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憲法第九条の省察 -その成立過程と解釈を中心として-

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塞 法 第  九 条  の  省 察

法 第 九 条 の 省 察

Reflection on the 9th article of the Japan Constitution.

-その成立過程と解釈を中心として-山  本  友  博 Tomohiro Yamamoto 序    言 日本国憲法第9条の規定は前文第2段の規定に呼応するもので,吾国憲法の基本原理である戦争 放棄即ち平和国豪の宣言を規定するものである。即ち第9条は絶卦平和主義を人質普遍の原理とし て宣言したものにして,それは国家の名誉にかけて,自主的戦争の放棄と共に軍備の撤廃及び交戦 権の否認を規定している。昭和22年5月3日に日本国憲法が発効して以来,14年を経過した今日, 政府に於ては,憲法調査会を発足させ(鳩山内閣に於いて)調査審議をし,その結果を纏めること になっている。従って日本国憲法第9条の成立過程とその解釈を中心として換討し,更に将来-の 展望を試みることは,日本国民として稗益するところがあると考えて起稿した次第である。この問 題笹古くして,叉,新しい問題であるが,資料不足と紙数の制限のため要点のみを指摘せざるを得 ないことは予じめ御諒解を願いたいと考える次第である。 本    論 【第1】 憲法第9条の成立過程。 先づ日本国憲法制定の一般的経過から簡単に略述するに,昭和20年10月4日,束久適官内閣の 国務大臣近衛文麿は最高司令官から日本政府が患法改正を要求されるであろうとの通告を受け,更 に同年10月11日幣原首相が最高司令官から怒法改正を考慮すべき旨を指示されたのである。而し て同年10月27日に,政府は絵本国務大臣を主任として,憲法問題調査委員会を設けたのであるo 勿論,患法改正の目標は指示通りに, 「蕃法の自由主義化」にあった。この委員会は数回に亘って 委員会を開いて放討した後,昭和21年2月始めに,改正案を最高司令官に提出した。司令官は一 読して,これは全然受諾できないと述べた後, Whitney幕僚長に対して基本三原則を基礎として 草案を作成するように指示したということが一般に知られている事項である Whitney准将はこ の原則を基礎とし外国の憲法文献を参考にして委員会を督励して約一週間の後に,昔法草案の起草 を完了したというのが真実のようである。 斯くて昭和21年2月13日に司令部から示された患法草案を日本側で書き直おすこととなった。 その後,日本側委員と司令部側委員と交渉を重ね,苦心の結果,漸くにして成案を得て,同年3月 6 日の患法改正草案の突如発表となったのである。この草案を条文の形に書き直し,昭和21年6 月20日開会の菅田内閣の第90帝国議会に旧書法73条の改正手続に従って提案され,先づ衆議院

