• 検索結果がありません。

ホッブズと「哲学」

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "ホッブズと「哲学」"

Copied!
10
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

奈良教育大学学術リポジトリNEAR

ホッブズと「哲学」

著者 伊豆藏 好美

雑誌名 奈良教育大学紀要. 人文・社会科学

50

1

ページ 17‑25

発行年 2001‑10‑15

その他のタイトル Hobbes and Philosophy

URL http://hdl.handle.net/10105/1375

(2)

奈良教育大学紀要 第50巻 

1

Bull.Nal・ a Univ.Educ,Vol.50,

(人

文 ・社 会

)1■

13年

No.1(Cult.&Soc.),2001

キーワー ド

:

ホップズと「哲学」

伊 豆 蔵   好   美

奈良教育大学社会科教育講座 (哲 学・倫理学 )

(平 成 13年 4月

27日

受理 )

ホ ップズ

,哲

学観

,17世

紀の哲学

1.は

じめ に 一届 か な か つた フ ァ ン・ レタ ー か ら

1670年 7月

,マ

インツ選定候の小宮廷で一顧問官の職 を得たばか りの24歳 の ラ イプニ ツツは

,既

に82歳 となっ ていたホ ップ ズに宛てて

,次

の ような書 き出 しの書簡 を 送 ってい る

.

「最近

,イ

ングラ ン ドを訪 間中の友 人の手紙 で

,貴

方 が 今なお ご存 命であ り

1そ

の ご高齢 に もかかわ らずお 元 気であ る と知 りま した こ とは

,私

の この上 もない喜 びで あ り

,こ

う してお手紙 を差 し上げず にはい られ ませ んで した。 もしも

,こ

の手紙が時宜 を失 した ものであるな ら ば

,沈

黙 に よって羽 iい て ドされば よろ しいのです し

,利

、 の方 は

,た

とえそ うであった として も

,自

らの気持 ちを 表明で きただけで満足 とい うもので ご ざい ます

.私

は貴 方の御著書 を

,個

々に出版 された もの も

,ま

とめて出版 された もの も

,ほ

とん どすべ て読 ませ ていただいた と思 い ますが

,そ

こか ら得 られたの と同 じだけの利益 を もた らして くれた著作は

,こ

のわれわれの世紀 に も決 して多 くはない ,  と公言 して憚 りませ ん .」

(CE.7,p.713)口

ライプニ ッツがい ささか誇 らしげに「 このわれわれの 世紀」 と呼んでいる17世 紀 の

,そ

のほ とん どを生 き抜 い たホ ップ ズは

,当

,王

政復古 後の イングラ ン ドにおけ る苛烈 な「 リヴ ァイアサ ン狩 り」 によって

,国

内で は政 治

,宗

教 に関わ る著作 こそ発表で きな くなってはいた も のの

1ウ

ォリスとボ イルとい う

,オ

ックスフォー ドとロ イヤ ル・ ソサ イアテ ィ

(:二

立協 会

)を

代表す る二 人の学 者 との

,円

の求積 お よび実験科学 をめ ぐる

,そ

れぞれ熾 烈 な論争 を通 して

,依

然 と して「マーム ズベ リの

1予

物」

の健在ぶ りを示 していた。 この

2年

前 には

,ラ

テ ン語版

『リヴ ァイアサ ン』 を含 む最初の 『ラテ ン語著作集』が アム ステ ル ダムで 出版 され てい る。若 きラ イプニ ツツ が

,そ

れ を人手 し

,こ

の時期

,集

中的 にホ ップ ズの著作 を検討 していた ことにほぼ間違いはない

.彼

は さるに書

簡の 中で

,ホ

ッブ ズに対す る批判の多 くは誤解や曲解 に 基づ いてい るこ とを指摘 した 卜で

,自

分 はホ ップズの 自 然法論 に触発 されつつ法学 の仕事 に専心す る傍 ら

,自

然 学 につ いて も考察 を重ねていることを報 告 し

,運

動論 の 基礎や

,温

泉湧出の メカニ ズム

,感

覚経験 の唯物論 的説 明 な どにつ いて

,ホ

ップ ズの見解へ の若干の疑間 とそれ に対す る自身の考 えを開陳 し

,近

年の実験 科学の発展 に よって もた らされた新たな知 見についてのホ ップ ズの説 明 を心 待 ちに してお け

,そ

れが公表 されない ことは全人 類 に とっての損失 となろ う

と付 け加 えている

.実

,

この書簡が ホ ップズ自身の手 に渡 らなか ったことはほぼ 確 実 なのだが 」 ,  も しも読んだ としたな るば

,と

もす れ ば感情 的な反感や党派的な敵対心か らす る多 くの批判 に 晒 されていた年老いた彼の 目に

,こ

の どこの馬の骨 とも わ か らぬ ドイツ人の右者 か らの熱 烈 な フ ァ ン・ レ ター は

,い

ったい どう映った ことだろ うか。 ともあれ

,書

は次の ような さらなる賞賛の言葉で結 ばれている。

「靖 後 に

.次

の こ とを誓 って結 び と致 したい と思 い ま す

.私

は友 人の間で な ら至 る所で

,ま

た。 もしも神がそ の機会 をお fiえ 下 さるな らば公の著 作で も常 に

,貴

方以 上 に精確 に。明

llFTに,そ

して優美 に哲学 した人を

,か

神 的 な才能 をもったデカル トその人を含めて もなお

,私

は誰 も知 らない ,  と明言す るであ りましょう。私が望み ます こ とはただ

,不

死へ の 希望 を確か な もの とす ること に存す る全人類 の至 福のため に

,デ

カル トが企てなが ら 成 し遂 げ得 なか った ことを

,死

すべ きわれわれすべ ての 中で もっ ともそれがおで きになる貴方が

,ご

考察 ドさる こ とのみで ご ざい ます

.こ

の こ とが 成 し遂 げ られ る よ う

,で

きるだけ長 き神の ご加護が 貴方様 にあ ります よう に

.J(CE.7.p.716)

2.「 哲学」の同一性

?

