総特集総特集
グローバル
・
スタディーズ
宇
宙
船
地
球
号
の
乗
組
員
だ
と
私
た
ち
が
自
覚
し
て
か
ら
半
世
紀。
グ
ロ
ー
バ
ル
化
が
進
む
な
か
で
、
私
た
ち
は
望
む
と
望
ま
ざ
る
と
に
か
か
わ
ら
ず
地
球
市
民
と
し
て
生
き
て
い
か
ざ
る
を
え
な
い
。
現
実
世
界
で
進
路
を
定
め
る
に
は
三
つ
の
軸
が
必
要
だ
。
二
〇
世
紀
を
牽
引
し
て
き
た
欧
米
ロ
・
国
際
機
関、
躍
進
め
ざ
ま
し
い
フ
ロ
ン
テ
ィ
ア
地
域
で
あ
る
ア
ジ
ア
・
ア
フ
リ
カ
・
中
南
米、
そ
し
て
私
た
ち
が
生
活
の
拠
点
と
す
る
日
本。
異
な
る
視
角
を
統
合
し
て
判断
す
る
力
が
い
ま
、一人一人
に
求
め
ら
れ
て
い
る
。
は
じ
め
に
︱︱ な ぜ い ま ﹁ グ ロ ー バ ル ・ ス タ デ ィ ー ズ ﹂ な の か 学会誌には当然ながら査読というプロセスが存在 する。査読を通じて、学会誌に掲載されるにふさわ しい論文かどうかが判断される。このプロセスには それぞれの学会に貢献しうるオリジナリティのある 論 文 か ど う か だ け で な く、 そ の 学 会 で 共 有 さ れ る 「知」 と 認 識 さ れ る か ど う か が 鍵 と な る。 そ の 意 味 において、地域研究という知が大きく変わりつつあ る こ と を 訴 え る 本 企 画 を、 『地 域 研 究』 が 特 集 と し て掲載することは画期的だ。 「グ ロ ー バ ル・ ス タ デ ィ ー ズ ( Global Studies ) 」 は、欧米、とくに英語圏を中心に、近年急速に展開 してきた学問潮流である。一九九〇年代以降に急速 に進んだグローバル化は、国家や国境にとらわれが ちだった既存の学問のあり方に修正を迫り、とりわ け 金 融・ 経 済、 移 民・ 難 民 問 題、 地 球 環 境 問 題 な ど、 「グ ロ ー バ ル・ イ シ ュ ー」 と 呼 ば れ る 地 球 規 模 の諸課題を考察する新たな知のアプローチを要請し た。それにこたえるかたちで始まったのがグローバ ル・スタディーズである。グローバル・スタディー総特集
グ
ロ
ー
バ
ル
・
ス
タ
デ
ィ
ー
ズ
[総特集 に あ た っ て ]グ
ロ
ー
バ
ル
・
ス
タ
デ
ィ
ー
ズ
︱
︱地域研究
の
地殻変動
福武慎太郎
ズは、単一の学問領域というより複数の学問分野の 協働によって成り立つ複合的な学問体系として、日 本国内においても複数の学部、大学院レベルで設置 されるようになった。 ただし、欧米におけるグローバル・スタディーズ の位置づけと、日本でのグローバル・スタディーズ の受容は、地域研究の占める地位をめぐって異なっ ている。アメリカでは従来の国際問題に関わる学際 的研究 ( International Studies ) から誕生した一方、 日本においては地域研究者が中心となって、もしく は地域研究がその中核専攻の一つとして、受容され つつある。 日本においてグローバル・スタディーズと地域研 究はいわば親和的な関係にあるといってよい。制度 上 も 既 存 の 地 域 研 究 組 織 を 解 体 す る こ と な く、 グ ロ ー バ ル・ ス タ デ ィ ー ズ と い う 新 た な「傘」 の 下 で、学際的、領域横断的な研究、教育プログラムが 実施されてきた。 ただ一方で、グローバル・スタディーズは、これ ま で の 地 域 研 究 の あ り 方 に 再 考 を 迫 っ て い る。 「地 域 研 究 の 地 殻 変 動」 と 少 し 大 げ さ な 副 題 を つ け た が、事実、既存の学会組織とそこに拠点を置く研究 者 の 気 づ か ぬ と こ ろ で、 「地 域」 を め ぐ る 知 の あ り 方が大きく変わりつつあるのだ。つまりそれは、既 存の地域研究をめぐる理解と、その理解に基づく既 存の学会組織、実際の調査研究、そして教育のあり 方 の あ い だ に 隔 た り が 生 じ つ つ あ る こ と を 意 味 す る 。 本特集では、グローバル・スタディーズという新 た な 潮 流 の な か で、 「グ ロ ー バ ル・ イ シ ュ ー」 を 扱 う地域研究者の最前線を紹介するとともに、そこか ら生まれる地域概念の再編、方法論的課題について も議論を行いたい。 以下、グローバル・スタディーズの発祥の地であ るアメリカにおけるグローバル・スタディーズと地 域研究の関係、そして日本におけるその受容につい て 概 観 す る。 そ の 後、 「グ ロ ー バ ル・ イ シ ュ ー」 に 地域研究が取り組むことによってひろがる新たな可 能性とその課題について示す。
Ⅰ
ア
メ
リ
カ
に
お
け
る
グ
ロ
ー
バ
ル
・
ス
タ
デ
ィ
ー
ズ
の
誕生
と
地域研究
大学院レベルで、初めてグローバル・スタディー ズの名のもとに研究プログラムが設置されたのは、 カ リ フ ォ ル ニ ア 州 立 大 学 サ ン タ・ バ ー バ ラ 校 に グローバル&インターナショナル・スタディーズ・プ ロ グ ラ ム ( Global & International Studies Program ) が 設 置 さ れ た 一 九 九 九 年 で あ る。 「グ ロ ー バ ル」 と 「イ ン タ ー ナ シ ョ ナ ル」 が 並 置 さ れ て い る こ と に 象 徴 さ れ て い る よ う に、 こ れ ま で International Studies の 名 の も と に 行 わ れ て い た 学 際 的 研 究 プ ロ グラムに加え、平和、人権、開発、環境などグロー バ ル・ イ シ ュ ー に 焦 点 を 当 て る 諸 研 究 を グ ロ ー バ ル・スタディーズと呼び、インターナショナル・ス タディーズと共存するようなかたちで構想された。 したがって、 国 イ ン タ ー ナ シ ョ ナ ル ・ ス タ デ ィ ー ズ 際関係/国際政治学 への対抗科学 として グローバル・スタディーズ が生まれたという わけではない。むしろ危機意識を持ったのは、これ ま で「地 域 ( area ) 」 の 視 点 か ら グ ロ ー バ ル・ イ シ ュ ー を 論 じ、 国 民 国 家 秩 序 ( nation system ) 、 国 連 機 関 ( international organization ) を 主 要 な ア ク ターとしてみる International Studies に対する独自 性 を ア ピ ー ル し て き た 地 域 研 究 ( area studies ) で ある。グローバル・スタディーズもまた国民国家を 単位としてみるのではなく、NGOや多国籍企業、 移住労働者など国境をこえるさまざまなアクターを 研究対象とする。特定のイシューをめぐる問題を特 定 の 地 理 的 領 域 ( geographical areas ) を 取 り 上 げ て研究を行うという点で地域研究と共通するが、グ ローバル・スタディーズはあくまでもマクロな視点 を 出 発 点 と し て い る 点 で、 従 来 の 地 域 研 究 と は 異 なっている。その事例分析も、欧米地域を中心とし ている。どちらかといえば非欧米諸地域の学際研究 として発展してきた 地域研究 は、研究資源の獲得に お け る 新 た な 競 争 者 が 現 れ た と み た よ う だ ( Cumings 1997 ) 。 第 二 次 世 界 大 戦 後、 覇 権 国 家 と なったアメリカで誕生し、ベトナム戦争の終結とと もに衰退していった 地域研究 は、グローバル・スタ ディーズという潮流にさらに吞み込まれようとして いるといえるかもしれない。
冷戦
と
地域研究
