 破 壊 し た 。 このような私法は私的所有権、活動の自由契約自由を承認しているが、しかしながら、公的秩序と他人の利益に関 ( 4 ) して生ずる制限内においてのみ認めている。 (3) 個人人格の承認、契約自由の原則、自由なる所有松等は、近代法の根木原則とせられるものであり、結局個人 の所有及び活動の自由という最高の原理に帰せしめ得るものであり、この原則はその基礎は一入世紀の自然法理論に あったとしても、その抽象的一般原則は、個々の兵休的な自由を要望する社会的欲求に促されたものであることは否 ( 5 ) 定し得ないのである。典型的市民社会は、自由経済上に成立つところの絶対制に対し自己を主張して自由を獲得する

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ところの近代的市民め社会であり、経済的自律に基礎づけられたところの自律的独自的な社会なのである。市民社会 の第一の根本的な構造は、それが自由な個人のみより成り立つということである。封建的絶対的制度の拘束から解放 された自由な個人の利己的活動が経済の、社会の、原動力となったのである。このような自由人格者はまづ利己的な ( 6 ) 孤立者としてあらわれる。このような活動の主体が一般的な程利能力者であり、さらに、この自由な活動を保護する ため人格松が作用し、契約自由に於ても人格の保護が問題とされる。この自由の保護、人格の保設について、いわゆ る基本経の私法に対する関係の問題が生ずるのである。 (4) 基本経の下に裁判官が各契約の効力を否定するならば、すなわち、自由権に基づく契約外の要求に助力を与え 目的を達成させるならば、 一方当事者の自由分野保護をなすことになるが、他方の自由を制限し、近代自由法治国の 高い利点である私的自治を侵すものである。法の基礎は、叉民法の基礎も同様であるが、人間の価値である。これを ( 7 ) 尊重し保護することがすべての国家権力の義務である。個人の人格の自由な発展についての権利は、それが他人の権 利を侵害し、又は法的規範や公序良俗に反しない限り、重要なものであるし、)これより競業の自由や契約の自由も生 じ、叉その制限も生ずるのであ句 独基本法はワイマ l ル憲法と具って、契約自由を明瞭には憲法の保護の下には置いてはいないが、その二条一項で すべての者に、他人の権利を侵害せず、憲法又は公の秩序に反しない限り、人格の自由な発展についての松利を与え ている。契約自由は人格の自由な発展の不可欠の前提をなすから、独基本法は根本に於て契約自由を保障している。 そこでこの完全な廃止又はその本質を変更するような制限は認められない。しかし、契約自由は同条二項の範囲内に 私法上の人格保護 九 五

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東 洋 法 学 九 六 於てのみ保護されるのである。良俗規範から、内容の自由についての制限と、更に契約の締結の拒絶が公序良俗に反 する場合には、契約の締結の自由についての制限が生ずる。しかし、憲法秩序より契約の自由について如何なる制限 が認められるであろうか。憲法秩序を憲法に従って成立する単一の法律のすべての総体と解するとしても、実際には 広範囲の制限が通常の立法により行なわれる。今日、動産、空間不動産の一般的管理の残物として存する締結の自由 と内容の自由との制限は基本法により正当であるか、又特に、立法による将来のこの種の制限が新たに行なわれるか ( 叩 ) 否かの問題は困難である。 一般的な法律の留保が基本経に存する場合は、その自由は公的利益の合理的な思慮の範囲 内 で 正 当 と さ れ る 。 一般的な留保を欠く場合は基本法二条一項に関しては、その制限は、特に重要な公共の利益の保 護が不可避的に要求する範囲にのみ正当とされる。このような干渉が不可欠のものであるならば、立法者は常に、円以 ( U ) 少限に基本粧を制限するような干渉を選ばねばならない。独基本法は契約自由を人格の発展として考えている。 (5) 競業法の法源と営業上の法的保護の法源は一般的なものと特別のものとがあり、 一般的な法源は競業法の法源 のみではなく、他の法領域にも効力を有する憲法、民法の一般的規定をも包含する。 一般的法源には独基本法二条があげられ、これにより人格の自由な発展が保障されている。以前には公民の経済活 動の正当性に奉仕する一般的な人間の活動の自由は基本法二条一項により忽法上の地位を有する権利に高められた。 有体無体の価値についての人間の支配を保障することは法の主たる任務である。そしてこの窓味に於て契約法と不 法行為法から人格保障への発展が考えられる。しかしこの支配保護は一般的人格保訟の半而のみを内容とするにすぎ ない。取得された価値の保障された支配が人間の人絡に属すると同様に、その自由な発展と人格的支配範囲の独立の

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変更へ参与する権利も人格保護の一部をなすものである。この地上の処分可能な利益が支配保障という独立の制度に より分割されると、生活も法的取引も静止状態に陥る。それ故に、人格は物と権利の支配範囲のための法的保障のみ ならず、他の分野と同様に経済分野に於ける自由な発展のための法的保障を必要とする。 自由な発展可能性は他人の支配範囲の犠牲に於て、自己の支配組問の完成と拡大を包含する。そこで人格保護の二 面性ということがいわれ、第一には法生活一般のため、次に経済的競業のためである。 一面に於ては人絡は取得され た又は他の法規により与えられた利益の保護を必要とし、他方、活動の自由と利益の変換、取得についての参加の保 護を人格は要求する。この所有の法的保護と取得可能の法的保護の対立の中に、法的利益の実質的な観察方法が表さ れる。即ち概念的に、活動の自由、発展の自由、特に取得可能性をも、法に於て人に与えられる法的利益として去す ことが出来るのである。 し か し 、 一方、取得された価値と他方価値を取得する自由との概念的等置を以つては、その法的利益を評価しない のであろう。法が保護し得る、すなわち人に保障し得るものすべてが、取得された価値の総体か、又はこのような価 値の取得の自由のいづれかに属するのである。法においての人格保護のこの両面は同地位にある。人格保護の二つの 面が個人の人格に関係する。人格は所有権保護と、競業に於て他人と争う自由をも含むのである。所有権保護の人格 と競業自由についての人格が二つの方向に進むのである。そして財産保護への人格の関係と発展の自由の人格闘述性 との問に段階的差異が確定される。すなわち、財産保護は発展の自由の保護より一層強く個人の人格に関迎する。そ れは財産保護に於ては比較的小さい限界づけられうる、そして、分割しうる保護範囲が問題となるからである。 私法上の人格保護 九 七

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東 洋 法 学 九 )¥. これに反し、発展の自由は一般的自由秩序が国家により保障される時に確保され、その範囲内で個人は活動しうる のである。さらにこの財産保護と取得保護についての人格の関連性についての差異は微細なものである。個人にとっ ての直接発展の自由が争れた時は、発展について権利が明瞭となり、競業について一つの桂利が認められるようにな ( ロ ) る 。 用語としては、競業に於ける財産保護には保護される一つの権利という一一一口実が使用されるが、それは事実上、営業 的な特別の法的保護を形成する一つの権利が問題となるからである。これと並んで更に一つの権利として、営業につ いての権利が存立する。競業における発展の自由は経済活動(司

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