ハイチ革命研究序説(I) : 黒人奴隷制,法と現実
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(2) . ハイチ革命研究序説 (1) -- 黒人奴隷制, 法と現実 --. 浜. 忠. 雄. は じ め に. 04年ハイ チ共和国 -- それは, 西半球 ではアメ 本研究は, 17 91年8月の黒人蜂起にはじまり18 リカ合衆国につ ぐ第2の独立国であり, かつ 史上最初の黒人共和国である -- の樹立に帰結した, ハイ チ革命の歴史的意義を考察することを目的としている。. 筆者の当面の関心は, ハイチ (独立前は仏領サン= ドマン グ) の黒人奴隷がいかにして自らを解. 放主体として形成しえたかを解明することにあるが, それは, かつて筆者が, フランス革命におい て 1794 年 2 月 4 日に植民地黒人奴隷制の廃止が宣言さ れるま での経緯を,主として国民議会内の論 争を中心にやや詳しく追跡したことがあり, その結果, 以下のような小括をえたことに端を発して い る。. 「黒人奴隷制問題に対するフランス革命の対応が終始受動的で徹底性に欠け, 結局, 人権宣言 の理想主義と植民地のもつ実際的利益の現実との板挟みから脱出しえなかっ たのに対して, 黒人 蜂起が黒人奴隷制廃棄の直接的契機となったという意味で, 黒人の運動には 『ロベスピエールを 含めて本国のもっ とも革命的な ブルジョワジーをものりこえた』 (ジャ ンリブリュ アによる) 契機 を 含 ん でい た。 … … した が っ て, つ ぎに 問 わ る べ き は, 黒 人の 解 放 o 独立のための主体がいかに 1 )」 形 成 さ れた か, こ れ であ ろ う( 。. 2 ) 本研究は, 以下のような構成となる予定である( 。 1。 黒人奴隷制, 法と現実 (本稿). 1 1 。 プランテーショ ンと奴隷労働 (以下続稿) m。 ハイチ革命の展開過程. I V . 近代世界史のなかのハイチ革命 註 ( 1 ) 拙稿「フランス革命の植民地問題 16 頁。. 『歴史学研究』 黒人奴隷制の廃止をめぐる論争 --」( 9号,1 975年) , ,41. ( 2 日植民地体制の構造, その中でのハイチのいわば死活的位置については, すでに )1 8世紀フランスの対外貿易や1 『北 1 )」( 4年) 3号, 1 97 拙稿 「フランス旧植民地体制の諸問題 (1)」(札幌商大o札幌短大 『論集』 , 第1 , 「同 (1 なかの ノ・ )で検討したことがあるので 本研究では 第2 1 近代世界史の 海道教育大学紀要』 7巻第2号 9 7 7年 , , , , 1 8世紀 イチ革命の意義を考察する際に総括的に言及するほかは, 再論しない. なお, 服部春彦氏の一連の研究,「 『西洋史学』 1 8世紀におけるフランス対外貿易の展 97 5年) 後半におけるフランスの植民地貿易」( , 第97号,1 ,「.
(3) . 忠 雄. 浜. 『京都大学文学部研究紀要』 9号,1 9 9年) 開過程」( 7 , 「フランスにおける経済発展」(角山栄編『講座西洋経 , 第1 済史, 1』 97 9年所収) も参照されたい. , 同文館, 1. 1, 黒人奴隷貿易 ハイ チ黒人における解放主体形成を規定する条件として, まず最初に考察されなければならない のは, 「黒人法典」によっ て大系化された黒人奴隷制の問題であるが, それに先だって, フランスに よる黒人貿易と仏領西イ ン ド植民地における人口構成の推移を, いくつかの統計資料によって概観 し て お こ う.. 仏領西イ ン ド地域への黒人導入は,普通,1 626年が最初とされるが,大西洋奴隷貿易に関するもっ とも信頼のおける数量的分析として定評のある Ph・D・カ ー テ ィ ン の 研 究 に よ れ ば (表 1, 表 2 参. 照) 00年から1810年ま での間には前世紀のそれの約9倍に相当する1 ,17世紀中に155,800人,17 ,. 1 ) 仏 領 西イ ン ドへ の 黒 人 348,400 人 と いう 大 量 の 黒 人 が, 主 と して ア フ リ カ 西 海 岸 か ら導 入 さ れ た( .. 奴隷輸入数の世界全体に占める割合は, 17世紀には11. 6%であったが, 18世紀には22 .3%0らも達 し, 英領西イ ン ド植民地にほぼ匹敵した.. フランスによる黒人貿易の歴史をみる場合, 以下の4つの画期を設定することができると思われ. る. 第 1 は, 1635 年 の マ ル チ ニ ッ ク と ガ ドル ー プ の 領 有 であ り, こ れに よ っ て フ ラ ン ス は 黒 人 奴 隷. の導入先を獲得した. ただし, いわゆる 「初期植民」 の段階における仏領西イン ドは, タバコ, カ l き カオなどの小規模栽培 -- ガストン・マルタンによれば, 「細分され, かつほ どほどの」 (morce. 2 } t mediocre )経 営( e. が 支 配 的 であ っ て, 労 働 力 基 盤 も, 当 初 は 黒 人 奴 隷 よ り は む しろ, 本 国 か. 3 } 第2の画期は 西イン ド ) に求められた( らの白人移民たるいわゆる「年季契約奉公人」 ( engage , . 表1 17世紀の地域別 黒人奴隷輸入数 麺 或. 地 世. 旧. ス ペイ ン 領. 界 アメリカ. イ ギリ ス 領 カ リ ブ海 ジ ャ マイ カ. 1601- 25. 1626- 50. 1651‐ 75. 1676- 1700. 12,8. 6.6 52.5. 3.O 62.5 69.2 8,O 51.I 10,I 28,8 3.O 22.8 3.O. 2.7 102.5. 75.O. バルバ ドス リーワード諸島. 18,7 2.O 2.5. フ ラ ン ス 領 カ リ ブ海 サ ン = ドマ ン グ マ ルチ ニ ッ ク ガ ドルー プ. 1.5 1.O. 仏領ギアナ. オラ ン ダ領. 20.7. カ リ ブ海. 20.O. デンマーク領カリ ブ海. や フ. 一 フ. 合. 、 平. 年. 年. ・ ぐ ン. 成. 長. ノレ. 100.O. 100.O. 185.O. 計. 187.8. 182.3. 368.5. 7,5 率 (%) + 2.8. 7.3 -0.1. 14.7. 均. 十2.8. 173.8 77.I 64.7 32.O 124.5 71.6 42.2 8.7 2,O 20.O 4.O 175.O. 合 計 25,1 292,5. 263.7 85.I 134.5 44.I 155,8 74.6 66.5 12.7 2,O 40.0 4.0 560.0. 602.5 1,341.1 13.4 24.1 +2.O. i t cS幻影 T ’ 復d e′A Cの嫌岱 n 2 gA加川ざ (典 拠) Ph .D.Cur ,77 i 9 69 (Mad ),p son .11 ,19. 単位 1, o o o人. +1.9. 構成比(%) 1.9 21,8 19.7. 11.6. 3.O 0.3. 41,8 100.O.
