分配の経済学と社会学
その他のタイトル Economics and sociology of income distribution
著者 浅田 正雄
雑誌名 関西大学社会学部紀要
巻 7
号 2
ページ 90‑102
発行年 1976‑03‑31
URL http://hdl.handle.net/10112/00023153
研 究 ノ ー ト
分配の経済学と社会学
浅 田 正 雄
I
個人あるいは生産諸要素の間の所得分配を研究する学問領域は,非経済学または社会学の領域 に属すると主張する一群の人々がある。これらの人々はほぼ共通して,経済過程を生産と分配と の二面に分離し,生産はより多く技術的,経済的要素によって影響されるとし,分配はより多く 社会的,歴史的要素によって影響されると考える。この観点に立つならば,分配の研究は価値・
価格形成の過程の研究ではなく,勢力,政治・経済の制度ならびに慣習等の社会的要因の研究で あることが要請される。 このような考え方は, J. s. ミルがその嘴矢を放ち, J.A. ホプソン,
M. I. ツガン• バラノフスキー, F.オッペンハイマー等の強調する分配論におけるいわゆる「勢 力説」1)または「勢力説的接近」として力強く展開されたものである。
ところで, J.シュンペークーは, かれの著『分配理論の基礎原理』2)の中で,上述のような方 法論を厳しく論難し, 「生産と分配とは継起的にのみ作用するというような,二つの区別しうる 現実過程ではなく,一つの統一過程の二つの局面であり,……中略。われわれは生産と分配とを 原理的に無関係に理解できず一われわれが別々にして理解しうることは工学あるいは社会学に属 する」3)(傍点筆者)と述ぺている。さらに,かれはすべての範疇の所得は, 「経済的」であると 同時に「歴史的・法律的」であり,経済的法則と同時に社会的勢力関係に支配されている° と述 べている。 しかしながら, 勢力関係が所得分配や経済活動一般を規定するというのであるなら ば,自然現象としての気候その他諸々の物もまたそうであろう5)という。要するに,シュンペー クーはこのような社会勢力関係の具体的内容が不明瞭である6) ことと,勢力関係の支配がいかに 作用するかはそれ以外の多くの要因に依存するという困難性を考えるならば,この要因に対して 1) 拙稿「分配の基本課題と分配理論についての小論」関西大学『経済論集』第23巻4. 5号, 昭和49年,
168ー9ページを参照のこと。
2) J. Schumpeter, Das Grundprinzip der Verteilungstheorie (in Aufslitze zur okonomischen Theorie, 1952)。三輪悌三訳「分配理論の基礎原理」 『貨幣・分配の理論』昭和36年, 123ー266ページ。東洋経 済新報社。
3) 三輪悌三訳,上掲書, 138ページ。
4) 三輪悌三訳,上掲書, 156ページ。
5) 三輪悌三訳,上掲書, 148ページ。
6) この内容の解明に対し,シュンペークーは,社会的階級形成の理論,社会的組織形態の本質および原 動力に関する理論の必要性を説いている。
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は経済理論にとっての非本質的な与件としての役割を担わさざるを得ないし, またそうすること が分配論を経済学体系の一環として位置づけるための正当な方法論であると考えているようであ
る。
本稿は, E.Preiserの「分配理論における財産とパワー」 (InternationalEconomicPapers, No.2. 1952,pp.206‑20./)を紹介し,若干の私見を付言したものである。そして,本稿の目的は,
近年ますます科学が細分化され・専門化される状況の中で, これらの分化された科学が再び安易 に総合または統合されるという傾向に対して,経済学理論における与件の役割と理論の有効性を 検討するとともに,単独の科学領域の境界線を確認し,複数の科学分野の総合化・統一化への試 みの足がかりを模索しようとするものである。
Ⅱ
かつて,所得分配を決定する主な要因がパワーpowerであるのか, それともいわゆる経済法 則によるものであるのか, さらに, もしそれがパワーであるとしてもその影響力がどの程度のも のであるかという問題')を巡って, B6hm‑Bawerkとパワー要因の支持者たちとの間に論争が 行なわれた。われわれはこれら二つの点に焦点を合せて,われわれの関心事となっている問題を 展開しよう。まず,前者のものから始めよう。
今日では,一社会に存在するパワーそのものだけが所得分配の過程やその結果を説明すると考 える人は少ないであろう。したがって, もし分配の直接的因果要因としてパワーを考えるならば,
それは何らかの説明の先取りをすることになるであろう。資本主義経済に典型的に現われる市場 経済では,分配は価格形成からもたらされる一つの市場過程である2)とみるのが普通であろう。
それならば現実に社会に存在するパワー要因は経済的諸要因のいずれに関連するとみなし, これ を位置づけるべきであろうか。 B6hm‑Bawerkはパワー要因の影響力を述べるために一例とし て独占をとりあげたが,それ以来,経済的パワー研究のための概念用具が市場経済であることは 周知であろう。この論拠は,パワーというものが独占的状態の中で明瞭に現われるということを 認識するからである。他方,資本主義経済社会の制度上の顕著な特徴の1つとして,財産の私的 所有が認められているが,財産の所有から引きだされるパワーというものもまた分配に影響しう
るという命題を暗黙的にしる明示的にしる否定することが通例3)である。しかしながら,われわ れが後に考察するように,財産の分配が所得の人的分配と生産要素分配との架橋的役割を果すの
7) E.Preiser,Property,PowerandtheDistributionoflncome, inK.W.Rothschilded., fbzf杉〆 j"Eco"o"zics, 1971.