さて

,若

きライプニ ッツの思想形成 史研究 とい うな ら

(3)

伊豆 蔵  

い ざ しらず

,そ

れ 自体 としては哲学 史上 のほんの一エ ピ ソー ドに しかす ぎない

,こ

の届 か なか った フ ァン・ レ ター をあえて ここで紹 介 したのは

,他

で もない

,や

が て 同時 代 を代 表す る卓越 した哲学 者の ひ と りとなる若者 が ドした言 14価 と

,現

在の哲学研 究お よび哲学 史研究 にお け るホ ップ ズの一般的な扱 われ方 との間に存す る

,き

わめ て 大きなギ ャ ップに

,ま

ず は注意 を促 したか ったか らで あ る。む ろん

,ホ

ツプズは現 代において ももっ とも重要 な政治思想家のひ と りと一般 にはみなされてい る し

,彼

の il者 とされる Fl'ヴ ァイアサ ン』 は

,政

治哲学や法哲 学

,政

治思想 史や倫理思想 史における古 典中の吉 典 とさ れてい るこ とも

,今

さ ら言 うまで もない周

lillの

事実 であ る。 だが

,こ

と哲学II究

,あ

るい は哲学 史研究 に関す る 限 り

,ラ

イプニ ッツを して

,か

のデ カル トを含めて もな お「貴方以上 に精確 に ,り

1晰

,そ

して優美 に哲学 した 人を知 らない」とまで 言わ しめたほ どの重要 な「哲学者」

と して、ホ ップ ズが近世哲学 史の中で位置づ け られ るこ とは まずあ り得 ない し ,  したが って

,例

えば

,現

代 にお け る大学 の「哲学科」 の学生がホ ップズを研究対象 とす るな どとい うことも

,ほ

とん ど皆無 と言 っていいほ どな のである。つ ま り

,今

日では

,ホ

ップ ズは

,そ

の言葉 の 狭 い意味で は

,そ

もそ も「哲学者」 とはみ な されていな いかの ようなのである。 さて

,そ

れはい ったい なぜ であ ろ うか

.

もとよ り

,こ

の問いに対 しては さまざまな答え方があ り得 よう。直 ちに予想 され る答 えは

,ホ

ップ ズは「政治 哲 学 者」,「 政 治思 想家」 と して は と もか く,「 哲 学 者」

としては

,少

な くとも今 日か ら見る限

1),特

に注 ‖に値 す る ような重要 な仕事 を していない

,と

い うものか もし れ ない

.な

るほ ど

,そ

れ も大 いにあ り得るこ とだろ う。

ただ

,そ

の場 合には

,で

,今

回「哲学者」 としての評 価 に値す るため には

,い

ったい どの ような要 件を充 た し ている こ とが必要 なのか ,  とい う問い もまた 自ず と成 り 立つ はずである。そ して

,実

,こ

の問いに どう答える にせ よ

,そ

こには ,  自分たち 自身の「哲学

J観

が暗黙 の 前提 と して働 いてい るこ とに

,わ

れ われ は否応 な しに気 づ か ざるを得ないのではないだろ うか

.例

えば

,同

17

世 紀 で 言え ば

,デ

カ ル トや ス ピ ノザや ロ ックが「哲 学 (史

)研

究」の対 象 となる重要 な「哲学者

Jと

み なされ

,

ホ ップ ズや ガ ッサ ンデ ィや メルセ ンヌがそ う考 えられて い ないのはなぜか

,を

間 うてみ るこ とは

,同

時 に、 われ われがい ったい どの よ うな「哲学

J観

に基づ いて

,そ

う した評価 を下 しているのか

,を

問題 とす るこ とであ る

.

つ ま り ,「 哲学 者」と しての ホ ップ ズの評 価 を問題 とす る

こ とは

,実

,わ

れ われ に とっての 「哲学」 とはいった い何 なのか

,を

問 うこ とで もあ るはず なので あ る。

もっ とも

,こ

こで当然

,次

の ような指摘 もな され るこ とであろ う

.17世

紀 は

,西

洋近 代科学が まさに誕生 しつ

つ あった時代であって。今 日の 向然科学や人文科学。  

日で 言って経験 的諸科学 は、 来だ独立 した学 問 として成 立 してはいなか ったのであ り

,現

代 のそれ らに対応す る 学 問的 な営 為はすべ て皆 「哲学」 に含 まれていたのであ るか ら ,「 哲学」は、 今 日とは まった く異 なる内包 を有 し ていたのであって

