密 教 文 化
金 剛 乗 と タ ン トラ分 類
静
春
樹
問 題 の 所 在 『真 実 摂 経 』(『初 会 金 剛 頂 経 』)は、 四 大 品 の各 品 末、教 理 分 各 品 末、 お よ び終 末 な ど で、 「善 説 され た この 経 典 は無 上 な る金 剛 乗 で あ り、一 切 如 来 の秘 密 で あ り、大 乗 を集 約 した もの で あ る」(1)と宣 説 して、 自 らの思 想 内 容 と実 践 体 系 を 「金 剛 乗 」(Vafrayana)の 語 で締 め括 うて い る。 自 らが 打 ち出 した 新 た な思 想 内容 と実 践 体 系 を金 剛 乗 と して別 立 しよ う とす る こ の 『真 実 摂 経 』 自身 が もっ 姿 勢 は、同 経 を註 釈 す る阿 闇 梨 た ち に し っか り と把 握 され た。例 え ば、Anandagarbhaは、 『真 実 摂 経 』 の註 釈 書Tatta-Zokaの 中 でtzrtkka(外 教 徒 ・外 道)(2)を 釈 して、 以 下 の よ う に まで 言 い 切 って い る。 「外 教 徒 」 とは、声 聞 や独 覚 や仏 乗 を喜 ぶ 経 量 部 で あ り、般 若 波 羅 蜜 乗 の み に住 す る者 は 〔通 常 の意 味 とは〕別 な 外教 徒 で あ って、 〔甚 深 広 大 な〕金 剛 乗 の 辺 際 に依 止 しな いが 故 で あ る(3)。 金 剛 乗 の 阿 閣梨 た ち は、 イ ン ド密教 の総 体 を金 剛 乗 で包 括 しよ う とす る。 『毘 盧 遮 那 現 等 覚 』『真 実 摂 経 』 も、当然 タ ン ト ラと い う こ と に な る。 これ は彼 らの立 場 か らす れ ば、 よ く理 解 で きる こ とで あ る。一 方、 主 に 欧 米 の 研 究 者 は、初 期 密 教 聖 典 の 具 名 に タ ン トラが あ る こ と を重 視 して、 イ ン ド 密 教 を お しな べ て仏 教 タ ン トリズ ム とす る立 場 を と る。 これ に対 す る筆 者 の 見解 は異 な る。筆 者 は、初期 密 教 経 典 が タ ン トラの 名称 を持 っ か らと言 って、仏 教 タ ン ト リズ ム と は しな い。 も しそ うす る と、金 剛 乗 が イ ン ド密 教 (仏 教)へ もた ら した 断 絶 と飛 躍 を 焙 り出 す こ と は 難 し くな り、 イ ン ド密 教 史 は、 タ ン トラ と は、「相 続 」(prabandka)(4)で あ る と い っ た語 義 解 釈 の範 囲 か ら抜 け出 な い平 板 な もの に な って しま うで あ ろ う。 しか し、これ は単 な る見 解 の相 違 と言 って片 づ け得 る性 質 の問 題 で も な い。 そ こ で、金 剛 乗 以 前 の 初 期 密 教 経 典 群 と金 剛 乗 成 立 以 後 の タ ン トラ とを 分 か っ 分 類 指 標 と して 主 な三 点 出 す。 そ れ は、1)「貧 欲 行 」(ragaoarya)の 宣 揚、2)外 教 徒 に対 す る挑 戦 的 な姿 勢 ・殺 害(mamna)、3)肉 食(mamsabkaksana) と カ ー ス ト制(aarna-fati)の 問題 で あ る。筆 者 は この 分 類 指 標 に基 づ い て、密 教 史 を イ ン ド仏 教 史 に リ ンク させ、 一 回 り大 きな 規 模 で 問題 提 起 を して い る。っ ま り、イ ン ド仏教 は声 聞乗 ・波羅 蜜乗(初 期 密 教経 典 を含 む)・ 金 剛 乗 の三 っ の 乗 を も っ た と い う思 想 史 上 の 問 題 提 起 で あ る(5)。 『真 実 摂 経 』 が 打 ち 出 し た 新 た な 思 想 の 質 を 我 が も の と し た 阿 闇 梨 た ち が、 同 経 お よ び そ れ に 到 る ま で の 経 典 を 註 釈 す る 過 程 で、 金 剛 乗 が 声 聞 乗 ・ 波 羅 蜜 乗 と 肩 を 並 べ る 新 た な 体 系(乗)と し て 鮮 明 な 姿 を 現 す。Buddha-guhya, Padmavajra, Sakyamitra, Anandagarbhaと い っ た 阿 閣 梨 た ち
は、 そ れ ま で の 「小 乗 」 や 「大 乗 」(波 羅 蜜 乗)の 成 仏 論 に 裏 張 り さ れ た イ ン ド密 教 を 金 剛 乗 に よ っ て 仏 教 と して 「自 立 」 さ せ た の で あ る。 彼 ら の 行 っ た こ と は そ れ に 留 ま る も の で は な い。 彼 ら は 同 時 に、 象 徴 主 義 的 傾 向 が 生 み 出 し た 『真 実 摂 経 』 以 前 に 出 た 密 教 文 献 の 全 体 に も、 『真 実 摂 経 』 の 信 解 者 が 確 立 し た 意 味 で の 「タ ン ト ラ」 の 語 を 押 しっ け た の で あ る。 と こ ろ で、 初 期 密 教 経 典 群 に は、 『蘇 婆 呼 童 子 経 』(Su bahu、pariprccha-nama-tantra)、 『蘇 悉 地 経
』(Susiddhikara-mahatantra-sadhanopayika-patala)、 『菱 ロ四耶 経 』(Sarvamandala-samanyavidhinam guhyatantra) 等 の よ う に タ ン トラ の 具 名 を も っ 経 典 も い くっ か あ る。 し か し そ の ど れ も が、 自 ら を 「所 作 」 タ ン ト ラ と は 定 義 して は い な い。 『毘 窟 遮 那 現 等 覚 』 『真 実 摂 経 』(「四 大 品 」)も 自 ら を そ れ ぞ れ 「行 タ ン ト ラ 」 「喩 伽 タ ン ト ラ 」 金 剛 乗 と タ ン ト ラ 分 類
密 教 文 化 と は定 義 して い な い。両 者 の名 称 は、「ス ー トラ」で あ って 「タ ン トラ」で す ら な い。 ま さ し く、金 剛 乗 の 阿 閣 梨 た ち が、 密教 文 献 の す べ て を説 示 内 容 を共 通 に す る経 典 ごと に グル ー プ化 し、タ ン トラの階 梯 と して 把 握 す る た め の 分類 概 念 と して機能 す る範 疇 を新 た に 作 り出 したの で あ る。 こ う し て初 期 密 教 経 典 群 を 所 作 タ ン トラ、『毘 盧 遮 那 現 等 覚 』を 行 タ ン トラ、『真 実 摂 経 』が 中 心 経 典 と な った 喩 伽 タ ン トラ と い う三 っ の 階 梯 が 成 立 す る。 この よ う に、 イ ン ド密 教 全 体 の カ ヴ ァー を 意 図 した 「タ ン トラ分 類 法 」 を 論 ず る限 り、それ は金 剛 乗 の枠 内 に包 摂 され る こ と を意 味 す るの を 忘 れ て は な らな い。 『真 実 摂 経 』の 成 立 を7c後 半 と し、ム ス リム の 軍 勢 にVikramail巨 僧 院 が 破 壊 さ れ た1203年 を も って イ ン ド密 教 終 焉 の年 とす る な らば、 そ の 間 は お よ そ500年 以 上 の タ イ ム ス パ ンが あ り、 イ ン ド密 教 の 世 界 で は、根 本 的 な タ ン トラを 中 心 と して、続 タ ン トラ、釈 タ ン トラを従 え た小 宇 宙 が い くっ か 形 成 さ れ、相 互 の 交 渉 が あ り、そ の ど れ に も属 さ な い相 対 的 に 独 立 した タ ン トラ もい くっ か作 成 され 流 布 した と考 え られ る。金 剛 乗 はそ の 長 い 展 開 過 程 で 内 部 に異 な っ た傾 向 を生 み 出 し多 くの タ ン ト ラを作 成 す る-方、最 期 ま で そ れ らの合 理 的 な分 類 に腐 心 す るの で あ る そ もそ も タ ン トラ分 類 が もっ最 大 の 問 題 点 は、思 想 内容 ・修 法 論 な どの 傾 向 を 同 じ く し継 承 発 展 関 係 が 見 られ る聖 典 を グ ル ー プ別 にす る こ と が、 同 時 に優 劣 関 係 の 確 定 と重 な る こ とに あ る。っ ま り分 類 さ れ て 出 来 上 が っ た群 が 「階 梯 」(stage)の 意 味 を も併 せ もっ こ と に な る。金 剛 乗 の 阿 闊 梨 た ち に と って、 最 初 期 の密 教 経 典 か ら始 ま り 『真 実 摂 経 』 に到 る ま で の聖 典 群 を所 作 タ ン トラ ・行 タ ン トラ ・喩 伽 タ ン トラに 分 類 す る こ と に つ いて、 大 筋 で は異 論 は見 られ な い。問 題 は金 剛 乗 成 立 以 後 の長 い歴 史 の 中 で生 み 出 さ れ た諸 タ ン トラ群 を 概 括 し優 劣 関 係 を 出 す こ とで あ る。聖 典 の グ ル ー プ化 は比 較 的 容 易 で あ ろ う。 しか し優 劣 問 題 にっ いて は、金 剛 乗 の 論 師 た ち の 間 で か な りの 躊 躇 と揺 れ が 見 られ る。 これ は一 に い わ ゆ る 「父 タ ン ト
ラ」 に 対 して 「母 タ ン トラ」の 優 位 を認 め るか ど うか の 問題 に絞 られ て く る。 こ う した グ ル ー プ化 と優 劣 判 定 の結 果 が、 これ か ら見 る 「四 分 類 法 」 と 「五 分 類 法 」の 相 違 と して 現 れ る。
