奈良教育大学学術リポジトリNEAR
ホッブズと「哲学」
著者 伊豆藏 好美
雑誌名 奈良教育大学紀要. 人文・社会科学
巻 50
号 1
ページ 17‑25
発行年 2001‑10‑15
その他のタイトル Hobbes and Philosophy
URL http://hdl.handle.net/10105/1375
奈良教育大学紀要 第50巻 第
1
Bull.Nal・ a Univ.Educ,Vol.50,
号
(人
文 ・社 会)1■
成13年
No.1(Cult.&Soc.),2001
キーワー ド
:ホップズと「哲学」
伊 豆 蔵 好 美
奈良教育大学社会科教育講座 (哲 学・倫理学 )
(平 成 13年 4月
27日受理 )
ホ ップズ
,哲学観
,17世紀の哲学
1.は
じめ に 一届 か な か つた フ ァ ン・ レタ ー か ら
1670年 7月
,マインツ選定候の小宮廷で一顧問官の職 を得たばか りの24歳 の ラ イプニ ツツは
,既に82歳 となっ ていたホ ップ ズに宛てて
,次の ような書 き出 しの書簡 を 送 ってい る
.「最近
,イングラ ン ドを訪 間中の友 人の手紙 で
,貴方 が 今なお ご存 命であ り
1その ご高齢 に もかかわ らずお 元 気であ る と知 りま した こ とは
,私の この上 もない喜 びで あ り
,こう してお手紙 を差 し上げず にはい られ ませ んで した。 もしも
,この手紙が時宜 を失 した ものであるな ら ば
,沈黙 に よって羽 iい て ドされば よろ しいのです し
,利、 の方 は
,たとえそ うであった として も
,自らの気持 ちを 表明で きただけで満足 とい うもので ご ざい ます
.私は貴 方の御著書 を
,個々に出版 された もの も
,まとめて出版 された もの も
,ほとん どすべ て読 ませ ていただいた と思 い ますが
,そこか ら得 られたの と同 じだけの利益 を もた らして くれた著作は
,このわれわれの世紀 に も決 して多 くはない , と公言 して憚 りませ ん .」
(CE.7,p.713)口ライプニ ッツがい ささか誇 らしげに「 このわれわれの 世紀」 と呼んでいる17世 紀 の
,そのほ とん どを生 き抜 い たホ ップ ズは
,当時
,王政復古 後の イングラ ン ドにおけ る苛烈 な「 リヴ ァイアサ ン狩 り」 によって
,国内で は政 治
,宗教 に関わ る著作 こそ発表で きな くなってはいた も のの
1ウォリスとボ イルとい う
,オックスフォー ドとロ イヤ ル・ ソサ イアテ ィ
(:二立協 会
)を代表す る二 人の学 者 との
,円の求積 お よび実験科学 をめ ぐる
,それぞれ熾 烈 な論争 を通 して
,依然 と して「マーム ズベ リの
1予物」
の健在ぶ りを示 していた。 この
2年前 には
,ラテ ン語版
『リヴ ァイアサ ン』 を含 む最初の 『ラテ ン語著作集』が アム ステ ル ダムで 出版 され てい る。若 きラ イプニ ツツ が
,それ を人手 し
,この時期
,集中的 にホ ップ ズの著作 を検討 していた ことにほぼ間違いはない
.彼は さるに書
簡の 中で
,ホッブ ズに対す る批判の多 くは誤解や曲解 に 基づ いてい るこ とを指摘 した 卜で
,自分 はホ ップズの 自 然法論 に触発 されつつ法学 の仕事 に専心す る傍 ら
,自然 学 につ いて も考察 を重ねていることを報 告 し
,運動論 の 基礎や
,温泉湧出の メカニ ズム
,感覚経験 の唯物論 的説 明 な どにつ いて
,ホップ ズの見解へ の若干の疑間 とそれ に対す る自身の考 えを開陳 し
,近年の実験 科学の発展 に よって もた らされた新たな知 見についてのホ ップ ズの説 明 を心 待 ちに してお け
,それが公表 されない ことは全人 類 に とっての損失 となろ う
,と付 け加 えている
.実は
,この書簡が ホ ップズ自身の手 に渡 らなか ったことはほぼ 確 実 なのだが 」 , も しも読んだ としたな るば
,ともす れ ば感情 的な反感や党派的な敵対心か らす る多 くの批判 に 晒 されていた年老いた彼の 目に
,この どこの馬の骨 とも わ か らぬ ドイツ人の右者 か らの熱 烈 な フ ァ ン・ レ ター は
,いったい どう映った ことだろ うか。 ともあれ
,書簡
は次の ような さらなる賞賛の言葉で結 ばれている。
「靖 後 に
.次の こ とを誓 って結 び と致 したい と思 い ま す
.私は友 人の間で な ら至 る所で
,また。 もしも神がそ の機会 をお fiえ 下 さるな らば公の著 作で も常 に
,貴方以 上 に精確 に。明
llFTに,そして優美 に哲学 した人を
,かの
神 的 な才能 をもったデカル トその人を含めて もなお
,私は誰 も知 らない , と明言す るであ りましょう。私が望み ます こ とはただ
,不死へ の 希望 を確か な もの とす ること に存す る全人類 の至 福のため に
,デカル トが企てなが ら 成 し遂 げ得 なか った ことを
,死すべ きわれわれすべ ての 中で もっ ともそれがおで きになる貴方が
,ご考察 ドさる こ とのみで ご ざい ます
.この こ とが 成 し遂 げ られ る よ う
,できるだけ長 き神の ご加護が 貴方様 にあ ります よう に
.J(CE.7.p.716)2.「 哲学」の同一性
?
