フェリアの変貌 : スペイン,エストレマドゥーラ の家畜・産業・祝祭市
著者 黒田 悦子
雑誌名 国立民族学博物館研究報告
巻 15
号 4
ページ 917‑941
発行年 1991‑03‑28
URL http://doi.org/10.15021/00004273
黒 田 フ ェ リア の 変貌
フ ェ リ ア の 変 貌
ス ペ イ ン , エ ス ト レ マ ド ゥ ー ラ の 家 畜 ・産 業 ・祝 祭 市
黒 田 悦 子 *
The Transformation of the Ferias : Ferias of Livestock, Agri-pastoral Industrial Products, and Festive Events
in a Town of Southern Extremadura
Etsuko KURODA
In the history of Spain some ferias have disappeared while others have survived. The former are represented by the feria of Medina del Campo in Castilla and the latter by the feria of Sevilla. This grand Andalusian city shows us how the feria can survive in a century in which peoples' dependence on agri- pastoral work tends to decrease. In the middle of the 19th century Sevilla initiated a feria-fiesta to add to her original feria of livestock, and as time went on in the 20th century, the feria- fiesta came to supersede the feria of livestock.
The town of Zafra in the province of Badajoz, Extremadura innovated around 1966 her centuries-old feria after the model of the Sevillan feria-fiesta, although maintaining her feria of livestock. As a result, in the 1980s the ferias of this town showed delicate combinations of ferias of livestock, agri-pastoral in- dustrial products, and festive events.
On the 1st and 15th day of each month livestock market is held for small scale buyings and sellings of livestock, especially
Iberian pigs. Livestock owners and merchants gather at a bar in the center of the town and go to the corrals to conclude their business.
At the ferias of Mocos (Feb. 3) and San Pablo y San Pedro ( June 29), horses, mules, and donkeys, usually owned by Gypsies, are sold through Gypsy mediators called tratantes or corredores.
However, these ferias of livestock have been declining since the
* 国立民族学博物館第 4研究部
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国立民族学博物 館研究報告 15巻 4号 1960s when the "miraculous" economic development of Spain
reached even this southern rural region.
At the feria of San Miguel, the biggest feria of the town in October, we may witness since the 1966 innovations many festive events and a large-scale exhibition and sale of agri- pastoral industrial products in addition to the now disappearing feria of horses, mules, and donkeys in which Gypsies participate.
As the above description suggests, Gypsies were and still are involved in the ferias as sellers and mediators of livestock. They participated in the ferias also as theatrical and rodeo performers, and a few still come as street performers. A series of ferias in this part of Southern Extremadura seems to have constituted a cycle, consisting of Fregenal de la Sierra—Llerena—Zafra—
Merida and concluded by the Gypsy pilgrimages to Fregenal de la Sierra to which also the non-Gypsies of the province pay visits. This pilgrimage to Fregenal since around 1969 has in-
creased in importance as a meeting place for the Gypsies who had ceased to visit the towns of ferias since the 1960s.
は じ め に
1. フ ェ リア の モ デ ル メ デ ィ ー ナ ・デ ル ・ カ ン ポ と セ ビ ー リ ャ
2. サ フ ラ の フ ェ リア 1) そ の 由 来
2) 現 在 の フ ェ リア (1981−82, 1989年 ) いち
(1) 毎 月 1 と 15の 日 の 市 (メ ル カ ー ド)
(2) 鼻 水 の フ ェ リア (2月 3 日 ) (3) サ ン ・ペ ド ロ と サ ン ・パ ブ ロ の フ ェ リ ア (6.月 29日 )
(4) サ ン ・ ミゲ ル の フ ェ リア (10.月 第 1 週 , 第 2週 )
3. ジ プ シ ー の 参 加 に つ い て あ と が き
は じ め に
ヨ ー ロ ッパ の 中 世 ・ル ネ ッサ ン ス 期 と そ れ 以 降 の 民 衆 文 化 に 特 徴 的 な 風 景 の 一 つ に フ ェ リ ァ (定 期 市 ) が あ っ た 。 家 畜 や も ろ も ろ の 物 品 の 売 買 , 露 天 , 物 売 りの 声 , 大 道 芸 人 な ど , そ の 時 代 の 風 俗 が 生 々 と 姿 を 現 わ して い た 。 こ の 姿 は 今 は ど こ へ 行 っ て
し ま っ た の だ ろ う か 。
ス ペ イ ン の エ ス トレ マ ド ゥー ラ南 部 の バ ダ ホ ス 県 (地 図 2) に は フ ェ リ ア の あ る 町 が 点 々 と 存 在 して い る。 特 に , フ レ ヘ ナ ル ・デ ・ラ ・シ エ ラ, ジ ェ レ ー ナ , サ フ ラ,
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黒 田 フ ェ リア の変 貌
1.フ ェ リア の コ ー ナ ー (1981− 82年 ) 2.赤 1・._f.
3.公 認 屠 殺 所 4.交 易 所 5.老 人 セ ン タ ー 6.病 院
7.治 安 警 備 隊 駐 屯 所
8.カ ン デ ラ リ ア 教 会 (教 区 教 会 ) 9.田∫f斐ζ上易
zo.公 爵 の 城 (町 役 場 所 布 )
11.サ ン タ ・マ リ ー ナ 教 会 ユ2.サ ン タ ・ ク ラ ラ 修 道 院 13.サ ン タ ・カ タ リ ー ナ 教 会 ヱ4.市 場
