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太田修『日韓交渉 - 請求権問題の研究 -』(クレイン 2003年 東京)

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(1)書評. 太田修『日韓交渉一請求権問題の研究一』                    (クレイン2003年東京) 藤井 賢二. はじめに.  本書は、1951から1965年まで15年間にわたって行われた日韓会談(日韓国交正常化交 渉)における請求権交渉を主題としている。本書の内容は、1950年忌以前を扱った「第1 章 大韓民国樹立前後の賠償問題」「第2章 1950年代李承晩政権下の請求権交渉」と、. 1960年代を扱った「第3章 1960年代張勉政権下の請求権交渉」「第4章 1960年代朴正 煕政権下の請求権交渉」「第5章 日韓条約をめぐる韓国内の葛藤」とに大別できる。以下、 この区分に従って内容を検討してみたい。. 1.韓国側の記録のみに依拠することの危うさ   「第1章 大韓昆国樹立前後の賠償問題」では、日韓会談における請求権論争の背景が. 描かれる。韓国政府による『対日賠償要求調書』がf日本の植民地支配・戦争の被害」に 対する賠償を要求するものであったこと(p58)、それに対して日本政府は「朝鮮近代化貢献 論」をもとに「『在韓日本財産』の処分によって、韓国側の対日請求権は消滅した」と考え ていた(p65)と記されている。これを受けて、「第2章 1950年代李承晩政権下の請求権交. 渉」では、1952年の第!次会談、1953年の第2次日韓会談と第3次日韓:会談を中心に請求 権をめぐる日韓の論争が記述されている。.  評者は、「在韓日本人私有財産」への引揚者の補償要求など日本側の事情にも目配りされ ている第1章に堵べて、第2章により多く違和感を覚えるものがあった(1)。著者が韓国側. の記録のみに依拠レた結果、疑問を抱かせる記述があったからだ。第1次会談における事 例を2点取り上げたい。.  韓国側が提出した請求権要項韓国三二について著者は、「韓国が対日講和条約の署名国か ら除外され賠償請求権を否定された結果、韓国政府は『対日賠償要求調書』をそのまま提 出できなくなり」、「『〈賠償〉(Reparation)の性質を持つものではなく、〈返還〉(Resもitution). の性質を持つ』請求権要項韓国側案を新たに提示した(p89)。この「韓国側の後退にもかか わらず(p90)」日本側は在韓日本人私有財産への請求権を主張して日韓は対立し、第1次会 談は決裂したと述べている。.  しかし、請求権要項韓国側案に対する日本側の受け止め方はそうではない。1952年5月 6日付「対韓交渉報告書」という文書がある。日本側代表松本俊一による吉田茂首相と岡. 崎勝男外相への第1次日韓会談の報告書であり、1952年5,月14日の衆院外務委員会での 岡崎外相の報告の資料と考えられる。その中の「対韓交渉の概要」には、「韓国側はカイロ. 一80一.

(2) 宣言等を引用し日本は韓国を『略取』『盗取』したものであるが故に日韓併合は不法行為で. あったこと力泄界的に認められたのであると主張し、この非合法的領有の上に築かれた日 本の財産はすべて非合法性を帯び全般的に没収されるべき」、すなわち韓国は「戦勝国たる. 連合国に等しく、賠償に近いものを要求しうる」と公言したとある。日韓会談において韓 国側は自らを「戦勝国たる連合国」として位置づけていると日本側は理解していた(2)。日. 本側にとって韓国側は「後退」などしてはいなかった。韓国側の対日姿勢は対日講和条約 で定められた範囲から逸脱しているのではないかという日本側の認識に注目すべきではな かろうか。著者は、在韓日本人私有財産への日本側の主張の理由を、「韓国側が日本に要求 する過大な請求から日本を保護するために考え出された(p91)」という日本政府の官僚の証 言から、「政治的手段」と判断するが、その「過大な請求」が意味するものをさらに深く考 える必要がある。.  また、請求権問題と深く関連する基本条約問題について、著者は1952年5月14日の衆 院外務委員会での岡崎外相の報告を次のように記述する。「『国交の基本を樹立する条約の. 問題』については、韓国側が『戦勝国としてわが国との間に平和条約を締結するものであ るという態度を持っておりまして、たとえば韓国が日本の独立を承認してやるとか、かつ ての日韓併合条約等は無効である』と主張したため交渉は難航したが、韓国側も『日本側 の意向を了解』し、『両国間に基本関係を規律する条約をつくるということについて、ほぼ これは合意が成立した』と報告した」。しかし「これは事実に反する報告であった」(p99)。. 