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1994年のイギリス詩の若干について

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1

1994年のイギリス詩の若干について

伊 藤 武 久

    (英文学)

0.

 去る1986年,「スペクテイター誌の最新の詩について」と題して,現時英国 ジャーナル中,最長寿を誇る週刊誌THE 8PEC7刀丁ORにそのころほぼ毎号 掲載されはじめた英詩の中から25編(自1985年1月26日号一至1986年3月26日 号)をとりあげ,それらの日本訳を試み,私感を付し,現代英詩の動向を考え

たことがあった(註1)。以下は9年ぶりの同様の試みである。

 1994年1月1日号から12月3日号までの11ケ月余全49冊に発表された詩の数 は65編であった。1冊に1編以上という勘定になる。尤,49冊のうち10冊では 詩は休載であった。THE sPEC7147「ORは文芸の専門誌ではなく,最現代英 国内外の社会上と,政治上と,文化上の出来事を主記事とし,とりわけ書評に 力を注ぐ一般読者むけの週刊誌であるから,これらの掲載詩はかくべつの文学 好きでなくても,文芸一般にはそこそこの興味・関心を持つ知識人を読者とし て想定しているものと考えて差し支えない。したがって,限られた数の,別し て詩歌を好む人士に現代詩の先端傾向のアッアツ料理を供するものではないわ けで,そのためかえって現代イギリス詩の一般的平均的動向が奈辺に存するか が見えてくるといえなくもない。各号の2割に近い頁を占める書評欄の一郭に これらの詩は現れる。1年70編足らずでは,数は多いとはいいがたいが,その 少数が案外に今のイギリス詩が好む題材と形式の多彩さを示し得ている。登場

した詩人は読み人知らず2名をふくむ51名であった。Anthony Thwaite, D. J.

(2)

2 伊藤 武 久

Enright, Elizabeth Jenningsのような高名で高齢の人々から,イギリス詩の専 門研究者ではない筆者には無名同然の無縁の詩人が名をつらねている。殆どが

1回きりの登場だが,4回現れたConnie Bensleyのようなlight verseの手だ れと長老Anthony Thwaiteの3回が特別で,2回組は9人であった。

 以下,65編中13を選んだ。これに,日本訳をつけ,時に評言を添える。選択 はまったくの恣意にもとつく。基準も方針もなく選んだ。THE sPEC7こ4−

TORのpoetry editor(註2)が精選して誌上に迎えた佳作を更に選別できるほど 上等の物差しなど持ち合わせないからで,もっぱら自分の嗜好に合致するもの

を選ぶことにした。また勝手ついでに,本誌に登場した順を守った。したがっ て,題材上から,生活詩,叙景詩,動物詩,恋愛詩などとまとめる試みも,

ジャンル・形式上から,やれsonnetの,やれodeのと分類する作業も行わな いが,必要に応じてそれらの点について言及をする。

1. The Temporary Men

(Bosnia 1993)

We are the temporary men,

Tasked to hold on here a time−

Awaiting time, a stretching time,

Before we take off boots and climb Wearily to bed.

Meshed in rules, encased in armour,

We shall try, we may indeed contain The situation, gain a space to breathe,

For men of greater principle and ease−

Men in suits who meet and eat And talk of talks to seek, they say,

An end.

(3)

1994年のイギリス詩の若干について 3

We are the blunted tools, you see,

Not brought out to set you free But for respectability

And so that those at home may sit Secure to know they ve done their bit−

We are not here pursuing victory.

But we shall hold this thing a time,

Ameantime peacetime amy,

And work, and watch, and sometimes kill And sometimes die, but then again We were the temporary men.