】5 サ ン テ ィ ア ゴ 修 道 院 16 小 プ ラ サ
17.大 プ ラ サ is.ロ サ リ オ 教 会 19.カ ル メ リ ー タ 修 道 院 20.エ ス パ ー ニ ャ 広 場 (プ ラ サ )
21.垂!≦f更 ;司 22.公 園 2.,.〔朔 !{一楊
24.サ ン ・ ミ ゲ ル 教 会
2y.サ ン ・フ ラ ン シ ス コ 教 会 の 廃 嘘 26.フ ッ ト ボ ー ル 場
27.墓 地
多 勿 セ ビー リヤ街 ご 殉 粗 咽 郭 都 τ{】吝【1
、鯛臨一ρ
A フ ェ リア の 敷 地 (1989t{一)
B フ ェ リ ア の 遊 戯 場 (1989s .) C J 場 誘 致 の た め の 敷 地 (1989で1り
地 図 1 町 の 空 間 配 置
エ ス ト レ マ ド ゥー ラ の 日 の パ ン フ レ ッ ト, Croche [1980:64 RecintoAm urallado],Vivas T abero [1901:Plano dela Ciudad] を 元 に 作 成 。
メ リダ の フ ェ リア は大 きな もの と され , そ れ らを見 聞す る と, フ ェ リァ が時 代 の流 れ と と もに 変 貌 して きた こと が読 み とれ る。 端 的に い う と, フ ェ リア と い え ば欠 か せ な か った家 畜 市 の姿 が 減少 し, 替 わ りに 産業 物 産市 と祝 祭 の 場 と して の様 相 が 増 えて き た の で あ る。 そ の よ うに変 貌 しな けれ ば フ ェ リア は存 続 しえ な か った , とい う のが 現
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国立民族学博物館研究報告 15巻 4号 実 で あ った で あ ろ う。
そ の よ う な 変 貌 と , そ の 結 果 と し て あ る現 在 の フ ェ リア の 姿 を サ フ ラ の 町 を 例 に し て 紹 介 して み た い 。
サ フ ラ の 人 々 は 町 の 旧 区 画 内 の 中 心 に あ る小 プ ラサ (広 場 ) (地 図 1−16> に 来 る と , そ こが 昔 の フ ェ リア の 場 で あ っ た こ と , そ して フ ェ リア の 由 来 が 中 世 に ま で 遡 る こ と
を 語 る 。 そ して , 旧 区 画 外 の 広 々 と した 空 間 に 見 え る フ ェ リア 用 の 敷 地 (地 図 1−A , まちびと
B) を 指 差 して は , 1966年 を 境 に 町 人 の 努 力 で 旧 来 の フ ェ リァ が エ ス ト レ マ ド ゥ ー ラ 地 方 随 一 の フ ェ リ ア に 発 展 した こ と を 誇 りに す る。 確 か に , こ の 活 性 化 は 偉 業 と も い え よ う。 こ の 地 方 の 多 くの 町 が 過 疎 で 悩 む な か で , サ フ ラ は 商 業 活 動 で 活 気 を 持 ち , 大 き な フ ェ リア の あ る 立 派 な 町 と して 近 隣 で 認 め られ て き た か らで あ る。
の
そ れ で は , こ の フ ェ リア の 活 性 化 は 町 人 の 自 前 の 発 明 で あ っ た の だ ろ う か 。 発 明 に は 必 ず と い って い い 程 , 前 例 と な る失 敗 例 と 成 功 例 が あ る も の だ が , サ フ ラ の 町 の 場 合 も そ の 例 外 で は な い 。 ス ペ イ ンの あ ち こ ち で 起 こ っ た フ ェ リ ア の 没 落 は 失 敗 例 で あ り う る し, サ フ ラの 近 くの 最 大 の 都 市 セ ビ ー リャ の フ ェ リア は 成 功 例 と して 町 人 の 注 目 を 惹 い て き た 。 こ の よ う に 反 面 教 師 と な る 前 例 や 模 範 と す る 前 例 が あ っ て こ そ , サ フ ラ の 人 々 も 比 較 的 容 易 に , そ の フ ェ リア を 活 性 化 し え た の で あ ろ う。 反 面 教 師 に つ い て は 町 人 は 具 体 的 に 町 の 名 を 挙 げ な い 。 そ こで , 私 は ス ペ イ ン 史 上 の 最 大 の 没 落 例 と し て メ デ ィー ナ ・デ ル ・カ ン ポ の 例 を 挙 げ て , フ ェ リア が 衰 退 して い く典 型 例 を 紹 介 して み よ う。 模 範 例 と な る の は セ ビ ー リ ャで あ り, そ の こ と は 町 人 が 自 分 の 町 の こ と を 「小 さ な セ ビ ー リ ャ」 と よ び , 町 の フ ェ リ ア に つ い て 語 る 度 毎 に セ ビ ー リ ャ の フ ェ リア を 引 き 合 い に 出 す こ とで も 明 らか で あ る。 そ こで , 本 稿 の 第 一 章 で は メ デ ィ ー ナ ・デ ル ・カ ン ポ と セ ビ ー リ ャ の フ ェ リア の 辿 っ た 道 を 追 っ て み よ う。
第 二 章 で は , セ ビ ー リ ャ の フ ェ リア を モ デ ル に し て , 1966年 を 境 に して 変 貌 を と げ て き た サ フ ラ の フ ェ リ ァ の 現 状 を 記 述 し た い 。 資 料 は 1981年 12月 一82年 9月 末 と 1989 年 10−11月 に 私 が 見 聞 し た 事 実 に よ って い る 。 町 の フ ェ リア の 由 来 を 確 か め , 現 在 の 町 で 催 さ れ る 四 つ の フ ェ リ ア (一 つ は メ ル カ ー ドと 称 さ れ る が ) を 記 述 す る こ とで ,
フ ェ リ ア の 変 貌 の 諸 相 が 自ず と 明 らか に な る だ ろ う 。
第 三 章 で は , ジ プ シ ー の フ ェ リア へ の 参 加 に つ い て の べ た い 。 こ の 地 方 の フ ェ リ ア に は 家 畜 仲 介 人 と して の ジ プ シ ー の 参 加 が 不 可 欠 で あ っ た か らで あ り, ま た , こ の 地 方 の 一 連 の フ ェ リア の 締 め く く り と して ジ プ シ ー 中 心 の 巡 礼 が あ り , そ れ に 普 通 の 町 人 も参 加 す る と い う 事 実 が あ る か らで あ る。
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黒 田 フ ェ リアの 変 貌
1. フ ェ リ ア の モ デ ル
メ デ ィ ー ナ ・ デ ル ・ カ ン ポ と セ ビ ー リ ャ
メ デ ィ ー ナ ・デル ・カ ン ポ は ス ペ イ ン 中 央 部 の カ ス テ ィ ー リ ャ ・レ オ ン 地 方 の 町 で あ り, 人 口 は 15,000人 程 で , サ フ ラ の 町 よ り寂 れ た 風 貌 の 町 で あ る 。 しか し, こ の 町 は 15世 紀 中 頃 に は カ ス テ ィ ー リ ャの 代 表 的 な 定 期 市 の 立 つ 町 と し て ス ペ イ ン の み な ら ず ヨ ー ロ ッパ に も そ の 名 を 知 ら れ て い た 。 さ ら に , メ デ ィ ー ナ ・デ ル ・カ ン ポ は メ ス タ (牧 場 主 組 合 ) の 移 牧 経 路 上 の 町 で もあ り, ブ ル ゴ ス と 並 ん で ヨ ー ロ ッパ 向 け の 羊 毛 の 集 散 地 と して 重 き を 成 して い た [K LEIN l 979:120,348]。 し か し , 16世 紀 の いち 初 め に 国 の 経 済 の 中 心 が マ ド リ ー ドに 移 っ て か ら は メ デ ィ ー ナ ・デ ル ・カ ン ポ の 市 は 衰 退 し始 め , 同 世 紀 末 に は , そ の 黄 金 時 代 は 既 に 過 去 の も の と な って い た , と い わ れ る [E肌 IoTT l965:39,125,371−372]。 そ れ で も, 17世 紀 末 ま で は 市 の 重 要 性 を 維 持 して い た が , 19世 紀 後 半 に ま た も や 変 化 を こ う む る こ と と な っ た 。
19世 紀 に は 家 畜 市 が 主 体 で あ る サ ン ・ア ン ト リ ン の フ ェ リ ァ が 残 っ て い た 。 1860年 に バ リ ャ ド リー ドか ら鉄 道 が の び て き た の で , そ れ と 共 に 啓 蒙 主 義 の 気 運 が こ の 町 の 指 導 者 層 に も 及 び , 町 の 改 善 が 計 画 さ れ た 。 そ こで , サ ン ・ア ン ト リ ン の フ ェ リ ア を 補 強 す る こ と も 計 画 の 一 部 と な り, 1887年 に は サ ン ・ア ン トニ オ ・デ ・バ ド ゥ ア (縁 日 は 6月 13−15日) の フ ェ リア が 創 ら れ た 。 家 畜 ,木 材 ,果 物 な ど の 売 買 を 主 と し た フ ェ リ ア で , 鉄 道 と 道 路 が 開 け た お 蔭 で , サ ラ マ ン カ , ア ビ ラ, バ レ ン シ ア , サ モ ラ