さて
,若きライプニ ッツの思想形成 史研究 とい うな ら
伊豆 蔵 好 美
い ざ しらず
,それ 自体 としては哲学 史上 のほんの一エ ピ ソー ドに しかす ぎない
,この届 か なか った フ ァン・ レ ター をあえて ここで紹 介 したのは
,他で もない
,やが て 同時 代 を代 表す る卓越 した哲学 者の ひ と りとなる若者 が ドした言 14価 と
,現在の哲学研 究お よび哲学 史研究 にお け るホ ップ ズの一般的な扱 われ方 との間に存す る
,きわめ て 大きなギ ャ ップに
,まず は注意 を促 したか ったか らで あ る。む ろん
,ホツプズは現 代において ももっ とも重要 な政治思想家のひ と りと一般 にはみなされてい る し
,彼の il者 とされる Fl'ヴ ァイアサ ン』 は
,政治哲学や法哲 学
,政治思想 史や倫理思想 史における古 典中の吉 典 とさ れてい るこ とも
,今さ ら言 うまで もない周
lillの事実 であ る。 だが
,こと哲学II究
,あるい は哲学 史研究 に関す る 限 り
,ライプニ ッツを して
,かのデ カル トを含めて もな お「貴方以上 に精確 に ,り
1晰に
,そして優美 に哲学 した 人を知 らない」とまで 言わ しめたほ どの重要 な「哲学者」
と して、ホ ップ ズが近世哲学 史の中で位置づ け られ るこ とは まずあ り得 ない し , したが って
,例えば
,現代 にお け る大学 の「哲学科」 の学生がホ ップズを研究対象 とす るな どとい うことも
,ほとん ど皆無 と言 っていいほ どな のである。つ ま り
,今日では
,ホップ ズは
,その言葉 の 狭 い意味で は
,そもそ も「哲学者」 とはみ な されていな いかの ようなのである。 さて
,それはい ったい なぜ であ ろ うか
.もとよ り
,この問いに対 しては さまざまな答え方があ り得 よう。直 ちに予想 され る答 えは
,ホップ ズは「政治 哲 学 者」,「 政 治思 想家」 と して は と もか く,「 哲 学 者」
としては
,少な くとも今 日か ら見る限
1),特に注 ‖に値 す る ような重要 な仕事 を していない
,とい うものか もし れ ない
.なるほ ど
,それ も大 いにあ り得るこ とだろ う。
ただ
,その場 合には
,では
,今回「哲学者」 としての評 価 に値す るため には
,いったい どの ような要 件を充 た し ている こ とが必要 なのか , とい う問い もまた 自ず と成 り 立つ はずである。そ して
,実は
,この問いに どう答える にせ よ
,そこには , 自分たち 自身の「哲学
J観が暗黙 の 前提 と して働 いてい るこ とに
,われ われ は否応 な しに気 づ か ざるを得ないのではないだろ うか
.例えば
,同じ
17世 紀 で 言え ば
,デカ ル トや ス ピ ノザや ロ ックが「哲 学 (史
)研究」の対 象 となる重要 な「哲学者
Jとみ なされ
,ホ ップ ズや ガ ッサ ンデ ィや メルセ ンヌがそ う考 えられて い ないのはなぜか
,を間 うてみ るこ とは
,同時 に、 われ われがい ったい どの よ うな「哲学
J観に基づ いて
,そう した評価 を下 しているのか
,を問題 とす るこ とであ る
.つ ま り ,「 哲学 者」と しての ホ ップ ズの評 価 を問題 とす る
こ とは
,実は
,われ われ に とっての 「哲学」 とはいった い何 なのか
,を問 うこ とで もあ るはず なので あ る。
もっ とも
,ここで当然
,次の ような指摘 もな され るこ とであろ う
.17世紀 は
,西洋近 代科学が まさに誕生 しつ
つ あった時代であって。今 日の 向然科学や人文科学。 ・
日で 言って経験 的諸科学 は、 来だ独立 した学 問 として成 立 してはいなか ったのであ り
,現代 のそれ らに対応す る 学 問的 な営 為はすべ て皆 「哲学」 に含 まれていたのであ るか ら ,「 哲学」は、 今 日とは まった く異 なる内包 を有 し ていたのであって
,それは特定の学 問の名称 と吾 ・ うよ り はむ しろ
,学問全般 を意味 していたのである
.と。確か に,17世
l紀ヨー ロ ツパ における「哲学」 は
,現代 にお け る 自然 。人文諸科学のかな りの部分 を包括す るような
,広汎 な学問領域 をカバー していた。それは ,夕 1え ば
,冒頭 で引 き合い に出 した
,ライプニ ツツの「哲学者」 ホ ツ プ ズヘ の苦簡の中に登場 して くるテーマの多様 さ (あ る い は
,むしろ
,雑多 さ
)からも ヽ 目瞭然であろ う。つ ま り
,17世紀 的 な意味 において は
,ホップ ズは議論の余地 な く「哲学者」 であった として も
,それ は
,今日的な意
味 で は
,要す るにホ ツプ ズは「学者」であった , とい う にす ぎない
,とい うわけである
.ただ し
,それで は
,当時 の 「哲学」 は由 :ち に学問一般 を意味 していたのか , と 言えば
,むろん話 はそ う単純ではない
.各々の「哲学 者」
た ちは
,一方で は
,当時支配 的であ った「哲 学」観 を時 代 のモー ドとしてあ る程 度 は共 有 しなが らも (お 好 ム な らば
,それ を「パ ラ ダ イム」 と呼んでお くこともで きよ う
),しか し
,他方で は