(4) . ハイチ革命研究序説 (1). 表2 18世紀の地域別黒 人奴隷輸 入数 (1701~1810年) 地. ± 或. イギリス領北アメリカ およびアメリカ合衆国 ス ペイ ン 領 ア メ リ カ. イギリス領カ リ ブ 海 ジ ャ マイ カ バ ル バ ドス. リーワード諸島. 撰さ鱒 トリニ ダー ド グレナ ダ. その他. フ ラ ン ス 領カ リ ブ 海 サ ン = ドマン グ マ ルチニ ッ ク ガ ドルー プ ルイ ジア ナ. 仏領ギアナ. オ ラ ン ダ領カ リ ブ 海. デンマーク領カリブ海 フ. ラ. ジ. 合 年. 年 (典. 平. 1701- 20. 1721- 40. 1741- 60. 1761‐ 80. 1781- 1810. 単位 1 00 0人 ,. 合 計. 19.8. 50,4. 100.4. 85.8. 91.6. 348.0. 5.8. 90.4 160,1 53,5 67,8 30,O. 90,4 198,7 90.I 55.3 44.5. 90.4 267.4 120,2 57,3 67.9. 121,9 335,3 149.6 49.3 67,9. 185.5 439,5 248.9 22,7 91,6. 578,6 1,401,3 662,4 252,5 301,9. 9,6 23,2. 33.5. 36,6. 70.I. 2.5 3.8 2,5 166.I 70.6 33,8 53.5 1,2 7,O 120.O. 2.5 3,8 2.5 191,1 79,4 42.9 53,5 8.3 7,O 80,O. 2,5 27,5 5,O 335.8 195.O 70.I 52.2 8,5 10,O 100,O. 12,4 17.3 10.O. 22.4 67,O 25,O. 2,5 14,5 5,O 297,8 158.7 70.I 53.5 8.5 7,O 80,O. 357.6 286.O 41.5 24.4 1,7 4,O 80,O. 1,348,4 789,7 258.3 237.I 28.3 35,O 460.0. ル. 6,O 292.7. 3.3 312.4. 6.7 354,5. 5.O 325.9. 3.0 605,9. 1,891,4. 計. 855.1. 926,3. 均. 42,8. 46,3 +0.4. 1,197,2 59,9. 1,309.7 65.5. 1,763,1 58.8. 6,051.7 55.O. +1,3. +0,4. -0.4. +0,8. 成 長 率 (%). 構成比 (%). +2,5. 22,3. 7,6 0,4 31,3. 24,0. 100,O. i 拠) Cur 1 6 t p n .2 . αL P ,o. 会社( 1664年),セネ ガル会社(167 3年),ギニ ア 会 社( 16 85年)など一連の特権 貿易会社の設立 労働 . 力の集約性を必要とす る砂糖, コーヒー栽培の導 入と普及は, 黒人貿易の組織的かつ本格的な展開 を促がした。 そしてその結果, 黒人奴隷を基本的 労働力とするプランテーショ ンが在来の小規模経 営を駆逐して, 支配的な経営形態となった。 第3. 0 0 0 .. . メノ 魂 モ「 勢 ン - ′ ‐ ′ 、 . / B / Ba b ′ do r a s/ r ′ . ’. × × ー - ′-- ※〆ス. ; 三 ≧ ≧ ; 愛 養 こ 老 ”多 叩, . 〆. に, サ ン = ドマ ン グの 獲 得( 1697 年)。 サ ン = ドマ. ングは, マルチニッ クとガドループの合計面積の 10倍に相当する(約2 8,000平方キロメートル) , 仏領西イ ン ド最大の植民地であり, 加えて, この 4 )以来ほとん ( 地はいわゆる「インディ アスの破壊」. ′ /》. ど開拓されずに放置されていたものであっ た。 第 4は, 18世紀後半とりわけ七年戦争以 降. フラン. 』 . . 1 ′ . スの黒人貿易は1 8世紀に 入っ て飛躍的に増加す るが, 世紀前半においてはなお 年平均6 ,000人な い し 8,000 人の 水 準 で あ っ た。 しか るに, 1760 年. 代から7 0年代,80年代へと時代が進むにつれ,年 平 均 で15,000 人か ら 20 000 人,30 000 人 へ と 急 , ,. 1 0 0 0人 , 1 6 5 0年. 1 6 7 0. 1 6 9 0. 1 1 0 7. 1 7 3 0 1 7 5 0. 1 7 7 0. 1 7 9 0. 図1 カリブ海主要植民地の黒人奴隷人口の推移 i (典拠) Curtin,op.cZ .56 . ,78よ り 作 成 ,pp.
(5) . 浜. 忠. 雄. 5 ) また この 時期の黒 人 上 昇 し, こ う し て, フ ラ ン ス の 黒 人貿 易 は そ の 最 盛期 を む か え る の で あ る( , .. 貿易がほぼ完全にサン= ドマン グに集中することも重要な事実である. 黒人奴隷導入においてサン= ドマン グは明らかに後発の植民地であっ たが, 図1が示すとおり, ほぼ17 30年代には西イ ン ドでは最大の黒人奴隷人口を有する植民地となっ た.フランス革命前夜の サン= ドマン グの黒人奴隷人口は 452,000 人と 推 定 さ れ る が, こ れ は, マ ルチ ニ ッ ク の 83,400 人, ガ ドルー プ の 85,500 人をはるかに上まわるだけ ではなく,英領西イン ドで最大の植民地たるジャマ. イカ ( 1787 年 で256,000 人) を も しの ぐも の であ っ た. しか も, 1平 方 キ ロ メ ー ト ル あ た り の 黒 人. 人口では, マルチニ ックが75人, ガドループが48人と, いずれもかなり高い密度を示し, ほぼ飽 和状態に達していたと思われるのに対して, サン= ドマン グの場合はわずか17人にす ぎず, なお多 量の黒人奴隷を吸収できる 余地を残していたのである.. 最後に, サン= ドマン グの白人, 有色自由人を含めた人口構 成の変動をみておきたいが, 残念な がら, これを系統的に追跡した研究が存在 しない. そのため, ここでは, 被見の範囲での研究文献, 6 )によ って 2・3の特徴点を指摘するにとど 史料から得られた断片的な数字を機械的に並べた表3( ,. めさ る を え な い.. 表3 年次 1681 1687 1700 1701 1715 1739 1740 1754. 1759 1763. 白. 人 4,336. 1775 1777 1779 1780 1787 1788 1789. 1791. 有色自由人 210. 500 1,500 11,540 14,258. 14,060 4,861. 12,000. 1764 1765 1770 1774. サン= ドマン グにおける 人口構成. 20,247 20,247 32,650 32,650. 6,000 6,036 6,036 7,055 12,000. 27,717 28,000 35,500 39,000 40,000. 21,808 22,000 26,600 27,500 28,000. 黒人奴隷 2,102 2,000 3,400 20,000 117,400 117,400 172,548 172,200 230,000 104,839 108,539 206,539 206,000 200,000 223,625 240,095 240,095 300,000 240,000 249,098 249,100 364,196 405,564 405,000 400,000 452,000 452,000 452,000 460,000 480,000. 出. 典. l Vi s gno i Cur t n St oddard St oddard Stoddard Stoddard Cur i t n i M 【 t ar n e l Rayna . ,2ed i Cmr t n Stoddard i Fros t n i Fros t n Tar rade i M [ t n ar e Cur in;Rayna l t ・ ,2ed Tar rade Fros i t n Stoddard Fros i t n Tarrade e Rayna l . ,3ed i Cur t n Necke r i Cur t n St oddard Tar rade Tar rade Stoddard St oddard St oddard St [ さry; Bruhat .-N Cu i t r n Fros i t n i Cur t n.
(6) . ハイチ革命研究序説 (1). 黒人人口については,1 8世紀以降とりわけ176 0年代と1780年代に急激に増加する事実がここで. も確認できる. しかし同時に, 各年次の人口が, それまでの黒人奴隷輸入数の累計をかなり大幅に 下まわることに注目したい。 例えば, 前掲表2によれば,1 1年から1780年ま での黒人奴隷輸入数 74 の 合 計 は 353,700 人と なる が, 同 期 間 の 黒 人 人 口 は, 約 120,000 人か ら約 250,000 人へ と, わ ず か. に1 30 ,000人増加したにす ぎないのである。 植民地における出生増もあっ たことを考慮すれば, い. わゆる 「消耗率」 はきわめて高い数値となるはずである。 8世紀中葉には1万数千人, ついで白人人ロをみると, これも17世紀末に数千人だったのが, 1 89年の時点での白人1 1770年代には3万人台,1 789年には4万人へと着実な増加を示している.17. 人あたりの黒人奴隷数は約11人であり, 黒人奴隷制植民地に特有な歪つな人口構成となっ ている。. しかし, この比は, 多少の増減はあるものの, どの時代をとっても大きな変化がなくほぼ一定して いる。 これは, 北部から始まっ たサン= ドマン グの開発が南部, 西部へと拡がるに ,あたっ て, 黒人 プ パ 奴隷輸入とフランス人 ランターの移住が ラレルに進行したことを裏付けるものである。. 最後に有色自由人人口。 表3 でみるかぎり, ひときわ注目されるのは1780年代に急増することで ある。