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山   本   友   博   〔研究紀要 第13巻〕 37 に於て審議可決され,貴族院に回付され, 8月26日から審議が始められ, 10月6日に若干の修正 が加えられて可決された。翌10月 7日衆議院はその修正に同意する旨を可決したのである。かく て菅法草案は枢密院に廻されて10月29日に可決され,天皇の裁可を経て昭和21年11月3日に公 布されることになったのである。以上は日本国菅法制定の概略であるが,憲法9条についてその淵 源を尋ねることとしよう。 扱,脊法9条の淵源はマッカーサー司令官がWhitney幕僚長に示した基本三原則に求めなけれ ばならない。その基本三原則の第2項が直接鼠係があると考えられる。従って基本三原則を示せば 次の如くである。     .      . (1) 天皇は国の元首の地位にある。皇位の継承は世襲である。天皇の義務及び権能は菅法に基 づいて行使され,蕃法の定めるところにより,人民の基本的意思に対し責任を負う。 (2) 国家の主権的権利としての戦争を廃止する。日本は国家の紛争解決のための手段としての 戦争及び自己の安全を保持するための手段としてのそれをも放棄する。以上のことは世界の防衛と 保護につきいまや世界を動かしつつある崇高な理想に依存するものである。いかなる日本陸海空軍 も決してゆるされないし,いかなる交戦者の権利も日本軍には決して与えられない。    、 (3) 日本の封建制慶は廃止される。皇族をのぞき華族の権利は現在,生存するもの一代以上に 及ばない。聾族の授与はその後,どのような国民的または公民的な政治権力をもふくむものではな い。予算の型は英国制度に倣うこと。上述の基本三原則の第2項を受けて,憲法9条の草案が決定 されたと考えられるが,蕃法第9条の草案を示せば次の如くである。 第9条,国の主権の発動として行う戦争及び武力による威嚇,叉は武力の行使を他国との闇の紛 争の解決の具とすることは永久に,これを放棄すること,陸海空軍その他の戦力の保持はこれを許 さず,国の交戦権は認めざること。而してこの草案を帝国議会にて審議し日本国青法第9条が成立 することとなったのである。憲法第9条を引用すれば次の如くである0 憲法第9条,日本国民は正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し,国権の発動たる戦争 と武力による威嚇叉は武力の行使は国際紛争を解決する手段としては永久にこれを放棄する。前項 の目的を連するため陸海空軍その他の戦力はこれを保持しない。国の交戦権はこれを認めない。 上述にて憲法9条の淵源はマッカーサー司令官の基本三原則の第2項に淵源し,それが憲法改正 草案9条となり,更に日本国憲法第9条として成立したことが判明したのである。更に検討を加え るならば,日本国意法草案の成立過程に於て,昭和21年2月13日に憲法草案を外務大臣官邸に於 て,菅田,絵本両大臣と Whitney 准将,ケーヂイス大佐,フヅセイ海軍大佐との会見に於て手 交されたこと(昭和27年5月世界77号p. 27参照)並びにその後の交渉経過に於て,稔司令部側 が精々急いでいた模様が見受けられるが,それは当時の国際状況を考慮する必要があるであろう。 当時,米国が日本管理を単独にて開始しており,占領政策の最高決議磯開としてWashington に極東委員会(Canada,中国,オース下ラl)ヤ,印度,和蘭,ソ同盟その他),最高司令官の諮問 機関として東京に対日理事会(米国,英国,中国,ソ同盟)が設置されることとなっており, 「日

