「研究一
高原一朝の迫断層とその延長について
1 . は じ め に
高原一朝の迫断層(第1図)は、人吉盆地 内の高原(たかんばる)丘陵に、長さ約3kn に達する直線状の顕著な断層凹地を形成する 活断層であり、それは「九州の活櫛造」(東 京大学出版会)に記述されている。
「九州の活構造」に掲戦されている高原台 地地形断面図(第2図)では、高原一朝の迫 断層は北側落ちの正断層と判断されている。
しかし、高原一朝の迫断層は空中写真の判読
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原 田 正 史
によって発見された断層であるために、断層 露頭による確認がなされていない。
私は、以前に実施された朝の迫凹地南側の 耕地造成工事と、その東方に位置する深田ク
ラウンゴルフ場の造成工事において、高原一 朝の迫断層と判断される断層露頭を認めてお り、先ずこのことについて記述する。また、
深田クラウンゴルフ場における断層露頭の存 在から高原一朝の迫断層は更に東方へ延びる のではないかと判断して追跡を試みた。その
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第1図高原丘陵付近の高原一朝の迫断層
(球磨川、川辺川、銅山川に囲まれた地域に広がる丘陵が高原丘陵である)
250m
200 150
第2図高原台地地形断面図(九州の活構造より)
2km 250m 200
150
結果、高原一朝の迫断層は人吉盆地東端域に 到達している可能性が極めて高いとする、一 応の結論を得ることが出来た。更に、その西 方への延長についても、高原一朝の迫断層の 存在を裏付ける事実を認めており、それぞれ の延長について見解を述べる。
2 . 断 層 露 頭
平成2年2月、朝の迫凹地の南側(第1図、
A地点)、即ち高原一朝の迫断層の断層崖上 縁部での造成工事によって出現したカット面 に、第3図のような断層露頭を認めた。断層 は、N50Eの走向で、60NWの傾斜を呈 しており、破断された高原層は、その上部に 乗る実操層と共に北側へ落ち込んでおり、そ の露頭の位置や断層の性状から、これは高原一 朝の迫断層を意味するものと判断される。
同年7月、朝の迫凹地東方に位置する深田 クラウンゴルフ場造成地内の角目の迫(つの めのさこ)凹地でも、工事用道路の新設に伴っ て出現したカット面(第1図B地点、C地点)
に、高原一朝の迫断層の東方延長部を意味す ると判断される断層露頭を2ケ所の地点で確 認できた。砂岩層に約2m幅の破砕帯を保有 して露出する断層はそれぞれN60E,70 NW,N65E,60NWの走向傾斜を呈し ており、高原一朝の迫断層と一連のものと考
えられる。なぜなら、N60E〜N65Eと いう断層の走向は、直線状を呈する角目の迫 凹地の延びの方向にほぼ一致しており、角目 の迫凹地も朝の迫凹地と同じく高原一朝の迫 断層によって形成された断層凹地である。
3.高原一朝の迫断層の東方延長
第1図に示されているように、朝の迫凹地 はその東端部において北側へ湾曲しており、
「九州の活構造」でも高原一朝の迫断層がこ の凹地の変化に従って北側へ湾曲するものと して図示されている。しかし、深田村山地全 域の地質調査から得た知見からすれば、この 朝の迫凹地東端部における北側への湾曲は、
深田村山地に鮮明な断層谷を形成して南西方 向に延びる湯の谷断層と完全に一致している
ことから、高原一朝の迫断層ではなくて湯の 谷断層によって形成された可能性が高い。
なお、「九州の活構造」に示された湾曲し た高原一朝の迫断層の東方への延長部は、深 田クラウンゴルフ場の中心地域、即ち山地を 平坦化するために大型土木機械によって徹底 的な削剥がなされ、地層がほぼ完全に露出し た地域に位置することになる。ところが、こ の地層の完全露出地域では、規模の大きい数 本の南北系断層を除いては、存在するのはい ず れ も 小 断 層 ば か り で あ り 、 N 6 0 E 〜 N
第3図朝の迫凹地南縁の断層露頭図
に示されているように、深田村の笹野の迫直 線状凹地、田頭川屈曲部直線状凹地、須恵村 湯の原の大迫直線状凹地、多良木町の岩川内 川屈曲部直線状凹地、牛繰川屈曲部直線状凹 地、大久保直線状凹地と、途中に多少の食い 違いや湾曲を伴うものの、ほぼ東北東〜西南 西の走向を持つ断層地形の連続的な存在から、