イ ン ドか ら伝 来 しチ ベ ッ ト語 訳 され た密 教 文 献 のす べ て を 精査 した上 で、 そ れ らを整 理 ・分 類 す る とい う イ ン ドの 阿 闇 梨 た ち に もで き な か った一 大 偉 業 を 成 し遂 げ た の は、 チ ベ ッ トの 大 学 匠 フ ト ゥ ン(Bu ston Rin chen grub 1290-1364)で あ る。 イ ン ドに お け る各 種 の タ ン トラ分 類 法 を 熟 知 して い た プ ト ゥ ンは、周 知 の とお り、「四 分 類 法 」(6)を打 ち 出 し、チ ベ ッ ト に伝 来 し翻 訳 さ れ た 密 教 文 献 を吟 味 して各 階梯 に配 当 した(7)。本 稿 で と く に 問 題 に して い る 「後 期 密 教 」 に関 して は、 それ を 「父 タ ン トラ ・母 タ ン トラ ・不 ニ タ ン トラ」 の三 グ ル ー プ と し、『カ ー ラ チ ャク ラ』 を 「方 便 父 タ ン トラ」 と 「般 若 母 タ ン トラ」 の統 一 され た 「不 ニ タ ン トラ」 と して 別 立 した こ の 分 類 法 は プ トゥ ン独 自 の 教 判 で あ る と評 価 さ れ て い る。 しか し 「方 便 タ ン トラ」す な わ ち 「父 タ ン トラ」 と 「般 若 タ ン トラ」す な わ ち 「母 タ ン トラ」 を優 劣 関 係 に は置 か ず、両 者 を 包 括 す る上 位 概 念 を設 け た 点 が 本 当 に重 要 な彼 の 見 解 な の で あ る。プ トゥ ンの分 類 法 の 延 長 に あ る チ ベ ッ ト仏 教 が 出す 「所 作 ・行 ・喩 伽・ 無 上 楡 伽 」(8)の四 分 類 法 は、 イ ン ド密 教 の 研 究 にお いて も 「定 説 」扱 い され て広 く用 い られ て い る。 さて、 この 分 類 法 を イ ン ド密 教 の全 展 開 コ ー ス に お い て 見 る と、ま ず 異 議 を 申 し立 て て お か ね ば な らな い こ と は、彼 の 「タ ン トラ四 分 類 法 」 自体 が、 イ ン ド密教 全 史 を タ ン ト リズ ムの 歴 史 と して 構 成 しよ う とす る金 剛 乗 の 阿 闇 梨 た ちの 意 図 を受 け継 いで い る点 で あ る。 しか し仏 教 タ ン ト リズ ム が 言 え る の は せ い ぜ い 『真 実 摂 経 』か ら に過 ぎな い。 この 思 想 史 的 事 実 を 無 視 す れ ば、『真 実 摂 経 」 に 始 ま る 金 剛 乗 が 初 期 密 教 に対 して 段 階 を画 し た こ とに よ って、 イ ン ド密 教 は新 た な捻 れ の 構 造 を もっ に到 った と い う発 想 は 出 る 由が な い の で あ る。 次 に最 近 の研 究 か ら、プ トゥ ンの 四分 類 法 とそ れ に基 づ く大 蔵 経 の グル ー プ 分 けが 密 教 経 典 の歴 史 的展 開 の 事 実 と齪 齪 を来 す 点 も明 らか に な っ て き 金 剛 乗 と タ ン ト ラ 分 類
密 教 文 化 て い る。細 か い点 は省 い て、 そ の 中心 的 な 問 題 点 と は、主 に 田 中公 明 が 敦 煙 文 書 の研 究 が 通 して 明 らか に した もの で あ る。っ ま り、チ ベ ッ ト仏 教 の 流 伝 前 期 か ら吐 蕃 王 朝 の没 落 を経 て仏 教 再 興 に到 る期 間 に対 応 す るイ ン ド 仏 教 の実 態 は、現 存 す る新 訳(gsar-ma)中 心 の西 蔵 大 蔵 経 か らは測 り知 る こ と は で きな い。一 方 で、敦 煙 文 書 に出 る密 教 文 献 の い くっ か が チ ベ ッ ト仏 教 の ニ ンマ派(rryng-ma-Pa)で 中 心 的 な経 典 と さ れ て き た経 緯 が あ る。そ れ か らす る と プ トゥ ンの密 教 文 献 分 類 は あ ま りに新 訳 中心 的 で あ る。 ま た そ れ と も関 連 す るが、 不 空 三 蔵 の 『十 八 会 指 帰 』が カ ヴ ァ ー す る 経典 群 を 位 置 づ け る に際 して 阿 闇梨 た ち が す る分 類 の 揺 れ を見 る と、 タ ン トラ分 類 法 は プ トゥ ンの手 に な る グル ー プ化 で最 終 的 な解 決 を 見 た と は決 して考 え られ な い。 も う一 っ の問 題 点 は、Alexis Sandersonが 提 起 す る 問 題 で あ る。 彼 が 主 張 す る喩 伽女 タ ン トラ、と くに 『チ ャク ラサ ンヴ ァラ』系 文 献 は ヒ ン ドゥー タ ン トラか らの 剥 窃 か ら成 り立 って い る と の論 証 は説 得 力 を もっ。 彼 の論 点 が 正 しい とす る と、そ れ で は、楡 伽 女 タ ン トラ と は 系 統 を 異 に す る『十 八 会 指 帰 』が カ ヴ ァ ーす る 『金 剛 頂 経 』とさ れ る経 典 群 で は、 ヒ ン ドゥー タ ン トラ との貸 借 関 係 は ど うな って い るの か とい う問 題 が 持 ち出 され て くる。 タ ン ト ラ 分 類 法 に っ い て イ ン ド密 教 と い う事 象 は、そ の系 の 内 部 で 検 討 さ れ る べ きで あ り、「タ ン トラ分 類 」 の よ うな基 本 的 な枠 組 の問 題 に、異 な っ た系 で あ る チ ベ ッ ト 仏教 が 出 した 範 疇 を 持 ち 出 して くるべ きで はな い とす るの が 筆 者 の 基 本 的 立 場 で あ る。 既 に[越 智19-3][山 本2004: 85-86]が 明 らか に した よ うに、 金 剛 乗 の 初 期 の 阿 闇 梨Buddhaguhyaの タ ン トラ分 類 は、ま だ原 初 的 な もの に 見 え る。 と ころ が、[杉 木1996: 143]は、8c頃 を 活 躍 年 代 とす る 「今 まで 特 に論 じ られ る こ とが なか った イ ン ド密 教 僧Janavajra」 の 著 作 を 取 り上 げ て
以 下 の よ う に 論 じて い る(9)。
『金 剛 催 破 釈 』 に は、 顕 密 二 分 類 と タ ン ト ラ 四 分 類 が 見 ら れ vajraは 一 切 法 戯 論 を 離 れ る 方 法 を、 相(あ る い は 顕)乗(mtshan nyid kyi theg pa)と(秘 密)真 言 乗(gsang sngags kyi theg pa)に 分 け、 後 者 を 因 ・果 ・方 便 の 相 続 と し、 更 に 方 便 を 有 情 の 資 質 の 相 違
に 基 づ い て 所 作(bya ba)行(spyod pa)楡 伽(rnal'byor)無 上 喩 伽 (rnal'byor bla na medpa)に 分 け、 特 に 所 作 ク ラ ス を 更 に 細 分 化 さ せ て い る。 こ れ はBuddhaguhyaのnayaに よ る 顕 密 二 分 類 dhakaravarmanのyangに よ る 顕 密 二 分 類 タ ン ト ラ 四 分 類 に 先 立 っ、 yangに よ る 顕 密 二 分 類 タ ン ト ラ 四 分 類 で あ る。(略)っ ま り八 世 紀 に は、 顕 密 及 び タ ン ト ラ を 分 類 で き る 状 況、 即 ち 個 々 の タ ン ト ラ を 総 括 して、 批 判 的 に 観 察 で き る だ け の 状 況 が 出 来 上 が っ て い た こ と に な る。 こ の 杉 木 論 文 は、 イ ン ド密 教 史 に お い て、Mantrayana(真 言 乗gsang sngags kyi theg pa)の 語 が8cに は 既 に 使 用 さ れ て い た 可 能 性 を 指 摘 す る 大 き な 発 見 で あ る。Jnanavajraが、 「相(顕 教)の 乗 に っ い て は ス ー ト ラ の 名 称 が 付 け ら れ る の に 対 して、 秘 密 真 言 乗 に 関 して は タ ン ト ラ の 名 称 が 付 け ら れ る 」 と 述 べ て い る こ と か ら、 彼 も ま た 金 剛 乗 に 立 つ 阿 閣 梨 で あ る こ と は 明 か で あ る(10)。し か し残 念 な が ら、 こ の 引 用 か ら わ か る よ う に、 Jnanavajraは 四 階 梯 か ら な る 分 類 法 を 提 起 して い る だ け で、 そ の 各 々 が 包 摂 す る 具 体 的 な 経 典 名 を 記 述 して は い な い。 従 っ て、 こ こ で 「無 上 喩 伽 」
(rnal'byor bla na med pa)と し て 出 る 範 疇 が 具 体 的 に ど の 経 典 グ ル ー プ と 階 梯 を 指 す の か は 全 くわ か ら な い の で あ る。 タ ン ト ラ分 類 に お け る 階 梯 (範 疇)の 名 称 に っ い て 私 た ち が 特 別 に 慎 重 で な け れ ば な ら な い 理 由 は 以 下 に 述 べ る。 論 を 進 め る 手 続 き と して、 ま ず 金 剛 乗 の 信 解 者 た ち が 絶 対 的 権 威 を もっ 仏 語(buddhavacana)と し て 依 拠 し た タ ン ト ラ 自 体 に お け る 説 示 を 見 る 金 剛 乗 と タ ン ト ラ 分 類
密 教 文 化 こ と に す る。 タ ン ト ラ分 類 法 に 言 及 す る 聖 典 は い く っ か あ る が、 歴 史 的 先 後 関 係 か ら、 選 び 出 す 聖 典 は 当 然、 喩 伽 女 タ ン トラ と い う こ と に な る。 以 下 で は、Hevajratantradvikalpa(以 下、 『二 儀 軌 』)が タ ン ト ラ 分 類 に つ い て 説 い て い る 二 箇 所 を 取 り上 げ、 そ れ に 註 釈 し た 阿 閣 梨 た ち の 用 語 を 出 す。 こ の 引 用 が、 タ ン ト ラ 分 類 に お け る サ ン ス ク リ ッ トと チ ベ ッ ト語 訳 の 術 語 の 対 応 と い っ た 基 本 的 な 問 題 す ら厳 密 に は 論 じ ら れ な い ま ま、 「タ ン ト ラ 四 分 類 法 」 が 定 説 と し て 取 り 扱 わ れ、 所 作(kriya, tib. bya ba)、 行 (carya, tib. spyod pa)、 喩 伽(yoga, tib. rnal'byor)、 無 上 楡 伽(*anu-ttarayoga(11)tib. rna1'byor bla na med pa)と い う 用 語 の セ ッ トが 一 人 歩 き し て い る 現 況 に 対 し て、 ひ と っ の 警 鐘 と な る こ と を 願 っ て い る。 『二 儀 軌 」 〈説 方 便 品 〉 金 剛 蔵 は 請 問 し た。 「喩 伽 女 た ち の 大 い な る 三 昧 耶(伝 承 ・慣 習)で あ り、 声 聞 や 他 の 〔サ ー ク ル の 〕者 に は 理 解 で き な い 秘 密 の 言 dkya bkasa)を よ く わ か る よ う に お 説 き く だ さ い。 こ の 秘 密 の 言 葉 は、 微 笑(所 作 タ ン トラ)と、 見 っ め 合 う(行 タ ン トラ)と、 抱 擁(喩 伽 タ ン ト ラ)と、 交 会(大 喩 伽 タ ン ト ラ)の 四 つ の タ ン ト ラ の 中 で さ え 説 示 さ れ て い ま せ ん 」(12)。
