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児童期中期の精神的弾力性の涵養に関する考察

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1.児童期中期の重要性

1.1 10 歳ごろの年齢 児童期中期、つまり小学校中学年ごろの年齢というのは発達的に強調されてきたとは言いにくい。 特に臨床心理的な観点においては、精神分析での「潜伏期」という表現もあり、幼児性欲が考慮され る幼児期とそれが再燃する思春期との間の空白期として軽視されやすい傾向にあったと思われる。雑 誌『臨床心理学』の 34 号において、「10 歳のころ−世界がひらかれるとき」という特集が組まれ、10 歳 についての論考が加えられたが、その中で村瀬(2006)が「かつては、潜伏期などとも称される時期に 含まれ、この発達段階に続く思春期や青年期に比較して、一見平穏と見なされてきた期間、つまり 10 歳の頃が、臨床経験の積み重ねを通して、実はきわめて大切なライフルサイクル上の転換点とし ての意味を持つことが、諸家によって注目されることになってきた」と述べていることからも明白で あろう。小学校段階の中でも、入学後のいわゆる「小1プロブレム」という言葉に表れるような幼児 期からの移行問題や高学年での中学への移行を含意した思春期的問題に比すると注目を集めにくい。 しかし、上記の村瀬(2006)の記述にも見られるように、児童期中期というのはかなり重要な時期 であるように思う。前段落の記述に加えて、「10 歳の壁」と称して子どもの学習面の課題を描写した テレビのドキュメント番組があったり(「“10 歳の壁” を乗り越えろ∼考える力をどう育てるか∼」NHK クローズアップ現代 No.2753(2009 年 6 月 19 日放送))、この時期までの学習に関する態度の重要性が 示されたりする(キム&キム,2006)。また、小学校へ「留学」という形で参加観察を報告している書 籍においては、小学校4年生の生活や学習の様子が生き生きと描写されている(武田,1978;斎藤, 1997)。また、11 歳と指定して書かれた教育相談書もある(渡辺,2008)。 児童期中期は、「幼児期的なものの終息」と「思春期・青年期の自立」の中間にある諸能力の安定し た涵養の時期であろう。それゆえに着実でありながら時に飛躍的な成長を見せる子どもも出てくる。 学校教育にも慣れてきたこと、様々な学習によって現実世界への適応がなされ始めていること、親子 関係・家族関係における一定のパターンが出来上がることが予想され、それゆえに、学校への不適応 感、学習への忌避感、親子関係の歪みといった負の部分も顕著になり始める。 1.2 各発達的観点からの児童期中期の意味 児童期中期の発達とは具体的にはどのようなものか、その様相を概観する。発達の分類については、 ここでは川原(2000)をもとに、「身体的」「認知的」「社会的」「人格的」の4つを用いる。 1.2.1 身体的発達 児童期中期の身体変化は、幼児期や思春期に比して静穏なものと言える。急激な変化ではないので、

