後進国開発理論の根本問題
中 西 市 郎
目 次
一︑序二︑一九三〇年代以降における国際経済理論の臣開過程三︑後進国開発の経済理論
四︑二つの立場よりする批判五︑後進国開発理論の根本問題
﹁序
混乱︑紛糾をきわめる戦後の世界において︑渦巻の中心の一つは︑かつての植民地諸国における民放主義運動の筒
揚であろう︒政治的には独立を︑経済的には自立を求めるその巨大なエネルギーが︑今や暗黒大陸アフリカをも党醒.
せしめ︑二つの体制の基本的な対立に深刻な影響を及ぼしつ1あることは︑周知の事実である︒かゝる現実を背景と
して︑いわゆる﹁後進国開発﹂ ︵註1︶ に関する理論的研究のおびただしい出現は︑﹁新しい学問分野の開拓を予示
するもの﹂ ︵註2︶ と主張されている︒このような立場から学界展望を試みられた板垣教授は︑発展の主体的.社会
的条件に重点をおく社会学的見解と︑発展の客観的・経済的条件に力点をおぐ経済学的見解とに分類しつ上︑両者の
相互補完関係を強調して︑次のように結論されるのである︒﹁それは社会的及び経済的観点から見た国際関係におけ▼
後進国開発理論の根本問題七五
経 営 と 経 済
七六
る先進国対後進国の問題である︒乙の問題を経済開発を媒介としてどう解決するかという乙とである口(中略)乙の
意味において単なる社会学的アプローチでも経済学的アプローチでもなく︑﹁国際関係学﹂
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忠一
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旦河
内山
宮神
百ロ
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的アプローチによる新たたる後進国開発理論の展開が期特されるのである︒﹂(註
3)
と 口 ととろで︑植民地解放運動の歴史は植民地の歴史とともに古い︒そして︑植民地問題乙そはあらゆる社会思想家の 試金石であった︒西欧資本主義社会を母胎として生れた経済学も︑具質的な非ヨーロッパ社会との接触を通じて︑た えや反省を強いられてきたと考えられる.との意味に沿いて︑経済学的分析と社会学的分析の統合という問題は︑今 日の問題であるとともに︑経済学本来の問題というべきであるう︒﹁問題(後進地域の経済開発
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中西)は︑その故 も一般的な形態に沿いては決してとと新しいものではない︒ーーすなわち︑先進諸国が後進諸国に与える経済的街撃
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宵
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2 3
の問題は︑文明それ自身の歴史とともに古い︒﹂(註
4)
かくいうパスグl
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口実
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右
のように解さるべきであろう︒
﹁しかしながら﹂とパスグーは続ける︒﹁西欧性︑本主義経済機桔の枠のうちに沿ける後進諸地域の経済開発という特
殊な問題は新しい︒そしてとの問題は︑ソヴイエツ
T
体制とのイデオロギー問争という当面の関係において重要性を
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あるのであると(註
5)
と口すなわち︑乙の古くして新しい問題が︑乙とさらに﹁新しい学問分野﹂として
とりあげられるに至クたその背後には︑二つの大戦を経過するごとに飛躍的に苧まクた民放主義運動のが伊がある乙 とを銘記すべきである︒それは︑植民地休制の危機を︑ひいては件︑木主義体制の一般的危機を招来せるものであク
た︒か
る事態に対処すぺく︑理論的には︑英国古典学派以来の殆んどすべての学派が撲をはらいつふとり出され︑t λ
互に矛盾対立しクふも︑資本主義体制の護持という至上命令の下に総力をあげて結集せんとしているのである口パス
グ
1
の規定は︑とのととの卒直な表現に他ならないDわれ/¥は︑後進国開発の名の下によばれる植民地問題こそ︑浜本主義体制の死命を制するものであるとの認識と
同等の比重に司おいて︑後進国開発理論の根本問題乙そは︑そのまtA︑経済学の設も本質的な問題
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ゾγ・ヂ
1
ルにつながるものと確信する︒とのような見地から︑後進国開発理論の代表とも見なされる若干の文献を批判的
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に 吟 味 し ク ク
︑ 新 し き 問 題 提 起 の 蔭 に ひ め ら れ た 古 き 問 題 の 摘 出 に つ と め た い と 思 う
︒ ま や
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︑最 近 に 沿 け る 後 進 国 開 発 理 論 に 対 し 密 援 な 先 行 関 係 に あ る と 考 え ら れ る 一 九
三
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年 代 以 降 の 国 際 経 済 理 論 に つ い て
︑ 簡 単 に 予 備 的 考 察 を 試 みることから始めたい︒
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( 註
1)
