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鈴木政男「人間製本」―〈公〉と〈私〉の二重構造―鴨  川  都  美

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  はじめに

一九四五年一二月、当時の朝鮮から帰国した村山知義は直ちに新 協劇団を再建する。翌年二月、新協劇団第三九回公演として「幸福 の 家 」( ニ ー ナ・ フ ョ ー ド ロ フ 作、 村 山 知 義 脚 色・ 演 出 ) の 上 演 を 実 現 さ せ た。 そ の 邦 楽 座 で の 上 演 が「 新 劇 」 に 触 れ た 最 初 の 体 験 だったという鈴木政男は、その時のことを次のように回想している。

元来が文学青年で、ストリンドベルグや、イプセンなどの好き だつた私は、そのとき、圧倒されるやうな感銘をうけた。それ は、どこがよいとか、どこが悪いとか批判する余地を与へない ほ ど の 感 銘 で あ つ た。 私 は、 「 幸 福 の 家 」 を 見 た 途 端、 「 新 劇 」 の何たるかを理解し、それの持つ迫力と魅力に取り憑かれたや うであつた。労働者の文化運動の一つとして、組合員の主とし て青年・婦人層に呼びかけて、演劇部を組織したのは、それか ら間もなくのことである

当時、大日本印刷の社員で全日本印刷出版労働組合の書記長をし ていた鈴木政男は、一九四六年五月に開催される印刷出版労組の青 婦 人 部 大 会 に 向 け、 二 幕 五 場 の「 起 ち 上 つ た 男 た ち 」( 『 民 衆 の 旗 』 一九四六・七、八)を三晩ほどで書き上げ、演出も自身が担当した と い う。 初 め て の「 新 劇 」 体 験 か ら わ ず か 三 ヵ 月 後 の こ と だ っ た。 さらに、鈴木政男の「人間製本」 (『テアトロ』一九四九・三)が新 協劇団創立一五周年記念第五〇回公演として神田共立講堂の舞台に 上がったのは一九四九年三月(一二日―一五日) 。三年前に「新劇」 を初体験した職場作家の作品が、その時「感銘をうけた」専門劇団 の演出家、村山知義の演出により上演されたのである。 二・一ゼネストを背景とした組合の成立を描いた「人間製本」戯 曲評では、 「大印刷工場のストライキと製本工場の労働者との関係」 だ け で な く、 「 製 本 工 場 と む す び つ い た 家 内 労 働 」 ま で が 描 か れ、 「 日 本 の 出 版 産 業 の 機 構 が ひ と つ の 縮 図 と し て く り ひ ろ げ ら れ て い る 」( 岩 上 順 一

)、 「 自 立 演 劇 こ そ が、 い ま ゝ で 社 会 の 底 に 埋 も れ、 雑草のようにふみしだかれていた人民の生活の真実を、驚くべき豊 か さ と 力 に み ち て 掘 り だ し つ ゝ あ る 」( 瓜 生 忠 夫

) と い う よ う に 職 場作家の作品が専門劇団の上演に耐え得るまで成長したことに対し て 賞 賛 を も っ て 迎 え ら れ た 一 方 で、 「 闘 う 労 働 者 の 真 実 が、 ま こ と 鈴木政男「人間製本」 〈公〉と〈私〉の二重構造

        

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に 弱 々 し く 描 か れ て い る 」( 桑 原 経 重

) と の 指 摘 も あ る。 さ ら に 上 演 評 で は、 「 収 奪 す る 側 の 描 写 の 一 面 性 で あ り、 不 足 で あ り、 オ ル グ へ の 重 点 的 傾 斜 に よ る 英 雄 視 的 描 写 」( 長 橋 光 雄

)、 「 資 本 家 側 に 立 つ 人 物 が、 一 体 に 悪 玉 に な つ て 」 お り、 「 搾 取 さ れ る 側 は み ん な 立体的な人間像だが、搾取する側はレリーフで、それも光線の加減 で 見 よ う に よ る と、 ま る と 平 面 に な る 危 険 が あ る 」( 浜 村 米 蔵

) と いうように、 「搾取される側」を丹念に描いたことで、 「搾取する側」 が紋切り型で平面的であるという評価が主流となっている。 先行研究においては、吉田三郎太

が「1947年に於ける戦前派、 戦 中 派、 戦 後 派 の 3 世 代 の 人 間 群 像 」 に 着 目 し、 「 複 雑 に 錯 綜 し た 「 時 の 問 題 」 を 捉 え て、 見 事 に 書 き 上 げ 」、 「 1 9 4 7 年 の 時 代 相 を 抉り出した労作」 であると位置づけている。 また、 藤田富士男