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38       憲  法  第  九  条  の  省  察 本の書法機構,或は管理制慶の根本的変更を規定し,叉は全体として日本政府の変更を規定する指 令」 (モスクワ会議コソミニニケ1945. 12)は極東要点会の同意をえなければならないこととなっ ていた。その極東委員会の第1回の会合をもつのが昭和21年2月26日に予定されていた。それ以 前なら米国占領軍の行動は事実上万能である。それ迄に仕事をして置けば,極東委員会で若し反滑 が多ければ,米国は拒否権を行使して初志を貫徹することもできると考えられるのである。従って 2月26日が一応の目榛であったと考えられるが,かかる国際情勢をも考慮する場合,米国側にて 草案作成を急いでいたことが∵応,了解されるのである。 従って憲法九条の淵源はマッカーサーの基本三原則の第2項にあり,それを基礎とし日本側にて 草案を作成し,日本国憲法9条として成立したと考えられるのである。その第9条を素置おに,読 む場合,第1項からは戦争放棄即ち永久平和主義,第2項からは戦力の不保持と交戦権の否認を規 定したと考えられる。而しその解釈につき14年間に色々と変遷が見られるので次に項を改めて述 べることにする。 【第2】憲法第9条の解釈 青法第9条の解釈について,憲法制定当時から昭和25年朝鮮戦争勃発当時までは,平和主義に ついて疑を挿む者はなかったが,対日講和条約が昭和26年に締結された当時から,日本の保安隊 並びにその後の自衛隊創設当時には国会に於て再軍備に非ずやとの論議が旺んに行われたことは周 知の事実である。かかる変遷を辿りつつ解釈を検討することとしよう。 A.寮法制定当時の政府の解釈 第二90帝国議会に於て,第9条1項は侵略戦争以外の戦争は認 めていると解しながらも,第2項で戦力を-切捨てたのであるから実際上はいかなる戦争もできな くなったのであるとの解釈が採られている。後に芦田理論を唱えた彼でさえ,当時は一層徹底した 態度で「法的にも一切の戦争はできないのだ」と本会議で説明したのであった。第9条1項は戦争 の放棄,第2項は前項の裏付けとしての戦力不保持と交戦権の否認を規定したものであることは誰 にでも了解しうるのである。 当時,本条文に関して日本の自衛権が問題になったのであるが,政府の見解によれば,第9条1 項は自衛上の戦争を否認したものではないが,第2項によってその場合の交戦権を香羅されている というのである。従って委員会の見解としては国際連合青草第51条には明かに自衛権を認めてお り,且つ日本は国際連合に加入する場合を予想すれば,国際連合青草には世界の平和を脅威するが 如き侵略戦争には安全保障理事会は,その勢力を以て,被侵略国を防衛する義務を負うのであるか ら,今後,吾国の防衛は国際連合に加入することにより,抹消せられるのではないかとの議論があ ったし,政府の見解はこれに対して同意見である旨の答弁があったのである。かくの如くに,日本 の自衛権については之れを全然否定はしていないが(この国家の自衛権は国際法上の原則として従 来認められてきたのである)第2項によって戦力の不保持と交戦権の否認によって,実際上,戦争 はできないのであって且つ戦争は放棄されたのであるとの考え方が通説であったと考えられる。日 本国膏法の前文の後半に於いて, 「日本国民は恒久の平和を念願し,平和のうちに生存する権利を

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山   本   友   博    〔研究紀要 第13巻〕 39 有することを確認する」と託されており,叉,青法草案発表当時の勅語には, 「日本国民が正義の自 覚によって平和生活を享有し,誼を万邦に修むるの決意なる旨」が閣明されているがこれ等ほ更生 せんとする日本国民の世界観を声明したものであり,将来の指標をここに見ることができるのであ る。更に第90帝国議会に於て,菅田首相は「第9条の規定は直接には自衛権を否定してはおりま せぬが第9条の2項に於て一切の軍備と国の交戦権を認めない結果,自衛権の発動としての戦争 ち,叉,交戦権も放棄したものであります」 (昭21.6.29.衆,本会議)と説明し,自衛戦争までも 放棄する必要はないではないかとの野坂議員の質疑に対して, 「国家正当権による戦争は正当なり とせられるよ うであるが,私はかくの如きことを認めることが有害であると思っております」 (昭 21. 6. 29.衆院本会議)と述べている。 従って憲法9条による永久平和主義は確立されたし,日本は戦争を放棄し戦力及び交戦権はもた ないものであると一般に解釈されていた。叉,斬って当時に於ける米国司令部の日本の民主化政策 は一層徹底的に実施されつつあった時期であることを忘れてはならないのである。 米国の日本民主化政策は1945年9月乃至1947年に至る期間に大体,実施されたのであるが, 叉,占領軍が解放軍的性格を帯びたのもこの時期であったといわれる。然るに1948年8月には, 大韓民国の成立,同年9月朝鮮人民民主共和国の成立, 1949年9月には独乙連邦共和国の成立, 同年10月には独乙民主共和国の成立,同年10月には中聾人民共和国の成立があり,米国の外交政 策も封じ込め政策(1947年)が1951年には押し返し政策-と転移したことを忘れてはならないが, かかる国際情勢の変化もあったが, 1950年6月に朝鮮戦争が勃発したのである。この戦争は吾国に 四つの大きな影響を与えたのである。 -は特需の発注であり二は国家警察予備隊の発足であり,≡ は追放の大量解除であり四は対日講和の促進であったことは一般に認められているのである。而し て1951年9月に桑港に於て対日講和条約が締結されたのである。かかる国際情勢の影響を受けて か,怒法9条の意味内容が,その後,変遷したと考えられるがそのことは次に検討することにし よう。 B・寮溝9条の意味内容の変遷1950年6月朝鮮戦争の勃発以来,占領軍の政策は反共的,軍事 的性格を帯びることとなった1950年7月には警察予備隊の発足(昭和25年政令260号) 1952年 には保安庁法の制定にて保安隊- (昭和27年法律265号),更に1954年には自衛隊- (昭和29年 法律164号)と切替えると共に漸次防衛力増強の一路を辿ることとなった。 昭和27年頃芦田理論が公表され,これより発きに佐々木惣一教授によって同じ趣旨の解釈論が 公表され(昭26. ll. 21.朝日新聞)つづいて大石教授も同じ趣旨の憲法論を展開されている。大 石教授によれば, 「戦争放棄の豊富をしているのは第1項の規定である,侵略に対する抵抗即ち自 衛のための戦争は第1項に於ける戦争に含まれないのである,自衛としての戦争に対して憲法は何 も規定していないのである。自衛のための軍備を設けるか設けないかは違憲合憲の問題ではなく, 日本の自由にとるべき国策の問題である」との趣旨を述べられている0 吾国に於ける自衛力が増強されるに従って,国会に於ける玲議が活発になったが,その主要な点

