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佛教大学総合研究所紀要 2003(別冊 2)号(20030325) 075村岡潔「〈ターミナルケア空間〉の文化解剖学(アナトミー) (現代医療の諸問題 : 仏教ヘルスケアの視点から)」

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(1)

ア ナ ト ミ ー

〈ターミナルケア空間〉の文化解剖学

村 岡

1

.

は じ め に 現代医療・近代産学は,その治療実説や広義のヘルスケアとしづ{呆健活動や健康思 想教育を通じて多くの患者や人々の人生に影響を与え,その生死ならびに生死観と深 く結びついてきた。わが留では,戦後,人々の死亡場所がそれまでの自宅中心から病 院・診療所・助産所などの医療施設中心へと変化してきた。こうした施設死亡は, 1947年の時点では,全死亡の9.2%と低率で、あったものが, 1977年には50.6%と過半 数となり, 1988年ーには71.9%を占めるに至った1。) こうして病院での死亡が増えるにつれ,不治の患者として,近代毘学のがん治療の 対象からはずされてきた臨死患者のケア,いわゆるターミナル・ケアの必要性や重要 性が毘療者の側からも説かれるようになっていった。本稿では,このターミナルケア が,特に日本的環境の中でどう位置付けられているか。また,それに対して伝統的な 死生観と近代商洋法学的な生死観とがどのように影響しているのか。また,仏教的 (あるいは宗教的)なホスピスケアのあり方についても考えてみたい。 ちなみに近年の死因統計からは,全死因に対する悪性新生物(いわゆる

f

がんJ) による死亡の割合が1998年には30.3% (約28万 4千人)に達していることがわかる2。) 一方,いわゆる理想的なターミナルケアの場所と考えられる緩和ケア鶏棟施設基準を ホスピス(いわゆる「緩和ケア病横

J

)は, 2002年9月現在, 107施設1017床という。 この結果,がん死亡者を年間30万人と見積もってもこのうちホスピスケアを受けられ るのは,その内の約3 %に過ぎないことになる。残りのほとんどの末期のがん患者は 1) 黒田浩一郎日えが留における戦後の死亡場所の変化

J

,沖lj戸女学院大学論集j第39巻,第 3 -l,子 1993i,手 81-101頁。円LUささ俗「死の医療化とターミナルケア

J

,黒岡浩一郎編?現代 医療の社会学j(世界思想社)所jJ,又 1995:¥, 245-246]言。 2) 財E立法人厚生統計協会総?国民衛生の動向・厚生の指標ふ続時1母子4・第47巻第9号 (通巻736号) , 2000年, 48叩50支。

(2)

76 持i;孝之大学総合研究所紀要別iITr Z足代医療の諮問怒 プライパシー権も守られないー殺鵠棟としづ療養環境で家族とゆっくり話しもできず 死亡していることになる3。) このように末期の患者には, ADL(日常生活動作)や生活の満足度を無視した従 来のような濃厚治療(し、わゆる「廷命治療

J

)を続けるのではなく,疹痛.

1

;在意、感な どの症状の経和をめざし,心理的・精神的あるいはスピ1)チュアルなケア,さらには 社会的経済的困難から生じる問題への記癌などを中心とした緩和ケアのプログラムが 提唱され実践されてきている4。)

2

.

ケ ー ス ス タ デ ィ : 一 般 病 棟 に 担 問 見 る タ ー ミ ナ ル ケ ア の 空 間 こうしたホスピスに代表されるようなターミナルケアが開始されるまでは

r

−紋病 棟戸)での臨死患者のケアは近代毘学(現代毘療)の守備範囲ではなかった。詫来は, がん末期の患者が臨終期に心停止を迎えたとしても,主治医や看護師は,十分予期さ れたその死を受容し家族とともに静かに見送るのではなく,多くの場合,家族さえも 病室から退出させl手斐のない心臓マッサージをはじめとする「救命処置」を行なって きた。病院は,通常,家挟が死にゆく患者ときちんと別れを交わす場所とは決して見 なされてこなかったのである。 ここでは実際のターミナルケアの空間が具体的どのようなもので在りうるかを3つ の事例を通して位置付けておこう。ただし何れもが昨今,脚光を浴びている緩和ケア 3) LlJ1l1奇主主主ll「ホスピスはどこへ行くのかj,雑誌 f文芸芸春秋

J

,

2003年 1月号, 2821"fo 4) 円ill努伝,前掲書, 247252頁。 5) f緩和ケア病棟jが出現した結来,それに対応する言葉として,従来の内科・外科等の病 税iは,あたかも緩和ケアをやらないかのようなニュアンスの下に(緩和ケア病棟に対する意 味での

J

I

一段療機j と呼ばれるようになった。 しかし,大阪府箕関市立病院の後明有II努麻際科i部長は,緩和医療学の立場から,緩和治療 学あるいは緩和ケアの手法が一段病棟に普及していけば「緩和ケア病棟j と

f

一般病棟

J

と の関には本質的な差はなくなるという[大阪大学医学部公開講座 f医療・生命と倫理・社 会jでの議淡

I

−殺病院と緩和医療(学)

J

でのさ在者との質疑によるpersonalcommunicばion, 2002年12Fi14問。ちなみに,後明によれば,緩和医療学の尽的はまず身体的痛みを取るこ とにあるという。それによって綴神的な苦痛もコントロールされてくるということであろう が,こうした,いわゆる

f

スピリチュアル・ペインjは,身体的痛みに比して白木の緩和ケ アの臨床ではホスピスのテキストに書いてあるほどにはあまり問題にならないかのような印 象を受けた。 ちなみに,こうした命名

i

去の逆説的パターンは,医療思想史的には爽味深し、。例えば,オ ランダ医学が入ってきて

f

闘方

J

としづ言葉ができ,それに対して Ii.美方」とし、う言葉が生 まれた。近年でも,

r

n

泊予むなし、うI呼称が普及した後で「心綴死j という名称が主主まれてい る。こうして歴史上,あたかも「漢方

J

やf心臓死j という概念が先行して存在し,それに 対して

f

闘方jや「脳死」とし、う新たな概念が主主場してきたかのような形で歴史が整序され 秩序付けられるのであろう。

(3)

ア ナ ト ミ ー 〈ターミナ Jv ケア ~1i:I) の文化解剖学 村隊 {法 77 病棟ではなく

f

一般病棟

J

あるいは在宅での出来事である。こうした事例を注意深く 比較冊究することによって,必ずしもホスピスケアが緩和ケア痛棟といった施設でし か実現出来ないものではないことが現解されよう。再出 うようにホスピスとはプ ログラムで、あって施設や建物をさすものではないからである旬。いずれにしろここで はケーススタデイを通じて,ターミナルケア的な要素の有無を採ってみよう。 {事例1: I氏の得手術} I氏はすでに背がんの手術を2回受け,テレピ界に職場復帰していたが,腹部に硬 結(しこり)が触れるようになったため某大学

F

目黒病院の著名な外科部長(司教授) に紹介された。

H

J

受は,

f

じゃあ,ここに横になって。」とし、し、ながら,ベッドに横ーになった患者 Iさんの腹部を診察しながら,血相を変えて

f

おいっ。これ,前の病院ではなんて言 っているんだ。

J

と叫んだ。担当医はこれまでの経緯を陸学用語を交えて説明した。 すると,日教授は「そんなどころじゃないぞ。すぐに検査だけと指示した。

I

氏は直ちに検査に閉ざれ,結果は

2

時詞半後に判明した。

I

氏が検査室から震っ てこないうちに, H敦

J

受はI氏の姿らに来て結果を説明した。

f

やっぱり私が予想し たように,完全にがんが腹!控内に転移している。とくに楊の部分に,かなりそれが見 られる。このままでは 1~ 2遊間のうちに腸閉塞を起こして緊急事惑になってしまう。 せっばつまった状態にある。どうしますか?本人には隠しておきますか?」 安は

f

ここで甘い事を言っても意味ありません。全部正亘に伝えてください。j と 答えた。そこで,百教授は,投査から戻ったI氏に「このままでは,年単位ではなく 月単設です。j とはっきり告げた。 I氏は,ぐっとつまり,十数秒間をおいて「先生, どうしたらよいでしょうか?