,そ

れは特定の学 問の名称 と吾 ・ うよ り はむ しろ

,学

問全般 を意味 していたのである

.と

。確か に,17世

l紀

ヨー ロ ツパ における「哲学」 は

,現

代 にお け る 自然 。人文諸科学のかな りの部分 を包括す るような

,

広汎 な学問領域 をカバー していた。それは ,夕 1え ば

,冒

頭 で引 き合い に出 した

,ラ

イプニ ツツの「哲学者」 ホ ツ プ ズヘ の苦簡の中に登場 して くるテーマの多様 さ (あ る い は

,む

しろ

,雑

多 さ

)か

らも   目瞭然であろ う。つ ま り

,17世

紀 的 な意味 において は

,ホ

ップ ズは議論の余地 な く「哲学者」 であった として も

,そ

れ は

,今

日的な意

味 で は

,要

す るにホ ツプ ズは「学者」であった ,  とい う にす ぎない

,と

い うわけである

.た

だ し

,そ

れで は

,当

時 の 「哲学」 は由 :ち に学問一般 を意味 していたのか ,  言えば

,む

ろん話 はそ う単純ではない

.各

々の「哲学 者」

た ちは

,一

方で は

,当

時支配 的であ った「哲 学」観 を時 代 のモー ドとしてあ る程 度 は共 有 しなが らも (お 好 ム な らば

,そ

れ を「パ ラ ダ イム」 と呼んでお くこともで きよ う

),し

か し

,他

方で は

,や

は りそれぞれの流儀 で「哲 学」 の本 質 規定 を行 って もいたのであ って,171世 紀 にお いては「11学 」 とは学 問全般 の ことであった

,と

さ しあ た り言 っておけるのは

,そ

う した個 々の 「哲学者」 た ち の 「哲学」観の相違 を … 切捨 象 した上での こ となのであ る。 ホ ツプ ズもその点では例外ではない

.後

に見るよう に

,彼

は今 日か ら見 るな らば

,か

な り特 異な「哲学」観 を表明 していた

,そ

して

,実

は ,  まさにそ うであ るか ら こそ

.今

日の一般 的 な「哲学

J観

に立つ 限 リホ ップズは

「哲学者」 ではない

とい う評価 も成 り立ち得 るように み えるのである。

さて

,し

か し

,す

る とこ うい うこ とに なるの だ ろ う か。 ホ ソブ ズは17世 紀 ヨーロ ツパ における標準 的 な「哲 学

J観

の下では

,ユ

ニー クな

,卓

越 した「哲学者」であっ たか もしれないが

,現

代 のわれわれ に とっての標準 的 な

「哲学」観 の下 で は,「 哲 学 者」 とは見 な し得 ない

,あ

るいは

,た

か だか三流 の「哲学者」 に しかす ぎない。 と い うこ となの だ ろ うか

.そ

の よ うに考 え る と き

,ひ

と は,「 哲学」が時代 に よってその相貌 を変化 させ なが ら も

しか し

,本

質的 な同 一性 は保 って きた こ とを暗黙 の 前提 と しているので はないか.「 哲 学者」 は概 して,「 哲 学」 とは何 か

,に

つ いて語 ることを好 む ものだが

,そ

ような 自分な らではの「哲学

J観

IIf̲露

,か

えって

,

唯一 の 「哲 学」

.し

たが って また

,唯

一 の 「哲学 史

Jの

存在 を無邪 気 に前提 している場合 も決 して少 な くはない

ように思 われる

.だ

が、そ もそ も「哲学」の同一性 とは

,

(4)

ホ プブズと「哲学」

い ったい何 に よって支え 島れているのだろ うか。

ここで

,試

み に

,ホ

ップ ズ流のいわゆる「唯名論」 の 立場 に立 って 考えてみた らどうなるだろ うか。 まず

,名

辞 「哲 学

Jは

概 念「哲 学

Jに

対す る記 号であ るが,「 哲 学

Jな

る概念は

,そ

れ に対応す る具体的実在 を欠いた抽 象概念であ るか ら

,そ

FJ― J性

,つ

まる ところ「哲学」

とい う名辞その ものの同 J陛 へ と帰 若す ることになる。

もとよ り。その名辞の意味 をめ ぐっては

,さ

まざまな意 見や 議論 が交 わ され る こ とで あ ろ う。 これす なわ ち

,

「哲学」 の真 なる「定義」 の問題である。だが

,こ

れ も よ く知 1島 れ たホ ツプ ズの 立場 に よるな 場ば

,言

葉 の「定 義」 の原理 的 な 「恣 意性」 のため に

.人

々はそれぞれげ

)

「定義」 の優劣を競って争 うことになるが

,最

終 的 な決 着 は

,結

局は特 定の権威 ない しは権力 に よってつ け られ る しか ない。例 えば ,「 プ ラ トン」や「ヘー ゲル」 といっ た古 典 的 な権威,「 学 会の権威

Jや

「哲学研究 の大家」

とい った業 界内での権威。あるいは

1大

学 にお け る「哲 学」 を査定 して

,ポ

ス トや 予算で報いる行政的 な権力 な どが

,現

代で はその代 表的 な夕 1と なるで あろ う

.け

れ ど も

,幸

か イ

(幸

か。 この「哲学 Jの 定義 をめ ぐる争い には

,

お よそあ ら │ウ る闘争の唯一の調停者 に して判 定者

,か

「可死 なる神」,「 リヴァイアサ ン」 は存在 しない

.か

く して

,さ

まざまな「哲学」 の「定義」 が覇 を競 う「戦争 状態」に も

,お

よそ際限が ない ,  とい うことになろ う 」

.

その ような闘争の歴史の中での諸 々の「哲学」 に

,た

だ 同 じ「哲 ′ ♯」 とい う タームが 用い られてい る ,  とい うこ と以 Lの

)概

念的

,あ

るい は実質的な同一性 を

,果

た し

て期待で きるであろ うか。

以 上 の よ う な 考 察 は

,Flえ

ば「永 遠 な る 哲 学」

(phi10sophia perennis)と いった Fll念 の信奉 者 を

,必

ず や苛立 たせ ず にはおか ないであろ う。そ して

,そ

の苛立 ちは また

,ホ

ッブ ズが正統 的な「哲学 史

Jの

中 に場所 を もた なか っ た理 由 の 一端 を説 明す るか も しれ ない

.だ

が ,「 哲学」の概 念的、 あ るいは実 質的 な同一性が思考可 能で あ ろ うが なか ろ うが

,曲

が りな りに もそ こで「哲学」

とい う ター ニ、を用いた「言言 :iゲ ー ム」が成 り立 ってい く 限 り,「 哲 学」や 「哲 学 者」 は

,た

とえ「大学」 とい う 制 度の内剖

̀に

その場所 を もとうが もつ まいが

.依

然 と し て存在 し続 けるであろ うことは確かではないだろ うか

,

なぜ な ら。 「哲学」とい うタームが用い られた「言語 ゲー ム」が現 に行われ続 けている

.と

い うその事実 こそが

,

また

,お

そ らくはその事実のみが

,他

な らぬ 「哲学

Jが

この世 界に存在 している とい うことの意味 を構成 してい るのだか ら

.

