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─歴史的平和教会におけるナショナルとコミュナルの相克

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はじめに

2010年の1月、米国インディアナ州の小さな町 で一つの騒動が起きた。この町にあるゴーシェン 大学のジム・ブレネマン学長が、大学で開かれる ス ポ ー ツ 競 技 の 際 に 国 歌(The Star-Spangled

Banner, ただし楽器演奏のみ)を演奏することを

許可したのである。この決定は大学の内外に大き な波紋をよび、大学理事会は翌2月、決定を了承 すると共に、この件について継続的・組織的な話 し合いの機会を設けるよう、大学執行部に求め た。学内外において様々な話し合いが1年以上続 けられ、2011年6月、理事会は学長に対し、「国 歌を演奏することに替えて、スポーツの伝統に適 合し、国家に敬意を表し、我々の中核的価値に共 鳴し、大学関係者の多様な見解を尊重するような 代替策を見いだす」ことを求める決定をした(1)。 スポーツ競技の際の国歌演奏がこれほどの争論 を引き起こしたのは、ゴーシェン大学が米国メノ ナイト教会(Mennonite Church USA)によって立 てられた大学であり、1957年の大学間スポーツ競 技参加以来、一度も国歌を演奏してこなかったか らである。後述するとおり、メノナイト教会は平 和主義をその教義の中核にすえてきた。キリスト を中心とする平和主義を重んじるゴーシェン大学 の建学の精神にとって、国歌の軍事主義的な歌詞

は相応しくないと考えられたのである。

そんな中でブレネマン学長が国歌の演奏に舵を 切ったのは、ゴーシェン大学がメノナイト教会立 とはいえ4年制の総合大学であること、ゆえに他 教派や他宗教、無宗教の在学生や卒業生もいるこ と、そうした信条を異にする多様な人々との社会 的関係に大学として開かれた姿勢を示し、試合で キャンパスを訪れる他大学の人々への歓待のしる しとしたいと考えたからであった。学長はこの決 定を「市民社会への積極的な関与へと踏み出す一 歩」(2)と捉え、大学の理念を堅持しつつ立場の異 なる人々を歓迎することは可能だと説いたのであ る。

実は北米には、カンザス州のベテル大学やオハ イオ州のブラフトン大学など、国歌を演奏するメ ノナイト教会立大学もある。ゴーシェン大学も 1977年から、国連旗と共に掲げるという条件付き で、キャンパス内で星条旗を掲揚している。ここ で重要なのは、この騒動の背景に、キリスト教平 和主義を掲げるコミュニティがそれを取り巻くナ ショナルな文脈との間で摩擦や葛藤を経験してき たという歴史的経緯が伏在していることである。

本稿ではそうした摩擦や葛藤の一例として、歴史 的平和教会における良心的兵役拒否への取り組み を概観し、その意味を考察してみたい。

特集2:ナショナルアイデンティティとコミュニティ

世にあって世のものにあらず

─歴史的平和教会におけるナショナルとコミュナルの相克

片 野 淳 彦

(札幌大学非常勤講師)

(2)

キリスト教平和思想と歴史的平和教会

まず、キリスト教の平和思想における歴史的平 和教会(Historic Peace Churches)の位置づけを確 認しておこう。歴史的平和教会とは、絶対平和主 義を基本信条とするキリスト教会の教派、とりわ けメノナイト(Mennonite)、クエーカー(Quaker, 正式にはSociety of Friends)、ブレズレン(Church of the Brethren)の三つをさしてよばれるもので ある。メノナイトは16世紀の再洗礼派(Anabaptist)

運動から生まれ、クエーカーは17世紀のイギリス でジョージ・フォックスにより設立され、ブレズ レンは18世紀のドイツで生まれた、敬虔主義

(Pietism)の流れをくむ教派である。

これらの教派はいずれも、宗教改革とよばれる キリスト教会の刷新をめざす運動において、いわ ば急進的なグループと捉えられる(3)。国教制度 を前提とするキリスト教世界(Christendom)に あって、これら平和教会は「皇帝のものは皇帝に、