有色自由人1人あたりの黒人奴隷数は,1770年代ま ではほぼ35~40人前後であっ たと推定さ. れるのが,1 8人,17 89年には16人程度に減少することに なるの である。 有色自由人の 788年には1 構成の詳細あるいは178 0年代における増加の背景については, のちに改めてふれることにするが,. ここでは, サン= ドマン グにおける有色自由人が, 少なくとも革命前夜には, 他の西イ ン ド植民地 6 ) のそれに比べてかなり高い比重を占めることとなった事実を確認しておきたい{ 註. i βαれo 云 1 ( ) H.Des s e d凝 れ〆将 dB/セれ云中〆『 s 知“鴛,Par champs .288一289 .もカ ー , 且鰭〆惚 dB 超 T旭〆 ,1971 ,p. ティ ンの数字を踏襲している。. i in ば t ( 2 ) G, Mar s z”鍵 盤s S おz B .マ ルタ ンは, 1687 年の統 ,Par ,1948 ,p.27 , 猛禽わケβ 叱 /セsαα粥暫e dαれs 卿 のあれ. 計をもとに, 当時の仏領西インド植民地の1経営あたり労働力を, 7~8名と計算している。 ix mo i t ) と称せられた仏領西インド植民地 s an ま た は 「36ヶ月」 ( rent e ‐ s ( 3 ) 「3年奴隷」 (esclave de troi s ’ “しe A l l i l i i ime t essousl s s n esFranca s anc enreg の「年季契約奉公人」につ いて は, さ しあ たり参照, L.Vigl lo . , ’ ’ 尺 旦 E S t 16 1928 ’ t i i 1626一1774 ASPec tut ) t ondesEngages( sをconomi au× quesetsoci ,12- . Lins , . . . . ,. , ,Pp 45 .. Z i d 4 o s y,Madr ( ) P.Chaunu,Lα ESPα“α 戊 CQr .57は, サ ン ト・ ドミ ン ゴ 島に おけ るイ ン ディ オ 人 .1 ,1976 ,t ,p. 口 を 次の ように 試 算 して いる。1492年 : 9~10 万 人,1509/10 年 : 6万 人,1512年 : 3 万 人,1518 年:1.5 万 人, 1540 年 :250 人, 1570 年 :125 人。 ’ ( 5 ) Jean Tarrade ””c彩れ 〆窮み〃β ‘〆客おz edβ β 超 Fmmgd 超 万れ 露 ′’ , 乙 百那加Zわれ 直 ,乙Bcのれ伽eだe のあれ如/〆 ‐ l i i 63 4 万泡9,2vo 1,p ZE北海sヴ》 〆e ヱ7 s sり Par 《 .759 . ,1 ,1972 ,t l i t t i t ( n 6 ) 表 3 の 作成に あ た っ て 筆 者 が参 照 した文 献は 以 下 の とお り である。 Vig l o s l . .14 , 物. ,ar ,pp ,36;Cur R 1; Z F れ 尺 粥 わ Z S D 勿 1 9 1 4 1 9 0 W ′ 5 0-5 ”ん p T L S d d d T 7 t t 7 8 云 7 2 の間 go, e 惚”じ eの ” ” Q . . . ; . . to ar , Z , ep , espor,pp 窮め 膚 崩 す d ば 1 1 2 4 G T F R l 旦声わか Z 窃物産 Z 云〆 i 0 3 Mar 云 t O s s s ’ 雛 7 2 se ” a n a eP s o 力 ‘ 〃e P 【 e e e 8 n の 堺 影 ; . , . y , . , .c . ,PP ,o eed 1780 Geneve ef L H 6 3 2 d 1 4 5 1 5 5一1 5 3 7 7 t 0の彰“s dαれsZ e s dg z ‘ 尤 お2de s a a e の粥削げc e de s E“7 P P y . . ,. , . , , , , , , , ’R j ’ ” l l int r in tl t t t a mき roPo e onsdeSa ‐Dominguee , .237 ,397 .Fros .7 .224;Ch , .う ,t ,1967 ,PP ,402; ,p , LesCo ’ ’i “ imi l i i i lon ia l Tarrade en Robesp er re und d e Ko eme probl . ,44-48;J . “『 .1 ,Bruhat , n: ,pp , Max ,t ,op ’ l i i 肌僻みれZ Z Z 94,Hrsg r n ’溺れ寿 S声erだ,ヱZ58-ヱ7 eれ RobB .Necker .von W. Markov ,Be ,1958 ,S.118;J ,De′”〆 i Zm霧oれ de s万加れc e s de 如 乃′の乞 c e nt ‐Mery sc打翻す o”Z op曙”ゆ 廟q“〃 ,1 ,171; MoreaudeSa , ,1784-1785 ,t ,p ,De ’ ′ 粛 d 超 m Z sの 物 “ d / 忍 d D P h i l d 云勿鰯 霧 P毎諺q姥, α諺/ 〃 P o 粥 o ” 惚 e e e e e g 夕‐ om g”〃 a l 々 e q 〃 e Pα e方 ’ばαs phi , , ,1797- 1798 . .1 .5 ,t ,p. ( 7 ) E・ウィ リア ム ズに よ れ ば, 有 色 自 由 人1 人あ た り の 黒 人奴 隷数 は, ジ ャ マイ カ(1787 年)64 , バ ル バ ドス(1786 1787 年) 1.7 であ る. E・ウ ィ リ ア ム 1785年) 21 年) 74 , キュ ー バ ( , ドミニ カ 島 (1788 年) 33 , グレネイ ダ (. ズ著, 川北稔訳 『コロンブスからカストロまで, 1』(岩波書店) 5頁, , 24.
(7) . 忠. 浜. 雄. 2. 「黒人法典」 1685年3月に制定さ れた 「黒人法典」 の逐条抄訳は以下のとおりである. 法典制定の時点でフラ. ン ス が西 イ ン ド (ま た は ア メ リ カ 諸 島) に 有 し た 植 民 地 は マ ル チ ニ ッ ク, ガ ドル ー プ, サ ン ト・リ ュ. シ ー, ト バ ゴ の 諸 島 で あ る が, 法 典 は, の ち 1697 年 に フ ラ ン ス 領 と な っ た サ ン = ドマ ン グに も 適 用. された. 法典は, 17 94年2月 4 日にフランス革命の 議会 (国民公会) が黒人奴隷制の廃止を 官言す るま で, 存続した. なお, 「黒人法典」の訳出にあたっ ては, 次のふたつの史料集に収録されたものを利用し, あわせ て, 必要最少限の訳註を付した.. D s t( きd ) s β s Aれα鋤s Lo禽 Fm”FαZ ① Jourdan samber . par , Re鰯 のZ G貌彦粥Z dβ , ecrusy et l ’ dゆ“Z 2 48 ヱZ89,tome XIX,pp S Z壱% 420 メ硲q“α 彰 尺βの 初 物7 . .494一504 F C わ” d Me L 禽 S i M d 窃 C伽魂初物郡 es o βs 粥”‘”盤s 叱 ‘乳 伽 彰勾”gso閑 ② oreau e ant - w, D i 一424 を も乞”云 一1790 ne1 s ・ .414一 ,PP ,Par ,ton ,1784一. 黒. 人. 法. 1685年3月) 典(. 文 アメリカ諸島にローマ・カトリ ッ クの宗規を維持し, かつ当該諸島の奴隷の身分について 定めるため, 以下のとおり制定する. 第1条 当該諸島に居住するユ ダヤ人の追放を厳命する. ユ ダヤ人はキリスト教徒の敵 であり, 本 法典の公布から 3 ヶ月以内に退去することを命ずる. 違反者は身柄を拘束し, 財産を没収する.. 前. 第2条. 第3条 第4条. 奴隷はすべてローマ・カトリッ ク教により洗礼され, 教道される. ローマ・カトリ ッ ク以外の宗教の公の礼拝を禁ずる. 違反者は叛徒として罰せられる. 黒人の教道に監置塗るを充ててはならない. これに違反したとき, 奴隷は没収される.. )は, 奴隷の労働や生活の全般を監督すべく奴隷主により任命された人物で, 聖職者 ①「監督者」( commandeur ではない. しばしば黒人奴隷からも奴隷身分のまま登用されている,. 第5条. 新教徒は, ローマ・カ トリ ッ ク教徒とその奴隷の なかに, いかなる混乱, 妨害ももちこん. では な ら な い.. すべての臣民は, 日曜日と, ローマ・カトリ ッ ク教が定める祝日を遵守しなければならな い. 当該日に労働し, あるいは奴隷を土地の耕作や砂 糖の製造等のために就労させてはならない. 纂ヱ冬拳 同 じく当該日に, 黒人およ びその他の商品を取引きするの を禁ずる. 第6条. 0月 13 日の王令により廃止された. 参照, 6年1 ②この条項は, 白人コロンや貿易商人の不評をかったため, 168 ズ粥”o int z Sa 7 2 s 7 2 s ‐N[もコ y .1 .447-448 ,t ,pp ,LDな 鑑 Co. 第8条. ロ ーマ・カトリッ ク教以外の者は適法な婚姻をなしえない. その子供は私生児とみなされ. る.. 女奴隷と内縁関係にあって子供を持つ自由人には, これを黙認した奴隷主とともに, 砂糖 2千リー ブル重③の罰を科す. 当人が女奴隷の主人であるときは, 女奴隷と子供を施療院に容れる こととし, 女奴隷と子供は決して解放されない.④ただし, その自由人が他に 婚姻を結んでいない ときは, 教会が定める形式に従っ て, 当該女奴隷と正式に 結婚することができる. その場合は女. 第9条. 奴隷は解放され, 子供も自由に して嫡出児とみなされる. l i ③ 1リ ー ブ ル重 ( vr e) は 約 500 グラ ム.. ‐ 36年6月 15 日 の 王 令に よ り 廃 止さ れ,こ の 場 合 も,母 子 と もに 解放 さ れる こ と と な っ た.Saint ④この箇所は,1 7 1 1 Z粥霧o N[ z きry 7 s 7 2 s 2 . .453-454 .1 ,Pp ,t ,Lo沈 鍔 Co. 6.
