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清代法に於ける墳塚の秩序

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清代法に於ける墳塚の秩序

著者 森田 成満

雑誌名 星薬科大学一般教育論集

17

ページ 21‑56

発行年 1999

URL http://id.nii.ac.jp/1240/00000207/

(2)

清代法に於ける墳塚の秩序

田 成満

  目 次

⁝⁝−⁝⁝・−⁝⁝⁝⁝⁝⁝・⁝⁝⁝:⁝⁝⁝・⁝⁝−⁝⁝⁝⁝・⁝−⁝⁝⁝⁝⁝・⁝⁝⁝⁝⁝:⁝・⁝⁝二一

第一節 墳塚に対する支配:⁝⁝⁝:⁝⁝・⁝⁝⁝⁝⁝⁝:・:⁝⁝⁝⁝⁝⁝・:⁝⁝⁝⁝⁝⁝・⁝⁝⁝::二三

  第一款 墳塚に対する支配の仕組み⁝:⁝⁝⁝:⁝・:⁝⁝⁝⁝⁝⁝・:⁝⁝⁝⁝⁝⁝・・⁝⁝⁝⁝⁝⁝二三   第二款 墳塚に対する支配の司法的な保護:⁝⁝⁝⁝⁝:・⁝⁝⁝:⁝⁝⁝・⁝⁝⁝⁝⁝:⁝・⁝⁝⁝・三〇

第二節 墳塚に対する犯罪とその処罰:⁝⁝⁝⁝⁝:・・⁝⁝−⁝⁝⁝⁝・⁝⁝⁝⁝:⁝⁝⁝:⁝⁝⁝⁝:四五

語:⁝⁝⁝⁝⁝⁝・−⁝⁝⁝⁝⁝⁝・:⁝⁝⁝⁝⁝⁝・⁝⁝⁝⁝⁝⁝−・:⁝⁝⁝⁝⁝⁝・⁝⁝⁝⁝⁝:⁝・五五

序言

21

清 律礼律喪葬条は遺体︵﹁屍﹂︑﹁死屍﹂︶は棺に納めて︵遺体を納めた棺を﹁枢﹂という︒︶土葬するべきであるとし︑

(3)

後︑長く埋葬しなかったり︑故なく火葬や水葬にすることを禁じている︒土葬が礼に叶った方式であった︒農地の隅︑2リム      ヨ   あるいは山腹に埋葬して︑北方は土饅頭と墓碑︑南方は馬蹄型の墓を築くという︒この︑枢と墓︵碑︶を含あた一定範囲      働

地 を一つの物としてとらえて﹁墳塚﹂と呼ぶ︒

      ㈲本稿は清代に於ける墳塚の法秩序を明らかにすることを目的とする︒それは財産法︑特に土地所有権の仕組みのほか︑

  家族のあり方等とも関係する︒

墳塚の秩序は︑枢と墓碑の所有権とその正当な存置を保護するための仕組み︑および︑墳塚を巡る良俗を損なうものを

処 罰する仕組みから成り立っており︑その二つの関係に留意する︒

       ⑥  稿の対象に関係する先学の業績は︑墳塚に対する支配の仕組みに関係するものが見られるに止まり︑その司法的な保

   を巡る風俗犯罪について記す本格的な業績を検索できない︒それ故︑論述の多くを第一次史料に依拠する︒律例

案のほか︑民事的な裁判を知ることができる史料としていわゆる判語を数多く利用する︒

ω  喪の儀式として︑通例︑四十九日が経つと遺体を棺に納めて家に安置する︒これを﹁殖﹂と呼ぶ︒ついで仮に埋める﹁浮暦﹂を経

 て埋葬に至るという︒﹇陶壁公憤法制科六頁a﹁喪葬﹂︒加地伸行﹃儒教とは何か﹄︷中公新書︑ 一九九〇年︵以下︑加地著書と記

 す︒︶︸﹈︒

   礼律喪葬条は次のように記している︒﹇大清律例︷﹃大清律例彙輯便覧﹄︵光緒二九年︑成文出版社影印︶を使用︸巻一七︑礼律喪葬   条﹈︒明律を継受し︑順治三年に爽註を添入している︒

    およそ︑尊卑の喪がある家は︑必ず礼に従って期限を定めて埋葬しなければならない︒もし︑風水に惑いことに託つけて枢を家    において長年むき出しにしたまま埋葬しないものは杖八十に処する︒もし︑屍を殴棄したら︑また︑その律がある︒もし︑尊長の    遺言に従って屍を火葬にしたり水中に捨てたものは杖一百に処する︒卑幼に従ったときは二等を減じる︒もし︑遠方で死亡し子孫    が帰って埋葬できないために火葬するのならばその都合に沿ってもよい︒⁝

  職官︑庶民は三か月が埋葬の期限であって︑それを過ぎるとこの条項によって処罰する︒もっとも︑実際にはいつまでも埋葬しな

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 いことが少なくなかったらしい︒それを禁止する告示を史料に散見する︒︵例えば︑撫響政略巻三︑符激︑五七頁a﹁勧諭早葬﹂︒視   己成事斉官書巻二︑九一頁a﹁暁諭速葬停棺示﹂︶︒

従っていつまでも埋葬しないときも違法性は減免されない︒風水に沿うことがはっきり容認されてはいないことに対応す

  る︒︵本稿二七頁︶︒乾隆十一年に定められた条例は次のように記している︒︵大清律例巻二五︑刑律発塚条条例七︶︒

   およそ︑愚民で風水に惑い︑勝手に洗筋︑検筋を名目にして既に埋葬した父母︑五服以内の尊長の骸骨を発掘し検視し吉凶を占

  うものは︑すべて服制に照らして穀棄をもって処罰する︒⁝

長 く埋葬しないことによって屍を損壊したときは屍を損壊する行為と競合する︒︵本稿四六頁︶︒

ω中国檀葬管理について  墳葬管理的暫行規定﹂︵明治薬科大学研究紀要二五号︶︵以下︑森論文と記す︒︶六六頁︒

⑧  川勝守﹁明清以来︑江南市鎮の共同墓地・義塚  上海付近市鎮志の義塚を中心として  ﹂︵東洋史論集二四︶︒

ω 義には墓碑を除く埋葬地を指す︒

 歴代皇帝の陵寝等は別途解明するべき課題であるので︑︵礼律歴代皇帝陵寝条等を参照︒︶本稿の対象にしない︒

 ﹃臨時台湾旧慣調査会第一部調査第三回報告書 台湾私法﹄︵以下︑﹃台湾私法﹄と記す︒︶巻一下︑九八頁以下︑同右書巻二上︑七

頁以下︒

第一節墳塚に対する支配

第一款墳塚に対する支配の仕組み

塚 を支配をするには︑枢︑墓碑そのものの所有権をもつことと︑その土地にそれらを設置する正当な根拠︵﹁権原﹂︶

  をもつことが必要である︒そこには皇帝の権力に基づく官の秩序である官法と官法とは根拠を異にする多くの人々が従う

行為規範としての民間秩序がある︒

碑そのものに対する支配については︑官法と民間秩序に体系上の接点はない︒しかし︑枢や墓碑を巡る考え方に

23 官員と人民の間に差がないことを反映してそれらの支配に関する官法と民間秩序の内容は︑事実上︑一致する︒

(5)

