自立生活の意味をめぐる3つの立場について : 1970 年代の議論を中心に
著者 廣野 俊輔
雑誌名 評論・社会科学
号 96
ページ 63‑86
発行年 2011‑05‑31
権利 同志社大学社会学会
URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000012557
要約:本稿の目的は,1970年代における障害者運動の中で自立生活にどのような意味を込 められていたかを検証することである。社会福祉研究においては,自立生活について「障 害者の自己決定による生活」と理解されているのが一般的であるが,本稿の研究結果はこ れとは異なっている。
本稿では,自立生活の理解について3つの立場の議論を検証した。第1の立場は,地域 社会の変革を自立生活の目的としていた。第2の立場では,管理される収容施設からの脱 出と公的な保障による介助制度を求めていた。第3の立場では,障害者の主体形成を重視 し,障害者年金の確立と共同生活の場が重要な要求項目であった。
これらのそれぞれの立場は家または施設への閉じ込めより自由な生活を求めているとい う点では,共通している。しかし,理念や自立生活の実現方法においては時に激しく対立 した。本稿では,これらの立場の共通点と対立点を抽出し提示した。またそれぞれの立場 の自立生活の考え方の意義と限界について述べた。
キーワード:自立生活,1970年代,3つの立場 目次
1 先行研究の検討と本稿の課題
1−1 自立生活運動との始点をめぐる議論と関連して 1−2 自立と自立生活の意味をめぐる議論と関連して 1−3 本稿の分析枠組みと構成
2 自立生活をめぐる3つの立場
2−1 第1の立場−自立を社会変革と位置づけ,無償介助を求める立場−
2−2 第2の立場−入所施設から退所し,公的な介助保障を求める立場−
2−3 第3の立場−障害者の主体性を重視し,介助を最小限にすることで自由を得る立場−
3 3つの立場,それぞれの意義−各立場の異同の検討を通して−
3−1 自立生活の考え方をめぐって 3−2 介助関係をめぐって
3−3 自立生活を支える制度要求をめぐって 4 まとめと今後の課題
4−1 3つの立場の概要
4−2 それぞれの立場の意義と限界
────────────
†同志社大学大学院社会学研究科博士後期課程
*2010年9月10日受付,査読審査を経て2011年4月13日掲載決定
論文
自立生活の意味をめぐる 3 つの立場について
── 1970
年代の議論を中心に──廣野俊輔
†63
4−3 今後の課題 註
文献
1 先行研究の検討と本稿の課題
本稿の目的は,1970年代に日本で始まったとされる自立生活運動において,自立生 活という営みにどのような意味が与えられていたかを検証することである。このような 目的の設定の背景には,自立や自立生活について自己決定に強くこだわって定義するこ とへの疑問がある。このような試みにいかなる意義があるかを先行研究との関連で明ら かにしておきたい。
1−1 自立生活運動の始点をめぐる議論と関連して
先に「1970年代に日本で始まったとされる自立生活運動」と述べたが,それ自体に ついて論者の意見は分かれている。多くの社会福祉研究者は自立生活運動を
1980
年代 にアメリカの情報が流入 し,日 本 で も 活 性 化 し た と 考 え て い る(定 藤1991;高 森
1993;久保 2002;小澤 2004)。これに対して,他の論者は 1970
年代における日本でも同様の運動があったと主張する(志村
1991;堀 1995;立岩 1995)。これらの立場の研
究者は,1970年代に注目を集めた「日本脳性マヒ者協会青い芝の会」(以下,「青い芝 の会」)や府中療育センターという施設から障害者が退所し,在宅の生活を始めている ことをもって,自立生活(運動)の日本における存在を指摘する。さらに最近では,1970年代における「青い芝の会」の運動に確かに自立生活と呼べ る側面があったがそのことを根拠に,1980年以降日本で広く普及する自立生活センタ
ー(以下
CIL)活動と同一視できないという指摘がなされている(横須賀 2008)。横須
賀はこのような根拠をもって
CIL
を「青い芝の会」の正統な後継者であるとする立岩 を批判する。そもそも,立岩の主張は自立生活運動をアメリカから輸入された考え方と みなす研究を批判する立場のものであり,かえって日本の1970
年代の運動と1980
年代 の運動の連続性を強調することになったと考えられる。なお,本稿ではこれまで述べて きた議論をふまえつつ,1970年代の日本の障害者運動も自立生活運動と呼びうるもの として取り扱う。理由は記述の便宜によるものであり,1970年代の運動と1980
年代の 運動を同質のものとしてとらえるからではない。むしろ本稿の検討は,日本の自立生活運動の
1970
年代と1980
年代に大きな違いがあ るのか否かという問いに1
つの手がかりを与えることを目指している。本稿では,1980 年代以降の運動を詳しく検討することはできないが,先行研究によれば,そこでの自立 生活に込められている意味は,おおよそ次のようなものだといえよう。すなわち,「障自立生活の意味をめぐる3つの立場について 64
害者がたとえ日常生活で介助者のケアを必要とするとしても,自らの人生や生活のあり 方を自らの責任において決定し,また自らが望む生活目標や生活様式を選択して生きる 行為を自立とする考え方であ(後略)」る(定藤
1991 : 30)
(1)。このような自立生活の意味と比較した場合,1970年代には異なった意味が自立ある いは自立生活という用語に込められていた可能性がある。というのも,歴史的な事実と して,施設や親元から離れることを自立(2)と呼称するのは
1960
年代後半であるが,そ こには様々な立場の障害者の願望が込められていたからである。本稿で検討しようとす るはこの自立生活という用語が,自立生活運動のはじまりとされる1970
年代において どのように考えられていたのかということである(3)。1−2 自立と自立生活の意味をめぐる議論と関連して
現在においても,自立や自立生活という用語の意味をめぐって論者による相違は存在 する。本節ではこれらの議論の概要を示し,本稿との関係を明らかにする。
自立の意味をめぐる議論に共通する要素は,次の
2
点があげられると考えられる(仲村
1982;矢嶋 2008;廣野 2010)。まず,第 1
に自立という用語が常に障害者福祉政策の目標として掲げられてきたことである。第
2
にその意味するところが徐々に拡大して きているということである。第2