1) E、V・B6hm‑Bawerk,Machtorder6konomischesGesetz?Gesa加加e"e此〃抗e〃 o〃Bけん77z‑B"‑
zfノe7af,Bd、 1. 1924.
2)拙稿「分配の基本課題と分配理論についての小論」関西大学『経済論集』第23巻4. 5号昭和49年,
159ページを参照されたい。
3) E.Preiser,Property,PowerandtheDistributionofIncome, inK.W.Rothschilded.,"zUe7‑"
&o"o"zicS, 1971,p. 119.
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であって, このゆえに,後者のみを経済理論の主題とし,前者を社会学ないしは統計学の分野に 属さしめるような二分法は誤りであろう。
さらに立入ってこの議論を考察してみよう。所得の人的分配の問題は,各個人に生じる所得の 大きさの問題である。他方,所得の機能的分配の理論は,総生産高すなわち社会的生産物の, こ れに寄与した生産諸要因間の分配に関連するものである4)。今,生産要素を土地および労働の二 種類と便宣的に仮定して,上記の点を具体的に明らかにしよう。
機能的分配の研究というものは, 労働に(労働者にではない)帰属する分け前および土地に
(土地所有者にではない)帰属する分け前を明らかにするものである。再度強調するならば,機 能的分配の理論は決して個人間の所得分配の理論ではなくて,生産諸要因間の分配の理論である。
ゆえに,個人の所得は,各人が処分しうる土地量もしくは労働量が確定されうるならば決定され るのである。
しかしながら,機能的分配と人的分配との間のこの明確な区分も,われわれが先に言及した独 占の場合を考えるやいなや不明瞭になる。独占はある意味では人間と人間との間の関係であっ て5),生産要因間の関係ではない。また,独占の研究は経済理論の特殊課題であって, 人的分配 の理論には無関係であることも疑う余地のないことである。この場合には,所得の機能的および 人的分配というような分類は,用語法的にも,実際的にも不適切である6)と考えねばならない。
必要なことは次の二つの区別であろう。すなわち,第一に分配理論と社会学(または統計学)と の間の区別であり,第二はこの理論自体の内部の区別である。
社会学者ならば,労働および土地の各単位に帰属する分け前をdataと考え,社会におけるこ れらの各単位ごとの分配を調査研究する7)であろう。すなわち,各単位に帰属する分け前にある 数値をかけることによって,かれは個人所得または社会のグループの所得を知るであろう。他方,
経済学としての分配理論は,分け前そのものに関心がある。その第一歩は,各生産要素の生産に おける重要度に対し限界生産物を帰属させることによって,適切な分け前を計算することである。
これが, まさに機能的分配と呼ばれるものの本質である。次のステップは,生産要素の所有者が 実際に限界生産物を受け取る−要素市場における競争の完全性を仮定するならば一かぎり,所得 の機能的分配という表現がまったく正当であることに疑念をはさむ余地はない。しかしながら,
この場合,各生産要素の機能がその所得の大きさを決定するのは,上述のようなある特定の市場 形態一完全競争一が現実に具有されている場合にのみに限定されるということを正しく注目しな ければならないであろう。別な表現をすれば, このような市場形態というのは,所得分配に影響 を及ぼす可能性のある,生産力以外のあらゆる要因を排除したようなものであって, この市場形 態における分配こそが, 自然的分配であり,その他のいかなる分配も永続的価値のない人為的な
拙稿,前掲書, 155ページ。
E.Preiser,".c".,p、 120.
E.Preiser, ibid.,p. 120.
ibid.,p. 120.