多良木町東端の四万十層山地山麓まで追跡可 能である。
これら断層地形の中で、笹野の迫直線状凹 地では、凹地南縁の約300mにわたって明瞭 な三角末端面が認められ、笹野の迫直線状凹 地が断層凹地であることを明示している。ま た、北側から南南東方向に流下する田頭川、
岩川内川、牛繰川のいずれもが、その流路を 西南西方向へ急激に転じていて、それぞれ長 さ1.2〜1.3kmの屈曲部直線状凹地を形成し ている。この3河川に認められる西方への屈 曲は、高原一朝の迫断層が北側落ちの正断層 としての上下方向の活動成分と共に、右横ず れ断層としての水平方向の活動成分も併せ持 つものであることを示している。
また、朝の迫凹地東端より多良木町東端の 四万十層山地山麓まで約13kmの東方への延 長を持つと判断される高原一朝の迫断層は、
65E方向の延びを示す高原一朝の迫断層の 存在は全く認められなかった。
この事実は、高原一朝の迫断層が高原丘陵 東部において北側へ湾曲した後に東進してい ないことを示すばかりでなく、前述した角目 の迫凹地に認められる断屈露頭が高原一朝の 迫断層の東方延長部とした見解を支持するも のである。
以上のようなことから高原一朝の迫断層は、
朝の迫凹地の湾曲に従うことなくそのまま直 進し、西の迫凹地が南南東方向から東北東方 向にその方向を急変させている付近を通過し て、銅山川谷に入るものと考えられる。この 延長方向は、角目の迫凹地の延長方向とは一 致せず、銅山川谷付近において約200mの食 い違いを生じている。即ち、朝の迫凹地が角 目の迫凹地に対して北側へ約2⑱mずれ上がっ ていることになる。この食い違いは、銅山川 谷付近を通過する南北系内山断層に起因する 運動によって西側ずれ上がりの階段状構造を 示すものと考えている。
このように、朝の迫凹地から角目の迫凹地 まで確実に追跡されると思われる高原一朝の 迫断層であるが、角目の迫凹地以東について も、高原一朝の迫断層東方延長図(第4図)
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第4図高原一朝の迫断層東方延長図
深田村銅山川谷付近を始め、須恵村諏訪ノ原 付近、多良木町新山付近、多良木町東光寺付 近など、いくつかの地点において南北系断層 に切断され、東方から西方に向かって順次北 側へ階段状にずり上げられているものと考え
られる。
4.高原一朝の迫断層の西方延長
高原丘陵を挟って東北東方向から西南西方 向へ約3kmにわたって直線状に延長する朝の 迫凹地は、その西端を村松集落の位置する高 原丘陵の高まりに遮断されて忽然として消滅 しており、高原一朝の迫断層も一見この地点 で終駕するようにも考えられる。
しかし、「九州の活構造」では、その方向 をやや北側へ湾曲させながらもそのまま延長 して、人吉農芸学院南方の小凹地近くまで記 されている。確かにこの延長部分の丘陵面に は、浅い凹地部がかなり鮮明さには欠けるも ののほぼ連続的に存在しており、高原一朝の 迫断層の延長を示すものと考えられる。私は この部分の高原一朝の迫断層について、北側 へ湾曲しているのではなくて、朝の迫凹地西 端付近を走る南北系断屑に切断され、切断さ れた断層の西側が北方へずれ上がっていると
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考えている。
「九州の活構造」には示されていないが、
私は川辺川沿いの低平地から高原丘陵地に食 い込んでいる人吉農芸学院南方の小凹地も、
高原一朝の迫断層によって形成された断層凹 地であると考えている。高原一朝の迫断層が この小凹地を通過して更に西南西に延長すれ ば、その延長線は南流して来た川辺川が、流 路を西南西方へ急変させている屈曲部にほぼ 一致する。また、この川辺川屈曲部の長さは 約1.5kmであり、高原一朝の迫断層の東方延 長部に見られる田頭川、岩川内川、牛繰川の 西方屈曲の変動量にほぼ合致している。従っ て、川辺川の屈曲は単なる河川蛇行の所産で はなく明らかに断層地形であると考えている。
