中学校歴史的分野における通史と地域史の関連付けと授業構想のための理論
-立体的・有機的歴史像の構築をめざして-
岡野英輝*・木村勝彦**
(2014 年 11 月 28 日受理)
Relevance of the general and regional history and theory for learning plan in historic field of the Junior High School
Hideki OKANO* and Katsuhiko KIMURA **
(Received November28, 2014)
はじめに
歴史教育は,戦後,新教育の花形として登場した社会科にとっては,ある意味で異質の存在であっ た。なぜなら社会科は「青少年に社会生活を理解させ,その進展に力を致す態度や能力を養成する ことである。そして,そのために青少年の社会的経験を,今までよりも,もっと豊かにもっと深い ものに発展させて行こうとすることがたいせつなのである」という理念を当初から持っており(1), そのことで歴史教育はあくまで青少年が社会生活を理解するため,あるいは発展させていこうとす るための手段的位置づけにならざるを得ないからである。しかし,一方で歴史教育にも独自の教育 目的も存在する。たとえば純粋な知的興味,ないしは教養として歴史事象を理解することが目的で あるという立場も存在するし,歴史の法則性を理解し,そのことによって自らの社会ないし社会の 行く末を見通すことを主眼とする立場もあり得る。このように社会科の枠組みの中に歴史教育が取 り入れられるかどうかということについては,その性格規定を巡ってこれまでに何度も議論が行わ れてきた。例えば初期の社会科の時期から常に主張されてきた歴史独立論がその代表的なものであ る。また行政的に 1989 年(平成元年)告示の学習指導要領によって高等学校社会科が公民科及び 地理歴史科に変更された際の世界史必修もまたその表れであったといえる。社会科の内部でも歴史 教育を巡って実践的な議論が行われてきたが,その代表的なものが本論でも扱っている安井俊夫の
「ローマ帝国」を巡って西洋史学者土井正興との間で行われた議論であろう(2)。
一方で社会科に歴史教育を取り込むための様々な試みがこれまでにも行われてきたが,その中で
かすみがうら市立千代田中学校(〒315-0065 かすみがうら市立千代田中学校;Chiyoda junior high school, Kasumigaura 310-0065 Japan)
茨城大学教育学部社会科教育研究室(〒310-8512 水戸市文京2-1-1;Department of Social Studies, College of Education, Ibaraki University, Mito 310-8512 Japan)
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最も実際的な視点が「地域」をキーワードとして両者の関係を安定させようとする試みであったと思 われる。社会科自体は学習者を含む社会=地域を理解することを出発点としており,そこに歴史的視 点が必要なことは明白である。たとえば小学校社会科の中学年で地域史を地域理解のために学習する 単元はその点から考えると歴史教育を社会科の中に構造づける重要な視点である。本稿では,こうし た視点に立ち,中学校社会科「歴史的分野」において地域史を積極的に歴史教育に取り入れることによっ て,最終的には社会科歴史の立場からの歴史教育実践の理論的枠組を示そうとしたものである(3)。なお 以下では論を進める上で,学習者の立場から考えるために,歴史学習という言葉を使用する。
1.歴史学習と地域史
歴史学習の中に地域史を取り入れることは,戦前の国史教育の折から実践されており,決して目 新しいものではない。現在でも,地域史の具体性,調査のしやすさなどは,身近な地域ならではの 利点であると言える。
しかし,地域の歴史に対する捉え方は時代と共に変遷を重ね,研究の方向性もまた変化している。
地域史学習もこの研究の変化に対応していく必要がある。学校での地域史学習には課題も多く指摘 されており,その方向性はいまだ定まっているとは言い難い。また,通史と地域史の関連付けにつ いては,戦後間もなくから多くの研究者が論争を繰り広げてきた課題であり,通史を学習する中学 校の歴史学習としては,この関連付けの方向性についても明らかにしていく必要がある。
そこで本研究では,地域史学習の変遷や通史との関連付けについて論じられた先行研究の特色を 捉え,現代の地域史学習における課題を明確にする。そして,その課題を克服した地域史学習を進 めていくために,近年の地域史研究や地域史教育の動向を分析し,通史と地域史を関連付けた授業 構成のための理論を展開していく。
2.地域史教育の現状
(1)地域を扱うこと
歴史学習の中で地域史を扱うことの重要性や意義などについては,多くの研究があり,その視点 も多岐にわたっている。
石井重雄は,地域には興味・関心を向上させ,直接経験や観察・比較を可能にし,共感をよびお こさせ,子どもの主権者意識を育てるなどの利点があると述べている(4)。また,佐島群巳は,歴史 学習の中に地域史を取り入れることによって実証的な学習態度や問題解決能力の育成,社会認識の 基礎・基本の定着などが期待されると論じている(5)。これらは,いずれも地域ならではのねらい・
内容であり,こうした点において筆者も地域を扱うことの意味は十分にあると考えている。特に,
中学校においては,通史学習による思考・判断・理解が一面的なものになりがちで,歴史に対する 評価・価値判断が教師によるあるいは教科書による価値判断に左右される可能性も高い。これは,
暗記中心の社会科学習において見られる傾向であり,通史を通り一遍に扱って覚えるだけの歴史学 習は回避しなければならない。
(2)今日の地域史教育の課題
前述した歴史学習における地域史の有効性を検証するため,地域の歴史の具体的な事例を教材化
し,実践した研究は多い。しかし,その内容は,特定の地域に残る歴史的遺跡や文献等を詳細に調 査して活用した展開がほとんどであり,その中には内容において難解なものも多く,そうした教材 の取り上げ方を間違えれば,子どもたちを地域のもの知り博士にしてしまうことになりかねない(6)。 また,教科書に掲載されているような,通史的に著名な事件やできごとの舞台となった地域に残る 史料を取り上げた実践は,「その地域だからこそできる実践」となってしまうことが否めない。こ れらの問題点に関しては後述するが,以上の視点から地域史教育を見ると,地域のもつ具体性や活 動性を生かそうとする実践・研究は多く見られるものの,中学校歴史的分野の目標の一つである「歴 史の流れをとらえる」学習との関連についての研究はまだ途上の段階にあると言える。
3.地域の歴史はどのように教えられてきたか
(1)地域の歴史に対する概念の変遷
歴史学習において,地域の歴史を取り上げることは戦前から多くの地域で行われてきた。