(8) . ハイチ革命研究序説 (1). プロワの王令および16 39年11月の宣言⑤が定める婚姻手続は, 自由人同様, 奴隷にも適 用される。 ただし奴隷の両親の同意は不要で, 奴隷主の同意があればよい。. 第10条. 16 3 9年11月の宣言」 とともに, 刑・私法関係, 家族・婚 5 79年に制定されたもので, 「 ⑤ 「プロワの王令」 は1 姻関係などについて網羅的に規定している. 婚姻手続にかかわっては, 前者は管轄主任可祭および2名ないし 5歳までについて両親の同意の必要を規定している. 3名の証人の面前での合意の必要を,後者は男30歳,女2 9 0年) 07~509頁. 7 参照, 野田良之 『フランス法概論, 上巻』(有斐閣, 再版1 ,5. 奴隷主の同意が不明のとき, 司祭は奴隷の結婚式を挙行してはなら ない。 また, 奴隷主は 不本意な結婚を強制してはならない。 第12条 奴隷同士の結婚により出生した子供は奴隷であり, 両親が主人を異にするときは, 父方で 第1 1条. はなく, 母方の奴隷主に帰属する。 第1 3条 奴隷身分の男性が自由身分の女性と結婚したときは, その子供は男女とも, 父親が奴隷身 分であるにもかかわらず, 母親の身分を踏襲して自由となる。 父親が自由身分で母親が奴隷であ るときは, 子供は奴隷である。 第14条 奴隷主は, 洗礼を受けた奴隷が死亡したとき, キリスト教徒の墓地に 埋葬しなければなら ナ まし・ 。. 第15条 第1 6条. 奴隷はいかなる武器も所持してはならない。 違反者は鞭打ち刑に処する。 奴隷主を異にする奴隷は, 昼夜, 婚礼等の別なく, 寄り集っ てはならない。 違反者は体刑. に 処 す る。. 第17条. かかる集合を許可ないし黙認した奴隷主は, しかるべく罰せられる。 初回は10リー ブル,. 2回目以降はその倍の罰金を科す。. いかなる場合でも, 奴隷が砂糖キビを販売するのを禁ずる。 違反者には鞭打ち刑, これを 許可した奴隷主および購入した者には, 各々10リー ブルの罰 金を科す。. 第18条. 奴隷は, 奴隷主の証明書またはマークがなければ, 果物, 野菜, 家畜飼料, 製品などいか なる商品も販売することはできない。 違反商品は没収される。 第2 0条 奴隷がもちこむ商品, 証明書, マークの検査官を各市場に2名 配置する。 第19条. 諸島の臣民は, 奴隷が証明書またはマークのない商品を所持 しているのを発見したとき, これを押収しなければならない。. 第21条. 奴隷主は, 毎週奴隷に食料を与えなければならない。10歳以上の奴隷には, マニオク粉2 壷半または1個2 .5リー ブル重のカサ バ粉のパン3個, あるいはこれに相当する物。 塩漬牛肉2. 第2 2条. リー ブ ル重または魚肉3リー ブル重, あるいはこれに相当する物。10歳未満の子供には 各々 の半 分の量。. 第23条 第24条. 奴隷主は, 前条に定める代替物としてラム酒またはタフィ ア酒を与えては ならない. 奴隷主は,上記の食料供与を,奴隷に自分の計算で働くことを認めることをもってしても,. 免 が れ る こ と は な い.. 第25条. 奴隷主は, 奴隷に年2着の 亜麻製服または亜麻布4止;〆⑥を与えなければならない。. ) は約 1・2メ ー トノレ ⑥ 1 オー ヌ (aune .. 第26条. 前条までに 定める食料,衣服を与えられないとき,奴隷は検察官に 提訴することができる。 老令または病弱な奴隷は奴隷主によって養護される。 これらの奴隷を手放すときは, 奴隷. 第27条 主はこれを施療院に容れ, 1日6る;⑦の養護費を支払うものとする。 l ) は 20 分 の 1リ ー ブ ル. ⑦ 1 スー ( sou ま た はso. 第28条. 奴隷は, 奴隷主の所有にかかる物を一切所有することができない。 勤勉な労働ま たは他の.
(9) . 浜. 忠. 雄. 人々からの恩 恵によ って奴隷に与えられた物もすべて奴隷主の所有となる. 第29条 奴隷 主は,自らが下した命令に よって奴隷がとっ た行動については責 任を持たなければな ら な い.. 奴隷は, いかなる公職に も就くことができない. 主人以外の代理人にも, 仲裁人, 鑑定人, 民事・刑事の証 人⑥にもなりえない.. 第30条. i t n ‐Mew,Lo禽 鑑 C創 立“諺あれs,t .448 . ⑧ 1686 年 10月 13 日の王令は, この部分を削除した. 参照, Sa .1 ,p. 第31条. 奴隷は, 民事訴訟における一方の当事者, およ び刑事訴訟における損害賠償請求人にはな. り え な い.. 奴隷は, 犯罪を犯したとき, 起訴される. ただし, 奴隷主が共犯のときはこの限りではな - い. 奴隷に対する予 審およ び上訴の審理は, 自由人の場合と同じ形式によっ て行なう . 第33条 主人またはその家族に暴行を加え, 致傷または出血に至らしめた奴隷は死刑に処す. 第34条 主人以外の自由人に暴行を加えた奴隷は, 最高死刑までの厳刑に処す.. 第32条. 奴隷または解放奴隷による重窃盗 (馬, ラバ, 牛など) には最高死刑までの体刑に処す. 第36条 奴隷または解放奴隷によるその他の窃盗(羊, 山羊, 豚, 鶏, 砂糖キビ, エン ドウ豆, ト ウモロコシ, マニオク, 野菜など) には, その程度により最高鞭打ちと百合の熔印ま での刑に 処. 第35条. す. 第37条. 第38条. 奴隷主は, 奴隷が犯罪を犯したとき, 被害者に損害賠償しなければならない. 1 ヶ月以上逃亡した奴隷は, 両耳切除と片肩に百合の熔 印刑, 再犯者は膿騰切断ともう一. 方の肩への熔印刑, 再々犯者は死刑に処す. 解放奴隷が逃亡奴隷を匿まっ たときは, 1日につき砂糖3千リー ブル重の罰 金, 他の自由 0リー ブルの罰金を科す. 人による場合は1 日につき1. 第39条 第40条. 主人の告発によっ て処刑さ れた奴隷について, 当該主人が共犯でなければ, その奴隷の評. 価額を補償される。 第41条 裁判官, 検事, 書記官は, 奴隷に 対する刑事 訴訟において, 訴訟費用を受領してはならな し\. 奴隷主は, 必要と判断したとき, 所有する奴隷を鎖につなぎ, 鞭または縄で打つことがで きる. ただし, 拷問, 身体の切除は禁ずる. 第43条 奴隷主あるいは教道者が奴隷を殺した場合は, 訴追さ れ, 残虐さの程度に 応じ, 最高殺人. 第42条. 罪までに処す. 第44条 奴隷は動産 であ る. ゆえに, 動産として夫婦の 共有財産となり, 相続のときは, 長子が先. ,取りすることなく均分相続される. ただし, 匡墓基奮お 「封建的・家産買戻」 , 「領主的o封建的 権利」 の対象とはならない。. doua i t )とは, 未亡人となった女性が夫の相続人に対して共有財産中の自分の持分に r umi e ⑨「後家分」( r ecou 9頁. 対して権利主張し, また夫の財産に対して用益権を要求することをいう. 参照, 野田, 前掲書, 25. 第45条 第46条. 奴隷に関する約定は他の動産と同様に 行なわれる. 奴隷の差押えは他の動産と同じ形式 で行なう. ただし, 以下の例 外をもうける.. 同一の奴隷主の下にある奴隷の家族を別々に 差押え, 売却してはならない. 0歳までの奴隷を差押えようとする 第48条 砂糖園, コーヒー園および居住地⑩に働く14歳から6 ときは, 地所ごと差押えられるの でなければならない. 第47条. lantat i ion tat ) はp on と 同 義 で用 い ら れる の が普 通 であ る が, こ こ では, 耕作 地 を 除く, 奴 ⑩ 「居住地」 (habi 隷主宅, 奴隷小屋, 倉庫, 砕断場などのおかれた場所を指している..