神のものは神に返しなさい」(マルコ福音書12:

17)との教えを根拠として、教会と国家の分離を 主張した。また、「殺してはならない」(出エジプ ト記20:13、申命記5:17)との教えから生命の 尊重を、「悪人に手向かってはならない」(マタイ 福音書5:39)から無抵抗主義を、「悪に負ける ことなく、善をもって悪に勝ちなさい」(ローマ 書簡12:21)からは非暴力主義を、さらに「敵を 愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい」(マ タイ福音書5:44)にみられる愛敵や「わたしの 後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を 背負って、わたしに従いなさい」(マルコ福音書 8:34)にみられる殉教をも含む信従の精神など、

一連の聖書理解を通して平和主義の教義を形成し ていった。それゆえに、カトリックとプロテスタ ントを問わず、国家と結びついた教会から異端視 され、迫害の対象ともなって、多くが東欧やロシ

ア、南北アメリカ大陸への亡命を経験したのであ る。

亡命に際しては、亡命先で信教の自由が認めら れること、また兵役を課されないことが条件とさ れた。しかし、亡命当初は徴兵免除の特権を認め られても、その政策が変更されることも少なくな く、平和教会は再び亡命するか、その土地で何と か折り合いをつけるかの選択を迫られることに なった。こうした国家による徴兵制度への対応が とくに切実に求められるようになったのが、国民 国家の世紀、戦争の世紀とよばれる20世紀であ る。戦争に対して歴史的平和教会が共同で対応す る た め に、 平 和 主 義 教 会 会 議(Conference of Pacifist Churches)が1922年、クエーカーの主導に より開かれた。1935年の米国カンザス州での会議 からは名称が歴史的平和教会会議(Conference of Historic Peace Churches)と変更され、このとき以 降「歴史的平和教会」という名称が定着していく こととなった。その後1940年にはカナダで、1947 年以降はヨーロッパでも、同様の歴史的平和教会 の会議がもたれるようになったのである。

良心的兵役拒否の思想と実践

このように、歴史的平和教会の教派的アイデン ティティの形成には、徴兵と兵役にいかに対応す るかという問題が、少なからぬ影響を及ぼしてい たことが分かる。その対応の具体的な現れが、い わゆる良心的兵役拒否とよばれるものであった(4)。 少なくともキリスト教の歴史において、兵役を拒 否することは必ずしも特異な現象ではなかった。

いわゆる初代教会の頃から、キリスト教徒は戦争 に反対し兵役を拒否していたと考えられている。

それは初代教会において厳格な平和主義の立場が 貫徹していたことを、必ずしも意味するわけでは ないが、少なくともローマ帝国におけるキリスト 教の公認(西暦313年)以前に、信徒が兵役に従

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事することを批判したり疑問視したりする主張が なされていたことは確かである(5)。当時のロー マ帝国では皇帝崇拝がいわば宗教政策として行わ れており、皇帝よりもイエスへの忠誠を尽くすキ リスト教は宗教的少数者として、しばしば迫害の 対象とされていた。そもそも「イエス・キリスト」

という呼称自体が「イエスが主である」との信仰 を告白し、イエスに忠誠を誓う政治的意味合いを もっていたのである(6)

やがて、迫害にもかかわらずキリスト教が帝国 領内に広まるに及んで、ローマ皇帝はこれを取り 込み結びつく方途を選ぶことになる。313年には キリスト教が公認され、392年に他のすべての宗 教が禁止され、キリスト教は帝国の国家宗教と なった。キリスト教の教義は、既存の社会秩序を 変革することよりも、むしろ維持することに貢献 することが求められ(7)、戦争への態度もこれを 否定する平和主義から正統性のある戦争(いわゆ る「正義の戦争」)を支持する姿勢、さらには十 字軍のような戦争そのものが神の意思とされる ケース(いわゆる「聖なる戦争」)へと変わって いった(8)。こうしたキリスト教会のありようを 批判し、原初的な教会の姿に立ち返ることをめざ したのが、前述の歴史的平和教会による教会改革 の運動であったといえよう。