点に関しては,さまざまな整理の方法が存在するが,おおよそ次のようにまとめられる。すなわち,自立とはもともと職業的自立や身辺的自 立を意味していた。そこに対人関係や精神的な自立の意味が加えられるようになり,自 立生活運動は,たとえ介助(4)を受けていたとしても自らの意思で生活を律しているので あればそれは自立生活と呼びうるという考え方を提起したとされている。ここでは自立 の意味が就労や身辺的なものから,生活管理や意思の表示などを含むものに拡大してき たことを押さえておきたい。
このような議論を基本としたうえで,さらに次のような論点を示しておきたい。それ は,たとえ自立の意味が拡大してきたとしても,依然として個人の能力を重視したもの であり,そのことが批判的に指摘される場合があるということである。このような指摘 として,自立を協同的な営みとしてとらえるべきと主張する竹原の議論(竹原
2007)
や,共に生きる関係を重視する立場から自立をとら え る 大 谷 の 議 論 が あ る(大 谷
1984)。これらの議論の特徴は,しばしば個人の問題としてとらえられがちな自立を他
者との関係の産物として位置づけたことにあるといえるだろう。この問題は自立生活を 論じる際でも同様である。たとえば,北野は自立生活がそもそも人と人の支え合いを内 在した思想であると強調している(北野1996)。しかし,北野の指摘は自立生活に人と
人の支え合いを内在していることを強調しなければならないほどに,一般的には個人の 問題としてとらえられがちであるということを示唆している。自立生活の意味をめぐる3つの立場について 65
さらにこれに関連して,障害者と他者の関係性を反映した自立や自立生活に関する
2
つの研究を提示したい。それは,介助者との関係の在り方で自立の意味を考えることを ねらいとした研究である。1つは,原の福祉機器の可能性と限界をめぐる議論である(原
1989)。原はその論考において 2
つの自立観を示している。それは,「相互依存−自立」と「自助−自立」と呼ばれる視点である。それぞれの視点の特徴を原にならってま とめると次のようになる(表
1)。本稿と関連する点をやや先回りして指摘すれば,身
体障害者が1970
年代の時点で構想した自立,あるいは自立生活の営みの中にはこの2
つの視点の双方が存在しており,そのことがまたそれぞれの立場の対立の原因ともなっ たのである。第
2
に取り上げたい議論は深田のものである(深田2009)。深田は,公的介護要求者
組合(以下,「組合」)に所属 す る 障 害 者 と,日 本 自 立 生 活 セ ン タ ー 協 議 会(以 下,「JIL」)に所属する障害者の両方に介助者としてかかわり,その介助関係の違いについ て検討している。JILは
1980
年代以降に日本に普及した自立生活運動のための団体で あり,全国のCIL
が加入している。組合は,本稿で主な対象としている1970
年代の先 駆的な自立生活運動のうち介助の公的な保障を要求する立場(第2
の立場)によって結 成された。深田によれば,組合においては,介助者に金銭を支払うという関係が肯定さ れるが,それはビジネスライクな関係を要求するのではなく,障害者と介助者にはとも に相手を思いやる関係が求められる。一方,CILにおいては,障害者と介助者は指示す るもの指示されるものとしてビジネスライクな関係が求められるとする。いいかえれ ば,組合が介助者に金銭を支払うという発想をもたらしたのだが,それは介助の量的な 確保のために必要なのであって,あくまでも,親密な関係は続けるという姿勢をもって いるということである。現状はといえば,CIL におけるような介助関係が圧倒的に優勢 だろう。実際に今日では自立生活といえばCIL
が中心となっている(5)。前項で示した表1 相互依存−自立と自助−自立の特徴
相互依存−自立 自助−自立
人手による優しい介護が最良である 介護を受けると介護者の都合に合わせて生きるこ とになる
介護をうけつつ相手とともに生きる 他人の時間を自分に縛りつけたくない
相互依存が人間本来の生き方である 自助努力する人間こそが人間の名に値する人間関 係をつくる
人間が疎ましいから器具を利用するという考え方 であれば間違っている
機械の利用をまず試み,どうしてもできない動作 のみ介護を頼む
人と人を結びつける器具ならば喜んで利用したい 介護依存の姿勢からは福祉機器や自助具への要求 は出てこない
出所:(原1989 : 163)
自立生活の意味をめぐる3つの立場について 66
定藤による自立生活の定義とあわせて考えるならば,障害者の自己決定と介助者との金 銭を媒介にした関係が現在の自立生活の中心にあるといえよう。
本項では,自立の意味をめぐる議論を,本稿に関連する限りにおいて振り返った。第
1
に自立の意味が拡大していること。第2
に自立を個人の問題とせず関係性に注目した 議論があることが明らかになった。また実際に,介助する/されるという点から自立,自立生活に言及した
2
つの研究を提示した。本稿はこれらの議論をふまえつつ展開され る。原や深田の研究との関連でいえば,1970年代の自立生活運動においても,介助者 をどのように位置づけるのか,介助をどのように調達するのかという点は非常に大きな 論点であり,しばしば対立もそこから生まれた。1−3 本稿の分析枠組みと構成
次に,本稿の分析枠組みと構成について述べる。1970年代の日本の自立生活運動を 検討する上で有益な指摘は立岩によってなされている。立岩は,1970年代の日本の自 立生活運動に
3
つの立場があったと指摘する。すなわち,「第一に全ての健常者の直接 的な援助を受けて生活しようとする理念。第二に公的な介護保障を求める方向。第三に 生計の基本的な部分の保障を求め,その限りでは第二の立場と両立するはずだが,優先 順位の設定と介助の極小化により自立しようとする志向において現実にはそれと対立す ることになった立場」という指摘である(立岩1995 : 192)。立岩の指摘から,自立生
活に3
つの立場があり,2つ目と3
つ目の立場に対立が存在したことが理解できる。し かし,その特徴や対立の理由までは詳しく言及していない。本稿では,立岩のこの指摘 を継承し,敷衍する形で論を進めたい。1970年代の日本の自立生活運動に関する言及 は少なくないが,自立生活という視点でいくつかの異なった志向があったことを指摘し ている研究は他にないからである。本稿では,この立岩の
3
つの立場を基本としながら,さらにいくつかの視点を設定し たい。まず,自立生活をどのような意味としてとらえているのかということである。第2
に自立生活に関連して,介助者をどのように位置付けているのかという点である。第3
に自立生活に関して,どのような制度を要求しているのかという点である。深田の研 究ではこのうち,介助関係に特に注目しているが,それぞれの立場の違いはこれだけに とどまらない。このような視点で3