いうまでもなく、 地域研究 は冷戦を背景としてア メリカで発展してきた学際研究である。第二次世界 大戦後、アメリカ政府は、西ヨーロッパ以外の国々 の現代政治経済の研究に対し、多大な財政的資源の 投入を行った。冷戦が始まるとともに東側陣営の政 策 研 究 の 関 心 が 高 ま り、 こ れ を 推 進 し た の が C I A、国務省、国防総省であった (アンダーソン 二〇 〇 九: 五 三) 。 こ の よ う な 背 景 も あ っ て 地 域 研 究 には冷戦下のアメリカの政策科学というイメージがつ きまとう。政府、民間問わず地域研究への多額の投 資が、共産主義への対抗というなかで発展してきた のは否めない。 ロックフェラー財団やフォード財団のような民間 財団は、国家の「政策研究」中心主義から外れた分 野――歴史学、人類学、芸術など――を補う点で一 定の役割を果たしてきたとの指摘 (アンダーソン 二 〇 〇 九: 五 六) も あ る が、 カ ミ ン グ ス は、 こ れ ら の 財団は国家による財政投入の「資金洗浄」の役割を 果 た し て い た と の 見 解 を 示 し て い る ( Cumings 1997: 10-11 ) 。 フ ォ ー ド 財 団 は 一 九 五 三 年 か ら 一 九 六六年にかけて地域研究や言語研究を行う三四の大 学に総計二億七千万ドルを拠出した。これらの助成 によって非欧米諸地域における調査研究、言語習得 のため現地長期滞在が可能になるようなさまざまな フェローシップが生まれた。 ハ ー バ ー ド 大 学 の ロ シ ア 研 究 セ ン タ ー ( Harvard Russian Research Center ) は、CIAやFBIなど 国家インテリジェンスと密接な関係があった。同セ ンターはカーネギーから七四万ドルの支援を一九四 七年に受け、その後はロックフェラー財団、フォー ド財団が「資金洗浄」の役割を果たしながらCIA との関係を保ってきた。これがモデルとなり、東欧 や中国などの地域研究プログラムが生まれ、こうし た 地 域 研 究 機 関 の 中 核 的 研 究 者 は、 C I A と つ な が っ て い た、 と カ ミ ン グ ス は 指 摘 す る ( Cumings 1997: 10-12 ) 。 このように国家の対外戦略と密接に結びついて発 展してきた 地域研究 も、冷戦の終わりとともにその 意義が失われていった。一九九〇年代以降、これま で地域研究を推進する高等教育研究機関を支援して きた諸財団は地域研究への研究助成を縮小、その代 わ り に「開 発」 「民 主 化」 と い っ た テ ー マ に 基 づ く 諸 研 究 へ の 関 心 を 高 め て い っ た ( Cumings 1997: 8-9 ) 。
Ⅱ
日本
に
お
け
る
グ
ロ
ー
バ
ル
・
ス
タ
デ
ィ
ー
ズ
の
受容
と
地域研究
日本で最初にグローバル・スタディーズの構想が 持ち上がったのは上智大学である * 1 。一九九〇年代後 期に、日本で唯一全カリキュラムを英語で実施して いた同大学大学院比較文化研究科、外国語学研究科 国 際 関 係 論 専 攻、 そ し て 地 域 研 究 専 攻 の 教 員 有 志が、文部科学省二一世紀COEプログラムへの申請 を前提として、グローバル・スタディーズ研究科構 想 に つ い て 議 論 を 開 始 し た。 こ こ で 注 目 し た い の は、この構想において中心的な役割を果たしたのが 地域研究専攻の教員であった点である。アメリカに おけるグローバル・スタディーズが、欧米中心かつ マクロな視点に偏向している点に対し、上智大学に お け る 構 想 は、 地 域 研 究 を ベ ー ス と し た グ ロ ー バ ル・スタディーズを構想した。そして二〇〇一年一 二 月、 「地 域 立 脚 型 グ ロ ー バ ル・ ス タ デ ィ ー ズ の 構 築 ( Area-Based Global Studies: AGLOS ) 」として二 一世紀COEプログラムに採択された。このプログ ラムの終了とともに二〇〇六年四月、外国語学研究 科を改組し、グローバル・スタディーズ研究科を設 置、同研究科に国際関係論専攻、地域研究専攻、グ ローバル社会専攻が設置された。 上智大学のグローバル・スタディーズ構想に象徴 さ れ る よ う に、 日 本 に お け る グ ロ ー バ ル・ ス タ ディーズは、地域研究が主体的な役割を担う、もし くは重要な柱の一つとして構想されている。たとえ ば二〇一〇年に設置された同志社大学 グローバル・ スタディーズ研究科グローバル・スタディーズ専攻 は、 そ の 専 攻 の 特 色 と し て、 「グ ロ ー バ ル・ ス タ ディーズ」 「超域研究 ( Trans-regional Studies ) 」「地 域研究」という三つの階層性を持っているとしてい る。その階層性にさらにカリキュラム上は「グロー バル社会」 「現代アジア研究」 「アメリカ研究」とい う三つのクラスターを設置している。これは既存の 研究科の教員構成を踏襲した結果といえるが、何に しても地域研究が日本でのグローバル・スタディー ズの受容において中核的な役割を担っているのは間 違いない。 東京外国語大学大学院は二〇〇九年、総合国際学 研 究 科 ( Graduate School of Global Studies ) を 設 置 し、それまでの博士後期課程の地域文化専攻を言語 文化専攻と国際社会専攻に改組し、同研究科に設置 した。二〇一〇年には東京大学駒場キャンパスにお い て も グ ロ ー バ ル 地 域 研 究 機 構 ( Institute for Advanced Global Studies=IAGS ) が大学院総合文化 研 究 科 の 付 属 施 設 と し て 設 立 さ れ た。 そ の 傘 下 に は、従来からの付属施設であるアメリカ太平洋地域 研 究 セ ン タ ー (C P A S) と ド イ ツ・ ヨ ー ロ ッ パ 研 究 セ ン タ ー (D E S K) が 移 行 す る と と も に、 人 間 の 安 全 保 障 プ ロ グ ラ ム (H S P) か ら 新 た に 生 ま れ たアフリカ地域研究センター、持続的開発研究セン ター、持続的平和研究センターが加わり、これら五
センターの複合体としてスタートした。駒場キャン パスの改組の特色は、地域研究関連の諸センターと 開 発 研 究 や 平 和 研 究 と い っ た「グ ロ ー バ ル・ イ シュー」と関係する研究機関が、グローバル・スタ ディーズの名のもとに併置されている点である。 上智大学や同志社大学といったキリスト教系私学 で そ の 受 容 が 始 ま っ た グ ロ ー バ ル・ ス タ デ ィ ー ズ が、 東 京 大 学 駒 場 キ ャ ン パ ス や 東 京 外 国 語 大 学 な ど、日本の地域研究の研究機関においても 始 まって いる点は、きわめて日本的な展開である。これらの 動きはポスト冷戦期に誕生した「人間の安全保障」 「平 和 構 築」 と い っ た グ ロ ー バ ル・ イ シ ュ ー に、 研 究資金獲得のために地域研究関連組織が寄り添って いった流れともいえるが、それでも国際関係論、国 際政治学ではなく、地域研究がある程度重要な役割 を担ってきた背景には、日本における独自の地域研 究の発展過程があったといえる。
日本
の
グ
ロ
ー
バ
ル
・
ス
タ
デ
ィ
ー
ズ
受容
の
前史
と
し
て
の
地域研究
の
発展