(以 上 は 80 km 以 内), バ リ ャ ド リー ド (40 km 以 内) 方 面 か ら人 が 集 ま っ た 。 こ の 市 の 盛 況 は 1895年 頃 ま で 続 い た 。 しか し, 第 一 次 大 戦 後 に , 農 業 の 機 械 化 が 進 み , カ ス テ ィ ー リャ 地 方 の 農 業 面 の 統 合 が 始 ま り農 業 人 口 が 減 っ て く る と , 家 畜 市 を 中 心 と す る フ ェ リア の 重 要 性 は 薄 れ , 1950年 代 に は サ ン ・ア ン トニ オ ・デ ・パ ド ゥ ア の フ ェ リ ア は 廃 止 さ れ て し ま っ た 。 現 在 で は , こ の フ ェ リア の 名 残 と して 6月 13日 の 前 後 に 3 日 間 に 渡 って 祭 り と 闘 牛 が あ る だ け に な って し ま っ て い る [LORENZO SANZ 1986:565−566]o
つ ま り , メ デ ィ ー ナ ・デ ル ・カ ン ポ の 人 々 は 19世 紀 の 変 動 に は 耐 え た が , 1950年 代 に 起 こ っ た 人 口 の 農 業 離 れ に は 成 す す べ を 持 た な か った の で あ る 。 こ の 間 の 事 情 に つ い て は , こ の 有 名 な 町 が 出 版 し た 分 厚 い 町 史 も 詳 しい 情 報 を の せ て い な い 。 1950年 代 と い え ば , ス ペ イ ン の 商 業 発 展 が 軌 道 に 乗 り, 60年 代 に 起 こ る 奇 跡 の 発 展 へ の 助 走 が 始 ま っ た 年 代 で あ り , こ の 年 代 に 農 牧 民 を 対 象 と す る 従 来 の フ ェ リア が 衰 退 し た
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国立民族学博物館研究報告 15巻 4号 の は大 い に あ り う る こ と で あ る。
そ の よ う な 旧 来 の フ ェ リ ア の 限 界 を 早 々 と 察 知 し, 古 い フ ェ リァ を 手 直 し し, 新 し い 形 に しつ ら え た の は セ ビ ー リ ャ の 町 で あ っ た 。 こ の ア ン ダ ル シ ー ア 最 大 の 都 市 の フ ェ リ ア の 起 源 は 1292年 に 遡 る が , 現 在 そ の 名 が 知 ら れ て い る 4月 の フ ェ リ ア (祭 日 は 19−21日) は 1847年 に 始 ま った 。 こ の 年 の フ ェ リア は 未 だ 農 業 と 家 畜 を 中 心 に した も の で あ り, 競 馬 , 闘 牛 , 家 畜 の コ ン ク ー ル が 主 な イ ヴ ェ ン トで あ っ た 。 しか し, 翌 年 に は 三 つ の カ セ タ (小 屋 )が 作 られ , そ こ で 踊 り飲 食 す る 人 が 現 わ れ た 。 そ れ か ら 6年 経 っ た 1853年 の フ ェ リ ア を 描 い た 絵 が 残 って い る が , こ れ を 見 る と カ セ タ が あ る。 三 角 屋 根 の付 い た 家 の 枠 に 天 幕 を と り 付 け た もの で , 入 口 に は ド レ ー プ の あ る 布 が 付 け て あ り, 中 で は狭 い と こ ろ に 人 が ひ し め い て い る 。 現 在 の カ セ タ と 余 り変 わ る と こ ろ は な い 。 た だ 人 物 は 異 な り , 正 装 した 紳 士 が 見 え る 。 女 性 は 現 在 と 同 様 で , セ ビ リ ャ ー ナ (セ ビ ー リ ャ風 )と よ ば れ る ダ ン ス 服 を 着 て 扇 を 持 っ て い る [RODRIGUEZ BECERRA 1984:731−734]0
1850年 代 か ら19世 紀 末 ま で に は フ ェ リア の 祝 祭 面 が 徐 々 に 強 ま って い く。 1850−60 年 代 に セ ビ ー リ ャ周 辺 に 鉄 道 網 が 延 び , 往 来 が 便 利 に な っ た の で , フ ェ リ ア へ の 入 出 が 増 え , 劇 と踊 り と 闘 牛 が も て は や さ れ , カ セ タ の 数 が 増 加 した 。 1864年 に は 初 め て 花 火 が 打 上 げ ら れ , ガ ス 灯 が 街 路 に 姿 を 現 わ し た 。 1870年 代 に は 祝 祭 的 要 素 が 一 段 と 増 え , 1880年 代 に は フ ェ リ ア は 聖 週 間 と 並 ん で セ ビ ー リ ャ の 二 大 イ ヴ ェ ン トと し て 名 を 馳 せ た 。 そ し て , 19世 紀 か ら20世 紀 に な る と , 過 度 の 祝 祭 的 雰 囲 気 の た め に , フ ェ
リ ア が 元 々 は 家 畜 市 で あ っ た こ と が 忘 れ られ る こ と も あ っ た [COLLANTES DE TERAN DELORME 1981]a
1937−46年 に は 市 民 戦 争 と 第 二 次 大 戦 の 煽 り を 受 け , フ ェ リ ア は 縮 小 さ れ , 元 々 の 家 畜 市 に 戻 っ て し ま っ た 。 ち な み に , 市 民 戦 争 が 終 わ っ た 1939年 に は フ ェ リ ア の 祝 祭 面 は 禁 止 さ れ て い る 。 こ う して 低 迷 を 続 け て い た が , 1947−56年 に は 祝 祭 面 が 戻 っ て き て , 賑 や か に な っ た 。 1956年 に は フ ラ ン コ総 統 が セ ビ ー リ ャ を 訪 問 し, フ ェ リア が 華 々 し く催 さ れ た [GOLLANTES DE TERAN D ELORME 1982;65−134]。 そ れ 以 降 , フ ェ リ ア は 家 畜 市 と して の 重 要 性 を 徐 々に 失 い , 年 々 祝 祭 性 が 多 くな り, ア ン ダ ル シ ー ア を 代 表 す る 春 の 祭 典 と な っ て き た 。
さ て , こ の セ ビ ー リ ャか ら 北 に 約 120km の と こ ろ に 位 置 す る サ フ ラ は 常 に セ ビ ー リ ャ を 意 識 して き た 町 で あ る。 こ の 町 の 周 辺 で も農 牧 業 の 機 械 化 と合 理 化 が 進 み , 1950−60年 代 に は 家 畜 に 重 き を 置 い た の で は フ ェ リ ア の 活 気 を 維 持 で き な くな り,人 々 は セ ビ ー リ ャ の フ ェ リ ア を モ デ ル に して 町 の フ ェ リア を 活 性 化 す る こ と を 考 え 始 め た 。
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黒 田 フ ェ リア の 変貌
町 人 の この 意 向 は 町政 の諮 問 委 員 を通 じて 町役 場 に 伝 わ り, 町 役 場 は フ ェ リア の 改革 案 を練 り始 あた 。 郷 土史 家 の意 見 も参 考 に され た こと は い うまで もな い 。 そ の 努 力 は 1966年 に 実 を 結 び ,今 日 の盛 大 な フ ェ リア を招 来 す る端 緒 と な った。
2. サ フ ラ の フ ェ リ ア
1) そ の 由 来
いち こ の 町 の フ ェ リア の 起 源 は 14世 紀 に 遡 る 。 1380年 に フ ア ン 1世 が 一 週 間 の 市 を 許 可
した の が 始 ま りで , 1395年 に は エ ン リケ 皿 世 に よ り サ ン ・プ ア ン (祭 日 は 6月 24日)
の フ ェ リア が 許 可 され た 。 と こ ろ が , 1453年 に は フ ア ン II世 に よ り サ ン ・ ミゲ ル (祭 日 は 9月 29日) の フ ェ リ ァ が 6 日 間 許 可 さ れ , こ れ が サ フ ラに 定 着 して い っ た 。 と は い え フ ェ リア の 許 可 は 為 政 者 の 思 惑 に 左 右 さ れ る の が 常 で , 1489年 に は カ ト リ ッ ク両 王 が サ フ ラの フ ェ リア を 禁 止 し た , と 思 う と , 翌 1490年 に は そ の 再 開 が 認 め ら れ た 。 イ サ ベ ラ女 王 の 死 後 , 政 情 不 安 は あ っ た が フ ェ リア は 生 き続 け , 1510年 に は 女 王 の 後 継 者 で カ ス テ ィ ー リ ャ の 女 王 プ ア ナ か ら フ ェ リア の 特 許 が 与 え ら れ た 。 そ し て , 1709年 に は フ ェ リペ V 世 に よ り フ ェ リ ア を 永 続 さ せ る こ と が 確 認 さ れ た [CROCHE DE ACUNA 1981a]o