は 「ポ ジティブな部分もネガティブな面も併せて描き出そうとする鈴木の 捉 え 方 は、 戦 前 の プ ロ レ タ リ ア 演 劇 時 代 に は 希 な 描 写 方 法 で あ り、 職場作家がまさに自我を克ちえて自立した姿を表わしている」と評 価している。 本稿では、戯曲「人間製本」を構成する二つの出来事、坂田製本 工場の竹内貢を中心とする労組成立までの流れと、太陽印刷青年部 長の白石徹男と父靖造との葛藤と決別を切り離して検証することで、 〈公〉 と 〈私〉 の二重構造を明らかにしていく。そして、 従来の 「搾 取 さ れ る 側 」「 搾 取 す る 側 」 の 形 象 に 主 眼 が 置 か れ て い た「 人 間 製 本」の再読を行う。

  第一期自立演劇

『 テ ア ト ロ 』 誌 上 に 掲 載 さ れ た「 人 間 製 本 」 の〈 ま え が き 〉 で、 鈴木政男は第二回東京自立演劇コンクールで労演賞を受賞した「人 間製本」改作の過程で、多くの専門演劇人の協力があったことにつ いて触れている。

新協の村山知義氏をはじめとし、瓜生忠夫・松尾哲次・ナガハ シ・ミツオ・陣ノ内鎮・八田元夫・下村正夫氏等外、大勢の専 門家の方々から、直接に間接に、ぼくの改作にあたつてよせら れた多くの協力と指導を忘れることはできない。事実―それは もはやぼく一人が「人間製本」をつくりあげて行くのではなか つた。多くの人々が意見をたたかわせ、協力し合つてつくりあ げて行くのである。

戦 後 の 自 立 演 劇 は、 一 九 四 六 年 以 降、 「 戦 時 中 の 抑 圧 か ら の 解 放 と、商業娯楽やマスコミ提供の不足もあり、全国各地には工場芸能 祭や演劇活動が自然発生的に拡がった」なかから誕生し、東京では 「 日 本 民 主 主 義 文 化 連 盟 の 結 成 や、 日 本 共 産 党 の 宣 伝 芸 術 学 校 の 創 立、そして新演劇人協会の結成と、専門芸術家の組織化、それによ る労働者の自立的な文化芸術運動の助成といったプログラムが着実 に 進 ん 」 で い く。 四 六 年 一 一 月 に は 東 京 自 立 劇 団 協 議 会( 東 自 協 ) が発足し、その勢いはレッド・パージまでの二、三年で飛躍的に増 していくのである。この時期が自立演劇の第一期とされている。ま た、 「自立演劇の概念」 は東自協の規約によると、 「工場経営内に (居 住地域の場合も含む)つくられた勤労者で組織する劇団で、その創 造活動は自主的なものであるが、活動は労働組合運動の線に沿って 行なう、従って非専門の劇団

」となっている。

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多くの専門演劇人が自立演劇に関わっていくなかで、新演劇人協 会の常任幹事だった村山知義は、日本共産党宣伝美術学校演劇科や 東自協の劇作講習会

など、土方与志、八田元夫らと精力的に職場作 家の育成に取り組んでいた。村山知義は、 「素人芝居のやり方」 (『民 衆 の 旗 』 一 九 四 六・ 六 )、 『 自 立 演 劇 叢 書 一 ― 三 』( ト ラ ン ク 書 房、 一九四七―八) 、「自立劇団コンクール戯曲評」 (『テアトロ』一九四 七・ 一 二 )、 『 演 劇 入 門   正 し い 芝 居 の や り 方・ 見 方 』( 労 働 教 育 協 会、 一 九 四 九・ 九 ) 等、 自 立 演 劇 に 限 ら ず、 広 く 演 劇 の〈 初 心 者 〉 へ向けての論を展開していく。村山知義は、自立演劇について「勤 労 者 自 身 の 芸 術 運 動 と し て 最 も 魅 力 に 富 ん だ も の で あ 」 る が、 「 専 門演劇と自立演劇を対立的に考えるべきではなく、二つは別の任務 を 持 つ た も の 」 と 考 え な け れ ば な ら ず、 「 自 立 演 劇 は ど こ 迄 も 勤 労 者がその本職の余暇にやる、アマチュア演劇である

」と定義してお り、専門演劇との区分を明確なものとしている。 第 一 期 自 立 演 劇 に つ い て 菅 孝 行 は、 「 演 劇 は、 専 門 家 に 対 し て 解 放 さ れ た と い う よ り も、 ま た 国 民 総 体 に 解 放 さ れ た と い う よ り も、 労 働 現 場 で 闘 う 労 働 者 に 対 し て 解 放 さ れ た 」 も の で あ り、 「 労 働 者 演劇の担い手たちは、わずか三~四年間のこととはいえ、自前の芝 居による労働者の祝祭空間を全国各地に成立させたのである

」と述 べている。第一期自立演劇は短命でありながらも、村山知義をはじ め専門演劇人の様々な介入により、興隆を極めたことに疑いの余地 はない。 だが、一九四九年に始まるレッド・パージで第一期自立演劇は壊 滅 状 態 に 追 い 込 ま れ る。 鈴 木 政 男 も レ ッ ド・ パ ー ジ の 犠 牲 と な り、 大日本印刷を解雇されてしまう。第一期の末期、専門劇団によって 上演されるにあたり改作された「人間製本」とはどのような戯曲で あったのか、次章以降、検討していく。