その後西欧世界は啓蒙主義の時代を迎え、政教 分離や信教の自由といった近代的な価値観が広 まっていく。急進的な宗教改革についても、教会 を自由な人々の自発的結社と捉え、聖職制度を否 定し、未発達ながら人権擁護を実践した点、また 教会と国家の分離を明確に主張した点で「民主的 な近代世俗国家の誕生に決定的に貢献することが できた」といった評価がなされている(9)。しか し、紛争解決手段としての戦争という問題は残っ た。とりわけ近代立憲主義が君主主権から国民主 権へと舵を切ることで、国家の存在理由が国民の 意思であるという正当性を獲得することとなり、

市民には国家存立への普遍的なコミットメントが 要請され、それが国民皆兵制として具体化される ことになる。国民に国防の義務と負担を課す大義 名分ができる反面、思想・良心・信教の自由との 間に葛藤が立ち現れることにもなったわけであ る。

こうした中、アメリカ建国期の1789年には、

ジェームズ・マディソンが良心的兵役拒否を憲法 上の権利として規定するよう提案した。彼の提案 した条文は「規律ある民兵団は、自由な国家の安 全にとって必要であるから、国民が武器を保有し 携行する権利は、侵してはならない。しかし、宗 教上、武器を携行することに慎重な何人も、直接 に兵役に服することを強制されない。」というも のであったが、後半部が上院での審議で削除さ れ、現行の合衆国憲法修正第2条となった(10)。 良心的兵役拒否はあくまでも特権ないし恩恵と位 置づけられるに留まったわけで、ドイツをはじめ ヨーロッパ諸国を中心に兵役拒否が法制化されつ つある現在においても、兵役拒否を法的権利と捉 える理解が一般化したとはいえないように思われ る。

一口に良心的兵役拒否といっても、その方法は 多様である。最も純粋ないし絶対的拒否として は、そもそも招集自体に応じず、礼状を焼いて抗 議したりすすんで拘束されたりする方法が考えら れよう。また、しばしば徴兵忌避とよばれる方法、

たとえば仮病や精神異常を装う、国内外で行方を くらませる、礼状が届かぬようホームレスにな る、自傷行為により検査で不合格になるといった 方法も、「良心的」かどうかという点で疑問符が つけられることはあるものの、一定のリスクを覚 悟した上でなされるという意味では兵役拒否の範 疇に含めてよいように思われる(11)。本稿におけ る狭義の良心的兵役拒否とは代替奉仕、すなわち 兵役を免れるかわりに民政部門での奉仕作業に従 事するという方法である。さらには衛生兵や後方

(4)

支援など、直接戦闘にはかかわらない形で従軍す ることを広義の兵役拒否に含める場合もある。

こうした種々の良心的兵役拒否者への対応もま た、様々に行われてきた。最も厳しいものとして は、投獄を含む厳罰を課すことが考えられるが、

拒否者が例外的少人数に留まるならともかく、数 千人・数万人単位で拒否者が出るとかえって負担 が増え、他の兵士の士気にも影響する。そこで実 際には非戦闘部門に配属したり、キャンプに収容 し軍の外で代替奉仕に従事させたりするなどし て、人目に触れさせず隔離する方法がとられるこ とになる。加えて重要なのが、安易に追随する者 が出ないように、良心的兵役拒否を認定する基準 を厳格に定めることである。北米での基準の柱は 二つあり、一つは兵役を拒否する確かな宗教的信 念をもつこと、もう一つは反戦平和主義を公的に 主張している団体に所属していることであった(12)。 こうした団体として歴史的平和教会が認知され、