,やは りそれぞれの流儀 で「哲 学」 の本 質 規定 を行 って もいたのであ って,171世 紀 にお いては「11学 」 とは学 問全般 の ことであった
,とさ しあ た り言 っておけるのは
,そう した個 々の 「哲学者」 た ち の 「哲学」観の相違 を … 切捨 象 した上での こ となのであ る。 ホ ツプ ズもその点では例外ではない
.後に見るよう に
,彼は今 日か ら見 るな らば
,かな り特 異な「哲学」観 を表明 していた
,そして
,実は , まさにそ うであ るか ら こそ
.今日の一般 的 な「哲学
J観に立つ 限 リホ ップズは
「哲学者」 ではない
,とい う評価 も成 り立ち得 るように み えるのである。
さて
,しか し
,する とこ うい うこ とに なるの だ ろ う か。 ホ ソブ ズは17世 紀 ヨーロ ツパ における標準 的 な「哲 学
J観の下では
,ユニー クな
,卓越 した「哲学者」であっ たか もしれないが
,現代 のわれわれ に とっての標準 的 な
「哲学」観 の下 で は,「 哲 学 者」 とは見 な し得 ない
,あるいは
,たか だか三流 の「哲学者」 に しかす ぎない。 と い うこ となの だ ろ うか
.その よ うに考 え る と き
,ひと は,「 哲学」が時代 に よってその相貌 を変化 させ なが ら も
,しか し
,本質的 な同 一性 は保 って きた こ とを暗黙 の 前提 と しているので はないか.「 哲 学者」 は概 して,「 哲 学」 とは何 か
,につ いて語 ることを好 む ものだが
,その
ような 自分な らではの「哲学
J観の
IIf̲露が
,かえって
,唯一 の 「哲 学」
.したが って また
,唯一 の 「哲学 史
Jの存在 を無邪 気 に前提 している場合 も決 して少 な くはない
ように思 われる
.だが、そ もそ も「哲学」の同一性 とは
,ホ プブズと「哲学」
い ったい何 に よって支え 島れているのだろ うか。
ここで
,試み に
,ホップ ズ流のいわゆる「唯名論」 の 立場 に立 って 考えてみた らどうなるだろ うか。 まず
,名辞 「哲 学
Jは概 念「哲 学
Jに対す る記 号であ るが,「 哲 学
Jなる概念は
,それ に対応す る具体的実在 を欠いた抽 象概念であ るか ら
,その FJ― J性 は
,つまる ところ「哲学」
とい う名辞その ものの同 J陛 へ と帰 若す ることになる。
もとよ り。その名辞の意味 をめ ぐっては
,さまざまな意 見や 議論 が交 わ され る こ とで あ ろ う。 これす なわ ち
,「哲学」 の真 なる「定義」 の問題である。だが
,これ も よ く知 1島 れ たホ ツプ ズの 立場 に よるな 場ば
,言葉 の「定 義」 の原理 的 な 「恣 意性」 のため に
.人々はそれぞれげ
)「定義」 の優劣を競って争 うことになるが
,最終 的 な決 着 は
,結局は特 定の権威 ない しは権力 に よってつ け られ る しか ない。例 えば ,「 プ ラ トン」や「ヘー ゲル」 といっ た古 典 的 な権威,「 学 会の権威
Jや「哲学研究 の大家」
とい った業 界内での権威。あるいは
1大学 にお け る「哲 学」 を査定 して
,ポス トや 予算で報いる行政的 な権力 な どが
,現代で はその代 表的 な夕 1と なるで あろ う
.けれ ど も
,幸か イ
(幸か。 この「哲学 Jの 定義 をめ ぐる争い には
,お よそあ ら │ウ る闘争の唯一の調停者 に して判 定者
,かの
「可死 なる神」,「 リヴァイアサ ン」 は存在 しない
.かく して
,さまざまな「哲学」 の「定義」 が覇 を競 う「戦争 状態」に も
,およそ際限が ない , とい うことになろ う 」
.その ような闘争の歴史の中での諸 々の「哲学」 に
,ただ 同 じ「哲 ′ ♯」 とい う タームが 用い られてい る , とい うこ と以 Lの
)概念的
,あるい は実質的な同一性 を
,果た し
て期待で きるであろ うか。
以 上 の よ う な 考 察 は
,Flえば「永 遠 な る 哲 学」
(phi10sophia perennis)と いった Fll念 の信奉 者 を
,必ず や苛立 たせ ず にはおか ないであろ う。そ して
,その苛立 ちは また
,ホッブ ズが正統 的な「哲学 史
Jの中 に場所 を もた なか っ た理 由 の 一端 を説 明す るか も しれ ない
.だが ,「 哲学」の概 念的、 あ るいは実 質的 な同一性が思考可 能で あ ろ うが なか ろ うが
,曲が りな りに もそ こで「哲学」
とい う ター ニ、を用いた「言言 :iゲ ー ム」が成 り立 ってい く 限 り,「 哲 学」や 「哲 学 者」 は
,たとえ「大学」 とい う 制 度の内剖
̀に
その場所 を もとうが もつ まいが
.依然 と し て存在 し続 けるであろ うことは確かではないだろ うか
,なぜ な ら。 「哲学」とい うタームが用い られた「言語 ゲー ム」が現 に行われ続 けている
.とい うその事実 こそが
,また
,おそ らくはその事実のみが
,他な らぬ 「哲学
Jがこの世 界に存在 している とい うことの意味 を構成 してい るのだか ら
.話 を元 に戻 そ う。 こ こで の 問題 は
,ホッブ ズが 今 日
「哲学者」 としては きわめて低 い馴