24 枢︑墓碑の設置の正当性に関する民間秩序は︑土地所有権は行政的な手続きを通して官から授与されることによって原

的に取得するものであって︑その土地を自由に利用し処分できる内容をもつとする官法の枠の中にある︒

碑の所有権に関する官法は裁判規範であり︑人民の行為規範として働くことはない︒枢や墓碑の所有権について

は︑人民は内容は同じであるけれども︑官とは関わりのない民間秩序に沿って行動していた︒ところが︑それらの設置に

関する官法は裁判規範であるとともに官が人民に与えた行為規範でもあり︑人民はそれを受け入れて行動し民間秩序を形

作っていた︒

このように︑墳塚の支配を巡る官法と民間秩序の関係は単純ではない︒ただ︑内容の多くは一致するので︑官法と民間

秩序の内容が異なるところに︑特に留意する︒

墓 碑に対する所有権はそれを造ることによって原始的に取得するか︑あるいは︑それを相続する︵﹁祖遺﹂︶ことに

よってのみ取得される︒

  枢︑墓碑の所有者とその土地に枢を埋め墓碑を建てる正当な根拠をもつ主体は必ず同じであるけれども︑枢︑墓碑の所

有者とその設置を認あた土地の所有者は違うことがある︒現行民法二四二条但し書きの不動産の付合の法理に沿って不動

産の所有者とは別に権原によってそこに物を付属するものがあり得ることに類似する︒設置する根拠としては土地の所有

権を取得しているときと所有権とは別の利用権を土地の所有者から取得しているときがある︒

碑の所有者がその土地の所有権をもつのは︑自ら官から付与された土地︑あるいは︑祖遺の家産に埋葬するとき

りな       ヨと新たに土地を譲り受けて埋葬するときである︒乾隆年間末葉の江蘇巡撫の上申に対する判断を示す次の一案では新たに

入 した山に妻子を埋葬している︒

(6)

  また︑︵乾隆四十六年︶江撫の杏︒何鳳儀は妻子の二つの棺を購入した墳山の中に埋葬した︒劉姓の墳から九十七弓離れている︒劉魁

転させようとするが応じないので︑思い立って︑棺を発掘して移して埋葬した一案︒劉魁を例に照らして軍罪に処する︒

      マ      ら 用権をもつ場合として︑他人の土地を借りて埋葬することがある︒同族の土地に埋葬することがある︒官山に埋葬す

ることがある︒乾隆初年まで広東省の地方官を歴任した逮英は︑官山は誰でも墓を造ることが認あられるとする判決を出     ㈲ している︒︷﹁其山果有祖墳・而人干空処営葬・相隔三丈以外者・不得籍端阻擁・如有砧立空堆強覇官山・不許他人営葬

  者・発覚之日・即照強佑山場律究擬﹂︵その山に︑もし︑祖墳があるとしても︑人が空いているところに埋葬し互いに三尺

離れているときには︑理由を付けて邪魔をしてはいけない︒もし︑碑を建てて官山を占拠し︑他人が埋葬するのを認

なければ︑発覚した日に直ちに強佑山場律に照らして処断する︶︸︒

広東巡撫が刑部に上申してきた事案に対する嘉慶二十一年の説帖の中に︑官山に築堆しても盗葬した罪人ではないとい      m   う文言が見られる︒︷﹁死者在官山築堆・並非盗葬罪人﹂︵死者を官山に埋葬しても決して盗葬した罪人ではない︒︶︸

利用権には︑永久的なものと一時的なものがある︒利用権は︑通常︑無償であったらしく有償の例を検索できない︒秩  永久的な利用権があることと関連して︑官法が放任しているところにできる民間秩序に於いて墳塚を設置する権能と土

       ー 地のその他の権能が別個の独立した所有権の客体として震される・とがあ郁例養湖北省湘西玩陵各県では山地の

買契拠には陰陽の山地を売却したと記しておかないと紛争が起こったという︒陰は売ったけれども陽は売らないという

  字句の中に︑一つの山地を二つの客体に分けて墳塚を造る陰地とその他の利用をなす陽面とにする慣習の存在が窺われ

法  旬

 る︒

5   山地を売買する契拠には必ず契を立て︑陰陽の山地を売却した︒売却した後は買主は自由に契拠に照らして管業及び開掘︑進葬でき2 るという字句を記載しなければならない︒もし︑記載のないときは買主が陰地と見て墳螢を造ると売主は必ず陽は売ったが陰は売って

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   いないという主張をして出て来て抗争し︑買主がもっと大きな代価を支払って別に売契を立てるのでなければ︑平穏に所有権を取得す

2  ることができない︒⁝

墳 塚に対する支配の主体は実質的には家であるけれども︑家はいわば権利能力なき社団であって︑家の構造によって父︑

あるいは︑兄弟がいわば代表名義人としての法的地位にある︒家産分割後に造った父母の墳塚や造った後に家産分割した      醐ときの墳塚は︑家々が共同で支配する︒      ooo20304 塚の支配は一定範囲内の土地に及ぶ︒どこまで及ぶかは官庶それぞれの身分によって異なるという︒

当な理由があれば移葬を認めるけれども︑墳塚を分割や譲渡の対象にすることはできない︒族外のものと墳塚を共有

することはない︒また︑利用しなくても︑時が経過することだけで枢や墓碑の所有権や︑土地の所有権や利用権がなくな

る訳でもない︒墳塚は男系の子孫によって永久に保持されていかなければならない︒       09それ故︑家産分割しても墳塚は分割されずにそのまま子孫に継承される︒また︑土地所有者と枢と墓碑の所有者が異な       060wるとき︑土地を譲渡しても枢と墓碑の所有者のたあに利用権を設定するか︑墳塚の部分を譲渡の対象に含めない︒前者は

