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B 中間子セミレプトニック崩壊による新物理模型の検証
Test of new physics models through B meson semileptonic decays
金児隆志Takashi Kaneko 高エネルギー加速器研究機構
High Energy Accelerator Research Organization 要旨 B 中間子の B→D*ℓν セミレプトニック崩壊は素粒子標準理論の基礎パラメタである小林・益川 行列要素 |Vcb|の決定を与える。しかし、異なる崩壊モードから決定した値と矛盾していることが 長年の未解決問題となっている。この矛盾を解決するためには、量子色力学(QCD)の非摂動効 果を記述する形状因子の確かな理論計算が必要となる。本研究では、時空格子上に定式化した QCD の数値シミュレーションを行い、形状因子の第一原理計算を進めた。研究当時、これまで の |Vcb|の決定に採用されていた現象論的仮定を排することによって |Vcb|の矛盾は解決されると 主張されていた。本研究はこの現象論的仮定が良い精度で成立していることを第一原理から確認 し、|Vcb|の矛盾は未だ解決していないことを指摘した。 キーワード:格子量子色力学、数値シミュレーション、素粒子標準理論、フレーバー物理、新し い物理 Abstract
The B→D*ℓν semileptonic decay provides a determination of a Kobayahi-Maskawa matrix element |Vcb|,
which is a fundamental parameter of the Standard Model of elementary particle physics. However, there has been a long-stranding discrepancy among |Vcb| estimated from different decay modes, which can be
resolved by a theoretically sound calculation of the form factors describing non-perturbative QCD effects. In this project, we carry out a first-principles calculation of the form factors by means of numerical simulations of QCD on space-time lattices. Recently, it is proposed that the |Vcb| discrepancy could be
resolved by removing a phenomenological assumption employed in the conventional determination of |Vcb|.
However, we confirm that the phenomenological assumption is reasonably fulfilled from first-principles, suggesting that the discrepancy has not yet been resolved.
Keywords:lattice QCD, numerical simulation, Standard Model, flavor physics, new physics © 2021 Research Organization for Information Science and Technology All rights reserved.
Received: 4 January 2021 Accepted: 13 July 2021
