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[総特集にあたって]  グローバル・スタディーズ――地域研究の地殻変動(福武慎太郎)

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総特集総特集

グローバル

スタディーズ

紀。

関、

米、

本。

判断

、一人一人

(2)

︱︱ な ぜ い ま ﹁ グ ロ ー バ ル ・ ス タ デ ィ ー ズ ﹂ な の か 学会誌には当然ながら査読というプロセスが存在 する。査読を通じて、学会誌に掲載されるにふさわ しい論文かどうかが判断される。このプロセスには それぞれの学会に貢献しうるオリジナリティのある 論 文 か ど う か だ け で な く、 そ の 学 会 で 共 有 さ れ る 「知」 と 認 識 さ れ る か ど う か が 鍵 と な る。 そ の 意 味 において、地域研究という知が大きく変わりつつあ る こ と を 訴 え る 本 企 画 を、 『地 域 研 究』 が 特 集 と し て掲載することは画期的だ。 「グ ロ ー バ ル・ ス タ デ ィ ー ズ ( Global Studies ) 」 は、欧米、とくに英語圏を中心に、近年急速に展開 してきた学問潮流である。一九九〇年代以降に急速 に進んだグローバル化は、国家や国境にとらわれが ちだった既存の学問のあり方に修正を迫り、とりわ け 金 融・ 経 済、 移 民・ 難 民 問 題、 地 球 環 境 問 題 な ど、 「グ ロ ー バ ル・ イ シ ュ ー」 と 呼 ば れ る 地 球 規 模 の諸課題を考察する新たな知のアプローチを要請し た。それにこたえるかたちで始まったのがグローバ ル・スタディーズである。グローバル・スタディー

総特集

[総特集 に あ た っ て ]

︱地域研究

地殻変動

福武慎太郎

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ズは、単一の学問領域というより複数の学問分野の 協働によって成り立つ複合的な学問体系として、日 本国内においても複数の学部、大学院レベルで設置 されるようになった。 ただし、欧米におけるグローバル・スタディーズ の位置づけと、日本でのグローバル・スタディーズ の受容は、地域研究の占める地位をめぐって異なっ ている。アメリカでは従来の国際問題に関わる学際 的研究 ( International Studies ) から誕生した一方、 日本においては地域研究者が中心となって、もしく は地域研究がその中核専攻の一つとして、受容され つつある。 日本においてグローバル・スタディーズと地域研 究はいわば親和的な関係にあるといってよい。制度 上 も 既 存 の 地 域 研 究 組 織 を 解 体 す る こ と な く、 グ ロ ー バ ル・ ス タ デ ィ ー ズ と い う 新 た な「傘」 の 下 で、学際的、領域横断的な研究、教育プログラムが 実施されてきた。 ただ一方で、グローバル・スタディーズは、これ ま で の 地 域 研 究 の あ り 方 に 再 考 を 迫 っ て い る。 「地 域 研 究 の 地 殻 変 動」 と 少 し 大 げ さ な 副 題 を つ け た が、事実、既存の学会組織とそこに拠点を置く研究 者 の 気 づ か ぬ と こ ろ で、 「地 域」 を め ぐ る 知 の あ り 方が大きく変わりつつあるのだ。つまりそれは、既 存の地域研究をめぐる理解と、その理解に基づく既 存の学会組織、実際の調査研究、そして教育のあり 方 の あ い だ に 隔 た り が 生 じ つ つ あ る こ と を 意 味 す る 。 本特集では、グローバル・スタディーズという新 た な 潮 流 の な か で、 「グ ロ ー バ ル・ イ シ ュ ー」 を 扱 う地域研究者の最前線を紹介するとともに、そこか ら生まれる地域概念の再編、方法論的課題について も議論を行いたい。 以下、グローバル・スタディーズの発祥の地であ るアメリカにおけるグローバル・スタディーズと地 域研究の関係、そして日本におけるその受容につい て 概 観 す る。 そ の 後、 「グ ロ ー バ ル・ イ シ ュ ー」 に 地域研究が取り組むことによってひろがる新たな可 能性とその課題について示す。

誕生

地域研究

大学院レベルで、初めてグローバル・スタディー ズの名のもとに研究プログラムが設置されたのは、 カ リ フ ォ ル ニ ア 州 立 大 学 サ ン タ・ バ ー バ ラ 校 に グ

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ローバル&インターナショナル・スタディーズ・プ ロ グ ラ ム ( Global & International Studies Program ) が 設 置 さ れ た 一 九 九 九 年 で あ る。 「グ ロ ー バ ル」 と 「イ ン タ ー ナ シ ョ ナ ル」 が 並 置 さ れ て い る こ と に 象 徴 さ れ て い る よ う に、 こ れ ま で International Studies の 名 の も と に 行 わ れ て い た 学 際 的 研 究 プ ロ グラムに加え、平和、人権、開発、環境などグロー バ ル・ イ シ ュ ー に 焦 点 を 当 て る 諸 研 究 を グ ロ ー バ ル・スタディーズと呼び、インターナショナル・ス タディーズと共存するようなかたちで構想された。 したがって、 国 イ ン タ ー ナ シ ョ ナ ル ・ ス タ デ ィ ー ズ 際関係/国際政治学 への対抗科学 として グローバル・スタディーズ が生まれたという わけではない。むしろ危機意識を持ったのは、これ ま で「地 域 ( area ) 」 の 視 点 か ら グ ロ ー バ ル・ イ シ ュ ー を 論 じ、 国 民 国 家 秩 序 ( nation system ) 、 国 連 機 関 ( international organization ) を 主 要 な ア ク ターとしてみる International Studies に対する独自 性 を ア ピ ー ル し て き た 地 域 研 究 ( area studies ) で ある。グローバル・スタディーズもまた国民国家を 単位としてみるのではなく、NGOや多国籍企業、 移住労働者など国境をこえるさまざまなアクターを 研究対象とする。特定のイシューをめぐる問題を特 定 の 地 理 的 領 域 ( geographical areas ) を 取 り 上 げ て研究を行うという点で地域研究と共通するが、グ ローバル・スタディーズはあくまでもマクロな視点 を 出 発 点 と し て い る 点 で、 従 来 の 地 域 研 究 と は 異 なっている。その事例分析も、欧米地域を中心とし ている。どちらかといえば非欧米諸地域の学際研究 として発展してきた 地域研究 は、研究資源の獲得に お け る 新 た な 競 争 者 が 現 れ た と み た よ う だ ( Cumings 1997 ) 。 第 二 次 世 界 大 戦 後、 覇 権 国 家 と なったアメリカで誕生し、ベトナム戦争の終結とと もに衰退していった 地域研究 は、グローバル・スタ ディーズという潮流にさらに吞み込まれようとして いるといえるかもしれない。

冷戦

地域研究

いうまでもなく、 地域研究 は冷戦を背景としてア メリカで発展してきた学際研究である。第二次世界 大戦後、アメリカ政府は、西ヨーロッパ以外の国々 の現代政治経済の研究に対し、多大な財政的資源の 投入を行った。冷戦が始まるとともに東側陣営の政 策 研 究 の 関 心 が 高 ま り、 こ れ を 推 進 し た の が C I A、国務省、国防総省であった (アンダーソン 二〇 〇 九: 五 三) 。 こ の よ う な 背 景 も あ っ て 地 域 研 究 に