Anon. 1/1/1994

臨時兵(ボスニア1993年)

ぼくらは臨時兵だ,

この地で暫しをもちこたえるのが任務一 待機の暫し,延伸の暫し,

そのあと靴脱ぎ,疲れてベッドへ 這い上がる。

規則の網,武装の桂桔の中だが 努力はする。いや,状況を鎮圧し,

息継ぐ隙ぐらいは獲てみせよう,

主義も安穏もこちとら以上の連中の為に一 スーッを着て,会合・会食,

聞けば,終結を模索すべき会談に向けて

会談するんだそうだ,奴さんたち。

(4)

4 伊 藤 武 久

ぼく,らは,見ての通り,竹光だ。

皆さんの解放に派遣されたのではない,

格好をつけるため,そしてお偉いさんが 本土で安座できて奮闘これ務めたと 言えるようにするため 一

勝利の貫徹にこの地に来たのではない。

けどまあ,暫しはこれをもちこたえよう,

合間稼ぎの平和維持の軍なのだから,

作業し,監視し,時には殺しもしよう,

また戦死もしよう。しかし死ねば死んだで ぼくらは臨時兵だった。

 年頭最初の詩で,作者不詳である。ボスニア紛争の当事国は守らぬ約束を繰 り返しつつ1994年を迎えた。これに巻き込まれた平和維持軍提供国の一つ,イ ギリスでも厭戦気分は募る一方である。この戦争にたいする雑誌そのものの論 調は決して反戦的ではないが,紛争三国と国連の動きにたいしては手厳しい批 判を続けている。所詮スーツを着た側の立場を離れられない雑誌が軍靴をはい た者の視点からの反戦詩をとりあげたというところであろうか。イギリス詩に は戦争詩が豊富であり(註3),名唱もすくなくないがたとえばRupert Brooke がその誉れ高いソネットT㌘8014絃で誇らしげに異土で散華する愛国兵士に 吐かしめた感慨と本詩の兵士の苦渋の述懐とは隔日の感がある。この詩はむろ ん自由詩形であるが,弱強調が基本のリズム。頭韻と脚韻の案配はしっかりし ており,名もない素人の作とは思えない。

2. The Bat

It was flapping and banging round, a huge black moth

circling the light.no, amazingly,

(5)

      1994年のイギリス詩の若干について

not banging, never hitting, skittering far out by walls and cupboards. Suddenly it settled on a teacloth, swung

down and hid its wings. Its back was small like a baby mouse s. When I touched

it didn t move, or its toes

tightened imperceptibly.

Its face was blindly closed.

Isaw my mother s vivid face,

her nose like a grayhound s eagerly lifted.

It could have been her soul come back to see us in the house, but light bewildered it. I carried it out into the dark and shook it free.

5

Edmund Preswich 29/Jan./1994

蠕 幅

それは羽ばたき,ぶっつかりして飛び回っていた。灯を 旋回するでかい黒い蛾。いや,あきれたね,

ぶっつからないのだ。当たるどころか,四方の壁やら戸棚を 余裕十分,かすめ飛んでいた。だしぬけに

それは布巾の上に降下した。翼を振り下ろし,隠した。背中は 小さく,赤子の鼠ていど。わたしが触っても

動かない。というか,足指を あるかなきかほどこわばらせた。

顔は閉ざされ盲目。

わたしは母の生気ある顔,

(6)

6       伊藤 武久 猟犬に似た鼻がいそいそと上向くのを見た。

それはもしや母の霊で,わたしたちの様子見に家に入ったが,

光に困惑していたのではあるまいか。わたしはそれを 暗闇に持ち出し,ゆすって放してやった。

題材のちょっとした意外さと,詩人がその軽い驚きを解析し発展させていく手 際の良さで光っている詩。輪廻縁起だの,動物変身譜だのを援用して深甚な解 釈を下すには及ばないであろう。

3. Early, Late

Hopscotch through the maze of boughs long−tailed tits jink and flicker,

calling to each other like girls on an outing,

the flirty streamers of their tails preened for fiesta.

Provocative, slender, their voices wink incessant as knitting needles. Ithink

of old women purling away in upstairs windows,

watching youth s blind−flying jest一

old women, who have the pattern by heart.