2 1. 研究の背景と目的 素粒子標準理論は、多くの地上実験の結果を説明することに成功しているものの、暗黒物質の 存在や反物質の消失などを説明できないという重大な欠陥を持つ。このため、標準理論に欠けて いる物理的メカニズム、即ち「新物理」が存在すると考えられている。新物理を探索・解明し、 新しい基礎理論を構築することは、素粒子物理学の最重要課題の一つである。 B 中間子の豊富な崩壊モードは新物理の有望なプローブと期待されている。新物理のヒント、 即ち、標準理論の綻びを見つけ出すためには、標準理論の予言と実験結果を精密に比較する必要 がある。我が国は国際共同実験 Belle II を主導し、B 中間子崩壊の測定精度を今後 10 年間で格段 に向上させようとしている。これに見合う理論研究精度を達成するためには、標準理論の基礎パ ラメタであり、B 中間子反応の強度を記述する小林・益川行列要素を高精度で決定しなければな らない。本研究では、B→D*ℓν セミレプトニック崩壊からの小林・益川行列要素|Vcb|の決定に着 目する。(本稿でℓ = e, μ, τ は荷電レプトンを集合的に表す。) B→D*ℓν 崩壊の微分崩壊率は dΓ/dw = |Vcb|2 L(w) H(w) と書くことができる。ここで w はレプト ン対ℓν の不変質量であり、反跳パラメタと呼ばれる。L(w)は電弱相互作用の効果を表し、摂動展 開により高精度で計算できる。一方、H(w)は強い相互作用の効果を表し、次式のようにハドロン 行列要素から定義される4 つの形状因子 hA1(w), hA2(w) , hA3(w) , hV(w)の非自明な線形結合で与えら れる 〈𝐷𝐷∗�𝑉𝑉 𝜇𝜇�𝐵𝐵〉 = i𝜀𝜀𝜇𝜇𝜈𝜈𝜌𝜌𝜌𝜌𝜖𝜖∗𝜈𝜈𝑣𝑣𝜌𝜌𝑣𝑣′𝜌𝜌ℎ𝑉𝑉(𝑤𝑤), (1) 〈𝐷𝐷∗�𝐴𝐴 𝜇𝜇�𝐵𝐵〉 = −(𝑤𝑤 + 1)𝜖𝜖𝜇𝜇∗ℎ𝐴𝐴1(𝑤𝑤) + (ϵ∗𝑣𝑣)𝑣𝑣𝜇𝜇ℎ𝐴𝐴2(𝑤𝑤) + (ϵ∗𝑣𝑣)𝑣𝑣𝜇𝜇′ℎ𝐴𝐴3(𝑤𝑤). (2) (ここで、v(′)はB (D*)中間子の4元速度ベクトル、𝜖𝜖は D*の偏極ベクトル、ε は完全反対称ベク トルであるが、形状因子の定義の詳細は以下では重要ではない。)形状因子を高精度で計算でき れば、H(w)と L(w)の理論値、そして微分崩壊率 dΓ/dw の実験値から|Vcb|を決定することができる。 しかし、形状因子はハドロンの物理、即ち、QCD の非摂動効果を記述するため、解析的な摂動 法では計算できない。このため、従来の|Vcb|の決定では、重クォーク有効理論と呼ばれる現象論 的模型に基づいて各形状因子のw 依存性をパラメトライズし、その不定パラメタを微分崩壊率の 実験データを再現するように決定していた [1]。本来 QCD から予言できるはずの形状因子を、現 象論的パラメトリゼーションと実験データから評価していたと言って良い。 このようにして決定した|Vcb|と、内包的崩壊と呼ばれる異なる崩壊モードから決定した値との 間には6%(3σ)のずれがあり、10 年来の未解決問題となっている。Belle II 実験は B→D*ℓν の 崩壊振幅を1 – 2%という高精度で決定できるが、この矛盾を解決しなければ、Belle II による高精 度化の意義が失われる。この矛盾の原因は現象論的模型に基づいた形状因子のパラメトリゼーシ ョンであると長年疑われており、2017 年に複数のグループが一般化したパラメトリゼーションを 用いることによって|Vcb|の矛盾を解消できると主張した [2]。
しかし、一般的なパラメトリゼーションを用いたとしても、本来 QCD から予言できるはずの形 状因子を実験データから評価していることに変わりない。著者らは、Belle II と協力した新物理探 索に向け、|Vcb|の矛盾を理解・解消するために、格子 QCD の数値シミュレーションによって B→D*ℓν 崩壊の形状因子を第一原理から計算した。本研究は3年間の継続利用(課題番号: hp170106、hp180132、hp190118)によって実施し、本稿では、初年度(2017 年度、hp170106)に 得られた成果を発表する。 2. 計算モデル 計算モデルは、QCD を時空格子上に定式化した格子 QCD のモンテカルロシミュレーションである。 動的クォーク場の効果を取り入れて、グルーオン場の時空格子上の配位を生成し、生成した配位 上でハドロン相関関数を計算し、ハドロン行列要素 (1), (2)式を抽出する。 2017 年度は、2 つの格子間隔 a = 0.080, 0.055 fm でシミュレーションを実施した。格子サイズ は、それぞれ、323×64、483×96 である。