利用権をもつ枢と墓碑の所有者に着眼して利用権は第三者に対抗できる物権的なものであるといいかえることができる︒

川省総督の上申に対する次の道光二十五年の説帖は︑王姓が土地を討して親を埋葬する例である︒討とは永久的︑物権

的な利用権を設定する契約であろう︒のちに土地所有者である荷姓がそれを喬姓に売却しても王姓が墳塚を設置する権利         ㈹なくなる訳ではない︒

督の杏︒⁝従前︑王大亮の高祖は︑ただ荷姓に向かって討地して親を葬った︒かつて契拠を立てて再び葬ることを許さない︒荷會

時がこの土地を喬姓に売ることになって︑また︑その州は断を下して境界を立てて墳を葬ることを禁止した︒今度︑王大亮が断に違い

約束を破ってひそかに盗葬した︒その総督は不応の重杖によって処断し︑さらにもとの断に沿って移葬させた︒見るべし︒喬定清が発

(8)

掘した棺はもと常人の墳塚を発掘したのと同じではない︒情を計って罪を論じる︒当然︑その犯人の喬定清を田地の中で盗葬し地主に 発 掘され減等する例を比付して問責して満徒とする︒⁝

曽が四川省洪雅県の知県をしていたときの次の一案は︑契拠にはっきり記載されていなくても墳塚      09は売却した土地に含まれないとする︒

  ⁝卑職は既にその情況を把握した︒そこで自ら現地を調べその宅地を調査し祝氏の契拠の境界を照らし合わせると︑細かいところま

する︒曽代明父子が現在竹房を建てて占拠しているのである︒青竜噴の土地について︑果たして二か所あるか否かについ

は︑それ曽萬斗が買ったところはわずかに小さな土地だけであり曽の土地に接している︒丹徐の買契の中の青竜噴は四至がはっきり

していて実際大きな土地であり︑かつ︑祝と曽の土地は入り組んでいる︒もし︑萬斗が購入したのであれば︑なぜ四至がないのであろ

うか︒それを祝丹徐に与えて所有させるべきことは疑いない︒五老山頂については︑曽氏の祖墳があるが元来争いはない︒竹林の一小

は土地が広くなく内に周氏の夫婦の塚がある︒祝丹徐が購入した中に記載されているといっても︑曽に与えて祭掃せしあるように裁

くべきである︒曽萬斗︑曽代明は侵占他人田宅律の即ち田一畝屋一間以下は答五十にし︑田五畝屋三間ごとに一等を加え杖六十を読み

替 えて二十板の責懲を加えるべきとの規定に沿うべきである︒⁝

      ⑳序  時には契拠に売却の範囲に含まないことを明記する︒ 塚の支配には方位や地質の吉凶を判断する術である風水等の相隣関係から来る利用の制限鋤醐醐︒ただ︑風水による塚       ⑳

  制限は必しもはっきりしたものではない︒﹃台湾私法﹄はせいぜい道義上のものであったという︒

る      ㈱ 強いてそ・︑までの土地を利用しなくてもよいようなときは利用を認めないという事案がある︒利用の制限の有無を利用

こ      ⑳ 要性という具体的情況の中で判断している︒また︑同族の尊長の墳塚の近くには埋葬できない︒康煕年間末葉に戴兆 佳が漸江省天台県知県をしていたときの次の一案は・風水に背くことと卑幼が尊長を犯したことを考毛肇澄が造・た墓

7 を移させている︒2

(9)

⁝本県が自分で調べてみると間違いはない︒それ碑を造って人の墓の明堂を塞ぐのは情に背く︒また︑卑幼が尊長を犯すのは不義で2  ある︒不情不義︑どうして肇澄はそれをなしたのだろうか︒いわんや墓を造れば縁起が悪くなって不吉な土地になることを知るべきで