戦前の地域の歴史の学習は「郷土史」学習とよばれていた。郷土史研究の歴史は古く,柳田国男 が新渡戸稲造らと郷土会をはじめ,農政への関心によって郷土の研究を進めていた 1910 年ごろか らはじまっていった(7)。塚本学は,この時代の郷土史の特色として,地域住民の自己主張,地縁集 団への帰属意識の強化などを挙げ,これらの特色は,当時の社会背景として挙げられる都鄙格差の 拡大に対抗する「一種の地方復権情熱」が,郷土史研究を通して「過度の自尊心,自家陶酔,誇大 妄想」などを生んだ結果であると指摘している(8)。このような特徴から,郷土史は「偏狭」「お国自慢」
となることが多く,それは,郷土史を学習に取り入れる際にも同様の傾向が強かった。さらに郷土 史教育においては,これらの要素が地域の神社の祭神と天照大神との関係を調べさせたりするよう な皇国史観の影響を強く受けた実践というかたちで具現化し,こうした事実が,戦後における歴史 教育の在り方を考える上で大いなる反省点となった。
戦後の歴史教育は,より実証的に研究を進めようという気運が起こり,その動きの中で郷土史に かわって「地方史」という語が用いられるようになった(9)。特に戦後矢継ぎ早に提案・実行された 諸改革を通してめまぐるしく変化してゆく日本国内にあって,かつての「郷土史」家による古来の 日本的なものへの復古意識と,「地方史」家による西欧的なものをよしとする価値観の興隆との対 立は,その後の地域の歴史研究を方向付ける重要なできごとであった(10)。結局,「国史学」の権威 の喪失と戦後改革期の価値転換によって,「地方史」という語句が急速に普及し,科学的認識を重 視した地方史研究がさかんに行われるようになっていった。しかし,「地方史」はともすると「中 央史」との対語概念で捉えられることがあり,地域によっては,日本国内だけとのかかわりでは地 方を十分に把握できないという事実が明らかになっていった。また,乾宏巳が指摘しているように,
「中央史にかかわった問題のみが研究対象となり,地域独自の問題などは切り捨てられるという問 題」(11)も起こってきた。こうした結果が,「中央に従属する地方という観点で描かれてきた従来の
『日本史』を根底から覆す」(12)ことになった。この点に関しては,塚本も「1950 年代の地方史研究 に対する反省・批判は,その『中央史』従属性ともみえる点に大きくむけられた」(13)と述べており,
日本国内の「中央」「地方」という概念にとどまった研究は,「地方の歴史は中央の歴史の波及と変 容とによって説く姿勢を根強いもの」にしていくことにつながり,この点に批判が向けられると共 に,地方史の限界を露呈することともなった(14)。
これらの批判を受けて,「地域史」の視点が重視されるようになったのは 1980 年代以降であると 言われている(15)。塚本は,「地域史研究の重要な課題のひとつは,地域住民の主体的な歴史形成過 程を明らかにすることによって,(地方史研究の課題であった)『中央』『地方』意識を否定すると ころにあるといえよう」(16)と述べており,中央との従属関係の中で描かれる地域の歴史ではなく,
その範囲や視点をよりグローバルに捉えた実証的・具体的な歴史形成の重要性を説いた。黒田俊雄 は,語句自体は極めて多義的な地域史を「誰のための地域史か」という視点で捉え,「住民のため の地域史」こそ重視すべきであると断じている。それは,地域の歴史を過去の遺物としてのみの存 在と捉えず,地域にとっての未来への遺産であり,先人たちの経験の蓄積であると捉えることの重 要性を示すものであった。そして,地域史は「中央政治史中心の発想および社会発展史偏重からの 脱皮」を図るための一試みとなるであろうとまとめている(17)。よって,地域史研究は,地域の歴 史について,その範囲および視点を地域に埋没させることなく,実証的・具体的に検証する中で,
主体的な歴史形成を行うことをめざして進めていくものと捉えることができる。
(2)地域史と歴史教育
以上のように,戦前から戦後にかけての数十年の間に,地域の歴史に対する概念・意識は大きく 変貌してきた。しかし,地域の歴史を授業に取り入れるとなると,この「郷土史」「地方史」「地域史」
が的確に認識されて歴史学習が実施されているとは言い難い。それは,近年の研究において,前述 した地域史学習の有効性・重要性が挙げられる一方,その実践についての批判・課題が多く指摘さ れていることからも,その一端をうかがい知ることができる。
例えば,藤野敦は,昨今の学校教育における地域史学習の問題点について,知っている土地が出 てくるという興味関心にとどまり,地域の歴史を自分とのつながりに昇華させることが困難な事例 が多いことと,地域の見学・調査は学校にとって大事業となり,その活動に躊躇したり,見せるこ とだけが目的となったものになってしまうことの2点を指摘している(18)。また,歴史認識の視点 から,松尾正幸らは,地域資料活用の提案のための問題として,「身近な地域はあまりにも身近す ぎて歴史的認識をもって捉えることが困難である。」と述べており(19),単元構成の視点から,中尾 賢は,中学校における歴史学習の問題点として,「事象の網羅的な暗記」「『中央』中心の歴史教科 書の記述構成」を指摘しながらも,「(それらへの)反動として,『地域』に埋没し,『中央』とのつ ながりに欠けた単元構成」を挙げ,この「反動」をも批判している(20)。さらに,教材研究の視点から,
佐藤正志は,地域史学習を推進していく過程の中に起こり得る問題点として,「地域資料の収集・
分析に時間がかかり,それらを教材化する手間もかかる。地域の教材化は教師自身の研究の蓄積と 力量いかんにかかってくることになり,学習の組織を作る上で大きな弊害となる。」という現実的 な問題を指摘している(21)。
松尾や中尾の言う,身近さ故の問題点や地域への埋没に関する指摘は,かつての「郷土史」に対 する批判と似ているものがある。また,藤野の指摘する追いかけ型の身近な地域の歴史学習は,通 史を主とし,地域史をそれに付随するものとして取り扱っているからこそ起こり得ることであり,
これはまさに「地方史」に対する批判と同じである。こうした課題が地域史学習の研究者によく指 摘されるということは,身近な地域の歴史を扱う学習がいまだ「郷土史」「地方史」で批判された 問題を克服し得ていないということを意味している。
これらの課題を克服し,真の「地域史」学習を進めていくためには,地域史が「子どもたちが主 体的に歴史について考えるための具体的・実証的な存在」である必要がある。地域史の扱いについ ての問題点がいまだ多くの実践の中に見られていることは,通史のみ,地域史のみの学習ではない,
両者の関係性についての見直しが求められている現状を浮き彫りにしていると言える。
4.通史と地域史の関係
(1)戦後社会科の地域学習をめぐる論争
①2つの論争
地域(の歴史)を学習の中でどのように位置付けるかという問題は,近年にわかに起こったもの ではなく,戦後「社会科」が新設された直後より論争が展開されるほどの重要な課題であった。そ の論争としてはまず,戦後間もなくに起こった「上田・山谷論争」が挙げられる。これは,コア・
