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■ 論
文 ■
ダ ナ モ ー委 員 団 の セ イ ロ ン
統 治 制 度 改 革 構 想
●
高 畠
稔
は しが き
ス リラ ン カ(旧 称 セ イ ロ ン)は,1796年,オ
ラ ン ダ の統 治 下 に あ った そ の沿
海 部 が,フ ラ ン ス革 命 に起 因 す る ヨー ロ ッパ の動 乱 の な か でイ ギ リス東 イ ン
ド会 社 の 占領 す る とこ ろ と な り,つ い で1802年
にはイ ギ リス 国王 植 民 地 と
され た.以 来 イ ギ リス領 セ イ ロ ンは1854年
まで は 本 国政 府 の 軍 事 二植 民 地
大 臣 の,以 後 は植 民 地 大 臣 の監 督 下 に置 か れ,統 治 基 本 法 は国 会 制 定 法 と し
て で は な く勅 令 ま た は枢 密 院 令 に よ っ て与 え られ る こ と とな った.
小 稿 は植 民 地 時 代 最 後 の 枢 密 院令(1931年
制 定)の 枠 組 み を与 え た植 民 地
大 臣 任 命 の委 員 団 の報 告 書 に即 して,イ ギ リス政 府 当局 者 が セイ ロ ンの統 治
制 度 を どの よ うな方 向 に誘 導 しよ う と意 図 して い た の か,そ の政 策 の基 調 を
か な りの程 度 ま で克 明 に探 る と ころ に あ り,両 大 戦 問期 に お け る この 国 の統
治 制 度 史 研 究 の一 部 分 に 当 た る.た だ し公 務 員 制 度 に関す る部 分 は,か ね て
筆 者 が手 掛 けて い た い わ ゆ る土 民 首 領(Native
Headmen)制
度 と も関 わ る
の で,別 稿 で扱 い た い.
植 民 地 統 治 制 度 の研 究 に は,当 時 の行 政 諸 分 野 の具 体的 な課 題 と民 族 主義
運 動 の動 向 へ の言 及 が ほ ん らい不 可 欠 で あ るが,そ れ は別 個 の 問題 領 域 を な
す もの で も あ り,さ らに未 公 刊 の議 事 録 類 や入 手 困難 な各 種 出版 物 の調 査 を
高 畠 稔 た か ば た け み の る,北 海 道 大 学 文 学 部,南 ア ジ ア植 民 地 時 代 史,主 要 論 文: 「イギ リスのシ ンハ ラ人土民首領制度 に対す る政策」『北海道大学文学部紀要 』25-2, 1977. 「ウダ=ラ タ寺社領地考 」『北海道大学文学部紀要』28-2,1980.ダナモー委員団のセイ ロン統治制度 改革構想 57
経 な け れ ば な ら な い.そ れ ら に つ い て は,さ し あ た り利 用 し う る 文 献 に よ っ て 最 低 限 の 説 明 を 加 え る に と ど め る.
§1. ダ ナ モ ー 委 員 団
1927年8月6日 イ ギ リ ス植 民 地 大 臣 エ イ マ リ(Leopold Charles Maurice Stennett Amery)は,「 セ イ ロ ン憲 法 特 別 委 員 団(Special Commission on the Ceylon Constitution)」 を任 命 し た.団 長(Chairman)に 貴 族 院 全 院 委 員 長(Chairman of the Committees)兼 枢 密 顧 問 官 ダ ナ モ ー(Richard Wal-ter John Hely-Hutchinson, 6th Earl of Donoughmore),調 査 委 員 に ア フ
リ カ で 植 民 地 統 治 の 実 務 経 験 を積 ん だ ネ イ サ ン(Matthew Nathan),外 交 史 家 で ケ ン ブ リ ッ ジ 大 学 選 出 下 院 議 員(保 守 党)の バ トラ ー(Geoffrey Butler), 下 院 議 員(労 働 党)と し て イ ギ リ ス 帝 国 及 び 連 邦(Commonwealth)問 題 の 権 威 者 で あ っ た シ ー ル ズ(Thomas Drummond Shiels)の3名,他 に 書 記 官 1名 の 構 成 で あ っ た.こ れ が 通 称 「ダ ナ モ ー 委 員 団 」 で あ る.「 憲 法 」 は1923 年 の 「セ イ ロ ン(立 法 参 事 会)に 関 す る枢 密 院 令(Ceylon (Legislative Coun-cil) Order-in-CounCoun-cil)」1)を 指 す.こ の 「憲 法 」 は 制 定 当初 か ら再 改 正 が 強 く要 求 さ れ て お り,ダ ナ モ ー 委 員 団 の派 遣 は そ れ ら の 要 求 を ふ ま え て の も の で あ っ た.委 員 団 は 同 年11月13目 か ら翌1928年1月18日 ま で 現 地 で 業 務 に 当 た り, 6月26日 に報 告 書(イ ギ リ ス 国 会 の 勅 令 刊 行 文 書Cmd. 3131)を 提 出 した2).植 民 地 大 臣 は パ ス フ イ ー ル ド(Webb, Sidney James, Baron Passfield)に 交 替 し て い た. 委 員 団 に 委 任 さ れ た 業 務 は,セ イ ロ ン現 地 を視 察 し て,「 憲 法 」 の 運 用 及 び そ れ と の 関 連 で 生 じ て い る行 政 上 の 困 難 な 諸 案 件 に つ い て 報 告 し,「 憲 法 」 改 正 の た め の 諸 提 案 を検 討 し,改 正 の 必 要 が あ れ ば そ れ ら の 諸 事 項 に つ い て 報 告 す る こ と で あ っ た. 委 員 団 は5都 市 で 計24回 の 会 談 を開 き141件 の 証 言 を得 た.内 訳 は イ ギ リ ス 人 上 級 官 吏26件(内6件 は 同 一 の3名 が 各2回),土 民 首 領(Native Headmen) 4件,各 種 団 体58件,新 聞2件 ,仏 教 界1件,個 人50件 に の ぼ る.団 体 は 地 域 と コ ミ ュ ニ テ ィ と の 双 方 ま た は 一 方 を 代 表 す る も の が 大 部 分 で あ る が,宗 教 ・産 業 ・労 働 分 野 や 官 吏 の 団 体 も含 ま れ て い た.証 言 者 に は 26名 の 立 法 参 事 会 議 員 が 含 ま れ,半 数 は 民 間 人 議 員 で あ っ た3) .し か し こ れ ら の証 言 は 報 告 書 に は 掲 載 さ れ て い な い.そ れ ら は イ ギ リ ス 及 び ス リ ラ ン カ
58 南 ア ジ ア研 究 第6号(1994年)
の文 書 館 に収 蔵 され た ま ま で あ ろ う.報 告 書 は 同時 期 の イ ン ド統 治 法 改 正 に
関す るい わ ゆ る 「サ イ モ ン委 員 団」 の そ れ に較 べ れ ば は るか に短 く,そ れ 以
後 の審 議 とそ の具 体 化 の過 程 もむ しろ単 純 で あ った が,ス
リ ラ ンカ現 代 史 の
重 要 な一 段 階 を画 す る文 書 と して,精 粗 の差 は あれ,研 究 書 ・概 説 書 で これ
に言 及 し な い もの は な い4).
§2. 1923年 「憲 法 」 ま で の セ イ ロ ン の 立 法 参 事 会 の 構 成 セ イ ロ ン 政 庁 に 立 法 参 事 会 が 置 か れ た の は1833年 の 「コ ー ル ブ ル ッ ク= キ ャ メ ロ ン改 革(Colebrooke-Cameron reforms)」5)以 降 で あ っ た.立 法 参 事 会 は は じ め 知 事(Governor)が 任 命 す る官 吏 議 員10名 で 構 成 さ れ た が,37 年 に官 選 の 民 間 人(非 官 吏)議 員2名 が 加 え ら れ,45年 に は そ れ が6名 に増 員 さ れ た.そ の 内 訳 は イ ギ リ ス 人 商 人3名 と,シ ン ハ ラ 人,タ ミ ル 人,バ ー ガ ー(Burgher)6)各1名 とで あ っ た.1889年 に は 民 間 人 議 員 数 を2名 増 員 し,シ ン ハ ラ 人 議 席 は 低 地 シ ン ハ ラ 人(Low Country Sinhalese)と カ ン デ ィ=シ ン ハ ラ 人(Kandyan Sinhalese)7)各1と な り,ム ス リ ム(Moormen)8)に も1議 席 が配 分 さ れ,議 員 の任 期 は5年 と 定 め た.官 吏 議 員 に は 知 事 と と も に 行 政 参 事 会 を構 成 す る上 級 官 吏6名 と他 の3名 の役 職 付 の官 吏 と が充 て られ た9). 全 議 員 が官 選 で あ り,官 吏 議 席 が過 半 数 を 占 め,立 法 権 は 知 事 に あ っ て 参 事 会 に は な く,議 員 は 知 事 の 諮 問 に 応 じ る の み で 質 疑 し て 応 答 を求 め る 権 利 が な く,参 事 会 に は 知 事 の 提 出 す る議 案 を否 決 す る権 能 は な い と い う,国 王 植 民 地(Crown Colony)議 会 の 典 型 が こ こ に あ っ た.し か し政 庁 の 予 算 の み は,1867年 以 降 在 住 ヨ ー ロ ッ パ 人 企 業 家 の 強 い 要 求 に よ っ て,立 法 参 事 会 の 全 面 的 な統 制 下 に 移 さ れ て い た. 20世 紀 に入 る と統 治 制 度 改 革 へ の 動 き が 現 れ る10).い ま 詳 細 は 省 く が, 1910年11月24目 付 の勅 令(Royal Instructions)は セ イ ロ ン立 法 参 事 会 は 官 吏 議 員11名 と民 間 人 議 員10名 と で 構 成 し,後 者 は 低 地 シ ン ハ ラ 人 と タ ミ ル 人 各2名,カ ン デ ィ=シ ン ハ ラ人 と ム ス リ ム(Muhammadan)各1名 が 官 選,都 市 在 住 ヨ ー ロ ッ パ 人(European Urban),農 村 在 住 ヨ ー ロ ッ パ 人 (European Rural),セ イ ロ ン 人,バ ー ガ ー 各1名 を 民 選 とす る 旨 を定 め た11). 1917年 末,セ イ ロ ン 改 革 連 盟(Ceylon Reform League)及 び セ イ ロ ン 国 民 協 会(Ceylon National Association)な る民 族 主 義 政 治 団 体 が,大 部 分 を
ダナモー委員団のセイ ロン統治 制度改革構想 59
地 域 選 挙 区12)で 選 出 す る 民 間 人 議 員 が 多 数 を 占 め る よ う に 参 事 会 を改 革 す る こ と を,イ ギ リ ス の 植 民 地 大 臣 に請 願 し た. 1919年 末 に は,主 と し て低 地 シ ン ハ ラ人 を代 表 す る セ イ ロ ン国 民 会 議(Ceylon National Congress)か ら大 臣 宛 て に,改 革 を 要 請 す る電 報 が送 られ た.そ の 趣 旨 は,(1)立 法 参 事 会 の 議 員 定 数 を約50名 と し,そ の80%は 広 汎 な 男 子 選 挙 権 と制 限 さ れ た 女 子 選 挙 権 を も っ て 地 域 選 挙 区 か ら選 出 し,20%は 官 吏 と重 要 少 数 集 団(impor-tant minorities)を 代 表 す る民 間 人 と を知 事 が 任 命 す る,(2)参 事 会 議 長 (speaker)は 選 挙 に よ る,(3)従 来 ど お り参 事 会 が 予 算 を全 面 的 に 管 理 し,両 頭 制(dyarchy)を 導 入 し な い13),(4)行 政 参 事 会 員 の 少 な く と も半 数 は 立 法 参 事 会 の 被 選 挙 議 員 か ら 選 任 す る,(5)知 事 に は イ ギ リ ス 国 会 議 員 経 験 者 を 充 て る,(6)住 民 に よ る 地 方 自 治 の 完 全 な 管 理,で あ っ た14).