児童期中期の精神的弾力性の涵養に関する考察

A Review on Fostering Resilience in Middle Childhood

川原 誠司

KAWAHARA Seishi

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その身体成長をどのように促していくかについて継続した働きかけがなされる。たとえば、子どもの 同士の遊びということに留まらず、子どもがスポーツのお稽古ごとに通ったり、地域の運動関係の団 体活動に参加していることは珍しいことではない。これには個々の家庭環境も大きく影響しており、 親の価値観や望む将来像が子どもにも影響していることでもある。 社会的関係の中でも身体的な特徴は意識され始めてくることになり、身体様相や運動機能のありよ うが、個人差の大きな指標になることに気づいてくる。Damon & Hart(1988)の自己の発達を基にし たモデル図においても、この時期は「比較による自己査定」となっており、「人より背が高い」といっ た具体例が挙げられている(山地,1997,p.100)。 性的な面については思春期の大きな課題となるが、児童期中期のころから様々な性的情報が子ども たちに入ってくることは予想される。秋田他(2004)については北海道の一部の地域で、しかも小学 5、 6 年生というやや上の年齢を対象にした研究であるが、対人的伝達以外での性情報入手経路として、 テレビ・ビデオが約 30%、マンガが約 15%、雑誌が約 12%であるのに加えて、インターネットが 8% あるという結果が見られた。日進月歩のインターネット等の電子情報を通しての性的情報の流入は近 年の大きな特徴であり、性的情報の氾濫が児童期中期の子どもに整理されない形で流入することも懸 念される。その一方で、教育現場では、性的なものを幅広く生と死の問題と考え、小学校3、4年生 に対して対人的触れ合いを基にした豊かな実践活動も存在している(金森・村井,1996)。 また、近年よく話題になる脳機能の問題についても、児童期中期の時期は剪定の途上と考えられ、 この時期に涵養されやすい器用さの側面がますます発達していく(阿部,1997)。反復継続して、無 理のない迅速な処理パターンを確立させることは、運動や学習などの様々なところに発揮され、この 器用さについては小学生初期よりもはるかに進むだろう(反復継続という点については川原(2005)で 触れたが、その文中の「小学生に上がってすぐではないだろうか(p.195)」という表記は「∼すぐでは ないだろうが」の誤植であり、今回触れる児童期中期の頃のほうがよりよく実感できるだろう)。 1.2.2 認知的発達 ピアジェの認知発達理論では、児童期中期では前操作期から具体的操作期に変化する。つまり操作 が始まる。Piaget(1952)で「直感的構造がいわば氷解して、突然に弾力性を持つようになることから、 操作が生まれる」(翻訳書,p.264)という表現があることからも、質的な変化が期待される。このと きに、他者視点取得や脱中心化がなされる。ピアジェの流れを汲むセルマンの社会的認知の研究を見 ても、この時期は「自己内省的役割取得」と言われ、他者には各自の視点があるのを知っており、そ のことが互いの見方に影響するという意識を持つとされている(Selman, 1976)。 他者視点取得、脱中心化というのは、この時期の大事な課題であると言える。自分の見方だけでな く相手からどのように見えるのか、目先の見方だけでなく全体的にはどのように見えるのか。このこ とは発達上重要な意味を持つと言える。特に、最近話題に上がる青年期以降に顕著な自己愛傾向を考 えたときに(岡田,2004)、他者視点との両立を考えるのは発達の鍵とも言えそうである。 記憶などの面も発達していく。10 歳くらいに集中的に焦点を当てたものはそれほど多くはないが、 年齢差を検討している研究を見ると、10 歳よりかなり低い年齢より、10 歳に近い年齢になる方が記 憶の質や方略も変化していることが示されている(Goswami, 1998)。 また、認知的な能力は表現方法にも反映される。金森(2003)では、小学校4年生の学級経営にお いて、「手紙ノート」という書きことばでの表現方法を活用し、子どもたちの自己表出と他者理解を 促進している。

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1.2.3 社会的発達 前述の山地(1997)の図の「比較による自己査定」といった自己理解の方法からも分かるが、児童期 中期は同輩関係の中での自分の立場や位置を敏感に感じ取っていく時期といえる。長所にしろ短所し ろ自分の特徴を模索し、それが次の青年期の人格的課題である「同一性」の下地になる。 同輩の中から自分の気持ちを分かち合える特定の相手を見つけていくことも始まる時期であろう。 Sullivan(1953)はこの時期の特定の同輩との「親密さ」について注目している。親密さから生じてくる 自己開示という心理的要素、つまり自分の否定的状況や否定的感情を含めて表出できる他者が存在す ることというのは、困難な状況においても非常に有用性が高いものである。 比較される自分や自分と仲の良い他者が浮き彫りになるということは、逆に、優れた人や優れたこ とへの過剰な防衛や攻撃性、自分たちとそりが合わない仲間との不要な対立といった軋轢を生じさせ ることにもなる。これが、孤立やいじめなどの行動につながることも考えられるだろう。学校教育の 中でもこのような対人関係のトラブルが次第に生じやすくなる時期と思える。 家族という人間関係にも重要な視点がある。子どもが一定の成長をするにつれ、安定した家族構造 の中で、その家族成員間の特徴が出やすく、役割が固定されやすくなる可能性が高い。例えば、うる さく言うお母さんとそれを黙って聞く子どもといったように、コミュニケーションパターンも固定化 しやすい。またこの時期に退行などの形で表出する場合もある。その意味では、家族システムの不健 康さや歪みが蓄積し、一部表出されてくる可能性のある時期とも言える(岡堂,1992)。 1.2.4 人格的発達