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は冷戦下のアメリカの政策科学というイメージがつ きまとう。政府、民間問わず地域研究への多額の投 資が、共産主義への対抗というなかで発展してきた のは否めない。 ロックフェラー財団やフォード財団のような民間 財団は、国家の「政策研究」中心主義から外れた分 野――歴史学、人類学、芸術など――を補う点で一 定の役割を果たしてきたとの指摘 (アンダーソン 二 〇 〇 九: 五 六) も あ る が、 カ ミ ン グ ス は、 こ れ ら の 財団は国家による財政投入の「資金洗浄」の役割を 果 た し て い た と の 見 解 を 示 し て い る ( Cumings 1997: 10-11 ) 。 フ ォ ー ド 財 団 は 一 九 五 三 年 か ら 一 九 六六年にかけて地域研究や言語研究を行う三四の大 学に総計二億七千万ドルを拠出した。これらの助成 によって非欧米諸地域における調査研究、言語習得 のため現地長期滞在が可能になるようなさまざまな フェローシップが生まれた。 ハ ー バ ー ド 大 学 の ロ シ ア 研 究 セ ン タ ー ( Harvard Russian Research Center ) は、CIAやFBIなど 国家インテリジェンスと密接な関係があった。同セ ンターはカーネギーから七四万ドルの支援を一九四 七年に受け、その後はロックフェラー財団、フォー ド財団が「資金洗浄」の役割を果たしながらCIA との関係を保ってきた。これがモデルとなり、東欧 や中国などの地域研究プログラムが生まれ、こうし た 地 域 研 究 機 関 の 中 核 的 研 究 者 は、 C I A と つ な が っ て い た、 と カ ミ ン グ ス は 指 摘 す る ( Cumings 1997: 10-12 ) 。 このように国家の対外戦略と密接に結びついて発 展してきた 地域研究 も、冷戦の終わりとともにその 意義が失われていった。一九九〇年代以降、これま で地域研究を推進する高等教育研究機関を支援して きた諸財団は地域研究への研究助成を縮小、その代 わ り に「開 発」 「民 主 化」 と い っ た テ ー マ に 基 づ く 諸 研 究 へ の 関 心 を 高 め て い っ た ( Cumings 1997: 8-9 ) 。

日本

受容

地域研究

日本で最初にグローバル・スタディーズの構想が 持ち上がったのは上智大学である * 1 。一九九〇年代後 期に、日本で唯一全カリキュラムを英語で実施して いた同大学大学院比較文化研究科、外国語学研究科 国 際 関 係 論 専 攻、 そ し て 地 域 研 究 専 攻 の 教 員 有 志

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が、文部科学省二一世紀COEプログラムへの申請 を前提として、グローバル・スタディーズ研究科構 想 に つ い て 議 論 を 開 始 し た。 こ こ で 注 目 し た い の は、この構想において中心的な役割を果たしたのが 地域研究専攻の教員であった点である。アメリカに おけるグローバル・スタディーズが、欧米中心かつ マクロな視点に偏向している点に対し、上智大学に お け る 構 想 は、 地 域 研 究 を ベ ー ス と し た グ ロ ー バ ル・スタディーズを構想した。そして二〇〇一年一 二 月、 「地 域 立 脚 型 グ ロ ー バ ル・ ス タ デ ィ ー ズ の 構 築 ( Area-Based Global Studies: AGLOS ) 」として二 一世紀COEプログラムに採択された。このプログ ラムの終了とともに二〇〇六年四月、外国語学研究 科を改組し、グローバル・スタディーズ研究科を設 置、同研究科に国際関係論専攻、地域研究専攻、グ ローバル社会専攻が設置された。 上智大学のグローバル・スタディーズ構想に象徴 さ れ る よ う に、 日 本 に お け る グ ロ ー バ ル・ ス タ ディーズは、地域研究が主体的な役割を担う、もし くは重要な柱の一つとして構想されている。たとえ ば二〇一〇年に設置された同志社大学 グローバル・ スタディーズ研究科グローバル・スタディーズ専攻 は、 そ の 専 攻 の 特 色 と し て、 「グ ロ ー バ ル・ ス タ ディーズ」 「超域研究 ( Trans-regional Studies ) 」「地 域研究」という三つの階層性を持っているとしてい る。その階層性にさらにカリキュラム上は「グロー バル社会」 「現代アジア研究」 「アメリカ研究」とい う三つのクラスターを設置している。これは既存の 研究科の教員構成を踏襲した結果といえるが、何に しても地域研究が日本でのグローバル・スタディー ズの受容において中核的な役割を担っているのは間 違いない。 東京外国語大学大学院は二〇〇九年、総合国際学 研 究 科 ( Graduate School of Global Studies ) を 設 置 し、それまでの博士後期課程の地域文化専攻を言語 文化専攻と国際社会専攻に改組し、同研究科に設置 した。二〇一〇年には東京大学駒場キャンパスにお い て も グ ロ ー バ ル 地 域 研 究 機 構 ( Institute for Advanced Global Studies=IAGS ) が大学院総合文化 研 究 科 の 付 属 施 設 と し て 設 立 さ れ た。 そ の 傘 下 に は、従来からの付属施設であるアメリカ太平洋地域 研 究 セ ン タ ー (C P A S) と ド イ ツ・ ヨ ー ロ ッ パ 研 究 セ ン タ ー (D E S K) が 移 行 す る と と も に、 人 間 の 安 全 保 障 プ ロ グ ラ ム (H S P) か ら 新 た に 生 ま れ たアフリカ地域研究センター、持続的開発研究セン ター、持続的平和研究センターが加わり、これら五

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センターの複合体としてスタートした。駒場キャン パスの改組の特色は、地域研究関連の諸センターと 開 発 研 究 や 平 和 研 究 と い っ た「グ ロ ー バ ル・ イ シュー」と関係する研究機関が、グローバル・スタ ディーズの名のもとに併置されている点である。 上智大学や同志社大学といったキリスト教系私学 で そ の 受 容 が 始 ま っ た グ ロ ー バ ル・ ス タ デ ィ ー ズ が、 東 京 大 学 駒 場 キ ャ ン パ ス や 東 京 外 国 語 大 学 な ど、日本の地域研究の研究機関においても 始 まって いる点は、きわめて日本的な展開である。これらの 動きはポスト冷戦期に誕生した「人間の安全保障」 「平 和 構 築」 と い っ た グ ロ ー バ ル・ イ シ ュ ー に、 研 究資金獲得のために地域研究関連組織が寄り添って いった流れともいえるが、それでも国際関係論、国 際政治学ではなく、地域研究がある程度重要な役割 を担ってきた背景には、日本における独自の地域研 究の発展過程があったといえる。

日本

受容

前史

地域研究

発展

敗戦国として戦後の日本では、諸外国に関わる研 究の空白の時代を迎える。その理由は第一に、国家 財政にそのような研究を支援する余裕はなかったこ と、第二に研究者自身の忌避である。 日本軍政期の東南アジア研究の第一人者である倉 沢愛子は、自身が研究を志した一九六〇年代、まだ 日本に地域研究という学問が存在しなかった時代を 振り返り、その背景に戦前の国策への関与の反省が あったのではと推察している。 戦前、戦中に東南アジア――当時はまだ南方 と呼ばれていた――に関する研究に従事したの は、東亜研究所、満鉄調査部、台湾総督府の調 査研究機関など、国策レベルの研究機関に籍を おく人々が中心であったが、彼らの大部分は戦 争 中、 南 方 の 各 占 領 地 に 調 査 員 と し て 派 遣 さ れ、占領行政の手助けをする運命に追い込まれ た。そのことに対する負い目があったのだろう か。戦後彼らは、戦争中に得た体験や知識を生 かして東南アジアの専門家になるという道を選 ばず、方向転換する者が多かった。戦後のアメ リカの東南アジア学が、第二次世界大戦中に軍 の命令によってアジアに関与した人たちによっ て 中 心 的 に 担 わ れ て き た の と は 対 照 的 で あ る (倉沢 一九九八:一三) 。