フ ェ リ ア へ の 参 加 者 や 商 わ れ た 品 目 に つ い て の 詳 細 は 不 明 で あ る が , 17, 18世 紀 に つ い て は 少 し情 報 が あ る。 近 隣 は む ろ ん の こ と , シ ウ ダ ・レ ア ル , ト レ ド, カ ン ポ ・ デ ・カ ラ トラ ー バ (ラ ・マ ン チ ャ地 方 の シ ウ ダ ・ レ ア ル と バ ル デ ペ ー ニ ャ ス の 間 に 広 が る 旧 カ ラ ト ラ ー バ 騎 士 団 の 土 地 ) の よ う な 遠 方 か ら 参 加 す る人 が あ り , 珍 し い 貴 重 品 と 家 畜 が 主 に 商 わ れ た 様 子 で あ る。 ま た , ポ ル トガ ル か ら 黒 人 奴 隷 が 運 び こ ま れ , 17−18世 紀 に は 何 人 か の 黒 人 が サ フ ラ に 居 た と さ れ て い る。 そ して , 20世 紀 に な る
と 家 畜 が フ ェ リア で 重 要 性 を 高 め た , と 郷 土 史 家 は の べ て い る [CRoc且E DE ACUNA 1981b:171−177]0
こ の 史 家 の い う 家 畜 と は 馬 , ラバ , ロ バ な ど ジ プ シ ー が 扱 う 運 搬 用 家 畜 と 牛 , 豚 , 羊 な ど の 食 肉 用 家 畜 の 両 方 に 言 及 して い た と , 私 は 思 う。 彼 は 特 記 して い な い け れ ど も , こ の 区 別 は 後 程 か な り重 要 に な っ て く る 。 20世 紀 に な っ て , 時 と 共 に 農 業 の 機 械 化 が 進 み , 汽 車 や 自動 車 な ど の 交 通 機 関 が 地 方 に 及 ぶ に つ れ , 運 搬 用 家 畜 の 重 要 性 は 減 少 し, フ ェ リア で 売 買 さ れ る 数 が 減 っ て き た 。 こ の 変 化 は サ フ ラ周 辺 で は 1920−30 年 代 か ら始 ま り , 1950−60年 代 に は 加 速 度 的 に な り, そ れ に つ れ て ジ プ シ ー の 家 畜 仲 介 人 (corrcdor と か tratante と 称 さ れ る) の 重 要 性 も 減 っ て い っ た 。 こ の ま ま で は 923
国立民族学博物館研究報告 15巻 4号 家 畜 市 は 消 え て い く は ず で あ る が , そ う は な ら な い。 何 故 な ら, 食 肉 用 家 畜 の 方 は 需 要 が 減 る こ と は な く, 美 味 で 知 ら れ る 黒 足 の イ ス パ ニ ア 豚 を は じ め と す る エ ス ト
レ マ ド ゥ ー ラ の 家 畜 は バ ダ ホ ス 県 や そ の 他 の 国 内 市 場 で も競 争 力 を 持 っ て い る か ら で あ る 。 だ か ら, 家 畜 と い っ て も食 肉 用 家 畜 の 市 場 と い う役 割 を 生 か して い く こ と で ,
フ ェ リア の 家 畜 市 は 存 続 し え た の で あ る。
運 搬 用 家 畜 の 重 要 性 が 減 っ た の は , よ り大 き な 社 会 変 化 の 波 の 一 端 で あ っ た 。 農 村 で は 機 械 が 男 の 仕 事 を 段 々 と 奪 い , 男 手 が 大 量 に 要 る仕 事 と い う と , 秋 の ぶ ど う の 採 り入 れ と オ リー ブ の 刈 り 取 り に な っ て し ま っ た 。 乗 用 車 は 1930年 代 に 初 め て 町 に 現 わ れ , 年 々 増 え , 入 々 の 距 離 感 が 変 わ っ て い っ た 。 ま た 1.950−60年 代 に は ラ ジ オ と テ レ ビが 普 及 し, 人 々 の 娯 楽 の 有 り方 を 徐 々 に 変 え て い き , 以 前 に カ ト リ ッ ク の 祝 祭 暦 が 町 人 に 対 して 持 っ て い た 重 要 性 が と み に 落 ち て き た 。 そ して , 祝 祭 暦 の 一 部 を 成 し て い た フ ェ リ ア も 旧 来 の 姿 で は 町 人 の 関 心 を 惹 か な くな っ た 。
そ こ で , フ ェ リア の 改 変 が 町 政 の テ ー マ と な り , 町 政 諮 問 委 員 が 選 ば れ , あ れ こ れ 議 論 を した 末 に , セ ビ ー リ ャ を 見 習 う が 家 畜 市 を 維 持 し大 切 に す る と い う方 針 が つ く
ら れ , 1966年 に 実 施 さ れ た 。 こ れ 以 降 の フ ェ リア は 「サ フ ラ の 町 の フ ェ リア 」 と よ ば ず , 「エ ス ト レ マ ド ゥ ー ラ地 方 随 一 の フ ェ リア 」 と 銘 打 ち, 年 々 そ の 規 模 を 大 き く し て き た 。 そ れ は 家 畜 市 中 心 か ら家 畜 ・産 業 ・祝 祭 市 へ の 転 換 で も あ っ た が , 新 旧 両 方 の フ ェ リ ア の 姿 が 見 え 隠 れ す る と こ ろ が 興 味 深 い 。 そ こで , 1980年 代 に 私 は こ の 町 の フ ェ リ ア を 見 聞 す る こ と に な っ た の で , 以 下 に 各 フ ェ リア を 記 述 し, 新 旧 折 衷 の 現 今 の フ ェ リア の 実 態 を お 伝 え し た い 。
2) 現 在 の フ ェ リ ア (1981−82, 1989年 )
以 下 に 記 す フ ェ リ ア の 内 , (1)一(3)は1981−82年 に 見 聞 し, (4)の 一 番 大 き な フ ェ リア は 1989年 の 秋 に 目 に し た も の で あ る 。 見 聞 の 時 間 差 は 厳 密 に い う と 気 に な る こ とで あ る が , 1980年 代 の 一 般 的 傾 向 を 伝 え る も の と 考 え て ほ し い 。
いち
(1)毎 月 1 と 15の 日 の 市 (メ ル カ ー ド)
いち
毎 月 1 日 と 15日 に 市 が 立 つ 。 こ れ は フ ェ リア で は な く メ ル カ ー ドと よ ば れ て い る。
小 規 模 の 家 畜 の 売 買 が 目 的 で , 関 係 者 は エ ス パ ー ニ ャ広 場 (地 図 1−20) に 面 し た サ ロ ン ・ロ メ ロ と い う バ ル (バ ー と 喫 茶 店 の 混 合 形 ) に 集 ま る 。 こ の 広 場 は 1965年 ま で 秋 の フ ェ リア が 開 か れ て い た 場 所 で あ る が , 今 は 公 園 に な っ て い る。 サ ロ ン ・ロ メ ロ は フ ェ リア の 場 が 町 の 外 (地 図 1−1, A , B)に 移 さ れ た 後 も名 声 を 失 わ ず ,格 の 高 い 社 交
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黒 田 フ ェ リア の変 貌
写 真 1 有 名 バ ル の サ ロ ン ・ロ メ 17。男 達 が 家 畜 の商 談 を して い る。
の 場 と み な さ れ て い る し, 市 の 日 に は 商 談 の 場 と な る。 い つ も は 男 女 の 姿 が 見 え る の だ が , 1 日 と 15日 の 朝 10時 か ら 2時 頃 ま で は 男 ば か り の 客 で 一 杯 に な る 。 飲 み 物 を 楽 し ん で は 家 畜 の 商 談 を して い る の で あ る。 話 し合 い が つ く と , 当 事 者 は 車 に 乗 って 町 の 外 や 自 分 の 村 に あ る 家 畜 置 場 に 行 っ て , 直 に 家 畜 を 見 な が ら商 談 を ま と め る の で あ る。 大 き な 動 物 よ り も 小 さ な も の , 特 に 豚 の 取 引 き が 主 だ と さ れ て い る 。
19s1−sz年 に 会 っ た 町 の 或 る 肉 屋 さ ん は サ ロ ン ・ ロ メ ロ の 常 連 だ っ た が , 1989年 に な る と 商 談 を す る 回 数 が 減 っ た , と い う 。 理 由 は , ス ー パ ー ・マ ー ケ ッ トが 増 え , そ こ で 肉 を 売 る よ う に な り, 個 人 の 店 舗 で の 売 れ 行 き が 落 ち た の で あ る。 こ の 肉 屋 は 50 代 の 半 ば な の だ が , 息 子 の 将 来 を 考 え た 末 , 肉 屋 の 手 助 け を して い た の を 止 め さ せ , 町 に 新 設 さ れ た 石 油 会 社 C am psa の 守 衛 に 転 職 さ せ た 。 こ う い う 人 が 増 え て く る と ,