J

と尋ねた。日教設は「残された道は手術しかないねj と淡々と答えた。 I氏は,

f

斤るような気持ちで「先生に任せれば助けてもらえます か?

J

と問うた。日教授は「任せておけ, 100%治る,という状態ではないが。今の 段時では手術しかないというのが私の診断です。要はIさんの気力です。がんと闘う 決心があり,私たちに伝せていただけるならば,全力をあげて,がん細胞をゼ、ロに近 い状態にする。それは約束する。」と断言した。こうして

I

氏は

3

度目の手術を受け ることになったの。 6) 円tll誓信,

t

計j掲者, 247-249頁。 7) 近藤誠{がんば切ればなおるのかj新潟社, 1998'.ff,ミ 181 192亥からの筆者(村絢)によ る姿約。

(4)

78 係;宇土火学総合研究所紀:~jJIJil!t 現代医療の絡|問題 この事例では,実捺には, 2度の再発・転移であることが十二分に言えるのだから, 外科手術の適用があるかどうか,すなわち手術すべきで、あったかどうか,疑陪も余地 が十分ある。しかし,この事例から約10年設の現在でも腕に自信のある外科毘であれ ば再発した腫湯の切除手術に挑戦しないと 、切れまい。

I

さんは,

3

度目の手術 で,前回の手術した傷口に並行して長さ 12センチljl話5センチの形で硬結がみつかり, がんの再発の主病巣は主として左上腹部にあり,そのほかにも腹膜に点在する播議病 巣がポツポツと見られた。[術前から予想、されたはずだが]再発が広がっていたため, 大部の病巣(臓器)を切徐した。その臓器は前の手術のときに残された胃の部分のす

べて, ll家臓の尾部のiN~ ,粋WI&,大腸の大部分,腹壁の一部などを22鐙所になり,その

全重量は3kriにも及んだ。術後も Iさんは苦しみつづ1ナた。術後2週間を過ぎても未 だ起き上がれず,さらに痩せが進み,術後約1ヶ月後には腸賠塞を来たした。[担当 震は術後の疲着によるものではなく]がんの再発と考え,さらに抗がん剤治療が開始 され,約3ヶ月後にがん性悪液質のために死亡した旬。[それは奇しくも Iさんが手 術しなければ3ヶ月もたないと患いこんでいた期調と一致していた。] この事例を別途,医療倫理的に考察した9)ので詳縮は省くが,ここでは,

H

教護らの医療行為がターミナルケアにならなかった理由を指摘しておこう。それは, もはやI氏が手術をしてもしなくても完治しない靖況にあることはほとんど疑う余地 のないことだったにもかかわらず,彼ら医師団は患者の生存の質的レベルを向上させ るのは手術しかないと信じていることである。狂教授にとっては,残かに腫湯のサイ ズが CTスキャンなどの酎{象診新で縮小すれば,それで、勝手jlなのかも知れないが,患 者にとってはそうではない。 がんが再発したI氏の状態は,その時,すでにターミナルケアの対象てやあったO に もかかわらず,産自帝国は手術を最優先したのである。本来ならば,もう手術しても好 転はしないとしづ真実をI氏に告知して,手術よりも彼が最期をきちんと整える機会 を与えるべきであった。そうしていれば, I氏はテレビタレントだから,少なくとも 9月

t

i

、降もまだ倒れるまで仕事を継続することがで、きたはずなのである。あるいは, 家族と一緒に通ごしたり,近くに旅行したりするなどの選択肢もあったのだ。にもか かわらず,庭部たちは,そうした患者の社会的家族的な問題に対する配患は念頭にな かった。つまり,

H

教授ら医師団には,患者という一個の人槍よりは,手術で挑戦す 8) 近藤誠,前掲安, 48-54真。 9) 村岡潔「インブ万一ムド・コン七ント再考

J

,

f'i?f,教大学文学部議集j第87号, 153163頁, 2003年。

(5)

〈ターミナルケア受IHJ)の文化録音jJ学 付lilD 潔 79 べき再発したがんしか見えなかったわけである。 このような大学

F

付属病院であっても,

i

雲師聞にターミナルケアについての関心や記 患がなければ,それは日常臨床の仕事のカテゴリーにはないのである。こうした吾郎 の行動パターンは,緩和ケアの側からみたら,日本での平均的な

f

一般需棟jの出来 と位置付けられることになる。例えば,ジャーナリストの東嶋は,一般の大多数の 病院とホスピスの緩和医療とを対比させ,その

f

違しづを次のように明確なものとみ なしている10。) 「京都府の京北町痛誌で院長が末期がん患者に筋弛緩剤を打ち,死亡させるという 事件が起こった。一般の人々のなかには,院長行為を肯定する人が少なくなかった。 …緩和医療が呂本に広まってきたとはし、え,大多数の病誌では,がん患者や死に臨ん だ患者は不必要な苦しみにさいなまれるのが「ふつうjだからだ。…「死は:牧場でよ りもベッドのなかでのほうが,いっそう卑しく,長く,つらし、j と,モンテーニュが いったように,現代の医療現場は,戦場よりも醸し、。…先端の医療技術を駆使した延 命治療にのみ腐心し,患者の痛みを取り除くとし、う基本的で当然のことをしてこなか った医療側の反省から生まれたのが,緩和医療である。「緩和産擦が身近なものにな って患者さんの痛みが取れれば,安楽死は必要なくなる

J

…緩和思療学会で理事長に 就任した柏木教授は,二千人の毘師や看護婦にこう訴えた。j これは設5)にも記したが,一殻病棟と緩和ケア病棟との関には,痛みのコント ロールができれば,本資的な差がなくなるだろうとしづ緩和毘療学の一見解ともつな がっている。緩和医療・緩和ケアというものがホスピスないしは緩和ケア病棟という, 一般病棟とは異なる場所でしか起こりえないものではないことは,次に示す 2つの事A

i

7

t

l

からも窺い知ることができる。どちらも,やや長めの事例だが,それは

r

−殺病 棟jにも,緩和ケアの賞賛者が取り上げる「理想的なターミナルケアの空間

J

がふと たち現われる場語があることを示すためて、ある。 [事部

2:

H

氏と写真集

p

l

)

写真家で59歳の日氏。彼女は 7年前に乳がんの手術をうけたが,この年の泰ごろに 再発・転移し,手術も無理な状態になっていたので、

T

大病院に転院してきた。あと 年もつかどうかとしづ状態だったが,少しでもがんの進行を抑えようと放射線照射や 10) }fl]嶋和子;緩和医療の 3Jl,~;きから がんとともに生きるJB本実業出版社, 1997"!三, 833]要。 11) 柳出邦男 ff死の医学J への日記j 新潮社, 1999年, 36勾69亥。挙例は, ~ft者(村岡)が婆 約したもの。

(6)

80 務;教大学総合研究所紀要別fllr現代i笈療の諸問題 抗がん剤治療が行なわれていたゆ。 しばらくして,担当医のI教授は召さんに向かし、何か手伝えることがないかと問い かけた。彼女は野辺の石仏を追いかけてきた石仏写真家で,

r

−久ー人・石の仏j という 写真集を作りたいと願っていたところだったので,「この写真集が完成できなかった ら死んでも苑にきれなしづと告白した。そして,もう一度揖影が出来るように

3

週間 の外治を希望したっ

I

教授は,

3

適時治療を中断するから,自宅に帰ーって作品を完成 するようにとその希望を叶えてあげた。一故に外科病棟では

i

創意の見込みのなくなっ た患者には,ベッドふさぎにならないように退院や転院を進める。 I教授は,大学鴇 誌におけるこれまでの風潮に批判的だった。そのようなターミナル期の患者たちこそ, 一日一臼がかけがえのない持部となっているのに,多くの場合,治療に熱心な毘締の 場合,今やめたら癌が増悪してしまうなどとして中止したりしないからだ。