カリキュラムの推進者でもある山谷進介が「現実の生活や経験そのものが常に最も大切な基盤であ る。地域社会における生活や行動を通じて人間形成を図ろうとする。」という「地域社会=絶対目 的説」を唱えたことに対し,上田薫が社会科における地域性の限界という視点から,「地域は学習 の材料であり,目標を達成するための手段である。足がかりである。」という「地域社会=道具説」
を唱えたことから起こった論争である(22)。
両者の争点は,「地域」という特殊性・具体性を,「社会科の目標=社会をわかる」とどのように かかわらせていくかにあった。上田は,児童が自己の環境に即して問題を解決することが「社会を わかること」,すなわち「社会科の目標」であると定義し,そのために児童が自己の環境に即して 問題を解決していくことによって,自らかかわる環境を拡大させて社会をわかるようになっていく とした。よって,地域は目的そのものではなく,社会をわかるようになるための「道具」であると 唱えた。一方,山谷は,「当然あるかのごとく言われている『普遍的』な知識を拒否し」,「身辺の 課題を切実に感じ,そこから一般的なものを追究して子どもなりの解決を発見することを学ばせる こと」が大事であると主張している。地域での具体的な生活・学習を重視していることは上田と似 ているが,山谷の場合は,この地域社会をわかることが,「社会をわかる」としている。すなわち,
地域は学習の材料であると同時に目標でもあると定義しているのである。
上述の上田・山谷論争から 10 年を経た 1958 年,今井誉次郎と桑原正雄の間で郷土の機能ついて の論争が起こった。「今井・桑原論争」である。これは今井が郷土教育に対して否定的な論を展開 したことに対して桑原が批判を唱えたことに始まる(23)。
今井は,「郷土=手段説」を唱え,子どもの認識発達にそって科学的系統的な社会科指導を行う ことの大切さを述べ,郷土学習は,この認識を深化させていくための「基礎的な学習」であると主 張している。つまり,郷土学習を通して郷土の知識を覚えさせるのではなく,最初から日本や世界 の問題と結びつけて「概説の基礎(抽象へのてがかり)を養う」ことに重点を置くべきであるとい う考え方である。
今井の理論に対して,桑原は,今井の同心円的拡大の論理や日本の課題と関係のない郷土の諸事 象を棄て去ると主張していることを批判し,「郷土『で』教える」という徹底した郷土立脚型の社 会科学習を主張した。社会認識は郷土学習の中でこそ培われるものであり,徹底的に「地域」を見 つめ,具体的な事実を掘り下げることで,ものごとの本質に迫る過程を重視するという「郷土=学
習拠点説」である。
この今井・桑原論争の争点は,社会認識の育成と郷土をどのようにかかわらせるかである。桑原 が地域において課題を発見し,解決していく中で育成された生活認識の目があれば,他地域やより グローバルな視点で社会を捉える場面においても課題を解決していくことができると主張している のに対し,今井は,郷土での問題発見とその解決によって育成された認識は,あくまで日本の課題 認識へ向かうための基礎的なものであり,子どもの認識の発達段階によって,課題-解決-認識の 枠を広げて社会認識を深化させていくという系統的な社会科指導を主張している。
②地域学習をめぐる論争の問題点
前述したように,前項で取り上げた論争は,いずれも「地域を学習の中にどのように位置付けるか」
が問題となっており,上田・山谷論争ではカリキュラムの観点から,今井・桑原論争では郷土の具 体性が一般性とどのような関係にあると位置付けるかという観点からの主張である。これらの主張 を基に,通史と地域史との関係についての考察を試みた。尚,ここでは,「通史=一般性,普遍性」,
「地域史=特殊性,具体性」という概念で捉えることとする。
桑原は,はじめから定められた一般性を批判しているので,地域史の具体性こそ最も重視すべき であり,よって,通史という一般性を上から下へ教授するのではなく,地域史の中から通史で言わ れているような一般性・歴史発展の法則に迫ることに重点を置いた理論ということになる。この理 論は「郷土史学習」に通じるものがあり,郷土の中で歴史を学ぶという考え方である。
今井は,地域の具体性から認識を広げていくという視点であるが,桑原の批判する「同心円的拡 大」の原理に当てはまる部分も多く,地域史は通史的概念へと発展し得るものでなければならない という理論である。この考えは,地域史を通史の基礎に置き,通史的概念形成のための部分的役割 を担っているものと捉えることができる。よって,「地方史学習」に通じるものがあり,地域の歴 史を学習することが,一般概念(科学的認識)を理解するための一手段・手がかりであるという考 え方と言える。
山谷は,はじめから定められた通史的一般性に疑問をもつところから始まっており,それは地域 史という具体的学びの中から構築されるべきものであるとしている点から,一般性は地域史から生 み出されるものであるとの捉え方と見ることができる。ここでは通史と地域史は対立関係でも,部 分的扱いでもないが,池野がこの論に対して「『地域』を重視した絶対目的説はコア・カリキュラ ム時代にのみ存在し,現在は存在しない。」(24)と論じていることからも分かるように,これからの 社会科学習にそのまま採用することは難しく,何より「通史的一般性」に疑問を抱いているところ に端を発しているため,通史を学習する中学校段階への学習理論に応用することもできない。
上田の理論は,児童が直面する具体的な環境の一つが地域であるとの主張から,地域はカリキュ ラムを構成する「教材の一部」であると言える(25)。地域で歴史を具体的に学ぶ中で,「実質的な民 主的生活態度の方向」に向かって解決していくことが社会科学習であると考え,同心円的拡大の論 理を取り入れている。よって,一般性についての認識や理解も含有した子どもにとっての具体的な 社会が地域であると位置付けられている。しかし,山谷からの批判に答えるかたちで上田は,「普 遍と特殊は,本来いずれを重しとすることもできるはずのものではない。」と述べており,それぞ れの役目を異にしつつ,「たがいにあい結ぶものである」と考えを展開している。これは,前述し た「地域史」の定義にもつながる理論であると考える。
これらの論争を考えてみると,これまでの地域の歴史を扱った学習において浮上してきた課題は,
地域の歴史を郷土史・地方史的概念でいまだ捉え,そこから脱皮していないことにその一因があっ たのではないだろうか。通史と地域史の関係性を,今後の社会科学習に生かしていくためには,上 述してきた郷土史・地方史・地域史の概念と論争を通して考察した通史と地域史の関係の問題点を 見直して,新しい関係性を追究する必要がある。通史と地域史を学ぶことの目的が明確に示され,
それぞれに意義があるものである以上,両者の距離を縮め,対立関係・部分的関係を除いた関係性 の構築が望まれる。