Yogaratnamala(tib. 訳 者Krsnapandita, Tshu1-Khrim-rgya1-ba)
「四 つ の タ ン ト ラ の 中 で 」 と は、 所 作(kriya, bya ba)、 行(carya, spyod pa)、 喩 伽 (yoga, rnal'byor)、 yogottara(rnal'byor bla named pa)〔 タ ン ト ラ 〕 に お い て で あ る(13)。
saroruhavajra作Hevajratantrapanjikapadmini-nama(以 下、 Pad-mini)(tib. 訳 者: Ksitigarbha, dNgos-grub)
「四 種 類 の タ ン ト ラ で も 」 と い う の は、 所 作(bya ba)と 行(spyod pa) と 喩 伽(rnal'byor)とrnarbyor bla ma〔 タ ン ト ラ 〕 の 中 で さ え も
説 か れ て は い な い こ と で あ る(14)。
Ratnakarasanti(Santi-pa以 下、 Ratnakara)作Muktikavali(tib. 訳 者: Santibhadra, 1Ha-btsas)
「四 っ で 」 と は、 所 作(kriya, bya ba)、 行(carya, spyod pa)、 喩 伽 (yoga, rna1'byor)、 yogottara(rnal'byor bla ma'i rgyud)で あ っ て、 そ れ ら は そ こ で は、 微 笑 と、 見 っ め 合 う こ と と、 抱 擁 と、 交 会 に よ っ て 標 示 さ れ て い る。(略)こ の よ う に な っ て い る け れ ど も、 所 作 な ど の タ ン ト ラ は、 秘 密 の 言 葉 へ の 言 及 も 説 示 も し て は い な い。 た だ yoganiruttaratantra(rnarbyor maoi rgyud bla na med pa)の み が 〔そ れ を 〕 説 く の で あ る。 そ の 故 に 〔喩 伽 女 タ ン ト ラ が 〕 最 勝 秘 密
な の で あ る(15)。
Vrddhakayastha作Suvisadasamputatika-nama(tib. 訳 者:Sadhura-ksita, Dharma blo-gros)
「笑 う 等 に つ い て 」 と は、 所 作(bya ba)と 行(spyod pa)と 喩 伽(rnal 'byor)とrnal obyor bla na medとrnarbyor gang na med paで あ る(16)。 『二 儀 軌 」 〈教 授 品 〉 (略)楡 伽 行 派 の 〔学 説 を学 ん だ〕後 で、続 い て 中観 派 〔の 学 説 〕を 学 ぶ べ し。一 切 の真 言 理 趣 を 知 って、 続 い て ヘ ー ヴ ァ ジ ュ ラ 〔の 行 につ いて の教 勅 〕 を始 め よ(17)。 Yogaratnamala
「一 切 の 真 言 理 趣 」 と は、 所 作(kriya, bya ba)と 行(carya, spyod pa) と 喩 伽(yoga, rna1'byor)とyogottara(rna1'byor bla na med) とyoganiruttara(rnaibyor gang na med pa)の 区 別 に よ っ て 五
金 剛 乗 と タ ン ト ラ 分 類
密 教 文 化 っ の 方 軌 で あ る(18)。 Padmini
「一 切 の 真 言 理 趣 」と は、 所 作(bya ba)と 行(spyod pa)とrnarbyor bla maと 喩 伽 女(rna1'byor ma)〔 タ ン ト ラ 〕 の 理 趣 に お い て で あ る(19)。
Muktikavali
「一 切 」 と は、 所 作(kriya, bya ba)と 行(carya, spyod pa)と 喩 伽 (yoga, rna1'byor)とyogantarayoga(rnarbyor bla
ma)とnirut-tara(rnal obyor bla na med)の 区 分 に よ つ て 五 種 類 で あ る(20)。
『二 儀 軌 」 の タ ン ト ラ 分 類 法 は 当 然 な が ら五 分 類 法 で あ る。 最 初 の 〈説 方 便 品 〉 か ら も わ か る よ う に、 『二 儀 軌 』 の 作 者 に と っ て は、 仏 教 タ ン ト リ ス トの 集 会 に お け る 「秘 密 の 言 葉 」 や 「秘 密 の 身 振 りckoma」 と い っ た 仲 間 だ け が 理 解 し合 え る 符 牒(samketa)の 堅 持 が 自 ら を 含 む 喩 伽 女 タ ン ト ラ の サ ー ク ル を 他 の タ ン トラ 群 か ら分 か っ 修 法 論 上 で の 分 類 指 標 と し て 自 覚 さ れ て い た こ と で あ る。 サ ン ス ク リ ッ ト原 語 を 検 討 す る と、Krsnaは こ の 二 箇 所 で、 第 四 階 梯 を yogottara、 第 五 階 梯 で あ る 喩 伽 女 タ ン ト ラ を、 yoganiruttaraと 呼 ん で い る。Ratnakaraの 場 合 は 少 し異 な る。 〈説 方 便 品 〉 で は、 第 四 階 梯 は yogottara、 第 五 階 梯 は、 yoganiruttaraで あ る が、 Muktikavali校 訂 本 に 従 う 限 り、 〈教 授 品 〉 で は、 第 四 階 梯 に はyogantarayoga(21)の 語 が 出 る。
チ ベ ッ ト語 訳 で は、Yogaratnamalaは、 第 四 階 梯 がrnaibyor bla na med、 第 五 階 梯 が、 rnaibyor gang na med paと 訳 さ れ て い る。 Muktikavaliで は、 第 四 階 梯 がrnaibyor bla ma、 第 五 階 梯 が、 rnal , byor bla na medと 訳 さ れ て い る。
の 錯 綜 と混 乱 が 見 ら れ る。 最 大 の 問 題 点 は、 一 般 に 「無 上 喩 伽 」 と 訳 さ れ る チ ベ ッ ト語rnarbyor bla na medの 位 置 がKrsnaお よ びVrddhaka-yasthaで は 第 四 番 目 で あ り、Ratnakaraで は 第 五 番 目 に 置 か れ て い る こ
と で あ ろ う。 っ ま り、 訳 語 に お い て、 第 四 階 梯:rnarbyor bla na med, 第 五 階 梯: rnal obyor gang na med paと す る も の と 第 四 階 梯:rnarbyor. bla ma, 第 五 階 梯: rnal'byor bla na medと す る も の と の 二 系 列 が 見 ら れ る の で あ る。 念 の た め 引 用 箇 所 に 出 した よ う に、 翻 訳 者 は 各 註 釈 書 ご と に 異 な っ て い る。
仮 に両 系 列 の原 語 が 同 じだ とす る な らば、五 分 類 法 に立 っ 註 釈 書 の チ ベ ッ ト語 訳 に際 して、 分 類 概 念 の 内、所 作(bya ba)・ 行(spyod pa)・ 喩 伽 (rna1'byor)以 降 の階 梯 を表 す 用 語 が 統 一 され て お らず、 そ の状 況 が 現 在 ま で尾 を引 い て い る と推 測 され る。この よ うな 用 語 の 混乱 に もか か わ らず、 私 た ち の研 究 にお け る チ ベ ッ ト大 蔵 経 の 比 重 は相 変 わ らず 大 き い。 さ らに 悪 い こ と に は、 こ う した 未 解 決 の基 本 的 な問 題 の存 在 す ら意 識 す る こ と な く、イ ン ド密 教 を 論 じて い るの が 我 々 の現 況 で あ る。 この 一 事 か ら も、 こ れ まで の解 説 書 に書 か れ て い る よ う な タ ン トラ分 類 の 「定 式 」 に基 づ く研 究 は、砂 上 の 楼 閣 の ご と くに危 うい もの で あ る こ とが 理 解 され る で あ ろ う。 しか し、 こ こで 用 語 に足 を 取 られ て い て は肝 心 の 議 論 は進 ま な い。 こ う し た 問題 が 存 在 す る こ とを 念 頭 に 置 い た上 で、本 稿 で の訳 出 に 当 た って は、 わ が 国 の 研 究 史 を尊 重 し、rnarbyor bla na medを 「無 上 喩 伽 タ ン トラ」 と訳 す。 そ して、 タ ン トラ五 分 類 法 の 場 合 は、Ratnakaraの よ う に そ れ を 第 五 番 目 に置 く訳 語 の仕 方 を 採 用 して論 を 進 め る こ と に す る。 本 論 に入 って、 イ ン ドの 阿 閣梨 た ちの 論 書 か ら タ ン トラ分 類 を見 て い き た い。 「四 分 類 法」 で あ れ 「五 分 類 法 」で あ れ、 金 剛 乗 の学 匠 の著 作 に 共 通 して、喩 伽 女 タ ン トラが 分 類 の最 後 に位 置 して い る こ とが、 歴 史 的 な 展 開 の 事 実 を反 映 した もの で あ る こと は疑 い な い。同 時 に、『十 八 会 指 帰 』が カ ヴ ァー す る タ ン トラ群 と、新 た な傾 向 の修 道 論 ・修 法 論 を もっ 喩 伽 女 タ ン 金 剛 乗 と タ ン ト ラ 分 類