H

さんは,近場の山で最後の写真揖影をした

2

週間後に起き上がれなくなった。

I

教授は,病院に喪った

H

さんに写真集のための書きものをするデスクがないこと を言われ,そうした日常的な必議品がない病院は生活や人生を断絶してしまうところ だと,再確認したO そして,

f

皮女にライテイング・デスクを爵意してあげる。患者に は全身転移があり,回復は無理だが,癌の転移巣をたたいて縮小させるためにシスプ ラチンの化学療法を開始することにしていた。だが,心身両国からどうケアするかが 開題だった。日さんは,写真集

f

女人・石の仏jを完成することが生きがし、となって いた。彼女は,激しい副作馬の中,執筆は中断されたものの,一連の点滴の合同にベ ッドで原稿を書いつづけ,そしてついに本が完成した。 I教授はその写真集を手にし,告分について書かれた文章に釘イすけになった。

f

……何としてもこれだけは完成したい。私の心は鬼になった。私は思い切ってI教 授に胸の内を打ち明けた。?時間をあげますから,ぜひともその仕事を完成させなさ いj教授の答えはそうで、あった。私は喜びに言葉を失った。教授の身にあまる理解と 励ましにめぐまれ,その後の日々は,治療と体調と執筆時間の調整の中で,ついに税 稿することが出来た。感無量である。……j 12) 緩和ケアでも,がんの骨転移などに対して放射殺治療が行なわれるが,これは根治的治療 よりも悲痛緩和やそれによる日常生活動作などの活動範間を維持する目的が強いものである。 ただし,「一紋病棟」における,この事例の文脈では根治的治療にあたる。この点も,「一般 病棟jと緩和ケア病棟との去が,理念上はともかく,実際部ではさほど明確ではないこと示 唆している。ちなみに,殺和ケアとしての放射線治療は米包のホスピス・プログラムでも裕 福な患者には行なわれる情況にあるようだ〔文化人類学の波部洋一・日本学術振興会特別研 究員とのpersonalcommunication, 2002年12月〕。

(7)

ア ナ ト ミ ー (ターミナルケアさをiI司〉の文化解剖j学 付i判 潔 81 霞師は治療に成功し患者が喜びに満ちて退院して行くのを見送るとき,自らも喜び を共有し,達成感を味あうものだ。逆に,治療の対認にある死を敗北と考えると多く の陸部は末期がん患者から遠ざかってしまう。ところがI教授は,末期のがん患者か らかつて経験したことのない言葉を贈られた。

H

さんはシスプラチン治療をあまりにつらいので

2

初日からは拒否した。主治医も I教授も,その後は症状緩和のみの手当てにした。 その後も

H

さんは友人に

f

寸き添われながら

2

回ほど観劇にでカミけた。 彼女は苑の

2

週間ほどまえに

I

教授に「どうしても’語れませんj と心の迷いの伝え た。それが死の

6

日前,

I

教授が学会で外国に行くが帰国したらすぐに駆けつけるか ら待っていてくださいとHさんに言うと「もうこれで先生いし、です。終わりました。 先生方のおかげで、人生というものがこんなに貴重だということを本当によく知りまし た。」と答えている。

H

氏は,この後

I

教授の帰国を待たずに亡くなるのだが,この事例で主主要な鍵とな るのは,

H

さんの強い希望と確掴たる意思と,それに呼応する

I

教設の配慮の存在で ある。これらの相互行為の結采として,この一般病棟にターミナルケアの空間のスポ ットが出現したことになる。多くの場合,一般病棟では,患者が日さんのように言う ことは,わがままと受け取られかねなし、。あるいは,写真集の完成などあきらめるべ きということになろう。一般に,患者は涯療者に対して遠慮しがちである。それは自 分の身体を診てもらっているとしづ負い自のためかも知れないし,あるいは,日本の 病院文化におけるそうした風習に何気なく従っているだけかも知れない。このことは, がん告知などの情報開示が十分なされたとしても,そのことが直ちに,患者側の十分 な意思表明には必ずしもつながらないということを示唆している。 ところで,入院患者が自らの都合で外泊したくても担当

i

衰の許可無しにはそれがか なわないとしづ鼠習も,[雲療においては患者が主体であるという,多くの医療者が認 める理念からするとおかしい。他の入院患者に影響を与えない限り,また,外出によ る病状悪化も覚悟の上であれば,患者には病

i

誌を自らの意思で出入りする権利はある はずだ。患者と担当毘師が相談し,病状と外治の揺事との重大さを勘案して外泊の可 否を決定したというならまだわかるが,多くの場合,医学的基準が優先され医師の判 新が絶対とされてしまうからだ。こうしたことは,緩和ケア病棟でも起こりうる。例 えば,余命幾ばくもないという患者が, 3日後の正月を家で過ごしたいと希望してい ても,

i

袈師が患者の骨転移が進んでいて骨折の恐れがあること等を理由に外泊許可を

(8)

82 哲il童文大学総合研究所紀喜~~!JI舟 現代医療の諸問題 与えないとする。この場合も,医学的判断は正しいかもしれないが,患者にはその次 の正月はないのだから,患者が在宅で正丹を過ごせるように援劫すべきなのだ。いず れにしろ,末期の患者に対して医学的介入が強すぎると,一般病棟でも緩和ケア病擁 でも,ターミナルケアとして望まれる空間は出現しないと言えよう。 この[事例2]では一般病院ながらもターミナルケア空間が出現したが,その上, それが成功したと言える証拠は,患者が最期に(十二分ではないかも知れないが)満 足さを表明して逝った点にある。

H

氏が,最期に写真集を完成したことは,それによ って思いのこすことがなくなったとし寸満足感と向特に,その写真集を通じて「自分 としづ人間が存在していたことjの証しを遣すことが出来たことを意味する。この点 は不死性し、う信念の問題にもつながる重要な点である。 なお,ここでいう「不死性

J

とは死に行く人が自己の存在の永続性が探障できたと と信ずる何かである。それには,次のようなものがあると思われる。 ①

f

子供・家族

J:

I当分が逝っても代わりに血筋のつながりのある子孫がいてくれる としづ信念。あるいは,自分の家業を引き継いでもらえるとか,自分のやり残したこ とを仕上げてくれるといった信念。 ②「仕事・作品j:自己の仕事・作品の中に何かが残っているという信念。自分の作 品や小説・絵画などが他の誰かに鍍賞されたり役立ったりするとしづ認識。そのこと で何か自分が存在した証しを遺せるとしづ達成

J

惑を伴った心矯,など。 ③

f

再生や来世」:死んだら次の世があるとしづ信念。慨えば,来

f

止や輪廻を信じる 人は,その信仰こそが不死性の根拠となっている13)。ちなみに

f

臨死体験jをした と諮る人は,死が怖くないとし、う指摘がある14。) ④「自然と一体化することj:自然の中に自分が溶け込みたいという信念。例えば, 13) 橋爪大三郎 fill·界がわかる宗教社会学入門j 筑摩書房, 2001 年, 121-122~。橋爪はコラ ム「死んだらどこへ行くのか

J

の中で,キリスト教・イスラム教あるいはユダヤ教などの世 界宗教は

f

死後の世界など存在しないjという鼠に「死の問題」を解決するという。とくに 前2者ーでは,最後の審判の日に死者も復活して裁かれ天国か地獄行きが決まるが,どちらも 生きたまま往くところである。ピンドゥー教にも仏教にも総廻としづ考えがあり,死んでも この設かまたは他の六道のill:界に生まれ変わるわけで,決して死後の世界があるわけではな い。浄土教でいう極楽往生も,極楽にもう−

e

芝生まれ変わることになる。彼は,復活や翰廻 は,死後のt!上界など存在するはずがないという,強烈な合理主義の表現だとする明解なj主釈 を行なっている。そして, 日本人は,復活や卒者廻を信じてもいないし,(ユダヤ教やill~教や マルクス主義におけるような)現監中心主義に徹するほど合理的でもないので,なんとなく 死後の世界がらるような気がしているに過ぎず,宗教を信じる世界の人々が,日本人と同じ ような死去三観を持っているだろうと思い込むのはやめるべきだと指絡している。 14) 立花隆;燦死体験j(下),株式会社文婆春秋, 1994年, 416-417賞。立花によれば,体験 者の感想、の最大公約数では,臨死体殺を

f

死のリハーサルjと考え,死はすでに未知のもの ではなく,そこには恐怖すべきものは何もなく,むしろ気持ちがよいくらいだという。

(9)