ある︒移転させて災の元を絶つのがよい︒案を立てる︒

また︑稀れには山地に課税するけれども︑墳塚そのものに課税することはない︒

分割や譲渡ができないので支配を巡って紛争が起こらない限り︑人は墳塚支配の代表名義人を意識しない︒また︑徴税

されることも賃借料を納めることもないのでその土地に墳塚を造る根拠が所有権か利用権かが一見しただけでははっきり

しないこともある︒

日本社会のそれと比べたとき︑墳塚に対する支配︑あるいは︑葬送︑祭祀のあり方に往時の日本の家観念に類似するも       oooD幽

は見られない︒また︑そこに宗教組織との関わり合いが稀薄である︒

ω  官法と民間秩序の関係︑および官法がどのようなときに行為規範にまでなり︑どのようなときに裁判規範となるかということ等に

 ついては︑拙稿﹁清代に於ける民事法秩序の構造再論  特に土地所有権に着眼して  ﹂︷﹃混沌の中の所有﹄︵国際書院︑一九九九

年 十一月刊行予定︶所収︸︵以下︑拙稿﹁民事秩序再編﹂と記す︒︶を参照︒

 天台治略巻三︑二〇頁a︑謝語二件恩全血食等事﹂︒

 刑案確覧巻二一︑刑律発塚条﹁又四十六年江撫杏何鳳儀将妻子二棺葬於契買墳山内⁝﹂︒

ω  台湾では土地を借りて埋葬することはしないという︒︵﹃台湾私法﹄巻一下︑一〇〇頁︶︒

 関東都督府臨時土地調査部﹃関東州土地旧慣一班﹄︵満洲日日新聞社︑一九一五年︶八七頁︒

誠 求録巻三︑五七頁a﹁遵批議覆事﹂︒

m  刑案匪覧巻三〇︑刑律闘殴及故殺人条﹁広東撫 題夏硬長等致傷掲東中等身死一案⁝嘉慶二十一年説帖﹂︒

⑧  大清律例巻二五︑刑律発塚条条例一七︒

⑨  ﹁中国民商事慣習調査報告録﹄︵古亭書屋︑一九六九年︶︵以下︑﹃民商事調査録﹄と記す︒︶五九九頁︒

09  拙稿﹁清代刑法に於ける窃盗罪﹂︵星薬科大学一般教育論集一三輯︶︑﹁清代家族法に於ける教令の秩序とその司法的保護︵同右論集

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輯︶︑同﹁民事秩序再編﹂︒

ω  ﹃台湾私法﹄巻二︑上︑八六頁︒

02  五尺以内に埋葬したときに遷葬させるとする例として︑汝東判語巻一︑七頁b﹁楽福助呈詞判﹂︑同右書巻五︑一一頁b﹁提訊楽心 泰等判﹂︒

03 ﹃民商事調査録﹄四〇頁︒

04山について禁歩を境界とする文言がみられる︒︷﹁墳葬官山・例以禁歩為界﹂︵墳を官山に埋葬するときは禁歩が境界になる︒︶︸

   ︵晦闇斉筆語巻一︑五頁b﹁司幹等呈詞判﹂︶︒

個  滋賀秀三﹃中国家族法の原理﹄︵創文社︑一九六七年︶︵以下︑滋賀著書と記す︒︶二三七頁︒

06

後 も移葬することと現存する墳塚の祭祀のみは認める︒︵例えば︑﹃民商事調査録﹄一〇五頁︶︒

  時には売却後に新たに合葬することまで認めるとする慣習調査の報告がある︒︵﹃民商事調査録﹄二四五頁︶︒

08

案 匪覧続編巻一二︑刑律発塚条﹁川督杏喬定清之曽祖父喬啓科未買荷會時地上之先王大亮高祖之母身故⁝道光二十五年説帖﹂︒

09  雅江新政︑看語︑二九頁a﹁祝丹徐控曽萬斗案﹂︒

⑳  椀卿政蹟巻六︑七頁a︑判憤都陽﹁強殴侵佑事﹂︒四斉西決事巻二︑二一頁a﹁秦万松判﹂︒

 刑案確覧巻二一︑刑律発塚条﹁湖督 杏王逢世於久経闘族議禁不許添葬之祖山墳地⁝嘉慶二十二年案﹂︒︵二節註㈱︶︒

⑳  ﹃民商事調査録﹄五二八頁︑六〇三頁︒

序閻雅江新政︑四三頁a︑審単﹁劉登科控朱長彩巻﹂︒秩  助墳を後から造ったものには︑当然このようなことをいう資格はない︒︵焚山批判巻七︑一一頁a﹁批高明徳呈詞﹂︶︒ ㈲﹃台湾私法﹄巻〒︑δ妄︒

稿三〇頁︒台治略巻三︑八頁b︑識語コ件掘塚砧葬事﹂︒於⑳同右書同巻二七頁b三件卑幼盗葬事L︒ ﹃民商事調査録﹄五四八頁︒

聾離竃竃簾霞籔曙鷺誘誘賢籠轄賢晶遁︑.三頁二五二頁冶実際ば

9    家産分割をしてから後は︑新たにできた家々が共同したり︑︷﹁祖遺田産⁝各半分管・惟宅基山場公共未分⁝山内葬有⁝墳二穴⁝公2 同祭掃﹂︵祖遺の田地は・.・それぞれが半分に別けて所有する︒ただ︑宅地と山は共有として分割していない︒⁝山の中に埋葬して⁝墳

(11)

    塚が二つある︒⁝皆で祭祀し墓掃除している︒︶︸︵駁案新編巻九︑三二頁a﹁湖広司 一起為詳報事﹂︶あるいは︑輪番に祭祀を司る︒3   ︷﹁永遠輪流・祭祀祖先﹂︵永遠に輪番に祖先を祭祀する︒︶︸﹇臨時台湾旧慣調査会﹃清代契約文書・書簡文類集﹄︵汲古書院︑一九七三

   年︶六三頁﹈︒このことが疎遠になりがちな宗族を再結合させる働きをすることもあるという︒﹇中島楽章﹁明代徽州の一宗族をめぐ

る紛争と同族結合﹂︵社会経済史学六二の四︶﹈︒

     もっとも︑男系を軸にして考える生命観が婚姻という社会的な要因によって多少修正されて妻が中心となることもあり得る︒道光

間に沈術慶が江西省都陽県知県であったときの次の一案は︑未亡人がいるのであれば彼女が葬送を司るべきであるとする︒︵塊卿

政蹟巻五︑一八頁a︑判憤都陽﹁兇阻檀移事﹂︶︒

青と洪廷揚は︑もともと︑仲違いしていた︒廷揚の住居は︑朱姓の霊芝墳山の前に接近している︒茂青の堂兄の得宇が病死

したあと︑青が代わって営葬している︒該山の旧墳の労でといっても︑実際洪の家の背後の脈に当たるので︑廷揚が出でて阻んだ︒

  青たちは棺を山側に安置したが︑廷揚は機会をとらえ︑やや遠いところに移葬した︒青はそこで言い掛かりをつけて押し止め︑報

しようとした︒廷揚が勝手に移葬したのはもとより野蛮であるが︑茂青が機会をとらえたのも︑またずるい︒さらに得宇には妻

あるのに︑どうして自ら墓を営まずに他人の手を借りたのであろうか︒山地は大変広いのに︑なぜほかに埋葬しないで︑強いて

か︒青がたくらんで争いを起こしたことは︑すべて明らかである︒本来︑それぞれに責懲するべきであるが︑馬鹿

  者であることを考えて︑ひとまず︑寛容に従い免除する︒廷揚に銭二十絹を出させて茂青に与え︑祭祀の費用とさせる︒今後︑朱

埋 葬は︑ただ南の老墳の外を許し︑旧塚以内に近づき争いの糸口を生むことはできない︒各に結状を具え︑互いに和し心を新

     たにさせるがよい︒

00  大雑把にいって︑清朝は宗教組織を排斥した訳ではないけれども︑それが拡大し勢力をもつようになることを嫌っている︒︷﹃臨時

  台湾旧慣調査会第一部報告書清国行政法﹄︵大正二年︑汲古書院︑一九七二年︶︸巻四︑六九頁以下︒

また︑日本の江戸時代のように宗教組織を統治機構に組み込むことがない︒

閲  時に︑社を作って助け合うこともある︒︵得↓録巻八︑↓頁a﹁葬親社約﹂︶︒

第二款墳塚の支配に対する司法的な保護

と墓碑の所有権︑および︑その土地に設置する正当な根拠があるそれらの存置を裁判を通して保護する︒それ故︑当

(12)