11断しか 与え られてい ない , とい う事実の意味であった。利、 の見る ところ
,そこには微妙 に絡み合った 1つ の事
1青が働いてい るように
思われる。すなわち
, ^方で
,われわれは自分たちが IЧ 明の もの として引 き受けている「哲学」観の枠内でのみ ホ ップ ズの「哲学」 を剖 :fllllし て しまうし
,また
,そうせ ざるを得ないのだが、 しか し
,他方で
,その 1つ の「哲 学
Jの間の差叫をまった く自明の ものと見なして しまう がゆえに
,ホップズの「 11学 」が もつ
,われわれの「哲 学
Jとθ )き わめて重要な接点を迂間にも見過 ごしてしま う, とい うことである。ホ ツプズの「哲学
Jとわれわれ の「哲学」 との「尋の「差異」 を ,「 差異」 として充分に 思 考しないために
,かえって両者の間の関係
1生を見て取 ることがで きないのだ
,とい う言い方 もで きよう。いず れにせ よ
,以下で考えてみたいのは
,今日、言葉の狭い 意味で「哲学者」 とは見なされていないように思われる ホップ ズの「哲学」観を
,もっぱらその「名辞」の同一 性のみを導 きの糸 として
,あえてわれわれの「哲学」に 対峙 させた とき
,いったい何が 見えて くるのか, という ことである
.換言すれば
,ホツプズを「哲学史」か ら排 除 して きたわれわれの「哲学」に対 して
.彼の「哲学」
の立場か らは
,いったい どのような異議中 し立てがなさ れ得るのか
,を考 えてみたいのである
.そう した考察 が
,果た して どれほ どわれわれの「哲学」 に寄与するの か
,あるいは
,そもそ も「哲学」研究
,ない しは「哲学 史」石 ]「 究の名に値するのか どうかは
,必ず しも定かでは ない。ただ
,そうした考察を「哲学」の名の もとに試み ることが
,上述 したような意味での哲学の「存続」にな にが しかは寄与するであろうことだけは (そ れ │¬ 体に何 らかの意
1味があるか どうかは別に して
),確かなように 思わオ
tる。
3.「 樹」のメタファーと「海」のメタファー
1640年 の暮れ
.議会派 か らの弾劾の恐怖 に怯 えるよう に して パ リヘ と亡命 した52歳 のホ ップ ズは
,その一年余 り後に、 自らの哲学上の主著 となるべ き
F哲学 原論』三 部作 の うち
,本来 の「順序 にお いて最後 となるはず」で あ った 『市民論」 を
,戦乱の予り Lに 沸 き立つ相 国の状 況 を憂 いつ つ
,あえ て 最 初 に
L梓す る こ と に な る (CI.
Praef ad Leci CE.2,p.82).そ れが パリで匿 名出版 され た の は
,イングラ ン ドで の内戦勃 発一 カ月後の こ とで あ った
.大 陸での「哲学者 Jと しての実 質的なデ ビュー作 となっ た この書物の献辞 において
,ホップ ズは「哲学」 につい て、次の ように語 り出 してい る
.「真の匈 1恵 (sapientia)と は1 あ らゆる題材 における
真理 につ いての学矢Π(sciellja)に 他 な りませ ん
.しか る
に
,これ は
,確かで定 まった名称付与 に よって喚起 され
る。 もの ごとの記憶か ら生 じる ものであ りますか ら
,鋭20
伊豆栽 好 美い ひ らめ きとか束の間の熱狂 といった ものではな くて
,正 しき理性
,すなわち
,哲学 が関わ るべ きこ とが らなの です。 なぜ な ら
,後者 を通 して こそ
,個別的な ことが ら の考察か ら普遍的準員Jへ の道が開けるのですか ら ,」 (CI.
Ep.Ded.:CE 2,p,74)
政治的混乱 や内戦 といった
,憂うべ き火急 の事態 に対 して も的確 な対処がで きて こそ「真 の知恵」 とい うもの であろ う
.しか るに
,それは
,言葉の適切 な定義 に依拠 した
,合理 的 な推論 によって もの ごとの普遍的な成 り立 ちを明 らか にす る「学知」 の立場 に よって こそ可能 とな る.「 哲学」 とは。そ う した「あ らゆ る題材 にお ける J
「学知」 を 日指 す 人 FH5の 「理性」 (の 営 み
)その もの に 他 な らない
4,.̲見さ りげない こうした語 り日の中に
,現実 の状況 に迅速 に対応すべ く
,市民 の責務 と国家主権 の本質を解明す る 『市民論』の li梓 を急 ぎなが ら
,しか し
,それ をあ くまで 自らの包括的 な「哲学」体 系の中に 位置づ けて完成 させ たホ ップ ズの ,「 哲学者」と しての 自 負 を感 じ取 ることがで きよう
1).ところで,「 哲学」が 人間の「理性」 その もの に他 な らない とす るな らば
,その対象 は当然
,理性 が関与 し得 るあ らゆる領域 に及ぶ こ ととなる.「 人間理性 がそ こに 場所 を占め る もの ご との さまざまな部類 があ るの と同 じ だけ
,哲学 も枝分 かれ し
,対象 となる題材 の違 い に応 じ て
,異なった名称で呼ばれ る」 ことになる。す なわち
,「図形 につ いて考察す る場 合には幾何学 と呼 ばれ
,運動 につ いて考察す る場合 には自然学 と呼 ばれ
,自然権 につ いて考察す る場 合 には道徳学 と呼ばれ るが
,それ らの全
体が哲学 なのであ る」とい うわけであ る
(ibid.)。この よ うな語 り方 は ,「 哲学」を