〈ターミナルケア粥fij)の

M

村|吋 潔 83 散骨や「自然葬」などを希望する人の多くはこの範務に入るであろう 15。) ⑤

f

自己のクローン子j:不妊治療の最終的手段などとして自弓のクローン子を遺伝 よるクローン技術で実現しようとする顕望加。 ⑤その他,倍々人によって様々な事象が不死性を喚起すると考えられる。 この中で{事例2]の Hさんの場合は, 2番自の「仕一事・作品jの例に相当すると ょう。操り返すと,こうした不死生のリアリテイが得られたことが死に臨んだ彼 女の満足度を高めたのであり,一般にターミナルケア空間の存立やその成否の鍵はそ の辺にあるように思われる。 次も,また「一般病棟

J

の事例だが,外科毘として7年自だった平岩正樹監師が遊 遇した物語である17。) [事例

3

:カーテンの向こうの青年} 外科病犠に入院してきた26歳の青年。彼の表情は結く,顔は痩せこけ,血色もわる く, 3人部屋の片隅で青年はカーテンて、翻ったベッドに閉じこもったままだった。 王子岩医師は,青年の主治底からは「大腸がんの再発で,もう打つ手はない。本人に もがんと説明しました。最後の入院になるでしょう

o

J

と説明された。題診のときも 青年はいつも自分の閤りにカーテンをi]J1,、ており,その中で主治法と少し話すだけで, 日中,ほかの誰とも顔を合わさないようにしていた。 そんなある日,青年の隣のベッドに40代の牧師が入院してきた。牧師の主治医は青 年と

I

E

J

じベテランの外科医である。牧師の病気は組石で,当時は,手術前に1週間, 手術後には2週開桂度入院するのが普通だった。そして,平岩医師は,何度か牧師と 青年が隣同士で、会話を交わしている光景を見かけた。そのときは,牧師としづ仕事を している人はどんな人にも話しかけられるものだなあ,位にしか意識しなかった。 その後も,ガーゼ交換などのため彼らの病室を訪れると,青年のベッドのカーテン が牧師の側にだけ開いているのに気付いた。そして何日かした土曜日のカンファレン 15) 小谷みどり

5

変わるお葬式,消えるお墓j岩波参

1

5

,

2000年, 126-138賞。納骨・主主葬の 仕方を生前からオーダーするのは,死後のお分というものを明確に意識しており,他者の尽 にさらされる死後(未来)の自分を想定している点で,その心情は「不死性」につながって いると怠われる。小谷によると,英国の「自然にやさしい主主葬」では,エンパーミングした 遺体を土葬にして自然を薬品で汚染したりしないよう火葬が増えているとしづ。 16) 柴谷第弘・森

i

湾正博「クローン技術をめぐって 単一生殖の夢?

J

r

現代思想j第5巻第 7号, 1997年, 5961]:[。この対談では,ある老婦人から,クローン技術を知って自分の体 籾胞を使い子供を子孫としてのこしたいという問い合わせがあったことが述べられている。 17) 平岩正樹?がんで死ぬのはもったし、なしづ講談社, 2002年, 52“57資, 8096]:[からの筆者 (村岡)による要約。

(10)

84 偽字文火学総合研究所紀姿)) ljlf~ 現代医療の訪問題 スの時,主治監は,牧締さんの胆石の手術後の経過がJll費調であると説明しながらも 「一応退院できますが,もう少し入院を認めていただきます」と言ったのである。 王子岩は,なぜ退院可能な患者の退院を伸ばすのか不思議に,患ったが,翌週,その理 由をようやく理解したO牧師が,毎朝パジ、ヤマから黒い牧師の服に着替えて病院から 教会に出勤し,一日の仕事が終わるやまた病院に戻ってきてベッドにもぐりこんで 「病人」となることをくり返しているのを知ったからだ。しかも,よく見ると,牧師 はそれから青年と話をしているのだO退院延期はこのための牧師の希望で、もあった。 青年は,驚いたことに牧師と話してから,ひげを剃りと笑顔を見せるようになった。 平岩は,自分の日の前で「奇跡

J

が起こったと患った。ひたすらに暗い存在だった青 年が,あたかもちょっとしたケガで入読しているとしか見えないようになった。 やがて牧師は退院していった。残った青年は,毎B.fド椅子で廊下にまで出てくるよ うになった。問佐代の看護婦と冗談を言ったり,他の患者と笑いながら話したりして いる。もうじき自分は死ぬとわかっている青年が笑い顔を見せているのである。 平岩は,中学高校とカトリック系の学校だったので、神父の語りの力はよく知ってい るつもりだったが,このとき,頭を殴られたようなショックを受けた。牧師が退院し て, 1ヶ月ほどして青年は亡くなったO もし「魂が救われるj ということがあるなら ば,彼には毘の前で起こったこの出来事こそそれなのだと思えた。 この出来事のあと,平岩は,

f

患者を救うということが産者の仕事ならば,どう考 えても医者よりも牧師の方が優れた仕事をしているのではないか。確かに癌になった 人のおよそ半数は治癒する。しかし,残りの半数はやがて癌死するのだ。それなのに, 自分はそんな死に逝く患者に懸命に〔癌ではない。治るなどと〕嘘をつくこと 念

J

してきたことに悩んだ。そして,彼は,高校の恩師を訪ねて梧談した。恩師は, 最後に「患者さんの言葉をじっと開いてあげたらどうだろうjと言った。多くの患者 を抱える平岩は,自分はそんな時間がないし,未熟な自分が患者の話を開いて誰かの 役に立つのかと反関したが,実は,窓師が自分に夜を識してそれを実践して傾聴、して くれていたことに気付くのはずっと設のことだった。 平沼医師は,この後,患者に真実を知らせるようになるが,この出来事が一つの契 機になったことは容易に想録できょう。それはともかく,この{事例3

l

も,「一般 病諌jでターミナルケアの部出に成功した倒で、ある。この場合,当時がんの病名非告 知の風習の最中,それを告知した

f

ベテラン外科医jの行為がまず出発点となってい たが,それのみでは青年患者は暗い人のままだったはずだ。それを明るく変えた鍵は,

(11)

(ターミナルケアS':!lll)の文化解剖学 村岡 潔 85 偶発的と思われるが憐に入院した牧師との交流である。このことが,また,この事態、 を注意深く観察していた一人の医療者(この場合,王子沼産師)にも重要な転機をもた らしたわけで、ある。 ところで,スピリチュアルケアが対象とするスピリチュアルベイン(霊的な痛み) の概念について,淀川キリスト教病院ホスピス病棟編

F

緩和ケアマニュアルjではつ ぎのように位霊付けている18)。患者は,病気の進行に伴いADL(日常生活動作)が 制眼され,それまで当然のように行なっていたことが出来なくなると,自分に対する 自信や髄値観を失ってし、く。さらに,死が近づいてくるのを自覚するようになると

f

人需が死を免れることができない存在である」ことを意識し,自己の存在が港減し てしまう恐れを感じたり,存在の意味を喪失したり,虚無!惑をし、だし、たりして患者は 苦悩する。このように,末期患者は否応無しに人生や自己の意味に悩み,人生の締め くくり方を考えざるを得ない情況におかれる。これらの苦痛は,単なる精神的 [mental〔註:村関口な痛みを超えた“魂の時び”,自己の存在の意味や価値に隠す る深いレベルの痛みである。また,自己の存在の根源的問題であるから,実存的苦痛 (existential pain)とも言われるものである。 そして,マニュアルは「スピリチュアルベインに対しては,単一の援助法や答があ るのではなく,人間対人間の人搭的な心の交わりや信仰心なしでは癒されるものでは ないjこと,従って「スピリチュアルベインは宗教家によってのみ癒されるものでは なく,むしろ患者に関わるすべての人の罷わりによってはじめて癒されるものjだと している18)0 先述した「不死性(immortality)