以下全信を通じて︑﹁後巡回開発﹂という慣用語をつかうが︑すでにこの一一一一口誌の中に二つの問題があることそ指摘してお
きたいDまず﹁後進国﹂という訳語い︑主として社会学的アプローチに従う人々が好んで用いるところの︑
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にふさわしく︑経済学的アプローチによる人々は︑﹁低開発出﹂
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.﹁低開発なのは資源であり︑佐進的なのは人間であるという点において︑この両者を区別することは本質的に主要であ
る﹂(板垣与一︑﹁﹃経済後進性﹄と経治発辰理論の課題﹂国際経済学会師︑﹁後進国の経済発展﹂同際経r街︑第七号︑一
九五五年︑六二頁)次に︑
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ちを︑﹁経済開発﹂と訳す場合︑﹁開発﹂は他動詞であり︑おのずから
先進国側よりする接近を思わしめ︑﹁続出発展﹂と訳す場合︑﹁発︒辰﹂は自動詞として後進国側に立つものといえよう︒
このように宣要な問題があることを志品しつ
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︑こ
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では﹁後進同開発﹂という訳語を統一的に用いるが︑念のため︑以下引用の際の冒頭には︑原語を附するとととした︒
( 註
2)
板垣与一︑﹁後進国開発理論の問題意識﹂(﹁一一情論詰﹂第三三巻︑第二号︑一九五五年二月)三八一具
( 註
3)
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年代以降における国際経済問論の展開過程
一九二九年にはじまる世界恐慌が︑国際経済面にも未曾有の混判的をひき・おとしたととはいうまでもない︒なかん歩 く︑ 自 由 貿 易 の 祖 国
︑ 国 際 金 本 位 制 の メ ッ カ と も い う べ き 英 国 が
︑ 金 本 位 放 棄
︑ 大 英 帝 国 特 恵 制 の 採 用 と 一
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度の 松 岡 を 示 し た こ と は
︑ ま さ し く 一 九 世 紀 的 世 外 経 済 秩 序 の 決 定 的 な 崩 壊 を 意 味 す る も の で あ ク た
︒ と の こ と は
︑ . そ れ
後進国開発理論の根本問題
七 七
経 首 と 経 済
七Y¥
まで幾多の補完ないし修正在家りながらも︑尚古典的理論中もっとも︑水くその命脈を保ってきた貿易理論に対して致
命的ともいろべき打撃を与えた︒ハ
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︑(註1)
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2)
ハロヅド(註
3)
と期せやして一九三三年
に出現した
z 三人の労作は︑いやれも古典的貿易理論に対する鋭い批判を含み︑これに対して従来の理論を煉設せんと
したヴアイナlの大著(註
4)
を加えて︑その後に・おける国際経済理論展開の基礎を治くものであった︒なかん歩
く︑その中んたるものが︑ハロツドによるケイシズ雇用理論の導入にあることは︑ひろく承認されると乙ろであろう︒
深刻な世界恐慌の影響は︑他のいかなるものにも主して︑価格左中心とする市場ヌカ一一ズムの自働的調整力に対す
る信頼感の描棄となってあらわれた︒諸国の直面した国際収支の不均衡は︑交易条件の変動を基軸とする均衡化機桔
の作用に期待するにはあまりにもきびしいものであった︒乙
t λに︑古典的理論の基盤にあるセイの販路法則をしりぞ
け︑完全雇傭の前提左衛く所得循環理論が登場する︒それは貨幣所得の流れに沿いて貿易と国内経済とを関連づけて 把握し︑国内均衡と国際均衡との矛盾を明かにしつク前者に侵位を訟かんとするものであクた︒かくてその政策的帰
結は︑一国の立場よりするかぎり︑﹁不完全雇傭﹂に対して︑国内的には財政投件一政策︑対外的には出超
H
資本輸出
の主張となるのである白
と乙に注意すべきは︑所得分析の短期的・静態理論的性格である︒すなわちその中心的武器である乗数理論は︑泊 費性向その他の心理的なピヘイヴイアーを一定としてのみなり立ク理論であり︑したがって貨幣的分析に止る︒また
投性一について見れば︑その流動性効果のみを重視し︑生産力効果はまったく見夫われている︒かかる短期的静態的性
格を街くものこそ︑まやずアイナーであった︒その近著にむいてヴアイナーはいうロ﹁それが単に具常な恐慌期間に
・おける短期の介析に力点在訟くものとして主張される︑ならば︑若干の茸要な問題にクいては必要旦有益な分析であク
たロしかしながら不幸にしてグイジズ自らも︑さらにはより甚しい程度に沿いて彼の悪しき弟子どもは行き過ぎてし まった︒彼等は古い伝統をもク長期的分析にかえるに全く純粋に短期的な分析を以てせんとし︑且そうするととに 上って非常な不況の場合と否とを間わ十︑無偏するにはあまりに重大な短期的帰結と長期的帰結との差違をかえり見
宇︑これを無促するか︑はては積極的に否定した︒﹂(註5
︺と.かくてケイ
γ
ズ理論を評して︑﹁恐慌状態に対する感情的なヒステリカルな反応にすぎない︒﹂(註
6)
とし︑後に詳しく見る如く︑古典的理論の妥当性の時間的︑空間 的制約を認めながらも︑なむそれを近代的諸理論よりも高く評価するヴアイナ
1
の態度は︑そのまL後進国開発理論
に対する彼のネガテイヴな発一一一口に通やるものとして︑あらかじめ記憶さるべきであるう︒