ことながら保護の仕組みは官の法である︒

枢と墓碑の所有権はそれを造ったことによって原始的に取得するか祖遺のものであることと関係して︑訴訟に於いてそ

所有権を認定するための証拠は︑事実上︑限られ︑特に︑古いものは墓誌によって立証するか︷﹁碑誌確拠﹂︵碑誌の動   ②

証 拠︶︸︑祭掃をしてきたという事実によって推定するしかないであろう︒枢や墓碑は譲渡されないので墓誌は古くて

       ③も証明力を落とすことはない︒漸江省巡撫の上申に対する次の道光二十一年の説帖は︑父母を埋葬するために周姓から土

地 を購入した江家樽がそこにあった古い墳塚︵﹁古塚﹂︑﹁古墳﹂︑﹁年久之塚﹂︑﹁遠年之墳﹂︶を掘り︑知らずに王説とその

妻の棺と骨の朽ち果てたところをまさぐってしまった事案である︒それが王説等の枢であったことを墓誌と宗譜によっ       ω

認 定している︒

漸撫の杏︒江家樽は土地を求めて父母を埋葬しようとして看地の鄭籾楓を招き周紹祖の祖墳の土地の端に選んで窪地を一か所捜し

た︒近くのものに問い質すと皆周紹祖の家の公産であり︑全く古塚の形跡はないという︒荘冊にもまた周姓が納糧していることになっ

る︒江家樽が行って周紹祖に対して聞いたところ周紹祖は心から端の土地四分を売りたいと希望している︒話し合って代金を六十

序  千に決めて書いてそのおいの周流湘等と名を出して契拠を立てた︒江家樽は短工の李公安︑土職人の李鳳智等を呼んで山に出かけて石秩  を切って墳墓を造ろうとして石くれを掘り出した︒江家樽は直ちに周紹祖に対して問い質した︒周紹祖は祖先の移葬した墓穴であると

塚  いい︑でまかせに回答した︒ついでまた︑発掘したのは古く切った石くれであって︑古塚は二つあるという形跡がはっきりした︒落ち

 込んでいて移葬した墓穴ではない︒江家樽は思い立って李公安等に石を次々とほうり出させた︒また︑見ると墓穴の中に石碑が二つあナ  り︑墓穴の中はすべて泥水であり︑棺の木を探ることはないし︑骨もない︒江家樽は石碑を家まで担いでいって字の跡を洗ってこすっ於て見て始めて北宋州長史の王説︑別号桃源と彼の後妻の李氏を合葬したときの墓誌であることを知った︒江家樽は李公安等に発掘した

ところを泥で平らにさせ︑周紹祖に対して土地を返還したいといったが︑周紹祖は江家樽に土地の中に墳を造り穴を開けて埋葬せよと銭d議晶鵠蒔欝岨赫杜甦警黎紙甦誌詩端議舗熟甥蒲顯㌶雛齢会獅蠣劃

−  樽ははっきりと古塚二つの形跡を見ながら勝手に思い立って李公安等に石︑墓碑等をすべて掘り起こさせたのは︑実際故意に発掘した3 ものである︒王説と李氏の棺と骨は時代が経っていて当然のこととして朽ち果ててしまっている︒ただ︑墓穴の泥水のところはもと埋

(13)

した棺と骨が朽腐したところであり︑ひとたび手探りしたのだから棺を開けて屍をあらわにしたのと違わない︒もとの埋葬は二棺で3  あるので屍を二度あらわにしたとして処罰し︑江家樽を年久しくへこんでいる塚を発掘して棺を開けて屍をあらわにした首犯であるこ

とが二度の例によって極辺の湿熱の地に送って軍に充てる︒李公安等は従犯の例によって辺遠に送って軍に充てる等々︒部に上申し

   た︒

するに︑年久しくへこんでいる塚を発掘して棺を開けて屍をあらわにしたとき回数に分けて処罰するという例は︑墳塚を発掘して

またあえて棺を開けて屍をあらわにしたものについていっている︒もし︑墳塚を発掘するに止どまり棺を開けた情形がないとき︑どう

  して棺が既に朽ち果てているからといって︑棺を開けて屍をあらわにした罪で処罰することができようか︒⁝

  刑部はこのように記して古塚の形跡があるところを掘って屍が出てきたのであるから︑発掘︷土を掘って取り除くこと

︵﹁発﹂︑﹁掘﹂︑﹁発掘﹂︶︸した罪にはなるけれども︑枢があることを知って開けた訳ではないので塚を発掘して棺を開けて

屍 をあらわにした条項で処罰することはできないとして差し戻している︒

しなければならないのは︑山の所有権をもつことが枢や墓碑の所有権の存在を推定することはないということであ

る︒枢や墓碑の所有者と山の所有者が異なることが少なくないからである︒道光年間に沈術慶が江西省安義県知県であっ       ⑤たときの黄姓と熊姓が山の所有権を巡って争ってきた一案がある︒事件は結局和解によって落着しているけれども︑次の

ように山を所有することが墳の所有権の存在を推定しはしないと記している︒

⁝熊君尚︑熊陳氏の二つの碑は何年も経つ︒熊はもとより墳で山を占拠できないし︑黄もまたどうして山によって墳を疑うことがで

きようか︒本県が勘酌して判断する︒その二か所の山の熊姓の墳は既にはっきりしているので熊姓にそれぞれの墳を土を積んで囲って

久に祭祀をさせ添葬は認あない︒黄姓は侵害してはならない︒墳圏の外はすべて黄姓の所有とし︑熊姓もまた理由を付けて占拠しよ

うとしてはならない︒⁝

置する正当な根拠をその土地の所有権をもつことに置くにせよ︑あるいは︑その土地の所有権者から利用権を取得し

たことに置くにせよ︑その基礎は土地所有権にある︒そして︑土地所有権のあり方とその存在を立証する仕組みは清代土

(14)

所 有権法研究の中心的なテーマであって︑既に旧著︑拙稿に詳しい︒

有権は原始的には官が付与するものであって︑土地を自由に利用し処分できる権利である︒そして︑それを司法

するときに所有権の存在を容易に立証するために︑取得原因︑納糧の事実︑占有等が所有権の存在を推定し︑それ       ⑥   らの間に優劣を付けるという便宜的な仕組みがある︒

もっとも︑枢や墓碑の所有権の存在を進んで立証できれば︑それを設置する正当な根拠については進んで立証する必要

ない︒枢や墓碑の所有権があればそれを設置する正当な根拠の存在は推定されるのであって︑争うものがいて︑旧著︑

  拙稿に記した仕組みに沿って︑一層︑強い証拠によってその権原が否定されるまではそこに存置できる︒即ち︑土地に対

   する所有権をもっていないこと︑あるいは︑所有権者から利用権を取得していないことが認定されるまでは存置できる︒

  墳塚の土地は︑いわば墓碑や枢の従物となる︒道光年間の進士で湖南布政使までつとめた李格が湖南省宵郷県の知県をし

ときの次の一案は︑李姓がいおりと樹木があることを根拠にして山地の所有権を主張するのを斥けて︑契拠によっ

する謂寿松の所有権を認めている︒ただ︑そのとき︑その土地にある墳墓については格別の立証を求めることなく序       の秩 李姓に従来通りの利用を認めている︒

しをとってある県の判断を調べてみるに︑諦寿松は契拠を提出し批にはっきりしていると記してある︒該生は契拠からみて全く侵ナ  奪しようとしていないので︑李姓に饅頭嶺鋤内の墳山を所有させ︑その鋤外長披山地は諌寿松に与えて契拠に沿って所有させ︑李姓に於墳を留めて祭掃させたのは公平である︒それなのに勝手に鋤外のいおりの樹を確拠としてほしいままに意見をかえる︒世間には古く四