Erikson & Erikson(1997)の「勤勉性 対 劣等感」による「適格(有能感)」という人格特性が考慮され る時期である。勤勉とは、「社会生活に必要なスキルや知識を自分の意識でどれだけ学び取って自分 のものにできるか」ということである。 価値観や職業スタイルの多様化した現代社会では、学校教育でのスキルや知識だけが必要十分条件 とはなりにくい。それでも「読み、書き、そろばん(3R’s)」と呼ばれる必須知識をはじめ、学習知識 の獲得を重視する向きはある。そういう家庭の中には、中学受験などのために積極的に学習塾に通う など、「学習」ということに学校教育以上の価値づけをするところもあるだろう(ただし、この価値づ けは、子どもの自律性や自主性がどの程度配慮されているかなど、成否が難しいところもある)。また、 スポーツや芸術などの才能や技能の発揮もこの時期には顕著になる。 この時期の子どもの学びは飛躍の可能性を秘めている。小倉(2006)は、リンドバーグや北里柴三 郎などの 10 歳時の逸話を引用しながら、「このように小学3、4年の人が将来についてもつ夢・希望・ 願望の類は、決してバカにしたものではない」と述べている。偉人の逸話という点については、伝記 という読みものが教育上用意され、失敗や挫折が組みこまれた努力や成功の原型をこの時期に子ども は学んでいく。子どもが様々な決意をし、そのために知識や技術を蓄え、それを駆使して社会に臨も うとする時期と言えるだろう。 また、前述の社会的関係との関連でいえば、勤勉性では集団での活動や集団行動を要求することも 多く、それは社会性の素地になる。その中で、協力や役割分担、相応の努力やリーダーシップの発揮 などの要素を適切に求めていくことで、子どもの個の成長にもつながる。 1.3 精神的な成長のために「教育する」という視点 前節で述べたような様々な面の発達を鑑みると、児童期中期の子どもの精神性への適切な働きかけ

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は、人としての成長に大きくつながると予想される。この時期に子どもの精神的な成長を涵養するこ とは、生きる上で重要な特徴を備えることにつながるのではないか。 今回、筆者は精神的弾力性(resilience)という概念から説明したいと考える。近年、学校現場にお いても「いわゆるカウンセリング的な対応」が重視されるようになったが、場合によっては、「傷つけ ないように」「そっとしておく」という偏った認識のもと、子どもに触れようとしない対応、子ども に困難さを直視させない対応も出てきたように思える。また、「発達障害」という症状名の流布から は、「できないのだからしょうがない」という言い方で、配慮されずに片付けられてしまうこともあ る(川原,2009)。 無理強いしてしまうことは問題であるし、改善が容易でない子どもがいることも言うまでもなかろ う。しかしながら、そっとするというスタンスだけでは、人格陶冶に適切な時期の子どもへの教育と いうものを逃す危険性もある。子ども自身がストレスや困難にどのように立ち向かい、相応の対応能 力を身につけていくことが非常に大事なことであり、それが精神的弾力性という概念の中に含まれて いるように思える。次章以降、この概念について検討を加える。

2.精神的弾力性という概念の有用性

2.1 精神的弾力性とは ここで精神的弾力性(resilience)という概念を取り上げるのだが、これはどのようなものなのか。 レジリエンスという概念は精神医学や心理学でよく用いられるものであり、人間の精神的な強さを示 すものである。強さという表現では必ずしも十分ではないのだが、社会的不利益が想定される環境の 中でも、標準的な発達がなされ、健全な対応ができるその人の「強さ」を想定している。精神医学や 福祉の領域において、虐待や困難家庭などの特別な環境下での一部の子どもに備わる術として述べら れている(Wolin & Wolin, 1993; Wolin et al., 2000; Fraser, 2004)。

レジリエンスの訳語については、「回復力」や「柔軟性」など様々あるが、その訳しづらさもあり、 近年は「レジリエンス(リジリエンス)」というカタカナ表記が主流である(例えば、Wolin&Wolin(1993) や Fraser(2004)の翻訳書のタイトル)。本稿では以下の理由を踏まえて、敢えて「精神的弾力性」と表 記することにする。 「弾力」という響きには回復力や柔軟性の要素が込められているように感じる。落ち込んだときに、 俗に「凹む(へこむ)」という言い方があるが、凹みながらもある程度の強い衝撃を受け止められる力、 そしてそれを上手に押し戻す力として、弾力・弾性という捉え方は妥当なように思える。つまり、衝 撃を受けながらも潰されない力、潰されないだけでなく上手に反発し返せる力ということである(適 度な空気の入ったゴムボールというイメージならわかりやすいだろうか)。 特別な環境下での一部の子どもに対してだけでなく、この精神的弾力性は、「困難や苦境への構え」 として、全ての子どもへの教育的要素としても捉えることが可能であろう。ストレスに曝されない子 どもはいない。ストレスを受けないようにと配慮するだけではなく、そのストレスをどのように乗り 越えていくかが子どもの成長につながる(当然、極度のストレスに曝されている子どもに対しては、 別の配慮が前段階にあることは言うまでもない)。前述したような様々な発達が期待される児童期中 期の子どもにとって、困難をどのように乗り越えるかという教育を行うことで、その時期以後の思春 期危機をはじめとした人生の危機に直面したときにも適用可能な力となるであろう。