1920年6月 植 民 地 大 臣 ミ ル ナ ー(Alfred Milner , Viscount Milner)は,セ イ ロ ン 国 民 会 議,カ ン デ イ 人 協 会(Kandyan Association)及 び セ イ ロ ン在 住 ヨ ー ロ ッパ 人 協 会(European Association of Ceylon)の 代 表 者 た ち と会 見 し た.か れ ら の 要 求 の 検 討 を経 て,同 年8月13目 の 枢 密 院 令 を も っ て 立 法 参 事 会 は つ ぎ の よ う に改 革 さ れ る に至 っ た.
参 事 会 は 知 事 を 議 長 と し,官 吏 議 員14名 と民 間 人 議 員23名 と で 構 成 す る.後 者 の う ち11名 は 地 域 選 挙 区 か ら選 挙 さ れ,ヨ ー ロ ッパ 人2名,バ ー ガ ー1名,商 業 会 議 所(Chamber of Commerce)1名 ,低 地 物 産 協 会(Low Country Products Association)15)1名,カ ン デ イ 人2名,イ ン ド人16)1名 は そ れ ぞ れ の コ ミ ュ ニ テ ィ ま た は 団 体 か ら 選 挙 さ れ る.他 に ム ス リム1名 と 「知 事 が 他 の 方 法 で は 適 切 な 代 表 権 を 与 え ら れ な い と 判 断 す る 諸 権 益 集 団 (interests)」 の 代 表3名 と は 知 事 が任 命 す る こ と と さ れ た.民 間 人 議 員 が 多 数 と な り,そ の過 半 数 を被 選 挙 議 員 が 占 め る こ と に は な っ た が,知 事 は 官 吏 議 員 の み に よ っ て 「公 共 の利 益 に と り至 上 の重 要 性 」 を も つ 案 件 を決 定 し, 治 安 に有 害 と判 断 す れ ば 参 事 会 の 議 事 を停 止 す る こ と も で き た.ま た 民 間 人 3名 が 行 政 参 事 会 に 参 加 す る こ と と な っ た.新 参 事 会 は1921年6月7日 に 成 立 し た17). 同 年 末,立 法 参 事 会 は セ イ ロ ン国 民 会 議 総 裁(President)ピ ー リ ス(James Pieris)上 程 の 再 改 革 の 提 案 を可 決 し た.こ れ は 立 法 参 事 会 の 議 員 数 を45名 (官 吏6名,地 域 代 表28名,コ ミ ュ ニ テ ィ ・少 数 集 団 代 表11名)と し,議 長 は 議 員 が 互 選 し,行 政 参 事 会 は 官 吏3名 が 立 法 参 事 会 選 出 の 特 定 の 職 務
60 南 ア ジ ア研 究 第6号(1994年) (portfolios)を もつ 長 官(ministers)の 補 佐 を 得 て運 用 す る と い う も の で,知 事 の 議 事 停 止 権 を認 め な か っ た.植 民 地 大 臣 は 国 民 会 議 案 を他 の 諸 提 案 と と も に検 討 し,1923年12月19目 に新 た な枢 密 院 令 つ ま りセ イ ロ ン の 「憲 法 」 が 公 布 さ れ た18). §3. 1923年 「憲 法 」 下 の 統 治 体 制 1923年 「憲 法 」 は 立 法 参 事 会 の 議 員 定 数 を官 吏12名(5名 は 官 職 指 定),民 間 人37名(官 選3名,地 域 選 出23名,コ ミ ュ ニ テ ィ ・団 体 選 出11名)と 定 め た19).被 選 挙 権 は 英 語 を読 み 書 き 話 す 能 力 が あ り,年 額Rs. 1,500以 上 の 収 入, Rs. 5,000以 上 の 価 値 の あ る不 動 産(immovable property),ま た は 都 市(town)で は 年 価 値Rs.500,他 で はRs.400以 上 の 土 地 家 屋(premises) を有 す る25歳 以 上 の イ ギ リ ス 臣 民 に,選 挙 権 は 英 語,シ ン ハ ラ語 ま た は タ ミ ル 語 の 読 み 書 き能 力 が あ り,Rs.600以 上 の 収 入,Rs.1,500以 上 の 不 動 産, ま た は 都 市 で は 年 価 値Rs.400以 上,他 で はRs. 200以 上 の 土 地 家 屋 を 有 す る21歳 以 上 の イ ギ リ ス 臣 民 男 子 に,そ れ ぞ れ 付 与 さ れ た.議 員 の 任 期 は5 年 で,知 事 は 議 員 の任 期 満 了 以 前 で も参 事 会 を解 散 す る こ と が で き た20).被 選 挙 民 間 人 議 員 が 多 数 を構 成 す る こ の 制 度 は,民 間 人 被 選 挙 議 員 に 「統 治 の 技 法 と公 務 の複 雑 さ を 教 え,将 来 こ の 島 の 行 政 責 任 を負 い う る 訓 練 を施 し 」 て,か れ ら を政 庁 の 協 力 者(co-partners)と す る こ と を 目 的 と し て い た,と 委 員 団 は 述 べ て い る21). 立 法 参 事 会 の 議 長(President)は 知 事 で あ っ た.し か し実 際 に 知 事 が 参 事 会 に 出 席 す る の は 特 別 の ま た は 儀 礼 的 な ば あ い に 限 ら れ,日 常 の 議 事 は 参 事 会 の 互 選 に よ る副 議 長(Vice-President)が 運 営 し た.知 事 に は 立 法 権 と財 政 問 題 に お け る発 議 権 が あ り,公 益 に 「至 上 の 重 要 性(paramount impor-tance)」 あ りと 宣 告 し た 案 件 は,官 吏 議 員 の み の 投 票 で 決 定 し う る と さ れ て い た が,こ の 権 力 行 使 の 先 例 は な く,「 確 認 権(powers of certification)」 発 動 に よ る 否 決 さ れ た 案 件 の復 活 の 先 例 も な か っ た.財 政 権 の 実 態 に つ い て は 後 述 す る.ま た 行 政 参 事 会 に お け る 知 事(Governor-in-Council)に 枢 密 院 令 の 最 終 的 解 釈 権 が あ っ た22).
行 政 参 事 会 は 官 房 長 官(Colonial Secretary),法 務 部 長 官(Attorney-Gen-eral)及 び 西 州 の 長 官(Govt. Agent)の 官 職 指 定 参 事3名 と,植 民 地 大 臣 の 訓 令 に も とつ い て 知 事 が 任 命 す る 官 吏 及 び 民 間 人 参 事 で 構 成 さ れ た.官 房 長
ダナモー委員 団のセイ ロン統治制度改革構想 61
官 は植 民 地 勤 務 文 官 職 の外 か ら通常 起 用 され る行 政 府 の長 で あ り,文 官 職 に
属 す る税 務 部 長官(Controller of Revenue)及
び財 務 部 長 官(Treasurer)と
と も に行 政 幹 部(Staff OfHcers of the Services)を 構 成 して いた23).
つ ぎ に立 法 参 事 会 の運 用 上 の 問題 点 をダ ナ モ ー委 員 団報 告 書 に即 して み て
お く.ま ず個 々 の被 選 挙 民 間人 議 員 につ い て は,政 党 組 織 が な く,そ の時 ど
き の判 断 で投 票 す る個 人 主 義 者 で あ るが,自 分 た ちな らよ り効 果 の あ る統 治
が で き る と い う 「ひ とつ の共 通 の感 情 」 を抱 い て い る.し か し実 際 に は官 吏
議員 とは 差 別 され,知 事 か ら行 政 参 事 会 に招 か れ た者 は,同 僚 か ら異 物 視 さ
れ 疑 惑 を受 け る.か
く して民 間 人議 員 た ち は政 庁 全 体 あ るい は そ の個 々 の成
員 に間 断 な き無 責任 な攻 撃 を加 え る よ うに な る24).