話 を元 に戻 そ う。 こ こで の 問題 は

,ホ

ッブ ズが 今 日

「哲学者」 としては きわめて低 い馴

11断

しか 与え られてい ない ,  とい う事実の意味であった。利、 の見る ところ

,そ

こには微妙 に絡み合った 1つ の事

1青

が働いてい るように

思われる。すなわち

, ^方

,わ

れわれは自分たちが 明の もの として引 き受けている「哲学」観の枠内でのみ ホ ップ ズの「哲学」 を剖 :fllllし て しまうし

また

,そ

うせ ざるを得ないのだが、   しか し

,他

方で

,そ

の 1つ の「哲 学

Jの

間の差叫をまった く自明の ものと見なして しまう がゆえに

,ホ

ップズの「 11学 」が もつ

,わ

れわれの「哲 学

Jと

θ )き わめて重要な接点を迂間にも見過 ごしてしま う,  とい うことである。ホ ツプズの「哲学

Jと

われわれ の「哲学」 との「尋の「差異」 を ,「 差異」 として充分に 思 考しないために

,か

えって両者の間の関係

1生

を見て取 ることがで きないのだ

,と

い う言い方 もで きよう。いず れにせ よ

,以

下で考えてみたいのは

,今

日、言葉の狭い 意味で「哲学者」 とは見なされていないように思われる ホップ ズの「哲学」観を

,も

っぱらその「名辞」の同一 性のみを導 きの糸 として

,あ

えてわれわれの「哲学」に 対峙 させた とき

,い

ったい何が 見えて くるのか,  という ことである

.換

言すれば

,ホ

ツプズを「哲学史」か ら排 除 して きたわれわれの「哲学」に対 して

.彼

の「哲学」

の立場か らは

,い

ったい どのような異議中 し立てがなさ れ得るのか

,を

考 えてみたいのである

.そ

う した考察 が

,果

た して どれほ どわれわれの「哲学」 に寄与するの か

,あ

るいは

,そ

もそ も「哲学」研究

,な

い しは「哲学 史」石 ]「 究の名に値するのか どうかは

,必

ず しも定かでは ない。ただ

,そ

うした考察を「哲学」の名の もとに試み ることが

,上

述 したような意味での哲学の「存続」にな にが しかは寄与するであろうことだけは (そ れ │¬ 体に何 らかの意

1味

があるか どうかは別に して

),確

かなように 思わオ

tる

3.「 樹」のメタファーと「海」のメタファー

1640年 の暮れ

.議

会派 か らの弾劾の恐怖 に怯 えるよう に して パ リヘ と亡命 した52歳 のホ ップ ズは

,そ

の一年余 り後に、 自らの哲学上の主著 となるべ き

F哲

学 原論』三 部作 の うち

,本

来 の「順序 にお いて最後 となるはず」で あ った 『市民論」 を

,戦

乱の予り Lに 沸 き立つ相 国の状 況 を憂 いつ つ

,あ

え て 最 初 に

L梓

す る こ と に な る (CI.

Praef ad Leci CE.2,p.82).そ れが パリで匿 名出版 され た の は

,イ

ングラ ン ドで の内戦勃 発一 カ月後の こ とで あ った

.

大 陸での「哲学者 Jと しての実 質的なデ ビュー作 となっ た この書物の献辞 において

,ホ

ップ ズは「哲学」 につい て、次の ように語 り出 してい る

.

「真の匈 1恵 (sapientia)と は1 あ らゆる題材 における

真理 につ いての学矢Π(sciellja)に 他 な りませ ん

.し

か る

,こ

れ は

,確

かで定 まった名称付与 に よって喚起 され

る。 もの ごとの記憶か ら生 じる ものであ りますか ら

,鋭

(5)

20

伊豆栽  

い ひ らめ きとか束の間の熱狂 といった ものではな くて

,

正 しき理性

,す

なわち

,哲

学 が関わ るべ きこ とが らなの です。 なぜ な ら

,後

者 を通 して こそ

,個

別的な ことが ら の考察か ら普遍的準員Jへ の道が開けるのですか ら ,」 (CI.

Ep.Ded.:CE 2,p,74)

政治的混乱 や内戦 といった

,憂

うべ き火急 の事態 に対 して も的確 な対処がで きて こそ「真 の知恵」 とい うもの であろ う

.し

か るに

,そ

れは

,言

葉の適切 な定義 に依拠 した

,合

理 的 な推論 によって もの ごとの普遍的な成 り立 ちを明 らか にす る「学知」 の立場 に よって こそ可能 とな る.「 哲学」 とは。そ う した「あ らゆ る題材 にお ける J

「学知」 を 日指 す 人 FH5の 「理性」 (の 営 み

)そ

の もの に 他 な らない

4,.̲見

さ りげない こうした語 り日の中に

,

現実 の状況 に迅速 に対応すべ く

,市

民 の責務 と国家主権 の本質を解明す る 『市民論』の li梓 を急 ぎなが ら

しか し

,そ

れ をあ くまで 自らの包括的 な「哲学」体 系の中に 位置づ けて完成 させ たホ ップ ズの ,「 哲学者」と しての 自 負 を感 じ取 ることがで きよう

 1).

ところで,「 哲学」が 人間の「理性」 その もの に他 な らない とす るな らば

,そ

の対象 は当然

,理

性 が関与 し得 るあ らゆる領域 に及ぶ こ ととなる.「 人間理性 がそ こに 場所 を占め る もの ご との さまざまな部類 があ るの と同 じ だけ

,哲

学 も枝分 かれ し

,対

象 となる題材 の違 い に応 じ て

,異

なった名称で呼ばれ る」 ことになる。す なわち

,

「図形 につ いて考察す る場 合には幾何学 と呼 ばれ

,運

動 につ いて考察す る場合 には自然学 と呼 ばれ

,自

然権 につ いて考察す る場 合 には道徳学 と呼ばれ るが

,そ

れ らの全

体が哲学 なのであ る」とい うわけであ る

(ibid.)。

この よ うな語 り方 は ,「 哲学」を

,他

の諸学 を包括す る全体 とみ なす点において

,デ

カル トのあの有名な「哲学 の樹」 を 直 ちに連想 させ るか もしれ ない ¨

.し

か し

,ホ

ップズは それ を「樹」 ではな く,「 海」 の比喩 を用いて表現す る。

つ ま り,「 それはち ょうど

,海

,個

々の海岸 によって

,

あ る場所で は イギ リス海 と

,あ

る場所では大西洋 と

,ま

,別

の場所 ではイン ド洋 と呼 ばれるが

しか し

,そ

の 全体が一つの海洋であるの と同様である」 と言 うのであ

(ibid.)。

「哲学」が関わる領域 の広汎 さとい うよ りは

,

む しろ諸学の ツ リー状 の位階序列の方が強調 されかねな い「樹」 の メタフ ァー と比較す れば。「海」 はわれわれ の知 る「哲学」 の実態 に も即 した

,よ

リイ メー ジ豊 か な 比喩 である と言 えな くもない

.