つの立場を検討し,それぞれの特徴や対立を明らか にし,現在に通ずる意義を見出すこと,これが本稿のねらいである。以上のようなねらいを達成するために本稿は次のような構成で展開される。まず続く 章で
3
つの立場の特徴を概観する(2)。続いて,それぞれの立場の関係を検討する(3)。最後に,明らかになった知見をまとめ今後の課題を示す(4)。なお,引用文中に 付した下線は全て本論文の筆者による強調である。
自立生活の意味をめぐる3つの立場について 67
2 自立生活をめぐる 3 つの立場
2−1 第1の立場−自立を社会変革と位置づけ,無償介助を求める立場−
以下では,立岩が指摘した
3
つの立場を単に,第1
の立場,第2
の立場,第3
の立場 と呼ぶ。では,第1
の立場の検討から始めよう。立岩が第1
の立場として想定している のは,文脈から考えて「青い芝の会神奈川県連合(以下,「神奈川青い芝」)である。2−1−
(a) 第1
の立場における自立生活の意味本稿で第
1
の立場の代表例として扱うところの「神奈川青い芝」は,比較的多くの研 究で参照されている(6)。その活動については,①1970年の横浜における重症心身障害 児殺害事件に対する厳正な裁判の要求,②優生保護法改正反対,③介助者なしでの乗車 を求めてバスに座り込みバスをストップさせた事件,④養護学校義務化反対が著名であ る。こういった著名な活動は確かに現在の自立生活運動のイメージとは異なっているか もしれない(7)。さて,彼らが自立生活に込めた意味とは,どのようなものだっただろうか。次の
2
つ の記事から考えてみたい。第1
に挙げるのは,1978年に会員によってなされた発言で ある。私達は,単に障害者が地域社会で独立した生活をすればよいと考えている訳では ありません。……(中略)……私達が自立生活を目指す事は,地域社会に充満して いる差別現実に対して身をもって切り返すことではありませんか。(日本脳性マヒ 者協会青い芝の会神奈川県連合
1978 a : 10)。
次に挙げるのは,「神奈川青い芝」出身で後に全国の運動のリーダーとなった横塚晃 一が厚生大臣(当時)に提出した文書である。
私達青い芝の会の求める障害者の自立とは,社会の中で,障害者と健全者が対等 に生きていくいことができる状況を創りだしていく事であります……(中略)……
私達は,この社会を構成する全ての健全者が介助者であるべきだと考え,障害者の 自立を通して健全者の意識を変革していく斗い(原文ママ)をすすめております
(横塚
1977 : 9)。
以上から,第
1
の立場における自立生活の考え方の特徴を2
点指摘しておきたい。第1
自立生活の意味をめぐる3つの立場について 68
に自立生活の目的が「生活」というよりも,既存の社会の変革としてとらえられている ことである。第
2
に,第1
の点と関連して,障害者に求められるのは,自己決定や生活 の管理といったものではなく,社会を変革していくという意志であったという点であ る。2−1−
(b) 第1
の立場における介助関係のとらえ方次に,第
1
の立場における介助関係のとらえ方について述べる。ここでも,先の横塚 に文章の引用を手がかりとしたい。同引用では,「この社会を構成する全ての健全者が 介助者であるべき」と述べられている。この発言には重要な文脈がある。筆者の考えで は,これはバスの乗車問題を意識した発言なのである。バスの乗車をめぐるトラブルは バスに乗る際に障害者が特定の介助者とともにいることを条件とされたことに端を発し ている。彼らは特定の介助者がいなくてもその場にいる乗客が,その都度障害者に協力 すればよいと考えていたのである。そして,特定の介助者を用意することにより,社会 変革の力,−それはまさに自立生活の目的であった−,が鈍らされるとも考えていただ ろう。なぜなら,特定の人間が介助をするのであれば,たとえばバスに乗る乗客は障害 者に関心を向ける必要がないからだ。このような論理は,介助は無償であるべきという帰結をもたらす。より正確にいうの ならば,そもそも有償で介助という発想が存在しない。なぜなら,彼らにとっては,介 助は障害者の生活を成り立たせる手段であると同時に,単なる手助けを超えて,健常者 を変えていくプロセスに他ならないからである。この点については,1970年代に大阪 青い芝の会の会員だった方の証言を挙げておきたい。当時の大阪青い芝の会は第
1
の立 場に極めて近いといえる。証言によれば,「そういう介助を通じて,障害のない者たち に,障害者と共に生きることを学ばせるんだみたいな風に思ってますから……(有償化 の議論が最初に出た時は−筆者補注)なんでそんなんにお金がいるの,みたいな感じ」であったという(8)。
これらの議論から,この立場においては介助に社会変革の手段としての意味をもたせ ていること,それゆえ,必然的に介助は無償であるべきだと考えられたことがわかる。
2−1−
(c) 第1
の立場の自立生活と制度要求この立場の自立生活を支える制度の要求については,どのようなものがあったのだろ うか。実は,この立場は特に自立生活運動との関連で目立った制度の要求をしていな い。そして,そのこと自体に理由がある。
まず,所得保障であるが,基本的には生活保護が想定されていたと考えられる。そも そも「神奈川青い芝」の主要メンバーは,1960年代には,僧侶の大仏空が設立したマ
自立生活の意味をめぐる3つの立場について 69
ハラバ村という一種の生活共同体に参加していた(岡村
1988)。発足当初,大仏は生活
保護を権力の介入とみなしてその受給に否定的だったが,やがて生活保護の受給を認め るようになる(横田1975)。この背景には,筆者の考えでは共同体への参加者が増加し
たことと,内職などの作業による収入を得ることの挫折があろう。それ以後は生活保護 で暮らすことが普通になったと考えられる。介助については前項でも述べたが,社会変革の手段としての位置づけであるため,特 定の介助者を立てるという発想がなかった。すなわち,それは介助保障という発想がな かったことを意味している。前項で述べた理由の他に,当時介助を保障する制度が皆無 であり,その実現可能性がこの立場においては信じられていなかったことを示す記事も ある(横塚りゑ
1975)。
もちろん,この立場において制度的な要求が全くなされなかったわけではない。生活 保護における医療の利用に関する制限や,身体障害者福祉法の等級制度が脳性マヒ者に とって不利であるなどの問題点が指摘されている。しかし,特に自立生活との関連で考 えた場合には,生活保護制度を利用しながら,無償の介助者による介助による生活を想 定していたとまとめられよう。
2−2 第2の立場−入所施設から退所し,公的な介助保障を求める立場−
2−2−
(a) 第2