(2)近年の地域史研究
前述したように,「地域史」という概念が普及・定着しはじめてからおよそ 30 年が経過している。
郷土史のような地域埋没型ではなく,地方史のように中央との対立関係によって成立するものでも ない,「地域史」の新しい方向性を,近年の研究動向から探ってみる。
地方史研究協議会は,新しい地域研究の方法を求め,大阪の歴史を例としてその新しい研究視点 を明示している(26)。これまでの大阪の歴史についての研究が,都市大阪を中心とした歴史像の形 成というかたちで進められていたのに対し,これからは,都市の発展を大阪近郊や日本の内外諸地 域とのかかわりの中で捉えることが大切であるとしている。すなわち,図1のように,地域の特殊 性について,これまではその「内部」から研究を進め,周辺との関係もあくまで内部から外を見た かたちで考察されてきたのに対し,今後は「内部」からの研究だけでなく,周辺地域とのかかわり を相互関係の中でも捉えることにより,かえってその地域のもつ特色や独自性の認識を深化させる ことができるとの見解を示しているのである。
図1 相互関係による地域の把握
また,木村茂光と山口徹が「新しい地域史」に関する対談(27)を行った内容によれば,図2に示 したように,瀬戸内の歴史が,これまでは「海からの視点」で説明されてきたが,「海から陸を見る」
だけでなく,「陸から海を見る」という「複眼的視点」の重要性を提言した。奈良の歴史について も同様に,盆地としての地域の特色を,「盆地は山があってこその盆地である=山,そして街道を 通して山を越えた他地域とつながっている」というように,複数の地域を一つの対象として見るこ とで,今まで見えなかった諸関連(共通性や差異性)が浮かび上がってくるであろうと述べている。
地域はこれまで文化の伝播一つをとっても,「進んだ文化」の発達した先進地帯の中央から,「遅 れた文化」の後進地帯である地方へ,という解釈が一般的であった。しかし,これからは「開かれ た地域史」という概念が大切であり,地域を他地域から孤立したものと捉えるのではなく,陸・海・
河の道と相互交流を行って歴史を培ってきたものとして見ることの重要性について両氏対談の意見 をまとめている。
図2 複眼的視点による地域把握
これらの研究は,地域に埋没した地域史研究からの脱却を図り,周辺地域とのかかわりを捉え,研 究地域と周辺地域を双方的に考察することが大切であることを示している。そして,その中から関 連性を見出し,研究地域と周辺地域の認識を深化させることが,これからの地域史研究に求められ ていることを示唆していると言える。
○当該地域を周辺地域とのかかわりで見る。(客観的視点)
○当該地域,周辺地域を双方向的に捉える。(複眼的視点)
○周辺を認識することで当該地域の認識を深め,また,それにより周辺の認識をも深める。
(有機的関連性の考察)
ここでいう「客観的」視点とは,「当該地域←周辺地域」という見方であるが,これを歴史的見 方に置き換えれば,「通史←別な視点からの歴史」となる。無論,「地域史←別な視点からの歴史」
も同様である。通史だけの学習,地域埋没型の学習から脱皮するためには,それとは別視点で歴史 とのかかわりを見,客観的にその歴史を捉えることが大切である。「複眼的」視点とは,「当該地域 ? 周辺地域」の双方向性を示すものであるが,これを通史と地域史に置き換えることもできる。すな わち,通史的概念を基に地域史を見る,地域史で学んだことを通史学習に生かすという視点である。
さらに,「有機的」関連性の考察に関しても,歴史学習に置き換えれば,「通史的学習だけで通史的 概念を認識するのではなく,地域の視点からの歴史を通して見ることで,より深く通史を認識する ことができ,それはまた,地域史認識をも深めることになる」と考えることができる。
こうした研究の方向性を基にして,地域史学習においてもこの視点を取り入れれば,地域埋没型 でも,通史の付随的地域史でもない,新しい通史と地域史の関連性をもった地域史学習を展開する ことができるのではないだろうか。
(3)通史と地域史の関係付けの視点
通史と地域史の新しい関係性を構築するにあたり,本項では,前述した双方向的な見方や有機的 な関連付けの重要性について述べた先行研究を取り上げて検討する。
通史と地域史の関係についての方向性を述べた人物に,古代の日本史を専門とする歴史学者門脇 禎二がいる。門脇は『出雲の古代史』の中で,古代における地域での歴史の営みは,決して中央の 史観からによってのみすべてを説明することはできず,中央史の研究と,地域史の展開との双方の 視点によって「古代史の全体像」が構築されると述べている(28)。換言すれば,地域史の発展,通 史の発展,いずれか一方のみでは歴史の全体像は見出せないということである。無論,門脇は古代 史研究について上記のような理論を展開しているわけであるが,前項で述べた近年の地域史研究の 方向性と類似する部分が多い。中でも,「通史と地域史の主従関係の否定」や「各地域との有機的 関連から構築する歴史像」に関しては,地域を客観的に,複眼的に見,有機的関連性の考察を進め ていくことを主張している前述した地域史研究者や団体の意見と通じるものがある。通史から見る 地域史,地域史から見る通史,これらを有機的に関連付けることによって,歴史の時代像がより多 面的・多角的に捉えることができ,歴史認識をより深化・発達させることができるものと考える。
また,通史と地域史を関連付ける視点を述べた白井哲哉は,「具体的なエリア設定の上に生活者 の視点から実証を積み上げる独自の全体史」が地域史であるとし,一方,一国史は「それら(地域 史)を基礎に置きつつも,なお別の全体性を持つ」としている(29)。この通史と地域史をそれぞれ に定義した理論は,両者の乖離を生むように見えるが,白井は,図3のように,両者を別の全体性 をもつものとしながらも,「地域における多様な歴史事象の発掘と多元的な視点に立った解釈」が 現代には必要であり,「地域や集団・国家間で生じた認識の違いは,事実の相互検証と対話を積み 重ねて克服」(30)していくことの重要性を唱えている。
これは,通史と地域史は異なる面があるが,その基礎となる部分,すなわち,過去を直視しなが らも多様な視点から事実を検証することが大切である点は同じである。よって,両者の間に生じた 認識の違いやズレは,互いの事実の相互検証を行うことで克服することができ,それが地域や集団・
国家間の共通理解を築く基礎となり得ることを主張した意見と捉えることができる。
図3 多元的視点による地域把握
門脇や白井の理論から,「地域史を他地域や通史との関係から捉え,多面的・多角的に考察する ことで互いの歴史的事象を相互検証し,両者の有機的関連性を見出すことによる歴史認識の深化」
が大切であり,この「多面的・多角的考察」と「両者の有機的関連性の構築」が今後の通史と地域
史との関係に求められる視点であると考える。これはまた,前述した「郷土史」「地方史」時代に 指摘された問題点が依然として残存する今日の地域史学習における課題を解決するための糸口とな る考え方である。すなわち,「地域史⇄通史」の関係性である。