とはいえ、 もちろんゃ両 者の間には決定的な違 いが存 在 している。 それ は

,デ

カル トの「哲学の樹」には ,「 形 而上学」 とい う「根」力 'あ ったのだが

,ホ

ップ ズの「哲 学 の海」 には

,そ

れが ない

とい うことである。実際

1

他 の諸部分 に養 分 を与 え、かつ、全体 を支 える基礎 とな る よ うな

,特

権的

,中

心 的 な場所が ,「 海」にあ ろ うはず

もない。 そ して

,こ

れは

,近

世以 降の「哲学 史」 に とっ て もきわめて重要 な差異 となるはずである。 なぜ な ら

,

もしも「哲学」が「幾何学」や 「自然学」や 「道徳学」

とい った諸学の集 合体であ

n,ま

,そ

れに尽 きる とす るな らば

,そ

して

,さ

らに ,  もしもそ う した諸学がそれ ぞれ独立 した固有の学 問領域 を有す るとしたな らば (だ

,そ

れ はいか に してか ?)。 「哲学」に固有の領域 な ど

,

い ったい どこに残 る と言うのだろ うか。

も と よ り

,こ

う した表 象 は

,諸

々の学 問 の 間の 関係 が

,ま

るで僅かの領上 をめ ぐって互いに争い合 う国家間 紛争 の ような もの に しか な り得 ない

とみ なす点で

,決

定 的 に誤 ってい よう。 しか し、仮 に諸学 を取 り巻 く現実 の状況が

,そ

う した表象 を至 る ところで まき散 らしてい た と した らどうだろ うか

,実

,18世

紀以降

,経

験 的諸 科 学が形成 され独立 してい く過程 は

,同

時 に

,諸

科学が 大学 をは じめ とす る国家的 '社 会的 な制度の中で、予算 やポ ス トを与 え られ ることによって

,そ

の存立 と発展 を 保証 され る とい う

,い

わば

,学

問の近代国民 国家 による 囲い込み と飼 い慣 らしの プロセスで もあ ったので あ り。

「哲学」もまた。当然

,現

在 もまさにそ うであ る ように

,

他 の諸学 と競 合す る

,一

つ の「学問」 として

,己

の存在

意義 をアピール し

,予

算や ポ ス トを確保す るため

自 ら に固有の領域

,対

象 を見い だ さなけれ ばな らなか ったは ず である。

そのため に近代の「哲学」が とって きた方策は

.大

き く分 けて二通 りあ った と思 われ る。 ・つ 日は

,カ

ン トの 超越論的哲学 に代表 され るような

,認

識論的な企てであ る

.こ

の場 合 ,「 哲学」は

,他

の諸 々の学問

,と

りわけ 自 然科学が

,そ

の客観性 や厳密性 をいか に して獲得 し得 る のか。 を明 らか に し

,基

礎づ け る。 とい う仕方で 自 らの 課題 の 固有性 を主張 しつつ

,経

験 的諸科学 に対す る特権 的 な地 位 を確保で きることになる。二つ 日は

,逆

,そ

もそ も他の経験的諸科学 では決 して扱 い得 ない問い

,そ

れ らが決 して及び得 ない ような次元の問題 を哲学 にIJ有 の もの として主張 しようとす る立場 である .夕 1え ば

,さ

しあた りは ,「 主観性」 ,「 自我」 ,「 内面性」とい ったキー ワー ドで括 ってお け る よ うな

ドイツ観 念論 や フラ ン ス・ ス ピリチュア リスムの系譜の中で追求 された ような 方 向性 がそれで あ る。そ して

,近

代 の哲 学 におけ る この 二つの方向性 に思 い至 るな ら

,デ

カル トがなぜ近代哲学 の 「祖」 とされたのかの理 由 も

,改

めて はっ きりと見通 せ る もの となろ う。何 しろ

,自

然 学 の まった く新 た な (形 而上学 的な)基 礎づ けを企てたの も

,主

観性 の朽学

,

コギ トの形而上学 を創始 したの も

,他

な らぬ デ カル トで あった、 とい うこ とになるのだか ら

.

いずれ にせ よ

,己

に固有の領域 の消失 に怯 える「哲学」

に してみれ ば ,「 形 ml‐ L学 」こそが他 の 一 切の諸学 を養い

支 えてい る「根

Jで

あ り

.基

礎 であ る とす るデ カ ル ト的

(6)

ホ ツプズと「哲学」

「 哲学」観は

,ど

れほど安心 を与‐ えるものに思えただろ うか。それに月 `

して

,ホ

ツプズのような

,一

見文字通 り の「根な し」草的「哲学」観 に立つ ことは ,「 哲学」が 己の存在理由その ものを.  自ら合定することに見えは し ないだろうか ア。こうして

,わ

れわれの「哲学史」は

,デ

カル トを近代哲学の「祖」 とする ‐ 方で

,ホ

ップ ズにお ける「誓学」の不在を

1早

くも結論づけようとするであ ろう

,そ

もそ も ,「 幾何学

Jや

「 自然学

Jを

その実 質的 な部分 として包摂する「哲学」なるものは

,既

にそれだ けで

,わ

れわれの「哲学」 とは決定的に異なったもので あることに

,議

論の余地などあ り得ないのではないか

.

要す るに

,ホ

ツプズに「哲学

Jが

あったとして も

,そ

れ はわれわれの「哲学」 とはまった く違 うのである,  とい うわけである

.だ

,そ

れを言 うなら

,デ

カル トの「哲 学

Jと

われわれの「哲学」 もまた

,デ

カル トの「哲学

J

とホ ヽ ソブズの「哲学」 とが異なっていた以 11に

,お

そ ら くは異なっているのである

.そ

して

,今

はその「差異」

をこそ思考 しなければならない,  としたのであった。図 形を扱 う場合に「幾何学」 と呼ばれ

,国

家 を扱 う場合に

1ま 「政治学」 と呼ばれる彼の「哲学」 とは

,い

ったい ど のようなものなのか。再びホップズのテクス トヘ戻るこ

とにしよう。

4.ホップズの「唯物論」とわれわれの「哲学」

チ ャール ズ

1世

が処刑 され

,ク

ロム ウェ ルが実権 を据 りつつ あった1651年

.ロ

ン ドンで 『リヴァイアサ ン』 を 出版 し

1図

らず もパ リの亡命官廷 での

̲立

場 を悪 化 させ た ホ ップ ズは

,厳

寒の海 を渡 って イングラ ン ドヘ と逃 げ帰 る。遅れ に

,星

れていた 『哲学原論』第

1部

『物 体論』が ようや く完 成 し

,パ

リで 公刊 され たの はそれか ら

3年

,1655年

の ことである。第

3部

『市民論』刊 行か らは 既 に14年 が経過 し

,ホ

ツプ ズは67歳 になっていた。

さて ,『 哲学 原論』本来 の順序での第

1部

1章

は「哲 学 につ いて」 と題 され

,そ

こで「哲学

Jは

次の ように定 義 され る。

「哲学 とは

,結

果 ない しは現 象の認 識 を

,概

念的 に把 握 され たそれ らの原 因 も しくは生 成か ら

,あ

るいは また 逆 に

,可

能 な生 成の認識 を

,認

識 され た結果か ら

,正

し い推論 に よって獲得す る ものである .」

(CO.11:OL.1,

p. 2)