密 教 文 化 トラ群 の両 者 を 前 に置 い て、合 理 的 な 判 定 基 準 に裏 づ け られ る タ ン トラ分 類 に 腐 心 した論 師 た ち の努 力 が想 像 さ れ るの で あ る。 まず タ ン トラ 四分 類 法 を、Jnanapada作 『大 口伝 書 』を 註 釈 したVita-諏daの 『麗 華 」 に見 て い く。『大 口 伝 書 』中、修 法 者 が 性 鍮伽 を 行 ず る箇 所 で、パ ー トナ ー とな っ た印 契 女 が 指 さ して言 う言 葉 「自生 の 大 楽 の王 は こ の蓮 華(bkaga)に 善 住 す る。〔修 法 者 は〕脈 管(na4z)と 風(pra4a)に よ っ て謹 得 す るが 故 に、汝 は脈 管 の輪 を探 す べ し」(22)に註 釈 して、Vitap烈aは 述 べ る。
修 法 者 は 何 に よ っ て 謹 得 す る の か と 言 え ば、 「脈 管 と 風 に よ っ て 讃 得 す る が 故 に 」 と い う の で あ り、 〔そ れ が 〕 諸 々 の 無 上 喩 伽 タ ン ト ラ (rna1'byor bla na med pa'i rgyud)の 教 誠(upadesa)で あ る。 っ ま り、諸 々 の ダ ー キ ニ ー タ ン ト ラ(mkhaigro ma'i rgyud)は 脈 管 に 基 づ い て 実 践 す る タ ン トラ で あ り、 そ れ に よ っ て 謹 得 す る の で あ る。 喩 伽 方 便 に 基 づ い て 実 践 す る タ ン ト ラ は、 風 の 真 実 を 基 本 と し て そ れ (最 勝 智)を 謹 得 す る の で あ る(23)。 タ ン ト ラ の 宗 教 的 実 践 を し て い る修 法 者 に 即 し た 心 身 相 関 の 内 的 過 程 を 説 く教 理 が 修 道 論 で あ る。 生 起 ・究 寛 の 二 次 第 が そ れ に 当 た る。 こ こ で は、 ダ ー キ ニ ー タ ン ト ラ(喩 伽 女 タ ン ト ラ)と 「方 便 タ ン ト ラ」 と の 修 道 論 に お け る 定 義(相 違)が 出 さ れ て い る。 両 者 を 括 る概 念 は 「無 上 喩 伽 タ ン ト ラ 」 で あ る。Vitapadaは、 『大 口 伝 書 』 中 に 出 る 「大 喩 伽 タ ン ト ラ 」(rnal byor chen po「i rgyud)の 語(24)を以 下 の よ う に 註 釈 す る。
「大 喩 伽 タ ン ト ラ 」 と は 大 喩 伽 を 説 示 す る 典 籍 で あ り、 方 便 に 基 づ い て 実 践 す る タ ン ト ラ お よ び 諸 々 の ダ ー キ ニ ー タ ン ト ラ で あ る(25)。
二 っ の 引 用 か ら、「無 上 喩 伽 タ ン トラ」 と 「大 喩 伽 タ ン トラ」 は同 義 語 で あ る こ と が判 明 す る。Vita頭daが 用 い る下 位 の三 タ ン トラの 用 語 に 問 題 は な い。 そ れ は彼 が、 「『楡 伽 行 派 と中 観 派 」 と は、菩 薩 道 に住 す る者 で あ る。『菩 薩 』 と は、十 地 に住 す る者 で あ る。『具 慧 の仏 』 とい うの は、所 作 タ ン トラの仏 や 行 タ ン トラの 仏 や 喩 伽 タ ン トラの仏 で あ る」(26)と下 位 の タ ン トラ を教 判 して い る箇 所 か ら も明 か で あ る。従 って、 タ ン トラの 説 示 内 容 か らす る グ ル ー プ分 けで は、Vitapadaの 場 合 も、実 質 的 に は、下 位 の 三 階梯 に 「喩 伽 方 便 タ ン トラ」 と喩 伽 女 タ ン トラを 加 え た五 分 類 と な って い る。 そ して、両 者 に優 劣 を見 な い立 場 か らの 論 理 的 帰 結 と して、 「大 喩 伽 タ ン トラ」 は、両 者 の 上 位 概 念 と な って い る こ とに な ろ う。 この 「大 喩 伽 タ ン トラ」で あ る 「無 上 喩 伽 タ ン トラ」 に よ る仏 果 は 「具 慧 の 仏 」 よ り も上 位 と さ れ て い る こ とか ら、教 判 上 で は タ ン トラ四 分 類 法 とな る こ とが 理 解 さ れ よ う。世 上 に流 通 して い る 「無 上 喩 伽 タ ン トラ」 の 用 語 と そ の 概 念 規 定 は、次 に述 べ るSraddhakaravarmanの 分 類 法 よ り もむ しろ、Vitapada の こ の註 釈 箇 所 と相 同 で あ る。 主 だ った タ ン トラが 出揃 い、そ れ を 註釈 す る解釈 学 が 隆盛 を極 め た後 に、 イ ン ド密 教 を大 乗 の教 義 で 総 括 す る動 きが 出 て くる。そ れ が イ ン ド後 期 密 教 の 論 書 群 で あ る。従 っ て、 そ の 論 法 は、伝 統 的 な三 乗 の 内 の 菩 薩 乗 の 内 部 に 下 位 概 念 と して、密 教 を 位 置 づ け る も の とな る。そ の 代 表 的 な もの と して、 こ こ で は プ ト ゥ ンの 四 分 類 法 に一 番 近 い 分 類 法 と言 わ れ て い る(27) eraddhakaravarman作 『無 上 喩 伽 タ ン トラ義 入 集 」の 当 該 箇 所 を見 て い く。彼 は まず、 「秘 密 真 言 で あ る果 の 金 剛 乗 に つ い て は 〔そ れ に〕入 る門 は 四 種 で あ っ て、所 作 タ ン トラ と行 タ ン トラ と 〔喩 伽 タ ン トラ と〕大 喩 伽 タ ン トラ(rnarbyor chen po)と して 一 般 に知 られ て い るの で あ る」(28)と述 べ る。 そ して 同 書 は、 「所 作 タ ン トラ は 『最 勝 明 』 や 『善 成 就 タ ン トラ』 (『蘇 悉 地 経 』)な ど」で あ り、「行 タ ン トラ につ いて は 『〔毘 窟 遮 那 〕現 等 覚 』 な ど」で あ り、「楡 伽 タ ン トラは 『真 実 摂 経 」 な どが 説 か れ て い る」 と述 べ 金 剛 乗 と タ ン ト ラ 分 類
密 教 文 化 る。 引 き っ づ き、 「最 勝 な る 機 根 の 修 法 者 で 喩 伽 に 基 づ い て 実 践 す る 者 の た め に 説 か れ た 大 喩 伽 タ ン ト ラ」 に っ い て は、 自 性 タ ン ト ラ と 施 設 タ ン ト ラ の 二 種 と す る。 彼 は 自 性 タ ン トラ を 『秘 密 集 会 続 タ ン ト ラ 』 に 基 づ い て、 因 タ ン ト ラ ・果 タ ン ト ラ ・方 便 タ ン ト ラ の 三 種 に 開 く。 施 設 タ ン ト ラ を 「喩 伽 方 便 タ ン ト ラ(rnarbyor thabs kyi rgyud)」 あ る い は 「最 勝 喩 伽
タ ン ト ラ(rnaibyor mcho99i rgyud)」 と、 「喩 伽 般 若 タ ン ト ラ(rna1 byor shes rab kyi rgyud)」 あ る い は 「無 上 喩 伽 タ ン ト ラ(rna1'byor bla na med pa'i rgyud)」 に 区 分 して い る(29)。こ こ で は、 チ ベ ッ ト仏 教 の 四 分 類 法 に お け る 「無 上 喩 伽 タ ン ト ラ 」 の 位 置 に 「大 喩 伽 タ ン ト ラ 」 が 来 る。 そ し て こ こ で は、 そ の 下 位 概 念 で あ る 「般 若 〔母 〕 タ ン ト ラ」 が 「無 上 喩 伽 タ ン ト ラ」 の 名 で 呼 ば れ て い る こ と に 留 意 す べ き で あ る。 同 時 に 問 題 の 「方 便 タ ン トラ 」 と 「般 若 タ ン トラ 」 の 優 劣 関 係 に 関 し て 彼 は、 「各 別 に 建 立 す る べ き で あ る 」 と し、 区 別 の 分 類 指 標 と して、 「広 大 な る 真 実 の 説 示 」 と 「甚 深 を 根 本 と す る 説 示 」、「男 性 教 化 の た め 男 尊 主 体 の 曼 茶 羅 」 と 「女 性 ・外 教 徒 教 化 の た め 女 尊 主 体 の 曼 茶 羅 」、「内 外 の 緬 ・界 ・処 の 清 浄 な る 尊 格 の 説 示 」 と 「内 外 の 脈 管 ・菩 提 心 清 浄 の 尊 格 の 説 示 」、「世 間 に 随 応 す る 尊 格 の 説 示 」 と 「世 間 に 違 逆 す る 尊 格 の 説 示 」 を 出 す(30)。そ し て、 彼 が 両 者 に 優 劣 を 見 な い 立 場 で あ る こ と は、 両 者 を 上 位 概 念 で あ る 「大 喩 伽 タ ン ト ラ 」 で 統 括 して い る 点 か ら 判 断 さ れ よ う。Vita頭daの 用 語 法 と の 相 違 は 別 に して、 こ の 両 者 に 優 劣 を 見 な い 立 場 が プ ト ゥ ン 四 分 類 法 に 踏 襲 さ れ て い る と考 え ら れ る。 次 に、VitapadaやSraddhakaravarmanと は 異 な る タ ン ト ラ五 分 類 法 を 見 て い く こ と に す る。 金 剛 乗 の 阿 閣 梨 た ち は 教 判 的 な 観 点 を 併 せ も っ た い く つ か の タ ン ト ラ 分 類 法 を 案 出 し、 各 階 梯 に お け る 代 表 的 な 経 典 名 を 記 述 し て い る(31)。 こ こ で はBhavyakirti(32), Abhayakaragupta(以 下、 Abhayakara) Atisa (Dipamkarasrijnana 982^一1054) Vajrapani, Ratnakaraを 取 り 上 げ る。