5.先行研究に見る地域史学習の理論の方向性
(1)平松俊樹の「通史と地域史の相互補完的関係」
①通史と地域史の相互補完的関係とは
平松義樹は,通史と地域史のこれからの関連性の在り方についての理論を展開し,実践を行って いる。平松は,これまでの地域史学習の取り扱いについて,「教科書教材の補助的性格」と「地域 教材オンリーの中心教材」の2つの性格が主であったことを,それぞれ,「地域教材の道具化」と「地 域に埋没する地域教材中心主義」と批判している(31)。これらは,「地域教材と教科書教材との有機 的な関連性についての考察がなされないままで,実践が多く横行したため」(32)ではないかと分析し,
両者を有機的に関連付けた理論,すなわち,両者を対立する関係として捉えるのではなく,図4の ような「相互補完的」な関係をもったものとして考える学習理論を構築した。
図4 「相互補完的」学習理論
平松は,子どもたちの認識方法は1回での完結スタイルではなく,スパイラルに認識を深化させ ていくものであると述べている(33)。これは,上記の図で示すところのA→B→A…という流れで ある。学習のスパイラル的認識については,藤井千之助の歴史意識の発達理論においても述べられ ている。藤井は,歴史意識は歴史的興味関心,歴史的思考力,歴史的問題意識が相互に影響し合い つつ螺旋的に成長していくとしている(34)。また,スパイラル的認識を捉える一助となる考え方と して,市川真一が「歴史教育における郷土・地域を大切にすることの意味」の中で,「子どもは,いっ きょに全体的で明確な認識を確得(原文ママ)することはできない。対象のある側面についての,
やや不正確な知識を手がかりとすることによって,他の側面を理解し,さらにそれを足場として,
まえの知識をいっそう正確にしていく,という関係で歴史認識は成長していくように考える。」(35) と論じている。以上の諸説を総合すると,子どもの歴史意識(歴史意識を土台とした歴史認識)は,
一通りの教授=学習によって身に付いたり発達したりするものではなく,学習を通して認識したこ とを次の認識に生かす作業を繰り返していくことによって,深めていくものであると言える。そし て,こうしたプロセスが歴史意識の発達に結びついていくのである。
平松はまた,教師が地域の教材化を深く行ったとしても,その「特殊性」は,「一般」と対置さ
れた場合のみ見出すことができると指摘し,「見えないもの」を知らなければ,「見えるもの」を見 つめられず,よって,「見えるもの」の特殊性も見出せなければ,「見えないもの」をより科学的に 妥当性のある概念にまで高められないという考え方も展開している。これはB→A→B…のルート であり,こちらのルートにおいても,教科書・地域各教材は互いに開かれた存在でなければならな いとしている(36)。ここでは,「見えるもの」だけを学習することは,決して特殊性の認識を高める ことにはならず,むしろ,「何が特殊性なのか」を見極めることができないままになってしまう危 険性があることを提唱している。つまり,地域への埋没が,地域の特色(特殊性など)を認識する ことにはならないことを意味している。よって,現場の教員は,通史のみ,地域史のみの学習に陥 ることなく,常に一般性と特殊性の関係を意識した地域の教材化に努めるべきであることを示唆し ていると言える。
筆者は,この平松の理論を,通史と地域史を対立的関係,あるいは従属的関係で捉えるのではな く,さらに地域埋没型の学習に陥ることをも防ぐ,相互補完的な有機的関係性を主体とした学習理 論であり,関連付けの視点として示した「地域史⇄通史」の理論にも合致すると考える。
②本論における平松の理論の位置付け
平松は,上述した理論を小学校高学年での実践に生かしている。中学校での実践を行う筆者とし ては,これを応用するかたちで理論を構築していく必要がある。そのため,平松が述べている「歴 史学習における地域教材の取り扱いの小・中・高の一貫性」についての理論について,ここで触れ ておきたい。
平松は,図5のような歴史学習と地域教材の位置関係についてのモデルを展開し,発達段階に応 じて地域教材(主体)をどのように位置付けるかを明確に示している(37)。これによれば,小学校では,
「現実に『見える』地域教材から『見えないもの』を見い出す過程に」,中学校では,「それ(小学校)
とは逆に『見えないもの』で自分の地域の『見えるもの』の意味について考える過程に」,高校では,「認 識能力も高まるので,視野を広め,日本史と世界史の多面的な角度から自己の寄って立つ生活基盤 を見つめなおす,と同時に生活から歴史の意味を問う過程に」,それぞれ学習のウェイトを置いて 図5 歴史学習と地域教材
はどうかと提案している(38)。ここでいう「見えないもの」とは,歴史学習で言う「通史」であり,
「一般的,抽象的な歴史」であると言える。また,「見えるもの」とは,「地域史」であり,「特殊的,
具体的な歴史」である。よって,小学校では,身近で具体的な歴史に触れ,歴史のしくみや現代と のつながりを学習することに重点を置き,中学校では,歴史の流れや時代の特色を捉えた「目」で,
地域の歴史を見,その歴史的意味や価値について考察することに重点を置くことが大切になってく
ると考えられる。
以上の一環性をもたせた地域教材の位置付けを参考にして,先述したスパイラル的認識を中学校 において進めていくことを考えると,以下の点に留意する必要がある。
○中学校では通史を学習することが中心となるため,スパイラル的認識の発端となるのは,B の流れからとなる。身近な地域の歴史を学ぶことからスタート(A)する小学校とは異なる。
○平松が教師の教材研究レベルで指摘していたB→A→B…の流れを,教授=学習レベルにも あてはめることができる。つまり,地域史の「特殊性」を生徒が認識するためには,通史の
「一般性」を認識している必要がある。そして,通史の一般性を認識した目で,地域史を見,
その「特殊性」についての認識を深める。この「特殊性」の認識は,かつて生徒が小学校 時代に学習した地域の特殊性に対する認識から,より深化したものとなっていなければなら ない。さらに,その見方で通史の一般性についても見直す中で,一般性の認識をより深化さ せていくような思考活動を進めていく必要がある。
筆者は,上記2点を通史と地域史を関連付けたカリキュラム計画のための基礎としていきたい。
(2)安井俊夫の「共感」による歴史学習と地域史の教材化
①地域史学習の現場での課題