,他の諸学 を包括す る全体 とみ なす点において
,デカル トのあの有名な「哲学 の樹」 を 直 ちに連想 させ るか もしれ ない ¨
.しか し
,ホップズは それ を「樹」 ではな く,「 海」 の比喩 を用いて表現す る。
つ ま り,「 それはち ょうど
,海が
,個々の海岸 によって
,あ る場所で は イギ リス海 と
,ある場所では大西洋 と
,また
,別の場所 ではイン ド洋 と呼 ばれるが
,しか し
,その 全体が一つの海洋であるの と同様である」 と言 うのであ
る
(ibid.)。「哲学」が関わる領域 の広汎 さとい うよ りは
,む しろ諸学の ツ リー状 の位階序列の方が強調 されかねな い「樹」 の メタフ ァー と比較す れば。「海」 はわれわれ の知 る「哲学」 の実態 に も即 した
,よリイ メー ジ豊 か な 比喩 である と言 えな くもない
.とはいえ、 もちろんゃ両 者の間には決定的な違 いが存 在 している。 それ は
,デカル トの「哲学の樹」には ,「 形 而上学」 とい う「根」力 'あ ったのだが
,ホップ ズの「哲 学 の海」 には
,それが ない
,とい うことである。実際
1他 の諸部分 に養 分 を与 え、かつ、全体 を支 える基礎 とな る よ うな
,特権的
,中心 的 な場所が ,「 海」にあ ろ うはず
もない。 そ して
,これは
,近世以 降の「哲学 史」 に とっ て もきわめて重要 な差異 となるはずである。 なぜ な ら
,もしも「哲学」が「幾何学」や 「自然学」や 「道徳学」
とい った諸学の集 合体であ
n,また
,それに尽 きる とす るな らば
,そして
,さらに , もしもそ う した諸学がそれ ぞれ独立 した固有の学 問領域 を有す るとしたな らば (だ が
,それ はいか に してか ?)。 「哲学」に固有の領域 な ど
,い ったい どこに残 る と言うのだろ うか。
も と よ り
,こう した表 象 は
,諸々の学 問 の 間の 関係 が
,まるで僅かの領上 をめ ぐって互いに争い合 う国家間 紛争 の ような もの に しか な り得 ない
,とみ なす点で
,決定 的 に誤 ってい よう。 しか し、仮 に諸学 を取 り巻 く現実 の状況が
,そう した表象 を至 る ところで まき散 らしてい た と した らどうだろ うか
,実際
,18世紀以降
,経験 的諸 科 学が形成 され独立 してい く過程 は
,同時 に
,諸科学が 大学 をは じめ とす る国家的 '社 会的 な制度の中で、予算 やポ ス トを与 え られ ることによって
,その存立 と発展 を 保証 され る とい う
,いわば
,学問の近代国民 国家 による 囲い込み と飼 い慣 らしの プロセスで もあ ったので あ り。
「哲学」もまた。当然
,現在 もまさにそ うであ る ように
,他 の諸学 と競 合す る
,一つ の「学問」 として
,己の存在
意義 をアピール し
,予算や ポ ス トを確保す るため
,自 ら に固有の領域
,対象 を見い だ さなけれ ばな らなか ったは ず である。
そのため に近代の「哲学」が とって きた方策は
.大き く分 けて二通 りあ った と思 われ る。 ・つ 日は
,カン トの 超越論的哲学 に代表 され るような
,認識論的な企てであ る
.この場 合 ,「 哲学」は
,他の諸 々の学問
,とりわけ 自 然科学が
,その客観性 や厳密性 をいか に して獲得 し得 る のか。 を明 らか に し
,基礎づ け る。 とい う仕方で 自 らの 課題 の 固有性 を主張 しつつ
,経験 的諸科学 に対す る特権 的 な地 位 を確保で きることになる。二つ 日は
,逆に
,そもそ も他の経験的諸科学 では決 して扱 い得 ない問い
,それ らが決 して及び得 ない ような次元の問題 を哲学 にIJ有 の もの として主張 しようとす る立場 である .夕 1え ば
,さしあた りは ,「 主観性」 ,「 自我」 ,「 内面性」とい ったキー ワー ドで括 ってお け る よ うな
,ドイツ観 念論 や フラ ン ス・ ス ピリチュア リスムの系譜の中で追求 された ような 方 向性 がそれで あ る。そ して
,近代 の哲 学 におけ る この 二つの方向性 に思 い至 るな ら
,デカル トがなぜ近代哲学 の 「祖」 とされたのかの理 由 も
,改めて はっ きりと見通 せ る もの となろ う。何 しろ
,自然 学 の まった く新 た な (形 而上学 的な)基 礎づ けを企てたの も
,主観性 の朽学
,コギ トの形而上学 を創始 したの も
,他な らぬ デ カル トで あった、 とい うこ とになるのだか ら
.いずれ にせ よ
,己に固有の領域 の消失 に怯 える「哲学」
に してみれ ば ,「 形 ml‐ L学 」こそが他 の 一 切の諸学 を養い
支 えてい る「根
Jであ り
.基礎 であ る とす るデ カ ル ト的
ホ ツプズと「哲学」
「 哲学」観は
,どれほど安心 を与‐ えるものに思えただろ うか。それに月 `
して
,ホツプズのような
,一見文字通 り の「根な し」草的「哲学」観 に立つ ことは ,「 哲学」が 己の存在理由その ものを. 自ら合定することに見えは し ないだろうか ア。こうして
,われわれの「哲学史」は
,デカル トを近代哲学の「祖」 とする ‐ 方で
,ホップ ズにお ける「誓学」の不在を
1早くも結論づけようとするであ ろう