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2.2 精神的弾力性の下位分類(先行研究の概観) 精神的弾力性については、どのようなものがその要素として下位分類されているだろうか。これま での多くの研究で分類作業がなされてきている。以下、増渕(2004,未公刊)による整理を援用して、 集約・一部改変したものをここに紹介する。先行研究においては、実証的なまとまりとして因子分析 を行って検討しているものや理論的な区分をもとに分類したものなど様々である。 Wagnild & Young(1993)では、高齢者対象にレジリエンス尺度を実施し、その因子分析から、「個人 の有能感」と「自己と人生の受容」の2因子を抽出した。因子分析によって実証的に数個の因子にまと まる研究は多く、O’Donnell et al.(2002)では、「明確な社会的コンピテンス」と「隠れた精神的健康」 の2つが挙げられており(さらなる下位分類もなされているが)、また、小塩他(2002)の大学生を対 象にした精神的回復力の尺度では、「新奇性追求」「感情調整」「肯定的な未来志向」の3因子が抽出 されている。高辻(2002)においては、幼児を対象にした保護者評定によるレジリエンス尺度を実施 し て お り、「 社 会 的 ス キ ル の 柔 軟 な 利 用 」 と「 ス ト レ ス 耐 性 」 の 2 因 子 に ま と め て い る。 Dumont&Provost(1999)では、「ソーシャル・サポート」「コーピング」「自尊心」「社会活動への参加」 の4つがストレスの緩衝要因としてまとめられていた。 理論的な区分を示したものでは、上述したものより分類数がやや多くなっている。Henderson & Milstein(2003)では、「ケアとサポートを与える」「高い期待を設定し伝える」「意味ある参加の機会 を与える」「向社会的つながりを増す」「明確で一貫した境界の設定」「生活スキルを教える」の6つ の要素を挙げ、これらが円環的に循環する車輪モデル(Resiliency Wheel)を提唱している。また、 Reivich & Shatte(2002)は、「情動調整」「衝動統制」「楽観性」「原因分析」「共感性」「自己効力感」「新 奇性」の7つの要素から検討しており、各要素について肯定的・否定的項目4項目ずつから成る RQ (Resilience Quotient)テストを作成している。また、Daniel & Wassell(2002)は、「安全の基地」「教育」 「友人関係」「才能や興味」「肯定的な価値観」「社会的コンピテンス」の6つの要素を挙げ、学齢期の 子どもを教育するためのワークブックを作成している。また、Wolin&Wolin(1993)やWolin et al.(2000) では、「洞察」「自立性(独立性)」「関係性」「主導性(イニシアティヴ)」「創造性」「ユーモア」「道徳 性(モラル)」の7つを挙げて検討している。 2.3 本稿で検討する要素 前節で挙げたように、精神的弾力性の研究は盛んであるが、分類の数や分類された内容(概念や用語) が多様であり、統一感に欠ける。本稿では、上記の分類をできるだけ包括できるもの、理論的な意味 合いが明確なもの、要素の順序や展開が理論的に明瞭なものとして、Brown et al.(2001)による「関与 (Participation)」「観察(Observation)」「内省(Refl ection)」「変換(Transformation)」の4つの要素を 考慮した “PORT モデル” を用いることにする。このモデルは単なる4つの要素の集まりではなく、 P → O → R → T という流れも循環性も示している。また、この4つの要素の中に他研究の要素の多く を含めることが可能である。筆者らは、かつてこのモデルをもとに中学生を対象にした研究を行い、 その有用性を確認している(川原・増渕,2004;増渕・川原,2004)。 PORT の4つの要素を簡略に説明し、先述した様々な先行研究で考慮されている要素を PORT モデ ルに収めるようにまとめるなど、4つの要素について整理したものが表1である。以後、PORT の各 要素を児童期中期に育てるにあたって、どのような観点が必要かを列挙して、考察する。

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3 PORT モデルの各要素から見た精神的弾力性の涵養の視点