敗戦国として戦後の日本では、諸外国に関わる研 究の空白の時代を迎える。その理由は第一に、国家 財政にそのような研究を支援する余裕はなかったこ と、第二に研究者自身の忌避である。 日本軍政期の東南アジア研究の第一人者である倉 沢愛子は、自身が研究を志した一九六〇年代、まだ 日本に地域研究という学問が存在しなかった時代を 振り返り、その背景に戦前の国策への関与の反省が あったのではと推察している。 戦前、戦中に東南アジア――当時はまだ南方 と呼ばれていた――に関する研究に従事したの は、東亜研究所、満鉄調査部、台湾総督府の調 査研究機関など、国策レベルの研究機関に籍を おく人々が中心であったが、彼らの大部分は戦 争 中、 南 方 の 各 占 領 地 に 調 査 員 と し て 派 遣 さ れ、占領行政の手助けをする運命に追い込まれ た。そのことに対する負い目があったのだろう か。戦後彼らは、戦争中に得た体験や知識を生 かして東南アジアの専門家になるという道を選 ばず、方向転換する者が多かった。戦後のアメ リカの東南アジア学が、第二次世界大戦中に軍 の命令によってアジアに関与した人たちによっ て 中 心 的 に 担 わ れ て き た の と は 対 照 的 で あ る (倉沢 一九九八:一三) 。このように敗戦後、財政的な問題と国策に関わる ことの忌避から、戦前と戦後に断絶が生まれる。 また倉沢がインドネシアの日本軍政期の歴史研究 に関わり 始 めた頃は、ベトナム反戦運動の真っ只中 であった。ベトナム戦争の高まりとともに、アメリ カ政府が地域研究への予算を拡大させていった経緯 から見ても、日本における地域研究の発展は、国策 と一定の距離をとることに独自性を見いだしていっ たといえるかもしれない。 日本において地域研究が制度的に誕生するのは一 九六〇年代半ばからである。日本語読者向けに執筆 されたベネディクト・アンダーソンの自伝『ヤシガ ラ椀の外へ』の中で、訳者である加藤剛が日本にお ける地域研究の特色を的確にまとめている。日本の 大学で最初に地域研究の組織を立ち上げたのは東京 外 国 語 大 学 の ア ジ ア・ ア フ リ カ 言 語 文 化 研 究 所 (一 九 六 四 年) と、 京 都 大 学 の 東 南 ア ジ ア 研 究 セ ン タ ー (学 内 措 置 と し て の 設 立 が 一 九 六 三 年、 文 部 省 に よ る 官 制 化 が 一 九 六 五 年) で あ る。 こ れ ら の 組 織 が 設 立 された一九六〇年代前半は、一九五一年のサンフラ ンシスコ講和条約への調印、一九五六年の国連加盟 による日本の国際社会への復帰、そして一九五四年 のビルマとの賠償協定の締結をはじめとして東南ア ジア各国との賠償協定締結により、東南アジアに対 する経済進出のための政治環境が整い 始 めた時代で あった (アンダーソン 二〇〇九:二一八―二一九 * 2 ) 。 京 都 大 学 の 東 南 ア ジ ア 研 究 セ ン タ ー の 設 立 に あ たっては、アメリカのイエール大学やコーネル大学 に お け る 地 域 研 究 プ ロ グ ラ ム の 資 金 源 と な っ た フ ォ ー ド 財 団 か ら、 事 前 の 接 触 が あ っ た と い う (ア ン ダ ー ソ ン 二 〇 〇 九: 二 一 九) 。 地 域 研 究 は そ の 存 在自体、当時の日本ではほとんど知られていなかっ た。タイに基地を置く米軍が連日北ベトナムに爆撃 を 加 え、 国 内 の 世 論 は ベ ト ナ ム 戦 争 へ の 賛 否 を め ぐって揺れ動いていた。こうした状況を背景に、ア メリカの財団の支援を得て東南アジア研究を 始 める という計画は論議を呼び、地域研究組織を大学に設 立することに対し風当たりの強い時代であった * 3 。 このように国立大学で 始 まった戦後日本の地域研 究の特徴の一つは、教育機関としての大学機構から は独立した研究所であったことである。地域研究の 「学」 と し て の 認 知 度 が 低 い 時 代 に お い て、 独 立 し た研究機関として、学際的な共同研究により科学研 究費など外部資金を獲得し、海外調査を実施してき た経緯がある。 大 学 内 の 階 層 構 造 か ら も 外 れ た 場 所 に い た こ と
も、その後の日本の地域研究を特徴づけていった。 加藤は、多くの地域研究者は出身学部に職を求める ことができなかった「不遇の人」であった可能性が 高いと指摘する (アンダーソン 二〇〇九:二二〇) 。 組織としての独立性と、共同研究をベースに発達し て き た と い う 特 徴 も、 日 本 の 地 域 研 究 の 特 徴 を つ くってきたといえる。 上智大学では一九八二年、アジア諸地域の宗教、 言語、社会、歴史などを総合的に調査、研究するア ジ ア 文 化 研 究 所 を 設 立 し た。 翌 年 の 一 九 八 三 年 に は、外国語学部の中にアジア諸地域の歴史、社会、 経済、文化などを教えるアジア文化研究室を開設し た。この研究室は一九九三年四月にはアジア文化副 専攻となり、アジア地域研究科目を全学部に向けて 開 講 し て い る (上 智 大 学 ア ジ ア 文 化 研 究 所 一 九 九 九: 一) 。 こ の よ う に 研 究 所 設 立 当 初 か ら 学 部 教 育 と密接に関係していたという点で、国立大学の研究 所とは性格が異なっているといえる。 学部教育をベースとしつつ、国際協力や市民運動 に 貢 献 す る 知 と し て、 「実 践」 と の 関 わ り を 模 索 し 続 け た の も 上 智 大 学 の ア ジ ア 地 域 研 究 の 特 徴 で あ る。カンボジアのアンコール遺跡群の保存事業やそ れ に 関 わ る 人 材 育 成 に 長 年 関 わ り 続 け る 石 澤 良 昭 や、東南アジア地域の開発や人々の暮らしの研究か ら、日本の開発援助政策への批判を行ってきた村井 吉敬のように、地域社会への貢献、政策批判といっ た実践的関与も「上智アジア学」の特色となってい た。大学院レベルでもまた、アジア文化研究所の所 員が中心となり一九九七年、大学院外国語学研究科 国 際 関 係 論 か ら 分 離 し、 「地 域 研 究 専 攻」 を 設 立 し ている。 今日では地域研究の学問的認知度が高まり、上智 大 学 と 同 様 に 国 立 大 学 で も 地 域 研 究 に 関 連 す る 学 部・ 大 学 院 組 織 が 数 多 く 立 ち 上 げ ら れ た (た と え ば 京 都 大 学 大 学 院 ア ジ ア・ ア フ リ カ 地 域 研 究 研 究 科 が 一 九 九 八 年 四 月 に 設 立 さ れ て い る) 。 他 方 で 国 家 的 な 人材養成という観点からは外れたところで地域研究 が発展してきたことから、地域研究の政策的実用性 に関しては、良い意味でも悪い意味でも議論が進ん でこなかったのが実情である。 以上のように日本における地域研究は 、 戦後の対 外政策において、メインストリームではないところ で発展してきたからこそ、アメリカで冷戦の終わり とともに衰退したエリア・スタディーズのような道 を歩むことはなかった。むしろ、人やモノが国境を こ え る 動 き が 加 速 化 す る グ ロ ー バ ル 化 と い う 現 象
は、国家ではなく国家をこえた「地域」から捉える べきテーマとして、地域研究はその学問的価値を高 める好機を得たといえる。
Ⅲ
グ
ロ
ー
バ
ル
・
イ
シ
ュ
ー
と
地域研究
ア メ リ カ で は 二 〇 〇 〇 年 ま で に は グ ロ ー バ ル ・ ス タディーズは学界の中で確立した位置を占めるよう に なり 、こ の 分野 で の カ リキ ュ ラ ムや テ キ ス トも 現 れ た ( Lechner and Boli 2000; Campbell et al. 2010 ) 。 研 究 資 金 を 拠 出 す る 財 団 も、 グ ロ ー バ ル・ ス タ ディーズを研究分野として認めるようになり、また 学会や研究誌も新たに登場した。北米の大学では世 界諸地域を研究する研究所が 国 イ ン タ ー ナ シ ョ ナ ル ・ イ シ ュ ー 際問題を扱う 研究所 の傘下に入っていることが多いが、こうした枠の中 でも、グローバル・スタディーズの科目や履修プロ グラムが取り入れられるようになった。 国 際 的 な グ ロ ー バ ル ・ ス タ デ ィ ー ズ の 連 携 組 織 、 グ ロ ー バ ル ・ ス タ デ ィ ー ズ ・ コ ン ソ ー シ ア ム ( Global Studies Consortium ) も 二 〇 〇 七 年 に 設 立 さ れ 、 第 一 回 国 際 会 議 は カ リ フ ォ ル ニ ア 州 立 大 学 サ ン タ ・ バ ー バ ラ 校 で 開 催 、 第 二 回 は 二 〇 〇 八 年 に 上 智 大 学 で 開 催 さ れ た 。 