著者の言う「事実」とは基本関係委員会で日韓間に合意が成立したことを指すのであろう が、国会で外相が虚偽の報告をしていたとすれば大きな問題である。  前記「対韓交渉の概要」によればこの部分は次のようになっている。まず、「韓国が日本. の独立を承認してやる」と述べた点は韓国側が自ら撤回した。日韓併合条約の無効問題に ついては、日本側は「従来の双方の見解を参酌して、日本国と旧大韓帝国との間の条約等 が今後の両国関係を律するものでないとの趣旨を前文に挿入し、(中略一評者)韓国側もこ れを共同研究の基礎とすることに同意した。前記趣旨を挿入すべき前文の文言に関しては、 双方代表の意見が一.旦は合致し全体として殆ど妥結に到達し本会議に最後的承認のために. 討議し得るばかりの状態となった。従って本分科委員会は、その任務を終了したものと見 倣されることに合意を見た」。著者もしばしば引用している日本側の記録「日韓関係に横た. わるもの一会談決裂までの経緯をたどる一」(『世界週報』1953年11月11日号)でも、4 月2日に「全条文について意見の一致をみ、基本関係委員会は終了した」と記されている (p18)。ところが韓国側の記録である『韓日会談略記』(外務部政務局 1955年)では、日 韓併合条約の無効問題は基本関係委員会で保留されたとなっている(p50)。日韓間に合意が. 成立したという岡崎外相の報告が虚偽であったか否かの問題の焦点は、基本関係委員会で の討議の記録が日韓間で食い違っている点にある。日本側の記録が正しければ、岡崎外相 の報告は虚偽ではない。.  前記「対韓交渉の概要」には、合意の「その後に至り」韓国側は日韓併合条約の無効問 一81一.

(3) 題について「当初の主張を再び蒸し返し、再考方希望を表明した」とある。おそらく、こ の経緯が日韓間の記録の食い違いと関連するのではないかと推測される。ともあれ、筆者 が韓国側の記録のみに依拠して国会における外相の報告を虚偽と決めつけたことは慎重さ に欠けるのではなかろうか。.  以上、著者が韓国側の記録のみに依拠した結果、日本側の認識を見落としているのでは ないかと思われる事例を提示した。本書が交渉史の名に値するためには日韓双方の主張を. 公平に扱うことが必要である。第3次会談の漁業交渉における韓国側のあまりに自己中心 的な姿勢に、「韓国側のみの主張を貫徹させれば問題は困難になる」と日本側は訴えた(3)。. 同様に、交渉史において一方のみの主張を取り上げれば正確な叙述は困難になるであろう。. n.くり返される植:民地支配責任未清算論.   「第3章 1960年代張勉政権下の請求権交渉」「第4章 1960年代朴正煕政権下の請求. 権交渉」では、1960年の第5次会談と1961∼63年の第6次会談における請求権交渉が、 韓国側議事録を用いて論じられている。現時点では、請求権交渉の議事録のうち閲覧でき. るのは第5次会談と第6次会談に関する韓国側議事録のみであり、同一資料を先行研究と は異なる独自の視点でどれだけ解釈できるかが焦点である。.  論議の流れは二つに分けた方がわかりやすい。一つは、第5次会談で韓国側が提示した  「請求権八項目」(第1次会談での請求権要項韓国側案を修正したもの)をめぐる全体的な 論議である。もう一つは、韓国人の個人の請求権をめぐる論議である。.  まず全体的な論議については次のように記述される。第5次会談で日本側は「請求権八 項目」の「各項目について法的根拠の提示と事実関係の確認」を要求したのに対して韓国 側は「『植民地政策』批判」によって対抗しようとしたが充分反論できなかった(p163)。よ. って第6次会談で韓国側は「『請求権八項目』の法的根拠と事実関係の不十分な部分は相当 程度日本側に譲歩する必要があるという姿勢で交渉に臨」んだ(p194)。しかし日本側は「『法. 律関係』と『事実関係』を武器に韓国側の対日請求権をほとんど拒絶した」(p183)。こうし. て「『請求権八項目』の内容に関する議論は」事実上集結し(p194)、1962年8月からの後半. の第6次会談では日本から韓国に供与する資金の名目と金額の問題が論議された。日本側 は韓国側に「請求権」という用語の放棄を要求し「無償、有償の経済援助」で処理する方 式を提示した。『請求権には推定の数字を入れることができないので、その金額が非常にわ ずかなもの(p203)』となるというのがその理由だった。韓国側は、請求権という・名目は放棄. できない、『韓国の対日請求権の解決は、(略一評者)韓日間の不幸な過去を清算するとい う一つの象徴(p204)』であると主張した。最終的には、協定の名称は「大韓民国と日本国間. の財産及び請求権に関する問題の解決と経済協力に関する協定」となった。しかし、協定 に付随する「合意議事録」では「韓国の対日請求権」が「完全に、そして最終的に解決さ れた」ことが確認された。「名称問題では日本側が譲歩したものの請求権の法的性格では日. 一82一.