経つ墓はあるけれども︑決して四百年のいおりはない︒また︑どうして四百余年の樹があろうか︒今のいわゆるいおりとか樹は大

百 余年の物である︒かつ︑遠年の墳地は印契︑糧券を愚拠とする︒その県が審理したとき該生は契拠を提出していない︒そのかこつ

清 けて占拠しようとしたことに疑いはない・既に府に訴えて県に命じて改めて審理させようとした・長沙府に命じ速やか醤郷県に命じ

3  てそこを調査させた︒讃如朝には李姓の墳地を損なったり李姓のいおりの樹を伐採したことはない︒これに沿って判断し狡猪な心を納3   得させ︑さらに判断の情況を上申し調べてもらう︒

(15)

34       に 年間に沈桁慶が江西省鄙陽県知県であったときの次のような事案がある︒山の所有者の施姓がそこにある韓氏の墓

を排除しようとたくらんだものである︒曹姓の祖先の韓氏の墓については︑格別その設置の正当性を論議せず︑三百年の

昔からあるとして設置を認めている︒

林 山はもとから施姓の祖遺の財産であり︑曹姓としては祖先の韓氏の塚を埋葬して山の前にもち︑実に三百年経つ︒ここに施為貴

たちが曹集周が最近︑韓の墳の左右に生前の墓穴を造ったので遂に遠い祖先の二つの棺を移してその墓穴に埋葬した︒彼は正面からそ

名を承継し︑我は裏でその実を得ようとした︒巧みに機会をとらえたといえるが現実を見ていない︒遂に韓氏の墓碑を掘り起こし︑施の祖先の陳氏の石碑に取り換え︑また︑山の上にもと埋葬していた施の祖先の十余りの墳をすべて新しい碑にし桟道を修理する計画

を口実に長く自分のものにする計画を目論んで趙の旗を抜いて漢の旗を立てた︒なんと砦は全く一新した︒それ物にはそれぞれ所有者

おり︑侵奪し争ってはいけない︒人にはそれぞれ祖先があり︑無理に侵してはならない︒山が施の山というのはよい︒山に曹の墓穴

ないというのはよくない︒曹が墳をもとにして山を占拠できないというのはよい︒曹が山を占拠するのを予防するといって曹の古い

墳 を奪うのはよくない︒⁝断じて為貴たちに速やかに二つの棺を移させ︑また︑韓氏の墓石を修復して霊魂を尊ばさせる︒今後︑韓氏

両造はすべて埋葬してはならない︒⁝

誰のものかはっきりしない墳塚であっても所有権は存在するのであって︑誰も手を出せない︒︷﹁即無名古塚・亦不宜任      ⑨

侵 佑﹂︵たとえ無名の古塚でも︑また勝手に侵佑してはならない︒︶︸林姓が購入した山にある誰のものか分からない墳塚

      oo

内には入れないとする康煕年間末葉に戴兆佳が漸江省天台県知県であったときの事案がある︒

し得たり︒林叔凡の祖は康煕二十五年に朱君栄の山一畝を購入した︒内に孤墳が一塚あるけれども︑誰氏の祖か分からない︒康煕

十二年に叔凡の父の林廷選は山で石を組んで生前に墓穴を造った︒陳友桧の父の陳惟厚は孤墳をでたらめに祖塚であるといって出て

争い訴えた︒前任の李は断を下して孤墳五尺の内は誰も墳を造ることを許さず︑山は林に与えるとして案にある︒今度︑叔凡が彼の父

を埋葬し︑陳友桧︑陳大良もまた父の棺を置き付葬したので︑叔凡は占拠を企んでいるとして訴えた︒今︑友桧を取り調べると︑占拠

して葬った情況は事実であり︑大良と一緒に杖を加えて懲らしめ︑さらに強制して移葬させ︑伸び伸びにしてまた枝節を生んではなら

ない︒林叔凡についてもまた断に従って五尺の内は墳を造ってはならないことを遵結を取って案を立てる︒

(16)

時が経過したことによって利用しない権利を消滅させる考え方がないので︑古塚でもそれに対する権利は保護される︒

を争った事案に於いて︑どちらのものかはっきりしないとき今後は誰も埋葬できないとしている︒道光年間に沈術慶

西 省泰和県知県であったときの次の一案は︑劉以義が掘り出した古塚を自分のものであると胡姓が主張したものであ

る︒審理の結果︑誰の古塚かはっきりしないので︑そのままにしておくべきであって︑劉姓にせよ胡姓にせよ勝手に移葬

してはならないとしている︒

劉以義は家の隣の荒れ地を一区画買った︒胡姓の墳土と隣り合わせである︒以義はそこに書斎を造るつもりで鍬を入れて廃塚

を見つけた︒以義は深く義を明らかにして︑それに所有者がいるか無主かに関係なくすべて蓋をして静かにしておいた︒営造して

その側にあるけれども乗ずるすきがない︒どの様な考えも浮かばない︒そこで︑胡得相等は告訴して勝手に中人を仲立ちにして謝礼を

束して古墳を移葬した︒胡姓がごく僅かの土地で機会をとらえて私心を起こして傍らで見ていてみずみずしく皆が得たいとする対象

あると考えたことは疑いない︒この胡は承知しあの胡は急に態度を変える︒いわんや提出した契拠を調べてみると︑ただ土地一区画

と記されているだけで全く距離や四至はない︒彼が築造した垣や古墳を掘り出したところが買い取った境界の中にあるかははっきりし

ない︒その墳は覆うべきであって移すべきではないことははっきりしている︒ただ︑その墳は長く経っていて既に平地となっており︑

く埋葬した形跡はない︒何を証拠にして間違いなく胡姓の墳とするのか︒かつ︑得相等は先に既に訴えてお金を手に入れて和解の話 乗.て既に決着・せたのに︑どうしてなおまた名を萎て訴えてい・︒実際︑決ま.た蔓がない︒その意図が墳にない三が分か