二 〇 一 三 年 三 月 現 在 、 約 四 〇 大 学 が 加 盟 し て お り 、 日 本 か ら は 一 橋 大 学 と 上 智 大 学 が 幹 事 組 織 と し て 参 加 し 、 そ の ほ か 同 志 社 大 学 、 多 摩 大 学 が 加 盟 組 織 と な っ て い る ( 参 考 Global Studies Consortium ウ ェ ブ サイト URL: globalstudiesconsortium.org ) 。 グローバル・イシューとは、地球規模で取り組ま なければならない課題を意味するが、近年急速に定 着しつつある概念である。二〇一〇年発行のグロー バ ル・ ス タ デ ィ ー ズ の 入 門 書『 An Introduction to Global Studies 』 で は 以 下 の よ う に グ ロ ー バ ル・ イ シューを柱とした章構成となっている。 1 Going Global 2 Nation-state System (国民国家システム) 3 International Organizations (国際機関) 4 Human Rights (人権) 5The National Environment
(自然環境)
6
Population and Consumption
(人口と消費)
7
Infectious Disease and Globalization
(感染症とグローバル化)
8
The Gendered World
( ジ ェ ン ダ ー 化 さ れ た 世 界 ) 9
Information and Communication Technologies
10 War and Violent Conflict (戦争と暴力紛争) 二〇〇八年に刊行された『国際政治経済――「グ ローバル・イシュー」の解説と資料』では、冷戦終 結後、九・一一テロ後の複雑化する国際政治経済を 「舞 台」 に 見 立 て て、 そ の 舞 台 で 演 じ る「役 者 = ア クター」の分類・分析と、アクターが演じる劇の種 類である「イシュー」のうち、現代性のあるものを 精 選 し 解 説 し て い る (細 谷 ほ か 二 〇 〇 八: ii)。 ア クターとしては、従来からのアメリカ、中国、ロシ アをはじめとする大国、EUやASEANといった 地 域 共 同 体、 国 連 や N G O と い っ た 国 際 組 織 に 加 え、新しいアクターとして、 「イスラーム世界」 「エ ス ニ ッ ク・ ネ ッ ト ワ ー ク」 「テ ロ 組 織」 を 加 え て い る。イシューとしては、 「テロとの戦い」 「平和構築 と P K O」 「同 盟 と 安 全 保 障」 「人 道 的 介 入」 「大 量 破 壊 兵 器」 「地 球 環 境」 「資 源 を め ぐ る 国 際 政 治」 「グローバル市場競争」 「グローバル化する経済とW TO、FTA/EPA」 「貧困と開発」 「知的財産権 (I P R) 」「グ ロ ー バ ル 企 業 の 国 際 的 責 任」 「人 権」 「人の移動」 「トランスナショナル化する文化」 「ジェ ンダー」があげられている。
1
第Ⅰ部﹁
グ
ロ
ー
バ
ル
・
イ
シ
ュ
ー
と
地域研究﹂
『 An Introduction to Global Studies 』 も『国際政 治経済』も、どちらも国際政治、国際関係論をバッ ク グ ラ ウ ン ド と し た 研 究 者 の 視 点 か ら の グ ロ ー バ ル・ イ シ ュ ー の 紹 介 で あ る。 本 特 集 の 第 Ⅰ 部「グ ローバル・イシューと地域研究」では、地球規模の 諸課題を地域研究の立場から取り組む研究者の最新 の 取 り 組 み を 紹 介 す る。 以 下 取 り 上 げ る イ シ ュ ー は、地域研究が扱う重要な課題について網羅してい るわけではない。あくまでも、地域研究の視点から グローバル・イシューをどのように議論するのかを 示す一例として理解いただきたい。 原発 家田論文「福島、チェルノブイリ、アイカを地域 とグローバルな視点から考える」は、家田が専門と し て き た ス ラ ブ 地 域 研 究 を こ え て、 「環 境 汚 染」 と いうイシューを軸に、異なる地域の問題の接続を試 みている。ハンガリー研究から出発した家田は、ウ クライナでの調査中に福島の事故の報道をきいた衝撃をきっかけに、異なる複数の地域における環境汚 染についての地域研究に挑んでいる。家田は同論文 のなかで、福島、チェルノブイリ、ハンガリーのア イカという三地域について考察する。これまでも国 をこえた複数の地域にまたがる視点はあったが、そ れはあくまで隣接する地域を前提としていた。家田 の場合、これまで歴史的、文化的にもまったく繋が り の な い 三 地 域 を、 「環 境 汚 染」 と い う グ ロ ー バ ル・イシューで接合しようとしている。もちろん環 境汚染という問題自体が、国や地域をこえて影響を 及ぼす問題であるため、国をこえた地域で問題を捉 えようとする地域研究のアプローチが重要であるこ とはいうまでもない。 家田自身もことわっているように、地域研究者は 「越 境」 し て 他 の 地 域 に つ い て 語 る こ と に 遠 慮 が あ る。しかしその遠慮は、グローバルな問題について 発言しない地域研究者の悪しき伝統であるかもしれ ない。福島第一原発事故の際にウクライナで調査を していたという偶然性、そして海外で報道されるこ とが日本ではまるで報道されないという衝撃から、 地域研究者だからこそ可能な原発問題についての議 論を行う使命感を家田は持っている。その試みはま だ 始 まったばかりであるが、今後の日本型グローバ ル・スタディーズの一つのかたちを提示していると いえるだろう。 開発と紛争 開発と紛争というイシューは、それぞれ個別に扱 うべきではないかという意見もあるかもしれない。 しかし「開発と紛争」という複合的命題は、幡谷論 文によると、グローバル・イシューをローカルな実 態からみた場合に立ち現れる。開発という単独のイ シューでみると、それ自体は貧困を解決するための 政策である。紛争は、民族対立や宗教対立を背景と して立ち現れる問題として理解される。ところが実 際には開発そのものが地域の紛争を引き起こしてい る場合が多い。民族紛争や宗教紛争と理解される事 例においても、開発をめぐる経済的利害関係が背景 にあることが、当該社会の歴史的、政治的、経済的 なコンテクストを理解してみるとみえてくる。 幡谷は自身が長年研究対象として南米コロンビア の鉱物資源開発をめぐる紛争と人権侵害を事例とし て、グローバルな市場と資本の関心を集める希少な 鉱物資源が、地域住民を脅威にさらしていることを 明らかにする。 このように地域の視点から、経済開発モデルを批
判的に検証する以外に、地域研究者のコミットメン ト=実践への関与も、グローバル・イシューを扱う 地域研究のあり方だと幡谷は主張する。幡谷は現地 の人々との「協働」という言葉を用い、苦境にあえ ぐ人々についての情報発信、社会運動への関与も、 開発と紛争というイシューに取り組む地域研究者の 立 ち 位 置 と し て 必 然 と 主 張 す る。 そ の 意 味 に お い て、学問としての中立性、すなわち「価値自由」は 不可能と述べる。幡谷はこれまで自国の利益に貢献 する政策科学としてのイメージが強かった地域研究 から、現地社会に寄与する地域研究を提唱する。 平和構築 中 西 論 文「 『平 和 構 築 』 と 地 域 研 究 ―― 今 何 が 求 められているのか」もまた、幡谷が 開発 と 紛争 とい う イ シ ュ ー に 対 し 試 み た よ う に、 「平 和 構 築」 と い う政策概念を地域研究の視点から相対化することを 試 み て い る。 し か し そ れ は 同 時 に、 「平 和 構 築」 と いうイシューからこれまでの地域研究のあり方を相 対化する試みでもある。 中東地域を専門とする中西は、とくに アフガン問 題を 事例としてあげながら、紛争防止やいわゆる平 和構築支援に地域研究者が関与しにくい現状を指摘 する。