,そもそ も ,「 幾何学
Jや「 自然学
Jをその実 質的 な部分 として包摂する「哲学」なるものは
,既にそれだ けで
,われわれの「哲学」 とは決定的に異なったもので あることに
,議論の余地などあ り得ないのではないか
.要す るに
,ホツプズに「哲学
Jがあったとして も
,それ はわれわれの「哲学」 とはまった く違 うのである, とい うわけである
.だが
,それを言 うなら
,デカル トの「哲 学
Jとわれわれの「哲学」 もまた
,デカル トの「哲学
Jとホ ヽ ソブズの「哲学」 とが異なっていた以 11に
,おそ ら くは異なっているのである
.そして
,今はその「差異」
をこそ思考 しなければならない, としたのであった。図 形を扱 う場合に「幾何学」 と呼ばれ
,国家 を扱 う場合に
1ま 「政治学」 と呼ばれる彼の「哲学」 とは
,いったい ど のようなものなのか。再びホップズのテクス トヘ戻るこ
とにしよう。
4.ホップズの「唯物論」とわれわれの「哲学」
チ ャール ズ
1世が処刑 され
,クロム ウェ ルが実権 を据 りつつ あった1651年
.ロン ドンで 『リヴァイアサ ン』 を 出版 し
1図らず もパ リの亡命官廷 での
̲立場 を悪 化 させ た ホ ップ ズは
,厳寒の海 を渡 って イングラ ン ドヘ と逃 げ帰 る。遅れ に
,星れていた 『哲学原論』第
1部『物 体論』が ようや く完 成 し
,パリで 公刊 され たの はそれか ら
3年後
,1655年の ことである。第
3部『市民論』刊 行か らは 既 に14年 が経過 し
,ホツプ ズは67歳 になっていた。
さて ,『 哲学 原論』本来 の順序での第
1部第
1章は「哲 学 につ いて」 と題 され
,そこで「哲学
Jは次の ように定 義 され る。
「哲学 とは
,結果 ない しは現 象の認 識 を
,概念的 に把 握 され たそれ らの原 因 も しくは生 成か ら
,あるいは また 逆 に
,可能 な生 成の認識 を
,認識 され た結果か ら
,正し い推論 に よって獲得す る ものである .」
(CO.11:OL.1,p. 2)
「哲学」 は、それが対象 とす る現象 を
,ある 。 定 の原 因に よって生 成 した結果 であ る と捉 えて
,その生成のプ ロセスを合理的推論 に よって明 らかにす る
.それ に よっ て
,既知 lの 原 因か らそ の結 果の 認 識 を
,ある い は
,逆に
,既知 の結果か らその原因の認識 を得 ようとす る
.それ ゆ え に,「 哲学 す る方法 とは
,原因 を認 識 す る こ とで 結 果 を
,または結果 を認識す ることで原因 を
,最短の
fL方 で探 求す るこ とで あ るJと も言われ る (CO.6.li OL.1,
pp.58‑9)。さ らに
,ホップ ズに よれ ば
,そう した探 求 に よって獲得 され る「原因か らの認
i哉」こそが ,「 学知」
(scientia)に 他 な らないか ら (ibid.)1「 哲学」 は諸 々の
「学知」 を口 J能 に し
,成立 させ る力で もある
.で は
,その 「哲学」 は
,いったい何 を対象 とし , どの ような現象の「原因か らの認識」 を 目指すのか
.「哲学の文J象
,すなわち哲学が関わる題材 は
,何らか の生成が考 え られ
,その生成の一定の考察 に従 って相 lf̲
の関係 を規定す ることが 口
J‐能 なあ らゆる物 体 (corpus) で あ る。換 言 す れ ば
,合成 と 分 解 (composido et resolu■
o)とが起 こ り得 る もの
,即ちそれが生成す る と い うことが
,あるい はそれが 何 らかの性 質を持つ とい う こ と が 理 解 し得 る よ う な あ ら ゆ る 物 体 で あ る。」
(CO.1.8i OL.1,p.9)
「哲学」が対象 となる現 象の4i成 のプロセ スの解明 を 通 して
,その対象についての「学知」 の確 正を 目指す も のである以 11,当 の対象は当然「生成
J可能 な もので な ければな らない。す なわち
,合成 と分解 とが起 こ り得る もので なけれ ばな らない。 だか ら。例 えば。神や イデア とい った永遠不変の存在は
,ホップ ズの「哲学
Jの対 象 とはな り得ない。そ して
,およそ 「哲学
Jの対 象 とな り 得 る もの ,「 生成 J lll‐ 能 な もの
1合成 と分解 とが起 こ り得 る もの
,それ を彼は「物 体」 と
1呼ぶのであ る。
ところで
,ひとは これ を
,不可避 的 に
,「リヴ ァ イア サ ン』で展開 された
,あの機械論的人間把握 の前提 とな る徹底 した唯物 論 の立場 の表 明 であ る
,と考 えて し ま う
.実際 , どうしてそ う考 えない ことがで きようか
.何しろ
,ホツプ ズは , ここで ,「 哲学」が考察対 象 とす るの は
1バー ツの 合成 と分解 に よって生 成 し
,解体す る
,諸 々の「物 体」のみである
,と明 言 してい るのだか ら
.したが って
,先の「哲学」の定義で語 られていた,「現象」
の「生成」の「原因か らの認識」や
,既知 の結果の「原 因」 の究明 も、 要す るに
,考察対 象 となる現 象 を物 質的 自然現 象 と見な して
,その生成 を物理的国果 関係によっ て解明 しようとす ることである , と読めて しまうのであ る