(10) . ハイチ革命研究序説 (1). 第49条. 奴隷と一緒に差押えられた砂糖園, コーヒー園あるいは居住地の法律上の請負人は, 差押 え期間の全額を支払わなければならない。 第50条 差押え期間中に生まれた奴隷の子供については,債権者がこれを認めるときは債務者に属. する。 そう でないときは債権者に属するものとする。 第51条 差押え財産の売上げを分配するときは, 土地と奴隷を一括して, 債権者間で, その権利に. 応じて行なわれる。 第5 2条 封建的・領主的諸税は, 地所価格に応じて課せられる。 第5 3条 地所を回収しようとす るときは, 同時に奴隷を回収しなければならない。. 第54条 地所の管理人, 用益者, 賃借人は, 善良なる家父として奴隷を管理しなければならない。 第55条 2 0歳以上の奴隷主は, 所有する奴隷を, その生前行為または死亡に際して, 解放すること ができる。 その場合, 解放の理由を説明する必要はなく, また当該奴隷主が25歳未満であっても 両親の同意を必要としない。 奴隷主によ って包括受遺者, 遺言執行人, 子供の後見人に任命された奴隷は解放されたも. 第5 6条. の と み なさ れる。. 第5 7条 第5 8条 第5 9条 第60条. 解放奴隷は, 王国の臣民たろの権利を享受するのに解放状を要しない。 解放奴隷は, かつての奴隷主に対し特別の尊敬を払わなければならない。 解放奴隷には, 生来の自由人と同じ権利が付与される。. 本法典の規定により没収された物品および罰金は, 用途に特別の定めのないときは, 国庫 に収められ, そのうちの3分の1は施療院に与えられるものとする。. 3。 黒人奴隷制の現実 サン= ドマン グにおける黒人奴隷制の実態 はいかなるもの であったろうか 本研究の課題からし 。 て, 黒人奴隷制の現実, あるいは黒人奴隷の 「生活史」 といったものを検討しておくことは不可欠 である。 しかしながら, 利用しう る史料が決定的に不足しているため 全面的かつ細部に立ちいっ , た解明は不可能と いっ てよい現状である。 そのため, ここ では 検討の中心を次の2点0 こ限定せ ざ , るをえない。 すなわち, ひとつは, 「黒人法典」 の内容に即した主として制度上の諸問題 (本章) , いまひと つは, プランテーショ ンの構造とその下 での奴隷労働の在り方の分 析 (次稿) である そ 。 れによっ て, 黒人奴隷制の現実に部分的ながら照明を与えることにはなるであろう 。 1 ) ①ロー さて, 前章に抄訳した「黒人法 典」の内容を整理すれば, 次のようにすることができる( 。 マリカトリ ックの規範(前文, 第1条~第8条, 第14条) ②出生上の身分規定( 第9条~第1 3条) , , ③奴隷の服務規定(第15条~第21条, 第33条~第43条) ④奴隷主の義務規定 主とし ( て第22条 , ~第27条) 4条~第54条) , ⑤奴隷の法的身分規定 (第28条~第32条, 第4 , ⑥奴隷解放規定(第 5 5条~第59条のほか第9条, 第1 3条) 以下 各項目 にそっ て検討しておく。 , . ①. ロ ー マリ カ トリ ッ クの 規 範. 「黒人法典」 の全体を貫いているのはローマoカトリ ックの規範であり 植民地支配のみならず , , 黒人奴隷制もまたかかる宗教的大義によって 「正当化」 されているの である . 法典は, ユダヤ人の追放とユグノーな どローマ・カトリッ ク以外の宗教を禁止しているが この , 時点でどの程度の ユダヤ人あるいはユグノー が仏領西イ ン ド植民地に居住していたか 詳細は判ら ,.
(11) . 浜. 忠. 雄. 8世帯, 家族と奴隷を含める ない. S・T・マクロイの指摘によれば, 1685年のマルチニ ッ クには4 定後に離島し, 英領またはオラン ダ領植 と合計1 ,067人のユ グノーが居たが, 彼らの多くは法典制 2 ( ) 民地に移住 したという . マクロイの数字を信頼する なら, それは, 約16 ,000人と推定さ れるマル チニ ッ ク総人口の6%であり, フランス本国の場合おおむね10%程度と推定されるのに 比べれば, 3 ) 周知のように ユ グノーの信仰の自由を条件つき で承認したナント勅令( 15 98年) やや低率である( , . 685年10月, つまり「黒人法典」 は, のちにフォ ンテーヌ プロ勅令によ って廃止されたが, それは1 から半年後のこと である. フランスが本国に 先がけて西イン ド植民地にローマ・カトリックの厳格 な適用を試みたことのうちには, 植民地支配の確 立の重要な一環 であっ た, 外国勢力なかんずくオ ランダの影響力の排除が意図されていたと考えられる. その意味で, 「黒人法典」は西イ ン ド会社の ’Exc lus i f ) の 採 用 と 同 一 線 上に 位 置 t emedel s 設立や貿易独占体制としてのい わゆる 「排他制」 ( ys 4 ) づ け ら れ る であ ろ う( .. さ て こ こ で, ロ ー マ ・ カ トリ ッ ク が 黒 人 奴 隷 に よ っ て どの 程 度 受 容 さ れ た も の か, と いう 点 を 問. 題にしておきたい. なぜなら, きわめて初歩的な問題である言語上の障害のゆえに, いわゆるクレ 5 )が創出さ れなければならなかっ たという事情を想起するだけ でも, 懐疑的になら ざるを オール語( え な い か ら で あ る.. 奴隷主が資産目録の一部として作成した「奴隷名 簿」が, 主として18世紀後半のものに限られる 「名簿」には出生地, 年齢, 評価額などが記載さ れており, プランテー が, 少なからず残っ ている ( ショ ンの構造, 労働力構成等の分析にひとつの有力な手がかりを与えてく れるが, 詳しくは次稿で 6 ) 「名 簿」 では ごく わ ず か の 例 外 を 除い て フ ラ ン ス 人 の ク リ ス チ ャ ン・ネ ー ム で記 載 さ ふ れ る)( , , .. れていることから, 出生または購入後まもなくほとんどすべての奴隷に洗礼が施されたとみてさし つ か え な さ そ う で あ る. だ が, こ の こ と を も っ て, ロ ー マ ・ カ ト リ ッ ク が 奴 隷の 魂 を 内 奥 に お い て 捉 え て い た と す る こ と が で き な い の は, いう ま でも な い. 第 “こ指 摘 し な け れ ば な ら な い の は, ブー. ドゥ ー 教 (Voodoo) の 存 在 で あ る. 今 日 の ハイ チ が, 公 式 に は カ ト リ ッ ク の 国 (プロ テ ス タ ン ト は. 1割程度) であるが, 国民の宗教生活に絶大な影響力をもっ ているのがこの ブー ドゥー教であるこ 7 ) アフリカにおける精霊信仰に起源を有する ブー ドゥ ー教が とは, よく知られているとお り である( . 植民地時代の どの時期に 形成さ れたかは, 確定さ れていないが, 1791年8月の 黒人蜂起の指導者 ) が, ほ か な ら ぬ ブ ー ドゥ ー 教 の 祭 犯 を 自 称 す る 人 物 であ っ た こ と を, と ブ ッ ク マ ン (Boukmann. りわけ重視しておきたい. また, これとかかわって, 黒人奴隷の間にはキリス ト教とは異質な死生 観があっ たといわれることに も注目したい. アフリカ黒人が奴 隷貿易船の中で, 絶食や投身, ある いは舌を噛み切ることなどによっ て, 自ら命を絶つことが少なくなかっ たことはよく 知られた事実 であるが, G・ミ ドロ・ホール女史の研 究によれば, そのような行為は植民地においても頻々 みられ, shanging) さ え 行 な わ れ て い た と またとくにイ ボ族出身の黒人奴隷に あっては, 「相互絞殺」 (mas. t ransmigra- い う. 女 史に よ れ ば,ア フ リ カ 黒 人に と っ て 死 は,祖 国 や 家 族,同 胞 の 許 へ の「魂 の 復 郷」(. ion o t fs l ) ou. を意味したから, 自殺はきわめて積 極的な行為であっ て, 逃亡と同様に, 「反抗」 の. 8 } - 形 態 に ほ か な ら な か っ た の であ る( .. 他方, 奴隷主の側も, 奴隷の「教道」に 必ずしも積極的であっ たわけではないという事情もある. 奴隷主にとっては 生産と富こそ第1であ っ たのを別にして も, 「真黒な肉体」の持主との宗教的同化 を忌避する感情は 根強く存在したし, あるいは, 「ローマ・カトリ ッ クは奴隷の なかに平等の観念を 9 ) 植え付けかねない」 とする者もあったといわれる( . 性急な結論は慎しま なければならないとして も, 黒人奴隷の宗教生活のうちに, 形式における力 トリシ ズムと実質における ブー ドゥ ーイ ズムの 二元構造を看取することは許されるであろう.. 10.