平和構築に関わる実務者と地域研究者の「地 域」 の 設 定 の 相 違、 政 策 レ ベ ル で の 歴 史 理 解 の 軽 視、そして治安の悪化により研究者がフィールドへ アクセスすること自体が困難になるなどの外在的要 因もあるが、地域研究自体の内在的要因――すなわ ち研究者の守備範囲が「平和構築」で求められる知 識と対応しないことも大きいと中西は指摘する。ア フガン問題であればアフガニスタンだけでなくパキ スタン、そして中央アジアの米軍基地の問題なども 視野に入れる必要がある一方、すべてをカバーする 地域研究者はほとんど存在しないのが現状である。 グ ロ ー バ ル 化 の 進 展 に 伴 い、 何 が 地 域 の 課 題 = イ シューになるのか、そしてイシューにとってカバー すべき「地域」とは何か、刻一刻と変化する状況に 対応できる知のあり方が、平和構築支援に関わる地 域研究に求められている。 中西論文は、地域研究者が実践に関与すべきとい う単なるメッセージにとどまらない。もし地域研究 が実践への関与を志向するのなら、実践に関わるた めに必要な「知」のあり方、すなわち「地域」の理 解について研究者が認識を改めなければならないこ とを問うているのだ。
イスラーム グローバル・イシューとしての「イスラーム原理 主 義」 の 検 討 を 行 う 赤 堀 も ま た、 「地 域」 理 解 と 研 究者の自己認識の変化を求めている。赤堀は、イス ラーム地域研究の「仮想敵」としてのサミュエル・ ハンティントンの「文明の衝突」論に言及する。ハ ンティントンの文明論は粗雑で月並みでしかなく、 個々の事例分析が最終的に各文明の「固有性」に還 元されてしまう論理は、地域社会の歴史、政治、文 化の理解を志向する地域研究者にとって奇異でしか な い。 そ の 一 方 で、 そ の 文 明 論 の 単 純 素 朴 さ こ そ が、イシューとしてのイスラームを顕在化させた功 績も赤堀は見逃さない。 地域研究はハンティントンのような文明論を批判 しつつも、対抗できる知見を示すことができないで いる。地域研究者自体も「中東」や「南アジア」と い っ た「地 域」 の 固 有 性 に と ら わ れ て い る 限 り、 「文 明」 を 本 質 化 す る ハ ン テ ィ ン ト ン の 論 理 の 外 側 にいるわけではない。九・一一以降の世界史的な変 化のなかで、テロリズム、イスラーム原理主義がさ らに重要なイシューとなるなか、これまでの地域区 分 を こ え た 通 地 域 的 な 地 域 研 究、 よ り 普 遍 的 な イ シューとしてのイスラーム、原理主義、テロリズム を理解する思考の枠組みとして、地域研究を成立さ せることの重要性を赤堀は説いている。 地球環境 最 後 に 「 地 球 環 境 」 と い う イ シ ュ ー で あ る 。 環 境 問 題 ほ ど 、 従 来 の 地 域 理 解 で は 捉 え る こ と の 難 し い テ ー マ は な い だ ろ う 。 長 年 に わ た っ て ナ マ コ と い う 海 産 物 に 着 目 し 、 フ ィ リ ピ ン を は じ め と す る 東 南 ア ジ ア 地 域 で 調 査 を 行 っ て き た 赤 嶺 は 、 ナ マ コ が 生 物 多様性保護の対象としてワシントン条約で議論され る よ う に な っ て 以 来 、「 地 球 環 境 問 題 」 と い う グ ロ ー バ ル な 舞 台 上 で 、 調 査 地 を さ ら に 拡 大 さ せ 研 究 を 行 っ て い る 。 生 産 、 流 通 、 消 費 を つ な ぐ と い う 従 来 の モ ノ 研 究 に 加 え 、 地 球 環 境 主 義 と い う グ ロ ー バ ル な 潮 流 の な か で 、 よ り 複 雑 な ネ ッ ト ワ ー ク 上 で 問 題 を 捉 え よ う と 試 み て い る 。 こ れ ま で の 東 南 ア ジ ア や 日 本 各 地 の ナ マ コ 漁 の 現 場 、 中 国 を は じ め と す る 消 費 の 現 場 だ け で な く 、 ワ シ ン ト ン 条 約 締 約 国 会 議 の 現 場 、 ジ ュ ネ ー ブ 、 ド ー ハ に 始 ま り 、 ガ ラ パ ゴ ス 諸 島 に ま で 赤 嶺 は 足 を 運 ん で い る 。 そ し て 環 境 問 題 に 対 し 、 複 数 の 地 域 を つ な ぎ つ つ 全 体 像 を つ か も う と い う 試 み ― ― 人 類 学 者 マ ー カ ス が 提 唱 し た マ ル チ ・ サ イ テ ッ ト ・ ア プ ロ ー チ ( Multi-Sited Approach: MSA )
――を、地域研究の新たな方法論として提唱する。 MSAはナマコのような海産物だけでなく、グロー バルな消費の対象となるさまざまな第一次産品を対 象とする研究にも応用可能だ。
2
方法論的特徴
研究と実践の接続 当 然 の こ と な が ら 環 境 問 題 や 人 権 問 題 な ど の グ ローバル・イシューに取り組む地域研究は、その成 果の実践的活用を視野に入れている。すでに地域研 究コンソーシアムでも社会連携部会を通じて、自然 災害における緊急人道支援に地域研究者が協力する 制度構築への取り組みが始まっている。過去の『地 域研究』の特集においても、地域研究の視点から人 道 支 援 の あ り 方 を 検 討 す る 試 み が な さ れ て き た (参 考: 「総 特 集 災 害 と 地 域 研 究」 『地 域 研 究』 第 一 一 巻 第 二 号、 「総 特 集 地 域 研 究 方 法 論」 『地 域 研 究』 第一二巻第二号) 。 「 開 発 と 紛 争」 イ シ ュ ー に 取 り 組 む 幡 谷 も ま た、 現地社会への貢献という点を強く主張している。た だし幡谷が主張するのは、支援体制の制度的確立を 目指すというより、住民運動との協働を試みる社会 運動との接続を志向している。赤嶺、家田もまた研 究者としての立ち位置について言及するなかで、現 地社会との接合、貢献が研究の必然的帰結としてあ ると述べている。 実際、これまでも自らが研究対象とする地域社会 に生きる人々に共鳴し、対象社会へ実践的な関わり を持つ地域研究者は多かった。しかしそれはあくま で も 研 究 と は 切 り 離 さ れ た 一 個 人 と し て の 営 為 で あった。ここではむしろ、そうした 実践的関与を前 0 0 0 0 0 0 0 提 と し て 地 域 研 究 を デ ザ イ ン す る 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 と い う 意 味 が あ る。 「平 和 構 築」 支 援 へ の 地 域 研 究 者 の 関 与 を 検 討 した中西の提言は、地域研究をより具体的な実践知 として構想するにあたっての方法論的課題を浮き彫 りにしている。地域研究が平和構築という分野にお い て 実 践 的 関 与 を 志 向 す る に は、 「地 理」 的 な 守 備 範囲をひろげると同時に、個別のイシューに応じて 「地 域」 理 解 も 柔 軟 に 変 え な け れ ば な ら な い。 お そ らくこのような方法論的議論を行う場が地域研究の 学会組織のなかで必要となってくるだろう。 方法論としての「旅」― ― マルチ・サイテット・アプローチ これまでも地域研究者は、自らの調査地社会の理解を深めるために、自らの専門外の地域で調査研究 を行ってきた。ところが実際に論文を執筆する際に は限定された一地域のみを語り、他の地域を訪れた ことは、いわば私的な「旅」の領域にしまい込まれ ることになる。 こ こ で 提 示 し よ う と す る「グ ロ ー バ ル・ イ シュー」に取り組む地域研究の方法論は、これまで 私 的 領 域 に し ま い 込 ま れ て い た 地 域 研 究 者 の 実 践 ――現地社会への貢献と「旅」――を可視化し、よ り具体的な方法論として確立することにある。