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このように敗戦後、財政的な問題と国策に関わる ことの忌避から、戦前と戦後に断絶が生まれる。 また倉沢がインドネシアの日本軍政期の歴史研究 に関わり 始 めた頃は、ベトナム反戦運動の真っ只中 であった。ベトナム戦争の高まりとともに、アメリ カ政府が地域研究への予算を拡大させていった経緯 から見ても、日本における地域研究の発展は、国策 と一定の距離をとることに独自性を見いだしていっ たといえるかもしれない。 日本において地域研究が制度的に誕生するのは一 九六〇年代半ばからである。日本語読者向けに執筆 されたベネディクト・アンダーソンの自伝『ヤシガ ラ椀の外へ』の中で、訳者である加藤剛が日本にお ける地域研究の特色を的確にまとめている。日本の 大学で最初に地域研究の組織を立ち上げたのは東京 外 国 語 大 学 の ア ジ ア・ ア フ リ カ 言 語 文 化 研 究 所 (一 九 六 四 年) と、 京 都 大 学 の 東 南 ア ジ ア 研 究 セ ン タ ー (学 内 措 置 と し て の 設 立 が 一 九 六 三 年、 文 部 省 に よ る 官 制 化 が 一 九 六 五 年) で あ る。 こ れ ら の 組 織 が 設 立 された一九六〇年代前半は、一九五一年のサンフラ ンシスコ講和条約への調印、一九五六年の国連加盟 による日本の国際社会への復帰、そして一九五四年 のビルマとの賠償協定の締結をはじめとして東南ア ジア各国との賠償協定締結により、東南アジアに対 する経済進出のための政治環境が整い 始 めた時代で あった (アンダーソン 二〇〇九:二一八―二一九 * 2 ) 。 京 都 大 学 の 東 南 ア ジ ア 研 究 セ ン タ ー の 設 立 に あ たっては、アメリカのイエール大学やコーネル大学 に お け る 地 域 研 究 プ ロ グ ラ ム の 資 金 源 と な っ た フ ォ ー ド 財 団 か ら、 事 前 の 接 触 が あ っ た と い う (ア ン ダ ー ソ ン 二 〇 〇 九: 二 一 九) 。 地 域 研 究 は そ の 存 在自体、当時の日本ではほとんど知られていなかっ た。タイに基地を置く米軍が連日北ベトナムに爆撃 を 加 え、 国 内 の 世 論 は ベ ト ナ ム 戦 争 へ の 賛 否 を め ぐって揺れ動いていた。こうした状況を背景に、ア メリカの財団の支援を得て東南アジア研究を 始 める という計画は論議を呼び、地域研究組織を大学に設 立することに対し風当たりの強い時代であった * 3 。 このように国立大学で 始 まった戦後日本の地域研 究の特徴の一つは、教育機関としての大学機構から は独立した研究所であったことである。地域研究の 「学」 と し て の 認 知 度 が 低 い 時 代 に お い て、 独 立 し た研究機関として、学際的な共同研究により科学研 究費など外部資金を獲得し、海外調査を実施してき た経緯がある。 大 学 内 の 階 層 構 造 か ら も 外 れ た 場 所 に い た こ と

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も、その後の日本の地域研究を特徴づけていった。 加藤は、多くの地域研究者は出身学部に職を求める ことができなかった「不遇の人」であった可能性が 高いと指摘する (アンダーソン 二〇〇九:二二〇) 。 組織としての独立性と、共同研究をベースに発達し て き た と い う 特 徴 も、 日 本 の 地 域 研 究 の 特 徴 を つ くってきたといえる。 上智大学では一九八二年、アジア諸地域の宗教、 言語、社会、歴史などを総合的に調査、研究するア ジ ア 文 化 研 究 所 を 設 立 し た。 翌 年 の 一 九 八 三 年 に は、外国語学部の中にアジア諸地域の歴史、社会、 経済、文化などを教えるアジア文化研究室を開設し た。この研究室は一九九三年四月にはアジア文化副 専攻となり、アジア地域研究科目を全学部に向けて 開 講 し て い る (上 智 大 学 ア ジ ア 文 化 研 究 所 一 九 九 九: 一) 。 こ の よ う に 研 究 所 設 立 当 初 か ら 学 部 教 育 と密接に関係していたという点で、国立大学の研究 所とは性格が異なっているといえる。 学部教育をベースとしつつ、国際協力や市民運動 に 貢 献 す る 知 と し て、 「実 践」 と の 関 わ り を 模 索 し 続 け た の も 上 智 大 学 の ア ジ ア 地 域 研 究 の 特 徴 で あ る。カンボジアのアンコール遺跡群の保存事業やそ れ に 関 わ る 人 材 育 成 に 長 年 関 わ り 続 け る 石 澤 良 昭 や、東南アジア地域の開発や人々の暮らしの研究か ら、日本の開発援助政策への批判を行ってきた村井 吉敬のように、地域社会への貢献、政策批判といっ た実践的関与も「上智アジア学」の特色となってい た。大学院レベルでもまた、アジア文化研究所の所 員が中心となり一九九七年、大学院外国語学研究科 国 際 関 係 論 か ら 分 離 し、 「地 域 研 究 専 攻」 を 設 立 し ている。 今日では地域研究の学問的認知度が高まり、上智 大 学 と 同 様 に 国 立 大 学 で も 地 域 研 究 に 関 連 す る 学 部・ 大 学 院 組 織 が 数 多 く 立 ち 上 げ ら れ た (た と え ば 京 都 大 学 大 学 院 ア ジ ア・ ア フ リ カ 地 域 研 究 研 究 科 が 一 九 九 八 年 四 月 に 設 立 さ れ て い る) 。 他 方 で 国 家 的 な 人材養成という観点からは外れたところで地域研究 が発展してきたことから、地域研究の政策的実用性 に関しては、良い意味でも悪い意味でも議論が進ん でこなかったのが実情である。 以上のように日本における地域研究は 、 戦後の対 外政策において、メインストリームではないところ で発展してきたからこそ、アメリカで冷戦の終わり とともに衰退したエリア・スタディーズのような道 を歩むことはなかった。むしろ、人やモノが国境を こ え る 動 き が 加 速 化 す る グ ロ ー バ ル 化 と い う 現 象

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は、国家ではなく国家をこえた「地域」から捉える べきテーマとして、地域研究はその学問的価値を高 める好機を得たといえる。

地域研究

ア メ リ カ で は 二 〇 〇 〇 年 ま で に は グ ロ ー バ ル ・ ス タディーズは学界の中で確立した位置を占めるよう に なり 、こ の 分野 で の カ リキ ュ ラ ムや テ キ ス トも 現 れ た ( Lechner and Boli 2000; Campbell et al. 2010 ) 。 研 究 資 金 を 拠 出 す る 財 団 も、 グ ロ ー バ ル・ ス タ ディーズを研究分野として認めるようになり、また 学会や研究誌も新たに登場した。北米の大学では世 界諸地域を研究する研究所が 国 イ ン タ ー ナ シ ョ ナ ル ・ イ シ ュ ー 際問題を扱う 研究所 の傘下に入っていることが多いが、こうした枠の中 でも、グローバル・スタディーズの科目や履修プロ グラムが取り入れられるようになった。 国 際 的 な グ ロ ー バ ル ・ ス タ デ ィ ー ズ の 連 携 組 織 、 グ ロ ー バ ル ・ ス タ デ ィ ー ズ ・ コ ン ソ ー シ ア ム ( Global Studies Consortium ) も 二 〇 〇 七 年 に 設 立 さ れ 、 第 一 回 国 際 会 議 は カ リ フ ォ ル ニ ア 州 立 大 学 サ ン タ ・ バ ー バ ラ 校 で 開 催 、 第 二 回 は 二 〇 〇 八 年 に 上 智 大 学 で 開 催 さ れ た 。 二 〇 一 三 年 三 月 現 在 、 約 四 〇 大 学 が 加 盟 し て お り 、 日 本 か ら は 一 橋 大 学 と 上 智 大 学 が 幹 事 組 織 と し て 参 加 し 、 そ の ほ か 同 志 社 大 学 、 多 摩 大 学 が 加 盟 組 織 と な っ て い る ( 参 考 Global Studies Consortium ウ ェ ブ サイト URL: globalstudiesconsortium.org ) 。 グローバル・イシューとは、地球規模で取り組ま なければならない課題を意味するが、近年急速に定 着しつつある概念である。二〇一〇年発行のグロー バ ル・ ス タ デ ィ ー ズ の 入 門 書『 An Introduction to Global Studies 』 で は 以 下 の よ う に グ ロ ー バ ル・ イ シューを柱とした章構成となっている。 1 Going Global 2 Nation-state System (国民国家システム) 3 International Organizations (国際機関) 4 Human Rights (人権) 5