(4) 山側の意思が貫徹された(p244)」のだった。.  李元徳は「博士学位論文 日本の戦後処理外交の一研究一日韓国交正常化交渉(1951−65). を中心に 東京大学大学院総合文化研究科国際関係論専攻」(1994年)で「日本側の考えた. シナリオは、徹底した証拠論争によって韓国に請求権をあきらめさせ、経済協力の形で決 着をつけようというものだった(pl15)」と述べた(4)が、その過程は本書で具体的に明らか になったのである。.  次に、韓国人の個人の請求権をめぐる論議に関する論点をいくつか取り上げたい。韓国. 人の個人の請求権とは「請求権八項目」のうちの「5.韓国法人または韓国自然人の日本 国または日本国民に対する日本国債、公債、日本銀行券、被徴用韓国人の未収金、補償金、. およびその他請求権の返済請求」のことであり、中でも「戦争による被徴用者の被害に対 する補償」をめぐる論議が注目される。現在の「戦後補償問題」と直接関わるからである。.  著者の描く、韓国人の個人の請求権をめぐる第5次会談での日本側の交渉戦術は「請求 権八項目」全体をめぐる論議での交渉戦術と同様である。著者は「日本側は、自ら所持し ている証拠資料を提示しないまま、終始一貫して徹底した法的根拠の提示と事実関係の確 認を要求した。そうすることによって植民地支配・戦争による損失と被害の歴史を隠蔽」 したと主張する(p171)。第6次会談での論議に対しても、「議論の内容が植民地支配・戦争 による被害という本質的な問題に及ぼうとすると、議論の継続を避けようとした(p194)」と. 述べる。これと同一趣旨の文章は、新見隆「戦後補償問題と『日韓請求権協定』一『請求 権』の法的検討一」(『季刊青丘』16青丘文化社 1993年5月 東京)にもある(p69)。.  第5次会談において日本側は、被徴用者への補償の支払い方法について、韓国人徴用者 は当時日本人なので、事実関係に基づき、「日本の援護法を援用し個人ベースで支払」うと 主張した。これに対して韓国側は、「他国の国民を強制的に動員することによって負わせた. 被徴用者らの精神的、肉体的苦痛に対する補償」を要求する。個人補償を「国として請求 し」「個人に対しては国内で措置する」と反論した。著者は、今日では個人の請求権を否定. している日本政府が請求権交渉の一時期に個人への補償を主張したことを「極めて異例」 としながらも、これを「韓国側の請求権金額をできるだけ減らし問題解決を先送りにしよ うとする意図から出た(p170)」ものとする。「日本側は最終的に、被害者の名簿、負傷及び 死亡の『原因』、『程度』、被害金額の算定方法など具体的な証拠の提示立証が不可能である ことを韓国側」に知らしめ、個人補償要求を放棄させ政治的解決に追い込もうとし(p170)」. たというのがその理由である。これと同一趣旨の文章は、高崎宗司『検証 日韓会談』(岩. 波新書 1996年)(p109∼p110)と吉澤文寿「日韓会談における対日請求権交渉の具体的 討議の分析」(『一橋論叢』第120巻第2号 1998年8,月)(p296)にもある。.  また、交渉妥結後の個人の請求権に関して、韓国側は「請求権八項目」に含まれない個 人の請求権は日韓交渉の妥結後も請求できると主張した。これに対して日本側は、個人の 請求権はすべて日韓交渉で処理すべしきであると反論した。「結果的には1965年の財産請 求権・経済協力協定で日本側の主張が押し通された」。「日本の植民地支配・戦争の被害者. 一83一.