の立場における自立生活の意味立岩のいう「公的な介護保障を求める方向」の立場とはどのようなものだろうか。こ の立場に該当していると考えられるのは,府中療育センターでの闘争を経験し,後に組 合を結成する脳性マヒ者(以下では,センター闘争有志)である。本稿ではこのうち中 心人物であった新田勲の主張を中心に検討したい。記述の便宜上,センター闘争の詳細 については先行研究を参照されたいが(日本社会臨床学会
1996)
(9),次の点は特に強調 しておきたい。第1
に府中療育センター闘争は,生活を管理されるような環境からより 自由な生活空間を求める運動であった。本稿で対象とするのは,この府中療育センター に抗議し,後に1
人暮らしを始めた障害者である。第2
にセンター闘争有志にとって施 設に対する不満は,そこに働く職員の待遇の悪さに端を発していたことである。後者の 点はあまり強調されることはないが,彼らの自立生活についての考えを理解する上で重 要である。明示的に自立や自立生活という言葉を用いている訳ではないが,第
2
の立場から自立 生活について初めて主張されたのは次のような内容であった。都は私たちに生活の保障をしてくれる代わりに,人間としての権利,自由を奪っ ています。これでは動物園の檻に入っているのと同じです。……(中略)……私は
自立生活の意味をめぐる3つの立場について 70
人間として生き,人間としての生活がしたいんだ。私は働けない。私が生きるって 言うことは自分の好きな形をとっても自由である。それによって破滅して死んでも いいではないか(磯部(文責)1969 : 7,内容は新田の手記による)。
以上の引用文で筆者は
2
つの点に注目したい。まず第1
に自立生活が管理された空間 からの脱出として表現されているわけだが,「私たちの生活の保障をしてくれる代わり に」という表現にみられるように,生活の保障と引き換えに,自由が奪われているとい う認識があることである。第2
に,自立生活との関連でリスクを冒す自由が指摘される ことが多いが,後半の表現はまさにリスクを冒す自由を表現しているということであ る。2−2−
(b) 第2
の立場における介助関係のとらえ方さて,この立場の介助関係のとらえ方はいかなるものであろうか。センター闘争有志 は,公的介助保障を要求するようになるグループである。それは,有償による介助を普 及させることを意味する。通常,介助を有償にするということは,利用者と介助者の関 係を疑似的にせよ雇用者と被雇用者のそれにすると考えられる。実際に,深田も言及し ているように,広く日本に普及した
CIL
ではそのような関係が一般的である(深田2009)。
しかし,新田の想定する障害者と介助者の関係はこれと異なっている。新田は,現在 の自立生活センターについて批判的に言及しながら次のように述べている。すなわち,
「これ(利用者が気に入らなければすぐに介助者を変えられる状況を指す−筆者補注)
を自立生活と呼ぶことができるでしょうか。私の言う自立生活とは,障害者と介護者双 方がお互いを思いやる関係の中でつくられていくもののことです。」(新田
2008 : 20)。
また別の個所では自分で介助者を探したり,選んだりするからこそ「介護者そのものを 大切にしていこうという気持ち,またそういう障害者の動きがあってこそ,健全者のほ うも障害者を大切にしていこう,ともに生きていこうという関係そのものができてくる のだと思います」と述べている。先に,センター闘争有志の不満の発端に職員の待遇の 悪さがあることを指摘したが,そういった意識は自立生活を営む段階にまでつながって いるといえるだろう。
以上述べてきたことから浮かび上がってくる第
2
の立場の介助関係のとらえ方の特徴 は,有償の介助を求めながら,雇用者−被雇用者といった関係ではなく,お互いの思い やりで成り立つような関係を求めている点にあるといえよう。本稿におけるこの指摘 は,先行研究の検討で言及した深田の研究結果とも整合的である。自立生活の意味をめぐる3つの立場について 71
2−2−
(c) 第2
の立場の自立生活と制度要求第
2
の立場における制度要求は大きくわけて2
つある。第1
に,生活保護制度の充実 の要求である。次に述べる第3
の立場が生活保障に足る年金を要求したのに対して,こ の立場は基本的に障害者の生活を生活保護制度の充実によって満たそうとした。その理 由は生活保護の水準を上げるほうが年金の増額を要求するよりも高い生活水準を保持で きると考えられたからである。第
2
の特徴は,介護保障の要求である。この要求はこの立場の制度要求の中核をなし ている。新田はこのような要求をするに至った経緯を次のように記している。府中療育センターを出て
3
ヵ月めにして,自分の世話をする人数人が私から離れ ていき人手がなくなって食事も食べられず,このまま黙っていたら野たれ死にか施 設に戻るかしかなくなってしまったのであります(新田1978 : 12)。
このような状況によって新田は「介護する側も,電車賃,食事代も何にひとつ保障の ないところでは長く続きません」ということに気づき介助保障の要求を始めるのである
(新田
1978 : 11−12)。この要求は 1973
年に東京都で始まる「脳性マヒ者等全身性障害者介護人派遣事業」として結実する。以後,同制度は,新田らの組合や他の組織の要求 によって,充実しつつ,全国的に波及する。
2−3 第3の立場−障害者の主体性を重視し,介助を最小限にすることで自由を得る立場
2−3−
(a) 第3
の立場における自立生活の意味続いて,第
3
の立場を検討しよう。第3
の立場に該当するのは「東京青い芝の会」で ある。東京青い芝の会は1970
年代の「青い芝の会」の全国的な運動の中で特殊である という評価を与えられている。その根拠となっているのは,第1
に障害者福祉の政策に 関係する専門家や研究者などとの人脈をもっていたこと,第2
に養護学校などに他の地 域ほど強硬には反対しなかった点が挙げられる。「東京青い芝の会」の活動は,①脳性マヒ者の生活の場所としてのケア付き住宅の要 求,②年金による所得保障の要求,③電動車いす等の福祉器具や交通のバリアフリーに よる移動の自由の獲得のための活動,④等級制度を主な内容とする福祉制度の改善要 求,にまとめられる。同じ「青い芝の会」とはいえ,優生思想や隔離の反対などを掲げ て,おもに社会意識を問題にする第
1
の立場と対比すれば,制度の改善に重点を置いて いたといえるだろう(10)。さて,第
3
の立場に関する自立の考え方を検討しよう。自立あるいは自立生活はどの ような背景のもとで求められたのだろうか。ここで検討の俎上に載せるのは,「東京青自立生活の意味をめぐる3つの立場について 72
い芝の会」が会として
1976
年9
月28
日に東京都知事美濃部亮吉(当時)に提出した要 望書である。この要望書は現状の問題点を次のように指摘している。(脳性マヒ者は−筆者補注)その多くが所謂在宅という形で人としての生活と諸 権利を奪われたまま