BhavyakirtiはPradipodyotana bhisamdhiprakasika-nama-vyakhya
tikesの 冒 頭 で、 「真 言 大 乗 」(イ ン ド密 教)を 「所 作 ・行 ・喩 伽 ・最 上 喩 伽 (rnarbyor gyi bla ma)・ 喩 伽 女 タ ン ト ラ」 の 五 種 に 区 分 し、 各 タ ン ト ラ が 特 徴 と す る 説 示 内 容 を 説 い て、 所 作 タ ン トラ に は 『多 羅 出 生 』、行 タ ン ト ラ に はParamadya(『 吉 祥 最 勝 本 初 』 ま た は 『理 趣 広 経 』)と 『毘 盧 遮 那 現 等 覚 』、喩 伽 タ ン ト ラ に は 『真 実 摂 経 」、最 上 喩 伽(marbyor gyi bla ma) タ ン ト ラ と し て 『秘 密 集 会 』、喩 伽 女 タ ン ト ラ に は 『二 儀 軌 』 を 挙 げ て い る(33)。と こ ろ が、 そ の 後 に 出 る 箇 所 で は 以 下 の よ う に 述 べ る。 この よ うに一 切 の 罪 過 よ り解 き放 た れ、一 切 の 徳 で 荘 厳 され た甚 深 と 広 大 な る大 金 剛 乗 は以 下 で あ る。そ れ にっ い て は五 種 で あ って、所 作 と行 と喩 伽 と大 喩 伽 と大 喩 伽 の究 寛 とい う区 分 に よ る それ らの各 の定 義 と根 の本 質 と境 の 区 別 は先 に釈 し終 わ って い る(34)。 Bhavyakirtiも 他 の 多 くの 阿 閣 梨 た ち の 分 類 と同 じ く、「真 言 大 乗 」 と 「大 金 剛 乗 」を 同 義 と して 使 って い る こ とが わ か る。つ ま り 『真 実 摂 経 』 を 待 って 初 め て現 れ た の が 「金 剛 乗 」で あ り、『毘 厘 遮 那 現 等 覚 」に到 る まで の初 期 密 教 と 『真 実 摂 経 』の 間 に存 在 す る大 き な思 想 的断 絶 は無 視 さ れ て、 「大 金 剛 乗 」 は 全 イ ン ド密 教 を 覆 い尽 くす もの と な って い るの で あ る。繰 り返 す が、 金 剛 乗 の 信 解 者 は イ ン ド密 教 が 展 開 して き た 『真 実 摂 経 』以 前 の 象 徴 主 義 的 傾 向 の 修 法 論 の 一 切 を も 「大 金 剛 乗 」 の名 の 下 に包 摂 し、そ の 下 位 の階 梯 に 位 置 づ け たの で あ る。
さ て こ の 二 っ の 註 釈 箇 所 の 比 定 か ら、rnarbyor gyi bla maが 「大 喩 伽 (rnal'byor chen po)タ ン ト ラ 」 を 指 し、 「大 喩 伽 の 究 寛(rnarbyor chen po'i mthar thug)タ ン ト ラ 」 が 喩 伽 女 タ ン ト ラ と 同 義 で あ る こ と が
わ か る。Bhavyakirtiの 場 合 は タ ン ト ラ五 分 類 法 で あ り、 こ こ で 「無 上 喩 伽 タ ン ト ラ」 の 用 語 を 使 う と す れ ば、 そ れ は チ ベ ッ ト仏 教 が 出 す 分 類 法 で の 位 置 と は 異 な っ て、 喩 伽 女 タ ン ト ラ を 指 す こ と は 明 らか で あ る。 そ し て、 金 剛 乗 と タ ン ト ラ 分 類
密 教 文 化 「究寛 」の語 義 お よ び分 類 の最 後 に 置 か れ て い る こ とか らす れ ば、 「大 喩 伽 の 究 寛 」す な わ ち喩 伽 女 タ ン トラの最 優 位 が含 意 さ れ て い る と見 て よ い で あ ろ う。 少 し脇 道 に逸 れ る が、金 剛 乗 の信 解 者 た ち の間 で実 践 さ れ て い た一 っ の 特 異 な三 昧 耶 につ い て、大 喩 伽 タ ン トラ と喩 伽 女 タ ン トラの 両 グル ープ 間 に お け る ニ ュ ア ンス の 相 違 に触 れ たBhavyakirtiの 意 見 を 引 用 して お く。 明 確 に五 分 類法 を 出す 彼 も、この種 の三 昧耶 を解 釈 した箇 所 で は、両 グル ー プ 間 に教 判 上 で の優 劣 を 見 て い る とは考 え難 い。 「牛 黄(gorocana)を 取 り出 す べ しと は、 〔た だ単 に 〕 こ の牛 黄 を取 る だ け で は な い の で あ って、 これ は外 教 徒 の解 釈 で あ る と して も、喩 伽 女 タ ン トラに お け る説 示 に値 す る もの で はな い」 と言 うな らば、 そ れ で は 『吉 祥 秘 密 集 会 』な どの す べ て の 〔大 〕喩 伽 タ ン トラ の中 で、牛 ・ 犬 ・馬 ・象 ・人 な ど の薬(肉)を 食 す と説 か れ て い る そ れ も ま た外 教 徒 の 流 儀 と され る こ とに な るが、 そ れ は間 違 って い る。彼 ら(喩 伽 女 タ ン トラの サ ー ク ル)が、 自死 した 者 の 〔牛 黄 〕 を取 る か ら外 教 徒 の よ う に は な らな い と言 うな らば、 こ と さ らに、 自死 した七 生 tauarta)の 牛 黄 を取 る と釈 す る こ と で、 〔大 〕喩 伽 タ ン トラ と喩 伽 女 タ ン トラ の両 者 に何 らか の差 別 が あ る こ と に な って しま うの で あ る。 〔大 〕喩 伽 タ ン トラ は如 来 の 教 説 で あ るが、 喩 伽 女 タ ン トラ は魔 に よ る説 で あ る と私 は 思 って い な い。す な わ ち、両 者 と も 〔あ る とす れ ば〕 間 違 い は 同 じで あ り、意 味 の 間 違 い も また 同 じで あ る(35)。
Abhayakara は Samputatantrarajatikamnayamanfarz (Amnaya-manfart)の 中 で、 以 下 の よ う に タ ン ト ラ を 分 類 して い る。
内、 所 作 タ ン ト ラ は 『三 三 昧 耶 〔荘 厳 〕 王 』 と 『部 多 鬼 調 伏 』 な ど で あ り、 沐 浴 と 禁qaな ど 諸 々 の 所 作 と外 の 鋳 像 や 画 像 な ど を 尊 格 と 密 意 す る の で あ
る。 行 タ ン ト ラ と は、 『毘 盧 遮 那 現 等 覚 』 な ど で あ る。 「秘 密 」 は 喩 伽 タ ン ト ラ な ど で あ り、 楡 伽 タ ン ト ラ は 『真 実 摂 経 』 な ど で あ る。 最 上 喩 伽 タ ン ト ラ(rnal'byor bla mai rgyud)は 『秘 密 集 会 』 な ど で あ る。 無 上 喩 伽 タ ン ト ラ(rnarbyor bla na med pa'i rgyud)は 喩 伽 女 タ ン ト ラ で あ る。 『茶 枳 尼 金 剛 網 』 で 説 か れ て い て、 「男 性 た ち を 教 化 す る 因 と して 喩 伽 タ ン トラ は 正 し く説 か れ た。 女 性 た ち を 摂 受 す る た あ に 楡 伽 女 タ ン ト ラ は よ く 説 か れ た。 劣 っ た 者 た ち に は 所 作 タ ン ト ラ、 そ れ よ り優 れ た 者 に は 行 〔タ ン ト ラ 〕 と 喩 伽 〔タ ン ト ラ〕、最 勝 な る 有 情 に は 最 勝 喩 伽 〔タ ン ト ラ〕 で あ り、 無 上 喩 伽 〔タ ン ト ラ〕 は そ の 優 れ た 者 に 対 し て で あ る 」(36)と言 わ れ る。 そ の 内、 喩 伽 タ ン ト ラ と は、 こ の 言 葉 で 『真 実 摂 経 』 と 『秘 密 集 会 』 な ど も 語 ら れ る の で あ る。 ま さ し く そ の 理 由 で、 そ の 二 っ が 喩 伽 タ ン ト ラ 部 と 語 られ る の で あ る(37)。 Abhayakaraは こ こ で、 ま ず 『茶 枳 尼 金 剛 網 」 を 援 用 して、 所 作 ・行 ・ 喩 伽・最 上 楡 伽(最 勝 喩 伽)・ 無 上 喩 伽(喩 伽 女 タ ン ト ラ)の 五 種 区 分 を 打 ち 出 す。 こ の 五 分 類 法 はBhavyakirtiの も の と 同 じ く 『秘 密 集 会 」 を 中 心 経 典 と す る 「最 上 喩 伽 」 を 別 立 し た も の で あ る。 と こ ろ が す ぐ そ れ に 続 い て、 「最 上 喩 伽 」 の 中 心 経 典 で あ る 「秘 密 集 会 』 を 本 来 は 喩 伽 部 の 典 籍 で あ る 『真 実 摂 経 」 と 一 緒 に し て 「喩 伽 タ ン ト ラ 」 で 括 る 見 解 を 披 露 して い る。 こ の 区 分 法 だ と 「最 上 喩 伽 」 は 消 滅 し て 四 分 類 に な っ て し ま う。 既 に 見 た よ う に、Sraddhakaravarmanの 四 分 類 法 で は 「最 上 喩 伽 」 は 喩 伽 女 タ ン ト ラ と一 緒 に し て 「大 喩 伽 タ ン ト ラ」 に 括 ら れ て い る。 こ の よ う に 私 た ち は イ ン ド後 期 密 教 の 歴 史 を 通 し て、 阿 闇 梨 た ち の 間 で こ のAbhayakara の 言 う 「最 上(最 勝)喩 伽 タ ン ト ラ 」(rnal'byor bla maoi rgyud, rna1 'byor mchog)の 位 置 づ け に 関 す る 揺 れ を 見 る。 こ れ は 喩 伽 女 タ ン トラ の 出 現 が イ ン ド密 教 史 に お い て 一 大 事 件 で あ り、 そ れ を 組 み 込 ん だ 上 で、 金 剛 乗 と タ ン ト ラ 分 類