Geoffrey Holloway 26/Feb./1994

はじめ,のち

小枝の迷路の中の石蹴り遊び。

尾長の四十雀は右に避け左に跳び,

かたみに呼び交うさまはまるで遠足の少女たちだ。

吹き流しの仇な尻尾は祭用のおめかし。

(7)

         1994年のイギリス詩の若干について

挑むような柳腰,それらの声のウインクは

小止みない編み棒使いだ。ぼくは思う,老女たちが 二階の窓辺でせっせと編み進みながら,

若者たちの滅法矢鱈な元気を凝視している様を。

7

図案をそらで憶えている老女たちを。

はじめ,鳥たちのせわしげな動きの実景が詩人に編み棒をおもわせ,のち,そ の編み棒から窓の老女を想像せしめたというのであろうか。詩人の脳裏ではイ メージが時間的空間的に移動していくが,読者の意識のなかではそれらのイ メージは回帰し混交する。たとえばHopscotch through the maze of boughs とyouth s blind−nying zestの響きあいなど。鳥の描写は泣董詩の一部を思い 出させるものがある(註4)。

4. Ten Days Break

When you took the kids away for ten days Ithought Freedom!This ls the life.

The house to myself. I bought drink and wrote as if Ihadn t touched a word for weeks. Iworked each phrase into the early hours, happy in ways

Imissed. It brought back my belief

in living that dream Devoting to writing:no wife no kids no distractions. A fantasy that sways through my years like a flame, fattening or sputtering. By the end of the week it wanes.

These rooms look gutted, echoing

me to me. When I pick you up near the bus.lanes

all of you happy and talking at once,1 m juggling

(8)

8 伊藤 武 久

kids and dreams of books with my name down their spines.

Robert Hamberger 9/April/1994

十日間の休暇

きみが子どもたちと十日間留守したとき,

ぼくは思ったね。解放だ。これこそ人生。

独居独占。ぼくは酒を買い,そして書いた,まるで

何週間一語すら触れなかったあとみたいに。一句一句気を入れ 早暁におよんだ。焦がれていたやり方に

満悦だった。おかげで積年の夢に生きる確信を 回復した。専心一念書きまくること。妻なく 子なく気散じなく。それは長年,一つの炎に似て,

大きくなったり,弾けたり,火勢を振るった幻想だった。

一週過ぎると,それが消え細るではないか。

どの部屋もはらわたを抜かれたみたいで,ぼくが ぼくに木魂する。バスレーンまで迎えにいくと

きみたちみんな上機嫌で,一斉にしゃべる。そのときぼくはもろてで,

子たちと,背にぼくの名入りの本たちの夢とをお手玉している。

abbaabbacdcdcdと押韻した14行。ただし各行の音節は10,8,

12,11,10,8,13,12,9,12,7,12,13,11とまちまちであるから,ちゃんと

したソネットとはとても言えないが,しかし音節総数が148で,本来のソネッ

ト140音節にほぼ近いせいであろうか,これをソネットとみなしても差し支え

ない気がする。生活詩の一つというわけだが,ともかく面白くて微笑を禁じ得

ない。Hambergerという人は詩も書く作家なのであろうか。

(9)

5.

1994年のイギリス詩の若干について

Drinking Brandy on Whitstable Beach

       (for Naomi and Tim)

As ifthis is what I was meant for and it s taken forever to find place and vocation.1 m swashbucking, hearty and fresh from the sea. Over

the sea−honed stones, exultant I crunch in my old−salt s boots. It s sure stones, sea s sting and brandy s burn that I love, sitting and swigging on a groyne that won t last;facing the music with a big globed glass in my gladly cold hand. Happy at last,

drinking brandy on Whitstable beach.

All those childhood years spent watching the men gargle the strong stuff and now I ve the art

of the fragile goblet, the magic draught:

two fingers either side the stem;

globe in palm;the lingering,

appreciative swirl and sniff before

the first sip, then the fire

in the throat〜fierce as a kiss・

OIcould make a career out of this,

drinking brandy on Whitstable beach.

Diana Hendry 30/April/1994

9

(10)

10 伊藤 武 久 ブイットステイブル浜のブランデー岬り    (ナオミとティムに捧げる)