4)
5)
6)
7)
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I
偏向であるという見方が成り立つのである。しかし,一切のその美点がゆえに,完全競争は決し て他のいかなる市場形態にもまして自然的とはいえないともいえるのである。 ことに,以下にお いてわれわれが考察するように, 労働市場に雇用主の購買者独占rnonopsonyというような現 実のありうべき状態を想定するならば,賃金問題がもはや生産性のみによって決定されるという
ことはありえないと断言せずにはいられない。
以上によってわれわれは一応暫定的につぎのように結論する。分配過程を市場現象として,す なわち生産手段(換言すれば,企業家に提供される財やサービス)の価格形成として理解すべき であり,そしてこの場合,限界生産力と呼ばれるエレメントはいくつかの分配決定要因のうちの 一つであると位置づけるべきであろう。それゆえに,分配理論には二つの連続的な部分が存在す る。まず第一は, あらゆる社会学的データを無視し,生産における各要素の貢献度を考えること によってのみ生産諸要素に生産物を分配するということを考える。第二は,個人間の所得分配の メカニズムを研究し, これらの人々によって供給されるすべての財やサービスの価格形成に影響 を与えるすべての要因を明示的に考慮したような分配を考えることである。
Ⅲ
市場形態という要因が機能的分配に影響を与える要因の一つであるが,唯一のものではないと いうことを前節において指摘しておいた。以下の議論は,財産の分配が,個人的分配のみならず,
機能的分配に影響を与えるということを示すことを狙とする。
ところで,財産の分配と機能的分配とを直接的に関連づける橋梁は一見したところ明らかでは ないようにみえるであろう。それゆえ,われわれは財産の分配が価格形成に影響を与える媒介物 を探さねばならい。後にみるように, この媒介物として,われわれは需要と供給の弾力性を考え る1)。
この点に深く立ち入る前に, しばらくの間ベェーム・ヴァベルクの第二の命題に注意を集中し よう。これは,パワーの行使によって強制的に決められた分配率は永続的な性格をもちえないと いうことを主張するものである。このような主張の論拠は,労働組合の行動によって決定された,
限界生産性を超える賃金率の上昇の場合を念頭に置いたものである。これに対するベーム・ヴァ ベルクの論証は,上記のようなことは一時的な過程であって,究極的には雇用者は一層資本使用 的な生産方法に切替え, このようにして,過剰となった労働者たちの間の競争が,再び限界生産 性に対応するように賃金を下落させる結果に終るというものである。要するに,ベーム・ヴァベ ルクの議論では,パワーは 経済的動機の作用 と 純粋に経済的な性質の反作用,,とによって 無効にさせられるのであって,限界生産性に対応する分配であるところの自然的分配が,再び有
1) E.Preiser,Property,PowerandtheDistributionoflncome, inK.W・Rothschilded.,Pozfノ〃伽 Eco"o"zics, 1971,P、 123.なお,経済パワーの有効性に対する弾力性の意義については, Eucken,W.
D"Gア""弘噌e ぬγ入"z"O"α〃たo"o"z", 1944.pp.315‑6.が参考になる。
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効になるというのである。
しかし, この例証は,パワーが長期において無効であるという一般的命題を真に証明したとい えるであろうか。答は否である。たとえば,地域的制限のない労働需要のような単独集合独占の 場合を仮定するならば, 純粋に経済的な性質 をもつような反作用力は少しも存在しなかった であろう。 というのは,雇用主にあっては異なった生産方法を採用することによって賃金上昇に 対抗することができるが,労働者の方は賃金下落の影響を免れる手段を何一つ持ってはいないと 考えられるからである。したがってこの場合には,賃金率は長期的には限界生産物以下となるで あろう。労働者は,実際にはそのような状況を打破するような動機をもってはいるが,労働者は 自分の経済活動を変化させるような方法で, 自分のポジションを回復させるような手段をもって はいない。
しかし,仮に所得分配が全面的に限界生産性に照応するとしても,その理由は,独占によって 呼び起されるような純粋に経済的な性質をもつ反作用力によるものものではなくて,単に,所得 受領者たる人々のいずれにも,広範な独占が行なわれていないという事実によるのである。この ようにして,市場形態の一現象としてのパワーは局部的に分配に影響することがあるであろう。