(5) らの補償問題に関して十分な議論がなされないまま、被害者の補償要求の声は日韓交渉の 議題から排除されることになった」と著者は結論づける(p194)。これと同一趣旨の文章は、 高崎宗司『検証 日韓;会談』(p122))や、吉澤文寿「日韓:会談における対日請求権交渉の具 体的討議の分析」(p300)にもある。.  以上の第3章と第4章での請求権交渉をめぐる記述を検討すると、「請求権八項目」をめ ぐる全体的な論議については先行研究にはない新たな実証的な研究がなされている。しか し、上記に示したように、韓国人の個人の請求権をめぐる論議については1990年代の先行 研究との重複を指摘でき、新鮮味に欠ける印象を与える。.  おそらく本書において著者がもっとも独自性を強調したかった部分は、第3章や第4章 ではなく「第5章 日韓条約をめぐる韓国内の葛藤」なのであろう。著者は本書の特色を 「韓国史の観点」で請求権問題を検討したことにあるとして「冷戦とナショナリズム、被 害者の権利という三つの視点(p15)」の重要性を「はじめに」で述べているが、それが集約. されているのが第5章と思われる。しかし評者は、本書の独自性は対日講和条約から請求 権問題を考えた点にあると考えており、その点について次に論じたい。. IH.対日講和条約と日韓条約  著者は請求権の概念について次のように説明している(p21)。.    元来「請求権」とは、被害や損失に対して請求する正当な権利を表し、被害や損失   の償い自体を表す賠償や補償とは異なる概念であった。請求権という用語が一般化し   ていく過程で、賠償や補償と同様の概念として、すなわち韓国の場合には、日本の植   民地支配・戦争によって国家や国民が受けた被害及び損失に対する償いそのものを示   すようになった。. 韓国が主張するこの請求権の概念を著者も共有している。本書の第3章と第4章において 著者は、請求権交渉や財産請求権・経済協力協定で日本は「植民地支配・戦争によって損 失と被害を受けた人々の補償問題を請求権問題から排除(p171)」したとする。筆者は上記の、. 韓:国側力{主張する請求権の概念すなわち「日本の植民地支配・戦争によって国家や国民が 受けた被害及び損失に対する償い」によって、請求権交渉とその結果としての財産請求権・. 経済協力協定を非難するのである。このような著者の主張を植民地支配責任未清算論と呼 びたい。.  ところが本書にはこれとは異なるもう一つの請求権の概念がある。著者は第1章で、韓 国は日本と交戦状態になかったとする米英両国の反対により韓国は対日講和条約の署名国 になりえなかった。そのため韓国が講和会議で賠償問題を提起することができなかったと. する(p63)。第2章では韓国政府は1951年に対日講和条約の一部修正に成功したものの請 求権交渉の性格を規定した対日講和条約第4条は韓国にとって不満足なものであったとし、 その理由を次のように述べている(p77)。. 一84一.