The National Environment

(自然環境)

Population and Consumption

(人口と消費)

Infectious Disease and Globalization

(感染症とグローバル化)

The Gendered World

( ジ ェ ン ダ ー 化 さ れ た 世 界 ) 9

Information and Communication Technologies

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10 War and Violent Conflict (戦争と暴力紛争) 二〇〇八年に刊行された『国際政治経済――「グ ローバル・イシュー」の解説と資料』では、冷戦終 結後、九・一一テロ後の複雑化する国際政治経済を 「舞 台」 に 見 立 て て、 そ の 舞 台 で 演 じ る「役 者 = ア クター」の分類・分析と、アクターが演じる劇の種 類である「イシュー」のうち、現代性のあるものを 精 選 し 解 説 し て い る (細 谷 ほ か 二 〇 〇 八: ii) ア クターとしては、従来からのアメリカ、中国、ロシ アをはじめとする大国、EUやASEANといった 地 域 共 同 体、 国 連 や N G O と い っ た 国 際 組 織 に 加 え、新しいアクターとして、 「イスラーム世界」 「エ ス ニ ッ ク・ ネ ッ ト ワ ー ク」 「テ ロ 組 織」 を 加 え て い る。イシューとしては、 「テロとの戦い」 「平和構築 と P K O」 「同 盟 と 安 全 保 障」 「人 道 的 介 入」 「大 量 破 壊 兵 器」 「地 球 環 境」 「資 源 を め ぐ る 国 際 政 治」 「グローバル市場競争」 「グローバル化する経済とW TO、FTA/EPA」 「貧困と開発」 「知的財産権 (I P R) 」「グ ロ ー バ ル 企 業 の 国 際 的 責 任」 「人 権」 「人の移動」 「トランスナショナル化する文化」 「ジェ ンダー」があげられている。

第Ⅰ部﹁

地域研究﹂

『 An Introduction to Global Studies 』 も『国際政 治経済』も、どちらも国際政治、国際関係論をバッ ク グ ラ ウ ン ド と し た 研 究 者 の 視 点 か ら の グ ロ ー バ ル・ イ シ ュ ー の 紹 介 で あ る。 本 特 集 の 第 Ⅰ 部「グ ローバル・イシューと地域研究」では、地球規模の 諸課題を地域研究の立場から取り組む研究者の最新 の 取 り 組 み を 紹 介 す る。 以 下 取 り 上 げ る イ シ ュ ー は、地域研究が扱う重要な課題について網羅してい るわけではない。あくまでも、地域研究の視点から グローバル・イシューをどのように議論するのかを 示す一例として理解いただきたい。 原発 家田論文「福島、チェルノブイリ、アイカを地域 とグローバルな視点から考える」は、家田が専門と し て き た ス ラ ブ 地 域 研 究 を こ え て、 「環 境 汚 染」 と いうイシューを軸に、異なる地域の問題の接続を試 みている。ハンガリー研究から出発した家田は、ウ クライナでの調査中に福島の事故の報道をきいた衝

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撃をきっかけに、異なる複数の地域における環境汚 染についての地域研究に挑んでいる。家田は同論文 のなかで、福島、チェルノブイリ、ハンガリーのア イカという三地域について考察する。これまでも国 をこえた複数の地域にまたがる視点はあったが、そ れはあくまで隣接する地域を前提としていた。家田 の場合、これまで歴史的、文化的にもまったく繋が り の な い 三 地 域 を、 「環 境 汚 染」 と い う グ ロ ー バ ル・イシューで接合しようとしている。もちろん環 境汚染という問題自体が、国や地域をこえて影響を 及ぼす問題であるため、国をこえた地域で問題を捉 えようとする地域研究のアプローチが重要であるこ とはいうまでもない。 家田自身もことわっているように、地域研究者は 「越 境」 し て 他 の 地 域 に つ い て 語 る こ と に 遠 慮 が あ る。しかしその遠慮は、グローバルな問題について 発言しない地域研究者の悪しき伝統であるかもしれ ない。福島第一原発事故の際にウクライナで調査を していたという偶然性、そして海外で報道されるこ とが日本ではまるで報道されないという衝撃から、 地域研究者だからこそ可能な原発問題についての議 論を行う使命感を家田は持っている。その試みはま だ 始 まったばかりであるが、今後の日本型グローバ ル・スタディーズの一つのかたちを提示していると いえるだろう。 開発と紛争 開発と紛争というイシューは、それぞれ個別に扱 うべきではないかという意見もあるかもしれない。 しかし「開発と紛争」という複合的命題は、幡谷論 文によると、グローバル・イシューをローカルな実 態からみた場合に立ち現れる。開発という単独のイ シューでみると、それ自体は貧困を解決するための 政策である。紛争は、民族対立や宗教対立を背景と して立ち現れる問題として理解される。ところが実 際には開発そのものが地域の紛争を引き起こしてい る場合が多い。民族紛争や宗教紛争と理解される事 例においても、開発をめぐる経済的利害関係が背景 にあることが、当該社会の歴史的、政治的、経済的 なコンテクストを理解してみるとみえてくる。 幡谷は自身が長年研究対象として南米コロンビア の鉱物資源開発をめぐる紛争と人権侵害を事例とし て、グローバルな市場と資本の関心を集める希少な 鉱物資源が、地域住民を脅威にさらしていることを 明らかにする。 このように地域の視点から、経済開発モデルを批

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判的に検証する以外に、地域研究者のコミットメン ト=実践への関与も、グローバル・イシューを扱う 地域研究のあり方だと幡谷は主張する。幡谷は現地 の人々との「協働」という言葉を用い、苦境にあえ ぐ人々についての情報発信、社会運動への関与も、 開発と紛争というイシューに取り組む地域研究者の 立 ち 位 置 と し て 必 然 と 主 張 す る。 そ の 意 味 に お い て、学問としての中立性、すなわち「価値自由」は 不可能と述べる。幡谷はこれまで自国の利益に貢献 する政策科学としてのイメージが強かった地域研究 から、現地社会に寄与する地域研究を提唱する。 平和構築 中 西 論 文「 『平 和 構 築 』 と 地 域 研 究 ―― 今 何 が 求 められているのか」もまた、幡谷が 開発 と 紛争 とい う イ シ ュ ー に 対 し 試 み た よ う に、 「平 和 構 築」 と い う政策概念を地域研究の視点から相対化することを 試 み て い る。 し か し そ れ は 同 時 に、 「平 和 構 築」 と いうイシューからこれまでの地域研究のあり方を相 対化する試みでもある。 中東地域を専門とする中西は、とくに アフガン問 題を 事例としてあげながら、紛争防止やいわゆる平 和構築支援に地域研究者が関与しにくい現状を指摘 する。平和構築に関わる実務者と地域研究者の「地 域」 の 設 定 の 相 違、 政 策 レ ベ ル で の 歴 史 理 解 の 軽 視、そして治安の悪化により研究者がフィールドへ アクセスすること自体が困難になるなどの外在的要 因もあるが、地域研究自体の内在的要因――すなわ ち研究者の守備範囲が「平和構築」で求められる知 識と対応しないことも大きいと中西は指摘する。ア フガン問題であればアフガニスタンだけでなくパキ スタン、そして中央アジアの米軍基地の問題なども 視野に入れる必要がある一方、すべてをカバーする 地域研究者はほとんど存在しないのが現状である。 グ ロ ー バ ル 化 の 進 展 に 伴 い、 何 が 地 域 の 課 題 = イ シューになるのか、そしてイシューにとってカバー すべき「地域」とは何か、刻一刻と変化する状況に 対応できる知のあり方が、平和構築支援に関わる地 域研究に求められている。 中西論文は、地域研究者が実践に関与すべきとい う単なるメッセージにとどまらない。もし地域研究 が実践への関与を志向するのなら、実践に関わるた めに必要な「知」のあり方、すなわち「地域」の理 解について研究者が認識を改めなければならないこ とを問うているのだ。