そして短期的には,市場全体にも影響を与えるであろう。とはいえ,究極的には,社会生産物の 長期分配には何の影響力も与えないのである。以前に示唆しておいたように,一層重要なことは 経済的パワーの第二の側面すなわち財産の分配である。
われわれのこれまでの議論は,財産の分配がまさに個人的分配のみならず所得の機能的分配に とっても重要であることを示してきた。というのは,雇用主が行なうのと同様の方法で労働者が 不利な賃金構造に対し反抗できないのは,労働者にはまさに財産が皆無であるか,皆無に等しい からである。ベーム・ヴァベルクは,賃金闘争の期間中でも雇用主はより長く生き長らえること ができるということをすでに指摘していた。一層重要なことは,賃金闘争が決着をみたときには,
雇用主にあっては自らの経済活動を再編することが可能である。しかるに,労働者はそうできな いということである。
この事実は,一方独占unilateralmonopolyであろうと双方独占bilateralmonopolyであろ うと,独占が存在するかしないかということとは無関係である。 ここで問題となるのは,供給お よび需要の弾力性である。この弾力性の大きさは,独占的な地位の強弱を表わすが,独占がまっ たく存在しない場合でさえ重要なものである。この理由から,以下の議論において,われわれは 市場の需給両面に完全競争を仮定するであろう。
ここでわれわれは 市場形態と上述の供給・需要の弾力性との間の連関を論究しなければなら ない。いうまでもなく,市場形態というのは,消費財市場,労働市場,資本市場等々のように市 場の中で対象として取り扱われる商品の種類の相違から生じる概念ではなくて,完全競争,独占 的競争,完全独占等々のように,各種の財やサービスの市場内部における売り手(供給者)や買 い手(需要者)の価格や需給量に影響をおよぼす程度の相違に基づいてなされた概念である。そ
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れゆえ,各市場形態は各市場における需給関係の結果として生じる状態(市場状態)を述べたも のとして,大略みなすことができるであろう。そして,この状態は各市場における需給両曲線の 絶対的・相対的位置,およびそれらの形状(すなわち曲線の弾力性)によって条件づけられる。
この場合,曲線の位置は当該主体をとりまく内的,外的条件によって一般的にたえず変化しやす く,他方,曲線の形状は,主体内部の基礎的な特性をあらわし,前者に比べれば安定的といえる であろう。この典型的なケースは,ある種の労働供給曲線にみられるように,典型的に弾力的な 部分と典型的に非弾力的な部分とを合せもつような場合である。われわれが議論の対象として市 場状態を語るときには,その形状が典型的であって,単に一時的,偶然的ではないような曲線を 意味するということをことわっておこう。
通常,社会学者や心理学者が賃金問題を論じるとき,資本主義経済における労働の特殊な立場 を詳細に検討して,労働者は待つことができず,かれらの供給の緊急性は高いという。もっとも 経済学者にあっても,これを労働市場の特質であると強調しはするのであるが,かれらは所得の 機能的分配を論ずる場合,この考慮を捨象してしまうのである。オッペンハイマーはこの事情を 取り上げた理論を構築しナぎ唯一の学者であると考えられる。土地の供給や工業化された生産手 段を自由に処分しうる可能性は,供給のたえざる圧力下にある労働者に比べて,財産所有者に購 買者独占を与えるというのである。このように,厳密な意味での独占が存在しないとしても,供 給が大幅に制限できるというような事情が存在する場合,供給者は独占者の立場と類似の優位的 な地位を得ていることになるであろう。要するに,われわれの主張したいことは,所得の分配が 供給の弾力性にも強く依存するということである。
労働の供給曲線の特殊な性質の問題に立ち返ろう。 われわれが想定する労働の供給曲線は下 図3)の如くである。
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(a) 需供給量 (b)
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需供給量 第 一 図
第一図(a),(b)両図に描かれている労働の供給曲線は賃金水準がある高さ以上に達するや否や後
2) F. Openheimer, Theorie der reinen und Politischen Okonomie (System der Soziologie 3), 1924. 3) E. Freiser, op. cit., p. 127.