本特 集で赤嶺が解説しているように、マルチ・サイテッ ト・アプローチとは人類学者であるジョージ・マー カスが提唱した方法論で、調査地社会の全体像を描 くために、複数の地域における調査をふまえ、調査 地のおかれた状況をより大きなシステムに位置づけ る ア プ ロ ー チ で あ る (マ ー カ ス、 フ ィ ッ シ ャ ー 一 九 八 九: 三 一 〇 ― 三 一 一) 。 従 来 の 地 域 研 究 は 限 定 さ れ た 特 定 の 一 地 域 を 論 じ る も の で あ っ た が、 マ ル チ・ サ イ テ ッ ト・ ア プ ロ ー チ は、 あ る 特 定 の イ シューをめぐるネットワークの全体像を明らかにす る手法である。イメージとしては、従来の地域研究 で明らかにする対象が、円で囲われた地理的実体で あるとすれば、点と点をつないだ線が無数に絡み合 うようなネットワーク空間である。 研究者もまた複数の地域をまたがって調査をする ことになる。可能ならば複数の地域言語ができるに こしたことはないが、この方法では地域の言語能力 へのこだわりをある程度捨てる勇気も必要となるか もしれない。他の専門分野の研究者がなかなか理解 できない点として、地域研究者の内向的性格――言 葉の通じる地域以外について専門的なコメントがで きない――があるが、この内向きの性格をいかに克 服するのかも大きな課題となってくる。とくに先に あげた実践的関与を志向する際には、これまでのよ うな地理的に限定された地域を自らの専門とする自 己認識を変えていかなければならない。 新たな「地域」概念と研究者の自己・他者認識 グローバル・イシューに取り組む地域研究の必然 的帰結としての「研究と実践の接続」と「マルチ・ サ イ テ ッ ト・ ア プ ロ ー チ」 。 こ の 方 法 論 的 特 徴 は、 平和構築を論じる中西論文、イスラームを論じる赤 堀論文で指摘されるように、新たな「地域」理解と 研究者のアイデンティティの変化を要求する。これ まである特定の国や地域の言語を習得し、限定的な 地理的領域の総合的理解を地域研究者は目指してき
た。しかし環境問題や平和構築、イスラーム主義な ど の グ ロ ー バ ル・ イ シ ュ ー に 取 り 組 む 地 域 研 究 者 は、既存の地域概念――中東や東南アジアなど―― をこえて、イシューに沿って地域を設定し研究を試 みるのが必然となっている。その際、一研究者が単 独で総合的研究を行うのは難しく、異なる「地域」 の 研 究 者 か ら 構 成 さ れ る 共 同 研 究 が ユ ニ ッ ト と な る 。 ただし、これが問題であると認識するかどうかは 別として、こうした共同研究は既存の地域研究の学 会組織――たとえば東南アジア学会、中東学会、ラ テンアメリカ学会など――の外部で実施され、その 成 果 が 必 ず し も 学 会 に 還 元 さ れ て い る と は 言 い 難 い。地域研究の既存の学会組織の解体と再編も視野 に入れる必要があるのかもしれない。 蛇足であるが、本誌『地域研究』では執筆者に対 し、きわめてオリジナリティの高い執筆者紹介を要 請している。これまでの職歴や大きな体験、推薦図 書 な ど、 研 究 者 の 人 と な り が わ か る よ う な プ ロ フィールとなっており、地域研究を志す学生や若手 の研究者にとって、キャリアデザインを行う上で参 考になるはずだ。しかしこのプロフィールでは必ず 自らの専門とする「地域」を書かなければならない (私 自 身 も 他 に 書 き よ う が な く 東 南 ア ジ ア 地 域 研 究 と 書 い た) 。 こ れ ま で の 地 域 研 究 の 理 解 か ら し て 当 然 で あ る が、 本 特 集 で 意 図 し て い る 地 域 研 究 の 変 化 は、こうした専門理解自体が時代遅れになりかねな いことを示唆している。
Ⅳ
グ
ロ
ー
バ
ル
・
ス
タ
デ
ィ
ー
ズ
の
既存
の
学会
に
お
け
る
位置
づ
け
︱︱東南 ア ジ ア 研究 を 事例 に グローバル・スタディーズが研究対象とするモノ や人、思想、制度の移動は、従来の国際関係論の議 論では対応できないばかりか、地域研究自体のあり 方にも再考を迫っている。たとえば、モノ研究にお いて、東南アジアのある一地域の海産物は、当然な がら東南アジアという領域をこえて、日本や中国、 そしてヨーロッパへと地球規模で流通し、消費され ている。同時に地球環境主義は生物多様性という側 面から、乱獲規制というかたちでローカルな人々の 営みに直接に影響を与える。移民・難民研究に目を 向けると、たとえば東南アジアの華人・華僑社会研 究には、トランスナショナリズムという視点から一 国家研究を相対化する可能性を秘めながらも、実際 に は 一 国 家 の な か の マ イ ノ リ テ ィ と し て ア イ デ ンティティなど本質主義的言説が再生産されてきた。 中国の政治的、経済的台頭もあって、研究上の批判 的 な 議 論 の 方 向 性 と は 逆 に、 「東 南 ア ジ ア の 華 人」 と い う 言 説 が さ ら に 強 化 さ れ つ つ あ る。 グ ロ ー バ ル・ヒストリーという潮流が、歴史学においても無 視 で き な く な っ て き て い る。 グ ロ ー バ ル・ ヒ ス ト リーというアプローチの特徴とされる、生態系利用 研究や農耕研究など自然科学系の学問手法や、従来 の歴史叙述の中心にあったヨーロッパ世界の相対化 は、すでに東南アジア歴史学が確立してきた手法で もある。しかしその一方で、異なる諸地域の相互の 影響を重視するアプローチは、たとえばジャワ一地 方の歴史とヨーロッパとの相互の連関を問う議論な ど、東南アジアという地域概念の存在意義を薄める 方向に作用しているのではないか。 東南アジア研究においては、一国家だけを研究す るということはすでに相対化されてきた。しかし、 い ま グ ロ ー バ ル・ イ シ ュ ー か ら 問 わ れ て い る の は 「東 南 ア ジ ア」 と い う 地 域 概 念 そ の も の で は な い だ ろうか。地域研究とグローバル・スタディーズをめ ぐる議論のなかで、東南アジアという地域概念はい かなる意味を持つのか。地域研究において、グロー バル・イシューを課題とする研究が主流になるなか で、知の対象としての「東南アジア」は存在し続け ることが可能なのか。もし可能だとすればどのよう なものとして位置づけることが可能なのか。 第Ⅱ部ではグローバル・スタディーズという潮流 のなかで従来の学術上の地域区分に基づく諸研究を どのように理解することが可能か検討したい。そこ で東南アジア地域を主な足場としながらも、東南ア ジアという地域をこえた人やモノの動きを研究対象 とする研究動向を紹介する。 グローバル・ヒストリー 太田論文「グローバル・ヒストリーと東南アジア 史」は、グローバル・ヒストリーの手法を「比較」 「平行」 「接続」という三つのアプローチで整理した 上で、近年の東南アジア史研究をグローバル・ヒス トリーの観点から批評することを試みている。東南 アジア史研究は、ヨーロッパ中心史観を相対化する 点 で グ ロ ー バ ル・ ヒ ス ト リ ー と 共 通 項 を 持 っ て い る。 近 年 の 研 究 で、 ビ ル マ 史 を 専 門 と す る ヴ ィ ク ター・リーバーマンが中央アジア遊牧民の侵入とい う指標で異なる地域を比較した研究 (『ストレンジ・ パラレルズ ( Strange Parallels )』 ) 、 またアンソニー・ リードの植民地化以前の東南アジア海域世界史研究
