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占領下の沖縄における社会科教育実践史: 沖縄地域学リポジトリ

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Title

占領下の沖縄における社会科教育実践史

Author(s)

屋比久, 守

Citation

史料編集室紀要(26): 101-127

Issue Date

2001-03-27

URL

http://hdl.handle.net/20.500.12001/8304

Rights

沖縄県教育委員会

(2)

史料 掃集室紀 要 第26号 (2001)

占領下の沖縄 における社会科教育実践史

屋比久 守 は じめ に 以下の問題意識で、本研究 を進めて きた。 第一は、 日本の社会科教育 における占領下沖縄の社会科教育の位置づけを行 うとい う点 である。 これ まで数多 くの地域の初期社会科の実践史研究や諸 プランの検討 に関する研究 が行 われてきた。或いは、県 レベルの社会科教育実践史 に関する研究 も幾つか行われて き た。 ところが この ような先行研 究 は全 国的に名高い もの を対象 としているのが主であっ た。戦後

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年間、 日本本土か ら切 り離 されアメリカの占領下 にあって、全国的動向 とは異 なる戦後教育史 を歩むことになった沖縄 において同様 な研究は皆無 に近い。そ こで、 日本 の社会科教育の全体像 を正 しく捉 える上か らも、 また、占領下の沖縄 において どの ような 背景の下 に社会科教育実践がなされたのか を捉える上か らも、 これ を発掘 ・研究 していか ねばな らない と考 える。 第二 は、沖縄 における社会科教育の方法論の基礎 を探求す るとい う点である。戦後、社 会科が生 まれて

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年余 を経たが、今 日の社会科 をとりまく状況は必ず しも良好 とはいえな い。否 む しろ危機的状況にさえある。 この ような時期 だか らこそ、 これ まで蓄積 されて き た社会科教育の成果 に学ぼうとい う機運が出て きた。 ところで沖縄県 も復帰後30年近 くが 経 った。その間、第一次 ・第二次沖縄振興開発の集中的社会資本の投下で、本土 にかな り 立 ち遅れていた社会資本 も充実 され、復帰当時の合い言葉 だった "本土並み" (依然 とし て広大 な米軍基地は残 ったままだが)に近づいて きた。復帰後、沖縄の教育行政 も "本土 なみ" に 「格差是正」す ることを重点 目標 に掲げて きた。その結果学校増設、施設設備の 充実 は、 日を見張る ものがある。 しか し、教育の 「あ りよう」 まで 「本土化」 し平準化、 均 質化 し沖縄教育の主体性が問われている現状である。そこで、占領下の社会科教育 を対 象 に した歴史的省察の中か ら、 これか らの沖縄の社会科教育 に生かす基礎 を探 ってい きた い と考 えている。 次 に研究の内容 と方法であるが、 まず研究の対象は、占領下の沖縄 における社会科教育

YABTKUMamoru,I-TheHistoryofSocialStudiesTeachingActivitiesinOccupiedOkinawa.I.

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-101-史料編 集室紀要 第

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)

の諸実践である ことは、言 うまで もないが、本土 において沖縄 を扱 った実践 も対象 にす る。全国的な社会科教育の動向 とも対比 しなが ら占領下沖縄の社会科教育の概要 について 全体的な把握 を行 う。それ をもとに時期区分 を行い、それぞれの時期 の代表的な事例 を取 り上 げ研究 を深化 させ る。 本研究は実践史研究 とい う枠で研究方法及び視点 を考察する。 まず具体的な研究方法 としては、以下の手順 を基本的におってい くもの とする。 (∋実践資料の収集 ・実践者か らの聞 き取 り調査 に基づいて実証的に事実の確定 を行 う。 ②諸実践 について、 目標 ・内容 ・方法等 を分析 し、特徴、背景 を考察す る。 (彰実践の意義 と課題 を考察する。 次 に研究視点であるが、木全酒樽氏は社会科実践史の研究視点 として以下の

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点 をあげ (1) ている。①社会科実践 をとりま く教育状況の分析 (実践の背景 となる時代や社会、教師 と 子 どもの地域、学校の条件、教師の属する研究サークル)②教師の社会観、社会科観 (敬 師が現実社会 をどうつかんでいるか、-教科で教 えようとすること、依拠 しようとする社 会科諸科学、社会科の目的論 ・目標論)(卦社会科の教育内容論 (カ リキュラム論、教育内 容構成、内容配列)④社会科の教材論 (教材の構成、展開形式、教材資料 ・教具)(む社会 科の授業論 (授業過程の記録、子 どもの認識発達 ・変化のプロセス、授業後の子 どもの記 録、教師の反省 の記録)。 木仝氏 は、 この

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つの視点、項 目を全体 として明 らかに しなが ら、個々の実践の もつ位 置 を捉 えていかなねばならない としている。本研究 において も、諸実践 を単 に個別的に捉 えるのではな く、 占領下沖縄 とい う特定の地域、時代での諸実践 を先 の

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つの視点か ら総 合的にとらえてい きたい。 本論 は占領下 の沖縄 の社会科教育実践史研究の基礎作業の報告論文である。 したが っ て、占領下沖縄 の社会科教育実践 を全面的本格的に論 じた ものではな く、本格的に論 じて い けるため に必要 な素材 などを提示 した ものである。なお、今 回は社会科 の前進発展期

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年)迄 を提示する。 第一章 沖縄 における社会科教育の成立 。展開 沖縄 は

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年 (昭

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、米国海軍軍政府布告第一号 (ニ ミッツ布告) を もって米国の 軍事 占領下 におかれ、その後

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年間、 日本本土 と切 り離 された。その間、沖縄の教育は、 日本教育の影響 を受けなが らも、米国政府の直接支配下におかれた。 本章では、 この ような米軍統治 とい う事情 によ り、全国的動向 とは異 なる戦後教育史 を 歩むことになった占領下沖縄 における社会科教育の全体的な概要 を整理す る とともに、 ど

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史料 編集 董紀 要 第26号 (2001) の ような過程 をた どって、展 開されてい ったのかを考察す る。 第一節 社会科教育の概要 これ までの調査活動の結果、現時点で明 らかになっている占領下沖縄 における社会科教 育の実践 を整理 したのが表

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である。 なお、全国的な社会科教育の動向 とも対比 させ なが ら整理 した。 表

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占領下の沖縄 の社会科教育 に関す る略年表 注 ※印は月 日が不明なものを示す 年 全 国 的 教 育 動 向 沖 縄 の 教 育 動 向 社 会 科 教 育 に 関 す る 事 項 1945年 1946年 1947年 1948年 1949年 1950年 1951年 9.22 GHQ内にC ⅠE設置 5.7 石川地区の城前初等学校開校 4.16 「教 科科 目内容表」通達 、 12.31 GHQ 「修 身、 日本歴史及 8. 沖縄教科書編集所の設置 ビ地理停 止 ニ関スル件」指′← 8.29 沖縄諮初会に 「教育部」設置 13 4.7 GHQ米 国教 育位節 団報告 1. 教育部 を沖縄文教部に改める 書 を発表 1. 沖縄文教学校の設置 沖縄主体の教科課程の編成 5.15 文部省 「新教育指針」発行 2.26 文数部 「文教時報第一号」発 6.25 「礼法要項」が山される 9.10 文部省 「くにのあゆみ」発 行 9.9. 民主主義教育講習公民教育講習 行 4.1学校体系 「8,4制」 10.5 文部省 「国民学校公民教 師 4. 初等学校令

「同施行規則」公 用書」発行 1.16 験授業開始桜 酬 司民学校 で社 会科 の実 8.24.1 「6 .3.3※.14 布沖縄外国語学校の設立文数部 「初等学校教科書編集沖縄教育連合会の結成方針」の発布制」の学制施行 3.2文部省 「学習指導要領 -舵編 (試案)」発行 4.22 文部省 「社会科実施 につ いて」通達 5.5文部省 「学習指導要領社会科編 (Ⅰ)(試案)」発行 6.22 同(Ⅱ)発行 9.2社会科の授業開始 10.9.15 川口プラン発表文部省 「ノト学校社 会科学習 4. 社会科の授業開始 指導要領補説」発行 1. 刺コア連 「か ノキ ユ ラム」創 2.7文部省 r学習指導要領 に も通達とづ く単 元学 習 につ いて」 7.14 歴史教育者協議会創立大会 6.5. 本土教科書が届 く琉球大学の創設 120※,. 社 会科教科書取扱 い講習会文教 部 「社 会 科 について」越 来初校 で壊初 の社会科 のの開始 (のパ ンフレッ ト発行各地区) 5. C ⅠEの オズポー ン、 コア 6. 本土のⅠEFL講習会 に初め 研究発表会が行 なわれる カ リキ ュ ラムい きす ぎを警 ■ト ロ 9.3.322 第番揺 出教育科学研究会全 国協議会2次 米 国教 育使 節 団報告 3. て参加l-沖縄群島教育基本条例」公 3.2 壷屋初校社会科研究発表会5.28 初の実験学校の開始 (教科研 )発足 布 久志初校 :社 会科 カ リキ ユ 4.26 文部省 「道徳教 育 のための 3. 「沖縄群島学校教育条例」公 ラムの構成 (農山村 として) 手引 き番安納」発表 布 大道初枚 :社 会科 カ リキユ -1