計算コストを削減して高統計精度を達成するため、現実 世界よりも重いπ中間子質量 Mπ = 300, 400, 500 MeV でシミュレーションを行い、最終的には、 結果を現実世界での質量(135MeV)へと外挿する。これをカイラル外挿と呼ぶ。また、ambのべ き乗で増大する離散化誤差を抑制するため、現実世界よりも小さいボトムクォーク質量 mbを複 数点とり、現実世界のボトムクォーク質量への外挿も行う。ただし、「4. 研究成果」で示すよう に、これらの質量依存性は大きくない。 本研究の特色は、ドメインウォール型の定式化を採用し、QCD の低エネルギー物理を特徴づ けるカイラル対称性を保ってシミュレーションを行っていることである。この対称性は、格子 QCD のくりこみを非摂動的に行い、また、O(amb)の支配的な離散化誤差を取り除くことを可能に する。さらに、この対称性を指導原理とするカイラル摂動論の予言を用いてカイラル外挿を制御 することもできる。従来の研究と比べると、対称性を正しく保つ理想的な定式化を採用し、その 良い性質を用いて系統誤差を制御するという点で際立っている。 3. 並列計算の方法と効果(性能) 本研究では、他のB 中間子崩壊の研究のために生成した場の配位を再利用する [3]。このため、 シミュレーションの支配的な時間はハドロン相関関数の計算、特に、相関関数を構成するクォー ク伝搬関数の計算に費やされる。クォーク伝播関数はクォーク行列と呼ばれる疎行列の逆で与え られ、これを共役勾配法を用いて計算する。ただし、本研究の問題サイズでは、クォーク行列は O(106)の巨大行列となるため、共役勾配法は膨大な演算量を必要とする。そこで、高性能な Oakforest-PACS 計算機を用い、時空格子を部分格子に等分割して並列計算を行った。 QCD の並進対称性と局所性から、各部分格子の演算量は一様で、隣接部分格子のみが通信を 必要とする。このため、本研究のシミュレーションは並列計算に適したアプリケーションといえ
4 Fig.1 形状因子 hA1(w) (左図)と hV(w) (右図)を力学変数 w に対してプロットした図。格子カ ットオフがa-1 = 2.5 GeV, 3.6 GeV の結果をそれぞれ黒、青のシンボルでプロットした。白 抜き、網掛け、塗りつぶしのシンボルはMπ = 300, 400, 500 MeV の結果を表し、また、mb が異なる結果を形の異なるシンボルでプロットしている。 る。MPI と OpenMP を併せたハイブリッド並列化と最大 128 ノードを用いてシミュレーションを 実行し、並列化効率の実測値は90%を超えている。 4. 研究成果 ハドロン相関関数からハドロン行列要素 (1), (2)式を経由して、4 つの全ての形状因子を計算し た。近年の|Vcb|の決定において特に注目を浴びている 2 つの形状因子 hA1(w), hV(w)の結果を Fig.1 にプロットした。異なるシンボルは、格子間隔a、π中間子質量 Mπ、ボトムクォーク質量mbが 異なる結果を表している。これらが互いに近い値をとっていることは、物理的なMπ依存性とmb 依存性、さらに系統誤差である離散化誤差が小さいことを示唆している。今後、シミュレーショ ンをより細かい格子や現実世界に近い質量に拡張することにより、連続時空と現実世界でのクォ ーク質量への外挿を高精度で制御できると期待される。 ただし、現時点でも|Vcb|の決定について示唆を得ることができる。「1. 研究の背景と目的」で 触れたように、従来の|Vcb|の決定では、現象論的パラメトリゼーションを用いて形状因子を実験 データから決定していた [1]。以下では、Caprini, Lellouch, Neubert によって提案されたこのパラ メトリゼーション[4]を CLN パラメトリゼーションと呼ぶ。これに対し、近年、複数のグループ が場の理論の基本的性質(解析性とユニタリ性)にのみ基づいたパラメトリゼーションを用いて 解析を行い、内包的崩壊からの決定と無矛盾な|Vcb|を得た [2]。Boyd, Grinstein, Lebed によって提 案されたこのパラメトリゼーション[5]を BGL パラメトリゼーションと呼ぶ。このため、本研究