密 教 文 化 「最 上 喩 伽 タ ン ト ラ」 の位 置 づ け に 苦 慮 した こ との 現 れ と見 て取 れ る。 こ の思 想 史 的事 実 は、無 上 喩 伽 階 梯 の 基 本 的 枠 組 が イ ン ド密 教 の最 期 ま で確 定 さ れ な か っ た こ と と同義 で あ る。言 い換 え る と、冒 頭 に見 た金 剛 乗 を新 た な乗 と して 成 立 さ せ る際 に 阿 閣 梨 た ちが 用 い た 「教 判 」の 論 理 が、Bha-vyakirtiの 意 見 に見 られ るよ うに、 ここで は使 わ れ て い な い こ とで あ る。
Atisaの 分 類 の 特 徴 は、 密 教 を 「所 作 ・行 ・儀 軌(rtog pa)・ 両 倶 (gnyis ka)・ 楡 伽・ 大 喩 伽(rnarbyor chen po)・ 無 上 喩 伽(rna1'byor bla named pa)」 の 七 階 梯 に 分 け る 点 に あ る(38)。そ れ は 彼 の 作 風 の 総 合 性、 っ ま り 自 ら は 『二 儀 軌 』 や 『チ ャ ク ラ サ ン ヴ ァ ラ 』 な ど に 通 暁 し た 阿 閣 梨 と して 喩 伽 女 タ ン ト ラ を 最 上 位 に 置 き な が ら も、 一 切 の 聖 典 を 仏 説 と して 尊 重 す る 態 度 を 他 の 学 匠 よ り も顕 著 に 示 す も の と 言 わ れ て い る。 彼 は、 所 作 タ ン トラ に は、 『蘇 悉 地 経 』 『蘇 婆 呼 童 子 経 』 『文 殊 師 利 根 本 儀 軌 経 』 な ど、 行 タ ン ト ラ に は、 『毘 盧 遮 那 現 等 覚 』 『金 剛 手 タ ン トラ 』 な ど、 儀 軌 タ ン ト ラ に は、 『多 羅 出 生 』 『三 三 昧 耶 荘 厳 王 』 な ど、 両 倶 タ ン ト ラ に はMayajalamahatatraraja『 蓮 華 舞 自 在 』 な ど、 喩 伽 タ ン. ト ラ に は、 『真 実 摂 経 』 『吉 祥 最 勝 本 初 』Trailokyavijayamahakalparaja, Vajrasehara-mahaguhyayogatantra(『 金 剛 頂 タ ン ト ラ 』)な ど、 大 喩 伽 タ ン ト ラ に は、 『秘 密 集 会 』Candraguhyatilaka(『 月 秘 密 明 点 』), Krsnayamaritantra, 『吉 祥 最 勝 本 初 』 な ど、 無 上 楡 伽 タ ン ト ラ に は、 『チ ャ ク ラ サ ン ヴ ァ ラ
』Va-jradaka-nama-uttaratantra, Catuhpi tha-mahayoginitantraraja(『 四 座 』),. Makamayatantmrafa, Sarvabuddhadakinijalasamvaratantra (『サ マ ー ヨ ー ガ 』), Buddhaka、palatantra, 『二 儀 軌 』 等 を 挙 げ て い る(39)。 しか し彼 が 別 立 し て 「儀 軌 」 「両 倶 」 階 梯 に 属 す る と し た 経 典 は、 他 の 学 匠 に よ っ て は 所 作 タ ン トラ や 行 タ ン トラ に 分 類 可 能 と さ れ て い る も の で あ り、 そ う す れ ば 七 階 梯 は 「所 作 ・行 ・喩 伽 ・大 喩 伽・ 無 上 喩 伽(喩 伽 女 タ ン ト ラ)」 の 基 本 的 な 五 分 類 に 集 約 さ れ よ う(40)。
Advayavajraの 四 大 弟 子 の-人 に 数 え ら れ る る 大 学 匠Vajrapaniの タ ン トラ 分 類 はGuruparamparakramopadesa(『 尊 師 相 承 次 第 論 』)に 出 る。 そ の 当 該 箇 所(41)を[磯 田:121]か ら引 用 す る。 (Vajrapaniは)続 い て 金 剛 乗 の 内 容 を 項 目 を 上 げ て 概 括 す る。 先 ず、 タ ン ト ラ と は 相 続(prabandha)の 意 味 で あ り、1)因 タ ン ト ラ: 金 剛 持 族(Vajradhara-kula)の 構 成 員、2)果 タ ン ト ラ: 大 印 悉 地 (mahamudra-siddhi)、3)方 便 タ ン ト ラ(1)所 作(bya-ba, kriya) (2)行(spyod-pa, carya)(3)喩 伽(rna1'byor, yoga)(4)無 上 喩 伽 (rna1'byor bla na med-pa, anuttarayoga)(5)無 上 上 喩 伽(rnal
'b
yor gang na med-pa, niruttarayoga) と の 三 っ の 意 味 が あ る と い う。
こ の チ ベ ッ ト語 訳 か ら 判 断 す る 限 り、VajrapaniはKrsnaと 同 じ用 語 法 で あ る。 そ う だ と す れ ば、 第 四 階 梯: rnarbyor bla na med paの サ ン ス ク リ ッ トはanuttarayogaで は な くyogottaraで あ る 可 能 性 が 高 い。 こ の 和 訳 で は、 チ ベ ッ ト語rnarbyor bla na med paを 「無 上 喩 伽 」 と し た 結 果、 第 五 階 梯: rnaibyor gang na med paの 邦 語 に 苦 心 の 後 が 見 ら れ
る。
先 に 『二 儀 軌 』 へ の 註 釈 で も 出 したRatnakaraは11c初 頭、 Vikramasi-la六 賢 門 の 一 人 と し て 東 門 に 住 し、形 象 虚 偽 論 唯 識 説 で 有 名 な 学 匠 で あ る。 彼 はTriyanavyavasthana(『 三 乗 難 立 』)の 中 で、 「甚 深 に し て 広 大 を 具 え た 乗 は 所 作 と 行 と 喩 伽 と大 喩 伽(rnal obyor chen po)と 無 上 喩 伽(rnal obyor bla na med pa)と 名 づ け ら れ る が 故 に 五 種 類 と な る の で あ る 」(42)と
述 べ る。 こ の 箇 所 と 先 に 引 用 し たMuktikavaliの 箇 所 と を 重 ね 合 わ せ る と、 rnal obyor chen po(大 喩 伽)とrnarbyor bla maは 同 義 語 で あ る こ と が 明 か と な る。 こ れ はAbhayakaraと 同 じ用 語 法 で あ る。 金 剛 乗 と タ ン ト ラ 分 類
密 教 文 化 以 上、 タ ン トラ五 分 類 法 と して五 人 の阿 閣梨 た ちの 見 解 を取 り上 げ た。 最 後 に、学 問 的公 平 さの 点 か ら も、これ ま で一 方 的 に槍 玉 に挙 げ て き た プ トゥ ンの 見 解 を[白 館:8-]か ら引 用 して お きた い。 【五 分 法 に対 す る論 評 】(前 文 省 略)身 振 り ・合 図(brda)と 音 声 (sgra)が 深 奥 で あ り、世 間 〔の 慣 習 〕に抵 触 す る、稀 有 な る手 段 を教 示 す るの で 〔無 上 喩 伽 タ ン トラ は〕 方 便(父)タ ン トラで あ る大 喩伽 タ ン トラ とは 別 に分 け られ た の で あ るが、 〔大 喩 伽 タ ン トラ と無 上 喩 伽 タ ン トラの〕両 者 に は、方 便 ・般 若 不 二 の、甚 深 な 喩 伽 が 中 心 と し て教 示 さ れ て い るの で、 〔私 の 理 解 す る第 四 の タ ン トラ部 で あ る 〕大 喩 伽 タ ン トラー つ に お さ め た と して も背 理 は な い の で あ る。(rGyud sde spyi rnam rgyas pa, H. 46b4-5)
こ の 引用 か ら、プ トゥ ンが 「五 分 類 法 」の 本 義 を 十 全 に理 解 して い た こ と は明 か で あ る。 しか し、 この文 脈 で 彼 が す る力 点 の移 動 は、喩 伽 女 タ ン トラの 出 現 と い うイ ン ド密 教 史 上 の一 大 事 件 を彼 の関 心 事 で あ る教 理 解 釈 (こ こで は修 道 論)の 一 面 に 引 き付 け た理 解 で あ る と言 え る。 プ トゥ ンが 使 う論 法 は、Kriyasamgrakaに っ いて の 『梵 語 仏 典Iv』(p.196)の 記 述 か ら もわ か る。四 灌 頂 体 系 と聚 輪 儀 軌 を構 成 に もっ に もか か わ らず、 プ トゥ ン はKriyasamgmkaがsarumqfjrodayaの 所 説 に基 づ い た 喩 伽 観 法 を説 く点 を 重 視 し、同 書 を喩 伽 階梯 に配 して い る。 これ が イ ン ド密 教 の史 実 と 齪 館 を 来 た して い る こ とは 明 か で あ ろ う。 この よ うに基 本 的 な枠 組 の 問 題 で、 プ トゥ ンの見 解 は喩 伽 女 タ ン トラの サ ー ク ル が新 た に 提 起 した修 法 論 に深 く関与 した イ ン ド後 期 密教 の 阿 闊梨 た ちが も った統 一 見 解 と は言 え な い。 概 括 して お く と、イ ン ド仏 教 の 宗 教 実 践 はbkaoanaとcaryaの 二 大 カ テ ゴ リー か ら な る。筆 者 の 語 彙 表 で は、bkauanaの 体 系 が 無 上 喩 伽 階 梯 で は、 生 起 ・究 寛 の 二 次 第 を 中 心 に した修 道 論 で あ る。caryaの 体 系 は、