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03-史料編集室紀要 第26号 (2001) 1. 勝田 ・梅根論争始 まる 4.28 対 日平和 条約 ・日米安保条 約発効 12.19 岡野 分相 、教 育 課程審議会 に 「社 会科の改善 、特 に地 理 ・歴 史 ・道徳教 育 につ い て」諮問 8.7 教 育 課程 審議 会、社会科改 訂 を答申 10.2 池田 ・ロバー トソン会談 4.28 文部省 r社会 科の指導計画 に関する資料」通達 2.12 文 部省 、小学校 の改訂社 会 科の内容について通達 2.22 社会 科 問題協議 会、社 会科 の改訂 に反対表明 12.15 文部省 「小学校学習指導要 領社会科編」発行 2.20 文部省 「中学 枚学習指導要 領社会科編改訂」発行 9.28 文 部省 、小 中高校 生 に初 の 学力調査 を実施 3.15 教育課程審議会、「小 ・中校 の 教 育 課 程 の 改 善 につい て」答 申 8. 社 会科 の初志 をつ らぬ く会 創立集会 10.1 文部省 、小学校 ・中学校学 習指導要領 を告示 3. 梅 根悟 l社会科10年 のあ ゆみ」刊行 10.26 文部省 、rlコ2 ・3年生 を対 象 に、 5教科 につ き初 の全 国一斉学力検査 を実施 (日教 組、反対闘争) ll.30 文 部省 主催第 1回中学校教 育課程研究集会開催 12.3 文部省 主催第 1回小学校教 育課程研究集会開催 12.21 「裁務教 育諸学校 の教科用 図書 の無償措 置 に閲す る法 律」公布 9.7 全 国連 合小 学校 校 艮会 、学 力テス ト全面中止 を要望 2.28 米民政府 「琉球教育法」 を公 布 4.1 沖縄教育連合会が 「沖縄教職 員会」へ 4. 倍 日琉球派遣研究教員制が発 足

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沖縄諸島祖国復帰期成会の結 成 ※ 夏季認定講習が開始 される 10. 文教局、教育課程の基準作成 にとりかかる 12. 文教局 「基準教育課程 目標編 (試案)」公表 1. 沖縄数職員会、第 1回教育研 究集会開催、教研集会報告書 「沖縄教育」刊行 8.20 中央教育委員会、小 ・中 ・高 校の教育課程 は文数局編の基 弊教育課程 による もの とす る 旨の訓令公布 1.10 民立法による 「教育四法(教育 基本法 ・学校教 育法 ・社会教 育法 ・数育委員会法)」が公布 6. 行政主席、文教審議会 に対 し 教育課程改訂 に関す る諮問を 行 う 7.20 文数審議会、答申 9.16 第 1回文部省派遣教育指導員 の来沖 4.12 文教伺、小学校学習指導安領 告示 4.1 小学校新教育課程全面実施 4.1 中学校教育課程全面実施 10.9 中断 していた文部省派遣指導 員来手や 1.17 第 9次数研範会 「国民教育」 分科会設置 3. 大浜中研究発表会 (群島政府 文数部の実験学校指定)「社 会科 をコアに した カ リキュ ラムの構成 について」 3. 小浜小研究発表会 (群島政府 文教部の実験学校指定)「教 科書 を有効 に利用 しての社 会科指導法 をどうすれば よ いか」 3. 石垣小研究発表会(石垣実験 学校指定)「社会科 カリキュ ラムの構成 と実践」 ※ 各地 区 に社会科 同好会が組 織 される ※ 文教局 「社会科基準教育課 程 (試案)」発行 1. 第2回教研集会、初 の社会 科分 科会 「社 会科 におけ る 道徳教育吉1画案(小 ・中) 1.16 第 5次数研 集会社 会科 「社 会科 にお ける道徳教育の取 扱い方」 10.5 文教局 、社会科 ・理科の全 国学力調査実施 1.19 第 7次数研集会 「教科書教 材 の展 開 と郷 土地理及 び歴 史の取扱いについて」 1.17 第 9次 数研 姫会 「社会科 に おける郷土政和 を どう取 り 扱 った らよいか」 1.16 賓510次数研集会 r郷土教材 の指導法」 1.19 /ト ・中 ・高校合 同の 「沖縄

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史料 編 集 室 紀 要 第26号 (2001) 1,11 中教 審 、 r期 待 され る人間 像」 (草案)を中間発表 10.10 家永 三郎 の教 科書 訴訟 を応 援 す る r教科酋検定訴訟 を 支援 す る全国連絡会」 が発 足 10.3O 教育課程審議会、「小学校の 教 育 課 の改善 につ いて」答 申 7.11 新小 学校学 習指導要領告示 (1971年度から尖施) 4.14 文 部省 新 中学校学習指導要 領 を告 示(1972年度 か ら実 施)。政治 ・経 済 ・社会分野 を公民 的分野 と改称、 1I 2年 で地歴並行学習 (7r型) を股別 とす る 6.2 全国教育研究所連IqH、「義務 教 育 改 善 に 関 す る 意 見 調 教」発 表 。 、1'1数の 子 ど もが 授 業 につ いていけ ない と問 是馴ヒ 9.29 日中国交回複 12. テレビ学校数帝放送開始 4.1 日政援助 に より中学校全学年 に対 し教科書無償給与実施 1.25 教公二法、立法院文教社会委 員会で与党単独決議 2.24 数公二法で同法阻IL火閉会議 団体 と警察官衝突 6.14 行政 主席、文教 審議 会に 「本 土の教育課程の改善 に作 って 沖縄 の教育課程 をどの ように すべ きか」 について諮問を行 ll,11 う 初 の公選主席 に屋 良朝苗氏 当 選 4.12 小学校学習指導要領 の改正告 示(1971年度実施) 2.9 中学校学門指導安節の改正告 示(1972年皮実施) 9.10 沖縄教職員会、沖縄教職員組 合に移行 5,15 日本復帰実現 註 :略年表 を作成する上で、「全国的教育動向」については次の ものを参考 に した。 上田慕ほか編 F社会科教育史資料4j 1977年 pp.648-669 山住正己 r日本教育小史一近 ・現代 -』1987年 年表pp.46-66 また、「沖純の教育動向」 については次の ものを参考に した。 沖縄県教育委員会

F沖縄の戦後教育史』1977年 pp.901-933 -1 05-県社会科教育研究会」 の結 成 ※ 沖縄県歴 史教 育者協議会 の 設 置 8. 沖杜 研郷 土 学 円 資料 (副 読 本 )r沖縄 の 政 治 ・経 済 資 料j発行 1.21第11次数研集 会小 学校 「小 学校社会科 にお け る郷 土学 習 を どの よ う に実 践 す る か」 中学校 「社 会科 におけ る よ り効果的 な学 習形態 は どうあるべ きか」 1.30 第12次数研集 会小学校 「郷 土教材 の指導 は どうあ るべ きか についての実践例 を と お しての研究」 2.9 文教局指定研 究校 、宜野座 中学校研究発表 「社会科 (地 理 ・歴史)における効果的指 導法 一充実 した1時 間の指 導法-」 1.29 第13次数研集 会 中学校 「学 習効果 を高め るための指導 過程のコ二夫実践」 2,6 中 部 地 区 数 育 区 指 定 研 究 校 、中城 中学校社 会科研 究 発 表 「1時 間の指 導 の重点 を明 らか にす るための研究 一指導内容 の精 選 と柵造化 を中心 として-」 7. r祖 国復帰 をまつ 人々の く ら Ll の出版 普及 運動が起 こる ll. 沖社 研郷 土学 習 資料 (副読 本)r沖縄の歴史資料j発行 121 第14次数研集 会小学校 「思 考力 を高 め るため の1時 間 の指導過程 を どう工夫 し実 践 したらよいか」 ※ 沖縄県 中学校社 会 科教 育研 究会の結成 12.26 第16次数研集会 「思考力 を 高め るための指導過程 をど う工 夫 し実 践 した ら よい か」 ※ 沖祉 桝郷 l:学 '[習資料 (副 読 本)F沖純の地理1発行 1.16 第17次数研 集会 「沖縄 にお ける社会科教 育 を どう進 め るか」