Fig.2 形状因子の比 R1(w) を力学変数 w に対してプロットした図。我々の格子 QCD 計算 の結果をシンボルでプロットした。シンボルの意味は図1と同じである。紫と緑のバンド は、それぞれ、CLN と BGL パラメトリゼーションを用いた解析の結果を表す。これらの 解析では、Belle II 実験の前身である Belle 実験の高精度データを用いている。 当時は、CLN パラメトリゼーションの不定性が正しく理解されていないことが|Vcb|の矛盾を引き 起こしており、|Vcb|の矛盾は解決されたという認識が広まりつつあった。 ところが、本研究の第一原理計算により、CLN パラメトリゼーションを強く支持する結果を 得た。CLN と BGL パラメトリゼーションを用いた解析は、|Vcb|だけでなく、形状因子の比 R1(w) = hV(w) / hA1(w)についても大きく異なる結果を得ている。Figure 2 に示すように、我々の結果は CLN パラメトリゼーションを用いた解析と非常に良く一致し、むしろ、BGL の解析の不定性が 過小評価されていることを示唆する。 なお、異なるパラメタの結果を表す異なるシンボルが殆ど重なっていることは、比 R1(w)のパラ メタ依存性が非常に小さいこと、従って、図のシンボルは連続時空と現実世界クォーク質量での 値の良い近似となっていることを示唆している。 CLN パラメトリゼーションは重クォーク有効理論に基づいて不定パラメタの一部を決定する ため、BGL パラメトリゼーションは CLN に比べて多くの不定パラメタを持つ。文献[2]の著者ら は、Belle II 実験の前身である Belle 実験の高精度データを用いることにより、全ての不定パラメ タを決定できたと報告していた。しかし、本研究の成果の発表後[6]、パラメタの決定の不定性が 指摘されて[7] BGL パラメトリゼーションを用いた解析が更新され、その結果は我々の格子計算 やCLN の解析と一致するようになった[8]。
6 5. まとめと今後の課題 本研究では、|Vcb|の決定において重要なB→D*ℓν セミレプトニック崩壊の形状因子の第一原理計 算を格子 QCD の数値シミュレーションによって進めた。研究当時、現象論的パラメトリゼーシ ョンを排することによって|Vcb|の矛盾が解消するという認識が広まりつつあったが、本研究はそ の反例を与え、その後の現象論的解析によって支持された。 本研究は|Vcb|の矛盾の理解に有意な貢献をしたと考えているが、矛盾の解決には至っていない。 矛盾を解決するためには、格子QCD によって全ての形状因子を決定し、|Vcb|の決定において形状 因子を実験データから決定するという間接的な手法を排除する必要がある。本研究の継続課題 (hp180132, hp190118)によって、本研究をより細かい格子や現実世界に近いクォーク質量へと 拡張した。連続時空と現実世界のクォーク質量での形状因子を決定し、|Vcb|の決定に応用するこ とが今後の課題である。 謝辞 本研究課 題は、 最先 端共同 HPC 基盤施設(JCAHPC)が提供するスーパーコンピュータ Oakforest-PACS の計算資源の提供を受け、実施しました。ここにお礼申し上げます。 参考文献
[1] 形状因子の現象論的パラメトリゼーションを用いた最近の解析は、F.U. Bernlochner et al., Phys. Rev. D 95 (2017) 115008.
[2] D. Bigi et al., Phys. Lett. B 769 (2017) 441; B. Grinstein and A. Kobach, Phys. Lett. B 771 (2017) 359. [3] B. Colquhoun, S. Hashimoto and T. Kaneko, EPJ Web Conf. 175 (2017) 13004.
[4] I. Caprini, L. Lellouch and M. Neubert, Nucl. Phys. B 530 (1998) 153. [5] C.G. Boyd, B. Grinstein and R.F. Lebed, Nucl. Phys. B 461 (1996) 493.
[6] T. Kaneko et al. (JLQCD Collaboration), Proceedings of Science, LATTICE2018 (2019) 311. [7] F.U. Bernlochner et al., Phys. Rev. D 100 (2019) 013005.