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イスラーム グローバル・イシューとしての「イスラーム原理 主 義」 の 検 討 を 行 う 赤 堀 も ま た、 「地 域」 理 解 と 研 究者の自己認識の変化を求めている。赤堀は、イス ラーム地域研究の「仮想敵」としてのサミュエル・ ハンティントンの「文明の衝突」論に言及する。ハ ンティントンの文明論は粗雑で月並みでしかなく、 個々の事例分析が最終的に各文明の「固有性」に還 元されてしまう論理は、地域社会の歴史、政治、文 化の理解を志向する地域研究者にとって奇異でしか な い。 そ の 一 方 で、 そ の 文 明 論 の 単 純 素 朴 さ こ そ が、イシューとしてのイスラームを顕在化させた功 績も赤堀は見逃さない。 地域研究はハンティントンのような文明論を批判 しつつも、対抗できる知見を示すことができないで いる。地域研究者自体も「中東」や「南アジア」と い っ た「地 域」 の 固 有 性 に と ら わ れ て い る 限 り、 「文 明」 を 本 質 化 す る ハ ン テ ィ ン ト ン の 論 理 の 外 側 にいるわけではない。九・一一以降の世界史的な変 化のなかで、テロリズム、イスラーム原理主義がさ らに重要なイシューとなるなか、これまでの地域区 分 を こ え た 通 地 域 的 な 地 域 研 究、 よ り 普 遍 的 な イ シューとしてのイスラーム、原理主義、テロリズム を理解する思考の枠組みとして、地域研究を成立さ せることの重要性を赤堀は説いている。 地球環境 最 後 に 「 地 球 環 境 」 と い う イ シ ュ ー で あ る 。 環 境 問 題 ほ ど 、 従 来 の 地 域 理 解 で は 捉 え る こ と の 難 し い テ ー マ は な い だ ろ う 。 長 年 に わ た っ て ナ マ コ と い う 海 産 物 に 着 目 し 、 フ ィ リ ピ ン を は じ め と す る 東 南 ア ジ ア 地 域 で 調 査 を 行 っ て き た 赤 嶺 は 、 ナ マ コ が 生 物 多様性保護の対象としてワシントン条約で議論され る よ う に な っ て 以 来 、「 地 球 環 境 問 題 」 と い う グ ロ ー バ ル な 舞 台 上 で 、 調 査 地 を さ ら に 拡 大 さ せ 研 究 を 行 っ て い る 。 生 産 、 流 通 、 消 費 を つ な ぐ と い う 従 来 の モ ノ 研 究 に 加 え 、 地 球 環 境 主 義 と い う グ ロ ー バ ル な 潮 流 の な か で 、 よ り 複 雑 な ネ ッ ト ワ ー ク 上 で 問 題 を 捉 え よ う と 試 み て い る 。 こ れ ま で の 東 南 ア ジ ア や 日 本 各 地 の ナ マ コ 漁 の 現 場 、 中 国 を は じ め と す る 消 費 の 現 場 だ け で な く 、 ワ シ ン ト ン 条 約 締 約 国 会 議 の 現 場 、 ジ ュ ネ ー ブ 、 ド ー ハ に 始 ま り 、 ガ ラ パ ゴ ス 諸 島 に ま で 赤 嶺 は 足 を 運 ん で い る 。 そ し て 環 境 問 題 に 対 し 、 複 数 の 地 域 を つ な ぎ つ つ 全 体 像 を つ か も う と い う 試 み ― ― 人 類 学 者 マ ー カ ス が 提 唱 し た マ ル チ ・ サ イ テ ッ ト ・ ア プ ロ ー チ ( Multi-Sited Approach: MSA )

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――を、地域研究の新たな方法論として提唱する。 MSAはナマコのような海産物だけでなく、グロー バルな消費の対象となるさまざまな第一次産品を対 象とする研究にも応用可能だ。

方法論的特徴

研究と実践の接続 当 然 の こ と な が ら 環 境 問 題 や 人 権 問 題 な ど の グ ローバル・イシューに取り組む地域研究は、その成 果の実践的活用を視野に入れている。すでに地域研 究コンソーシアムでも社会連携部会を通じて、自然 災害における緊急人道支援に地域研究者が協力する 制度構築への取り組みが始まっている。過去の『地 域研究』の特集においても、地域研究の視点から人 道 支 援 の あ り 方 を 検 討 す る 試 み が な さ れ て き た (参 考: 「総 特 集   災 害 と 地 域 研 究」 『地 域 研 究』 第 一 一 巻 第 二 号、 「総 特 集   地 域 研 究 方 法 論」 『地 域 研 究』 第一二巻第二号) 。 「 開 発 と 紛 争」 イ シ ュ ー に 取 り 組 む 幡 谷 も ま た、 現地社会への貢献という点を強く主張している。た だし幡谷が主張するのは、支援体制の制度的確立を 目指すというより、住民運動との協働を試みる社会 運動との接続を志向している。赤嶺、家田もまた研 究者としての立ち位置について言及するなかで、現 地社会との接合、貢献が研究の必然的帰結としてあ ると述べている。 実際、これまでも自らが研究対象とする地域社会 に生きる人々に共鳴し、対象社会へ実践的な関わり を持つ地域研究者は多かった。しかしそれはあくま で も 研 究 と は 切 り 離 さ れ た 一 個 人 と し て の 営 為 で あった。ここではむしろ、そうした 実践的関与を前 0 0 0 0 0 0 0 提 と し て 地 域 研 究 を デ ザ イ ン す る 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 と い う 意 味 が あ る。 「平 和 構 築」 支 援 へ の 地 域 研 究 者 の 関 与 を 検 討 した中西の提言は、地域研究をより具体的な実践知 として構想するにあたっての方法論的課題を浮き彫 りにしている。地域研究が平和構築という分野にお い て 実 践 的 関 与 を 志 向 す る に は、 「地 理」 的 な 守 備 範囲をひろげると同時に、個別のイシューに応じて 「地 域」 理 解 も 柔 軟 に 変 え な け れ ば な ら な い。 お そ らくこのような方法論的議論を行う場が地域研究の 学会組織のなかで必要となってくるだろう。 方法論としての「旅」― ― マルチ・サイテット・アプローチ これまでも地域研究者は、自らの調査地社会の理

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解を深めるために、自らの専門外の地域で調査研究 を行ってきた。ところが実際に論文を執筆する際に は限定された一地域のみを語り、他の地域を訪れた ことは、いわば私的な「旅」の領域にしまい込まれ ることになる。 こ こ で 提 示 し よ う と す る「グ ロ ー バ ル・ イ シュー」に取り組む地域研究の方法論は、これまで 私 的 領 域 に し ま い 込 ま れ て い た 地 域 研 究 者 の 実 践 ――現地社会への貢献と「旅」――を可視化し、よ り具体的な方法論として確立することにある。本特 集で赤嶺が解説しているように、マルチ・サイテッ ト・アプローチとは人類学者であるジョージ・マー カスが提唱した方法論で、調査地社会の全体像を描 くために、複数の地域における調査をふまえ、調査 地のおかれた状況をより大きなシステムに位置づけ る ア プ ロ ー チ で あ る (マ ー カ ス、 フ ィ ッ シ ャ ー 一 九 八 九: 三 一 〇 ― 三 一 一) 。 従 来 の 地 域 研 究 は 限 定 さ れ た 特 定 の 一 地 域 を 論 じ る も の で あ っ た が、 マ ル チ・ サ イ テ ッ ト・ ア プ ロ ー チ は、 あ る 特 定 の イ シューをめぐるネットワークの全体像を明らかにす る手法である。イメージとしては、従来の地域研究 で明らかにする対象が、円で囲われた地理的実体で あるとすれば、点と点をつないだ線が無数に絡み合 うようなネットワーク空間である。 研究者もまた複数の地域をまたがって調査をする ことになる。可能ならば複数の地域言語ができるに こしたことはないが、この方法では地域の言語能力 へのこだわりをある程度捨てる勇気も必要となるか もしれない。他の専門分野の研究者がなかなか理解 できない点として、地域研究者の内向的性格――言 葉の通じる地域以外について専門的なコメントがで きない――があるが、この内向きの性格をいかに克 服するのかも大きな課題となってくる。とくに先に あげた実践的関与を志向する際には、これまでのよ うな地理的に限定された地域を自らの専門とする自 己認識を変えていかなければならない。 新たな「地域」概念と研究者の自己・他者認識 グローバル・イシューに取り組む地域研究の必然 的帰結としての「研究と実践の接続」と「マルチ・ サ イ テ ッ ト・ ア プ ロ ー チ」 。 こ の 方 法 論 的 特 徴 は、 平和構築を論じる中西論文、イスラームを論じる赤 堀論文で指摘されるように、新たな「地域」理解と 研究者のアイデンティティの変化を要求する。これ まである特定の国や地域の言語を習得し、限定的な 地理的領域の総合的理解を地域研究者は目指してき