.する と
,ホップ ズげ )「 哲 学」が確 ヽ たしよ うと した
「学 矢Π」 (sdentia}と は, つ まる ところ, われわれの知 る「科学」
(scLnce)に他 な らない こ とに なるので は な いか
.この予断は
,ホップ ズが哲学の「 目的」 を
,次の
よ うに述べ ているの を見る とき
,ほとん ど確信 に変 るで あ ろ う
.「哲学の
FI的もしくは 日標 は
,予見 された結果 を我 々
伊豆蔵 好 美
の使益
(commoda)のために利用で きるようにすること である。即 ち、ある物体に当てはまることを他の物体に 適用することによって
,精神が概念的に把握 した結果 と 類 似す る結果 を
,人間の力 と物 質的条件 とが言 1:す 限 り で
,人間生活の有用性のために
,人間の勉励 (industria)
によって産出することである。 」
(CO.1 6iOL.1,p.6)近代以降の 自然科学やテ クノロジーが ・貫 して 目指 し
,実現 して きた とされることの
,これはきわめて直載 な表現 となってはいないだろうか。だが
,そうであると すれば
,ホップズの「哲学」は
,実質的にはそのほとん どが ,「 科学」に代替 され得るはずである し。また
,それ が 目指 したことも
,現に経験的諸科学の成果 とそれに基 づいたテクノロジーによって果たされてきたことになる であろう。こうして再び
,ホップズの「哲学」の現代的 意義は (「 科学
Jを標榜で きるか どうか大いに疑わ しい
「政治学」の基礎たる「政治哲学」 を除 けば
;)無に等 しい, とい う結論が導 き出されることになる。何 しろ
,彼の「唯物論哲学」は
,それを現代にそのままもって く れば
,通俗的な科学主義以外の何 もので もないのだか
ら, というわけである。
しか し
,この ように断 じるとき
,ひとは ,「 物体」の
「生成」のみを支
1‐象 とするとされたホ ップ ズの「哲学」
が
,LI形を扱 う場合には「幾何学
Jと呼ばれ
,人間の権 利や義務 を扱 う場 合には「道徳学」 と呼ばれるはずの も のであったことを
,余りに も簡単 に忘 れて しまってい る 卜。それこそ彼の「哲学」とわれわれの「哲学
Jとの 間の決定的な差異であったはずなのに
,である。実際
,彼の「哲学」が対象 とする「合成 と分解 とが起 こり得る
もの」
,すなわち ,「 それが lL成 する」 とい うことが理解 し得る ものは
,決して ,「 自然的物 体」や「国家」に限 られるわけではない ・ 。例えば け
,ホップズが
,事象の原 因
,あるいは生成についての認識か 島
,その結果
,ある いは型
1の事象の性質についての認識が獲得 される場合の 一つの範例 としてあげているのは ,「 卜 と ∫
Jの生成的
,運動 論的定義か ら
,いかにして「 1可 」の諸性質が導 き出せ る か
.であった
(CO.1.5:OL.1,p.5).この場 合の「原 因」 となる
,円を生成させ る線分の運動は
,現実に目の 前に描かれている図形 を
,実際に作図 した際の手の運動 である必要はまった くない
,とホ ップズは書いている。
それは
.ちょうど
,彼が人間の自然権や政治的主権者の 権限を導出する際に用いた人間の「自然状態」が
,歴史 的現実である必要がまった くなかったの と ,il:確 に対応 している。さらに ,「 人間」 を「合成 と分解 とが起 こ り 得るもの」 として考察する場 合
,その「部分」 とは
,例えば頭部や四肢 といった文字通 りのパーツではな くて
,形態や運動能力や感覚能力 といった ,「 人間の本性」を
l・5成する諸
1生質のことである。 とも明言されているのであ
る (CO.6.2:OL l,p.60)。 もしも .イ 皮の「哲学」が
,本当にその考察する対象によって幾何学 とも政治学 とも 倫理学 とも呼ばれ得るものであった とするな らば ,「 原 因 と結果」 も「生成」 も「合成 と分解」 も
,これ らの例 すべてに適用可能な概念でなければならないだろう。そ れ らが物質的自然現象の物理的
LJtl果関係のみを表現する ために用い られた タームとは見なせないことは
,明らか なのである。
では
,ホップズのいわゆる「唯物論」 とは
,いったい 何であったのか
.これを詳細 に検討することは別の機会 に譲 らざるを得ない。ただ
,ここでは
,あらゆる対象を いわば「生成の相の下に
J考察 しようとする彼の「哲学」
が選択 した「生成
=構成的・分解的方法」が, どうして もわれわれが「 pll物 論」 と呼びた くなって しまうような 相貌 を有 していたのだ
,とだけ 言ってお くことに しよ う。なるほど
,ホツプ ズが 自ら「形而上学的唯物論者」
であ りたいと願っていたことはおそ らく確かである。 し か し ,「 哲学 者
Jとしての彼は
,一貫 して「方法論的唯 物論者」であ り続 けた し
,それ以 Lを 望むことも決 して なかったように思われる山 Ⅲ 。いずれにせ よ
,ホップズの
「哲学」が相手としていたのは
.決して「自然的物体」
が リアル タイムで展開 している物理的プロセスなどでは ない。彼の「哲学」は
,実は一貫 して
,われわれが有す る諸概念をいかに再構成 し
.再編成するか
,を,そして それのみを追求 していたのである
.その諸概念 とは
,例えば ,「 円」や「速度」