具体的な兵役拒否制度の策定に役割を果たしてい くことになるのである。

文民公共奉仕という事例

ここで、アメリカにおける具体的な制度の事例 として、1941年から1947年にかけて実施された、

文民公共奉仕(Civilian Public Service)制度を概 観してみよう。第一次世界大戦時、アメリカの徴 兵法では兵役を拒否する者について非戦闘部門に 従軍することだけが認められるにすぎず、従軍そ のものを拒否することは許されなかった。そのた め、一切の協力を拒む徹底的兵役拒否者だけでな く、民政部門での代替奉仕を求める良心的兵役拒 否者に対しても、軍事施設における拘束や投獄が 行われ、命を落とす者も出た。

こうした事態を踏まえ、アメリカでは1940年に 選抜訓練徴兵法(Selective Training and Service Act)

が施行され、これに基づく文民公共奉仕制度が実

施された。同法のセクション5(g)により、「宗教 上の理由からいかなる形でも戦争への参加を良心 的に拒否する者」を「大統領の定める非戦闘業務 に従事」させること、それをも拒否する者には

「文民の監督による国家的に重要な作業に従事」

させることが定められたのである。歴史的平和教 会を中心とした約12,000人の兵役拒否者が、152 箇所の施設で、農業(土壌保全)、森林(保全と 山火事への対応)、土木(灌漑やダム建設)、医療

(精神病者の世話や医療実験)といった「国家的 に重要な」業務に従事した。文民公共奉仕は原則 として無給で行われ、奉仕施設の運営や兵役拒否 者および家族の生活費は教会によってまかなわれ た。カナダでも同様の代替奉仕(Alternative Service)

制度が実施され、約10,000人が従事した。

前述のとおり、良心的兵役拒否は憲法で保障さ れる権利というよりも、特定の宗教的信念を尊重 する姿勢からの政策的恩恵と捉えられはした。た だしこれらの代替奉仕制度には、単に政府が宗教 的少数者に対して、特権を一方的に与えたわけで はない側面がみられる。すなわち、兵役拒否はと もかく、少なくとも信教の自由は憲法上の基本的 権利として保障されなければならない。徴兵によ る兵士はただでさえ志願兵よりも一般に士気が低 いため、兵役拒否者を同じ軍施設で扱うことでさ らに士気を低下させるおそれもある。政府および 軍としては、こうした厄介者たちをできるだけ害 のないよう効果的に扱いたいわけで、文民公共奉 仕制度には彼らを人目につかない所へ遠ざけ、

「国家的に重要な」仕事をほとんど税金をかけず に実現できる利点があった。メノナイト信徒によ る文民公共奉仕は6年間で延べ2,296,175人、およ そ400万ドルに相当し、連邦政府が拠出した約140 万ドルを差し引いても、およそ260万ドルの便益 をアメリカ国家にもたらしたとされている(13)

一方、歴史的平和教会にとっても、文民公共奉 仕は望ましい選択肢であった。いくら平和教会と

(5)

はいえ、徴兵される若い教会員がみな、獄死を覚 悟で良心的兵役拒否をすることまでは期待できな いからである。命がけで拒否するか、信仰を曲げ て従軍するかという二つの両極端を避けつつ、信 徒がキリスト教平和主義者としての信仰を表明で きる場を、文民公共奉仕は提供した。さらに、歴 史的平和教会の反戦平和主義は反政府主義を必ず しも意味しない。とくにメノナイトの指導者に は、前述の平和主義教会会議の頃から、近代リベ ラリズムに基づく世俗的・政治的平和主義と、徹 底した聖書信仰に基づくキリスト教平和主義を峻 別しようとする傾向が強くあり、政府を倒したり 政策を変更させたりすることが主な目的ではな かったのである(14)。政府にただ追従するのでは なく、かといってただ政府批判に終始するのでも ない、いわば《第三の道》を追求していた平和教 会は、反戦の立場を保ちつつ国家や社会に奉仕す る方途を模索していた。良心的兵役拒否者の扱い をめぐって、議会や世論が納得できる政策を確立 することは、軍当局と歴史的平和教会の双方に とって、望ましいものであったといえよう。