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方に転向することを示している。すなわち,賃金水準が高くなると,逆に労働の供給が減少する ことを示しており,さらに,両曲線が後方傾斜しはじめる点のすぐ下では,共通して小さな垂直 部分をもっている。これは,この部分では,賃金率の多少の上下が労働の供給量に無反応である ということである。しかしながら,賃金率の非常に低いような部分では,両曲線は根本的に異な っている。すなわち, (a)のように曲線が弾力的な場合は,労働供給量は賃金率の変化に強く反応 し,賃金率が上がるにつれて供給は増加し,それが下がるにつれて供給は減少する。他方'(b)の ような曲線の大部分が非弾力的な場合には,労働供給はコンスクントのままにとどまる。つまり,
自分のサービスを提供する労働者は賃金率の下落に対抗する手段を持たないということである。
ところで,少し注意すべきことは賃金率水準の非常に低い部分での(b)図における供給曲線の形 状である。図に描かれているように,この場合には賃金率の下落がかえって労働の供給量を増加 させることを示している。これは,異常に低い賃金率水準では,労働者は自分の生活を守るため に,たとえば時間外労働を多くしたり,あるいは休日をさいて正規の労働以外の労働サービスを 行なうことを意味する。しかしながら,曲線の正確な形状および特に上下端の部分はわれわれの 議論に直接関係をもたない。われわれの議論にとって最も重要なのは,両曲線における中間領域 なのである。もしわれわれが両図の中に,等しい需要曲線を挿入するならば,即座にわれわれは,
均衡賃金率は, 労働供給が非弾力的である ((b)図)場合よりも, 労働供給が弾力的である ((a) 図)場合の方が高いということを理解できるであろう。また,均衡雇用量は, (a)図より (b)図の方 が多いことがわかる。
このようにして,供給曲線の弾力性が大きいということは,非弾力的な供給曲線を左方にシフ トした ((b)図の点線)ことと同じ効果をもっている。
この議論から,重要な一般的結論をひき出すことができる。市場状態が異なるときには,その 価格もまた当然異なるのは当然である。しかし,われわれは,需要曲線や供給曲線の相対的位置 のみを考えるであろう。この相対的位置は,実際にはたえずシフトし,動態的な価格変化をもた らすであろうが,静態的な条件のもとにおいても,曲線の形状によって価格が異なるということ もできる。そしてこの場合,曲線の形状を決定する条件は静態的な体系のデークであると考えら れよう。財貨市場における供給曲線の形状は一定の技術的条件によって規定されることは周知で あるが,生産要素市場では,社会学的デークが曲線の形状を決定するといえるであろう。しかし,
経済学は通常この事実を忘れがちである。すなわち,経済学においては,通常,各種の生産要素 に対し一定のストックを仮定することによって議論を進める。それゆえ,諸価格は生産諸要素の 間の量的関係の結果の表現に過ぎない。たしかに,この間に限界生産性という説明要因が使用さ れるけれども,限界生産性というのは,単に生産諸要素の相対的稀少性を反映したものにほかな らない。ストックという概念は,究極的には非弾力的な供給曲線から出発するのと同様の意味を もつといってもよい。しかし,現実の供給曲線は弾力的であろう。いずれにせよ,われわれは土 地や労働の量を取扱わねばならないが,処分に付されるように自然に与えられた量を取扱うので
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はなくして,生産のために真先に処分されうる量を取扱わねばならない。この物量は社会学的デ ークに依存するとわれわれは考える。
以上,要するに,労働の供給の弾力性を変化させるような事情というものが存在するのであろ う。それは,財産(たとえば土地)の分配が好都合であろう。労働が完全に土地の所有から切り 離される場合,労働の供給は非弾力的であろうし,逆に労働者がある一定量の土地を所有する場 合には,労働供給は弾力的となるであろう。この場合,賃金率は市場形態とは無関係に高くなる であろう。
N
前皿節において労働の弾力的な供給が高い賃金率をもたらすことが説明された。つぎにわれわ れは,このような事情が所得の機能的分配にいかなる影響をおよぼすかを考えてみなければなら ない。第二図1)によってみてみよう。第二図の右側の部分 OBCEは一定数の労働者が一定量の 土地を耕作することによって得られた産出高または所得を示している。 BCは労働の限界生産物 である。また, OBCDは総賃金を表わし,DCEは地代(限界内利潤)を表わす。
まず,所得の機能的分配が人的分配に一致するとしよう。すなわち,賃金は財産を少しも持た ない労働者によって稼得され,地代は土地の所有者に帰属すると仮定しよう。
財産分配の影響を研究するために,少し第二図を変更しよう。土地の半分を労働者が所有し,
かれらは自分自身の土地の耕作のために,生活時間の半分をふり向けるような仕方で,かれらの
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1) E. Preiser, Property, Power and the Distribution of Income, in K. W. Rothschild ed., Power in Economics, 1971, p. 131.