ととろで︑ヴアイナーとは全く相反する立場から︑しかもひとしくケイ
γ
ズ理論の短期的性格にきびしい反省を諒 したのは︑恐慌の打撃を最も激しく蒙った後進諸国の実情であった︒乙れら諸国に沿いて恐慌は︑なによりもま十深 刻な農業恐慌として痛感され︑交易条件の不利化︑間際牧支の謀化︑そして国民所得の激減は︑一にか
Lクてそのモ
ノカルチュア桔造に基肉するものと考えられた︒したがって︑とえでの問題は︑経済の多様化←工業化︑すなわち経 済措造の変革であり︑しかも︑かかる経済構造が︑先進資本主義諸国の植民政策によって強要されたものであるとと
が自覚される︑ならば︑桔造変化の要求は︑そのまL
民族解放運動の経済的内容をなすものといわねばならない︒乙の ような後進国の叫びに直面するとき︑構造的条件を所与とするケイ
Y
ズ理論は︑短期的静勤理論としての限界を暴露
せざるを得ない︒ケイ
γ
ジアンが暗黙の裡に想定した構造与件は︑他ならぬ先進工業諸国のそれであった︒今日グイ
γ
ズ理論が︑先進諸国に見られる沈滞的傾向を明かにしたものであっても︑所得水準の低い後進農業国にはそのまふの姿では適用し得示︑したがって言葉の真の意味にゐける一般理論たり得ないととは︑ひろく認められているが︑か
る認識乙そ︑グイシズ理論の長期化︑勤態理論化をめざす最近の勤向への︑一クの原動力をなすととを︑あらかじt λ
め強調しておきたいD
さて︑所得分析の国際経済面への適用は︑・景気の国際的波及の過程を示すものとして︑重要友意義をもク︒とえか
ら︑一国が完全雇傭を達成するために︑輸出の増大ないし輸入の削減をほかる乙とは︑﹁近隣窮乏化政策﹂(問︒民間
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として非難される︒γ一の意味に・おいて︑グイシズは︑決して単純
な﹁詮済的国家主義の伝導者﹂ではなく︑むしろ︑諸国民の相具る利害を調和すべく︑国際協力を考えていたものと
いわれ︑事実︑プレ
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ウツズ機桔や国際貿易憲茸の如き︑戦後の国際怪済機構の構想に大きた影響を与えたのである ︒
後巡回開発理論の根本問題
七 九
経 営 と 経 済
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ととろで︑戦後における慢性的ドル不足は︑国際経済機構を麻搾せしめ︑したがって︑その構想を基礎づけるに与って力あったケイγズ理論にも︑深刻な反省を促した口ケイγズ的停析の武器を駆使しつ・ふとの問題に迫ったキシド
ルパ
1ガ1
の所論は︑訟のやから︑ケインズ理論長期化の方向を示し︑しかもその延長線上に︑後進国開発理論の位
置づけを示唆するものとして︑極めて興味深いものがある口(註
7)
まや︑キ
γ
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ガーは︑経常牧支と資本収支の関連をめ‑ぐって︑人間の成長にたぞらえクL一種の歴史的な発展段階の桔想を示している︒第一に︑若く発足し
つつある国可︒ロロ
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では︑対者よりも投務が上廻る傾向︑したがって経常収支は輸入超過を示
し︑乙れに資本輸入が対応する口やがて経済の発展につれて︑成熟債務国自己ロ円︒含げ仲良ないし若い債権国U10
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己主同の段階ともたれば︑貯告は投民と一致し︑更にそれを上廻るにつ‑れて︑経常牧支も均衡から黒字に転じ︑乙
れに応じて資木収支でも︑旧債の返却八?を賄うにたる資本輸入から︑やがて自力で債務を返済し︑その完済後は資本
輸出がはじまる︒さらにすふんで︑海外収益を全部泊費し︑経常牧支︑・資本牧支ともに均衡する過程をへて︑老熟債
権国自己凶
5
足立︒司の段階に入れば︑過剰泊費の結果径常収支は赤字を一不し︑乙れを在外投狩の食いつぶしによ
2
クて補うならば︑やがてふたたび若い債務国へは帰する乙ととなる︒乙の歴史的︑勤般的な構想に・おいて︑第一段階
に属するものが現在の後進国であり︑第三段階に位置するものが凶欧諸国であるとすれば︑両者はい十れも恒常的に 経常収支の赤字をもち︑乙れに対して第二段階にあるアメリカは︑常に経常パラ
γ
スに沿いてプラスをもつであろ う︒問題の根本的解決は︑各段階問の推移が円滑に行われるととであるが︑それが困難であるとすれば︑さしあ允り とのギャップを地めるに足る資本の国際的移転を必要とし︑而してとれが充令行われないとすれば︑結果は長期的な ドル不足に他ならないのである︒われわれは︑以上の上うなキ
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の構想に沿いて︑一種の自然的た調和
観に導かれつL︑後進国の経済発展とアメリカの性本輸出が結びつけられている乙とに注意したい︒
さて︑ヶイ
γ
ズ理論の長期化︑勃態理論化の尖端をゆくものが︑ハロヅドの成長率理論である乙とはいう去でもな い口すなわち︑ケインズを批判して︑﹁一様な進歩の率を得るに必要なものが何であるかには注意せ宇に︑短期にお
ける完全居備を得ょうとするととは近視的である︒基礎的諸条件が許すような線に沿う経済進歩は︑次日本支出のいか
なる水準を維持するととが必要であるかに注意しないで︑とくに月えの失業問題をとり扱うだけに直面していたなら
ば︑健全な政策は発生し︑ないであろう︒﹂(註
8)
というとき︑それはケイシズの一般理論が︑いわゆる投悔の二重他 のうち︑所得を生み出すという流勤性効果のみをとらえ︑生産力を拡大深化せしめるという側面を者過しているこ と︑端的にいえば生産カ好析を紋く点を衝くものであづた︒かくて︑人口技術の如き与件を独立変数とし︑その画数 として所得の成長率を把握せんとするものであるが︑と