金 剛 乗 で は 『真 実 摂 経 』以 来、 貧 欲 行(ragacarya)で あ り、[静2002]が 論 じる よ うに、そ れ は無 上 喩 伽 階梯 で は戯 論 ・無 戯 論 ・極 無 戯 論 の 三 範 疇 を核 とす る修 法 論 を構 成 す る。 そ こで、 「四 分 類 法 」 と 「五 分 類 法 」の 分 類 指 標 に基 づ く相 違 点 を 筆 者 の 語 彙 を 用 い て 根 底 か ら説 明 す れ ば 次 の よ うに な る。Vita頭daが 「脈 管 」 と 「風 」 の術 語 で 表 して い る修 道 論(従 って こ こで は究 寛 次 第)の 枠 組 で は、大 喩 伽 タ ン トラ と喩 伽 女 タ ン トラ と を括 る こ と はで き る。 これ が 「四 分 類 法 」 と な る。 しか し、『二 儀 軌 』が 持 ち 出 す 修 法論 の 重 要 な一 角 を構 成 す る戯 論 の行 と して の聚 会 の切 り 口(こ こ で は集 団 的修 法 にお け る 「秘 密 の 言 葉 」)か らす れ ば、大 喩 伽 タ ン トラに は そ の根 本 典 籍 で あ る 『秘 密 集 会 」 に そ れ を 欠 いて い る(43)が故 に、楡 伽 女 タ ン トラ と一 緒 に して 一 っ の範 疇 と して 括 る こ と はで き な い の で あ る。 結 語 以 上 に見 た ご と く、阿 闇梨 た ち の分 類 法 は、「方 便 父 タ ン トラ」 と 「般 若 母 タ ン トラ」 を別 立 す るか、 両 者 を包 括 す る上 位 の範 疇 で 括 るか ど うか で 大 別 さ れ る。次 に、分 類 概 念 の 用 語 法 は 阿 閣 梨 に よ って微 妙 に異 な る。 そ して 各 階 梯 に 属 す る と され る経 典 も、先 に 見 た 『秘 密 集 会 』以 外 に、 例 え ば、 『吉 祥 最 勝 本 初 」(『理 趣 広 経 』)がBhavyakirtiで は行 タ ン ト ラ に、 Ati舶 で は喩 伽 タ ン トラと大 喩 伽 タ ン トラ の両 方 に、 また 聖 者 流 のAryad evaは、 大 喩 伽 タ ン トラ に属 さ せ る とい っ た揺 れ を 示 して い る。 ま さ し く 『理 趣 広 経 』 は、 こ の よ うな 「揺 れ」 あ るい は複 数 記 載 の好 例 で あ る。そ の 理 由 は、 イ ン ド密 教 の思 想 展 開 に お い て 非 常 に重 要 な 同経 が 般 若 経 典 か ら 密 教 経 典 に到 る重 層 的 な構 成 を もっ こ と(44)、ま た同 経 典 の増 広 ・展 開 過 程 が、喩 伽 部 密 教 の 内 部 か ら大 喩 伽 タ ン トラの 傾 向 が 突 出 して形 成 され る過 程 を 如 実 に反 映 して い る一 典 型 で あ る こ と に根 拠 が あ る考 え られ る。 こ う した揺 れ や チ ベ ッ ト語 へ の訳 語 の 混 乱 に もか か わ らず、 『蘇 悉 地 経 」 金 剛 乗 と タ ン ト ラ 分 類
密 教 文 化 『蘇 婆 呼 童 子 経 』な ど の所 作 タ ン トラ、『毘 窟 遮 那 現 等 覚 』を 要 とす る行 タ ン トラ、『真 実 摂 経 』 を 中 心 経 典 とす る喩 伽 タ ン トラ の上 に、 『秘 密 集 会 』 を 中心 に据 え た 「大 楡 伽 タ ン トラ」(「最 上 タ ン トラ」「最 勝 タ ン トラ」)と 『二 儀 軌 』や 『チ ャ ク ラ サ ンヴ ァ ラ」な ど を根 本 タ ン トラとす る喩 伽 女 タ ン トラを 置 いて い る こ と で は、大 方 の 阿 閣 梨 た ち は 意 見 の一 致 を見 て い る。 そ こか ら、優 劣 の 問 題 は脇 に置 い て グル ー プ分 け に 限 って 言 う と、「タ ン トラ五 分 類 法 」 こ そが イ ン ド密 教 の実 情 に即 して い る との 考 え が導 き 出 さ れ る。 以 上 の 検 討 か ら、プ トゥ ンの 偉 業 は認 め る に吝 か で は な いが、 彼 が 教 理 解 釈 を 優 先 した 立 場 か ら、『秘 密 集 会 』を根 本 経 典 とす る い わ ゆ る 「父 タ ン トラ」 と、喩 伽 女 タ ン トラ の両 者 を括 る上 位 概 念 を 出 して い る分 類 法 は、 チ ベ ッ ト仏 教 か らす る一 種 の教 判 で あ り(45)、イ ン ド密 教 の 阿 閣 梨 た ち の 大 勢 に即 した もの と は言 い難 い こ とが 明 白 とな った。 イ ン ド密 教 自体 に即 し て研 究 を 進 め た い者 と して筆 者 は、 イ ン ド密 教 史 の 全 体 を金 剛 乗 の歴 史 と す る見 解 に は保 留 と しな が ら も、分 類 法 自体 に っ いて は、 チ ベ ッ トの学 匠 で は な くイ ン ドの 阿 閣 梨 た ち の意 見 を重 用 した い。 そ して 筆 者 は、 「タ ン トラ五 分 類 法 」 こそ が グ ル ー プ 分 け の 史 実 的 ・合 理 的 な説 明 で あ る と して も、イ ン ド密 教 に お い て は、「父 タ ン トラ」 と 「母 タ ン トラ」 との優 劣 が最 終 的 な決 着 を見 て い な い と考 え る。あ るい は逆 に、 教 判 の 論 理 を用 い て決 着 を着 け な か った こ とが 後 期 密 教 の実 情 で あ った と 判 断 す る。二 っ の 分 類 法 は上 で 見 た よ う に、分 類 指 標 を異 に す る以 上、 論 理 的 整 合 性 の要 請 か ら も これ は 当然 の帰 結 で あ る。従 って、 教 判 上 で 両 者 を ま と ま った対 象 と して 扱 う場 合 は、 これ ま で の用 法 どお り 「無 上 喩 伽 階 梯 」 の語 を用 い る の が 適切 で あ る と考 え られ る。 略号 堀 内梵本: 堀 内寛仁 『梵蔵 漢対照: 初 会金剛頂経 の研究: 梵本校訂 篇』(上)(下)密
教 文 化 研 究 所, 19-4, 1983.
二 儀 軌S本: Snellgrove, D.L., The Hevajra Tantra. 4 Critical Study, London Oriental Series 6, 1976(1959) 梵 語 仏 典IV: 松 長 ・奥 山 ・桜 井 ・川 嶋 共 同 執 筆 『梵 語 仏 典 の研 究IV: 密 教 経 典 篇 』平 楽 寺 書店, 1989. 参 照 文 献 磯 田 熈 文 「paramita-yangとmantra-yang」 『東 北 大 学 文 学 部 研 究 年 報 』28, 1978. 遠 藤 祐 純 「金 剛 頂 経 研 究: 密 教 にお け る タ ン トラの 諸 相 」『宮 坂 宥 勝 博 士 古 稀 記 念 論 集 』法 蔵 館, 1993. 大 観 慈 聖 「ラ トナ ー カ ラ シ ャ ー ンテ ィ註 『ク ス マ ー ン ジ ャ リ』 にみ る 『秘 密 集 会 タ ン トラ』の構 成 に っ い て」『密 教 文 化 』216, 2006. 越 智 淳 仁 「Buddhaguhyaのtantra分 類 法 」『印仏 研 』21-2, 1973. 北 村 太 道 「金 剛 頂 経 教 理 品 に っ い て の 一 考 察: 四部16悉 地 にっ い て」『佐 藤 隆 賢 博 士 古 稀 記 念 論 集 』山喜 房 佛 書 林, 1998. ク ンチ ョ ック ・シ タ ル 「プ ト ンに よ る四 種 タ ン トラの 解 釈 に っ いて 」『大 正 大 学 綜 合 仏 教 研 究 所 年 報 』22, 2000. 静 春 樹 「ガ ナ チ ャ ク ラ と無 上 鍮 伽 階 梯 に お け る 〈行 〉 の体 系 」『密 教 文 化 』209, 2002. 「金 剛 乗 と イ ン ド仏 教 史 」「密 教 文 化 』216, 2006. 白館 戒 雲 「密 教 学 の 発 展 を志 向 して 」「仏 教 学 セ ミナ ー』59, 1994. 杉 木 恒 彦 「Jnanavajraの 密 教: 序 論 的考 察 」『宗 教 研 究 』307, 1996. 田 中公 明 『敦 煙: 密 教 と美 術 』法蔵 館, 2000. 寺 本 娩 雅 『タ ー ラ ナ ー タ: 印度 仏 教 史 』国 書 刊 行 会, 1977(1928).' 福 田亮 成 『理 趣 経 の研 究: そ の 成立 と展 開 』国書 刊 行 会, 198-. 松 長 有 慶 『密 教 経 典 成 立 史論 』法 蔵 館, 1980. 山 本 匠 一 郎 「ブ ッ ダ グ ヒヤ の タ ン トリ ズ ム: 8世 紀 チ ベ ッ トの 仏 教 統 制 の 一 事 情 」 「智 豊 合 同教 学 大 会 紀 要 』53, 2004l
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Tripathi, R.S. and Negi, T.S., Hevajratantra with Muktavali Panjika of Mah apanditacarya Ratnakarasanti, CIHTS, Varanasi, 2001.
金 剛 乗 と タ ン ト ラ 分 類
密 教 文 化 註 (1) 堀 内 梵 本(上)p. 313§614. (2) 堀 内 梵 本(下)p. 291§2490. (3) Toh 2510 Si. 233a5-6.
mu stegs can ni nyan thos dang / rang rgyal pa dang / sangs rgyas kyi theg pa la mos pa mdo sde pa dang / shes rab kyi pha rol to phyin pa'i theg pa tsam la zhugs pa ni gzhan mu stegs can to / rdo rje theg pa'i mu la mi bsten pa'i phyir ro //
(4) [大 観39-49] (5) [静2006]
(6)『 総 タ ン ト ラ 部 解 説 』(広 本)Toh 5169 rGyud sde sphi'i rnam par gzhag pa, Tome 14.
(7) [ク ン チ ョ ッ ク ・ シ タ ル2000]
(8) フ. ト ゥ ン 自 身 は 第 四 階 梯 に 「大 喩 伽 タ ン ト ラ 」 の 語 を 用 い る。 ツ ォ ン カ バ は 『真 言 道 次 第 』 で 「無 上 喩 伽 タ ン ト ラ」 の 語 を 用 い て い る。[白 館:88, 86註3] (9) 杉 木 論 文 が 引 用 す る 当 該 箇 所 はToh 2687 Thu. 244a3-b2.