(『商 業 の 時 代 の 東 南 ア ジ ア』 『最 後 の 抵 抗( Last Stand )』 ) を、 ヨ ー ロ ッ パ 中 心 史 観 を 相 対 化 す る 視 座 を 提 供 す る も の と し て 評 価 す る。 一 方 で、 リ ー バーマンは国家中心的な歴史観、リードはウェスタ ン・インパクトを過大視する立場を克服できていな いとも指摘する。そこで太田は、蘭領東インドの外 島 (ス マ ト ラ、 カ リ マ ン タ ン 島 な ど) で は 植 民 地 支 配の色濃くなった一九世紀にいたっても、華人やブ ギス人など民間商人による経済活動が活発であった ことを、貿易統計資料から明らかにすることで、国 家中心史観とウェスタン・インパクトを相対化しよ うと試みている。 華僑・華人社会 相 沢 論 文「 『グ ロ ー バ ル・ ス タ デ ィ ー ズ』 と 東 南 アジア華僑・華人研究」では、これまでの華僑・華 人研究を整理し紹介している。華僑・華人研究は、 本来的に東南アジア地域に限定されることなく、中 国やアメリカなど地理的なひろがりを持っている。 そのため既存の地域研究の学会組織――東南アジア 研究、アメリカ研究、中国研究――において周辺的 な立場に置かれることになった。 中国からの海外移民の流出について相沢は、その 第一波と第二波をわけて説明する。第一波は一九世 紀における華南地域から海路による蘭領東インドや 英領マラヤへの労働移動、一九七〇年代以降の第二 波は、世界各地への留学をはじめとして多様化した 移民であり、出身地も華南地方だけでなく中国全土 の主要都市にひろがる。 こうした状況をふまえると、第一波までは東南ア ジア研究の枠組で捉えることもまだ可能だが、現在 の華僑・華人社会を理解しようとした場合、東南ア ジア研究という従来の枠組では不可能であると述べ る 。 他 方 で グ ロ ー バ ル ・ ス タ デ ィ ー ズ と い う グ ロ ー バ ルな人の移動を扱う潮流は華僑・華人研究にとって 初めて居心地のよい空間を獲得したことになる。 既存の学会組織はグローバル・イシューの 議論の場となりうるか? これらの研究の特徴は、明らかに東南アジア研究 における重要な研究テーマであるにもかかわらず、 必ずしも東南アジア学会を主要なホームグラウンド として議論が行われているわけではない点である。 グローバル・ヒストリーという潮流のなかでは東南 アジアという領域をこえて議論される。華僑・華人 社会を対象とする場合も東南アジアに限定されるこ
とはなく、世界各地にひろがる。イスラーム社会に ついても、むしろ中東研究者との共同研究が活発に 行われる。 東南アジア研究が示してきた脱国家的な視点や脱 ヨーロッパ中心史観が、グローバル・スタディーズ と親和性があるのは間違いない。ここで紹介した研 究が示すまなざしも、東南アジア地域をフィールド と し て き た か ら こ そ、 獲 得 し た 視 点 で も あ る だ ろ う。 一 方 で、 こ う し た 複 数 地 域 を 対 象 と す る 研 究 が、既存の地域概念に基づく学会組織のなかで、居 場 所 を み つ け に く い 現 状 も あ る。 限 定 さ れ た 地 域 ――それは国家をこえた地域というより逆に国家よ りも小さな地域であることが多い――と限定された 時代区分のもとに行われる基礎研究が重要であるこ とは間違いない。しかし他方でより大きなイシュー を論じることを若手研究者が躊躇するような環境も 既 存 の 学 会 組 織 に は あ る の で は な い か。 越 境 的 な 人々の移動に対する研究は、既存の学会組織の外部 で行われざるをえない。こうした現状が継続するこ とはすなわち学会自体の活力が失われることにつな がりかねない。こうした状況のなか、地域研究系の 学会の連携組織である地域研究コンソーシアムがこ うした越境的な研究についての議論の場を提供して ゆくことは重要だろう。 イスラーム世界と人々の移動 フ ィ リ ピ ン で バ リ ッ ク・ イ ス ラ ー ム ( Balik-Islam ) と 呼 ば れ る イ ス ラ ー ム 改 宗 者 の 増 加 に つ い て考察する渡邉論文「イスラーム世界と人びとの移 動 か ら 地 域 研 究 を 考 え る ―― イ ス ラ ー ム 改 宗 者 と フ ィ リ ピ ン・ ム ス リ ム 社 会 の 再 編 」 は こ れ ま で の フィリピン・ムスリム社会像を大きく変貌させる視 点を提供する。かつては南部フィリピンを中心に、 モスクや民族的衣装といったイスラーム的景観がひ ろがっていたが、湾岸諸国で改宗した人々がそれぞ れの郷里に戻ることで、そうした景観が国内各地に ひろがった。こうしたイスラーム改宗者はフィリピ ン南部の民族ムスリムとは異なり、特定の地理的集 住地域を持たない。現在のフィリピンにおいて一四 番目の「民族集団」とも認識されるようになったイ ス ラ ー ム 改 宗 者 の 増 加 に つ い て 渡 邉 は、 フ ィ リ ピ ン・ムスリム社会の脱民族化とアラブ化、脱領域化 であると説明する。イスラーム改宗者はグローバル なムスリム・ネットワークとつながりを保ちつつ、 フィリピンの主流社会ともうまくつきあう態度を示 し、これまでテロやイスラーム復興といった側面に
注目が集まりがちなフィリピン・ムスリム研究に新 たな側面を提供している。 国境紛争 山 本 論 文「 『ス ー ル ー 王 国 軍 』 兵 士 侵 入 事 件」 は、マレーシアとフィリピン間の国境問題への視座 を提供する。グローバル・イシューとして注目度の 高い「国境」であるが、山本によれば実際のところ 国境周辺地域は国家の中央から遠く離れた辺境であ り、開発や治安の面からも行政の対応が遅れている 地域である。 山 本 は、 「ス ー ル ー 王 国 軍」 を 名 乗 る 者 た ち と マ レーシア治安当局の衝突事件について、当該社会の 歴史的背景や現在の内政状況や社会問題のなかで位 置づけることによって、スールー王国とサバ領有権 問 題 の 解 説 を 試 み る。 山 本 論 文 は グ ロ ー バ ル・ イ シューとしての「国境紛争」に対する地域研究アプ ローチの一事例である。それは、複雑な歴史的背景 を 持 つ 国 境 周 辺 社 会 の 問 題 が、 グ ロ ー バ ル・ イ シューとしての「国境問題」として可視化されるこ との意味を明らかにするアプローチである。それは 同時に、グローバル・イシューとしてのみ国境問題 を語ることによる、地域的な力学が理解されない問 題性も指摘している。 パームオイル 現在、グローバルな消費の対象であり地球環境問 題の視点からも注目をあつめているアブラヤシにつ いて、地域研究の視点から考察を試みているのが岡 本論文「環境にやさしいアブラヤシ農園というディ スコースの誕生――インドネシアのアブラヤシ農園 拡大戦略から」である。植物油脂として食品、化粧 品、 洗 剤 な ど さ ま ざ ま な 商 品 の 原 料 と な っ て き た パーム油は近年、化石燃料に変わるバイオ燃料とし て、地球温暖化対策、エネルギー問題の観点からも 需要がさらに高まっている。アブラヤシを重要な外 貨獲得資源と位置づけるマレーシアとインドネシア では、アブラヤシ農園がボルネオ島やスマトラ島を 中心に急速に広がっている。他方で、熱帯林のアブ ラヤシ・プランテーション化が、森林破壊、生物多 様性の消失という観点から、環境問題や動物保護を 訴える国際NGOによる批判を受けている。地球環 境問題をめぐってその功罪が問われているアブラヤ シ栽培はいま、極めて重要なグローバル・イシュー の一つといってよい。 岡 本 は 同 論 文 に お い て 、 熱 帯 林 破 壊 、 生 物 多 様 性 の
消 失 の 元 凶 と し て 国 際 的 な 批 判 を 受 け る ア ブ ラ ヤ シ 栽 培 に つ い て 、 イ ン ド ネ シ ア 国 内 で は 雇 用 機 会 創 出 、 地 域 経 済 の 活 性 化 、 森 林 伐 採 後 の 林 地 利 用 と し て 、 巧 み に 正 当 化 す る イ ン ド ネ シ ア 政 府 の ロ ジ ッ ク を 明 ら か に す る 。 対 外 的 に も ア ブ ラ ヤ シ ・ プ ラ ン テ ー シ ョ ン を 「森 林」 と し て 認 め る よ う ロ ビ イ ン グ 活 動 を 行 う 外 交政策など、国内外の政治経済の文脈のなかでアブ ラヤシ栽培の拡大を位置づけようとしている。
お
わ
り
に