L
から︑先進成熟国と後進未成熟国とが類型的に把握されるとととなる︒前者にあっては貯蓄率が過大であるため︾適正成長率が自然成長率より大であり︑その結果長期抗滞の 状態に沿かれる︒とれに反して後者にあっては︑貯蓄率が過小であるため︑適正成長率が自然成長率上りも小︑した
がってたえ宇イシプレ
1
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への傾向をもク︒とのように二つのタイプの経済が位置づけられるならば︑先進国か ら後進国への対外投性が︑両者の困難を同時に解決することとなる︒けだし︑先進国に
h
おける輸出超過!対外投性︑後進国に沿ける輸入超過
l
安本輸入という補完的桔造が︑両者の調和的発展を期待せしめ一るからである︒ところで︑ハロヅドをして勃態理論樹立の方向に駆り立てたものは︑序文に沿いて明一一目しているように︑ケイシズか直両した慢
性的不況が早晩襲来するとの深刻︑な認識であった︒したがって︑食本輸出は︑か
L
る問題意識よh
りする政策的帰結として︑国内に訟げる金利引下げ←生産迂回化政策との関聯において主張せられているのである︒換一一目すれば︑後進国
に対する先進国の性本輸出は︑後者の恐慌対策としての一面をもっととを指摘して沿きたい︒
以上に沿いてわれ/¥は︑ケイ
γ
ズ的所得令析導入の劃期的意義を認めながらも︑その短期的・静態理論的性格左超克せんとして︑成長率理論にまで展開し来る過程を追及する聞に︑﹁後進国開発の経済理論﹂を望一見し侍る地点に
まで到達した
Dしかしながら︑ハロツドに沿いですら﹁成長とは︑多数の個人の決意を集計した効果である︒﹂(註
9)
というとき︑後進国の問題とする構造的条件はなおとり上げられていない︒すなわち︑先進国の立場工り八刀析を進め
たが故にハロヅ下は︑素材関係を無視した総体概念を駆使するにとどまクているロとの点に関するかぎり︑キシ下ル
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の方に梢造分析への志向が見られるととに注意したい白キY下ルパ1
ガーは︑グイシズ理論が︑一般に︑輸 出超過を輸入に工って調整する力は不充停であり︑国際牧支が自倒的に均衡を回復する必然性をもたないとするのに
後進国開発理論の根本問題
^
経 営 と 経 済
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、
加えて︑国内投資と海外投資との関聯を加速度原理によクて説明する口その結果︑アメリカが︑国際収支の赤字に対 しては調整しすぎ︑黒字に対しては調整不足の傾向をもっ点に︑アメりカの恒常的な受取超過
H
ドル不足の原閃を求 めているのである︒とのように︑与えられた国際牧支の不均衡に反応する仕方が固によって侃っているとするとと︑
それは︑所得循環理論の背後に︑各国の経済循環の構造的特質をゐくものといわねばならない︒次節にむいて見るよ
うに︑後進国開発の経済理論に・おける部門介割
H
素材侃点の導入は︑との点を深めたものと見られ工う︒ところで︑ケイ
γ
ズ理論に長ける集計概念は︑ひとり素材関係を塗り没したというにとどまらや︑生産関係をも無 祝するという点にむいて︑超巨徒的理論といわねばならない
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所得水準が高く︑性本苔積の犬きな国では︑所得が増
加しても泊費がそれに比例して増さないために貯蓄が相対的に大きくなるが︑他方︑性一本諸積に伴う利潤率低下のた
めに投狩が貯苔に及ば十︑したがって所得の上昇はにぶり︑失業を生やるというとき︑その出発点に
h
点いて︑泊費性向の相対的低下を云々する背後に︑所得八刀配の不平等なる事実が秘められているととに注立すべきである︒そして︑
所得令配の不平等とそ︑資本主義経済機構の必然認であるととは︑ピグーをまつまでもなく一般に認められるととる
であろう︒ケイシジアンが︑かふる背景をもっ泊費性向を所与とするととを目して短期的であるという場合︑それは
﹁社会機構の変化を論じるのではなく︑主として︑現在の社会機構を与えられた吟合︑いかにして狩本主義を運行せ
しめるかという問題を取扱っているのである︒﹂(註叩)乙とを忘れてはならない︒ロピYソγ夫人が︑所得の再八刀配
による貯蓄率の引下げを回避するハロツドを評して︑一つの政治的立場に立つものとした(註日)のはとの窓味に・お
いてであった︒さらに︑集計概念がすぐれて政策的契機として登場した乙とを考えれば︑ケイ
y
f理論は価航視点
1
生産関係介析を放棄する乙とに上って流通商の介析にとどまり︑したがって︑安本主義制度に内在する矛府に令析 のメスを入れる乙となく︑とれを経済外的・中立的と見なされる﹁同家﹂の政策によって解決せんとする国家独占資 本主義段階にふさわしい理論ということができょう︒ハロツドが︑積極的に金利の廃止を提案し︑とれとそは︑﹁資
本主義に対する批判によクて正当に進歩されるととのすべてに対する正依にして最終の解党けである︒そしてとれは正
しい答えだったから︑資本主義を攻撃する集産主義の方法在使用しなくてもその問題を処理することができるであろ
心。 J
(相自)..¥.l
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...‑l)G. Haberler , "Der internationale Handel" 1933 cm
C'.J)B
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(担t:‑.)