(6)    対日講和条約の第四条は、請求権の処理を両国間の「特別取極の主題とする」こと   を示しただけで請求権の内容と意味、性格を明確に提示しなかったといえる。はっき    りしていることは、請求権が日本と連合国から除外された韓国の問で処理されるべき.   ものだとしたに過ぎず、まして植民地支配・戦争による被害の清算を規定した概念で   はなかったということである。. このように、対日講和条約の第四条は「請求権の内容と意味、性格を」日韓間の将来の論 議に任せるものであり、請求権は「植民地支配・戦争による被害の清算を規定した概念で はなかった」と著者は指摘している。請求権に関する上記の指摘を受けて、著者は「おわ りに」で次のように記している(p336)。.    この第四条の規定に基づいて日韓請求権交渉が始まり、1965年に財産請求権・経済.   協力協定が締結されたのである。従って請求権交渉とその結果締結された財産請求   権・経済協力協定は、最初から植民地主義の克服や個人補償の実現をめざすものでは   なかったのである。この点が重要である。. この記述は評者にとって驚きであった。対日講和条約から導かれる請求権交渉の規定に従 えば請求権交渉や財産請求権・経済協力協定に「植民地主義の克服や個人補償の実現」は. 最初から入り込む余地はないと著者は強調するのである。これと第3章と第4章の記述は どう整合するのだろうか。第1章と第2章で示された対日講和条約に基づく請求権交渉に 関する位置づけに従えば、第3章と第4章の植民地支配責任未清算論から日本を非難する という主張は成り立たないのではなかろうか。.  なぜこのような混乱が生じたのだろうか。その理由は、「請求権交渉とその結果締結され た財産請求権・経済協力協定」の本来の性格を対日講i和条約から考えるという新たな視点 を提起する一方で、著者が韓国側の主張する請求権の概念をあくまでも基本として請求権 問題を考えている点にあるように思われる。韓国側の主張する請求権の概念は請求権問題 の全過程を通じて適用できるものではない。著者がくり返し強調したように、対日講和条 約では「請求権」は「植民地支配・戦争による被害の清算を規定した概念」ではなかった。. そして請求権交渉においても請求権問題とは「植民地支配・戦争による被害と損害の清算 を志向したものではなく、過去における両国間の財産と損害を処理するために論議された 問題であった(p78)」。つまり、対日講和条約での請求権の概念は韓国側の主張するものとは. 異なるし、請求権交渉での請求権の概念もまた韓国側の主張するものとは異なる。さらに、 実際の交渉において日本側は「『法律関係』と『事実関係』を武器に韓国側の対日請求権を. ほとんど拒絶した」と著者は述べている。韓国側の主張する請求権の概念は対日講和条約 と請求権交渉においては否定されたのである。著者は韓国が主観的に主張する請求権の概 念の実現を、客観的には実現不可能であった過去に求めているのではなかろうか。.  今後の目韓会談の研究は、請求権交渉における請求権の概念についての緻密な分析が課. 題となろう。そのためには、現在研究が集中している1960年代よりも1950年代の日韓会 一85一.

(7) 談における論議、そして1950年代と1960年代へと請求権をめぐる論議の違い、その変化 をもたらした要因一それには、米国の日韓会談への関与や日韓会談における他の交渉の進 展状況も含まれるであろう一についてさらに考察を進めることが必要である。とりわけ、. 日本が在韓財産に対する請求権を撤回した1957年12月31日の合意については、その重要 性がもっと重視されてよい。この合意により1960年代の請求権交渉では韓国の目本に対す る請求権のみが討議された。そのことが、「日本の植民地支配・戦争によって国家や国民が. 受けた被害及び損失に対する償い」という韓国の主張する請求権の概念が影響力を持つこ とに貢献したと思われるからである。.  著者の意図を別として、以上のような問題提起をした点に本書の意義はあると評者は考 えている。. おわりに.  著者は「おわりに」で将来の日朝条約の内容への提言を行い、「植民地支配・戦争への謝 罪が前文に明記される必要がある(p337)」、「日韓条約にはない個人補償条項を設けることが. 望ましい(p339)」と主張する。そして「日韓条約と日朝条約、日本と韓国、北朝鮮の関係も 東北アジアの地域共同体の一環として再考する必要がある(p340)」と希望を述べている(5)。.  しかしこの提言はどこまで現実的なのだろうか。韓国側の主張する請求権の概念は対日 講和条約と請求権交渉において否定された。筆者はその原因を、対日講和条約を形成した 当時の「近代国際社会と国際法は殖民地支配の精算と補償問題に正面から向き合ったこと はなかった(p332)」点に求めている。しかしこの状況ははたして変化しているのだろうか。. 著者は日朝条約の内容を「21世紀の水準にあわせて決定されるべき」とするが、一方で2001 年の「南アフリカで開かれた『人種差別反対会議』では(中略・評者)殖民地支配に対して (中略評者)、被害国が求めた『謝罪』と補償については何も言及もなされなかった。人類 はいまだ植民地主義を克服していない(p332)」と述べているのである。.  以上、本書を読んで考えたことを記した。評者は本書で行われた問題提起が日韓会談の 全体像の究明につながることを望むものである。. 註. (1)日韓双方の交渉議事録が公開されていない限界はあるにせよ、本書の第1次∼第3次会   談に関する記述はより緻密さが求められると考える。例えば、第二次日韓会談終了後に   「李ライン内で掌捕される田本漁船が急増(p104)」と書く一方、「第三次交渉決裂直後   から『平和線』を侵犯する日本漁船を本格的に掌溢し始めた(p324)」と書いている。こ   の二つの文章は矛盾しないのだろうか。. (2)韓国側が連合国の一員としての意識を持って日韓会談に臨んだことは、次に示す韓国側.   代表の回想録で確認できる。池鐡根『平和線』(汎友社 1979年 ソウル)(p240∼ 一86一.