まるでこのためにあるわたしみたい。まるで 永劫の果てに適所と天職を見つけたみたい。

わたし,意気揚々,元気澄測,

海から出たばかり。波が研いだ小石を,

欣喜雀躍,古物の海履きで踏み鳴らす。

ほんと,わたしの大好きなものは 小石と潮の刺激と

ブランデーの火傷。

海鳴りに向かって,嬉しい冷たい手につかむ 大型の胴太のグラス。

ようやく幸せです,

ブイットステイブル浜のブランデー岬り。

子どもだった昔,いつの年も男どもが 強い酒をひっかけるの見て過ごした。

そのわたしがいま,魔法の飲料,

あえかな高脚つきの酒杯の術を会得。

両の指をその脚の左右にあてがう。

掌中にその膨らみを包む。未練げに ほれぼれ揺すって,香りを嗅いで,やおら 最初の一すすり。すると火が

喉にたつ,接吻のように凶暴です。

ああ,これをしも女の一生の仕事にしたいもの,

ブイットステイブル浜のブランデー岬り。

THE 3PECZ4 TORは年にいくつかの特集をそれぞれ何度か企画す

(11)

       1994年のイギリス詩の若干について       11

る。春と秋とクリスマス三回の書評大特集(毎号が書評特集みたいな 雑誌であるから,ここでは大特集と言っておきたい)とTravel Spe−

cialとArt Specialと,それにWine Specialとである。つまり人生の 娯しみは雪月花よりはむしろ琴詩酒にあり,という主張が明白である。

そいう雑誌であるから,本詩のような女性による飲酒礼賛はplace and vocationを得ているのである。

6. Present Tense

You speak to me in tones of urgent angst:

Oh!Where s sellotape?Who had it last?

Iplace it gently in your sticky grasp・

You sigh a grateful sigh and mutter, Thanks.

1 mtrying to wrap my Christmas presents up・

We ve only got 190r so weeks left.

That isn t many shopping days. It s best To plan ahead then you don t come unstuck On Chrismas Eve.

       Idon t know what to say.

But wonder if you re like this very often,

Or victim of a powerful lunar pulL For if you live your whole life in this way We ll see you snugly tucked up in your coffin Agood ten years before your funeraL

Matt Harvey 7/May/1944

(12)

12 伊 藤 武 久

現在繋

あなたは,すは一大事みたいな口調でおっしゃる,

「セロテープはどこ。最後に使ったのは誰」。

わたしがそっとあなたの手に置くと 感謝の吐息ついてぼそぼそ,「すまない。

クリスマス・プレゼントをつつむんでね。

あと19週ぐらいしかないだろ。

買物には日数不足もいいとこだ。早めのプランが ベストさ。イブになって悲惨な目に

会わずにすむ。」

        返す言葉につまります。

でもまさか四六時中この調子なのかしら。

それともお月さんの強い力の被害者というわけ?

だって生涯このさきこんな風なら お葬式のたっぷり十年まえからあなたは ぬくぬく御入棺しておいででしょうから。

異常に気の早い,手回しのよすぎる旦那をもった新婦(?)のぼやきの戯詩。

この国の人たちはこうした軽詩が大好きである。この手のアンソロジーは目白 押しである。light verseという気軽さからくるのか,各行末の子音だけで韻を 踏んだことにしてすませているという変則。ただし,7行目の1音節不足,11 行目の1音節余り以外はすべて10音節であるから,これもこの国の詩人たちの 大好きなソネットである。

7. The New Gap

One time I d have said that wood had little

chance against stone. Until I noticed what

(13)

      1994年のイギリス詩の若干について

agrowing tree did to Patrick s wall I d

have said that wood was much like flesh and bone

13

and stood no chance when it came up against stone;but I was wrong and now where Patrick s

drystone wall once bulged with a belly not unlike his own there s a new gap for ewes

and lambs that wouldn t be there at all if

wood had stood such a poor chance against stone.

Francis Harvey 14/May/1994

新しい隙間

かつてのわたしなら木は石に勝てないと 言いかねなかった。太りつづける一本の木が バトリックのところの壁にしたことに気づくまでは 木は肉と骨によく似ていて石に挑んでも

勝てはしないと言いかねなかった。しかしわたしは 誤った。そしていまバトリックの石壁の

かつては持ち主のおなかに似ないでもなかった ふくらみに新しい隙間がうまれ木がもしも

石にはとても勝ち目がないとしたら思いもよらぬ所を 雌羊だの子羊だのが通り抜けている。

この二行五連の分かち書きをくずして十行にでも,あるいは何行にでも,つま

り散文行列に書き直せば,この詩は散文に戻ってしまいそうに一見みえる。だ

(14)