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史料 編 集 室 紀 要 第26号 (2001) 第二節 社会科教育の成立過程 「皇民化教育」 が徹底 してな された とされ る戦前の沖縄教育、圧倒 的 な戦争 による破 壊、 アメ リカの 日本本土 と沖縄 に対す る占領政策の違い等、戦後沖縄教育 の出発 にあたっ ては、本土 とは異 なる要因があった。 ここでは、その異 なる要因を分析 。検討 し、沖縄 に おける社会科教育の成立の時代的 ・社会的背景 を考察す る。 1、戟争 の残 したつめあ と 戦後沖縄教育 の出発 にあたって、本土 と沖縄 と大 き く異 なる点の一つ は、"鉄 の暴風" と形容 されるような戦争 による破壊 の程度 である。沖縄戦 は、山野 まで も変 えて しまうほ どの破壊 であった。人的な破壊 は甚大 な ものであった。その人的破壊の一つは、子 どもた ちであ った。戦火 による犠牲 は もとよ り、戦火 を くぐりぬけて きた子 どもたちの生活環境 も破壊 された

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月、沖縄本 島中部 に上陸 した米軍 は、二 日後 には難民収容所 を設 置 し住民 を収容 した。収容人員の多 くは、老人、女性、子 どもであった。南 部戦線 ではまだ 織烈 な戦 闘が展 開 されていた 5月 7日、早 くも難民収容所 内に学校が設立 された。それ は、「ギブ ミ

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」 と米兵 につ きまとい、生活環境 がす さんでいた子 どもたちの保護管理 を (2) 目的 と して始 まった。 この ことは、その当時の設立報告書か らも十分察知で きる。 「開校当初 ノ児童ハ一昨年 ノ十 ・十空襲以来身二人ル学習 ヲナシ得ズ、如何ニシテ何処二避難スル カノ念二道 ヒ詰 メラレ遂ニハ山二走 り壕二篭 り学習訓練 ヨリ仝 ク離 レシノミナラズ、食糧不足 ノ為 顔色青 白ク弊衣逢髪 タリシ故尤モ養護訓練 に重キヲ置キ教科二就キテハ最低限度 ノ要求 (読 ミ方二 於 テ片仮名平仮名五十音 ノ修得、算数二於 テ暗算掛算九々ノ修得、アルファベ ッ トハ一通 り読 ミ書 キ出来得ル程度二努力セ リ。) 梢 々児童落着キタル時二至 り左 ノ項 目ヲ掲ゲ練成二努 メタリ ー 責任観念 ノ養成 - 親切心 ノ養成 一 礼節正 シキ人 ノ養成 - 衛生思想 ノ函養」 人的破壊 の もう一つは、教師であ った。沖縄戦では教職員、教員の卵である師範学校生 の犠牲が多数 にのぼった。例 えば、特 に戦火の激 しかった本 島南部 島尻郡 の国民学校関係 教職員殉教者 は

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名中

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人を数 え、沖縄 師範男子 は学徒 隊編入

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人、女子 (3) は同 じく

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人が死亡 した。 この状況 に加 え、戦後 の生活苦か ら教職 を去 る者が 多 く、教 師不足 に拍車 をかけた。 ちなみ に

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月 までの

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人 が教職 を離れてい ったが、その多 くは賃金 の高い軍作業へ転職 してい った。 破壊 の もう一つ は、物 的な ものである。戦災 によって、校舎 は もちろん教科書類 も焼失

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史料 編 集 室紀 要 第26号 (2001) した。 したが って、学校施設の建設、教科書の編纂 は早急 に取 り組 まねばな らない問題で あ った。当時の状況 を語 る言葉 として次の ものがある。 「教科書 け べて戦火によって焼失 し参考書も全 くなく、ただ沖縄師範学校附属国民学校?.準科書 が宜野座の壕の中にあったので、それをもとにしさし当た り算数の教科書の編纂から始めた」。 「戦前の教科書に郷土史はなかったが、独自の判断で6年生の3学期にこれを教えていた。その時 蓄えた知識が役にたった。舜天王から琉球王国最後の王 ・尚泰に至る琉球王統記を柱に、歴史、宗 教、農業、文化、教育などの概観を記 したo罫紙をまとめ、厚手の紙を表紙に、全体

紐で綴 じ ると 「うるまじま」 と墨書きした。郷土の復興を担う教育への思いをこの一冊に込めた」。 この様 に、沖縄 の戦後教育の出発 は、戦争のつめあ とか らの教育復興であ った。 2、米軍の教育政策 アメ リカ軍の 日本本土 に対 する占領政策 と、沖縄 に対す るそれ とは違 っていた。本土 に お ける占領政策は、非軍国化、民主化政策 にポイン トがおかれ、教育政策 もそれに沿 う形 で展 開された。 ところが沖縄 では、恒久的な米軍基地化が進め られ、米軍側 は沖縄 と本土 との文化、歴史等の異質性 を強調す ることによって沖縄 と本土 とを切 り離す政策 を押 し進 ill.∼ め た。 これは、太 平洋戦争 が終結 した1945年 8月15日諮言句会 を結成す るための仮沖縄 人 諮諌会の席上米軍政府副長官 ムー レ-大佐のあい さつの中に も、その ことが読み取れ る。 そのあい さつ とは 「日本がポツダム宣言 を受諾 して も、皆 さんは心配ない。沖縄 の方 にた い しては、今後 も保護 し復興 に努力す る」 とい う内容の ものであ った。 こうした方向は、 教 育課程 面 で もみ られ た。 それは、非 日本化 であ り、沖縄 の独 自性 ・主体性 の強調 であ (7) り、そ して対米協調 の推進であった。 こうした方向性 は、1945年末か ら1946年 にかけて出 された公式文書 にあ らわれて くる。 1945年11月 7日の沖縄諮言句会議で教育部長は、教員養成所 の設立 にかかわって 「学科 は初 (8) 等英語、新沖縄の建設、地歴」 と述べ ている。そ して、1946年 4月か ら学校体系 は、幼稚 園 (1年)・初等学校 (8年 ・義務教育)・高等学校 (4年) に改め られたが、それに伴 っ て出 された 「初等学校令

「同施行規則

「初等学校教科書編纂方針

「教科科 目内容表 に つ いて

「教科科 目時間配当表」で、その方向性が明確 になる。 初等学校令では、「初等学校ハ新沖縄建設 ノ精神 ヲ体 シ、初等普通教育 ヲ施 シ、児童心 身 ノ基礎 的練成 ヲ為 ス ヲ以 テ 目的 トス」 とし、「新沖縄建設の精神」 を体得 させ ることを 目的 としている。そのための内容 としては、児童生徒 に希望 を与 え、沖縄復興の意欲 を喚 起 す るような ものに努めた。施行規則 では、「沖縄人 ノ業績 ヲ顕揚」す ること、初等学校 教 科書編纂方針では、「沖縄 ノ向上 ヲ図 り其 ノ道徳、風 習、歴史、地理、産業 、経済、衛 -1

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07-史料 編 集 室 紀 要 第26号 (2001) 生 、土木等 二関 スル教材 ヲ多 ク採 り以 テ教育 ノ基礎 ヲ玄 二置 クコ ト

「新教材 はその大部 分 を沖縄 関係 に取 材」 す る とい うことをあげてい る。更 に、広 く外 に も目を向けるように 初等 学校令 では、 「海外発展 ノ思想 ヲ培 ヒ積極進取 ノ意気 ヲ養 フ」 と し、初等学校教科普 編纂方針 では、「沖縄 の歴史 を貫 いて一貫せ る精神 は舟樺 を以 て津梁 と為 す発展精神であ る」 こ とをあげてい る。 また、初等学校令 では、「沖縄 ノ文化 ノ向上 ヲ図 り東亜及 ビ世界 ノ大勢 二就 イテ知 ラシメ、特 二米 国ノ国情二通 セシメ広大 ナル理想 ヲ与 フル コ ト」 と、特 に米 国 に日を向け させ ようとい う意図が出 されている。 この ような方針 は、具体 的 に教科科 目な どに反映 され る。表