3.1 「関与(Participation)」の要素に関連すること 3.1.1 過保護でないこと 「関与」する態度を育てるためには、まずもって「自分自身でやる」という意識を身につけなければ ならない。その意味では過保護というのは問題となる。育てる側が肩代わりしすぎないことが肝要で あり、依存的になりすぎることを留意しなければならない。 しかし、それは一方で適切な支えや保護は用意しなければならないことでもある。その線引きは非 常に難しい。児童期中期という年齢を考えても、それまでの年齢では保護が必要な状況から、徐々に 自分で取り組める(取り組まなければならない)という移行になっていくはずだが、それを親子ある いは教師―生徒関係の中でどのように転換を図っていくのかは非常に難しい課題と言える。 近藤(1994)で紹介されている女性教師の例でも、子どもに自分で考えてもらい、やってもらうこ とを要求することによって、保護者との摩擦が生じてしまい、学級経営方法に苦悩した様子も述べら れている。つまり、親や大人が全てやらないときにはかえって子どもの失敗に余計に気を遣ってしま うこと、子どもにさせてみてうまくできないと他所から文句を言われること、といったことが生じる と、大人が先に手を出してしまいがちになる。 子ども自身が関与していく力を育てるのは、大人側に適切な保護に留める忍耐を要求するものでも あろう。 3.1.2 自尊心や自己効力感 自分でやってみよう、自分からやってみようという気持ちが引き出されるためには、自分がそれな りのことができる存在であるという思いが不可欠であろう。その点では自尊心や自己効力感というも のが行動の契機となるし、また精神的弾力性を駆使してうまくいった場合には、自尊心や自己効力感 が一層高まることにもなる。心理学研究において自尊心の研究は数多くあり、その意義も十分に認識 されている。児童期中期においてもその環境の中で正当な形で十分に与える必要があろう。 それが極端に欠けているときには、自信喪失であったり、過度の不安にとらわれている状況であろ う。先述した過保護の状態から生じやすい側面であるとも考えられる。 3.1.3 自律性や自主性 過保護にならずに適切な支援があると、子どもの中に自律性や自主性が生まれやすい。これによっ て関与に意識が向くことになる。自律性や自主性は、Erikson & Erikson(1997)の幼児期の中核的な発 達課題として注目されているが、児童期の中核的課題である勤勉性の前段階にこの要素があることは、 非常に意味深いことである。児童期中期にそれまでの課題を統合して、「自分で問題解決のためにやっ てみよう、自分から困難に向かってみよう」という意識に育っているかということである。 その逆の状況は「引っ込み思案」であり、「他者依存が極端に強くなる」という状態であると言える。 前述した過保護によって生じやすくなるこの面は、精神的弾力性が必要となる困難な状況においても、 避けて通りたいという気持ち一辺倒になってしまう危険性を孕む。 3.1.4 保持できる力

前述の Erikson & Erikson(1997)の自律性の中に、保持することが丁寧に記述されている。自分が困 難さに立ち向かうためには、その状況で安易に動揺しないということが求められる。うまく受け止め、 それを一定期間心に留めておけることも重要になってくる。もちろんあまりにも受け止めすぎたり、