1日 と 15日 の 市 の 先 行 き は 危 な い の だ が , これ か ら10年 程 経 っ て み な け れ ば 将 来 を 判 じ る こ と は で き な い 。
(2)鼻 水 の フ ェ リア (2月 3 日 )
鼻 水 の 出 る 程 に 寒 い 頃 に あ る フ ェ リ ァ と い う こ と で あ り, 毎 年 2月 3 日 に 開 か れ る 。 こ の 日 は カ ン デ ラ リア の 聖 母 の 日 で 春 の始 ま る 日 と さ れ て い る の で , 寒 い け れ ど も 春 先 の フ ェ リ ア と い う こ と に な る。 こ の 市 は 家 畜 市 だ け で あ り, 1960年 代 ま で は ジ プ シ ー が 大 勢 来 て, 現 在 サ ン ・ミ ゲ ル 教 会 (地 図 1−24) が 立 って い る あ た り の 空 地 に 動 物 を 止 め , 円 陣 を 張 って い た , と 町 人 は 記 憶 して い る。 今 で は , 訪 れ る ジ プ シ ー の 数 も
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国立民族学博物館研究報告 15巻 4号 少 な くな り, フ ェ リア の 日の 前 日に 町 に 姿 を見 せ るに す ぎな い。
1982年 2月 3 日の朝 9時 30分 に フ ェ リア を見 に 行 くと, 次 の よ うで あ った 。 町 の 旧 区 画 外 に あ る屠殺 場 (地 図 1−3) の左 手 (町 の城 を背 に して ) の空 地 に入 って い くと,
あ ち こ ちで ジプ シー の仲 介 人 が馬 , ラバ , ロバ を仲 介 して い た。 そ の背 後 に 空 地 が広 が って お り,家 畜 運 搬 用 の トラ ックや 乗 用車 が置 い て あ り, そ の後 ろ が家 畜 のた ま り 場 に な って い る。 野 宿 の場 だか ら, 火 を起 こ して 鍋 を か けて い る女 の群 が 5つ 程 み え た。
サ フ ラ在 住 の ジプ シー の仲 介人 は 濃 紺 の背 広 に 身 を 包 み ,竹 の杖 を脇 に 抱 え て 紳士 風 に しつ らえ て い る。 常 日頃 は 気 楽 な格 好 の人 なの で 別人 の よ うに 見 え る。 さて , 買 い手 が 現 わ れ ると, 彼 は言 葉 た くみ に仲 介 に入 る。 動 物 を 引 き寄 せ , お 腹 に 手 を 当 て て 体調 を 判 断 して み せ , 馬 な ら走 らせ て歩 調 の良 さを賞 め そ やす 。 買 い 手 が 話 に 乗 っ て きて , 札束 を仲 介 人 に 渡 し, 値段 の交 渉 に入 る。 売 り手 は サ ラマ ン カか ら来 た ジプ シー の女 で r皮 の コー トと ブー ツに 身 を包 ん で い る。 買 い手 と売 り手 は 直 接話 さず,
真 中 に 入 った仲 介人 に 自分 の 意 志 を伝 え る。 この言 葉 を言 い か えて 相 手 に伝 え る の が 仲 介人 の 役 目で あ る。 と ころ が , こ の場 合 は, 買 い手 の反 応 が 上 手 く行 か ず , サ ラマ ンカ の女 性 は怒 って しま った。 これ に ひ る まず 仲 介人 は し ゃべ りま くり,双 方 に折 合 い を つ け た。 仲 介 人 の手 か ら札 束 が 何 回か 左 右 に 動 き, 値 切 りと値 上 げ が繰 返 さ れ,
や っ と値段 が 決 ま った 。 そ の 間 ,40分 はか か った。 サ ラマ ンカ の女 は トラ ッ クに一 杯 家畜 を運 んで きて お り,売 る気充 分 だ った か ら商談 が 成 立 した , とサ フ ラの仲 介 人 は
写 真 2 ジプ シー の仲 介 入 が サ ラ マ ンカ か ら来 た ジ プ シー女 の 馬 を売 ろ うと して い る 。 926
黒 田 フ ェ リアの 変貌
い って い た 。 勿 論 , 仲 介 人 は か な り の 仲 介 料 を も ら っ た 。 誰 も何 パ ー セ ン トの 仲 介 料 な の か 教 え て くれ な か っ た 。
あ ち こ ちで , こ の よ う な 仲 介 が 進 ん で い た 。 しか し, 何 件 成 立 した か は 不 明 で あ っ た 。 ジ プ シ ー 達 は ア ン ダ ル シ ー ア , ウ エ ル バ , バ ダ ホ ス , サ ラ マ ン カ 方 面 か ら来 て い た 。 午 後 に な る と 2月 の た め か , 急 に 陽 が 落 ち , 寒 さ が 身 体 に こ た え , 鼻 水 の フ ェ リ
ァ と 名 前 が つ い て い る 理 由 が 納 得 で きた 。
こ の 見 聞 か らす る と ,2月 3 日 の フ ェ リア は ジ プ シ ー が 馬 , ラ バ , ロ バ を 売 る 家 畜 市 で あ る 。 エ ス トレ マ ド ゥ ー ラ の ジ プ シ ー に よ る 家 畜 の 売 買 と仲 介 の 盛 期 は 1850−1950 年 と さ れ て い る の で [SUAREZ 1985:i6」, こ の 盛 衰 の テ ン ポ が サ フ ラ あ た り で は少
し遅 れ て い て , 未 だ に そ の 姿 を と ど め て い る , と 私 は 判 断 して い る。 1989年 の 秋 に 町 を 再 訪 し た 折 に , 同 年 の 鼻 水 の フ ェ リア へ の ジ プ シ ー の 参 加 は ど う だ っ た か , と 町 人 に た ず ね た と こ ろ , 確 実 に 数 が 減 っ た , と い う答 え が 返 って き た 。 馬 , ラ バ , ロバ を 運 搬 の た め で は な く趣 味 的 生 活 に 使 う 機 会 が 増 え る な ら , こ の ジ プ シー の 家 畜 市 は 必 ず し も 消 滅 し な くて も 済 む の で あ る が , 現 実 は そ う 生 易 し く は な さ そ う で あ る 。
(3)サ ン ・ペ ドロ と サ ン ・パ ブ ロ の フ ェ リ ァ (6月 29日)
暑 か らず 寒 か ら ず の 良 い 気 候 の 下 で 開 か れ る フ ェ リア で あ るか ら遊 び 事 が 加 わ る が , 家 畜 市 の 規 模 が 大 き く な る わ け で は な い 。
6月 28日 に は シ ル コ (circo) と よ ば れ る遊 戯 機 が 町 の 一 角 (地 図 1−1か ら 道 を 越 え て 町 の 区 画 内 の所 ) に 置 か れ , 若 者 や 子 供 が 集 ま っ て い る 。 こ の シル コ は 県 庁 所 在 地 の バ ダ ホ ス か ら業 者 が 来 て 営 業 して い る , と の こ と で あ っ た。 遊 戯 機 に は 二 種 類 あ り,
昔 か ら あ る馬 型 と 自 動 車 型 で あ っ た 。 ま た チ ュ ー ロ と い う 揚 げ 菓 子 を 売 る露 店 が 二 軒 立 ち , 客 を 集 め て い る。 こ れ を チ ョ コ レ ー トの 飲 物 と 食 べ る の で あ る。 そ の 横 を ジ プ
シー が 何 人 か 歩 い て い く。 竹 の 杖 を 手 に し長 髪 な の で , す ぐ そ れ と 判 る。
さ て , フ ェ リ ア の 当 日 と な る と , 町 の 商 店 は 休 業 し, 町 最 大 の エ ン ジ ン会 社 デ ィ ー テ ル も 休 業 と な る 。 朝 8 :30分 頃 , フ ェ リ ア の 空 地 (2月 3 日 と 同 じ場 所 ) に 行 っ て み る と , 家 畜 の 売 買 が 見 ら れ た 。 こ の 日見 た 仲 介 人 に は 5人 も の 介 添 人 が 付 い て い て , 仲 介 の 流 れ を み て は , つ ぶ や く よ う に 意 見 を の べ る 。 そ れ を 聞 い て , 仲 介 人 が 考 え を
ま と め て , 刻 々 と 仲 介 を 進 め て い く。 話 が 成 立 す る と , 仲 介 入 は 売 り手 と 買 い 手 の 双 方 か ら礼 金 を と り , そ れ を 介 添 人 と 分 け る の だ そ う で あ る 。 こ の 間 の 事 情 は ま る で 劇
を 見 て い る よ う で , 周 りで 見 物 して 楽 しん で い る人 は 私 だ け で は な か っ た 。
仲 介 人 は 町 の 外 か ら も来 て い る が , 町 に 住 ん で い る ジ プ シー で 普 段 は 別 の 仕 事 を し て い る 人 も 3人 加 わ っ て い た 。 な お , こ の 日 の フ ェ リア に 参 加 して い た の は テ ィ エ ラ 92?