1-2

に よる とまず第一 に 人文 科 の歴史 ・地理 の初等4年 が 「郷 土 の観 察」、歴 史 の初等5 ・6年 が 「沖縄 史 の大 要」、 地理 の初等 5 ・6 ・7 .8年 が 「沖縄 中心 の地理 の大 要」、歴史 の初等 7 ・8年が 「沖縄 中心 の東洋史 ・西洋史」 の内容 となってい ることで あ る。次 に英語 が初等学校 1年 か ら必修 となって、初等 1-4年 1時 間、 5-6年2時 間、 7-8年3時 間が配当 された こ とであ る。第三 に 「国語」 民 が 全 学 年 に設 置 され た こ とで あ る。表 1- 2に よる とそ の 内容 は、 初 等 1- 3 年が 「生活指導 ・礼 法」

、4

- 6年 が 「道 徳 一 般 ・礼 法」、 7-8年が 「公 民道徳 ・礼 法 」 とな っ て い る。 こ の様 に 「礼 法」 は、 初 等 学 校 の全 学 年 にわ た って実 施 され、1946年6月25日に 「

法 要 項 」 な る もの が 出 され てい る。 こ う した基 本 方 向 にあ っ た なか で、 戦前 の軍 国主 義 教 育 、 国家 主義 教 育 は どの よ う に扱 われ た の で あ ろ う か。 「文教時報」 第一号

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46.2.26)で次 の よ うに記 述 されてい る。 (!り とい う表現 は使 わず、「読 方」 と した ことであ る。第 四に公 表1-2 初 等 学 校 教 科 科 目 内 容 教科 科 目 一年 二年 三年 四年 二.lt年

年 七年 八年 人 文 料 公民読方 礼法読方書方読生括指導ガ絃方 同FlfJ 同同 一礼法道徳回般 回同 同Fi-子】 礼法公民道徳同 回 同 放史 郷観察 沖縄史のの土 大安 同 W縄中心 の栄洋洋史史 .西 回 地理 地坪の大要沖縄中心の 同 同 同 英語 話聴方方 同 聴 万話番方方 番方 同聴話プ方∫書方ローマ字 riiJ 同 同 哩 敬 秤 理科 臼然の別賢記l 算数 一般 同司 同司 -一理日.司般 同同 同司 伺司 同rifJ 体

秤 体錬 戯遊体操 同 遊戯体操競技 伺 遊戯体操競技武道の基礎動作 同 同 同 衛生 衛生一般 司 同 司 司 司 司 同 了:i 舵 秤 昔栄 歌唱佐貫基礎練習 同 同 同 同 同 同 同 図画 形象の表現鑑看嘗取 同 回 同 同 同 同 同 」二作 」二作-一般 同 同 同 同 同 工 作 一 般 手芸 (女) 回 坐 産 料 腿業 畏l実習業の大安 同 同 同 同 同 同 同 水産 水産の大安実習 同 同 同 同 rii'l liiJ 同 工業 コ二実習業の大安 同 回 同 同 同 同 同 商業 商実業習 の大賀 同 同 回 同 岡 同 弼 衣 政 秤 裁縫(女) 裁縫初歩 同 同 裁縫一服 同 家事(女) 家弓ト ー服 同 「五 軍国的国粋的教育訓練二就イテ軍事的訓練及ビ日本詣歌ノ教育ハ禁ゼラレルコトニナッティ

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史 料 編 集 室 紀 要 第26号 (2001) マス。即 チ修身科ニ ッイテハ 日本 国民 ノ偉大ナル使命 ヲ強調 シタル戦前 ノ如 キ取扱 ヒヤ軍人戦争等 ヲ詣歌 スル教 育ハ許可 サ レマセ ンガ行儀作法ヤ生活指導 ノ如 キ コ トハ大 二望マ シイコ トデア リマ ス。体操 に於 イテハ軍事訓株式 ノ教育ハ許サ レナイガ筋肉 ノ鍛錬 。柔軟体操式 ノ体育ハ大二奨励 シ マス。柔道剣道唐手相撲等ハ之 ヲ許可 シマスガ、体育及 ビ技術 トシテ取扱 フ可キモ ノデア ツテ武力 的戦闘術 的取扱 ヒヲ伴 ウコ トハ禁 ジマス。<以下略

>」

この通牒が示す ように、軍国主義 。国家主義の排除 も、非 日本化 と結 びつけられてすす め られてお り、軍国主義 ・国家主義教育 を構造 として組み替えてい くことは意図されてい なかった。

3

、占領初期 の教員養成 占領初期 の教員養成の特質は、短期養成、再教育養成、教育内容 における沖縄の独 自性 の強調、その他 い くつか存在する。占領初期の教員養成 は、「沖縄文教学校」 に代表 され る 「学校」形式 を とったや り方 と、「認定講習」等 の 「講習」形式のや り方 に分 け られ る。 ここでは、教育実践の実態 をつかむ手がか りとして、その当時の教員養成の状況 を考 えてみることにす る。 沖縄 における戦後最初の教員養成機関は、「沖縄文教学校」である。その創設は

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月である。 この学校のカ リキュラムを週時でみる と、教育 (男女

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時間)、哲学 (男 女2時間)、文学 (男女4時間)、英語 (男子5時間、女子4時間)、音楽 (男子 1時間、 女子2時間)、美術 (男女2時間)、数学 (男女2時間)、体育 (男女2時間)、作業 (男女 2時間)、沖縄文学 (男子4時間、女子3時間)、家政 (女子2時間)であった。教育、英 語、沖縄文学の時数が多いのが 目につ く。 これは、先述 した初等学校の教育課程 と同 じ様 な特徴 を もっていた。その後、「沖縄文数学校」 は

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年 に創設 された琉球大学へ吸収 さ れた。それに代 わって、「教員訓練学校」が新たに開設 された。 戦後 の教 員不足 を補 うため、「沖縄文教学校」 な どの教 員の速成養成機 関が開設 され た。 しか し、それに もかかわ らず、需要には追いつかないため、旧制中学や新制高校卒業 者 を教師に採用 していたが、地方では国民学校高等科卒業者 を教壇 に立たせた ところ もあ った。そ こで、教員 の資質の向上や免許取得、新教育への導入のため、文教部では現職教 員講習 を推進 してい ったが、 この現職教育は復帰後 しば らくの間まで続 くことになる。表

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3

月 までの現職教員講習の一覧表である。 この表 をみ る と、 「新教育講習

「民主主義教育

「公民教育講習 (近代 の教育 ・民主主義

)

「英語講習 (初 上下 ・沖縄版)」 などが特徴的なもの として目につ く。

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0

(11)

9-史料 編 集 室 紀 要 第26号 (2001) 表1-3 占領初期の現職教育講習 講習会名 期 日 新教育講習 1946.6.3-6.4 教科書編纂趣 旨 1946.1.7 教科書編纂趣 旨伝達 1946.7.14-7.17 教科書編纂趣 旨伝達 1946.8 教 科 書 編 纂 及 教 材取 級 1946.8.6-8.9 教科書編纂趣 旨伝達 1946.7.21-7.23 教科書編纂趣 旨伝達 1946.1.28-2.1 新教育講習(国語、算数取扱) 1946.7 国語講習 1946.7 国語講習 1946.8 国語講習 不 明 英語講習 初校上下沖縄版 1946.8 同上 1946.7 同上 1946.9.15-9.19 同上 1946.8.22-8.25 体育 ダンス講習 1946.7 同上 不 明 同上 1946.6.8-6.10 民主主義教育 1946.9.15-9.19 体育講習 1947.5,6-5.7 同上 1947.5.19-5.20 同上 1947.6.20-6,22 琉球政府文教 局 「免許規則認定講習一覧」 より作成o 講習会名 期 日 体育 ダンス講習 1947.8.27-8.29 同上 1947.12 同上 1947.12.27-12.29 教員資質向上講習 (教 育 、心 理 、生 物 、論 理) 1947.8.9-8.10 同上 1947,12 新教育講習 1947,6.4 同上 1947.12.16-12.17 教育講座(歴史、経済、水産) 1947.8,19-8.20 英語講座 1947.7 同上 1947.8,15-8.16 同上 1947.7.8 理科講座 1947.12.ll 同上 1947.12.9 新仮名遣講習 1947.12 同上 不明 夏季講習(原子エネルギー) 1947.8.7-8.10 音楽講習 1947.12 救急法実技、水 泳 1947.12

4.