(8)   p241)、愈鎮;午『韓日会談一第一次会談を回顧しながら』(外務部外交安保研究院)(p67.   ∼p68)、柳泰夏「李ラインと韓日会談」(『権五二政界秘話対談 現代史の主役たちが.   語る政治証言』 東亜日報社 1986年 ソウル)(p341)。また、『林柄稜回顧録近代.   韓国外交裏面史』(女苑社 1964年 ソウル)にも、1951年夏に葛弘基駐日代表高言   事官に送られた韓国政府の訓令には「この会談において韓国側は事実上『連合国』の   一員の姿勢で臨むこと」とあったと記述されている(p496)。なお、二品根は『水産富国.   の野望』(韓国水産新報社 1992年ソウル)で韓国側代表たちが後に「虚勢クラブ」   という名称の親睦会を作ったと回想している(p131)。この名称は、対日姿勢が「過大」.   であったことを彼ら自身も意識していたことをうかがわせるものであろう。 (3)『二日会談漁業委員会議事録(第一、二、三次会談)』(外務部 1958年) p485。 (4)この前後の文章(p165.30行∼p166.11行)と、新延明「条約締結にいたる過程」 (『季.   刊青丘』16)の文章(p41.下段6行∼23行)はほぼ同一である。李元徳の同論文には   また、森田芳夫「日韓関係」(鹿島平和研二究三編『日本外交史第28巻 講和後の外交   1 対列国関係(上)』鹿島研究所出版会 1973年忌東京)の記述を焼き直した部分が.   ある。例えば第三節の2の「平和線宣布の波紋と第一次会談」では、本文74行中26   行が「日韓会談」をほぼそのまま写したものである(うち2行のみに引用註あり)。一   例を示すと、「日韓会談が本会談に切り替わる一週間前の1952年1,月18日、韓国政府   は李大統領の名で『隣接海洋に対する主権宣言』を行った。(p33)」とあるが、これは.   「日韓会談」の「1952年1,月18日、平和条約発効の三ヵ月前、日韓予備会談が本会   談に切り替わる一週間前に、韓国政府は国務院告示第14号として李承晩大統領の名で、   次の『隣接海洋に対する主権宣言』を行った。(p41)」と酷似している。そして、森田.   の誤りと考えられる「一週間前」という表記(第一次会談の開始は1952年2月15日   なので「一ヵ月前が正しい。)も一致しているのである。 (5)著者の主張は、金泳三「二日基本条約改正論」(『韓日条約30周年学術シンポジウム 韓.   日基本条約および協定の歴史的再評価 近現代史研究所/韓国近現代史研究会主催』.   1995年ソウル)における主張と共通するものがある。同論文では、対日講和条約を   根拠としたため日韓条約では植民地問題の処理ができなかったとされ、日朝条約では   「植民地本質問題の解決に焦点をあてた条約を」締結して「この機会に韓日基本条約   の改正論を提起し」、「『南北の戦略的同盟』によって日本との基本条約をともに正しく.   結ぶことができるようにせねばならない(p77)」とされている。この論文は、日韓条約.   が対日講i和条約に規定されたものであることを認識している点において、1990年代半   ばに韓国で書かれた他のいくつかの日韓条約改定論とは異なっている。なお、著者も   このシンポジウムに参加し、太田修「請求権問題と金・大平メモ」が同書に収録され   ている。本書「参考文献」では、この太田論文および「隔日会談に関与した韓国官僚   の日本認識」(高麗史学会編『韓国史学報』第7号 1999年9,月)の執筆者は冷温元と   なっている(p403)が、誤りであろう。. 一87一.

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