︱︱ グ ロ ー バ ル ・ ス タ デ ィ ー ズ の 日本化 と 地域研究 の 国際化 グローバル・スタディーズと地域研究は、知のグ ローバリゼーションの真っ只中にいる。行政がむし ろ追随するかたちで「グローバル人材」という言葉 を濫用するなか、地域研究はより良い研究と教育の 環 境 を 整 備 す る 機 会 を 得 て き た。 日 本 に お け る グ ローバル・スタディーズの受容と展開は、地域研究 が世界諸地域を対象とする研究と実践においてプレ ゼンスを高める重要な機会を提供している。発祥の 地であるアメリカでグローバル・スタディーズの発 展と地域研究の衰退が表裏一体であるのとは対照的 である。良くも悪くも日本における地域研究が、国 の対外戦略上重要な地位から離れていたことと関係 している。 アメリカとは異なるかたちで独自の地域研究を確 立 し て き た 日 本 型 地 域 研 究 は、 グ ロ ー バ ル・ ス タ ディーズと親和性が高い。今後のグローバル・スタ デ ィ ー ズ と 地 域 研 究 の 関 係 は、 「地 域 研 究 の 国 際 化」とセットで考えてはどうだろうか。日本型の地 域 研 究 は 政 策 科 学 と の 印 象 が 強 い エ リ ア・ ス タ ディーズと訳すよりもグローバル・スタディーズの ラベルを用いる方が適しているかもしれない。一方 で、これは戦後日本において発展してきた既存の地 域研究のあり方への挑戦でもある。地域研究者=特 定 地 域 の 専 門 家 (ス ペ シ ャ リ ス ト) と い う 自 己 認 識 も変えていかなければならない。むしろ開発や人道 支援といったテーマに、地域研究者が「ジェネラリ スト」として取り組んでいく姿勢が求められる。地 域研究の実践的活用を考える場合、国家の政策的関 与を志向するのではなく、一国家の国益をこえた地 球規模の諸課題――グローバル・イシュー――に貢 献する実践を志向することが重要だ。従来のように 特定地域のみをフォーカスするのではなく、複数の 地域にまたがってグローバル・イシューを扱う地域研究者像が、グローバル・スタディーズという潮流 のなかで求められている。 同時に、これまでの地域研究のあり方にも再編を 迫っていると受け止めるべきだろう。グローバル・ スタディーズが扱うグローバルな人、モノ、カネ、 思想の動きは、アメリカの世界戦略概念として誕生 した従来の地域概念をこえて移動する。既存の学術 組織もこの地域概念に基づいて形成、発展してきた が、より活発な共同研究の場をつくるためにはそう した従来の学会組織をこえた知のアリーナが重要で あることは間違いない。地域研究コンソーシアムが 重要な役割を果たすことはいうまでもない。 今回、残念ながら本企画でとりあげることのでき なかったグローバル・イシューの一つに「金融・経 済」がある。金融や経済の問題が地域研究にとって も重要なテーマであることはいうまでもない。経済 学というディシプリンは、本来的に国や地域をこえ た越境的な学問というイメージがある。ところが実 際には経済学の認識と把握の視座は、国家や政体の 枠組を基礎として扱ってきた。国際経済、国際金融 といった概念もあくまでも「国家間」の事象として 認識されてきた。 一 九 九 〇 年 代 以 降 に 急 速 に 進 ん だ グ ロ ー バ ル 化 は、経済学においても国家を相対化した視点から多 様なアクターによる経済活動の動態を捉えるという 認識の把握の視座をもたらしたといえる。ただしこ こで重要なのはグローバル化によって経済分野にお いて国家のプレゼンスが弱まったというわけではな く、むしろグローバル化を背景に経済力を高めた新 興国の台頭、金融危機によるある一国の経済破綻が 全世界へ波及するなど、グローバル経済を理解する 上で国家への視座は変わらず重要である。 こうしたグローバル経済への眼差しは、地域研究 者だからこそ可能ともいえる。以上の重要な議論を 含む、私が寄稿を依頼した研究者の論考は、概説的 であることと、具体的な「地域」の事例をあげて論 じなかったが故に、地域研究の論文としては認めら れ ず、 「コ ラ ム」 と し て の 掲 載 の 許 可 と な っ た。 結 果として、執筆者自身の辞退により本特集に含める ことができなかった。 査読者と編集委員会の判断は、経済という分野を 軽視したためではもちろんない。しかしながら、こ うした学会誌の査読プロセスによって、何が地域研 究なのかが形成されることも事実だ。異例ではある がこうした特集企画の背景もここに付記することに よって、グローバル・イシューに取り組む地域研究
とはいったい何のか、活発な議論がおこることを待 ちたい。 ◉注 * 1 日 本 で 最 初 に グ ロ ー バ ル ・ イ シ ュ ー に 取 り 組 む 大 学 院 が 設 立 さ れ た の は 一 橋 大 学 で あ る 。 一 橋 大 学 は 一 九 九 七 年 、 大 学 院 社 会 学 研 究 科 に 地 球 社 会 研 究 専 攻 ( 英 語 正 式 名 称 : Institute for the Study of Global Issues ) を 設 置 し 、 地 球 規 模 の 諸 課 題 に 取 り 組 む 学 際 的 プ ロ グ ラ ム を 開 始 し た 。 そ の ポ リ シ ー と し て 、 ① 問 題 に 焦 点 を あ て て 考 え て い く こ と ( Issue Focused )、 ② 現 実 的 な 解 決 を 志 向 す る こ と ( Solution Oriented )、 ③ 西 欧 中 心 の 思 想 か ら の 脱 却 ( de-Eurocentric ) を 掲 げ て い る 。 ア メ リ カ に お け る グ ロ ー バ ル ・ ス タ デ ィ ー ズ 構 想 と 並 行 し 、 グ ロ ー バ ル ・ イ シ ュ ー に 取 り 組 む 学 際 プ ロ グ ラ ム を 構 想 し た こ と は 先 駆 的 で あ り 、 そ れ は 専 攻 名 称 に も あ ら わ れ て い る 。 上 智 や 同 志 社 が 「 グ ロ ー バ ル ・ ス タ デ ィ ー ズ 」 を 日 本 語 に す る こ と な く 採 用 し た 一 方 、 一橋大学では地球社会研究という名称を発案した。 この地球社会研究専攻の構想・設立にあたっては現 場〈フィールド〉を重視する人類学者、社会学者が関 与している。グローバル・イシューに関わる最初の大 学院として、本論において言及すべきだったかもしれ ないが、①必ずしも地域研究を重要な基盤にしている わけではないことと、②アメリカのグローバル・スタ ディーズを輸入し生まれたわけではないことから、注 釈での言及にとどめることにした。 * 2 『ヤ シ ガ ラ 椀 の 外 へ』 の 大 部 分 は、 ベ ネ デ ィ ク ト・アンダーソンが執筆したものを加藤剛が翻訳した ものだが、日本の地域研究に関する記述は、アンダー ソンの依頼により加藤が執筆している(アンダーソン 二〇〇九:二一九) 。 * 3 た だ し、 同 セ ン タ ー の 設 立 委 員 の 教 官 た ち は、 ア メ リ カ の 地 域 研 究 の 方 法 論 に 対 し て 批 判 的 で あ っ た。それは、一九四〇年代末以来、世界の諸地域を対 象としてアメリカの諸大学で始められた地域研究が、 フィールドワーク、現地語集中訓練、学際的共同研究 という特徴は評価するものの、その共同研究は人文、 社会科学にとどまり、自然科学者の参加は皆無であっ た点があげられる (石井 二〇〇三:一三一―一三六) 。 ◉参考文献 赤堀雅幸(二〇〇九) 「地域研究」 『文化人類学事典』丸 善、七五六―七五七頁。 赤 嶺 淳(二 〇 一 〇) 『ナ マ コ を 歩 く ―― 現 場 か ら 考 え る 生物多様性と文化多様性』新泉社。 赤 嶺 淳 編(二 〇 一 三) 『グ ロ ー バ ル 社 会 を 歩 く ―― か か わりの人間文化学』新泉社。 ア ン ダ ー ソ ン、 ベ ネ デ ィ ク ト(二 〇 〇 九) 『ヤ シ ガ ラ 椀 の外へ』加藤剛訳、NTT出版。 石 井 米 雄(二 〇 〇 三) 『道 は、 ひ ら け る ―― タ イ 研 究 の 五〇年』めこん。