こ の よ うな民 間 人議 員 と政 庁 との 鋭 い対 立 は,先 述 の行 政 幹 部3名
と全 民
間 人議 員 で構 成 す る立 法 参 事 会 財 政 委 員 会(Finance
Committee)に
顕著 で
あ った.こ
れ は植 民 地 省 書 記 官 を委 員 長 に年 次 歳 出入 予 算(Annual
Budget
and Estimates),補
正 予 算(Supplementary
Estimates)そ
の他 の財 政 事 項
を,非 公 開 で検 討 し,政 庁 諸 部局 の長 を招 いて立 法府 と の意 見調 整 を行 う機
関 で あ り,歳 出 を全 面 的 に管 理 す る が,そ の決 定 の執 行 には責 任 が な く,委
員 会 の権 力 に対 す る抑 制 機 能 は知 事 と行 政 参 事 会 の み にあ った.財 政 委 員 会
は民 間人 議 員 数 を増 員 す る以 前 には順 調 に運 営 され て いた.
しか し,報 告 書 に よ れ ば, 1923年
「
憲 法 」下 では,か れ らは政 庁 諸 部 局 長
に 当面 の案 件 か ら外 れ た質 問 や誹 謗 中傷 を浴 び せ るな ど,両 者 の関係 は す こ
ぶ る悪 化 して行 く.政 庁 は民 間人 議 員 た ち を政 務 に開 眼 させ て訓 練 す る場 と
して財 政 委 員 会 を活 用 す る意 図 で あ った が,実 際 には か れ らの活 動 は適 法 的
限 界 を越 え,行 政 の細 部 に非 常 識 な干 渉 を行 い,官 吏 の任 用 や昇 進 ま で も委
員 会 で論 じる よ うに な っ た.政 庁 は委 員 会 を統 制 す る力 が な く,案 件 を行 政
参 事 会 で決 定 して も委 員 会 か ら経 費 の配 当 を拒 絶 され る の を惧 れ て,事 前 に
委員 会 の同 意 を と りつ けな けれ ばな らな い ほ どで あ った.報 告 書 は,一 方 で
は政 庁 が財 政 委員 会 に民 間 人議 員 教 育 の効 果 が あ った こ と を認 め て い る と し
な が ら,他 方 で は そ の越 権 は 政 庁 が助 長 した もの と して批 判 して い る25).
民 間 人議 員 へ の 訓 練 の も うひ とつ の場 は,各 種 諮 問委 員 会,特
別 委 員 会,
特 定 の調 査 を 担 当す る 臨 時 の委 員 団,に
か れ らを参 画 させ る こ とで あ っ た.
これ らは政 庁 が参 事 会 と の緩 衝 装 置 と して常 用 した便 法 で あ った が,設 置 数
過 多 と な り, 1927年11月
に は立 法 参 事 会 の議 員 総 数49名
に対 し, 10名 な
62 南 アジア研究 第6号(1994年)
い し15名 で構 成 す る委 員 会 が55も あ り,1議
員 が数 多 くの委 員 会 に出 席 せ
ざ る をえ な い状 況 に あ っ た.参 事 会 自体 の議 事 は週2日
で あ り,委 員 会 等 に
は残 る4日 が 宛 て られ る が,こ
の状 況 で は委 員 会 の 定数 確 保 もま ま な らず,
議 員 は負 担 過 重 とな り,業 務 の遅 滞 も避 け られ なか った26).
知 事 は制 度 上 は植 民 地 大 臣 と究 極 的 には イ ギ リス 国会 に責 任 を負 う唯 一 の
権 力 機 関 で あ りな が ら,先 述 の よ うに当 時 は権 力 中枢 か らは遠 く離 れ た 変 則
的 な位 置 に あ った.行 政 参 事 会 は財 政委 員 会 よ りも劣 勢 で あ り,行 政 実 務 は
そ の財 政 委 員 会 の委 員 長 で あ り立 法 参 事 会 総 務(Leader
of the House)で
もあ る官 房 長 官 の お おは ばな裁 量 に委 ね られ て いた.ダ ナ モ ー 委 員 団 は,知
事 を政 争 の圏 外 に あ る 「国王 代 表(His Majesty's representative)」 にふ さわ
しい地 位 の もの と評 しな が ら,「 憲 法 」 改 正 に 当 た っ て は知 事 の監 督
権(su-pervisory powers)を
強 化 し明 確 に規 定 す べ き 旨 を勧 告 して い た27).
ダ ナ モ ー 委 員 団 は1923年 「憲 法 」 体 制 を 「権 力 と責 任 の 分 離(the divorce of power from responsibility)」 と評 価 し,立 法 府 で 多 数 を 占 め る民 間 人 議 員 に行 政 責 任 が な く,知 事 に 任 免 さ れ る官 吏 議 員 に は 行 政 責 任 は あ る が 立 法 府 へ の 忠 誠 義 務 が な い と指 摘 し28),そ こ か ら生 じ る運 用 上 の 問 題 を 列 挙 し た.そ の 根 本 的 解 決 策 は,被 選 挙 議 員 た ち の熱 意 と努 力 を評 価 し て,か れ ら に 「相 当 程 度 の 統 治 責 任(a substantial measure of responsibility for gov-ernment)」 を付 与 す る こ と で あ っ た.委 員 団 は か れ ら を政 治 行 政 に習 熟 さ せ 植 民 地 統 治 に協 力 さ せ る こ と を 「憲 法 」 改 正 の基 本 的 目標 と し て お り,現 行 体 制 の欠 陥 が か れ ら の 「万 年 野 党(a permanent opposition)」 的 行 動 を促 し て い る と い う見 地 を 強 調 し て い た の で あ る29). §4. 改 革 諸 構想 の 検 討 委 員 団 は,立 法 参 事 会 の 権 力 を 増 大 し な が ら対 応 す る責 任 を議 員 に も た せ て い な い1923年 「憲 法 」 を,権 力 と と も に 責 任 を も付 与 す る方 向 で 改 正 す る こ と を 主 張 し,委 員 団 に 寄 せ られ た 諸 提 案 と そ れ ら へ の 評 価 と を とお し て, 責 任 委 譲 の 程 度 と そ の 有 効 な 方 法 を論 じ る.そ れ ら を逐 次 要 約 し て み よ う. 第1は,帝 国 内 自治 領 の地 位(Dominion status)を もつ に せ よ も た な い に せ よ,完 全 責 任 政 体(full responsible government)の 実 現 を 憲 政 改 革 の 当 面 の 目 的 と す る セ イ ロ ン国 民 会 議 の 要 求 で あ っ た.委 員 団 は こ れ を(1)セ イ ロ ン 人 が 政 庁 部 局 責 任 担 当 者(Ministers in charge of Departments)と し て
ダナ モー委員団のセ イロン統治制度改革構想 63 行 政 実 務 能 力 を 発 揮 す る機 会 を 得 て お らず,(2)住 民 の 構 成 が等 質 的 で な く, 人 口 規 模 の 大 き い 諸 コ ミ ュ ニ テ ィ が み ず か らの 意 思 を反 対 す る者 た ち に 強 要 す る惧 れ が あ り,(3)選 挙 権 者 が 約20万 人,全 人 口 の4%ほ ど と い う現 状 で は,富 裕 層,高 学 歴 層 に よ る寡 頭 支 配 を も た ら し か ね ず,(4)防 衛 や 安 全 保 障 を含 む 帝 国 的 諸 関 係(Imperial relationships)か ら み て も実 行 不 可 能 で あ る,と し て 却 下 す る.唯 一 の 実 行 可 能 な 方 策 と し て 提 案 さ れ た の は,両 頭 制 で は な い 形 態 の 官 民 責 任 分 担 で あ っ た. な お(2)に 関 し て は,セ イ ロ ン の愛 国 主 義(patriotism)は 民 族 的(nationa1) か つ 人 種 的(racia1)で あ り,国 益 は 住 民 の 特 定 部 分 の 福 祉 と 同 義 で あ る こ と,責 任 政 体 論 者 は 多 数 派 諸 コ ミ ュ ニ テ ィ に属 し 少 数 派 諸 コ ミ ュ ニ テ ィ は こ れ に一 致 し て 反 対 で あ る こ と,(3)に 関 して は,一 部 階 層 に よ る他 階 層 の 支 配 は イ ギ リ ス 政 府 の 全 島 民 へ の 権 益 受 託 義 務(trust)か ら み て 許 さ れ ず,完 全 責 任 政 体 論 者 は 選 挙 権(franchise)拡 大 に反 対 で あ る こ と を,付 言 し て い た30). 第2は,ヨ ー ロ ッ パ 人 と セ イ ロ ン 人 双 方 の経 験 あ る 証 人 た ち(witnesses of experience)の 「立 法 府 か ら独 立 し た 任 命 に よ る行 政 府(a nominated Exe-cutive independent of the Legislature)」 案,つ ま り,知 事 が若 干 名 の 民 間 人 議 員 を 部 局 担 当者 と し て 行 政 参 事 会 に任 命 し,知 事 に対 し て の み 責 任 を負 わ せ る と い う構 想 で あ っ た.委 員 団 は こ の案 に,セ イ ロ ン 人 部 局 担 当 者 に権 威 を与 え,民 間 人 議 員 た ち と の協 議 や 支 持 確 保 に現 行 の セ イ ロ ン人 行 政 参 事 以 上 の 力 を も た せ,部 局 の行 政 実 務 を学 ば せ,さ ら に行 政 参 事 へ の 昇 任 の見 込 み が 議 員 た ち の 妨 害 を慎 ま せ る と い う利 点 を認 め る.し か し立 法 参 事 会 が 財 政(the power of the purse)を 掌 握 し て い る体 制 下 で は,知 事 は 参 事 会 の 多 数 に 好 意 的 な 人 物 を採 用 せ ざ る を え な い.そ う し な い と,セ イ ロ ン 人 部 局 担 当 者 た ち は 「知 事 公 館 の 雇 わ れ 者(Hirelings of Queen's House)」 と蔑 ま れ,イ ギ リ ス の セ イ ロ ン 人 不 信 の 証 し と し て,い ま ま で 以 上 の激 し い 攻 撃 を浴 び 行 政 効 率 の低 下 と 意 気 阻 喪 を 招 く.委 員 団 は こ の よ う な理 由 で こ の案 を も 不 採 用 と した31).