良心的兵役拒否にみる政教関係

国教制度に批判的な歴史的平和教会にとって、

国家はしばしば自らを迫害する存在であったが、

追放された彼らを受け入れ、安全と生活の場を与 え、信教と良心の自由を保障したのもまた、亡命 者に寛容な国家であった。歴史的平和教会の働き かけで策定された文民公共奉仕制度は、アメリカ 政府が少数者の信教の自由をも保障することがあ るということを、具体的に示した一例となった。

第二次世界大戦後のアメリカでは代替奉仕制度が さらに拡充され、教会が様々な社会奉仕活動を提 供する余地が広がっていくことになる。良心的兵 役拒否者が格差や差別といった社会的不公正に直 面する機会が増え、医療・法曹・海外援助など、

いわば公共の精神に若い教会員が目覚める契機と もなった。

そもそもキリスト教神学において、国家と教会 の関係は常にアンビバレンスをはらむものであっ た。「人間に従うよりも、神に従わなくてはなり ません」(使徒言行録5:29)や、「人は皆、上に 立つ権威に従うべきです」(ローマ書簡13:1)

といった聖書の箇所の解釈をめぐって、この世に 対して教会が優越するという理解と教会もまた国 家権力に服従すべきという理解が、緊張しつつ 様々に論じられてきた(15)。さらにアメリカとい う国家においては、自由と人権を国民統合の理念 とするという形で、本来は逆向きの方向をもつは ずの自由と統合が葛藤しつつ結びあわされるとい う側面が指摘できるだろう。

こうした葛藤の板ばさみになりながら、歴史的 平和教会がたどり着いたとりあえずの帰着点が、

代替奉仕による良心的兵役拒否ではなかったかと 思われる。一方で、自らの宗教的信念である戦争 および徴兵制度への反対を表明し、同時に、非協 力や徴兵忌避ではなく国家ないし社会への奉仕の 意思をも表明する。こうした立ち位置に立つこと で、ナショナルなアイデンティティとコミュナル なアイデンティティの相克を克服しようとする、

とりあえずの一方策が示されたのではないかと思 われるのである。

もちろんこれが暫定的なものにすぎないことは いうまでもないだろう。そもそもキリスト教信仰 は、教義への同意ではなく、神を信じる生き方へ のコミットメントであり、キリスト教徒の具体的 な生き方は、彼や彼女を取り巻く環境に影響を受 け、信仰もそれに伴って移ろったり深められたり していくものだからである。アメリカでは1973年 に徴兵制から志願制へ移行することで、良心的兵 役拒否の前提が大きく変化した。志願しない限 り、意に反して従軍を求められなくなる一方、志 願して従軍している兵士による良心的兵役拒否を

(6)

どう捉え、扱うかという新しい問題が浮上した(16)。 また、核時代の到来により、戦争は人員による戦 争から技術による戦争へと様変わりした。戦争政 策の中心が人的徴用から技術開発へとシフトした ことに対応し、平和教会からは良心的兵役拒否に かわって良心的軍事費拒否、さらに平和税創設を 求める運動が行われるようになった。歴史的平和 教会を取り巻く環境は、良心的兵役拒否が現実の 切迫した課題であった時代からは、急速に変わり つつあるように見える。

しかし、というよりそれ故に、信仰者が自らの アイデンティティにおいて、コミュナルなレベル とナショナルなレベルとの緊張関係を意識にのぼ らせる契機は、今後増すことはあれ減少すること はないように思われる。歴史的平和教会には、国 家の寛容政策のもとで社会との結びつきが強ま り、結果的に平和教会としてのアイデンティティ を失いかけたという負の教訓もあるからである。

たとえば17世紀のオランダで寛容と社会的成功を 享受したメノナイト教会は、神学的対立から分裂 し、国王のために戦費を拠出し、財産を守るため に武装するようにすらなったことがある(17)。こ の世から距離を置いたローカルなコミュニティと いう実生活と、世界宗教としてのキリスト教とい うトランスナショナルな信仰理解のはざまで、自 らのナショナルアイデンティティをどう捉え、そ れをコミュナルなアイデンティティといかに結び あわせていくのかという課題は、これからも歴史 的平和教会が抱え続けていくべきものであるよう に思われる。

(1)Goshen College Board of Directors, “Decision Statement,” June 6, 2011.