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/7 "International Economics" 1953
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叶,.111 t. 可 cm コ) ]. Robbinson , "Mr.Harrod's Dynamic Economics" CEconomic Journal , March 1949) P. 84..‑5
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吋邦訳一九七頁三︑後進国開発の経済理論
後進国開発の経済理論の根底にあるものは︑前節に沿いてその展開過程をあとづけたと乙ろの居館理論←成長率理
論である︒山田堆三教授によれば︑﹁ヶイ)メズまたはケイ
γ
ジアジは主として所得水準の高い国をとりあげたが︑も し一般に所得水準の決定という乙とが問題であるならば︑そのことは所得水準が低い場合にも︑さらに所得水準が低 いととろから高くなる場合にも︑当然問題となるべきはやであり︑現にケイシズの理論のうちにはそういう拡張解釈 の可能を合んでいる︒そうしてとのことは︑かつて自由貿易と保護貿易とが争われた場合に十分展開されなかった発 展の問題にも或る程度の解釈左与え得るものをもち︑したがって理論的分析に訟けるこの種の進歩が今日の先進国・
後進国の区別の形式化に著しい効果をもたらしているのである︒﹂(註
1)
このことは今日︑後進国経済開発の理論的 出発点とも見なされている国際聯合の﹁後進諸国の経済開発のための諸方策﹂
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以下諸方策と略称する)の出現の仕方に徴しても明らかであるう︒すたわちそれは︑同じく国際聯合の﹁完全屈怖のための同内的治上び国際的諮方策﹂
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怠﹀の副報告書と見なさるべきものであり︑後者がその主題を﹁工業化された諸国に沿ける夫
5
美の主たる原因﹂をなすと乙ろの﹁有効需要の不足と不安定﹂の克服に限定しク午︑後進諸国の夫業の問也を残したあ
とをうけて作成されたものであクた︒このような立場から﹁後進国﹂を定義するとき︑若干の尚保を附しク
L
も︑結 局︑﹁一人当りの実質所得が︑米国︑カナグ︑太洋洲︑および西欧のそれに比べて低い国々﹂(第二節)と規定され るのは当然というべきであろう︒後進国開発の経済理論はゐしなべて乙斗に出発点をもち︑一人当りの実質所得水準 の引上げを目棋とするということができようーところで︑総産出量の長期的成長を規定する要凶としては︑性木者
額︑技術的革新︑文化的社会的環境の変革︑そして人口の増加があげられる︒まや
y
前三者が与えられたのとすれv m
ば︑﹁一人当り実質所得の永続的上昇は︑人口の変化率との対比における総産出量の変化率に依存する︒﹂(註
2)
乙
とはいうまでもない︒ところで︑基礎的条件
U独立変数としての人口増加率は︑後進国においては︑著しく高い出生
率と医学の進歩に基く死亡率の低下とがあいまクて︑先進諸国をはるかに凌駕している︒このことは︑﹁近い将米に
ho
いて︑総産出量の期待し得る成長率に較べて乙れを上廻る乙とが予想され︑地域によクては︑国民的厚生とは事実 上︑物的福祉の平均水準の下落防止をのみ目的とする企劃の形式的名称にすぎなくなるという怖れすら存する︒か
L
る怖れがたくなるかどうかは︑とのように高い潜花的人口増加率が近い将来に沿いて⁝減少するような要凶があるか否
かにか
L
るo﹂(註3)
われわれは後進地域に沿ける過剰人口問題が斗諸方策﹂やシンガーによクても指抗されク
L
︑いやれもハロツドと同じく与件として︑しかも人によっては悲観的な将来を思わしめる独立変数としてとりあクかわ れているととに注意して沿こう︒次に経済活劫の行われる基盤たる文化的︑社会的諸条件にクいては︑西欧社会ない しそれと同質的なるものを予想する成長率理論の十分とりあげざるところであるとして︑次節に見るように経済社会 学者のきびしい批判を蒙る︒しかしながら乙乙でも︑﹁諸方策﹂やシンガーが不充分なりとも言及していることに注
意し
︑日
一︑
か
L
る非難を意識しつtA
ヌルクせが︑問題を浜本形成に限定していることを指摘するにとどめて光を急ぐ ととにしたい︒技術的進歩も資本形成と関連するかぎりに沿いてとりあげられる︒かくて︑資本形成という主題が後 進国開発問題の中心的地位を占めるならば︑﹁いわゆる﹁後進地域﹄
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ERSる と は