第3は
「
混 成 に よ る行 政 府(a mixed Executive)」,つ
ま り行 政 参 事 会 を
官 吏 と民 間 人 とで 構 成 し,民 間人 の全 員 また は 一 部 を 立 法 参 事 会 か ら選 出
(elect)し て,行 政参 事会 は全 体 と して 立 法参 事 会 に責 任 を負 う もの で あ った.
ダ ナ モ ー委 員 団 は この構 想 に,(1)財
政 統 制 権 が 立 法 府 に あ るた め,資
金 面
で セイ ロ ン人 担 当部 局 が優 遇 され ヨ ー ロ ッパ 人 担 当部 局 が冷 遇 さ れ る か も知
64 南 アジ ア 研 究 第6号(1994年)
れ ず,そ
うな って もヨ ー ロ ッパ 人 担 当者 は 辞 任 で き な い,(2)官
吏 参 事 と協
力 して 政 策 を立案 した 民 間 人参 事 を立法 府 が解 任 し,そ の政 策 に反 対 した者
が部 局 担 当者 と し て行 政 府 に入 る ば あ い も あ り うる,と い う懸 念 を述 べ る.
ま た,ヨ ー ロ ッパ 人 官 吏 の存在 自体 を政 治 の撹 乱 要 因 とみ て,官 吏 参 事 の
減 員 を求 め る意 見 が強 い が,減 員 は残 った 少 数 の官 吏 へ の攻 撃 を増 幅 させ る
の み で,対 策 と して有 効 で は な い.セ イ ロン人 議 員 とヨ ー ロ ッパ 人 官 吏 との
軋 轢 とい う宿 命 を除 く には,少 数 者 と帝 国 権 益 とを保 護 す る な ん らか の保 障
措 置(safeguards)を
講 じて,セ イ ロ ン人 に責任 を負 わ せ,統 治 権(the
man-agement of their affairs)を か れ らに譲 渡 す るほ か は な くな る.委 員 団 に と
って は これ が混 合 行 政 府案 へ の よ り根 本 的 な反 対 理 由で あ った.
報 告 書 は さ らに,行 政 実 務 へ の無 知 と無 関 心 に もか か わ らず,議 員 た ち に
は行 政 へ の批 判 と攻 撃 に走 りが ち な傾 向 の あ る こ と を指 摘 し,そ れ がセ イ ロ
ン人 部 局 担 当者 を選 ん で もそ の意 欲 を く じ くこ とに な る で あ ろ う とい う懸 念
か ら,少 数 の議 員 を選 ん で政 庁 部 局 を担 当 させ る こ との不 得 策,不 公 平 を指
摘 して い る32).
第4は 政 治 的 見 地 の 異 な る3名 の 有 力 行 政 参 事 に よ る提 案 で,個 々 の 政 庁 部 局 担 当 者 を2名 な い し3名 の 立 法 参 事 会 議 員 か ら な る委 員 会(a commit-tee)が 補 佐 す る と い う構 想 で あ っ た.ダ ナ モ ー 委 員 団 は こ れ を 「委 員 団 の か た ち を と る 行 政 各 部(ministries in commission)」 と表 現 し,利 害 得 失 を論 じ る.こ の案 で は,部 局 担 当 職 を5と し て,15名 な い し増 員 す れ ば20名 以 上 に も な る1団 の 人 び と が,「 一 種 の 政 庁 要 員 団(government bloc)」 を 形 成 し,行 政 参 事 会(theChamber)の 部 局 非 担 当 の 官 吏 た ち と と も に,「 立 法 提 案 の背 後 の原 動 力 」,さ ら に 「行 政 案 件 に つ い て の 行 政 参 事 た ち に 対 す る政 策 解 説 者 」 と し て 活 動 す る こ と に な る.こ の 「要 員 団 」 は 部 局 担 当 者 の 補 給 源(recruiting ground)と な り,そ れ へ の 参 加 が 議 員 の 勤 務 実 績 評 価 と し て 羨 望 の 的 と な る.な ん らか の 特 権 や 役 得 を も た せ れ ば な お の こ と で あ ろ う. ダ ナ モ ー 委 員 団 は,こ れ で 部 局 担 当 者 の 立 場 は 立 法 府 に対 し て 強 化 さ れ,か れ ら の 縁 者 た ち へ の 恩 恵 付 与(patronage)に つ い て も何 人 か に 憎 ま れ 役(a "Mr . Jorkins" in duplicate)を 引 き 受 け さ せ る こ と に な る が,「 特 定 の 人 種,カ ー ス ト,ま た は信 仰 の 利 害 が ふ っ こ う な ま で に 喧 く な る で あ ろ う」 と い う懸 念 を表 明 し て い る. 報 告 書 は さ ら に こ の 「要 員 団 」 の 将 来 を危 惧 し た. 1委 員 会 か ら 出 る政 策ダナモー委員団のセ イロン統治制度改革 構想 65
が す べ て の委 員 会 の支 持 を得 る には,全 体 が一 堂 に会 し,委 員 で な い官 吏 議
員 を も含 め て原 案 を討 議 し修 正 し通 過 させ て お く必 要 が あ る.イ ギ リス と帝
国 内 自治 領 の国 会 で は,こ
うした政 策 審 議 は,「 立 法 府 内 の他 の 諸 政 党 が採
用 す る諸 原則 とは重 要 な細 目 に お い て異 な る,確 定 した諸 原 則 に も とつ い て
と も に行 動 す る義 務 を負 う等 質 的諸 政 党 の集 会 」 で行 わ れ る が,セ イ ロ ン に
は そ の よ うな結束 は な い.「要 員 団 」は結 局,審 議 を非 公 開 で行 い,部 局 担 当
責 任 のな い 民 間 人委 員 の優 位 を再 現 して,現 在 の財 政 委 員 会 と同様 の非 難 を
浴 び る団 体 に な るか, 20名 な い し25名
が 構 成 す る 閣僚 会 議 の ご と き もの
(some sort of a cabinet council)に な るか で あ ろ う,と い うの で あ る.ダ
ナ モ ー委員 団 は,政 策 立 案機 関 は そ の審 議 機 関 の縮 図 の よ うな性 格 を もつ べ
き で あ る が,こ の意 味 では 部 局 担 当者 を補 佐 す る委 員 会 は4名 で も不充 分 で
あ る と し,多 くの民 間 人議 員 を委 員 会 に加 え ない こ とで 野党 形 成 の展 望 が開
け る とい う議 論 に も触 れ て,有 力 議 員 を委 員 会 に加 え る こ とで 野党 の人 材 は
払 底 し,交 替 して 政権 を担 当 す る能 力 を も ち え な くな る と予 想 す る33).
第5は 上 院(an Upper House)設
置 構 想 で,知 事 の干 渉 を極 小 に し,任 地
の事 情 に疎 い知 事 が立 法 参 事 会 の民 間人 議 員 た ち の恣 意 的 言 動 に左 右 され る
の を防 ぐ趣 旨 で あ った.委 員 団 は,(1)上 院 が職 能(functional or vocationa1)
代 表 制 とコ ミ ュニ テ ィ代 表 制 の いず れ を採 ろ うと,住 民 の分 断対 立 を固 定 し
その統 合 に逆 行 す る,(2)上 院 の開 設 は,下 院 よ り活 動 領 域 や権 限 の狭 い も の
で あ って も,選 挙 され た人 民 代 表 へ の責 任 の委 譲 の効 力 を弱 め る,(3)上 下両
院 に同等 の 資質 を もつ議 員 を供 給 す る条 件 が な く,人 口 と財 政 か らみ て2院
制 は憲 政 上 の奢 侈(a constitutional luxury)で
あ る.(4)上 院 の限 定 的 権 限
か らみ て,財 政 に関 わ る コ ミュ ニ テ ィ利 害 の融 和 や 「性 急 な立 法 」 の抑 制 は
期 待 で きず ・ 知 事 及 び 植 民 地 大 臣 の み が紛 争 に対 す る保 障 機 関 で あ る こ とに
変 わ りは な い,と い う理 由 で これ を採 択 しな か った34).
これ らの改 革案 とは別 に,委 員 団 は,工 業 の成 長 や都 市 の発達 に対 応 した
社 会 立 法 ・産 業 立 法 ・農 業 の繁栄 と農 民 福 祉 の増 進,都 市 と農 村 の行 政 水 準
格 差 の是 正 の必 要 を説 き,コ ミ ュニ テ ィ 間 の利 害 対 立 が さま ざま な 日常 の行
政 課 題 の解 決 を阻 ん で い る と指 摘 し,さ ら にセイ ロ ンの政 治 家 た ち は批 判 を
と お して行 政 へ の強 い関 心 を示 して い る が,さ
らに個 々 の具 体 的現 実 を もみ
る こと が必 要 で あ り,そ れ には 立 法 参事 会 が政 庁 の行政 機 能 に参 加 す る の が
よ い,と 示 唆 す る.
66 南 ア ジ ア研 究 第6号(1994年)
ダ ナ モ ー委 員 団 は こ うした 一 連 の検 討 か ら,(1)完 全 責 任 政 体 の 付 与 を勧
告 す る こ とは で き ない が,被 選 挙 代 表 者 た ち にお お は ば な責 任 を委 譲 す べ き
で あ る.(2)政
党 の不 存 在 が イ ギ リス型 の議 会 制 統 治 体 制 を適 用 不 能 に して
い る,(3)セ イ ロ ン 固有 の諸 般 の事 情 か らみ て,政 庁 の行 政 業務 を参 事 会 の権
限外 に置 くのは 実 行 不 能 た らず と も不 得 策 で あ る,(4)セ
イ ロ ンの状 況 に 適
した,社 会 経 済 問題 と果 断 に取 り組 め る計 画 を立 て るべ き で あ る,と 結 論 し
て い る35).