14 伊 藤 武 久

がその散文らしきものにはピリオドが二つとセミコロンが一つあるだけで,通 常の散文ならコンマがほしいところもコンマなしで書き伸ばされていることが わかる。尤,分かち書きにして,極端に句読点を排除したからといって,これ が右から左,詩に変身するとは限らないのは,散文を分かち書きにすれば,い つでもすぐさま詩になるものでないのと同様である。分かち書きの詩行を散文

らしく並べたり,あるいはすすんでパラフレーズしてみてたとえその原詩の表 現内容の情報量と同じものが得られたとしても散文は散文に過ぎず,詩は詩で あることを止めないのは,同じ情報量であっても原詩は散文やパラフレズの持 ちえないものを内包し,それを外に向かって発信するからである。散文化やパ ラフレーズ化が消しえないものを詩は持つ。この間の事情をThe New Gapも 窺わせてくれる。それがこの詩の手柄になっている。これはさしたる内容の詩 ではないにもかかわらず或名状しがたい良い味をもっているからである。その 意味あいのことをもっと上手に説いている文がある(註5)。

8. ln a Marlorcan Garden

An aestivating snail unwittingly was caught  in the firm crotch of a young and virile fig−tree.

How could the languid molusk know

 towards the end of a moist and wel1−meandered May That the choice of its asylum for the summer

 would spell retirement from the world of gastropods?

Lulled by the green shade of its sappy leaves  the snail slept as the loins of the f輌cus swelled.

And now, come late June in this Marjorcan garden,

 the snail like a captured pearl Is still oblivious to the tragedy of being

 and does not know that when the rains of autumn come

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1994年のイギリス詩の若干について

And its horns put out towards the beckoning drizzle,

 it might as well be a marble caracole.

Immobile, immortalised and held  in itS laSt CalCiC tWirl

Among the twisted mummies of Pompeii.

Paul Poche 4/June/1994

15

マジョル力島の庭で

一匹の夏眠蝸牛が迂闊にも,うら若く   精惇な無花果の二股に捕獲された。

怠惰な軟体動物の身としてどうして知り得よう,

  湿気盛んな,彷裡一途の五月の末つ方,

夏場の隠れ家選びの挙げ句が

  腹足動物界からの隠退を記すにいたるとは。

樹液豊かな緑なす葉蔭に寝かせつけられて

  蝸牛がまどろむその間にも果樹の腹は膨らんだ。

して,今はや六月下旬,このマジョルカ島の庭で,

  蝸牛は幽囚の真珠さながら

世にあることの悲劇をいまに失念したまま,

  秋の長雨がやがて到り,その誘いの細雨に向かって 角を出すも所詮大理石の螺旋物同様の境涯なのを知らない。

  よじれ石灰石の最後の姿で

不動,不滅,停止。ポンペイのねじれミイラの仲間入り。

前の詩では木が石を開いた。この詩では木が蝸牛を閉じ込める。この詩もまた

散文行列に直せるかに見えて,さて直せば詩の元も子も消えてなくなるという

類である。ただあれが平俗調であるのに比してこれは表現がいかにも凝ってい

(16)

16       伊藤武久

て,ものものしくあり過ぎさえする。

 9.    How else    No illusions?

   but how else to    blunder on what s    worth the finding    around the next    comer and is    no delusions?

      Gael Tumbull 16/July/1994

     却って    幻想あってこそ    却って,存外の近くで    掘出しものに

   まぐれ当りして,幻想が    妄想でないのを

   悟るのではあるまいか。

4音節7行の全20語の短詩。一つのうがちを眩いている。初句No illusions?

と結句No delusions?の対照に工夫があって,小気味よく,酒落たアフオリ

ズム詩である。

(17)

10.

1994年のイギリス詩の若干について

    lnsomnia

The moon woke me, the pocked and chalky moon that floods the garden with its silvery blue

and cuts the shadow of one leafy branch across this bed of ours as if on to bright snow.

The sky is empty. Street lights and stars are all extinguished. Still the moon flows in,

drowning old landmarks in a magic lake,

the chilly waters lapping at my pillow,

their spell relentless as this cold unhappiness in which I lie awake.