国立民族学博物 館$f究報 告 15巻 4号
写 真 3 仲 介 が成 立 しそ うにな り紙 幣 が渡 さ れ る。
地 図 2 エ ス ト レ マ ド ゥー ラ :カ セ レ ス と バ ダ ホ ス (→ は フ ェ リア の 順 ♪
・デ ・バ ロ ス と ラ ・セ レ ー ナ の 各 町 村 (地 図 2), ウ エ ル バ の 村 の 人 々 で あ っ た 。 こ の フ ェ リ ア が 終 わ る と , 季 節 は 夏 と な り, 8月 に は 耐 え 難 い 暑 さ が 町 を 襲 うが , 9月 に 入 る と 朝 夕 は 涼 し くな り , サ ン ・ ミゲ ル の フ ェ リア が 日 程 に の ぼ っ て く る。
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黒 田 フ ェ リアの 変 貌
(4)サ ン ・ ミゲ ル の フ ェ リア (10月 第 1週 , 第 2週 )
こ の 頃 , 平 野 の 一 部 は 黒 土 に 被 わ れ , そ こ に は 小 麦 な ど の 穀 物 が 植 え て あ る。 銀 色 に 葉 っ ぱ の 輝 く オ リー ブ の 木 に は 実 が ぎ っ し り実 っ て い る。 背 の 高 い 樫 の 木 に は ど ん ぐ り が 付 き , そ こ だ け 薄 若 葉 色 に 見 え る。 緑 色 に 続 く平 地 は ぶ ど う 畑 で , 採 り入 れ が 始 ま っ て い る 。 こ の ぶ ど う の 甘 い 匂 い で 蝿 が 発 生 し, 畑 か ら 離 れ た 町 の 家 に ま で 入 っ て くる 。 こ う な る と , 町 人 は フ ェ リア が 近 い , と 感 じる 。 「フ x リア の 前 に 雨 で も 降 れ ば , 牧 草 が 伸 び て , 家 畜 も太 り, フ ェ リ ア が 栄 え る 」 と 昔 か ら 町 で は い っ て き た 。 1989年 の 秋 は 雨 が 少 な く, ま る で 初 夏 の よ う に 暑 か っ た 。 こ の よ う な 天 候 を 「マ ル メ ロ の 夏 」 (veranito de m em brillo) と よ び , ぶ ど う の 生 育 に は 良 くな い そ う だ が , フ ェ リア の 準 備 に は 好 都 合 で あ っ た 。
こ の 頃 に な る と , 毎 年 ジ プ シ ー が 少 数 で も現 わ れ る が , 1989年 に は 来 な か っ た 。 こ の 年 の ス ペ イ ン南 部 で は馬 , ラバ , ロ バ 類 の 疫 病 が 8.月 末 か ら 発 生 し , バ ダボ ス 県 南 部 の 46の 町 村 で 予 防 接 種 が 行 な わ れ , 他 所 へ の 移 動 が 禁 じ ら れ た か ら で あ っ た [El Pais O ctubre 12 de l989]。 サ フ ラ の 町 の 殉 教 者 の バ リオ (通 称 ヒ タ ー ノ (ジ プ シ
ー) の バ リオ, 地 図 1−18か ら19に 至 る 街 路 ) の 近 くに 住 む 主 婦 の 記 憶 に よ る と , 1960 年 頃 ま で は ジ プ シ ー は こ の 街 路 に 大 勢 来 て い た 。 着 く と , 街 路 の 入 口 に あ る 水 飲 み 場 で 家 畜 を 留 め , 水 を 与 え , そ れ か ら街 路 に 乗 り入 れ た 。 何 人 か 共 同 で こ の 街 筋 の 家 の 一 階 部 分 を 借 り, 1か 月 も 過 ご し た 。 この 間 , ジ プ シ ー 同 志 で 知 り 合 っ て 結 婚 す る 者 も い た し, 子 供 に 洗 礼 を 受 け させ る 人 も い た 。 こ の 頃 の フ ェ リア は エ ス パ ー ニ ャ広 場
(地 図 1−20) に 立 っ た の で , 住 み つ い た 街 路 に 間 近 で 便 利 だ っ た の で あ る。 しか し,
家 畜 を 留 め 置 い た り動 か す に は 空 地 が 要 る の で , 今 の サ ン ・フ ラ ン シ ス コ 教 会 の 廃 櫨
(地 図 1−25) 近 く の 空 地 に 連 れ て 行 っ て , 円 陣 を つ く り, 曲 芸 を 見 せ た と い う 。 こ の 場 所 は 現 在 , 2月 3 日 と 6月 29日に フ ェ リア が 開 か れ る 場 所 に 近 い の で , こ の 方 向 の 場 所 が 時 代 が 変 わ っ て も 家 畜 の 留 め 場 だ と 理 解 で き る 。 曲 芸 を 見 せ る の は サ フ ラに 限 らず , 近 くの 村 へ も 出 か け て 行 って 演 じた , と い う 。 こ の こ と は 確 か で , 近 村 の プ エ ブ ラ ・デ ・サ ン チ ョ ・ペ レ ス の 住 人 が 子 供 の 頃 見 た ジ プ シー の 曲 芸 を 記 憶 して い る。
様 々 な 人 々 の 話 か ら判 断 す る と, ジ プ シー の 来 訪 は 1960年 代 か ら 急 速 に 減 少 し た が , 1970年 代 半 ば ま で は , そ れ で も数 が 多 か っ た が , そ れ 以 降 , 減 少 を 重 ね , 今 は も う 数 少 な くな っ た と い え よ う。
こ の よ う に サ ン ・ ミゲ ル の 市 で は ジ プ シ ー の 家 畜 市 は 衰 退 の 一 途 を 辿 っ て い る が , 食 肉 用 家 畜 の 家 畜 市 は 勢 い を 失 わ な い 。 そ れ ど こ ろ か , 1966年 以 降 , 出 頭 数 も増 え , 常 設 の 建 物 が つ く ら れ , 1989年 に は 「国 家 レ ベ ル の 家 畜 市 」 と 町 役 場 が よ び た く な る
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国立民族学博物館研究報告 15巻 4号
写真 4 入 札 を 待 つ 羊
程 に 大 き く な っ た 。
食 肉 用 家 畜 は 9月 30日か ら 常 設 市 場 (地 図 1−A) へ 運 び こ ま れ る。 家 畜 の 種 類 に よ り, 建 物 が 定 ま っ て い る。 入 荷 さ れ た の は 牛 , 豚 , 羊 , 山 羊 , 鶏 で あ っ た 。 10月 2 日 か ら 8 日 ま で 毎 日 , 入 札 場 で 家 畜 の コ ン ク ー ル と入 札 が 行 な わ れ る。 な お , フ ェ リァ の 初 日 の 1 日に は エ ス トレ マ ド ゥ ー ラ の 農 業 審 議 官 が 招 か れ , 会 場 の テ ー プ ・カ ッ ト に 参 加 す る 。
と い っ た 次 第 で あ る か ら, サ ン ・ ミゲ ル の フ ェ リ ア で は 馬 , ラバ , ロバ の 家 畜 市 は 衰 え つ つ あ る が , 食 肉 用 家 畜 の 市 は 勢 い 付 い て お り , 農 牧 地 帯 に 囲 ま れ た こ の 町 の フ
ェ リァ と し て ふ さ わ し い 姿 だ と 思 わ れ る。
食 肉 用 家 畜 の 売 買 と並 ん で 発 展 して き た の が 農 牧 業 用 の 産 業 製 品 の 展 示 販 売 で あ る 。 耕 作 機 , 黎 の 刃 , 台 秤 , 調 合 干 し草 , え さ 箱 , モ ー タ s 農 場 の 囲 い の 締 切 り具 , 農 具 , 水 力 用 引綱 , 台 所 用 発 電 機 , 運 搬 用 台 車 , 飼 料 切 断 機 , 庭 園 用 具 , 新 品 種 の 種 , な ど が 出 品 さ れ て い る。 出 品 し て い る 会 社 は 114社 で [AYUNTAMIENTO DE ZAFRA 1989], エ ス ト レ マ ド ゥ ー ラ (バ ダ ホ ス 県 と カ セ レ ス 県 ), 北 は カ ス テ ィ ー リャ地 方 の ブ ル ゴ ス , ソ リ ア , ア ラ ゴ ン地 方 の サ ラ ゴ ー サ , 南 は ア ン ダ ル シ ー ア の セ ビ ー リ ャ , コ ル ドバ , そ れ と 隣 国 の ポ ル トガ ル と い う 範 囲 か ら で あ る 。 そ れ に , 1989年 に は イ ベ リア 航 空 会 社 ま で が 参 加 し, 1992年 の コ ロ ン ブ ス 500 周 年 祝 賀 の フ ェ リ ア に 備 え よ う と して い た 。