  坂田製本工場―闘いの萌芽とインターナショナル

四幕六場で構成される「人間製本」は、第一幕と第四幕が竹内の 馘首撤回を求め、坂田製本工場に労働組合が結成され、ストライキ (以下、スト)に入るまでが描かれている。 『 テ ア ト ロ 』 一 九 四 九 年 六 月 に 掲 載 さ れ た「 演 劇 論 叢   対 談 木 下 順 二・ 鈴 木 政 男 」 で は、 専 門 劇 作 家 で あ る 木 下 順 二 と 鈴 木 政 男 が、 「 人 間 製 本 」 の 終 幕 で イ ン タ ー ナ シ ョ ナ ル( 以 下、 イ ン タ ー) が 歌 われることについて、互いの意見をたたかわせている。

木下   だから、 「人間製本」のことに入るけれども、 「人間製本」 を見て、非常に感動したという人があった。それがだんだん 聞いてみると、一つの劇的な構成を最初からやって来ている こ と か ら 感 動 を 受 け た と い う こ と も 確 か だ が、 最 後 に イ ン ターを聞いたから感動している。この点、生の世界で感動す ることと芸術の世界で感動することとは、質的に違わなけれ ばならないんだが……。 鈴 木   そ れ は 違 わ な い よ。 イ ン タ ー を 歌 っ た と い う け れ ど も、 歌わしたのは僕だよ。あれは僕の作意だ。インターを聞くと 感動するという人間が無数にいる。僕はそれを知っているか ら書いたんだ。無意識的にインターを歌わしているわけじゃ ない。だから、生のまま持って来たということにはならない と思うね。

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木下順二はこの論叢の最後に「結局自分の実際の体験を現実の生 活から吸い上げて来て、一つの作品を書くわけになるね。この吸い 上げたものが作品に現われるまでには、完全に質的にかわったもの になっていなければなら な

(ママ)

ぬということを感じる」と述べているが、 こ の 指 摘 は 些 か 疑 問 で あ る

。「 人 間 製 本 」 で 歌 わ れ る イ ン タ ー に は 作者による明確な意味づけがなされていなかったのだろうか。坂田 製本工場のストに到達するまでの足跡を追うことで、その意味を明 らかにしたい。 マッカーサーによる一九四七年の二・一ゼネスト中止命令が出る 直前の一月、坂田製本工場では一週間前からストに入った太陽印刷 の話題で持ちきりである。印刷がストにより停止しているため、製 本の仕事が徐々に減りつつある。仕事がなければ当然その分の給与 も支払われないため、工員たちからは不満が噴出していた。製本工 の 竹 内 は、 「 こ れ か ら や つ と 面 白 い 生

くらし

活 が 出 来 る と 思 つ た ら、 招 集 で 引 張 ら れ 」 た 元 復 員 兵 で あ る

。「 勘 定 日 つ て 言 う と、 昔 は 何 と な く気持が弾んだもんだ」という戦前派の関田やおくめ、女工の気を 引くためにダンスを習い出した戦後派の宮野に挟まれ、戦中派の竹 内は、賃金の低さに「毎日何のために 動

(ママ)

いてるのか、わからな」い と 呟 き、 「 つ ま ら ね え 戦 争 を や つ た も ん さ 」、 「 勝 つ て 来 る ぞ と 勇 ま しく

か。ふん、ばかにしてやがらあ…」というように、厭世観 を 滲 ま せ る。 そ の 一 方 で、 「 あ そ こ の 組 合 は よ く や る よ。 何 し ろ 去 年の夏から、ずーっと賃上げのしどうしだ」というように太陽印刷 の ス ト に は 興 味 を 示 し、 「 あ の 連 中 の 言 う こ と を よ く 聞 く と ね、 喰 え る だ け の 給 料 を 払 え つ て の は 労 働 者 の 権 利 と し て 当 り 前 の こ と だ」と述べ、彼らに感化されつつあることが窺える。 ス ト が「 悪 い こ と 」 だ と い う 年 配 の 製 本 工 に 対 し、 竹 内 だ け は、 ストは「悪いことじやない」 、「組合がストライキをやる前に、どう せ出る金なら出してやりや何のことはない」と太陽印刷のストに理 解を示す。そして、自分たちも組合をつくり、工場主の坂田と交渉 しないかと工員たちに持ち掛ける。関田、宮野、おくめは竹内の提 案を受け入れようとするが、年配の製本工や沼澤は「組合なんかつ くつて、あとでクビになつちやつまらねえ」と竹内に対して批判的 な態度をとる。なかでも、坂田と一緒に工場を始めた年配の製本工 は、坂田に竹内が組合をつくる話をしていたことを暴露してしまい、 そのことを契機に、第一幕の終わりで竹内は坂田から馘首を言い渡 される。 第四幕は第一幕から一週間後、太陽印刷青年部長の白石徹男たち の後押しもあり、坂田製本の竹内、関田、宮野らは組合を結成して いる。第四幕ではすでに坂田と第三回目の交渉に入っているが、現 給与五割上げの要求を飲む条件として竹内の馘首が挙がっているこ とから、交渉は進展しない。事務員の中川や年配の製本工、沼澤か ら身を引くよう勧められた竹内は「やめるよ!だからいま辞めるつ て言つてんじやねえか」と自棄になる。組合を結成したものの、交 渉が進まないために竹内自身が方向を見失ってしまったことがわか る。 だが、沼澤が業務中に起こした事故により、竹内は奮起せざるを 得ない状況に追い込まれていく。その伏線となるのが第一幕、以前、 関田と同じ製本断裁工をしていた清吉の怪我について、関田と竹内 には次のような会話がある。