       Elaine Feinstein 23/July/1994

   眠られず

月で目覚めた。穴ぼこの,生白い月が 庭に銀の青を溢れさせ

茂り葉の一枝の影を刻んだ二人のベッドは さながらにきらめく雪しろ。

大空は空しい。街の灯も星もすべて 光を消した。ひそやかに月光は流れ入り 馴染みの立体たちを魔の湖に溺れさせ 肌寒い波が私の枕に打ち寄せる。

17

(18)

18

      伊 藤 武 久

それらの呪縛はこの寒い不幸に劣らず容赦なくて,

その中で私は目覚め横たわっている。

昼を欺く月光を浴びた寝室と窓外の描写はなかなかのものであり,明月の詠唱 に長けたのは何も万葉・八代集の歌人たちだけではないことを知るが,もちろ んこの詩の手柄は月光のように冷え冷えとした不幸の中の女性の感情が身にし みて感得できるまでに情景描写が高められている所にもとめられるべきであろ

う。

11.

    Hotel at the Bottom of the Night

In a hotel at the bottom of the night She stands by the bed, naked, hands on hips

While, knees jack−knifed to chin, the sheet stretched tight,

He stares at nothing. Next door a shower.rose drips.

Who are they?What will they do or speak of next?

And why to their alien fears and tediums

Have all your thoughts so brutally been annexed?

From floors below a coffee ordour comes.

Still there at dawn(you checked out lives before)

They part:for her, drawn blinds, the old migraine;

For him, the lakeside walk, the cafe door Framing a city smeared with wind and rain.

David Hartnett 30/July/1994

(19)

1994年のイギリス詩の若干について 19

夜の底のホテル 夜の底のホテルで

女は寝台脇に,裸で,両手を腰にたたずみ,

かたへの男は膝小僧顎に突きつけ,シーツを張り伸ばし,

虚空をにらんでいる。ドア隔ててシャワーの蛇口から漏れる水音。

二人は誰であろう。この次何をなし,何を語るのだろう。

そしてなぜ,無縁のかれらの心配,倦怠に こうも無残にあなたの思いは貼り付いたのだろう。

下の階からコーヒーの匂いが來る。

まだそこは暁明で(あなたはとっくに宿を出払った)

二人は別れる。女には,引いたブラインド,古い偏頭痛。

男には湖畔の散策,カフエーの戸口,

その枠の外には風雨に汚れたどこかの街。

この詩にも前の詩とおなじく不幸な男女がいる。しかし類似はそれくらいで,

両詩の醸す詩境はずいぶん違う。とりわけ顕著なのは視点の差異である。この 詩では第三者の宿泊者,人生という逆旅の宿泊者が不仲の愛人たちを観察して いる。透明人間のように側に寄り添い,超能力者のように自在に移動している。

しかし,それは高所からの,全能神の視点ではなくて,同じ痛みを持つ人間兄 弟としての視点である。

12.

Sea Sonnet

The sea is made of ponds−acairn of rain.

It has an island flirting up and down

like a blue hat. A boat goes in between.

(20)

2①       伊 藤 武 久

Is rnade of rills and springs−each waternode atiny subjectivity, the tide

coordinates their ends, the sea is made.

The sea crosses the sea, the sea has hooves;

the powers of rivers and the wier s curves are moving in the wind−bent acts of waves.

And then the softer waters of the wells and soakaways−hypostases of holes,

which swallow up and sink for seven miles;

and then the boat arriving on the island and nothing but the sea−like sea beyond.

       Alice Oswald 3/Sep./1994

   海のソネット

海のはじめは池たち 一 雨のケルン。

島一つ浮かび,上下に青帽子のように 揺れている。あわいを舟が行く。

はじめは小川たち,泉たち 一 めいめいの水の節(ふし)は 倭小な主観性で,潮がそれらの目的を

統合する,というのが海。

海は海と交差し,海は蹄をもつ。

川たちの力,堰たちの曲線が風折れの 波動のなかで動いている。

さてまた井戸たち,水穴たちのより柔和な

(21)

1994年のイギリス詩の若干について 21

水でもあった 一七マイル,飲み干し 沈む根幹の地穴の生まれ。

さてまたかの舟はかの島にたどり着き その先には海らしい海よりほかはない。

詩人は陸から沖の孤島を囲む海を見やりながら,内地の池や川や堰や泉や井戸 やらを思っている。読者は海の本質,海一般の属性を聞かされながら,一方で この海がどこかの特定の懐かしい近しい海であることを感じ取ることができる。