地域を教材化するにあたり現場で多く聞かれる課題として,「地域に歴史的に価値ある事実が存 在しない。」という声がある。この課題については,岩崎卓也が,埋蔵文化財を歴史教育の場にと りこむ効果は大きいと評価しているものの,「地域の文化財を把握していかなければならない」こ とと,「地方の名もない古墳や寺院について調べる手がかりは少ない」(39)ことを地域史学習の問題 点として指摘するなど,多くの研究者が述べていることである。この課題に対し,浅香勝輔は「『私 の地域には,日本の舞台らしいものはない』というのは,大げさに考えすぎ」であるとして,旧街 道や庚申塔なども立派な教材であると述べ,「“今の中にある昔”“現在につながる過去”を実感さ せること」の大切さを述べている(40)。しかし,いくら旧街道や庚申塔を取り上げても,何のため に取り上げたのかが教師側にとって明確でなければ,それらの歴史的遺跡・遺物は,子どもたちに とって単なる「古いもの」にしか過ぎず,現在とのつながりなどは見出すことができない。浅香の 理論を実践レベルにもっていく過程には,教師側の教材観が不可欠であることを忘れてはならない。
②安井実践の特色と地域史の教材化
地域史素材の教材化及び,自分なりに歴史を見る力の育成をめざして研究を進めた人物に安井俊 夫がいる。安井は,「自分の目」で歴史を見ていく楽しさを味わわせるための工夫を行い,歴史を「ひ とごと」とせず,自分のこととして切実に考えられるように教材を加工し,実践することの大切さ を主張している。また,教材について,その「くみかえ」と「取捨選択」(41)の必要性を説き,歴 史学が明らかにしている事実やしくみ,構造などを歴史教育の立場からくみかえ,子どもの立場に 立って取捨選択していくことが大切であると述べている。安井はまた,歴史教育の重要な任務を「自 分の見方で歴史を見ることができるようになること」「自分なりの歴史像を描くこと」(42)であると 述べており,この目標を達成させるためのキーワードとして「共感」の高まりを挙げている。この 理論は,加藤公明が分析しているように,「子どもはいかにしたら歴史を他人ごととして突き放さず,
自分の問題として考えようとするのか,そこに共感の果たす教育上の役割がある」(43)という考え を基礎として展開されている。そして,木全清博が安井実践の特色の一つとして挙げているように,
「『子どもとかみ合う教材』の必要性」を強調し,教材構成に地域(子どもの生活実感がある)を積 極的にとりこむ意義がある(44)ことについて述べられている。
安井の実践は,歴史を庶民の立場から捉え,当時の為政者とその権力により歴史がつくられたの ではなく,庶民のエネルギーが歴史をつくっていったという視点で進められている。例えば,「東 国の古墳」の学習(45)では,地域人民の立場で古代史を考え,東国における農耕生産の成長とそれ に伴う人民の生産要求の高まりが支配者である地方豪族の地位を動揺させ,それが首長どうし,豪 族どうしの「連合」を促し,大和朝廷の勢力につながったという仮説を立てた。そして,この仮説 に基づいて,「東国から律令制の成立を考える」(46)授業を実践している(47)。
③安井実践の課題
安井の理論及び実践に対しては,前述した特色がある一方,批判も少なくない。その中でも特に 重要な問題が以下の二点である。
第一は,「歴史学と歴史教育をめぐる問題」である。歴史教育の展開の中で生まれた生徒の「共感」
による意見が,歴史的事実と異なっていた場合,それを「子どもが自分で考えたこと」と尊重するべ きか,それとも,歴史的事実という科学的社会認識まで高めていくために,事実を理解させる方向に 向けるべきか,という問題点が指摘されている。この問題は,土井正興との論争に発展した「スパル タクスの反乱」の実践(48)において顕著に見られる。この実践の中で,生徒たちが奴隷の立場に共感し て出した意見が,当時の歴史的背景から言えば不可能なものであった。こうした不可能な意見,つまり,
歴史的事実に基づいていない考えを土井らは「主観的願望」(49)として,それとは別に,歴史の事実を も考えていく必要があり,曲がった歴史教育では,「科学的社会認識」へ近づくことはできないとして,
生徒の共感が史実と違った場合における,修正の必要性を唱えたのである。後に安井自らが,「私(安井)
の考えは,『共感なしに科学的社会認識は成り立たない』のであるが,土井氏の考えは『共感は科学的 社会認識に高められなくては意味がない』ということになる。」(50)と述べている。また,「歴史学が歴 史の現実から離れた主観的願望を排するのは当然だと思う。が,歴史教育もそれと全く同じでいいの だろうか。」と疑問を投げかけ,歴史教育が歴史学に学びながら独自の論理をうちたてていくことをもっ と追究すべきであるとして,歴史学に対する歴史教育の独自性を主張している(51)。この安井の考えに 対して,「歴史学に立脚した歴史学習」を主張する土井らが批判し,この論争は展開されていく。
第二は,「共感する対象を教師が指定した特定の立場に限定する場合が多く,多様な立場から視 点を変えて歴史を考える選択肢を子どもに与えていない」という点である。安井の言う共感する対 象は,庶民・農民・奴隷など,「被支配者層」である。「共感」の定義が,前述したように,歴史を
「ひとごと」とせず,自分のこととして切実に考えられるようになることであるならば,その対象 は,支配者層であってもよいはずである。この点に関しては,土井も「安井は奴隷側ばかりの『共 感』題材が多く,ローマ側の対応を示す材料の提示がなかった」(52)と指摘しているし,木全も,「ス パルタクスの反乱の授業では,(支配者層である)ローマ帝国側に関心を向けた生徒がいても,安 井はあくまで奴隷制(被支配者層)からの視点に限定した」実践であったと述べ,「視点を固定化 すること」を問題として,「社会の制度や機構の面に,子どもが自然に目を向け始めたとき,しく みやそれ自体を扱うべきではないか。それは,中学生の<分析的方法>による思考の訓練を行う絶
好の機会ではないか。」(53)と提案している。
筆者は上述した論争の争点や批判点について,次項において中学生の歴史意識の特色と発達,通 史と地域史の関連性の視点から検証していくこととする。
④安井実践の課題の検証
第一の「歴史学と歴史教育」の関係性についてであるが,中学生に「歴史的事象の因果関係」の 意識を身に付けさせるためには,歴史的事象間の関連性を捉える力の育成が重要である。それはい わば,「点」である事象同士を結ぶ「線」を見出すことである。中学校段階は歴史的因果関係の意 識を発達させる時期であるから,この「線」は未発達な部分である。よって,「線」で結ぶ過程の 中には,子どもの視点で捉えた主観的な意見・考えも必要となる。歴史的事実に基づいて考えた自 分の意見は,さらに他の事象と関連付ける中で検証していくことで,より科学的な認識にまで高め ていくことができるような授業展開が中学校期の子どもたちには効果的であると考える。この思考 活動と学習展開について,本多公栄は,子どもが学習を開始するところを「入口」,科学的社会認 識をきたえるとともに知識も成長させていく中で授業が終わるところを「出口」としてその間のプ ロセスを「中間項」と称し,ここをどう展開していくかが重要であると述べている(54)。この「中間項」