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関 田 みてえな見舞金で恩に着せられちやかなわないからな。   竹内 ふん。指を落としたのが本人の腕のせいにされて雀の涙 うのがおやじの言分さ。 もやる。癖のある機械で能率を上げんのが職人の腕だつてい   関田 ちよいちよい言つてんだがね。新しい機械でやるのは誰 を落したんじや合わないぜ。 てもらえばいいんだよ。二度あることは三度あるで、また手   竹内 おやじ(坂田―引用者注)にそう言つて新しいのと替え あるんだよ。 よつとうつかりしてると、さーッと包丁が降りてくることが   ( ふ り 返 つ て ) ど う も あ の 断 裁 機 は 危 ね え か ら な あ。 ち

清 吉 は、 断 裁 機 に よ る 事 故 で 左 手 の 指 が 第 二 関 節 か ら 切 断 さ れ、 現在は運搬の仕事を任されている。清吉の怪我は完治までに三ヵ月 を要し、二年経った今でも傷痕は痛みを伴う。このように、坂田製 本に勤務する工員たちの不満は賃金だけでなく、待遇についても満 足のいくものではないことがわかる。この第一幕での危惧が、第四 幕で仕事を拒んだ関田の代わりに裁断機を使った沼澤の事故へと繋 がるのである。沼澤の右手の指を三本切り落とした代償が、彼らの 一ヵ月分の賃金である五百円だったことに対し、竹内は怒りに震え ながら前言撤回を仲間に求める。

竹 内   お れ ア、 そ れ( 五 百 円 の 見 舞 金 ― 引 用 者 注 ) を 見 た 時、 い ま ま で ぐ ら ぐ ら し て い た お れ の 腹 は、 は つ き り と 決 つ た。 みんな、聞いてくれ。 不

かたわ

具 になつたそのうえに、使い途がな くなつたからつて、クビにされたらどうしよう……沼澤さん のおかみさんは、眼を真赤に泣きはらして、おれと関田さん にすがりついたんだ。たつた五百円の見舞金で、入院料をど うして払う?[略]みんな、よく考えてくれ。これが体裁の い い こ と を 言 う、 旦 那( 坂 田 ― 引 用 者 注 ) と 中 川 の 挨 拶 だ。 おれたち職人は、使うだけこき使われて、用がなくなりやそ れでお払い箱なんだよ!こんどのことは、旦那と中川に、お れァ全部責任があると思う。

彼らの応援にきていた徹男も「みなさん、資本家というのは、何が 商売かというとわれわれ労働者を安い給料でこき使つて、労働者の 犠牲において金を儲けること」だと畳みかける。前回の事故の当事 者 で あ る 清 吉 は、 自 分 の 事 故 の 際 の 見 舞 金 が「 た っ た 五 十 円 だ つ た! そ の ほ か は、 そ の ほ か は、 び た 一 文 だ つ て 出 」 る こ と は な く、 長期の入院生活により家計が逼迫し、そのことが原因で妻を失った と訴える。そこに同じく太陽印刷の下請けをしている千代田製本が ストに入ったという知らせが舞い込み、宮野の「おい、みんな!い まかぎりおれの機械は動かさないぞ。みんな、おれたちもいまから、 ストライキに入ろうじやないか!」というかけ声に周囲からは「賛 成」の声が上がる。坂田製本はストに入ったのである。そのストに 歓喜した太陽印刷労組のメンバーがインターを歌い始める。

徹男   道ちやん!みんなをインターで激励しよう。 道 子

  ( 大 き く う な ず い た が、 涙 が あ と か ら あ と か ら と 溢 れ て

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くる) 徹男   (歌う)

起て餓えたる者よ 婦人部員三名  

今ぞ日は近し(一緒に歌う)

インターの歌い出し「起て飢えたる者よ/今ぞ日は近し!/覚め よ我が同胞/暁は来ぬ/暴虐の/鎖断つ日/旗は血に燃えて/海を へだてつ我等/腕結びゆく/いざ/戦わんいざ/奮い起ていざ/あ あ / イ ン タ ー ナ シ ョ ナ ル / 我 等 が も の