︑ 先 進 地 域 に
比べて︑その人口と天紳治資源とに比して︑資本の装備が過少である︒﹂(註
4)
と定義し直されることとなろう︒
乙のように低い実質所得水準!資本不足と規定され︑いわゆる﹁後進地域の悪循環﹂が指摘されるならば︑そもそ
もかi
る状態をひさむこした理由は何であるか口すでに前節でも指摘したように︑後進国側の人々によりすれば︑そ の原凶は二︑三の農産物輸出に決定的に依存せざるを待ないモノカルチュア
1
桔造に求められ︑さらにかLる経済情
迭を強制した西欧諸国の植民政策が追究さるべきであるう︒乙の点を鋭く街くのがシシガーである口煩をいとわ十引 用すれば︑﹁主として工業国の投資の結果として生じたところの︑対工業国むけ食組・原材料への後進国(ロロ
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後進国開発盟論の根本問題入五
経 営 と 経 済
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︒
ω﹀の特化は︑次のこっの理由から︑後進歯にとっては不幸なことであクた︒けだし︑(一)特化 が︑投資の第二次的︑累積的効呆の大半を︑投資が行われた白から投資を行クた国へ移した乙と
D (
二)特化は︑後 進国在︑技術的進歩ゐよび内部経済・外部経済の働らく余地の狭いような活動の型におしこめ︑モの経済史のコ
1
スから︑工業国の社会革命をもたらした中心的な勤態的福射要素を奪クたからである︒しかしながらなお︑食料・原材
料輸出への特化にもとづく投資を伴う外国貿易の利益を後進国に対して減少させた︑というより軍要な第三の一要国が
ある口乙の第三の要閃は交易条件にかL
わる
︒﹂
(註
5)
つ交易条件の変化に沿ける一クの支配的要素としての生産力の
変化を問わないとすれば︑次のような説明が出米る︒すなわ一ち︑技術的進歩の果実は︑(所得増大の形で)生産者に
か︑それとも(価格下落の形で)泊費者にか︑そのいやれかに配分される︒先進国で生産される工業品については︑
前者の方法︑つまり所件増大による生産者への配分が後者の方法よりも相対的には一周五嬰であり︑後進国にゐける 食糧・原材料生産については︑第二の方法が普遍的である︒一般的にいえば
i製造工業に・おける技術的進歩は所得の
噌大に︑乙れに反して後進諸国の食泊・原材料生産に沿ける技術的進歩は何格の下沼に表現されるとととなる
Q
﹂(註6)
かくて︑﹁先進工業国民は︑治費者としては︑海外投資によって刺戟三れた第一次市品生産の技術的進歩の果実
を︑同時に生産者としての資格にゐいては︑工業品生産における技術的進歩の果実在享受したのである︒工業国が︑
第一次商品の泊費者としてもはた去た工業品の生産者としても︑双方に・おいて甘い汁をすクてきたのに反し︑後進国
は︑工業品の泊費者としてもまたは材料の生産者としても︑ともにひどい自にあって来たのであるロとのととはゐそ
らく︑伝統的なグイプの海外投決が︑﹁経済的帝国︑王表﹂ゐよび﹁搾取﹂体制の一部を形成するものであクたとの非難
の正しさに論拠を与えるものであるこ(註
7)
このような介析からシジガlのひき出す結論の一クは乙うである︒﹁後
進諸国︑世界の国民所得︑いな長そらく窮極的には工業諸国自らのためにも︑海外投浜ならびに外国貿易の目的は︑
現存の比較的使位性むよび啓一源の配分に基く世界貿易体制を発展さぜることではなく︑諸国の比較的使位ゐよび比較
性源の椛造を徐々に変化せしめるととである︑と定義し直すべしという乙とであろう︒﹂(註00)と︒とえに︑椛造変
本への立欲がはっきりうち出されている乙とは何人の眼にも明かであろう︒かくてγγガ
lにおいては︑﹁後進国﹂
と﹁農業国﹂とはシノニムであり︑一人当り所得の低い農業部門に︑総人口中極めて高い割合を占める人口が属して
いるととを以て指棋とする口乙Lから︑極済発展'どは農業部門人口の相対的縮少に他たらや︑端的には工業化を目棋
にか
Lげるのである︒﹁諸方策﹂もまた︑国速報告書という性格からして多義的であり︑したがってシシガーほど明
快ではないが︑やはり偽装失業の吸収︑所得水準引上げのためには工業化とそが最大の急務なりとして(一二節)そ の国内的︑国際的諸条件を検討し︑実現方策の勧告を中心テ
1
マとしたと見る乙とができる︒乙れに対してヌルクセ は︑﹁伝統﹂型海外投資に対するシシガ1の批判を行きすぎであるとし︑且直接投資が︑対先進国向け輸出用の第一 次商品の生産を選好し︑債務国の国内市場をまかなうへ乃野左凶避した事実を認めるにしても︑かえる事実は﹁何らか の悪意ある陰謀だとか︑計画的な政策などを反映するものではないロいわんや宮める国々が貧しい国を搾取し上うと 協定した企図などを反映するものでは友い口(中略)乙の投資形態は明白な経済的理由によって容易に説明できる口 それに関しては惑立は何もないロそれを説明するものとして一方では後進国の国内泊費者の貧困があげられ︑他方で は世界の工業中心同の第一次生産物に対する市場がたさく︑日一十九世紀忙此それが活発に拡大していったことがあげ