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黒 田 フ ェ リアの 変貌
写真 5 展 示 即 売 用 の 耕 作 機
1966年 以 降 , フ ェ リア は 祝 祭 の 時 と して 町 役 場 が 中 心 と な っ て 盛 り 上 げ て き た の で , 文 化 的 催 物 は 年 々 派 手 に な っ て き た。 1989年 に は 9月 26日 か ら フ ェ リ ア の 初 日 の 10月
1 日 ま で 国 営 ホ テ ル (サ フ ラ の 城 の こ と , 地 図 1−10) の 前 庭 で 毎 夕 一 つ の 文 化 行 事 が 開 催 さ れ た 。 子 供 向 き の 劇 , サ ル ス エ ラ, 劇 , フ ラ メ ン コ, ロ ッ ク, 民 謡 大 会 の 順 で あ っ た 。 こ う して , 一 日 一 日 と フ ェ リ ア の 初 日 ま で 祝 祭 的 気 分 を 少 しず つ 高 め て い く。
そ して , フ ェ リア の 期 間 に 入 る と カ セ タ (祭 り の 小 屋 caseta)が 活 動 し始 め る。 こ の 町 で は カ セ タ に 三 種 類 あ る 。 最 大 の も の は 町 役 場 が 経 営 す る も の で , 10A 2−7日 ま で 楽 隊 が 準 備 さ れ , 踊 り と 飲 食 が で き る よ う に な っ て い る。 1989年 に は セ ビ ー リ ャか ら 歌 い 手 が 招 か れ て い た 。 第 二 の カ セ タ は 町 に あ る エ ン ジ ン会 社 の も の で , 社 員 は 無 料 , 一 般 人 は 有 料 で 入 場 し, 飲 食 と 踊 りの 場 と な る 。 第 三 の タ イ プ は 2−3年 前 に 現 わ れ た も の で , 会 員 で つ く ら れ た も の で あ る。 生 活 に 余 裕 が あ り, 気 の 合 う人 々 が 集 ま り , 役 場 に 願 い 出 て 土 地 を 分 け て も らい , 持 ち 寄 っ た 資 金 で 大 工 を 雇 い , 小 屋 を 建 て て , カ セ タ と す る。 例 え ば , 私 の 知 人 の 夫 妻 は 「い つ も の 仲 間 」 (Los de Siem prc)
と い う 名 の カ ゼ タ を 建 て た が , 成 員 は 48人 で , 24組 の 夫 婦 の 集 ま り で あ る。 有 名 商 店 や エ ン ジ ン会 社 に 勤 め る人 , 教 員 な ど が 主 体 で , 趣 味 の 合 う40歳 前 後 の 人 々 の 集 ま り で あ っ た 。 カ セ タ は 倉 庫 の よ う な 建 物 で , セ ビ ー リ ャの も の の よ う に 装 飾 さ れ て は い な か っ た 。 フ ェ リ ア の 期 間 中 , 夜 の 11時 頃 か ら 集 ま って , 飲 め や 歌 え の 楽 しみ よ うで あ っ た 。
フ ェ リア は 闘 牛 の フ ァ ン が 間 近 で 闘 牛 を 見 れ る 時 で も あ る 。 町 に は 立 派 な 闘 牛 場 が
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国 立民族学博物館研究報 告 15巻 4号
写 真 6 フ ェ リア の見 物人 で に ぎわ う闘 牛 場
あ り, 秋 の フ ェ リアの 時 に だ け 使 用 され る。 闘 牛 に使 わ れ る牛 は 中盤 戦 に質 の高 い牛 が 出 るよ うに な っ て い る。 1989年 に は10月 5日に 手始 めに子 牛 を相 手 に 闘 牛 が あ り,
6 日に は全 国 的 に 名 の売 れ た サ ラマ ンカ の家 畜 商 の牛 が 出 , 7 日に は町 の 家 畜商 で 地 域 で 名 の売 れ た コ ンデ ・デ ・コル テの 牛 が 出 場 し, 人 気 が高 い ので 入 場 券 が な か な か 手 に 入 らな い。 最 終 日 の 8日 (日曜 に 当 た った) に は, ま た 子牛 が 出た が , 町 出 身 の
写 真 7 揚 げ 菓 子 チ ュ ー ロ の 売 店 932
黒 田 フ ェ リア の 変貌
青年 闘 牛 士 が 出演 した ので 闘 牛 場 は 満 員で あ った 。
カ セタ や 闘 牛場 に 行 か な くて も,街 路 に は露 店 が 立 ち,祭 り気 分 を 盛 り上 げ て くれ る。 城 の 横 か ら フ ェ リア の敷 地 に 向 か う 目抜 きの街 路 の 両 側に 露 店 が ず ら り と並 び , セル バ ン テス 街 の所 で 道 が 左 右 に 分 か れ る と , そ の左 右 に も店 が 出て い る。 トゥロ ン
(ヌ ガ ー の よ うな菓 子 ) な ど菓 子 を 売 る店 , ポ ップ コー ンの店 , ピー ナ ッツ の量 り売 り,鶏 の丸 焼 きを売 る店 , チ ュー ロ (揚 げ菓 子 ) の店 ,干 し豚 の股 肉 を売 る店 , バ ル が並 んで い るの で あ る。 食 物 で な い 物 を売 る露 店 と して は藤製 品 ,金 物 , 馬 具 一 式 , 家 庭 用 品 を商 う店 が あ り, 特 に左 右 に 分 か れ た 街路 部 分 に か た ま って い る。 ど の店 も 大 声で 客 を 呼 び込 む の で 騒 々 しい。 買 物 客 に 懸 賞 をつ け る店 が あ り, 当た る とマ イ ク で放 送 す るので , 一段 と騒 々 し くな る。 これ らの店 が 繁 昌す るの は昼 間 と夕 方 で あ っ て ,夜 9時 頃か ら は客 足 は遊 戯 場 (地 図 1−B) に 向 か って しま う。
この遊 戯 場 は フ ェ リア の期 間 中 ず っ と不 夜 城 の よ うに 町 の左 手 に (城 を 背 に して )夜 目に 浮 か んで 見 えて い る。 町 の 旧区 画 内の 住 宅地 か らか な りの 距 離 が あ るが 町人 は 出 掛 け て行 くか ら, 遊 び の エ ネル ギ ー は大 きい 。 町 人 だ けで はな く, 近 隣 の 町村 か ら も 車 や バ ス で来 て遊 ぷ人 が 多 い の で ,人 で 一 杯 で あ る。 特 に若 者 の 出入 りの 多 さ は誰 で も気 の つ くこ とで あ り, 私 の 下宿 に もバ ダ ホ スか ら車 で来 て ,一 週 間 も寄宿 し, 夕方 に な る と出 か け ,朝 帰 りす る青年 が い た。 こ うい う人 に 連 れ られ遊 戯 場 に 行 って み る
と, 各 店 に 一 種類 の遊 戯 機 が 置 か れ ,光 と音 が 流 れ て い る。 6月 29日 のサ ン ・ペ ドロ とパ ブ ロの フ ェ リア と異 な り,大 が か りな遊 戯 機 が 多 い。 この コー ナ ー を通 り抜 け る
写 真 8 シ ル コ と よ ば れ る 遊 戯 機
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写 真 9 カ セ タ (ダ ンス と飲食 のた め の小 屋 ) で早 朝 ま で セ ビ リャー ナ (セ ビ ー リャ風 ) の リズ ムに乗 って 踊 る 若者
写真 10 ジ プ シ ー の 大 道 芸 人
と露 天 の バ ル, 町 役 場 の カ セタ , チ ュー ロ と チ ョコ レー トを売 る店 が 並 び ,酔 客 が う ろ うろ して い る。 こ こ らで 夜 明 け まで 過 ごす 若者 も多 い。 この通 りの果 て に は テ ン ト 掛 けの 映 画 館 や劇 場 が 設 営 され て い る。