§5. ダ ナ モ ー 委 員 団 の 中 央 政 庁 改 革 構 想 以 上 の よ う な検 討 か ら 「憲 法 」 改 正 案 が勧 告 さ れ た.そ の 中 心 課 題 は,イ ギ リ ス 政 府 の 植 民 地 大 臣 が セ イ ロ ン 知 事 を通 じ て 統 治 す る 体 制 は 存 置 し て, セ イ ロ ン 内 部 の 立 法 ・行 政 機 構 の み を 改 革 し,セ イ ロ ン 人 に も 行 政 責 任 を 分 担 さ せ て,実 務 の 教 育 訓 練 を 与 え る こ と で あ っ た.以 下 そ の 要 点 を 列 挙 す る.ま ず 立 法 参 事 会 を行 政 機 能 を 併 有 す る4年 任 期 の 国 家 参 事 会(State Council)に 改 組 し,立 法 部 会(Legislative Session)と 行 政 部 会(Executive Session)と2種 類 の全 体 会 議 を 開 く.国 家 参 事 会 は,官 職 指 定 に よ る 国 務 官 (Officers of State)3名 と知 事 が そ の 代 議 制 的 性 格 強 化 の た め に任 命 す る者 と か ら な る12名 を上 限 とす る 官 選 議 員 と,一 定 人 口 規 模 の 地 域 選 挙 区 を 代 表 す る65名 の 被 選 挙 議 員 と で 構 成 す る36).国 家 参 事 会 議 員 た ち は 各 自 の 選 択 と そ れ に つ い て の 秘 密 投 票 と に よ り,内 務(HomeAffairs),農 業(Agri-culture),地 方 行 政(Local Administration),衛 生(Health),教 育(Educa-tion),建 設(Public Works),交 通(Communications)の7常 任 行 政 委 員 会 (Standing Executive Committee)に 分 属 し,各 委 員 会 は 対 応 す る行 政 各 部 (Department)を 分 掌 し,知 事 は 各 委 員 会 が 選 出 し た 委 員 長(Chairman)を 各 部 長 官(Minister)に 任 命 す る.長 官 の下 に は 次 官(Official Secretary)を 介 し て 部 長(Heads of Departments)以 下 の 実 務 官 僚 を配 置 す る.常 任 委 員 会 は 一 定 の 権 限 と 業 務 規 則 の も と で 各 部 を監 督 し,決 定 事 項 は 記 録 に し て 参 事 会 行 政 部 会 を通 過 させ た の ち 知 事 の 承 認 を得 る 各 部 の 常 任 委 員 会 に官 房 長 官 は 自身 ま た は 代 理 で 出 席 す る権 利 を も つ.部 長 は 委 員 会 に 出 席 し て 議 事 に参 加 す る が 投 票 に は 参 加 し な い.こ の よ う に し て,官 房 長 官 を 中 心 に編 成 さ れ て い た 中 央 官 僚 機 構 つ ま り書 記 官 府(Secretariat)は セ イ ロ ン 人 の 国 家 参 事 会 諸 行 政 委 員 会 の も と に直 接 分 属 し,か れ ら が行 政 実 務 の 責 任 を負 う こダナ モー委員団 のセ イロン統治制度改革構想 67
と に な る37).
つ ぎ に,行 政 参事 会 を廃 止 して官 房 長 官('Chief
Secretary'と
改 称)を
議 長(Chairman)と
す る長官 会 議(Board
of Ministers)を 設 け,官 房 長官 ・
法 務 部 長 官 ・財 務 部 長 官 か らな る3名 の国 務 官 と国 家 参 事 会 選 出 の上 記 各 部
長 官7名
と計10名
で構 成 す る.長
官 会 議 は参 事 会 運 営 委 員 会 と もな り,参
事 会 へ の 予算 案 提 出 の 責任 を負 う.議 長 た る官 房 長官 は 長官 会 議 の先任 長官
(Senior Minister)と
して セ イ ロ ン人 長官 た ち に専 門家 と して助 言 ・指 導 す
る が,首 席 長 官(Prime
Minister)で
は な い.長 官 会議 副 議
長(Vice-Chair-man)は
国務 官 を除 く各 部 長 官 か ら選 出 さ れ,参 事会 にお け る長 官 会 議 代 表
(Leader)と
な る.参 事 会 の議 長(Speaker)と
全 委 員 会 議 長 及 び 副 議 長
(Chairman
and Deputy Chairman
of Committees)と
は そ の互 選 に よ る.
国務 官 部 局 は対 応 す る国 家 参 事 会 の常 任 委員 会 を もた ず,参 事 会 の権 限外
の い わ ゆ る帝 国 的 業 務 を担 当す る.中 央 官 房 部(Dept.
of Chief Secy.)が
外 交 ・防 衛 ・法 案 起 草 ・公 務 員 人 事,財
務 部(Dept.
of Treasurer)が
財 政
全 般 と政 庁 諸 部 局 の財 政 監 督,法
務 部(Dept.
of Att.-Genl.)が 法 務 行 政 ・
政 庁 の訟 務 と法 律 文書 作 成 ・選 挙 の実 施 な どで あ った.国 務 官 は担 当 す る部
の行 政 責 任 を負 うが,参 事 会 と長官 会 議 と の票決 には 参 加 せ ず,行 政官 で あ
る よ りむ し ろ専 門知 識 を備 えた 政 庁 の政 治 ・財 政 ・法 律 顧 問 と して 機 能 す
る38).
各 年 度 の予 算 案 は各 行 政 委 員 会 及 び 国務 官 か ら財 政 部 長 を経 て長 官 会 議 に
提 出 され,そ
こで調 整 の うえ知事 の裁 可 を得 て参 事 会 に説 明 書 を添 えて 付議
され る.長 官 会 議 が全 体 と して共 同 の責任 を負 うのは 予 算 関 係事 案 のみ で あ
り,そ の発 議 権 は 国 務 官 と行 政 委 員 会 委 員 長 のみ に あ る,参 事 会 は1回
に限
り予 算 案 を長 官 会 議 に差 し戻 す こと が で き る.他 の事 案 は担 当 の長 官 の単 独
の責 任 で付 議 し,長 官 会 議 と して参 事 会 に責 任 を負 う こ とは な い.長 官 会 議
と担 当 の長 官 との事 案 の別 によ る責 任 区分 は,安 定 した財 政 政 策 には総 体的
支 持 が不 可欠 で あ る一 方,政 党 の存 在 しな い セ イ ロ ンで は集 団責 任 制 は行 政
の不 安 定 と混 乱 を招 く,と い う判 断 に よ る39).
その責 任 問題 を極 小化 して 参 事会 の協 調 体 制 を実 現 す るた め に,ダ ナ モ ー
委 員 団 は差 し戻 し(reference back)と
い う手続 き を提 案 す る.こ れ は(1)国
家 参 事 会 行 政 部 会 か ら一 般 事 案 につ いて起 案 者 た る 行 政 委 員 会 に,(2)同
立
法 部 会 か ら 予 算 関 係 事案 につ いて 長 官 会 議 に,(3)知
事 か ら立 法 ・行 政 双 方
68 南 ア ジ ア 研 究 第6号(1994年)
の事 案 に つ い て参 事 会 に,原 案 の再 審 議 を付 託 す る こ とで,こ れ に よ っ て事
態 の紛 糾 を避 け対 立 を調 整 す る こ とを図 ろ うと い うの で あ る.ま た,各 部 長
官 は主 宰 す る委 員 会 の少 数 意 見 を代 表 す る こと に な っ て も差 し支 え な く,委
員 長 の頻 繁 な交 替 は生 じな い と ダ ナ モ ー委 員 団 は予 想 して い た40).
この よ うな機 構 改 革 は,行 政 を意 思 決 定 機 関 と して の各 行 政 委 員 会 と執 行
機 関 と して の官 僚 機 構 とに 明確 に 区分 す る こ とに な る.ダ ナ モ ー委 員 団 は こ
の 区分 と行 政 責 任 の セイ ロ ン人 へ の委 譲 を同時 に進 行 させ る こ と を意 図 して
お り,そ の た め の細 部 に わ た る措 置 の必 要 な こ と を も強 調 して い る41).
ま た この改 革 に よ っ て知 事 は参 事 会 との 関係 が な くな り,権 限 を縮 小 され
て 日常 の政 治 的 機 能 を失 うが,枢 密 院 令 の授 権 す る範 囲 で の立 法 に対 す る差
し戻 し ・施 行 停 止 及 び 拒 否 権,「 至 上 の重 要 性 」 あ りと判 断 した ば あい の単
独 立 法 権,非 常 事 態 宣 言 の発 布 とそ れ に伴 う警 察 等 の行 政 機 関 の接 収,公 務
員 の人 事 権 等 を知 事 に残 す こと を,委 員 団 は提 案 して い る42).な お,軍 の最
高 司 令 官 と して の知 事 の職 能 は,委 員 団 の検 討 の対 象 で は な か っ た.
ダ ナ モ ー委 員 団 の 「
憲 法 」 改 正 構 想 の行 政 組 織 に 関係 す る部 分 の概要 は以
上 の とお りで ある が,1923年
「
憲 法 」 体 制 の欠 陥 を除 去 して,イ ギ リス人 国
務 官 に よ る行 政 中枢 の掌 握 を維 持 しな が ら,か れ らの指 導 と 助 言43)の も と
で,セ イ ロ ン人 に統 治 責 任 をお お は ば に委 譲 しよ うとす る志 向 は あき らか で
あ る.