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た。しかし環境問題や平和構築、イスラーム主義な ど の グ ロ ー バ ル・ イ シ ュ ー に 取 り 組 む 地 域 研 究 者 は、既存の地域概念――中東や東南アジアなど―― をこえて、イシューに沿って地域を設定し研究を試 みるのが必然となっている。その際、一研究者が単 独で総合的研究を行うのは難しく、異なる「地域」 の 研 究 者 か ら 構 成 さ れ る 共 同 研 究 が ユ ニ ッ ト と な る 。 ただし、これが問題であると認識するかどうかは 別として、こうした共同研究は既存の地域研究の学 会組織――たとえば東南アジア学会、中東学会、ラ テンアメリカ学会など――の外部で実施され、その 成 果 が 必 ず し も 学 会 に 還 元 さ れ て い る と は 言 い 難 い。地域研究の既存の学会組織の解体と再編も視野 に入れる必要があるのかもしれない。 蛇足であるが、本誌『地域研究』では執筆者に対 し、きわめてオリジナリティの高い執筆者紹介を要 請している。これまでの職歴や大きな体験、推薦図 書 な ど、 研 究 者 の 人 と な り が わ か る よ う な プ ロ フィールとなっており、地域研究を志す学生や若手 の研究者にとって、キャリアデザインを行う上で参 考になるはずだ。しかしこのプロフィールでは必ず 自らの専門とする「地域」を書かなければならない (私 自 身 も 他 に 書 き よ う が な く 東 南 ア ジ ア 地 域 研 究 と 書 い た) 。 こ れ ま で の 地 域 研 究 の 理 解 か ら し て 当 然 で あ る が、 本 特 集 で 意 図 し て い る 地 域 研 究 の 変 化 は、こうした専門理解自体が時代遅れになりかねな いことを示唆している。

既存

学会

位置

︱︱東南 ア ジ ア 研究 を 事例 に グローバル・スタディーズが研究対象とするモノ や人、思想、制度の移動は、従来の国際関係論の議 論では対応できないばかりか、地域研究自体のあり 方にも再考を迫っている。たとえば、モノ研究にお いて、東南アジアのある一地域の海産物は、当然な がら東南アジアという領域をこえて、日本や中国、 そしてヨーロッパへと地球規模で流通し、消費され ている。同時に地球環境主義は生物多様性という側 面から、乱獲規制というかたちでローカルな人々の 営みに直接に影響を与える。移民・難民研究に目を 向けると、たとえば東南アジアの華人・華僑社会研 究には、トランスナショナリズムという視点から一 国家研究を相対化する可能性を秘めながらも、実際 に は 一 国 家 の な か の マ イ ノ リ テ ィ と し て ア イ デ ン

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ティティなど本質主義的言説が再生産されてきた。 中国の政治的、経済的台頭もあって、研究上の批判 的 な 議 論 の 方 向 性 と は 逆 に、 「東 南 ア ジ ア の 華 人」 と い う 言 説 が さ ら に 強 化 さ れ つ つ あ る。 グ ロ ー バ ル・ヒストリーという潮流が、歴史学においても無 視 で き な く な っ て き て い る。 グ ロ ー バ ル・ ヒ ス ト リーというアプローチの特徴とされる、生態系利用 研究や農耕研究など自然科学系の学問手法や、従来 の歴史叙述の中心にあったヨーロッパ世界の相対化 は、すでに東南アジア歴史学が確立してきた手法で もある。しかしその一方で、異なる諸地域の相互の 影響を重視するアプローチは、たとえばジャワ一地 方の歴史とヨーロッパとの相互の連関を問う議論な ど、東南アジアという地域概念の存在意義を薄める 方向に作用しているのではないか。 東南アジア研究においては、一国家だけを研究す るということはすでに相対化されてきた。しかし、 い ま グ ロ ー バ ル・ イ シ ュ ー か ら 問 わ れ て い る の は 「東 南 ア ジ ア」 と い う 地 域 概 念 そ の も の で は な い だ ろうか。地域研究とグローバル・スタディーズをめ ぐる議論のなかで、東南アジアという地域概念はい かなる意味を持つのか。地域研究において、グロー バル・イシューを課題とする研究が主流になるなか で、知の対象としての「東南アジア」は存在し続け ることが可能なのか。もし可能だとすればどのよう なものとして位置づけることが可能なのか。 第Ⅱ部ではグローバル・スタディーズという潮流 のなかで従来の学術上の地域区分に基づく諸研究を どのように理解することが可能か検討したい。そこ で東南アジア地域を主な足場としながらも、東南ア ジアという地域をこえた人やモノの動きを研究対象 とする研究動向を紹介する。 グローバル・ヒストリー 太田論文「グローバル・ヒストリーと東南アジア 史」は、グローバル・ヒストリーの手法を「比較」 「平行」 「接続」という三つのアプローチで整理した 上で、近年の東南アジア史研究をグローバル・ヒス トリーの観点から批評することを試みている。東南 アジア史研究は、ヨーロッパ中心史観を相対化する 点 で グ ロ ー バ ル・ ヒ ス ト リ ー と 共 通 項 を 持 っ て い る。 近 年 の 研 究 で、 ビ ル マ 史 を 専 門 と す る ヴ ィ ク ター・リーバーマンが中央アジア遊牧民の侵入とい う指標で異なる地域を比較した研究 (『ストレンジ・ パラレルズ ( Strange Parallels )』 ) 、 またアンソニー・ リードの植民地化以前の東南アジア海域世界史研究

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(『商 業 の 時 代 の 東 南 ア ジ ア』 『最 後 の 抵 抗( Last Stand )』 ) を、 ヨ ー ロ ッ パ 中 心 史 観 を 相 対 化 す る 視 座 を 提 供 す る も の と し て 評 価 す る。 一 方 で、 リ ー バーマンは国家中心的な歴史観、リードはウェスタ ン・インパクトを過大視する立場を克服できていな いとも指摘する。そこで太田は、蘭領東インドの外 島 (ス マ ト ラ、 カ リ マ ン タ ン 島 な ど) で は 植 民 地 支 配の色濃くなった一九世紀にいたっても、華人やブ ギス人など民間商人による経済活動が活発であった ことを、貿易統計資料から明らかにすることで、国 家中心史観とウェスタン・インパクトを相対化しよ うと試みている。 華僑・華人社会 相 沢 論 文「 『グ ロ ー バ ル・ ス タ デ ィ ー ズ』 と 東 南 アジア華僑・華人研究」では、これまでの華僑・華 人研究を整理し紹介している。華僑・華人研究は、 本来的に東南アジア地域に限定されることなく、中 国やアメリカなど地理的なひろがりを持っている。 そのため既存の地域研究の学会組織――東南アジア 研究、アメリカ研究、中国研究――において周辺的 な立場に置かれることになった。 中国からの海外移民の流出について相沢は、その 第一波と第二波をわけて説明する。第一波は一九世 紀における華南地域から海路による蘭領東インドや 英領マラヤへの労働移動、一九七〇年代以降の第二 波は、世界各地への留学をはじめとして多様化した 移民であり、出身地も華南地方だけでなく中国全土 の主要都市にひろがる。 こうした状況をふまえると、第一波までは東南ア ジア研究の枠組で捉えることもまだ可能だが、現在 の華僑・華人社会を理解しようとした場合、東南ア ジア研究という従来の枠組では不可能であると述べ る 。 他 方 で グ ロ ー バ ル ・ ス タ デ ィ ー ズ と い う グ ロ ー バ ルな人の移動を扱う潮流は華僑・華人研究にとって 初めて居心地のよい空間を獲得したことになる。 既存の学会組織はグローバル・イシューの 議論の場となりうるか? これらの研究の特徴は、明らかに東南アジア研究 における重要な研究テーマであるにもかかわらず、 必ずしも東南アジア学会を主要なホームグラウンド として議論が行われているわけではない点である。 グローバル・ヒストリーという潮流のなかでは東南 アジアという領域をこえて議論される。華僑・華人 社会を対象とする場合も東南アジアに限定されるこ