られる︒﹂(註9)vにする︒さらに進んで︑﹁対外投白川は成熟した工業経済に対しては畏ましい刺戟剤として登場する
かも知れない︒ともかく乙
Lに︑ヶイシズ学派学説とマルクス学派学説との間に明白な類似がある︒﹂(註叩)乙とを
認めつ
I A
︑後者については︑かL
る浜本輸出の強制があるとすれば︑それは﹁極めて慈善的な強制﹂であり︑﹁真に 予定された調和の一例にほかならない﹂と笹く抑拾する口また前者については︑﹁ヶイ
yJ ︿学派のへ刀析が︑対外投資 の貸付同経済に及ぼす有利な所得効果と居館効果を明かにした乙とは事実である︒だがケイ
γ
ズ学派経済学は︑対外 投資の援けなしに先進工業国の充八?な指ぎない居依の水準を維持するものとして財政ならびに貨幣政策の制度をみづ から考案したという乙とを認識する乙とが大切である︒かクては資本移劫の附随的効果以上のものではなかった対外 投資の所得効果と雇傭効果は︑多令実際に沿いでもある程度はそうであろうが︑い十れにせよ理論上は︑世界の官め る同々の国内的経済安定手段として全く重要ならざるものとなったのである白資本輸出への強制は︑それにかんする
説明に改善を加えた学説自体によって除去されたのである︒﹂(註日)と︒われわれは資本輸出にたいするかL
る態皮
後巡回開発理論の根木問題
^
七経 告 と 経 済
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戸 、
のうちに︑ヌルクゼの理論の客観的意義を見出し︑且後一巡回一側に立つシ γ ガーとの差違を重祝したいと思う︒しかし
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喝ながらさしあたってととでは︑か
Lるヌルクセすら︑﹁第一次商品の輸出をその非弾力的な︑しかも多少は静態的で
ある需要に逆ちって推し進めるととは長期的発展にとって有望な方向ではない︒一般に未加工の食糧及び原料に対す
る需要の価格弾力性が一︑よりも小さいと仮定するととが妥当性をもつならば︑既述の条件下では︑後進国の経済的成
長は犬部停間内市場向けの生産増加の形をとるべきだ止結論するととも亦当然のように忠う︒﹂(註立)として︑少く
とも最初の中はその国の必需品の生産に集中するとと︑すなわち工業化の必要を認めていることを指摘したい︒かく
てわれ/¥は︑後進国開発の極済理論が︑所符八 η 析を根底にむきっ
Lも投資の生産力効果を豆'侃するか故に︑情造的
与件の変革を考え︑素材視点
H部 門
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八 却の導入をはかるととによって︑起巨視的性格を部八刀的に深めつ
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さて︑﹁諸方策﹂は︑﹁農業部門から非農業部門へ人口の一部をうっすとともに︑農業生産をも増加させるととに
より︑国民所得を年二バ
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Y
T ゃっ引上げるためには︑後進国はどれだけの院本を必要とするか﹂と設問して︑一
づの試算を行っている(二三六節!二四六節)ロシγガ1もまた︑農業人口七 O
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︑ 非
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T ︑一人当り平均所得一
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ドルという後進同経済的造の典型的なシェーマをつくり︑との同が経済発展の結果︑
農業人口二 O パーセント︑非農業人口八 O パ
1セ シ ﹁
wという先進国なみの梢成をもつまでに至る過程に生宇る経済的
︑諸問題を考察している乙とは有名である白︹託日)しかし訟がら果してか
Lる発民計画は上くその実現を期待し仰げる
であろうかロ問題はふた
λ
び﹁後進地域の感循環﹂すなわち︑発民テ γ ポに対応する新投資と︑国民経済内部の貯苔
との二律背反をいかに打破するかにか
Lる︒との間の事情をシシガーは︑ハロツドの基本方程式になぞらえた次の方
程式を用いて説明する︒
UH
ω
ロ
l吋D
H 経済発足率(一人当り国民所得の増加卒︑
S