る︒断じてその墳をもとの場所に移葬させ営造して侵害することを許さない︒それによって紛争の端緒を絶つ︒中澄に両当事者と共に

宜 しく速く処理し墾口させ・︒その監生は名は以義であ・が実際は不義であり︑しかり置−︒得相等は繰り返し偽りをなしたのは特に

る  憎むべきである︒問責して懲戒するほか︑さらにもと受け取ったお金を吐き出させて以義に手渡して受け取らせればよい︒於       ⑫

  次の一案は光緒年間︑董沽が江西省東郷知県であったときに古塚を巡って呉発生等が訴え出てきたものである︒確拠が

なく︑誰のものかわからないので誰もそこに埋葬できないとしている︒

5   ⁝蛇形山の圏内の古塚を呉発生等は羅姓の塚だといい︑呉全盛等は祖の姓文氏︑万氏の塚だという︒すべて碑誌の確拠はないけれど3

  も︑調べてみると既に数百年経つ︒今後︑誰にせよ再び圏内に埋葬してはならない︒⁝

(17)

36 碑に対する所有権の存在が立証されても︑その土地の所有権︑あるいは利用権という枢や墓碑を設置する正当な

根拠をもたないことが進んで明らかにされたときは移葬しなければならない︒その土地に設置する権原がないのに勝手に

葬する行為を盗葬という︒道光年間に沈桁慶が江西省泰和県知県であったときの次の一案は方姓が他人の土地に埋葬し       ㈹04た墳を移葬させている︒その土地に設置する権原があるかどうかが論点になっている︒

⁝査するに例は民間で山地を告訴して争ったとき近年のものは印契を証拠とし遠年のものならば字号や畝数︑庫にある鱗冊や完糧し

印串を符合するかどうか調べる︒差し出した古い契拠や碑譜等は証拠とはならない︒この案の方智等の祖の器三の名義の松山の受け

継いできた土地は全く印契の調べられるものはない︒冊に記している烏字一万六千五百第六号松山の文字も︑また︑畝数の調べられるものはない︒何によって調べて断じたらよいのか︒方智は僅かに族譜に載っている祖器三が松山等のところの墳山全部で一千畝を購入

したという言葉を取って強く証拠だという︒家譜は例として証拠にならないのは当然として︑たとえはっきりしていて信頼できるとし

も︑宋から今まで千年近くになり変遷の恐れがないとはいえない︒どうして近年の契券を捨てて所有を認めずはるか昔のはっきりし

ない言葉によってかえって紛争を続けることがあろうか︒ますます欲を出し︑しまいには満足することがない︒ますます手に入れよう

とする︒山を山といい︑田もまた山という︒かこつける端緒でないものはない︒自分のものは自分のものとし︑人のものも自分のもの

とする︒一年中紛争のない日はない︒もし︑葛藤を絶たないと豪強の侵害は止まないし︑所有者の受難は我慢できないことになる︒断じて方智等がもともと管理していた彼の祖の器三の松山の墳墓は今まで通り祭らせ︑方逢泰等がもと調停し方東匪や劉李姓人等に返還

させたもと小作していた山は︑方智等に所有させる︒呉朝吉が小作していた山地は五十一号の方智に返還したものは除き︑なお三十五

号があり朝吉が購入したものであって朝吉が契拠に照らして所有するのを許すべきである︒ただ︑白契は税を納入させる︒劉恩元が購

した山の後等のところの田八畝および李顕揚の塘一つはすべて恩元︑顕揚が今まで通りに管理することを許す︒方智等が占拠して埋

葬した山の背の田や小瀧鳩田の二か所の墳塚は方智等に移動させる︒徐能栄が購入した雷打嵐等のところの田四畝二分もまた徐姓に自

管理させる︒もと方姓に金を揃えて取り戻せといったところはその通りでよい︒各姓の契拠は分けて返還して受け取らせる︒方智

等は将来占拠して事を起こしてはいけない︒⁝

ところが︑本来は移葬しなければいけなかったり︑誰も手を出せないときであっても︑具体的な妥当性を求めて調整す

ることがある︒調整は枢や墓碑を存置し祭祀を認める方向になすのが一般であり︑その例は少なくない︒このときの調整

(18)

墳塚を対象とする紛争であることから出てくる特徴を除くほか︑旧著に記した土地所有権の調整のそれ   ⑮

等 しい︒土地の所有権まで認めるときと利用だけを認めるときがある︒

や墓碑の所有権を保護するという準則は絶対的であって︑その所有権を奪う形で調整することはない︒それ故︑枢や

そのものの争いに於いては︑調整してある程度の利用を認めることはあるけれども︑それを充公することや分割する       個ことはない︒︷﹁物不能充公・又不能平分﹂︵物は公の物とすることはできないし︑又︑平等に配分することもできない︒︶︸︒

  誰のものかはっきりしないときに誰も手を出せないとはせずに︑紛争当事者の利用を認めることがある︒羅舜檀が譲り

けた土地を開墾し境界の石積みを掘ったのに対して︑杜九祥がそこは祖墳であると主張する道光年間の沈術慶が江西省

泰和県の知県をしていたときの事案がある︒羅は故意に掘っていないし︑それが杜九祥の祖墳であるというはっきりした      ⑰ 拠はないけれども塚ではある故︑杜九祥に春秋の祭祀だけを許すとしている︒

舜檀は道光十四年に藍光信が借りている王姓の鐘鼓橿山を譲り受けた︒その山の境界の石積みは舜檀が自分で耕している田と隣り

合わせである︒かつて︑木が腐り土が崩れたために傾き出た石くれが重なっている︒墳穴かどうかを長らく通って尋ねるものはいない︒秩  本年三月に舜檀が人夫を雇って開墾しその石を調べて拾い別に置いてきちんとした︒ところが︑数十里外の杜九祥が彼の祖の倫我の墓

穴であるとしてそれが掘られたといって墳と屍がいずれもなくなった等といって訴えた︒既に前県は捕衙に命じて調べて報告させた︒墳  祥はなおもくだくだいって休まず︑有利な立場を利用しようとする︒集あて取り調べると︑杜九祥には全く墳を支配している契拠はなけ  い︒羅舜檀の子の理話が提出した譲り受けた契拠には内に墓穴があるとは記していない︒たとえ石くれが墳であるとしても断じて九祥於  の祖墳であるということはできない︒たとえ九祥の祖墳であるとしても羅は自分で借りた土地を耕したのであって︑長らく傾いていた