10
年,20年と親兄弟のもとで,無権利,無自覚のまま子供扱 いされながら,孤独と無為の毎日を送らされています(磯部1976 : 2)。
まず,自立の必要性は上記の引用文のような状況から導き出される。そして,それに対 置される自立の考え方は次のようなものであった。
障害者が幼い頃から奪われ,失わされてきた「自分で判断し,決定し,行動す る。そしてその責任を負う」という自立の考え方……(後略)……(磯部
1976 : 2)。
この自立の考え方の特徴は何だろうか。それはまず第
1
に在宅という状況でさまざま な社会経験を奪われてきたことが問題であるという認識である。そして,第2
に,それ に対置されるのが,障害者の主体性とも呼ぶべき自己決定する能力とその結果について 責任を負うという自覚であろう。この点に注目すれば,本稿の冒頭で引用した定藤が説 明するアメリカの自立生活運動に極めて近い要素をもった自立の考え方であるといえよ う。2−3−
(b) 第3
の立場における介助関係のとらえ方前項で記した第
3
の立場の自立の考え方は,他の立場とは異なった介助関係のとらえ 方をもたらしている。その特徴は,立岩も触れているが,介助を受ける状況を減少させ ようと志向する点である。実際に,彼らが強く求めたケア付き住宅においても,介助を できるだけ少なく済ますことができる設備が求められた。もちろん重要なのはそのように考えられた背景である。この背景を知るためには,次 のようなやり取りが参考になる。東京都の民生局の職員から,交渉の中で「介護の機械 化は非人間的な扱いに通じるのではないか」という疑問が出されたが,それに対して
「東京青い芝の会」は,「青い芝の会が主張している機械器具の導入は,自らの意志によ って他人に気兼ねなく行動できる保障としてのものであり,厚生省などがさかんに言っ ている管理のための機械化とは全く違う意味のものである」と答えたと記録されている
(東京青い芝の会
1976 c)。まず,注目すべき点は,介助そのものが「他人への気兼ね」
をもたらし,ともすれば行動を制限する方向に作用するという危惧であろう。介助と引
自立生活の意味をめぐる3つの立場について 73
き換えに自分の意志を制限されると言い換えてもよい。通常,介助といえば自立生活に とって不可欠なものというイメージがあるが,彼らがまさに「在宅」で経験してきたの は,介助と引き換えに自由を奪われるといった状況だったのではなかったか。このこと は,脳性マヒ者の多くが自走用の車いすを使用できないがゆえに電動車いすを非常に高 く評価していることとも整合的である(秋山
1975)。彼らにとって福祉器具や電動車い
すは介助してもらうことと引き換えにもたらされる自由の制限(気兼ね)から解放され るために特に重要だったのである。2−3−
(c) 第3
の立場における自立生活と制度要求第
3
の立場は多くの制度的要求を行っている。そのうち最も切実なものの1
つはケア 付き住宅の要求である。これは,1981年に設立された「八王子自立ホーム」として結 実する。このケア付き住宅の完成までには,他の団体,東京都を交えて何度も会議がも たれている。これまで述べたことと関係するが,この「八王子自立ホーム」では,利用 者の意志を尊重するための福祉器具とその理念を理解する職員が雇用された。もう
1
つの第3
の立場の制度要求の柱は,年金制度の充実である。この要求は,1985 年の基礎年金の発足によって一応の成果を得た。本稿にとってより重要なのは,この要 求がなされた背景である。その背景の1
つは親や家族に宛てられた保障ではなく,本人 に宛てられた保障を求めていたという点である。この立場では,障害者を親の付属物と みなすような立場に徹底的に反対した。それゆえ,介助をする家族に向けられる手当で はなく,本人に向けられる所得保障を要求した。もう1
つは生活保護の問題である。た とえば,この立場の代表的な人物の1
人だった寺田は,生活保護を受けてクーラーをつ けてはならないというような制限について福祉事務所と諍いがあったことを述べている(秋山和明・秋山ます子・一番ケ瀬ほか
1981)。こういった経験から,彼らは生活保護
ではなく年金による保障を求めたのである。生活保護よりも年金のほうが実際問題とし て権利性が高いと判断したと言いかえてもよいだろう。3 3 つの立場,それぞれの意義−各立場の異同の検討を通して−
本節では,これまでに概要を示した自立,自立生活をめぐる
3
つの立場の意義を考察 することをねらいとする。そのために各立場の異同を再度確認しながら意義を抽出した い。3−1 自立生活の考え方をめぐって
本稿では,自立や自立生活という言葉に込められた意味の多様性を強調しながら記述
自立生活の意味をめぐる3つの立場について 74
を進めてきた。しかしその一方で,ある種の共通点も明らかになったのではないだろう か。というのは,どの立場においても,自立生活は抑圧的な場所からの脱出を志向して いると考えられる。第
1
の立場においては,差別的な地域の変革が目指されたのだっ た。第2
の立場では,規則により自由を奪う入所施設からの脱出を企図したものであっ た。第3
の立場では障害者を子ども扱いし,しばしば,決定する機会や責任をとる機会 を奪ってきた家族からの脱出が目指されたのであった。これらはどの立場も相違はある が,一方で抑圧的な現状の打開を目指す点では変わらない。特に障害者の自由を妨げる ような制限からの脱出として自立生活をとらえているのではないだろうか。もちろん,各立場の違いも大きい。まず方向性の問題がある。第
2
の立場と第3
の立 場においては,自立生活は抑圧的な環境の脱出の先にある「より自由な場所」として想 定されている。一方で,第1
の立場では,親元や施設を離れた結果として暮らす地域が 抑圧的な環境だと想定されている。現状を離れて行き着く場所は「より自由な場所」と は想定されず,むしろ変革しなければならない対象だと想定されている。各立場の相違はこれにとどまらない。第
1
の立場と第3
の立場では,自立や自立生活 の意味が異なる。第1
の立場では社会の変革を自立生活の意味に直接的に組み込んでい る。一方で第3
の立場では,障害者が自ら決定することやその責任をとるといった,個 人の主体性を重視し,地域で生活する障害者が増えることで,結果として社会が変化し ていくと考えられている。第2
の立場は地域の変革も重視はするが,基本的には障害者 と介助者の関係を重視し,障害者に求められるのは,介助者との「思いやりのある」関 係を保持することである。このようにそれぞれが想定する自立生活とその帰結として求 められる自立生活障害者像は大きく異なっている。さて,先に掲げた定藤の説明するアメリカ自立生活運動の説明との関係でそれぞれの 立場はどのような意義をもつだろうか。まず,自立生活を社会変革として把握する第