J

の問題は,まさにスピリチュアルペ インへの対処に関わる重要なホaイントなのである。 このようにターミナルケアにおいては,医療スタッフ以タトに,こうしたスピリチュ アルなケアの出来る人々の存在が不可欠となるように患われる。この[事例3

l

は, 「一般病棟

J

でもこうした条件を充たせば,ターミナルケアを実践できる可能性があ ることを示す好個の例と よれそのためには,一般の嬬棟に見られるように医療 者側が全てを取り仕切ったり肩代わりをしてしまうのではなく,ターミナルケアの現 18) 淀川キリスト教病院ホスピス病棟編(柏木哲夫院修)

r

緩和ケアマニュアJレj〔改訂第4 !波〕最新医学社, 2001年, 200205:N。向ホスピスの入院患者200:tの統計では,スピリチュ アルペインを表出した者は36%(なしは47%;不明{意識隊答などJ 14%)で,その内容は

f

生きる意味への問い(39%)」「苦難に対する問い(28%)J「希望がない(23%)」「真の愛 が感じられない〔孤独J (23%)J「罪安感(21%)J17.JIJ露tI(14%)J「家族に迷惑をかける (14 % ) J「死後の問題(10%)」であった。これらに対するl努わり(重複あり)としては

f

共感・理解約態度(96%)J「家族の介入(85% ) J「宗教家[牧締]の介入(39%)Jであ った。友人・同僚や#ランティアの介入の項自についての記載はなかった。

(12)

86 偽数大学総合研究所紀~~IHI号 ;現代医療の務i問題 場に,医療者以外に,家族や友人や同僚,牧師や僧

1

8

のような宗教者,あるいは簡聴 ができる専門家(例えば精神対話二仁等)や多彩なボランティアなど,様々な協力 者・援助者の参加や記属を促すプログラムを推進することが必要である。 山Jil奇主安部らによる1988年の米留のホスピス損察19)によると,例えば「ホスピス・ オブ・ノ…ザンパージニアjはベッド数251未(内10床は近くの鴇読に)[〔村詞註〕米 国では,通常,開業医は契約した病院にベッドをもつことができる]で他に80-85名 の在宅ケアも行なっている。月平均40名が死亡している。 130人のスタッフ(うち監 師1名,看護師10名)と約500人のボランティアがいる。ボランティアの約半数は, 日中は通常の仕事を持った人々で,彼らは夜開や週末に労{効を提供している。「ギフ ト・オブ・ピース(エイズホスピス)

J

で、は,あるボランティアは3ヶ月の住込みで 働いていたし,博士号を取るために研究中の若い学者も毎遊日曜呂の午前中,ボラン テイアとして病室掃除やベッドメーキングなどの手伝いをしていた。また,「コネチ カット・ホスピス」も入所44床と50人の在宅ケアに対し, 200人のスタップと400人の ボランテイアが支えている。ここでは特に芸術家のボランテイアが活発で,バイオリ ンやピアノなどのコンサートを週5日も催している。また,「マクドナルド・ハウス

J

には!芸諦や看護師はいない。ここのスタッフはコーディネーターとボランティアであ る。山続は,ホスピスとは決して「単なる死に場所jではなく,患者が最期までその 人らしく生きることを支える場所でありケアのプログラムであること,また,そのた めにはボランティアの働きがいかに大切であるかを指摘している。ただし,日本での ボランティアないしはボランティア希望者は,特に医療・介護技術や音楽家・芸術家 などの特殊技術を持たない場合,疎外されており,こうした米国の情況とは質的に異 なっているように思われるお)。 19) 山崎主主郊;ここが僕たちのホスピス;東京書籍, 1993年, 107-120夏。 20) 日本では,参加が認められるボランティアの数も活動内容・殺稔も限られているようだ。 また,ボランテイアの身分や地位はお客様や訪問者扱いにちかいか,医療者綴|!と入所者(怠 者側)との間の第三者的な扱いでらり,…設にスタッフ側として佼澄付けられることは希な ようだ。 { 予l民f挙げれば,独立裂ホスピスのA病i淀では,ボランテイアの活動は午後2r時から午後4 時までの「お茶の時間Jだけに線られておち偲々の患者に個別に接する機会はない。また, B市民病i売では,土ll翠や日曜というボランテイアが参加しやすいはずの週末は,(病棟看護 締長等の)交任者が不在のためボランテイア活動は認められない。 C病院ホスピスのような ところでも長年続けてきたボランティア活動を一時期全部中止にしたことすらある。 D病院 ホスピス病棟では,ボ、ランテイアの針灸締が一人L、るだがそれが許可されているのは月l回. 程度でしかなく,日常的活動とし、うにはほど遠い。中国や韓国では通常医療の…つでらり, また,米屈でも代替医療のーっとして認識されている銭灸治療に対して日本ではホスピス病 棟を仕切っている医締・看護師らの;然環解が影響しているように思われる。 筆者(村周)らの哲,f教大学総合研究所「現代医療の諸問題一仏教ヘルスケアの視点か /

(13)

ア ナ ; ミ ー 〈ターミナルケア主主till)の文化然出j学 村凶 潔 87 3. も う 一 つ の タ ー ミ ナ ル ケ ア : SOL

倫理と

QOL

倫理

次に意識のない人,あるいは,自分で、意思表示で、きない人のターミナルケアにおけ る鰐題点について考えておこう。具体的には,がんの臨終期で意識がなくなった人だ けではなく,脳卒中で意識障害となった人(例えば,脳死状態や植物状態などの)の 処遇が開題となる。また,ターミナルケアの対象は,必ずしも高齢者に限らない。例 えば,丘;義には,

f

染色体異常・遺伝子異常

J

とされ,選択的治療停止の対象とされ うる「障害新生児」の処遇の在り方もここに含まれる。無論,この問題は飴克診断の 結果,中絶の対象とされうる「

I

l

f

1

台児

J

の処遇の開題ともつながっている。 こ れ ら の 問 題 に 対 す る 対 処 の 仕 方 は , 生 命 倫 理21)からみれば, SOL倫理と QOL 倫理という 2つの考え方に大きく友右されている。 ( 1 )死の再定義∼ SOL倫理と Q Oし倫理 ①〔

so

し倫理〕22) この立場では

f

生 命 の 神 聖 さ ・ 尊 厳 さ (Sanctityof Life ; SOL)」を重視する。例え ば「脳死や植物」状態の患者に対しても,提来の死の定義である三故候死(=瞳孔反 応、の消失,呼吸の停止,心拍動の停止)を適用し最後まで治療を続けるべきだとする。 この立場は「人のいのちは尊し、

J

としづ信念の表出であり,次の3つの倫理原則から なる。 / らj研究班が2000年に訪れたブサン図立大学校隙属病院のホスピスや台湾の慈済会的属病院 のホスピス病棟でl主,ボランテイアはスタッフW,IJの要員として{立段付けられていた。もちろ ん日本でも,ボランテイアが重視されているところはある。例えば,ホスピスとは銘記して いないが夜宅ケアでターミナルケアをも行なっている

f

あいち診療所」では,見学芸ぎを含め Tこ一役市民から栄養士や看護締などの専門職の人たちが函分も殿場とは別に休日に働らきに 来てくれる。所長焔恒土医師は,こうしたボランティアの活動なしにはケアの内実も遂営も かなり制限されるとして,ボランテイア参加の不可避性を強調している〔personal communication,1999iJ三2月〕。 ホスピスや緩和ケア病棟でのボランティア活動に関する会問規模の社会学的ないしは人類 学的調査研究がないため,以上は,筆者の見向に基づく見解である。 21) 生命倫理とはギリシャ諾由来の(Bio生命十 Ethics倫理〉の合成語であり, 20後紀後半の 公民権運動や患者の権利遂動の仁ゃから北米を中心にlH現した学際的領域であり,生命科学と 現代医療において入荷の行為を倫理原則から検討するために様々の人々が専門領域を超えて 研究し合う学問研究の領域である。生命倫理は,体外受絡や)]合児診断, ln&¥1EJと臓器移植 といった,現代の死生観に関わる先端医療技術の検討から発展してきた。生命倫理には

a

死 の再定義(「脳死・横物j状態),争終末期医療(安楽死・尊厳死,ホスピス),③胎児診断 と人工妊娠中絶,c生競技術(体外受精,代理ー母),@遺伝子医療(診断・治療),⑤臓器移 植と医療資源の配分など,阪広い課題が含まれる。生命倫理は「生命」という言葉を鍵にこ れまで近代社会が科学や医学を過して人間に与えてきた価値基準を根本的に考え直そうとす るものである。 22) 奥野i誌黒子「生命の神裂さと主主{,IJの'il(J,加藤尚武・加茂直樹綴子生命倫潔学を学ぶ人の ためにj世界思想、社, 1998年, pp.129-1420