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かなりの量を心に留めようとするあまり、「凹んだまま」とか「折れる」という状態に陥り、うつ的な 状況にならないように十分気をつけなければならない。困難な状況が起きた時の「熱い」感情状態を、 保持によって一定の時間を使って冷却する(冷静になっていく)ということを意味している。 その逆のことは、「キレる」「キレやすい」という近年流行した表現に反映されている、即座に感情 的になる対応であろう。即座に感情的になってしまうのは、自分の心の中で抱えていたくないことを 示すものであり、短絡的に結論づけずに様子を見る能力が不足していることを示すものである。「短 気は損気」という慣用句や「かんしゃくをおこす」という言葉があるが、この保持できる力は児童期中 期の課題として十分視野に入るものと言えよう。 3.1.5 心に刻める力 前述した保持と似ているのだが、心に刻むとは長期的な視点に立ったものである。過去に起きたこ とを、自分なりに意味あるものとして心に残しているかどうかという面である。 心理的に極度な不快状態に対して、近年は「トラウマ」という言葉が人口に膾炙し、心の傷を与え てはならないことに関心が払われている。しかし、説明には慎重さが必要になるが、万事を「傷つけ るから」という観点で遠ざけるのではなく、「忘れてはならないこと」としていかに上手に心に残して おくかということは成長に資するものではないか。それは、戦争の惨禍の象徴として建造物を残すよ うなことが、犠牲になった方(の関係者)の心を傷つけるという意味ではなく、戦争の惨禍を今後忘 れないように心に刻むための意味合いを持つことからも理解可能ではないか。 児童期中期の子どもに、長期的な視点を多大に要求するのは難しいことかもしれないが、記憶力の 発達ともに、過去のことを整理し、貯蔵できる力は増すと考えられる。この時期に、過去のことを上 手に刻み、心に残し、時折見つめるという特質を少しずつ育てることが、以前の不快な出来事に過度 の抑圧をかけず、自分から働きかけて変えようという意識にもつながる。 3.1.6 上手に距離をとる力 向き合うということが重要な一方で、現状で危険を伴う場合には、一定の距離をとることが必要な 場合もある。前述の「保持すること」の部分で、熱を冷ますという喩えに触れたが、相手側の熱も冷 めない場合には、一定の距離をとる必要もあるということである。これは「逃げる」ということと同 じではなく、状況を見ながら距離をとっている(上手に避けている)のであり、距離をとりながら今 後に向けて上手にメッセージを発したりしているのである。 これは、不要なものを引き受けすぎないということでもあり、回避できずに強迫的な傾向に陥る人 にも重要な要素といえる。これとは逆に、回避しすぎる人に対しては、適度な距離を保つということ で、距離をとりながらどのように相手にメッセージを送るかを考えさせることにもなろう。 3.2 「観察(Observation)」の要素に関連すること 3.2.1 観る力 その問題状況に自分が「関与」している以上は、状況を見聞きしていることになる。まず何といっ ても、状況を良く観ているかどうかということであろう。児童期中期の時期には、学校教育の学習の 課題でも観察という課題が出されるが、日常生活や対人関係の場面においても、状況の「観察」とい うのは冷静な判断や改善のために不可欠なことである。 しっかり観るためには何が必要か。それは「目を背けずに視る」ことであり、「細部まで注目する」 ことであり、「全体を眺める」ことである。「よく見えている」とか「視野が広い」というような観察眼

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の表現はこのようなことから出てくるものであろう。このような観る力を駆使することを、この時期 に育てていかなければならない。 3.2.2 聴く力 観るだけでなく、聴くということも重要である。人の話、相手の話をしっかり聴くことであり、耳 を傾けることである。この力については、教育の場でもカウンセリング的な手法としての「能動的な 聴き方(active listening)」が導入されることがあり、重要な観点であることを示唆している。 出てくる声を素直に聞き、相手の言っていることの気持ちの部分を聴き、場合によっては状況をよ り明確にするために訊くことである。前述の「観る」やここでの「聴く」は、単に話す、しゃべること よりも非常に難しいことかもしれない。「関与」の部分で触れた保持する力もかなり必要と言える。 黙って聴くよりは、文句を言ったり、怒ったりした方が簡単だと判断する人も出てくるだろう。し たがって、自分の感情に支配された聞き落としや聴かない意識がこの力を遠ざけてしまう。 3.2.3 記憶する力 見聞きしたものを情報やイメージとして貯蔵できることが思考するためには必要であり、それがな ければ、後の「内省」や「変換」にもつながらない。また、他者に状況を伝えるときの描写や叙述にも 影響する。この時期の記憶については非常に発達すると思われるが、困難場面や対人ストレス場面等 においても、この記憶を上手に活かした情報整理が求められる。 記憶はどうしても自分の感情等で脚色されやすいので、それをどのように歪まない形で保存できる かも重要であろう。例えば、いざこざがあったときに「あいつがずっと睨んでいた」というような、 一方的な言い分は良くなされるが、本当に自分を睨んでいたのか、どのくらい睨んでいたか、といっ た点を冷静に検討できるように教育することも重要である。それは、次の「内省」の段階で、自分な りの見方が強く混ざっているか否かを見つめることにつながるだろう。 3.2.4 描写・叙述する力 これらの見聞きしたことや記憶に残したことを基に、周りに説明していくことが重要になる。その 際の描写や叙述といったことをどの程度上手に(不足なく)行えるかも、児童期中期の頃からはかな り考慮していけるものであるように思える。 子どもの話というのは、決して十分に説明していない面もあり、日常生活では多くの仲間からの情 報によって補われていくところがある(その意味では、仲間関係の健全な発達は描写する力にも影響 する)。そのような経験を通して、自分一人ででも不足なく説明できるようになるという発達をして いかなければならない。指摘する際の留意点として「鏡に映したように」「写真に撮ったように」とい う表現を筆者はよく用いるが、自己の感情の色彩をあまり混ぜずに冷静に映し出す描写というのは、 大人でも容易ではない。したがって徐々に身につけていく必要がある。 話しことばだけでなく書きことばの発達もこの時期著しいので、記述力というような書きことばに よる説明力も重要になってくる。近年の技術の進歩で様々な電子媒体によるコミュニケーションが盛 んになってきており、その影響は児童期中期でも無関係ではないだろう。子どもの世界にも多大に入 る中で、全体を見ない短絡的な書き方、感情的な書き方などによって、不要な軋轢や思わぬトラブル が生じる場合もある。どのように相手に伝えるか、その時に状況の説明と自分の意見・見解とをどの ように区別して書くかといったことも必要であり、これは後の「変換」とも関連する。 3.2.5. 他者視点取得できる力 自分が感じる困難な状況において、その困難な状況を生み出した要因と考えられる他者のことを考