海の起こりは池たちであり,池は(したがって海は)雨の記念塚であるという 冒頭の一行からすでに魅力いっぱいの詩である。海,池,雨という液体とケル

ンという固体のイメージの衝突がかえって心地よい。総じて本詩の直喩・陰喩 は簡潔,適切であって,the sea has hoovesなどは波濤を叙してHomeric simile以上に直載である。題名にあるとおり,これもソネット(註6)。13行目だ

けが定式をはずれて1音多い11音節。(しかも,ここの字余りならぬ音余りが,

それ以前の4個の3行連を締めくくり,第1連の風景にたちかえる心の飛翔に よく合致している。)そして単音節語の多用が顕著であり,それは詩行に言う the wind−bent acts of wavesを彷彿させる。そして数少ない多綴語の3音節語 watemode, soakaway,4音節語coordinates, hypostases,5音節語subjectiv−

ityがあるいは新奇,あるいは難しげである印象のせいで,あたかも平易な平 仮名文のなかの唐突な若干の漢語のように,視覚的にも音声的にも際だった印 象をあたえている。押韻は第1tripletが[−n],第2が[−d],第3がLvz],

第4が[−lz],そして最後のcoupletが[−nd]というaaa/bbb/ccc/ddd/eee/ff 形式の変則子音押韻で,珍しい工夫である。

13.

Bulbs

Like an addict in need of supplies, I buy bags

and bags of them. They nuzzle each other

(22)

22

      伊 藤 武 久

inside the brown paper.1 ve a lust for them like a pregnant woman for a certain food.

Iset them out on the kitchen table. The raw light hurts them. They want to be snugged in the moist, dark bed. The root

of this daffodil is like several dead spiders.

This crocus is postmarked with a sma11・brown sun. They wear thread−bare vests of penci1−

shavings, darned with dark soil from their past earth lives. Some have a small white fang

at the tip. I don t want to plant them.1 d like to leave them, as candles keeping vigll in the night;hold one in my hand all winter,

forgo Spring s gaudy show of gold and keep

these rough and awkward hope−packed things.

3December 1994

球根たち

補給を欠かせない中毒者のように,わたしは 幾袋も幾袋も買ってしまう。かれらは体を寄せ合い 茶色の袋の中にいる。わたしの欲張りようは 特定のなにかの食べ物を求める妊婦と同じ。

台所のテーブルに中身を並べる。裸の光が

かれらをいたぶる。みんな,湿った暗い苗床で

(23)

      1994年のイギリス詩の若干について 安穏としていたいのに。この黄水仙の根は 数匹の死んだ蜘蛛に似ている。

このクロッカスには小さく,茶色に,太陽局の消印が ついている。みんな鉛筆木屑のよれよれチョッキを着て 昔の土中生活の黒土でかがってある。なかには小さい

白い牙を頭から出したのもいる。

わたしはかれらを植えたくない。むしろかれらを 不寝番する蝋燭みたいに放置し,その一つを 冬中この手に握りしめ,佐保姫の派手な金の 装いなどこころにかけず,これら粗野,不格好な 希望詰めたちを手放さずにおきたいものだ。

23

作者不詳詩ではじめたこの文章を,もうひとつの作者不詳詩でしめくくる。そ ういう人がいても決して不思議とは思わないが,やはりそれでもそういう考え をもつこと自体は不思議に思えるということは有り得るのであり,これはそう いう人の詩である。そして作者のその感慨に同調や共感をつい覚えてしまうよ う人々を仕向ける力をもった詩でもある。その力の発揮に巧みな直喩・暗喩が 貢献している。

14.たかだか60幾つ,そのなかから勝手に選んで訳出した12篇から,現代イ ギリス詩の動向・趨勢などもちろん窺えるはずのものではないが,あえて明言

してさいつかえなかろうと思われる二三を言えば,一つ目はイギリス詩檀では アマチュアや半玄人の出番はないらしいということ(註7)。これは第二点目の,

本誌であれ他紙・他誌であれ,登載される詩は数を圧して定型詩であるという

不動の伝統につながるものがある。同じ定型詩といっても,五七五と季語,あ

るいは五七五七七に気を配れば小学生でも気の利いた詩人になりえる日本とは

ちがって,定型であれ自由形式であれ英語は簡単には詩になってくれないもの

(24)