1
の立場が特に独自であろう。筆者は介助者として1970
年代の障害者運動参加経験者た ちと関わる中で,「最近の障害者が生活を楽しむことに傾斜して積極的な要求をしなく なった」という趣旨のことをよく耳にするが,まさにそれは,かつての運動が内包して いた社会変革の機能が変容していることを示している。つまり,差別的な地域社会を告 発し,社会を変革することがそのまま自立生活とは必ずしも考えられなくなったのであ る。この変化は必ずしも否定的に捉えられるべきではないと筆者は考える。なぜなら,自立生活に社会変革を直接的に組み込むということは,生活することがそのまま地域を 変革することであると考えるということであり,自立生活ができる障害者を限定してし まう方向にもなりかねないということには注意が必要だろう。なぜなら,直接的な社会 変革をあまりに強く志向するならば,施設や親元ではかなわなかった自由な生活を求め るだけの自立は否定的にとらえられかねないからである。そうだとすれば,気兼ねのな
自立生活の意味をめぐる3つの立場について 75
い暮らしを営もうとする障害者を,「社会を変革する意識の低い障害者」として排除し てしまいかねない(11)。
第
2,第 3
の立場はどうだろうか。先にも述べたように,第2
の立場ではリスクを冒 す自由が明言されており,ダイレクレクペイメントと重なる部分をもっている可能性が ある。ただし,次にも言及するが,介助を有償としつつ,「思いやりのある関係をつくる」
ことを重視するこの立場の側面はアメリカ自立生活運動の一般的な理解と比較すれば特 異である。通常,有償化は介助者と障害者の関係をビジネスライクなものにすると予測 されるし,また実際そのようにするために有償化が行われるからである。
第
3
の立場はもっとも定藤の説明する自立生活運動(バークレー型CIL)に近いとい
えよう。自己決定とその責任を負うという考え方がこの立場の自立の中心となっている からである。介助を極小化する点は異なると思われるかもしれないが,定藤が述べてい るところによれば,アメリカ自立生活運動においても,福祉器具の導入は推進されている(定藤
1990)。そうだとするならば,両者において介助がなければよいと考える程度
は異なるかもしれないが,その方向性については異なっているとはいえない。
3−2 介助関係をめぐって
続いて介助関係について検討しよう。まず,介助にどのような意味を与えるかで,各 立場が大きく異なっている。第
1
の立場においては,健常者を教育(変革)するための 手段として位置づけられていた。この論理から,介助は無償が当然となる。第2
の立場 では,介助者の確保のためにその有償化は主張するが,その関係は両者が互いに思いや るものでなくてはならないとする。第3
の立場では,介助はまさに障害者の自由を阻害 する契機でもあるがゆえに省けるのであれば省けたほうがよいと考え,介助の機械化に 積極的であった。この介助をめぐっては,それぞれの立場に激しい対立があった。まず,第
1
の立場か らみれば,介助が有償ということが理解できなかった。彼らにとって介助は社会変革の 重要なプロセスであり,かつ,金銭を媒介にした関係は否定的に評価された。たとえ ば,1979年12
月9
日の「生活問題討論集会」の健常者は「(公的介助保障の立場の場 合−筆者補注)介護を金で保障させると障害者が介護者を雇う形となり(障害者と健常 者の共生と−筆者補注)矛盾してくる。共に生きる原則を運動として考えなおし整理す べきだ。」と主張しており,これについて公的介護保障要求を推進していた猪野千代子 から,「それは介護する位置と意味を明確にしないと解決しない。現実的には介護する 人を探すのに懸命だ。健全者もともに(公的介護保障の−筆者補注)ために闘うことを 要請する」と返答が出されている(全国障害者解放運動連絡会議1980 : 3−4)
(12)。猪野自立生活の意味をめぐる3つの立場について 76
の返答の意図は,現実的には介護者の確保は無償では困難であり,その生活を保障しつ つどういう関係を築いていくかが重要であるということであろう。ちなみに彼女は別の 手記においても本来あらゆる人に障害者を介護する義務があると考えており介護関係に 金銭が発生しないのが理想であるとも思うが,現段階では公的介護保障が必要であると いう内容の見解を記している(障害者の足を奪い返す会編
1997 : 17)。
第
2
の立場からみれば,上記のやりとりにもあるように,介助者の生活保障なしに は,安定的に介助を得ることができないという認識がその前提にあった。したがって,第
1
の立場とはそもそも議論の前提を共有できなかったといえるだろう。しかし,繰り 返し述べているように,第2
の立場もまた一般に想定されるような意味で介助者を雇用 したのではなかった。次に述べる第3
の立場が介助をあくまでも障害者の主体的な意志 に従属すべきととらえるのと比較すれば,介助者との相互作用を重視するという意味に おいて,第1
の立場と第2
の立場は類似しているとさえいえよう。両者は原のいう「相 互依存−自立」を,第3
の立場は「自助−自立」を志向していると分類できるのであ る。1970年代後半の自立生活運動には「自助−自立」の方向性と「相互依存−自立」の方向性が対立しながらも含まれているのである。
第
3
の立場からみれば,第1
の立場も第2
の立場も理解に苦しむものであったと考え られる。第3
の立場では介助は障害者の主体性を奪いかねないものであり,必要最低限 にとどめるべきものであった。彼らにしてみれば,理念に共感した健常者を組織化して 介助をさせている第1
の立場からも,公的介護保障を要求している第2
の立場からも,等しく「介助への依存的な傾向」を感じ取ったようである。そのような主張の例を挙げ ておきたい。まず,第
1
の立場に対しては第3
の立場から次のような批判が向けられて いる。健全者の友人組織をつくって脳性マヒ者を在宅や施設から引っ張り出してこれを 自立であるといってきたが,健全者の顔色をうかがわないと生きてゆけないような ことで果たして自立といえるかどうかあまり考えたことがないのではないか?(東 京青い芝の会
1979 : 6)。
この引用文は文脈から明らかに第
1
の立場に向けられており,本稿が依拠した立岩の3
つの立場に関する記述において,「対立は第2
の立場と第3
の立場にあった」とする 部分については,「対立は3
つの立場でそれぞれにあった」と修正されるべきであろう。第
2
の立場と第3
の立場だけでなく,さらに,先述のように第1
の立場が介助を有償で 得るという発想をもっていなかった点を考慮にいれれば,第1
の立場と第2