」( ウ ジ ェ ー ヌ・ ポ チ エ 作 詞 /ピエール・ド・ジェイテール作曲/佐々木孝丸・佐野碩訳詞)と 坂田製本の労組結成、スト決行の足跡を重ねてみると、インターは 歌う側である太陽印刷外部)からの「激励」だけでなく、新たな労 働組合誕生に対する〈歓迎〉の意味があることがわかる。 先に掲げた 「演劇論叢」 で、 「吸い上げたもの」 を 「完全に質的に」 変化させたものでなければならない、という木下順二の指摘に対し、 鈴木政男は「感動」の装置としてインターを歌わせたのだと反論す る。そこには、多分に「激励」の意味が込められていたのであろう。 しかしながら、この太陽印刷労組によるインターを歌うという〈行 為〉には、坂田製本工場の組合を仲間として迎え入れるという重要 な役割である 〈歓迎〉 という意味が付与されており、 「生のまま」 (鈴 木政男)ではない、確かなインターの受容が見出せるのである。

  父子断絶の物語

前章では、坂田製本工場の組合結成、スト決行までの軌跡を追っ てきたが、それを〈歓迎〉する側の太陽印刷の労働者たちが「まこ と に 弱 々 し く 描 か れ て い る 」( 前 掲・ 桑 原 ) の は な ぜ で あ ろ う か。 第 二 幕 と 第 三 幕 で は、 白 石 家 の 靖 造 と 徹 男 の 衝 突 が 描 か れ て い る。 特に第三幕は、二・一ゼネスト直前の太陽印刷が舞台でありながら、 描かれているのは徹男の個人的な決断と苦悩の吐露である。 第二幕の舞台となるのは、徹男の父親である白石靖造の家だ。白 石家は靖造をはじめとし、妻のふじ、長男の徹男、長女の愛子、次 男の藤男の五人家族となっている。ト書によると「部屋には普通の 家庭に見られる家具調度が一と通り」揃っているものの、四畳半と 八 畳 二 間 の 借 家 住 ま い で あ る。 そ れ に も 拘 わ ら ず、 「 正 面 欄 間 に 肖 像 画 の 額 縁 が か け て あ 」 り、 不 釣 り 合 い な 印 象 を 受 け る。 「 お い、 今晩は久しぶりで刺身でもとれよ」 という靖造に対し、 ふじは 「(冷 やかに)そんなこと言つたつて、うちは昔の白石家じやないんです からね」というように、靖造とふじの会話からはかつての羽振りの よさが窺える。靖造は「女中の三人も使つて」いたかつての「由緒 ある白石家」だけが心の拠り何処とみえ、それを「鼻であしら」う 徹男に対して憤りを覚えている。機嫌が悪いと「子供たちにまで当 り散ら」す横暴な性格で、女性問題ではふじの「頭を痛め」ていた 過 去 が あ る よ う だ が、 「 焼 け 出 さ れ た う え に、 永 い 間 寝 込 ん 」 だ こ と で、 「 戦 争 前、 横 浜 の 貿 易 商 事 に 関 係 し て 」 い た 時 代 の 栄 光 は 影 を潜め、現在は徹男の稼ぎと坂田製本から委託される折りの内職で 生計を立てている。 第一場、白石家に太陽印刷の宮内常務の手先となって坂田が現れ ると、靖造の妻であり、徹男の母であるふじは、両者の狭間で揺れ 動く。坂田は折りの仕事を大量に斡旋し、その前金を靖造に支払う こ と で、 徹 男 の 活 動 を 抑 止 す る よ う に と 圧 力 を か け て く る。 「 徹 男 のことも―帰つたらよく言い聞かせまして」と恐縮する靖造とは異

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なり、ふじは「坂田さん―あのうそのお金―徹男のことで―じやな いんですか」と尋ねるが、坂田は「とんでもない奥さん」とはぐら かす。ふじは「どういうおつもりか知りませんが、そんなことをさ れ ち や 困 り ま す か ら 」 と 食 い 下 が る が、 結 局、 靖 造 は 前 金 を 受 け 取ってしまう。表舞台への返り咲きを狙っている靖造に対して、ふ じは「そのお金―徹男のことで―なんでしよう」と迫り、 「あなた、 そんなお金―すぐ返してきて下さい」と徹男を心配し、夫を責め立 てる。 と こ ろ が、 靖 造 が 出 て 行 き 徹 男 が 入 れ 違 い に 戻 っ て く る と、 「 坂 田 つ て 奴 は ひ ど い 男 だ よ 」「 竹 内 さ ん の こ と は 問 題 に な つ て、 組 合 の 方 か ら も 掛 け 合 つ て い る ん だ 」 と い う 徹 男 に 向 か っ て、 ふ じ は 「 ま た そ ん な こ と 先 に 立 つ て や ら な い ほ う が い い 」 と な じ る の で あ る。

徹男   母さん!さつき坂田が来た時、お父さんへ何か言つてつ たんだろう。 ふじ   あたしにはよくわからないんだけどね、なんでもお父さ んが坂田さんと会社の宮内さんに頼まれたとかつて―急にい そがしくなつたんだよ。 徹男   畜生!そうか……お父さん―坂田のおやじに頼まれたん だな。 ふ じ になつているんだもの、仕方がないじやないか。   ( は つ と し て ) 頼 ま れ た つ て? …… だ つ て お 前、 お 世 話