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えると、非常に不快感を催すことは言うまでもないだろう。しかし、そこで自分の感情だけに固執し すぎると、非常に攻撃的・破壊的になったり、自分の精神的健康を損なうことになる。 その状況の時に、相手の立場はどのようなものかを考えることが重要なことであり、虚心坦懐に状 況を見ようとしたときに、相手の立場に応じてどのような言動をすればよいかということが見えやす くなる。困難な状況においては、自分の存在を極端に脅かしたり、自分の権利を極端に奪われたりす る状況も生じるかもしれない。例えば、いじめられているような状況の時に、「相手のことも考えて」 と言ってしまうのは難しいことだし、非難すら浴びることかもしれない。しかし、一定の支援をし、 立て直した後でどこかで何かを「許す」という心的状況がなければ、攻撃性や報復の連鎖ということ にもなるし、他者破壊的のみならず自己を極度に破壊してしまうことにもなる。 この許すというのは、相手の責任を不問にしたり、自分の言い分を一方的に引っこめることではな い。むしろ正当に関係を修復するポイントを見つけることである。つまり、いつまでも相手の責任を なじるようにしないということである。その意味では、周囲の大人がその状況をどのように支えるか は重要になる。うやむやにして終わらせるとか、我慢を無理強いさせるような働きかけをしたら、子 どもに他者視点取得など生まれにくいことになる。 3.3 「内省(Refl ection)」の要素に関連すること 3.3.1 感情に目を向ける力 前述した「観察」において、蓄えられている情報には必ず自己の情動の色彩がある。どれだけ冷静 に見つめようと思っても、人としてその場にいる存在である以上、自己の感情と切り離した形で情報 を受け取りにくい。なぜ自分が苦境に立たされているのか、自分の何が乱されているのか、困難なと きに自分の奥底で感じる真正の感情に目を向けて、味わうことも重要になる。 これができないと、防衛機制が強固に働くようになるだろう。自分の気持ちを見つめてもらうとき に「別に…」「わからない…」「大丈夫です」という言い方を多用する子どもがいるが、それは、その ような自分の真正の感情に目を向けられていない(向けにくい)状況が作られていると言える。児童 期中期にこのようなパターンを強く残すと、後々の人格形成に大きな影響をもたらすであろう。 3.3.2 因果関係を考える力 ある状況には流れがあり、1つの原因を特定できなくても(されなくても)、それを引き起こした 主要因を推定し、その因果を考慮できることが必要となってくる。それができることで、「元に働き かける」ことが可能になるし、悪循環があるときには「元から断つ」ことがしやすくなる。 これは認知能力が増し、論理能力が深まっていくことで、より涵養されるだろう。具体的操作期に おける論理的能力は日常生活場面や対人状況の因果推察においても必要なものと言える。 3.3.3 ルールやモラルを考える力 他者視点取得ができれば、ルールやモラルを感じられることも大きな教育的要素である。学校現場 では道徳教育が推進されており、その中で他者や他者の存在する社会のことを視野に入れて行うこと は比較的普通のことと言える。 道徳性の発達から見ても、ただ、周りのために我慢するということではなく、公共、つまり自他が 快適にいられる方法を考えることが重要だろう。Selman(2003)の VLF(Voices of Love and Freedom)と いう思いやりプログラムの中にも自他の認識が入っており、児童期中期の年齢も視野に入れたプログ ラムが提唱されている(渡辺,2001)。