(2)President Jim Brenneman and the Presidentʼs Council, “Decision about playing the national anthem at Goshen College,” January 2010.

(3)倉塚平ほか編訳『宗教改革急進派』(ヨル ダン社、1972年)

(4)良心的兵役拒否をめぐる日本での優れた先 行研究として、阿部知二『良心的兵役拒否 の思想』(岩波書店、1969年)、宮田光雄『非 武装国民抵抗の思想』(岩波書店、1971年)、

稲垣真美『良心的兵役拒否の潮流:日本と 世界の非戦の系譜』(社会批評社、2002年)

などがある。

(5)木寺廉太『古代キリスト教と平和主義』(立 教大学出版会、2004年)

(6)John E. Toews, “The Politics of Confession,”

Direction, 38(1): 5-16.

(7)山田望「古代史における平和主義:キリス ト教はいつから戦争を支持するようになっ たのか?」『いずみ』20:1-24によれば、

三位一体の教義をめぐるアレイオス派とア タナシオス派の対立の背景にも、コンスタ ンティヌス帝の政治的思惑が読み取れる。

(8)平和主義・正義の戦争・十字軍(聖なる戦 争)というキリスト教戦争論の類型化は Roland H. Bainton, Christian Attitudes toward War and Peace :A Historical Survey and Critical Re-evaluation, Abingdon, 1960.によ る。また、教会が戦争を肯定する場合でも 聖職者が戦闘に参加することは認められ ず、聖職者と信徒の間で二重の基準が適用 されるようになった。換言すれば、戦争を めぐって「この世」と「教会」の間にひか れていた境界線が、「聖職者」と「信徒」

の間にひき直されたと理解できよう。

(9)ジョン・W・デ・グルーチー『キリスト教 と民主主義:現代政治神学入門』(新教出 版社、2010年)81-83頁。

(10)Albert N. Keim and Grant M. Stoltzfus, The Politics of Conscience, Herald Press, 1988, 23-5.

(11)良心的兵役拒否と徴兵忌避を峻別すること

(7)

の問題性については、佐々木陽子「日本の 徴兵忌避:生命への執着をめぐる葛藤」

佐々木陽子(編著)『兵役拒否』(青弓社、

2004年)187-191頁。

(12)これらの基準は1970年代に連邦最高裁に よって緩和され、宗教以外の道徳的・倫理 的信念による兵役拒否も認められるように なった。ただし、拒否の理由が政治的・経 済的利害に基づくものであってはならず、

特定の戦争への参加を拒否すること(選択 的兵役拒否)も認められなかった。

(13)Melvin Gingerich, “Civilian Public Service,”

Global Anabaptist Mennonite Encyclopedia Online. 1953. (Web. 01 March 2011. http://

www. gameo. org/encyclopedia/contents/C 52.html.)

(14)メノナイト教会の平和主義の変遷について は片野淳彦「9・11以後のキリスト教平和

主義:メノナイトの視点から」千葉眞(編)

『平和運動と平和主義の現在』(風行社、

2008年)137-156頁を参照。

(15)ローマ書簡13章の理解をめぐる史的変遷に ついて、宮田光雄『国家と宗教:ローマ書 十三章解釈史=影響史の研究』(岩波書店、

2010年)。通俗的解釈の例として袴田康裕

「ウェストミンスター信仰告白における戦 争と平和:教会の国家に対する責任をめ ぐって」『和解と教会の責任』(いのちのこ とば社、2010年)9-49頁。

(16)原野翹「従軍兵士の兵役拒否:アメリカ法 の場合」佐々木、前傾書、73-107頁。

(17)John D. Roth, Stories:How Mennonites Came to Be, Herald Press, 2006, 94-98.

査読審査後掲載決定

(受理日2011年11月30日)

参照

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 この決定については、この決定があったことを知った日の

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社会教育は、 1949 (昭和 24