,「自然」や「徳」
,「自由
Jや「権 利」 ,「 国家」や「神」 などである
.そうした諸概念を再 構成 し
,それ らの間の諸関係を再編成するために
,ホッ プズの「哲学
Jは,「 生成
=構成的・分解的方法」 を駆 使 しつつ
,´ つ一つの「概念」 を変容 させ
,新たな仕
IJl‐で関係づけてい くのである
.ところで, もしも「哲学」
に可能なことが何かあるとするならば
,いったいそれ以 外の何があ り得 ようか
.また, もしも「哲学」にこそ望 み得る何かがあるとするならば
,いったいそれ以外の何 があ り得ようか。
だが、そ うした諸概念の再構成や再編成を ,「 哲学Jは そ もそ も何のために企てるのか。 とさらに閾 lう こともで きよう
.ホップ ズの答 えは
,既に見た とお り ,「 わ ilわ れのイ 更益」のために ,「 人間生活に有用なように」, とい うものであった。ここにもう一つ
,ホップズの「哲学」
とわれわれの「哲学」 との間の
,大きな
.しか も決定的 な差異がある。最後に
,この差異の意味するところを孝 えてお くことにしよう。
5,「知は力のために」
一 Scientia propter potentiam
「知は力な り」 とい うあ まりによく知 られた言葉があ
ホップズと「哲学」
る。 その言葉の主であるフランシス・ベー コ ンが代表作
Fノ ウム ・オルガヌム」 を出版 した1620年
,大学 を出て 以 来 貴族 の子 弟 の家庭教 師 を続 けて きた ホ ップ ズは
,ベー コンの下で秘書 としての仕事 を していた
.やっ と30 歳 を過 ぎたばか りの頃であ る
.今日で は ,l■
J者の間には 思想的影響 関係 はほ とん どなか った , とい うのが定説で あ り
,それか ら30年 以上経 た後
,ホツプ ズが「知 は力の ため に」 と書 き付 けた とき
(CO,1.5:OL.1.p.6),この llt賄 事件で失脚 した大法官の有 名な言葉 が
,果た して
念頭 にあったのか どうか も定かではない。ただ
,学問や 知識の意義 を , もっぱ らその有用性 や実 用性 とい う観点 か ら捉 えようとした点で
,二人は紛れ もな く共通の志 向 を有 していた
.しか るに
,この ような立場 は
,われわれ の「哲学 史」の中では
,余り高 く評価 され ることが ない。
そ もそ も,「 有用性」や 「利 便性」 といった価 値 を,「 哲 学」 は端 か ら蔑視 してい る ように も見 えるのであ る。 そ れはい ったい なぜ なのだ ろ うか。
通常 の「哲学 史」 において
,知は力であ り,女Π識 は行 為や実践 のためにある
,とす る考 え方 は
,特に ヨー ロ ッ
パ近代の幕開けを特徴づける知識観
,学問観で あ る
.とみ な されてい る
.他方 で
,その「哲学史
Jが最初の 「哲 学者」 と しているのは
,言わず と知れた タレスである
.なぜ
,タレスは最初の「哲学者
Jと見な されたの だろ う か。 い くつかの理 由の中の 一つ に必ずあげ られるのは
,彼 の知 的探 求 は
,実用的
,実利 的 な関心 か らは まった く 自由 に 行 わ れ た もの で あ っ た
,とい う点 で あ ろ う
.phn。 ̲sophiaと は
,知(恵
)を愛す る こ とであ る.「 哲学 者
=愛知者」 は知を知 lと して愛 し求 めるのであって
,富や地位や名声のために
,生活 の必要性 や有用性 のために
「知
Jを求め るのでは ない。 タレスは
,まさにその よう な意味で最初の「誓学者」 である とされた
,彼の貧乏 を 笑 い
,哲学 な ど何 の 役 に も立 たぬ
1と非 難 す る者 に対 し
,天文学 の知識 を利 用 してオ リープの豊作 を予知 し
,瞬 く間に巨額の令を手 に 入れてみせ た , とい う有名なエ
ピソー ドを糸 fl介 した Lで , タレスは「哲学者たちに とっ て
,もし
f皮らが欲す るな ら
,富者 になるの は容 易な こ と であるが
,しか しこれ は彼 らの思い煩 うところではない
とい うことを示 した」 のだ
,と記 したの は
,他な らぬ
,タレスを最 初の哲学 者 と した ア リス トテ レスその 人で あ った Jい 。 その彼 に よる「テオー リア」 (観 照
)の「プ ラク シス」 (実 践
)に対す る優越性 の 主張 にせ よ , また
,その序列 を踏襲 した
,中世 にお ける「観想的生活」 (vita contemplat市
a)と「実 ‖ 先的 生 活」 (vita act市
a)との 文
J‐比 にせ よ ,「 哲学」が 本来 関わるべ きこ とが 応が
,実生活 での利便性 や有用性 とはお よそ11関 係 な次元 に設定 され ていた こ とに変わ りはない。つ ま り ,「 哲学」の観点 か ら す れ ば,「 知 │」 は「知」それ 自体 のため に こそ求 め られ るべ きで あ って,「 力」 のため に「知」 を求 め るな どと
い うことは
,むしろ卑 しむべ きこととされていたのであ る。
しか るに
,近代 に入って
,この序列
,秩序 は転 倒 され た , と吾 ・
われている。ホ ップ ズもまた
,その転倒 に ^役 買 った思想家 とい うこ とになるの は
,言うまで もない。
今、 その「転 倒」の判
1部に立 ち入ることはで きないが 可 ン
,