社会科教育の展開過程 前項 までに述べ たような時代 的 。社会的背景の もと、沖縄 における社会科教育は、本土 よ り1年遅れの1948年 (昭23) 4

「6 ・3 ・3制」の新学制の もとで始め られた。当初 本土 の ように、指針 となる 『学習指導要領一般編 (試案)』 (昭22.3.20)、『学習指導要領 社会科編 (試案)』 もない上 に、前節で述べ た極めて厳 しい社会的条件の もと、それは、 ス ター トしたのである。 まさに、それ こそ混乱 ・混迷のス ター トであった。 以後、諸々の社会的条件の もと、占領下沖縄の社会科教育実践が、展開 されてい くので ある。 ここでは、研究上の目安、便宜上、それに、占領下沖縄 における社会科教育 を捉え る上で必要 なことであるので、時期区分 をを特定年で区切 って行 ってみる。具体的には、 次の様 に区分で きよう。(∋模索期 :1948年∼1950年、②前進発展期 :1950年∼1958年、③ 転換期 :1958年-1964年、④反省期 :1964年∼1972年である。

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史料 編 集 室紀 要 第26号 (2001) 第二章 模索期 :1948-1950年 先述 の通 り沖縄 における社 会科 は、本土 よ り1年遅れの1948年 (昭和23)4月 「6 ・3 ・3制」の新学制の もとで始め られた。 しか し、それは全国的情勢 と同様 に順調 な滑 りだ Lではなか った。新学制が始 まって もしば らくは文教部編纂のガ リ版刷 り (教科書) を使 った り、或 いはその頃か ら帰 島 し始めた本土疎 開者が持 ち帰 った墨 で消 された戦時中の教 科書や、防空壕か ら拾 って きた戦前の教科書 を使用 した りして、思 い思 いに教育す る とい う状 態であった。当時の状況 を語 る言葉 として次の ような ものがあ る。 「社会科ができた時は、その内容について本校 (文教学校)の米国人教師に話を乳芦に行ったo 戦前作った郷土の観察 という冊子に似ていると思ったので、授業はそれを参考にした

「今春、新 しく採用 された社会科については憤重な研究を要するので、文教部では 『社会科につ いて』と題するパンフレットを発行する一方、仲宗根編集課長外7名′を講師に、初校、中校教員に 対 し左記の日程で講習会を開催する

」(うるま新報 1948.10.1) 当時の沖縄 の教員 は新教科社会科 に対 す る無理解や誤解 を含みなが ら、その実践 は まさ に試行錯誤の状態だった と推察 される。 第一節 社会科の誕生 本土 においては、すでに教育の機会均等、普通教育の向上 と男女共学、教育系統の単一 化等 の立場 か ら、 6 ・3・3制の新学制が実施 されていた。 沖縄民政府 も本土 の この ような情勢 にかんがみて、従来の8 ・4制 (1946年 4月実施) か ら、 6 ・3 ・3制 の新学制 を実施 した (1948年 4月)。 これによ り新教科社 会科が開始 され ることになった。 ちなみ に新 旧学制 を比較す る と表2- 1の ようになる。新学制実施 にあた り、文教部長 は各学校長 あてに 「新制初等学校教科課程案」 について とい う文書 を 送付 し、「過時間数 は どうか」「自由研究の時間数 は どうか」「英語の時間数 は どうか」「社 会科 を当分 の間分科 して取扱 いたい と思 うが どうか。 またその時間数 は どうか」 と意見 を 開いた。 この ことか らも、新教科社会科 に対す る戸惑いが感 じられる。初等学校教科課程 案 は表2-2の通 りである。 また、中等学校設立要項で設立の 目的 として 「中等学校 は新沖縄建設の精神 を休 し青年 の心 身 を鍛練 し徳性 を潅養 して高等普通教育の完成 を期す と共に実業 に関す る知識技 能 を 授 けること」 を掲 げている。 これは、前章の終戦直後の ように、沖縄建設のために働 く人 .1

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11-史料編 集 室紀 要 第26号 (2001) 間 の 育 成 をめ ざす もの で あ る。 新 学 制 が 始 まって もガ リ 版 刷 り (教 科 書 ) を使 用 し て い たが 、 文 教 部 と して は 何 とか 本 土 の教 科 書 を入 れ て も らい た い と米 軍側 に要 望 を して い る。 そ れが

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年 6月 に な って よ うや く本 土 の教 科 書 が入 って きた。 そ の 時 問 題 に な っ た の が 「国 土 」 の 教 科 書 で あ っ た。 これ まで 日本 的教 材 は 禁止 してい るの に、「国土」 はそ の 内容 が 日本 的教 材 だ け を も り こ ん だ もの だ っ た。 米 軍 は検 閲 の結 果 、 配 給 停 止 を して い る。 この よ うに本 土 か ら きた教 科 書 は 文 数 部 の つ くった ガ リ版 刷 り (教 科 書 ) とは反対 にG H Qの 方 針 で 、 沖 縄 的 な教 材 は削 除 され て い た。 ガ リ 版 刷 り (教 科 書 ) は、 もっ ぱ ら沖 縄 的 教 材 で あ っ た が 、 そ の後 は、 沖縄 的教 材 が 入 って い ない教 科 書 で教 育 してい くこ とになる。 表2-1 新 旧学制一覧表 EDUCATIONALSYSTEMIN OKINAWA 〔新旧学制一覧〕 OldSystem NewSystem (旧制) (新制) :21 :4 :20 :3 1 1 :19 :2 Grade :1

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「8

・4制」 か ら

「6・3・3

制」 と体系 的 ・統 一 的 な もの とな り、教 育制度 的 には整備 され て きた。 しか し、教 育指導 につい て は体系 的 ・計 画 的 な もの にはな って な く、一時 間一時 間の社 会科 学習 をどうす るかで精 一杯 の状 態 で あ っ

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史料 編集 室紀 要 第26号 (2001) た。 た だ新教 科社 会 科 に対 す る社 会 の関心 は高 か った ら し く、 しば しば新 聞 に取 り上 げ ら れ てい る。以 下 にそ の い くつ か を掲 げ る。 「左側 を通 って下 さい。壷屋初等学校生街頭 に進出 一壷屋初校では日下実施中の交通週間の中、 交通整理の傍 ら社会科 と関連 して交通量、違反、違反者の類別 などを調査することになった<中略 >。なお、この計画は生徒 の自治会が中心 となって ビールや コカコーラの空瓶 を集めて販売、ボス タ-と腕章作製の諸経費を賄 っている」 (うるま新報1949.12.18) 「社会科訓練 に-文教初校 (六年生)が警察 を見学。"警察があるため我 々はどんな安全 な生活 がで きるが 'とい う問題の もと約二時間に亘 って警察全般 に亘 る説明を聞 き、署内隈な く参観 し、 警察機能の全貌 を認識 した」 (うるま新報 1950.1.10) 「漁港で社会科見学。本部中二年生。"沖縄の水産業 を発展 させ るには如何 にするが 'の単元扱 いで各方面の調査研究 をしている本部中校二年生は、同町水産組合事務室 に教室 を移 して、本部町 の水産状況説明を聞いて後、漁港渡久地を中心 に水産各面の問題 についての質疑が暮れ近 くまで活 発 に行われた」 (うるま新報 1950.1.31) その よ うな中で、 自作 の社 会科 の冊子 を作 った り して 、啓 蒙 的役 割 も果 た しなが ら数 々 の実 践 を行 った国吉 順 質氏 の実践 を中心 的 に取 り上 げ、検 討 を加 え たい。 l=1 1.社 会科 か らみ た旅 行 の あ りか た (6年生、1949年 6月実 践 ) 本 実 践 は、 「従 来 、 鍛 錬 の場 とな って い た遠足 旅 行 を社 会 科 に立 脚 した もの に した い

とい う問題 意 識 か ら行 われ てい る。 ち なみ に学校 は、 沖縄 本 島 中部 の具志 川村 田場 (硯 具 志 川市 田場 ) にあ り、 遠足 先 は那 覇 、首 里 方面 で あ った。 そ の 中で、 国書 氏 は社 会科 観 と して以 下 の ような もの を上 げ てい る。 ア.真実を求め、真実 を尊び、真実 にしたがって行動す る心構 えを養 う。 ィ.自主的に考え、 自主的に生活すると共 に責任を重ん じる態度 を養 う。 ウ.協同的態度 と奉仕の精神 を養 う。 エ.児童を尊重する。 ○子 どもの生活 と興味 とを考慮 してこれに適する取扱 いをす る。生活 を掘 り下げて広 く深 く調 べ させることによって、 自分の生活に自覚を訴 え自分の生活改善 まで発展 させ る。 ○ 自主的学習 を中心 に してい く。従来の 自学 自習的な復習や予習のや り方ではな く、自主的に 子 ども自身が学習の 目的や計画 を立て、 自分で努力す ることがほん との自発的態度である。 自主的学習の態度 を養 うためには、児童各人の個性 に応 じて 自分の努力で学 ばせるように し つけると共 に、更 に発展 してその結果 において も自分で批判整理す る。 ○協同学習 をすすめる。 ○直接指導 より間接指導 を重 くす る。 遠足 に出発 す る前 に次 の よ うな事 前 学 習 を行 って い る。 -113・