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労慟時間の割りふりをすると仮定しよう。そして他の半分の時間を,賃金を得るために他人の土 地で働くと仮定しよう。
このことを示すために, 0点の右側に AO=NBとなるように NBをとることにしよう。そ うすると. 面積 OBCEは面積 ANGEiに全体的にも部分的にも相等しい。二つの図形の間の 差異は,地代の半分すなわち IDEが半地主としての性格をもつ労働者に帰属するという事実で ある。
しかしながら,同時に機能的分配も変更されたわけである。それまでは非弾力的であった労働 供給は弾力的となり.その供給は減少する。労働の限界生産性が A'I'(=N℃')に増加したとし よう。雇用および社会的生産は減少する。しかし,賃金の絶対額 (A'N'G'I')は増加するかもし れないし,同一にとどまるか,あるいは減少するかもしれない。この場合.われわれは.賃金を 土地所有労働者の労働の特殊生産物としてかれらに帰属せねばならない部分だと考えることが自 然であろう。いかなる場合でも.社会生産物に占める労働者の分け前は増加し,土地の分け前は 減少する。財産分配の影響は,労働者も地代を獲得するに至るということだけでは言いつくされ えない。すなわち.社会生産物に占める賃金率および賃金の分け前は増加する。ここにおいて.
財産の分配は,所得の人的分配のみならず,機能的分配にも影響すると主張することができるで あろう。麗用は減少するので,地主労働者の総所得 (A'I'ED℃'N')は, 実際には,財産分配の 影響があったにもかかわらず,かれが以前に行なっていた労働供給に対して得ていた所得 (AIE DGN)と同じ大きさではないであろう。他方, かれの労働時間はより少なくなるであろう。機 能的分配の変化は,労働者に地代とより大なる余暇とを提供したことになる。もちろん,かれは 他の人々以上に追加的な余暇を,自分自身の土地をより集約的に耕作するために使うことも可能 である。この場合,労働の限界生産物は二つの領域で異なる(AIとN'G')。 もし労働者がAI の限界までかれ自身の土地を耕作するならば, かれの総所得は AIED'G'N'となり, 仮に N'N GK=DKG心とすれば,労働者の賃金収入は地主に雇用されていた場合と同ーであり,かれの 余暇は地主の地代の犠牲において EDGから ED'G'に減少するであろう。
V
前節までの結果を整理し,分配理論および経済バワー問題一般を結論づけるために, もう少し 補促的説明をしておこう。
われわれの結果は,従来からの所得分配についての有力かつ基本的な考え方を決して否定する ものではない。われわれの結果は.限界生産力理論がその固有の性質すなわち相対的所得水準を 説明する分析用具である場合には,限界生産力理論に一致するのである。供給曲線の形状がどう であれ,賃金は限界生産性に.あるいは生産要素として労働の相対的稀少性に相応する。この稀 少性は労働の集団独占 collectivemonopolyを考える場合には生じてこない。 この場合には,
労働の一時的な減少によって賃金率は限界生産性以上になるが,この現象は永続的には存在しな
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いであろう。
他方,労働の稀少性は,自然的ないしは物理的な原因ばかりでなく,社会的な原因によるので ある。この社会的な稀少性は,供給に弾力性がない場合には,自然的な稀少性に一致するであろ う。がしかし,そのことが必然的にそうなるということではない。たとえ物理的に同数の労働者 が存在し,同量の土地があるとしても,財産を異にする分配は,提供されるべき労働者数に一層 大なる稀少性をもたらすことがある。そして決定的なことは,労働者の数そのものではなくて,
財産分配の多寡である。問題は生産要素の相対的稀少性であるが,限界生産力理論に対してなさ れるべき修正は単にここに存する。すなわち,このような稀少性は自然的な現象ではなく,社会 的な現象である。それは財産の分配に依存し,この社会的デークの安定度は所得分配の安定度に 依存する。
このように,われわれの結果は,限界生産力理論が公式的な原理である場合に限り,この原理 に一致する。しかし,この理論が自然的分配を決定すると主張するやいなや不一致となる。すで に11節において,機能的理論は,生産物の生産要素への帰属を説明することだけに終止せずに,
要素の所有者によって受領される所得をも説明することが必要であることを指摘しておいた。こ の場合, この理論は, 自然経済法則の領域から社会学的考察の領域に転換すべきことになる。そ して社会学的デークには供給と需要に影響を与えるあらゆる因子が含まれねばならない。もし生 産要素の供給条件が需要条件と同じ程度に綿密に研究されるならば,機能的理論は弾力性の差異 の問題に帰着するであろう。これによって,財産の分配その他の社会学的データを考慮すべきよ うになるであろう。このことは,あの自然的分配の考え方を放棄させて,パワー要因の卓越性を 認めることになろう。しかし,独占に具現されているパワーを消減させるために,自然的分配が 容認されえたのである。というのは,このパワーは,生産諸要素のストック一定における稀少な 関係を変化させずに,部分的,一時的にのみ所得分配に影響を与えると言われているからである。
しかしながら,いまやパワーはこの稀少な関係そのものに影響を与える一つのデークとして現わ れているのである。
このようなことすべてが,断片的に語られるもう一つの事実,すなわち土地所有者の所得の直 接の源泉が土地の稀少性にあるのではなくて, (稀少な)土地の私的所有によるものであるとい う事実とともに,充分検討される必要がある。それゆえ,社会学的デークは,・まさしく所得分配 理論の中に優勢な地位を占めるに値するものである。同時に,そのような観点は,限界生産力理 論と他の分配理論との間を,外観上架橋できないという悩みを解消することになるだろう。そし て後者は,唯一の生産要素としての労働に基礎を置いて,生産の稀少かつ本源的な生産手段が私 的に所有されるという事実,およびその所有者は自分の利用価値を売って,価額を獲得する立場 にあるという単純な事実に,あらゆる地代所得を考えるということである。
相対的所得水準を説明するために,限界生産性または相対的稀少性を使用しなければならない ような理論は,何らかの種類の社会学的要素を含まねばならないというものではない。同様に,
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限界生産力理論は,自然的分配の概念を見捨てることによって,弁明的な態度をとっているとい う疑いをはらすべきであろう。それは,まさにパワー要因重視の論者に向けられるのと同様に.