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とはなく、世界各地にひろがる。イスラーム社会に ついても、むしろ中東研究者との共同研究が活発に 行われる。 東南アジア研究が示してきた脱国家的な視点や脱 ヨーロッパ中心史観が、グローバル・スタディーズ と親和性があるのは間違いない。ここで紹介した研 究が示すまなざしも、東南アジア地域をフィールド と し て き た か ら こ そ、 獲 得 し た 視 点 で も あ る だ ろ う。 一 方 で、 こ う し た 複 数 地 域 を 対 象 と す る 研 究 が、既存の地域概念に基づく学会組織のなかで、居 場 所 を み つ け に く い 現 状 も あ る。 限 定 さ れ た 地 域 ――それは国家をこえた地域というより逆に国家よ りも小さな地域であることが多い――と限定された 時代区分のもとに行われる基礎研究が重要であるこ とは間違いない。しかし他方でより大きなイシュー を論じることを若手研究者が躊躇するような環境も 既 存 の 学 会 組 織 に は あ る の で は な い か。 越 境 的 な 人々の移動に対する研究は、既存の学会組織の外部 で行われざるをえない。こうした現状が継続するこ とはすなわち学会自体の活力が失われることにつな がりかねない。こうした状況のなか、地域研究系の 学会の連携組織である地域研究コンソーシアムがこ うした越境的な研究についての議論の場を提供して ゆくことは重要だろう。 イスラーム世界と人々の移動 フ ィ リ ピ ン で バ リ ッ ク・ イ ス ラ ー ム ( Balik-Islam ) と 呼 ば れ る イ ス ラ ー ム 改 宗 者 の 増 加 に つ い て考察する渡邉論文「イスラーム世界と人びとの移 動 か ら 地 域 研 究 を 考 え る ―― イ ス ラ ー ム 改 宗 者 と フ ィ リ ピ ン・ ム ス リ ム 社 会 の 再 編 」 は こ れ ま で の フィリピン・ムスリム社会像を大きく変貌させる視 点を提供する。かつては南部フィリピンを中心に、 モスクや民族的衣装といったイスラーム的景観がひ ろがっていたが、湾岸諸国で改宗した人々がそれぞ れの郷里に戻ることで、そうした景観が国内各地に ひろがった。こうしたイスラーム改宗者はフィリピ ン南部の民族ムスリムとは異なり、特定の地理的集 住地域を持たない。現在のフィリピンにおいて一四 番目の「民族集団」とも認識されるようになったイ ス ラ ー ム 改 宗 者 の 増 加 に つ い て 渡 邉 は、 フ ィ リ ピ ン・ムスリム社会の脱民族化とアラブ化、脱領域化 であると説明する。イスラーム改宗者はグローバル なムスリム・ネットワークとつながりを保ちつつ、 フィリピンの主流社会ともうまくつきあう態度を示 し、これまでテロやイスラーム復興といった側面に

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注目が集まりがちなフィリピン・ムスリム研究に新 たな側面を提供している。 国境紛争 山 本 論 文「 『ス ー ル ー 王 国 軍 』 兵 士 侵 入 事 件」 は、マレーシアとフィリピン間の国境問題への視座 を提供する。グローバル・イシューとして注目度の 高い「国境」であるが、山本によれば実際のところ 国境周辺地域は国家の中央から遠く離れた辺境であ り、開発や治安の面からも行政の対応が遅れている 地域である。 山 本 は、 「ス ー ル ー 王 国 軍」 を 名 乗 る 者 た ち と マ レーシア治安当局の衝突事件について、当該社会の 歴史的背景や現在の内政状況や社会問題のなかで位 置づけることによって、スールー王国とサバ領有権 問 題 の 解 説 を 試 み る。 山 本 論 文 は グ ロ ー バ ル・ イ シューとしての「国境紛争」に対する地域研究アプ ローチの一事例である。それは、複雑な歴史的背景 を 持 つ 国 境 周 辺 社 会 の 問 題 が、 グ ロ ー バ ル・ イ シューとしての「国境問題」として可視化されるこ との意味を明らかにするアプローチである。それは 同時に、グローバル・イシューとしてのみ国境問題 を語ることによる、地域的な力学が理解されない問 題性も指摘している。 パームオイル 現在、グローバルな消費の対象であり地球環境問 題の視点からも注目をあつめているアブラヤシにつ いて、地域研究の視点から考察を試みているのが岡 本論文「環境にやさしいアブラヤシ農園というディ スコースの誕生――インドネシアのアブラヤシ農園 拡大戦略から」である。植物油脂として食品、化粧 品、 洗 剤 な ど さ ま ざ ま な 商 品 の 原 料 と な っ て き た パーム油は近年、化石燃料に変わるバイオ燃料とし て、地球温暖化対策、エネルギー問題の観点からも 需要がさらに高まっている。アブラヤシを重要な外 貨獲得資源と位置づけるマレーシアとインドネシア では、アブラヤシ農園がボルネオ島やスマトラ島を 中心に急速に広がっている。他方で、熱帯林のアブ ラヤシ・プランテーション化が、森林破壊、生物多 様性の消失という観点から、環境問題や動物保護を 訴える国際NGOによる批判を受けている。地球環 境問題をめぐってその功罪が問われているアブラヤ シ栽培はいま、極めて重要なグローバル・イシュー の一つといってよい。 岡 本 は 同 論 文 に お い て 、 熱 帯 林 破 壊 、 生 物 多 様 性 の

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消 失 の 元 凶 と し て 国 際 的 な 批 判 を 受 け る ア ブ ラ ヤ シ 栽 培 に つ い て 、 イ ン ド ネ シ ア 国 内 で は 雇 用 機 会 創 出 、 地 域 経 済 の 活 性 化 、 森 林 伐 採 後 の 林 地 利 用 と し て 、 巧 み に 正 当 化 す る イ ン ド ネ シ ア 政 府 の ロ ジ ッ ク を 明 ら か に す る 。 対 外 的 に も ア ブ ラ ヤ シ ・ プ ラ ン テ ー シ ョ ン を 「森 林」 と し て 認 め る よ う ロ ビ イ ン グ 活 動 を 行 う 外 交政策など、国内外の政治経済の文脈のなかでアブ ラヤシ栽培の拡大を位置づけようとしている。