(15)

史料編 集室紀要 第26号 (2001) ①描図法 :透写をして、村別に色塗 りをさせ自村の位置を確認 させる。 (参南部地区の調査 :白地図作製 ③那覇、首里の調査 :戦前の両市の写真、絵はがきの切 り抜 き蒐集。現在の写真の蒐集。名所、 旧跡について話を聞 く。 次 に持 ち物、係 り分担 (例 えば計画委員会 は 日程、調査事 項、経費等の具体案 を教 師 と 相談 して作 製)等 を決めてい る。 更 に、児童 の調査研 究の心構 え を以下の ように示 してい る。 (∋問題 を吟味 して調べ方を考える (参問題の解 き方の順序 :自分で くりかえして何回も読む。問題の中心点をつかむ。問題に関係の あるものを選び、その主客軽重を考える。調べる方法 と順序を立てる。 自分・の方法順序によっ て実地調査をする。 しらべたことをまとめる。まとめたことを発表する。協同研究で意見を交 換 し他人のよいところを取 り入れ材料を豊にする。正 しく整理する。 (釘整理の仕方 :調べた要点を文章に現す。わか りやすい一覧表をつ くる.数字に関係のあるもの は統計表をつ くる。簡単に絵で表す。グラフにする。 ④関係づけて学ぶこと (12) それ らの ことを踏 まえて、旅行 に出かけている。 本実践 は、子 どもたちか らの欲 求、それ と新教科社 会科 をまが りな りに も

1

年 間実施 し ての教 師の側 の反省 を踏 まえて計画実施 されてい る。 まず、学級新 聞 に 「那覇市場 の物価 調べ」 を掲載 したい とい う子 どもたちの願 いか ら出発 してい る。それが 「那覇の市場調査 もお も しろいだ ろ うね

「那覇 に連 れてい って くだ さい。それ を記事 に して学級新 聞 を賑 わせ よう」 とい うように発展 してい った。 また、抽象 的 に流 れ具体 的 な社 会科教育 の研 究 が浅薄 であ った こ と、子 どもたちの郷土 の地誌 についての知識が弱 く、那覇 ・首里 の こと さえ よ くわか らない状況 である とい う教 師の側 の反省 も絡 んで計画実施 された。 この ように本実践 は、子 ど もか ら出発 してい ること、 また 自分 た ちの住 んでい る地域 を よ く知 ろ うと してい る こ と、子 ど もの 自主 的 な学 習活動 を重視 してい る こ とが特徴 であ る。更 に国書氏 は社会科観 と して、「児童 を尊重す る

「子 ど もの生活 と興味 とを考慮 して 取 り扱 う

「自分 の生活 に 自覚 を訴 え 自分 の生活改善 まで発展 させ る

「自主 的学習 を中心 にお こな う」 こ とをあげてい る。 これは社 会科 を、「子 ど もの生活経験 に もとづ いて、子 ども自身 に活動 させ るこ とに よ り理解 、態度 、能力 の統一的育成 を図 る教 科」 と規定 した 昭和

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年版学習指 導要領 の考 え方 に類似 している。 Llい

2.

郷土 史か るた (中

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年) 国書氏 は、「郷土 の過去 を学 び、現在 の姿 をキ ャッチ し将来- の望 み を高 めるための郷 土 史研 究 を打 ち立 てい きたい」 と し、その一助 と して 「郷土 史 か るた」 を工夫 し実践 L

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史料編 集室紀 要 第26号 (2001) た

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近 い句が紹 介 されているが、その 中には多岐 にわたる内容が含 まれ ている。時代 的 には三 山時代、琉球王 国 (第-、第二 尚氏)時代 、そ して明治

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年の廃藩置県 まで扱 わ れてい る。 内容的 には、歴代王の業績 、偉 人、文化、産業等多方面 にわた り取 り上 げ られ てい る。 その中のい くつか を以下 に挙 げる。 い ◇わこうにそなえる ヤラザの砲塁尚清王きづ く ろ ◇ろこく門 たいこたたいて時 しらす は ◇波照間の獅子嘉 忠の心で オヤケ赤蜂 ボンガワラに射たれる に ◇二百年来の衣冠を排 して 琉球に変わる久米村の人々 ◇ 日琉同視論をとなえて向象賢民 心 をたてなおす

◇ベ ッテルへイム 布教に苦 しむ 波上のガンチ ョウ ◇ページル ホール 琉球を欧州に 紹介す ◇ベルリ来島 王城 さわぐ と ◇唐船来た りて 那覇の市にぎわう ち ◇朝鮮安南かけまわる我等の祖先 ◇中山世鑑 修史のはじめ り ◇琉球王国沖縄県となる 松 田道之 お ◇女詩人 恩納ナベに舌崖後世に輝 く か ◇裏手志川 金犀風に変わ り 南山滅ぶ よ ◇ よもに輝 く 察温の政治 た ◇玉城朝薫 日本の踊 りから組踊 りをあむ ね ◇ねむりをきます黒船 上下も共に袖よぬらち う ◇歌 と三味線の昔はじまりや 赤大子 この 「郷土史 か るた」 は、歴代 王の業績 、郷土 の偉 人、文化等多岐 にわた る歴史事項 を読み込 んだカル タ遊 びの一種であ る。そのため子 どもは知 らず知 らず の うち に郷土 の歴 史 につ い て認識 していった もの と思 われ る。 また、 これは聴覚等 の感覚 に訴 え なが ら、 し か も繰 り返 し活用 で きる とい う学習方法上 の特性が兄いだせ る。 そ うい う意味 で 「郷土史 か るた」 は、郷土 史学習 における教育 内容、学習方法 として も有効 であ る と考 え られ る。

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交通 しらべ (中

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国書氏 の指導の下 、三 日間にわた って那覇港 さんば し前 の三叉路 で、交通量調査 を行 っ た。その結果 を基 に次の ようにまとめ社会科 の学習 に役立 ててい る。 (1)車の動 きは時刻 によりちがう (2)昼間4000台も動いているそのわけは ・小禄の大 きい部隊をひかえている (飛行場) ・桟橋 をひかえ沖縄の物資の入 り口になっ ている ・那覇市の入 り口である ・糸満をひかえ離島との連絡に役立つ (3)車の種類はどうか (4)のっているものに目だつものはないか ・船からの荷が多い ・朝の糸満方面からの日本製 トラックには、荷物 と人が4-5人乗って いる (商人) ・日本製 トラックには、作業人以外の一般人が多 く乗っている (人の輸

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(17)

史 料 編 集 室 紀 要 第 26号 (2001) 送) ・自転車の荷物台には、箱がのせてある (行商人) (5)人の動きはどうか ・8-9時ごろは、那覇に出る人が多い (商売-) ・5時ごろは帰 りの車や人が多い ・那覇か ら糸満間の800人近い男の人の大部分は軍作業の人である ・那覇、小禄間主 とし て中年の人が多く商用とみ られる 。外人は夕方出る (6)1000名 ぐらいの人が、那覇 と小禄間を往来 しているがそれについて気づいたことは ・中年の女の人が多く商用 とみ られる ・ふろしき包みかザルを持っている 。ペ リー区の 人より小禄村の人の方が断然多い (7)停留所ができたらあたりがどんなに変化するか ・おかし、果物、アイスケーキなどの露天商がはじまる HJ、さい店、飲食店ができる 。おみやげ品店ができ大きい店に発展する ・旅館、飲み屋 と発展する 本実践は、ただ単 に交通量調査 を して終 わったのではな く、デー タを分析 しそれ を基 に 多方 面 か ら考察 を試 み、更 に停留所 がで きた らとい う仮説 にそって将来 の町の変化 を予測 させ る こ とに よ り、生徒 の社会認識 を広 めてい る。 その後 も生徒 は、 「小禄 村 の人 々の商 売 に つ い て」 「糸満の人の商 売について」 「学 区内の小売 り店 と交通」 「自動車が便利 になったため集落発展に変化 が あ る」「バ スの 新設の問 題」 「交通が産業 にいかに影 響 す るか」という課題 を設定 し、継 続調査 を した。尚、交 通 量 調 査 表 は 上 の 通 りで あ る。 この時期 は、本 土 で実践 さ れ た社 会科教 育 の情報 が ほ と ん ど入 手 で きない状 態 で、教 師 は悪 戦 苦 闘 しなが ら手探 り の実践 をお こな った。 その手 探 りの 中 か ら生 ま れ た 実 践 は、 昭和