の立場にも 対立は存在することになる。つまり,全ての立場の間に対立する論点が存在したという自立生活の意味をめぐる3つの立場について 77
ことである。第
3
の立場からの第2
立場への批判は次のようなものである。「手足という介護が保障されない限り,私たちは行動も生活もできないのです」と いう姿勢ではたとえ地域で生きるという形はとっても,職員に管理される現代のあ しき施設よりどこがましかわからない(寺田
1979 : 9)。
このような主張の相違には障害の重さの違いが影響している可能性がある。介助を必 要とする度合いが,介助にどのような距離をとるのかという問題に影響を与えていた可 能性はある。そして,このような主張の相違はそのまま自立生活を支える制度をどのよ うに構想するかにおいても現れる。そのことは次に述べるとして,介助関係のとらえ方 の現代的な意義について先に述べておきたい。
現在,自立生活といえば利用者と介助者の関係は,大多数のケースで事業所(CILを 含む)が介助者を集め,障害者は事業所と契約し,事業所は介助者を障害者に派遣す る。もし,介助者に不都合があれば,事業所に障害者が申し立てにより介助者を変更す るという形となっている。あくまでも介助者は事業所に雇用されるという点で,自立生 活センターと介助者の間に雇用契約のないアメリカのバークレー
CIL
とは異なってい る。ただし,この場合も疑似的とはいえ基本的に障害者が介助者をコントロールする立 場にあることには変わりがないだろう。現代からみて1970
年代に構想された介助者と の関係性はどのような意味をもつだろうか。まず,言えることは,介助の有償/無償と介助者と障害者の関係性の問題は必ずしも 一義的に決定されるものではないということだろう。この点で重要なのは第
2
の立場で ある。なぜなら,深田も指摘していることだが,この立場は,介助の量的確保のために 有償化を主張したが,なおも介助者との「思いやりのある関係」を維持しようとしてい るからである。つまり,有償化はすぐさま障害者と介助者の関係を雇用者−被雇用者の 関係に変化させるとは限らないのである。そのために,新田は障害者にも介助者との関 係を維持する努力を求めている。第
2
に,介助をめぐる3
つの立場の議論は,介助の両義性をよく示している。介助の 両義性とは次のような意味である。第1
に介助は障害者の生活を可能にするという意味 で必要不可欠である(介助が障害者の自由を拡大する側面)。しかし,一方で他人に介 助されるからこそ,障害者は自由を制限される場合がある。それは極めて簡単にいえ ば,日ごろ世話になっているから言うことを聞かねばならないということであり,もっ と直接的には,車いすを押してもらえば,押している人の行きたいところに連れて行か れるというようなことである(介助が障害者の自由を制限する側面)。前者を比較的強 調するのが第2
の立場,後者を比較的強調するのが第3
の立場といえるだろう。また,自立生活の意味をめぐる3つの立場について 78
第
1
の立場でよく主張された「友人であり手足である」という健常者像は,時には第2
の立場のように相互の関係を重視した関係でありつつ,介助においては,障害者の自由 を制限しない介助者を求めていると解釈できよう(13)。現在の自立生活運動でも介助者 を有償で雇用するのは介助が自由を制限する方向で働かないようにするためだといえ る。ともあれ,介助関係のあり方についても多様であり得ることをこれらの議論はよく 示している。本稿を通して,現在,日本のCIL
の提供している介助のあり方が普及し たことには理由があるということと同時に,そのあり方が自立生活を支える唯一の介助 のあり方ではないことは明らかである。同じく介助関係を有償としたとしても,1970 年代から日本に存在した自立生活運動と現在のCIL
における介助のあり方は異なって いる。3−3 自立生活を支える制度要求をめぐって
最後に自立生活を支える制度要求について検討しておきたい。この論点について激し い対立があったのは,第
2
の立場と第3
の立場である。第2
の立場では,すでに述べた ように生活保護制度の充実が要求された。また,介助者の生活を保障する制度も要求さ れた。一方で,第3
の立場では生活保護ではなく,年金の増額が要求された。もともと 第2
の立場の新田は第3
の立場の「東京青い芝の会」に参加しており,この要求の違い が原因で両者は対立することになる。すでに述べたように,第
3
の立場が年金を要求する背景の1
つは生活保護に様々な制 限がつきまとうことにあった。しかし,第2
の立場はこれを承服することができなかっ た。なぜならば,年金の要求の目標とされた1
カ月7
万円では,多くの介助を必要とす る彼らの生活には到底足りないと考えられたからである。しかも,それが単なる運動の戦略上の問題とはされずに,第
2
の立場からみれば,年 金を要求できるのは,障害が軽いからであると感じられた。つまり,問題が障害の重さ という問題に波及したのである。新田はこの問題について次のように述べている。私達は今の生保だから暮らしたり子供を生んだりもできているのです。年金にし たらとうてい生活がやれなくなることはわかっています。年金が月に
15
万から20
万出ればともかく,どう考えても国ではそんな額は認めないと思うし,またこの年 金一本化要求というのは軽度者の差別的要求だと思います。(生活保護に様々な制 限があるのは分かるが−引用者補注)だから苦しくっても働けた方が良いという人 は,働けるという余裕があるからだし,生保で暮している者を最低とみくびってい るのと同じだと思います(新田1979 : 6−7)。
自立生活の意味をめぐる3つの立場について 79
これに対して,第
3
の立場の寺田は,先に引用した文章の手前で,これは障害が重い 軽いという問題ではないと述べている。また,障害が重くとも福祉器具などで工夫すれ ば,介助を減らす事ができるとも述べている。両者は対立の原因をめぐっても対立して いる。いいかえれば,介助関係のとらえ方の違いが制度要求の優先順位に強く影響を与 えているといえる。第2
の立場にとっては,介助それ自体はなんら制限されるべきもの ではないのだから,介助を最大限利用できるような制度を要求する。一方で第3
の立場 にとっては,介助は削減できればできるに越したことがないのだから,むしろ障害者自 身の所得保障の権利性を優先したといえるだろう。この対立については,結局,第
3
の立場の要求は,障害基礎年金として(その額の当 否はおくとして)結実している。また第2
の立場の要求は,全身性障害者介護人派遣事 業と生活保護の他人介護料という形で結実した。両制度は全く対立的なものではない。にもかかわらず,この
2
つの立場が強く対立したのは介助に関するとらえ方の違いが反 映しているためと考えるのが妥当であろう。4 まとめと今後の課題