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40 憲  法  第  九  条  の  省  察 は,恵法9条は1項に於て,戦争放棄を規定し,第2項に於て戦力不保持と交戦権の否認を規定し ている。従って増強される自衛力と憲法9条との矛盾につき,再軍備に非ずやとの質問に対し,国 会に於ける答弁はそれは戦力ではないとのことに始終したと要約できると考えられる。 昭和26年9月桑港にて対日講和条約が調印され翌年4月28日発効した。その発効と同時に日米 安全保障条約により巌留軍が鹿留することになったが,この外国軍隊の巌留が合怒なりや香や,請 和を期して警察予備隊から発展した保安隊が合憲なりやが問題になったが,政府の答弁は「米国の 軍隊鹿留は日本の保持する軍隊ではないから自衛のためなら,之れを借りても第9条2項違反には ならない,保安隊は本質上警察であり,意法の戦力には当らないとの見解」が堅守されていた。菅 田首相の昭27年1月26日の答弁は「再軍備はいたしません,これを再軍備などというのは国民を 欺くものである」と強調されている。昭和28年12月に始まる第19国会に於て, M.S.A.協定が 承認され,自衛隊法防衛庁設置法が制定されて,昭和29年7月1日から自衛隊が発足することと なった。その当時の政府の解釈は自衛のためならば,戦力のない軍隊を持つことは替法違反ではな いとの考え方になったと考えられる。 昭和29年末に鳩山内閣が成立したが,首相は在野時代には,軍隊を持つためには患法改正が必 要であると主張されたのであるが, 「その後憲法9条の解釈について,自衛のためには軍隊を持っ てもいいという論に国論がなったと思っています」 (衆内妻,昭30. 6. 16)と述べ,自衛のためな ら近代的な軍隊を持ってもいいものだと断言されている。鳩山内閣時代に憲法9条の規定と現実の 菖衛力増強の既成事実との矛盾のために憲法改正論が台頭しつつあったが当時の国会読点選挙に於 て,保守勤ミi以上の議席を獲得できなかったためか,廉て影を滑して蕃法調査会が発足すること になったのである。 従って,国会冷戦は戦力静に集中され, 「戦力は持ちえないが戦力に至らない程度の実力を保持 しこれを直接侵略に対抗させることは違憲ではない」とか或は「ジェッT,機,原子爆弾をもたない ものは戦力ではない」等の答弁があったが事実上,何処からが戦力であり,どこまでが戦力ではな い,自衛力であり警察力であるかの限界を決定することは困難であろう。而しこの時期には自衛権 は肯定され,自衛のためなら自衛力を増強することは差支えないが,戦力を持つことはできないと の解釈を採っているものと考えられる。従って憲法制定当時の解釈とは可成りの差異があると考え られる。 C・寮法第9条の法律的考察 法規範としての第9条を素直に読む時,第1項が国権の発動であ る戦争,武力による威嚇,武力の行使,ほ国際紛争を解決する手段として永久に放棄するとの意味 をもつことに間違いはない。問題となるのは国際紛争を解決する手段として放棄することにつき学 説が分れる。甲説に於てほ,国際紛争を解決する手段としての戦争とは侵略戦争を意味し,それ以 外の戦争即ち自衛戦争や制裁戦争は含まれないと。 乙説は国際紛争を解決する手段としては戦争や武力による威嚇叉は武力行使を放棄するというの は稔ての戦争を放棄することを意味するという。