2

2

年版 学習指導要領 に基 づ い て行 われ た、いわ ゆ る初 期社 会科 に近 い実践 で あ った。 ところが 、全 国的動 向 と同様 に、ただや た らと交通 什 小 /こ 人 人 人 .衣.q ム 妙 -人 .-●■▼_lI-b - ltP一一●●II'-IH-I-

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(18)

史料 編 集 室紀 要 第26号 (2001) 量 を調査 させ た り、警察 ・漁港 を見学 させ て作文 を書かせ た りす るような目的が不明確 で 形式的な授業 にな りが ちであった。 第三尊 前進発展期 :1950-1958年 この時期 になると、先 の時期の模索 を受 けて、各学校 レベルでのカ リキュラム構成、単 元 の設定、文教部 に よる基準教育課程の作成等、社会科教育 の体系 的な枠組みが作 られる ようになる。 また、 この時期 は社会科教育 について 自主的研 究 ・実践が行 われるなど前進 発展 してい く時期 である といえよう。 この時期 の社会科教育 に影響 を与 えた教育界の出来事 には、本土 で行 われた

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への沖縄側 か らの初 めての参加、「留 日琉球派遣 研 究教員制」 の発足 (1952年)、夏季認定講習会の開始 (1953年)である。 これ らの こ と を機 に本土で展 開されていた実践 を吸収 していった。 文教部 は、新教育 の普及徹底 を期 す為の研究の中心 として、各地 に実験学校 (1951年) を設置 し研究 を促 している。 また、教職員会 も敦研集会 (1955年 に第 1回が開かれ、翌年 の第2回には社会科 の分科会 ももたれる) をもつなど、教育実践 の 自主的検討 ・創造 をす すめ ようとい う動 きがみ られるようになる。 第-節 新教育の導入 1.留 日琉球派遣研 究教員制の発足 (1)背景 と位置づ け 1950年の新教育講習会の開催 を契機 として、新教育 に関わる教員講習会 は、 きわめて盛 況 な もの になる。 しか しなが ら講習会では、講義式 による理論 中心 の ものだったので、教 育技術 の研修が不十分 であ った。そ こで、教職員の間か ら戦前 にあった本土-の研究訓練 (15) 制度の復活 を希望す る声が高 まって きた。そこで、文教部では米国民政府 に対 し申 し入れ を続 けたが、米国民政府 は、(∋教員 の研修 は、琉球大学 を中心 に行 う、②教員不足の折、 半年 も一年 も学校 を空 けて研修 をさせ ることは学校現場 にマ イナス になる、(動本土の教育 は、 アメ リカが指導 して民主教育 を してい るのだか ら、本土 の先生方か ら習 うのは間接 的 になる。我 々が ここに (沖縄) に居 るのだか ら、直接、我 々か ら指導 を受 けるのが得策で (1G) ある、な どとの理由で文教部の申 し出 を拒否 し続 けた。 しか し、世論 の高 ま りや沖縄側 の 強い要望で文部省がそれ を実施す る意向を示 したため、米国民政府 もついにこの制度の実 施 を承認 し、1952年 4月 よ り 「留 日琉球派遣研究教員制」が発足 した。 _11

(19)

7-史料 編 集 室紀 要 第26号 (2001) この研 究教員 制度 は、「回 を重 ね る毎 にその効果 は著 しく、琉球教育 に大 きな刺戟 を与 え、教壇実践 の刷新 は勿論 、教育全般 にわた って強い反省 を促 す契機 をつ くることとなっ た。今 や全琉各地 にひろが る研 究教員 は、それぞれの地域 における教育刷新 の原動力 とな ってい る」 (『琉 球史料』 第 3集、p.420) とい う様 にその役 割が高 く評価 された。 この様 に、帰任者 は、沖縄教育界 の指導者 になってい き、その後校長 ・教頭 ・指導主事 などの大 半 は、 これ らの研 究教員で 占め られてい く。 この制度 の沖縄教育界 に与 えた影響 は実 に計 りしれ ない ものが あ った。更 に

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年度 か らは、校長、指導主事 を対象 と した研修制度及 び本土大学の学 芸学部等 に聴講生 と して研修 を行 わせ る教員大学留学制度 も実現 した。

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72年の復帰 の年 まで に、 これ ら研 究教員等 は

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人 を数 え、更 に復 帰後 も一定期 間、 (17) 継続 された。

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)研 究教員 の観 た本土 の教育 この時期 の研 究教員 の関心 は、 カ リキュラムの構成 と運営 にあ った様 で、帰任者の座談 会

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年)で千葉県 の基準 カ リキュラム、東京都、長野県 、東京教育大学等のカ リキュ ラムの運営方法が報告 されている。更 に、沖縄 ならば こんな単元 でい った らどうだろ うか (18) と文部省 中等教 育課社 会科 主任 が示 した例 が報告 され た。 それ は、次 に掲 げる ものであ る。 一 年 単元 1沖縄 2日本列島 3日本列島を取 り巻 く地域 4欧米の生活 (アフリカをふ くむ) 5世界の縮小 二 年 1沖縄の歴史 (日本列島、大陸との関係を重視 して) 2日本の歴史 (原始、古代、封建) 3日本の歴史 (近代) 4世界のうごき (その-) 5世界のうごき (その二) 三 年 1近代産業の発達 2民主主義の発達 (政治を含む) 3文化遺産 4経済の発達 5世界の平和 また、福 岡県 の警 固小 学校 に派遣 された金城順亮氏 は次 の ように報告 している。

<

前略>私がここにまい りましてから名古屋大学教授の重松鷹泰 (しげまったかやす)先生の中 に大へん関心 させ られ力づけられた言葉があ りました。その中の一つ二つを申 しあげます と F現

(20)

史料 編 集 室紀 要 第26号 (2001) 在、社会科は日本で も大へんむつか しいものだ。結局社会科はアメリカのまねをしたものであっ て、環境 (かんきょう)も設備 もととのったアメリカの国のようなところではできるが、日本のよ うにそれのととのっていないところではまったくだめだ、と世間の人々から言われているが、そう いう人達の考え方がすでにまちがっている。日本のように設備 も環境 もととのっていないところだ からこそぜひともやらなければならないのである。すなわち今の社会をもっともっと住みよい社会 につ くりあげてい く心がまえを自分たちからすすんで養ってい くおべんきょうが社会科であるoj 皆さん、この言葉はきった

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日の講習会で私がきいたお話 しですけれどもこの言葉をその まま沖縄にもっていってみたらどうでしょう.沖縄なればこそより-そうこの言葉も光 りかがやい てくるのではないで しょうか<後略

>。

この ように、当時の研究教員は、 どん欲 に本土の教育実践 を吸収 した。そ して、それ を 沖縄 に持 ち帰 り沖縄教育の向上 に役立てたい とい う思い と、行政面で 日本本土 と切 り離 さ れているが、せめて教育面では、本土 とのつ なが りを持 っていたい とい う思いが強 く感 じ られる。

2.

夏季認定講習の開催 この時期 、沖縄 の教育実践 に強い影響 を与 えた もう一つの制度 は、本土の国立大学教授 や文部省 か ら講師団 を招へ い しての夏季認定講習であ った。 この講習会 は教員 の資格更新 を主 目的 には じめ られた

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年 までの延べ講師数は

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人、延べ受講者 はなん と

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) 人 を数 え

。第二 回、第二 回の講習では、梅根悟 、小見 山栄一、重松鷹泰、田中熊次郎 と い った人々が講 師 と して招へいされている。 この制度 は、夏季休暇 を利用 しての短期 間での資格更新のための講習で、教育実践 の指 導ではなか ったが、沖縄教育 に与 えた影響 は大 きい といえ よう。復帰の年の

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72年の小 中 高の教員総数が、一万一千余名の ところで

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年間に五万四千余名 も受講 したのである。

3.