(14)

88 総数大学総合研究所紀要別}帝 王立1U笈僚の諸問題 {l》人為的に人の死を招いてはならない。人が人を殺してはならない。 《2)人の命は無条件に尊いっ第3者が,その人の命に値打ちがあるかどうか鰐うこ とは許されない。 {3)すべての人命は平等に扱われるべき。ある人と他の人の生命の価値を比較する ことは許されないこと。人はそれぞれが他と代えがたい尊さをもっている。 SOL倫理の立場は,伝統的な死生観・生命観を代表しており,主な仏教誌やロ マ・カトリック教徒などの宗教的生命観に代表的なものである。 ②〔QOL倫理〕23) SOL 倫理の立場が,患者の生命の価値は平等であり絶対的とみなすのに対して, 新たに登場してきたQOL倫理(Qualityof Life)では,原知として患者の生命の価植 (人十各)を相対的なもの(つまり価値に差がある)とみなす。このQOL倫理の代表 的なものが次に述べる「パーソン論

J

あるいは「人格論

J

というものである。 ちなみに,本邦ではQOLはLiたという言葉のとらえ方により「生命の質Jとか 「生存の質・生活の質

J

などと訳されている。いずれにしても,現代産療において人 間(患者)のしife(口生命・生存・生活・人生・生涯・活気などを一つで表わす雷 の質的評価・価値を問題にする考え方である24。) ( 2)「パーソン論

J

によるニ分法:

(I) 人隠としづ集団 (I生物学的とト humanbeingJ)は「人格p巴IsonhoodJを有す

る「パーソン(人格の保有者)」とはドパーソン(人格を喪失した存在)

J

とに分けら れる。両者を弁別するための条件が次の「人格

J

要件である。 (豆)

r

人格」要件は,①自己意識(特に苦痛を感じる能力があること),②欲求や目 的を持つこと,③最{丘限の認識力(記憶・期待・信念)があること,④開題解決能力 としての理性があること,⑤コミュニケーションの能力があること,⑤本能や強制で はなく,自分の意思で行為すること,および,⑦大踏皮質機能があること,である。 23) 蔵田伸雄「パーソン論一概念の説明

J

,加藤尚武・加茂直樹編;生命倫理学を学ぶ人のた めにj世界思想、

1

±

,

pp.97-108;回付公江「パーソン論をめぐる使用上の注意j,加藤尚 武・加茂直樹編

5

生命倫理学を学ぶ人のために;程上界思想、社, pp.109-1180 24) QOLには,絶対的評価と相対的評仰とがある。ターミナルケアを含めた臨床の現場でよ く使われる絶対的(独立的)許イ抑土,その患者個人だけに限って評価していき,その質を向 上させようとするもので,「がん患者の治療では,単に延命治療をはかるのではなく,患者 の(QOL;生存の質・生活の質〉を高めることが必要だjなどといった文脈で使用されてい る3 一方,医療倫理(生命倫理)であっかうのは専ら相対的評価であり,

l

,

1

i

B

、者向でのQOL の差」を問うもの。混同を避けるために,後者をQOL倫理と呼ぶが,{反に前者の絶対的評 価であっても,それを一つの表にまとめることによって容易に格対的評価になりうるので注 意を姿する。

(15)

, • ..,..' , 日 (ターミナルケア"2'tllJ)の文化終吉:u学 村泌 潔 89 このうち,最後の⑦のみが震学的に判部可能な条件である。 (蕊)このニ分法で,患者を「パーソン

J

かはドパーソン」に弁別し,先端毘療で甚 面するその患者の治療やケアの判断の基準とする。「非パーソン

J

は「人格死」とも 位霊付けられる。たとえば「脳死jイ植物状態

J

の患者,無脳症児,

f

老人性痴呆

J

,

f

障害新生児(遺伝子異常)

J

,受精卵診断の卵,等の先場医療の対象が判別される。 部えば「脳死j状態は,医療によって生命維持されて新陳代認をするだけの「生物学 的ヒトjは生存権を与えられた人格であることを意味しなし、。こうしてはドパーソ ンjは「QOL (生命の質)

J

がない「人格死j と見なされることとなる。その結果 「脳死状態jの患者は,人鴎としての価値や人権(生存権,治療を受ける権利等)を 喪失した存在と技量付けられる。これは

f

縦死

J

状態を「個体の死」とする存在論的 な定義である25)。 ( 3) QOし倫理の犠々なレベル: QOL倫理には, SOL倫理と違って,様々なレベル(立場)がある。日本の医学界 では,多くの場合,①「脳死

J

=「個体死(従って,治療停止のレベル)

J

だが,「植 物状態」=「生きている状態(治療継続のレベル)」とする立場をとるだろう。しか し,②植物状態之江領体死であるとし,治療停止のレベルだと見るなら,いわゆる「尊 厳死」擁護の立場となろう。また,③一定の条件のもとで妊娠22漉未満の胎児の人工 妊娠中殺を認めている我が屈の母体保護法は, 22遡未満の胎児は「パーソン」として は不十分とする QOL倫理の立場でもある。 つまり QOL倫理(ここでは「パーソン論」と同義)では,他者とのコミュニケー ション能力など,何らかの知的精神的な能力の存在を根拠にして人格性が付与される。 これに対して, SOL

f

命理では

f

生物学的ヒト

J

は誰もが生存権を存することになる。 25) lm~1EJ 状態を個体死とすることの正当化はー殺には,次のような「生物学約説明j が流 布している。しかし,それには次のような論理の不援合が見られる。①磁床絞験からの演絡 に他ならないこと。科学的医学と言うものも結潟は経験主義的にならざるをえなし、。しかし, 脳死の判断蕊怒の場合は,脳死と判定されてから後に判定基準から外れたケースが出茨した ら,それは誤診として徐外されるシステムになっている。そのため,脳死と診断されたもの は確実に

f

心践死(三徴候死けにいたるとすることができる。これを

f

不可逆性」という。 ②ところが,タEの符定義では,

f

脳死j乎「心臓死(三徴候死)」宏前提としている。他方,そ れを「倒体死」の証明の根拠としているという矛盾がある。@また, f脳死」状態は不可逆 約に「心綴死

J

になるから,その時点で死と決めることは,仮に確実に予後半臼のがん患者 であっても死の半沼高官の時点で死んでいる見なすことは許されなし、。つまり,死に向かう過 程が確突であってもその途上では死とは見なされないのが普通である。③さらに,脳死では 人工呼吸擦などの生命維持装置によって人工的に生かされているという指摘も当たらないc これは三重症の呼吸不全の患者も同様であるからだ。このように生物医学的な説明には矛盾が あるため,存在論的な説明が必要になったのであろう。

(16)