ふじは坂田の目的が徹男を牽制することであったことは十分に理 解していたはずである。しかし、徹男には「あたしはよくわからな いんだけどね」と全く知らない素振りをみせ、事を荒立てないよう に と 努 め て い る。 さ ら に、 徹 男 が 真 相 に 気 付 く と、 「 お 世 話 に な つ ている」から「仕方がない」と言って徹男を承服させようとするの で あ る。 靖 造 と 徹 男 に 挟 ま れ た ふ じ の 願 い は、 「 お 前( 徹 男 ― 引 用 者注)とお父さんが、仲よく暮」らすことであるが、その強い気持 ちが靖造と徹男を決定的に引き裂いてしまう。 第二場、帰宅した靖造と口論になる徹男の間にはいって仲裁を試 みるふじだったが、徹男の「お父さん!ぼくは今日からお父さんと も徹底的に闘うよ!」という言葉に激怒した靖造が徹男に掴みかか る。胸ぐらを掴まれた徹男が靖造を突き飛ばすと、ふじの興奮は極 限に達し、彼女がひた隠しにしていた重大な事実を暴露してしまう。

ふ じ

どこか母さんの眼の届かないところでやつておくれ!   ふじ お父さんはお父さんで―もういいから、やるんだつたら、   徹男 母さん……。 いだからやめておくれ!   ふじ 母さんが知らないとでも思つていたのかい。徹男!お願   徹男 ……。 つていたけど、お前共産党とかへ入つたんだろう……。   ふじ お願いだからもうよしておくれ!(間)お父さんには黙   徹男 ……。 いだから、組合のことなんかやめておくれ!   ( 急 に 畳 に 突 伏 す と 泣 声 に な つ て ) 徹 男 ― お 前 も う お 願

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泣き崩れるふじの懇願も虚しく、この一件が原因となり、第三幕 では徹男は完全に父親と対立する構えをみせる。その決断は、竹内 の 妹 で 恋 人 で も あ る 道 子 と の 関 係 も 悪 化 さ せ る こ と に な る。 「 ぼ く らは坂田も含めた敵の階級」を「心の底から憎むように」なる必要 があり、 「(はげしく)それがたとえ肉親であつた場合でもね!」と 道子に宣言するのであるが、 それを聞いた道子は自信をなくし、 「あ たし、なれないわ。あたし……この頃ね、徹男さんが羨ましいよう な、恐いような気がするのよ」と怖じ気づく。徹男は靖造が坂田か ら金を貰ったことを告白することで、道子を説得しようと試みるが、 ストのカンパ集めに出る行商隊を窓から見送るために階段を駆け上 がる徹男に対し、道子は「後を追おうとしたがそのままてすりにも たれかかつて動」こうとしない。 徹男と靖造の対決は第四幕で決着する。坂田製本に徹男を追って 乗り込んできた靖造は、息子を殴りつけた後放心して座り込む。社 会への返り咲きの好機―実際には宮内と坂田に利用されていただけ であるが―を我が子によって潰されたのだ。徹男は靖造を「助けお こ 」 し、 「 お 父 さ ん …… も う 家 へ お 帰 ん な さ い 」 と 声 を 掛 け る が、 靖造は「その手をはらいのけると、放心したように外へ出て行」っ てしまう。前章で確認したように、終幕のインターで徹男と道子の 関係は修復されたかにみえるが、ふじが望んでいた父と子の関係再 構築の可能性は無残にも絶たれるのである。

  おわりに―〈公〉と〈私〉の二重構造

村山知義は、 『自立演劇叢書三 戯曲の書き方

』のなかで、戯曲の 登場人物の形象について次のように述べている。 現実の、生きた人間はまことに複雑なもので、いろいろの矛盾 し合つた心理、感情、遺伝、本能、思想、潜在意識などの 魂

(ママ)

で ある。決して単純に割り切つてしまへるものではない。だから 登場する人間の性格が単純で、善玉と悪玉と二種類の人間に分 れてゐるやうな戯曲も幼稚な戯曲である。

「人間製本」批判でも、 「収奪する側の描写の一面性であり、不足 であり、オルグへの重点的傾斜による英雄視的描写」 (前掲・長橋) とあるが、 「人間製本」における「悪玉」 「収奪する側」とは誰を指 しているのであろうか。もちろん、坂田の名前はすぐに挙がるであ ろう。靖造もその協力をさせられているのは明白である。だが、坂 田と靖造を意のままに動かしているのは、彼らから語られることで 存在する(舞台には登場しない)太陽印刷の宮内常務ではないだろ う か。 こ の 宮 内 の 存 在 の 希 薄 さ が、 「 オ ル グ 」( 「 人 間 製 本 」 で は 徹 男を指している)と敵対する坂田及び靖造の「描写の一面性」を強 調することにつながったと考えられる。宮内の不在が、太陽印刷の ストを前景化させることなく、背景に押しとどめてしまったのだ。 その原因として挙げられるのは、大日本印刷演劇部と会社との関 係 で あ る。 太 陽 印 刷 は、 「 市 ヶ 谷 の 壕 端 に あ る 会 社 」 と し て 設 定 さ れており、共同印刷と凸版印刷は実名で登場することからも、大日 本 印 刷 が モ デ ル で あ る こ と は 明 ら か で あ る。 大 日 本 印 刷 演 劇 部 が 「人間製本」を上演した第二回東京自立演劇コンクールの際、 「大日 本 印 刷 な ぞ、 会 社 が 八 万 円 と か 装 置 費 を 寄 附 し た と か い ふ 」( 藤 森 成吉