そ ん な喧 騒 と は別 に ひ っそ り と道 に立 つ大 道 芸 人 の 姿 もあ る。 10月 6日の 夜 に 私 の 目に と ま った の は雌 山羊 を 台 に 乗 せ る芸 を見 せ る老 人 で , 音 楽 を 奏す る女 性 が付 い て
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黒 田 フ ェ リア の変 貌
写 真 11 ジプ シー の大 道 芸人 一 若者 が ヤマ ハ の オル ガ ンを 奏 し トラ ンペ ッ ト を 吹 き,老 婆 がお金 を集 め る 。
お り, 老 女 が 見 物 料 を 集 め て い た 。 毎 年 フ ェ リ ア に 来 る 芸 人 で ジ プ シ ー の 一 種 で あ る と い わ れ る。 同 日 の 昼 間 に は , 別 の ジ プ シ ー の 一 家 が サ ロ ン ・ロ メ ロ に 近 い 所 で ヤ マ ハ の オ ル ガ ンを ひ い て い た 。 こ れ は 台 車 に 付 け て あ り, 持 ち 運 び が 楽 で あ り, 若 者 が 三 曲 以 上 奏 して も 誰 も お 金 を 与 え な い の で , 家 族 は 市 場 の 方 へ 場 所 を 移 し た。 こ こ は 庶 民 的 な 場 な の で , 数 人 の 見 物 人 が お 金 を 与 え , 老 姿 は 市 場 の 中 ま で 入 って 喜 捨 を 仰
い だ 。
以 上 , フ ェ リ ア の 動 き を , 1)家 畜 市 , 2)食 肉 用 家 畜 の 市 , 3)産 業 市 , 4)祝 祭 面 に 分 け て 記 述 して き た 。 4)の 部 分 は 記 述 しが た く, 写 真 と合 わ せ て 想 像 して 頂 き た い 。 1)
−4) と 見 て い く と
, こ の 町 の 秋 の サ ン ・ ミゲ ル の フ ェ リア は 家 畜 市 の 域 を 脱 して , 産 業 市 と 祝 祭 市 の 様 相 を 大 幅 に 取 り 入 れ て 盛 況 を 呈 して い る と い え る 。 こ れ は 1966年 の フ ェ リ ア 改 革 以 来 , 町 人 が 志 して き た こ とで あ り , そ の 年 か ら数 え て 24年 目 の 1989年 に は , 町 の フ ェ リア は 家 畜 ・産 業 ・祝 祭 市 と よ べ る 形 に 既 に 変 貌 し た 姿 を 見 せ て い る。
以 上 , 町 の 四 つ の フ ェ リ ア を 概 略 した が (正 し く は (1)は メル カ ー ド), (2)一(4)の フ ェ リ ア に は ジ プ シ ー が 姿 を 見 せ , こ の 地 域 の 家 畜 市 で か つ て は今 よ り大 き な 役 割 を 演 じ て い た こ と が うか が え た 。 そ こ で , ジ プ シ ー の フ ェ リア へ の 参 加 に つ い て 僅 か な が ら 知 り得 た こ と を 次 に 記 した い 。
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3. ジ プ シ ー の 参 加 に つ い て
ジ プ シ ー が ス ペ イ ン 北 部 か ら南 部 に 降 り て き た の は 18世 紀 中 頃 と さ れ [SANCHEZ O RTEGA l 986:48−49], こ の 頃 エ ス トレ マ ド ゥ ー ラ各 地 に 分 布 して 行 った の だ ろ う 。 現 在 , 同 地 方 で ジ プ シー の 人 口 の 多 い 所 は バ ダ ホ ス , カ セ レ ス , メ リダ , プ ラ セ ン シ ア , セ レ ー ナ 各 村 , ナ バ ル モ ラル ・デ ・ラ ・マ タ , テ ィエ ラ ・デ ・バ ロ ス , タ ホ 河 の 周 辺 と い わ れ る が [SUAREZ l985:24](地 図 2参 照 ), 人 口 な ど 詳 し い こ と は 調 べ られ て い な い 。 ジ プ シ ー は 家 畜 の 売 買 と そ の 関 連 の 仕 事 を して い た が , 1850−1950 年 の 100年 間 が そ の 全 盛 期 で , 既 に の べ た よ う に , そ の 後 は 交 通 の 変 化 と 農 業 の 機 械
化 に よ り , こ の 商 売 は 落 ち 目 と な っ た [SUAREZ l985:16,20]。
サ フ ラ の 町 人 が 1960年 代 ま で は ジ プ シ ー が 大 勢 サ ン ・ ミゲ ル の フ ェ リア に 来 た , と 記 憶 して い る と 前 章 で 記 した が , そ れ は 彼 等 の 全 盛 期 の 最 後 の 波 を 見 て い た の で あ る。
1960年 代 ま で は ジ フ゜シ ー は フ ェ リ ア を 追 っ て 歩 き , フ レ ヘ ナ ル ・デ ・ラ ・ シ エ ラ (祭 日 サ ン ・マ テ オ 9月 21日) か ら ジ ェ レ ー ナ (サ ン ・ ミゲ ル 9月 29日), そ こ か ら サ フ ラ (サ ン ・ ミ ゲ ル ), 次 に メ リダ (ピ ラ ー ル の 聖 母 10月 12日) へ と 動 い て い た の だ っ た (地 図 2参 照 )。 こ の ジ プ シ ー の 動 き は 1975年 頃 ま で な ん とか 続 い て い た が , そ の 後 は 年 々 消 え つ つ あ る 。 こ の 変 化 が エ ス ト レマ ド ゥ ー ラ に 定 住 して い る ジ プ シ ー の 生 活 に ど の よ う な 変 化 を も た ら して い るか に つ い て 私 達 は 殆 ど 情 報 を 持 た な い 。 1989年 の サ フ ラ の 町 に は 約 80人 の ジ フ゜シ ー が 住 ん で い る 。 子 供 を 入 れ る と 100人 位
に な る だ ろ う , と 町 の ジ フ゜シ ー 協 会 の 会 長 は い う 。 こ の 80人 の 内 3−4人 が フ ェ リ ア の 度 毎 に 家 畜 の 仲 介 人 に な っ て い る。 しか し, こ の 人 々 も 普 段 は 別 の 職 業 に つ い て い る。
石 工 , バ ー マ ン , シ ー ッ や 布 の 販 売 , 宝 く じ売 り, 掃 除 係 , 夏 の 観 光 地 で の ア ル バ イ トな ど が 仕 事 で あ る。 旦 那 衆 の ジ プ シ ー と よ ば れ る 人 々 は 町 の バ ル や レス トラ ン の 経 営 者 , フ ラ メ ン コ の 先 生 で あ る 。 こ れ は 1980年 代 の 現 状 で あ る が , 1960年 代 ま で は 家 畜 に 関 わ る 仕 事 に つ い て い た 人 が ず っ と 多 か っ た 。 仲 介 人 , ひ ず め 打 ち , ブ ラ シ作 り な ど で あ っ た 。 こ の 人 々 は も う亡 くな っ た か , 隠 退 す る年 格 好 で あ り, 往 時 い か に よ く稼 い だ か を 語 っ て くれ る。 家 畜 の 仲 介 人 か ら 自動 車 の 仲 介 人 に 転 じ財 を 成 した ジ プ シ ー で , 墓 地 に パ ン テ オ ン (廟 ) を 作 っ た 人 さ え い た 。 しか し, ジ プ シ ー が 家 畜 で 稼 げ る 時 代 は 去 って し ま い つ つ あ る 。 19世 紀 半 ば か ら 100年 以 上 続 い た 仕 事 が な く な り つ つ あ る の だ か ら, ジ プ シ ー の 社 会 は 過 去 20−30年 の 間 , そ の 変 化 に 苦 しん で き た 。 そ の 上 , 宗 教 上 の 分 裂 さ え 起 こ って き た 。 1960年 末 か ら米 国 の フ ィ ラ デ ル フ ィ ア の
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