誤まりの多い概念である。
VI
われわれは,いまやとり残された問題,すなわちパワーの概念およびその具体的表示の問題を 考えてみよう。
パワーと経済法則とを対決させて論じる1)なかで,ベーム・ヴァベルクは.独占の形としての パワーが経済法則という織地の中に織り込まれているという理由で,かれ自身予想もしなかった ような論点を提示した。かれ自身, この論点に立ち返えるぺきであったということがいっそう注 目すべきことである。すなわち,かれにとっては,パワーは社会諸力の人為的,任意的侵入であ り,それは究極的には自然経済法則によって破壊されるものである。ベームは,このようにして データと経済過程との関係を二つの相反する力の間の相克として曲解した。
それでは,われわれが一個人の経済的対象としてパワーを考えるとき,パワーは何を意味する のか。すべての経済活動が所得の獲得をねらいとするゆえに,私的パワーはまず第一に,単に財 を獲得する能力を意味する。この意味において,あらゆる経済要因はパワーをもつ。それは能力 そのものによって測定することが可能であり,能力そのものは,人間の資格や財産の大きさに依 存する。しかしながら,このことは明らかに純粋に人的な所得分配の問題であって,そこからい ろいろに発展した問題が生じてくるものではない。われわれに関心があるのは,機能的分配との 関連におけるパワーの問題である。そしてこのために,われわれには,パワーの所得分配のメカ ニズムに与える影響を明らかにするような一層狭義の概念が要請される。換言すれば,高い資格 と大きな財産がその所有者に一層大きな所得を授け,そして低い資格と少ない財産がその所有者 に授ける以上のパワーを授けるということを注目することにもはや関心はない。そこでわれわれ は,パワーが仕事1時間当りおよび財産1単位当りの所得に影響するかどうかおよびそれがどの 程度であるかを論究しよう。
マックス・ウエーバーは一つの有益な基準を与えた2)。 すなわち,われわれはパワーをいくつ かの社会的背景(この場合には市場のメカニズム内)において,対抗してでも自己の意志を強め る機会として把握することができる。これは.個人がかれの所得を引き上げる目的かあるいは所 得の減少を妨ぐためには.攻撃するか防禦するかのいずれかであるという事実に存する。この観 点からみれば,パワーが前提としていることは,経済要因が諸条件を規定する可能性をもち,個 人が売値を受容したり拒絶したりする可能性のあること,および圧力を免れることができるとい 1) V. Bohm‑Bawerk, Macht oder okonomisches Gesetz, Zeitschrij't f. Volksw., Sozialp. u. Ver四
Bd. XXIII.
2) E. Preiser, Property, Power and the Distribution of Income, in K. W. Rothschild ed., P.。wer in Eco,wmics, 1971, p. 136.