)とあるように、大日本印刷の援助があったことが窺える。こ う し た 理 由 か ら、 「 人 間 製 本 」 で は、 ス ト に 関 す る 会 社 側 の 対 応 を

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具体的に示し糾弾する反面、太陽印刷労組と会社側の直接的な対決 を意図的に回避しようと試みているのではないだろうか。 結 果、 「 人 間 製 本 」 で は、 坂 田 製 本 の 労 組 成 立 か ら ス ト 決 行 ま で の 竹 内 た ち と 工 場 主 の 坂 田 と の 対 立 が 描 か れ る 一 方 で、 「 オ ル グ 」 として彼らを支援する徹男らと太陽印刷との闘いは、会社側の不在 によって成立することはない。徹男と靖造の葛藤と決別を焦点化し、 問 題 の す り 替 え を 行 っ た と も い え る が、 「 善 玉 と 悪 玉 」 の 内 面 に 踏 み込んだことで、村山の懸念した「幼稚な戯曲」を克服していると 考えられる。 終幕、坂田製本のスト決行で全体が歓喜につつまれるなか、徹男 にすべてをはぎ取られ去って行く靖造の絶望は深い。本稿では、こ の〈公〉と〈私〉の闘いが対照的に描かれるという二重構造を「人 間製本」に見出すことで、搾取者・被搾取者の闘いの構図に捉われ ない新たな作品としての可能性を顕した。

※ 本 稿 の 本 文 引 用 は、 『 テ ア ト ロ 』 一 九 四 九 年 三 月 号 に 掲 載 さ れ た 初出に依る。

  鈴 木 政 男「 こ の 道 多 難 ― 大 日 本 印 刷 演 劇 部 の 回 顧 ―」 (『 テ ア ト ロ 』 一 九 四 七・ 一 )。 鈴 木 登「 労 働 者 と 演 劇「 太 陽 の な い 街 」 を み る 」( 『 民 衆 の 旗 』 一 九 四 六・ 九 ) に よ る と、 「 組 合 員 の 教 育 の た め に も と 思 つ て、 有 楽 座 を 二 日 間、 会 社( 大 日 本 印 刷 ― 引 用 者 注 ) に 買 ひ 切 つ て も ら つ て、 わ れ わ れ は 七 月 十 五、 十 六 日 と「 太 陽 の な い 街 」 を 総 見 し た 」 と あ る た め、 鈴 木 が「 幸 福 の 家 」 に 引 き 続 き、 「 太 陽 の な い 街 」 も 観 劇 し て い る 可能性は高い。 ⑵   岩上順一「労働作家のドラマ」 (『テアトロ』一九四九・五) ⑶   瓜 生 忠 夫「 呪 い を 解 か れ る 大 衆 ― 風 俗 劇 と 自 立 演 劇 を め ぐ つ て ―」 (『教育と社会』一九四九・五) ⑷   桑 原 経 重「 戦 後 新 人 の 戯 曲 に つ い て ― テ ア ト ロ 誌 上 の 作 品 を 中 心 に ―」 (『テアトロ』一九四九・五) ⑸   長 橋 光 雄「 「 人 間 製 本 」 か ら の 若 干 の 問 題 ― 新 協 劇 団 公 演 評 ―」 (『 テ アトロ』一九四九・六) ⑹   浜村米蔵「新協の「人間製本」 」( 『日本演劇』一九四九・四) ⑺   吉 田 三 郎 太「 「 人 間 製 本 」 と「 女 子 寮 記 」 ― 戦 後 創 作 劇 論 考( そ の 2) ―」 (『愛知学院大学論叢 一般教育研究』一九七二・一二) ⑻   藤 田 富 士 男「 鈴 木 政 男「 人 間 製 本 」」 (『