「哲学」 は、それが対象 とす る現象 を

,あ

る 。 定 の原 因に よって生 成 した結果 であ る と捉 えて

,そ

の生成のプ ロセスを合理的推論 に よって明 らかにす る

.そ

れ に よっ て

,既

知 lの 原 因か らそ の結 果の 認 識 を

,あ

る い は

,逆

,既

知 の結果か らその原因の認識 を得 ようとす る

.そ

れ ゆ え に,「 哲学 す る方法 とは

,原

因 を認 識 す る こ とで 結 果 を

,ま

たは結果 を認識す ることで原因 を

,最

短の

fL

方 で探 求す るこ とで あ るJと も言われ る (CO.6.li OL.1,

pp.58‑9)。

さ らに

,ホ

ップ ズに よれ ば

,そ

う した探 求 に よって獲得 され る「原因か らの認

i哉

」こそが ,「 学知」

(scientia)に 他 な らないか ら (ibid.)1「 哲学」 は諸 々の

「学知」 を口 J能 に し

,成

立 させ る力で もある

.

で は

,そ

の 「哲学」 は

,い

ったい何 を対象 とし ,  どの ような現象の「原因か らの認識」 を 目指すのか

.

「哲学の文J象

,す

なわち哲学が関わる題材 は

,何

らか の生成が考 え られ

,そ

の生成の一定の考察 に従 って相 lf̲

の関係 を規定す ることが 口

J‐

能 なあ らゆる物 体 (corpus) で あ る。換 言 す れ ば

,合

成 と 分 解 (composido et resolu■

o)と

が起 こ り得 る もの

,即

ちそれが生成す る と い うことが

,あ

るい はそれが 何 らかの性 質を持つ とい う こ と が 理 解 し得 る よ う な あ ら ゆ る 物 体 で あ る。」

(CO.1.8i OL.1,p.9)

「哲学」が対象 となる現 象の4i成 のプロセ スの解明 を 通 して

,そ

の対象についての「学知」 の確 正を 目指す も のである以 11,当 の対象は当然「生成

J可

能 な もので な ければな らない。す なわち

,合

成 と分解 とが起 こ り得る もので なけれ ばな らない。 だか ら。例 えば。神や イデア とい った永遠不変の存在は

,ホ

ップ ズの「哲学

Jの

対 象 とはな り得ない。そ して

,お

よそ 「哲学

Jの

対 象 とな り 得 る もの ,「 生成 J lll‐ 能 な もの

1合

成 と分解 とが起 こ り得 る もの

,そ

れ を彼は「物 体」 と

1呼

ぶのであ る。

ところで

,ひ

とは これ を

,不

可避 的 に

,「

リヴ ァ イア サ ン』で展開 された

,あ

の機械論的人間把握 の前提 とな る徹底 した唯物 論 の立場 の表 明 であ る

,と

考 えて し ま う

.実

際 ,  どうしてそ う考 えない ことがで きようか

.何

しろ

,ホ

ツプ ズはここで ,「 哲学」が考察対 象 とす るの は

1バ

ー ツの 合成 と分解 に よって生 成 し

,解

体す る

,

諸 々の「物 体」のみである

,と

明 言 してい るのだか ら

.し

たが って

,先

の「哲学」の定義で語 られていた,「現象」

の「生成」の「原因か らの認識」や

,既

知 の結果の「原 因」 の究明 も、 要す るに

,考

察対 象 となる現 象 を物 質的 自然現 象 と見な して

,そ

の生成 を物理的国果 関係によっ て解明 しようとす ることである ,  と読めて しまうのであ る

.す

る と

,ホ

ップ ズげ )「 哲 学」が確 ヽ たしよ うと した

「学 矢Π」 (sdentia}と は, つ まる ところ, われわれの知 る「科学」

(scLnce)に

他 な らない こ とに なるので は な いか

.こ

の予断は

,ホ

ップ ズが哲学の「 目的」 を

,次

よ うに述べ ているの を見る とき

,ほ

とん ど確信 に変 るで あ ろ う

.

「哲学の

FI的

もしくは 日標 は

,予

見 された結果 を我 々

(7)

伊豆蔵  

の使益

(commoda)の

ために利用で きるようにすること である。即 ち、ある物体に当てはまることを他の物体に 適用することによって

,精

神が概念的に把握 した結果 と 類 似す る結果 を

,人

間の力 と物 質的条件 とが言 1:す 限 り で

,人

間生活の有用性のために

,人

間の勉励 (industria)

によって産出することである。 」

(CO.1 6iOL.1,p.6)

近代以降の 自然科学やテ クノロジーが ・貫 して 目指 し

,実

現 して きた とされることの

,こ

れはきわめて直載 な表現 となってはいないだろうか。だが

,そ

うであると すれば

,ホ

ップズの「哲学」は

,実

質的にはそのほとん どが ,「 科学」に代替 され得るはずである し。また

,そ

れ が 目指 したことも

,現

に経験的諸科学の成果 とそれに基 づいたテクノロジーによって果たされてきたことになる であろう。こうして再び

,ホ

ップズの「哲学」の現代的 意義は (「 科学

Jを

標榜で きるか どうか大いに疑わ しい

「政治学」の基礎たる「政治哲学」 を除 けば

;)無

に等 しい,  とい う結論が導 き出されることになる。何 しろ

,

彼の「唯物論哲学」は

,そ

れを現代にそのままもって く れば

,通

俗的な科学主義以外の何 もので もないのだか

ら,  というわけである。

しか し

,こ

の ように断 じるとき

,ひ

とは ,「 物体」の

「生成」のみを支

1‐

象 とするとされたホ ップ ズの「哲学」

,LI形

を扱 う場合には「幾何学

Jと

呼ばれ

,人

間の権 利や義務 を扱 う場 合には「道徳学」 と呼ばれるはずの も のであったことを

,余

りに も簡単 に忘 れて しまってい る 卜。それこそ彼の「哲学」とわれわれの「哲学

Jと

の 間の決定的な差異であったはずなのに

,で

ある。実際

,

彼の「哲学」が対象 とする「合成 と分解 とが起 こり得る

もの」

,す

なわち ,「 それが lL成 する」 とい うことが理解 し得る ものは

,決

して ,「 自然的物 体」や「国家」に限 られるわけではない ・ 。例えば け

,ホ

ップズが

,事

象の原 因

,あ

るいは生成についての認識か 島

,そ

の結果

,あ

る いは型

1の

事象の性質についての認識が獲得 される場合の 一つの範例 としてあげているのは ,「 卜 と ∫

Jの

生成的

,運

動 論的定義か ら

,い

かにして「 1可 」の諸性質が導 き出せ る か

.で

あった

(CO.1.5:OL.1,p.5).こ

の場 合の「原 因」 となる

,円

を生成させ る線分の運動は

,現

実に目の 前に描かれている図形 を

,実

際に作図 した際の手の運動 である必要はまった くない

,と

ホ ップズは書いている。

それは

.ち

ょうど

,彼

が人間の自然権や政治的主権者の 権限を導出する際に用いた人間の「自然状態」が

,歴

史 的現実である必要がまった くなかったの と ,il:確 に対応 している。さらに ,「 人間」 を「合成 と分解 とが起 こ り 得るもの」 として考察する場 合