教育研究集会 その頃の 自主的研 究 ・実践 の動 きの一つのあ らわれに、沖縄教職貞会 による教育研究集 会 (第

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年)がある。 この集会への取 り組み を 「神教組教育研究集会

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年のあゆ み

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」 でみてみ よう。 それに よる と戟災校舎の問題で 「沖縄 の問題 を全国の教職員あるいは全国の世論 に訴 え よう」 とい うことで、屋良朝苗氏 と喜屋武真栄氏が全 国 を歩 きまわっている時、 ち ょうど 日数組数研 が高知で開催

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年) されてい るとい うことで、それ に参加 して非常 に感動 した。 しか し、感動 を受 けなが らも 「沖縄 は取 り残 されている。米軍施政下での沖縄 は ど うなるか」 と沖縄 の将来 に不安 を抱 いた。そ こで、「ぜ ひ、 この成果 は沖縄 に持 ち帰 って 組織 だて を して始め たい」 とい う事 で始め られた。喜屋武氏 はそれについて次の ように述 べ ている

「この教研 集会 は沖縄 の教育史上 まさに画期 的に して歴史的 な ものである と言 _119_

(21)

史料編 集 室紀 要 第26号 (2001) え よう。 と りわけ戦前、戦後 を通 じて これだけの組織力 をもって会員相互が 自主的に研究 活動 をや ったのは始めてではないか。」 こう して始 まった教研集会は徐 々に充実発展 していった。その中で、沖縄 の教育会が き わめて劣悪 な条件 におかれていることが 自覚 され、本土 と沖縄の開 きが相 当に生 じている とい う認識が広 まった。その認識 は、留 日研究教員の帰沖報告や夏季講習の講師たち との 接触 の中で広が っていった。そのことが、無意識 に 「本土 に追いつ く」 ため に頑張 ろうと い う自覚 を教員の中に広げることになった。 第二節 実践の展 開 とその課題 1.実験学校 での カ リキュラム研究 中央 の計 画 をその まま全地域 の学校 に強制す ることは新教育 の方針 に反す る ものであ り、文教部 においては、教育の大綱 を示 し各学校の計画実施お よび評価の指導や助言 をす るのみで 「何 を教 えるか

「如何 に数 えるか」 は地域学校 自体で計画 しなければな らなか った。 この ような観点か ら開設 された実験学校のス ター ト

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年)で、新教育 と りわけ カ リキュラムの研 究が本格的に進め られた。 なかで も、年 に数回本土 と往 来のあった石垣 島測候所 の連絡船や台湾経 由で、いちはや く 「指導要領」や参考書 を本土 か ら取 り寄せて 研 究 をすすめた八重山地区で先進的研 究が なされた。 しか し、研究の成果 をまとめた一次 資料 をを入手 で きなかったので、『戦後八重 山教育の歩み』 を参考 に概要 を次 に掲 げる。 大浜 中学校 のテーマは 「社会科 をコアに したカリキュラムの構成 について」であった。 例 えば、八 重 山の迷信 、格言 について学習す る際 に も、社会科 の立場 か ら調査 を課 して も、統計処理 的なことは数学で、 また迷信 に理科的考察 を加 えた り、国語 的に解明 した り とい う具合 に各教科の専門的立場 よ り学習課題 を解決 してい くように、 カ リキュラムを構 成 し、学習活動 をすすめてい くとい う方法であった。 そ して、 と くに子 ど も達 の学 び方 や問題 解 決学習 の方法 の指導 に重 点 がおかれたた め 、学 習 もよ り能動 的 にな り、意欲 的 な学 習 活動 が展 開 され た。離 島旅 行 の際 も、生 徒 は 自分 た ちの課題 を もっていて、旅行 先 の生徒 や教 師や地域 の方 々 に も積極 的 に質 問 し、 い ろい ろの こ とを学 び とって帰 る とい う ぐあいであ った。 小 浜小 学校 の研 究 は 「教 科書 を有 効 に利用 しての社 会科指導 を どうす れば よいか」 をテ ーマ と した社 会科 カ リキュ ラムの研 究 で あ った。教 科書教 材 を も とに しなが ら、 教 材 の生 活化 をはか り、郷 土化 をはか ろ う とい うこ とであ った。職員 の 自作 で脱穀機 を動 力 化 して学 習 に と りい れ るな どの研 究成 果 をま とめ て

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月 に発表 が な さ れ た。

(22)

史料 編 集室 紀 要 第

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石垣小 学 校 の研 究成果 は、午 前 中の公 開授 業 のの ち、午後 か ら次 の研 究報 告 が な され た。 地域社会の実態調査について スコープ構成について シーケンス構成について 私の社会科単元展開について 石垣小学校 は、その後 も引 き続 き 「社 会科 カ リキュラムの構成 と実践」 をテーマ に掲 げ て研 究 を継続実践 してい った。八重 山の社 会の機 能 と子 ど もの発達段 階 をかみあわせ て単 元 を設定 し、創意 をこらしてつ くった学年別 カ リキュラムは他校 の参考 にされた。 その頃、沖縄 では本土 か ら断片 的 に入 って くる情報 を基 に、幾 つかの有名 なプランの表 を比較 して、各 自の学校 で実践 で きそ うな もの を取 って、課題表や単元展 開表 を作製 して 間 にあわせ てい る学校 が 目につ く中で 「八重 山」 での この取 り組 み は、注 目に値す る。

2.

作業単元展 開の計画 次 に作業単元展 開の計画の例 だが前原教育訓練所 では、各学校 での単元展 開の参考 に し て もらお うと、以下 の ような作業単元 を示 した。 これは、本土の作業展 開 を物 まね的 にそ っ くり受 け入 れ るのではな く、 自分 たちの手 で沖縄 とい う地域 にあ った作業単元 を作 りだ そ う とい う意欲 が見 られる。 学年 学習内容 と時間配当

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海外にいる村の人々

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私達の村

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. 昔の商工業

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交通の昔 と今

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台風

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沖縄の産業

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海 と山の資源

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病 院

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7) 交通 .通信 .運輸

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外国人との交際

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新聞とラジオ

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1) 市町村の政治

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沖縄 と関係の深い国々

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沖縄 では

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年 か ら日本 の教科書 を利用す るこ とにな り、教育面 での本土志 向が強 く な って きた。 そのため、終戦直後 の ような教育 内容面での沖縄 の独 自性 ・主体性 は薄れて きたが、上記 の作業単元で沖縄 の独 自的 な作業単元が幾つかみ られ る。以下 にその作業 単元名 と学習 内容 と時 間配当 を示す。

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史料編集室紀要 第26号 (2001) 学年 作業単元名 学習内容 と時間配当 4 村 の人 々海外 にいる 外 国 には どんな国が あ るか (調査表作 製 (2) 調査態度 についての話 し合 い (2) 実態調査 について話 し合 う (1) 2) 調査実施 (放課後 を用 いる) (3) 調査発表 (2) グラフ作製 (国 と人数) (5) 何時頃多 くい つたか (グラフ) (2) その国の産業 と仕事 との関係 (4) 作文 (2) 台風 沖縄 の気候 について話 し合 う (3) 台風 につ いて (3) 中央気象 台見学 (2) 台風 は どんな順序 で私 達 の耳 に入 るか (2) 台風 の 被害 とその災害 防止 について調べ る (3) その他 の災害 について調 ベ る (2) 台風 災害 防止策 について (3) 我 々の阻先 は如何 に し て天災 を防いだか (3) 植樹 について話 し合 う (3) 台風 につい ての作文 (1) 5 外 国人 との交際 外 国人渡 来 の理 由縄 (3) 外 国人 との交際の機会 ((2) 外 国人の言語 習慣1) 外 国人 との交際 の方法 ((2) 外 国人 の見 た沖3) 米人 の衣食住 に関す る風習 (3) 外 国人 の子 どもの生 活 (2) 世 界地図 よ り主 な国々の位置 .面積 .人 口等 を学 ぶ (3) 絵写真等 を 集 め る (1) 沖縄 に訪 れ た外 国人 について調べ る (2) 外 国人 の 与 えた影響 (1) 6 沖縄 と関係 日本 .沖 縄 の近 くに どん な島 々が あ るか (3) 日本 地 理 の大 要 の深 い国々 (7) 日本植物分布 図 (4) 南洋の島々について調べ よう (5) 世界地理 の大要 (六大州)(5) 沖縄 と歴史 的 に関係 の深 い国々つ いて調べ よう (2) 世界地理 より沖縄 の位置 (航路) (5) 移民 間 題 (4) 沖縄 の現在 沖縄 の人 口 と耕地面積 (3) 必需 と供給 (3) 生活改善 (9)保健 . と将来 厚生 .慰安 (6) 沖縄 の政治 (5) 沖縄 の社会問題 について (7) 沖縄 の現在直面 している困難 を解決す るには (3) 農業 の精神改革 とその改善 (6) 移民問題 (4) 初等学校 の 児童 の 自己反省 (1) 学級 を通 しての 自己の反省 (1) 今 までの 反省 勉強の結果 について (1) 下級生 に対 して上級生 と して どんなこと を指 導 して きたか (1) 最 も仲 の よか つた友 達 につ い て話 し合 う (作文 ) (1) 六年生修了生 として どん な こ とを した ら楽 しく中学 へ いけ るか

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)

年 中行事 についての反省 (1) 六 .≡ .三制 に

参照

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