川辺川屈曲以西については、高原一朝の迫 断層西方延長図(第5図)に示すところであ るが、川辺川屈曲部の西方を南流している鬼 木川にも、西南西方向への屈曲部が認められ る。屈曲部の長さは約1.2kmであり、前記3 河川の変動量に一致していて、鬼木川の屈曲
も高原一朝の迫断層によって形成された断層 地形であることを窺わせる。
鬼木川屈曲部は、川辺川屈曲部に対して縦 1km北方へずれ上がっており、ここでも人吉
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第5図高原一朝の迫断層西方延長図
盆地の基本的構造である階段状構造が認めら れる。
鬼木川屈曲部の延長方向をそのまま延長す ると、延長線は山江村から人吉市へ伸びる丸 岡丘陵の南端崖をかすめ、人吉市の村山丘陵 北端崖下を通過して球磨川と万江川との合流 点付近に到達する。あらためて村山丘陵北端 崖を観察すると、その崖線が村山丘陵を巡る 他の崖線と違って極めて直線状であり、断層 崖としての特徴的な形態を示していることに 注目させられる。
更に、北端崖下沿いに流れる福川(ふつご う)も、南流して来たものが西南西方向に屈 曲しているのであって、北端崖の長さでもあ る福川屈曲部の長さの約1.2kmは、その他の 屈曲諸河川の屈曲変動量に完全に一致してい る。従って、村山丘陵北端崖が高原一朝の迫 断層の存在を指示する断層崖であるのは明白 である。このことから、丸岡丘陵の南端崖も 同様に高原一朝の迫断層によって形成された 断層崖であると考えられる。
村山丘陵北端崖を通過した高原一朝の迫断 層は、球磨川を越えて南部山地へ更に延長す ると判断されるのだが、その延長付近にその 存在を指示するような断層地形を全く認める ことが出来ない。ところが、人吉盆地の階段 状構造の事実を適用して延長線の北方を探す と、延長線の北側約700mの位置に、南西方 向に直線状に連なる二つの谷と一つの断崖を、
人吉市大柿南端部から球磨村千津までの約 4.5kmにわたって追跡することが出来る。こ の直線状に連なる二つの谷と一つの断崖も、
恐らく高原一朝の迫断層によって形成された 断層地形に違いないと考えられる。これによっ て高原一朝の迫断層は、西方へも高原一朝の 迫凹地西端から球磨村南部山地まで、約,6 kmにわたって延長している可能性が極めて高 いと考えられる。
5.おわりに
朝の迫凹地という明瞭な断層地形によって
その存在が認められた高原一朝の迫断層を、
その東西両方向に連続的に存在する断層地形 の確認によって更に追跡し、高原一朝の迫断 層が人吉盆地を完全に縦断していることが明 らかになった。さらに、高原一朝の迫断層は、
少なくとも30km近い長さを持つ断層である と共に、諸河川に認められる西方への河道屈 曲の把握から、その断層活動が正断層として の上下方向の運動成分と、右横ずれ断層とし ての水平方向の運動成分を併せ持つ、斜右横 ずれ運動によって形成されたことが判った。
それにしても約40年前、田村実熊本大学 名誉教授が川辺川屈曲について、現時点では 断層の特定は出来ないけれども、断層によっ て形成された断層地形であることは確実だと 話されたことが思い出される。今回の高原一 朝の迫断層の追跡によって、その予測の通り に川辺川屈曲の成因を斜右横ずれ断層運動に 求めることができたことは望外の喜びであり 感慨深いものがある○
高原一朝の迫断層の更なる延長については、
その東方水上村岩野での最近の造成工事にお いて、高原一朝の迫断層の性状に適合すると 思われる断層露頭が確認され、その周辺一帯 の地形・地質調査が必要である。また、西方 球磨村千津付近は、地形地質の慨要把握のた めに通過しただけであり、更なる延長の有無 を判断するための地形・地質調査が必要であ る。
参考引用文献
原田正史(1988)、球磨村誌、3‑100、球磨村 原田正史(1990)、山江村誌自然編、37‑368、
山江村
原田正史(1994)、相良村誌自然編、17‑146、
相良村
原田正史(1994)、深田村誌、3‑56、深田村 原田正史(1995)、須恵村誌、3‑176、須恵村 岡田篤正、千田昇(1989)、九州の活構造
108人吉、398‑406、東京大学出版会