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道徳というと固い印象を与えかねないが、「双方の幸せを考えられる力」を育てるということであ ろう。次に述べる様々な「変換」を考えたときに、どのように共存可能かという視点に立てないと、 解決策としては不十分ということにもつながる。コミュニケーションにおいても「win-win の関係」と いう言い方がなされるが、言うは易く、行うは難しいこの関係に取り組むような意識を子どものうち から育てなければならないことを示している。 3.4 「変換(Transformation)」の要素に関連すること 3.4.1 表現・表出する力 「変換」の段階になると「相手に適切に伝える」ことが出てくる。これまでの「観察」や「内省」の段階 を踏まえてどのような伝え方をすることが、「効果的」で「自他のためになること」なのかを考えて出 さなければならない。 「適切に」というのは、困難の状況によって変わるが、説得、提案、主張、拒否、配慮など様々な 表現が考えられる。子どもを対象としたアサーション・トレーニングが提唱されていることを見ても (園田・中釜,2000)、上手に表現することが教育的課題として求められていることがうかがえる。ア サーション・トレーニングの解説にもあるが、「自分中心の独りよがりな一方的表現」や「相手のみに 遠慮した非表現」といった極端な偏りでは、対人関係上の適切さを欠くことになる。 話しことばや書きことばの洗練は言うまでもないが、感情の具合を調整することも非常に重要な点 である。「内省」の時に自分の感情を見つめることを述べたが、「変換」の段階でも他者に向けて上手 に感情を表出しなければならない。この感情調整の能力も必要になる。調整とはただ否定的感情を抑 えればよいというのではなく、上手な表出や自己開示を求めているのである。 3.4.2 ユーモアを交えて笑い飛ばせる力 感情調整の中にも含まれるであろうが、不運な状況の中でもユーモアを持っていることが自らを救 う。Wolin & Wolin(1993)や Wolin, et al.(2000)でユーモアの要素があることは前述したが、自分の身 に降りかかる不遇な状況の恨み辛みを表出するだけでは、良い変化は望みにくい。また、恥や悪の感 情にとらわれて問題から逃げまわったり、防衛機制を極度に働かせて隠蔽したりしないためにも、不 運な状況をユーモアを交えて表出できることには意義がある。 ユーモアにおいて最も高度なものの一つは、自分自身のことを笑えるか否かであろう。歪んだ道化 でなく、過度な自己卑下でもない、自分自身のことを「笑い飛ばし」、上手にリセットして、問題に 向き合いなおす能力は、絶望の状態からの回復には無くてはならないことである。このためには、否 定的なものを共有でき、一緒に上手に笑ってくれる仲間がいるかどうかが大きな側面である。 3.4.3 周囲からサポートを求める力 「変換」するときに、自分一人で考えたり、自分一人で感情調整するのは非常に難しいことであり、 周囲から様々なサポートを受けることが重要である。ソーシャル・サポートには様々な種類が想定さ れているが(川原,1994)、情動的サポートにおいては自分の感情を分かち合ってもらい、情報的サポー トでは「観察」や「内省」を深める情報を与えてもらい、道具的サポートでは実際に手助けしてもらう といったように、他者の力を適切に借りられる部分は数多くある。 納得できる十分なサポートを受けるには、ただ待つだけでは難しく、自ら探し求めていく(seeking) ことが重要である。そのような seeking を行い、改善を図ることも「変換」の要素の1つである。

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3.4.4 覚悟を決めて、結果を引き受けようとする力 「変換」のための行動を起こしたならば、誰でも成功したいと考える。しかし、必ずしもうまくい くとは限らず、失敗もあり得る。大人でも難しいことであるが、自分で「変換」の行動をしたならば、 仮に失敗したときにはその事実を受け止める必要がある。どんなに「観察」しても「内省」しても、「変 換」の言動が相手に届かないことも考えられる。 これを適切に受け止められれば、それによって「まだ他にある」「別の見方もできる」という次の「関 与」の意識につながり、次の PORT のサイクルへとつながっていく。

4.今後の視点−現場で行われている取り組みに光を当てること−

今回、精神的弾力性に関する各要素に関連する観点を列挙したが、これは理論的な説明で留まるも のではないだろう。本稿でも少数は取り上げたが、これまで学校現場で取り組んできた様々な教育的 取り組みや心理療法の場で具体的働きかけは多数行われてきており、それらの中に、実践的含意に満 ちたものがあるだろう。実際にレジリエンスと銘打った小学生向けのワークブックもある(深谷監修, 2009)。数多くの実践的活動を今後汲み上げ、取り上げ、有機的につなげていくことで、精神的弾力 性を涵養する教育の有用性をより主張できるだろう。 精神的弾力性は、有用がゆえに様々な概念が入り乱れており、理解を促進する分類や順序性の整っ た理論としてのまとまりにまだまだ欠けているという印象を持つ。今回援用した PORT モデルを手が かりにして、諸研究で出された諸要素もより一層整理していかなければならないだろう。

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参照

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