︱︱ グ ロ ー バ ル ・ ス タ デ ィ ー ズ の 日本化 と 地域研究 の 国際化 グローバル・スタディーズと地域研究は、知のグ ローバリゼーションの真っ只中にいる。行政がむし ろ追随するかたちで「グローバル人材」という言葉 を濫用するなか、地域研究はより良い研究と教育の 環 境 を 整 備 す る 機 会 を 得 て き た。 日 本 に お け る グ ローバル・スタディーズの受容と展開は、地域研究 が世界諸地域を対象とする研究と実践においてプレ ゼンスを高める重要な機会を提供している。発祥の 地であるアメリカでグローバル・スタディーズの発 展と地域研究の衰退が表裏一体であるのとは対照的 である。良くも悪くも日本における地域研究が、国 の対外戦略上重要な地位から離れていたことと関係 している。 アメリカとは異なるかたちで独自の地域研究を確 立 し て き た 日 本 型 地 域 研 究 は、 グ ロ ー バ ル・ ス タ ディーズと親和性が高い。今後のグローバル・スタ デ ィ ー ズ と 地 域 研 究 の 関 係 は、 「地 域 研 究 の 国 際 化」とセットで考えてはどうだろうか。日本型の地 域 研 究 は 政 策 科 学 と の 印 象 が 強 い エ リ ア・ ス タ ディーズと訳すよりもグローバル・スタディーズの ラベルを用いる方が適しているかもしれない。一方 で、これは戦後日本において発展してきた既存の地 域研究のあり方への挑戦でもある。地域研究者=特 定 地 域 の 専 門 家 (ス ペ シ ャ リ ス ト) と い う 自 己 認 識 も変えていかなければならない。むしろ開発や人道 支援といったテーマに、地域研究者が「ジェネラリ スト」として取り組んでいく姿勢が求められる。地 域研究の実践的活用を考える場合、国家の政策的関 与を志向するのではなく、一国家の国益をこえた地 球規模の諸課題――グローバル・イシュー――に貢 献する実践を志向することが重要だ。従来のように 特定地域のみをフォーカスするのではなく、複数の 地域にまたがってグローバル・イシューを扱う地域

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研究者像が、グローバル・スタディーズという潮流 のなかで求められている。 同時に、これまでの地域研究のあり方にも再編を 迫っていると受け止めるべきだろう。グローバル・ スタディーズが扱うグローバルな人、モノ、カネ、 思想の動きは、アメリカの世界戦略概念として誕生 した従来の地域概念をこえて移動する。既存の学術 組織もこの地域概念に基づいて形成、発展してきた が、より活発な共同研究の場をつくるためにはそう した従来の学会組織をこえた知のアリーナが重要で あることは間違いない。地域研究コンソーシアムが 重要な役割を果たすことはいうまでもない。 今回、残念ながら本企画でとりあげることのでき なかったグローバル・イシューの一つに「金融・経 済」がある。金融や経済の問題が地域研究にとって も重要なテーマであることはいうまでもない。経済 学というディシプリンは、本来的に国や地域をこえ た越境的な学問というイメージがある。ところが実 際には経済学の認識と把握の視座は、国家や政体の 枠組を基礎として扱ってきた。国際経済、国際金融 といった概念もあくまでも「国家間」の事象として 認識されてきた。 一 九 九 〇 年 代 以 降 に 急 速 に 進 ん だ グ ロ ー バ ル 化 は、経済学においても国家を相対化した視点から多 様なアクターによる経済活動の動態を捉えるという 認識の把握の視座をもたらしたといえる。ただしこ こで重要なのはグローバル化によって経済分野にお いて国家のプレゼンスが弱まったというわけではな く、むしろグローバル化を背景に経済力を高めた新 興国の台頭、金融危機によるある一国の経済破綻が 全世界へ波及するなど、グローバル経済を理解する 上で国家への視座は変わらず重要である。 こうしたグローバル経済への眼差しは、地域研究 者だからこそ可能ともいえる。以上の重要な議論を 含む、私が寄稿を依頼した研究者の論考は、概説的 であることと、具体的な「地域」の事例をあげて論 じなかったが故に、地域研究の論文としては認めら れ ず、 「コ ラ ム」 と し て の 掲 載 の 許 可 と な っ た。 結 果として、執筆者自身の辞退により本特集に含める ことができなかった。 査読者と編集委員会の判断は、経済という分野を 軽視したためではもちろんない。しかしながら、こ うした学会誌の査読プロセスによって、何が地域研 究なのかが形成されることも事実だ。異例ではある がこうした特集企画の背景もここに付記することに よって、グローバル・イシューに取り組む地域研究

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とはいったい何のか、活発な議論がおこることを待 ちたい。 ◉注 * 1 日 本 で 最 初 に グ ロ ー バ ル ・ イ シ ュ ー に 取 り 組 む 大 学 院 が 設 立 さ れ た の は 一 橋 大 学 で あ る 。 一 橋 大 学 は 一 九 九 七 年 、 大 学 院 社 会 学 研 究 科 に 地 球 社 会 研 究 専 攻 ( 英 語 正 式 名 称 : Institute for the Study of Global Issues ) を 設 置 し 、 地 球 規 模 の 諸 課 題 に 取 り 組 む 学 際 的 プ ロ グ ラ ム を 開 始 し た 。 そ の ポ リ シ ー と し て 、 ① 問 題 に 焦 点 を あ て て 考 え て い く こ と ( Issue Focused )、 ② 現 実 的 な 解 決 を 志 向 す る こ と ( Solution Oriented )、 ③ 西 欧 中 心 の 思 想 か ら の 脱 却 ( de-Eurocentric ) を 掲 げ て い る 。 ア メ リ カ に お け る グ ロ ー バ ル ・ ス タ デ ィ ー ズ 構 想 と 並 行 し 、 グ ロ ー バ ル ・ イ シ ュ ー に 取 り 組 む 学 際 プ ロ グ ラ ム を 構 想 し た こ と は 先 駆 的 で あ り 、 そ れ は 専 攻 名 称 に も あ ら わ れ て い る 。 上 智 や 同 志 社 が 「 グ ロ ー バ ル ・ ス タ デ ィ ー ズ 」 を 日 本 語 に す る こ と な く 採 用 し た 一 方 、 一橋大学では地球社会研究という名称を発案した。    この地球社会研究専攻の構想・設立にあたっては現 場〈フィールド〉を重視する人類学者、社会学者が関 与している。グローバル・イシューに関わる最初の大 学院として、本論において言及すべきだったかもしれ ないが、①必ずしも地域研究を重要な基盤にしている わけではないことと、②アメリカのグローバル・スタ ディーズを輸入し生まれたわけではないことから、注 釈での言及にとどめることにした。 * 2 『ヤ シ ガ ラ 椀 の 外 へ』 の 大 部 分 は、 ベ ネ デ ィ ク ト・アンダーソンが執筆したものを加藤剛が翻訳した ものだが、日本の地域研究に関する記述は、アンダー ソンの依頼により加藤が執筆している(アンダーソン 二〇〇九:二一九) 。 * 3 た だ し、 同 セ ン タ ー の 設 立 委 員 の 教 官 た ち は、 ア メ リ カ の 地 域 研 究 の 方 法 論 に 対 し て 批 判 的 で あ っ た。それは、一九四〇年代末以来、世界の諸地域を対 象としてアメリカの諸大学で始められた地域研究が、 フィールドワーク、現地語集中訓練、学際的共同研究 という特徴は評価するものの、その共同研究は人文、 社会科学にとどまり、自然科学者の参加は皆無であっ た点があげられる (石井 二〇〇三:一三一―一三六) 。 ◉参考文献 赤堀雅幸(二〇〇九) 「地域研究」 『文化人類学事典』丸 善、七五六―七五七頁。 赤 嶺 淳(二 〇 一 〇) 『ナ マ コ を 歩 く ―― 現 場 か ら 考 え る 生物多様性と文化多様性』新泉社。 赤 嶺 淳 編(二 〇 一 三) 『グ ロ ー バ ル 社 会 を 歩 く ―― か か わりの人間文化学』新泉社。 ア ン ダ ー ソ ン、 ベ ネ デ ィ ク ト(二 〇 〇 九) 『ヤ シ ガ ラ 椀 の外へ』加藤剛訳、NTT出版。 石 井 米 雄(二 〇 〇 三) 『道 は、 ひ ら け る ―― タ イ 研 究 の 五〇年』めこん。

参照

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