(10)『 金 剛 催 破 釈 』Toh 268-Thu. 244a4-5.
de yang mtshan nyid kyi theg pa la ni mdo'i ming gis btags la/gsang sngags kyi theg pa la ni rgyud kyi ming gis btags so//
(11) [English: 6]は、 anuttarayogatantraと い う 語 に っ い て 以 下 の よ う に 記 し て い る。
Sanderson(1993)が 指 摘 し た よ う に、 二 次 資 料 の い く っ か に 現 れ yogatantraと い う 用 語 は、 サ ン ス ク リ ッ ト に 跡 づ け ら れ る タ ン ト ラ 分 類 に は
出 て 来 な い の で あ り、 お そ ら く こ の 語 は、 チ ベ ッ ト語 のrna1'byor bla med kyi rgyudっ ま りyoganiruttaratantraか らの 誤 っ た 逆 成 語(backformation)
に 由 来 す る と思 わ れ る。 (12)二 儀 軌S本p. 60[53B54]
こ の 「四 種 成 淫 」 を 述 べ た 語 は 『チ-ヤ ク ラ サ ン ヴ ァ ラ』 〈灌 頂 品 〉 に も見 られ る。 Toh 368 Ka. 216a3.
(13) [Snellgrove 1976: 145] (14) Toh 1181 Ka. 163a2.
(15) [Tripathi, R. S. and Negi, T. S.: 169] Toh 1189 Ga. 283b1. (16) Toh 1190 Na. 163a3.
(17) 二 儀 軌S本p. 90[10] (18) [Snellgrove 1976: 156] (19)Toh 1181 Ka. 172a3.
(20)[Tripathi, R. S. and Negi, T.S.: 223]Toh 1189 Ga. 295b7-296a1.
(21)[Tripathi, R. S. and Negi, T.S.: 223]に はyogantaraと あ る が、 yogottara
の 誤 読 で あ る可 能 性 が か な り高 い。書 体 に関 して、gaとgOの 混 同 は母 音 記 号 の 見 誤 り に よ って容 易 に起 こ り得 る。 ま たntaとttaも 混 同 しやす い。 以 上 の 指 摘 を加 納 和 雄 氏 よ り受 け た。
(22) Toh. 1853 Di. 6a7-b1.
rtsa dang riung gis rtogs 'gyur bas // khyod kyi rtsa yi 'khor lo tshol // (23) Toh 1866 Di. 108a6-7.
de gang gis rtogs she na /
rtsa dang riung gis rtogs'gyur bas //
zhes to / rnal 'byor bla na med pa'i rgyud rnams kyi man ngag ste mkha' gro ma'i rgyud rnams rtsa gtso bor byed pa'i rgyud de / des rtogs pa'o / rnal 'byor thabs gtso bor byed pa'i rgyud ni riung gi de kho na nyid gtso bos de rtogs par byed pa'o //
(24) Toh 1853 Di. 16b6. (25) Toh 1866 Di. 1137a2-3.
rnal 'byor chen po'i rgyud ces pa ni rnal 'byor chen po ston par byed pa'i gzhung ste thabs gtso bor byed pa'i rgyud dang / mkha' 'gro ma'i rgyud rnams so //
(26) Toh 1866 Di. 112a4-5.
rnal 'byor spyod pa dang dbu ma pa ni byang chub sems dpa' lam la gnas pa'o / byang chub sems dpa' ni sa bcu la gnas pa'o / bla bcas sangs rgyas
zhes pa ni bya ba'i rgyud kyi sangs rgyas dang spyod pa'i rgyud kyi sangs rgyas dang rnal 'byor rgyud kyi sangs rgyas so //
(27) [松 長: 34]
(28) Toh 3713 Tsu. 105b5.
gsang sngags 'bras bu rdo rje theg pa la ni 'jug pa'i sgro rnam pa zhi ste / bya ba'i rgyud dang / spyod pa'i rgyud dang / rnal 'byor chen po'i rgyud ces spyir grags pa yin no //
(29) Toh 3713 Tsu. 105b5-106b6. (30) Toh 3713 Tsu. 106b6-107a3. (31) [松 長1980: 31-35]
(32) 「Taranatha印 度 仏 教 史 』 に は、 Bhavyakirtiは、 Vikramasila僧 院 でBha-vabhadraの 次 に 出 た 金 剛 阿 闇 梨 で あ っ て、 タ ン ト ラ の 奥 義 に 通 じ、 神 通 無 磯 と 称 さ れ た、 と 出 る。[寺 本: 348]
(33) Toh 1793 Ki. 2b-3a1.
金 剛 乗 と タ ン ト ラ 分 類
密
教
文
化
(34) Toh 1793 Ki. 63a5-6.
de ltar 'di skyon thams cad las nges par grol ba / yon tan thams cad kyis brgyan pa / zab pa dang rgya the ba rdo rje theg pa chen po 'di yin no / de la rnam pa Inga ste / bya ba dang / spyod pa dang / rnal 'byor dang / rnal 'byor chen po dang / rnal 'byor chen po'i mthar thug pa'i bye brag gis de rnams kyi rang rang gi mtshan nyid dang / dbang po'i dngos po dang / yul gyi bye brag sngon du bshad zin to //
(35) N- ly r Bhavyakirti fRJ Toh 1405 Ma. 19a3-6.
ro tsa na blang ba ni 'di'i ro tsa na blangs pa tsam gyis ni ma yin to / 'di ni mu stegs pa'i bshad pa yin gyi / rnal 'byor ma'i rgyud du bstan par 'os pa ni ma yin no zhe na / dpal gsang ba 'dus pa la sogs pa rnal 'byor gyi rgyud thams cad du go ku da ha na la sogs pa'i sman bza' bar bshad pa de yang mu stegs pa'i rigs yin par 'gyur na de ni ma yin no / de rnams rang nyid shi ba'i blangs pas mu stegs pa ltar ma 'gyur ro zhe na / de
ltar ni rang nyid shi ba'i skye ba bdun pa'i ro tsa na blangs bar bshad do zhes pa 'di rnal 'byor gyi rgyud dang / rnal 'byor ma'i rgyud 'di dag gi dbye ba ci zhig yod de / gang gis rnal 'byor gyi rgyud ni de bzhin gshegs pas gsungs pa yin la / rnal 'byor ma'i rgyud ni bdud kyis bshad pa yin par kho bos ma rtogs so / de yang / gnyis ka nyes pa mnyam gyur dang / don gyi nyes pa'am myam gyur pa //
こ こ に 出 るrnal'byor gyi rgyudに っ い て、 筆 者 は 〔大 〕 を 補 足 し て 訳 し た が、 こ れ は 次 に 引 用 す るAbhayakaraが 述 べ る 喩 伽 タ ン ト ラ へ の 一 理 解 を 示 す 例 -で あ る と 言 え よ う。
(36)DakinzuqfrapanfbmtantraToh 419 Na. 54b6. こ こ で は、 Abhayakaraの 引 用 と は 異 な っ た 訳 語 の セ ッ ト・が 見 ら れ る。
dman pa rnams la bya ba'i rgyud // bya min rnal 'byor de lhag la // sems can mchog la rnal 'byor ma cho ga // rnal 'byor gong med de lhag la //
(37) Toh 1198 Cha. 109a1-5.
dam pa'i chos phyi'i ni bya ba'i rgyud la sogs pa'o / de la bya ba'i rgyud ni dam tshig gsum gyi rgyal po dang 'byung po 'dul byed la sogs pa ste / gang du khrus dang smra bcad la sogs pa rnams kyi bya ba phyi rol gyi lugs ma dang bris sku la sogs pa la lha ru dmigs pa'o / spyod pa'i rgyud ni rnam par snang mdzad mngon par byang chub pa la sogs pa'o / gsang ba ni rnal 'byor gyi rgyud la sogs pa ste / rnal 'byor gyi rgyud ni de kho na nyid 'dus pa la sogs pa'o / rnal 'byor bla ma 'i rgyud ni 'dus pa la sogs
pa'o / rnal 'byor bla na med pa'i rgyud ni rnal 'byor ma 'i rgyud do / gang mkha''gro ma rdo rje gur du gsungs pa //
skyes pa rnams ni gdul bya'i rgyur // rnal 'byor rgyud ni yang dag bshad //
bud med rnams ni bsdus ched du // rnal 'byor ma rgyud rab to bshad // dman pa rnams la bya ba'i rgyud // de bas Ihag la spyod rnal 'byor // sems can mchog la rnal 'byor mchog // rnal 'byor bla med de shag la'o // zhes so / de la rnal 'byor gyi rgyud ces pa 'dis de kho na nyid 'dus pa la sogs pa dang gsang ba 'dus pa la sogs pa yang brjod do / de nyid kyi phyir de gnyis rnal 'byor gyi rgyud kyi sde zhes brjod par bya'o // (38) [遠 藤1993]
(39) 『菩 提 道 灯 難 語 釈 』Toh 3948 Khi. 28-a6-b6. (40) [白 館: 87]【 七 分 法 に 対 す る論 評 】 (41) Toh 3716
(42) Toh 3712 Tsu. 103b6.
zab cing rgya the ba dang ldan pa'i theg pa ni bya ba dang / spyod pa dang / rnal 'byor dang / rnal 'byor chen po dang / rnal 'byor bla na med pa zhes bya bas rnam pa ingar 'byur ro //
(43) 聖 者 流 のAryadevaは 『秘 密集 会 』が 「戯 論 の 行 」 の説 示 が な い こ と を 詳 説 して い る。[静2002] (44) [福田1987] (45) [ク ンチ ョ ック ・シタ ル2000] 〈 キ ー ワー ド〉 金 剛 乗 タ ン トラ分 類 法 プ ト ゥ ン 大 喩 伽 タ ン トラ 喩 伽 女 タ ン トラ 金 剛 乗 と タ ン ト ラ 分 類
Vajrayana
and the classification
of tantras
SHIZUKA Haruki
The commentators on the Sarvatathagatatattvasamgraha-sutra
(TS) divided Mahayana into Vajrayana and Paramitayana. They
furthermore defined the overall history of Indian esoteric Buddhism
as the history of Tantrism, and positioned as lower stages (Kriya,
Carya) the entirety of early esoteric Buddhism, beginning with the
arising of a new theory of praxis different from the practices of the
paramitas before the formation of the TS. Afterwards, tantras with
different doctrinal teachings and practice structures were grouped
together in a way that was simultaneously a system of classification.
This paper focuses on the four-fold and five-fold classification
英
文
要
密
教
文
化
systems which were established after the Yogini-tantras appeared. An issue between two models will be shown to be the question of the relative ascendancy of the so-called Mother Tantra over Father Tantra. Next, the classificatory standard lying at the root of the differences between the two classification systems will be studied. Finally, regardless of differences in the criterion between two systems, the overall agreement of the acaryas on the five-fold tantra-grouping framework (Kriya, Carya, Yoga, Mahdyoga and Yogini) based on the historical development will be concluded.