24 伊 藤 武 久

であるらしい。イギリスの専門詩人たちが非常な程度定型詩を試みているのは,

日本の(俳句・短歌でない)現代詩がむやみに自由詩形であるのと好対照であ・

る。イギリスにおける定型詩の伝統の深さとかその呪縛力の強さを考えるより は,詩人たちが自由詩形の中では自己の詩世界がしどけなく放散しかねないの を恐れて,行数や韻律の他律の力によって,詩精神の自律を図るのを選ぶのだ と考えたい。形式は内容を縛りおおせるものではなく,また詩精神はどんな形 式の制約があっても,広大無辺に飛翔できるものであることを知っているので あろう。日本の偉大な短詩形詩人たちと同じく,かれらは「形式というものが,

いかに深く内容そのものである(註8)」かを知っているのであろう。ついでに,

形式のことを言えば,THE 8PECTA TORには40行,50行を越える長詩は本 年度はなかった。雑誌の紙幅の制限によるものであろう。

(註1)「スペクテイター誌の最新の詩について(1)」,久留米工業高等専門学校紀要  第1巻第2号,昭和61年3月。「スペクタイター誌の最新の詩について(2)」,久留  米工業高等専門学校紀要第2巻第1号,昭和61年9月。

(註2)選者名は明記されたことがないが,同誌に7年来今も毎月1回,Lφαη∂Lετ一   ♂という全1頁文芸エッセイを書いているP.J. Kavanaghが担当者であるらしく匂  わせた記事を読んだ記憶がある。

(註3)たとえば,The Oxford Book of War Poetryなど。

(註4)新墾路(にいばりみち)の切畑(きりはた)に,

 赤ら橘葉がくれにほのめく日なか,

 そことも知らぬ静歌(しずうた)の美(うま)し音色に,

 目移(めうつ)しの,ふとこそ見まし,黄鶉(きびたき)の  あり樹の枝に倭人(ちいさご)の楽人(あそびお)めきし  戯(ざ)ればみを。尾羽(おは)身がうさのともすれば,

 葉の漂(ただよ)ひとひるがえり,

 離(ませ)に,木(こ)の間に,一これやまた,野の法子児(ほうしご)の  化(け)のものか,夕寺深(ゆうでらふか)に声ぶりの,

 読経や,…・

  薄田泣董「ああ大和にしあらましかば」第二節一部

(註5) 「あの合理主義者正岡子規出さえ,その句で最も人口に槍矢しているのは{い

 くたびも雪の深さを尋ねけり}や{鶏頭の十四五本もありぬべし}であったことは面

 白いことです。これらの句は散文に置きかえて見れば何の変哲もない眩き,断片語に

(25)

1994年のイギリス詩の若干について 25  すぎません。しかもその言葉づかいは原句とほとんど変わらないはずです。だからこ  そ,逆に原句との間の落差に驚かされるのです。原句とその散文的パラフレーズが,

外形では一見ほとんど変わらないように見える分だけ,パラフレーズした際に消え  去ったものの何というべきか,理不尽な消え去り方に驚かされるのです。」

 大岡信 「一九〇〇年前夜後朝謹」岩波書店1994年,125頁。

(註6)ちなみに本稿の土台にした6篇中,ソネットは12,全体の約2割であった。こ  れは偶然であるはずはない。

(註7)㎜5PECTI4 TORにも読者投稿文芸欄があって,あたえられたテーマ,形  式に従って一般読者が文苑に毎号参加できるよになっており,しかも競われるのは圧  倒的に戯詩である。1994年11月26日号で1870回,つまりざっど計算して34年続いてい  るのだが,この欄を注意して読んでいるうちにわかるのは,投稿者が限られた常連の  少数であるという事情である。短詩が求められているといっても,日本の新聞雑誌に  殺到する素人歌人・俳人の賑わいにくらべればものの比較にはならない。

(註8)大岡信,前掲書197頁

参照

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