(12) . ハイチ革命研究序説 (1). ②. 出生上の身分規定. ここ では, カトリ ッ クへの改宗を条件として, 奴隷の結婚が承認されていること, また第13条に よって出生によ る奴隷解放の可能性が承認されていることが重要 であ る (奴隷解放の問題について は⑥でまとめて再論する) 。. 「奴隷名 簿」 のなかの子供の欄には母親の名前 が備考として記入されるのが普通である そして 。 母親の名前の多くは同じ名 簿のなかに確認できる (名簿に発見できないケースもあるが その母親 , はおそらく死亡したの であろう) 。 これから判断すると, 成人女性の大部分は結婚歴を有するものと. 考えてまちがいなさそうである。 父親の名前は記載されることはない 子供の身分を規定するのは . 母親の身分であること (第1 3条) また結婚が他の奴隷主に所 属する者との間でなされた場合も , ,. 子供は母親方の奴隷主に帰属するとさ れている (第12条)から, その限り ではさしあたり, 父親の 特定を必要としない。 しかし, 奴隷の家族の分売を禁止した条項(第47条)との関係 では不都合が. 生じるように 思われる. そもそも, 奴隷同士の結婚がはたして 家族の形成に結果したのかどうか , 判然としない。 奴隷主を異にする者同士の結婚は, 父親と母子とが分離されるから, 家族が形成さ. れることがないことは明らかである. 問題は, 奴隷主を同じくする者同士の結婚の場合である 奴 。 隷の住居に ついて詳細が判れば, 有力な手がかりがえられるはずであり そして いわゆる 「奴隷 , , 小 屋」 (case a n egr ) の規模や構造を知 るための史料も20 3存在するが, この点までは言及し es 1 0 ) した が っ て 今 後 の 解 明 に ま つ ほ か な い た だ し 「名 簿」に 記 載 さ れ る 奴 隷 て い な い の であ る{ 。 , , .. 名 に は, い わ ゆ る フ ァ ミ リ ー ・ ネ ー ム が な い 事 実 を 付 言 し て お き た い 。. 奴隷と自由人 (白人または有色の自由人) との結婚も認められるが, 法典は, 白人が黒人女性ま たは混血女性を内縁の妻とするのを制 限する特別の条項を設けている(第9条) しかし, 白人人口 . は一般に男性が女性を大幅に上まわる。 たとえば, 175 4年の白人人口は, 男性が9,261人であった 1 1 ) こ の 約 2 対 1 の 比 は どの 時 代 も 大 差 が な か た と 思 わ れ る の に 対 し て 女 性 は 4,997 人 であ り( っ , .. そのため, この制 限条項はほとん ど無視され,17 36年には第9条に部分修正がほどこされることと なる(訳註参照) ベ ちなみに ド ーユは ルト 1 44年の時点での約7, 000人の有色自由人女性の ゥ , 。 , 7 うち, 正規の婚姻関係にあるのは 2,000 人, の こ り 5,000 人は 内 縁 関 係 ま た は 娼 婦 であ っ た, と 報 1 2 ) 告 して い る{ 。. ③ 奴隷の服務規定 治安立法としての 「黒人法典」 の性格を端的に表わしたこ れらの諸規定にかかわっ ては とくに , 武器, 集会(合) , 商業行為およ び逃亡の問題に限っ て言及しておきたい. なぜなら, それらはいず. れも厳罰の対象とさ れたもの であり, かつまた, 「反抗」 の基礎条件をなすからである 。 モロ・ドゥ・サン=メリが編集した植民地関連法令史料集によれば, 「黒人法典」 の制定後も, 奴 隷の服務・取締りを目的とした 法令は繰り返し発布されているのが判るが, 特徴的なのは, そ ,れが. 1 8世紀中葉以降にかなり集中していること である. なかでも,1 758年4月 7 日の法令はその先駆を なすものとして重要 である。. 1758 年 4 月 7 日の法令は, 前文において「奴隷の取締りが最も緊要なる命題である」としたあと , 次のように定める.「奴隷たちが集合し, 迷信的な儀式を行なっているのを放置してはならない」(第 1条) , 「解放奴隷や奴隷が, ギャ ルドoコールやマカン ダルを作り, 配り, 売買するのを禁ずる」 (第2条) ,「奴隷が武器を所持したり, これを奴隷小屋に隠匿したりするのを厳禁する」(第3条) , 「主人の異なる奴隷が日没後に教会に集合すること, また, いかなる名目であれ プランテーショ , ンの内外, 公道または人里離れた場所に集合することを, 昼夜の別なく, 禁止する」(第4条) , 「異 11.
(13) . . 浜. 忠. 雄. 00リー なる プランテーショ ンの奴隷の集合を許可ないし黙認した奴隷主またはその代理人には, 3 ブルの罰 金 ( 「黒人法典」 第17条では10リー ブルの罰金 -- 筆者) を科す」 (第5条) , 「市や町に. 0時以降に外出すること,また自由人のお供でもなくあるいは主人の許可書を所持す 住む奴隷が夜1 ること なく路頭に居ることを禁止する。 違反した者は鞭 打ちに処す」(第7条) ,「奴隷が砂糖, 糖蜜, 砂糖キビ, イ ンディ ゴ, コーヒー, 綿花, ガカオ, 製品を, 市場であれ個 人の住居 であれ, 販売す 0リーブル, 購入者には100 るのを禁ずる. これに違反したとき, 奴隷は鞭打ちに 処し, 主人には2 「黒人法典」 第18条では, 主人, 購入者とも10リーブルの罰金 -- 筆者) を科 リー ブルの罰金 ( 2条) す」(第8条) , 「奴隷は馬またはラバに乗っ , 「奴隷に専用の馬を所持させてはならない」(第1 黒人を引き入れてはならない」 てはならない」(第14条) ,「自由黒人または自由 混血人は自宅に逃亡 1 ( 3 ) (第 17 条) 。. いく らか 説明 を 要す る。 こ の 法令 は, ギニ ア 生ま れの 黒 人 奴 隷 での ち 逃 亡 した マカ ン ダル ) 団を組織して, プランテーショ ンを襲撃し l r ron ) なる人物が大規模な逃亡奴隷 (ma (Makanda 175 7年~1758年) の直後に 白人を毒殺した, ハイ チ史上では有名ないわゆる 「マカン ダル事件」 ( 発布されたものである. マカン ダルは呪術師でもあり,・また薬草から毒を作る 技術を持っていたと いわれ, その毒薬を匿した 一種のお守りである 《マカン ダル》 は, 黒人奴隷の間にもかなり流布 し 1 4 ) 黒 人 奴 隷 が 盗 み な どに よ っ て 武 器 を 入 手 す る こ と は 困 難 で は な か っ た し, た と い わ れ て い る( , .. 1 8世紀末の 図版 (図2) にみえるように, 刀剣を使 った祭礼さえ行なわれた. しかし, 刀剣や銃以 上に有力な武器として, とりわけ白人奴隷主たちに恐怖をもたらしたのが, 毒薬 (普通, 飲料水に 混入される) であっ たよう である. 「マカン ダル事件」 とならん で有名ない わゆる 「ル・ジュヌ事件」 1) ( 1788年) も, その発端は, 黒人奴隷による白人の毒殺にあっ たと考えられている(5 。 黒人奴隷による商業行為も厳しく制約されたが, どの程度守られたか, はなはだ疑わしい. 端的 には, 奴隷主が自 らの奴隷を解放する 際に, 「解放金」を奴隷に課す場合が少なく なかったという事 情がこれを裏付けている. す でに1711年8月15日の 法令は, 「解放金」にともなう弊害を次のよう に記している.「労役を放棄して時には主人の所有物ま でも詐取する者, 日雇い仕事をすると称 して 盗品の密売に出かける者, また, (解放に) 必要な金を蓄めるために 悪習 (賭博) に耽る者がいる. こう した取引きには,解放奴隷の家,あるいは頻々. ロ コ シ, バ ナ ナ, 野 菜 な ど を 奴 隷 が 「自 分 の 計 算. で」 栽培する畑が用 意されるのが普通であっ たか. ′ ′ 節耐 もノ 、寓 ’… .嚢 一 .. ,鰭 , , 驚き 総. ≦ ^ 霊園墓 園. ▼. .γ鰯 餐闘談議禰 嗣ぢ -- 曹 を蓄 - 曇涛男露繁談義まだ美』饗蓑 - 世襲無二 1 8世紀末の図版) 祭礼 ( 主流をなしたのは, 逃亡奴隷による小規模ながら. 組織的な 「反抗」. であ っ た と 考 え ら れ る。 逃 亡 に. 成 功 した 奴 隷 は か な ら ず 集 団 を な し,「リ ー ダー を. 選 び, 土 地 を 耕 し, 家 を 建 て, バ リ ケ ー ドを 築 き, ひ と つ の 共 同 体 を 形 成 す る」 の であ る。 逃 亡 奴 隷. 12. 図2 黒人奴隷の. 『〆〃 dg ineau s s t auxetA‐ Mart ,Hi (出典) G.Han。 ’ 彼 如 ぜ メメ 伽 d メ m ゆ α 2 励 e s cぬれ郷 αれF s e 36 i s Fmmg 叱れs 勿 肌ome,Par ,1930-193, 1 4 6 1 l t o s p v . ,, , ..