,そ

の「部分」 とは

,例

えば頭部や四肢 といった文字通 りのパーツではな くて

,

形態や運動能力や感覚能力 といった ,「 人間の本性」を

l・5

成する諸

1生

質のことである。 とも明言されているのであ

る (CO.6.2:OL l,p.60)。 もしも .イ 皮の「哲学」が

,

本当にその考察する対象によって幾何学 とも政治学 とも 倫理学 とも呼ばれ得るものであった とするな らば ,「 原 因 と結果」 も「生成」 も「合成 と分解」 も

,こ

れ らの例 すべてに適用可能な概念でなければならないだろう。そ れ らが物質的自然現象の物理的

LJtl果

関係のみを表現する ために用い られた タームとは見なせないことは

,明

らか なのである。

では

,ホ

ップズのいわゆる「唯物論」 とは

,い

ったい 何であったのか

.こ

れを詳細 に検討することは別の機会 に譲 らざるを得ない。ただ

,こ

こでは

,あ

らゆる対象を いわば「生成の相の下に

J考

察 しようとする彼の「哲学」

が選択 した「生成

=構

成的・分解的方法」が,  どうして もわれわれが「 pll物 論」 と呼びた くなって しまうような 相貌 を有 していたのだ

,と

だけ 言ってお くことに しよ う。なるほど

,ホ

ツプ ズが 自ら「形而上学的唯物論者」

であ りたいと願っていたことはおそ らく確かである。 し か し ,「 哲学 者

Jと

しての彼は

,一

貫 して「方法論的唯 物論者」であ り続 けた し

,そ

れ以 Lを 望むことも決 して なかったように思われる山 Ⅲ 。いずれにせ よ

,ホ

ップズの

「哲学」が相手としていたのは

.決

して「自然的物体」

が リアル タイムで展開 している物理的プロセスなどでは ない。彼の「哲学」は

,実

は一貫 して

,わ

れわれが有す る諸概念をいかに再構成 し

.再

編成するか

,を,そ

して それのみを追求 していたのである

.そ

の諸概念 とは

,例

えば ,「 円」や「速度」

,「

自然」や「徳」

,「

自由

Jや

「権 利」 ,「 国家」や「神」 などである

.そ

うした諸概念を再 構成 し

,そ

れ らの間の諸関係を再編成するために

,ホ

プズの「哲学

Jは

,「 生成

=構

成的・分解的方法」 を駆 使 しつつ

´ つ一つの「概念」 を変容 させ

,新

たな仕

IJl‐

で関係づけてい くのである

.と

ころで,  もしも「哲学」

に可能なことが何かあるとするならば

,い

ったいそれ以 外の何があ り得 ようか

.ま

た,  もしも「哲学」にこそ望 み得る何かがあるとするならば

,い

ったいそれ以外の何 があ り得ようか。

だが、そ うした諸概念の再構成や再編成を ,「 哲学Jは そ もそ も何のために企てるのか。   とさらに閾 lう こともで きよう

.ホ

ップ ズの答 えは

,既

に見た とお り ,「 わ ilわ れのイ 更益」のために ,「 人間生活に有用なように」,  とい うものであった。ここにもう一つ

,ホ

ップズの「哲学」

とわれわれの「哲学」 との間の

,大

きな

しか も決定的 な差異がある。最後に

,こ

の差異の意味するところを孝 えてお くことにしよう。

5,「知は力のために」

一 Scientia propter potentiam

「知は力な り」 とい うあ まりによく知 られた言葉があ

(8)

ホップズと「哲学」

る。 その言葉の主であるフランシス・ベー コ ンが代表作

Fノ ウム ・オルガヌム」 を出版 した1620年

,大

学 を出て 以 来 貴族 の子 弟 の家庭教 師 を続 けて きた ホ ップ ズは

,

ベー コンの下で秘書 としての仕事 を していた

.や

っ と30 歳 を過 ぎたばか りの頃であ る

.今

日で は ,l■

J者

の間には 思想的影響 関係 はほ とん どなか った ,  とい うのが定説で あ り

,そ

れか ら30年 以上経 た後

,ホ

ツプ ズが「知 は力の ため に」 と書 き付 けた とき

(CO,1.5:OL.1.p.6),こ

llt賄 事件で失脚 した大法官の有 名な言葉 が

,果

た して

念頭 にあったのか どうか も定かではない。ただ

,学

問や 知識の意義 を ,  もっぱ らその有用性 や実 用性 とい う観点 か ら捉 えようとした点で

,二

人は紛れ もな く共通の志 向 を有 していた

.し

か るに

,こ

の ような立場 は

,わ

れわれ の「哲学 史」の中では

,余

り高 く評価 され ることが ない。

そ もそ も,「 有用性」や 「利 便性」 といった価 値 を,「 哲 学」 は端 か ら蔑視 してい る ように も見 えるのであ る。 そ れはい ったい なぜ なのだ ろ うか。

通常 の「哲学 史」 において

,知

は力であ り,女Π識 は行 為や実践 のためにある

とす る考 え方 は

,特

に ヨー ロ ッ

パ近代の幕開けを特徴づける知識観

,学

問観で あ る

.と

み な されてい る

.他

方 で

,そ

の「哲学史

Jが

最初の 「哲 学者」 と しているのは

,言

わず と知れた タレスである

.