見 た 記 憶 が あ る 」( 「 ち ょ う ど そ こ に 私 が 居 た 」『 悲 劇 喜 劇 』 一 九 九 八・ 郎、 杉 山 誠、 陣 の 内 鎭 の 五 氏 と 記 録 に あ る が、 山 川 幸 世、 松 尾 哲 次 氏 も け と な っ た 」 と 述 べ て い る。 講 師 陣 は「 村 山 知 義、 八 田 元 夫、 久 板 栄 二 た、 第 一 生 命 の 山 田 時 子 は、 東 自 協 の 劇 作 講 習 会 が「 戯 曲 を 書 く き っ か よ る 党 員 確 保 の た め の 動 き が あ っ た こ と も 看 過 で き な い 事 実 で あ る。 ま の 覚 え 書 」『 文 学 』 一 九 五 七・ 一 )。 こ の よ う に、 日 本 共 産 党 系 の 組 合 に 党 は さ ぞ 労 働 者 の 味 方 に 違 い な い と 思 っ て )」 だ っ た と 述 べ て い る( 「 私 先 生 等 の 人 徳 を 尊 敬 し て( こ の 様 に 労 働 者 の 文 化 に 熱 心 な 先 生 方 の い る 共 産 党 へ の 入 党 に つ い て「 直 接 の き っ か け は 土 方 校 長 初 め、 村 山、 八 田 の 戯 曲 論 の レ ポ ー ト に「 運 転 工 の 息 子 」 を 書 い た 」 と あ る。 堀 田 は 日 本 芸 術 宣 伝 学 校 演 劇 科 へ 入 っ た。 ( こ れ は 一 期 だ け で 廃 校 し た ) 村 山 さ ん

(ママ)

四 六 年 六 月 の「 破 戒 」 ― 引 用 者 注 ) の 頃 組 合 か ら 派 遣 さ れ て 日 本 共 産 党   ⑽ 日 立 製 作 所 亀 有 工 場 の 演 劇 部 員 だ っ た 堀 田 清 美 は、 「 こ の 公 演( 一 九 一九七五・七)     ⑼ 大 橋 喜 一・ 阿 部 文 勇 編『 て す ぴ す 叢 書 六 六 自 立 演 劇 運 動 』( 未 来 社、 展開』社会評論社、二〇〇二・七)

20

  世 紀 の 戯 曲 Ⅱ 現 代 戯 曲 の

(10)

六)と述懐している。 ⑾   村山知義「敗戦後の演劇運動」 (『前衛』一九四七・一七) ⑿   菅 孝 行『 増 補   戦 後 演 劇 ― 新 劇 は 乗 り 越 え ら れ た か 』( 社 会 評 論 社、 二〇〇三・三) ⒀   前 掲『 増 補   戦 後 演 劇 ― 新 劇 は 乗 り 越 え ら れ た か 』 で は、 木 下 の「 人 間 製 本 」 批 判 に つ い て、 「 そ こ に 組 織 さ れ た 感 動 そ れ じ た い は、 ま ぎ れ も な く そ の 場 に 居 合 わ せ た 労 働 者 た ち に と っ て、 か け が え の な い 祝 祭 経 験」であったとしている。 ⒁   竹 内 の 戦 争 観 は 鈴 木 政 男 と 共 通 し て い る。 鈴 木 政 男 は 木 下 順 二 と の 対 談「 演 劇 論 叢   対 談 木 下 順 二・ 鈴 木 政 男 」( 『 テ ア ト ロ 』 一 九 四 九・ 六 ) の な か で、 「 僕 な ん か 七 年 間 も( 戦 争 に ― 引 用 者 注 ) 行 っ て い る。 し か も 好 き で 行 っ た わ け じ ゃ な い。 い や だ い や だ と い う の を む り に ひ っ ぱ ら れ た。 行 か な い と 憲 兵 に 殺 さ れ て し ま う か ら 結 局 泣 き 寝 入 り で 行 っ た 」、 「 僕 ら も ブ ン ブ ン 弾 が 来 る 中 で、 死 に た く な い と 思 っ て 何 回 青 空 を 仰 い だ か わ か ら な い。 人 間 が 死 ぬ と い う こ と は 大 し た こ と で す よ 」 と 述 べ て いる。 ⒂

  ⒄ 藤森成吉 「素朴的リアリズムからの脱却」 (『悲劇喜劇』 一九四八・五) 書房、一九四八・五)   ⒃ 村 山 知 義 著 / 新 協 劇 団 編『 自 立 演 劇 叢 書 三 戯 曲 の 書 き 方 』( ト ラ ン ク 音楽センター、二〇〇八。   『   プ ロ レ タ リ ア・ ソ ン グ 選 曲 集 ど ん 底 の 歌 』 制 作・ 発 売 / 株 式 会 社       誌(四)

国文学論考 都留文科大学国語国文学会 国文学論叢 龍谷大学国文学会 国文白百合 白百合女子大学国語国文学会 国文鶴見 鶴見大学日本文学会 国文論叢 神戸大学文学部国語国文学会 国文論藻 京都女子大学国文学会 古代研究 早稲田古代研究会 語文 大阪大学国語国文学会 語文 日本大学国文学会 語文研究 九州大学国語国文学会 語文と教育 鳴門教育大学国語教育学会 語文論叢 千葉大学文学部日本文化学会 駒沢国文 駒沢大学文学部国文学研究室 佐賀大国文 佐賀大学教育学部国語国文学会 「作家特殊研究」研究冊子 法政大学大学院人文科学研究科 日本文学専攻 實践國文學 実践国文学会 斯道文庫論集 慶應義塾大学附属研究所斯道文 庫 上越教育大学国語研究 上越教育大学国語教育学会 上智大学国文学科紀要 上智大学文学部国文学科

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