§6. 国 家参 事 会 議 員 選 挙 の方 法
ダ ナ モ ー委 員 団 の改 革 案 は国 家 参 事 会 を中核 と して構 想 され て い た.従
っ
て参 事 会 議 員 の選 挙 方 法 は,改 革 の成 否 を左 右 す る重 要 な課 題 で あっ た.委
員 団 の報 告 書 は,ま ず, 1923年
「
憲 法 」 が国 籍 ・性 別 ・年 齢 ・識 字 能 力 ・居
住 歴 ・受 刑 歴 ・精 神 疾 患 ・所 得 及 び 資産 にわ た る選 挙 権 資格 の制 限 を課 して
い るた め,有 権 者 数 が総 人 口の約4%に
止 ま る こと,セ イ ロ ン国 民 会 議 や タ
ミル 人 コ ミ ュニ テ ィ代 表 者 た ちが完 全 責 任 政 体 を要求 しな が ら,選 挙 権 の拡
大 には反 対 して いた こ と,セ イ ロ ン労 働 組 合(Ceylon
Labour Union)44)は
4万 人 の組 合 員 中有 権 者 が絶 無 に近 い と して 選 挙 権 拡 大 を要求 して い る こ と
を指 摘 す る.
委 員 団 は つ ぎ に以 下 の論 拠 で有 権 者 の範 囲拡 大 を主 張 す る.現 在 のセ イ ロ
ン には 救 貧 と労働 者 へ の補 償 のた め の法 規 が な く,も っ と も初 歩 的 な 工場 法
ダナモー委員団のセイ ロン統治制度改革構想 69
は ある が,低 賃金 労働 を雇 用 す る諸 産 業(sweated
industries)で は労 働 時 間
と賃 金 へ の規 制 が な い とい う状 況 を改 め,先 進 諸 国 な み の社 会 ・
産 業 立 法 を推
進 す る には,選 挙 権 を拡 大 す る に如 くは な い.こ れ は 責任 政 体 の推 進 以 上 に
急 を要 す る重 大事 で あ る.「家 父長 制 的 ・封 建 的 国家 権 力 」と社 会 諸 階 層 へ の
厳 格 な固 定 的 分 断 と に馴 致 され,一 人 また は数 人 が多数 を支 配 す る こ と を疑
わ な い と い う条 件 下 で は,選 挙権 拡 大 へ の反 対 が あ る の も訝 しむ に足 りな い
が,い ま や社 会 区分 は硬 直 の度 を弱 め つ つ あ る兆 候 が あ る.民 主 的 か つ選 挙
に よ る諸 制 度 は受 容 され要 求 さ え され つ つ あ るが,そ れ らに伴 う政 治 的 平 等
とい う近 代 的 原 理 は ま だ充 分 には把 握 され て い な い.政 治 権 力 が人 民 の大 多
数 を充 分 に代 表 す るに至 る ま で は,責 任 政 体 を これ以 上 付 与 す る こ とは勧 め
られ な い.ま た選 挙 人 団 体 の腐 敗 や 不 正 操 作 は有 権 者 が拡 大 す る ほ ど困 難 に
な る.投 票 権 を行 使 す る こ との み が そ れ を用 い る政 治 的 知 性 を開 発 す る45).
ダ ナモ ー委 員 団 は選 挙 権 拡 大 の基 本 方 針 を固 め て,個 別 ・具 体 的 な問題 を
検 討 す る.ま ず 選 挙 権 の拡 大 と選 挙 区 数 の抑 制 とを同 時 に図 るた め選 挙 権 取
得 年 齢 を25歳 に引 き上 げ る とい う提 案 を, 21歳 を成 年 とす る世 界 的 な傾 向
と既 得 権 維 持 と を根 拠 に却 下 す る.財 産 資 格 は 撤 廃 す る.無 産 の堅実 な市 民
は 有 産 者 よ り以 上 に,法 に よ って構 成 され た権 力(constituted authority)の
よ しあ しの影 響 を受 け る もので あ り,か れ らに もひ と し く統 治 者 の選 択 に与
か る資 格 が あ る とい うの が主 た る理 由で あ る が,実 際 に財 産 資格 制 限 の程 度
と そ の効果 につ いて の指 標 がな く,そ の根 拠 とす べ き統 計 資料 も不 備 で あ る
こ と,農 村 部 で は村 会(village
committee)選
挙 に成 年 男 子選 挙
権(man-hood suffrage)が 採 用 され て い る こ と も,報 告 書 に付 記 して い る.さ ら に委
員 団 は識 字 能 力 を選 挙 権 資格 か ら削 除す る こ と を提 言 す る.そ れ は識 字 試 験
の実 施 が不 可 能 で あ り従 来 の そ れ に も信 憑 性 が な い とい う理 由 と,初 等 ・中
等 教 育 の 充 実 の方 が よ り重 要 な 課 題 で あ る とい う判 断 とに よ る もの で あ っ
た.
この よ うな青 年 男 子 選 挙 権 の導 入 に よ っ て推 定 有 権 者 数 は120万 人 に な
る.し か しダ ナ モ ー委 員 団 は選 挙 権 に(1)セ イ ロン に お け る5年 間 の居 住(こ
の間 に8ヵ 月 未 満 の一 時 出 国 を認 め る),(2)選 挙 権 者 は 申請 に よ っ て登 録 し,
強 制 的 ・自動 的 登 録 は行 わ な い,と
い う条 件 をつ け る.(1)は
選 挙 権 を永 住
者 に 限 る と と も にイ ン ド人 移 民 に 配 慮 した も の と,(2)は
選 挙 権 を一 気 にで
は な くそ の価 値 を認 識 す る人 び と に徐 々 に拡 大 す るた め と,説 明 され る.一
70 南 ア ジ ア研 究 第6号(1994年) 方,女 子 選 挙 権 は 有 権 者 数 の急 増 を 避 け る た め30歳 以 上 とす る の が 委 員 団 の 提 案 で あ っ た.女 子 有 権 者 数 は 推 定65万 人 で あ っ た.な お 被 選 挙 権 資 格 は 選 挙 権 資 格 と同 一 で あ る が,委 員 団 は 後 者 に つ い て は 英 語 の 識 字 能 力 を 必 要 条 件 と す る が,そ の 試 験 に は 言 及 し て い な い46). ダ ナ モ ー 委 員 団 が も っ と も 腐 心 し た の は,多 種 属 ・多 宗 教 の 人 口 構 成 を も つ セ イ ロ ン に 責 任 政 体 を付 与 す る前 提 と し て,国 家 参 事 会 に お け る諸 コ ミ ュ ニ テ ィ 問 の 利 害 関 係 の 調 整 を図 る こ と で あ っ た.委 員 団 は,「 さ ま ざ ま な 人 種 と宗 教 と を も つ 国 ぐ に に お け る 民 主 主 義 的 諸 制 度 の 発 展 を援 助 し よ う と い う意 図 と,選 挙 期 間 中 に お け る こ れ ら多 様 な 利 害 関 係 の 衝 突 を排 除 し よ う と い う希 望 」 を も つ コ ミ ュ ニ テ ィ 代 表 権(communal representation)の 制 度 は,実 際 に は 国 民 統 合 の 推 進 に 寄 与 し な い と述 べ47),セ イ ロ ン の諸 コ ミ ュ ニ テ ィ の 概 況 を か な り詳 し く報 告 し な が ら,こ の 制 度 の 廃 止 を 勧 告 し て い る48). 委 員 団 は コ ミ ュ ニ テ ィ 間 の 調 整 の 困 難 を つ ぎ の よ う に 例 示 し て い る.(1) セ イ ロ ン 国 民 会 議 の シ ン ハ ラ 人 参 事 会 議 員 と タ ミ ル 人 代 表 者 た ち と は,参 事 会 に お け る 議 席 配 分 を シ ンハ ラ人2に 対 し て タ ミ ル 人1と す る こ と を決 め た.タ ミ ル 人 は こ の範 囲 内 で 西 州 の議 席1を 要 求 し た が シ ン ハ ラ 人 は こ れ を 認 め ず,タ ミ ル 人 が 国 民 会 議 を 脱 退 し た.(2)ム ス リ ム の な か で は ム ー ア 人 と マ レ ー 人 と の対 立 に 加 え,東 州 に お け る 商 業 従 事 者 と農 業 従 事 者 と の 反 目 が あ る.(3)バ ー ガ ー は か れ ら の コ ミ ュ ニ テ ィ議 席 の 維 持 を強 く求 め て い る. (4)イ ン ド=タ ミ ル 人49)の40∼50%は セ イ ロ ン の 永 住 者 と み な し う る が,財 産 資 格 に よ っ て 選 挙 権 ・被 選 挙 権 を 有 す る 者 は ご く少 数 で あ り,現 在 か れ ら の もつ2議 席 が 植 栽 園 労 働 者 の 条 件 の改 善 を 保 障 し て い る か 否 か に つ い て は 見 解 は 多 岐 に わ た る.(5)北 ・東 両 州 の セ イ ロ ン=タ ミ ル 人 に は 被 抑 圧 階 級 (depressed classes)の 問 題 が あ る.(6)セ イ ロ ン在 住 イ ギ リス 人 は 国 家 参 事 会 に議 席 を もつ 必 要 が あ る が,地 域 選 挙 区 で は 当 選 の 見 込 み は 薄 く,さ り と て か れ ら だ け に コ ミ ュ ニ テ ィ 代 表 権 を与 え る の は 不 公 平 で あ る. こ れ ら と は 別 に,旧 カ ン デ ィ 王 国 地 域 の 「封 建 首 長 た ち及 び 首 領 た ち(the feudal chiefs and headmen)」 を 主 力 と す る 政 治 団 体 「カ ン デ ィ 国 民 議 会 (Kandyan National Assembly)」 は,低 地 諸 コ ミ ュ ニ テ ィ の 高 地 へ の 進 出 や か れ ら の 参 事 会 に お け る 圧 倒 的 優 位 へ の 警 戒 か ら,北 ・東 の タ ミル 人 地 域 と カ ン デ ィ と南 ・西 の 低 地 シ ンハ ラ 人 地 域 と に 別 個 の 政 府 を設 け る連 邦 案 を用
ダナモー委員 団のセイ ロン統治制度改革構想 71 意 し て い た が,ダ ナ モ ー 委 員 団 は こ れ を コ ミ ュ ニ テ ィ 代 表 制 度 と 同 じ く国 民 統 合 を 妨 げ る も の と し て 却 下 した50). ダ ナ モ ー 委 員 団 は こ れ ら の複 雑 な 問 題 の個 別 的 解 決 を避 け,拡 大 さ れ た 選 挙 権 に よ っ て 民 意 に よ り密 着 し た 地 域 代 表 を 選 出 す る こ とで,コ ミ ュ ニ テ ィ の 権 益 を保 全 し,そ れ で も な お 特 定 コ ミ ュ ニ テ ィ が不 利 益 を被 る な ら ば,知 事 の 国 家 参 事 会 及 び 長 官 会 議 へ の 介 入 で 事 態 を解 決 す る と い う総 体 的 解 決 を 提 言 す る.さ ら に 参 事 会 に 最 大12名 の 官 選 民 間 人 議 員 を任 命 し,う ち6名 ま で は ヨ ー ロ ッパ 人 を充 て る こ と を併 せ て 勧 告 す る.こ れ は 参 事 会 に 「国 民 的 諸 権 益 」 を代 表 さ せ る た め の便 法 で あ り,官 選 議 員 の数 は 漸 減 さ せ て 行 く べ き も の で あ っ た51). 委 員 団 は さ ら に参 事 会 議 員 の 選 挙 人 団 体(選 挙 区)の 規 模 を人 口7万 人 な い し9万 人,区 割 りの 難 し い と こ ろ で も最 低5万 人 と し て 選 挙 区 の 再 区 分 を行 い,コ ミ ュ ニ テ ィ 代 表 が 地 域 代 表 と し て 選 出 さ れ う る条 件 を整 え る こ と を も 提 案 し て い る.こ の 案 に よ る議 員 総 数 に つ い て は 先 述 し た.多 少 の 差 別 を残 し な が ら も,事 実 上 の 普 通 選 挙 権 を導 入 す る こ と で,コ ミ ュ ニ テ ィ 代 表 を地 域 代 表 に 転 化 さ せ る こ と が コ ミ ュ ナ リ ズ ム を消 滅 さ せ る で あ ろ う と い う楽 観 論 が,委 員 団 の 選 挙 制 度 論 の ひ と つ の 基 調 で あ っ た よ う に み え る52). §7. 地 方 行 政 組 織 の 再 編 成 ダ ナ モ ー 委 員 団 は 「憲 法 」 で は な く,セ イ ロ ン政 庁 の 政 令(Ordinance)に も と づ く地 方 行 政 に つ い て も,現 状 を概 観 し改 革 を提 言 し て い る.