なぜ

タレスは最初の「哲学者

Jと

見な されたの だろ う か。 い くつかの理 由の中の 一つ に必ずあげ られるのは

,

彼 の知 的探 求 は

,実

用的

,実

利 的 な関心 か らは まった く 自由 に 行 わ れ た もの で あ っ た

,と

い う点 で あ ろ う

.

phn。 ̲sophiaと は

,知

(恵

)を

愛す る こ とであ る.「 哲学 者

=愛

知者」 は知を知 lと して愛 し求 めるのであって

,富

や地位や名声のために

,生

活 の必要性 や有用性 のために

「知

Jを

求め るのでは ない。 タレスは

,ま

さにその よう な意味で最初の「誓学者」 である とされた

,彼

の貧乏 を 笑 い

,哲

学 な ど何 の 役 に も立 たぬ

1と

非 難 す る者 に対 し

,天

文学 の知識 を利 用 してオ リープの豊作 を予知 し

,

瞬 く間に巨額の令を手 に 入れてみせ た ,  とい う有名なエ

ピソー ドを糸 fl介 した Lで ,  タレスは「哲学者たちに とっ て

もし

f皮

らが欲す るな ら

,富

者 になるの は容 易な こ と であるが

しか しこれ は彼 らの思い煩 うところではない

とい うことを示 した」 のだ

,と

記 したの は

,他

な らぬ

,

タレスを最 初の哲学 者 と した ア リス トテ レスその 人で あ った Jい 。 その彼 に よる「テオー リア」 (観 照

)の

「プ ラク シス」 (実 践

)に

対す る優越性 の 主張 にせ よ ,  また

,

その序列 を踏襲 した

,中

世 にお ける「観想的生活」 (vita contemplat市

a)と

「実 ‖ 先的 生 活」 (vita act市

a)と

の 文

J‐

比 にせ よ ,「 哲学」が 本来 関わるべ きこ とが 応が

,実

生活 での利便性 や有用性 とはお よそ11関 係 な次元 に設定 され ていた こ とに変わ りはない。つ ま り ,「 哲学」の観点 か ら す れ ば,「 知 │」 は「知」それ 自体 のため に こそ求 め られ るべ きで あ って,「 力」 のため に「知」 を求 め るな どと

い うことは

,む

しろ卑 しむべ きこととされていたのであ る。

しか るに

,近

代 に入って

,こ

の序列

,秩

序 は転 倒 され た ,  と吾 ・

われている。ホ ップ ズもまた

,そ

の転倒 に ^役 買 った思想家 とい うこ とになるの は

,言

うまで もない。

今、 その「転 倒」の判

1部

に立 ち入ることはで きないが 可 ン

,

例 えば

,す

べ ての価値が有用性や実用性 とい う尺度では か られ

,役

に立 たぬ 知識 は11駄 であ り,「 力」 にな らぬ

「知」 には意味が ない,  と見なされるようになった ,  言 えば、それはわれわれの社 会の現状 の描 写 として も

,

か な りの リア リテ ィをもつであろ う.「哲学」は

,そ

の よ

うな「転倒」 を否定 的 に提 え ぎるを得 ない.「 知」 と し ての 有 ‐

用性 や実 用性 を しき りにア ビー ルす る他の諸学 と の 「競争的環境」 の中でのサバ イバルを強い られている の だか ら

,そ

れ もまた

,当

然 と言 えば 当然 で あ るだ ろ う。

もちろん

,実

際 には

,わ

れわれの生活 に有用であった り利便性 を提供 して くれていた りす る「知

Jは ,決

して 利メ 学ゃ テ ク ノロジー に山来す る ものばか りで はない。 に もかかわ らず

,そ

れ らこそが

,人

間生活 を改善 し

,わ

れ われ に繁栄 を もた らして くれ る唯 ^の 「力」 である .  と す る思 い込みがある とすれば

,そ

の予断の出来 こそ

FrTUわ

れて しか るべ きで あ る

.し

か し

,そ

こで「哲学 史」 を引 き合いに出 し ,「 近代の転伊 1」 を云 々 して も

,無

意味であ ろ う。 タレスのあのエ ピソー ドは

,ア

リス トテ レスとは

まった く逆 に

,ま

さに「知 は力である」 ことを誇示 した 例 と も解釈 で きるの だか ら。つ ま り

,タ

レスは 自 らの

「知」 の「力」 を /JN‐ し得 たか らこそ.「 最 初の哲学者」

とい う栄誉 を獲得す ることもで きたのであ る

.そ

れ に対 して

,い

か に して もおのれの「知」 の「力」 を示 し得 な い者 たちが

,い

くら「近代 の転倒

Jを

言 い立 ててみた と ころで

,逆

,己

が その もとでは決 して勝利す ることの で きない価値観の転伊 1を 秘か に企て る

,ニ

ーチ ェ的意味 での ルサ ンチマ ンを暴 き立て られるのが関の山ではない だろ うか。 われ われの「哲学」や「哲学 史」が

,そ

の よ うなルサ ンチマ ンか ら本当に 自由であるか どうか を

,改

めて間 うてみ る必要があるだろ う。

ここでホ ップ ズに戻れば

,彼

は少な くともそ うしたル サ ンチマ ンか らは 自由であった と思 われる。ホ ップズは

「哲学」 に

,た

だ端的に

,人

間が生 きる「力」 となる こ

とを求めたのである ・ 。 しか し 可

,彼

がそれ を求めた ,  と

い うことは ,  もちろん

.実

際 にそ うであ る,  とい うこ と

を合意 しは しない。「哲学」が 人間の生 きる「力」 にな

り得 る とい うこと,  また。現 にそ うなっている とい うこ

,こ

れ をいか に示 し得 るか に

,わ

れわれの 「哲学」 の

未来が賭け られているのであ る。

参照

関連したドキュメント

「文字詞」の定義というわけにはゆかないとこ ろがあるわけである。いま,仮りに上記の如く

うのも、それは現物を直接に示すことによってしか説明できないタイプの概念である上に、その現物というのが、

ここから、われわれは、かなり重要な教訓を得ることができる。いろいろと細かな議論を

喫煙者のなかには,喫煙の有害性を熟知してい

これは基礎論的研究に端を発しつつ、計算機科学寄りの論理学の中で発展してきたもので ある。広義の構成主義者は、哲学思想や基礎論的な立場に縛られず、それどころかいわゆ

これらの定義でも分かるように, Impairment に関しては解剖学的または生理学的な異常 としてほぼ続一されているが, disability と

省庁再編 n管理改革 一次︶によって内閣宣房の再編成がおこなわれるなど︑

2) ‘disorder’が「ordinary ではない / 不調 」を意味するのに対して、‘disability’には「able ではない」すなわち