である学びの過程において,自分なりの考えや意見をもち,それらを検証していくかたちで課題を 追究する学習活動を展開していけば,子どもたちの思考はより科学的な社会認識の方向へと近づけ ていくことができるのではないだろうか。
第二の「共感の対象とする視点」であるが,これに対する批判を克服するためには,支配者,被 支配者を問わず,生徒たちが関心を向けた視点で見,考えていく活動を重視することが必要である。
なぜなら,様々な視点から歴史を考察することで,歴史的事象に対する認識を深めていくことがで きるからである。また,多面的・多角的にものごとを捉える能力について見たとき,それは自発的 な見方だけではなく,自分と違う視点での見方や考え方に触れることでも育成することができる。
学び合いを通して,見方の違いによって捉え方も変わってくることを,生徒自らが発見し,実感す ることで,歴史認識をより深化したものにすることが期待できる。
地域史と通史を扱う上でも,この共感の対象を広げることは,中央史観と地方史観の両面から歴 史的事象について考察するための一助となる。また,地域史内部において複数の視点で見られる場 合もあるため,そうした諸視点からの考察も可能となる。このように,様々な視点から総合的に捉 えることで,一元的で一つの価値・意義しか見出せなかった歴史的事象に,様々な意義を見出すこ とが可能となるのではないだろうか。
⑤本論における安井実践の位置付け
安井の実践に対する評価と課題をふまえ,本研究において,通史と地域史を関連付けた学習活動 を実践するにあたっては,以下の点に留意していくこととする。
○生徒たちが自分なりの視点で歴史的事象を捉え,その意義や価値について考察することがで きるような地域史の教材化を進めていく。
○歴史の中に生きた人々の立場に立って,事実や資料(史料)などの根拠に基づいて自分の意 見や考えを構築することで,歴史的事象から分かることや歴史的事象間の関連性について考 える「歴史的思考力」を育成し,歴史認識の向上へとつなげていく。
(3)若林淳之の「通史的学習における地域史教材の活用」
①若林の実践の特色
静岡県を舞台にした歴史を研究する若林淳之は,「通史的学習における地域史教材の活用」(55)に ついて論じている。それによれば,通史的学習と地域史教材の関係について,「大変古くて,しか も新しい問題である」(56)と言っており,通史的学習と地域史教材との関係を正しく理解すること を求めている。その中で,地域史の展開から通史全体を検証するための視点と各地域の歴史的展開 の内容と有機的に関連する通史の在り方について,具体例な実践例を挙げて考察している。
その代表的な実践が江戸時代の海上交通についてである。教科書には,江戸時代の航路についての 記載が見られるが,それがまるで無事に航行されていたことを暗黙の了解とするような叙述になって いる。しかし,静岡県の遠州灘や駿河湾の地域には難船手形とよばれるものが残っており,そこには,
これらの廻船が遭難・沈没した際に救済した事実が記述されている。ここで,通史からのアプローチ と地域史からのそれとの間に,「若干の矛盾」(57)が存在することに気付く。ここから,廻船の安全性 を高めるために船頭たちや海岸沿いに住む人々がどのような努力をしたかについて調査する学習を進 めていけば,江戸時代の海上交通の発展が,廻船側の航海技術の発達のみにたよっていたのではなく,
陸地に住む多くの人との知慧や労力の提供によってはじめてその安全性が確保され,その安全性の確 保によって発展していく側面ももっていたことを学び取ることができるであろうと述べている(58)。 結びの中で若林は,今の「通史的学習は,本当に知りたい日本(世界)の歴史の流れを学習させ ていないのではないか」と指摘し,「それはひょっとすると抽象的な知識という段階にとどまった,
注入主義的通史的学習」に止まっているからではないかと述べている。そして,「日本人にとって,
血となり肉となり得る通史的学習を再構築しなくてはならないと思う」と言い,「それが,ある意 味では地域や教材の開発にも通じ,それから利用に通じる道であると思う」(59)とまとめている。
②本論における若林実践の位置付け
通史と地域史の関連性について,若林が述べた,「地域史の展開から通史全体を検証するための 視点」と,「各地域の歴史的展開の内容と有機的に関連する通史の在り方」について,以下のよう な結論を導き出したと考えることができる。
○通史的(教科書)事実と地域史事実との“矛盾”を発見し,その矛盾点から地域史調査を行う上 での課題を設定する。例えば,「海上交通の発展」という通史的記述と「難船手形の存在」という 地域史的事実とは明らかに矛盾している。そこから,「遭難手形がなぜ地域にのこっているのか」「海 難手形が廻船とどのような関係をもっていたのか」という課題を設定することができる。
○設定した課題を通史との関連性という視点から解決していくように地域史学習を扱っていく こと。地域にのこる史料や遺跡の調査を通して,通史との関連性を考える視点で課題を解決 していく活動は,地域史に見られる事実が通史とどのようにかかわっていたかを検証するこ ととなる。これは,決して地域内の事実で地域内の課題を解決するという地域埋没型の課題 解決ではなく,また,通史で見られる事実が常に中心で,地域でもその事実が見られるのか を検証するような,通史に従属する地域史的視点での課題解決でもない。
○地域史学習を通して,「海上交通の発展を支えた地方の努力」など,教科書に書かれた通史 的事実が見られる土台・基盤には,地域の具体的事象があることを捉えることができる。
これらの結論は,前述した平松の理論「通史と地域史の相互補完的」な学習を考える上で参考とな る部分が大いにある。特に通史という「見えないもの」を学習した後,通史学習によって得た知識・
概念をもって,地域史という「見えるもの」を検証して,その矛盾を捉える活動は,平松の理論の Bに通じ,矛盾から設定した課題を「見えるもの」(=地域史)の調査を通して解決し,再び「見 えないもの」(=通史)を検証する活動は,理論のAに通じる。若林の理論と実践は,平松の理論 を中学校における実践レベルで具体化したものと言うことができる。
6.立体的・有機的歴史像の構築
(1)立体的・有機的歴史像の定義
平松の学習方法論,安井の認識形成論及び教材論,そして若林の通史-地域史の関係論から,中 学校における歴史意識の発達を促すための通史と地域史を関連付けた学習の具体的な流れは以下の ようになる。
通史学習を通して獲得した通史的歴史像をもって地域史を見,通史との関連性を発見する。そこ から課題を設定し,地域史を調査する活動を通して関連性が見られる原因・理由を究明する。その 際,その時代を生きた人々の視点(立場)に立ち,資料(史料)を根拠にした自分なりの考えをもっ て課題を追究していくようにする。こうした追究活動を通して,調査した地域史と通史とを関連付 けた上で学習した時代の歴史像について再考し,歴史に対する認識をより深化させていく。
上記のように,通史学習のみで構築した歴史像から,歴史をより立体的に捉え,歴史的事象の有 機的な関連付けを意識した考察を行うことによって歴史意識を高めていくことをめざした活動を