4−1 3つの立場の概要
本稿の目的は,1970年代の障害者運動における自立生活の意味の多様性を検証する ことであった。この目的に照らして,明らかになった知見をまとめておきたい。
まず,明らかになったのは,本稿で対象とした運動においては,3つの自立生活に関 する立場があったということである。自立生活は主張されるようになったかなり早い段 階から,多様であったのである。その特徴は表にまとめると次のようになる(表
2)。
これらの特徴は本稿でも述べたとおりだが,介助のとらえ方については,第
1
の立場 と第2
の立場は介助者との相互の親密な関係を重視するという意味で近く,第3
の立場表2 自立生活の3つの立場の概要
第1の立場 第2の立場 第3の立場 自立生活の意味 地域社会の変革 管理される場所からの脱出
障害者の主体形成 地域社会の変革
介助関係のとらえ方 介助者との相互作用重視 介助者との相互作用重視 介助は最低限にすべき
介助の有償/無償 無償 有償 有償
自立生活を支える制度 生活保護 生活保護 年金
公的介助保障 ケア付き住宅 出所:筆者作成
自立生活の意味をめぐる3つの立場について 80
は異なっている。一方で,介助を有償とするか無償とするかは,第
2
の立場と第3
の立 場が共通している。しかし,自立生活を支える制度をどのようにするかについては第2
の立場と第3
の立場に激しい対立があった。また制度要求をめぐっては第1
の立場と第2
の立場は生活保護を要求したが,第3
の立場は生活保護の制限を理由に年金の増額を 要求していた。また第2
の立場だけが公的な介助の保障を要求しており,他の立場はそ もそもそうした発想がないか,これに批判的であった。以上の検討からもわかるとおり,自立生活は自己決定というキーワードにのみ回収で きるものではなく,それぞれの立場において望ましい状態がそれぞれ想定され,各立場 の間に大きな相違があったことが明らかである。
4−2 それぞれの立場の意義と限界
次にそれぞれの立場についてその現代的意義と限界をもう一度まとめておこう。第
1
の立場は自立生活の理念と併せて介助関係にも社会変革の意味を組み込んでいた。それ は自立生活が単なる自由な暮らしではないという意味で,また理念を共有する介助者が 共に生活するという意味で魅力的ではある。また,次に述べる第2
の立場もそうである が,先行研究でしばしば指摘されていた自立,あるいは自立生活という概念が,個の問 題に限定されがちであるという問題をクリアしているという点であろう。なぜなら,こ れらの立場は自立生活との関係で,介助者との関係を非常に重視しているからだ。この 点は先行研究との関係で特に評価できるのではないだろうか。しかし,それは,安定的 な介助者の供給にはつながらないし,社会変革の効果も大きいとは言えまい。なぜな ら,全ての人々が介助者であるべきと標榜しても,実際にはそのスローガンに共鳴する 者が介助を提供することになるからだ。そういう意味で結局,最初から共感をもった人 間に介助をさせることに終わってしまいかねない。また,理念の共有だけを媒介にし て,集められる介助者は多くないであろうし,無償である限りその維持も容易とはいえ まい。第
2
の立場は,介助を有償化しながら親密な関係を維持するという極めて重要な実践 だったと評価できるだろう。なぜなら,介助の有償化が介助関係の希薄化に直接つなが るものではないということを示しているからだ。この点は,第1
の立場と同様に今日の 運動から大いに注目すべき点ではないだろうか。しかし,介助者との親密な関係を全て の障害者が望むとは無論限らない。ある意味では,ビジネスライクな関係こそが,介助 の自由を制限する側面に歯止めをかける効果もあり得るだろう。また介助者との関係を 維持することにはかなり精神的な負担を必要とするのも事実であろう。そして,それゆ えに「割り切った」関係を求める障害者がいても不思議ではない。第
3
の立場の介助関係は,介助のもたらす気兼ねを最も大きく考慮したものだといえ自立生活の意味をめぐる3つの立場について 81
る。基本的には,ケア付き住宅の理念を理解している雇用された職員による介助を求め る点で,「割り切った」関係を求めているといえる。介助が障害者の自由を奪う契機に もなり得る可能性は常にあるので,この立場は一定の説得力をもつ。しかし,障害者に 強い主体性を要求することにより,「自己管理」や「自己決定」が義務のようになって いく危険性もあるだろう。この点は現在の自立生活においても同様の問題がある。ま た,介助の必要度によってもこの立場の評価は変わるだろう。自助具や福祉機器などの 導入により,介助を減らすことは可能であるし,それを追求することが無意味だとは思 われないが,人によりその効果には限界があることも確かだろう。また,工夫をすれ ば,介助を省けるとしてもその工夫に必要なコストが大きければ,必ずしも介助を省く という選択肢が望ましいとはいえないのではないだろうか。繰り返し述べているよう に,筆者の考えでは最もアメリカの自立生活運動と親和的であったのはこの第
3
の立場 である。4−3 今後の課題
本稿で取り上げたそれぞれの立場には述べてきたような課題があったが,それでもこ の
3
つの立場は非常に重要である。というのも,これら3
つの理念はそれぞれ1980
年 以降の活動の源流となっているからである。この点については詳しくは稿を改めるが,重要な点だけ指摘しておきたい。まず,第
1
の立場は地域での障害者と健常者の交流で きる場所づくりへとつながっていく。第2
の立場は,述べたように公的介助保障を求め る組合を結成する。また,第3
の立場はケア付き住宅とともに基礎年金の実現を果たし た。最後に今後の課題について述べたい。筆者は立岩の説を敷衍する形で
3
つの立場の検 討を行った。本稿の結果は横須賀が立岩への批判において主張するように,1970年代 の自立生活運動と1980
年代以降に普及するCIL
の運動が大きく異なることを示してい た。しかし,一方では横須賀の指摘も修正されなければならない。第3
の立場は非常に アメリカの自立生活運動と親和的であったし,彼らがアメリカの情報の流入に重要な役 割を果たしていたとしても不思議はないからだ。以上の問題意識を踏まえて,今後は次のような課題に取り組みたい。第
1
に3
つの立 場において,アメリカ自立生活運動がどのように受容されたのかという問題を検討した い。また,1970年代においてここで検討した3
つの立場以外にもアメリカ自立生活運 動の受容の媒介となる組織は存在しなかったのかという問題について検討したい。また 第3
に,これらの立場がどのように1980
年代以降発展していくのかについても検討し たい。自立生活の意味をめぐる3つの立場について 82