(14) . ハイチ革命研究序説 (1). に 関する数量的資料は少なく, 被見の範囲では, 1720年だけ で約1 ,000人の逃亡が発生したこと, 凋集 していたといわれる程 1751年の時点 でス ペイ ン領との国境周辺には約3,000人の逃亡奴隷がり 1 7 ) 1777 年 に は フ ラ ン ス と ス ペ イ ン と の 間 で逃 亡 奴 隷 の 逮 捕o送 還 に 度の 情 報 しか え ら れ て い な い{ 。. 1 8 ) その規模と拡がりを裏付けているといえよう 関する相互協定が締結される事実は{ 。 ,. ④ 奴隷主の義務規定 ここで, 「黒人法典」 の評価をめ ぐる学説に簡単にふれておかなければならない。 「黒人法典」 と は要するに 「奴隷制の法」 にほかならないとするのが, いわば正統的かつ支配的な見方である。 し 1 9 ( ) 「人道主義的精神に立脚し かし, 一部には,「奴隷の福利や人間的待遇を酌量しようとしている」 , 2 1 )とみなすような 程 ( 2 0 }あるいは「のちの奴隷解放につらなるひとつの準備 的運動 である」 ( ている」 , 度の差はあれ, 総じて 「人道的」 側面に着目ないし強調する評価も存在するのであり, その場合, 奴隷解放規定とともに, 奴隷への食料や衣服の供与など, 奴隷主の義務が明文をもって規定されて いる事実が根拠となっ ているのである。 筆者は, 他の奴隷規則に比べて 「黒人法典」 が 「いく分寛. 2 3 ) 2 2 )こ と を 認 め る と して も こ れ を 過 大 に 評 価 す べ き では な い と 考 え て い る( { 大 に つ く ら れて い る」 , 。. さしあたり, 奴隷主の食料6衣服の供与義務に限れば, それは, 奴隷を奴隷たらしめることの不可 避的な対価にほか ならないのであり, 「人道主義的精神」にもとずくものであるというよりは, むし ろ奴隷制の本質をより明瞭に表現したものと考え ざるをえないからである。 奴隷の法的身分規定 改めてコメントしない。 奴隷の法的無能力を規定したものである。. ⑤. ⑥. 奴隷解放規定. 「黒人法典」 が定める奴隷解放のケースは次の4通りである。 ④第9条によ って, 白人と結婚し 17 5日の令以降は 内縁の妻とその子供も含む) 36年6月1 た黒人女性とその子供( , ◎第13条によ っ て, 自由身分の母親から生まれた子供, ⑭第55条による「解放奴隷」 , および⑭第56条による事実 上の 「解放奴隷」 。. 第55条にかか わる奴隷解放については, 法典の制定後にいくつかの修正が行なわれているの で, 補足しておきたい. ひと言でいえば, 奴隷主による解放には制約が強まり, 他方ではいわば論功行 3年1 0月 24 日の法令は, 奴隷主が所有の奴 71 賞的な解放の枠が広げられるのである。 すなわち, 1 2月15日の法令は, 奴 隷を解放しようとする場合, 総督の許可を必要とすると定め, また1721年1. 775年5月 22 日の法令では,40歳 隷解放をなしうる奴隷主の年齢を25歳以上に 引き上げ, さらに1 2 4 / 論 未満 の 奴 隷 ひ と りに つ き, 男 1,000 リ ー ブ ル, 女 2,000 リ ー ブ ルの 解 放 税 を 課 す と して い る( 。. は, 例えば, 逃亡奴隷を告発ないし捕えた場合, 戦場において特別の功労を認めら 2 5 ( ) , 軍隊で8年以上鼓手を務めた場合などである 。 8,0 00人と推定される。 だが, 彼らが 789年の時点での有色自由人は約2 さて, 前述したように,1 上記のいずれのケースによ って自由となっ たか, その内訳を示した 史料も, これを試算した研究例 も存在しない。 おそらく, そのような区別が意味をもたなかっ たのではなかろうか, と筆者は推測 しているが, それは有色自由人の 各層に関する用語法にも窺うことができるので, 若干説明してお き た い。. r》 「奴隷」 を表わす最も端的な用語は 《esclave》 だが, 同じ頻度で 《noi , 《negre》 も 使 わ れ る。 i 》も《negr r e》も本来は色を表わすにすぎないが, 奴隷制下では専ら「黒人奴 いうま でもなく, 《no 13.
(15) . 浜. 忠. 雄. 隷」を指す. 同 じ用語で自由身分となった黒人を表現するときは,《no i bre》 または 《negrel i i bre》 rl l をあてて 「黒人奴隷」 と区別するのが普通であ る. 《no i b l i b i e 》 《 r re や n gre re》 もそう だが, 「有 色自由人」 を表わす用語はきわめ て多様でかつ複雑である. 《a f f i 》 は, もともと 「黒人法典」 ranch 第55条にいう意味での「解放奴隷」を指す. まれにはその他のケー スによって自由となっ た者 あ , るいは 「有色自由人」 を総称する用語として用 いられることもあるが, 圧倒的には本来の意味で使 わ れ る. 「混血 人」 を表わすのは 《mu l a t r e》(女性は 《mulatresse》) であ る. こ の 用 語 は 厳 密 に は, 白 人 と 黒 人 と の 第 1 次 混 血 を 指 す も の であ っ て, 第 2 次 混 血(《quar teron》 ), あ る , 《quarteronne》 い は第3次混血( i i t 《ma 》 t )等々とは区別されるべきものだが 多くの史料 では そのよ s s s e》 , 《me. , , うな区別をせず, すべての 「混血人」 に対して用いられるのが普通であ る また, 《mu l a t 》 は本 r e . 来単に 「混血」 を示すにす ぎず, そのなかには 「混血の奴隷」 も含まれるはずであり, そのような. 用例 も存在するが, 主 としては 「混血の自由人」 を指すことが多く, 前記の 「解放奴隷」 と区別さ れる. ところが, アンシャ ン・レジーム 末期ない し革 命期の法令その他 の文書史料においては,. i bres 《hommesdecouleurl i bres》 》 i bres eurl 》 あ る い はア , 《gensdecoul , 《personsdecouleurl i leurl toyensdecou ibres》 ボリ シ ョ ニ ス トの場合に は 《 l i bres》 を さ ら 上 記 c に は の 用 か 《 語 ら , , 除 い た も の が 多用 さ れ る. コ ン テ ク ス ト に よ っ て 多少 の 違 い が あ り, 一 概 に は い え な い が こ れ ら ,. の用語は大部分, 「解放奴隷」 とその子孫, 「混血の自由人」 など, 「有色自由人」 の総称として使わ f i l れる のである. もとより, 《af a t 》や《mu ranch r e》も併用されるが, 総じて, 「有色自由人」の総 称化が進行しているように思えるのである. 革命前夜には, 「有色自由人」 は 「黒人奴隷」 とは厳然 と区別されるひとつのカー ストを形成するようになり(図3参照) , その内部での区別はむしろ意味 をもたなくなっ たと考えられるのである.. 「有色自由人」 にかかわっ てむしろ問題なのは, その経済的基盤 である 「解放奴隷」 となると多 . くの場合, 自律的な小規模プランテーショ ンを経営したが, 「有色自由人」が全体としてどの程度の 所有を持っ たか, これも客観的な史料が無く, 判らない. 従来の研究も, この点に言及する際に利 用 し て い る の は, 次 の 2 つ の 史 料 だ け で あ る. ひ と つ は, 混 血 人の ジ ュ リ ア ン・レイ モ ン が1791 年 5 月1 4日の国民議会 で行なっ た特別 発言のなか. の,「全 奴 隷 の 3 分 の 1 と 全 農 場 の 4 分 の 1 を 所 有 ( 2 6 )と いう 一 句 い ま ひ と つ は グ ゥ イ・ し て い る」 , .. のw刀 卿 脈 の 耀 ]地 に 切 鮒っ. 2 7 ( )と 書 い て い る こ と で あ る 両 者 の 挙 げ て い る」 .. る数字にはかなりの開きがある (奴隷数ではしイ. モンによ れば約15万となり,ダルシの推定の 3倍. である) . しかしながら, 有色自由人が植民地にお ける有色の有産階級として独自の地位を確立して い た こ と は 疑 い え な い と こ ろ であ ろ う. 以 上, 本 稿 で は, サ ン = ドマ ン グに お け る 黒 人. 奴隷制の在り方を考察するために, 「黒人法典」の. 条文を紹介しつつ, その内容に即したいく つかの 問 題 に ふ れ た. な お, 法制 上 の 問 題 に か か わ っ て は,1770 年 代 以 降 に 展 開 さ れる 黒 人 奴 隷制 の 反 動 的 再 確 認 の 過 程 と し て の い わ ゆ る 「植 民 地 反 動」 14. 一. 9 :器き. 十. . だ 馨灘- . 圏 圏 ‐或暮響竪艶繍 . 彰 - 無 雪 遠 山 零せ 鰯 ‘ . - , . ・ 蕩 彫 ≧ 腿 刻 ‘盤 総 , ,. 畷 ′ f ・ 筏 . l x. ギ. R. 、. .. N. , 廉 ー菖. ・ ‐A{ ‘. 』~ぎき ド響き*こ ~. ~-. 図3 解放黒 人 (中央) と黒人奴隷 ineau (出典) G.Hano t auxetA. Mart . m. ,op , t 7 .1 .45 ,p.