90 191;字文火学意志合研究所紀!Ii!別fllt現代医療の諸問題 このように現代医療,特に先端医療・実験器療にともなうターミナルケアの死生観 においては, SOL倫理と QOL倫理という 2つの対立する観点がベースにあるとみな すことができる。そのことを次の事例で見ておこう。 [事例 4 : J・サイケピッチ]26) サイケピッチ氏は,重篤な知的諮害のために生まれてこのかた67年間,施設で暮ら している。知能指数IQ口 10で,知的能力でいえば3歳の子供に相当する程度である。 その彼が急性骨髄性自j血病と診罰された。 この塑の白血痛は不治であるが,化学療法を讃極的に行なえば, 2ヶ月∼ 13ヶ月は 寛解(完全治誌に近い状態)させる

n

r

龍性が30%∼50%ある。しかし,その後は白鼠 病を再発する。化学療法には数遊間を要し,強力な薬物を鈍うので激しい不快感と

±

n

気を伴い,またそれ自体が致命的でありうる。ぶつぶつ言うのと,反応する態度とに 頼る以外,意思疎通できないので,協力がうまくし、かず,多分物理的に抑制・束縛し なければ治療で、きないであろう。治療しなければ数週かあるいは数ヶ月後に感染症で 死亡するであろう。 この事部においては,患者本人に決定能力がない(あるいは,不足している)ので, 代理決定が不可避である。こうした場合,家族や親族が代理決定を宥なうのだが,誰 がどう決定するか(SOL倫理なのか,どのような QOL倫理なのか)によって,患者 の利益が最大規に代弁されるかどうかが異なってくる。 生命の儲債を分け隔てしない SOL倫理の立場では このケースでも露跨なく化学 療法を行なうことになろう。つまり「判断能力のない患者の権利を保護する唯一確実 な方法は,治療しても死ぬという場合以外,かならず延命治療を行なうことjが前提 となっているからだ26)。よくけ託歌な延命治療」などと評されるが,実際,

f

脳死j 状態や「植物状態jになりやすい脳卒中患者などの場合,その多くは結果論でしかな い。治療開始が1…2時間も遅れれば脳損傷は不可逆的になり「脳死

J

や「植物状 態jを招いてしまうからである。結局, SOL論理の立場からは,判新能力のない患 者にはあらゆる有効な延命治療を行なう義務がある。 それに対して, QOL倫理の立場でも,サイケピッチ氏の QOL (生命の質)は植物 状態のヒトより高いと見なす場合がある。この立場では「サイケピッチ氏は,みんな 26) H ・ブロディ, f援の倫JJllJ(舘野之男,援本勝之訳),東京大学出版会, 80-87頁, 71-73 頁, 1985卒。筆者(村岡)の改選言あり。

(17)

ア ナ ト ミ (ターミナルケア笠間〉の文化解剖l学 付 l;f;J 潔 91 が満足するような生き方こそできなかったが,人間際係も,喜びも痛みも総数で、きた し,また自分自身とし、う感覚もまた自分の体の全体性とし、う感覚ももっていた。

J

と 評価することができるお)。その結果,被は,質は高くないとしても人格的存在 (パーソン)と位置付けられる。従って,パーソンとしての彼には人権があり,それ は治療についての霞学的決定がなされる際に保護される必要がある。つまり,化学療 法を行なうことを否定する根拠にはならない。 もう一つのQOL倫理の立場では,「判断能力のある成人は生命延長治療を拒否する 権利を持っている jから

f

この判断能力のない患者の場合にも,もし判新能力があっ たとすればそうまでして延命を望まないはずだjと見なされる。これは「推定問意」 とも呼ばれているレトリックである。実際に,裁判所ーは,聴関した 2名の毘締が化学 療法に反対したことで化学療法はしないと裁定した26)。こうした代理決定により, 数ヵ月後にサイケピッチ氏は延命治療が行なわれないまま肺炎で死亡した。この場合 のQOL倫理の内実は,意識がある患者も

f

脳死

J

や「植物状態jの患者と同じく 「治療儲値の否定(人権の苔定)

J

となるためにQOL(生命の価値)がないものとし て扱われたことになる。 こうしたQOL倫理的判訴は次の「障害新生児jのケースでも行なわれている。 [苦手例5:障害新生児]27) 生後4日目の新生克が重篤なH乎吸障害のためレスピレーター(人工呼吸器)をつけ ている。検査の結果は,第18染色体のトリソミーとしづ診断であった。これは重篤な 精神遅滞と成長障害と種々の身体の異常(手指異常,小顎,内臓異常など)をおこす。 この患者が成人まで生きたという もあるが, 87%は 1年以内に死亡するとされて いる。この子の治療方針を決定するための病棟会議が開かれている。 a)小児科臨長(主治

i

室):両親は「子供が正常に成長する保証がないなら,何もし てもらいたくない」と言っている。私も同じ意見である。レスピレーターをはずし, 治療を中止すべきだ。 b)精神科,匿:両親と何間も話したが,両親は動揺し混乱した状態にある。今,彼ら う通りレスピレーターを止めたら,彼らは後で罪の意識から精神医学的な問題を おこすであろう。その意味でレスピレーターは,外すべきではない。 c)病棟の看護婦28):私たちは,この子を一番世話している。この子には生きる権 27) H ・ブロデイ,前十易会, 106イ 10真。筆者(村向)の改編あり。

(18)

92 係数大学総合研究所紀要別111r 現代医療のi諸問題 利がある。この子ーを人の手で、殺すことはできない。 d)小児科の研修涯:自分の受け持ち患者のことを開いてもらいたい。その患者にも 呼吸臨安置があるが,この新生児がレスピレーターを使用しているためにレスピレー ターが使えず, 50%の確率で発生する脳障害のリスクを冒している。レスピレーター が使えれば私の患者は健康になれる。レスピレーターを私の患者にまわすべきだ。 この{事例5]については,いうまでもなく SOL倫理の立場で考えるならば,治 療を中止すべきかどうかといった需題はおこらない。この場合も,治療を継続するの が当然だからである。従って,それを問題にするということは,既にその霞療者や家 族(代理人)がQOL倫理の立場にあるということを示唆する。この事例では, SOL 倫理の立場にあるのは「治療続行jを主張する

f

c)病棟の看護締」だけであり, 「治療停止」右主張する「

a

)小児科民長

J

と「d)小児科研修医jは明らかに QOL倫理の立場である。また,「 b)精神科註

J

は,患者の立場ではなく,両親の立 場に焦点をあてており,結果的に現時点で治療続行を指示しても SOL倫理の立場と 、がたい。両親の精神状態が安定していると見なせば「治療停止」に態度変化し うるからである。 次に, QOL倫理の立場から,結果的に死につながる

f

治療停止

J

の判新に妥当性 があるかどうかを考えてみよう。患者は生後 4B毘で 1年以内の死亡率が87%とされ ている。つまり, 1年後の生存率は13%程度はある。また,今後,心身の成長障害を こすことが想定されている。しかし,「QOL (生命の質)」を相対的に問う立場から でも,明確に言えることは,こうした可能’性を秘めた存在(現在は想定された状態に なっているわけではなし、)は,少なくとも「脳死状態j よりはレベルが上であると えよう。また,「精神遅滞j去々と言う点からすれば,「植物状態」よりもさらにレベ ルが高いとも言うことができる。一方,本稿の前半で検討したがん末期の患者て”あれ ば,生命予後が1年に満たないからと言って,この時点で全ての治療を中止して死に 主らしめることは考えられない。 従って, QOL倫浬から見ても,かなり極端な立場を裁らない限り,この生後四日 の新生児に選択的治療停止の措置を取ることは正当化できない。つまり, QOL倫理 28) 本邦では200111三より,看護婦(女)・看護士(努)をあわせて「看護附jと呼ぶように法 改正されたので引用文以外では「看護郎jとする。ただし,下部構造の変化なしの名称変更 がジェンダー;訓告にも本質的な解決になりにくいことは,早くも「女性看護師jなどという マスコミ的発言の出現がそれを示唆している。

(19)

〈ターミナルケア笠lllJ)の

H

t

付|刈 潔 93 の立場からみても,この患者を死に追いやることは相当な潤題が含まれることになる。 そして代理決定として,「生命の質jが

1

まいから治療中止してよい(そして,死んで もよい)とし、うのは,鳴らかに優生学的な判翫の表明なのである。それをあえ 化する立場は, QOL倫理の中でも「安楽死jや「尊厳死