「立体的・有機的歴史像」の構築と称 することとする。
立体的とは,ものごとを様々な角度 から総合的に捉えることである。歴史 像を 構築する上で大切になってくる のは,歴史・時代の全体像の捉え方で ある。これまでは,教科書・資料集を 中心とした「一面的・平面的」な把握 が多く,「無味乾燥」な歴史学習に陥 る危険性も多かった。この問題を解決 するためには,右図のように,様々な 角度・視点から歴史を見,考えること
が大切である。教科書だけの歴史認識ではなく,他の資料からも検証することによって,その認識 の信憑性を高めることができる。また,中央史観のみで構築した歴史像を,他の視点から見ること によって,異なる意義・価値に触れ,より深化した歴史像へと再構築していくことも可能となる。
平面的な認識は,「広がり」のみとなり,それは,ある視点・価値基準にしたがった事象に対する 評価をどれだけ理解できたかという要素の強いものとなる。一方,立体的な認識は,「広がり」だ けでなく,「深まり」も見られるので,理解的側面だけでなく,思考するという要素も必要であり,
歴史的事象に対する認識の深化を図ることができる。
図6 立体的歴史像
有機的とは,多くの部分が緊密な連関をもちながら全体を形作っていることである。図7のよう に,ある社会的事象は,他の事象と関連をもちながら事象として成立している。その関連性を見出 すことが大切であり,それによって事象をより深く認識することができる。また,ある歴史的事象 が及ぼした,その時代を生きる人々(為政者,朝廷,庶民など)への影響や他の歴史的事象に対す る影響などについて考えることができる。さらに,ある歴史的事象は,別な歴史的事象からの影響 を受けて成り立っていることなどにつ
いても捉えることができる。有機的関 連性を認識するという
とことは,事象間の時間的・空間的つ ながりを理解することであり,その時 代像や人々の思いや願いを重層的に思 考する力を育成することができるので ある。
以上のように,立体的・有機的歴史 像の構築を行うことによる窮極のねら いは,「歴史をより深く認識すること」
にある。ある事象を様々な視点で見る
こと,事象同士の関連性を考慮すること,そして,互いに関連し合っている事象をさらに多様な視 点から捉えること。これにより,歴史とは見る角度,位置,立場,視点によって様々な考察・検証 ができることを学ぶことができるであろう。この,様々に見,考えることのできる事象を「自分なり」
の視点から捉えることで,歴史像を構築していくことが大切である。無論,「自分なり」の視点とは,
自分勝手な一面的見方ではない。様々な角度から見た歴史を「自分なり」にどう分析し,組み立て ていくかということであり,それは一面的把握・平面的認識を克服することでもある。よって,歴 史を「自分なり」に見,考えるとは,立体的・有機的の両要素を得てはじめて可能になると考える。
(2)立体的・有機的歴史像の構築のために
前述してきた通史と地域史を関連付けた学習を通して,「立体的・有機的歴史像」の構築を行っ ていくために,具体的な単元構成の中に以下の3点を取り入れ,指導計画を作成していく。
1)通史的歴史像の構築を行う。(⇒通史的認識,通史理解)
・教科書等で学習した通史としての時代の特色や意義について考える時間を設定する。
2)地域史を取り扱った独自の小単元を構成する。
3)通史と地域史の関連性の追究する。(⇒立体的・有機的歴史像の構築)
・通史で学習した内容や構築した歴史像と地域史を比較・検討する中で関連性(共通点 ・相違点)を見出し,その関連性が見られる理由について調査する活動を取り入れる。
以上の視点を基に,具体的には以下のような地域史学習の学習プロセスを提案する。
図7 有機的歴史像
①単元の中心となる学習内容についての既得知識や経験を基に,学習する時代についての関心 を高める。〔つかむ〕
②通史学習を通して,学習する時代にかかわる特色を調べる。〔調べる〕
③調べたことを基に,時代の特色についての一般的・抽象的概念(通史的歴史像)を構築する。
〔まとめる〕
④構築した通史的歴史像をもって「地域史」に通史との関連性を見出し,関連性が見られる原 因・理由について,自分なりの視点(立場)に立ち,既習の通史的概念や地域史の調査など を通して追究する。〔生かす〕
⑤時代の特色について,通史と地域史を関連付けて立体的・有機的に再考することにより,
③より深化した歴史像(立体的・有機的歴史像)を構築する。〔深める〕
上記のプロセスのうち,①~③は通史学習のプロセスである。教科書や資料集からの歴史的事象に 対する考察や読み取りを通して,通史的歴史像の構築を行う。④~⑤はその通史学習と関連付けた 地域史学習のプロセスである。身近な地域の歴史的事象について,構築した通史的歴史像を基に関 連性の発見と追究を行い,そこからより深化した,立体的・有機的歴史像の構築を進めていく。
本研究では,以上のように「通史学習」を先に実践し,その後に「地域史学習」を行う流れを提 案した。つまり,通史的歴史像を構築した上で通史と地域史を関連付けて捉え,立体的・有機的歴 史像を構築していくというプロセスである。前述した平松義樹や若林淳之の理論から,通史学習で 得た概念をもって地域史を見るというプロセスを経ることで,歴史的事象同士や事象と時代との関 連性を捉える視点を定めやすくなり,地域の歴史的事象の特色や存在価値・意義などをより明確に 把握することができるようになると考える。
また,地域史を教材化する上での課題の一つである「地域史資料(史料)の難しさ,少なさ」を 克服するためにも通史を先に実践することは効果的な方法である。地域の具体的事象から一般的・
抽象的な概念へと思考していくだけでなく,通史を通して「歴史の大きな流れ」を学ぶ中から,歴 史的事象や時代について捉えるための判断材料(ツール)を身に付け,それを基に地域の歴史的事 象について思考すること,すなわち一般的な概念を基に具体的・特殊的な事象について思考するこ とによって,具体的・特殊的であるが故に見たり考えたりする視点が困難であったり多様すぎて見 極めにくかったりする地域史を捉えるための方向性を決める道標とすることができる。さらに,有 効な地域史資料(史料)が稀少で,思考の広がりや深まりに限界が生じた場合においても,通史的 概念をツールの一つとすることで,両者のかかわりの中から地域史を捉えることができるようにな る。無論,思考の過程においては,逆に地域の歴史的事象について思考することで,通史でいう時 代の特色をより重層的に把握することも可能になる。以上の点から,通史的概念としてその時代,
事象に対するある程度の枠組みを先に構築しておくことは,地域史との関連性を発見し,追究して いく上で有効であると考えられるため,通史学習を先に実践し,後に地域史学習へと移行していく 流れをとっている。
7.おわりに
本研究では,これまでの社会科教育における地域史の扱われ方について整理し,近年の地域史学