H 純貯苔率 ハロヅドに沿いては
Y )
P
H 新投資一単位当りの生産性(ハロツドにおける資本係数 C の逆数)
R
H 人口増加率(ハロヅドでは X)
いま︑右の四クの変数に対して
D
H 二
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S
H 六
% ︑
R I
一 ・
二 五
% ︑
pu
二O%︑という実際に近いと考えられ
る数依を順次三クづっ代入すれば︑
︿
1)S
︑ P ︑ R が与えられた場合︑経済発足率は零以下となり︑現状のま
tAでは後進国は自発的発展を到底望み
得ないことを示す︒
( 2 ) P ︑ R ︑ D が与えられた場合︑二
M m の目標発展率を達成するために必要な純貯蓄率は一六・二五%となり︑
実際偵の六必の三倍に近く︑したがって自発的貯蓄による発展は不可能なととを示す︒
( 3 ) S
︑ P ︑ D が与えられた場合︑人口増加率はマイナス︑すなわち現実の人口増加率一・二五
M m には堪え得な
いこととなる︒
( 4 ) S
︑ R ︑ D が与えられた場合︑資本の生産性は五四
M m となり︑現実のそれを約三倍にひき上げねばならない
乙とを示す︒
J右のような困難に直面して考えられるのは外盗の導入である口﹁諸方策﹂はその必要額を年間一四 O 億ドルと計算し
ている︒しかし現実に行われた後進国への外海は援助を合めて一O位協下ル程度であり︑また︑﹁近い将来について予
測される総額は︑年間一六低下ルから二一億下ルであろう︒乙れはグレ1報告書ハの
S U 1
吋
3
2 3
の結論とも合致し
ている︒乙の推定額は︑主としてアメリカの私的投資五億!八億ドル(牧溢の再投資を含む)世界銀行と輸出入銀行
より六億│八億下ル︑アメリカの贈与及び技術援助を五億 F ル︑これだけを合計したものである︒乙の金額は︑ソ速︑
凶以外の後進諸国の住民一四億人一人あたりについて年間一・一四下ル i
一 ・
五
0 ドルとなる︒﹂(註
M)
このような
状態に直面して﹁諸方策﹂は︑自らの行った勧告が︑﹁当面の国際情勢のなかでその具体化が政治的に可能であると
いう意味で実行可能であるかどうかは︑われ/¥の断定する食格のない問題である︒﹂と結論せざるを得なかったの
で あ
る ロ
後進国開発理論の根本問題
入九
経 告 と 経 済
九
O
シシガーもまた外資導入をとりあげる︒しかしながらあくまで後進国の自主的発展を目的とするシシガーは︑直ち
に︑﹁必要件(木被を国内貯苔で賄いうるようにたるために︑どれ程の期間外昨日導入を継続しなければならないか︑そ
の結果対外借入れ総額はどの位になるか︒借入国は利子支払ゐ工び元本返済のためにどれ程の出超を確保せねばなら
なくなるかごと問うのであるロ解答は︑開発の結某生やる国民所得の増加令中どれ位の割合のものが貯ザ辞されるか︑
すなわち限界貯明日率にある︒シシガーはいう︒﹁後進諸国への同際投住の流入は︑それがその国の経済休制に吸収さ
れた場合にのみ︑換一一一目すれば︑多額の補完的な国内投資が発生し︑旦それに必要な資源が見出されるばあいにのみ︑
後進諸国の法済開発に役立つであろう︒﹂(註日)と︒ところでシ
γ
ガーは︑外次凡なさ場合にも一つの実現可能性を示唆しているDそれは前記沼四のケ
1
スにゐける生産性P
の向上である︒現実の生応性二
O M
冶に対して五回労への引上げ要求は苛酷であるが︑もし新投資が﹁外部経済の利治﹂を伴クて既存の浜本の生向を向上せしめるならば︑判定さ
れた怪済発民は実現可能となるとするのである︒
さて︑白木形成を需給に即して尺す析せんとしてヌルクセは︑乙れまで成長不理論に上る介一析が︑党巡回とは対照的
に後進国に・おいては︑旺持な投資需要に対する余りにも貧弱な府者不足という矛尻を出発点としたととの吟味から出
発する口彼もまた︑資本需要の大きいととを根本的に否定するものではない︒﹁だが︑生陀過程に資本主義的方法を 採用し上うとする私的訪問の点で一国の怪済発足の初期段階では同内市場が制約されている乙とから起る困難がある
のである︒﹂(註同)として︑まや市場の規模の拡大を問題しじするとき︑それはまさしく原始的苦積の問題に迫らんと
したという乙とがで吉上ラロ﹁一度作(木形成が発足するや否や︑発民を促進する方法は︑産出量の増加分巾大きた部
外を貯蓄し︑投決する乙とである︒けだしその結果は今や上り多くの昨日本がある左いう事実だからであるDとの点か
ら眺める止ならば︑その過程は単たるくりかえしにすぎたい︒根本的た困難は生民的資本形成を最初に発足させる乙と
にある︒﹂(詰汀)メルクゼの問題としたのはまさにこの点であった︒ヌルクセに上れば︑市場の規模を決定するもの
は生底力であり︑而して︑生産力を高めるものは︑庄支の内部沿上び産業相互間ににおける﹁均衡のとれた成長﹂