(16) . ハイチ革命研究序説 (1). 2 8 〉 紙幅の 関係 で続稿にゆずらざるをえない についても言及しなければならないが( , 。 註 l ( 1 i ) 「黒人法典」 に言及した文献は枚挙にいとまがないが, An t er cA り噌8 似は Aれ畑Z z B S E焔れ解Z s o neGis e s ,Lセs e 諺叱 り 6d Un i F i b S i 1 9 6 5 がも 詳 とも しい 研 究 であ り 者の 目別 (ズ ″e- XZX‐ v r o u r u 筆 項 整理 も 本 s s e g っ . , . , , , , 書における整理に示唆され, 若干の加工をしたものである, なお, 邦訳文献では, S・エルキンズ他, 山本新他編 訳 『アメリカ大陸の奴隷制』(創文社) 所収のエルザ・V・ゴヴィ アの論文 「 18世紀西イン ド諸島の奴隷法」 ,お よびE・ウィ リアムズ前掲書 (とくに2 36~23 9頁) が比較的詳しい. ( 2 ) Schelby T, McC1oy, T綾 Nagメリ Zれ 坊e F惚僻ん 溺e z魔粛然 Negro Univ.Pr tpor t s , ,16 , , Wes ,1966 ,p i Z t Z ( 3 ) Mar n . .25 によ れば,1687年 の マ ルチ ニ ッ ク の総 人口 は 16,254 人 である.フ ラン ス 本 国 のユ グノー .c ,oの ,p 人口に つ い て は, 野 田前掲 書, 463 頁 を 参照.. ( 4 ) この点, 概括的には, 前掲拙稿 「フランス旧植民地体制の諸問題 (1)」 でふれた。 ( 5 ) 仏領西インドにおけるクレオール語については, さしあたり, 平川祐弘編 『ラフカディ オ・ハーン著作集, 第 1巻, アメリカ雑録』(恒文社) に所収の諸論篇を参照. i ( 6 ) 「奴隷名簿」に関する研究としては Franco r 8 sGi od om”鰹 節格 差αm毎”〆客Z粥g . Lα おα伽”′ ,ひ解 ルガ”欄 の/ 鼠gc fdsの可‐Do伽物g“e 24-ヱZ96,Par i s q”e ,ヱZ ,1970 があ り, 次稿 で詳 しく 紹 介す る。. lden Rodman 1 跨8Bなc た 尺ゆ”秘密 Z脳 sね7 ( 7 ) 現 在 のハイ チに つ いて の ガイ ドブ ッ クと して は Se 2仏α名d ,品の『 7 品の” 0 l G i h d b k d 2 d 1 9 7 3 R T 猛の” L 〆 P N Y 班 わ tj 1 t げ 庇 r e e n w c n e e e r rv o〃e 7γ, ew or ,1982 g ; o . . . aa . α” , , , ,. が有益である. l ‘Comの ”〃 S腐りeP溺鰯のめ7 Z ( 8 ) Gwendo n Midlo Hal 2Soc s 8”g . A CO朔Pα“s鯛 qfs『 .Dom物g粥 α”〆 ,Sodα C叱るα imoreand London t . .20一21 ,Bal ,1971 ,pp. Z d Z ton ( 9 ) 為すα. z gれ 雷o“稀の鰯,Bos ph Komgol .41一43;Ral .39 . ,pp ,CZ ,1944 ,p. “ ” dans i IDeb i i l i 1743一1799 e き 0の Gabr t ) e en ‐Domin罫1 er NeufdeSai nt e:Unco on re( , Dansun Quar , ,unecaf e 丑粥αe A川辺 Z P i 1 9 5 6 プラ Z XV 互 7 究の ひと 化霧 は ン テー シ ン に 関す る 数 少 な い個 別 研 つ である s αs es ars s ョ , 。. 西部州のあるコーヒー プランテーションでは合計9 8名 (うち子供は18名) の奴隷用に約68m2の奴隷小屋が4 棟用意された. 跡刺まさらに4室に間仕切りされ, 1室は17m2 ( 1 0畳間程度) . 1室平均6名が居住したが, そ の構成までは判らないようだ.. e ( 1 1 ) Raynal . 凋ん 2 ed . .5 .155-156 . ,oの ,t ,PP ’ H l l l i l Z ( 1 2 ) Hi t ardd auber eui oれs”γ r彦加云P覆彫れ云 震 わ cD/ oれ彰 ゑ〃“卿ゐg d ‐Do伽勿g“e s g 瀞. , ,CD佃 煽ぎmf ,2 vo Par i 1 6 1 4 0 4 3 7 7 7 7 7 一1 t s . - . , , . ,pp. int Z ( 1 3 ) Sa ‐Mew, LDな 鑑 CDれ中郷『 oれs .IV, pp , 225一228 .ほ ぼ同様 の 立 法 は1772年 5月 23 日に も 出 て いる ,t V 3 8 4-3 8 t 7 (必須, ) p p ,, , ,. l d l 1 ) 「マカンダル事件」 について詳述した研究は少ない. さしあたり参照, Mi ( 4 o Hal .c誌. .40一41 .な お, ,op ,pp l l i d在 毒が奴隷主に異常な恐怖を与えたことは間違いないが, 毒の実在を疑問視する見解もある (例えば, Hi ar 日aube l t ) r eui .1 .137-139 .じれ,t ,oの ,PP . 「ル・ジ ュ ヌ 事 件」 と は, ル・ジ ュ ヌ (Lej ) なるプランテーション経営者が, 毒殺犯の嫌疑をかけられ eune. 1 ) ( 5. た奴隷にリンチを加え, 4人を死に至らしめ2人に重傷を負わせた事件で, 奴隷主の専横を示す好祷りとして頻々 とりあげられる. 奴隷たちは検察官に提訴したが, 白人の圧力のためルo ジ ュ ヌ は 不 起 訴と な っ た. Pierre de. i Va i i ご o”s‘湖粥彰“ 橋郡伽e(ヱ629-ヱZ89) s s s re od彦垣 “ 超 坊ecmoを s . . Lqs ,S扇可-Do粥物g”8 ,Par ,1909 ,pp 166一168 が詳 しい.. i 1,pp ( 1 6 ) Sa nt o”s ‐Mery .1 .272一273 . ,LD窃 鑑 CD樹 海メメ ,t 1 ) Stoddard ( 7 .63 . . 凋む,P ,o力 1 ) 最終的協定は, 177 ‐Mery,Lo沈 “ CD俗 物班Z ( 8 6年6月 3 日 およ び1776 年 12月 4 日. Saint o〃s .771- .V,pp ,t 777 .. 1 ( 9 ) Rolandl sだ D“α” q f 品の”, Metuchen,1977,p.8. o“mZ DZαi .Perus , 猛禽Z 8 95 5 ( 2 0 ) j f s‘ 2 7 〃り α“d s ”〃 o伽,1 e防げ . K.lngram, A 圧鯖oリ q ,16 .辰己経世訳 『奴隷制度史』 (大同書院) ,p ,1 . ( 2 1 ) 『世界歴史辞典』 (平凡社) , 「奴隷解放 -- フランス」 の項目. { 2 2 ) W ・Zo フォスター, 貫名美隆訳 『黒人の歴史』(大月書店) 8頁. ,2 2 ( 3 ) この点明解には, エルキンズ前掲書, 17 3頁. 15.
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