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山   本   友   博    〔研究紀要 第13巻〕 41 扱,憲法9条は侵略戦争のみならず自衛権に基づく戦争即ち自衛戦争をも放棄したものであると するのが通説である。自衛権は存在するがそれは戦力なき自衛権であり,戦争を伴わない自衛権で ある。そこに第9条の特色があると清官教授は論述される。尤も学者の中には,すべての戦争は国 際紛争を解決するための戦争であるとし従って第1項だけでも自衛戦争をも放棄したものと解する ものもある。 (美濃部,宮沢,田畑,清官教授の学説)而しながら第9条全体としては自衛戦争を も放棄し戦争の全面的な放棄を定めたがそれは第2項によるものであると考えられる。 l 第2項の「前項の目的を連するための」との文句のうちの前項の目的を侵略戦争を意味すると解 すれば,侵略戦争を放棄したものであり,従って自衛のための戦力を保持することは違憲ではな い,即ち憲法改正を行わなくても自衛軍を設けることは可能であるという解釈が成立つと考えられ る。この説は政界の芦田氏及び学界に於ける佐々木博士,大石教授によって主張される。佐々木惣 一博士の意見によれば法理論と国策論は別個である。蕃法9条1項に関し,国際紛争を解決する手 段としての戦争,武力による威嚇,武力の行使等ほ禁止されている。 2項に於て前項の目的を達成 するための戦力を保持してはならない,及び交戦権は認められない。従って以上以外の場合,即ち 自衛のための戦争は肯定されるし,自衛手段としての戦争に用いられる軍備を有することは怒法上 許される。軍備が自衛手段としてのものであるや否やは客観的に判断されなければならない。即ち 国家の最高機関意思並びに施設によって判断されなければならない。自衛のための軍備については 昔法はそのままにしておいて可であるとの意見を述べられている。第9条2項には,戦力の不保持 と交戦権の否認が規定されている。この規定を厳密に解すれば陸海空軍その他の戦力は保持しない との意味である。従って保安隊,自衛隊が戦力なりや否やが問題になるし,これが嘗て国会論議が 一■ あった所以でもある。 保安隊が創設された当時,保安隊の実力は近代戦争遂行能力には連していないから,それは戦力 ではないという政府の説明には承認することはでできない。 (清官教授)更に保安隊の一層の増強 及びM. S. A (相互安全保障法)援助による自衛隊-の切替によって一層明瞭となった。 田畑教授は自衛隊は本格的な戦力であり軍備であるが,警察予備隊及び保安隊は法的には軍備で はないと述べられている。佐藤教授は保安隊以後は戦力であり,違憲であり,自衛隊に至ってはも とより戦力であると解釈される。故に想起されるのは,自衛隊は尚お戦力に当らず従ってその保持 は憲法に違反することはないとの政府答弁があったことである。 (昭29. 4. 7.第19国会衆内妻)こ の自衛隊が第9条違反でないと説明するためには,政府説明の如く,自衛隊は近代戦争遂行能力に 連していないから戦力ではないとするか,或は佐々木博士,大石教授の説明の如く第9条は自衛戦 争を禁止したものではないとするか.何れかの方法によらざるを得ないのである。そしてこの二説 を採周しえないなら,患法9条の改正をしなければならないと断じなければならないと考えられ る。法規の解釈は合理的目的論的な解釈をすると共に,それが飽くまで,具体的妥当性をもつこと が必要であると同時に,社会通念に照らし妥当性が要求されるものと考える。 膏法9条の解釈について自衛隊は戦力なりや否やのことは大切であろうが,津規範の具体的妥当