当 時 セ イ ロ ン は 州 長 官 所 管 の9州,州 長 官 補 佐(Assistant Govt. Agent) 駐 在 の19県(District),在 地 官 吏 で あ る首 領 長 た ち(chief headmen)の 管
下 に あ る110郷(division),上 級 首 領 た ち(superior headmen)の613郡 (subdivision),村 落 首 領 た ち(village headmen)が 差 配 す る 約4,000村 落 (villages and hamlets)が 段 階 的 に 編 成 さ れ て い た.村 落 に つ い て は 政 令 1871年 第26号 で,農 耕 ・灌 漑 ・公 衆 衛 生 及 び 相 続 を め ぐ る 紛 争 の 処 理 な ど を 目 的 と して 村 落 委 員 会(Village Committee)を 設 け た が,委 員 団 の 調 査 時 点 ま で に 数 回 の 政 令 改 正 を 経 て,全 国657区 域(areas)の う ち371に こ れ を置 き,各 郷 に は村 落 裁 判 所(Village Tribunal)が あ っ た.イ ギ リ ス 人 た ち は こ れ ら を セ イ ロ ン の 古 制 を復 元 し た も の と考 え て い た.そ の 他,1892年 設 置 の 公 衆 衛 生 委 員 会(Sanitary Boards)が110の 町 を 含 む 小 規 模 町 村(small
72 南 ア ジ ア研 究 第6号(1994年)
towns) 19地 域 に, 1898年 設 置 の や は り公 衆 衛 生 の た め の地 域 委 員 会(Local
Boards)が
よ り大 き い規 模 の町村13地
域 に置 か れ て い た53).
1865年 に コ ロ ンボ(Colombo:
Kalamba)・
カ ンデ ィ(シ ンハ ラ語 で は マハ
ヌ ワ ラMahanuwara)・
ゴー ル(Galle:
Galla)に
都 市 参 事会(Municipal
Council)を 置 い た.こ れ ら都 市 を除 く全 域 に も,地 域 の条 件 に対 応 して 都 市
(Urban)・ 農村(Rural)・
一 般(General)3種
の地 方 参 事 会(District
Coun-ci1)を 設 け る こと が1920年
に計 画 され て い た が,ダ
ナ モ ー委員 団 の調査 時
点 ま で に実 現 した の は都 市 地 方 参 事 会8の み で あ った.都 市 参 事 会 の議 長 は
は じめ州 長 官 で あっ た が,の
ち知事 の任 命 と な り,議 員 構 成 は は じめ官 選
1,制
限 選挙 に よ る民 選2で
あ った の が の ち同数 に改 め られ た.都
市 地 方 参
事 会 は は じめ州 長 官 ま た は同 補 佐 で あ った が選 挙 に変 わ り,議 員 構 成 は官 選
1,制 限 選 挙 に よ る民 選2の 比 率 で あ った.地
方 には 道 路 委 員 会 と教 育 委 員
会 とが あ り,い ず れ も官 吏 と官 選 委 員 とで構 成 され て い た.前 者 の業 務 は公
衆 衛 生,建 造 物,市 場,河 川 及 び 道 路 の管 理 と清 掃,電 灯,水 道 な どに わ た
る もの で あっ た54).
問題 の ひ とつ は これ らの地 方 団 体 の財 源 と 中央 の そ れ らに対 す る管 理 機 構
とに あ った.村
落 委 員 会 の財 源 は,成
年 男 子1人
につ き1年 に10日 の労 働
を貨 幣 換 算 して徴 収 す る租 税,罰 金,手 数 料,域
内公 共 事 業 に対 す る政 庁 の
交 付 金,起
債 で あ り,公 衆 衛 生 委 員 会 と地 域 委 員 会 との財 源 は,不 動 産 に課
す る一 定 税 率 以 内 の一 般 地 方 税(a General Rate)と 用 水 税(a Water Rate),
車 両 と家 畜 へ の課 税,手 数 料,起 債 で あった.地 方 参 事 会 の財 源 もほ ぼ 同様
で あっ た が,不 動 産 課 税 に は税 率 の制 限 は な く,さ ま ざま な名 目 によ る政 庁
交 付 金,年 収 の10倍
を限 度 とす る起 債 に よ っ て いた.都
市 参事 会 も ほ ぼ 同
様 で あっ た.全 体 と して直 接 税 へ の依 存 度 が低 くは な か っ た よ うで あ る.
管 理 機構 の面 で は,村 落 委 員 会 ・同 裁 判 所 は州 長 官 の監 督 下 に あ り・ 委 員
会 の定 め る規 則 等 は行 政 参 事 会 に お け る知 事 の裁 可 を要 した ・ 公 衆 衛 生 委 員
会 及 び 地 域 委 員 会 は,中 央 の指 導 ・援 助 ・統 制 を受 け な い が,そ れ らの定 め
る条 例 は行 政 参 事 会 に お け る知 事 の裁 可 を要 し,後 者 の会 計 記 録 が政 庁 に監
査 され た.地
方 参事 会 の 監 督 は 政 庁 の 地 方 行 政 局(Local
Government
Board)が
担 当 し,都 市 参 事 会 は行 政 参 事 会 にお け る知 事 の統 制 下 に あ った.
系 統 的 ・統 一 的 な地 方 団 体 管 理 機構 は未 発 達 で あ っ た.
ダ ナ モ ー委 員 団 は地 方 団 体 の運 用 に も注 意 を払 っ た.報 告 書 に よ る と,在
ダナ モー委員団のセ イロン統治制度改革構想 73
地 の首 領 た ちの収 賄 や労 役 徴 発 ゆえ に首 領 制 度(headman
system)に
は反 感
が強 く,と くに首 領 長 た ち が非 難 され て いた が,後 難 を惧 れ てか そ の詳 しい
陳 述 は 寄 せ られ ず,代 案 も提 案 され な か った.一 方,村 落 委員 会 は議 長 選 挙
制 度 が確 立 して か ら好 評 で あ り,運 営 も順 調 で あ った.委 員 団 には,首 領 長
の 委員 会議 長 被 選 出 資 格 は な くし,委 員 選 挙 は 無記 名 投 票 で 行 い,諸 委員 会
の財 源 を増 大 させ る趣 旨 の提 案 が あ った とい う.公 衆 衛 生 委 員 会 の運 用 につ
い て は証 言 が 乏 し く,人 び との 関心 が薄 い原 因 は被 選 挙 委 員 を欠 くた め と考
え られ た.し か し,既 設 の都 市地 方参 事 会 の設 置 の遅 れ へ の批 判 や,農 村 ・
一
般 地 方 参事 会 の効 果 へ の疑 問 が 寄 せ られ るな ど,地 方 自治 へ の セイ ロ ン人
の 関心 は高 か った.都 市 地 方 参 事 会 は,1例
を除 き,幼 児 死 亡 率 の低 下,資
産 評 価 額 の上 昇,参 事 会 収 入 の増 加 とい っ た実 績 を収 め て い た.し か し参 事
会 に は常 任 の訓 練 され た職 員 が い な い の で,そ の成 功 は議 長 の個 人 的 配 慮 に
か か りす ぎ て い た.都 市 参 事 会 で は,コ ロ ン ボ が もっ と も成 果 を挙 げ て い た
が,な お効 率 的 運 用 の た め の権 限 の強 化 を,ゴ ール は被 選 挙議 員 数 の増 加 と
選 挙 権 の拡 大 を求 め て いた.コ
ロ ン ボ は公 衆 衛 生 や住 宅 事 情 の改 善 が必 要 で
あ り,他 の2都 市 は最 近 の伝 染 病 防 除 を政 庁 医 療 部 に依 存 して いた.