石を調べてみると︑決して故意に掘って壊してはいない︒断じて直ちに墳を壊したとして処罰することはできない︒いわんや祥がいう

誘曝毅隈舞購露遷籠勘舗巽詰㌶ぼ㌍鵠舗羅ぱ駆㍑誌㌔㌶麟帥酷㌶鴇銅

7  があり︑墓地ではないといっても塚らしくみえる︒羅理話にもと通り石を積み上げさせ積み上げた石の外は開墾することを認める︒杜3

九 祥に祖墳と認めその春秋の祭りを許すけれども新たに望んで埋葬することは認あない︒そうでなければ遂にはっきりしなくしてしま

(19)

うし︑君の裁判も曖昧になる︒情と法が誠に二つとも兼ね備わる感じがする︒

38

当事者のいずれかのものではあるけれども︑それがはっきりしないとき強いて所有権の帰属を判断せずに利用の面

調 することがある︒墳塚は祖宗の骨肉を保存し祭祀を行うということ以外の利用はあり得ない︒強いて所有権の帰属

をつけなくても紛争は解決できる︒特に︑年中継続的に利用する訳ではないので同族ではない二者の利用が両立す

るし︑他人に祭らせても実害はないので両方の祭祀を認めるような解決もあり得る︒次の一案は康煕年間に陸稼書が河北       08省霊寿県知県であったときのものである︒江野両姓が墳塚の所有権を争っている︒

  審し得たり︒注静両姓が墓地を争った一案︒前明万歴から今日まで毎年祭祀をしないことはなく︑祭祀をして争わないことはなく︑

争って闘わないことはなく︑闘って訴えないことはない︒書類は山のようであり︑なかなかおさまらない︒本県が赴任の初めに当たっ

両姓がまた︑そこで訴えてきて調べて処断することを求める︒本県が審理し︑再び自ら調査した︒その土地は半畝に過ぎず︑深山の

中にある︒入るには糧をもっていかなければならない︒両姓の存するところ︑まことに祖宗の骨肉を保存するためであって︑決してそ

財物に利あらしめるものではない︒それ故︑表面は土地を争っていても実際は祭祀を争っている︒訴訟が二代に亘りまだ終わらない︒

県 は今なんじ両姓のために解決しようとする︒なんじ両姓は心を平にし気を静かにして聴け︒祖宗の骨肉は子孫は例として保全する

きである︒これ本来︑人の子は終わりを慎み遠くに思いを致すためである︒祖宗を安息せしむ︒ここに決してごたごたはない︒しか

し︑本姓の子弟の外に一姓あり︑誤って自分の祖先の墓だとしてやって来て祭掃をするのは理にかなっていないので必ずそれを正そう

とするけれども︑自分には害はない︒我が祖宗が受けるのを希望するなら受ければよいし︑我が祖宗が受けるのを希望しなければ吐き

出せばよい︒自分には害はない︒どうして争いどうして訴える必要があろうか︒本県はさらにここに一つの比喩を考える︒あたかも︑

本県が命令を受けて霊寿県の長官となる︒そして︑霊寿県の人民でなくてやって来て私を呼んで父とするものがいる︒理に合わないが

私には何ら傷を与えないようなものである︒なんじ両姓はどうしてそれを憂うるのか︒本県は今なんじのために処断する︒この争って

る土地を永久に注静両姓の公有とし︑江姓は注の墓と考えてよい︒静姓もまた辞の墓と考えてよい︒それぞれ祭掃をして争ってはいけない︒なんじ注姓の祖父がたとえ誤って欝姓の祭掃を受けてもなんじ注姓には害はない︒逆にこれは静姓にもまた損はない︒どうし

う必要があろうか︒身体はこれを父母に受けているのであって︑どうして互いに争って祖父の憂いを残すのか︒なんじ両姓は孝道

厚いのであって︑どうしてここにだけ考えが及ばないのか︒それぞれ平静に考えを巡らしなんじの争いを治めなんじの恨みを解きほ

(20)

ぐし︑互いに侵奪しあってはならぬ︒それぞれ分に安んじるべきである︒本県は一番苦心してねんごろに諭す︒なんじ両姓永くこれを

すべてを解決させ結を具えて保存しておく︒このように判決する︒

間に沈術慶が江西省泰和県知県であったときの次の事案は︑黄正高と黄照が四墳の所有権を争ったものである︒

等に問い質しても所有者は分からないし︑宗譜の記載も信用できない︒結局︑誰のものかはっきりしない︒ただ︑調       09

整 して双方共に祭祀をすることを認めている︒

黄正高︑黄照遠等は同族の分家である︒族には祖墳が四つあり荻渓灘街側に並べて葬ってある︒時が経つこと久しく祭掃はしていない︒道光二十五年二月に照遠は四墳を獅山に移して葬った︒正高は彼の祖の金魁等の墓だといって︑宗譜に載っている烏鴉澄地形の四

墳 を取って証拠とし︑勝手に祖骨を屠殺した等といって訴えた︒照遠は彼の祖の金梁等の墓だといって︑宗譜に載っている宅右労地内 墳を取って証拠とし︑ついでごまかして謳告した等の情況をいって互いに訴えた︒法廷に集めて尋問すると喧しくいい争う︒これを族鄭や中謹に質してもすべて誰の祖かを確かに指摘できない︒⁝⁝断じて照遠にその墳四つをもとのところにきちんと埋めて蓋をし︑さらに杖責して懲罰する︒両当事者が互いに祖派だという点に付いては︑すべて確かな証拠がなく憶測で判断することはできない︒

ともに祭りをすることを認めるけれども︑すべて新たに埋葬したり移したりして争いの端緒を生んではならない︒それぞれ遵結をとり︑上申して決着するのを待つがよい︒

墳塚の所有権をもつことはは・きりしているけれども︑設置する正当性がないときにも調整することがある︒二+年以

前に許姓が蒋生に売却した土地に許景生が墳を造ったので蒋安之が訴えた康煕年間の漸江省天台県の事案がある︒知県け      ¢⑪於 の戴兆佳は両姓が姻親関係にあることを考えて墳塚の存置を認めている︒

し得たり︒許景生は狡滑横暴な人間である︒彼の父の許叔茂は存命中に十一都白鶴殿湾に坐落する墳傍の土地五分を売却して蒋安父の蒋君偽に与えて墳を造らせ・完全に納税名義を移した・契拠に照らして納糧すること既に二+余年を経た・君儀が死んだあと

9  墳を造り埋葬してまた既に何年も経つ︒今度︑景生が随分前に売却した五分の土地の内の蒋の墳の左に父の棺を埋葬したので︑安之が3を欺きこわしてまた占拠して盗葬したといって訴えた︒衙門に命じて調査せしめ︑さらに自ら訊問もした︒かつての売買は一回の

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