J

論者の中に見出すことが できょう。 「安楽死」とは一般に「ある人が受けている(あるいは受けると予想される) 悩・苦痛や不利援を理由に,その人自身の利援を求めて意国的にその人の死をはやめ ることjを指すが,ブロデイは,末期患者・意識障害患者に対する医療者の対処行動 について次のような明解な措梯を提示している29。) 〈表1> 末期患者・意識降客患者に対する医療者の対処行動の階梯 ;反安楽死jのレベル:出> SOLf命線 ( 1)強力に治療する。 ( 2)普通の手段で治療するが,特別な治療はしなし、。 訂肉極的安楽死jのレベル=> QOL倫理 ( 3)治療を開始しない。 (4)患者の用意を得て現在の治療を中止する。 ( 5)患者のi可;!fii:なしに現在の治療な中止する。 ;積極的安楽死jのレベル之江> QOL倫理 ( 6)患者に自殺の手段を与える。 ( 7)忠、者の同意を得て直接的に死をもたらす。 ( 8)患者の同意なしに直接的に死をもたらす。 この〈表 1)では, SOL倫理は( 1) (2)の治療を継続するレベルのみであり, それ以下の「安楽死

J

のレベルは全て QOし倫理の価値判断にもとづいていると る。ただし,「安楽死」の正主化には本人の向;苔:が不可欠だから,詞意のない(8) や( 5)は「安楽死

J

というよりは,殺人行為に相当するものである。 また,近年

f

尊厳死deathwith dignity

J

とも呼ばれるものは,この表では「消極 的安楽死jに相当している。「尊厳死j とは「意識回復の見込みのないもの(たとえ ば植物状態)への無益な治療を打ち切り,自然死させる」ことである。美馬によれ ば30),がん末期の患者に対する〔積極的]安楽死と違い,主に「横物状態」を対象 29) 日・ブロデイ,前掲蛮:, 215頁。筆者制限)の改選言あり。 30) 美潟透哉「安楽死・尊厳死j,医療人類学研究会編;文化現象としての医療ふメデイカti:¥ !反, 69頁, 1992年。

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94 係l主文大学総合研究所紀!~)]日 mt 淡代医療の諸問題 とする尊厳死では,必ずしも死期が目前ではなく,意識がなければ苦痛もなく[医学 的には意識がないので苦痛は感じていないものと想定される

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その時点の本人の意 思は不明であり,[積極的]安楽死とは異なる正当化が要請されている。尊厳死の正 当化は専ら推定同意(後見人の代理同意やリヴイング・ウイル)に依拠しているO 以上,この節ではターミナルケアの空間における患者の運命を左右する尺度として

SOL倫理と QOL倫理念対比させながら見てきた。ちなみに, QOL倫理に基づく 厳死jを「自然死」であり「自然な状態こそ人間」的と位置付けることで!SOLと QOL」を折衷させようとする功利主義的な見解もある31)o E • W ・カイザーリンク も32),「自複の見込みのない香鰭状態の成人,重度の脊椎[髄?]損傷と合併症をも った…欠陥新生児jにとって「最も有議で情け深いbeneficialな決定,つまり彼らの 生命の尊厳〔SOL]を最も配意した決定が,当然,彼らの生命を支えることの停止で あるj と例示して,これ合産党的にSOLとQOLの「前立j と称している。しかし, 彼の論文の次の段落で克るように ISOLJでし、う生命は「生物学的生命Jと

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人格的 生命」とに分けられるとして最後はQOL倫理に帰着してしまうのである。だが,本 邦の臨床空間においては「匝復の見込みのない昏

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量状態(植物状態)」にも積極的に 治療を試みており,脳死寸−

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と言われる情況でもは送の抵温療法」などで対処して生 還者を出してきている。彼の意見は,こうした日本の毘療の現実とは;jJt離していると ざるを得ない。生命があってこそ,生存の質(QOL)を論ずることができるので あり,その逆ではないとしづ関係を無視すべきではないのである。 (村

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潟)は,ターミナルケアの臨床空間においてはSOL倫理と QOL倫理とい う概念は峻別すべきであり安易に混同すべきではないと考える。 QOL倫理

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主, SOL

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命理と違って,ヘルスケア,とりわけターミナルケアを次のように無機震で無気力な ものにしかねないからである。 早坂は,ボランテイアで{効いていた英国の

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ホスピスの出来事として,次の逸話を している33)。入所者のトムが数日間吐血し続けミルクも飲めなくなったので彼 女が担当ナースのカロルに「トムに何か栄養になるものをあげたいのj と話しかけた ら,カロルははっきりした口舗で

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何もあげる必要がないわ。そんなことをしても, 彼の生命を何百か引き延ばすだけでしょう?

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と答えたことにショックを受けたとい 31) 中野東禅

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仁料金・

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事厳死・脳死・環境JtJi:山間, 208-209頁, 1998年。 32) E・

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・ヵイザーリンク

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生命の尊厳と生命の笈は両立可能か

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HT・エンゲルハルト, 日・ヨナスほか若年(加藤尚武・飯田宣之縞);バイオエシックスの主主礎一欧米の「生命倫潔j 論j東海大学出版会, 3-18頁, 1988年。 33) 王手坂裕子;ホスピスの真災右前i うーイギリスからのリポート;文奨金, 82-84~. 1995年。

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〈ターミナルケアきをlilJ) 村i吋 潔 95 う。それは, トムが滋死の状態ではなく,王手イスで散歩に行ける状態だったからでも ある。早坂はト−Bでも長く生きられるよう;/こするのが,自然ではないだろうか。こ のような処置がなぜ「生命の質jを重視し,「人間としての尊厳」を最後の瞬間まで 守り通す,というホスどスの理念に反するというのだろう

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と賄うている。 このように人聞が怠をしていることをそれだけでは無意味と裁謝するQOL倫理と

異なり, SOL 倫理~ti' 重要なのは,仏教における不殺生戒や山 Ill 草木悉皆成立、という

精神から導き出される伝統的な生命平等の理念と連続性をもっているからなのである。 これに対してQOL倫理の側からは, SOL倫理は

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法学的生命至上主義・廷命主義j だという常套句的な批判がよくなされる問。がん末期の患者の全身が点滴や人工呼 吸器の管や排尿の管に繋がれ,心停止しても,身体に底療者が馬乗りになって心臓マ ッサージをしつづけるという非難である。これは俗に「スパゲツティ」状態34)と呼 ばれているが,こうした「延命主義jとSOL倫理とは本震的に同質のものではなし、。 生命の神聖さや尊厳を重視する j芸療者であれば,生命の終わりの時を重視し,その威 厳を保持するように努めることになろう。最近では,こうした末期患者の臨終に際し ての心臓マッサージは家族に意味がないことの内突を話し了解を得ることによって少 なくなっている。つまり,この問題は,これまで家族との意思疎通を留ろうとしなか った医師のバターナリズムにもつばら起障していると考えたほうがよい。 こうした点からターミナルケアを考えた場合,嬬名告知(特にがん告主[!)の議論は 不可避の問題である。我が屈では,家族告主IJ35)はよく行なわれる一方,(特に末期 の)がん患者本人に告げないことが少なくない(その理由は様々であり,単に日本文

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との特鍛だと言っても説明にはなるまい)。 本人告知がなされない場合,患者は一人前の成人とはみなされていないとも言える。 家族告知でよしとする,医療者や家族の死生観が患者の臨終までに是正されないと (ホスピスケアや緩和ケアには一般病棟より是正の可詑性があるが),患者が,第2 節で述べた不死性を伴う,自分の生命の有意義な終需を迎えることはむずかしい。従 34) 「スパゲッティ症候群」ともぎう。「スパゲッティj状態を怒の権化のように言うのは正し くない。例えば,全身麻酔の手−街中は予言にそうであるし,また脳低温療法の最中もそうであ る。この状態を非難する人は,そうしてもEみからなかった場合だけを結果論的に見て非滋し ているに過ぎない。

35)〔註12〕Akabayashi,A, Fetters, ?vL D, and Elw下1,T, S

amilyconsent. communication, and advance directives for cancer disclosur・e: a Japanese case and discussion”]our・nal of Medical Ethics, vol 25, No, 4, pp, 296-301,1999

赤林らは,この論文で,家族告知・家族同意の日本的文派における意味付けをおこなって いるG

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