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42 憲 法  欝  九  条  の  省  察 性を考える場合,健全なる社会通念に立って判断すべきであろう。 昔法9条1項並びに前文は永久平和主義を根本規範としているし,自衛隊の合憲なりや違憲なり やの問題は憲法9条2項に関する問題である。 従って次に筆者の意見を述べることにしよう。法規範の解釈は合理的,目的論的解釈であると共 に具体的妥当性を要求されるものである。如何に美しい規範であってち,倫理学に於ては妥当する にしても,法律学の世界に於ては妥当しないことがある。それは規範と事実関係の距離によって判 断されるであろう。規範と事実関保との距離が余りもこ大きな場合,法律の世界に於ては,所謂,宿 われない法として空文に等しいものである。 扱,自衛隊の合憲性について,怒法9条2項の戦力の不保持の条項に抵触するものと考えられ る。理由として自衛隊の施設に照らして十分であろう。従って憲法9条2項の戦力の不保持の条項 の削除が必要である。更に交戦権の条項についても削除することを提案する。理由として戦争は欲 しないが,国家が国際社会の一員として生存していく以上,交戦権を持つことは,国際法の原則に 照らして当然であると考えられる。 かくの如くに憲法9条2項は削除して解釈の統一を図ることが適当と考えられるが,第1項の永 久平和主義即ち戦争の放棄の規定は,削除することなく,根本規範として残して置くべきである。 そうして自衛軍を創設し,維持することは国策として採択する方が適切であると考えるのである。 s^^^^Es  が  臼 ,患法9条の淵源はマッカーサー司令官の基本三原則第2項に遡るのであるが,日米双方の代表者 の苦心に満ちた結果,怒法政正草案要綱が成立し,第90帝国議会に於ける審議を経て天皇の裁可 があり公布されたものである。その内容は,戦争放棄,戦力の不保持,交戦権の香課にある。即ち 永久平和主義を内容とするもので1945年乃至1950年迄は平和主義の密月旅行とも称すべき状態で あった。然る虹朝鮮戦争後,警察予備隊(昭25年)保安隊(昭和27年)自衛隊(昭29年)の発 足と共に,平和憲法の趣旨が次第に崩れ,それは達意に非ずやとの論議が国会に於てその戦力論を 中心として展開され,鳩山内閣(29年12月∼31年12月)時代に於て憲法改正論まで台頭したの である。乍而,憲法改正は日本国蕃法の民主政治のもとに於てほ,最後は国民が決定者である故 に,国民こそ健全な良識を以て審判を下すべき筋合の、ものである。扱,国際情勢を一瞥するに, Natoが冷戦酷はな1949年に発足して十数年を経過した。又,その間に国際環境も薯るしく変化 している。現在の Natoはソ連のミサイル優位という状況下に不安動揺の色を濃くした,更に重 要なことはICBM. IRBMのミサイルの出現であって Natoの軍事戦略は大きな打撃を受け, 1954年にはNato が核武装にふみ切ったことである。かかる環境のもとに於て,憲法9条を按ん ずるに,戦争放棄を規定した条項は暁の明星の如く輝くであろう。但し戦力不保持,交戦権の否認 の如き条項は寧ろ解釈上混乱を招く原因とも考えられる。従って憲法を改正して,法規範としての 戦争放棄,永久平和主義を再確認し,戦力の不保持,交戦権の香課の如き親定は削除した方が一層 適切であることを撞案する次第である。

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