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うことである。このような可能性は,次第に平均以上の高い資格,すなわち若千の特殊にして稀 少な技術や原材料やある特許権等の所有のごとき物質的基礎を前提とする。この意味において,
明らかにパワーをもたない一つの集団すなわち財産をもたない賃金稼得者が存在しうる。この賃 金稼得者以外の他のすべての経済要因はパワーをもっている。このようなことは,その財産が直 接収益をもたらすような地代の場合には現われないが, 労働市場においては異なった事情があ る。すなわち,本質的に硬直的な供給が本質的に弾力的な需要に合されねばならないからである。
この状況は,買手が購買者独占 monopsonyをもっていたならばかれが享受できたと同じ条件を 購買者に与える。またわれわれは,独占という言葉をその厳密な意味の独占と上述の購買者独占 との両方を含むものとして使用する。そしてわれわれはここに述べたような典型的な市場状態を 準独占 quasi‑monopolyとして表わし,これをある弾力性によって定義する。それが経済パワー の最初の表示である。
準独占は多数の市場状態の中の一つの特殊な場合に過ぎないのであって,その状態では需要お よび供給曲線の位置および形状の変化は一方の側に有利になり,他方の側に不利となる。明らか に,硬直的な需要もまた準独占の圧力にさらされていることがわかる。必需品の供給不足がこの 一例となる。ある点に達するまでは,すべての市場状態はパワー状態にある。しかしながら,経 済パワーの考え方とすべてこれらの動態的な市場状態の変動とを結びつけることに何らの意味も 存在しない。それゆえ,われわれの考察を静態に限定してきたわけである。そしてここでの労働 市場の例は機能的分配が財産のもつパワーによって実際に影響される唯一の例である。
このことを別にすれば,財産の分配は静態分析では何の役割もはたしていない。ある人の財産 は大きいか小さいかであろう(このことから個人所得が大か小かの差が生じる)。 がしかし,完 全競争が支配的であるかぎり,労働市場における場合を除いて,反対する者に対し,自分の意志 を強めることは誰もできない。このことは完全競争の定義からわかることであり,ことさら証明 を必要としない。準独占は別として,経済バワーは独占的市場形態においてすなわち原子論的競 争の形態以外のすべての体系にのみ明白に表われる。
要約しよう。準独占および独占(最広義においてそれは原子論的競争以外のすべての市場形態 を含む)は経済バワーが明瞭に表われる経済カテゴリーである。一方において,このパワーは物 的財の所有に依拠し,他方において特権的な市場位置に依拠する。この両者が経済秩序をもたら す要素である。それらは社会学的デークであり,自然的,技術的,心理的デークと結合して,機 能的所得分配を決定する。この社会学的デークは,直接に諸価格を決定する機構としての独占と 準独占を通じて間接的に影響する。後者が常に明瞭に決定されるかぎり,これが常に妥当するも のではないということをわれわれは知っている。相互依存の体系にはギヤップがある一われわれ はただ双方独占あるいは不完全市場のことだけを考える必要がある。ここにおいてわれわれは,
経済的パワーの一つの最終的表示を考えねばならない。すなわち,成功するための個人的能力が これである。これは威脅か暗示によって直接作用する。個人の外部にある環境例えばかれの社会
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関西大学『社会学部紀要』第7巻第2号
的地位にそれは依拠するのではなくて,契約当事者の諸動機に影響を与える個人的能力に全く依 拠するのである。この直接的なパワー表示の範囲と意義を評価するためには,労働組合と使用者 団体との間の闘争に言及すれば充分であろう。けれども,この個人的要素の重要性がいかであろ うとも,その有効性は社会的秩序という客観的事実に固有に存するパワーに依存している。知カ の戦いにおいて,労働組合が成功する機会が大であればあるほど,すなわち組合がより強力にな ればなるほど,より富者となる。
特権をもつ準独占的ないしは独占的な地位は,いかにそれが明示されていようとも,経済パワ ーの基礎的条件にとどまる。このような地位は所得の個人的分配のみならず,機能的分配におい て,その所有者にパワーを授ける。結論として, もし我々が経済政策に適用可能な教訓を得よう とするのであれば,それは次のようなことである。社会的正義を目的とする経済政策は,独占と 闘うことに限定するのではなくて,準独占に注意を払わねばならないということである。財産の 分配を平等化する傾きのあるどんな手段もこの項目に入ってしまう。財産を持たない人々に財産 をもたそうとする政策は,かれにただ地代の分け前を与えるだけでない。それは社会生産物に占 める労働の分け前を増加させ,財産からの所得の分け前を減少させ,労働供給の弾力性を高め,
雇用の減少とその結果社会生産物はより少なくなるだけでなくレジャーばかりが多くなるであろ う。全体として,労働時間がより短くなるにつれて,労働し所有する人々の所得は高まるであろ う。しかるに,所有するだけの人々の所得は減少するであろう。
このようにして, 経済社会における一定の所得分配を givenとするような分析から, この要 素を可変的な独立変数として経済分析の中に導入することが,高度に発展し,発展してゆく経済 社会の理解のために不可欠となるであろう。
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