これ らの事 情 を踏 ま え て,委 員 団 は地 方 団 体 の 「
活 性 化 と拡 大 」 を提 言 す
る.そ れ は 中 央 の推 進 力(drive)と
周 辺 部 の要 求(a demand)と
を必 要 とす
る.し か し中 央 の 方 針 は 地 方 自治 推 進 に消 極 的 で あ り,周 辺 部 の要求 も出 な
い.委 員 団 は,そ
の根 本原 因 を,間 接 税 中心 の セ イ ロ ン の財 政 制 度 が地 方 の
支 出 を賄 うた めの直 接 税 へ の転 換 を妨 げ て い る こ と に あ り,直 接 税 の増 税 措
置 が講 じ られ れ ば 関心 が高 ま る と考 え た.そ の よ うな意 図 か ら,都 市 参 事 会
を も含 む 「
住 民 に よ る地 方 統 治(popular
local government)」
の統 制 と発 展
に 関 わ る諸 般 の業 務 を,国 家 参 事 会 の いず れ か の行 政 委 員 会 の も とに新 設 す
る地 方 行 政 局(Local
Administration
Dept.)に 集 中 させ,そ
の委 員 会 に行
政 参 事 会 に お け る知 事 の地 方 団体 に対 す る 監 督 権 を委 譲 す る こ とを提 案 し
た55).
ダ ナモ ー委 員 団 は地 方 自治 の一環 と して,州 参 事 会(Provincial
Council)
を各 州 に設 置 して,中 央 政 庁 の い くつ か の行 政機 能 を州 の住 民 代 表 に委 任 す
る こ と を も提 案 し,そ の構 成,権 限,官 吏 の それ へ の関 与 の仕 方,既 設 地 方
諸 団 体 と の関係,財 源 の調 達 な ど につ いて検 討 す る事 を要望 して い る56).そ
の他,地 方 自治 推 進 の一 般 的指 針 と して,地 方 団 体 は選 挙 に よ る代 表 制 を中
74 南 ア ジ ア研 究 第6号(1994年)
心 と し官 吏 を助 言 者 と して構 成 す る こ と,日 常 業 務 を補 佐 す る有 能 な事 務 要
員 群 を配 置 す る こ と,都 市 部 と農村 部 と の均 衡 を図 りと くに乾 燥 地 帯(Dry
Zone)の
農 民 た ち の要求 に配 慮 す る こ と,商 人 の農 民 に対 す る支 配 を抑 え農
民 の食 糧 を確 保 す る こ とな ど を要 望 す る.委 員 団 は さ らに 農 村 部 にお け る
「
封建 」 遺 制 と して の在 地 首 領 制 度 を,専
門知 識 を も ち訓 練 を受 けた官 吏 に
置 き換 え な が ら,漸 次廃 止 して行 く こ と を も示 唆 して い る57).
§8. 結
語
ダ ナ モ ー 委員 団 の 報 告 書 は 植 民地 省 で 審 議 され,「1931年
セイ ロ ン(国 家
参 事 会)枢 密 院 令(The
Ceylon (State Council) Order in Council, 1931)」,
いわ ゆ る 「ダナ モ ー憲 法 」 と し て公 布 され た.そ れ は被 選挙 議 員 数 を委 員 団
の勧 告 す る65名 か ら50名 に縮 小 す る と い った変 更 を伴 って いた.こ
こ で は
委 員 団 の 「
憲 法 」改 正 構 想 を再 整理 す る に とど め,「 憲 法 」 自体 の検討 は後 日
の こ と と した い.
1923年
「
憲 法 」 体 制 の根 本 的欠 陥 を,セ イ ロ ン人 の政 治 参 加 を排 除 した こ
と と立 法 参事 会財 政 委員 会 に過 大 な権 力 を集 中 させ た こと と に求 め,各 界 の
世 論―
そ の細 部 はCmd.
3131と
して 印刷 され たRSC.に
は収 録 され て
お らず,そ れ か らわれ わ れ が知 りうる の は そ れ らの梗 概 の み で あ るが―
を
聴 き な が ら是 正 の方 向 を見 定 め た.
そ の基 本 的 目標 は,セ イ ロ ン国 民 会議 の要 求 す る 「
完 全 責 任 政 体 」 つ ま り
行 政 府 の立 法 府 へ の従 属 を根 幹 とす る政 体 を拒 絶 し,知 事 が重 大 と判 断 す る
事 項 に つ い て の大 権 と,イ ギ リス人 上 級 官 僚 に よ る防 衛 ・外 交 ・法 律 案 の起
草 ・人 事 ・財 政 ・法 務 諸 分 野 の掌 握 と,セ イ ロ ン人 所 管 諸 部 局 へ の指 導 や助
言 の名 に よ る統 制 とを,相
当 な譲 歩 とひ き か え に,維
持 す る こ と に あ った.
この 目標 の制 度 的 表 現 が,セ イ ロ ン人 国 家 参 事 会 議 員 の選 挙 基 盤 を普 通 選 挙
権 の導 入 に よ っ て か つ て な い規 模 に拡 大 す る こ と と,併 せ て か れ らが圧 倒 的
多 数 を占 め る国 家 参 事 会 に立 法 権 と行 政 権 と を不 可 分 の一 体 と して付 与 す る
こ と とで あっ た.こ れ は,広 範 な政 治 参 加 の機 会 と権 利 と を,植 民 地 支 配 へ
の協 力機 構 と して の国 家 参 事 会 を とお して付 与 し,個 別 的 政 策 の策 定 と施 行
と を効 率 化 す るた め の装 置 を創 出 す る こ とで もあ っ た.そ
して この 国家 参 事
会 を中心 と して,さ
らに地 方 自治 体 制 を構 築 す る こ とま で が,ダ ナ モ ー委 員
団 の構 想 に は含 ま れ て い た.民 主 主 義 的 擬 制 に よ る植 民 地 支 配 の再 編 強化 が
ダナ モー委員団のセイ ロン統治制度改革 構想 75
「
憲 法 」 改 正 案 の基 調 で あ った.
しか し,セ イ ロ ン人 の植 民 地 支 配 へ の協 力 体制 を完 成 す る には,コ
ミ ュナ
リズ ム が それ を阻害 す る こ とへ の布 石 が必 要 とな るは ず で あ る が,こ の点 で
は委 員 団 の対 策 は 楽観 的 に過 ぎ,選 挙 権 の拡 大 と議 員 数 の増 加 か ら予 期 され
る異 言 語 話 者 間 の議 場 で の意 思 疎 通 の手段 は議 員 の英 語 能 力 に委 ね られ て い
た.コ ミ ュナ リズ ム を干 渉 の素 材 と して維 持 す る と い った 発 想 も認 めた が い.
結 果 か らみ れ ば,国 家 参 事会 構 想 は コ ミ ュナ リズ ム を過小 評価 して い た.
今 回 は紙 幅 の制 約 で 簡 略 化 な い し省 略 した事 項 は,他
日改 め て検討 す る.
ま た1931年
「
憲 法 」 それ 自体 の研 究 も,委 員 団 の報 告 書 提 出 か らお よ そ3年
を経 て そ れ が制 定 され た経 緯 を も含 め て,改 め て取 り上 げ て み た い.
ダ ナ モ ー委 員 団 の改 革 構 想 を もた ら した諸 条 件 につ い て は,な お多 岐 にわ
た る解 明 が必 要 と な る.筆 者 の果 たす べ く して果 た して い な い研 究 課 題 も列
挙 して み よ う.た とえ ば,報 告 書 の範 囲 で は,委 員 団 は植 民 地 行 政 の か な り
実 質 的 な緩 和 を模 索 して お り,当 時 す で に知 事 大 権 は 日常 一 般 の立 法 ・行 政
に お い て は実 質 的 に機 能 す る機 会 が な か っ た とい う印 象 を受 け るが,こ れ を
正 確 に理 解 す る には,セ イ ロ ン人 側 か らの政 庁 へ の さま ざま な要 求,政 庁 に
勤 務 す るイ ギ リス人 官 吏 の人 数 と資 質,セ イ ロ ン政 庁 の財 政 収 支 の構 造,と
い っ た多 段 階 に わ た る史 料 を収 集 し研 究 す る こと が必 要 で あろ う.ま た委 員
団 は 社 会 経 済 領 域 の諸 問 題 に か な りの関 心 を寄 せ て い る が,具 体 的 課 題 の提
起 には及 ん で い な い.こ
こに も数 年 後 に起 き る世 界 恐 慌 の影 響 を視 野 に入 れ
た研 究 課題 が残 され て い る.た ま,イ ギ リス帝 国 の非 自治領 全 般 に及 ぶ 両 大
戦 問 期 の統 治 制 度 改 革 の動 向 と の関連 をみ る こ と も重 要 と思 わ れ る.
注1) Statutory Rules u Orders, 1923, pp. 1035-1075.
2) 1923年 「憲 法 」 の 改 正 を め ぐ る 基 本 的 史 料 は,Ceylon. Correspondence relating to the further revision of the Constitntion of Ceylon, Cmd. 1809 (Feb. 1923) か ら,標 題 の 字 句 を わ ず か に 変 更 し たCmb. 1906 (Ju1. 1923), Cmd. 2062 (Feb. 1924)に 至 る3篇 の 文 書 群 か ら 得 ら れ る が,紙 幅 の 制 約 上 本 稿 で は 検 討 を 省 く . ダ ナ モ ー 委 員 団 報 告 書 は 標 題 をCeylon. Report of the Special Commission on the Constitution (以 下(RSC.と 略 記)と い う. RSC.に 対 す る セ イ ロ ン知 事 ス タ ン リ ー(Stanley, Herbert)の 所 見 を 述 べ た 公 信 を 主 と す るCmd. 3419 (Oct. 1929)が 続 い て 出 さ れ て い る.